ワッチョイ無 1 インパール作戦 [無断転載禁止]©2ch.net
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インパール作戦総合スレッドです
ワッチョイは御座いません インパールスレ既にあるだろうにガイジ
向こうもワッチョイ無しだし無駄スレ立てんな 前スレラストのサンフランシスコ平和条約を結んだから日本政府は無条件降伏してないとかほざいてる基地外なんだったんだろ >>6
>サンフランシスコ平和条約を結んだから日本政府は無条件降伏してないとかほざいてる基地外
そういや「無条件降伏をしたのに、北方領土を返還しろ」というキチガイも居たよなw >>6
ポツダム宣言に法的な意味は無いんだが? 台湾は中華民国に返還されたのか? 「つまびらかに読んでいない」(安倍首相答弁)で一蹴されてるポツダム宣言とかいう無意味な紙切れw >>8
「無条件降伏をしたのだから、好意にすがって譲り受ける」ということでは? >>6
>サンフランシスコ平和条約を結んだから日本政府は無条件降伏してないとかほざいてる基地外
大陸打通作戦で中国人が虫けらのように虐殺されていても、米英は「ドイツ打倒優先」で取り合わなかった。
つまり米英中軍事同盟は名実とともに消えてしまった。カイロ宣言は取り消されて台湾は独立してしまった。
ドイツ打倒優先=中国人は虫けらだからいくら虐殺しても良い、この理解が大切だ。
こうしてポツダム宣言は文字通りの「紙くず」となったww ロシアはクリミアを取れる中国は台湾を取れない、これが軍事的実力というものだ。
ロシアのクリミア領有
ロシアの北方四島領有
韓国の竹島領有
≪壁≫(主権国家の壁)
中華民国の台湾領有
≪超えられない壁≫(実効支配の壁)
中華人民共和国の台湾領有
台湾は中華民国亡命政府が実効支配しているから中華民国の領土だ、とまでは何とかなる主張だ。
国連では亡命政府扱いでも、台湾関係法という米国との関係を通じておれば独立国として振る舞えるのだから。
けれどもその場合は国連なんてクソ喰らえという態度を貫徹しなければならない。
戦勝国代表を自負していても中華民国はあくまで亡命政府であって国家主権は地球上のどこにもなくて、
1971年のアルバニア決議で国際連合(WW2戦勝国クラブ)からは追放されてしまった。
中国大使館、米政府の台湾への武器売却方針に激怒 中止を要請
http://jp.reuters.com/article/usa-taiwan-arms-china-idJPKBN19L0UA
中国の主張を支持して米国を非難する国が、中国以外のどこに存在するのか。北朝鮮だって関心の無いことだ。 >>6
>サンフランシスコ平和条約を結んだから日本政府は無条件降伏してないとかほざいてる基地外
ナチスと結んで米英を攻撃した日本は「無条件降伏をしたのに、北方領土を返還しろ」と主張してるのに、
ナチスと結んでソ連を攻撃したフィンランドは「有条件降伏をしたからカレリアを返還しろ」とは言わない。
クリミアは住民投票の結果ロシア領土になったという主張と、北方四島は日本が無条件降伏した結果ロシア領土になったいう主張は、
どちらが正しくてどちらが間違いなのか、あるいは両方間違いなのか両方正しいのか。 そもそも「中華民国」なる国家は存在するのか、もし存在するとすればその主権範囲は地球上のどこなのか。
ただの亡命政府に過ぎないとすれば、台湾という地域はどこの国に所属することになるのか。
また中華人民共和国が台湾の領有権を主張しかつ米国が台湾関係法を発動する場合、国際法的にはどういう判断になるのか。
南極大陸と同じ「未帰属地」であるとすれば、その管轄権は国際法的にはどういうことになるのか。
ちなみにナチスと結んで米英を攻撃した日本は「無条件降伏をしたのに、北方領土を返還しろ」と主張してるのに、
ナチスと結んでソ連を攻撃したフィンランドは「有条件降伏をしたからカレリアを返還しろ」とは言わない。
クリミアは住民投票の結果ロシア領土になったという主張と、北方四島は日本が無条件降伏した結果ロシア領土になったいう主張は、
どちらが正しくてどちらが間違いなのか、あるいは両方間違いなのか両方正しいのか。
また中華人民共和国の南沙諸島領有はこの前退けられたが、それでも中華人民共和国は実効支配を続けている。
それもこれも国際司法裁判所で解決するのが一番良いのではなかろうか。 >>15 国際司法裁判所
そんな国連の機関なんぞに権威を持たせるのが
日本にとって得かな?得じゃないと思うよ。国連
なんて反日組織だと考えるべき。 >>15
>ナチスと結んで米英を攻撃した日本は「無条件降伏をしたのに、北方領土を返還しろ」と主張してるのに、
