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近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8©2ch.net
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0001名無し三等兵 転載ダメ©2ch.net
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2016/04/23(土) 23:58:23.34ID:PoPQHH/z
軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。

国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。

中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。

このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。

このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは>>2以降参照

前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/


参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm
0002名無し三等兵
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2016/04/24(日) 00:00:16.44ID:KP4nlS3j
2 名無し三等兵 sage 2014/01/05(日) 12:46:21.12 ID:???
古代・中世総合スレ: 
[武士騎士] 古代中世総合17 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1387871002/

19世紀軍事総合スレ:
[19世紀後半幕末総合]南北・普仏・西南・日清戦争06
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1376388340/

理論・歴史系スレ
[孫子]戦理・戦略・地政学・歴史・理論0010[戦争論]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1290002931/
(dat落ち)

航海術・造船技術の発展とか、航海法の歴史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323000695/l50
(注 世界史板です)
0004名無し三等兵
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2016/05/11(水) 14:23:25.50ID:/4tV27V3
なんか過疎ってるなー
あ、そうだ
オランダ式大隊やスウェーデン式大隊では銃兵はパイク兵の援護下にあったけど
カウンターマーチをするときってパイク兵ってどこにいたの?
銃兵の後ろにいたらいざという時に銃兵を守れないしかといって銃兵の前にいたらカウンターマーチのじゃまだし
0005名無し三等兵
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2016/05/11(水) 14:56:56.66ID:K6cFWWVc
パイク兵は両脇や後ろにいて必要な時に前に来る(銃兵が後ろに下がる)で何が問題なのかさっぱりわからん
0006名無し三等兵
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2016/05/11(水) 16:38:38.96ID:QW4vOSpv
いざというときとは言っても、例え騎兵突撃でさえも隊形変換する余裕は有るかと
タイミングを読み間違えたとかなら別だけど
0007名無し三等兵
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2016/05/11(水) 17:15:22.97ID:K6cFWWVc
重装騎兵の衝撃力失った17世紀の騎兵じゃ十分余裕あるわ。ただしポーランド除く
0008名無し三等兵
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2016/05/11(水) 22:44:27.62ID:GI5B+jdQ
スウェーデン式戦隊でパイク兵が正面の場合後方のマスケット銃兵との距離は通常50歩幅とあるけど一歩幅を0.5mとしても25m離れてることになる
更に後方に予備のマスケット銃兵が左右に展開できるように配置されてるとはいえ
離れすぎな気がするんだけど良いんだろうか
0009名無し三等兵
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2016/05/12(木) 14:27:28.05ID:/h/TbcBG
大きく感じるけれど、隊形変換等の機動を考えると必要なのかもね
ナポレオン時代でも、大隊(横隊)や中隊の間隔は、横方向は余り離れていないけれど、縦方向は旋回の余裕を取るためか結構離れているし
(縦隊は横方向も結構離す時も)
0010名無し三等兵
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2016/05/18(水) 23:09:30.49ID:fZonTZFx
スウェーデン大隊やオランダ大隊って6列横隊でカウンターマーチするときどのくらいの距離から射撃開始してたの?
スウェーデン式大隊が「充分に近づいた上で」3列横隊に展開して一斉射撃で隊列を崩すっていう説明を見て気になったんで
0011名無し三等兵
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2016/05/26(木) 07:32:27.66ID:esp2IosJ
近世について調べ始めたばっかりの人だけどナポレオン軍ってなんで強かったの?
7年戦争であそこまで強かったプロイセン軍がコテンパンにやられた理由を知りたい
0012名無し三等兵
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2016/05/26(木) 12:27:26.76ID:Fy9tkfTT
7年戦争でプロイセン軍がそこまで強かったイメージがない
0013名無し三等兵
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2016/05/26(木) 19:14:13.54ID:RN296Yoz
7年戦争のプロイセン軍は際どい勝利のイメージ。
ナポレオン軍も結構際どい勝利だよな。
0014名無し三等兵
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2016/05/26(木) 22:51:54.28ID:QqyJ/QX6
数が多い、戦死者が出てもひるまない→それに応じた戦術が採れる
かなあ?
0015名無し三等兵
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2016/05/27(金) 00:06:44.66ID:+Jefcif9
本質的には、封建国家と国民国家・近世と近代 という国家体制上の時代格差だと思うのさ
封建からの脱却に伴う国力の拡大、中央集権による国力全ての戦争経済化、ナショナリズム
を背景にした国民・兵士の高い士気、古い体制に囚われない軍事改革など‥

ここら辺、例えば中世末期の封建・分権国家に対する絶対王政国家の優越とかと通じる話だね
0016名無し三等兵
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2016/05/27(金) 19:04:55.72ID:mI2KDQdm
>>11
徴兵か徴集の違い

徴兵は町と村ごとに人口の〇%を何年間か軍隊で給料払って訓練する
活躍すれば将軍になれる(少なくともナポレオン軍は)


徴集は戦争の度に必要な人数を雇って戦いが終われば解散する

徴集だと最初に契約金を貰ってあとの給料は戦況次第(つまり勝ち続ければ分け前があるけど負ければ分けるもの自体がない)
しかも怪我しても何の保障もないし、そもそも基本給が低いから、みんな命をかけたがらない
酷いと現地で部隊が解散するから自腹で帰らないといけないwww
0017名無し三等兵
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2016/05/27(金) 19:45:20.32ID:epYUH6WG
封建制も後期の頃は、徴兵による国家の常備軍(長期兵役)が主流だよ
選抜的徴兵+長期兵役(時には10年を超える)を背景にした封建軍の強さ・高質さ、
ってのは仏革命政府の軍隊編成やエピソードでも歴然としてる

プロイセンの「徴兵制度による超大規模な国家常備軍」とか有名じゃんじゃん
0018名無し三等兵
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2016/05/28(土) 01:16:13.08ID:R7ornnME
それでも国民軍の異常な士気の高さには勝てなかったからなあ
0019名無し三等兵
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2016/05/28(土) 03:24:36.38ID:m3jOdBm+
>>18
士気じゃない、金の問題が大きい

封建制は王様の財産と王様の借金で軍を養うから普段から大軍を編成するとスペインみたいに維持費で破産する
共和国だと国の予算と国の信用で金を借りれるから資金力が違う

で、イギリスがフランスに勝てたのは当時の金融の中心がロンドンで、イギリスがフランスより低い金利でたくさん借金できたからフランスを倒せた
0020名無し三等兵
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2016/05/28(土) 03:50:33.70ID:4SwKkv19
>>19
>で、イギリスがフランスに勝てたのは当時の金融の中心がロンドンで、イギリスがフランスより低い金利でたくさん借金できたからフランスを倒せた

言いたい事は何となく分かるけど、何処からその沢山の借金をするんだ?
国内?
国外?

イギリスの中心がロンドンなら、フランスの中心はパリなんじゃないの。

肝心の、金融の中心がロンドンでありパリではなかったのは何故?

> 封建制は王様の財産と王様の借金で軍を養うから普段から大軍を編成するとスペインみたいに維持費で破産する
>共和国だと国の予算と国の信用で金を借りれるから資金力が違う

イギリスは何制?

てか、過小評価されがちなイギリスの先進性、(評価最高の海軍は兎も角)特に陸軍のそれがよく分かるよな。
ワーテルローはナポレオンの記念地ではなく、ウェルズリーの記念地。
0021名無し三等兵
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2016/05/28(土) 09:10:31.66ID:ylgiHKQr
横からですが
>>20
>言いたい事は何となく分かるけど、何処からその沢山の借金をするんだ?
国内外の金持ちからでは
今現在各国でやってるのと同じでしょう

>イギリスの中心がロンドンなら、フランスの中心はパリなんじゃないの。
>肝心の、金融の中心がロンドンでありパリではなかったのは何故
フランスの信用度がイギリスのそれより低かったからでしょう
平たく言えばイギリスの方が、借金の返済がスムーズだったということで
あとまあ、中央銀行やら証券取引所やらの出現もイギリスのほうが早く

>イギリスは何制?
立憲君主制ですな
とりあえず名誉革命以降、予算の決定とか国債の発行認可とかは議会の専権事項だったとか
0022名無し三等兵
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2016/05/28(土) 11:13:13.77ID:Y0J2rcAb
ナポレオン戦争時、イングランドは軍事費の半分以上を国債で賄っていたことはあまり有名じゃないのか
0023名無し三等兵
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2016/05/28(土) 11:46:44.60ID:m3jOdBm+
>>20
アジアやカナダ、南アフリカなどの植民地で活動する商人は、地元に金融市場がなかったのでロンドンで資金調達と余分な資金の運用をしていたのです
また、国内にも貴族がいます
ですから国債を買いたい人がいたわけです

ロンドンが中心になったのは共和制フランスが革命で成立したからで、王制の周辺国はフランスとは取引してくれなかったのです

イギリスは立憲君主制の志願兵制

つまり近衛騎兵連隊に代表される王様のエリート部隊と食い詰め者(貧乏人)の併用

だから優遇されてる部隊と一般部隊の待遇は段違い
イギリスが伝統的に歩兵用ライフルがショボいのも立憲君主制だから
0024名無し三等兵
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2016/05/28(土) 11:56:28.46ID:Y0J2rcAb
>ロンドンが中心になったのは共和制フランスが革命で成立したからで、王制の周辺国はフランスとは取引してくれなかったのです
絶対王政の時代のフランスは国債まともに整備できておらずナポレオン期の方が取引されてるのを知らないようだ
あと、革命初期に貴族層粛清した結果それまで英海軍に対して優位であった仏海軍(七年戦争の戦訓からブルボン朝は
海軍を強化し米独立戦争でも英海軍をけん制していた)が弱体化し、その結果海外市場も弱体化している
0025名無し三等兵
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2016/05/28(土) 12:00:16.74ID:m3jOdBm+
イギリスの資金調達は永久債というのが有名で、金利だけ払うという国債が発行された

これは元本は返さないけど金利は永久に払うというもので

例えば1万ポンド永久債を5%で買うと毎年500ポンドいつまでも貰える

イギリス政府が元本を返すと、契約終了(返済完了)
0026名無し三等兵
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2016/05/28(土) 12:23:13.00ID:Y0J2rcAb
ナポレオン戦争期にはコンソル債使ってなかったと思うけど
0027名無し三等兵
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2016/05/28(土) 12:26:41.61ID:CnOOhqmw
このころの社会システムとか全然知らんけど傭兵の値段も安くなったよね。
1600年のスペインが植民地も含めた動員数15万でヒーヒー言ってたのに
18世紀のフランス軍はその倍以上の数を維持できてたもんな
0028名無し三等兵
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2016/05/28(土) 12:30:39.00ID:m3jOdBm+
>>24
いや、国債はそもそも「あんまり必要なかった」のが事実

何でかというと、当時の王様や貴族の買い物はツケが効くから借金する必要がなかったし、公共事業もしなかったから
0029名無し三等兵
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2016/05/28(土) 13:40:38.84ID:IyTsFi/q
>>27
スペインじゃなくカスティーリャ王国の軍隊だったからな
統一国家だったらまた違ったかも
0030名無し三等兵
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2016/05/28(土) 17:33:15.69ID:lk+z/N11
>>28
ツケ自体が負債じゃね?あと、結構借金してるぞ。国王個人に対する借金だから代替わりやらなんやらの時によく帳消しにされたが。
なのでリスクが高くなって金利が上がる→返済額が膨れ上がって帳消しにされるリスクも上がるになったが

あと国債の代替として売官もあったような。気軽に買い戻せないわ金利代わりに給料払わないといけないわ
買った方は金儲けにいそしむからいいことろくにないけどまとまった金が手に入るからやめられなかったらしい
003119
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2016/05/28(土) 18:07:11.07ID:sjhHHZnG
>>30
ツケは商人からすれば個人相手の売掛け金だろ?王様からすれば商人1人を裏切っても何も怖くない

で、国債は証券化(切り分け)された債権だから会社や個人同士で売り買いできる
つまり流動性(いらなくなったら売れる)がある
で、流動性があると金利は下がる

仮にイギリス国債がデフォルトしたら国内外の金持ち数千人がイギリス政府に恨みをもつリスクがあるけどね
003219
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2016/05/28(土) 18:14:55.15ID:sjhHHZnG
官位の売り買いはヨーロッパだけでなく日本でもあるな、樋口一葉の父が同心の位を買ってる

中国もそうだし、現代でも「民営化」と言って水道公社を買収して事実上の「買官」してるような国がある
0033名無し三等兵
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2016/05/28(土) 18:42:44.59ID:Y0J2rcAb
国王が金借りる規模の商人て国内で最も有力な商家だったり、都市国家経営してるレベルなんで
国王が踏み倒すと踏み倒しでなくなる債務の額どころでない被害が国家に出たんだけどね
有名どころだとスペインに金貸していたジェノヴァがスペインの度重なる破産でスペイン援助から
手を引いた結果、ネーデルランドが独立したりと
003419
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2016/05/28(土) 18:47:05.56ID:m3jOdBm+
フッガー家もそうね
0035名無し三等兵
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2016/05/28(土) 18:49:40.11ID:Y0J2rcAb
一人二役に踊らされた自分御馬鹿さ加減に腹が立つ
0036名無し三等兵
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2016/05/28(土) 18:57:04.07ID:aFJfEKfx
>>27
18世紀の中期以降は選抜徴兵制が欧州各国で始まってるし
003719
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2016/05/28(土) 19:12:57.26ID:m3jOdBm+
>>35
0038名無し三等兵
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2016/06/02(木) 20:38:38.14ID:jD7Yp34R
昔読んだ漫画で食料がなくて靴を食べるみたいな場面があったのだが革靴って食えるの?
0040名無し三等兵
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2016/06/02(木) 20:41:40.34ID:o/G1AF2M
大昔の革靴は食べようと思えば不可能ではないってレベルで
近代の革靴は加工時に使う薬品が人体に有害だった気が
中世の時点で皮の加工に砒素使うことあったから革製品食べるのはよした方が
0041名無し三等兵
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2016/06/02(木) 21:19:12.46ID:N73hhW6w
食料になる‥と思われていた(実際は栄養にならないし、腹を下すのがオチ)。

ナメシ加工された革は食べられない・消化できそうにないけど、靴・特に靴底のはクッション性や
保温性から非常に厚いので、表皮部分を剥けば生・無垢の皮(のようなもの)が得られる。
コレは食べられそうだ。って概念?がアッチの世界に普及していたのよ。
飢餓状態に陥って食べた、って話は結構みるよ(南極探検のスコット隊とか)

東洋の、土壁のつなぎ材(藁など)は食べられる。みたいなもんだな
マネしないように
0042名無し三等兵
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2016/06/03(金) 03:15:41.23ID:N2kPytAU
クラウゼヴィッツ読み直してるけどこの時代のことを知った後だとまた新鮮な感じで読めるな
0043名無し三等兵
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2016/06/03(金) 20:43:49.97ID:bN28CLn1
「戦争論」は現代の軍事研究のバイブルであると同時に日本語で手に入る近世の戦争を研究した最高の本だからな
0044名無し三等兵
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2016/06/08(水) 01:31:12.17ID:A9kd6FK9
親衛隊と近衛隊ってどう違うの?
0045名無し三等兵
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2016/06/08(水) 01:59:57.42ID:2t/ZBQvT
翻訳の問題では。たしか中国語じゃどっちも禁衛隊なような。
0046名無し三等兵
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2016/06/08(水) 02:13:44.08ID:6C1rrvHb
親衛隊(gards)の中で皇帝・国王を守るのが近衛と訳されるんじゃなかった?
だからマレンゴにおいて第一執政が投入したgardsは親衛隊だけど
ワーテルローにおいて皇帝が投入したgardsは近衛隊な訳だし
0047名無し三等兵
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2016/06/08(水) 12:57:06.92ID:q9r5x0Tw
>>44
待遇がひいきされているのが親衛隊で
国家元首の護衛が近衛のイメージがあるなぁ
0048名無し三等兵
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2016/06/08(水) 13:06:46.20ID:AyrV8reN
とある幕末日本を扱った海外産RTSではガーズを護衛隊と訳しててはじめ意味がわからなかったな
まあ「double times」を「ハイノハヤサデ-」とやらかしたり色々楽しいゲームではあったんだが
0049名無し三等兵
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2016/06/08(水) 18:54:35.81ID:VDmFtzLl
逆に旗本とか御家人が海外でGardsなんて訳されてる可能性はないのかのう。
0050名無し三等兵
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2016/06/08(水) 19:07:55.66ID:2t/ZBQvT
長谷川平蔵とこの御先手組なんかならアドバンス・ガードで正確な翻訳なんだろうけど。
0051名無し三等兵
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2016/06/08(水) 20:32:50.30ID:1hRIcThg
奥詰銃隊や御持小筒組(撒兵隊)はGuardsと言えるのでは?
海外で呼ばれているかは分からないけれど
撒兵隊の中で木更津に脱走しなかった兵士は、慶喜公が駿府に移封される時に護衛として付き従ったし
ナポレオンに付き従いエルバ島に航った帝国親衛隊と重なるなぁ
0052名無し三等兵
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2016/06/08(水) 21:32:08.57ID:iaQSYBjU
江戸幕府の将軍近衛といえば小十人組かな
お揃いの制服(危急の際は将軍も同じ羽織を着て見分け付かなくするため)で常に帯同、
平時は将軍の警護+個人的なエージェントとして国内各地に派遣されたり‥
と一般の旗本御家人とは毛色が違う
0053名無し三等兵
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2016/06/09(木) 18:56:45.03ID:9BozQf4T
そういえばロシア遠征でフランス軍近衛軍団ってどのくらい被害を受けたんだろね
損害率が大陸軍と等しいなら近衛隊を構成していたベテラン兵も全滅に近かっただろうし
一般部隊にもベテラン兵なんていなくなっただろうし
0054名無し三等兵
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2016/06/09(木) 22:24:22.06ID:hYIXztty
帝国親衛隊の兵力の推移

帝国親衛隊、第3師団
※1812年7月1日の兵力 / 1813年2月1日の合計兵力
※「オランダ」のみニェーメン渡河時の兵力 / 1813年2月1日の合計兵力

第1及び第2親衛隊徒歩猟兵連隊(4個大隊)
将校94名、下士官兵3076名 / 415名

第1及び第2親衛隊徒歩擲弾兵連隊(4個大隊)
将校83名、下士官兵士2808名 / 408名

第3親衛隊徒歩擲弾兵連隊「オランダ」(2個大隊)
将校34名、下士官兵士1462名 / 11名
0056名無し三等兵
垢版 |
2016/06/10(金) 09:23:09.15ID:IfKX8ove
ここ
http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/garde.html

によればワーテルローの近衛隊突撃に加わったのは老練親衛隊3個大隊を除く5個大隊2850人となってるけど
ロシア遠征前の1個近衛連隊以下の人数しかいなかったってことは結局ロシア遠征前の規模まで再建出来なかったってことなのかな?
0057名無し三等兵
垢版 |
2016/06/10(金) 12:20:46.53ID:zw1RR6iG
>>56
>>55の最初の2例は2個連隊の合計(2個大隊×2)です
分かり辛い書き方だったかな・・・

親衛隊の歩兵科連隊は
1個大隊:中隊(200名)×4個
1個連隊:大隊×2個+連隊本部=約1600名
だったかと
記憶ですが

なので、ロシア戦役の1個連隊以下とは言えませが、定数割れ状態だったのは確かかと
ワーテルロー戦役に先立って、徒歩猟兵と徒歩擲弾兵の第4連隊が編成されましが、戦役開始に間に合ったのは第1大隊のみだったと
第2大隊はパリ近郊で編成中
0058名無し三等兵
垢版 |
2016/06/10(金) 12:33:10.68ID:gEXkwvDS
あの突撃ってそんなにしょっぱかったんだ
映画のイメージのせいで10000とは行かなくても5000くらいはいると思ってた
ナポレオンも半ばヤケクソだったんだろうなあ
0059名無し三等兵
垢版 |
2016/06/10(金) 12:40:05.69ID:gEXkwvDS
>>57
ああすみません
20世紀くらいのイメージで1個連隊3000人と勝手に思い込んでました
0060名無し三等兵
垢版 |
2016/06/10(金) 13:03:23.78ID:JvYmfkR8
実際にはデルロンとレイユの軍団の残存兵力が助攻してますし
ネイがあそこで騎兵を消耗せず親衛隊突撃の支援に回せばだいぶ違ったと個人的に妄想
0061名無し三等兵
垢版 |
2016/06/21(火) 18:37:51.89ID:8c1vFxi1
ヤン・タルノフスキはマウリッツにどんな影響を与えたんだろう
0062名無し三等兵
垢版 |
2016/06/29(水) 19:06:58.09ID:sjG3R1pr
カウンターマーチってマウリッツ以前から似たようなことが行われてたっぽいし
マウリッツも西ヨーロッパの既存の戦術をまとめただけで特に影響とかなくても不思議じゃない
0063名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2016/07/10(日) 18:10:43.37ID:y4SHu2qh
16世紀ランツクネヒトの登場する会戦をスパイス程度に小説で描こうと思っているのですが
押さえておくべきポイントは何でしょうか
銃隊を槍方陣が護衛し
砲が槍方陣を崩し騎兵が突撃するという認識でいるのですが(これだとカウンターマーチになっちゃって時代が下りすぎかな?)
この場合雑多な武器を持つ歩兵たちはどこに登場の機会があるのかなというのが疑問でもあります
0064名無し三等兵
垢版 |
2016/07/11(月) 11:15:20.51ID:JW1fkkcG
自分で描写思いつかないなら当時を題材にした映画でも見ろよ
ここで聞くもんじゃねえよ鬱陶しい
0065名無し三等兵
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2016/07/11(月) 11:52:38.79ID:vskV3pzy
>>63 その辺の描写なら、読者は「ばら物語」を読んでると思わないと。ちょっと画像検索してみてくれ。
0066名無し三等兵
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2016/07/11(月) 12:22:30.16ID:UOrr8LSy
>>65
回答ありがとうございます
バラ物語読んでみます
0067名無し三等兵
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2016/07/12(火) 18:51:33.50ID:Bt+Bhpc0
>>63
1520年代のランツクネヒトの連隊は少なくとも300〜400人の中隊10個から成ってた
主な武器はパイクだったが連隊の1割以上はアルケブス装備してた
といっても装備してるアルケブスは発火方式さえバラついてたらしく絵画史料だとタッチホール式とマッチロック式が混在してたりする
銃兵は槍兵縦隊の正面で敵へのかく乱を行っていたらしい

1519年からは神聖ローマ帝国の敵の軍に従軍することは罪とされてたが実際には守られてなかった
またスイス傭兵と比較して低く置かれることが多かったがスイス傭兵がビコッカで大損害を負った後は実力が逆転したそうな
0068名無し三等兵
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2016/07/12(火) 19:13:44.81ID:/PrHhK0h
>>67
ありがとうございます
ばら物語にもそのように描写されておりました
スレ汚し申し訳ありませんでした
0069名無し三等兵
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2016/07/12(火) 22:26:43.29ID:O3naFbu7
>>63
ランツクネヒトの編制例(カール5世時代?)

中隊:400名(大尉、中尉、その他の下級将校や下士官を含む)
400名の内100名はドッペルゾルドナー(倍給兵士)で、 100名のドッペルゾルドナーの内50名はアルケビューザー
通常の兵士でアルケバスやクロスボウを装備していたのは25名程度でした

連隊:10から18個中隊
連隊は前方列、中央列、後方列、最後方列の4つのグループに別れていていました
(4列横隊と言う意味では有りません)

前方列:将校、良質なアーマーを装備したパイクマン
中央列:ハルベルダー、ソードマン(敵隊列の側面に攻撃を仕掛ける機会を狙っています、主に膠着状態時)
後方列:その他のパイクマン
最後方列:ドッペルゾルドナー
アルケビューザー:散開して側面、後方、時には前方にも
0070名無し三等兵
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2016/07/12(火) 22:39:22.15ID:/PrHhK0h
>>69
貴重な情報ありがとうございます
だいたい知りたいことがまとまりました
重ね重ね本当に感謝いたします
勝手にやってきて聞くだけ聞く態度申し訳ありませんでした
0071名無し三等兵
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2016/07/14(木) 20:52:05.30ID:SNG/1YLe
とらっしゅのーとで誰か記事あげてたような
0072名無し三等兵
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2016/07/19(火) 00:43:32.33ID:m+nM2Elg
大宰府の九州国立博物館の火縄銃展に行ってきました
火薬を入れるカ所は銃口と火皿だということは理解してるんですが
火皿という装置がある意味がいまひとつ分かりませんでした
直接銃口側に点火すると、暴発の危険があるから火皿という前段階をおくんですか?
すごく基本的なことで気が引けますが……

ついでですが、この展示会は小規模でしたが火縄銃を直に持って重さを体感できたので興味ある人は是非おすすめします
0073名無し三等兵
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2016/07/19(火) 19:21:31.93ID:XMhSEGtR
日本にはほぼ完成の域に達した瞬発式火縄銃が入ってきて試行錯誤の歴史が短いからメカの必然性が判りにくいね

古くは短い銃口側から導火線や焼いた針金を突っ込んで点火する打ち上げ花火と同じ方式に始まってる
後に銃身に小穴をあけて詰められた火薬へ焼いた針金を突っ込んで点火するよう工夫され
さらに銃身上に火皿を作って伝火薬を盛り、そこへ火種を押し付け点火する確実な方式へと発展
狙いを付けられるようメカを工夫し引き金で火縄を火皿へ押し付けるよう出来上がったものが完成形

要するに火皿は確実な発火と射手の安全を確保するためのものだけど
さらに安全確実な雷管が発明され構造上火皿は不要になった
0074名無し三等兵
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2016/07/19(火) 21:37:05.07ID:9N54fd5T
ありがとうございます
伝火薬、確実な発火というワードで何となく理解が進んだような気がします

実物を見てますます欲しくなってしまって模型を購入しようか検討中……
0075名無し三等兵
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2016/07/20(水) 12:51:36.87ID:OZngnbHN
いま火縄銃値下がりしてるから
本物買っちゃいなYO
0076名無し三等兵
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2016/07/20(水) 21:00:11.85ID:lNm7354E
>>75
本物www
そういえば今でも火縄銃を作っている人はいるんだろうか?
0077名無し三等兵
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2016/07/20(水) 22:54:11.11ID:VaX7/M6u
美術品としての古式銃なら所持OK
新造品はNG


古式銃について 警視庁
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/drug/kenju/koshiki.html

年代的
現代銃

 日本製〜 概ね慶応3年(1867年)よりも以後に製造された銃
 外国製〜 概ねそれよりも後に我が国に伝来した銃

古式銃

 日本製〜 概ね慶応3年(1867年)以前に製造された銃
 外国製〜 概ねそれ以前に我が国に伝来した銃

中略

 古式銃として登録、所持できないものに、

 現代銃に該当する
 登録後に現代銃に改造された

等があり、いずれも違法な銃となります。
0078名無し三等兵
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2016/07/20(水) 23:08:50.42ID:boqZQzzR
狩猟用の散弾銃という名目ならいけるんじゃね?
基本18番以内だからイギリスのブラウンベスは駄目だけどシャルル・ヴィル系なら着剣装置を無くせば
条件は満たすし
0079名無し三等兵
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2016/07/21(木) 23:07:27.00ID:K8YVGae6
骨董市に行けばやたら安いのが見つかる事もあるけどいいかげんな代物がほとんど
馬上筒と称して明らかに銃身を切り詰めただけのものや雷管仕様などと称したデタラメな変造品もあった
壊れてるものを少しでも高く売ろうと手を加えて台無しにしちゃってるんだよね…
0080名無し三等兵
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2016/07/22(金) 16:03:08.83ID:CkTzXIvs
日本の火縄銃が戦国期にあれ以上発達しなかったのってやっぱり完成度の高いものがいきなり入ってきたからかな
欧州じゃ種子島で売った火縄銃は試行錯誤の到達点の一つに過ぎなくてフリントロックや雷管式から金属薬莢
さらには後装填へとどんどん進化しているのに日本じゃ大量生産こそしたけど基本形状とか幕末までほとんど発展が無いね
火ばさみの松葉バネをゼンマイ式にして銃床内に組み込んだものもあるけどほんの一部だし
0081名無し三等兵
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2016/07/22(金) 19:19:44.56ID:GwWFjNWJ
元和偃武以降、戦争がなくて実用的には狩猟用途限定、しかもグリップとフロントエンドの二点支持式が圧倒的に普及した状況じゃ、
火縄銃から先の改造は命中精度が落ちるだけで有害無益だったというのはよく聞くね。
ストック付きの三点支持なら発火機構改良も意味もあるんだが、狩猟用(空砲威嚇用含む)には銃が長くなりすぎて取り回しが悪くなるからな。
0082名無し三等兵
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2016/07/24(日) 22:50:15.61ID:GD3ALgI4
命中精度にこだわったが故に結果的に発展しなかったてのは言えるかも
良質の火打ち石が産出しなかったから日本じゃフリントロックが発達しなかったというけど
硝石自体が大量に輸入されていたんだし必要なら買ってたはず
0083名無し三等兵
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2016/07/25(月) 15:07:43.04ID:uHUGC1ck
命中精度にこだわって割には独自にライフリングも発明できなかったんだから
単に需要がなかったってだけだろ
明が火器の発展を15世紀で止めてたのと同じ
0084名無し三等兵
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2016/07/25(月) 21:59:14.43ID:0pwWbUBK
>>83
ライフリングってそんなに容易に発明できるもんなの?
0085名無し三等兵
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2016/07/25(月) 22:35:02.99ID:yCtL1Wv+
弓矢も矢羽根の作用で回転させることで飛翔が安定すると経験的に知られていたから
江戸期も工夫というものが続いていたらライフリングに気が付いていたかもね
まあそんな需要が生じないほどの長い太平のほうがはるかに価値あるけど
0086名無し三等兵
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2016/07/25(月) 22:46:08.76ID:toAEpLlO
ライフリング自体は日本に伝来したいわゆる種子島より先に知られてはいるんだが
冶金技術が追い付かなかったんで。
0087名無し三等兵
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2016/07/25(月) 23:12:46.86ID:0pwWbUBK
>>86
ああ発明する必要はなかったんだ
ありがとう
0088名無し三等兵
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2016/07/25(月) 23:26:56.63ID:8D/Qx6s+
江戸時代の武具関係は、守旧型・既存の軍備を維持するだけなんだよ
民間〜藩まで軍備増強は厳しく規制されてるし、武士の鉄砲は武芸化されてるし。
0089名無し三等兵
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2016/07/25(月) 23:42:07.06ID:g9NeRc1c
外敵もいないのに軍備近代化しても社会不安の種になるだけだし、基本的に健全な判断ではある。
対外交流ルートを極度に絞りすぎたのは失敗だったけど…江戸時代中期、アラスカあたりまで進出していた時期のロシア相手になんか手を打てなかったかなあ。
0090名無し三等兵
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2016/07/25(月) 23:48:55.43ID:toAEpLlO
幕閣中枢はいろいろ手を考えていたんだが水戸と長州・薩摩が全部ぶち壊した
江戸時代の水戸のゴミっぷりは二代目が領地経営失敗したときに改易しなかったことを
心底悔やむレベル
0091名無し三等兵
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2016/07/25(月) 23:58:03.44ID:g9NeRc1c
それは言える。水戸学がなけりゃ幕末以降の日本史はもう少しまともな方向になっていただろうな。皇国思想が亡くなるだけでまるっきり違うもの…
0092名無し三等兵
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2016/07/26(火) 00:00:52.30ID:V9DFGqMp
高島流なんかでヤーゲル銃使ったときの射手の感想や使用感ってどんな感じだったんだろう?
0093名無し三等兵
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2016/07/26(火) 18:03:53.41ID:gtpGfNKn
でも、銃弾をただの球型から椎の実形にするのに時間かかってるのは不思議だよね。

矢じりと同じく尖らせればいいんじゃね?っていう発想がなかったんかな
0094名無し三等兵
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2016/07/26(火) 18:11:06.61ID:3KPTln1J
>>93
いや、肝は先とがりではなく、後ろの凹みだから。
不思議に理解されていない?
0095名無し三等兵
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2016/07/26(火) 19:44:41.92ID:7Abj9lAE
>>93
椎の実形の弾丸を銃口からスムーズに装填出来、尚且、発射時には弾丸がライフリングに食い込む様にする為の工夫が大変だったからでは?
その答えが>>94さんの指摘
0096名無し三等兵
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2016/07/26(火) 21:39:53.12ID:BVQXocOI
ライフリングの無い銃身でも戦車砲のAPFSDSみたいなものなら高威力の銃弾になったかな
焙烙火矢なんて凶悪な兵器があったわけだし
0097名無し三等兵
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2016/07/26(火) 22:08:50.20ID:IwDCZhQ9
サボの分離が上手くいかないと思う
0098名無し三等兵
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2016/07/28(木) 12:50:37.36ID:rrDbvOPf
というか貫く装甲がないから作る意味がないな
そこまでしなくても鎧は用をなしてないし
0099名無し三等兵
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2016/07/28(木) 20:24:16.91ID:iIfJxmRE
後は射程延長だろうけど横風に弱くなるだろしな
0100名無し三等兵
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2016/07/28(木) 21:16:29.34ID:Zh8DO5mY
初期の小型大砲だと、対重装騎兵用に矢型の砲弾を発射するものはあったよ
矢のお尻に木製の円盤型の栓を付ける。焙烙と違って矢は砲身内に収まる形。
バリスタを火薬推進にしました、みたいな概念の兵器だね

また円形の砲弾に取付ける木製のサボもあった。全体で見るといわゆる砲弾型に
なってて、当然サボは発射直後に分離。
これはマスケットで使う紙薬包の 紙+底板 の部分と同じ役割を期待したものだね
0101名無し三等兵
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2016/07/31(日) 02:26:32.02ID:Nj5wJpyH
NHKの日曜の海外ドラマ、三銃士の次はBBC制作の戦争と平和だけど結構良作の予感
0103名無し三等兵
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2016/07/31(日) 21:03:22.73ID:YuKs2lJl
1450年くらいのヨーロッパとオスマンの軍とかだと横隊でも兵の間隔ってどれくらいだったの?
もう肩が触れ合うくらいぎっちぎち?
0104名無し三等兵
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2016/08/01(月) 10:42:10.18ID:XxmNe8qK
>>103
槍兵とかだと密集するほど強いけど銃兵はそこまで密集すると装填しにくくなるし横の人の火花や煙が邪魔になる
0105名無し三等兵
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2016/08/01(月) 14:04:06.94ID:xZx0g6vf
黒沢映画の「乱」の城攻めで階段に銃兵がどっと押し掛け一斉に発砲するんだけど
後ろの人の銃が前の人の耳元で発砲しちゃって鼓膜がやられてそうなシーンがある
実戦だったら顔半分コゲてたりするんだろうね
0106名無し三等兵
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2016/08/01(月) 15:42:39.97ID:2Znu6kWQ
>>103
15世紀は不明ですが

17世紀中盤の聖教徒革命時
(何れも、パイクマン、マスケッティア共通)
一般的な間隔のOrderが3ft (91.44cm)
一番密集している間隔のClosest Orderが6in (15.24cm)
どの部分で測った長さかは不明ですが・・・

19世紀初頭のナポレオン戦争時
(パイクマンは姿を消していますが・・・)
イギリスが22in (55.88cm)
フランスが26in (66.04cm)
ロシアが27in (68.58cm)
何れの国も、正面を向いた兵士同士の肘から肘までの長さです
0107名無し三等兵
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2016/08/11(木) 21:28:49.42ID:Fng5q9jU
もののけ姫で業病の人達が造っていた石火矢って薬室が取り外せるフランキ砲みたいな鉄砲って実際あったのかな?
からくりはともかく銃身をどうやって作っていたのやら謎は多いけど
0109名無し三等兵
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2016/08/17(水) 12:24:55.83ID:QB0OcmGR
突然ですが軍事パレードについて
パレードアーマーというものがあるから鎧を装着していた近世以前にも軍事パレードはあったんでしょうか?
概要は近代のものと大差ないのでしょうか?
0110名無し三等兵
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2016/08/18(木) 01:21:55.25ID:CCYyQ+aj
閲兵式や凱旋式は軍事パレードには入る?入らない?
0111名無し三等兵
垢版 |
2016/08/18(木) 14:15:28.84ID:xddPTJk9
[BSプレミアム]
2016年8月18日(木) 午後5:00〜午後6:00(60分)
幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びた佐賀藩主・鍋島閑叟。技術を開発し独力で作り上げた幕末最強の軍をどう使うか、葛藤する。

【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】岩下哲典,佐渡島庸平,中野信子,鈴木一義,【語り】松重豊
0112名無し三等兵
垢版 |
2016/08/18(木) 21:46:02.04ID:GCgSsmRI
佐賀藩の大砲製造設備は本当にこんなんでちゃんとしたものが作れたのか疑問って言われてるけど
>>108の試行錯誤を繰り返した時代の大砲を見ちゃうとあれでも良いモノなんだろうなあ
0113名無し三等兵
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2016/08/22(月) 16:27:48.57ID:+CxjZIrj
国産大砲ってムクの砲身を鋳造してから砲口を削り出していたようだけどなんでそんな方法なんだか
ライフリングを刻んだ型を鋳型に入れておけば先込め式ライフル砲が簡単にできたのに
0114名無し三等兵
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2016/08/22(月) 17:07:10.32ID:WoqpvqQA
ド・ヴァリエール「」
グリボーヴァル「まあ、まあ」
0115名無し三等兵
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2016/08/22(月) 20:44:58.04ID:kDC7+/hD
>>113
多分強度と構造の複雑さが原因だと思う

溝全部に綺麗に流し込むって難しいし砲身に大きめの「す」ができたらそこから暴発する

「す」ってのは鋳型に金属を流し込んだ時にできた気泡や不均一に固まったせいでその部分の強度が弱くなってしまう現象

あと、金属製品は切削加工→冷間鍛造→熱間鍛造→鋳造の順で精密さと強度が強い(一般的には)

銃の部品は冷間鍛造や切削加工が多いよ
0116名無し三等兵
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2016/08/22(月) 22:26:22.55ID:YE7gsG7r
砲身は鋳造よりも穿孔で作った方が、精度も強度も大きくできるから
強度増大により砲身自体の薄肉化・軽量化を図れるので、当時の技術レベルでは
特に野砲製造には穿孔式が必須だった(じゃないと重いor小さい砲になってまう)
0117名無し三等兵
垢版 |
2016/08/22(月) 22:28:27.44ID:YE7gsG7r
大砲製造における穿孔砲身は18世紀ジャン・マリッツによって導入されて、
当時の大砲に大革新をもたらした。それぐらい、違いが出るのよ
0118名無し三等兵
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2016/08/22(月) 22:30:33.51ID:OoZSTmFX
後、命中精度も向上したよね
砲腔と砲弾の許容誤差を0.5センチまで縮めることに成功したけど
ライフル砲ではこれを更にキツくすることが求められる
0119名無し三等兵
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2016/08/22(月) 22:35:34.76ID:OoZSTmFX
>>118の2行目
砲身削りだし式の野砲の代表格であるグリボーバルシステムが抜けてた
0120名無し三等兵
垢版 |
2016/09/02(金) 14:33:25.54ID:MU5Mldne
ワーテルローの映画見たんだけど陣形を整えるフランス軍をイギリス軍が暢気に眺めてたのはなんで?
射程内に入ってるんだしイギリス軍は準備万端なんだから撃てばいいのに
0122名無し三等兵
垢版 |
2016/09/02(金) 15:12:21.85ID:m3N8iecN
種子島にポルトガル船が漂着し、ポルトガル人から火縄銃が伝わった…って話だけど
実はポルトガル船じゃなく倭寇の船で、この時代の倭寇は中国人の商人集団…って高校講座でも教えるようになったね
ずいぶん以前に明らかになってる事なのに、ここまでくるのにどれだけかかったんだ
0123名無し三等兵
垢版 |
2016/09/02(金) 16:13:21.65ID:QtmFIXgZ
後期倭寇でも三割程度は和人で、和人が指揮官や軍事力担ってたと
明代の資料ではっきり書かれてるんだけよね
0124名無し三等兵
垢版 |
2016/09/02(金) 19:24:40.62ID:vF4r1xmq
「1493」に出てるが、戦闘要員としてのサムライは重宝されてメキシコあたりまで流れてったそうだしな、当時。
0125名無し三等兵
垢版 |
2016/09/02(金) 20:21:50.31ID:ErNLtwxl
>>120
イギリス軍の準備万端とはフランス軍を迎え撃つ防御の事かと

砲兵は攻勢の為の集中配備では無く、中隊単位に分割され各歩旅団に貼り付けられていました
本来は攻防共に機動的に運用される筈の騎馬砲兵さえも歩兵旅団の支援の為に張り付け配置に
もっとも、それら張り付け配置の騎馬砲兵はフランス軍騎兵による波状攻撃の最中、その士気と練度の高さを示す事になりましたが

因みに映画の中で「射程に捕らえた」云々言っているのは騎馬砲兵
彼らの6ポンド短カノンでは、対峙する尾根のフランス軍は射程外な気も・・・

つまり、一部の砲兵が景気付け程度の砲撃が出来る位で、守備やカウンターの配置に着いている歩兵や騎兵を動かすなど以ての外
こんなん感じかと
0126名無し三等兵
垢版 |
2016/09/23(金) 16:29:52.18ID:ZoaSQZck
まあ、昔は火縄銃は連射に1分以上の時間がかかる
何て話が主流だったのは事実だな
火薬を入れて玉を詰めてと順にやっていれば時間がかかるのは事実だが
実際は合戦では早合のように弾と火薬を一体化する工夫が早くになされ
以前、言われたほど連射性は悪くはなかったのだよね
0127名無し三等兵
垢版 |
2016/09/23(金) 16:31:01.74ID:ZoaSQZck
>>122
倭寇説も明確な根拠は無いのではないの?
ルートを考えれば、その可能性が高いってだけで
0128名無し三等兵
垢版 |
2016/09/23(金) 17:25:57.26ID:sjPY8zDy
>>126
実際には火薬が散ったり、銃身の強度のせいで早合使っても
速度あげられなかったと聞くがどうなんだろうね
0129名無し三等兵
垢版 |
2016/09/23(金) 17:34:28.30ID:Cxx0yhHx
真田筒みたいに早合に特化した火縄銃なら早かったんだろうね
でも幸村(仮)が家康の目前で取り落としちゃったというから使い勝手は今一つな気もする
0130名無し三等兵
垢版 |
2016/09/23(金) 17:47:58.45ID:ZoaSQZck
釣キチ三平でマタギが村田銃で羆と戦っているのを観て
村田銃が欲しさに、猟銃免許を取ったのだが
村田銃はけっこう高いな。
0131名無し三等兵
垢版 |
2016/09/23(金) 19:53:20.32ID:oWn/xwqx
会津・庄内は売国奴


http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/images/2016/09/21/M16092112178/efc636fa3839ddca1fa39fdeffab7c06.jpg

 戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から
資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、
五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で
具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば
実現していた可能性がある」とみる。

 これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年
7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。

 その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。

 今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り
込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。

 とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から
6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。
0132名無し三等兵
垢版 |
2016/09/23(金) 19:53:45.47ID:oWn/xwqx
 書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立
歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。

 それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として
与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の
土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。

 幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の
蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点
確保に向けた意図が読み取れる。

 当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の
形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)

09/21 17:15 更新
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html
0133名無し三等兵
垢版 |
2016/09/23(金) 20:14:44.97ID:sjPY8zDy
土地の貸与が売国に当たるとは過分にして知らなかったわw
0134名無し三等兵
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2016/09/23(金) 20:21:20.62ID:AUVF9MN8
>>133
現代はともかくこの頃は借りると言ってそのまま占領してしまうような帝国主義万歳な時代だからなあ
長期化したら薩長側がイギリスに貸したりして分割統治されても不思議ではなかったね
0136名無し三等兵
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2016/09/24(土) 15:29:15.37ID:go6McxRT
>>134
香港は長期に渡る借款だったが、イギリスは中国に結局、戻しただろ
イギリスは戻したくは無かったが、中国側が一戦を交えても戻せと迫ったから
イギリスには選択権は無かったのだよ
対照的なのはマカオ
マカオはスペインだったかな。よく覚えていないが
そこが中国から借り受けていたが、本国の国力では海外領土として植民地を維持するのが
逆に負担になっていた。
だから宗主国の方も返還に対して反発は少なかっただけに、議論はとんとん拍子に進んで返還になった。

ま、要するにその時の国力の差が大きくものを言うってことだ。
あくまで、北海道を貸与した場合でも、我々が知っている通りに歴史が進んだ場合を前提にしての話だが
その場合、第一次大戦の後で、ドイツは敗戦したし。北海道は日本に返還となったのではないの?
0137名無し三等兵
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2016/09/25(日) 19:56:00.78ID:4+G6BKWD
今日の23時からBBC制作の「戦争と平和」がある
0138名無し三等兵
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2016/09/26(月) 00:08:31.80ID:o8x0jMIt
イギリスにはああいうロケ地がまだあるんだね。
0139名無し三等兵
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2016/10/09(日) 17:14:55.04ID:eG9z69oE
種子島の銃口とブランベスの銃口みると銃身の分厚さが物凄く違うけど
18世紀のマスケットの銃身ってどうやって作ってたの?
0142名無し三等兵
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2016/10/09(日) 21:11:14.79ID:vhxnXQFs
>>139
18世紀頃までだと、種子島なんかと一緒で、鉄の棒に薄い板金を巻き付ける製法が主流のはず。
19世紀後半には、鉄の棒を作ってから、真ん中をくりぬく製法が主流になってます。

ブラウン・ベスはどっちだろう、100年以上にわたって作られているから、
細部の設計は色々と変化しているし、生産時期によって製法は違うのかも。
0143名無し三等兵
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2016/10/10(月) 00:08:55.33ID:GZ91VmEo
>>140
祭りで撃つのなんて空砲なのにそれで暴発なんてあるのか?
よほど銃身が腐食してたり肉が薄くなってたりしたのかね
0144名無し三等兵
垢版 |
2016/10/10(月) 08:13:17.13ID:xIbGSyRS
>>140
>>143
不発だった装薬を取り除かずに次を装填したと
これって暴発って言うのかな?
0145名無し三等兵
垢版 |
2016/10/10(月) 10:47:17.47ID:xHryjN0p
>>144
二重装填による腔発かなあ。

そもそも、暴発って、射手の意図と無関係に銃弾が発射されることを言うんだから、

>火縄銃を撃ったところ、銃が暴発

って、言葉の意味的におかしい気がするが、まあ、いいか。
0146名無し三等兵
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2016/10/10(月) 11:10:03.89ID:H1zrIwCt
興味のない人に腔発だといっても伝わらないし、短い単語でニュアンス伝えるならいいんじゃないの
言葉の意味は変わっていくもんだし
0147名無し三等兵
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2016/10/10(月) 13:52:16.17ID:arDgYtJ7
まぁ射手の意図しない結果をもたらした発砲すべてが暴発の範囲かな
0148名無し三等兵
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2016/10/11(火) 09:55:15.72ID:zs+IgVJy
いくら倍量の装薬でも、空砲で壊れるあたり
相当経年劣化が進んでたってのはありそう
0149名無し三等兵
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2016/10/11(火) 20:37:33.81ID:crZxGbYW
なんで左手が重傷なんだと思ったら左肩に担いで後ろに撃ってたのか
まともに構えていたら顔までいっていたな…
しかし不発だったらどうするのが正解なのかな
遅発なんてこともあるだろうし危なくて触れない
0150名無し三等兵
垢版 |
2016/10/11(火) 20:40:50.44ID:79X9TURd
この事案なら水張った桶用意しておいて放り込んで近寄らず一晩放置でいいんじゃね
0151名無し三等兵
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2016/10/11(火) 21:39:27.58ID:QcfPd4sf
言われてみれば先込めの多重装填ってどうやって対処してたんだ
それこそ「戦場では有りがちな事」扱いだよねこれ
0152名無し三等兵
垢版 |
2016/10/11(火) 22:06:10.37ID:ZYvPA5mS
不発が出たらラムロッドの先端にワームを取り付けて、それで弾を抜き出してたよ
ワームは弾薬盒に入れて有ったみたいだけど、全員が持っていたのか、何人かに一人(例えば下士官とか)なのかは分からない
0153名無し三等兵
垢版 |
2016/10/11(火) 22:10:23.28ID:dB/3kdEI
大抵の場合もう一度撃発すればいけるんやない?
前スレで誰かが上げてくれた米軍が試験したデータによると燧石式(M1822)の不発率が6発に1発、
雷管式(M1842)が166発に1発となってたけど
撃発機構以外はほぼ同一といって良い銃でこれほど違いが出るってことはただ単に火薬に上手く着火してないだけと思える
0154名無し三等兵
垢版 |
2016/10/22(土) 17:40:16.65ID:Z7eWyJS3
>>148
こういうイベントでは迫力出すために実射よりも火薬多く入れるらしいね
実射よりもマシマシで火薬入れたのに更に火薬入れたから爆発
0155名無し三等兵
垢版 |
2016/10/22(土) 17:42:05.24ID:3O71ELdP
>こういうイベントでは迫力出すために実射よりも火薬多く入れるらしい
根拠なく妄想で語るのやめてくれませんかね
0157名無し三等兵
垢版 |
2016/10/24(月) 20:47:42.19ID:LY/QYCKE
南米だかどっかでハンマーの先に火薬を取り付けてドカンとやるお祭りがTVで紹介されてる
みんな目立とうとエスカレートして火薬を詰め過ぎて毎年ケガする奴が出るそうで同じ心理だろうな
0158名無し三等兵
垢版 |
2016/10/24(月) 21:29:06.91ID:Lane+wEX
>>156
実際に銃を撃っている人間からするの火薬マシマシなんて
頭がイカレているとしか思えないからさ。
0159名無し三等兵
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2016/10/25(火) 20:15:14.90ID:ktLBujKH
でも素人は頭おかしいこと平気でするからなあ
0160名無し三等兵
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2016/10/25(火) 22:50:30.15ID:SeVpD/6X
>>152
日本の場合だと、鉄砲組頭が弾抜きを持ってると、雑兵物語に書いてある。
0161名無し三等兵
垢版 |
2016/10/26(水) 12:20:59.54ID:Js8E2gyd
ステージガン用の調合火薬を使えばいいのにね銃も痛めないし
黒沢映画だとピンク色のマズルフラッシュがすごい
0162名無し三等兵
垢版 |
2016/10/27(木) 03:50:10.98ID:YIpOCYgB
英語版wikiの「歴史修正主義」の項目に修正主義の例としてしてナポレオン戦争時の仏軍の攻撃陣形っていうのがあげられてるんだけど
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Historical_revisionism
これによると仏軍が横隊を突破する為に縦隊で戦っていたというのは昔の人の本をきっかけに広まった間違いで
21世紀に入ってからの研究でそれは否定され実際には多様な横隊をくんで戦っていたというのが正しい
とのことだけどつまり攻撃縦隊っていうのは戦場での機動性を上げる為に組んでただけで
戦闘の時には横隊に組み直してたってことで良いの?
0163名無し三等兵
垢版 |
2016/10/27(木) 14:33:36.51ID:2PfTRR2V
>>162
リンク先では1806年のマイダ会戦を例にしている様ですね

従来は、フランス軍第1軽歩兵連隊が2小隊正面の攻撃縦隊で白兵戦を意図して突撃
距離20ヤードで横隊のイギリス軍旅団から斉射を受け敗走
現在では、突撃時の第1軽歩兵連隊は横隊だったと
(戦闘技術の歴史4にも収録されていますが意味の取りにくい訳に・・・)

また、攻撃縦隊で突撃する時も、隣の大隊との距離は横隊に隊形変換するだけの余地を残したりもしていました
横隊を選択肢から外していたり、始めから複合隊形を取っている時は密集距離でしたが

フランス軍の攻撃は縦隊か横隊のどちらか一方に統一されていた訳では有りませんでした
多くは複合隊形だった様ですよ
連隊で一つの複合隊形を組むか、旅団や師団規模で複合隊形を組むかの差は有りましたが
流石に一つの大隊では一つの隊形でした
(前衛の散兵を除く)

因みに、マイダ会戦の参加兵力は両軍共に師団規模(5ー6000名)なので、大規模な複合隊形は取っていなかったと思います
0164名無し三等兵
垢版 |
2016/10/27(木) 16:51:10.93ID:2PfTRR2V
文章が前後してしまった・・・

>>162
リンク先では1806年のマイダ会戦を例にしている様ですね

従来は、フランス軍第1軽歩兵連隊が2小隊正面の攻撃縦隊で白兵戦を意図して突撃
距離20ヤードで横隊のイギリス軍旅団から斉射を受け敗走
現在では、突撃時の第1軽歩兵連隊は横隊だったと
(戦闘技術の歴史4にも収録されていますが意味の取りにくい訳に・・・)

フランス軍の攻撃は縦隊か横隊のどちらか一方に統一されていた訳では有りませんでした
多くは混合隊形だった様ですよ
連隊で一つの混合隊形を組むか、旅団や師団規模で混合隊形を組むかの差は有りましたが
流石に一つの大隊では一つの隊形でした
(前衛の散兵を除く)

また、攻撃縦隊で突撃する時も、隣の大隊との距離は横隊に隊形変換するだけの余地を残したりもしていました
横隊を選択肢から外していたり、始めから混合隊形を取っている時は密集距離でしたが

因みに、マイダ会戦の参加兵力は両軍共に師団規模(5ー6000名)なので、大規模な混合隊形は取っていなかったと思います
0165名無し三等兵
垢版 |
2016/11/02(水) 19:30:05.93ID:YtvcpXBg
散兵線をひく理由の一つが敵前で隊形を変える戦列歩兵を保護する為だもんな
0166名無し三等兵
垢版 |
2016/11/08(火) 18:56:52.27ID:lL5LXdsF
映画ワーテルローでもちらっと肩が触れ合うほどのぎゅうぎゅう詰の隊列の前に人三人分くらいの間隔で前進しているフランス兵の様子がみれたわ
0167名無し三等兵
垢版 |
2016/11/09(水) 23:53:01.60ID:zIWq/g+t
この時代の散兵をちゃんと描いた映画って「ワーテルロー」くらいなのかね?
ドラマとかみてると数秒のカットでちょびっと散兵戦が描かれてたりするけど
0168名無し三等兵
垢版 |
2016/11/10(木) 15:45:24.91ID:Oip4y2PP
TVドラマだけどシャープシリーズとかは?
こちらはこちらで散兵のみだったかな?
大規模会戦は少ないし、ワーテルローの回を見ていないけれど・・・

もう少し後の時代、南北戦争での横隊+散兵なら Gods and Generals の第1次ブルラン会戦で再現されていましたよ
前進シーンのみでしたが
0169名無し三等兵
垢版 |
2016/11/10(木) 18:07:53.00ID:aSHzvmr/
ふと思ったんだが西洋の戦いで夜襲ってあるんかね
0170名無し三等兵
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2016/11/10(木) 21:39:51.54ID:ufIbbqa6
>>169
大半は遭遇戦だけれど、意図的な夜襲もたびたび行われているよ。
有名な例だと、「トゥルゴヴィシュテの夜襲」がある。

1462年、ワラキア公国の独立を意図してオスマン帝国と交戦していたヴラド3世(いわゆるドラキュラ公)が、
戦力差を覆してオスマン帝国軍を撃退すべく皇帝メフメト2世の首印を狙って宿営地に大規模な夜間攻撃を
実施した。
ワラキア軍は首都トゥルゴヴィシュテに篭城していると油断しきっていたオスマン帝国軍に大打撃を与え
戦術的には勝利したものの、戦略目標たるメフメト2世の殺害には失敗した。
0171名無し三等兵
垢版 |
2016/11/11(金) 08:21:45.34ID:HHrpYkbT
ストーニーポイント夜襲とか
ツーロン攻囲戦とか
近世だと野戦での夜襲はあんまりない感じ
0172名無し三等兵
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2016/11/11(金) 14:05:38.88ID:lhn2UBc6
アメリカ国歌は夜戦の歌だよね

And the rockets' red glare, the bombs bursting in air, Gave proof through the night that our flag was still there,
0173名無し三等兵
垢版 |
2016/11/11(金) 14:38:56.29ID:7q2XerZ2
>>169
ナポレオン戦争中の野戦での夜襲なら、エジプト遠征中のタボール山の戦いとか
後はモスクワ遠征中のロシア軍騎兵(コサック主力)によるものとか
両例共に仕掛ける方の主力は騎兵で兵力も少なかった

大兵力の夜襲となると攻囲戦かな?
攻囲側、籠城側の両方で行われた筈
0174名無し三等兵
垢版 |
2016/11/11(金) 18:45:47.20ID:hKAc3gP4
米英戦争で米軍が素人丸出しの配置をして
夜襲食らったんじゃなかったっけな
調べたらBattle of Stoney Creekっぽい

>>171のストーニーポイントで夜襲に成功したのに
数十年後に似たような名前のところで逆を食らってんな
0175名無し三等兵
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2016/11/12(土) 02:45:44.17ID:qoK1Vep1
スペイン軍はEncamisadaっていう夜襲で有名だったな
仲間見分けるために白いシャツを上から着て剣やダガーで敵陣襲うっていう
0177名無し三等兵
垢版 |
2016/11/13(日) 12:34:58.54ID:7QF9BDWk
モスクワフィルムがつべで全編無料公開してるからとっくにフリーになったものと思ってた
0178名無し三等兵
垢版 |
2016/11/13(日) 19:02:08.65ID:cgIoHMpb
>>176
ボロディノ会戦のシーンは、どの局面の描写なのかハッキリとしないのが残念
流石にボロディノ村の市街戦や大堡塁は分かるけど・・・
ロシア軍騎兵の渡河シーンはコサックと第1騎兵軍団によるコローチャ河を渡ってのフランス軍左翼(ウージェーヌ軍団)への迂回攻撃の再現なのかな?