「無条件降伏」なんてしていないが? 1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約により、ポツダム宣言とカイロ宣言は破棄された。
そしてこの条約には中国が参加していない。つまりこれは大陸打通作戦の大勝利がもたらした結果なのだ。
反ファシズム聯合国からして対日戦争がオマケということなら、日中戦争はオマケのそのまたオマケで、
中国は戦勝国の地位を得られないことになる。ちなみに日中国交回復は1972年、米中国交回復は1979年。
○池田国務大臣 それはそのときに、領土権はどうかという問題と、だれが支配しているかという
問題を区別しての御質問ならば、いまのようにはっきり答えます。だから、もしそういうように言って
おるとすれば、ここではっきり申し上げますが、台湾は中華民国政府が現に支配しておる、
そして日華条約はここに適用になる、こういう意味でございます。領土権はどうかといったら、これは、
日本が放棄しただけで、中華民国の領土権はカイロあるいはポツダム宣言にはそういうことを予定
してきめておりまするが、この規定は、われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。
われわれ平和条約によって日本の外交をやっていくのであります。これが私の考えであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0514/04602290514017a.html
そして日本の歴代内閣はこのサンフランシスコ講和条約を盾に戦後補償の全てを蹴り飛ばした。
だからこの4月28日を「大陸打通作戦勝利記念日」として、日本人であることの喜びを感じるべきなのだ。
いくらポツダム宣言の受諾を「無条件降伏」と呼ぼうが、サンフランシスコ講和条約でポツダム宣言
そのものが無効化されており、「つまびらかに読んでいない」(安倍首相)で済んでしまう。
つまりポツダム宣言は「紙くず」、そうでないなら台湾の帰属先は何処なんだと問いただせば良い。
ロシアはクリミアを取れるが中国は台湾に手が出ないから、台湾の帰属先は未定のままだ。
なおロシアのクリミア領有と中国の台湾領有とを常に比較することで、中国に恥を掻かせることができる。
まさにクリミアと台湾は、バグラチオン作戦と大陸打通作戦の再現ビデオに他ならない。 ・・私はいった。・・・・二つの決定的な事態がこの二,三日に起こっている。
第一には、スターリン元帥が、ソ連はドイツが敗北した瞬間に対日宣戦をする、と自発的に言明した。
・・・・・・われわれが「大君主」作戦の成功を期して力を結集すべきことを、それだけ重要ならしめるものである。・・
・・・第二の第一級的重要事項というのは、五月に海峡横断を行うことに決定したことである。私自身としては、
七月を取るものであったが、それにもかかわらず、五月の決行を完全に成功せしめるために、全力を尽くすべく決意している。】
http://tnngsg4601.blog110.fc2.com/?mode=m&no=156
3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの
指揮下に一時的に移すことに同意し、「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf
1944 年、アジア大陸では、日本陸軍は依然として連合軍の戦略を狂わせることができた。中国南部およ
び中部での一号作戦は、国民党に屈辱を味わわせ、連合軍にその戦略の再構築を強いた。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
その時(一九四四年三月〜七月)、英国民の関心はドイツとの戦いに集中し、ドイツ軍の英本土爆撃、
連合軍のノルマンディ上陸作戦(六月六日)に心を奪われ、遠いアジアでの戦いは余り問題にされなかったが、
スクーンズ中将は当面の責任者としてインパールの持つ政略上、戦略上の重要性はどれほど重視しても重視
しすぎることはないと考えていたという。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/inparl/inparl.htm
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、
どっちせよ(そのように実質的なものではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm
その 1 年後にドイツから宣戦布告を受けたモロトフ外相の悲しみに満ちた「我々は宣戦布告に値するどんな
ことをしたというのか」という発言は、ナチス・ドイツの外交政策の嘘偽りを物語るものである。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2014/07.pdf “解決”するものは大国の力
これらの例はすべて、国際連合が創設され、国際法が整備されても、国際関係が力で解決されることを示している。
国際法は、勝者に都合のいいように解釈される。例外なく大国は、そのとき戦略的に自分に有利な原則(領土保全か
はたまた民族自決か)に依拠する。こうした現実が続くかぎりは、危機管理の有効なメカニズムを作り出すことはできない相談であり、
現代あちこちに起きているような危機は、さらに今後も発生し続けることになる…。
https://jp.rbth.com/politics/2014/03/14/47537
○政府委員(味村治君) さきの大戦につきましての天皇の法的な責任のみについて申し上げます。
先ほど委員が御指摘になられましたように、旧憲法下におきましては天皇は統治権の総攬者でございまして、
戦いいわゆる宣戦の機能をお持ちになっておられましたが、国務大臣がそれにつきましては天皇を輔弼しまし
て一切の責任を負う、こういうことになっておりまして、天皇は神聖不可侵であるという規定が旧憲法の三条にあ
ったわけでございます。この神聖不可侵ということの意味の一つといたしまして、天皇は先ほどおっしゃいましたよう
に無答責である、責任を負わないんだということに、この解釈は恐らく争いがなかったことであると思います。
したがいまして、天皇は旧憲法下におきまして国内法上一切の法的責任を負うことはないと、このようにされておりました。
当時の憲法において一切の法的責任を負うことがないとされております以上は、その旧憲法当時の行為につきまして後になって
法的責任があると言うわけにはまいりませんので、国内法上は昭和天皇には戦争についての法的責任がないと考えてございます。
さらに、国際法の問題について御議論がございましたが、これは、先生の御指摘のとおり、昭和天皇の戦争責任の問題
につきましては極東国際軍事裁判において検討がなされましたが、連合国が昭和天皇に対して訴追を行わなかったということ
は御指摘のとおりでございまして、昭和天皇の国際法上の戦争責任の問題は既に決着した問題であるというふうに考えております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/114/1020/11402141020003a.html >>17
天皇が無条件降伏したから日本は無条件降伏なんだが? >>21
お前バカだろ。ポツダム宣言が条件なんだよ。 >>22
ああ「全て連合国様の言う通りにします、だから何卒降伏させて下さい」ってのが条件だったな >>23
>全て連合国様の言う通りにします、だから何卒降伏させて下さい
でもその同じ口から「北方領土を返還しろ」なんて主張が出たら完全アウトw >>24
連合国様、もし出来れば北方四島を「好意で」譲っていただけますでしょうかってことなんだが? ロシアは伝統的に親日国だから、土下座して大金払えば、歯舞色丹くらいは「譲ってもらえる」。 >>25
いやだから「無条件降伏」なんかしてないが? 君の脳内? >>28
でも北方四島についてほ、連合国の言う通りになったろ?
日本は降伏文書に署名し、日本の主権は、本州、九州、四国、北海道と小島に制限された
ポツダム宣言を受け入れた。南クリルの択捉、国後、色丹、歯舞はソ連領土となった。
http://japanese.ruvr.ru/2012_09_02/roshia-dainijisekaitaisen-shuuketsu-no-hi/ >>28
ポツダム宣言に何が書かれていようが、天皇が無条件降伏したから、日本は無条件降伏した。 >>29
北方四島はロシアの好意で譲ってもらうべく、徹底した日露友好外交を進めていきたい。 日本は北方領土を最初は放棄してるしなw
後から4島の領有権主張!!wちと無理やでw
日本共産党の主張は日露戦争前の状態に
戻せだしより現実的!!w流石優流!w 70年前のインパール作戦を党首討論会で出す枝野んも
悪いがスタジオの連中も殆ど知らない、知らないふり
TBS実況のネトウヨ、ネトサポ、売国奴安倍晋三支持者、ええカッコしたいだけの小池支持者、維新支持の国士様に 死んだ戦友の人肉まで食った大惨事
名誉の戦死さえ出来なかった数万人の兵隊〜遺骨さえ回収されていない!関わった将軍全員が降格されず責任取らず戦後数十年生きて天寿を全うした事
この国の軍隊は平気で国民を殺す
日本の官僚は百年前から百万単位の民間人を虐殺する
この国を守り抜く 必要なんかない!
日本国民の命さえ守れない軍隊なんかいらん!
事を可及的速やかに拡散せよ!
遅い奴は往復ビンタ百発の後、最前線送りだ!