アウステルリッツ会戦はプラッツェン高地を降っていく連合軍が印象的
ロシア軍の軍服は確りと1805年戦役時を再現しているのに、フランス軍の軍服は後の1812年戦役の使い回しなのが・・・
0179名無し三等兵
垢版 |
2016/11/14(月) 19:01:22.68ID:nuWRiACR
戦争と平和の第3部のボロディノの戦闘シーンの砲撃や爆発の迫力はすごいんだけど実際あんなに爆発してたのか?
当時の砲弾は爆発しないだろうし榴弾砲はあったことは知ってはいるんだけどあんなに大量に使われていたんだろうか
榴弾砲が勝利を導いた戦闘とかって18世紀〜ナポレオン戦争中にあったりするん?
0180名無し三等兵
垢版 |
2016/11/15(火) 23:23:50.21ID:xlxzkuy7
現代の爆薬でもあんな派手に炎を上げて爆発しないんだよなあ
0181名無し三等兵
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2016/11/16(水) 03:05:42.23ID:hZ3x5qNR
ソ連版戦争と平和の撮影に使われたのはガソリンだから黒色火薬の榴弾よりもねっとり爆発してるね
派手だしいいんじゃない
0182名無し三等兵
垢版 |
2016/11/16(水) 11:00:18.38ID:MuULr9ba
同じ様な爆発をするワーテルローもガソリンなのかな?

>>179
榴弾砲の配備数は結構多かったみいですよ

1812年戦役のフランス軍各種砲兵隊
徒歩砲兵バッテリー
6ポンドカノン砲×6門、5.5インチ榴弾砲×2門
親衛隊徒歩重砲兵バッテリー
12ボンドカノン砲×6門、10インチ榴弾砲×2門
騎馬砲兵バッテリー
6ポンドカノン砲×6門
各種歩兵連隊付属の歩兵砲小隊
3ポンドカノン砲(オーストリア軍からの鹵獲品)×2門
騎馬砲兵や歩兵砲兵を除けば、カノン砲と榴弾砲の比率は3:1
(各隊の砲のサイズは標準例なので例外有り)

1812年戦役のロシア軍砲兵隊はバリエーションが多いのですが、徒歩砲兵バッテリーのカノン砲と榴弾砲の比率は2:1でした
(フランス軍と同じく騎馬砲兵に榴弾砲は無し)
ロシア軍の榴弾砲はリコルヌ(一角獣)と呼ばれる長砲身榴弾砲で、gun-howitzerの一種でした
0183名無し三等兵
垢版 |
2016/11/16(水) 14:28:44.61ID:1B+zfRHQ
前もきいたような気がしないでもないけど
バッテーリって何を示すんだっけ

榴弾砲とカノン砲の区別ができ始めたのっていつごろなのかのう…
0184名無し三等兵
垢版 |
2016/11/16(水) 15:30:28.10ID:sPJwW4r0
バッテリーは砲兵中隊だゾ
榴弾砲とカノンって元の震天雷とかのことを考えると元々別々の兵器として生まれたんじゃないのかな?
0185名無し三等兵
垢版 |
2016/11/16(水) 20:25:34.12ID:1B+zfRHQ
おお、なんと砲兵中隊だったのか、英語だったのね

臼砲が榴弾砲でそれ以外の砲がカノン砲になったのかなぁ
弾の問題と皮の問題は違うからどうなんだろう
0186名無し三等兵
垢版 |
2016/11/16(水) 21:59:08.31ID:rnKNKwcs
>>182
長砲身の榴弾砲ってあったんですね
この時代の榴弾砲と言えば短い砲身で曲射で撃つイメージだったんですが
0187名無し三等兵
垢版 |
2016/11/16(水) 23:36:36.92ID:MuULr9ba
>>183
フランス軍を例にすると

1個バッテリー(battery)は
砲兵(大砲と砲兵が所属)1個中隊(company)
大砲輜重兵(大砲を牽引する馬と牽引具、それらを操る御者が所属)1個中隊
以上、兵科の異なる2個中隊により編成されていました

砲兵は徒歩砲兵連隊(22個中隊)又は騎馬砲兵連隊( 7個中隊)の所属
大砲輜重兵は大砲輜重兵大隊(6個中隊)の所属

batteryの訳としては、砲兵大隊、砲兵中隊、座、等々一定していないのでカタカナ表記にしました
記号としては縦棒2本なので歩兵なら大隊(battalion)に相当するのですが・・・
ここら辺は騎兵のsquadronの訳にも当てはまる問題です
0188名無し三等兵
垢版 |
2016/11/19(土) 11:32:18.94ID:IFROc+x3
>>80
技術進化が実際止まるし、世界的に大々的に重火器が変化するのはもっとあとだからな。

フリントロックライフル事態は江戸時代に輸入して施策してたぜ。
そして17世紀のこうそうしきライフルにたいして、銃が劇的に進化するのは19世紀になってからだろ。
だからその間150年日本の重火器が変化しないのは必然。
0189名無し三等兵
垢版 |
2016/11/19(土) 14:20:34.80ID:6udS377S
>>188
確か軍事技術の進歩に関して幕府の目が厳しいのと、
射撃時の手元の衝撃が大きくて命中精度が火縄式に劣る事が、
江戸時代にフリントロック式が流行らなかった主要因なんだっけか
0190名無し三等兵
垢版 |
2016/11/19(土) 14:25:05.52ID:zDJ1O/MZ
戦列歩兵戦術も一緒に導入しないと
火縄を使わないので密集できる、というフリントロックの長所が十分生かせないしな
0191名無し三等兵
垢版 |
2016/11/19(土) 16:09:30.80ID:8HIG9f+/
律令制時代に中国から輸入した矛による密集戦術が全然続かなかった日本で戦列歩兵が流行るのかというと・・・
0192名無し三等兵
垢版 |
2016/11/19(土) 16:10:43.09ID:7jrw7bFu
大陸みたいな平原少ないもんな日本
0193名無し三等兵
垢版 |
2016/11/19(土) 17:40:07.60ID:s4erQrcn
山がちなのが戦術や武器に影響を与えてるよね
西洋の甲冑も入ってきていたけど動きにくいと大改造され胴と兜しか使われなかったくらい
なんでわざわざと思うけど南蛮胴の耐弾性は貴重だったんだろうね
0195名無し三等兵
垢版 |
2016/11/19(土) 19:45:25.46ID:3EbsuUov
>>189
フリントロック式が衝撃により命中精度が落ちるとは言っても、射手が制御出来ない程の衝撃なのかな?
フリントロック式は軍用以前に狩猟用として広まったって経緯が有る位だし
(火縄の臭いを獲物に嗅ぎ付けられないって利点も有ったにしろ)
プロシア軍の猟兵は民間の狩猟用ライフルを流用した物を使用していたけれど、トリガープルの調整機能が付いていた位繊細?な物だったと
命中精度に影響が出る程の衝撃が有る物に、そこまでの機能を付けるか疑問が・・・
和銃の頬付け銃床が衝撃を押さえるのには不適切だったとか?
0196名無し三等兵
垢版 |
2016/11/19(土) 19:53:51.98ID:7c21bvIe
国産だとフリントの質がよろしくないのも一因と聞いたことがあるが真偽は不明
0197名無し三等兵
垢版 |
2016/11/19(土) 21:43:48.65ID:azTEcHHi
>>195
トリガ−の引きが硬くてガク引きになるからじゃないの?
0198名無し三等兵
垢版 |
2016/11/20(日) 09:59:52.12ID:KxhCGwnX
フリントロックの最大の利点は連射性であり、つまり日本の火縄銃のほうが単発の命中精が高かろうが
連射性で総射撃量で命中精、制圧力、コスパ全部よくなるってのが後装式ライフルの利点
で精度よりも連射と制圧力で進化してきたのがライフル

実際アサルトライフルはボルトアクションライフルよりも完全に射程も命中精も劣るけど、全部負担の大きくアサルトライフル主流に切り替わったろ
これと同じ
0199名無し三等兵
垢版 |
2016/11/20(日) 10:02:13.35ID:KxhCGwnX
銃がそれまでの武器と比較していかになんにおいて優れてただが
単一の兵器としてみると初期の銃はフリントロックライフルまで含めて、連射性、射程、精度、威力事態は全く大したことない。
ところが
・弓よりも錬成が容易である
・弓よりも武装が軽量で済み、低人数で運用でき補給の負担がない
・束ねうちや射撃の集約、指向がまっすぐ飛び弓より軽量なため容易であり、これによる集弾効果で
最強の制圧力、最大の射程、最高の命中精度をもった最高の武器になる。
この集弾性によって最強の武器となる特質は既に火縄銃の前から戦術として体系化されてる
・これによる効果で部隊の生存性を確実にし、また負傷兵ですら戦力化が容易であるため、生存性、持続性、射程、威力、コスパすべてが優れたハイブリッド次世代兵器部隊として運用できる

というのが銃の特質と利点。
単発、単体的な性能では劣ろうがこれ全く本筋じゃなくて、斉射=制圧力で価値が決まるってのが古典からの銃のドクトリンだからね。
それからすればフリントロックライフルの登場と採用は最適な戦術で高度な戦略的な選択肢であり
火縄銃の単一的な射程で評価する方向性は戦略的、部隊単位の戦力比較では大きく間違ってんのよ。
銃はフリントロックライフル登場で制圧力あがって、戦列歩兵なんていうものができるようになったてのが
進化だったわけだから
0200名無し三等兵
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2016/11/20(日) 11:59:31.05ID:KxhCGwnX
もっとも日本軍は銃器にたいして物資の負担、消耗が追いつかなかったから、消耗的にフリントロックライフルに切り替えれなかったんだよ

既に火縄銃の消耗でも1丁に対して戦時1000発/年、平次200発/年、備蓄弾は約1丁2000発単位の計画でいくと
戦時「鉄3.5kg、硝石650g」、平時「鉄700g、硝石150g」、備蓄2000発で「鉄7kg、硝石1.3kg」も消耗する。
既にたった1丁の連射の効かない火縄銃でも莫大な物資消費量

仮に国産で自給生産しても、頑張って江戸時代に全国一元的な生産を行ってもせいぜい数トン生産し、
完全な硝石自給体制だと1000-3000丁も火縄銃を運用できなくなる。

そんなわけで江戸期に硝石を輸入して硝石自給率は低かったのだが、火縄銃数万丁の運用が硝石調達都合で限界
仮にフリントロックライフルに切り替えたら国産で1000丁未満しか運用できないために、フリントロックライフル切り替えはむしろできなかった

そんなわけで戦国時代に銃器が10-20万丁あったってのは盲言で、あれってEUにおいて一種の黄禍論やら対日侵攻世論を巻き起こすために作ったプロパガンダで
実際銃は2-3万丁の運用が限界で5万丁も生産してなかった、これは硝石の輸入と消費、銃の生産速度上それ以上作ることができないから
0201名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:22:21.90ID:fW+azOsw
小文字君こんなところにも現れるのか・・・
0202名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:35:15.08ID:KxhCGwnX
また当時火砲はほぼ運用してなかったが当時の火砲の砲弾が1-2kg、装薬が500g/発であるとして
1時間に20発、1日100発も砲撃できないとしても

一度の大規模交戦で200発/門
一度の戦争で500発
維持に年次100発を消耗すると備蓄1000発硝石300kg、維持年次30kg
大隊で門数16-24門で備蓄数トン、維持に年500kgも硝石を消費するためむしろ完全に維持、保有できなかった。
江戸時代に火砲は大隊規模でモスボ保管されてたが、砲撃などは数十年に一度、年次ペースで1発程度も砲撃っsれてなかった

こういった実情から幕末でペリー前に火砲の整備計画はあったものの幕府は渋ってて
(火砲大隊の維持に年1トン弱の硫黄の輸入、重要港湾に各大隊を整備し10大隊編成すると、硫黄の消費額だけで年10万両規模)
結局ペリー前の軍事整備ができなかった。

幕末における軍事支出は年次10-30万両規模(年度により50万両下手したら100万両)
これを税収100-150万両の幕府では維持できず、借金を重ねて軍事整備を行ってたが、これはまともな値段で日本に対して商売した結果。
逆に不平等条約以前だと日本にたいしてまともな商売を行うかわからなかったから
同じ額を消費しても軍事整備はうまく行かなかったかもしれない。
0203名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:36:14.57ID:KxhCGwnX
16-17世紀に話を戻すが、当時火砲大隊でトン単位、銃5000丁の戦列歩兵連隊で30トンの硝石を年単位で消耗するために
日本の師団は戦国期には銃保有10%計算で編成10-15師団規模、動員力50万はあった。
しかし同時代の白人並の火砲+銃保有計算にすると、3-5師団しか保有できず、後方支援団を充実させて7-10師団も持てない。

すると当時5師団程度しか保有しない白人国の軍と同規模になるため、目立って規模の巨大な日本軍とのギャップは解消され、日本は普通の軍事大国規模で
EU連合には完全に叶わない事になる

日本が江戸時に年次10トンの硝石を輸入し続け、備蓄100万トン体制を構築したとしても
ナポレオン戦争時代においては1師団で維持に年50トン、戦時で100-200トンも硝石を消費可能なため
この時代においては10万トンの消費量では2-3師団、備蓄100万トン体制でも5-7師団しか維持できなくなる。

ナポレオン戦争代においては日本軍はオランダ軍並みの戦力しか軍事開発を推進して戦力を最新化させ続けても無理であるため、もうこの頃には中堅程度の軍事力しかなかった
0204名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:36:46.00ID:KxhCGwnX
日本軍は戦国時をピークに衰えるが、あれはコスト都合、平和都合ではなく、硝石自給都合によったため
これによって日本軍は最新化させ続けても、維持可能な予算であれば
ナポレオン戦争期に正規師団5個未満、フリゲート10-20、
ペリー段階でその1.5倍の戦力も元来維持できず、幕末軍未満の戦力しか保有できなかった。

また明治初期も金銭都合以上に、鉄と硝石の生産力都合で物的に軍事増強ができず、日清日露戦争まで軍拡出来なかったが
工業生産的都合で軍拡できなかったんだよね。幕末ー明治の5師団編成って国力限界で打倒で
最低限の侵攻戦力対処に妥当な軍事力
0205名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:48:03.14ID:KxhCGwnX
こういった実情がむしろ明懲罰(死傷損害1-3万にたいして相手は死者のみで10-15万)、日清戦争で軍以前の雑魚を斬殺しまくったことで
雑魚素人相手の勝利で強い日本軍と一般的に軍ヲタ?の間でご錯覚されてるが
極端的に軍事遅れ以前に重無能指揮で軍事敗北する雑魚チャイナに対する当たり前の勝利でご錯覚されてるだけであり
資源的に弱い日本軍は江戸時代が軍事的ごまかしのきく(EU軍は小さく太平洋に来れない)限界であり
また弱すぎるチャイナ軍あいてこその限界でもあった

そういうわけで日本は客観的に物量的には今の自衛隊程度の戦力が資源都合で限界であり
そこそこ強い地域軍事大国的ではあるが、あくまでチャイナに勝てる程度でスーパーパワーには全く及ばない。
なぜならスーパーパワーは資源包括大国であり、軍事コストを下げれることが前提

よって帝軍は工業力以前に資源時給を太平洋戦争下でも完全確率してないから、とてもスーパーパワーではなかった。
ぶっちゃけハイパー雑魚チャイナに打痛作戦をかける程度の雑魚に勝てる弱小軍が日本軍、戦国軍
0206名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:53:00.30ID:KxhCGwnX
つまり日本軍は火縄銃までの消耗が限界で物量資源負担で軍事進化しようがなく、黒船と不平等条約は軍事を常備化でおいだせたが、3-5師団もいじできないために
ある程度の不平等条約は結び、明治でも実際そうであったように、不平等条約に屈したろう(マシ程度にはなる)

硝石の消費ペースは戦国軍で師団10トン/年、17世紀で30トン/年、18世紀(仮定)で50トン/年、ナポレオン軍で150トン/年
を生産できるとして、フランスの例で年300トンまでしか人糞法で生産できず(日本ならば500-700トンが限界か)、大量供給は1820年のチリにおける硝石鉱床の開発からであり
それ以前はむしろチャイナとフィリピンでフル生産してすべての硝石を年間100万両以上だして購入したところで、
それほど大規模な1000トン単位などの供給はできなかった(というかこれだけ運べば商船不足で日用輸送を圧迫)

であるため硝石の様々都合でどちらにせよ日本軍は近代化障壁があり、戦国を臨界点として
努力改善したところで、江戸期に十分な大国軍事力構築は無理で、せいぜいオランダ軍規模で
フィリピン、アリューシャン列島、ハワイに牙城作るのが軍事国力限界だったろうな。

とすれば外交、政治、軍事的には
・オランダ、イギリスに兵力を3000と物資を貸して、スペイン駆逐でフィリピン硝石利権を半分貰う
・鄭成功政権が成立+兵力と物資を支援して、鄭成功は大陸一部の硝石鉱床を獲得、維持
・オリバークロムエルの乱は起きずイギリス同盟が成立
・オランダ、イギリスに外交アドバイスされて、外語、国際法、国際紛争、の知識をもとに、ハワイ、フィリピン、ASEAN、アリューシャン、北方領土などの一部を獲得。

とかこういう外交ミラクルがなければ軍事や外交のレベルアップはできなかった。
0207名無し三等兵
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2016/11/20(日) 14:35:32.33ID:ENa/Ld7p
フリントロック化を含め、江戸時代に銃器の進化が停滞したのは、
鎖国による平和の下で、軍事関連が形骸化・儀式化した+中期以降は
幕藩に軍備に回す余裕が無かったのが理由だろうね。

部隊(備,組)の編成、防具(足軽用装備を南蛮胴にしたり鎧を廃止するとか)
刀の構造(鎧相手の戦闘でなければ軽い刀の方が実用的)など、火縄銃
以外にも全く変化が無い。江戸時代初頭を墨守してるだけ。
弓組なんて弾幕構成が目的なんだから、フリントロック銃化が当然の進化なのに
幕末まで弓のまんま。伊達の馬上筒部隊とか、せめてピストル持たせろと‥

んで江戸末期に大慌てで海外から物も知見も輸入しだすんだろ‥
0208名無し三等兵
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2016/11/20(日) 14:41:44.56ID:+N13OtBY
下手に開発したらそれ口実に取り潰されるからな
平和維持には最適だろうけど技術の停滞は痛い
0209名無し三等兵
垢版 |
2016/11/20(日) 15:41:00.82ID:KxhCGwnX
ついでにドリフターズの描写ってあれ弾薬の生産、供給性(人糞鉱床の限界)と、火縄銃の威力と射程の上限性をあまり理解してない上での描写になってる

あれ一番問題なのは長篠の戦いまで含めても、完全に当時の銃は騎兵に勝ちきれない不完全兵器で騎兵の衝撃に敗北する。
それ以前に野戦の歩兵に勝ちきれず、歩兵のしょうげきにすら完全に勝てない。

射程と威力と補給のネックで師団規模の戦線で司令部や補給体などの一部や退路確保などで
一部的な狭すぎる戦域において銃陣阻止陣地を形成するためのものであり
野戦主力の近代銃型の兵器ではない。

ゆえに信長は信玄に負け続け、武田国の政治混乱期に物資、準備、兵力物量で押切、包囲と各個撃破で破ったのであるから
これは完全に当時の銃がコスパや同等の両規模で騎兵に勝てない最大の証明になる。
0210名無し三等兵
垢版 |
2016/11/20(日) 15:41:31.46ID:KxhCGwnX
でドリフターズにおいてエンズ集団軍(装甲歩兵、胸鎧騎兵2万を含む10万以上)を阻止するのは物理的に不可能であり、相手の規模を
装甲隊5000総員3万でも阻止不可能で、あれはまさに榴弾火砲で対処しなきゃいけないもんなの。

榴弾火砲の登場でそれまでも歩兵中心の集団的な攻勢、突破を完全に叩き割ることができて、また火砲が銃に完全に対抗できる火力になった。
だから榴弾対処が正当で、銃の対処はご都合的すぎて、ホントは信長がグスタフ2世に榴弾をレクチャーされて火砲20-50門の支援貰わないとクリアできないシナリオになる。

でこの無敵砲台榴弾砲兵を撹乱して回避して破るのが騎兵の役目で、ここで三兵が成立するんだよね。
つまり戦国軍の限界と弱さは榴弾+三兵まで行けなかったことで
銃弾を全面化させてその銃物量で対処するのは高コスト、非効率的な前時代的な物量アプローチで
イメージはスペインのてるしお単純物量法に信長軍のイメージは近いが
あれは三兵とドクトリンで撃破できて、その三兵とドクトリンスタイルでもって、近代軍、あるいは亜近代軍という次世代の圧倒的な軍事スタイルになるのであり

つまり信長軍はそれ以前のところであるために、単に銃の門数と物量もあって、銃1万丁を配備するか(補給も生産も無理)、銃がマモン平原古城床から見つかるか
、グスタフ2世が火砲50門を伴って参戦するか(ヒラコーは絶対やらずまずその知識がない)
、飛竜に12.7mm機関銃をのっけて弾幕をはるか(威力は17世紀の火砲なみだろうが持久力がない、しかしやり損そうな展開である)

ホントはグスタフ王だすのが正しいんだけど、ヒラコーはバトルアクション書きたいから、大砲の知識があってもそれはありえない
ヒラコーは信長と島津が活躍しないような、活躍が隠れる作りにはは絶対しない。

但し白人の軍ヲタに突っ込ませればグスタフ2世よこせで解決ということにしかならないんだと思う。
0211名無し三等兵
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2016/11/20(日) 16:09:51.39ID:+N13OtBY
銃なんかよりジャンヌとかアナスタシアとかの方が不思議能力だしな
黒王軍が銃にビビる訳ないわ
0214名無し三等兵
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2016/11/20(日) 21:35:06.02ID:M8JdbJmJ
いや小文字くんは別に読んでもらいたいわけじゃないからw
0216名無し三等兵
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2016/11/21(月) 20:03:23.67ID:IsnkKgZS
>>210 ランペルールを棺に入れてくれゆーてる作者だし、いずれなんか出てくるだろ。
0217名無し三等兵
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2016/11/24(木) 19:00:03.28ID:swcyzESU
>>215
sugeeeee
200年前にスナイドル銃と変わらないし閉鎖方式を考えてたわけか
0218名無し三等兵
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2016/11/25(金) 08:23:13.03ID:N1abs+cf
>仮に国産で自給生産しても、頑張って江戸時代に全国一元的な生産を行ってもせいぜい数トン生産し、
>完全な硝石自給体制だと1000-3000丁も火縄銃を運用できなくなる。
江戸期の加賀藩は年に4トン余りの硝石の生産を行ってるから
日本全体で生産を勤しんで年数トンというのは過小評価かと
加賀藩は廃藩時には560トンほどの火薬を備蓄してたと言われている
0219名無し三等兵
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2016/11/25(金) 09:47:33.53ID:dma9U9fa
肥料とトレードオフなのが厳しい
0220名無し三等兵
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2016/11/25(金) 10:43:16.61ID:sYI7omzf
>>215
予備のカートリッジケースが有れば速射も出来るんだね
サックス元帥が理想とした編制では、散兵には後装ライフルを持たせるべきと有ったけれど、その1世紀以上前に存在していたとは
まぁ、軍用に求められる耐久性や費用の面から装備化は無理だったのかな?
彼の理想の編制自体が実現していないし
0221名無し三等兵
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2016/11/25(金) 11:48:51.73ID:uj9CFdg+
南部藩は幕末に藩を挙げて硝石産出に励み、古土法により年最大28tを生産。
加賀が江戸中期に年産4.5t、幕末には最大年50tまで産出量を急増。

古土法は数十年土を休ませる必要がある。南部の硝石は幕末期の総生産高が
4万貫=150t程度と目されている※。古土法による安定収穫を30年周期とすれば、
150÷30=5t/年。日本全体の人口を、江戸後期で3000万・戦国で1000万(±20%)と推計。
江戸後期 南部藩の人口は約35万人。
単純に人口比を当てはめれば、江戸後期=5t・90倍=450t、戦国5t・28倍=140tが
国産硝石の安定生産量限界と目される。って感じかなぁ‥

※南部は産出開始が1848年と遅く、維新後は産出量がほぼゼロに戻ってる。
 少な目に、幕末の4万貫で古土が払底したと見積もり。
0223名無し三等兵
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2016/11/26(土) 14:13:51.43ID:zzUmJAJ1
>>222
金属製薬莢っていうか火薬ケースで閉鎖を行う方式みたいだね
水圧プレス機なんてない時代だから火薬ケースをおいそれと使い捨て出来ないのがネックか
0224名無し三等兵
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2016/11/26(土) 16:46:54.99ID:GN4IuRYJ
欧州じゃ本当に試行錯誤がすごいね
王公貴族や大商人なんかが資金を出してくれる仕組みがあったようだけど
日本で行われた改良なんか微々たるものであることがよくわかる
まあ欧州はそれほど高性能火器が渇望されるほど戦乱に明け暮れていたってことなんだろうけど
0225名無し三等兵
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2016/11/27(日) 09:40:07.32ID:zoxpGLcX
戦闘無いから日本での改良は巨大化、多砲身、仕込み銃、等のゲテモノ方面に行ってたからな
0226名無し三等兵
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2016/11/27(日) 10:56:14.66ID:vcUPMea7
>>215
これ火薬ケースは鉄製だろうけどどうやって作ったんだろう?
火薬ケースのコストが解消できたら大量生産されたかもしれないなあ。
0227名無し三等兵
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2016/11/29(火) 10:16:37.09ID:WAY1ZAki
このスレの扱う時代から800年ほど前の遺構だが、7世紀に大したモンだな。


大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡
http://news.livedoor.com/article/detail/12343773/

>大宰府を守る防塁とみられ、丘陵上での土塁の確認は初めて。市教委は「大宰府都城の外郭線」とみており、
>未確認の広大な防衛ラインが敷かれていた可能性が出てきた。

> 現場は政治の中枢だった大宰府政庁跡(太宰府市)から南東に約7キロの前畑遺跡。土塁は土を盛って壁の
>ようにめぐらせた防御施設で、市教委によると高さ約1・5メートル、下部の幅は約13・5メートル、2段構造で
>東側が急斜面になっている。標高49〜61メートルの尾根をほぼ南北方向に約500メートル(残存部分
>390メートル)にわたって走る。周辺は宅地開発され、どこまで続くかは不明。土を何層もつき固める版築工法で
>造られていた。
0228名無し三等兵
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2016/11/29(火) 14:26:38.19ID:OZqWkQ66
7世紀あたりってえと、白村江で下手打って大陸から叩き出される前後の本土防衛遺構か。
ダンケルク前後の英国が、RAF(レーダーサイト網含む)に費やしたのと同等以上の比率で国力を費やしたんだろうねえ。
0229名無し三等兵
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2016/12/01(木) 20:29:38.14ID:UDYA2ccC
叩きだされた後の防衛線だよ。唐・新羅の整備された軍にまともに勝てなかったんで
あわてて律令制取り入れて統治機構再編していた時代
0231名無し三等兵
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2016/12/02(金) 19:24:17.20ID:F2ExgLRG
ww2時代のドイツ軍の10.5cmleFH18を使うシリア反政府軍の動画をみたことはあるがまさか19世紀以前の青銅砲まで使っているとは・・・
爆発しない鉄球弾だからこそ建物にとっては脅威なのかもしれないが・・・w
0232名無し三等兵
垢版 |
2016/12/05(月) 08:26:56.79ID:aL9dVwnt
動画:ナポレオンの雄姿を本格再現、チェコで歴史イベント
ttp://www.afpbb.com/articles/-/3110122
0233名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 13:42:23.59ID:gaiYsIQh
グスタフ・アドルフはマスケット銃兵の三列射撃を始めたとされていますが、三列射撃はどういう局面で使われるものなのでしょうか?
六列横隊を三列ずつ射撃させるのは射撃間隔が開きすぎるように思えますし、一列ずつの斉射と使い分けていたのでしょうか?
0234名無し三等兵
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2016/12/11(日) 13:48:17.23ID:FyzZX826
>グスタフ・アドルフはマスケット銃兵の三列射撃を始めたとされています
誰が言ってるの?初耳
0235名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 13:53:32.36ID:gaiYsIQh
>>234
wikipediaのPike and shot(英語記事)と田村尚也『用兵思想史入門』
この時代は全く門外漢なので、グスタフが始めたかどうかの真偽も含めてお聞きしたいです。
0236名無し三等兵
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2016/12/11(日) 14:26:50.08ID:BRb0UhSJ
グスタフ・アドルフの軍制改革で小銃の軽量化できたから
3列ずつ交互の一斉射撃が可能になったって本に書いてあるし
グスタフ・アドルフが始めたのは正しいと思う

神聖ローマ帝国軍はテルシオだったんだし射撃速度は問題無かったたんじゃないかな
0237名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 15:13:38.00ID:QSguAooI
日本人がイメージする信長の三段撃ちみたいのじゃなくて
6列とかのカウンターマーチで敵陣に近づいていってある程度近づくと
3列に展開し直して3列同時に一斉射撃するんでしょ。
0238名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 15:46:47.81ID:BRb0UhSJ
この時代、部隊規模の隊形変換は戦闘中にやらない
正面16列、縦深6列の横隊で槍隊の両翼に配置してた
射撃戦は1列目膝撃ち2,3列目立射で行ってる
同時じゃなくて交互の一斉射撃
0239名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 17:35:04.48ID:TXRuBQ3P
もともと考案されてたものをマウリッツが取りまとめて
グスタフ・アドルフが大規模戦で初めて使ってメジャーになって
ナポレオンも使ってた。
0240名無し三等兵
垢版 |
2016/12/20(火) 04:19:05.05ID:zYzTX9+8
「華麗なるナポレオン軍の軍服」を買ったけどこの時代の兵隊でも礼服とか勤務服とかの区別はあったんだな
0241名無し三等兵
垢版 |
2016/12/20(火) 08:07:43.24ID:I9m4snrw
>>240
きっちりとした規定が有ったのは親衛隊位ですが
親衛隊徒歩擲弾兵や徒歩猟兵の下士官兵士用ゲートルなら
礼装は白に白のくるみボタン
夏服は白に真鍮ボタン
野戦は黒に真鍮ボタン
将校なら
礼装は白に白のくるみボタン
野戦はブーツ
等々
親衛隊騎馬猟兵に至っては服のデザイン自体が別物だし

戦列部隊ではシャコーに飾りを着けるか否か位で、野戦用のズボンは部隊や個人で調達した規定外の代物だし・・・
流石に腰丈の兵営服兼作業服は親衛隊、戦列部隊共に支給されていましたが

でも、大事な?アビコート(燕尾付)を痛めない為、夏冬関係無くグレートコートを着用した姿が戦場でのフランス軍歩兵だったと
ワーテルローでの親衛隊徒歩擲弾兵も映画とは異なりグレートコート姿、ベアスキンも多くの兵士は被っていなかった

イギリス軍ではパーティー用のドレスコードまで有って、映画ワーテルローの夜会シーンで再現されています
0242名無し三等兵
垢版 |
2016/12/23(金) 16:25:32.67ID:+rzpPJAJ
映画でも絵画でも再現したら、なんも見えなくなるからしないけど黒色火薬の
煙がすごくてアレくらい派手じゃないと統制できないんだろうね
0243名無し三等兵
垢版 |
2016/12/23(金) 21:58:26.17ID:+6nwR8BJ
以前読んだワーテルローの本には
18万の兵士と300門の大砲の出す煙により、1950年代のロンドン(スモッグによる大気汚染が市史上最悪だった)並みに視界が遮られていたと思われる
みたいに書かれていましたよ
両方を経験した人間は存在しないので、適切な喩えなのかは不明ですが

識別の為か、国毎に軍服のベース色がある程度は決まっていましたね
フランスなら青、イギリスなら赤、ロシアなら緑みたいに
でも、白は多くの国(オーストリア、ザクセン、イタリア、スペイン等々)で被って使われていました
その為に同士打ちさえ起こったと

ワグラム会戦でザクセン軍歩兵がオーストリア軍歩兵と間違われ、味方から発砲を受けました
しかも、同じザクセン軍歩兵から・・・
これにより攻略寸前だった村落を失う事に
0244名無し三等兵
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2016/12/23(金) 22:55:31.54ID:OmWuIrE1
今までボロしか着たことない農民とか都市の下層階級の若者が
軍隊に入ればああいう軍服を支給されるのは嬉しかっただろうな
0245名無し三等兵
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2016/12/24(土) 03:25:03.64ID:xmoDr5E9
>>243
横レスな上にスレ違いスマンのだが
ロンドンの大気汚染が最悪だったのは1950年台だったのか
石炭使ってたビクトリア朝だと思いこんでたわ
0246名無し三等兵
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2016/12/24(土) 07:07:15.34ID:bqx7KY3H
>>244
これって重要みたいですね
軍服で釣るのって

少し時代がずれるけれど、南北戦争での両軍義勇兵連隊の軍服が正規軍に比べて華美だったのも、これが目的だったと
移民向けに出身国風(英仏伊)の軍服で郷愁を誘ったのも有りましたが、仏軍ズアーブ式の軍服は出身国に関係無く人気が有りました
維持するには旅行鞄で持ち歩く必要が有ったのでは?と、現在のコレクターに言わせる程華美な代物でした
0247名無し三等兵
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2016/12/24(土) 07:15:16.20ID:bqx7KY3H
>>245
石炭由来の汚染は20世紀当初が最悪だったみたいですね
スモッグと言う言葉も、この時に出来たと
対策を打ち改善して行きましたが、それを追い越す勢いで車の排ガスに依る汚染が拡大
1950年代は複数の原因からなる汚染が最大になったそうです
中でも1952年が最悪
ロンドンの大気汚染は濃霧と相まって、特に視界への影響が凄かったらしいです
0248名無し三等兵
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2016/12/24(土) 18:48:44.06ID:6GGgqONq
フランス王国陸軍の歩兵の制服って白だっけ
オーストリアも確か白だったからわかりにくそうだね

19世紀以降のあのフランス軍の青と赤の制服はどこからきてるんだろう?
パリの衛兵からだっけ?
0249名無し三等兵
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2016/12/24(土) 19:07:06.23ID:01yzpRK+
由来はそうなんだろうけど、革命後はトリコロールの色っていう意味もあるんじゃない?
19世紀末期に赤と青と白の糸を使った紫色の軍服が試作されたりしてるし
0250名無し三等兵
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2016/12/24(土) 21:02:25.06ID:bqx7KY3H
旧王制時代のフランス軍白軍服が全連隊オーストリア軍の様に純白1763年の規定からだった様です
それまでは純白に加工された軍服を着用していた連隊ばかりでは有りませんでした
費用の面からと思われますが、灰色掛かった白の連隊も多く有りました
また、革命以前にも近衛・騎兵・外国人連隊を中心として、青の軍服を着用していた部隊が有りました
0251名無し三等兵
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2016/12/24(土) 21:04:30.52ID:bqx7KY3H
>>250
抜けました・・・

純白になったのは1763年の規定
0252名無し三等兵
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2016/12/29(木) 14:15:30.70ID:eVOr2uHH
>>244
傭兵ブレーカーさん読むと兵隊の暮らしがわかるぞ
全体のごくちょびっとしか兵隊時代の話ないけど(書くのも嫌らしい)

>>245+247
パリは今現在大気汚染がひどくて車を日ごとにナンバー奇数偶数で分けて走らせるとかひどいことになってんぞ



しかし純白の軍服とか平時にはきれいでかっこいいかもしれんがすぐに汚れて金ばっかりかかるだろうにようやる
0253名無し三等兵
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2016/12/29(木) 21:43:28.02ID:bvy6lLpS
>>252
ナポレオン軍の戦列歩兵も1806年4月に純白のアビコートを採用しています
王制の軍服を懐かしがった訳では無く、イギリス海軍の封鎖によりインドから染料のインディゴを入手出来なくなったので・・・
この白服は評判が悪く、青の代用染料を国内で生産出来る様になった事も合わせ、1807年10月に青服に戻す通達が出ました
採用期間が短かった為、白服への切り換えが行われていたのは20個連隊程度でしたが
0255名無し三等兵
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2016/12/30(金) 13:38:05.97ID:2ZU6RTGi
なんで評判悪かったんだろ(誰が批判したかも気になるけど、兵隊か着てるのを見た偉い人か)
やっぱり洗濯が大変すぎたのかな
0256名無し三等兵
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2016/12/30(金) 13:59:01.96ID:kEn7CI45
>>254
そう、これです
1806〜1807年に掛けて帽子関係もビコーンからシャコーへの切り換えが始まったので、上下の組み合わせが新旧入り雑じってしまった様です
アイラウ会戦での軍旗のエピソードで有名な戦列歩兵第14連隊はビコーン+白のアビコートの組み合わせで1807年戦役を過ごしたと言われています
1807年のスペイン戦役にはシャコー+白のアビコートに部隊で調達した茶色のオーバーズボンと言うちぐはぐな姿で従軍した連隊も

1809年11月、この混乱が終わった頃にスーシェ元帥は
「ごちゃ混ぜは終わった。ビコーンはもうたくさんだ。白服はもうたくさんだ。」
と、書き残していると
でも、この白服はフィギュアモデラーには評判が良いんですよねw
0257名無し三等兵
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2016/12/30(金) 14:16:04.51ID:kEn7CI45
>>255
汚れ易いのも有りますが、負傷時には出血が目立つので士気(本人と周りの両方)が下がるので不適切だと

オランダやザクセンと言った同盟軍も白服、そもそも宿敵オーストリア軍が白服なので、あらゆる点から紛らわしいとか?
旧王制と同じシステム(白服の各部の定色で連隊を識別)なので、未だに多い共和派から嫌われたとか?
(ナポレオン戦争従軍記の著者は戦場では皇帝万歳を叫んでいましたが、ナポレオンの事を革命の簒奪者と呼ぶ事さえ・・・)
後半の2つの理由は想像ですが
0258名無し三等兵
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2016/12/30(金) 14:21:32.35ID:2ZU6RTGi
>>257
あー確かにすぐ真っ赤になったら本人も周りもすげービビルわな

わざわざ敵同じ格好ってのもそりゃ誰も賛成しないわな
真似してるみたいで腹立たしい(実践的に何かすごい効果があったら真似せざるを得ないけど)
0259名無し三等兵
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2017/01/04(水) 20:44:43.69ID:6OwNUSVL
19世紀半ばに人工染料が発明され大量生産されるようになるまで、染色した制服をそろえるのも、
結構な費用がかかったそうだからの。
0260名無し三等兵
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2017/01/04(水) 20:51:09.35ID:6NwDPdEg
帆走艦時代の英海軍では、飛び散った将兵の血が目立たないように、艦内を赤く塗っていたって話を思い出した。
0261名無し三等兵
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2017/01/04(水) 21:12:50.23ID:OQ8fRnr9
まさかイギリス軍の赤服も・・・
0262名無し三等兵
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2017/01/04(水) 21:19:48.09ID:xrMul/F1
>>259
プロイセンの軍服の軍服に使われたベルリン青はそういう意味で当時としては画期的だったんだろうな
0263名無し三等兵
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2017/01/05(木) 13:39:01.65ID:ULw6WKDN
18世紀から19世紀の初めに掛けて白軍服が多かったのも染織費用の関係なのかな?
白は基本的に漂白だから
糸や生地を痛めない漂白は、それなりに手間や費用が掛かるから、18世紀のフランス軍では灰色や黄色掛かった生なりの白の連隊も多かったと
民兵などは開き直ったのか灰色に染織してる
(染め易かったのかな?)

ナポレオン時代のフランス歩兵(親衛隊を含む)でも下士官兵の白いキュロットは生なりの黄色掛かった白
漂白すると強度が落ちるとか?
厚さの関係で漂白出来ない?
謎・・・
0264名無し三等兵
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2017/02/13(月) 07:48:15.67ID:Cwc1QayP
日本は何で鎖国前に大航海時代の造船技術や航海術は手に入らなかったの
鉄砲をあれだけ量産したり城や何だと建築できる技術とGDPがあれば
金なんかいくらでも積めたよね
船ごと艦隊ごと買うとか容易かったろうに
海賊はいくらでも買えたろう

蘭学事始並の語学力がいるわけでもなかろうに
0265名無し三等兵
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2017/02/13(月) 12:10:22.52ID:npZYIzz2
秀吉の朱印船数百隻は洋式帆船と中国帆船の良いとこどりの構造で東南アジアを縦横にしていたし
伊達政宗のサンファン・バウティスタ号は幕末の咸臨丸に250年近く先立って太平洋横断をやってるし
最新の造船技術や航海術は江戸時代初期に入手していて日本にとっての大航海時代は目前だった
それを止めたのが徳川幕府で、船は1000石積みの一本マスト以上の高性能な大船は建造禁止
何より幕府以外の海外交易禁止という政策のせいで、日本の海外進出は300年以上遅れることとなった
0266名無し三等兵
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2017/02/13(月) 14:52:05.80ID:/EYJch6T
>>265
これ以降、幕末にヘダ号が作られるまで西洋式造船は途絶えることに・・・
0267名無し三等兵
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2017/02/13(月) 21:43:55.12ID:/HCundpW
>>265
いや、和船が1本マストの1000石積み以下に制限されたって俗説で、実際にはそんな禁令出てないんですが。
いわゆる千石船が標準的なサイズになったのは、それが一番経済的だったからで、
幕府の制限によるものじゃないし、マストは普通2本、幕末期だと3〜4本が普通ですよ。
0268名無し三等兵
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2017/02/14(火) 20:36:25.58ID:AQopXsL+
参勤交代とか公共工事等の経済的締め付け
で大船を作る余裕が無かった
んじゃないの?
どこの藩も借金まみれだし
0269名無し三等兵
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2017/02/14(火) 21:25:10.97ID:hkZ6eLYJ
てか、西欧式の大型船を作る意味が無いよね
藩独自の海外交易が出来た訳でも無いし
0270名無し三等兵
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2017/02/14(火) 21:44:47.00ID:B1z+s51R
独自の海外交易が禁止された時点で外洋航行能力のある船は持てなくなって
沿岸航行用の割安な和船で充分て事になったのは仕方ないけど
「空には動かない星が一つだけある」だなんて話が口伝になってたり航海術まで退行しちゃったね
0271名無し三等兵
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2017/02/15(水) 23:07:00.23ID:mhiPFxRJ
海外交易は儲かるから、家康は俺の幕府だけでやる、お前ら禁止がいつのまにか
幕府自体も長崎だけになってしまったのは極めて日本的だ
0272名無し三等兵
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2017/02/15(水) 23:13:51.67ID:NnekA4Ip
貿易するとキリスト教に浸透されるという諸刃の剣があるから
0273名無し三等兵
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2017/02/16(木) 12:42:07.57ID:2woBKFo6
スペインが布教とセットじゃないと絶対に交易を認めないというスタンスだし
じゃあ来んなつっても紛れ込んで来るし、統制がきつくなるのは仕方がない
0274名無し三等兵
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2017/02/16(木) 13:35:13.58ID:DVw8hZ4l
はっきり近世に入ってもな…ハワイにキリスト教を持ち込んで崩壊直結の統一させたのはスペイン人じゃないのは確かだし。
0275名無し三等兵
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2017/02/22(水) 05:07:10.26ID:QlU2pTqF
ラッパ銃って嘘みたいな名前の銃を知ったんだけど
これって何時頃に登場したものなんでしょうか?
0276名無し三等兵
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2017/03/06(月) 16:07:45.43ID:I9f7WV7S
>>267
俗説ではない
江戸幕府は1635年に500石以上の船を禁止し没収した
が、3年後には商船については例外とした

ただし百-五百石積ががメイン(弁財船)
19世紀初期には菱垣廻船が千石積
19世紀後期には樽廻船が1400石から1800石積を主に
なかにゃ二千石、三千石積も登場している

俗説は
"甲板、竜骨、二本以上の帆桁、二枚以上の帆の使用の禁止"の方ですな
単純に内海航行用の船なので竜骨はいらないし、
帆が一つなのは水夫の省力化が目的で、必要なら補助の帆を張った
甲板がないのは荷物を多く詰むため
さらに言えば洋船とくらべると建造コストが安かった。商用船だからね
以上の理由から使用され無かっただけで禁じられてはいなかった
0277名無し三等兵
垢版 |
2017/05/06(土) 21:14:47.81ID:NpCnVxUO
キリスト教なんて信じる者しか救わないケツの穴の狭い神様は日本にはそぐわないんじゃね?
0278名無し三等兵
垢版 |
2017/05/06(土) 23:40:21.99ID:qMGUFd8n
でも苦しさゆえに信仰するの日本人もいるんだな
0279名無し三等兵
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2017/05/07(日) 02:00:45.05ID:XqAmkI2x
神の前では皆平等・信仰さえあれば誰もが救われる って教義は
社会の中上層以外の-持たざる者にとっては正に福音だったのよ

定められた諸々の寄進や儀式を継続してやらないと先祖もお前も救われんで〜
墓建てて毎年供養して〇回忌盛大にやろうね♪なんて当時の庶民には夢のまた夢。

戦国時代に一向宗が爆発的な普及と狂信的な支持を得たのも、正にこれ故。
当時の日本にはピッタリの宗教形態ですがな
0280名無し三等兵
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2017/05/08(月) 08:53:59.25ID:LVBhwzK7
すでに"南無阿弥陀仏"と唱えれば阿弥陀様に救ってもらえる(これは方便なのでちょっと違うんが)
というキリスト教より制限が少ないお手軽宗教浄土真宗があったし
ただひとつの仏を拝めばそれで良し、の日蓮宗も存在したので
キリスト教の入り込むニッチが…

なにより先祖崇拝の強い日本人に「神を知らないものは天国に行けない」なんて説いて
「じゃあうちのご先祖様は天国に行けないのか。なのに俺だけ天国行くとかそんな不義理はできん」
と論破されて退場
0281名無し三等兵
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2017/05/08(月) 08:58:01.07ID:LVBhwzK7
それにアブラハムの宗教の中でキリスト教だけが階層的な身分制度を取り入れているので
神の前での平等はただのお題目に成り下がってたし、国家とつながって他国への侵略にも手を貸してたので
為政者にとっても平民たちにとっても奇妙な宗教にしか映らなかったという
0282名無し三等兵
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2017/05/08(月) 16:21:35.12ID:StH1ILwv
それでは、一向宗やキリスト教が爆発的な普及をした事も、その後の(厳しい禁教下ですら)
根強く信仰が続いた事についても、何の説明もできないでしょう。
そんな事は無かった・あり得たはずが無い、と主張したいのならともかくさ
当時一向宗があれだけ急速かつ強固に普及した事が、当時の浄土真宗含めた既存の
仏教・神道がニーズと合致していなかったから、でしょ?

それに先祖崇拝が強い‥って、それが庶民層に普及したのは江戸時代に入って以降の
事でしょ。土地・階層への定着と帰属意識とのセットでの事ですので

基本的には宗教や教義は何でも良かったんだと思うのよ。絶望的・不安定な状況下にある
ものにとって、「コレが正しい道。コレで救われる」「あなたは正しい・無価値じゃない」って
言ってくれる、既存のシステムとは別な何か って事が重要なんでさ。
オウム、IS、アラブの春 なんかに救い/希望を見たのと同じ構図だね
0283名無し三等兵
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2017/05/09(火) 23:19:58.89ID:RWLbahzB
宗教にあんまり興味ないんで本も流し読みでメモとって無いから
話半分で聞いてくれるとありがたいが

戦国期の宗教を取り扱った本(多分一向宗が専門の神田千里の本)で
キリスト教と日本的仏教が似てるとイエズス会自体が認識していて
一向宗もキリスト教もその日本的仏教に合致する路線(大名から庶民まである程度共通する宗教観)で布教したから成功した
みたいな話があったと思う
0284名無し三等兵
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2017/05/10(水) 15:30:13.36ID:WaUztxTP
神田千里の本だとキリスト教は日本人に受け入れられる段階で変質化して
島原の乱の時点ではまんま一向一揆になってたという論調だったな
0285名無し三等兵
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2017/05/20(土) 19:41:16.87ID:NnqYKtSg
 ___ _
  ヽo,´-'─ 、 ♪
   r, "~~~~"ヽ
   i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
 __ '!从.゚ ヮ゚ノル   総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
 ゝン〈(つY_i(つ   いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
  `,.く,§_,_,ゝ,   
   ~i_ンイノ
0288名無し三等兵
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2017/05/23(火) 20:20:10.90ID:Nnh6UwxK
>>286
ブッコワ少佐の記録イラストに馬上で射撃中の物が何点か有ったはず
でも、検索したら竜騎兵の物しか見当たらなかった・・・

Bucquoy+英語かフランス語での兵科名
Bucquoy+uniform
Bucquoy+Grande Armee
この辺りで検索を

普通の構え?以外に、左腕を水平にして肘から「く」の字に曲げて、その肘の上辺りで騎兵銃を支える感じの構えが載っていたのだけれど
(西部劇なんかで有る構え?)
確か、ユサールか騎馬猟兵だったかと
0291名無し三等兵
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2017/06/07(水) 17:15:03.02ID:eq2ZxBcP
>>89
まずその前に、北海道の近世について
渡党(日本文化を取り入れたアイヌ)≒蠣崎家→松前藩

つまり、松前藩(≒アイヌ一派)も含め
各アイヌ部族が争う北海道の戦国時代は、各勢力ごとに数十挺ほど鉄砲持ってたとか

近世アイヌ民族の社会と生活 - アイヌ文化振興・研究推進機構
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1215.pdf

 津軽藩士は松前城下でアイ ヌ民族の武装についての情. 報を収集していますが、
 それには、. 「〇本具足は少しばかり之れ有るべき由。
 〇自分にて木具. 足仕立て、 着け申し候う。 〇鉄砲三、 四拾挺も之れ有る. べき由。
 〇弓丶 鍵は大方所持仕り候う由」 とか

http://30932531.at.webry.info/201205/article_4.html
 アイヌの鎧、甲冑は基本的に倭人のものと同様で、
 武器の備えもかなり先進性を帯びており、
 たとえば1669年のシャクシャインの戦いにおいては、 倭人側の相当数の武士が
 アイヌの火縄銃の犠牲になったということがわかっているそうである。
0292名無し三等兵
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2017/06/07(水) 17:29:45.24ID:eq2ZxBcP
松前藩(≒渡党=アイヌ一派)は
金堀で少しは潤っても、1799で足軽含め武家は170戸規模のみ、の弱小貧乏藩

松前藩は少ない収益を独占しようと、和人の流入制限してたほどで
サンタン交易通じ入り込まれた大陸勢力に、借金や直接朝貢するアイヌも多かった

1669年:シャクシャインの戦い
シャクシャイン一派が、民間の和人らを虐殺した武装テロ事件

  ハウカセ: 江戸前期の蝦夷地の5大勢力のひとつの首長
<参考文献>
海保嶺夫『近世蝦夷地成立史の研究』,喜多村校尉編『津軽一統志』(『新北海道史』7巻)

  また,ハウカセは近江八幡出身の金太夫という娘婿に
  軍事顧問的役割をさせており,
  蝦夷地への武器輸出が不可能になったシャクシャインの戦の時点で
  40〜50挺もの鉄砲を所持していたといわれる点などから,
  松前藩のほかにも和産物輸入ルートを確保していたとも考えられる。

当時、アイヌ5大勢力の1である中立のハウカセすら、40〜50挺もの鉄砲を所持し
北海道には、大陸由来の鉄砲もあったとする説もある
0293名無し三等兵
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2017/06/08(木) 23:50:04.89ID:ZUnsPq04
アイヌって北海道だけでなくカムチャッカや千島列島にも住んでいるんだからそっち通じて交易するのは当たり前
0294名無し三等兵
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2017/06/10(土) 22:50:09.26ID:yFv0CXZA
シャクシャインが蜂起し、各地で和人の商人や労働者ら数百が殺され
松前藩が津軽藩から武器借りたのが6月
国縫では7月に民間の工夫200と藩兵300で土塁作り始め、7月28日開戦
騎馬が少ないからか進軍が遅い
0295名無し三等兵
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2017/06/11(日) 16:59:50.86ID:+Hzoy1cQ
1616 ヌルハチが後金を建国
1639 モスクヴィチノフ指揮のロシア・コサック隊、オホーツク海に到達
1644 明が滅亡、清が中国支配開始
1669 シャクシャインの寛文9年の蜂起

アイヌが大陸の銃を輸入してたなら、、、満州製が多かったのだろうか
0296名無し三等兵
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2017/06/29(木) 13:30:29.88ID:7MfNpZ02
アイヌの砂金伝説とかあるし大陸にもアイヌの同族がいたそうだから
商人なんかが仲介していたら火縄銃で武装していたかもね〜
0297名無し三等兵
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2017/07/31(月) 14:53:19.11ID:VV7iXkGv
やっぱり「戦闘技術の歴史」って面白いよね
0298某研究者
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2017/08/02(水) 10:29:41.81ID:QLL4xl8E
http://pin.it/CF-R5Yk
こう言う騎兵の至近距離の銃撃を何度もして歩兵にやられたのが 
リュッツェンの戦いのパッペンハイムなのかだが
0299名無し三等兵
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2017/08/02(水) 20:07:27.43ID:u+vioyTd
このキチガイこっちに来たのか。中世スレみたいにこいつのつぶやきスレになって終わりか
0300名無し三等兵
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2017/08/02(水) 21:44:04.86ID:wBzXmndO
行こう。ここも腐海に沈む。
ネタループしてるんで新規の大きな発見ない限り過去ログ辿れで終わっちゃうからなー
0301名無し三等兵
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2017/08/07(月) 20:33:02.13ID:zThK8GXF
じゃあネタふりで、マッチロック式とフリントロック式を比較すると
マッチロック式のメリット、デメリットは
1)火縄を押し付けるだけだから構造が簡単。
2)同じ理由で射撃の際に銃身がぶれにくい。
1)常に火縄に火をつけておかねばならない。
2)そのせいとフリントロック式に比べて火花が大きいので味方と並んで射撃すると引火しやすい、従って密集した隊列が組みにくい。
3)不発が多い。
フリントロック式のメリット、デメリットはマッチロック式の逆といったところでいいのかな。
0302名無し三等兵
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2017/08/07(月) 21:53:27.92ID:Vo0kTMyX
自分で完結してたらネタふりでもなんでもないんじゃないか?

フリントロックのメリットは弾さえ込めてたらいつでも撃てるって点じゃないかな。
マッチロックだと、火縄に火付ける作業だけでだいぶタイムロスなんじゃないの?。まさか常時点火してる訳にもいかないだろーし
0303名無し三等兵
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2017/08/07(月) 23:37:30.78ID:zThK8GXF
確かに自己完結してるね、申し訳ない。
種火が無いと即座に射てないというのは確かに夜襲や奇襲がしにくいということになるデメリットだな。
そもそも戦国時代に戦列を組んで戦えるのかちょっと気になって考えてみたんだけど、デメリットが多いなあマッチロック式は。
0304名無し三等兵
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2017/08/08(火) 10:29:01.27ID:i126zPob
時代祭りなんかでデモンストレーションしてる火縄銃は空砲だからいいけど
実弾を撃ったら発射ガスの噴き戻しで、火縄が大きく横に吹き飛ばされたりするからな
危なくて密集なんかできないだろう
0305名無し三等兵
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2017/08/08(火) 12:53:16.65ID:oXRrfvQS
黒澤映画の乱の中で火縄銃が有り得ない使い方されてたけどああいうものだと思っちゃうね
鉄砲足軽が城に攻め入って一斉射撃する場面なんか後ろの人の銃口が前の人の耳元に来ていて
発砲と同時にもんどりうっていて鼓膜をやっていそうだけど実銃だったらみんな大やけどしてる
0306名無し三等兵
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2017/08/08(火) 23:01:58.93ID:IFJi4a6T
やはり火縄式では隊列を組むのは難しいのかあ。
もし戦国時代に戦列歩兵を出させるにはフリントロック式の採用は不可欠なんだろうか?
0307名無し三等兵
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2017/08/08(火) 23:28:52.98ID:ZFsIdKwG
そもそも平地少ないから戦列歩兵やるメリットないんじゃないかな
日本の場合、機動戦やるより陣地戦やる方が有利だと思う
0308名無し三等兵
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2017/08/09(水) 07:29:52.30ID:B+dV/n4L
なるほど確かに隊列組んだ戦列歩兵が撃ち合える平野って視点は考えたことなかったなあ。
そうなると陣地戦に向いた火縄式の進化ってどうなるんだろう。
史実だと早合とかで発射速度を上げたりしてたみたいだけど。
0311某研究者
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2017/08/10(木) 11:34:33.66ID:nr/Q0+qI
Matchlock Musket Demonstration with Armor 
https://youtu.be/X1WwQkeDuXs
西欧の緩発式火縄銃も引き金を早く引けば 
瞬発的に出来る可能性も有るのかだが 
途中迄引いてから早く落とす方法も有るのかだが
そうした運用が成されていた可能性は果たして有るのかだろうし 
銃身の精度も余り高くは無いと言う事だっただろうか

https://www.youtube.com/watch?v=P8q4DicVBws
ホイールロックピストルは
基本的に瞬発式なのかだが
0314名無し三等兵
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2017/08/10(木) 19:36:31.51ID:FVc1d0Q2
兵士の左右の間隔例
基本的に、正面を向いて直立している兵士と兵士の肘の間の距離

清教徒革命(マッチロックマスケット)
Order:3ft(91.44cm)
Closest Order:6in(15.24cm)
(マスケッティアとパイクマンに共通)
間隔の使い分けは?です
Closest Order で射撃はしないと思いますが・・・

ナポレオン戦争(フリントロックマスケット)
イギリス軍:22in (55.88cm)
フランス軍:26in (66.04cm)
ロシア軍:27in (68.58cm)
散兵隊形以外の全て(横隊と縦隊)で使用

3ftを近いと取るか、遠いと取るかが、マッチロックは密集隊形で云々って話の分かれ目かな?
0316某研究者
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2017/08/17(木) 17:06:04.77ID:FpJfXMXt
http://4.bp.blogspot.com/-0N_p2PqhZI0/UIklH0auSiI/AAAAAAAAAJc/HEY3ao36CYE/s1600/2009_1030_082951-CIMG5159.JPG
明の従軍絵師が書いたかも知れぬ順天城も有るが
こんなに城壁は湾曲しているのかだが
http://yorimichi2012.blogspot.jp/2012/10/blog-post_26.html
上の縄張り図を見ると幾らかは湾曲はしているが
絵程では無いと言う事なのかだが
良く見ると銃丸が上下二列或いはそれ以上等も有るが
こんな密集しての装填射撃は出来たのかどうかだが
0317名無し三等兵
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2017/08/17(木) 20:21:19.95ID:/nX9Zd6m
ナポレオンのフランス軍の胸甲騎兵の鎧の対弾性はどの位あったんだろうか
装甲は前面の身体に集中させてて厚さは5ミリで20メートル以上だと
当時のマスケット銃だと貫通できなかったそうだけど、本当だったら
なんで歩兵にも胸甲つけさせなかったんだろうか
0318名無し三等兵
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2017/08/17(木) 20:25:41.86ID:ThFFaGKP
どうやって戦場まで行軍すんの?
下級兵に高価な装備もたせて持ち逃げ云々はおいとくにしても
0319名無し三等兵
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2017/08/17(木) 21:54:34.49ID:/nX9Zd6m
>>318
日本でもヨーロッパでも昔は鎧兜で行軍してたんだから
大丈夫やろ
0320名無し三等兵
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2017/08/17(木) 21:57:52.10ID:ThFFaGKP
……鎧兜を身に付けてるのは騎兵だ、馬鹿モン
0321名無し三等兵
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2017/08/17(木) 22:21:01.38ID:Tp03lftd
>>319
銃弾を防げるような重い甲冑を着れるのは戦国時代の日本でも、ヨーロッパでも
馬に乗ってる人間だけだ
0322名無し三等兵
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2017/08/17(木) 22:43:24.68ID:N1R0f9S/
18世紀後半、ギャングが作った防弾鎧。厚さ1/4インチで45kg
4人が着て、3人は銃撃戦で死亡・1人は負傷した所を逮捕
https://remodernreview.files.wordpress.com/2015/08/ned_kelly_full_suit_of_armor.jpg

トーナメント用を除くと、末期のフルプレートアーマーでも25kg程度で、既に戦闘用の動作を
行うには重量的に限界と見做されてた。18-19正規の一般歩兵と比べても、17世紀の騎士階級は
肉体的に大きく、幼少期から戦闘・肉体的鍛錬を積み、従者を従え馬で移動して‥でも25kg。

胸鎧の前側だけ鉄で作って軽量化して10-15kgに抑えたとしても、食料他を自分で背負って
徒歩で長い行軍を行う一般歩兵には手に余る物だと思うのよ。実際、独立戦争では歩兵用の
防弾ベストが試されたけど、広まらないまま放棄されてるし
0323名無し三等兵
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2017/08/17(木) 22:48:44.74ID:ThFFaGKP
重装歩兵の装備を奴隷に戦場の近辺まで担がせたギリシャ諸都市に対し、「軽装」の鎧着たまま動き回るスパルタ兵の怖ろしさ
0324名無し三等兵
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2017/08/18(金) 10:59:04.42ID:Pr/h3sHv
>>322
> 18世紀後半
「19世紀後半」の間違いかと
アドレスにもあるけど、ネッド・ケリーってオーストラリアのギャングの使ったもの
0325名無し三等兵
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2017/08/18(金) 13:07:52.14ID:PeZp3VJy
ナポレオン軍で馬を失った胸甲騎兵を歩兵として投入した会戦が有った筈だけど
ヘルメットとキュラシュ装備のまま徒歩胸甲騎兵として
何処の会戦だったか・・・

因みに徒歩胸甲騎兵はWW1でも復活
流石にキュラシュは着用していなかったけれど、クレスト(鶏冠みたいな飾り)を外したヘルメットは着用
アドリアンヘルメット採用後は、それを着用
0326名無し三等兵
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2017/08/18(金) 23:40:30.76ID:lyPsNItD
胸甲騎兵の鎧は弾の当たりやすい身体の前面だけ、装甲を5ミリと厚くして
他の箇所は薄くして重量をおさえてるみたいだけど
0327某研究者
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2017/08/19(土) 13:41:20.42ID:s73OPhqP
伊達政宗の五枚胴の最大厚は4mmと有るが
他の伊達家の騎馬武者の五枚胴も同様なのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561266314/
井伊家の通常の胴に追加する恐らく戦国期の胸甲も
宮帯出版社・赤備えに有るが
此れを合わせても厚さは4mmは行くのかだが

フサリアも至近距離で密集した所で
銃兵の一斉射撃でも受ければ
可成り損害を受ける可能性は無いのかだが
スウェーデン軍も敗北しているなら
そうした運用は行ったのかどうかだが
0328某研究者
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2017/08/19(土) 14:02:05.04ID:s73OPhqP
>>327
軽騎兵パンセルニの弓でスウェーデン銃兵が遠距離から 
壊滅した可能性も有るのかだが

パンセルニも散開して移動し弓を放っていた可能性も有るなら 
日本軍の火縄銃でのアウトレンジは何処迄可能なのかだが
0329名無し三等兵
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2017/08/19(土) 17:11:27.22ID:BJI8YDsl
擲弾兵の剣って19世紀になっても近衛擲弾兵のようなエリートだけじゃなくて
一般歩兵の擲弾兵中隊の兵士にも配備されてるけど
やっぱりあれってステータスシンボルだけじゃなくて実戦でも効果的だったんだろうか
0330名無し三等兵
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2017/08/19(土) 20:47:47.78ID:YX6NFE8x
簡単な料理だとか焚き火の木切ったりする用途以外には役立たなかった、ってよく聞くけど、実戦で抜刀突撃した例ってあるんだろうかね?
絶対銃剣の方が集団戦向きだと思うんだけど
0331名無し三等兵
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2017/08/22(火) 05:10:03.26ID:a/kKW/79
スコットランド人がそんなことやってなかったけ?
0333名無し三等兵
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2017/08/24(木) 01:12:27.44ID:A4fXPls0
槍兵の隊列が崩れて乱戦になった時、剣装備の熟練兵士は長柄武器の一般兵
に対し圧倒的に優位‥ってのはロデレロやドッペルゾナー等で繰り返し実証されて
るので、崩れた後の突撃〜掃討戦では有効なんでないの。
問題は槍衾を崩すのに剣は役に立たない事だが‥
0334名無し三等兵
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2017/08/24(木) 02:48:39.83ID:oMJr7K+6
くれいもあ担いだ決死隊が突っ込んできたぞ
0335名無し三等兵
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2017/08/24(木) 10:56:35.26ID:esI/ubbM
>>333 その方々は銃剣とは
戦ってないけど2m未満の短槍との闘いは
どうなんだろう?あと騎兵に弱いとあるが
0336名無し三等兵
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2017/08/24(木) 11:15:38.24ID:yWeBvUQv
出典がどの本か知らんけど歴群の2016年10月号によれば
ナポレオン戦争中銃剣による白兵戦は市街戦や攻囲戦、森林戦でしか起こっておらず、
開豁地で発起された銃剣突撃ではほぼ例外なくどちらかの側が敗走してるらしいよ。
そういう白兵戦が起きるような場所だと取り回しの銃剣よりも刀の方が扱いやすいんじゃない?
陣内での白兵が頻発した第一次大戦でも兵士達は取り回しの悪い銃剣よりもスコップやらナイフやらを好んだし
0337名無し三等兵
垢版 |
2017/08/24(木) 11:54:07.74ID:BQBi5ENG
短槍と言えば、18世紀の仏軍の軍装で
士官が短槍を持っているけど
自衛の為?
0338名無し三等兵
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2017/08/24(木) 12:06:07.95ID:NeWIxnJy
下士官が権威の象徴と指導用(銃の狙いとか)に持ってたってのは読んだことがある。
0339名無し三等兵
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2017/08/24(木) 13:19:54.18ID:czHPJ9GV
乱戦になると、自軍の長柄槍が1.5〜2m級の短いポールウェポンにいじめられる
→ポールをいじめるための剣兵士‥ってのがドッペルでなかったっけ?

とはいえ、隊形が崩れて乱戦に‥なんて最早戦闘の趨勢は決してるような状況で
有利になるからって、そのためだけに剣を持ってくのはなァ‥
0340名無し三等兵
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2017/08/24(木) 13:50:16.02ID:pjGmgnZu
>>337
権威と実用を兼ねて
権威はそのままとして、実用は隊列関係が多い?
横にして隊列の整理
縦にして隊列を組む時の目印
「右斜め前方に大尉殿のスポントゥーンが見え、真左に伍長殿のショートパイクが見える位置が自分の配置」的に

実用一本なら将校でもマスケット
18世紀のフランス軍戦列歩兵連隊では
一般兵であるフュジリエ中隊の将校はスポントゥーンを装備
選抜兵である擲弾兵中隊の将校はマスケット(短い竜騎兵用や、時にはライフルカービンも)を装備
0341名無し三等兵
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2017/08/24(木) 14:12:45.85ID:pjGmgnZu
>>336
ワーテルロー会戦でも歩兵同士の白兵戦は少なかった様ですね
有名な親衛隊の最後の突撃も射撃戦で解決
最も凄惨な白兵戦が行われたのはプランスノアでの市街だったかと

半島戦役だとイギリス軍戦列歩兵が突撃縦隊や混合隊形で攻撃を仕掛けて来るフランス軍に対し
最後の阻止斉射後に白兵戦を仕掛ける事が有った様です
縦深の有る隊形のフランス軍が、僅か2列横隊のイギリス軍の銃剣突撃の前に敗走
とは言え、そこに至るまでに
直衛砲兵からのシュラプネルシェルやキャニスターの射撃
ストッピングパワーでは群を抜くブラウンベスの斉射
これ等をくぐり抜けて前進して来ただけでも見上げた物と言えますが
0342某研究者
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2017/09/08(金) 12:28:51.65ID:/vRKB3lv
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%8E%E3%83%A9#/media/File:Ambrogio-spinola.jpg
1609年のアンブロジオ・スピノラの鎧の胸甲は
フルプレートよりは厚みは増したタイプなのかだが
形状は異なる訳だろうか
https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_the_Younger_of_Brunswick#/media/File:Herzog_Christian_von_Braunschweig-L%C3%BCneburg.jpg
1620年にはフルプレートより胸甲の厚い
3/4鎧は出現していると言う事なのかだが
0344某研究者
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2017/09/08(金) 13:17:16.48ID:/vRKB3lv
https://www.youtube.com/watch?v=Yzf0ZiVr9qw&;t=138s
ホイルロックピストルは上の動画を見ると瞬発的だから
http://blog.goo.ne.jp/cyrilsnow34/e/7154ce870dc9afcf32bcd283060ea539
https://www.youtube.com/watch?v=u2Lt5sG9Mo4
上の火縄式短筒が50mでも可成り命中しているとすると
カラコール騎兵のピストルも密集隊形の歩兵相手なら
50m等で十分直撃出来る可能性は有るのかだが
緩発式火縄銃のアウトレンジ迄は出来るのかだが
0345名無し三等兵
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2017/09/08(金) 13:43:50.28ID:BYJjXCaT
>>344
16世紀頃の乗馬襲撃でのピストル射撃は
命中に拘らないのなら50ヤード
正確な射撃をしたいのなら20ヤード
1587年に書かれた装典では3歩の距離で行うべきと

後のナポレオンの頃のフランス軍騎兵では、ピストルは相手に押し付ける様にし射てと
0346某研究者
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2017/09/08(金) 15:23:08.81ID:/vRKB3lv
>>345
騎兵相手では無くテルシオ相手なら
50ヤードでも発砲していた可能性は有るだろうが
緩発式とは言え歩兵の火縄銃をアウトレンジ出来る物なのかだが
https://twitter.com/heikihenken/status/752455282014380032
上の様な至近距離での射撃は基本的に殆ど無いと見て良いのかだが
0348某研究者
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2017/09/17(日) 20:29:43.18ID:9BTkSkxA
http://daimyoshibo.la.coocan.jp/mil/polish_hussars.html
>当時の教本では、マスケット銃は75mを超える射程では射撃を試みてはならない、と定めていた。そのような短い距離は、フサリアにとってはほんの一瞬の距離である。

テルシオも75m以遠から
日本の火縄銃や弓を撃てば
銃はアウトレンジ出来ると言う事なのかだが
砲の射程はどの程度なのかだが
日本の火縄銃の場合300先の90cm四方の的を狙う訓練も有ると言うが
テルシオの砲の射程は300m有るのかだが
http://www.sanken-intl.co.jp/arcive_sanada/contents/column/hinawa/teppo_tai.html
火縄銃の場合545mで当てている例も有るのかだが
此処迄出来る者は何処迄居るのかだが
0349某研究者
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2017/09/17(日) 20:42:45.44ID:9BTkSkxA
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Breitenfeld_(1631)#/media/File:Battle_of_Breitenfeld_-_Opening_moves,_17_September_1631.png
上の図を見るとブライテンフェルトの砲兵同士の距離は4−500m程度と言う所なのかだが
日本軍の狙撃手が散開して300m程度の距離に前進すれば
砲手を倒せる可能性は無いのかだが
0351某研究者
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2017/09/17(日) 23:53:14.45ID:9BTkSkxA
徳川軍のフランキ砲が700mの距離から
大阪城の天守閣を狙撃したと有るが
更に高精度の砲なら射程は伸びるのかだが
西欧の砲兵のアウトレンジは出来るのかどうかだが
0352名無し三等兵
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2017/09/18(月) 06:24:27.01ID:CwSk59RR
>>351
あんなもん野戦で使えんだろ
小銃で見ても時間当たりの投射量ダンチだし、火戦だけなら徳川軍がボコられて終わりだろうな
というか何が聞きたいんだ
0353名無し三等兵
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2017/09/18(月) 10:39:47.07ID:/O4qpvKl
>>348
>>349
特例中の特例だからこそ名前が伝わっているのかと
そのレベルの射手を集めて西南戦争での別動狙撃隊の様に集中運用出来るのならともかく、ほぼ唯一無二の人材ぽいし

後のナポレオン戦争では300ヤード越えの精密射撃を行えるライフルマンやイェーガーが兵科として存在していましたが、それが会戦の行方を決めた事は無かったかと
その分隊や中隊と対峙する事になった部隊は色々と苦労はしたでしょうが
0354名無し三等兵
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2017/09/18(月) 10:58:57.99ID:/O4qpvKl
ブライテンフェルドでの開戦時の両軍の距離は約1000ヤード
ティリーの砲兵は重砲軽砲共に戦列の前面に配置
重軽の火砲のサイズは不明ですが、清教徒革命を参考にすると

砲種 / 砲弾重量 ポンド / 平射距離 ヤード / 最大射程 ヤード
セイカー / 5.5ー9 / 360ー500 / 4000
クォーターカノン / 12 / 400 / 2000
デミカノン / 24ー36 / 450 / 2500

狙って当てられる距離まで火縄銃手が接近出来れば可能でしょうが・・・
何を当たり前の事をと思うかもしれませんが、これも銃手の技量の優劣を決める一つなので
0355名無し三等兵
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2017/09/18(月) 12:35:28.73ID:IuI/V1Aa
某研にエサを与えると居つくからやめろよ
そいつbotみたいなもんだから
0356某研究者
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2017/09/18(月) 13:59:49.49ID:ZV024UBL
http://www.figuren.miniatures.de/schlacht/luetzen-1632.jpg
https://de.wikipedia.org/wiki/Schlacht_bei_L%C3%BCtzen#/media/File:Battle_lutzen.gif
リュッツェンの戦いの皇帝軍・スウェーデン軍の正面の砲兵同士の距離は
1000m近く有る様に見えるし
皇帝軍の風車の丘の砲兵との距離は更に有るだろうが
この時代に4000m等の砲撃はしていたのかだが
日本軍の砲も此れ等をアウトレンジ出来る迄の精度は
流石に無いと言う事なのかだが

騎馬鉄砲隊では無いが
銃や弓を静止して射撃出来る程度の騎馬武者・馬足軽集団を最大限集めて
カラコール騎兵をアウトレンジ射撃で排除ししつつ
砲兵を護衛兵の銃の射程外から狙撃・早期に無力化と言う事は可能なのかだが
ポーランド相手の場合軽騎兵パンセルニが弓を放って来る可能性も有るだろうし
此れに銃で対抗出来るのかだが
大量の歩兵も連携すればどうなのかだが
朝鮮では対抗出来ていると言う事なのかだが
0357某研究者
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2017/09/18(月) 15:25:52.51ID:ZV024UBL
https://en.wikipedia.org/wiki/Cannon#Medieval_Europe
>Gustavus Adolphus of Sweden emphasised the use of light cannon and mobility in his army, and created new formations and tactics that revolutionised artillery.
He discontinued using all 12 pounder&#8212;or heavier&#8212;cannon as field artillery,
preferring, instead, to use cannon that could be manned by only a few men. One obsolete type of gun, the "leatheren" was replaced by 4 pounder and 9 pounder demi-culverins.
These could be operated by three men, and pulled by only two horses.

スウェーデン軍が野戦で使用する
12ポンド砲は砲弾重量は5.4kgであるから
https://kotobank.jp/word/%E8%8A%9D%E8%BE%BB%E7%90%86%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80-1080568
5.6kgの芝辻砲の方が重いだろうし
主力は更に小さい砲の様だが
此れが大量の芝辻砲にアウトレンジされる可能性は有るのかどうかだが
0358某研究者
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2017/09/18(月) 15:42:35.81ID:ZV024UBL
http://www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/teppokajiyashiki.html
芝辻砲の砲身は3m有るから精度も有るのかだが
スウェーデンの12ポンドや其れ以下の砲と比べるとどうなのかだが
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/rekihaku/114/witness.html
上の様な1貫(砲弾重量3.75kg)の大筒も有るが
此れは砲身が短いから精度は無いと言う事なのかだが
0359名無し三等兵
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2017/09/18(月) 15:54:14.88ID:CwSk59RR
1630年頃のスウェーデンって製鉄大国じゃん たたら製鉄でどうやったら勝てるってんだよ
芝辻砲もその他の和製大砲も鍛鉄製だから量産は厳しいだろうし、日本軍が圧倒的軍事力で諸外国をボコボコにする、みたいな事はまず考えられんな
技術水準的にも互角か少し劣る、ってぐらいの差なんだしさ
てか日本徳川軍と欧州列強の陸軍が戦ったら日本が圧勝できるか?って議論をしたいって事で合ってる?もし間違ってたら今までの暴言はごめんなさい
0360名無し三等兵
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2017/09/18(月) 16:00:07.36ID:RE+lekXH
日本はその代わりに銅が大量に出るからね
西欧諸国がどうにかして安い鋳鉄で安全な大砲つくれるか四苦八苦してた17世紀初期に
普通にオランダから技術導入して青銅砲を出島で量産してたし

19世紀までに列強各国で使われた青銅砲の原料にも
かなりの割合で出島-オランダ経由で西洋に渡った日本銅が使われてるんじゃないだろうか
そういう資料を見たことがないからどんだけか知らんが
0361某研究者
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2017/09/18(月) 16:21:42.23ID:ZV024UBL
http://daimyoshibo.la.coocan.jp/mil/polish_hussars.html
>一方、フサリアはどのように布陣するであろうか?
>この時代、戦闘隊形の騎兵は3列から4列、場合によってはもう少し多い列の横隊をとっていた。ここでは4列としよう。
>時に、第2列が前進して第1列と重なる隊形をとることがある。これはどういう意味があるのだろうか?

フサリアが4列のやや間の空いた隊形で突撃しても
日本軍が銃兵を4列に分けて
割に遠距離から此れに騎兵を1列ずつ撃たせれば
フサリアも可成りダメージを受ける可能性は有るのかだが
精度の高い主力の2匁クラス筒を
100mで馬に当てる程度は大概の兵は出来ないのかどうかだが
騎兵の突入に備え
https://i.imgur.com/fpN0GN9.gif
銃兵は上の様な形で屈んだ槍兵の後ろに布陣し
全体は槍兵を外周に配置した方円陣を組めばどうなのかだが
銃兵は最前列から発砲後
発砲した兵は直ぐ屈ませて再装填
順次後列が同様の形で発砲と言う方向だが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD
此れと同様の物はポーランドのタルノフスキが考案しているが
日本でも有ったかも知れぬが
槍兵はフサリアが近接したら必要なら立つが
http://livedoor.blogimg.jp/netamichelin/imgs/c/c/ccfa70e8.jpg
http://shimesaba.dyndns.org/wordpress/wp-content/uploads/2016/04/yari.jpg
馬は座って槍を足で押さえての阻止が基本かも知れぬが

ポーランド軍の砲撃は芝辻砲の様な物で牽制出来ないのかだが
0362某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 16:22:43.58ID:ZV024UBL
雑兵物語に有る様に日本の足軽は白兵戦突入後も
近距離で射撃をしているし
島津軍の様に鉄砲足軽以外にも腰筒を持たせれば
フサリアとの近接戦に成った後も
隙あらば銃撃でダメージを与えられる可能性も有るのかだが
白兵戦中に至近距離で抱え大筒の散弾や
大口径の士筒等は放たれたのかどうかだが
0363某研究者
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2017/09/18(月) 16:32:38.93ID:ZV024UBL
>1630年頃のスウェーデンって製鉄大国じゃん たたら製鉄でどうやったら勝てるってんだよ
>芝辻砲もその他の和製大砲も鍛鉄製だから量産は厳しいだろうし、日本軍が圧倒的軍事力で諸外国をボコボコにする、みたいな事はまず考えられんな

砲に高品質の玉鋼等使われるのかだろうし
輸入した鉄で作られた銃砲も多く
刀でさえそうした鉄で作られる例が多かったと言う事だっただろうか

http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2010/12/2-f6f9.html
>徳川家康が、今回の大坂城攻めのために大量に動員した大砲(大筒・石火矢)・・・この冬の陣では、大坂城の周囲に約300挺を設置して、数十人の砲術家を配備したと言われています。

300門の内スウェーデンの砲をアウトレンジ出来る様な物は
何処迄有るのかだが
低精度のフランキが多い可能性も有るのかだが
0364某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 16:46:12.91ID:ZV024UBL
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&;id=1000193632
>エリザベス1世は、この大砲を大量生産するためウィールドに
大砲工場を建設。その溶鉱炉が2分の1のスケールで再現されていた。水車が大量生産の
秘密で、人力に頼らず鉄の大量生産が可能となった。ジェラルドさんは、1年で3300門の
大砲を生産することが出来たと話した。こうして手に入れたカルバリン砲を家康は4門購入した。

と有るが野戦でこうした数の砲は
17世紀前半では何故か投入されていない訳だろうか
0365名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 16:56:37.62ID:CwSk59RR
>>363
玉鋼の生産量で大口径砲の量産なんか不可能だろうし、17世紀の砲兵ならアウトレンジとかそういう戦法自体が間違い。
スウェーデンの砲兵運用は、歩兵・騎兵と密接に機動するの3ポンド連隊砲と独立運用の重砲の2つで火力の持続を図る、というもの。
対して日本に輸入された大砲は攻城戦向けの固定砲(艦砲の転用)ばっかし。
日本の大砲技術は世紀レベルで遅れてたんだし、戦国時代自体が白兵戦主体の時代だったんだから、当時の幕府軍にはそんな戦法はどうしようもないんじゃないかな
大砲の火力抜きで考えるなら日本軍でも互角なんじゃない?この頃のスウェーデン陸軍自体、砲兵中心の戦術ばっかりだったし
0366某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 16:59:51.48ID:ZV024UBL
http://fuwakukai12.a.la9.jp/Kita/kita-taihou.html
>なかでも、国友鍛冶が開発した50匁(187g)玉の大筒は、従来レベルをはるかに越える射程と精度を持っていた。
>発注数も図抜けて多かった(300挺)ことからも、その有効性が窺えよう。

此れは砲身は長いのかだが
http://www.osakacastle.net/week/%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%B1%95%E9%96%8B%E5%82%AC%E4%B8%AD%EF%BC%81
http://massneko.hatenablog.com/entry/2015/07/04/150000
上の大阪城攻撃に使われた慶長大火縄銃は口径3.3cmだから50匁筒かも知れぬが
射程は1600m有る等と言うが現実的にはどうなのかだが
300門発注されたのは此れなのかだが
0367某研究者
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2017/09/18(月) 17:36:02.89ID:ZV024UBL
>>365
>玉鋼の生産量で大口径砲の量産なんか不可能だろうし、17世紀の砲兵ならアウトレンジとかそういう戦法自体が間違い。

大口径砲以外も輸入した鉄で作られた物が可成りの比率と言う事だろうか

>スウェーデンの砲兵運用は、歩兵・騎兵と密接に機動するの3ポンド連隊砲と独立運用の重砲の2つで火力の持続を図る、というもの。
>対して日本に輸入された大砲は攻城戦向けの固定砲(艦砲の転用)ばっかし。

関ヶ原合戦でも固定砲的な砲が使われただろうが
3ポンドの砲と言うのは350匁筒程度だろうが
http://strv102r.tripod.com/gustaf_ii_adolf8.htm
http://strv102r.tripod.com/Reggun.jpg
此れは上に有る様な砲だろうが
砲身は同程度の弾を撃つ大筒より3ポンド砲の方が長い様に見えるが
射程はどうなのかだが
0368名無し三等兵
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2017/09/18(月) 17:38:26.65ID:CwSk59RR
スウェーデン軍の編成は銃手7割の長槍兵3割が基本。加えて全軍が最高指揮官の統制下で密接に連携して運動できる体制が整ってた
日本の軍制は封建諸侯の合同軍で構成されてる前時代ものだし、1600年の関ヶ原時点ですら槍兵が軍の中核を担ってる。銃兵の割合は全軍の1割程度の2万人
この後も戦乱が続いてたらどうなったかわからんが、史実通りに見るなら列強と比べて時代遅れ。
砲兵の存在しない戦闘なら同時代の各国には遜色無い兵士を抱えてたんだから、そういう点を活かせば十分に勝ちは見込める程度の戦力差ではあるけど
0369名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 17:46:21.02ID:CwSk59RR
>>367
だから大砲の射程だけで考えるのが違うんだって
例えば同時代のブライテンフェルトの戦いだと連隊砲兵は100m以内で重散弾による砲撃を行ってるし、もっと先のワーテルローですらカノン砲は対歩兵が基本。
対砲迫射撃が有効になるのはもっと後の時代だから、大砲対大砲で射程合戦しても戦況は左右できない。
この時代の野戦で大事なのは火力の集中、つまり砲兵の機動力。安全な後方から撃ってても17世紀のカノン砲じゃ歩兵は潰せない。。
0370某研究者
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2017/09/18(月) 17:52:41.93ID:ZV024UBL
>スウェーデン軍の編成は銃手7割の長槍兵3割が基本。
>加えて全軍が最高指揮官の統制下で密接に連携して運動できる体制が整ってた

スウェーデンの陣形もテルシオより細分されているが
基本的に密集隊形では有るだろうし
備に比べて機動性は何処迄有るのかだが
割に散開した日本軍にはテルシオ相手程砲は通用せず
日本軍に銃兵がアウトレンジされて混乱し銃が封じられた後
近接戦に持ち込まれれば槍兵が少ない以上
最悪キルホルムの様な事には成らぬのかだが

日本軍の場合銃兵の数より銃は多く
奉公人に予備の銃を持たせ
渡して射撃させていたと言う様な記述も有る様だが
果たしてどうなのかだが
日本軍には銃兵だけでは無く弓兵も一定数居るだろうし
射程はマスケット銃の75m以上は有る訳だろうから
この連射能力はスウェーデン軍銃兵の密集隊形を
フォルカークの戦い等の様に短時間で混乱させる危険は無いのかだが
0371名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 17:59:51.45ID://Mtbfo3
射程が生きるのは、攻城戦と野戦築城の場合だね。
日本の場合、戦国後期には簡易的な野戦築城やって本陣以下を定めるのが
一般的になったんで、野砲の質や量が変われば戦の形態や陣地設置/指揮統制
まで影響するかもね。

それと、製鉄に関しては戦国〜江戸初期までの日本は完全な輸入超過で、
特に武器製造に使う高品質鉄については(算出する鉄の質、精錬法の関係もあって)
輸入頼みの所があるんで、国産前提にするなら厳しいんでないの
玉鋼なんて低質鋼で刀作りだすのは、輸入激減以降ですし
鉄よりも硝薬の方が国産で量確保は無理筋だけどね
ま〜欧州列強かて純国産で鉄と硝薬掘ってた訳じゃないんで、輸入で確保
できるようにできれば良いのよ
0372名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 18:07:01.53ID:ZV024UBL
http://mobile.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2014101900037/?doc_id=2262
>片倉小十郎は計700人の実戦部隊を擁しており、その内訳は鉄砲300人、弓100人、長柄200人、槍100人だったことが分かる。鉄砲の比率が高かったことが見て取れる。

大阪の陣時点でも日本軍の弓は多いとするなら
此れの短時間の連続射撃で
スウェーデン銃兵を混乱させる事は出来るのかだが
0373名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 18:09:08.36ID:CwSk59RR
>>370
グスタフアドルフは歩兵・騎兵に砲兵を追従させたから全軍の機動性はかなり低かった
けど最前線に砲兵火力を充実させることができたから軍全体で圧倒出来たんよ
銃兵の密集も三兵の連携も突破地点に火力を集中させるためのもの。密集した銃兵の斉射ののち、騎兵歩兵が砲兵の支援を受けて突破するというのが彼の基本戦法であった以上、そこに散兵線置くなんて自殺行為。
抜刀騎兵と高機動化された槍兵の突撃を粉砕できるだけの火力は密集陣形でないと作り出せない
というか日本の武士も平原だと割と密集してるし、散兵戦術やってたのって例外的な戦いが多い気が
0374某研究者
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2017/09/18(月) 18:17:01.60ID:ZV024UBL
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA#/media/File:Swedish_Battalion_Formation.png
上の様な密集した縦深10列等のスウェーデン銃兵の前部に
弓を断続的に撃ち込めば
射撃・移動は困難と成る可能性も有るのかだが
其の間に日本側の銃が銃兵をアウトレンジ・槍兵を足止めすると言う方向も有るだろうが
スウェーデン騎兵も槍騎兵では無いし銃兵の援護射撃が無いと
割に散開した備相手でも突撃は無理と言う事なのかだが
0375名無し三等兵
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2017/09/18(月) 18:17:39.15ID:CwSk59RR
>>372
スウェーデンの銃兵って一会戦に3万人いたんだぞ 連隊砲兵の超密接支援受けたやつが
弓の射程じゃ騎兵突撃止めるのは無理があるだろうし、銃の発射に1分かかる種子島じゃ勝ち目薄いよ
各軍の連携が取れるかどうかが勝ちを決める時代なんだから
0376某研究者
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2017/09/18(月) 18:30:58.63ID:ZV024UBL
スウェーデン騎兵が銃兵の援護も無く突撃した場合は
乗馬した騎馬武者に銃を持たせ
静止して馬にアウトレンジ射撃し撃退する方向も有るだろうが
(雑兵物語には騎馬武者の銃を奉公人が持っている描写も有るが
 装備率は一部では可成り高いと言う事だっただろうか)
スウェーデン騎兵は銃兵の援護後の突撃が基本だから
ピストルは最前列しか無いと言う事だっただろうし
騎馬武者の射撃を掻い潜って幾らか突入してもピストルでの損害は
何処迄有るのかだろうし
ピストルを持つ騎兵を集中狙撃する方向も有るのかだが
スウェーデン騎兵は白兵戦でも片手用サーベルしか無いだろうが
騎馬武者も銃と槍を同時に携帯出来るのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561186645/
イスラム兵の場合槍を足に挟んで弓を射撃している様な描写も有るが
騎馬武者はこうした事はして居たのかだが
仮に無いとしても
鞘に入る程度の大太刀なら銃と同時に携行は出来るだろうか
0378名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 18:49:31.28ID:CwSk59RR
>>376
グスタフアドルフがカラコール廃止して抜刀突撃専門の騎兵隊創設した理由知らんのか
近世の騎兵の仕事は機動力による衝撃で敵歩兵を蹂躙すること
鎌倉時代じゃないんだから、騎兵同士の射撃戦なんか論外。その交戦距離じゃ銃兵に撃たれて壊滅するだけ
ただ、槍騎兵は相当なアドバンテージだね。サーベルしか持ってないスウェーデン騎兵じゃ正面から粉砕されるだろう
>>377
スウェーデン国民軍の銃兵は縦深6列の戦隊での反転行進射撃が基本の運用だから射撃の間隔はほぼ無いよ
紙薬莢も普及してるし
0379某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 18:52:27.72ID:ZV024UBL
スウェーデン軍も銃兵が日本軍の数倍居てもアウトレンジされれば
敗北する危険は有るだろうし
スウェーデン軍の恐らく75mの射程の銃に対し
日本軍の銃の場合は
雑兵物語だと1町(約110m)毎に射撃位置を指定していると言うから
最低でも220mでの射撃は有ると言う事なのかだが
(この距離では射撃が上手い者のみに銃を渡して
 連続射撃している可能性も有るだろうが)
300mで90cm四方の的を狙う訓練もしている言う記述も有るが
こうした事が出来る者は何処迄居たのかだが
0380某研究者
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2017/09/18(月) 19:07:03.24ID:ZV024UBL
>グスタフアドルフがカラコール廃止して抜刀突撃専門の騎兵隊創設した理由知らんのか
>近世の騎兵の仕事は機動力による衝撃で敵歩兵を蹂躙すること

スウェーデン騎兵のテルシオ歩兵への突撃はいきなりでは無く
銃砲で混乱させた後だろうが
日本の槍衾がテルシオより薄いと見て
歩兵が日本軍の銃でアウトレンジされ混乱した後も
歩兵の援護無く突入して来る可能性も有るだろうが
馬を倒す日本刀や長巻等の装備を噂等で知り
http://photozou.jp/photo/show/1849954/96175461
(此れは上の関ヶ原合戦図に有る様な
 備の大将の護衛歩兵が主武器として装備しているだろうが)
無謀と見て撤退する可能性も有るのかだが

>ただ、槍騎兵は相当なアドバンテージだね。サーベルしか持ってないスウェーデン騎兵じゃ正面から粉砕されるだろう

とは言え小数のピストルを持つ騎兵を排除しないと此れで
ダメージを受ける危険は有るだろうし
最前列に居る此れをアウトレンジし
無力化出来るだけの銃を持つ騎馬武者+
多数の槍騎兵を投入すれば良いと言う事なのかだが
0381名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 19:08:12.83ID:/O4qpvKl
>>370
何故、グスタフ軍をアウトレンジ出来る事が前提になっているのか・・・
しかも戦術レベルでの機動に重きを置いている軍に対して、アウトレンジに拘り続ける
そこまでアウトレンジに拘る理由が分からない
後世の艦船や戦車での戦闘と同一視しているのかな?
0382某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 19:19:30.62ID:ZV024UBL
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9
>朝鮮の同時代史料である懲録には「弓矢の技は百歩に過ぎないが、鳥銃はよく数百歩に及び、(中略)とても対抗できない」(東洋文庫版283頁)とある。(当時の朝鮮の歩は約118cm)

文禄・慶長の役では明・朝鮮軍の
射程118mの弓が日本軍の銃でアウトレンジされているなら
スウェーデン軍の75mの射程の銃はアウトレンジされないのかどうかだが

日本軍の銃も射程は数百歩と有るから最低でも240m程度からは
射撃していたのかだが
この距離では一部の上手い人間に銃を
多数渡していた可能性も高いのかだが
0383名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 19:21:38.09ID:CwSk59RR
>>380
何か勘違いしてるみたいだけど、銃騎兵の運用って対歩兵、というか乗馬銃兵であることが基本だぞ
抜刀突撃してくる騎兵に銃撃、後退なんかやっても間に合わんし、そういう意味でのアウトレンジなんかやったところで高が知れてる
球弾で200mじゃ騎兵の胸甲は貫通できないし、銃が届かないなら届く距離まで行進するのが普通。
射撃戦で大事なのは数。一つの地点にどれだけ火力を集中させるか、突破口を作れるかってのが近世の戦争なんだから
騎兵で勝てないなら歩兵と砲兵がこじ開ける、てか歩兵の旗色に応じて騎兵砲兵が援護する。それがグスタフ・アドルフの三兵戦術。
奇策で攻めてどうにかなるもんじゃない。数揃えなきゃ勝てん
0384某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 19:30:00.74ID:ZV024UBL
>抜刀突撃してくる騎兵に銃撃、後退なんかやっても間に合わんし、そういう意味でのアウトレンジなんかやったところで高が知れてる
>球弾で200mじゃ騎兵の胸甲は貫通できないし、銃が届かないなら届く距離まで行進するのが普通。

騎馬武者の銃はスウェーデン騎兵の
最前列のピストルを持つ者をアウトレンジするだけであり
ピストルの射程は50mだろうから
最前列の銃を持つ騎馬武者がこれよりやや遠い距離で銃を放った後
横方向等に逃げ
後列の槍騎兵が突撃する事は出来る可能性も有るだろうし
ピストル騎兵の胸甲を貫通するのでは無く馬を倒すだけだが
0385某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 19:38:52.04ID:ZV024UBL
http://photozou.jp/photo/show/1849954/242633907
http://photozou.jp/photo/show/1849954/242633914
江戸期の絵では馬上で静止して大型銃を射撃したり
装填している絵迄有るが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/242633926
戦国期でも上の様な馬上筒なら割に有るだろうが
ピストルをアウトレンジ出来る代物なのかだが
大型銃の馬上運用の記述も何処かに有ったかも知れぬが
0386名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 19:39:54.45ID:CwSk59RR
>>384
それはあくまで"対抜刀突撃"でしかない。
グスタフアドルフは決定的な場面でしか騎兵を投入してないのだから、その防御陣形は銃兵の護衛以上の価値を持ってない
日本の騎兵槍は11フィート以内がほとんどだから長槍兵の突破はできない コピア持ってこい
結局のところ重砲軽砲の砲撃には対処できないし、野戦での勝ち目はほとんど無いだろうね
0387名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 19:49:37.38ID:CwSk59RR
>>385
騎銃で重騎兵の突撃を止められる、って考えを改めた方がいいよ
たしかにグスタフアドルフ型軍の騎兵運用は衝撃力に欠けるけど、それは三兵の協力を緊密にするため。
騎兵隊にはこれ、銃士隊にはこれ、じゃ駄目。互いに援護し合う三兵として見ないといけない。 しかもそれは一連隊の話に過ぎない
スウェーデン軍は関ヶ原や長篠のようにバラバラには動いてくれない。一人の指揮官が全軍の指揮系統を統括する近代軍だ、ってのを理解してくれ
0388某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 19:51:49.97ID:ZV024UBL
>日本の騎兵槍は11フィート以内がほとんどだから長槍兵の突破はできない

槍の無いスウェーデン騎兵の馬を一方的に突く事は出来るかも知れぬし
スウェーデン騎兵は槍も持たずに
混乱したテルシオに突撃している訳だろうから
日本軍もスウェーデン槍兵を銃や抱え大筒等の散弾・棒火矢等で混乱させて
同様の事をすれば良いと言う事だろうし
槍兵の比率も少ない訳だろうか


>結局のところ重砲軽砲の砲撃には対処できないし、

テルシオでさえ砲撃で短時間で簡単には壊滅していないから
散開した備は短時間で壊滅せず
スウェーデン銃兵が日本の銃兵にアウトレンジされ
壊滅する方が先では無いのかだが
0389某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 19:57:39.04ID:ZV024UBL
>騎銃で重騎兵の突撃を止められる、って考えを改めた方がいいよ

騎士や槍騎兵は騎銃兵に一旦絶滅させられたのも事実だろうし
ここではピストルを持つスウェーデン騎兵の最前列のみを
より長い銃で排除しようと言う事だが
0390名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 20:04:21.94ID:CwSk59RR
>>388
だーかーらー
騎兵で勝てないならそもそも騎兵を投入しないのー。 歩兵と軽砲を前面に出して騎兵はその脇役に回るだけなのー!
"小銃による至近距離での銃撃"による混乱も数万の大軍を崩壊させられるものにはなれないし、
かといって遠距離で火戦やると数で圧倒されてしまう。 砲兵の支援射撃も入るし
日本側が勝つには 「白兵戦で押し切る」 これ以外に無い。 100m程度遠くから撃ったってすぐに距離詰められちゃう。
日本刀、長柄、全身鎧 これが絶対的に見て勝ってる部分なんだから
0391名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 20:14:52.01ID:CwSk59RR
>>389
騎士や槍騎兵が廃れたのは経済面での問題。スウェーデンは北海貿易と製鉄業でかなり余裕がある
銃騎兵が残ったのは訓練に金が掛からんから。白兵戦を無視して乗馬と操銃だけ訓練しとけば機動銃兵として役に立ったから。馬上での戦いは想定してない繋ぎ役。
レイターは"とりあえず最新兵器の銃を持たせてみた"ってレベルだったから廃れた。
そもそも馬上の射撃で50m以上先の騎兵を排除するのは無理。もし何十騎かやられたとしてもそのまま突っ込んでくる。この場合騎兵の衝撃力をモロに受けるのは防御側、つまり日本側
近世の戦争はいかに敵を多く殺すか、それが第一。目の前の味方が死んだところで作戦を変更したりしない。まず止められない。
ただ槍騎兵は対騎兵に有効だろうから、騎兵戦の勝敗はこれをいかに活用できるかにかかって来るだろうね。
0392名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 20:57:37.69ID:CwSk59RR
あと、ピストルを装備してるのが最前列だけって思ってるみたいだけど違うよ。
>>378 で言ったのは「カラコールを廃止して突撃前の一斉射のみ行う」ってことだからね。
白兵戦用に全騎ピストルは装備してるから、1列目を全部倒せたとしても後続の二列目三列目が射撃してくるのは防げんよ。
まあ効果はほぼ無いというか、その後の突入が本番だからそこまで気にすることでも無いね。
0393某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 21:29:35.19ID:ZV024UBL
>"小銃による至近距離での銃撃"による混乱も数万の大軍を崩壊させられるものにはなれないし、
>かといって遠距離で火戦やると数で圧倒されてしまう。 

とは言え槍も無い様な騎兵が突撃出来る程には銃や砲で
テルシオは混乱しているのでは無いのかだが
砲で混乱させられた者の方が多いのかだが
ファルカークの様に弓を連射しても
騎士が突入出来る所迄は混乱させると言う事は出来るのかだが

スウェーデン軍のピストルは至近距離で鎧に密着させて
発射していると言う様な記述も有ったから
仮に全員装備していようと
割に多数携行されているかも知れぬ
馬上筒でアウトレンジ出来る可能性も有るのかだが
日本軍の胸甲が薄い事を見抜けば
近距離で射撃して来る可能性は有るのかだが
馬上筒と槍の同時携行は
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046156
17世紀の雑兵物語等にもホルスターの様な物が有るから
或いは可能かも知れぬが
0394名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 21:48:07.63ID:CwSk59RR
そもそも馬上筒持ってる武士あんまいないんじゃ…
もし仮に大量に装備してたとしても、物凄く中途半端な兵科で終わるんじゃないかな。
重装騎兵に射撃戦やらせる時点でレイターの二の舞にしかならんと思うんだけど
白兵戦には強いだろうけどね。それなら初めから抜刀突撃させりゃいい話であって、わざわざ衝撃力捨てる必要は無いし

同時代の日本が太刀打ちできる欧州国だとスイス、イギリス、イタリア諸国あたりかな 陸戦に限って言えば
神聖ローマ帝国とかスウェーデンとか相手にすんのは流石に無茶だ
0395名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 21:49:11.10ID:/O4qpvKl
>>382
そもそもグスタフ軍のマスケットの射程が75ヤードってのは何処から?