!!!!!!! やあ、国籍の怪しい工作員又は、歴史の中に隠れて久しい部落民の人
朝鮮では日本を何時も利用してきてアニメや漫画をパクル事からはじまって、愛国心の代替で在る反日でなけなしの内部結束を画するわ
其れに伴う捏造歴史、其の感覚的惰性に拠るだろう起源主張及び、文化詐称
韓国が本家なら日本は分家だと思え、てな式の謎糞嘘理論
情報が一方的な時代なら在る程度の効果は収めたようだが其れにしても帰結としての歴史的無関心、と云う
日本人の本質の変革には今一つ踏み込んだ効果が得られた、とは云えなかった即ち
最早時代遅れの手法だな
技術は勿論、言葉ですら全て日本製、其れがたった現在に於いてのみの特殊事象だとでも思えるが如き、此の点
未だ騙されて居るお人好しな日本人は多い様だが冷静に考えれば然し、実際問題朝鮮に何ができる
朝鮮の歴史は属国属国属国の歴史だ
其の限度で成り立つだろう其の程度の知性による下劣且、冗長で無駄な議論は何故か生産性が完璧なほどに存在しない
例えば、福島瑞穂に拠る売国広報基地サイシュウに於ける世界的慰安婦詐欺は此処に来て漸くアメリカに於いても一部認知され始めて居る段階にあるようだが
何故か、図々しくも自信満々で在りながらも此の全面ねつ造歴史戦争には当然参戦出来ない哀れなザイニチは英語どころか
日本の標準語すらも危ういらしく最早、其の議論に於ける又、例に拠って出てくるでてくる有象無象の映画小説昔話の論拠に次ぐ論拠は既に語るに落ちる(笑) 論破しても論破してもバイ菌のように湧いて来るだけが強み(笑)
世界でも基地外は遠巻きに不干渉が対応としてはベストプラクティスのようだし
此れ以上の其れこそ無益な議論はやめた方が良い、と思っている
其の点検討してみてくれ(笑)
曖昧な態度では悲劇にもつながりかねないようだし(笑)(笑)
まあ、君なんかの本心の処は所詮又、『ネトウヨネトウヨネトウヨジャップ』に過ぎないんだろう
歴史は繰り返す、そして我我は其れを速やかに実現すればいいだけだ
すり寄りモードは無駄だよ
其れを証明して遣っても良いが
曰く、『帝国主義時代の公文書の権力側隠蔽加害者の実証主義じゃ、世界中から歴史修正主義者と批判される』
例え時の権力者で在ろうとも隠蔽出来るような証拠は限られる、と云う現実が見えてない
恰も想像すら出来てない世界的にも稀有な哀れな異常者、と云うべきだろうが然し
そうした謎理論が証言偏重歴史修正主義者のまぎれない本性且、限界なんだろうな
大方朝鮮学校ででも吹き込まれちまったんだろう
下らんよ、だが悲しいものだ(唾) コピペだが此れは、互いに禁じられた手法ではないし
其方にもスルーされた論点や、対抗者の異常性を示すべき由々しき有効なスレが在ればあえて風化させなくても良い
従三位瀬島龍三氏を田中清玄なんて単なる際物運動家、極左過激主義、暴力共産、似非天皇主義と並べ立て、あげ糞の言葉で貶めるべきでない
そんな奴が天皇陛下のお傍で直々にお言葉を拝聴するなんてシチュエーションが在り得るものか馬鹿が
お前ら左翼はさぞや瀬島氏の命を張った東京裁判が憎かろうな
ゲスなソ連の強制労働は既定路線だった筈で、氏の発言云々の影響など考えた事もないのが通常の日本人、関係ない
そうやって名前を使われて業腹な英霊はあまた居られるだろうよ
右左、まぜっかえしの根本論は戦前からの伝統芸なんだろうがそろそろ其の神通力も薄れ、唯唯過去の夥しい欺瞞、捏造
不誠意、無生気の言葉の蓄積だけが確認されるようになってるな(笑)
ウィキでの言葉を盛ってさえいれば新たな歴史も作れると思い込んでるんだろうが、哀れだよ 岸信介元首相はCIACIAと喧しくされる事が多々在るが、其の論者自体を良く見てみるべき事は日本人なら忘れてはならない点
東条内閣に於ける一閣僚としてA級戦犯に列しはしたが東条とはそもそも、政策方針でも確執が在った
半ば更迭の形で東条に職を奪われても居る
其の際、東条側近の憲兵隊長が自宅に押しかけ恫喝したらしいが其れを恫喝を以て追い返した胆力の持ち主にして、正二位の大勲位
東条内閣に対し木戸幸一公、米内光政氏らとともに早期和平を働きかけた
此の何処に重大な戦犯性が在るのか 中曽根元首相は後に事実と全く違う、具体的な記録も存在しない、と海外からの取材に率直に答えて居る
恐らく、火の出る様な面映ゆさを以て挑んだに違いない
大方若い自分が完成された一部隊を率いた、と云うよりは荒くれ者の三〇〇〇人を従えたのだ、とする方が自負心が満たされた、其れだけの事だろう
命がけで其の兵士の命を正に、預かった、背に背負った苦労から解放された瞬間の一瞬の弛緩に関しては然程責められるべき過怠もなかった筈だ
其れは全て通常の人間の人情の範囲内
だが、不幸な事に現代に至って、おかしな本当の土人どもが重箱の隅をつついては其の戦火の残りカスで以て新たな時代にも腹を満たそうと姑息に動き
蠢き始めた、そう云う事だろう
他に迷惑をかけれそうな大物はいないのかなパヨク(笑)
731部隊が人体実験をしていた物的証拠が全くない事は此れから、段々と世界にもいとも容易く認知されるだろう
『兎狩り』と云えば慰安婦詐欺師の吉田の小説以外ないだろ馬鹿似非歴史オタ(笑)
中国軍は主体が便衣兵だったらしいのだから全ての国民が敵性俘虜の扱いが妥当、と云わざるを得ない
経済的排他、虐待もなく対価を以てする労務は否定されて居ないし、頭から禁止されても居ない
ソロソロ年貢のおさめ時と知れよ、カスちょんちゃん
お前らは仏の日本人を鬼とした インパールは作戦的にもタイミング的にも何時起きてもおかしくはない常識的な戦いだった
今更明らかにすべきでない事の一つには実に簡単且、安直なことではあるが
温存された、とされるインド国民軍本隊の存在に理由が在るように思われるのは当然の話で
馬鹿国民には想像すら難しいのかも知れないが、勘違いして掘り起こす事は外交上、関係構築上も利益に乏しい
当事者の悲壮な意思に全く沿うこととも思えない
幾ら直情的、感覚的に解消できない高度な心象は一先ず置いておいてもだが
日本の善意在る常識人には其の災いが直接的に感じられるインパールを貶め、穿り、悪用ばかりする論者に対する絶対的な信用度は極限に低いよ
国籍と工作目的を朧に名乗り上げるようなものだな
何を云っても無駄(笑)
其の間隙を人間ではない昆虫が昆虫らしくどんな勘違いをしたか嬉しそうに蠢き、集る
其れは見て居て快いものではない、論外な事態だ
恥を知れよのんべえ(唾) 如何でも良いが然し、お前らは民度から先ず上げるべきだろうなあ
一体何故、国の首相を軽々しく悪しざまに云えるのだ、理由もなく、違法性の物的論拠もなく只管印象論、誘導論、扇動論に拠って
政治家や誰か、権威に関して悪し様に云うには少なくとも決定的物証が伴うべきで、其れで在っても何か人間性からくる免れない事情や
何か衝撃的な理由、秘められた政略が隠されて居る場合だって在る
そうであれば寄り慎重に、言葉を選びながらするべき行為であり又、其処に受け付けない心の一線を画くするのを禁じ得ないで居る
そもそもそうでもなければ此の日本に於いて当然、絶対的に他人の共感を得られる筈ないではないか
おかしなものだな、此れはテロなのか犯罪か何なのか、確かに突き詰めてみるべき由々しき問題であり時代が漸く、其処に光を当てつつあるようにも思える
処で、どんな時でも食事は必要だろ?
幾ら平気面のようなお前らでも空気や霞を吸っていさえすれば実際、肉体労働に絶えず勤しむ他人よりも強くなれる訳ではあるまい(笑)
君ら朝鮮人らしき反日左翼は日本人を騙ってはネトウヨ連呼挙句、我我日本人の先達が築いた畏怖すべき輝く数多の歴史の要諦を歪め、汚し、嘯き憚らない(笑)
一つ大事な事を教えてやろう
頭の悪いお前、或いはお前の家族、親族若しくは、お前の子孫等には既に自殺の“兆候”が見られる、と云う事
先ず、議論をすらまともに出来ない程度には既に知能が現在に適合出来ていない、ほぼ其れは確定し未だ、其の決断が出来ずにいるだけ(唾)
其の免れぬ力強い見えない因果律は何処迄も何処迄も、何処迄もお前らを一匹残らず追い詰めるだろう 大川隆法も「インパール」本出しているんだなw
まムーレベルの話しみたいだがw >>6
>前スレラストのサンフランシスコ平和条約を結んだから日本政府は無条件降伏してないとかほざいてる基地外なんだったんだろ
ポツダム宣言に法的効果は無いよ? そうでないとすれば台湾の帰属先は? 546 本当にあった怖い名無し sage 2017/11/10(金) 14:38:28.60 ID:eYp242mj0
>>544
ご存命の元兵士が減ったので編集しやすくなったからかな>狗HK
548 本当にあった怖い名無し sage 2017/11/10(金) 16:27:13.29 ID:4QgtLFsR0
この歳でテレビに出て小遣い稼ぎ
そらこんなのが前線にいたら負けますわw
549 本当にあった怖い名無し sage 2017/11/10(金) 17:19:13.22 ID:Dnariuww0
散った戦友を思うなら墓場まで持ってけよ
550 本当にあった怖い名無し sage 2017/11/10(金) 19:57:22.47 ID:Na+kJRT90
日本兵に連行されたって嘘つく慰安婦もいるんだから自分に(他人に)都合の良い嘘を並び立てる日本兵がいてもおかしくない 朝日やあのおっさんみたくなw
それが一人歩きしてさも事実みたいにw >>43
ポツダム宣言受諾は日本政府が無条件で受諾した無条件降伏だけど、領土配分はそれとは別に決められた。
台湾についてはポツダム宣言とは全く異なる処遇だが、それも連合国の裁量でそうなった。
北方領土については無条件降伏した日本に発言権無く、戦勝国のアメリカとロシアの意見の食い違い。 >>46