16世紀初期の上質なイタリア製アーケバスの最大射程は400ヤード
有効射程は226ヤード

エリザベス時代のイギリス軍キャリバーは200ー300歩(paces)の距離の目標に命中させる事が出来た
同時代のアーケバスは150ヤードの距離の目標に命中させる事が出来た

16世紀後期のマスケットは500ヤード先のアーマー無しの兵士を殺す事が有った
しかし、200ヤードを越えての命中は狙った結果とは限らなかった

※pacesは時代や国により30インチだったり、60インチだったり・・・
取り合えず 30インチで換算すると167ー250ヤードになります
別の資料に、キャリバー銃手は100ヤード以上の距離の目標に命中させる事が出来た、とも有りました

何だかんだで西欧の射手も100ー200ヤードで命中弾を送る事が出来ていたみたいですよ
ただし、戦場では色々な原因から正確な照準は出来ないとも有りました
これは日欧共に同じだと思いますが
0396某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 22:11:04.95ID:ZV024UBL
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3047381.html
>1617年の津和野城の城付き鉄砲の中に、61挺の馬上筒が含まれていたそうです。

等と有るが何処迄数は有るのかだが
ブライテンフェルトの1630頃には
西欧軍の影響等で馬上筒が増えた可能性も有るのかだが

http://daimyoshibo.la.coocan.jp/mil/polish_hussars.html
>当時の教本では、マスケット銃は75mを超える射程では射撃を試みてはならない、と定めていた。そのような短い距離は、フサリアにとってはほんの一瞬の距離である。

と有るが銃の上手い一部の者が教本を無視して
遠距離射撃をしていた可能性も有るだろうが
この者に銃を大量に渡して連続射撃等はしていたのかだが
0398某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 22:17:05.42ID:ZV024UBL
https://bushoojapan.com/scandal/buch/2016/12/05/88775
>上記の内容は、騎馬武者の人がつける具足についての細かい規定が書かれていたところです。当時、顔を守るための防具として「頬当て」というものがあり、
>しかし「これを付けていると鉄砲の狙いが定めにくいから、付けても付けなくても自分で判断していいよ」ってことを示しております。
>つまり「鉄砲を持って騎馬で駆け回っていた武士が武田家にいた」可能性を示すものなんですな。

此れは馬上筒の使用に関しての物では無く
下馬時の銃の使用を考慮した物なのかだが
馬上でも静止して射撃はしていた可能性は有るのかだが
0399名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 22:32:34.30ID:CwSk59RR
>>396
当時のスウェーデン陸軍は傭兵の寄せ集めでも志願兵の徴集軍でも無い。選抜徴兵による欧州初の常備軍だ
銃が上手いから命令無視するとかそういう事はむしろ排除すべきであって、全体の火力の発揮を是とする軍だ、ってのを意識して見ないといけない
それにスウェーデンの銃兵は中隊ごとに斉射するんだから、その判断を出すのはそこの指揮官。
教本は教本だし、1620年代の軍制改革で小銃も進化してるんだし、その辺も考慮すべきじゃない?
0400某研究者
垢版 |
2017/09/18(月) 23:14:39.66ID:ZV024UBL
http://photozou.jp/photo/show/1849954/241941343
弓を持つ騎乗した騎馬武者も1612年迄に書かれた
関ヶ原合戦図(津軽屏風)では割に目立つが
こうした者を選抜して騎馬武者集団の側面にでも置き
弓を連射しつつスウェーデン騎兵の側面に回り込ませ
パルティアンショットも用いて連続的に打撃を与えると言う事は出来るのかだが
0401某研究者
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2017/09/18(月) 23:28:18.56ID:ZV024UBL
大阪城攻めで使用された様な300門の砲を
スウェーデンの密集した銃兵
槍兵に撃ち込めば
損害は備の兵より大きくは成り得るのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1632%E5%B9%B4)
リュッツェンの戦いでは皇帝軍の風車の丘からの砲で
スウェーデン軍が前進を阻まれた様な例も有る訳だろうから
彼等が自らの銃の射程に日本軍を捉えようとする様な
前進を阻止したい時にも砲撃は有用なのかだが
0402名無し三等兵
垢版 |
2017/09/18(月) 23:59:17.33ID:XJUA6pzR
>399
選抜徴兵による常備軍って、欧州ではもっと昔からあるんでないの?
例えば1500年代のスペインは、国民男子から選抜徴兵+長期兵役(5%選抜で12年だっけか)
の常備兵が中核じゃん。金銭による常雇いの近衛兵兼役人を侍らすのは極普通だし‥
イヤそれらの軍は傭兵や同盟兵など外部兵が大きなウエイトを‥って事なら、当時の
スウェーデンもそうだし、てか大グスタフの軍制改革の柱の一つが、軍中核を
兵役義務による徴兵→金銭雇いの志願常備兵 で、この方向性はオランダの軍制
(徴兵義務が無く、完全に志願兵のみで構成される常備軍)に倣った物ですし
0403名無し三等兵
垢版 |
2017/09/19(火) 00:05:35.72ID:78Kxuk1g
それと、そもそも戦国期の軍編成を、後期の伊達家(それも片倉部隊)で語るのは誤りだと思う
同時代では殆ど例の無い馬上鉄砲まで導入するなど、異常な鉄砲偏重編成が伊達家で
その家臣筆頭の片倉が率いるのは、そりゃ最精鋭部隊ですから‥
0404名無し三等兵
垢版 |
2017/09/19(火) 00:37:24.21ID:a44G1Kpa
>>402
資料の読み間違えしてました。すんません
1620年代の改革で州ごとの徴兵及び州連隊の編成を改めて、現実的な連隊の編成に切り替えたって事で合ってんのかな?
手元の資料に書いてあったのは「欧州初の近代的軍制の常備軍」って事みたいだったから、そこをごっちゃにしちゃってたみたいです。
変な情報流してごめんなさい
0405某研究者
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2017/09/19(火) 22:32:42.19ID:1kJGkLq0
雑兵物語では10町(約1km)先の敵に弓を放った等と言う記述も有るが
此れは遠射用の矢でもどうなのかだが
3人張り以上等の弓で遠射用ならどうなのかだが
この様な物は騎馬武者以外は使用したのかどうかだが
通常でも500m−400mでは放っている様だが
此れは1人張りの弓なのかだが
銃も同様の距離で上手い者は発砲していた可能性も高いのかだが

雑兵物語には
関東の騎馬武者が30名集団で弓や銃迄持ち
敵に乗馬突撃したと有るが
関西の者はやらないと有るから
スウェーデンの騎兵の迎撃は無いと言う事なのかだが
乗馬突撃後銃兵が敵歩兵に銃撃したら
敵は呆気なくやられたと有るが
此れは白兵戦をしている味方騎兵が居る付近の敵に
銃を放ったのかだが
0406名無し三等兵
垢版 |
2017/09/19(火) 22:51:08.96ID:bwaAOSWI
通し矢に使われた弓はあんな低弾道で120m以上飛ばすわけで上に向けたら300mくらい飛びそう
弾丸と違って高角度で打ち上げても落下の加速で殺傷力を維持できるから有効射程は意外と長い
強い追い風なら思わぬ距離飛んじゃうそうだし
0407某研究者
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2017/09/19(火) 23:23:15.05ID:1kJGkLq0
http://www.longbow-archers.com/historycrecy.html
クレシーではロングボウは300mでクロスボウ兵に矢を放ったが
最大射程は400−450mと言う意見も有るから
日本軍の弓とほぼ同等なのかだが
ロングボウには
張力80kg等の弓も有るから此れは更に飛ぶ可能性も有るのかだが
日本軍には五人張りの張力150kgかも知れぬ弓も有るかも知れぬが
数はどうなのかだが

http://www.longbow-archers.com/historyagincourt.html
アジャンクールでは220mの距離から
ロングボウ兵が騎兵に矢を放っているし
日本の東国の弓を持つ騎馬武者及び弓を持つ東国等の弓足軽が
スウェーデン騎兵を通常の騎馬武者・馬足軽と共に迎撃
220m程度の距離から連続射撃混乱させる可能性は有るのかだが
0408名無し三等兵
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2017/09/20(水) 12:44:40.33ID:a0WOV3Ij
弓道に尋矢と言う言葉があって、これは遠矢を射て、自身の技量を確かめる稽古を指し、基準となる距離は四町(432m)。つまり技量さえあればこの辺りまでは届くし、紛れ当たりも見込めたんだろう。
狙いを付けて当たる距離は、アーチェリーのギネス記録で283.47m。クレーシーの戦いでは、狙いを付けない面制圧射撃で500m。ただ届いただけで良ければ、900mまで届いた例があるそうだ。
1kmなんて、偶然でも届きさえしないだろうね。
0409某研究者
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2017/09/20(水) 13:12:04.92ID:REZA4AM/
http://daimyoshibo.la.coocan.jp/mil/polish_hussars.html
騎馬兵に弓を放たれたら恐らく通常は低速で前進する220mでも
100m10秒の速度以上等でスウェーデン騎兵は
突入して来る可能性も有るだろうし
弓は近接迄2射程度しか出来ない可能性も有るだろうが
日本の場合は500mで馬に矢を放つ可能性も有るのかだが
弓を持つ騎馬武者はパルティアンショットをしつつ
側面に回り込み
馬足軽もパルティアンショットは出来ないだろうが此れの援護で
側面から静止射撃出来る可能性も有るのかだが
(馬足軽の恐らく小型の馬でさえスウェーデン騎兵の110−120cmの馬と
 同程度以上のサイズだろうし
 関東の馬足軽なら馬術も有り
 装甲の有るスウェーデン騎兵ならそう簡単には追い付かれるのかだが)
0410某研究者
垢版 |
2017/09/20(水) 13:20:09.86ID:REZA4AM/
スウェーデン軍の分厚い胸甲前面は
1人張りの弓では貫通出来ないだろうが
馬を倒して動きを止めた後
後方から矢を放てば薄い胸甲背面は
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part1/archives/243
上の様に近距離では深く貫通する可能性も有るのかだが

>>408
>ただ届いただけで良ければ、900mまで届いた例があるそうだ。
>1kmなんて、偶然でも届きさえしないだろうね。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~karate/html/sub_html.htm/study-busido/rekishi-4.htm
>関東の武者の弓は三人張り・五人張り(注一)、矢の長さは十四束・十五束(注二)です。矢継ぎ早に射出す一矢で、二,三人射落し、鎧の二,三領を射通します。
大名は部下五百騎以下の者はおらず、その中にこうした強弓の者二,三十人はおりまする。無下の荒れ郷一所の主人でも弓の上手の二,三人はもっておりましょう。
馬と申せば牧場から選び取り、飼い慣らしたる逸物(いちもつ)を一人に五匹、十匹は引かせております。

坂東武者は昔は強弓を使用したと言うが
戦国期の関東の弓を持つ騎馬武者も同様に
強弓を使用していた可能性は有るだろうが
1km先の馬を撃つのかだろうし
スウェーデン騎兵の胸甲前面も近距離でさえ貫通するのかだが
1km先の砲兵に射撃したら
砲撃を幾らか遅らせる程度は出来るのかだが
雑兵物語でも1km先への射撃は無謀と見ている様な記述も有るが
此れは足軽での話だろうか

逆に180cm等と言う至近距離で
敵の口等に弓を放った記述も雑兵物語に有るし
近接戦でこうした事は多用されていたのかだが
果たして何処迄の戦力に成るのかだが
0411某研究者
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2017/09/20(水) 13:50:44.15ID:REZA4AM/
>>408
>ただ届いただけで良ければ、900mまで届いた例があるそうだ。

此れは恐らく張力90kgも無い様な弓だろうが
五人張りの150kg等の弓がそれなりの数有るなら
1km先等から放たれた軽い矢でさえ装甲の無いスウェーデン砲兵の
砲撃を遅らせる程度は出来る可能性も有るのかだが

戦国期でも強弓を使う者の記述はそれなりに有るが
https://poyomaru.com/note/creative/creative-material1915/
>大高坂長門守が大高坂城より小高坂城内へ遠矢を射た際、小高坂の武士が食事をしていた飯椀に射当たった。
との記述が『土佐物語』に記述されており、両城の間は約1,100メートルあったといわれている。
が、『土佐物語』は軍記物の読み物であるため誇張されている可能性が非常に高く、

事実かは不明だがこうした例も有るが

>武田光和(戦国時代、まとめ5に記載、「10人引きの鉄弓」というおバカ武器の使い手w陰徳太平記には、
「武田光和は千鈞(約227s)の弩(ゆみ)をも易々と放つ大力量なれば、普通の人六〜七人しても張り難き大弓に、大矢取って番い、
能く引いて兵(ひゃう)と放ちたりければ〜」とある

戦国時代では記述に残るのはこの辺りが最強の弓かも知れぬが
実在性はどうなのかだが
戦国期では3人張辺りが上限の可能性も有るのかだが

>栗田重友(室町時代(1400年代真ん中ぐらい、戦国前)まとめ17におまけで記載、細川方についた石見国人、
大庭蔵人兼親の配下の強弓使いの猛将。角木に弦を番えたような巨弓を使い大太刀なみのデカさの矢を放つバケモノw
尋常の四五人張を二〜三張も合わせた、角木に弦をかけたのかとも疑う程の大弓とあるので、4〜5人張り×2〜3重=8人張〜15人張の単純計算でここにw)

戦国時代で無ければこうした例も有るが
張力は450kg等の可能性も有るが果たして事実なのかだが
0412名無し三等兵
垢版 |
2017/09/20(水) 13:52:24.86ID:58vevZHV
近世の機動砲兵って槍兵より前に出ることもあるような仕事だし、弓矢程度の妨害じゃ目に見える遅延の期待は見込めんだろうな
日本軍の弓組が全員那須与一ばりの名手なら達成できるかもしれんが

グスタフの時代にはまだ大砲の跳弾射撃が発案されてないからもっと近づけるんじゃね?
弓で超長距離飛ばせる奴集めてもスウェーデン銃兵の数には到底及ばないし、損害減らしたい気持ちもわかるが
0413某研究者
垢版 |
2017/09/20(水) 14:39:41.58ID:REZA4AM/
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/69/Battle_of_Breitenfeld_-_Opening_moves%2C_17_September_1631.png
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f0/Battle_of_Breitenfeld_-_Annihilation%2C_17_September_1631.png
ブライテンフェルトではスウェーデン軍の砲兵は移動はしているが
機動性はどうなのかだが

リュッツェンでは双方の砲兵は歩兵の前に配置され
これを奪う為に歩兵が前進した様に見えるが
砲撃開始直後に歩兵は突撃を開始していたのかだが
そうで無ければ砲撃中に弓騎兵や弓歩兵を前進させて
砲兵を可成り射撃出来る可能性も有るのかだが


>・吉田重綱(戦国時代、まとめ19に記載 吉田重政さんの孫。お話上4.7qという超絶な遠矢を射ているw少なくとも五人張は行っているだろうとの予想でこの位置w)

5人張りでは遠射用の矢でさえ4.7kmは飛ばせるのかだが
0414名無し三等兵
垢版 |
2017/09/20(水) 14:46:20.45ID:bW6zc4tN
>>396
突撃の最中、後列が前列の騎馬の間に入り隊列の密度を上げるのは面白いね

末裔?であるランシェ(軽槍騎兵)も突撃中の隊形変更を行っていましたよ
ナポレオン戦争中のヴィスワ兵団やワルシャワ大公国のランシェの例ですが
(フランス軍の戦列ランシェのポーランド人連隊も)

各中隊の兵士はランス装備のランシェ、ランスの代わりにムスクトン(騎兵銃)装備のカラビニエの2兵種に別けられていました
カラビニエが前列、ランシェが後列の2列横隊で突撃を開始
ムスクトンの射程内に入るとカラビニエは斉射を行う
斉射の完了したカラビニエをランシェが追い抜く
カラビニエはサーベルを抜刀
前列と後列が入れ替わった隊形で突撃を続行し白兵戦へ
(全員がランスを装備していた親衛隊ポーランド人ランシェ連隊は、この戦術は採用していなかったと思われます)

他には騎兵による移動方陣とか、変わった隊形を採用していました
0415某研究者
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2017/09/20(水) 14:50:26.96ID:REZA4AM/
フサリアならスウェーデン軍砲兵はどうするのかだが
重騎兵コムラーデが砲兵を迂回して
いきなりパイク兵に突撃するのかだが
軽騎兵パンセルニの弓で銃兵は幾らか混乱させ
砲兵も砲撃を受ける危険が有るなら同様に
弓で混乱させる可能性も有るのかだが
砲兵が居るなら砲撃も行うと言う事だろうか
0416名無し三等兵
垢版 |
2017/09/20(水) 15:08:52.06ID:a0WOV3Ij
分かってる限り、最も強い弓は張力が約50kgだそうだよ。
0417名無し三等兵
垢版 |
2017/09/20(水) 15:10:00.38ID:bW6zc4tN
>>411
時代は後になるけれど、南北戦争では砲兵の中でもスムースボア式火砲(ナポレオン砲とか主にブロンズ製の物)を装備していた砲兵は、ライフル装備の歩兵の火線にさらされる事に
しかし、平均的に士気の高かった砲兵達はライフルの火線下でも砲側を離れず任務を続けたと

ゲティスバーグ会戦、ピケットチャージの最中の出来事
前進してくる南軍歩兵の射撃と南軍砲兵の支援射撃により、6門(3インチ・ライフル砲)からなるカッシング中尉のAバッテリーでは次々と砲兵達が倒れて行き、終には2門の運用がやっとに
そして、数ヤード前方に迫った歩兵に最後のキャニスターを放った時には1門が可動しているのみでした
そしてカッシング中尉も最後のキャニスター射撃と同時に砲側に倒れ・・・
射程の長いライフル砲ですら、こんな戦いをする事さえ
ましてやスムースボア式の砲兵達は・・・

後日談
腹から腸が飛び出ようとする重傷を負いながら指揮を続けたカッシング中尉には、150年後に名誉勲章が贈られました
0418名無し三等兵
垢版 |
2017/09/20(水) 15:12:43.84ID:bW6zc4tN
>>413
ティリーの砲は最初の位置から動く事が出来ず、グスタフ軍に鹵獲されています
てか、即座にティリー軍に向けて砲撃を
0419某研究者
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2017/09/20(水) 15:23:55.54ID:REZA4AM/
>イギリスのイチイで作ったロングボウの最大の張力は175ポンド(80kg)あったようです
中世の平均的なロングボウの張力は36kgだったようです。

>ある資料だとモンゴル兵の弓は張力約166ポンド・約75kgだそうで、
イングランドの平均的なロングボウ(推定張力68&#12316;72.5kg)とほぼ同等かやや強いくらい。
ただしモンゴル兵は短・長2種類の弓を所持していたとの記述もあって、
そのどっちの張力のことかは分からないけど。
和弓もだいたい張力40&#12316;70kgが多く、馬上弓はほとんどが張力40&#12316;50kgだそうだ。

ポーランドのパンセルニの弓もモンゴル同様に
張力75kgの物が多いのかだが
0420某研究者
垢版 |
2017/09/20(水) 15:56:03.86ID:REZA4AM/
http://www.syaho.com/sb.cgi?eid=247
>稽古後は竹林院の長老である院主に寺の由来(下記竹林院群芳園縁起抄参照)を伺いました。長老のご厚意で、院に所蔵されている古い弓書や弓なども手にとって拝見することができました。
特に弓は分(厚み)が1寸を軽く超え、手幅もやはり1寸以上ある強弓で、実に圧巻でした。

こんな物も現存しているが何時の物なのかだが
7人張り等は有るのかどうかだが


http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200906tec/2007061120045979/prev-6.html
>強弓・・・例えば徳川美術館所蔵の浅岡兵部衛(だったかな)弓は角材に見えます。使用年は1600年です。

戦国期のこれは厚みは1寸以上等は有るのかだが


>鎮西八郎為朝が引いた弓は6人張り、と言われており、あてになりませんが一般に言われる、6分を1人張りとした場合、1寸2分になります。

為朝の弓は5人張りと言う意見も多いが
果たしてどうなのかだが
武田光和の弓の様な10人張り等と成ると木では太く成り過ぎるから
鉄製に成るのかどうかだが


>為朝の弓は鋼が仕込んであったとか、6人張り、否10人張り、シャベルサイズの鏃を付けた矢を離れ小島に打ち込んだ、等々伝説に事欠きませんね。

此れは果たしてどうなのかだが
0421某研究者
垢版 |
2017/09/20(水) 16:01:46.78ID:REZA4AM/
http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200906tec/2007061120045979/prev-6.html
>明治の関取 逆鉾与次郎 は寸弓を好んで使い、奉納射会で1寸2分の弓を引いたとか。
>一寸二分。強弓によく出てきますね、この数字。

この弓は六人張りなのかだが
こうした物は何処迄現存しているのかだが


>かの有名な関口先生はあの小柄な体系で1寸もの弓を引いたそうですが、おそらく体重<弓力だったでしょう。

>余談ですが、数年前に友人の結婚式でO氏が射手、私介添えで四方払いをおこなったのですが、O氏は50キロそこそこの体重で、40キロ程度の弓を人前で見事に引ききりました。
>これはすごい!と弓引きを見て思ったうちのひとつです。

体重200kgの力士隊の者等なら
張力150−200kg程度の弓は引けたのかだが
通常の馬で高速移動出来る体では無いと言う事なのかだが
装甲を軽くして低速移動程度なら出来るのかだが
0423名無し三等兵
垢版 |
2017/09/20(水) 16:32:31.59ID:58vevZHV
近世の戦争を個人の武勇とか一部特殊兵士で見てもどうしようもない
全兵士の水準がどの程度か、人数が揃えられるか、指揮統制は徹底してるか
武装集団の集まりがぶつかるだけの中世基準で考えても正しい考察はできない
普通の足軽が飛ばせるのは精々400m程度だろうから、それぐらいで考えるべきじゃね
0424某研究者
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2017/09/20(水) 16:54:11.35ID:REZA4AM/
100門も無い様な砲の砲手等が何処迄人数が居るか考えれば
彼等だけを狙撃するなら強弓を使う者も
果たして人数が必要なのかだが
戦国期の日本中から3人張り以上の強弓を使う者を全部集めたら
500人以上等は居るのかだが
0425某研究者
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2017/09/20(水) 17:09:12.39ID:REZA4AM/
強弓装備の騎馬武者が先ず弓を遠距離からスウェーデン砲兵に放ち
幾らか射撃が阻害されている間に
通常の弓を持つ騎馬武者・弓を持つ馬足軽が高速で前進し
大量の射撃を浴びせて砲兵をほぼ無力化と言う事は出来る可能性も有るのかだが
此れを迎撃するスウェーデン歩兵の前進はリュッツェンの様に砲撃及び
銃を持つ馬足軽等でアウトレンジし阻止
スウェーデン騎兵の迎撃は
一部に銃を持たせた打物を持つ騎馬武者で排除と言う方向も有るのかだが
0426某研究者
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2017/09/20(水) 17:38:08.09ID:REZA4AM/
スウェーデン騎兵もキルホルムでフサリアにやられた記憶が有るなら
日本側の槍騎兵を見て騎馬武者への突撃は避けるかも知れぬが
歩兵への突撃も何処迄やるのかだが
行ったとしても日本の騎兵に迎撃される可能性は有るだろうが
先に砲兵が弓で壊滅し歩兵の前進も銃砲撃で阻止されれば
この時点で撤退する可能性は有るのかだが
0427某研究者
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2017/09/20(水) 18:41:57.44ID:REZA4AM/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F%E5%BE%81%E4%BC%90
小田原征伐時の北条軍の兵は8万説も有るが
馬足軽を含めた騎兵は1万は居るのかだが
リュッツェンのスウェーデン軍の騎兵は6000程度だろうが
単独でも此れに十分対抗出来る戦力は有ると言う事なのかだが
キルホルムのスウェーデン騎兵は2500であり
2600のフサリアとほぼ同数だが
フサリアは200名しかやられていない訳だろうか

北条軍8万と2万程度のスウェーデン軍が戦えば
砲兵無しでも前者が勝利する可能性は有るのかだが
ブライテンフェルトの様にザクセン軍17000が加わればどうなのかだが
ザクセン軍の騎兵は余り役には立たない可能性も有る訳だろうか
0428某研究者
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2017/09/20(水) 18:48:52.45ID:REZA4AM/
北条軍の騎兵比率は20%と言うから
8万の兵なら馬足軽を含めた騎兵は16000居ると言う事なのかだが
8万の内武家奉公人が半分なら8000程度かも知れぬし
騎馬武者は此れより少ないなら
槍を持ってもスウェーデン騎兵には何処迄対抗出来るのかだが
弓や銃を持つ馬足軽が側面から射撃牽制しつつ
槍を持つ騎馬武者が突入したとしてもどうなのかだが
0429名無し三等兵
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2017/09/20(水) 18:50:34.95ID:58vevZHV
この時代の武器は最大射程と有効射程の幅が大きいのが多いんだよ 和弓然りマスケット然り
だから安定して長距離から火力支援できる野戦砲兵が重宝された 通常の砲弾なら有効射程1〜2kmはあるから、最低でもその4分の3は近づかにゃ打撃にはならん
大名連合の日本軍がそこまで統制の取れた機動ができるかってのが問題なわけだけど、想定と構成が近いであろう関ヶ原で見ても大半は戦闘に参加してない。大勢が決してからそれに乗じて突っ込んだだけ。
殆どの藩は集団運動の訓練もしてないから全軍一致の協調は見込めない。野戦砲が無い日本側が射撃戦を制するのは恐らく不可能。
射撃戦が主役の時代に移行する過渡期だから、全くの負け戦ってことは無いだろうけどね。 重装騎兵が協力できればなんとかなる差だろうし
0430名無し三等兵
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2017/09/20(水) 19:06:16.61ID:58vevZHV
白兵戦に重きを置くなら士気の問題もあるよな
"一番予想できない要素"とは言われるけど、個々の戦闘における武士の士気は総じて高い傾向にあるから、スウェーデン軍よりかなり勝ってる要素になると。
どういう理由で戦うかにもよるだろうけどね。帰属意識低いし
0431某研究者
垢版 |
2017/09/20(水) 19:07:35.03ID:REZA4AM/
北条軍8万の内銃・弓の比率は20%であり
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Breitenfeld_(1631)#Tactical_overview
ブライテンフェルトのスウェーデン・ザクセン軍の銃兵
11000よりは多い16000は居ると言う事なのかだが
8万の内武家奉公人が半分なら8000だろうが
8%の弓の発射速度は考慮する必要は有る訳だろうか

北条軍の基本戦術としては
弓を持つ騎馬武者・弓を持つ馬足軽で砲兵を早期に排除
スウェーデン軍歩兵は歩兵や銃を持つ馬足軽のアウトレンジ射撃で足止め
砲兵壊滅後スウェーデン騎兵を騎馬武者が排除し
スウェーデン歩兵をアウトレンジ射撃で混乱させた後
騎兵・歩兵が突撃すると言う
方向なのかだが
0432名無し三等兵
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2017/09/20(水) 19:14:48.96ID:58vevZHV
大名同士の連携を考えるのか、もしくは最高指揮官一人に全軍を統括指揮させるのかで考察の内容自体も変わる
関ヶ原式の諸侯連合なのか、徳川家単体なのか
0433名無し三等兵
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2017/09/20(水) 19:28:55.19ID:58vevZHV
>>431
日本側は、投射部隊が槍兵の補助に回るって構成である以上、銃兵主体の作戦が採られることはたぶん無い
スウェーデン軍の基本方針は戦闘レベルでの三兵連携。砲兵を散開弓兵が狙えば騎兵を出してくるし、騎馬武者に散兵を直衛させれば砲兵の火力支援下で歩兵が前進する。各兵科が協調して運動する訳だから全体を捉えないといけない
それに、ターン性のRPGじゃないんだからそんな緻密に立てた作戦はまず実行できないよ。スウェーデン軍はグスタフ・アドルフの指揮下で流動的に機動する傾向にあるから、そもそもの作戦が予想できないんだけども
ただ、大名連合で戦場の変化に対応できるか、っていうと厳しいと思う。
0434某研究者
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2017/09/20(水) 19:31:34.68ID:REZA4AM/
>>429
>関ヶ原で見ても大半は戦闘に参加してない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E5.B8.83.E9.99.A3
>西軍は総兵力のうち、戦闘を行っているのは3万3,000ほどながら、地形的に有利なため戦局をやや優位に運んでいた。
しかし、西軍は宇喜多、石田、小西、大谷とその傘下の部隊がそれぞれの持ち場を守って各個に戦っているだけで部隊間の連携が取れているとは言えなかった。
それに対し、部隊数、実際兵力数で上回る東軍は西軍一部隊に対し、複数の軍勢が連携して、同時多方面から包囲攻撃を仕掛け、または入れ替わり立ち代り波状攻撃を仕掛けるなどして間断無く攻め立てた。
さらに遊撃部隊として最前線後方に控えていた寺沢勢、金森勢が増援として加わったため、時間が経つにつれて次第に戦局は東軍優位に傾き始め、特に石田隊は攻撃を受けて柵の中に退却していた。

東軍の正面は戦闘参加していた部隊は割に多いと言う事では無いのかだが
西軍も毛利軍や長宗我部軍は徳川と内通していた味方に妨害されて動けなかっただけだろうし
脇坂勢は側面の小早川勢を牽制する為に配置されていた訳だろうか
0435某研究者
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2017/09/20(水) 19:53:21.43ID:REZA4AM/
>大名同士の連携を考えるのか、もしくは最高指揮官一人に全軍を統括指揮させるのかで考察の内容自体も変わる
>関ヶ原式の諸侯連合なのか、徳川家単体なのか

単純化の為に騎兵比率の多い8万の北条軍単体か
或いは此れに大阪城攻めで使われた様な300門の大砲を
加えると言う事でも良いだろうか


>日本側は、投射部隊が槍兵の補助に回るって構成である以上、銃兵主体の作戦が採られることはたぶん無い

220m以遠で銃を大量に放ち
500−400mで矢を打ち尽くす程に弓を射撃している様な軍が
槍兵の突撃前に射撃武器の集中を考慮しないのかと言う事は有るだろうが

長篠ではほぼ全部隊の銃兵が前部に集められ
弓兵も同時に集められていた可能性は高いのでは無いのかだが
とは言え北条軍でこうした事は何処迄したのかだろうし
馬足軽を含めた騎兵集団でこの様な事は有るのかだが
騎兵主体の様な軍勢が一番先に射撃を開始したスウェーデン軍砲兵を
騎兵で叩こうと考えるのは自然かも知れぬが
射撃武器での攻撃に拘るかどうかと言う事は有るだろうか
0436某研究者
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2017/09/20(水) 19:55:44.34ID:REZA4AM/
>スウェーデン軍の基本方針は戦闘レベルでの三兵連携。
>砲兵を散開弓兵が狙えば騎兵を出してくるし、

此れは護衛の槍騎兵も居ればどうなのかだが
槍を持つ騎馬武者の側面前部或いは前方に弓を持つ騎馬武者
側面に飛び道具を持つ馬足軽と言う様な編成には成るのかどうかだが


>騎馬武者に散兵を直衛させれば砲兵の火力支援下で歩兵が前進する。

日本軍の騎兵もそう密集していない可能性も有るから
短時間では砲兵で無力化出来ない可能性も有るのかだが
0437某研究者
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2017/09/20(水) 20:04:32.97ID:REZA4AM/
>スウェーデン軍の基本方針は戦闘レベルでの三兵連携。
>砲兵を散開弓兵が狙えば騎兵を出してくるし、

槍足軽を弓や銃を持つ馬足軽の付近に置き
槍足軽は(出来れば馬上筒も持たせ)スウェーデン軍騎兵を迎撃
弓を持つ馬足軽は砲兵を継続して攻撃沈黙させた後は
スウェーデン騎兵を攻撃
スウェーデン歩兵が突撃したら銃を持つ馬足軽及び砲兵で足止めしつつ
必要なら歩兵も前進しアウトレンジ射撃で足止め
スウェーデン砲兵・騎兵が壊滅したら歩兵に射撃を集中後
騎馬武者・歩兵が突撃と言う様な事は何処迄出来るのかだが
0438某研究者
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2017/09/20(水) 20:07:15.65ID:REZA4AM/
>>437
>槍足軽を弓や銃を持つ馬足軽の付近に置き
>槍足軽は(出来れば馬上筒も持たせ)スウェーデン軍騎兵を迎撃

上の槍足軽は騎馬武者の間違いだが
馬足軽と騎馬武者は混ざって行動しているのかだが
馬足軽は東国の騎馬武者と異なり下馬戦闘主体だから
東国では備を西国より利用している事も有り
分けられている可能性も高いのかだが
0439名無し三等兵
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2017/09/20(水) 20:08:44.44ID:58vevZHV
日本で完全乗馬の騎馬武者が独立運用されたのなんて源平合戦ぐらいじゃん
もし従者も槍持ちも捨てて編成したとして、個人の手柄を目的とする武士が厳格な指揮に応じるかどうか
砲兵を超長距離から排除or妨害できるような剛腕射手隊もいないし、独立弓騎兵隊も存在しない。馬上筒も短筒も装備してるのは一部兵士だけ
1630年時点の日本軍に30年戦争の火力戦争ができるか、ってことだよ
0440名無し三等兵
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2017/09/20(水) 20:17:20.14ID:58vevZHV
単純に"こういう強い兵士がいたんだからこいつらだけで編成した部隊作ればいい"というのは歴史考察ではなく仮想戦記
純粋な要素を比較して初めて考察になる

重砲兵は確実に兵を削るし、数時間のうちに弓矢で成果を挙げれる距離に近づけば圧倒的数の銃兵に押し負ける
「こちらは損害受けずに相手だけこちらの狙撃で死んでいく」という戦争は不可能だし、日本の弓兵火縄銃兵の割合はそんなことができるほど高くない
小部隊の独立運用が成果を上げるのは火力が確保できるようになった19世紀から。もしくは火力戦以前の中世の戦争。近世には時代遅れ
0441某研究者
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2017/09/20(水) 20:30:09.63ID:REZA4AM/
>日本で完全乗馬の騎馬武者が独立運用されたのなんて源平合戦ぐらいじゃん

単純にスウェーデン砲兵に日本の部隊がアウトレンジされている状況なら
此れを出来るだけ早期に叩く為に
北条軍の場合は
各部隊の騎馬武者・馬足軽が個別にでは有るが一斉に砲兵に向かう可能性は有るだろうし
砲兵に向かう途中で恐らく一部の弓を持つ騎馬武者と
馬足軽部隊は射撃もするだろうが
弓を持つ騎馬武者は長時間の射撃はするのかだが
此れをスウェーデン騎兵が迎撃したら
恐らく下馬して射撃している馬足軽より先に
槍を持つ騎馬武者が迎撃するかも知れぬし
彼等が乱戦に成った後は全ての馬足軽は騎馬武者を支援せず
スウェーデン砲兵や馬足軽に向かう歩兵に射撃を加える可能性も有るだろうし
日本軍の歩兵もスウェーデン砲兵を叩く為に最初から前進しているなら
前進して来るスウェーデン歩兵に可成り接近している可能性も有るなら
此処で先に射撃を加えられる可能性も有るだろうし
この時点ではスウェーデン砲兵も可成り沈黙し日本軍歩兵の前進を
阻止出来ない可能性も高いのかだが
砲兵沈黙後は馬足軽部隊は歩兵或いは騎兵に射撃を集中し
スウェーデン騎兵壊滅後は
歩兵に射撃を集中後
騎馬武者や歩兵が突撃と言う事に成るのかだが
0442名無し三等兵
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2017/09/20(水) 20:44:03.02ID:58vevZHV
>>441
「かもしれない」「可能性」は断定を避けるために言ってるんだろうけど、それでいう最善の行動が毎回採られるとは考えられん
医薬分業してる砲兵を備える歩兵陣に一斉突撃してもティリーの二の舞。
「先に撃てる」「迎撃が間に合う」というのは近代戦の考え。先にも書いたけど、近世は有効射程が極めて短いからその射程外での射撃戦が長く継続される傾向がある。
その距離を詰めて打撃を与えるには日本の軍は力不足。というか火力不足。
0443某研究者
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2017/09/20(水) 20:50:38.37ID:REZA4AM/
>重砲兵は確実に兵を削るし、数時間のうちに弓矢で成果を挙げれる距離に近づけば圧倒的数の銃兵に押し負ける

密集したテルシオでさえ砲撃でそう短時間では壊滅していないし
クレシーではロングボウ兵に盾を持たぬクロスボウ兵が割に短時間で
混乱し無力化されていた様にも見えるし
100門も無い様な砲を操作する人員を
砲撃をほぼ不能とするのにそう時間は掛かるのかだが
日本軍の8000−16000の騎兵の内弓を持つ馬足軽は
どの程度の数なのかだが
鉄砲を持つ馬足軽も下馬して上手い者に銃を渡せば
300m程度の精度の高い射撃は出来ないのかだが
日本軍の歩兵が騎兵と同時に砲兵を叩く為に前進していたなら
馬足軽を迎撃して来るスウェーデン歩兵を射程に捉える距離には
射程差も有り早期に来ると言う事では無いのかだが
此れを沈黙しつつ有るスウェーデン軍砲兵が
日本軍が割に散開している事も有り
少なく共大半を足止め出来る共思えぬ訳だろうか


>「こちらは損害受けずに相手だけこちらの狙撃で死んでいく」という戦争は不可能だし、
>日本の弓兵火縄銃兵の割合はそんなことができるほど高くない

クレシーやアジャンンクールでは英軍の死者は150名以内と言う説も有るし
キルホルムでもフサリアは100名しか死んでいないから
一方的な戦争が不能と言う訳でも無いだろうか
8万の北条軍なら
歩兵の飛び道具の数は
ブライテンフェルトのスウェーデン・ザクセン軍よりやや少ないか
多いと言う事だろうか
0444名無し三等兵
垢版 |
2017/09/20(水) 20:58:19.82ID:58vevZHV
単純に考えて、重砲陣地からの支援射撃と連隊砲兵による適切な火力支援を受けられる銃兵主体の横隊梯団に日本の鈍重な大筒と分散運用の弓、小銃で射撃戦やっても勝敗は明白。
だから対策に超長距離射撃の弓兵とか騎馬弓足軽とか考えるんだろうけど、現実に編成できてない以上無茶でしかない。弓足軽にはそんな大役担えん
歩兵による白兵戦を想定する軍隊が射撃戦や騎兵戦に持ち込もうとするのは論外
縦深をとって陣地戦やるのが戦国後期の主流だったんだからこちらで考察すべきじゃない?
0445某研究者
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2017/09/20(水) 21:12:19.40ID:REZA4AM/
>だから対策に超長距離射撃の弓兵とか騎馬弓足軽とか考えるんだろうけど、現実に編成できてない以上無茶でしかない。
弓足軽にはそんな大役担えん

弓や銃を持つ馬足軽は現実に関東に相当数居ただろうし
馬術の上手い関東の馬足軽なら只馬で移動する歩兵と言うだけでも無いと言う事かも知れぬが


>歩兵による白兵戦を想定する軍隊が射撃戦や騎兵戦に持ち込もうとするのは論外

長篠では銃兵を選抜しての射撃戦を行っているし
加藤清正の部隊等は槍足軽は居らず
島津軍等は銃は全員装備な訳だろうか
立花宗茂も移動しての銃撃戦を主体としていた様に見えるが
果たしてどうなのかだが
騎兵は基本的に馬足軽での射撃戦を想定していると言う事だが
此れと同時に移動した槍を持つ騎馬武者が
馬足軽の様に下馬戦闘していないなら先にスウェーデン騎兵を迎撃すると言う事だが


>縦深をとって陣地戦やるのが戦国後期の主流だったんだからこちらで考察すべきじゃない?

ポーランド軍相手に陣地に篭もるだけでは
長時間の砲撃で銃をアウトレンジされ続け
壊滅すると言う様な意見も前に有ったが
スウェーデン軍に対し長篠の様な陣地に砲兵の弾が尽きる迄篭っても
多少散開してさえ同様の事に成る可能性が高いのかだが
ラヴェンナの戦い等では陣地に篭もる兵が
密集度合いは違うだろうか砲で可成りやられていただろうか
0446名無し三等兵
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2017/09/20(水) 22:01:35.49ID:58vevZHV
それら全てが1630年の日本の軍隊としては例外的なんだよ
独立弓騎兵、馬上筒装備の騎兵隊はこの時代としては全くの異例 しかも数十人規模の特殊兵科扱い
それにほとんどの大名は銃兵を補助的兵科としてしか編成してない。軍事的先進藩は徳川政権で揃って衰退した。
まだ火砲導入に意欲的だった徳川家もオランダのお下がりを廻してもらっただけ。挙句幕末まで蔵に押し込めて全く研究もしてない
「1630年のスウェーデン軍と日本の武士軍が戦うとどうなるか」という題で考察する以上、特例をかき集めた編成を基準に考えるのはズレた話
平和な時代が無くて軍事的に進化した世界として考えてもそういった異色の部隊が出現するとは考えにくい
日本とスウェーデン、標準的な編成同士での考察がしたいのに
0447某研究者
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2017/09/20(水) 22:05:37.27ID:REZA4AM/
関東や東国の騎馬武者なら
集団で乗馬した騎馬武者相手の乗馬戦闘は
割合行って居るかも知れぬが
6000+2000等の騎兵の大集団相手の乗馬戦闘は
槍を持ち頭数は揃っていても
何処迄出来るのかと言う事は有るだろうか
0448名無し三等兵
垢版 |
2017/09/20(水) 22:13:56.92ID:58vevZHV
>>445
陣地戦ってのは有利な土地を奪い合う戦争って意味ね 分かり辛くてごめん
日本の戦国時代はヨーロッパと同じように歩兵の密集陣が主流になった訳だけど、向こうと違って開けた土地が殆どない、条件の尖った野戦と攻城戦を主とする時代だった訳じゃない
そこからくる軍事的な違いがどうなるか、って考察の方が有意義じゃない?って事が言いたかった
0449某研究者
垢版 |
2017/09/20(水) 22:18:34.50ID:REZA4AM/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
通常の備は最大で800名
本陣備の場合は1500名と有るから
800名の備の騎馬武者は恐らく80人程度であるなら
関東・東国の騎馬武者なら
こうした単位での乗馬した集団戦は出来たのかだが
雑兵物語では関東の30名の騎馬武者集団が
乗馬して突撃して来たと有るが
此れは300名程度の備の騎馬武者の集団と言う事なのかだが
6000のスウェーデン騎兵は小単位では動いている様に見えないが
日本側の騎馬武者の小単位が大量に突入し包囲殲滅と言う様な事は
果たして出来るのかだが
タンネンベルクではポーランド騎兵の側面攻撃で
ドイツ騎士がやられているが
其の様な攻撃は有り得るのかどうかだが
0450名無し三等兵
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2017/09/20(水) 22:22:48.95ID:5XjfqyDs
アウトレンジ、アウトレンジ・・・
何故そこまで拘るの?
一寸、理解出来ないのですが・・・

スウェーデン軍は既にキャニスター弾を採用していましたよ
17世紀に広まった弾種と戦術なので、当時の日本には未紹介だと思います
350ヤードから重キャニスター弾
250ヤードから軽キャニスター弾
(何れも操典上の数字なので、実際はもう少し遠距離から使用)

ナポレオン戦争でのイギリス軍6ポンドカノン1門によるキャニスター戦術?の戦果ですが
対騎兵
400ヤードから開始して2回射撃
死亡9騎、負傷23騎
対歩兵
400ヤードから開始して10回射撃
死亡30名、負傷90名

巨大散弾銃と化した野砲は兵士にとっては悪夢
まぁ、だからこそ「アウトレンジする」と言いそうですが、その火縄銃や和弓の散兵線も有効射程内に捉えています
因みにキャニスターはラウンドショットに比べて、散兵に対し、物理・精神両面での効果が高いと
0451某研究者
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2017/09/20(水) 22:51:53.00ID:REZA4AM/
>>450
散弾もそうした威力を短時間で連続出来るなら
テルシオ等短時間で壊滅しそうな物だが
現実には相当の時間が掛かっている様に見えるが
リュッツエンの風車の丘からの砲撃もスウェーデン軍を壊滅迄させはしていないだろうが
400ヤード(365.76m)なら
雑兵物語を見る限り
足軽でさえ和弓を400−500mで射撃を開始していると言うなら
アウトレンジ出来無くも無い距離かも知れぬし
砲兵に射撃を集中すればだろうが
スウェーデン軍でさえ砲は100門は無いが
8万の北条軍の弓足軽は3500−7000人は居ると言う事だろうが
弓を持つ馬足軽・騎馬武者の総数はどうなのかだが
400mを射撃出来る上手い銃兵に銃を大量に渡しても
何処迄の射撃が出来るのかだが
0452某研究者
垢版 |
2017/09/20(水) 22:58:16.49ID:REZA4AM/
フサリアの弓を持つ軽騎兵パンセルニなら
350m等から散弾を放つ砲兵も
弓で短時間で壊滅させられる可能性も有るのかだが
フサリアの重騎兵コムラーデも
散弾を放つ砲兵にいきなり突入した例は
有るのかどうかだが
0453某研究者
垢版 |
2017/09/20(水) 23:00:49.36ID:REZA4AM/
騎馬武者集団もそうした散弾を放つスウェーデンの砲に突撃し
幾らかやられた後
接近するのを躊躇し
結果弓を持つ馬足軽等がアウトレンジ射撃する事に切り替えて
結果砲兵が短時間でやられると言う可能性も有るのかだが
0454名無し三等兵
垢版 |
2017/09/20(水) 23:48:51.66ID:58vevZHV
ブライテンフェルトでは3ポンド砲の散弾の斉射でテルシオが壊滅してる。100m以内の至近距離だけど。
逆に離れすぎると24ポンド砲の砲撃に晒されることになるから、スウェーデン軍の砲撃相手に射撃戦展開できる距離はだいたい300m〜500mぐらいかな
流石に馬上からこの距離で有効射見込むのは無理だからもう少し接近しての射撃になるね
弓で大砲にアウトレンジするのは不可能だし、連隊砲がキャニスターの再装填にかかる時間は6段の銃兵が補うから弓騎兵では勝負にならない
スウェーデン銃兵の発砲間隔は平均1分3発。それが6段だから約3秒に1斉射来る。横隊1列は16人。それに軽砲のキャニスターも一個連隊に2門ずつ加わる。
小銃の有効射程100mというのは相手に有効な損害を与えることができる距離ってことだから、制圧射撃するのならもっと遠くからでも出来る。400m先でもこのレートで弾バラまかれたらキツイんじゃないかな
いけるとしたらネルトリンゲン時みたいにスウェーデン軍を知り尽くした人物が総大将に就いてる場合か
0455某研究者
垢版 |
2017/09/21(木) 00:02:20.17ID:yAw4hyho
>流石に馬上からこの距離で有効射見込むのは無理だからもう少し接近しての射撃になるね

馬足軽なら乗馬しての射撃は基本的に
無いと言う事では無いのかだが
時間が経過すれば後方の3500−7000の弓足軽及び
高精度の射撃が出来る一部の鉄砲足軽も
幾らかは前進して砲兵を射程に捉えると言う事だろうか


>スウェーデン銃兵の発砲間隔は平均1分3発。それが6段だから約3秒に1斉射来る。
>横隊1列は16人。それに軽砲のキャニスターも一個連隊に2門ずつ加わる。
>小銃の有効射程100mというのは相手に有効な損害を与えることができる距離ってことだから、制圧射撃するのならもっと遠くからでも出来る。400m先でもこのレートで弾バラまかれたらキツイんじゃないかな

スウェーデン銃兵がそれ程遠距離から
高精度な多段連続射撃が出来るなら
フサリア騎兵は散開して縦に列を深くしても
前列から連続で列を崩されてほぼ突撃出来ないと言うでは無いのかだが
0456名無し三等兵
垢版 |
2017/09/21(木) 00:09:57.12ID:+eRrpv0O
それに連隊砲兵はあくまで支援兵科
主力はさらに機動力のある銃兵だからその程度の距離差は数分で詰まる。
まさか後退しながら射撃戦やる訳にもいかんし、銃兵の密度が違うから火戦でもかなり不利
そもそも弓ごときで短時間に制圧するのは不可能。遠距離のあれは時間をかけ敵をて削るためのものだ。ライフルじゃない
0457名無し三等兵
垢版 |
2017/09/21(木) 00:25:20.28ID:+eRrpv0O
>>455
軽砲兵を有する横列銃兵に乗馬弓兵が接近してだいたい500mで下馬、そのまま射撃戦ってこと?
その距離じゃ打撃は与えられんし、その編成で火力を集中するのも困難だろ
それに射撃が上手い鉄砲足軽が各個に射撃戦やるのはこの規模でやることじゃない。もっと小規模の戦いでないと指揮に支障を来す
火縄銃でカノン砲兵の狙撃とか絶対不利のマッチング。向こうにもホイールロックの銃兵がいるし、カノン砲はもっと正確に狙ってくる。散兵線敷くと密集銃兵の火力に打ち勝てない

フサリアがスウェーデンの弾幕を突破できたのは品種改良された良質の軍馬と騎兵の大規模な独立運用(←大事)のため。野戦砲兵の火力支援もあった。
日本の軍制じゃできない、作れない。
0458某研究者
垢版 |
2017/09/21(木) 11:23:19.98ID:3IilYpol
>そもそも弓ごときで短時間に制圧するのは不可能。
>その距離じゃ打撃は与えられんし、その編成で火力を集中するのも困難だろ

スウェーデン銃兵・砲兵はクレシーのクロスボウ兵と違い
ブリガンダイン等の装甲は無いし
400ー500mでさえ弓を受ければクロスボウ兵より短時間で
射撃不能に陥る可能性は無いのかだが
クレシーのクロスボウ兵は射程の差を詰める為に
射撃の中前進出来た様な記述も見ないが


>それに射撃が上手い鉄砲足軽が各個に射撃戦やるのはこの規模でやることじゃない。

>「泗川の戦い」では、10倍の敵軍に対して百発百中の鉄砲の腕前と銃を次々取り替える事で速射する技での一斉射撃を家臣と共に披露して、
史上最大規模の釣り野伏せを成功させるのに尽力し、種子島久時は、馬や従者にもたせた鉄砲を次々と使いながら戦場で敵を屠り続けた。

泗川の戦いでは明軍は4万或いは8−20万も居ただろうが
こうした中でも種子島久時に
大量に銃を渡して高精度の射撃をしている訳だろうか
(家臣も射撃した有るから家臣にも高精度の
 銃を大量に渡す射撃が出来た者が
 割合数が居た可能性も有るのかだが)
0459某研究者
垢版 |
2017/09/21(木) 11:28:39.48ID:3IilYpol
>野戦砲兵の火力支援もあった。

https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Kirchholm
キルホルムではポーランドの砲は5門しか無いが
突撃は成功していると言う事だろうか

グスタフがやられた後スウェーデン軍が
圧倒的多数でも無いテルシオに破れる程弱体化したのは不可解だが
1640年台の戦争では再びテルシオに勝利はしている訳だろうか
0460某研究者
垢版 |
2017/09/21(木) 11:53:12.41ID:3IilYpol
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83
>1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行う方法があり、これにより素早い連射が可能である。
これは鉄砲傭兵集団としてその名を知られた雑賀衆、根来衆の得意とする戦術であった。石山合戦で本願寺側に付いた彼らは、織田勢を大いに苦しめた。
この射撃手・助手を分業する射撃運用法を烏渡しの法と上杉流軍学では称したと伝えられ、また後世紀州徳川家においては薬込役という、御庭番の前身である職名にその痕跡を残している。

射手に鉄砲を大量に渡す方法は割合普及していたのかだが
400m先を狙撃出来る様な上手い人間に銃を大量に渡すと言う事は
何処迄していたのかだが
0461名無し三等兵
垢版 |
2017/09/21(木) 11:57:45.16ID:+eRrpv0O
>>458
前時代の明軍に薩摩島津の鉄砲隊が圧勝できるのは当たり前。それを自軍と同水準の軍隊相手に同じように行けると思うのはオムダーマンで慢心した英軍と変わらん
日本側の火力不足が問題。火縄銃では密集できないし、安定して火力を供給できる野砲が無い。
刀と槍を持った10倍の相手に勝てても、銃兵の差が1,5倍あればそれだけで火力差は引っくり返る。それを補えるだけの水準を全軍が満たせるか、数を揃えられるか
それに近世の軍隊にとって1000mはすぐ詰まる。その間に砲兵を持たない投射兵で圧倒するというのは低い確率に期待を寄せ過ぎてる。スウェーデン軍を明国の中世封建軍と同質と見てるならそれは間違い
そういう不確定要素に勝ち目を見出すことは不安定過ぎる。仕方ないことだけど
0462某研究者
垢版 |
2017/09/21(木) 12:15:48.85ID:3IilYpol
騎兵・歩兵も同数ではスウェーデン軍が仮に優勢であれ
関東・東国の単独で乗馬戦闘出来る騎馬武者は
1万以上は居るだろうし
日本全国の歩兵は15万は居るだろうから
この全軍と同時に当たれば
関東・東国の騎馬武者・馬足軽集団1万以上が前進し
先に砲兵を攻撃
同時に砲兵を攻撃する為に歩兵15万も前進すれば
此れをスウェーデン軍は何処迄迎撃出来るのかだが
0463名無し三等兵
垢版 |
2017/09/21(木) 12:19:18.88ID:+eRrpv0O
>>460
つまり火力を集中する(兵士を集中させる)のではなく、高精度の射撃ができる射手に数名の助手つけて散兵線引かせるってことでいいのかな
全前線に展開できるのなら通常の射撃戦にはかなりの戦力になるだろうけど、そんな編成を採ってた江戸大名っていたっけ?
絵図を見る限り織田も徳川も小早川も一人一丁が標準っぽいし、密集銃兵の火力に打ち勝てるだけの密度(もしくは発射速度)が野戦で作り出せるかどうか
歴史を見る限り、スウェーデンは軽砲まで開発して最前線での火力の展開を求める軍隊だから、それに勝てるだけの銃兵運用が当時の日本に無いといけない
てか1630年時点の各大名、そこまで出来るほど銃兵偏重の軍編成じゃなかっただろ。 あくまで槍兵が歩兵の中核。
0464名無し三等兵
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2017/09/21(木) 12:37:21.57ID:+eRrpv0O
>>462
銃兵と砲兵の連携を突破して白兵戦に持ち込めれば、歩兵同士の殴り合いになるから数の多い日本軍側は勝算が高いだろう
それに到達するまでの損耗が問題だけど、側面機動を牽制しながら前面に火力を集中するグスタフの運用に、指揮の統一が未熟な日本武士連合で押し切れるか
スウェーデンの全兵力は5万強だけど1戦役だと3,4万が限界っぽいし、1630年の日本全国の武士(戦闘員)かき集めたら圧倒的な人数差になる。1630年じゃまだ官僚化もしてない。
これだけの戦力差作り上げられたら勝ちはほぼ確定かな
0465某研究者
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2017/09/21(木) 12:43:24.00ID:3IilYpol
>絵図を見る限り織田も徳川も小早川も一人一丁が標準っぽいし、密集銃兵の火力に打ち勝てるだけの密度(もしくは発射速度)が野戦で作り出せるかどうか

鉄砲足軽に別の足軽が銃を渡している様に見える絵なら
https://i.pinimg.com/originals/2a/ac/dc/2aacdcd755b312add0f9d5b048b40a24.jpg
上の大阪冬の陣図にそれらしき場面が有るが
何処迄利用されたのかだが

15万の日本軍歩兵(西国の単独で乗馬戦闘しない騎馬武者含む)なら
銃兵・弓兵は30000は居るだろうし
此れを長篠の様に全軍から抽出して前列に置けばだろうが
白兵戦も歩兵の中には騎馬武者が15000は混じっているから
そう弱いのかどうかだが
0466某研究者
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2017/09/21(木) 13:03:43.99ID:3IilYpol
火縄銃を持つ日本軍の銃兵は
暴発の問題で密集出来ない等と有るが
https://www.youtube.com/watch?v=E039VnRNTIU
上程度には密集出来るのかだが
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3c/Ashigaru_using_shields_%28tate%29.jpg
上の様な絵を見ると更に密集している様に見えるが
現実にはどうなのかだが


日本軍の銃兵の多段射撃はどうなのかだが
400m等の遠距離では上手い人間に銃を渡しているかも知れぬが
近距離ではどうなのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83#.E5.85.B5.E5.A3.AB.E3.81.AE.E9.85.8D.E7.BD.AE
>三段撃ち:長篠の戦いで織田軍が採用したという著名な配置。雑賀衆が遅くとも1568年(永禄11年)あたりまでにはすでに実戦で用いていたという説もある。この三段撃ちについても大議論がある。
中国明末の崇禎11年(1638年)刊行の畢懋康『軍器図説』に収められた「輪流放銃図・輪流進銃図・輪流装銃図」には15人の人物が5人3列に並び、三段撃ちをしている図が描かれている。16世紀までの明の軍学書に同様の記載が見られないことから、
文禄・慶長の役で日本軍と戦った明軍が日本の火縄銃を大量に鹵獲するとともに投降した日本人(降倭)から運用法を学び、楊応龍の乱平定などの実戦機会を経て、三段撃ち等の日本式火器使用法を取り入れていったのではないかとの見方もある[24]。

>繰り出し:三段撃ちの要領で、さらに銃列を前進させる戦術。薩摩の島津氏が用いて、関ヶ原の戦いで中央突破に成功している。

と言う事が行われていた可能性も有るだろうが
仮に無いとしても
15万の日本軍歩兵の内弓兵は15000だろうから
此れは連続射撃は出来ると言う事だろうか
0467名無し三等兵
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2017/09/21(木) 13:10:49.26ID:+eRrpv0O
>>465
大阪冬の陣はしっかり腰を据えた攻城戦だからなあ
大阪側も城内で同じような事してた記録はあるから結構普及してた運用なんだろうけど、野戦でそれやってたか、やれるかって話
銃兵の密度下がるし、野戦だから装填手が身を隠す場所も確保できない。それなら全員が撃った方が回転率高い
日本全国から兵士集める場合には各大名軍が1単位になるだろうから、その編成を徹底できるかだろうね
もしくは鉄砲兵何人、騎馬武者何人って供出させて一旦再編成するとか 防人方式で
0468某研究者
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2017/09/21(木) 13:29:36.27ID:3IilYpol
騎兵を抽出するにしても
雑兵物語に有る様に
西国では騎馬武者単独の乗馬突撃は無いと言う意見が多いが

http://paomaru.dousetsu.com/file/05_senjutu_012.html
>騎兵戦術で名前が残っているものは三つ存在し、『乗り切り』『乗り崩し』『乗り込み』の三つです。
『乗り切り』は合戦の最中、味方と交戦する敵が浮き足立ったあたりでトドメの一撃として騎兵の小部隊を突撃させて敵を敗走させる戦術です。
戦闘中で敵が混乱していれば迎撃される心配も少なく、槍ふすまによって対処される恐れもありません。おそらく最も使いやすく正しい騎兵戦術でしょう。
『乗り崩し』は逆に、敵が対処できない隙を突いて騎兵を突入させ、相手をかく乱させ、そこに歩兵を突入させる戦術です。
いずれも騎兵と歩兵の共同作戦が前提であり、弱点の多い騎兵を単独で用いることはあまりやらなかったのではないかと思います。
最後の『乗り込み』は本格的に戦端が開かれる前、敵の陣がまだしっかりと組まれていないと思われるところに騎馬武者のみで物見を立てるという戦術です。