すると『無条件降伏』なんて何の意味も無いなw ヨーロッパでは1945年だけで二度にも渡って米英ソ合意が出来ていたが、アジアではそうでは無かった。
2 年後、リンドン・ジョンソンが最初の米軍戦闘部隊をベトナムに派遣すると、米国
の極東政策は静止状態に陥り、以後 5 年以上、その状態から抜け出られなくなる。その
瞬間から、ベトナム戦争が太平洋地域に関するその他のいかなる問題よりも優先される
ようになってしまったため、戦略的な創造性を示す証拠を探しても、そのような証拠は
見つからない94。結局、後年、ハルバースタムが記しているように、中国での敗北から
ベトナムでの敗北までの一連の米国の極東政策は、「西洋人の一集団が何年も前から腰を
据えて、将来をどうすべきかを検討した結果ではなく、まさにそうしなかったがゆえに
生まれたのである95。」
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2003/forum_j2003_10.pdf
1944年6月のノルマンディー上陸作戦のやり方を、1945年以降のアジアに適用することは出来ない! お前らが笑ったコピペを貼れ in オカルト板【別館】4 [無断転載禁止]©2ch.net
544 本当にあった怖い名無し 2017/11/10(金) 12:14:34.20 ID:HznkmfEQ0
http://imgur.com/4FpiRDb.jpg
http://imgur.com/Tw0lm7w.jpg
http://imgur.com/cY8CRmm.jpg
http://imgur.com/uvKFJpc.jpg
http://imgur.com/lf2v1Oh.jpg
http://imgur.com/8llk8Fw.jpg
http://imgur.com/VZsrjEF.jpg
http://imgur.com/UemVHY2.jpg
http://imgur.com/7zrqKWW.jpg
http://imgur.com/ttTPYJT.jpg
http://imgur.com/SV4DsqD.jpg
546 本当にあった怖い名無し sage 2017/11/10(金) 14:38:28.60 ID:eYp242mj0
>>544
ご存命の元兵士が減ったので編集しやすくなったからかな>狗HK
548 本当にあった怖い名無し sage 2017/11/10(金) 16:27:13.29 ID:4QgtLFsR0
この歳でテレビに出て小遣い稼ぎ
そらこんなのが前線にいたら負けますわw
549 本当にあった怖い名無し sage 2017/11/10(金) 17:19:13.22 ID:Dnariuww0
散った戦友を思うなら墓場まで持ってけよ
550 本当にあった怖い名無し sage 2017/11/10(金) 19:57:22.47 ID:Na+kJRT90
日本兵に連行されたって嘘つく慰安婦もいるんだから自分に(他人に)都合の良い嘘を並び立てる日本兵がいてもおかしくない NHKのインパール作戦(録画)見たよ
この作戦どうすれば成功だったの? >>52
結論としては作戦を実行しないことにつきる。 録画しといた完全版を見終わったところ
最後の元少尉の言葉で泣けたわ・・・ >>54
アラカン、インパール、フーコン、雲南の4方からビルマ領内侵攻されて、
ビルマ国民軍が離反して終了。
要するに詰んでる。 【山形】<インパール作戦>佐藤幸徳中将の菩提寺にインドの青年から鎮魂と友好願う油絵「今も現地住民に慕われていることに感銘」
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1513706824/ 再放送を見て来ますた
うちの爺さんはこんな奴のために死にかけました 新幹線の例の話。なんかインパール作戦に少し近いものを感じる 上層部の無能さは論外だが、こんな無茶ですら通ってしまい、またそれに皆に従うという文化が
昔の日本の狂気じみた強さの源泉だったんだろうなとも思った
今だったらみんな逃げて終わり ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 デフィマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 みよこの連合軍のそうそうたるメンバーと、その見解を。
当時、この方面で日本軍と壮絶な戦いを経験した
連合軍の指揮官や参謀の生の声。
戦後に日本のインチキ作家なんぞによって書かれた似非インパール戦記本
しかもそれらは政治的、利権目的で作為的に
編集者による扇動の意図のあるもの
なんぞとは次元が違うw 枝野のやろう
悪い例を出すなら海軍主導のもっと悲惨な太平洋戦線が
いくらでもあるのに
なぜ、インパール作戦を例に出すか???
ということは
所詮こいつも半藤と同様、
権力者に迎合した私利私欲の犬にでしかない またやってるよNHK
余程日本が憎い局員が居るんだな!! >>6
>前スレラストのサンフランシスコ平和条約を結んだから日本政府は無条件降伏してないとかほざいてる基地外なんだったんだろ
『無条件降伏をしたのに、北方領土を返還しろ』とか、馬鹿ばっかりだよなw https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180129-00000030-cnippou-kr
ほいwきたw
中国原子力潜水艦の激しい騒音で、日本の海上自衛隊に探知されて2日間追尾されるという侮辱を受けたと香港サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙が29日、報じた。 v ★世界一、残虐行為をやってたのは
間違いなく日本海軍である。
・ウエーク島では100人の捕虜を集め、一気に銃殺処刑した
・パラワン島では150人の捕虜を防空壕に閉じ込めて全員焼き殺した。
・ 駆逐艦秋風では女子供を海に投げ捨てるなど70人の民間人を
皆殺しにして惨殺処刑。(山本五十六の命令)
しかも日本海軍の残虐犯罪は、これだけではない。
海軍は太平洋戦線の各地で国際法を全く無視し
捕虜、民間人を皆殺しに虐殺していた
ここまで国際法を無視した酷い軍隊は歴史上世界に無 >>6
ドイツは講和条約を結ぶことさえ許されていないのだぞ? ユニークで個性的なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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ヘ::::::::::::::| ,,,,ヽ._
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ヽ、 `ヾ'''゙ ,´
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ヽ、 ノ
`` ?---? 'い
https://twitter.com/ibuki_air
09058644384 補給もそうだけど、相変わらずの迂回浸透戦術ばっかりなのも問題だった。戦場の空間の広さも
あるが、太平洋では米軍相手に通用してない。 .:::::::;' 軍職に或る事30年、、今回ほど必勝の ';:::::::.
:::::::::i 信念が沸き起こる思いをしたことが無い… l::::::::.
::::::::::! イギリス軍は弱い必ず退却する i::::::::
::: 補給について心配することは誤りである :::
' ― ―‐ -- 」 L_:::::
元来日本人は草食である、然るに南方の  ̄ ̄ ̄
__,. -┐ 草木は全て…即ち之食料なのである
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 天長節までインパールを攻略せよ r::- _
:::::::::'、 皇軍には天佑神助の奇跡が起こる /:::::::: ´` '
::::::::':、 ,.:':::::::
::::::::ヽ 雨季の到来は皇軍に /:::::::
::::::::丶 味方するものなり ,.::'::::::::::
::::/ ,:、 あくまで敢闘すべし _,..:'::::::::::
/ ,..':::::::> _|__ ... く::::::::::
/ ,.:::::::: /\ , , /\ `、 \
/ ,.∩ / <●> <●>\.`、 \∩
/ , ' l ヽ∩ / (__人__) \ ∩ノ j
/ , ヽ ノ | |::::::| | ヽ ノ \
/ , ' | ヽ \ ` ⌒´ / / j \
/ , ' \  ̄  ̄ / `、 \
./ , ' \ 牟田口廉也 / `、 \ ■国賊・海軍・山本五十六の大罪(上 開戦まで)
@海軍軍縮条約から脱退
山本五十六の猿芝居交渉
A日中交渉を妨害するため大山事件を図る
中国都市無差別爆撃を強行、日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
B三国同盟に反対。その理由は
海軍は対米戦争準備によって予算拡大、南方兵力拡大を図るために
陸軍主導の北進論、対ソ戦を妨害することが狙いだった
C南部仏印進駐
対米交渉の進展を阻止することが目的で海軍が主導。
海軍側の豊田外相による猿芝居
D水面下で海軍と結託した野村大使による偽りの外交
真珠湾をだまし討ちを成功させるための猿芝居交渉 >>104
でも中国軍には連戦連勝、大陸打通作戦は日本人の誇り。 蒋介石の返事は12月9日カイロにいたルーズベルトに届いた−−
(1) カイロ会議の前、シナが対日戦に取り残されるとの不安を持っていたが、公式声明で疑いは晴れた。
(2) 方針・戦略の大転換が行われるなら落胆せざるを得ずシナは長くは保たないだろう。
(3) 早期の独軍敗退が全体としてシナと連合国にとって大きな利益であるとの貴殿の考えは理解する。
しかしシナ戦場での敗北は全世界的戦争にも影響を及ぼすだろう。従って、現今の重大な状況を救う
ためには、貴殿の勧告を受け入れ難い。国民の抵抗を継続させる私の責任がますます困難になることは
貴殿もお分かりと思う・・・シナ戦線の危険は軍事力の弱さだけでなく、むしろ危機に陥っている
経済状況による。これが国民と軍をいつ崩壊させるかわからない。軍事的・経済的状況から見て、
わが軍は6カ月、11月までは保たないだろう・・・テヘラン会議声明から、日本は、連合国軍は欧州に集中し、
シナを放棄して日本軍の機甲・地上部隊に任せたと判断するだろう。来年中にシナ問題を解決することが
日本の戦略となろう。従って、日本は遠からずシナに対して総力戦を仕掛け、後ろの脅威を取り除き、
落ちつつある軍の評判を回復し、太平洋での実績を誇るだろう。いま私はこの問題に直面している・・・
http://midi-stereo.music.coocan.jp/blogcopy/hoover/hoover13.htm >>105
劣った奴等に勝っても当たり前、自慢にならんよw 190 名前:名無し三等兵 :2018/04/15(日) 00:01:49.47 ID:BYlyt+Ny
BS1で残留ベトナム人妻番組
始まった イギリス軍の円筒陣地なんか無視して、インパールに突進すりゃ良かったんだ。 >>107
日本人は中国人よりは圧倒的に優秀だが? http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1804/24/news077.html
円谷プロ、米国のウルトラマン海外権利訴訟で勝訴 タイ人実業家の契約書は「真正ではない」との判断 k
「長い係争のいわば集大成」の判決と円谷プロ。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!wタイwざまw >>111
インパールも防御なされているし、なにより戦車旅団が居るんだが?