こうした騎兵の戦術は東国しか無かったと言う事なのかだが
西国の場合銃兵をアウトレンジして来る砲兵を
早期に排除する為に
騎馬武者だけ前進と言う可能性も無いのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:77bfa3ad753b2994479210bef5c6504a)
0469名無し三等兵
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2017/09/21(木) 13:53:30.55ID:+eRrpv0O
>>468
スウェーデンの連隊砲は各連隊の間隙を縫うように配置されてるから、砲兵に近づくということはパイク兵の槍衾と銃兵の射撃に近づくのと同じこと
それに、歩兵連隊に追従させる運用だから「乗り込み」による奇襲で砲兵だけ潰すというのも非現実的
戦史を見る感じスウェーデンの騎兵は相手の騎兵の迂回機動を妨害する運用だから、騎兵単独での攻勢はかなり無謀
騎馬武者を騎兵として活用させるなら、弓、火縄銃兵の支援下で運動する歩兵の補助役として独立運用すべき。長槍の密集陣は対騎兵の防護策でもある訳だから
0470某研究者
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2017/09/21(木) 14:33:41.97ID:3IilYpol
日本軍も歩兵が前進し砲兵を射程に捉える前に
出来るだけ砲兵の射撃を妨害したいと考えれば
独立行動出来る関東・東国の騎馬武者・馬足軽だけが先に前に出て
砲兵の活動を射撃で妨害と言う方向も有るかも知れぬし
馬足軽は誰と戦う際であれ敵が弓や銃の射程に入れば自動的に下馬して
射撃を開始するという事では無いのかだが
騎馬武者は此れをスウェーデン騎兵が妨害に出たら
迎撃するが
スウェーデン騎兵は別段壊滅出来ず共
歩兵が砲兵を射程に捉える迄
馬足軽への攻撃を阻止出来れば良い訳だろうか
0471某研究者
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2017/09/21(木) 15:18:53.21ID:3IilYpol
https://www.youtube.com/watch?v=ZfJF14FdX4k
上の火縄銃の序盤の射撃の列の
奥の方は可成り横方向が密な気もするし
横断歩道の模様の位置を見ると遠近感の所為では無いだろうが
現実に此処迄密集して放っていたのかだが
0472某研究者
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2017/09/21(木) 15:37:59.57ID:3IilYpol
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561347188/
こうした鉄砲足軽の盾も400m程度遠方からの散弾や銃弾なら
止まる可能性は有るだろうが
何処迄使用されていたのかだろうし
歩兵の前進速度を鈍らせ散弾では無い砲撃を受ける時間が増える危険は
有る訳だろうか
0473某研究者
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2017/09/21(木) 16:06:46.04ID:3IilYpol
馬足軽には盾等有るのかだが
無いとしても
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561798789/
上の様な形で馬を盾とする射撃はしていた可能性も有るのかだが
此れは江戸期の絵だろうが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561798826/
上の鎌倉期の平治物語絵巻・六波羅合戦巻でも
馬を盾にして射撃している様な描写も有る様に見えるが
戦国期ではどうなのかだが

後方から来る歩兵集団も砲兵が射程に入った段階で
重い盾では無く随伴している騎馬武者の馬を全面に置いて
盾にし射撃すると言う方向も有るのかだが
此れには時間が掛かる可能性も有るのかだが
0474名無し三等兵
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2017/09/21(木) 16:13:17.24ID:+eRrpv0O
>>472
距離にもよるだろうね
球形弾は大体50〜100mで速度が半分に、もう100mで初速の3分の1にまで落ちるらしいから、それによって減衰したエネルギーが盾を貫通するに足りるかだけど、
その絵を見る限り置き盾の厚さは10cmはありそうに見えるから、2,300mも離れたら大体の弾は貫通できないんじゃないかな。人物の描写が下手なのであまり信用できんが
てか対小銃弾の盾じゃないんだから、そこまで役に立たないんじゃないか?据え置いて使ってたら砲兵に狙われるし
0475某研究者
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2017/09/21(木) 16:27:39.13ID:3IilYpol
生きた馬を盾にした場合敵の銃や散弾が命中すれば馬が暴れて
射撃が困難と成る危険も有るのかだが
馬を自ら倒して盾にする様な方向も有っただろうが
敵が馬を迂回して別の場所から攻める危険は有るのかだが

盾なら敵が迂回しようと再度持って移動は可能かも知れぬが
http://paomaru.dousetsu.com/file/00_first_009.html
盾を持つだけの盾足軽と言うのも居るが此れは何処迄残ったのかだが
こうした者に盾を持たせて射撃開始直前に
鉄砲・弓足軽の前に盾を設置させれば
部隊の前進速度は鈍らない可能性も有るのかだが
絵では盾は横方向に余り密集していない様に見えるが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:77bfa3ad753b2994479210bef5c6504a)
0476名無し三等兵
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2017/09/21(木) 16:32:02.50ID:+eRrpv0O
>>473
文章を読む限り庶民向けの娯楽物っぽいけど、それを集団でやるのは多分不可能
馬の壁に1発でも被弾したら全頭に波及して崩壊する。馬は臆病で攻撃的でパニックに流されやすい動物だから、実現には高度で特殊な調教が必要。
それに、縦に馬を整列させるのは難しい。競馬のゲート内ですらかなりのストレスになるんだから、長時間大音響の中で身動き取れないというのは馬にとって物凄く負担。
そんな爆弾抱えて戦うのは危険すぎる。
0477名無し三等兵
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2017/09/21(木) 16:40:36.73ID:+eRrpv0O
>>475
ヨーロッパの戦場から盾が消えたのは火力と防御力の均衡が崩れたから。
置き盾は腰を据えての射撃戦をやるために使うんだから、射撃戦で受ける火力を考えないといけない
そんな火力がぶつかり合う戦場に木製の盾なんか持ってっても砲兵の的。弓矢撃ち合う距離の陣地戦なら野砲を持たない日本側は圧倒的不利
日本の大盾は個人を守る目的のものだから、その役目が全く果たせないのなら存在価値はない。
士気は落ちにくいかも。長距離なら銃弾を防げることもあるんだし
0478某研究者
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2017/09/21(木) 16:41:39.32ID:3IilYpol
銃弾や散弾が盾を貫通しても足軽の鉄製陣笠や胸甲に当たれば
此れも同時に貫通するのは難しい場合も有るだろうが
鉄製陣笠は余り無いと言う意見も有るだろうし
胸甲も装備率は余り高くは無いか
清正や立花宗茂の歩兵の様に全く無い例も有るだろうか
0479某研究者
垢版 |
2017/09/21(木) 16:54:38.64ID:3IilYpol
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561347188/
上の盾なら横にはそう密集していないし小型であるだろうが
http://blog-imgs-16.fc2.com/t/e/i/teitodennoumou/20071207163240.jpg
日本の盾を持つ兵も上の春日権現験記絵巻を見る限り
盾を持ち前進或いは後退しながら後列の兵が射撃もしている様に見えるから
機動性はそう低いのかだが
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Takezaki_suenaga_ekotoba_1-2.jpg
上の蒙古襲来絵詞のモンゴル兵も
大型の盾を持って走って逃げている様な描写が有るが
此れは恐らく同時期の日本軍のやった事だろうが
走って逃げているなら
少なく共逃げ足は早いのかだが
盾を前に構えた侭では前進速度はどうなのかだが
前が見えるタイプの小型の盾で無いと
前進速度は高速と出来るのかだが
銃眼の有る様な大型の盾の古い絵が何処かに有ったかも知れぬが
こうした物は何処迄使われたのかだが
0480某研究者
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2017/09/21(木) 17:03:21.09ID:3IilYpol
http://armoredsamuraibattle.web.fc2.com/midocoro.html
>鉄砲合わせ。
>音花火を用いた、「模擬火縄銃の撃ちあい!!」
>雁が斜めに列を作って飛ぶかの如き、「雁行(かりがいく・がんこう)という陣形」で、鉄張り半盾の背後から射撃し前進します。

こうした小型の鉄盾は現実に大阪の陣では存在し
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/243995/1
上には銃丸も有るが
上の様な物が1000枚大阪の陣では用意されたと言うが
30kgも有るから2名程度で前線に運んでも
機動性はどうなのかだが
同様の構造だが木製で軽い
遠距離戦用の物は無かったのかだが
0481名無し三等兵
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2017/09/21(木) 17:15:10.45ID:+eRrpv0O
>>479
人間が持ち運べる重さでこの時代に通用する大盾は作れん。
戦国後期の攻城戦に見られた鉄板張りのものもマスケットの有効射程内では貫通される。エネルギーではなく命中率基準の距離な訳だから、離れていても貫通する。
銃弾がエネルギーを失う距離ならそれを防ぐことには役立つが、砲撃にはどうしようもない
日本側の投射兵器は和弓と火縄銃しかない。最大射程で戦うなら打撃が与えられないし、有効射程に近づくにつれて火力差が大きくなる
置き盾を使用するような戦争にはスウェーデン有利。

蒙古襲来絵詞に写実性は無い。モンゴル兵が盾を持って逃げてるシーンは功績を示す意図があって描かれたもの
盾の重さや戦術は考えてない。「武士団の果敢な攻撃によって、蒙古兵は陣地を構成する大盾すら抱えて逃げ出した」という絵
0482某研究者
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2017/09/21(木) 17:22:38.28ID:3IilYpol
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%AD
>三十年戦争ではマスケット銃兵から槍兵を防御するために、鉄製の大盾を持たせた歩兵を最前列に置くことが軍事理論家から提案されている。
だが、これが実戦で用いられ成功を収めたかは疑わしい。

とは有るが此れの機動性はどうなのかだが


https://www.pinterest.jp/pin/343610646561799137/
上の様な江戸期の武用弁略に有る
武田軍が最初に使用したと言う車竹束も有るが
銃丸が複数有ると言う事は
https://imgur.com/EDoTIjh
上に有る程度のサイズは有ると言う事かも知れぬし
機動性はどうなのかだが
地形対応性も低い訳だろうが
銃眼が1つの様な小型の物は無いのかどうかだが
0483名無し三等兵
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2017/09/21(木) 17:26:47.25ID:+eRrpv0O
>>480
時代や質にもよるが、マスケットの球弾は100mで3mmまでなら大体貫通してる
これ以上で持ち運び可能な盾は作れないし、ダヴィンチのやつみたいに車輪つけても砲撃は防げない
ウップランドの製鉄が1610年代〜1620年代に急速に成長してるから、製鉄の質の差も圧倒的要素にはならん
スウェーデン軍の柔軟な火力戦に大盾じゃどうしようもないから、日本側は火力自体を倍増させないと無理。
銃、砲による火力の集中という概念が薄い以上、火力戦で有効な機動が採れるか?という疑問は残るが
0484名無し三等兵
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2017/09/21(木) 17:35:57.95ID:+eRrpv0O
大盾を携えて行動する以上、それが無い軍にくらべて機動が鈍重になるのは避けようがない。
スウェーデン軍の弱点(隙)は斉射終了後の間隙なんだから、機動の邪魔になる大盾はその弱点を補ってしまう
野戦陣として500m以遠に据え付けるんなら野戦重砲の攻撃にすら晒されることになるし、竹束はその火力を防御するに足る物にはならん
塹壕掘ったほうがよっぽど効果的だよ。
0485某研究者
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2017/09/21(木) 17:37:11.27ID:3IilYpol
>銃、砲による火力の集中という概念が薄い以上、火力戦で有効な機動が採れるか?という疑問は残るが

日本軍の場合指揮官の狙撃と言う戦術も有ったかも知れぬし
森長可や井伊直政等が狙撃されやられているだろうが
スウェーデン式大隊の中隊等には指揮官が居ただろうが
彼等を銃の上手い者等に狙撃されたら
指揮能力や士気は何処迄低下するのかだが
0486某研究者
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2017/09/21(木) 17:45:29.65ID:3IilYpol
グスタフアドルフが自ら先頭に立って
戦って負傷し続けていると言う様な記述も有るし
リュッツエンでは不用意に前に出てやられた訳だろうが
グスタフアドルフが森長可等の様に
騎馬武者に迄随伴しているかも知れぬ
日本の狙撃兵にやられ指揮能力や士気が低下
全軍崩壊等する危険は有るのかだが
他の副将等も狙撃される危険は有るのかだが
0487某研究者
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2017/09/21(木) 17:51:30.13ID:3IilYpol
>種子島久時
小西行長の水軍を助け出す為に李舜臣と戦った露梁海戦では、揺れる船上の上からスナイプを続け、
樺山久高の船に取り付こうと鎖を振り回していた敵軍兵士を海の藻屑に変えていく等、抜きん出た射撃能力を見せて奮戦した。

種子島久時が李舜臣を狙撃した訳では無いのかも知れぬが
部下が意図的に狙撃した可能性も有るだろうが
彼等の様な者がグスタフやスウェーデン・ザクセン軍副将等を
意図的に狙撃する可能性も有るのかだが
0488名無し三等兵
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2017/09/21(木) 17:58:11.01ID:+eRrpv0O
>>485
森長可も井伊直政も白兵戦の最中の話だろ
スウェーデンの下士官はこの二人ほど目立つ格好はしていないし、アメリカ独立戦争のようなピンポイントでの長距離狙撃の記録も無い
https://i.pinimg.com/236x/f3/67/b7/f367b74625b1ac4d240baba7dec5afdb--swedish-army-civil-wars.jpg
https://i.pinimg.com/originals/7f/f9/07/7ff907eb72c2abb54dffaf4647ca42a6.jpg
狙撃を行える距離なら銃兵の制圧射撃も有効になってくる。軽砲兵の重散弾も届く。この火力差を補えるだけの精度で射撃戦に撃ち勝とう、というのは楽観的過ぎる。
0489某研究者
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2017/09/21(木) 18:01:40.18ID:3IilYpol
種子島久時の様な狙撃兵及びその家臣なら
乗馬も出来るだろうし
騎馬武者に随伴してスウェーデン騎兵が来たら
グスタフや副将を森長可の様に狙撃と言う方向も有るのかだが
グスタフは1630年台では首の負傷の影響で鎧を着れなかっただろうから
日本軍標準の2匁クラス筒であれ狙撃は難しいのかだが
他の副将には分厚い胸甲が有る訳だろうから
可成り大型の銃でさえ
井伊直政等の様に肩等を狙う必要も有るのかだが
0490某研究者
垢版 |
2017/09/21(木) 18:09:41.86ID:3IilYpol
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%BC%E9%8A%83
>この正確性を示すものとして最も有名な例は、第95ライフル連隊第一大隊のライフル兵トーマス・プランケット(Thomas Plunkett)が、
半島戦争のア・コルーニャ撤退戦において、フランスのコルベール将軍(Auguste-Marie-Fran&#231;ois Colbert)の狙撃に成功したものである。
距離は不明であるが、ある資料では600ヤードとされている。
プランケットは2発目で将軍の副官を倒しており、1発目が偶然ではなかったことを示している

将軍や副官ならナポレオン戦争では500m先から識別され
狙撃されていると言う事かも知れぬが
スウェーデンの中隊指揮官はどうなのかだが
鎧の無いグスタフを騎兵のピストルの射程外から狙撃するのは
馬の上からでさえ上手い者なら果たして困難なのかだが
0491名無し三等兵
垢版 |
2017/09/21(木) 18:11:16.31ID:+eRrpv0O
リュッツェンやその後のスウェーデン軍を見てもわかるように、スウェーデン軍は高度に組織化された近世の軍隊。
総大将だけを狙撃したら崩壊するというものでもないし、指揮官だけ狙うマークスマンを狙撃可能距離まで前進させる、というのは日本の標準的な軍には見受けられない。
その例外的な名手だけで編成された部隊を作ったとして、現実にあるものでない以上はその運用も成果も推測の域を出ない。

>>487
海戦で鎖を投げ合う距離は銃兵にとっては通常の交戦距離。
「揺れる船の上でいっぱい命中した」というのは狙撃ではなく"特殊条件下での射撃"。
0492名無し三等兵
垢版 |
2017/09/21(木) 18:27:37.25ID:+eRrpv0O
>>490
半島戦争は19世紀。1630年の火縄銃時代にくらべたら精度も編成も交戦距離も大きく変化してる。
具体的にはライフル装備の猟兵が歩兵の射程外からの狙撃戦を行う戦争。時代が違う 人によっては近代に入る時代
1630年の日本にライフルは無いし、跳び抜けて銃の達者な兵士がいたとしてそれが全体の質を証明するものにもならん
長距離狙撃にはロマンがあるけど、火縄銃の射程外から火縄銃で殺すのは不可能。そもそもの射程が短いから距離はすぐに詰まる。
割合が低い日本の銃兵で、さらに選抜した銃兵に独立行動をとらせるというのは他の要素を全く無視した作戦。それは日本の武士を考察する事にはならないよ
0493某研究者
垢版 |
2017/09/21(木) 18:33:15.64ID:3IilYpol
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%952%E4%B8%96%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95_(%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E7%8E%8B)#.E7.94.9F.E3.81.84.E7.AB.8B.E3.81.A1
>コニェツポルスキとの戦闘以外でもグスタフ2世は幾度に渡り負傷し、特にチェフの戦いでは自軍の形勢は有利であったが頸部と右腕を狙撃されて落馬し、
とどめを刺される寸前で九死に一生を得た。この時止めを刺されていれば、ポーランド側が決定的な勝利を収めていた。この戦傷は重く、以後グスタフ2世は金属製の甲冑を着ることができなくなり、右腕も不自由となった。

グスタフもポーランドとの戦いでは何回か負傷したと有るが
流れ弾が当たったのか
狙撃されたのかだが
この時点では鎧が未だ有ったから致命傷は避けられたと言う事なのかだが


種子島久時等の高位の者が
只雑兵等を狙撃していたのかだろうし
基本的に射程内で出来るだけ高位に見える者を狙撃していたと言う可能性も有るのかだが
そうした高位の狙撃兵が騎馬武者に随伴していれば
結果一番偉く見えるグスタフが狙撃される危険は有ると言う事だろうか
他の狙撃兵も騎馬武者クラスの狙撃兵なら
一般兵士より
スウェーデン軍の連隊指揮官等を先に狙う可能性も高いのかだが


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E6%84%9A%E7%AB%A5%E8%A8%93
>敗走する日本軍を追う左副都元帥・劉復亨と思われる人物を見止めた少弐景資が弓の名手である馬廻に命を下して劉復亨を射倒すなどして奮戦したものの[182][183]、

上の八幡愚童訓の記述は正確性は無いと言う意見も有るが
こうした指揮官を狙う狙撃は他の同時代の戦場で現実に行われ
戦国時代でも行われていた可能性も有るのかだが
0494某研究者
垢版 |
2017/09/21(木) 18:34:39.86ID:3IilYpol
>総大将だけを狙撃したら崩壊するというものでもないし、

リュッツエンでは確かに敗北迄はしていないが
損害はスウェーデン軍の方が多く成り
直後のネルトリンゲンでは対して数も無いテルシオに敗北している訳だろうか
0495名無し三等兵
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2017/09/21(木) 18:39:58.75ID:+eRrpv0O
現実の戦国日本での鉄砲兵の運用は「槍兵がぶつかる前に遠くから削る」「迂回機動をとって白兵戦に側面射撃」がよく見られる。
つまり標準的で至極真っ当な運用。こちらが日本の標準。
野戦で狙撃専門の部隊を編成したことも無いし、そういった特殊例は大勢をひっくり返した訳でも無い。
総大将の狙撃に固執した編成を採った軍があったか?どの大名も軍対軍の想定で編成してる
歴史的な考察をしようよー 各々の装備差とか、戦法の違いとか
0496某研究者
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2017/09/21(木) 18:49:50.40ID:3IilYpol
雑兵物語では長い銃を持つ騎馬武者が散見されるし
仮に下馬時のみの使用でも
彼等が射程内では一番高位の者に見える
連隊指揮官を狙う可能性は
高いと言う事では無いのかだが

砲兵を叩く為に先に前進する
関東・東国の騎馬武者に長い銃を持つ狙撃兵は居なく共
銃の上手い者は混じっているかも知れぬし
彼等が馬上筒でさえ一番高位の者と見える
グスタフの狙撃を試みる可能性は無いのかどうかだが
装甲が無いなら馬上筒でさえ致命傷と成る訳だろうか
0497名無し三等兵
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2017/09/21(木) 18:53:10.51ID:+eRrpv0O
>>493
指揮官の狙撃はあっただろうし、手柄という栄光がある以上それを精力的に行う事も当たり前。
でもそれは通常の戦闘が始まってからの事。戦端が開かれる前に火縄銃で将官狙いの長距離スナイプを成功させた兵士の記録が無い以上、それが成果を挙げられるものとは思えん
和製火縄銃とそれを運用する銃兵の精度がスウェーデン軍の通常火力を大きく上回っている、というのが狙撃作戦の大前提な訳だけど、日本の銃兵の水準はその条件を満たせているか?
一握りの人間が銃の扱いに長けていたとして、数万規模の火力戦をひっくり返せるかどうか
0498某研究者
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2017/09/21(木) 18:57:32.84ID:3IilYpol
日本軍も長篠の様に全銃兵及び弓兵が前に集められた場合は
銃を持つ騎馬武者もそれなりの数が前に集められる可能性も有るだろうから
彼等は皆連隊指揮官を先に狙撃する可能性も高いなら
彼等の死傷率はそれなりに高く成る可能性は有るのかだが
0499名無し三等兵
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2017/09/21(木) 19:03:47.52ID:+eRrpv0O
>>494
対して数も無いっていうけど2倍の相手なんだぞ。
感覚麻痺してない?

>>496
最前線でグスタフをピンポイントで見分けるのはかなり近づかんといかんと思うぞ
グスタフ及び連隊長狙撃部隊は火縄銃装備なんだろ?ライフルじゃなくて
乗馬射撃にしろ下馬射撃にしろ、ある程度は近づかないと命中弾が出る前に銃撃で崩壊してしまう
その距離を重装武者を載せた軍馬で詰められるか?
無茶な奇策を立てるのは戦史考察じゃない。現実の日本軍はそんなことしてない
0500某研究者
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2017/09/21(木) 19:11:33.21ID:3IilYpol
>対して数も無いっていうけど2倍の相手なんだぞ。

2倍程度の数なら以前のグフタフの居るスウェーデン軍なら
砲力や機動性・騎兵の衝撃力を生かして
勝利は出来ないのかだが


スウェーデン軍の騎兵と騎馬武者同士が衝突した際に
銃を持つ一部の騎馬武者がグスタフの狙撃を試みる可能性も有るだろうし
馬上筒ならそう遠距離では撃たないだろうから
グスタフが識別された後の射撃と成るかも知れぬが
複数の騎馬武者が近距離でグスタフに向かい射撃したら
命中弾が生まれる可能性は有る訳だろうか
0501名無し三等兵
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2017/09/21(木) 19:21:27.97ID:+eRrpv0O
>>503
グスタフが飛び出した例はどれも前線での指揮が必要だという戦況になったとき。
重装騎兵の一斉突撃がスウェーデン軍を揺さぶった場合はその状況になるだろうけど、騎兵単独の大規模な運用は戦国日本に見受けられないのでその状況は考えにくい
さっき言ってた狙撃で将校だけが死んでいく、という状況の方がまだ出てくる可能性が高い。というか上記の例が現実の日本に当てはまらない。
常に最前線で戦う人物じゃない。戦況が順調に推移した戦いでは前に出ていない
0503某研究者
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2017/09/21(木) 19:36:51.52ID:3IilYpol
>常に最前線で戦う人物じゃない。戦況が順調に推移した戦いでは前に出ていない

スウェーデン軍が日本軍の大兵力等の前に苦戦して来た後
グスタフが前に出て来て狙撃される可能性は有ると言う事なのかだが

グスタフ以外の騎兵指揮官が馬上筒で狙撃される可能性も有るかも知れぬが
近距離であれ胸甲が厚いのでダメージを与えられない可能性も高い訳だろうか
0504某研究者
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2017/09/21(木) 19:47:05.19ID:3IilYpol
>グスタフ以外の騎兵指揮官が馬上筒で狙撃される可能性も有るかも知れぬが
>近距離であれ胸甲が厚いのでダメージを与えられない可能性も高い訳だろうか

馬上筒では日本軍の指揮官級の者の胸甲も
近距離でさえ貫けない場合も有ると考えれば
近距離でスウェーデン騎兵指揮官の肩等の装甲の薄い場所を狙う可能性も有るのかだが
銃の上手い者ならこうした射撃も成功する可能性は有るのかだが
0505名無し三等兵
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2017/09/21(木) 19:53:21.49ID:+eRrpv0O
戦場でのそういう考慮は不確定要素のため、それを基底に推移を考えるのは筋違い。
「前線にグスタフが出てきて弾に当たって死ぬかもしれない」「胸甲を銃弾が貫通できないかもしれない」「銃の名手が指揮官を狙い撃つかもしれない」
こういったすべての要素は推察してもわからない。その状況でその結果になる可能性が高い、といった答えが出せない。
こういう例は戦史を解いて推測するしかない。この時の編成は、戦況は、どういった作戦か、という情報から。
そこへ行くと、現実に存在しなかった(もしくは例外的だった)部隊を運用をすることを考えるのは不可能。考察する意味も方法も無い。
0506名無し三等兵
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2017/09/21(木) 19:57:39.08ID:+eRrpv0O
なんで狙撃とか独立騎兵とかにこだわるんだ
普通に戦国日本と30年戦争スウェーデンで比較したらいいじゃん
諸兵科の水準も時代も近いんだし
0507某研究者
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2017/09/21(木) 20:00:10.64ID:3IilYpol
馬上筒を使う騎馬武者で銃が上手い者なら
重い胸甲を付けた指揮官の肩等を近距離で狙撃する訓練も
平素からしている可能性と言うのは有るのかだが
馬上筒の装備比率は1617年時点では低いと言う意見も有っただろうが
雑兵物語にも馬上筒は複数有るし
江戸期の絵にも有るだろうが
1630年時点ではどうなのかだが
0508名無し三等兵
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2017/09/21(木) 20:04:27.25ID:3IilYpol
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part1/archives/17
>五匁馬上筒
>馬上筒にはこの寸法が多く、約4割近くが五匁(口径14・8mm)くらいである。
全長は60cm弱、銃身長36cmくら いのものであるが、その形状は様々で2挺以上同じものを見ることはまれである。

馬上筒は足軽標準の2匁クラス筒よりは口径が大きいのかだが
銃身が短いから威力はどうなのかだが
近距離で3/4鎧の肩や腿等は貫けるのかどうかだが
0509某研究者
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2017/09/21(木) 23:06:02.82ID:3IilYpol
銃を持つ下馬した騎馬武者はスウェーデンの中隊士官を狙撃した後も
次に指揮を引き継いだ者を識別すれば
此れに銃撃を続ける可能性も有るだろうが
指揮官がやられ続ければ指揮能力だけでは無く
士気迄低下し得る可能性も有るのかだが

雑兵物語でも乗馬突撃して来た30名の関東の騎馬武者の中に
銃(恐らく馬上筒か)・弓を持つ者が居た様だから
(此れは備1つの騎馬武者集団に各1名ずつ程度なのかだが)
此れでスウェーデンの騎兵指揮官を狙撃出来る可能性は意外と有るのかだが
弓では分厚い3/4鎧の胸甲正面は
至近距離でも強弓で無いと貫通出来ないかも知れぬし
大型の弓で近距離で肩を狙うと言うのは中々出来るのかだが
0510某研究者
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2017/09/21(木) 23:24:23.89ID:3IilYpol
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3047381.html
>1617年の津和野城の城付き鉄砲の中に、61挺の馬上筒が含まれていたそうです。

津和野城に61もの備(有るとすれば兵力は最低でも18000程度か)は無い可能性も有るだろうから
この時点では一つの備の騎馬武者に
馬上筒を持つ者は複数人居た可能性も有るのかだが
他地域ではどうなのかだが
0511某研究者
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2017/09/21(木) 23:28:03.41ID:3IilYpol
とは言え津和野城の最大61名の馬上筒を使う騎馬武者の中に
近距離であれ肩を狙撃出来る様な者は何処迄居るのかだろうし
大半は馬を狙う程度が精々と言う可能性も有るのかだが
馬上筒で肩を狙撃出来る者より
強弓で胸甲正面を近距離なら撃ち抜ける者の方が未だ多い可能性も有るのかだが
0512某研究者
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2017/09/21(木) 23:49:07.20ID:3IilYpol
関東の騎馬武者なら同様の関東の騎馬武者が
乗馬突撃をして来たら
乗馬して迎撃と言う事も有り得たのかだが
東国全般ではどうなのかだが
0513某研究者
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2017/09/22(金) 11:55:28.89ID:8R2VaFtO
日本軍が西国のみの編成の場合は
騎馬武者を含めた歩兵部隊がスウェーデン砲兵排除の為に前進
この際に立花宗茂や加藤清正等の
胸甲の無い軽装歩兵の居る部隊は先に前進する可能性も有るだろうが
砲兵を攻撃出来る射程に入れば射撃開始
敵歩兵が前進したら
出来る限り砲兵を先に攻撃した後
歩兵を射撃
銃を持つ騎馬武者は指揮官を狙撃し続けると言う方向だろうか
問題はスウェーデン騎兵を迎撃出来る
日本の騎兵が居ない事だろうし
スウェーデン騎兵が背後に回り込み本陣備を突けば
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99#/media/File:%E8%BB%8D%E5%9B%A3.JPG
本陣備周辺には予備兵力は大概は有るだろうが
兵力に依っては危険な事に成る可能性も有るだろうが
スウェーデンの騎兵指揮官を上手く狙撃し続ける事が出来れば
可成り戦闘力を低下させる事は可能かも知れぬが
スウェーデン騎兵は槍も無く馬体も小さいから
長巻や刀を持つ士大将の護衛兵等に馬が
可成りやられる可能性も有るのかだが
雑兵物語に有る様な足軽の至近距離からの射撃も
有ると言う事だろうか
雑兵物語を見ると騎馬武者は大型の銃も使用すると言うし
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046179
上に其の絵も有るが左の物は10匁士筒なのかだが
近距離で一部の騎馬武者等から放たれた
10匁士筒やそれ以上の筒が
騎兵指揮官を執拗に狙い
胸甲を貫通する可能性も有るのかだが
下馬した騎馬武者の強弓で狙撃される危険も無論有る訳だろうか
0514某研究者
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2017/09/22(金) 11:57:00.58ID:8R2VaFtO
>>513
或いは正面からスウェーデン軍の集中砲撃で本陣備迄の突破口を作られ
此処に騎兵を突入される危険も有るだろうし
砲兵を加藤清正や立花宗茂等の軽装歩兵の居る部隊を使用して
彼等を犠牲としても早期に潰す必要が有ると言う事なのかだが
備はテルシオでは無いから集中砲撃をしてさえそう簡単に
大兵力で有れば突破口を作るのは容易では無い可能性も有るだろうか

日本軍が西国のみの編成でスウェーデン軍と戦う場合の
基本戦術としては
騎兵突撃に対抗する為に
大兵力を用意して本陣備の周囲を厚くしつつ
胸甲の無い軽歩兵と此れに随伴する騎馬武者を利用して砲兵を
早期に叩くと言う様な方向なのかだが
0515某研究者
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2017/09/22(金) 12:05:30.08ID:8R2VaFtO
本陣備への後方からのスウェーデン軍の騎兵突撃を考慮すると
余程の兵力でも無い限り
長篠の様に銃兵・弓兵を全て前面に集中する訳にも行かぬかも知れぬが
スウェーデン・ザクセン軍騎兵の後方からの8000程度の騎兵突撃を阻止するのには
どの程度の数が必要だろうか
0516某研究者
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2017/09/22(金) 13:14:34.53ID:8R2VaFtO
https://i.imgur.com/Ff6L79k.gif
図の上の軍は1630年台のスウェーデン・ザクセン軍であり
青が騎兵
緑が歩兵
紫が砲兵だが
ブランテンフェルトでは此れに近い配置だろうか

下の軍は戦国時代末期の
西国のみの兵が居る日本軍であり
赤は本陣備
黄色は歩兵+騎馬武者
赤紫は軽歩兵の居る加藤清正・立花宗茂等の軍だが

https://i.imgur.com/lR07K8K.gif
戦闘開始と同時に日本軍の軽歩兵の居る部隊は前進を開始
(碧蹄館でも立花宗茂の軍が先に単独で突撃しているだろうが)
他の部隊も砲兵を叩く為に前進するが
軽歩兵の居る部隊は恐らく
スウェーデン騎兵に迎撃される可能性が高いだろうし
砲撃も本隊では無く此処に向けられるかも知れぬが
スウェーデン歩兵も軽歩兵を迎撃する為に前進するが
こうした中でも軽歩兵部隊は最大限砲兵に射撃を集中するが
加藤清正の兵は10000・立花宗茂の兵は5000は有るだろうし
他の軽歩兵が居る部隊も居るだろうが
果たして何処迄保つのかだが

https://i.imgur.com/3mz1h9X.gif
砲撃や騎兵が軽歩兵に集中している間に
後方の歩兵部隊が前進し砲兵を攻撃殲滅
出来れば歩兵も足止めと言う方向だろうか
0517某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 13:15:10.38ID:8R2VaFtO
>>516
https://i.imgur.com/CMGojUt.gif
砲兵が沈黙し正面から本陣備への突破口を開けないと判断した
スウェーデン・ザクセン騎兵が日本軍の後方に回り込み
騎兵突撃を行う可能性も有るだろうが
2000のザクセン騎兵は余り役に立たぬとすると
本陣備えと其の護衛の周囲の備が50000等居れば
此れは撃退出来る可能性も有るのかだが
銃兵・弓兵は此れの撃退には余り役には立たない可能性も有るなら
前列に大半を配置する方向も有るだろうか

https://i.imgur.com/l2LIPea.gif
スウェーデン・ザクセン軍歩兵が日本軍の正面からの集中射撃を嫌って
側面に回り込む可能性も有るだろうが
この前に騎兵が突撃に失敗敗走し
歩兵部隊も撤退を決断している可能性も有るのかだが
0518某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 13:37:27.26ID:8R2VaFtO
https://i.imgur.com/lR07K8K.gif
スウェーデン砲兵には加藤清正の10000が
これより数の少ないザクセン軍砲兵には立花宗茂の5000が向かうとすると
加藤清正の軍は6000のスウェーデン騎兵の突撃
砲兵の砲撃・歩兵の銃撃を集中され
前進する本隊の歩兵の援護を受ける前に壊滅する可能性も有るだろうが
此処でスウェーデン軍騎兵にも
指揮官の狙撃等で可成り損害が出る可能性は有るだろうか

立花宗茂の軍はザクセン軍相手であるなら
壊滅する前に前進する本隊の援護を受けられる可能性も高いだろうか
ザクセン軍の騎兵も可成り打撃を受ける可能性も有る訳だろうか
0519某研究者
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2017/09/22(金) 13:50:52.26ID:8R2VaFtO
ブランテンフェルトでは18000も居るザクセン軍は
妙に短時間で敗走したが
33000の皇帝軍の攻撃が集中した故と言うが
皇帝軍の全軍が攻撃した様には見えないが
歩兵の機動性も低く日本軍の側面には
容易には回り込めない可能性も有るのかだが
0520某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 14:12:18.17ID:8R2VaFtO
ザクセン軍は騎兵も含め日本軍本隊が前進すればその射撃で
早期に敗走する可能性も高いのかだが
故に日本軍への歩兵の側面攻撃・後方からの騎兵突撃は
スウェーデン軍単独と成る可能性も有るのかだが

ブライテンフェルトではザクセン軍が皇帝軍騎兵の
攻撃を受けている様に見えるが
スウェーデン騎兵は近くに居たが騎兵を迎撃した様には見えないし
ザクセン軍との連携は何処迄有るのかだが

スウェーデン・ザクセン軍騎兵が
日本軍の軽歩兵が砲兵に迫ったとしても
此れを迎撃せず日本軍の後方から本陣備にいきなり
突撃する可能性も有るだろうが
そう成った場合指揮能力が低下し
日本軍の前進が阻まれる危険も有るだろうが
本陣備周囲の護衛用の備以外は
敵砲兵に向け前進する様命令出来る可能性も有るだろうが
ブライテンフェルトでスウェーデン騎兵が
皇帝軍の背後から突撃したのは
序盤からでは無い訳だろうし
ザクセン軍が壊滅する前に突撃する事は無かったと言う事だろうか
0521某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 14:44:25.11ID:8R2VaFtO
https://i.imgur.com/1dx3sed.gif
上の様にスウェーデン軍が
砲兵に向かう日本軍軽歩兵部隊を迎撃せず
いきなり本陣備に背後から騎兵突撃した場合は

https://i.imgur.com/1tYvTuN.gif
その場合日本軍は本陣備周囲の護衛の備以外には
砲兵に向かう様に支持を出し
砲兵を沈黙させ
次は歩兵も攻撃するが
ザクセン軍は日本軍の兵力が倍等有れば
攻撃に耐えられずにブライテンフェルトの様に敗走
士気が低ければ日本軍の背後を狙っていた騎兵も
同時に敗走する可能性も有るのかだが

https://i.imgur.com/C41kZUi.gif
敗走したザクセン軍を攻撃していた日本軍は
ブライテンフェルトの皇帝軍の様にスウェーデン軍歩兵を
上の様に側面攻撃する可能性も高いだろうが
こうした攻撃を受ければ大兵力も有りスウェーデン軍歩兵は
何処迄対応出来るのかだが
スウェーデン軍歩兵が敗走すれば残りの日本軍部隊は
騎兵に攻撃されている本陣備を援護するが
スウェーデン軍も歩兵部隊が敗走すれば
騎兵も撤退する可能性が高いのかだが
こうした事を成功させるには日本軍にはどの程度の兵力が
必要なのかだが
15万等は要るのかどうかだが
0522某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 14:59:31.14ID:8R2VaFtO
加藤清正の歩兵は軽装で槍は無いから
スウェーデン軍騎兵の突撃には脆い可能性は無いのかだが
下馬した騎馬武者の援護は有るだろうし
雑兵物語に有る様な白兵戦突入後の
至近距離での射撃も有るだろうが
歩兵の銃の比率は多いだろうが
密集したスウェーデン軍槍歩兵の攻撃には
何処迄対抗出来るのかだが
清正の軍の騎馬武者には銃が大量に有る等と有るが
此れは西国の騎馬武者だから馬上筒では無く
下馬して使用するタイプの長い銃と言う事なのかだが
0523某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 15:43:18.70ID:8R2VaFtO
足軽胴は3−4kgであり
此れが無いと言う清正や宗茂の歩兵も
確か陣笠・兜は装備であるから
軽装としても通常の日本の歩兵とどの程度の速度差が有るのかだが
西国の騎馬武者は乗馬して戦闘は兎も角白兵戦
或いは射撃戦開始直後迄は移動はするだろうから
軽歩兵にも当然追随は出来るだろうが
雑兵物語の様に
足軽が重い大型銃を持つと胸甲を同時に装備していれば
特に機動性が低下するかも知れぬが
清正や宗茂の軍では大型銃は無いか
有っても馬で移動している可能性も有るのかだが
0524某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 16:05:39.18ID:8R2VaFtO
>>521
https://i.imgur.com/C41kZUi.gif
>敗走したザクセン軍を攻撃していた日本軍は
>ブライテンフェルトの皇帝軍の様にスウェーデン軍歩兵を
>上の様に側面攻撃する可能性も高いだろうが

この際にスウェーデン歩兵は日本軍歩兵への側面攻撃を狙い
あわよくば日本軍本陣備を攻撃しようとして
移動する可能性も有るだろうが
https://i.imgur.com/QRVr93X.gif
上の様な形で日本軍の歩兵部隊が移動すれば
本陣備への攻撃は阻害される可能性も有るのかだが
スウェーデン歩兵が(騎兵がいずれ本陣備を壊滅させるのを期待して)
逃げ回れば白兵戦での壊滅は
何処迄出来るのかだが
槍歩兵は足軽胴・陣笠より重いであろう
胸甲・兜を装備しているなら足はそう高速なのかだが
スウェーデン歩兵が逃げ回れば
日本軍歩兵も彼等を足止め出来るだけの数を残して
後は本陣備を攻撃している騎兵への攻撃に回す方向も有るだろうか
0525某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 16:32:35.33ID:8R2VaFtO
東国の兵も日本軍に混じっていれば
この中の最大10000の騎馬武者が
スウェーデン軍の歩兵や騎兵が部分的にも崩れたと見ると
小単位ずつでは有るだろうが乗馬突撃を敢行する可能性も有るだろうが
効果は何処迄の物だろうか
銃兵相手或いは槍兵も銃撃等で崩れた後なら
それなりには効果が有るのかだが
飽く迄30名等の小単位での突撃が敵が部分的に崩れた場所に
散発的に行われると言う事なのかだが
とは言え雑兵物語に有る様に乗馬して銃や弓を持つ者も居るから
歩兵や騎兵の指揮官が
彼等に狙撃される可能性は有る訳だろうか
0526某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 17:49:24.95ID:8R2VaFtO
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046170
雑兵物語を見ると上の様な玉箱持や矢箱持が
戦闘中騎馬武者より前の列に居るが
彼等の機動性はどうなのかだが
全速で移動する際は
彼等は後で追い付いて合流すると言う可能性も有るのかだが
こうした弾薬が馬で輸送される例は有るのかだが
矢箱には矢が100本入ると言うが
1本50gなら5kgは有るのかだが
0527某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 18:20:02.35ID:8R2VaFtO
https://i.imgur.com/rLH79Sp.gif
スウェーデン軍騎兵も小単位に分かれているなら
上の様な形で各個に日本軍各部隊の背後に突撃する可能性は有るだろうし
此れでほぼ全部隊の前進が阻まれ砲兵が
本陣備への騎兵突撃の突破口を作る事を阻害出来なく成り
スウェーデン歩兵にも挟撃され危機に陥る可能性も有るだろうが
20万の兵が有っても果たして何処迄持ち堪えられるだろうか
0528某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 18:39:34.81ID:8R2VaFtO
https://i.imgur.com/oqdjIfF.gif
日本軍が上の様な形で
背後を突かれていない歩兵部隊を
スウェーデン砲兵に前進させる可能性も有るだろうが
スウェーデン騎兵の予備部隊に背後を又突かれて
前進が頓挫する可能性も有るのかだが
とは言え日本軍も大兵力で飛び道具は有り
至近距離での射撃もし指揮官も攻撃するなら
結果はどう有れスウェーデン軍の損害は
リュッツエン等の様に可成りの物と成る危険は有る訳だろうし
戦闘序盤からスウェーデン軍騎兵が
執拗に全部隊の背後を突いた例等は有るのかだが
0529某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 18:51:38.23ID:8R2VaFtO
スウェーデン軍もブライテンフェルトでは
皇帝軍には騎兵が居たから此れの迎撃を考えると
即歩兵背後への突撃は困難だろうが
戦闘序盤から皇帝軍騎兵を騎兵を集中させ攻撃此れを排除後
細分された騎兵を皇帝軍歩兵の後方に回り込ませて機動を妨害し
歩兵と挟撃すればザクセン軍が敗走する前にも
短時間で勝利出来た可能性は無いのかだが
0530某研究者
垢版 |
2017/09/22(金) 19:06:15.10ID:8R2VaFtO
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Battle_of_Breitenfeld_-_Opening_moves,_17_September_1631.png
ブライテンフェルトの上の図では
ザクセン軍を攻撃する皇帝軍右翼の騎兵を
スウェーデンの騎兵全軍で撃破し
次は左翼の騎兵を各個撃破
その後歩兵の背後に細分した騎兵を回り込ませ機動を阻害後
歩兵で挟撃すればザクセン軍も敗走する事無く
短時間で皇帝軍を撃破出来た可能性は有るのかだが
0531某研究者
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2017/09/22(金) 19:10:50.66ID:8R2VaFtO
>>530
皇帝軍歩兵の後中央には
総司令官ティリーの騎兵も居ただろうから
右翼の騎兵を撃破後にティリーの騎兵を各個撃破すれば
全軍敗走或いは士気が低下する可能性も有るのかだが
0532某研究者
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2017/09/22(金) 19:14:49.66ID:8R2VaFtO
皇帝軍のカラコール騎兵が
スウェーデン歩兵にはほぼ無力な以上は
スウェーデン歩兵への皇帝軍騎兵の攻撃は守りを固め撃退
スウェーデンの騎兵は全て集結し皇帝軍騎兵を各個撃破
出来るだけヴァレンシュタインの騎兵を早期に倒せば
リュッツエンはどう成ったのかだが
0533某研究者
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2017/09/22(金) 19:36:20.89ID:8R2VaFtO
https://i.imgur.com/P9CDCWa.jpg
ブライテンフェルトでは上の図の緑の矢印の様な形で
スウェーデンの右翼騎兵が左翼騎兵と合流後
皇帝軍右翼騎兵を殲滅
その後総司令官ティリーの騎兵を叩けば後は楽と言う事では無いのかだが
(パッペンハイムのカラコール騎兵がスウェーデン歩兵や
 グスタフ自身の騎兵に突撃したとしても
 何も出来ないと言う事だろうか)
現実のブライテンフェルトでもスウェーデン軍右翼騎兵が
皇帝軍左翼のパッペンハイムの騎兵を倒した後は
ティリーの騎兵に突撃し此れを敗走させている訳だろうか
0534某研究者
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2017/09/22(金) 19:46:33.02ID:8R2VaFtO
鎌倉時代の騎馬武者なら蒙古襲来絵詞を見る限り
単独での乗馬突撃もしたかも知れぬが
纏まった単位での突撃は何処迄有るのかだが
50000等の全て弓を持つ騎馬武者が纏まってスウェーデンの
3つに分散された騎兵を各個撃破し
グスタフの騎兵を出来るだけ早期に倒し指揮能力・士気を低下させた後
騎馬武者を歩兵の背後に回り込ませ
砲兵を倒す為に前進する歩兵と挟撃すれば
20万等の日本軍なら勝利出来るのかだが
砲兵を早期に沈黙させる為に
主力騎兵集団とは別の騎射部隊も
用意する方が良いかも知れぬが
0535某研究者
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2017/09/22(金) 19:52:44.18ID:8R2VaFtO
>>534
スウェーデン軍の胸甲正面には強弓で至近距離で無いと
弓は通用しないだろうが
馬は遠距離からやられる訳だろうから
機動力の鈍った相手を包囲して
胸甲背面を撃てば通常の弓でも貫通する訳だろうが
鎌倉期の騎馬武者は果たして何処迄集団運用されるのかだが
南北朝期辺り迄は騎馬武者の戦闘序盤からの単独騎射突撃は
西国でも残っていたのかだが
0536某研究者
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2017/09/22(金) 20:43:55.78ID:8R2VaFtO
https://i.imgur.com/RwIIGTe.gif
上は1630年台のスウェーデン・ザクセン軍であり
色分けは前書いた物と同じ
下は鎌倉期日本軍であり
赤は騎馬武者・黄色は歩兵
赤紫は総大将の居る騎馬武者集団だが

https://i.imgur.com/Nx1CFQm.gif
日本軍の騎馬武者集団は単純に
一番兵力の多いスウェーデン右翼の騎兵集団に
全て突撃する可能性も有るだろうが
総大将も恐らく同時にこの部隊に付いていく可能性も高いのかだが
騎馬武者集団が大兵力であればスウェーデン・ザクセン軍の他の騎兵部隊も
援護に来る可能性も有るだろうし
騎馬武者部隊の背後を突く可能性も有るだろうが
騎射の前に馬が早期にやられて接近出来ない可能性も有るだろうし
兵力差と騎射の速度の前に
騎兵は全て壊滅する可能性も有るのかだが
グスタフはこの状況を見て離脱する可能性も有るだろうが
日本軍騎兵の足は重い大鎧を装備しているから遅く
グスタフは戦場から離脱せず逃げ回る可能性も有るだろうが
そう成った場合は流石に日本軍もグスタフを追撃する一部の騎兵を残して
他は歩兵の背後に突撃する可能性も有るだろうか
此れはザクセン軍では無く兵力の多いスウェーデン歩兵に
集中する可能性も有るだろうが
歩兵と共にスウェーデン歩兵・砲兵を挟撃し壊滅させれば
ザクセン軍は撤退するだろうが
恐らく騎馬武者の追撃で騎射を受け続け
騎兵以外は逃げられず壊滅するだろうか
0537某研究者
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2017/09/25(月) 14:58:51.91ID:KFAYApr/
フサリアと西国の戦国期日本軍が戦えば
果たしてどう成るのかだが

https://i.imgur.com/a0HefXA.gif
青はフサリア重騎兵コムラーデ
水色は軽騎兵パンセルニ
紫はポーランド砲兵
緑はポーランド歩兵だが

赤は日本軍の本陣備
黄色は騎馬武者及び日本軍歩兵だが

https://i.imgur.com/a0HefXA.gif
右ではポーランド軍は日本軍本隊の機動を
後方にコムラーデを突撃させて阻害させつつ
コムラーデを本陣備迄突撃させる為の突破口を開く為に
砲撃及びパンセルニの弓を突破口に集中
出来るなら本陣も射撃して混乱させ指揮能力を低下させると言う方向なのかだが

左は次の段階だが
背後へのコムラーデの突撃で
日本軍本隊がポーランド軍砲兵を壊滅させる為に前進出来ぬ侭
砲撃と弓でコムラーデの本陣備への突破口を作られ
此処にコムラーデを突入されてやられる危険も高いと言う事なのかだが
0538某研究者
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2017/09/25(月) 15:24:43.13ID:KFAYApr/
https://i.imgur.com/DJ7FqT0.gif
右の様に日本軍が砲兵を叩く為の別働隊を前進させても
此れも背後にコムラーデの予備兵力を突入され
前進が阻害されている間に
コムラーデの本陣への突破口が
砲撃・弓の射撃を受け続ける可能性も高いのかだが

左の様に別働隊の備集団に縦深が有り
背後を突かれていない備が前進したとしても
此処にもコムラーデの予備兵力を突撃されて
前進が阻まれる可能性も有るのかだが
コムラーデの小単位は何個有るのかどうかだが
日本軍も兵力20万なら最大600以上の備が有るだろうし
此れの背後に全て突入させるコムラーデ或いは
パンセルニの小単位は有るのかだが
http://daimyoshibo.la.coocan.jp/mil/polish_hussars.html
200名で1単位ならこれ以下の単位で運用されないなら
フサリアも最大10000程度だろうから
最大50の小単位が有るのかも知れぬが
20万の日本軍の最大600の日本の備の背後に回す
小単位は到底無いと言う事なのかだが
0539某研究者
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2017/09/25(月) 15:26:33.97ID:KFAYApr/
https://i.imgur.com/Ysc51Mj.gif
上の様な形で背後にコムラーデが突撃していない備は
本陣備の護衛の物以外は
各個にポーランド軍砲兵に前進し攻撃
此れへの攻撃を阻害しようと言う歩兵も多数の備を前進させ排除するが
果たして何処迄の連携が出来るのかだが
備が歩兵との挟撃をフサリアに繰り返されてやられる危険も有るのかだが
この様な状況でもパンセルニが本陣備へのコムラーデの
突破口に弓を放ち続ける可能性も有るだろうし
此れもコムラーデに背後に突撃されていない備を振り向けて
射撃武器を利用し
本陣備への突破口が射程に入らぬ様遠ざけると言う事だろうか
此れを続けてポーランド軍砲兵・歩兵を壊滅させた後は
大兵力を利用しての消耗戦で
コムラーデ・パンセルニを壊滅させる以外無いのかだが
スウェーデン軍も同様の方法で
パンセルニの様な兵は居ないが壊滅可能と言う事なのかだが
0540名無し三等兵
垢版 |
2017/09/26(火) 10:44:03.39ID:roqEOo3b
珍しく某研の相手してた奴がいたけど
ようやく頭のやべー奴だと気付いて消えたなみたいだな
0541名無し三等兵
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2017/09/26(火) 11:11:44.02ID:V7r7okxP
めちゃくちゃ作図センス無いんだなコイツ
0542某研究者
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2017/09/26(火) 13:42:55.59ID:6Su6T1x/
200人のコムラーデ小単位に背後から突撃された場合
300名の備では何処迄保つのかだが
士大将を上手く前方に逃しつつ迎撃と言う事に成るのかだが
800名の備も有ると言うから
此れは簡単に壊滅はせぬ可能性も有るのかだが
コムラーデ集団が個々の備に集中し各個撃破する等と言う可能性も有るだろうが
備が600も有れば此れの撃破には時間が掛かるかも知れぬし
備がワーテルローの英の対騎兵方陣の様に
間を通る騎兵に射撃出来る様な布陣をすれば
コムラーデも可成り打撃を受ける可能性も有るのかだが
備同士の間隔が250m程度ならこうした事を受ける危険は有るのかだが
0543某研究者
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2017/09/26(火) 13:46:02.33ID:6Su6T1x/
>【マンガ】中世ヨーロッパで戦う侍...「イサック」に絶賛の声が上がっている  

こうした者が現実には何処迄居たのかだが
キリスト教徒なら或いは 
欧を目指す者が居た可能性は有るのかどうかだが
キリスト教徒では無いが其の者の部下や友人等が
一緒に相当数付いていく可能性も有るのかだが

日本のキリスト教徒は新教側なのかだが 
旧教側でも英やオランダの傭兵をしていれば 
新教側に成ると言う可能性も有るのかだが
0544某研究者
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2017/09/26(火) 13:56:24.41ID:6Su6T1x/
>>542
>800名の備も有ると言うから
>此れは簡単に壊滅はせぬ可能性も有るのかだが

コムラーデに対しては指揮官を執拗に狙撃し続け
雑兵物語に有る様な近距離の射撃も行い
馬を長巻や刀で狙い
装甲の無い足を斬ると言う様な事を繰り返せば
損害は可成り与えられる可能性も有るのかだが
0545名無し三等兵
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2017/09/26(火) 14:21:22.31ID:BKZS3jKH
>>542
ワーテルローでイギリス軍の方陣が持ち堪えたのは、イギリス軍騎兵の半数近くを投入したカウターチャージによる面が大きいみたいですよ
地味な面では、方陣内に退避せず持ち場で射撃を続けた一部の砲兵達とか

方陣だけでは持ち堪える事が出来ず、隊形が崩壊した戦例も多く有りますので
アウステルリッツでのフランス軍戦列歩兵第4連隊第1大隊とか
0546某研究者
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2017/09/26(火) 14:27:36.89ID:6Su6T1x/
>>543
武士も300名以上の備単位で 
30年戦争時の欧に移動する等と言うのは有るのかだが 
竹弓・竹矢や瞬発式火縄銃の部品は補充出来るのかだが 
前者は困難と言う事なのかだが 
英ではロングボウ 
大陸では東欧的な弓が手に入る可能性は有るのかだが 
後者は矢に合わせて大型化する可能性も有るのかだが 

甲冑は消耗した物から順次板金鎧に交換される可能性も有るだろうが 
注文者の要求で日本的要素が残される可能性は有るのかだが 
漆は使えない訳だろうが
漆で無く共 
黒・金・赤・茶等の色は西欧甲冑にも有るだろうか
0547某研究者
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2017/09/26(火) 14:51:11.13ID:6Su6T1x/
>>545

東国の騎馬武者なら少なく共
コムラーデが崩れたと見たら乗馬突撃をやる可能性も
雑兵物語の様に有るかも知れぬが
西国では無いと言う事なのかだが

連隊砲の様な物は備には無いだろうが
近距離で抱え大筒等から
散弾(千人殺し)を放つ事も有る可能性は有るのかだが
果たして何処迄使われたのかだが
通常の弾では10匁士筒でさえ正面から馬を多数貫く等は
困難かも知れぬが
大友軍がフランキ砲から散弾を放った例も有るが
移動力は何処迄有るのかだが
此れ以上の筒ではどうなのかだが
地雷の使用も泗川の戦いの島津軍では有ったが
野戦で何処迄使われるのかだが
0548某研究者
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2017/09/26(火) 15:11:09.87ID:6Su6T1x/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>義弘は大量の鉄砲を使用したり、地雷を埋めるなどして対抗した。
>また、鉄片や鉄釘を砲弾の代わりに装填した大砲も使用した。

こうした鉄片を詰めた大砲は関ヶ原や大阪の陣の野戦では
使用されたのかどうかだが

地雷と言うのは
http://blog.canpan.info/fukiura/archive/2073
>地雷について日本の資料では、
1712年(6代将軍家宣(いえのぶ)の没年)ころ、
寺島良安によって刊行された『和漢三才図会』の記述が
最も古いのです。
この本には、竹筒の中に銅線を通し、土中に埋め、
「賊」が踏めば、
「鉄塊如飛蝗着人即死(鉄の塊りがイナゴのように飛んで人に付着し、死に至らしめる)」との記述があります。

上の様な物で
時限式の物では無いと言う可能性も有るのかだが
此れの埋設は野戦陣地を作る程時間は掛からぬかも知れぬが
移動力の低い大型砲も含め
https://i.imgur.com/Ysc51Mj.gif
基本的に移動しない上の赤色の本陣備周囲を防衛するのに
使える可能性も有るのかだが
0549某研究者
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2017/09/26(火) 15:33:09.46ID:6Su6T1x/
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1063862235
>埋没式は
箱の中にあらかじめ割ってある竹を仕込ませておきます

その割った竹の中に点火した火縄を入れておくのです
(割った竹で包んで火薬に点火しないようにしておくのです)

箱の上の板を踏むと中の竹が別れて火縄が火薬に落ちる…
という仕組みのようです

ただ
これは火縄の長さで「効果を発揮する時間が限られる」ので
事前に来襲が予測される場合以外では使えないでしょうし


上の様な地雷も有るのかも知れぬが
火縄はどの程度保つのかだが
https://www.iganinja.jp/old/japanese/godou/kusuri/kagak/f_raita-.html
胴火なら12時間保つと言うが
地雷用の火種はどうなのかだが
0550某研究者
垢版 |
2017/09/26(火) 20:23:30.23ID:6Su6T1x/
>>547
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E8.8B.B1.E8.98.AD.E9.80.A3.E5.90.88.E8.BB.8D
>ワーテルローの戦いに参加した68,000人の彼の軍隊は歩兵50,000、騎兵12,000、砲兵6,000、砲156門で構成されていた[2]。

ワーテルローの英の騎兵は12000も居るし
仏の騎兵は15000だろうが馬は小型化していたと言う意見も有るが
他国の騎兵も此れ以前の消耗戦で小型化していたと言う説も有るが
仏の騎兵程なのかだが

備の背後等を攻撃する200騎のコムラーデ小単位に対し
1つの備の30−80騎の東国の騎馬武者が乗馬突撃するとしても
何処迄打撃を与えられるのかだが
敵が崩れていなれば突撃はしないと言う事だったかも知れぬが
周辺の備の東国の騎馬武者も自らの備にコムラーデが
突撃していなければ
同時に突撃する可能性も有るのかだが
この様な状況でもコムラーデの予備兵力が
自らの備に突撃する危険を考慮したら
突撃はしない可能性も有るのかだが
0551某研究者
垢版 |
2017/09/26(火) 21:03:28.52ID:6Su6T1x/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
354人の備では戦闘員は170名と
コムラーデ小単位の200名より少ないし
100名以上の武家奉公人は刀は持つが攻撃力は何処迄有るのかだが
800名の備でも戦闘員は半数程度の可能性も有るのかだが
0552某研究者
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2017/09/27(水) 13:28:14.03ID:FDX8wIJN
300名で戦闘員が150名程度しか居ない様な備なら
四方から800名のコムラーデに同時に突撃されれば
短時間に壊滅する可能性も高いのかだが
周囲の備からの銃撃や場合に依っては挟撃も有り得るのかだが
こうした事を排除する為に周囲の備にも背後等に
コムラーデ小単位を突撃させる可能性も有るのかだが
歩兵と連携してもパンセルニを本陣備から遠ざけられたり
砲兵がやられるのを阻止出来るのかだが
0553某研究者
垢版 |
2017/09/27(水) 16:03:28.37ID:FDX8wIJN
>>543
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14127008564
>夫の死後、再婚した相手と遺産相続で裁判沙汰となり、オランダ本国までいって裁判するなどしている  

オランダ本国迄行った混血人等も居るが 
武士が30年戦争に参加した可能性は 
混血人でさえ有るのかだが


西欧の火縄銃のストックは 
甲冑を装備すると使用出来ないと言う意見も有るが 
http://www.alamy.com/stock-photo-military-landsknechts-arquebusiers-on-the-march-woodcut-by-hans-burgkmair-28127696.html
http://www.alamy.com/stock-photo-military-landsknechts-riflemen-with-arquebuses-woodcut-16th-century-28825741.html
ランツクネヒトの甲冑装備の銃兵がストック付きの銃を持つ絵も有るし 
此れは間違いなのかだが
テルシオで銃兵の甲冑が廃れたのはスペインが出した大型マスケット銃が
防げない故なのかだが
パイク兵の鎧は槍対策であり
銃に対抗する為の物では無い訳だろうか
0554某研究者
垢版 |
2017/09/27(水) 17:50:33.44ID:FDX8wIJN
https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/20907.html
>また、日本の火縄銃の特徴としては「肩当てが無い」。
そのため右利きであれば左腕のみで支えなければならないのだが、これにより仰角が取りやすくなっている。
これは引き金を引く右腕が弓を引き絞った時の「会」に似ており、弓での修練をそのまま鉄砲に活かす目的があったとされる。

山岳戦や攻城戦では上に撃ち易いと言うのは
有用なのかだが
主力の2匁クラス筒ならストックが無く共
反動は問題とは成らぬ可能性も有るのかだが
大型銃ではどうなのかだが
0555某研究者
垢版 |
2017/09/28(木) 15:31:52.56ID:XsvJuL9q
http://www.moae.jp/comic/issak
傭兵イサックの序盤試し読みが有るが
30年戦争時のハルバードの柄は補強されていない例も有るかも知れぬが
通常の刀で片手で斬れる物なのかだが
30年戦争時では
ハルバードでは無くスポントゥーンを使う例も多い様に見えるが

日本兵が30年戦争時の欧に行くとしても
騎兵戦をするならピストルの防弾を考慮して
兜鉢や胸甲は西欧製等の厚い物に
早期に変わる可能性も有るのかだが
西国の武者ならこうした事は無い可能性も有るのかだが
敵騎兵の追撃戦を考慮するなら
乗馬追撃時だけ仕寄具足の様な追加の胴や兜の装甲を
装備する可能性も有るのかだが
0556某研究者
垢版 |
2017/09/28(木) 17:05:04.37ID:XsvJuL9q
http://www.moae.jp/comic/issak
1620年の西欧の戦闘としては妙に弓が多いが
17世紀初頭迄英ならロングボウは有ると言うが
大陸では東欧系の軽騎兵の弓が多用された可能性は有るのかだが
スペイン軍ではどうなのかだが
銃砲を多数装備するイタリア式城塞に
攻城塔は使用されたのかだが
350歩=630mでは分厚い指揮官用の3/4鎧の胸甲は
10匁狭間筒でさえ貫けるのかだろうし
20匁でさえどうなのかだが
現実には装甲の薄い肩や足
或いは露出しているなら頭部を狙う以外困難と言う事なのかだが
0557某研究者
垢版 |
2017/09/28(木) 17:49:22.67ID:XsvJuL9q
関ヶ原の腰筒での指揮官狙撃は兎も角
超遠距離からの火縄銃での指揮官狙撃成功と言うのは
現実には無いと言う意見も有るが
主力の2匁クラス筒では遠距離から胸甲や兜は貫けないと言う事も
有るのかも知れぬが
負傷者なら可成りの数居る可能性も有るのかだが
0558某研究者
垢版 |
2017/09/28(木) 19:09:57.76ID:XsvJuL9q
>>556
肩や腿の面積や幅も然程大きくは無いだろうし
大口径の銃で其処を狙うより
高精度の小口径の銃で指揮時には露出しているかも知れぬ
顔を狙う方が命中率は高いかも知れぬし
バイザーが閉じていればブーツでも狙う方が未だましなのかだが
0559某研究者
垢版 |
2017/09/28(木) 19:16:45.26ID:XsvJuL9q
>>558
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561839527/
短時間しか狙撃する時間が無いなら上の様な弾が同時に3発出る様な物を
頭部狙撃等に使う方向も有るだろうが
3発の弾は何処迄真っ直ぐ飛ぶのかだが
重量が重ければ使い難いかも知れぬし
通常の火縄銃を短時間で多数渡した方が良い可能性も有るのかだが
0561某研究者
垢版 |
2017/09/29(金) 11:10:19.61ID:NpTcS9ib
イサックの鎧の胸部の構造は見ないが
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/rekihaku-meet/seminar/bugu-kacchuu/kc_collection3.html
上の脇坂安元の鎧かもしれぬ物の胸部に
似た様なディテールが有るが
(此れは確か心臓を守る為の追加の鉄小札だろうか)
此れは17世紀の鎧と言うが
胸部を守る為の小札等は偉い人間用の物の可能性も有るのかだが
此れは西欧甲冑では無く明等の鎧の胸部に有る
護身鏡等を参考としたのかだが
0562某研究者
垢版 |
2017/09/29(金) 11:23:17.29ID:NpTcS9ib
イサックの籠手も前部にのみ鉄が有る訳では無く
大袖との干渉を嫌って上部が(布の下に板金・鎖を仕込んだ)
産籠手と成っている物も
平治物語絵巻には有ると言う意見も有るから
此れに似た物の可能性も有るのかだが
戦国期の籠手ではこうした物は今の所見ないが
何処かに有ったかも知れぬが
0563某研究者
垢版 |
2017/09/29(金) 11:49:27.25ID:NpTcS9ib
日本の武将の場合指揮中にも
甲冑面を装備している可能性も有るかも知れぬし
超遠距離では頭部狙撃より肩や脚を狙撃した方が
良いと言う可能性も有るのかだが
0564某研究者
垢版 |
2017/09/29(金) 12:16:50.06ID:NpTcS9ib
https://twitter.com/goshuinchou/status/701409842464845824
50匁の上の慶長大火縄銃でさえ
3/4鎧の胸甲正面は630mでは貫通出来ぬ可能性も有るのかだが
此れは130kgも有るから対人狙撃等は何処迄出来るのかだが

http://itworks.lolipop.jp/MyBlog/seventies/pgHinawa.php
>天守閣の展示物の中に大火縄銃が一挺あった。
銘:「大てんぐ」泉州堺の榎並屋勘左衛門作、全長206.6cm。十匁二分。
この銃は、大火縄銃としては、口径が多少小さいが、銃身は十分長く、
発射角を調整するための照準器(矢倉)をはめる溝や、「目当て」がついていた、

この程度の物で装甲の無い頭や脚を狙うと言う様な
方向しか無いのかだが
口径が余り小さいと風の影響を受けるかも知れぬし
2匁等では630m先の頭部等を狙撃出来るのかだが


イサックのアンブロジオ・スピノラは
脛にも装甲は有り馬鎧迄有るが
17世紀制作のそうした物は確かに残っては居るが
実戦使用はされたのかだが
0565某研究者
垢版 |
2017/09/29(金) 12:39:12.38ID:NpTcS9ib
http://itworks.lolipop.jp/MyBlog/seventies/pgHinawa.php
>『慶長大鉄砲』は、平成8年、銃身だけが関が原の民家で発見され、高木昭郎・竹中博男・澤田平の三氏が復元したもの。
慶長初年、堺の芝辻理右衛門作、銃身:全長2.5m、30匁(口径27mm)、重量30kg、弾は3km飛ぶとされている。

此れは関ヶ原で使われた火縄銃では最大の物なのかだが
30kg有るが対人狙撃は何処迄出来るのかだが

>慶長5年(西暦1600年)の関が原の戦いでは、西軍の将石田三成は、笹尾山に陣を構え、大筒、大砲を備え、空堀と木柵で守を固めた。
石田隊の武将島左近が前衛を指揮し、黒田長政隊、細川忠興隊を相手に善戦していた。
石田隊は、その島左近を黒田隊の鉄砲で狙撃され失った後も、大筒、大砲を用いての戦いを続けていた。
東軍の総大将徳川家康は、西軍の小早川秀秋が松尾山(海抜300m)に陣して、寝返りの行動を起こず、形勢を窺っていたので、
秀秋の尻を押すために下からの射撃を命じた。
下からの射撃で、秀秋軍15,000は松尾山を駆け下り、互角に戦っていた西軍を一挙に壊滅することとなった。
澤田さんの話では、射程距離の長いこの『慶長大鉄砲』がこの射撃に用いられたのないかということである。

島左近は狙撃された訳では無く
突撃時に撃たれたと言う意見も有るがどうなのかだが
上の銃が小早川秀秋を突撃させる為に撃たれたと言う意見も有るが
銃撃は無かったと言う意見も有るだろうか
0566某研究者
垢版 |
2017/09/29(金) 14:33:37.81ID:NpTcS9ib
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245948808/
>常山紀談ではあるけど、加藤清正は騎馬武者に50cmほどの馬上筒を持たせ、 馬上で発泡してから槍を入れたとあるね   

常山紀談は資料価値は低いのかだが
槍と馬上筒は同時に装備していたと言う解釈なのかだが
0567某研究者
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2017/09/29(金) 14:47:25.36ID:NpTcS9ib
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/jozan-syui2.html … >常山紀談拾遺 ◯同家騎馬武者馬上鉄砲の事
>同家にて大小身ともに騎馬は一尺三寸、或は一尺五寸の鉄砲を馬上に持ち、陣前にて打放し鑓を初るとなり。
>清正家中の老人後に咄せしは、馬上に火縄何とも難レ持者なり、といへり。

常山紀談拾遺を見る限り
清正の騎馬武者は馬上で全長最大45cmの馬上筒を 
使用していたと言う事なのかだが
45cmと言うのは銃身の長さの可能性は無いのかだが

清正等の西国の騎馬武者が馬上筒を装備していたとしても
此れは追撃・逃走時の使用のみと言う事なのかだが

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
>安土桃山〜江戸前期の軍役状で見ると、騎馬武者の鉄砲装備率は結構高い。 文禄の役の加藤清正隊は、騎馬のほぼ100%が鉄砲を装備しているし、
江戸期になると騎馬武者の二人に一人くらいは鉄砲を持っている。

とは言え此れの大半は
下馬時に使用する長い筒と言う事なのかだが
0568某研究者
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2017/09/29(金) 20:50:30.11ID:NpTcS9ib
https://blogs.yahoo.co.jp/japaneseweapons/52610691.html
清正の軍の全長45cmの馬上筒と言うのは上の様な物なのかだが
口径は2匁クラスは有る可能性も有るのかだが

http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part1/archives/17
>五匁馬上筒
馬上筒にはこの寸法が多く、約4割近くが五匁(口径14・8mm)くらいである。全長は60cm弱、銃身長36cmくら いのものであるが、その形状は様々で2挺以上同じものを見ることはまれである

上の様な標準サイズの物よりは小さいのかだが
0569某研究者
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2017/09/29(金) 21:15:56.26ID:NpTcS9ib
清正の45cmの馬上筒と言うのは片手で放てる物では
最大サイズの可能性も有るのかだが
雑兵物語等に有る馬に付ける
ホルスターに入れる事も考えている可能性も有るのかだが

http://blog.goo.ne.jp/cyrilsnow34/e/31c6e37d5a31b4d21ab32521792f177e
>長筒用の50m公式標的に、公式戦と同じ13発を撃ち込んでみます。
これが結果。再使用した練習標的なのでちょっと分かりにくいかもしれませんが、13発中、10発が直径40cmの黒点に入っていました。点数的には75点なので、公式戦で長筒と一緒に勝負しても入賞は夢じゃありません。

両手撃ちよりはるかに高得点!やはり短筒は片手で撃つのに適した銃ということなのですね。

片手用でもそう精度は
地上からの射撃では低くは無いのかだが
走行中の馬上でも立透かしを使う等すれば
50mで馬に当てる程度は出来るのかだが
0571某研究者
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2017/09/30(土) 11:53:08.11ID:4s23gMnv
http://www.sanken-intl.co.jp/arcive_sanada/contents/column/hinawa/teppo_tai.html
>また、町打(ちょううち)という100mをこえる遠距離射撃も行われたそうで、3町(327m)の距離から3尺(90cm)の的を打って競ったというのには驚かされる。
また細川家の家臣松野亀右衛門という名手は、島原の乱で原城を攻撃する際、5町(545m)先の敵を打って外さなかったそうである。

米独立戦争後のライフル銃普及前迄なら
松野亀右衛門或いは
種子島久時等も
世界最高クラスのスナイパーと言う事なのかだが
弓では矢を見られる等して回避される事も有るだろうが
銃では困難な訳だろうか
0572某研究者
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2017/10/01(日) 14:29:34.80ID:7Q/kuECM
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1136374511
>又、欧州のものは底が塞がり、弾丸は別に装填したのに 対して、
日本のものは底に孔があいていて、弾丸は和紙に 
包みのりで底を塞いでいたので 更に使い易かったそうです。  

欧の早合にも弾が入る例も有ったかも知れぬが 
果たしてどうだろうか
0573某研究者
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2017/10/01(日) 15:07:56.58ID:7Q/kuECM
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA
日本の場合は1569年の
多々良浜の戦いの立花道雪軍で早合が初使用されているのかだが
1570年の姉川合戦では未だ此れの使用は無いと言う事なのかだが

>18日に発生した最大の合戦では道雪自ら陣頭に立って先に鉄砲800挺を2隊に分けられ、自分が発案した「早込」(「早合」ともいう。
1発分の火薬を詰めた竹筒の束を鉄砲隊の肩にかけさせる工夫)を用いて二段射撃して後は槍隊を繰り出して突進、
続いて自分が率いて騎馬隊は馬を乗出し敵の中へ縦横に突て廻りける「長尾懸かり」というかけ合い戦法で毛利方の主力である小早川勢を撃破したが、

銃800を用いての二段撃ちが1569年時点で有ったのかだが
西国でもこうした乗馬突撃が同時期の西欧に僅かに残る槍騎兵の影響か
少なく共一部では行われていたのかだが


退路を絶たれた鉄砲足軽等が
最後に敵を一人でも多く屠る為に
自らの火薬入れに点火自爆と言う様なパターンも漫画では有るだろうが
現実にこうした事は行われたのかだが
0574名無し三等兵
垢版 |
2017/10/01(日) 15:13:05.49ID:RBLB+ZjA
このスレも便所の落書きになってしまった
むやみに荒らしに構うから…
0575名無し三等兵
垢版 |
2017/10/01(日) 16:21:33.46ID:s8YKkQRC
まぁ、でもリンク先は面白い所が多いよ
いっそ別の話題を振ってみては?
戦国日本、ポーランド、武器の性能以外は興味無いみたいだから、それら以外の話題を
0576某研究者
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2017/10/01(日) 17:04:39.50ID:7Q/kuECM
>>573
1569年ではマウリッツのカウンターマーチ
(此れは1594年成立の様だが)も無いだろうが

立花道雪の二段撃ちも
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD
>1558年に刊行された著書『軍事問題に関する提言(ポーランド語版)』の中でタルノフスキは横列射撃(カウンターマーチ)に触れている。これは複数の列が前後に整列し、
前列が立ち上がり射撃を終えると姿勢を低くして弾を装填する間に後列が立ち上がり射撃を行い姿勢を低くして次の弾を装填、これを繰り返す。
著書では二列の隊形で説明しているが、特に二列を守れとは限定していない。説明からは各列は前進や後退をせず固定的で交代で直立と低姿勢を繰り返すと読み取れる。
タルノフスキはこの戦術の訓練の必要性を力説している。しかしこの記述は驚くべきことであると言わざるを得ない。というのも従来の歴史学では、
横列射撃の戦術をヨーロッパで最初に考案したのはオランダのナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルム・ルートヴィヒ(英語版)とオラニエ公マウリッツでそれは1594年だったというのが「定説」だったからである。
タルノフスキの考案はそれよりも40年近く遡ることになる。

上のタルノフスキが1558年迄に考案した
基本二列の二段撃ちを模した可能性も有るのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83#/media/File:Ming_musketeers.jpg
上の様な日本から明に伝わった可能性の有る三段撃ちも
マウリッツが1594年に考案する前に
日本が考えていた可能性も高いのかだが
0577名無し三等兵
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2017/10/01(日) 17:56:13.28ID:j5XTwhN6
>>575
某研に反応される為に話題を振りたい人なんて数人だろ
もはや某研と戯れるスレ以上でも以下でもないよ
諦めな
0578某研究者
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2017/10/01(日) 18:20:32.66ID:7Q/kuECM
https://dic.pixiv.net/a/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%88%90%E6%94%BF
>元亀元年(1570年)の金ヶ崎の戦い、姉川の戦いの頃に火縄銃による「二段撃ち」を考案したと言われ、
>更には長篠の戦いで武田軍の騎馬隊を打ち破ったとされる「三段撃ち」も成政が工夫したものである。

此れは史料価値が低いと言う武功夜話の記述と言う事なのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%8A%9F%E5%A4%9C%E8%A9%B1#.E5.8F.B2.E6.96.99.E7.9A.84.E4.BE.A1.E5.80.A4.E3.81.AB.E5.AF.BE.E3.81.99.E3.82.8B.E8.AB.96.E4.BA.89
武功夜話も史料価値が一部には有ると言う説も有る訳だろうか
0579某研究者
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2017/10/02(月) 22:16:14.51ID:MaGTHiKy
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13167853313
>1574年に武田信玄が落とせなかった高天神城を勝頼が攻めます。
高天神城も堅城として名高く武田軍も苦戦しますが、狙撃によって戦局を打開します。
櫓に登って指揮を執っていた本間氏清を、日光が反射して輝く兜を目印として、穴山信君隊の鉄砲が狙撃し討ち取ります。
さらに代わって指揮を執り出した丸尾義清を再び狙撃して討ち取ります。

狙撃された彼等はやられる危険は
何処迄承知していたのかどうかだが
0580某研究者
垢版 |
2017/10/02(月) 22:41:57.99ID:MaGTHiKy
https://rekijin.com/?p=15550
>弥七郎は走りつつ追いすがってきた一巴に向かい、振り向きざまに神速の矢を射込みます。
しかし、一巴も鉄砲に二つ玉(文字通り弾丸を二つ装填すること。確実に相手を仕留めたい時に推奨された方法。
信長が杉谷善住坊に狙撃された時にも使われた)を装填し終わっていて、弥七郎が振り向くと同時に引き金を引きました。

2つ玉と言うのは精度はどうなのかだが
射程距離は可成り短縮すると言う可能性も有るのかだが

弓は矢を見て回避される例も
遠距離なら多いかも知れぬが
銃は無理である訳だろうか
貫通力の差も有る訳だろうか
回避出来ず貫通力の有る近距離から
連射するなら弓の方が向いていると言う事なのかだが
密集隊形の軽装兵なら遠距離からでも打撃は与えられる訳だろうか
0581某研究者
垢版 |
2017/10/03(火) 14:16:08.68ID:FXU0GAYl
http://paomaru.dousetsu.com/file/09_hinawa_004.html
中央日本周辺: 長さ→130cm前後 重量→2〜5kg 口径→2〜4匁
瀬戸内海付近: 長さ→140cm前後 重量→2〜6kg 口径→2〜3匁
九州地方付近: 長さ→100cm前後 重量→4〜6kg 口径→5〜6匁
東北地方付近: 長さ→110cm前後 重量→4〜10kg 口径→5〜10匁


>船での戦いでは、相手は基本的に遠くにいます。遠くの敵を狙うのに必要な銃の条件は、長い銃身と小さな口径です。銃身が長ければ、火薬のエネルギーを効率よく使えます。口径が小さければ、弾丸が軽いので弾は遠くまで届きます。

此れは船の装甲を貫く事は考慮していないと言う事なのかだが
装甲は無く火矢を防ぐ為の幕を張っただけの
小型船も多かった訳だろうか

>意外なことに、この特徴が一番際立っているのが雑賀集のいる紀州のあたりです。雑賀の銃は他のものと比べても長く、細く、軽くが徹底しています。よほど遠距離からの狙撃を好んだのでしょう。

此れは脚等の装甲の薄い部分を高精度の銃で
狙撃していた故と言う可能性も有るのかだが
精度の低い大口径の銃で装甲を貫通するより効率的な可能性も有るのかだが


>九州と比べると、東北の銃はやや長く、重いです。そして、何よりも口径が大きい。東北は妙に大口径の銃が目立つ地域です。中でも、上杉家は比較的十匁筒を好んでいた様子です。馬上筒が好きな伊達は、五匁馬上筒がよく見られる様子がうかがえます。

乗馬戦闘をする関東・東国の騎馬武者は重装甲で
草摺・佩楯迄板金の例も有るから
大型銃で無いと遠距離では脚さえ貫通出来ないと言う故なのかだが
細筒で遠距離から馬を狙撃すると言う方向も有るだろうが
遠距離からの乗馬突撃は基本的に無い訳だろうし
乗馬突撃は敵が崩れた後だっただろうが
遠距離での射撃戦で敵が崩れたと判断したら早期に
乗馬突撃した可能性も有るのかだが
こうした段階では遠距離での狙撃も出来ぬ程
自部隊は混乱しているのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:77bfa3ad753b2994479210bef5c6504a)
0582某研究者
垢版 |
2017/10/03(火) 14:41:02.70ID:FXU0GAYl
http://photozou.jp/photo/show/1849954/242031814
本多富正の大阪の陣前に有る具足の草摺には弾痕が有るが
此れは遠距離からの2匁クラス筒が命中した物なのかだが
革の草摺や佩楯なら貫通していた可能性も有るのかだが
0583名無し三等兵
垢版 |
2017/10/03(火) 17:33:40.53ID:FXU0GAYl
http://datebunka.jp/wp-content/uploads/2016/12/sp_1_2.png
http://livedoor.blogimg.jp/yoshidenki/imgs/f/1/f148d550.JPG
http://fanblogs.jp/huun/file/img454-thumbnail2.jpg
上の伊達政宗・白石宗実・相馬義胤の佩楯は確か革だろうが
耐弾性は有るのかどうかだが

http://www.sankei.com/images/news/150508/wst1505080004-p3.jpg
上の片倉重綱の佩楯は鎖であるから
耐弾性は無いと言う事なのかだが
一部の鎖は耐弾性も有ると言うが
南蛮鎖等を二重とした様な物なのかだが
0584某研究者
垢版 |
2017/10/05(木) 19:04:58.32ID:BdGSLPcs
傭兵イサックに騎兵の人を側面から
500歩(900m)で狙撃する場面も有るが
騎兵の人は兎も角馬なら馬の胴の前の方を狙えば
馬が前進しても命中する可能性は高く成るのかだが
現実的に当てられるのかだが
0585某研究者
垢版 |
2017/10/05(木) 19:46:05.64ID:BdGSLPcs
イサックのスペイン軍槍騎兵には
ピストルが無いが
16世紀の槍騎兵には無いだろうが
https://www.pinterest.jp/pin/719379740448015749/
1620年段階では上の様に有ると言う事なのかだが
居たとしても極小数であり
ピストル騎兵や歩兵が敵ピストル騎兵やパイク兵を混乱させた後で
突撃しているのかだが
0586某研究者
垢版 |
2017/10/05(木) 19:56:08.72ID:BdGSLPcs
イサックも槍を槍騎兵の馬に投げて倒していたが
戦国期だと犬槍と言う槍を投げる例も有る様だから
イサックも槍を投げられる可能性も有るだろうが
果たして何処迄投げていたのかだが
長柄槍等は投げたのかだが
現実には槍を投げる素振りを見せたら槍騎兵もピストルを使用して
攻撃して来る可能性も高いのかだが
0587某研究者
垢版 |
2017/10/05(木) 20:18:42.87ID:BdGSLPcs
給与が即座には払われない傭兵が
城を去る場面もイサックには有るが
留まれば食料や武器弾薬は供給されると言う事かも知れぬし
他に職も無く食料さえ得られない様な状況なら
給与等無く共留まる者も現実には多かったと言う事は無いのかだが
(戦闘開始迄留まって開始直前等に逃亡する
 或いは戦況不利なら途中で裏切ると言う様なパターンも有るのかだが)
0588某研究者
垢版 |
2017/10/05(木) 20:29:19.96ID:BdGSLPcs
偵察に出たイサック等がスペイン槍騎兵に奇襲される場面も
現実には音の出る甲冑を外して下馬した
ピストル騎兵や槍騎兵に
ピストルで近距離から狙撃されるか
乗馬銃兵に中距離から奇襲されて
やられる危険が高いのかだが
0589某研究者
垢版 |
2017/10/07(土) 13:43:56.99ID:B698w2if
https://www.pinterest.se/pin/405464772687871730/
イサックに出て来た様な上部のみ産篭手と成っている篭手も
現実に有るが
戦国期には果たして有るのかだが
産篭手も枝等への引っ掛かりを防止するのには有用と言う事だったかも知れぬが
下部だけそうでは無いのはデザイン以外の意味は有るのかだが
0591某研究者
垢版 |
2017/10/09(月) 14:07:03.21ID:elMqVTYL
>>590
SCには此処と同じ書き込みが有るから
こちらの方が良いのかだが
情勢が固まる迄は
対応が面倒なのでこちらで書くと言う事にしたいが
0592某研究者
垢版 |
2017/10/09(月) 14:09:36.04ID:elMqVTYL
>>587
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/4039/youhei.html
>  3 共同体としてのランツクネヒト

 ランツクネヒトは通例500人(初期は400人)から成る中隊でまとめられた。 これが十個集まって連隊となる。もちろんこの人数は戦闘要員の数であり、非戦闘要員は含まれていない。
だがこの非戦闘要員こそがランツクネヒトの栄光を支えていた縁の下の力持ちなのだ。
 非戦闘要員のほとんどを占めるのが女子供−娼婦と輜重の少年−である。
まず娼婦であるが、まあこれは古今東西の軍隊にはつきもので、兵士の士気を保つためにも駐屯地の治安維持のためにも「必要悪」であった。
実際に遠征に娼婦を伴うという制度はごく最近の軍隊でもあったし、現在でも軍隊の駐屯地付近には必ず色街はあるものである。
 またローマ帝国の崩壊から現代までのヨーロッパというのはいわば戦国時代みたいなもので、常にどこかで戦争があり、多くの一般庶民が戦災に遭って路頭に迷っていた。その状況で男たちは生きていくために傭兵になり、
女たちは生きていくために娼婦になった。どちらも身体ひとつを元手にやれる商売であったし、特にキリスト教の教理で酷く蔑まれた女が中世、近世のヨーロッパでできる商売はこれしかなかったのである。
 もっともランツクネヒトの場合は家族ぐるみで入隊する場合も少なからずあったので、それを職業にする女性以外にまっとうな妻(変な言葉だが)も居たが、どちらにしても彼女らを待っていたのは、
同時代の大都市の廓で不自由だが絹と白粉に包まれて暮らしている高級娼婦たちなどには想像できないような苛酷な生活であった。
 まず炊事、洗濯は当たり前。さらに病人や負傷者の看護、下水道なんて無いからそこら中に男たちが勝手に撒き散らした糞尿の処理、攻城戦で城壁を越えるためのトンネル掘りや行軍をスムーズに行なうための街道の整備、
そして物資運搬用のロバなんて高級なものは持ち合わせていないので、彼女たちは行軍中の荷物運び(最低でも30キログラム以上の荷物を背負っていたらしい)までやらされた。
もちろん戦闘が始まれば彼女らも命の保証は無く、もし運悪く味方が負ければ敵に囚われて遊び半分で凌辱されて、なぶり殺しという運命が待っていたのである。
0593某研究者
垢版 |
2017/10/09(月) 14:10:35.33ID:elMqVTYL
>>592
それは輜重の少年たちにも言えることで、彼らはランツクネヒトの共同体の最下層の身分であるために散々にこき使われた。彼らの最も重要な仕事は荷物運びよりも民家や畑に忍び込んで鶏や作物を盗むことで、
捕まれば農民たちに八つ裂きにされ、何も盗ってこれなければランツクネヒトたちに半殺しにされた。
しかしそれほどの酷い仕打ちを受けても女たちや少年たちはランツクネヒトの共同体を離れなかった。いや、離れることができなかった。この時代、老若男女を問わず学も無く、
技術も無く、金も無い人間が自立して生きていくなど夢物語であり、傭兵たちにしても女たちや少年たちにしてもこの共同体から離れれば、のたれ死にするしかなかったのである。


矢張り傭兵の従者或いは傭兵も
給料が即座に払われないからと言って止められる様な物では
無いと言う事かも知れぬし
食事が得られるだけましと言う事なのかだが
30年戦争時でも同様と言う事かも知れぬが

ベルセルクでも輜重隊の少年の略奪等は
今の所書かれていないし
ファンタジー的な展開と成って来たから
こうした事が書かれる可能性は有るのかだが
過去のエピソードが出て来る場合も有るから
此処で書かれる可能性も有るのかだが
0594某研究者
垢版 |
2017/10/09(月) 14:33:44.26ID:elMqVTYL
>>592
>攻城戦で城壁を越えるためのトンネル掘りや行軍をスムーズに行なうための街道の整備、
そして物資運搬用のロバなんて高級なものは持ち合わせていないので、彼女たちは行軍中の荷物運び(最低でも30キログラム以上の荷物を背負っていたらしい)までやらされた。

女がトンネル迄掘っていたのかだが
16世紀の西欧の場合馬で軍事物資を運んでいるイメージが有るが
全てでは無いと言う事なのかだが
0595某研究者
垢版 |
2017/10/10(火) 14:52:25.91ID:pWqjatEu
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%B7%9E%E5%BE%81%E4%BC%90#.E5.8D.83.E7.9F.B3.E5.A0.80.E5.9F.8E.E6.94.BB.E9.98.B2.E6.88.A6
>千石堀城攻防戦
この時、筒井勢のうち中坊秀行と伊賀衆が搦手に迂回して城に接近し、城内へ火矢を射込んだ。
この火矢が城内の煙硝蔵に引火爆発したため城は炎上、これが致命傷となり落城した。城内の人間は焼け死に、討って出た城兵はことごとく戦死した。

この火矢は意図的に撃ち込まれたのかだが
雑賀衆も銃を重視する余り火矢での攻撃と言うのを
考慮していなかった可能性も有るのかだが
この時点では雑賀衆も弓はそれなりに
使用していたと言う事は無いのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
泗川の戦いでもこうした弾薬庫の爆発が起きているが
火矢や砲で意図的に狙撃した可能性は有るのかだが
忍者が城に火を放って落城させたと言う記録も多いが
火薬庫を爆発させた例は有るのかだが
0596某研究者
垢版 |
2017/10/10(火) 15:00:31.87ID:pWqjatEu
http://ncode.syosetu.com/n3067g/58/
>戦国期の島津兵の剽悍さの理由として、江戸期末期の薩摩藩の軍学者徳田&#37013;興は、鉄砲の活用をあげている。すなわち島津家中において、諸郷に属する衆中といわれる武士達は、
一人残らず五、六匆玉の鉄砲を携帯し、郎党には弓矢・太刀を持たせて、主人の死角にあたる右脇を固めさせたというのである。
そして実際に開戦となると、武士達が繰り抜きで鉄砲を放つ。それが一段落すると郎党に持たせた武具をもって敵に突撃した。
また島津軍の陣立てが他家と際立っていた点として徳田&#37013;興は、地頭衆中制のもと軍団編成の大部分が、専業武士によって構成されていたことをあげている。
すなわち他家に比較して、専業武士の比率が極めて高かったことが、島津軍の強さの秘密であったというのである。

島津軍も騎馬武者の比率が多いのかだろうし
銃の精度の高い徒武者が多いと言う事なのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)
0598名無し三等兵
垢版 |
2017/10/12(木) 15:42:31.91ID:14z/LhVj
日本に伝来した火縄銃と三十年戦争のマスケットじゃ80年ぐらい開きがあるからなぁ
口径も運用も各大名単位でバラバラだし、単純な火力の投射量じゃボロ負けじゃないかね
0600名無し三等兵
垢版 |
2017/10/13(金) 02:17:47.15ID:sKyns19Z
>>599
例えば、三十年戦争のネーデルラント軍で見ると、
口径:前期は19,7mm後期は18,7-8mmでだいたい統一 戦争以前は21,6mmが主流なので時代が下るにつれて軽量化されてる
重量:16世紀だと約7,5kgが標準的だったが、改革以降は約4,5-5,0kg(所謂"ハーフ・マスケット"と呼ばれたやつ)にまで軽量化
射程:条件にもよるが、戦場ではだいたい230mが有効射程 火縄銃は200m前後と言われるので大差ない

運用:訓練を受けた正規の軍隊は7列を基本としたカウンターマーチ(反転行進射撃)での射撃戦が原則 日本の合戦絵図を見ても2段以上の縦深はとられて無さそうだから、投射の密度は単純に考えて3倍以上
編成:銃兵6-8割、他が騎兵と長槍兵。 関ケ原では火縄銃の装備率1割程度だから、軍構成の考え方が根底から違う 日本の編成は槍兵を中核とした白兵重視のもの

知り合いからの受け売りだからあまり詳しいことはわからんが、日本の銃兵の構成は相対的に前時代的なんじゃないかなー、と俺は思う
0601名無し三等兵
垢版 |
2017/10/13(金) 02:32:39.88ID:sKyns19Z
>>600
忘れてた、日本の火縄銃との比較
口径:バラバラ そもそも兵ごとに装備してる銃が違うから当たり前だけど、11mm(二匁半)から18,5mm(十匁)がその範囲 もちろん射程も威力も隊によって違ってくる
重量:歩兵用の銃としては2s-10kgが一般的 二匁半の短銃身の小筒なら1sに満たないものもあるが、だいたい4-7kgぐらい

まあ、まともに比較できるような資料じゃない。 どこの誰と比べるかで結果に大きく差が出るから、実際の運用で比べるべきだね
0602某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 11:29:35.96ID:z+QgZ46Y
西欧の緩発式火縄銃は75m以遠の射撃を禁止されていると言う記述も有るし
日本の瞬発式火縄銃は300m超も有るだろうが
上手い者限定かも知れぬが
銃を多数渡しての連射も有ると言う事かも知れぬが
火縄銃と同数程度は有る弓も緩発式火縄銃より射程は長く
発射速度は2−3倍は有ると言う事だろうか

弾の統一性も
島津軍は6匁の腰筒を大量に装備していたと言うが
此れは6匁で統一されている可能性も有るだろうし
鉄砲足軽は3匁の筒を大量に装備していたかも知れぬが
此れは6匁・3匁クラスの筒と言う意味なのかだが

西欧軍も又杖を使用する大型マスケット銃と
小型のアルケブスとでは
確か口径は違うと言う事だろうが
この2種では口径は完全に統一されていると言う事なのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA
テルシオ1部隊は、A中隊10個、B中隊2個の12個中隊で構成された(兵300名の場合は、A中隊8個、B中隊2個の10個中隊)。
総数は3,000名となり、その内訳は、士官と事務員132名、パイク兵1080名、コルスレット1110名、アルケブス銃兵448名、マスケット銃兵230名である。

テルシオの正面に配置される
大型のマスケット銃はアルケブスの半分程度は有るが
此れの発射速度はどうなのかだが
0603某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 11:50:57.56ID:z+QgZ46Y
>口径:前期は19,7mm後期は18,7-8mmでだいたい統一 戦争以前は21,6mmが主流なので時代が下るにつれて軽量化されてる
>重量:16世紀だと約7,5kgが標準的だったが、改革以降は約4,5-5,0kg(所謂"ハーフ・マスケット"と呼ばれたやつ)にまで軽量化

こうした口径の移行期に弾種が増えていた可能性と言うのも有るのかだが


>射程:条件にもよるが、戦場ではだいたい230mが有効射程 火縄銃は200m前後と言われるので大差ない

雑兵物語だと銃は距離1町(109m)毎に射撃位置を指定していたと言うから
射撃開始は2町(218m)と言う事は無いかも知れぬし
弓の場合400−500mから射撃を開始している例が多いと言うから
少なく共銃の上手い者は同程度の距離以上から
銃を渡す等して連続射撃していた可能性も有るのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9#cite_note-487
>朝鮮の同時代史料である懲録には「弓矢の技は百歩に過ぎないが、鳥銃はよく数百歩に及び、(中略)とても対抗できない」(東洋文庫版283頁)とある。

数百歩は200歩(240m)では無く
此れ以上の距離と言う可能性も高いのかだが
300歩(360m)等では上手い者に銃を渡しての連続射撃が基本かも知れぬが
この距離では弓に比べ制圧力は有ったのかだが
テルシオの様な密集隊形は兎も角
散開している兵への命中は弓の曲射では
360mでは余り期待出来ないのかだが
0604某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 12:06:41.77ID:z+QgZ46Y
>運用:訓練を受けた正規の軍隊は7列を基本としたカウンターマーチ(反転行進射撃)での射撃戦が原則 
日本の合戦絵図を見ても2段以上の縦深はとられて無さそうだから、投射の密度は単純に考えて3倍以上

精度の高い多段射撃が出来るなら
フサリアが縦に重なって散開した突撃体勢を取ろうと
前の兵から連続で倒して阻止出来る筈だろうが
現実にはスウェーデンもフサリアにやられている訳だろうが
一点に騎兵を集中して装填中に撃破したと言う事なのかだが

http://daimyoshibo.la.coocan.jp/mil/polish_hussars.html
>その前に、先ほどの例に戻って今一度考えよう。歩兵の射撃はどれだけの損害をフサリアに与えるであろうか? 射撃によってフサリアを止めることはできるだろうか?
 答えはノーである。数値を見れば、それは明らかである。
 当時のマスケット銃の最大射程は250mから300mであった。マスケットの一世代前の銃、アーケバスならば最大射程はたったの150から200mであった。
 しかも、その距離の射撃では単に火薬が無駄になるだけだったろう。当時の火器の精度は非常に低かったのだ。19世紀のシャルンホルストの研究においてでさえ、射程300mの対騎兵射撃の命中率は、1000発に対して65発にすぎない。
 この研究は火打石銃について行われたものであるが、火縄銃についても同様の数値が得られるであろう。この二つは発火の方式が違うだけで、銃身の構造や弾道の性質に違いはないからだ。

ハンマーの衝撃の強い火打ち石銃より
火縄銃の方が精度は高いかも知れぬが
火打ち石と違い緩発式であると言う事は考慮すべきと言う事なのかだが
銃身の精度も日本の火縄銃より低いと言う事だっただろうか


>当時の教本では、マスケット銃は75mを超える射程では射撃を試みてはならない、と定めていた。そのような短い距離は、フサリアにとってはほんの一瞬の距離である。

此れは果たして事実なのかどうかだが


>射撃を続ける場合には20秒に1回の割で新しい列が現れる。

多段射撃では6秒に一発と言う事だっただろうが
此れでもフサリアは阻止出来なかったと言う事だろうか
0605某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 12:20:19.94ID:z+QgZ46Y
>日本の合戦絵図を見ても2段以上の縦深はとられて無さそうだから、投射の密度は単純に考えて3倍以上

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83#.E5.85.B5.E5.A3.AB.E3.81.AE.E9.85.8D.E7.BD.AE
>中国明末の崇禎11年(1638年)刊行の畢懋康『軍器図説』に収められた「輪流放銃図・輪流進銃図・輪流装銃図」には15人の人物が5人3列に並び、
三段撃ちをしている図が描かれている。16世紀までの明の軍学書に同様の記載が見られないことから、文禄・慶長の役で日本軍と戦った明軍が
日本の火縄銃を大量に鹵獲するとともに投降した日本人(降倭)から運用法を学び、楊応龍の乱平定などの実戦機会を経て、
三段撃ち等の日本式火器使用法を取り入れていったのではないかとの見方もある[24]。

3列での射撃なら慶長期の日本にも有るのかも知れぬが
遠距離では上手い者に銃を大量に渡しての射撃が
基本と言う事では無いのかだが
0606某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 12:31:35.12ID:z+QgZ46Y
http://www.sanken-intl.co.jp/arcive_sanada/contents/column/hinawa/teppo_tai.html
>また、町打(ちょううち)という100mをこえる遠距離射撃も行われたそうで、3町(327m)の距離から3尺(90cm)の的を打って競ったというのには驚かされる。

とは言えこの距離から90cmの的に当てられる技術が有る兵は
小数と言う事なのかだが
テルシオやオランダ・スウェーデン式大隊の銃兵は
暴発を考慮してやや散開しているかも知れぬし
90cmの幅よりは小さい的を考慮する必要も有るのかだが
弓の曲射も密集した槍兵よりは命中し難いと言う事だろうか
0607某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 12:56:24.19ID:z+QgZ46Y
https://www.pinterest.co.uk/pin/472948398354589392/
テルシオの銃兵は割に密集しているのかも知れぬが
オランダ・スウェーデン式大隊では
前後の列が入れ替わるから
http://2.bp.blogspot.com/_UqsRf118B2I/SZ0dnXM1nUI/AAAAAAAAD8E/ZSLjEJ_bbsQ/s400/revell+30+years+war.jpg
上の様にテルシオの銃兵程密集していないと言う事なのかだが

カウンターマーチ等の6秒に一発等の
単位を決められた一斉射撃で
300m等の遠距離の照準等がまともに出来る共思えぬ訳だが
日本は基本的に一斉射撃は無いと言う事だろうか
0608某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 13:11:20.82ID:z+QgZ46Y
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA#.E3.82.AA.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.83.80
>さらにマウリッツは斉射戦術を発展させ、背面行進と呼ばれる戦術を編み出した。まず、前列の兵が斉射する。その後、前列の兵は最後尾に移動して装填を行う。
その間に、後列の兵が進み出て斉射をする。これを繰り返すことによって、理論上は間断なく斉射を行える。

>また、グスタフ・アドルフは背面行進以上に攻撃的な、漸進斉射戦術と呼ばれる戦術を編み出した。まず、前列の兵が斉射する。
その後、前列の兵は最後尾に移動せず、その場で装填を行う。後列の兵は前列の兵の前に進み出て斉射をする。これを繰り返すことによって、敵に接近しながら斉射を加えるのである。


オランダ・スウェーデン式大隊の銃兵も
前列の射撃後に後列は前に出て射撃する必要が有る訳だろうし
連続射撃の間の6秒には前に出る時間も含まれると言う事なら
照準に使える時間は3秒以下かも知れぬし
こんな時間で300m先等をまともに狙えるのかどうかだが
0609某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 13:27:24.34ID:z+QgZ46Y
http://2.bp.blogspot.com/_UqsRf118B2I/SZ0dnXM1nUI/AAAAAAAAD8E/ZSLjEJ_bbsQ/s400/revell+30+years+war.jpg
上の様な横方向に散開した陣形の場合でも
甲冑を装備していない銃兵の体を火縄銃の弾が抜け
後列の者に迄ダメージを与える可能性も有るのかだが
主力の2匁クラスの筒で300m等ではどうなのかだが
4−6匁程度の長い筒も野戦では使われたのかも知れぬが
数は有るのかどうかだが
10匁以上の狭間筒等で狙撃されれば一気に5名10名等が貫通され
やられる危険も有るのかだが
これも数は無いだろうがイサックの様に上手い者に集中して使わせれば
損害は可成り出る可能性も有るのかだが
彼等は指揮官を狙撃する可能性も高いのかだが
指揮官全滅後はこうした攻撃も有り得るのかだが
0610某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 14:00:40.98ID:z+QgZ46Y
上手い人間に多数の銃を渡すと言っても
遠距離狙撃では射撃に10秒は掛かるかも知れぬし
1丁の銃の装填は早合使用では20秒だろうから
3−4丁も有れば十分と言う事なのかだが
大型の銃は早合使用でも20秒よりは
装填速度はやや掛かると言う事なのかだが
6匁長筒なら備1つに4丁等は揃えられるかも知れぬが
10匁長筒はどうなのかだが
0611名無し三等兵
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2017/10/13(金) 14:54:54.42ID:sKyns19Z
ヨーロッパ側の資料見ると、狙って撃つことは重要な事じゃない感じなんだよね
この時代の操典は隊形運動と装填の速さばっかり重視で、「どれだけ弾を撃ちこめるか」てことに注力してる
想定してるそもそもの交戦距離が近いから"時間当たりの投射量"を高めようとしてるみたい
それと、スウェーデン陸軍は小銃の軽量化に遅れてたけど、特に戦争前半でそれによる問題が出たりした記録は無さそう ただオランダ軍が導入を薦めてた(自国の兵器を売り込んでた?)という事があったってだけ

フサリア以上の突破力を持つ騎兵集団が他に存在しないから、それ以外の比較はあまりアレだけど、
よっぽど小規模でない限り、小銃の弾幕じゃそもそも騎兵突撃は防げないよ 問題はその先。
フサリアみたいに、「大量の重装騎兵による突破力で敵陣を粉砕する/機動力で蹂躙する」という戦術は日本の武士には見られん(というか大抵の国はできない)ので、「突破して戦果を拡大できるだけの衝撃力があるか?」という疑問が常に出てくる。
敵の統率が崩れてたら衝撃力も相対的に向上するからいける可能性高いけどね 近代のヴィスワ川でも大成功したんだし

それと「銃の上手い者が装填手を使って連続射撃する」ってどこの話? 雑賀の地侍とか一向一揆みたいな非正規の軍隊でしか聞かないんだけど
0612名無し三等兵
垢版 |
2017/10/13(金) 15:31:05.48ID:mMk4540o
>>611
ライフルマン等のシャープシューターも長距離狙撃が全てでは無かったですしね
当てられる距離まで接近する能力も射撃と同じ位重要

コルベール将軍と副官の狙撃に成功した95ライフル連隊のプランケットも、言われている様な長距離(600ヤード)から狙撃したのでは無く、もっと接近して狙撃したとする話も連隊内に有ります
「コルベール将軍を発見すると、彼は中隊の持ち場を飛び出し、 目標に向かって走りだした」
こう、証言している連隊の兵士が
0613某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 15:40:38.02ID:z+QgZ46Y
>ヨーロッパ側の資料見ると、狙って撃つことは重要な事じゃない感じなんだよね

テルシオは兎も角オランダ・スウェーデン式大隊の銃兵は
後列の兵が前に移動する関係上割に散開しているだろうから
遠距離で適当に放っても何処迄当たるのかだが
とは言えマスケット銃の威力は10匁狭間筒程度は有るだろうから
75m等で万一命中すれば銃兵には胸甲は基本的に無いから
同時に後列の複数人が貫かれる危険は有ると言う事なのかだが


>フサリア以上の突破力を持つ騎兵集団が他に存在しないから、それ以外の比較はあまりアレだけど、
よっぽど小規模でない限り、小銃の弾幕じゃそもそも騎兵突撃は防げないよ 問題はその先。
フサリアみたいに、「大量の重装騎兵による突破力で敵陣を粉砕する/機動力で蹂躙する」という戦術は日本の武士には見られん(というか大抵の国はできない)ので、「突破して戦果を拡大できるだけの衝撃力があるか?」という疑問が常に出てくる。
敵の統率が崩れてたら衝撃力も相対的に向上するからいける可能性高いけどね 近代のヴィスワ川でも大成功したんだし

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA
>18日に発生した最大の合戦では道雪自ら陣頭に立って先に鉄砲800挺を2隊に分けられ、自分が発案した「早込」(「早合」ともいう。
1発分の火薬を詰めた竹筒の束を鉄砲隊の肩にかけさせる工夫)を用いて二段射撃して後は槍隊を繰り出して突進、
続いて自分が率いて騎馬隊は馬を乗出し敵の中へ縦横に突て廻りける「長尾懸かり」というかけ合い戦法で毛利方の主力である小早川勢を撃破したが、

戦国期でも立花道雪が集団の騎兵突撃らしき物をしているが
どの程度の集団でなのかだが
フサリアの様にいきなり騎兵突撃等はしていないだろうが
フサリア重騎兵コムラーデも砲兵が居なく共
軽騎兵パンセルニの弓で敵を幾らか混乱させた後
突撃している可能性も有るのかだが

雑兵物語でも関東の騎馬武者の30名での同時乗馬突撃は見られるが
此れもいきなりの突撃では無く
一つの備単位での騎馬武者の同時突撃と言う事だろうか
0614某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 16:00:11.28ID:z+QgZ46Y
>>613
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E3%80%85%E8%89%AF%E6%B5%9C%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3)
立花道雪の兵が集団での乗馬突撃をした
多々良浜の戦いの大友軍は4万だろうし
此れに含まれる騎馬武者恐らく4000程度の全てが
一斉に乗馬突撃した訳でも無いだろうし
最大でも立花道雪(戸次鑑連)の分だけと言う事なのかだが
此れは1000騎も居たのかだが
0615某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 16:19:21.46ID:z+QgZ46Y
>それと「銃の上手い者が装填手を使って連続射撃する」ってどこの話? 雑賀の地侍とか一向一揆みたいな非正規の軍隊でしか聞かないんだけど

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83
>1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行う方法があり、これにより素早い連射が可能である。
これは鉄砲傭兵集団としてその名を知られた雑賀衆、根来衆の得意とする戦術であった。石山合戦で本願寺側に付いた彼らは、織田勢を大いに苦しめた。
この射撃手・助手を分業する射撃運用法を烏渡しの法と上杉流軍学では称したと伝えられ、また後世紀州徳川家においては薬込役という、
御庭番の前身である職名にその痕跡を残している。

此れは上杉や徳川でも使われた方法なのかだが
何処迄使われていたのかだが
他には
http://dic.nic ovideo.jp/a/%E7%A8%AE%E5%AD%90%E5%B3%B6%E4%B9%85%E6%99%82
>「泗川の戦い」では、10倍の敵軍に対して百発百中の鉄砲の腕前と銃を次々取り替える事で速射する技での一斉射撃を家臣と共に披露して、
史上最大規模の釣り野伏せを成功させるのに尽力し、種子島久時は、馬や従者にもたせた鉄砲を次々と使いながら戦場で敵を屠り続けた。

種子島久時及びこの家臣が同様の事をしたと言う記述も有るが
島津軍では何処迄使われたのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646561797493/
大阪冬の陣図でも装填手が前列の銃兵に銃を渡そうとしている様な
場面が有るが
此れは果たしてそうなのかだが
こうした城攻めでは銃の上手い者に銃丸や壁の上から射撃をする兵を
銃を多数渡して素早く狙撃させていた可能性も有るだろうが
銃丸等に何処迄当てられたのかだが
0616某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 16:51:45.97ID:z+QgZ46Y
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83
>1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行う方法があり、これにより素早い連射が可能である。
これは鉄砲傭兵集団としてその名を知られた雑賀衆、根来衆の得意とする戦術であった。石山合戦で本願寺側に付いた彼らは、織田勢を大いに苦しめた。

1570年からの石山合戦に参加した信長軍も
こうした射手に銃を多数渡す戦術を模倣した可能性も高いのかだが
長篠では此れはしていたのかだが
0617某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 17:20:57.49ID:z+QgZ46Y
>編成:銃兵6-8割、他が騎兵と長槍兵。 関ケ原では火縄銃の装備率1割程度だから、軍構成の考え方が根底から違う 
日本の編成は槍兵を中核とした白兵重視のもの

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
>合計…侍35人、奉公人112人、足軽141人、中間5人、人夫39人、口取22人(計354人) 乗馬32頭、駄馬22頭(計54頭)

日本軍の備の戦闘員の比率は半数程度だろうし
弓+銃なら全体の20%程度だろうから
日本軍でも戦闘員の4割程度は
長射程の射撃武器を使用していると言う事かも知れぬが
騎馬武者も下馬してなら銃や弓を使う者も多いし
此れも長射程の射撃武器を使う者に加わる訳だろうか

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA
>オランダ軍の基本編成は大隊で、定数は550名程度だった。内訳は士官11名、パイク兵250名、銃兵300名だった。
>スウェーデン軍の基本単位は中隊で、定数は150名であった。その内訳は士官16名、パイク兵54名、マスケット銃兵72名、事務員8名であった。

オランダ軍歩兵の銃兵の比率は55%程度
スウェーデン軍歩兵の銃兵の比率は
50%程度だろうし
騎兵を入れれば長い銃を使う者の比率は更に低下するだろうが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1632%E5%B9%B4)
リュッツエンのスウェーデン軍は騎兵6200・歩兵12800であるから
銃兵の比率は30%程度と日本軍の長射程の射撃武器を持つ戦闘員より
少ない可能性も有るのかだが
0618名無し三等兵
垢版 |
2017/10/13(金) 18:42:59.71ID:V5LvOUiz
>616
射手と装填手が分かれてるのは、特に戦国前半は極普通っすよ
元々、侍は従者が弓や長柄武器を携行して随伴し、状況に応じて武器を持ち替える
ってのが基本。火縄銃が高価で上級武士の武器とされていた頃は、隣りに従者が
控えてますから‥

鉄砲三発のうち必ず敵にあてること、その後 鉄砲を陪卒に渡し、刀や槍で白兵戦‥
という島津家久のドクトリンからは、持続射撃、従者の存在、そして鉄砲が(一般歩兵
が大量・集中して持つという織田等と比べて)武士の武器であるという前時代性が
伺えますね
0619名無し三等兵
垢版 |
2017/10/13(金) 18:43:44.89ID:z+QgZ46Y
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82#.E7.94.9F.E3.81.84.E7.AB.8B.E3.81.A1.E3.80.9C.E7.AB.8B.E8.8A.B1.E5.AE.B6.E7.9B.B8.E7.B6.9A
>そして平山城を包囲する一揆方隈部氏配下の有働兼元軍を統増や米多比鎮久ら騎馬鉄砲[注 8]の先陣が引き離しつつ、

此れは馬上筒装備の部隊なのかどうかだが
立花宗茂の軍は立花道雪の様に
乗馬突撃は重視したのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82#.E8.B1.8A.E8.87.A3.E6.99.82.E4.BB.A3
>そして先に鉄砲200挺を三連射し、

此れは三段撃ちと言う事は無いのかだが
0620某研究者
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2017/10/13(金) 23:13:18.85ID:z+QgZ46Y
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12142601427
>さらに、立花宗茂は騎馬鉄砲の「火車懸」なる戦術も用いていたとされます。

火車懸と言うのは名前からしてカラコール戦術的な物にも見えるが
立花宗茂が此れを模倣した可能性も有るのかだが
銃は高精度の大型の物を使用していた可能性も有るのかだが
カラコールの様に多数の騎馬武者が同時に動員されている可能性も有るのかだが
0621某研究者
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2017/10/14(土) 14:47:20.81ID:atDsAjlR
http://pin.it/2kYmZtS
黒田屏風に鉄砲足軽が 
伏せて銃を撃つ場面が有るが 
此れは被弾面積を減らそうとしての物なのかだが 
銃撃に怯んで伏せたと言う可能性も有るのかだが 
低い位置から鉄砲足軽の装甲の無い脚の
同時多数貫通を狙ったと言う可能性は有るのかだが
(足軽胴の同時多数貫通等は
 主力の2匁クラス筒では無理な訳だろうか)
0622某研究者
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2017/10/14(土) 15:20:50.23ID:atDsAjlR
https://youtu.be/G-r4_XzZxOg
日置流の様な射撃時以外は伏せている射法を 
弓足軽は基本的に皆していたのかだが 
鉄砲足軽はどうなのかだが 
鉄砲足軽の様に射撃時も伏せている例も有るのかだが
合戦図では鉄砲足軽・弓足軽共に
立って射撃している例が多い訳だろうが
此れはリアルなのかどうかだが
0623某研究者
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2017/10/14(土) 15:39:51.19ID:atDsAjlR
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%BD%AE%E6%B5%81
>的は日置霞(へきがすみ)と呼ばれる独特の模様の物を用い、多人数で射る場合も一つの的を全員で射るのが本来正式である。これは、集団で向かってくる敵兵の先頭の者を確実に射倒す事で、敵兵の戦意を削ぐ為である。
また、もし敵兵を射損じた場合でも、外れた矢が足元に突き刺さる方が、頭上を飛び越えて行くよりもより敵に恐怖感を与える事が出来るため、的は地面すれすれの低い場所に立てて稽古した。

此れも弓足軽の基本射法なのかだが
敵の最前列の脚等を集中的に狙っていたのかだが
遠距離ではどうなのかだが
銃ではどうなのかだが
0624某研究者
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2017/10/14(土) 16:03:35.46ID:atDsAjlR
http://2.bp.blogspot.com/_UqsRf118B2I/SZ0dnXM1nUI/AAAAAAAAD8E/ZSLjEJ_bbsQ/s400/revell+30+years+war.jpg
マスケット銃の場合確かスウェーデン軍でも杖が有るだろうから
立っての射撃が基本と言う事なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562110510/
日本の射法を参考にしたかも知れぬ上の明の三段射撃では
伏せずに立っているが
日本でも移動速度を重視する場合はこう言う例も有るのかだが


集団で乗馬突撃して来る関東や立花道雪等の騎馬武者に 
側面等から馬の脚に向けて雁股矢を発射し脚を大量に射切って大混乱させると言う様な例は果たして有るのかだが 
銃ではどうなのかだが
日本軍の場合至近距離からでも射撃をするから
スウェーデンやポーランドの騎兵が日本の備に突撃しても
こうした事が起きる可能性は有るのかだが
0625某研究者
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2017/10/14(土) 16:12:19.41ID:atDsAjlR
https://www.pinterest.jp/pin/327848047848694431/
ロングボウにも雁股鏃の様な物は有るが
幅は平根鏃より無いし
ロングボウも側面から近距離で射撃をしていたと有るから
幅広の平根鏃等で馬の脚を側面から同時多数射斬る等と言う事を
していた可能性は有るのかだが
0626某研究者
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2017/10/14(土) 18:18:44.66ID:atDsAjlR
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12137941922
>島津の車撃ちが有名です。
長篠の戦い1575年のはるか以前、
1554年の岩剣城の戦いで車撃ちを使用しています。

数列の隊列を作り先頭が射撃を行うと最後尾が戦闘に躍り出て射撃。
自分たちが最後尾になるまでに装填を終わらせ、
先頭が射撃したら回りこんで射撃を繰り返します。

1554年にこうした物が果たして有ったのかだが
他家ではどうだったのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD
ポーランドの1558年には有る物を
参考とした訳では無いと言う事なのかだが
0627某研究者
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2017/10/14(土) 18:31:19.91ID:atDsAjlR
http://sengokuranse.blog41.fc2.com/blog-category-4.html
>また鉄砲伝来とその早期配備により<車撃ち>という優れた戦術も開発されました。(銃列を5列に分け、装填を終えた5列目が、撃ち終わった1列目を越して最前列になり、発砲し、
それを4列目が越して発砲、
というように順番に撃っていく戦術で、当時の鉄砲の欠点の速射性のなさを、みごとに補った優れた戦術です。) 

車撃ちも1554年時点で5段だったのかだが
2列目が次に発砲しないのはどう言う事なのかだが
0629某研究者
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2017/10/14(土) 22:56:24.47ID:atDsAjlR
村上海賊の娘に立射・膝射・伏射の銃兵を組み合わせて
ほぼ同時に銃を放つ
雑賀の三段構えと言うのが出て来て
此れに塙直政の三段撃ちがやられているが
此れは現実には無いと言う事なのかだが
立射と膝射の二段構えなら有ったと言う事なのかだが
その様な事をしても物量の差で損害は必至だろうし
障害物を利用しての射撃や
銃の上手い者の遠距離からの狙撃を
重視していたと言う事では無いのかだが
0630某研究者
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2017/10/14(土) 23:25:25.68ID:atDsAjlR
村上海賊の娘で
雑賀衆に眞鍋海賊が徒歩で散開し飛び道具の援護も無く
突撃すると言うのも有るが
スコットランド兵が似た様な事をしていただろうが
1575年の海賊なら弓と小数の銃の援護は有るかも知れぬし
弓で銃撃を牽制しつつ乗馬突撃し乱戦に持ち込み
銃を封じると言う様な事も有り得るのかだが
雑兵物語を見る限り日本の場合は乱戦突入後も
射撃戦をしているから
歩兵突入迄弓の援護が
引き続き必要と言う事なのかだが
兎も角距離を詰めないと高精度の銃で弓の射程外から
アウトレンジされ続けると言う事だろうし
弓の射程に入れば銃兵は障害物が無ければ
可成り牽制出来る可能性も有るのかだが
弓に対抗する為に垣盾を装備している可能性も有るのかだが
0631名無し三等兵
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2017/10/18(水) 06:06:18.23ID:b73QZsZO
「三連発輪廻銃(1600年あたり)」サムライガトリングとか言われてるけど

最古のガトリングってなに?
0632某研究者
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2017/10/18(水) 11:50:14.67ID:gcS/b1VS
sanmei.com/contents/ja/p1571.html
>日本で初めての回転連発方式は江戸時代の元和(1615〜1624)に井上外記が考案した 『三捷神機』が祖である。  

と有るが此れ以前に
http://pin.it/DsteeGK
16世紀前半の欧にこうした回転式の多銃身の火縄銃も有るから 
日本に此れが早期に入り 
16世紀にも同様の物が作られていた可能性も有るのかだが

拳銃のリボルバーの様な物なら
http://labaq.com/archives/51822634.html
上の1597年のフリントロックの物が最古なのかだが
こうした物は日本には入ったのかだが
0633某研究者
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2017/10/18(水) 12:00:30.85ID:gcS/b1VS
http://www.japanese-sword.jp/antique-gun/1610-7010.html
上の火縄銃は弾が同時に3発出るタイプだろうが 
弾が扇状に広がるタイプでは無いから
馬を利用しての地形の影等からの一撃離脱時等の 
遠距離の短時間での狙撃をする為に使える可能性も有るのかだが 
戦国期に同様の物は有るのかだが

ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E9%80%A3%E7%99%BA%E6%96%89%E7%99%BA%E9%8A%83
同時に多数の弾が出るタイプの火縄銃は 
17世紀に徳川家光が作らせた物が初の物なのかだが
16世紀には無いのかだが
0634某研究者
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2017/10/18(水) 12:17:04.10ID:gcS/b1VS
http://sportsantique.jp/?p=1433  
上は馬上20匁筒等と有るが 
こんな物を馬の上で使っていたのかだが 
2匁の可能性も有るのかだが
具足の胴を馬上から50m等で貫くのに20匁も要るのかだが
指揮官の30kgの胴等なら或いはどうなのかだが
馬上から竹束を地形の影から出て
射撃後地形の影に退避すると言う様な
方向で使用した可能性も有るのかだが
0636名無し三等兵
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2017/10/18(水) 13:31:00.68ID:PL3KuosB
連発銃って意味でガトリングを言ってるならカウチガンとか拐子銃当たりが最古だろうけど、
構造的に近いものを言ってるならハーモニカピストルが最初じゃないかな 全部使い勝手悪すぎて廃れたが
0637某研究者
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2017/10/18(水) 14:31:43.62ID:gcS/b1VS
雷管式の脇差鉄砲と言うのも幕末に有るが 
火縄式の物等は戦国期に有るのかだが 
http://aucview.aucfan.com/yahoo/j452576316/
火縄式の十手なら上に有るが 
刀では無くこうした銃を仕込んだ金棒(或いは大型の十手)を
サブ武器としている様な騎馬武者等は戦国期に居たのかだが
0638某研究者
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2017/10/18(水) 19:16:15.03ID:gcS/b1VS
リボルバー式の長い騎兵銃は
ガス漏れの問題が有るかも知れぬし
多銃身の物も恐らく大量生産はされてはいないだろうが
リボルバーのピストルを
精鋭騎兵等が大量装備した例は有るのかだが
0639名無し三等兵
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2017/10/18(水) 21:51:27.73ID:PL3KuosB
>>638
一応1855年からの3年ぐらいはリボルビングライフルが流行ったけど、それ以外では正規の軍隊ではどこも配備してないみたい
ガス漏れもあるけど、弾倉内への引火→暴発で左手吹っ飛ばされたり、発砲炎で焼かれたりと安全性に問題があったからだと
それ以前の近世のだと装填に手間がかかるせいで軍隊に不向きだし
0640名無し三等兵
垢版 |
2017/10/19(木) 10:34:19.01ID:RMANWnWb
>>632
リボルバーじゃなくて、輪廻銃みたいな銃身がクルクル回るやつは16世紀の欧にあるってこと?
0641名無し三等兵
垢版 |
2017/10/19(木) 10:40:04.81ID:RMANWnWb
>>631で出した、銃身がクルクル回る?銃の最古が気になる
0642名無し三等兵
垢版 |
2017/10/19(木) 10:43:28.30ID:OMNV4V2j
例えば、ペッパーボックス型で、自動回転にこだわらないなら、明国の三眼銃があったよ。
日本にも、秀吉の朝鮮征伐で、少数が鹵獲されたはず。
0643某研究者
垢版 |
2017/10/19(木) 12:06:00.53ID:4f7ahzbe
>リボルバーじゃなくて、輪廻銃みたいな銃身がクルクル回るやつは16世紀の欧にあるってこと?

リボルバーの場合は
https://en.wikipedia.org/wiki/Revolver#History
wikipediaには16世紀後期の独で最初期の物は作成と有るが
http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=7517&;highlight=matchlock+musket
一番下の火縄式リボルバー等は
1530−1550年の物だろうが
最古の物はどうなのかだが

多銃身タイプは
http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=12712
上に1530−40年の物も有るが
最古の物はどうなのかだが


>銃身がクルクル回る?銃の最古が気になる

sanmei.com/contents/ja/p1571.html
日本で初めての回転連発方式は江戸時代の元和(1615〜1624)に井上外記が考案した 『三捷神機』が祖である。

日本の物は元和年間の物が初と言う事なのかだが
此れ以前にも西欧の物が入り此れを参考に
リボルバーや多銃身タイプの銃が作られた可能性も有るのかだが
0644某研究者
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2017/10/19(木) 12:07:44.85ID:4f7ahzbe
>例えば、ペッパーボックス型で、自動回転にこだわらないなら、明国の三眼銃があったよ。
日本にも、秀吉の朝鮮征伐で、少数が鹵獲されたはず。

このタイプの物は応仁の乱頃には使用されていただろうが
三眼銃は弾が同時に三発出るタイプだろうから
http://www.japanese-sword.jp/antique-gun/1610-7010.html
日本でも上の様な銃が此れを参考としている可能性も有るのかだが
西欧の物を参考とした可能性も有るのかだが
0645某研究者
垢版 |
2017/10/19(木) 13:23:05.05ID:4f7ahzbe
http://manpokei1948.jugem.jp/?eid=141
>左の写真を見ていただきたい。銃身の先端に小さな突起がある。これを「先目当(さきのめあて)」という。
銃身の中程には、「前目当(まえのめあて)」というものがあり、この前目当と先目当と標的が一直線になるように狙いをつけるという寸法。
この先目当が、上の写真のものは角張ったままなのに、下の写真では斜めに丸みを帯びた金具が付いている。
これは狩猟用の火縄銃、つまり猟銃なのだそうだ。鉄砲を抱えていて、銃の先が木々に引っかからないようにするための工夫だという。

戦場用の銃にも高級品にはこうした金具が付いている例は無いのかだが
立花宗茂の様に矢を防ぐ為に森に逃げる等の戦術を
多用している軍はこうした金具を大量に使用している可能性は無いのかだが
0646名無し三等兵
垢版 |
2017/10/19(木) 21:13:10.01ID:+pOJJnvs
三眼銃ってのはこんなだよ。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/110118/98518/54612640
タッチホイール式の石火矢だね。

他にも、倭寇との戦いで、6銃身の物を作ってたが、それもタッチホイール式の石火矢だったはず。


以前、某研が仕込み銃の事を書き込んでいたが、薙刀の持ち手に仕込んだ物は、主に中国で使われていた。
0647某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 13:43:50.32ID:oEz+7dSR
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/110118/98518/54612640
>三眼銃などの中国式火砲は敵が接近した際に発射して、その後は銃をこん棒のように振り回し打撃武器としても使ったそうですが(派生型には槍付きの銃あり)、それも納得です。

フロイスも中国の銃砲は日本軍に余り命中していないと言うが
こうした手銃は50mでも散開した日本軍に命中は期待出来ず
日本軍は300mでも銃弾が飛んで来るが
明軍の弓も500m程度で射撃は出来るだろうが
散開した日本軍に曲射で到達時間も掛かる矢は余り命中しないと言う事なのかだが
立花宗茂がやった様に木を障害物として利用されれば
尚更命中し難いかも知れぬが
碧蹄館等でこうした事はしたのかだが
0648某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 14:30:17.59ID:oEz+7dSR
http://www.gaopu.com/mindai.html
明の手銃兵も右の様な腕以外装甲の有る鎧を着ていると言う事の様だが
移動速度はどうなのかだが
後部には鉄が無い可能性も有るのかだが
300mでは日本軍の2匁クラスの筒は止まったとしても
衝撃で可成りダメージを受けるかも知れぬし
そうした遠距離射撃が出来る銃の上手い者が使う物は
威力や風の影響等を考慮して
4−6匁クラスの物が多い可能性も有るのかだが

https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarhu
明の兵もサルフの戦いの時点でさえ
手銃兵の比率は可成り有るのかだが
近距離で射撃すれば可成りダメージを与えられる可能性は有るだろうし
弓は装甲で可成り止まっては居た可能性も有るのかだが
連続射撃は困難であるから
波状突撃の前にやられていたと言う事なのかだが
0649某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 14:57:37.76ID:oEz+7dSR
http://www.gaopu.com/mindai.html
>明の手銃兵も右の様な腕以外装甲の有る鎧を着ていると言う事の様だが

加藤清正が明・朝鮮兵には鉄砲以外役には立たないと言う事を
言っているのは
上の様な鎧或いは藤牌を装備した歩兵が
多い故なのかだが
(無論矢の装甲の無い部分へのまぐれ当たり或いは
 装甲に浅く刺さったとしても白兵戦能力を低下させる効果は有るだろうが)
騎兵の馬にはこの時点では装甲が無いから弓はこちらには
通用していたと言う事なのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%8E%B1%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>東莱城にはすでに釜山鎮の戦いにおいて日本軍が火縄銃を使ったという情報が伝わっており、
朝鮮軍は長い板の防弾盾を大量に作ったが、日本の火縄銃に対しては役に立たなかった[2]。

攻城戦では近距離からの射撃が多いなら
こうした盾も役には立たないかも知れぬが
野戦ではどうなのかだが
日本軍の銃が大型化した形跡が無いから
野戦では防弾盾では無く籐牌が使用されたと言う事なのかだが
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarhu
サルフの戦いの絵では明軍の大型の車付き盾も有るが
陣地戦では無い通常の野戦では使われていないと言う事なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646561173862/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561173858/
こうした明軍の戦車もサルフの戦いの絵では見ないし
果たして何処迄使われたのかだが
0651某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 15:42:36.99ID:oEz+7dSR
https://i1.wp.com/honkan.jp/wp-content/uploads/2016/09/20160925-6.png?w=1000
朝鮮軍の銃兵・弓兵には装甲は
明の様に脚迄は無いのかだが
籐牌兵は居る様に見えるし
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarhu#/media/File:Kang_Yingqian_being_overrun.jpg
上のサルフの戦いの絵に一部有る様に
籐牌兵の背後から銃や弓を放てば
弓に対しては可成り対抗は出来た可能性は有るのかだが
0652某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 16:28:23.50ID:oEz+7dSR
http://honkan.jp/8335/
朝鮮軍歩兵の籐牌を持つ兵には皮鎧が有ると言う事なのかだが
遠距離で籐牌を貫いた銃弾を止める防御力は此れには有るのかだが
少なく共衝撃を止めるのは困難なのかだが
0654名無し三等兵
垢版 |
2017/10/20(金) 16:58:34.24ID:Wdxfnz4c
>>642
三眼銃じゃなくて、ガトリング的に銃身を回せるやつが気になる
0655名無し三等兵
垢版 |
2017/10/20(金) 17:04:45.16ID:bFgifVqj
三眼銃は、三発同時ではなく、三回に分けて発砲する。
それと朝鮮征伐の時の明軍の『戦車』は、なんと荷車に載せた、防盾付きの野戦砲だったりする。
前大戦の野砲みたいな発想だ!
0656某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 17:33:39.43ID:oEz+7dSR
>それと朝鮮征伐の時の明軍の『戦車』は、なんと荷車に載せた、防盾付きの野戦砲だったりする。
前大戦の野砲みたいな発想だ!

https://www.pinterest.jp/pin/343610646561173862/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561173858/
此れは上の物だろうが
砲を装備しない戦車は
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%82%B4%E3%83%B3
紀元前119年には有るだろうが
https://www.pinterest.jp/pin/499618152402246307/
フス派が15世紀に砲装備の物を使用しているだろうが
砲にやられて廃れたと言う事だっただろうが

日本軍が明軍の戦車を貫通する為に銃を大型化した形跡は有るのかだが
サルフの戦いの絵では戦車は無い様に見えるが
日本軍が遭遇したら大鉄砲で狙撃していたのかどうかだが
近距離なら銃弾も貫通する可能性は有るのかだが
散開しても弓が命中する様な距離での銃撃は
避けていた可能性も高いのかだが
大鉄砲で側面から貫通されれば
可成りダメージを受ける可能性も有るのかだが
0657某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 18:02:26.52ID:oEz+7dSR
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E8.BB.8D
>日本軍は歩兵(足軽)が中心で火縄銃と弓を組み合わせて使用し、接近戦用には長槍、乱戦用には日本刀を用いた。
火縄銃は、六匁筒が標準であった日本国内の戦で用いるには威力不足な弾丸重量二匁半(約9.4グラム)の安価で
大量生産のできる比較的小口径のものが主に用いられ、大筒や大鉄砲を含む装備銃砲数のおよそ7割をこの二匁半筒が占めた[注 82]。

とは言え2匁半筒では300m等から明軍の銃兵の脚迄有る装甲や
藤牌を貫けるのかだが
こうした遠距離から狙撃出来る上手い兵は4−6匁等の銃を
使用していた可能性も有るのかだが
慶長の役で多い籠城戦時の近距離からの射撃なら2匁半筒でも
藤牌や鉄札を貫けると言う事だろうか
0658某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 23:08:39.00ID:oEz+7dSR
http://www.gaopu.com/mindai.html
>明の手銃兵も右の様な腕以外装甲の有る鎧を着ていると言う事の様だが

>加藤清正が明・朝鮮兵には鉄砲以外役には立たないと言う事を
>言っているのは
>上の様な鎧或いは藤牌を装備した歩兵が
>多い故なのかだが

一部の五人張り等の弓なら
鉄札は300m等の遠距離でも貫通する可能性も有るだろうが
藤牌を貫通して背後の人間にダメージは与えられるのかどうかだが
0659某研究者
垢版 |
2017/10/21(土) 13:48:53.33ID:U5d4AOzL
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0d/Kang_Yingqian_being_overrun.jpg
上のサルフの戦いの絵の明の火縄銃兵は
手銃兵と異なり肩に迄装甲が有る様に見えるが
手銃兵より格上の兵だからなのかだが
http://www.gaopu.com/mindai.html
上の左の兵と異なり前腕に迄装甲が有る様にも見えるが
彼等も白兵戦は何処迄出来たのかだが
日本兵に似せて苗刀を装備している可能性も有るのかだが

日本軍の場合雑兵物語を見る限り白兵戦突入後も
近距離で射撃をするだろうから
至近距離の弓では鉄札は貫かれ
藤牌も銃や強弓では貫かれていたと言う事なのかだが
清の兵は白兵戦突入後も弓を果たして放っているのかだが
白兵戦突入前に至近距離で弓を放っている絵は有るだろうか
0660某研究者
垢版 |
2017/10/21(土) 14:29:46.17ID:U5d4AOzL
雑兵物語を見ると鉄砲足軽が刀を使うのは
残弾が尽きた後と言うから
其の前は左右に分かれていると言うから
弓足軽同様に近距離で射撃をしていたと言う事なのかだが

http://view.inews.qq.com/a/20170703A084QT00
こう言う密集隊形で静止した藤牌等に10匁士筒等が撃ち込まれた場合
同時に多数の兵がやられる可能性も有るだろうが
騎馬武者は此れは近距離で一発放って突撃していた可能性も有るだろうが
接近戦が苦手な者等は
銃を持つ足軽の様に近距離で銃撃を続けた可能性は有るのかだが
後列に隠れている指揮官に向けて
30匁等の大型銃を前列から近距離で指揮官迄貫通させると言う様な事は行われたのかだが
0661某研究者
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2017/10/21(土) 14:52:52.88ID:U5d4AOzL
雑兵物語では騎馬武者用の士筒等を奉公人が
自分で撃とうとは思わないと書いて有るが
騎馬武者が使用した後であれば
許可が有れば白兵戦突入後近距離で撃っていた者も居ると言う事を
意味している可能性も有るのかだが
0662某研究者
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2017/10/21(土) 16:35:57.67ID:U5d4AOzL
http://www.muneshige.com/column/03.html
黒田長政の火縄銃・墨縄の口径は1.4cmで有るから
4.3匁筒であり
対明・朝鮮用の銃では無い物の
標準サイズの6匁よりは小さいのかだが
黒田長政も銃の名手と言うなら
精度を重視していたのかどうかだが

http://repmart.jp/blog/column/gun-and-bow/
>その宴のさなかに長政と宗茂の間で、鉄砲と弓に関する論争が起きたという。つまり、どちらが武器として有利だろうかという話になったのだ。 
長政は、矢は風で簡単にそれるし、正確に当てられない。銃が有利でもう弓は必要ないのではないか。と主張した。
対する宗茂は弓と鉄砲の両方の名手で、宗茂はどちらにも状況に応じた利点があると語り、例えば鉄砲も雨では無力になると指摘した。
長政は鉄砲はかなりの腕前であり、宗茂も弓は免許皆伝である、両者とも手練れながらも、結果ははっきりと示された。
宗茂が弓でもって見事的に命中させ、勝利した。

とは言え風が乱れていたら
銃が先に命中していた可能性も高いのかだが
銃の雨覆いは碧蹄館直後の時点では無いのかだが
明・朝鮮歩兵には弓は
藤牌や鉄札鎧の前に遠距離では通用し難いが
対騎兵や至近距離の歩兵への連続射撃では有用と宗茂は見たのかだが
0663某研究者
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2017/10/21(土) 16:56:39.48ID:U5d4AOzL
https://blogs.yahoo.co.jp/rowmoment/1009339.html
>島左近率いる騎馬隊の突撃に合い、先手が突き崩されて退却。細川、田中隊も次々に破られた。
その乱戦のなかで、事態収拾のためいに、向うところ敵なしの島左近を狙撃する部隊を編成、
 菅和泉(かんいずみ)に任せた。小高い岡に駆け上った狙撃隊は、左近は馬もろとも被弾し、
倒れたが、馬廻りの部隊に守られて自陣柵内に後退した。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/?tag=%E8%8F%85%E5%85%AD%E4%B9%8B%E5%8A%A9
>黒田隊において鉄砲隊を預かっていたのは菅和泉(六之助)であったが、彼は部隊を
右手にあった小高い場所に駆け上がらさせ、50挺の鉄砲を隙間もなく撃ちかけた。

これにより石田隊の先に進んでいた兵たちは多くが撃ち殺され、あるいは負傷し、島左近も
生死不明ながら銃弾の餌食となった。
ここに敵のひるんだところを、黒田隊は得たりと勇み、即座に突き崩し多くの首を得た。

さて、この一戦において黒田隊に勝利を呼び込んだのは鉄砲隊の活躍だったが、
彼らが活躍したのも当然理由があった。この鉄砲隊に選ばれた足軽たちは特別に選別され、
又者(陪臣)であっても鉄砲の上手で、なおかつ心の健やかな者を選んで編成された部隊であった。
そのため、効果的な攻撃が可能だったのである。

後にこの鉄砲隊の者に「敵との距離はどれほどあったのか?」と尋ねたところ、
「あの時は一町四・五反(およそ150〜60メートル)以上ではないと判断し、そこを少し計算して
撃ちました。」と言っていた。


この50名は100m程度では人に
ほぼ確実に当てられる様な者達の集団なのかだが
こうした部隊が居なければ
東軍は島左近等に中央突破され敗北していた可能性も有るのかどうかだが
0664某研究者
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2017/10/22(日) 16:06:35.41ID:o3whpJ+q
>後列に隠れている指揮官に向けて
>30匁等の大型銃を前列から近距離で指揮官迄貫通させると言う様な事は行われたのかだが

http://www4.airnet.ne.jp/sakura/weapons/weapons.html
装甲に当たると弾は分裂するだろうし
この後貫通力は低下するから
足軽の装甲の無い脚部等を貫く必要も有るのかだが
100匁筒等なら装甲を貫通しても弾は分裂しない可能性も有るのかだが
こうした物は20m等の距離から士大将等に当てられるのかどうかだが
周囲の兵に完全に隠れて位置が把握出来ぬ可能性も有るだろうが
士大将なら指物や大型の兜が上に出ている可能性も有るのかだが
0665某研究者
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2017/10/22(日) 18:13:12.39ID:o3whpJ+q
100匁筒でも草摺や佩楯を貫くのは
精々5人分程度が限界と言う事は無いのかだが
備の最前列から士大将迄は騎馬武者・槍足軽・鉄砲足軽・弓足軽・士大将の護衛歩兵の
4−5列程度と言う事だろうか
旗足軽も居るが此れは戦闘中は最後列に居るのかだが
200匁等ならこうした列の後方迄貫通する可能性も有るのかだが
10m等でも士大将に当てられるのかどうかだが
0666某研究者
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2017/10/23(月) 13:33:54.12ID:IsXZQoWU
https://i.imgur.com/oLSNDyM.gif
上の赤い矢印の様な形で備や本陣備等の士大将や総大将を
側面から狙撃するのは果たして出来るのかだが
通常の備なら上手くすれば指揮官以外を貫通せず
直接狙撃も出来る可能性は無いのかだが
護衛の徒武者が前に配置されている可能性も高いのかだが
本陣備では2−4人程度は貫かないと
駄目と言う事は無いのかだが
0667某研究者
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2017/10/23(月) 16:02:35.86ID:IsXZQoWU
https://rekijin.com/?p=17139
>【 データでわかる関ヶ原の戦い 】裏切り者が出なくても、石田三成は徳川家康に負けていた?!

とは言え島左近が黒田長政の兵に狙撃されず
側方から突破を続けた場合
後方の吉川広家が裏切り毛利軍が徳川本陣を突いた可能性も
有るのかどうかだが
この付近に徳川軍の山内一豊等の予備兵力も居ただろうが
果たして何処迄こうした事に対処出来たのかだが
0668某研究者
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2017/10/23(月) 17:58:13.89ID:IsXZQoWU
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
>これにより備は同時代における西洋の戦闘隊形に較べ高い戦術性、機動力と地形に対する適応力を持ち、
複雑な地形での機動や備単位での迂回、行軍隊形から戦闘隊形への即座転換などをこなす事が可能な上、
豊富な下士官による柔軟な指揮を可能とし、南蛮の宣教師が極めて厳格に操練統率されて居り我々の軍隊では歯が立たないと評した明軍を常々打ち破るなど、正面衝力でも大きく勝った。

下士官と言うのは鉄砲足軽・弓足軽・槍足軽に付いている
士官の事なのかだが
この程度はテルシオ等にも居たと言う事かも知れぬが
明や朝鮮の騎兵が備にやられたのは
彼等は倭寇や北方騎馬民族としかほぼ戦ってないから
敵の障害物を利用した射撃戦には慣れていなかった可能性も有るのかだが
https://read01.com/5624Pz.html
備の正面衝力が上の様な隊形より
果たして有るのかだが
正規軍兵士では銃兵が重装備の鎧を装備しているから機動性は低く
日本軍予備兵力の側面攻撃等でやられていたと言う事なのかだが
備の至近距離からの射撃でも可成りやられていたのかだが
0669某研究者
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2017/10/23(月) 18:04:10.54ID:IsXZQoWU
https://twitter.com/tateita_hi/status/691607972884054016
>基本、まともな陣形を組みませんからね、戦国時代の日本。碧蹄館の戦いも陣形組まない日本軍を壊乱していると誤認したのが、切っ掛けとか。

備も鉄砲・弓・槍足軽には個別の士官(鉄砲大将・槍大将等)が居て
此れの配下の兵種は備の下でも纏まった行動は取っているだろうが
備指揮官の命令の無い侭
移動は何処迄していたのかどうかだが
0670名無し三等兵
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2017/10/23(月) 18:14:49.75ID:AjPcIfgS
備って、体制的には中世の封建軍が発展した形だからなあ
同時代のヨーロッパが近代的な軍制に移行する過渡期だったって事考えたらまだ戦えるのかな
0671某研究者
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2017/10/23(月) 18:46:48.79ID:IsXZQoWU
明軍歩兵前列の銃兵と此れを一部防護する藤牌兵は
日本軍の銃撃でアウトレンジされ壊滅
弓は射程の短いクロスボウの比率も多いから銃と余り撃ち合えず
遠距離からの射撃では散開して木を盾にもし
垣盾を装備しているかも知れぬ日本軍に有効打は与えられ無かったと言う事なのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561201946/
槍兵は銃兵より装甲は無いだろうし
装甲の無い兵も恐らく居るから
騎馬武者と対すればやられていたと言う事なのかだが
槍足軽は騎馬武者の居ない場所で
槍兵に対し同数なら時間を稼ぐ事は出来たかも知れぬし
彼等が時間を稼いだ後他の場所の敵を倒した
騎馬武者が突入していたと言う可能性も有るのかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/52/Pan_Zongyan_being_overrun.jpg
上の陣地の明軍銃兵は盾越しの射撃しかしないからか
足に装甲は無いだろうか
0672某研究者
垢版 |
2017/10/23(月) 19:56:53.51ID:IsXZQoWU
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561201946/
>槍兵は銃兵より装甲は無いだろうし

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562232817/
上の槍兵はやや草摺が短いが
種類が有るのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562232816/
上は日本刀を持つ親衛隊・静粛隊だろうが
ブーツが無いから歩兵かも知れぬが
腕甲・兜は槍兵と違い装備されると言う事なのかだが
0673某研究者
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2017/10/23(月) 20:18:20.80ID:IsXZQoWU
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/1063800596.html
>後期明軍の話が出てたので参考のために
戚継光「練兵実紀」にある対モンゴル戦のための部隊編成
(というか洋書からの引き写しです)

歩兵

歩兵の基本的な単位は12名の分隊である。分隊は2種類に分けられる。
1つはマスケット兵の分隊で、分隊長、10名の銃手、伝令からなる。
もう1つは"殺手"の分隊で、分隊長、10名の様々な近接兵器をもった殺手、伝令からなる。
同種の分隊を3つ合わせて37名の小隊になり、3つの小隊がさらに112名の中隊を構成する。
マスケット兵の中隊は合計で90挺のマスケット銃をもつ。
4つの中隊が449名の大隊を構成し、2つの大隊(マスケット兵と殺手)で899名の連隊になる。
3つの連隊が2699名の旅団(323名の士官、2160名の兵士、216名の伝令)を構成し、
1080挺のマスケット銃と216張の弓をもつ。

マスケット銃を大量に装備していたのは
確か戚継光の軍だけと言う事だっただろうか
トルコ的な緩発式銃も多かったと言う事かも知れぬし
中近距離での弾幕射撃的な使用しか無かったと言う事なのかだが
0674某研究者
垢版 |
2017/10/23(月) 20:23:33.38ID:IsXZQoWU
>騎兵

騎兵の基本的な単位もまた12名の分隊である。
騎兵の分隊には分隊長、多様な武器を装備した10名の兵士(マスケット銃2挺、火槍2本、
三叉の槍2本、槍2本、メイス2本。何名かは同時に弓矢を携帯する)、そして伝令がいる。
騎兵も歩兵と同様に分隊、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団に組織される。
戦場での騎兵旅団は2699名から2988名にまで増援され、1152張の弓、432挺のマスケット銃、
60門の虎蹲砲(軽量の野戦砲)をもつ。
大量の銃と火砲が配備されていることから、これらは騎兵というよりむしろ竜騎兵、
騎馬で移動する歩兵であったようである。

マスケット装備の騎兵と言うのは戚継光の軍だけなのかだが
弓の装備も精々半数程度なのかだが
0675某研究者
垢版 |
2017/10/24(火) 14:35:17.43ID:9HFd0hhX
>>671
>槍足軽は騎馬武者の居ない場所で
>槍兵に対し同数なら時間を稼ぐ事は出来たかも知れぬし
>彼等が時間を稼いだ後他の場所の敵を倒した
>騎馬武者が突入していたと言う可能性も有るのかだが

槍足軽が時間を稼いでいる間に
騎馬武者だけでは無く
明軍の銃・弓・砲兵を排除した後の鉄砲・弓足軽の銃撃で
やられていた槍兵も多いのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562245853/
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/224422979
雑兵物語でもこうした槍兵の脇での
至近距離での射撃戦は行われていると有るが
こんな事をすれば弓・鉄砲足軽の損耗は馬鹿に成らぬ可能性も有るのかだが
近接戦時には残弾は余り無いかも知れぬが
命中率は高いのでは無いのかだが
0677某研究者
垢版 |
2017/10/24(火) 18:55:48.99ID:9HFd0hhX
ベルセルクのグルンベルドの盾は砲弾を弾く等と言うが
こんな物は現実に16世紀等に使われたのかだが

http://www.eniguma49.sak ura.ne.jp/gunnzi,heiki/sonota/senngokuheuki/senngokuheiki1.html
>当時鉄砲の口径は6mm程が標準で現在の2口径の銃と略同じ威力です、鉄砲から身を守るのであれば10cm程の木の板で十分です、
16cmの木の板の上に10cm以上の鋼鉄装甲を施す理由は完全に砲弾の直撃を意識しているのでしょう、また鋼鉄板は斜めに取り付けられています、
此れにより着弾した砲弾が上へと弾き上がり衝撃を緩和する効果があります、ちなみに大戦中に連合国から脅威とされたティーガ−重戦車の装甲板の厚さは大盾車と同じ10cmで
ソビエトのT34戦車、アメリカのシャーマン戦車の75mm相当の対戦車砲弾を至近距離から弾き返しています、この大盾車も大筒の様な大口径の大砲の砲弾は無理としてもフランキ砲や大鉄砲などの比較的口径の小さい大砲の砲撃からは十分に身を守れたのでしょう。

17世紀の大阪城攻めではこんな物も有るが
1000匁(84.2mm)の筒等も止まるのかだが
大阪城の最大のフランキ砲は或いは止まる可能性も有るのかだが
0678某研究者
垢版 |
2017/10/24(火) 19:33:24.51ID:9HFd0hhX
>また大坂冬の陣は天守閣に大筒の玉が直撃し傾いたことでパニックを起こした淀殿が和議を叫んだことは知られていますが、
直撃させたのが四海波という名の大筒を使い砲撃した高政だとされます。今もその四海波など銘の付いた大筒が佐伯に残っています。

https://twitter.com/shiro_meglist/status/588645532333047808
四海波も上の物だろうが此れは精々
慶長大鉄砲と同様の50匁程度なのかだが
砲身は長いから精度は高いだろうが
遠距離から城壁を貫く威力は有るのかどうかだが
0679某研究者
垢版 |
2017/10/24(火) 19:59:02.72ID:9HFd0hhX
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1140800026
>豊臣家に仕える「お菊」と言う女中が「天守に鉄砲の弾が飛び込んだ」と言う内容を手紙に書いていますが、大砲の弾が天守を直撃したと言う記録は見つかってないようです。
なので「淀君が大砲の弾に驚いて和議を結んだ」と言うのは史実ではないと思います。

砲弾が天守を直撃したと言う当時の記述は無いと言う事なのかだが

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1140800026
>徳川実記には「淀殿の居間の櫓を打ち崩し、その轟音はすざまじいものだった。
淀殿の侍女7,8人が圧死(たちまち打ち殺され)、女童の泣き叫びはおびただしかった」とあります。

とは有るが徳川実記は19世紀前半の物だから
此れは事実なのかどうかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
0680某研究者
垢版 |
2017/10/24(火) 23:21:04.63ID:9HFd0hhX
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562248736/
上の抗倭図巻の右の盾とフックを持つ兵は腕にも装甲は有るのかだが
こうした兵は何処迄居たのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562248590/
上の倭寇図巻のフックを持つ兵の装甲は胴鎧だけなのかだが
兜が有る可能性は有るのかだが
フックは機能が限定されるし
実際は鈎槍装備と言う事は無いのかだが
0681某研究者
垢版 |
2017/10/24(火) 23:35:38.11ID:9HFd0hhX
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561158616/
右の様な脚にも装甲が有る様な
明の重装歩兵は古い絵では今の所見ないし
鎧は唐の時代の形式の物に類似しているから
現実に使われた物では無い可能性も有るのかだが
0682某研究者
垢版 |
2017/10/25(水) 11:51:10.21ID:80ooezW6
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Koxinga_soldiers_with_plate_armour.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Soldiers_of_Ming#/media/File:Koxinga%27s_soldier.jpg
装甲が有るのは鄭成功の鉄人兵だろうが
清の弓に対抗する為の鎧で有るから
日本式の銃を意識した桶側胴では無く
従来型の綿襖甲が使用されていると言う事なのかだが
装甲は通常の歩兵より多目に成っていると言う事なのかだが
完全鎧の様な物迄装備した歩兵は何処迄居たのかだが
0683某研究者
垢版 |
2017/10/25(水) 13:37:39.32ID:80ooezW6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F#.E3.81.9D.E3.81.AE.E5.BE.8C.E3.81.AE.E5.BE.8C.E5.8C.97.E6.9D.A1.E6.B0.8F
>その他の旧家臣団の多くは徳川氏に引き継がれ、関東直領の経営を支えたほか、各大名家にも多くの人物を出した。

徳川軍に入ったかも知れぬ関東の大量の騎兵集団は関ヶ原では
予備兵力であり使われていないと言う事なのかだが
秀忠の配下にも居たかも知れぬが野戦では無く攻城戦をしていた訳だろうか
大阪夏の陣の野戦では何処迄使われたのかだが
何れにせよ秀忠や家康本陣への攻撃は許している訳だろうか
0684某研究者
垢版 |
2017/10/25(水) 23:33:32.33ID:80ooezW6
http://katomiraikoubou.sa kura.ne.jp/wp/%E8%91%9B%E5%9F%8E%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E5%90%8C%E4%B8%96%E4%BB%A3%E3%81%8C%EF%BC%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%8E%8B%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8B/
>清朝時代には満州弓という満州族の大型の弓(最大1.8m)が導入されており、  

此れはイングランドのロングボウと同程度の長さだろうが
矢を大型化して貫通力を増していたのかだが 
重くして反動も小さくする効果も副次的に狙ったのかだが
0685某研究者
垢版 |
2017/10/26(木) 14:12:28.95ID:Fw6I1gyJ
アーチェリーの弓は160cm台だろうから
140cmも無いトルコ・モンゴル弓よりは
満州弓に近い物なのかだが
満州弓の安定性を示していると言う可能性も有るのかだが
http://www.manchuarchery.org/arrows
満州の矢の羽は長いが
アーチェリーの矢羽根は此処迄長くは無いだろうが
合理性は何処迄有るのかだが
満州の鏃は余り鋭くは無い物も多いが
明軍の鎖帷子は貫けたのかだが
鎖装備の兵より綿襖甲装備の兵の方が多いのかだが
0686某研究者
垢版 |
2017/10/26(木) 14:48:30.69ID:Fw6I1gyJ
https://i.pinimg.com/originals/d9/8d/03/d98d0340c05f6fbc761171247390d201.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%AD%E5%BC%93
>モンゴル軍の短弓についても貫通力が低いという欠点を補うため、鏃に毒薬を塗る戦法、いわば毒矢を用いた[3]。
一方で、弓の構造上から威力は高く、日本の鎧では十分に防げなかったとする見解もある[4]。

モンゴルの弓の場合鏃が軽いから張力が70kgでも威力はどうなのかだが
袖毎鎧を貫く様な威力は流石に無いのかだが
弓に強い皮を挟んだ小札鎧・練皮札が二重と成り漆も有る大袖は
只の鉄板より容易に貫けないと言う事なのかだが

>長弓の場合、『保元物語』などで、鎧武者も貫通する記述がみられるが、
短弓に関する記述として、『土佐物語』巻第十七「繋ぎの城々 大蛇の事」には、
朝鮮出兵中、嘉山城において李王理という半弓の使い手が黒田長政の左腕に射当てるが、
長政はこれを事ともせず、敵中へ入り、そのまま王理を討ち取ったと記述されており、足止めにもなっていなかった描写がある。

土佐物語は史料価値は低いと言うが
仮に事実であれば
https://i.pinimg.com/originals/d9/8d/03/d98d0340c05f6fbc761171247390d201.jpg
上の長政の鎧の篭手は格子鎖が多いし
鎖や篠に当たって威力が減少した可能性は低いのかだが
城攻め時には当世具足にも大袖が装備されると言う説も有るから
此処に命中して深手は負わなかったと言う可能性も有るのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
0687某研究者
垢版 |
2017/10/26(木) 23:24:27.13ID:Fw6I1gyJ
>>685
清の大型の矢羽根は近距離での安定性を考慮した物であり
通常の矢羽根では近距離では矢が安定せず貫通力が低下すると言う事なのかだが
大型の矢羽根は射程が短く成るから遠射用では無いと言う事なのかだが
アーチェリーの射撃距離の30−90mより近距離での安定性確保を
想定しているのかどうかだが
0689名無し三等兵
垢版 |
2017/10/28(土) 15:16:47.29ID:VijOY7pu
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%A7%E8%B9%84%E9%A4%A8%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>この最中、十時連久、内田統続、安田国継(此時の名は天野源右衛門貞成と呼ぶ)らは突撃を敢行、鑓を投げて数十騎を突落し、

数十等の大量の犬槍が使われる例等は他に有るのかだが
持って直接馬等を狙った方が良いと言う事は無いのかだが

>明・朝鮮軍を中央突破して回転突破したが、
その際に中陣の戸次統直は強弓を引いて20餘の敵兵を射落し援護しながらも、
連久が李如梅の毒矢を受けて、帰陣から間もなく戦死し[24][25]、

毒矢と言うのは指揮官護衛用の物で
大量には無かったと言う事なのかだが
威力が無いので毒が使われていると言う連弩の矢と言う可能性も有るのかだが
0690某研究者
垢版 |
2017/10/28(土) 18:29:24.31ID:VijOY7pu
馬鎧装備の騎馬武者が明・朝鮮騎兵に
弓での反撃を受けても乗馬追撃を続けた例等は有るのかだが
https://twitter.com/Chinasword_kari/status/882996695490887683
明の鎧が上の清の明形式と言う鎧同様に12kg等なら
15kg以上の当世具足を装備する騎馬武者が
馬鎧装備で無く共追い付けない可能性も有るのかだが
碧蹄館で李如松を取り逃がしたのも
こうした装甲重量の差故の可能性も有るのかだが
0691某研究者
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2017/10/30(月) 21:50:23.62ID:oQSFMKFU
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%85%B5#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E9.A8.8E.E5.85.B5
>『軍法侍用集』にも騎馬を集結運用する陣形が登場しており、馬、槍、鉄砲の運用について言及した長宗我部元親の文書や『雑兵物語』などの当時の文献でも、その様子を伺い知る事が出来る。

先述のフロイスの記述もあくまで少数だった和田勢が多勢の敵に対し密集して挑む為に下馬して戦ったまででその方が理に適っていたからである。

(戦場の地形が騎乗戦闘に適していたかも考慮しなければならない)
また戦国後期になると各兵科毎に集めて部隊を組む事も行うようになっており(戦国遺文後北条氏篇第3巻、
1923号には北条氏直が武蔵岩附衆に当てた書状にて小旗、鑓、鉄砲、弓、歩者、騎馬の兵科毎に奉行を置き
総勢1500人程の岩附衆がそれぞれの兵科毎に奉行に率いられて戦う様に書かれている)後期には兵科分けが行われた。

この兵科分けと言うのは北条以外も同様なのかだが
長篠でも織田軍の銃兵のみが前方に抽出されているが
この時点で騎兵が抽出されていた可能性は有るのかだが
とは言え西国の兵は長尾懸かりの様な騎兵突撃は
基本的に無いと言う事なのかだが
0692某研究者
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2017/10/31(火) 13:06:10.30ID:439Ms9JG
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%A6%82%E6%A2%85
>李如梅はサルフの戦いの直前に朝廷の者から日本兵と満州兵の強弱について聞かれて「倭兵は体躯倭少なれども、敏捷にして、鳥銃をよくす。
ただし一人同志の戦いとなれば、倭兵三十人をもってしても、満兵一人に敵せざるなり」と回答している[3]。

此れは銃を使わない戦い限定ではと言う意味なのかだが
白兵戦でも騎馬武者3−4人に同時に掛かられたら
清騎兵には板金の完全鎧も無いなら勝算は有るのかどうかだが
満州弓を乗馬して飛び道具を持たない騎馬武者30人の馬等に
一方的に当てると言う様な事なら出来るのかも知れぬが
そう言う戦いは基本的に東国の騎馬武者でも無い限り無く
雑兵物語に有る様に関東の乗馬した騎馬武者は
飛び道具を一部装備している訳だろうか
0693某研究者
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2017/10/31(火) 13:19:01.73ID:439Ms9JG
https://i.imgur.com/cYUTUaR.jpg
朝鮮軍図屏風では敗走する明軍の弓で
騎馬武者がやられている場面も有るが
現実にはこうした反撃を避ける為に騎馬武者は長銃を持って追撃し
弓をアウトレンジしていた可能性も有るだろうが
一部の弓の上手い者は撃ち勝てると判断したら連射可能な弓を
使用している可能性も有るのかだが
西国の騎馬武者も清の騎兵を追撃する際は
銃を使用して弓をアウトレンジする可能性も有るのかだが
装甲重量の差で清や明・朝鮮の騎兵の追撃は簡単では無いと言う事なのかだが
0694某研究者
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2017/10/31(火) 13:55:16.83ID:439Ms9JG
>あと『建州紀程図記』で、朝鮮軍人申忠一とヌルハチ家臣の馬臣の会話で、馬臣「倭子は状貌壮大と言うが、そうか」
申忠一「体つきはとても小さいが、良く草間を潜行し、弾を放てば必ず中てる」馬臣「遠くて小さいものも中てるのか」申忠一「倭銃は飛鳥をも中てることができるから、鳥銃というのだ」とある。

http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/thesis/090121_itabashi.pdf
C玉の製造と猟の準備
なお日本の火縄銃で、散弾を使用したか。これは明らかに使用したと考えらのである。
飛ぶ鳥はどんな名人でも火縄銃の一発玉では命中は難しい。
猟場ではどんな名人でも失敗がある。火薬の前に玉を入れてしまえば、銃身を台から外
し、尾栓を開けて、後ろから突き出さねばならない、従って簡単な尾栓回しは必要だった
のである。
木箱に上記の紐に結んだ装具一式、鉛、柄杓、玉型、散弾型など整理して納めたものも
良く見る。農業期間、鉄砲と装具は乾燥した人の目に付かぬところに管理したからである。
玉で関心があるのは、どのように散弾を作成し、使用したか?と言うことだ。
火縄銃で空中を狙っている猟師の絵(北斎)をみても明らかに散弾は使用したであろう。

現実の飛んでいる鳥を撃つ場合は散弾が使用された可能性も高いだろうが
漁師では無く軍人が練習用に通常弾を放つ例も有るのかだが
0695某研究者
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2017/10/31(火) 14:18:12.17ID:439Ms9JG
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80
>鉄砲の名手で、朝倉義景に仕官した際、一尺四方の的を25間(約45.5メートル)の距離から命中させたという。当時の火縄銃や弾丸の性能を考えると、驚異的な腕前である。
そのほかにも、飛ぶ鳥を撃ち落としたという逸話もある。
「一百の鉛玉を打納たり。黒星に中る数六十八、残る三十二も的角にそ当りける」(『明智軍記』)。

明智光秀が飛ぶ鳥を落としたと言う話も有るが
散弾使用では無い可能性も有るのかだが


http://historivia.com/cat1/akechi-mitsuhide/4148/
>一尺(約30.3センチ)四方の的に対し、25間(約45.5メートル)の距離から命中させたのです。中心の黒い部分に68発、
そこを外れた32発も的自体には当たっていました。つまり、100発100中というわけです。これは相当な腕前ですね。

此れは標準の6匁筒辺りを使用したのかだが
0696名無し三等兵
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2017/10/31(火) 14:33:00.98ID:439Ms9JG
https://senjp.com/taki-2/
>織田信長は、滝川一益が鉄砲に熟練していると聞いて、射撃の腕前を検分したところ、百発百中に近い腕前であった為、鉄砲の腕前を見込まれて織田信長が家臣に加えたと言われる。
作り話ではあるが、鉄砲の腕前は、柱に穴を開け、その穴を通して柱の向こうにいる相手を撃ったと言う伝説もあるくらいだ。

等と有るが
具体的な射撃距離等は書かれていないと言う事なのかだが
0697某研究者
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2017/10/31(火) 14:40:01.95ID:439Ms9JG
>>696
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5266742&;id=57040505
>信長の目の前で火縄銃を100発撃ち、72発を的に命中させ 信長の配下となる

100発100中では無く72発命中と有るが
距離は明智光秀と同じ様な物なのかだが
0698某研究者
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2017/10/31(火) 18:02:20.43ID:439Ms9JG
http://www.asatuyu.com/2015/07/25/gun-horse/
>(2)命中率の実験で3人合計18発撃つ
@距離100m:1発命中で命中率6%、A距離50m:13発命中で命中率72%

火縄銃の命中率も100mでは6%しか無いのかだが

http://blog.goo.ne.jp/cyrilsnow34/e/4099cd2e37084b077eecb3f95cd38bcd
上を見る限り100mでも命中率は上手い人間がやれば
可成り向上するのかだが
雑魚足軽は此処迄出来るのかだが
0699某研究者
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2017/10/31(火) 18:59:05.01ID:439Ms9JG
>>693

見慣れぬ地形に引っかかる等して
明・清騎兵の逃走が遅れた場合
騎馬武者は弓を回避しながら銃の射程に接近し
出来れば地形に馬を隠し下馬
騎兵の馬を狙撃し敵を落馬させ
再装填後徒歩で逃げる敵を
同様に地形に馬を隠して狙撃すると言う様な方向なのかだが
落馬後は敵も地形や馬の影に退避する可能性も有るなら
簡単に狙撃は出来ぬ可能性も有るのかだが
相手を地形の影に拘束している内に後続の味方歩兵が追い付き
此れに敵を包囲させ仕留めると言う様な事も多いのかだが
0700某研究者
垢版 |
2017/10/31(火) 22:00:10.40ID:439Ms9JG
http://ueda-soukoryu.com/sliderbugu/  
大阪夏の陣段階では鎬の有る上田宗箇の
和製南蛮胴が使用されていると言う事なのかだが 
此れ以前はどうなのかだが 
1570年台の仏胴登場時に既に有る可能性は無いのかだが
0701某研究者
垢版 |
2017/11/01(水) 22:15:01.05ID:ImBYCE01
geocities.jp/pycbb333/framepage15.html
>北条新三郎氏信の甲冑  

此れは桶側胴的だが果たして1570年迄の物なのかだが 
直後の姉川合戦でもこの種の胴は使われた可能性も有るのかだが
0702某研究者
垢版 |
2017/11/17(金) 16:06:31.42ID:jQDXEnQV
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562554619/
上の様な9kgの袖型の盾は実在する様だが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561343380/
上と同様の物なのかだが
板札が固定式では無いのは銃弾の衝撃を逸らす為と言う事なのかだが
6匁筒が至近距離で止まる様な物なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562554538/
この盾の厚さは大阪城に有る物と同様の4.8cmは無い様にも見えるが
古い物なのかだが
0703某研究者
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2017/11/29(水) 14:38:48.30ID:Jrq/72U9
フス派の戦車は木張りだが
神聖ローマ軍の遠距離の手銃は止まったと言う事なのかだが
砲はこの時代でも割に有るが
戦車攻撃には使われたのかだが
マスケット銃や大量の砲の登場後も
コサックがフサリアに対して戦車を使用していた様に見えるが
鉄板は此れには張られていたのかだが

クロスボウ兵のパビスに手銃が向けられる事も有るのかだが
クロスボウの射撃距離の100m等の遠距離では命中しないか
命中しても貫通は出来ないと言う事なのかだが
0704某研究者
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2017/12/01(金) 16:43:04.45ID:K8+X3BFO
http://myrp.maruzen.co.jp/press/eastwest/v13/index.html 
>中国に派遣されていたエドワード・バーリングトン・ド・フォンブランク(1821&#12316;95)は、日英修好通商条約締結(1858年)の2年後に軍用馬を調達するため日本を訪れた。
大切に育てられた日本馬の優秀さが西欧にも知られ、イギリスやフランスが買付けを始める。イギリス側は「3000&#12316;4000頭必要」と要求するが、幕府は簡単に応じられない。

日本馬も衝撃騎兵では無く軽騎兵としての用途なら
長距離のアラブ馬を上回る走力や
粗食に耐えると言う事が
19世紀でも有用と見做されていたのかだが
0705某研究者
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2017/12/01(金) 16:51:23.91ID:K8+X3BFO
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%B1
中央アジアのアハルテケも粗食に耐え 
長距離の持久力も有るのかだが 
モンゴル系馬とどちらが軽騎兵用途としては上なのかだが
0706某研究者
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2017/12/01(金) 16:57:44.94ID:K8+X3BFO
アハルテケもトルクメニスタンの砂漠に適応した色をしている様だから
砂漠や平地では兎も角
山岳地帯での運動性は日本馬程には
高くは無いと言う事なのかだが
0707某研究者
垢版 |
2017/12/08(金) 22:58:06.20ID:7iDLkkrz
Matchlock Musket Demonstration with Armor (Live Rounds)
https://youtu.be/X1WwQkeDuXs

17世紀に銃兵専用の甲冑もジェームズタウン等の米大陸等の一部で使用されていたのかだが
此れはインディアンの弓対策なのかだが
0708某研究者
垢版 |
2017/12/17(日) 13:33:19.21ID:ZL5nRqs/
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarh%C5%AB
サルフの戦いの絵の明軍を見ると車輪付き盾や
低い土塁は有るが
馬防柵や戦車は使用していないし
これが有れば清の下馬騎兵・乗馬騎兵共に簡単に突入は
許さなかった可能性も有るのかだが
フス派の様な戦車陣や
長篠の様な野戦築城が成されていれば
山海関の様なヌルハチの戦死迄有り得たのかどうかだが

https://blogs.yahoo.co.jp/baron0742/68795733.html
長篠の陣地の場合土塁の上に馬防柵が有り
その後方にも銃丸の様な溝の有る土塁が有ると言う構造なのかだが
この様な物を清騎兵も下馬してさえ何処迄突破出来るのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%AF%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/File:Battle_of_Nagashino.jpg
長篠合戦図を見ると全体にこうした物迄は無いと言う事なのかだが
0709某研究者
垢版 |
2017/12/17(日) 13:49:11.87ID:ZL5nRqs/
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarh%C5%AB#/media/File:Pan_Zongyan_being_overrun.jpg
上を見ると明軍陣地は清下馬騎兵突入前にも
土塁後方が盾で完全に塞がれていた訳では無い様に見えるし
最初から隙間が有って此処にも
歩兵敗走後騎兵の突入を可成り受けたと言う事なのかだが
長篠の様な馬防柵や
フス派の戦車陣地ならこの様な事は無いと言う事なのかだが
0710名無し三等兵
垢版 |
2017/12/17(日) 15:38:36.55ID:ZL5nRqs/
>>709
日本軍に野戦築城された陣地が無い場合でも
碧蹄館の様に地形を利用すれば
清騎兵相手でも同様の結果と成る可能性も有るのかだが
0711某研究者
垢版 |
2017/12/17(日) 16:24:24.60ID:ZL5nRqs/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%95%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>ヌルハチは夜襲によって銃砲の優位を封じたうえで
混乱した敵軍を各個撃破することにより大軍を打ち破った。

夜間でも馬防柵やフス派の戦車を盾にしての至近距離からの銃撃は
防げる訳では無いだろうが
碧蹄館の様に地形しか無い場合では厄介な可能性も有るのかだが
馬防柵や戦車陣が有っても
視界の悪さを利用して兵を一点集中される可能性は
有ると言う事なのかだが
こうした事をしても籠城した明軍は破れなかった訳だろうか
0712名無し三等兵
垢版 |
2017/12/17(日) 16:25:25.57ID:C+IO52IT
大砲の有無もかなり関係してくるだろ。
秀吉の日本軍相手でも火縄銃をアウトレンジして、野戦なら優位に立っていたし、対清軍でもオランダの大砲を輸入してからは侵攻を許さなかった。
散開して速度の速い騎馬兵が相手でも、射程距離から接敵まで、一二割は敵を削減できるなら、かなりの戦果と言えるはず。
0713某研究者
垢版 |
2017/12/17(日) 16:47:50.84ID:ZL5nRqs/
>>711
>馬防柵や戦車陣が有っても
>視界の悪さを利用して兵を一点集中される可能性は
>有ると言う事なのかだが

そうした場所に備の機動力を利用して
予備兵力を迅速に移動する必要も有るだろうが
同様の夜襲に日本軍は割に慣れているかも知れぬが


>>712
大砲で乗馬騎兵の突撃を阻止した例は知らないが
フサリアにはスウェーデンの連隊砲も通用していないと言う事なのかだが
精度・威力の低い明軍の野戦用のフランキ砲では
火縄銃をアウトレンジ等出来るのかだが
碧蹄館では明軍は騎兵戦が主体であるから
此れは余り使用されていないと言う事なのかだが
泗川では城外での戦闘も多いが
フランキ砲は何処迄役に立ったのかだが
日本軍の鹵獲した散弾を詰めた砲の方が
近距離専用では有るかも知れぬが
或いは役に立った可能性も有るのかだが
0714名無し三等兵
垢版 |
2017/12/17(日) 17:02:56.58ID:uJKyPVaT
野戦で明軍も朝鮮軍も日本に優位に立ったことなど無かろ。
0715某研究者
垢版 |
2017/12/17(日) 17:10:44.07ID:ZL5nRqs/
http://proto.harisen.jp/mono/mono/koui-hou.htm
ポルトガルから購入した明軍の紅夷砲も
山海関でヌルハチを撃退した際の初期の30門から
400門以上は配備された様だが
籠城戦の使用以外は有るのかだが
籠城時に引き付けられた密集した低速の敵に発砲して
効果を上げた物と言う事かも知れぬし
野戦での清の乗馬騎兵や夜間の下馬騎兵の(城では無く)
陣地への突撃を阻止出来る様な物なのかだが

呉三桂も結局の所投降し
清に対し反乱を起こした後も勝利出来たのは
初期だけと言う事だろうが
1670年台には清の側にも砲は大量配備されていたかも知れぬが
攻城戦以外は依然騎兵が主体だったと言う事なのかだが


日本軍も大阪の陣では砲は大量使用しているだろうが
大阪の陣での野戦では何処迄利用されたのかだが
密集陣形では無い備には近距離の散弾以外は
有効では無かったと言う事なのかだが
0716名無し三等兵
垢版 |
2017/12/17(日) 17:18:12.16ID:d7QXzOEg
光栄のゲームと違っていろんな兵科が連携するのが史実の戦争なんだよ
砲兵の有り無しは軍全体の火力で雲泥の差ができる 砲兵無しても戦争はできるが、その場合火力は歩兵の脚に頼るしかない
17世紀のスウェーデン軍に砲兵が居なかった場合を想像してみたら? たぶんフサリア使うまでも無く撃退されてたよ
長射程の安定した火力、一発で歩兵を吹き飛ばすエネルギーは他の兵科では生み出せない と言うよりそのための兵科が砲兵
文章に残ってないから活躍してなかった、というのは昭和的史観だよ
0717某研究者
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2017/12/17(日) 17:22:34.88ID:ZL5nRqs/
http://proto.harisen.jp/mono/mono/koui-hou.htm
>一方で女真族勢力(後金)も紅夷砲に対抗するために、投降武将ら明朝の人材を吸収し、新式火器技術を積極的に導入した。
>その結果、後金軍の火器の製造・管理・使用の最高責任者として重用された&#20319;養性のもとで天聡五年(1631)正月、初めて紅衣砲(紅夷砲)の製造に成功している。

清も1630年台には既に紅夷砲の配備はしているだろうし
1670年台には大量に有ったと言う事かも知れぬが
野戦での主力は騎兵だったと言う事なのかだが
0718某研究者
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2017/12/17(日) 17:29:25.31ID:ZL5nRqs/
>>716
とは言えスウェーデン軍でさえ清の騎兵を
地形無しで果たして阻止出来たのかと言う事は有るだろうし
スウェーデン式大隊も密集隊形であるから
突撃する前にも満州弓の攻撃で
砲兵も含め可成りの打撃を受けていた可能性も高いのかだが
0719某研究者
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2017/12/17(日) 17:38:05.81ID:ZL5nRqs/
>>718
長射程の散弾(キャニスター弾)を撃てるスウェーデンの砲兵も
600mは射程の有る満州弓に
アウトレンジされ壊滅
騎兵を阻止する為のパイク方陣も
フォルカークの戦いのシルトロンの様に
満州弓で混乱し用を成さなく成ると言う事なのかだが
スウェーデンの騎兵も満州弓でアウトレンジされて
やられると言う事なのかだが
0720某研究者
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2017/12/17(日) 17:44:09.82ID:ZL5nRqs/
スウェーデン軍が土塁に篭れば
夜間清の下馬騎兵が一点集中突撃しても
機動性の高い連隊砲や多段射撃可能な銃兵を
上手く集中すれば撃退出来る可能性は
有ると言う事なのかだが
0721名無し三等兵
垢版 |
2017/12/17(日) 18:19:10.98ID:d7QXzOEg
なんでそう極端な例しか想像できないかね
木製の矢の質量で500m以上先の目標に打撃なんか与えられないだろ
3lb砲キャニスターの射程400mってのは有効射程 和弓の有効射程はだいたい2-400m 届いて当たるだけじゃ壊滅しないんだよ
アウトレンジが成立するのはkm単位で戦闘する19C以降か、槍と刀で殴り合う中世の戦争
火力ぶつけ合って崩壊するまで殴り合う時代に使う考えではない
騎兵の機動力衝撃力が代替できないように砲兵も他では置き換えられない存在 フサリアに弱いからいらないとかいうものじゃない
0722名無し三等兵
垢版 |
2017/12/17(日) 18:26:44.92ID:d7QXzOEg
別に砲兵最強とかアジア弓兵弱いとか言ってるんじゃないよ
>>713で近世における砲兵の立ち位置について誤解してるのが気になっただけ
日本史では登場後すぐ平和になったせいで戦歴薄っぺらいけど、野戦において砲兵は重要な存在なんって事が言いたい
0723某研究者
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2017/12/17(日) 18:54:28.46ID:ZL5nRqs/
500mでも砲兵に装甲が有る訳でも無いし
キャニスター弾で馬が1割等やられる前に
満州弓で砲兵に砲撃を継続的に妨害出来る程度の打撃は
与えられる可能性も有るのかだが

パイク兵・銃兵も完全鎧を装備している訳では無いから
徐々に満州弓で混乱して射撃や槍衾を構成する事が
困難と成る危険は有るのかだが
0724某研究者
垢版 |
2017/12/17(日) 21:01:53.18ID:ZL5nRqs/
https://weaponsandwarfare.files.wordpress.com/2016/06/2248153548_0638f1fc71_o.jpg
馬防柵から上の様な至近距離で弓を撃たれれば
清の綿襖甲でもダメージは受け得ると言う事なのかだが
柵を登る敵を槍で攻撃も出来るだろうが
清の弓での反撃は垣盾や土塁の銃丸で
防ぐ必要は有ると言う事だろうか
泗川で島津軍が用いた
散弾を詰めた砲での攻撃も
夜間の一点集中攻撃を目論む敵の威嚇には
有用なのかどうかだが
0725名無し三等兵
垢版 |
2017/12/17(日) 21:08:13.18ID:d7QXzOEg
>>723
近世のキャニスター弾は500mの距離では使わないよ
現代の戦車砲では対装甲用に徹甲弾、対人用にキャニスターの使い分けだけど、近世は長距離に実体弾、2-300m以内の至近距離でキャニスターという使い分け
実体弾ならスウェーデンの連隊砲(3lb)で有効射程2000-2700ぐらいだから流石に弓では届かんでしょ
0726某研究者
垢版 |
2017/12/17(日) 21:17:41.34ID:ZL5nRqs/
>>725
清の騎兵が全速でキャニスター弾の最大射撃距離よりやや遠い
300m付近に接近すれば
その間実体弾で何処迄打撃を与えられるのかだが
0727名無し三等兵
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2017/12/17(日) 21:41:13.02ID:d7QXzOEg
>>726
鎧着込んだ兵士がモウコウマに乗ってるとして、2kmの全力疾走は不可能だから15〜30km/hの直線移動で6分ぐらい?(敵による妨害は考えないものとする)
レザーカノンだと10発撃てればいいとこかな 連隊砲は歩兵に追随するための砲だから当然歩兵陣が待ち構えてる訳だけど

ちなみに同様の野戦用軽砲は大砲大国朝鮮でも1649年から記録に登場してたりする 革じゃなくて紙だけど2kgの球形弾を発射するものらしい
0728某研究者
垢版 |
2017/12/18(月) 07:54:08.85ID:cPnIDNdK
キルホルム等でのフサリアの損害が極めて低い事を考えると
サルフの戦いで6万は居た
清騎兵の300mへの接近を砲の通常弾で阻止出来るとは
考え難いと言う事なのかだが
0729某研究者
垢版 |
2017/12/18(月) 07:57:31.17ID:cPnIDNdK
6万の清騎兵に対しては
1万も居ないフサリアが野戦で戦えば
ほぼ勝算は無いと見て良いのかどうかだが
0730某研究者
垢版 |
2017/12/18(月) 14:11:37.01ID:cPnIDNdK
馬防柵を使用せず
完全に騎兵を阻止出来ぬ地形でも
(傾斜の緩い場所は無い)ヘイスティングズの丘の様な地形で
騎兵の衝撃力を低下させられれば
日本軍も20万程度居れば
6万の清騎兵の夜間一点集中攻撃に対しても
勝算は有るのかどうかだが
立花宗茂の様に森林を利用したり
垣盾や竹束を大量配備して矢を防ぐ必要は有る訳だろうか

トゥール・ポワティエ間の戦いでは
フランク王国軍は平原でシールドウオールを用いて
イスラム騎兵を阻止しているが
清騎兵に対しこんな事は出来るのかどうかだが
0731某研究者
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2017/12/18(月) 19:15:14.72ID:cPnIDNdK
https://i.imgur.com/bPoAXnk.gif
上の黄色は戦国後期の日本軍
赤が日本軍本隊
緑=日本軍の馬防柵・土塁
青が同時期の清騎兵だが

中央では清騎兵が日本軍を分散させる為に
夜間全方向から小数兵力で攻撃を仕掛け
右では一部多数の兵力を投入し
https://i.imgur.com/6tHIgxH.gif
上の左の様な形で日本軍を此処に引き付けた後
右の様に別方向に大兵力を投入し奇襲を掛ける可能性も有るだろうが
日本軍の兵力移動が遅れれば突入を許す危険も有るのかだが
こうした事を避ける為に日本軍も外部に偵察部隊を出して
花火等で敵の兵力移動を把握すると言う方向も有るかも知れぬが
川中島等でも大兵力での奇襲攻撃は成功しているから
こうした事は何処迄行われたのかだが

夜間は清側の視界も悪いなら
https://i.imgur.com/KlDZjf0.gif
上の様に日本軍の一部を柵の外に出し迂回させ
一点集中された清騎兵の背後等を奇襲し包囲される前に
離脱する事を繰り返すと言う様な方向も有るのかだが
清騎兵の機動力を利用され
早期に包囲される危険も有るのかだが
何れにせよこの間に一点集中された清騎兵を迎撃する為の
兵力を移動する時間は
稼げる可能性は有るのかだが
0732某研究者
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2017/12/18(月) 21:40:22.01ID:cPnIDNdK
夜間は遠距離からの銃撃は困難であるなら
機動性の高い騎馬鉄砲隊が単独で
近距離で大鉄砲から散弾を放って
一撃離脱と言う様な方向も有るだろうが
こうした事は現実に行われては居ないだろうが
立花宗茂や加藤清正の足軽の様に
装甲を軽くした足軽と通常の騎馬武者が
通常の銃を至近距離で一発放って
離脱すると言う様な方向も有るのかだが
弓歩兵・弓騎兵は逃げながら矢を放ち
清騎兵の追撃を牽制すると言う方向なら
夜間で視界も悪い事だろうし
完全包囲されて殲滅される迄は行くのかだが


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E8%B6%8A%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E6.B2.B3.E8.B6.8A.E5.A4.9C.E6.88.A6.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E8.AD.B0.E8.AB.96
>子の刻、氏康は兵士たちに鎧兜を脱がせて身軽にさせ、上杉連合軍に突入すると、上杉軍は大混乱に陥り、

軽装甲兵での夜襲は河越城の戦いで
行われた事は有るかも知れぬが
この夜襲は創作と言う意見が多いが
素肌武者の奇襲攻撃は夜間では無いが
第三次長島侵攻や大阪陣でも有る訳だろうか
0733某研究者
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2017/12/18(月) 22:33:23.73ID:cPnIDNdK
http://sportsantique.jp/?p=1433
散弾が発射可能かも知れぬ馬上二十匁筒等も有るのかだが
こうした物は大量には無いだろうが
割りに数の有る十匁士筒に散弾を詰めて発射した例は
有るのかどうかだが
夜間馬上から此れで近接射撃し一撃離脱した様な例は
有るのかどうかだが
0734名無し三等兵
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2017/12/19(火) 07:15:15.27ID:fmbkY4U1
散弾銃はもともと狩猟用に開発されたものだ
銃器の世界では珍しい事で、もともと兵器として開発されたものではない
それを戦争で用いだしたのはアメリカ
日本刀を相手に包丁で立ち向かうようなものだと揶揄されたが
実際に使ってみると、塹壕での戦闘などで、けっこう有効であることが明らかになり
現在も軍隊で用いられることもあるけど

しかし散弾銃の射程距離など、単発弾のスラグ弾でも100M程度だよ
散弾なら20M程度だからな
威力でも射程距離でもライフルとは比較にならない。
塹壕戦ならいざ知らず。普通の戦闘では使いたくないね
0735名無し三等兵
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2017/12/19(火) 08:59:16.52ID:e3jpRhWg
近世日本の大口径小銃ってデカい弾を遠くまで飛ばすのが目的だからなあ
ガワが似てても運用思想が違うからまず無いだろうな
0736名無し三等兵
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2017/12/19(火) 11:42:56.47ID:gCxLQoc9
米軍が効率的に弾幕を張れるよう弾頭が二つある小銃弾をベトナムで使ったけど
射程が短いし狙ったとこに当たらないというのですぐ使用中止
米軍ほど弾をバラまけてもこれではダメだと割り切るくらいなんで火縄銃じゃ…
0737某研究者
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2017/12/19(火) 12:12:31.34ID:HUKOKsfl
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83
>(信長公記)の中にある信長狙撃事件の記述で「ふたつ玉にて打ち申し」という記述、もう一カ所鉄砲名人と弓の名人が騒乱中に対決した記録でも「ふたつ玉にて云々」という記述。 
これを二連式銃によるとか、二梃の銃を取り替え射撃したと書いた小説家がいますが、これは根拠を示すことの出来ない想像創作です。  
可能性が高い二つ玉とは各種伝書に共通して現れる二個の弾丸を紙と糸でくくり合わせた一種の散弾で、命中確率もしくは殺生力が非常に高いと信じられていたものだと思われます。 

散弾では無いが2つ玉と言う物なら多用されている様だし
https://rekijin.com/?p=15550
1558年の橋本一巴・林弥七郎の一騎打ちで既に使われていると言う事なのかだが
6匁筒の半分程度のエネルギーでも
至近距離では清の甲冑を貫ける可能性も高いだろうから
これを視界の悪い夜間で近距離から放てば
命中率やダメージは通常弾より増す可能性も有るのかだが
0738某研究者
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2017/12/19(火) 12:18:04.92ID:HUKOKsfl
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/thesis/090121_itabashi.pdf
>火縄銃で空中を狙っている猟師の絵(北斎)をみても明らかに散弾は使用したであろう。
古い民家から火縄銃とともに出た木箱、その中に狩猟に使った道具、玉型があった。
鉄板の内側を凸凹にして上から溶けた鉛を流し込むと細長い、凸凹状の鉛の紐ができる。
それを鋏で切ると、細かい粒になり、散弾を作った。一回、現在の5号くらいの大きさも
散弾が100個くらいできる。
現在の狩猟に使う散弾銃12番口径は18mm。その散弾のパターンは30mの距離で1
m四方くらいだ。これを火縄銃口径15‐6mmくらいで使うと、1m四方に広がるには
50mくらいの距離だろう。水面の鳥を撃つために使用するには最適だ。

鉛線をハサミで切って作る様な
火縄銃の狩猟用散弾も有ると言う事の様だが
此れは戦闘用に使われたのかだが
0739名無し三等兵
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2017/12/19(火) 12:24:29.91ID:BymmqZym
二つ玉ってのは、ホローポイントの様な効果を狙ったもので、貫通力より殺傷力に主眼が置かれている。
江戸時代には最大三つ玉まであったけど、これは全弾同じサイズではなく、中間の玉は少し小さかったそうな。

他にも、中央の大玉に2〜4個の小玉をぶら下げたような物、ムカデのような物も巻物に残っているけど、恐らく空想か構想のみの物と思われる。
0740某研究者
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2017/12/19(火) 12:59:18.33ID:HUKOKsfl
清の12kgの甲冑では胸甲の厚さは3mmも無いだろうから
2つ玉一つ分が2−3匁相当の威力でも
夜間の射撃距離かも知れぬ
50m以内程度なら貫通するかも知れぬし
板金鎧では無いから衝撃でのダメージも可成り受けるのかだが
0741某研究者
垢版 |
2017/12/19(火) 13:21:59.14ID:HUKOKsfl
>>731
https://i.imgur.com/WFVsu2Z.gif
清の一点集中された部隊に
日本軍の部隊が柵から一部出て背後を一撃し離脱
中央の図の様にこれの追撃に清騎兵が引きつけられた後
別の日本軍部隊が同様の一撃離脱を繰り返せば
清の一点集中された部隊の混乱は
更に増すと言う事なのかだが
こうした混乱で時間を稼いでいる内に
清主力部隊が前方への集中を完了した日本軍の攻撃に
前進を阻まれ戦意が低下したと見たら
右の図の様に日本軍は多数の部隊を柵の外に出し
此れを清の主力部隊の側面や後方に回り込ませて
包囲殲滅と言う可能性も有り得るのかだが
0742某研究者
垢版 |
2017/12/19(火) 13:42:47.73ID:HUKOKsfl
>>741
とは言え清の兵もこうした事にも備えて
予備兵力は別の場所に残している可能性も有るだろうから
簡単に包囲殲滅等出来るのかどうかだが
0743某研究者
垢版 |
2017/12/19(火) 14:07:46.59ID:HUKOKsfl
清の兵が明かりを目標に弓を放っている例も有るから
明かりの周囲に兵の居ない場所も一部作って
射撃を回避と言う様な方向も有るのかだが
此れは馬防柵外の戦闘でも有用なのかどうかだが
夜襲で兵を多く見せ掛ける為の明かりと言うのは
戦国期の日本でも確か利用されていただろうか
0745名無し三等兵
垢版 |
2018/01/28(日) 21:35:41.14ID:C/YfYXpC
カウンター・マーチってwikiとか色んなところで見るけど、本当にあったの?
出典が見当たらないし、英語で検索してもでてこないんだが
0746名無し三等兵
垢版 |
2018/01/30(火) 21:53:52.10ID:gL1ittG8
>>745
counter march infantry でざくざく引っかかるけどなあ。
0747名無し三等兵
垢版 |
2018/01/31(水) 22:48:41.46ID:ahgbcwdG
友清理士さんの翻訳新刊まだなの…
0750名無し三等兵
垢版 |
2018/02/09(金) 01:20:11.82ID:QfBamBCu
背嚢を銃剣突撃前に基本的にどっかに部隊ごとにまとめて置いてから突撃するとのことだが
もし自分のが盗まれてたら紛失として罰せられるの?
0751某研究者
垢版 |
2018/02/10(土) 11:31:36.70ID:aDFKJqq4
日本の早合は1569年の立花道雪の物が初なのかだが 
西欧もペーパーカートリッジは14世紀後半から有るが 
木の筒に火薬しか入らない様な物も17世紀では多い様に見えるが

http://www.sykesutler.com/musket2.htm
16−17世紀のこうした西欧の一般的な銃兵用ベルトも 
カートリッジに見える物は火薬しか入らず 
弾はベルト下方の袋に有ると言う事だろうが 
これとは別に火蓋に入れる火薬用のフラスコも使われるが 
日本の早合でも同様だったかも知れぬが

youtube.com/watch?v=Yzf0ZiVr9qw
上の火縄式マスケット銃ではフラスコは何故か使用していないが 
弾薬袋から弾を装填すれば 
早合より数秒のロスは有るのかだが

http://blogokmy.neoya.net/?eid=818400  
欧の物に似た襷早合も有るが 
戦国期には有るのかどうかだが
0752某研究者
垢版 |
2018/02/14(水) 18:46:03.09ID:/JLEbJHQ
http://myarmoury.com/talk/viewtopic.8675.html
1540年迄スペインの大型マスケット銃は数が無いと言う事なのかだが 
1525年のパヴィアでは仏の騎士は基本的に 
小型のアルケブス銃でやられたと言う事なのかだが
0753名無し三等兵
垢版 |
2018/02/22(木) 08:04:36.34ID:zf2p0zg+
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0754名無し三等兵
垢版 |
2018/02/25(日) 03:34:55.47ID:UGLrF8QF
日本の火縄銃が銃床無いのは輸入したのをそのままコピーして改良しないから?
0755名無し三等兵
垢版 |
2018/02/25(日) 07:36:49.64ID:iiIl9Wj4
>>754
元々がアジア植民地現地製造の鳥撃ち用猟銃だったからだぬ<小口径頬付けマッチロック
で、改良の方向性が欧州とは別方向の狙撃銃に向かった
0756名無し三等兵
垢版 |
2018/02/25(日) 08:22:01.96ID:S8bNp+Y2
固定銃床とボディーアーマーがあわない問題は今でもある問題だからなあ
0757名無し三等兵
垢版 |
2018/02/25(日) 09:48:08.91ID:XsWII5e0
頬当て式は弓矢を引いた際の構えを、そのまま流用できるから
当時はそれなりに妥当性があったと聞いたことがある
0758某研究者
垢版 |
2018/02/27(火) 15:04:34.87ID:DC4o1fDm
西欧の商船搭載の自衛用の銃の構造は
瞬発式では無いから精度が低いとして
参考とされなかったのかだが
0759某研究者
垢版 |
2018/02/27(火) 15:17:22.68ID:DC4o1fDm
運搬時のストックの重量と言う問題も有るだろうし
野戦用の標準である六匁筒程度では
反動を抑える為のストックの効果は小さいから
此れは装備されないと言う事なのかだが
攻城戦用の長筒はタンネンベルクガンの様に
城壁に掛ける鍵の様な物が装備されているから
ストックは不要と言う事だったかも知れぬが
0762某研究者
垢版 |
2018/02/27(火) 21:24:32.14ID:DC4o1fDm
youtu.be/Jbt03pfYD4M?t=19
上の射撃では反動は余り感じないが 
こうしたクレー射撃の様な高速移動目標を撃つ事は 
近距離の白兵戦時にも行われる日本の射撃では意味は有るのかだが
0763名無し三等兵
垢版 |
2018/03/03(土) 16:04:50.71ID:IipSna3j
延々と独り言言ってる奴が怖くて調べたら色んなとこ荒らしてるみたいだね
0764名無し三等兵
垢版 |
2018/03/04(日) 14:06:40.57ID:IvKy1nX/
2ch発足遥か以前から、個人HPの軍系掲示板をうろついてた荒らしだよ冒険厩舎
0765名無し三等兵
垢版 |
2018/03/04(日) 14:42:01.18ID:SHR4qBMg
論文はおろか同人誌のひとつすら書いたことが無いクセに
研究者とか名乗ってて恥ずかしくないのかな
0766名無し三等兵
垢版 |
2018/03/04(日) 16:00:46.68ID:fV9KshOg
最後に行き着いて一番書き込んでるのが軍事板アニメスレだからな
ここまで悲惨な末路を迎えたコテハンも希少だろう
普通よほどのキチガイでも相手されなくなれば卒業していくし
0767名無し三等兵
垢版 |
2018/03/05(月) 11:27:55.72ID:6qfD90R4
貼られるリンクはちゃんとした、役に立つ資料もあるから全くの荒らしとは言えない気もする
そこからの考察がしょーもないだけで
0768名無し三等兵
垢版 |
2018/03/05(月) 12:34:45.53ID:Hlk3CmqY
これが荒らしじゃないって感覚がおかしいぞ
0769名無し三等兵
垢版 |
2018/03/05(月) 12:42:13.88ID:/MZn83Ra
考察がしょうもないとかじゃなくてただのキチガイが他人に迷惑をかけてるだけ
電車で次の駅名を叫んでる池沼が次の駅がわかるから便利な面もあるというくらい無理がある
0771名無し三等兵
垢版 |
2018/05/01(火) 23:14:23.03ID:KUBo4Sbr
あげ
0772名無し三等兵
垢版 |
2018/07/10(火) 20:37:10.52ID:RIlxRqwS
ランツクネヒトモチーフの創作ってなくないですか?

阿呆物語
聖餐城
ばら物語

このへんしかない
0773名無し三等兵
垢版 |
2018/11/29(木) 10:29:42.87ID:MfNTJPyz
スイス傭兵なんてもっと少ないぜ
0774名無し三等兵
垢版 |
2019/01/17(木) 16:10:50.08ID:hHZaQNBI
ばら物語に描かれるスイス傭兵は砲弾でなぎ倒され肉片になるばっかりで割に合わないね
ナポレオンの頃のスイス傭兵は危なくなったらさっさと逃げたようで格段に要領が良くなってる
0775名無し三等兵
垢版 |
2019/01/17(木) 22:21:02.39ID:4e7CwOb6
旧王政時代はフォントノワやバスチーユで酷い目に会ってるね
>スイス人衛兵隊

ナポレオン時代だと直ぐに思い出せるのはワーテルロー戦役
スイス戦列歩兵第2連隊の1個大隊が第3軍団に従軍してた
第3軍団はグルーシーの別働隊に編入されたので、狭義のワーテルロー会戦には不参加
その代わりワーブルの戦いに参加
ディール河に掛かる橋を巡り戦った

後はモスクワ遠征にも参加しいてたかな?
0776名無し三等兵
垢版 |
2019/01/17(木) 22:53:53.42ID:2r6pSbJC
テュルイリー襲撃の時のスイス傭兵はサンキュロット民兵に包囲された時に一斉射撃と銃剣突撃で先制攻撃して何度か敗退させてる
その後に押し切られて半分近くが戦死したわけだがしばしば一方的な虐殺の様に表現されるのが日本人の歴史観では好まれるようだ
0777名無し三等兵
垢版 |
2019/01/17(木) 23:19:01.11ID:DwabQaM9
ハイジのアルムおんじも傭兵だったから10代で従軍してればナポレオン戦争に参加してたかも
偏屈で人間嫌いなのもPTSDなのかと思うと同情しちゃうね
続編じゃ成長したペーターは傭兵になってハイジは人買いに連れて行かれちゃうしスイスってつくづく貧しい
0778名無し三等兵
垢版 |
2019/01/17(木) 23:32:55.73ID:PKApQ0ta
オンジは殺人を犯しているらしい
それと原作はもっと宗教色が強いの
0779名無し三等兵
垢版 |
2019/01/20(日) 19:35:27.50ID:PShAngAe
猪猟で止めを刺す役が猪に襲われタヒ亡
猪は怖いです><;バイクに向かって来られ転倒 あわわ
kujhhtr
0780名無し三等兵
垢版 |
2019/01/20(日) 19:37:02.18ID:/yp3TgHI
あ今夜 ハイジ の実写映画が有るよw
21:00-からBSでなw
0781名無し三等兵
垢版 |
2019/01/28(月) 10:56:00.68ID:GeMo+2Ay
実写版ハイジとクララのロリぶりに萌えた
おんじが隠し持っていた現役時代の銃とか持ち出すと面白かったけど原作にそんな場面ないし
0782名無し三等兵
垢版 |
2019/01/29(火) 00:33:14.78ID:04NJOO2g
吹き替えは有料で連日の様にやってるなあ
ハイディ
0783名無し三等兵
垢版 |
2019/03/01(金) 15:48:27.72ID:6vhbPQBc
ヨルダン国王 安倍さんにコレクションの旧日本軍の機関銃(99式?)
進呈
0784名無し三等兵
垢版 |
2019/03/15(金) 01:36:19.14ID:INBzleMd
マスケット銃で銃口が複数あるタイプ分かる人いる?
ググっても出てこなくて
0785名無し三等兵
垢版 |
2019/03/15(金) 06:02:01.83ID:57cg5Z8i
>>784
ノックガンの事かな?
7本銃身のフリントロック・マスケット
シャープシリーズでハーパーが使ってた
0788名無し三等兵
垢版 |
2019/03/20(水) 03:01:22.57ID:1oqloldZ
ずーと疑問なのだけど
真ん中にパイク、両脇に銃を配置した部隊の画像をよく見るけど
これパイクの塊避けて、両脇に騎兵突っ込めばええんじゃね???

テルシオのやつも、パイクにびっちりくっついてる銃兵は攻撃しづらいのは分かるけど
四隅の銃兵の塊は騎兵突っ込ませればそこの銃兵死んじゃうくない?

パイク兵はどうやって鉄砲ちゃん守ったの?
0789名無し三等兵
垢版 |
2019/04/11(木) 11:08:10.19ID:rOG5UnIc
テルシオではパイク兵も銃兵も状況が変わっても位置を動かないんだっけ?
配置も固定的なんだっけ?
0790名無し三等兵
垢版 |
2019/04/11(木) 11:33:51.36ID:UO96B1xz
パイク兵が銃兵を守るんじゃなくて銃兵がパイク兵を守ってる
両脇から突っ込んでも銃兵の塊にたどり着く前に銃によって騎兵が大損害受ける
じゃあパイク兵のお仕事はというと火力が弱い所に騎兵突撃されても持ちこたえる事
という考え方じゃないの
0791名無し三等兵
垢版 |
2019/04/11(木) 12:59:40.85ID:LTRh4tvz
大航海時代=大侵略時代は、大日本帝国が止めちまった。それに代わって
大通貨時代だが、どうして呉れようw
0792名無し三等兵
垢版 |
2019/04/11(木) 13:28:58.76ID:hR7Dax/P
>銃兵の塊にたどり着く前に銃によって騎兵が大損害受ける

当時の鉄砲は言うほどの大損害を騎兵集団に与えられないから問題だった
0793名無し三等兵
垢版 |
2019/04/11(木) 15:39:36.18ID:Uh8lo/Su
テルシオによる戦いは映画「アラトリステ (Alatriste) 」で描かれてますよ
ラスト10分位がロクロアの戦いの終盤に割かれてます
予算の都合からか最後のテルシオは1個のみですが・・・
0794名無し三等兵
垢版 |
2019/04/23(火) 13:00:14.79ID:ay7p/NAV
ナポレン戦争の時代でも、銃剣突撃で敵の方陣を崩してたのだから、テルシオの時代ならなおさらだろ。
0795名無し三等兵
垢版 |
2019/08/05(月) 22:45:01.53ID:vDqL1ot+
NHK教育を見て58224倍賢く 戦争論  ロジェ カイヨワ
0796名無し三等兵
垢版 |
2019/08/08(木) 11:04:35.50ID:UYS7NUk4
雑誌「歴史群像」筆者の古峰文三氏のツィート

Bunzo@Kominebunzo
最近、ファンの間でライン・インファントリーのつもりで「戦列歩兵」という用語が好んで使われるけれども
19世紀の歩兵戦術を扱う際にこの「戦列歩兵」は適切とは言えない。
歩兵と散兵はもう別の兵種では無く密集横隊を組む歩兵も戦況に応じて散兵となるので
「戦列歩兵」という独立した存在は無い。
https://twitter.com/Kominebunzo/status/1159215937196707840
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0797名無し三等兵
垢版 |
2019/08/08(木) 11:14:34.51ID:EnxdLU6V
「19世紀」ってフランス革命戦争から日清戦争まで含むんだけどな。BUN先生はこういう不親切な発言が多い。
0798名無し三等兵
垢版 |
2019/08/08(木) 14:48:36.18ID:C5cr33eq
ナポレオン戦争を19世紀の戦争に含めないって「不親切」ってレベルなの?w
一応、歴史雑誌のライターだろうに
0799名無し三等兵
垢版 |
2019/08/08(木) 15:03:39.69ID:C5cr33eq
歩兵戦術で散兵を語る時にいわゆるナポレオン戦争を除外する歴史雑誌のライターということ
0800名無し三等兵
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2019/08/09(金) 11:00:03.55ID:ohZSjY6R
>歩兵と散兵はもう別の兵種では無く
「散兵」を「歩兵」と並ぶ兵種のひとつと思ってるんだよねw
0801名無し三等兵
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2019/08/09(金) 11:01:19.20ID:ohZSjY6R
>ライン・インファントリーのつもりで「戦列歩兵」という用語が好んで使われるけれども
ライン・インファントリーを「戦列歩兵」以外にどう訳すのか、聞いてみたいわ
0803名無し三等兵
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2019/08/19(月) 13:25:08.47ID:mfdkJ2dP
別の兵種じゃないと言われても今一つピンとこないんだよなあ
確かに19世紀半ばの各国の歩兵操典をみれば戦列歩兵連隊のすべての兵士が散開時の運動や射撃について訓練することになってるけどさ

実際は第二次イタリア独立戦争の錯綜地形における戦闘では
軽歩兵であるズワーブのある大隊は1個中隊以外の全中隊が散開してるのに
戦列歩兵大隊だと2個中隊(1個は確実に軽歩兵任務に適した選抜歩兵中隊)除いて全員が密集隊形組んで戦闘してたんでしょ?
0804名無し三等兵
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2019/08/19(月) 14:44:15.68ID:BvvHoqNG
>>803
南北戦争の歩兵大隊でも10個中隊の内2個中隊(多くは両翼の中隊)を散兵に充てる事が多かったと
残りの8個中隊は2列横隊
但し、旅団で隊形を組むのが基本なので、幾つかの大隊を丸々散兵に当て、残りの大隊が横隊(時には縦隊)を組むケースも

第二次イタリア独立戦争でフランス軍戦列歩兵大隊から散兵に2個中隊を充てるとしたら、ヴォルティジュール中隊と擲弾兵中隊ですかね?
戦列歩兵大隊にヴォルティジュール中隊が編成される前(1804年よりも前)は擲弾兵中隊かフュジリエ第1中隊を散兵に充てていたので
(学研の戦略戦術兵器辞典3巻と赤本ナポレオン戦争編の隊形変更の説明は、フュジリエ第1中隊を散兵に充てる時代で解説されています)
0806名無し三等兵
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2019/11/25(月) 15:50:03.06ID:Ae1t1fOp
>>805
そのスレで熱く?戦術を語ってる人は多いのに、なぜかこのスレは閑古鳥・・・
0807名無し三等兵
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2019/12/03(火) 03:37:58.51ID:IylLUns/
よくカリブ海の海賊が持ってるイメージがあるフリントロック式ピストルって実用性はどう?
装填に時間がかかる前装式だし貴族の決闘用と射撃の遊び以外には使えない感じですかね?
0808名無し三等兵
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2019/12/03(火) 14:23:02.06ID:MHh/SPIo
海の上なので火縄不要なのは強みのはずだけど、火口の火薬が湿ったら不発になる点は同じ
とはいえ戦国時代でも火縄の維持には相当気を使ったというから便利は便利なんだろうね
0809名無し三等兵
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2019/12/03(火) 22:25:45.29ID:e1E/Fquc
他の火器も前装式だとすると現代のピストルと同じ位の実用性では?
共に刃物の間合いの外程度の距離で有効と言う意味で

ホイールロック式、フリントロック式、パーカッション式、何れも前装スムースボア銃身なら命中精度はほぼ同じかと
16世紀の騎兵操典では
命中を期するなら20yard(約18.3m)以内
可能なら3pas/3歩(1.95m)
で射撃しろと
後者は剣の間合いギリギリ位なのかな?

17世紀の清教徒革命では前装ライフル銃身のピストルが将校用として普及しましたが・・・
後の時代の戦場に殆んど登場しなかったのは余程高価だったのかな?
0810名無し三等兵
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2019/12/25(水) 16:24:14.73ID:0t3qr3H/
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。
0811名無し三等兵
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2019/12/26(木) 02:44:44.93ID:uAt6pdVQ
戦闘機すら作れない近親相姦ジャップヒトモドキw
他国のパクリf3で心神喪失糞食いwwwwwwwww
最強の韓国軍のケツ舐めろ雑魚土人共wwwwww
0812名無し三等兵
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2020/01/24(金) 02:42:52.07ID:fPJf3kma
ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです
0813名無し三等兵
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2020/01/27(月) 11:33:31.54ID:8li+wJXr
銃が有効なのは19世紀まで、普仏戦争で銃による戦死者は70%だが
第一次世界大戦では榴弾砲による死者が75%を越えている。
0814名無し三等兵
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2020/01/27(月) 13:11:13.04ID:imLeLVAz
明智光秀は鉄砲名人だったというけど当時の鉄砲って精度が怪しかったのにどのあたりが名人だったのかな
火薬に使われる硝石だって輸入品だったし放浪時代の光秀がよく手に入れられたものだね
0815名無し三等兵
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2020/02/17(月) 17:49:22.56ID:uwSQE8wW
>>812
生存者の申告する傷が多いからと言って弓が戦場の主役なのか?
軍役状見ると弓が最大の兵科になったことは一度もないけど
0816名無し三等兵
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2020/02/17(月) 21:55:19.49ID:73wSlXtC
白兵戦より射撃戦の方が殺傷数が多いことはあっても、投射兵科が軍勢の数的な主力にはなったことはないな
0817名無し三等兵
垢版 |
2020/02/18(火) 11:59:15.18ID:PNSJUoAO
歩兵が有効なのは19世紀まで、普仏戦争で歩兵銃による戦死者は約70%だが
第一次世界大戦では砲兵による死者が75%を越えている。

て書くと>>813のナンセンスさがわかる
0818名無し三等兵
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2020/02/20(木) 02:23:21.73ID:oxTLNowI
>>814
当時の火薬は品質が一定ではなく、製造過程で上手く調合したり、何かしら添加物を加えて調整しないと当たらない。砲術の流派はそうした事も教える。
名人ってのは、単に鉄砲の撃ち方が上手いとか的に当てる技術だけでなく、火薬や弾の入手から調整まで自分で出来ることに加え、業者との伝手もある事。
0819名無し三等兵
垢版 |
2020/02/23(日) 19:44:51.17ID:QF6XGa13
>>818
それってありそうだね
戦国時代に伊賀者が各地の国人衆や大名に召し抱へられたのは
忍者としてではなく鉄砲や火薬技術者として中途採用されたらしいけれど
火器コンサルだなw
0820名無し三等兵
垢版 |
2020/02/24(月) 00:17:34.69ID:6X2DNY5A
長い太平の世で火縄銃や大砲こそ蔵に眠っていたけど多くの藩が家伝だった火薬調合のノウハウを失っていて
幕末の頃に慌てふためいて使おうとして暴発させたり弾が飛ばなかったりしてたんだよね
加賀藩は硝石を生産していた上に農民の鉄砲保有率が高かったのに維新では完全に出遅れたのが惜しい
0821名無し三等兵
垢版 |
2020/02/25(火) 15:28:26.15ID:FGXXJO3k
その辺の百姓に聞けば作り方か知ってる人教えてくれたのに
0822名無し三等兵
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2020/02/25(火) 15:46:06.10ID:oioZnaFo
火薬調合の伝搬、ノウハウ、やその探り合いに付いては
鉄砲―伝来とその影響
洞富雄
に結構載っていたかと
鉄砲のハード云々よりもタイトル通り「その影響」に主眼を置いた面白い本でしたよ
0823名無し三等兵
垢版 |
2020/05/29(金) 21:54:54.38ID:eLDRCb4g
ナポレオン時代で火縄銃って廃れてたのかね
0824名無し三等兵
垢版 |
2020/05/29(金) 23:13:32.17ID:tADrwqNC
完全に廃れてる
0826名無し三等兵
垢版 |
2020/09/08(火) 03:32:11.00ID:hrvBkGnP
動画でモンゴル馬のレースを見るとサラブレットとまるで異なり、悪路や水中を平気で走れる姿を見て
20世紀前半まで騎兵が戦力として残ったのもわかった。あの機動力は初期のバイクや車じゃ太刀打ちできないわ
0827名無し三等兵
垢版 |
2020/10/26(月) 23:39:55.66ID:Qxv5ZwIz
>>293
>『近藤守重(重蔵)が千島方面を探険。
>同地のアイヌが鉄砲を巧みに使っているのを報告している。』

松前藩(≒渡党というアイヌ)が規制取締ってる時代のはずなのに、アイヌが鉄砲使ってる
あと参考に
明治時代も、アイヌが銃にうまく適応してエゾオオカミを狩りまくった

> 1)1876年開拓使制定の「北海道鹿猟規則」下における
> シカ狩猟・流通・製品加工・消費などの実態を調査した。
> その結果、(1)比較的詳しい把握ができた胆振地方については、
●> 同規則による免許取得者のなかでアイヌ民族が占める割合が圧倒的に高い、

> [環境と社会研究会】アイヌがシカ猟規制でシカ猟が出来なくなったか?
> 毒矢禁止→アイヌがシカ獲れなくなった、なら話はシンプル。
●> しかし実際は、北海道鹿猟規則で義務付られた鹿猟免許(銃使用)取得者の大半がアイヌ。
●> 銃に積極的に対応した側面。ただし免許制限500人に洩れたアイヌも。

北海道でエゾオオカミ狩ったのも、多くがアイヌ〔狩猟免許取得者の大半〕
※エドウィンダンの毒エサ使用は静内の牧場周辺のみ

   エゾオオカミ研究史の検討
(元ページ)http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/60544/1/15_004_umeki.pdf
≫ 開拓期の北海道で.
≫ アイヌがオオカミを嫌い,手当金の支給を受けるために捕獲していたことに
≫ 言及した事例も存. 在する[山田 2002:80]。
0828名無し三等兵
垢版 |
2020/12/06(日) 09:49:21.69ID:EE/edGrH
このすれ的には有坂純てどうなの? 歴史群像のカラーページを担当しているけど
0829名無し三等兵
垢版 |
2020/12/06(日) 13:55:15.18ID:mQ+sobPW
>>828
良いと思うよ
書籍化して欲しいけど紙媒体だとカラーは難しいだろうから電子書籍ででも
0831名無し三等兵
垢版 |
2020/12/14(月) 10:55:07.07ID:px9iw2kN
雑誌「歴史群像」のライターの人

Bunzo@Kominebunzo・12月12日
軽歩兵とひと括りにされる兵種にはナポレオン戦争以前から二つの流れがあり、装備も違う。
熟練した射撃手集団と、密集横隊に加わらない補助的任務の散兵部隊がそれ。
近代歩兵に発達して行くのは旧時代に最下位にあった後者で、ライフル兵(猟兵、イェーガー)は19世紀後半に消滅してゆく存在。
0832名無し三等兵
垢版 |
2020/12/14(月) 10:57:36.00ID:TfIwNC1G
またコピペガイジが湧いてる
そんなに宣伝したいの?
0833名無し三等兵
垢版 |
2020/12/14(月) 10:57:42.61ID:px9iw2kN
Bunzo@Kominebunzo・12月10日
「散兵」は隣の戦友の肩に手を掛けられる位に密集しているのが普通。
何メートルも離れてポツン、ポツンと配置される歩兵のことではない。
ここを勘違いしている人はかなり多いんじゃないんだろうか。
0834名無し三等兵
垢版 |
2020/12/14(月) 22:28:39.09ID:SASnQKpf
ナポレオン戦争中の散兵隊形ではバディシステムを採用していたからなぁ

フランス軍の場合は
2名がお互い援護しつつ射撃(必ずマスケット1丁が装填状態で在ること)
2組で行動し1組が前進中は1組が射撃状態で警戒、これをお互い交代しつつ行動
とは言えこの専門的な散兵隊形の訓練が行き届いていたのはボルテジュール中隊(軽歩兵、戦列歩兵共に)
軽歩兵でも一般兵士のシャスール中隊は多くの場合横隊や縦隊で戦ったと
戦列歩兵よりは迅速に行動する訓練は受けていた様だけど

イギリス軍の詳細は解らないけれどライフルマンの手紙にバディが片腕を砲弾に持っていかれたのでとっさに支えたなんて記述が
それくらい近い距離だったんだろうね

因みに戦列歩兵の間隔は肘と肘の間が22-27インチ(約56-69センチ)
0835名無し三等兵
垢版 |
2020/12/14(月) 22:36:36.66ID:oNKYAUqq
古代・中世・近世・現代と散兵の軍事用語であらわされる兵種あって全部隊形違うから気を付けないとね
0836名無し三等兵
垢版 |
2020/12/27(日) 18:16:04.21ID:N6bYQgI/
一つの備単位での騎馬武者の同時突撃と言う事だ
0837名無し三等兵
垢版 |
2021/06/18(金) 13:24:13.13ID:b0xsqnTh
中世スレがないのであえてこちらに書きますが
戦国時代の日本の戦で日本刀の出番ってどれくらいあったんですか?
ファランクスみたいに密集してなければ敵味方共に槍兵が沢山いても刀の間合いに入ることはままあったんですか?
0838名無し三等兵
垢版 |
2021/12/12(日) 18:41:47.31ID:cbxX+hl9
【FF4ピクセルリマスター】『ゴルベーザ四天王とのバトル』がスローテンポに改悪されてて酷い件【植松伸夫】
https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/16さん1406776/
まとめサイトにもまとめられる事態に

↓その後

FF音楽アレンジ その難しさとは サウンドディレクター宮永英典 【スクエニの創りかた】
https://www.ようつべ.com/watch?v=qGyIADLiUIA
19:30〜 曲のテンポが遅くなった理由を説明

スローテンポに改悪した犯人は植松伸夫でした

スクウェア・エニックス スクエニ ファイナルファンタジーIV ファイナルファンタジー4 FF4 FFIV ピクセルリマスター
坂口博信 ヒゲ 時田貴司 ときたたかし ゲーム職人 ゲームしょくにん 植松伸夫 ノビヨ 成田賢 伊藤裕之 青木和彦
松井聡彦 吉井清史 樋口勝久 中田浩美 高橋哲哉 星野雅紀 天野喜孝 赤尾実 上田晃 浅野智也 金田伊功
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