平地をエッチラオッチラ歩いて行ったら踏み潰されるぜw インパール作戦の批判本は中身はみな、お決まりのほぼ同じ内容ですが、
定説化されたそれらは事実を歪曲しておりデタラメです。
1ヶ月程度でインパールを攻略するというこの作戦は、
さほど無謀な作戦ではなく、また作戦計画(補給を含めて)も十分に練られたものであり、
予定通りに普通に作戦を遂行していれば難なく成功していた作戦です。
このことは連合軍の司令官、参謀など当時の関係者の多くがそのような
見解の記録を残しており、日本での定説、評価とはまったく異なります。
連合軍側の見解では、師団を指揮した師団長(特に31師・佐藤、33師・柳田)らが
あまりにも消極的で進行を遅くさせ、そのために日本軍は勝てた作戦で負けに転じた
(わざと勝たせたとも)と評してます。
これは多数の連合軍関係者が同じ見解です。英国公刊戦史にも記載されてます。
その他にもインパール作戦では定説化された嘘が多数あります。
●補給を無視した、補給をしなかった、険しい道なき道を進行したという定説の嘘
補給が無かったのは参加した三個師団のうち、31佐藤師団だけです。
他の2個師団には補給されてます。
また33師団は連合軍の物資集積拠点をほぼ無血で確保し有り余る物資(武器、弾薬、車両、燃料、食料)
を得ており、もし補給なしでも物資を持て余しています。
(シンゲルで師団2か月分の物資を確保したとの記録があります)
15軍の作戦計画である期間の1ヶ月程度、長くても2ヶ月程度では補給はまったく問題ないです。
(作戦が延長され4ヶ月にも及んだのは、参謀本部、南方軍の判断で牟田口の判断ではありません) 補給が無かったのは31師・佐藤師団だけです。
しかしこの部隊は敵の背後へ回り込むという、日本軍がもっとも得意とした迂回、浸透戦術の部隊です。
こういった特殊な任務の部隊は、普通、作戦が終了するまで補給が無いのは当たり前です。
佐藤師団長も、そんなことは百も承知だったはずです。
実際に15軍の想定した1ヶ月は物資に何の問題もありませんし、
2ヶ月間は問題無かったわけですから、補給が尽きた責任は15軍・牟田口の責任ではありません。
作戦延長の判断は参謀本部によるものです。
(参謀本部の判断は中国からB29で日本本土を空爆するという連合軍のマッターホルン作戦を阻止すべく発令された
大陸打通作戦との兼ね合いから、ビルマに米支軍を引き付ける意味でインパール作戦がさらに重要となったため)
(またチャンドラボースも作戦中止に猛反対したため、日本軍のインパール作戦中止の判断が遅れました)
進行経路は険しい山岳地帯の道なき道を進行した、という話も嘘です。実際には道路が完備されています。
33師団、15師団の進行経路は全てトラックが通れる道路が整備されてますし、
もっとも険しいとされた佐藤31師団の進行経路でさえも、実は連合軍側によってジープ道が整備されており
それを利用し道なき道では無かったことが判明してます。
牟田口15軍はそれらを綿密に調査した上で作戦を立てています。
●参謀ら皆が無謀だと反対していたという嘘。
参謀らが反対したのは、以前の計画のウ号作戦です。
これはインド、アッサム州を攻略するという作戦であって、
それより遥か手前のインパールを攻略するインパール作戦とはぜんぜん別物です。
話がスリ変えられています。 ●白骨街道の嘘
撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団(山内師団)だけです。
31師団(佐藤師団)と33師団は飢餓に苦しんでいません。
また餓死者が多数という話も嘘です。
飢餓に苦しんだ15師団でも、餓死という記録はまったくありません。
負傷兵が撤退をあきらめて自決したのがほとんどです。
撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団の特に60連隊(松村連隊)だけです。
しかしこの白骨街道の話の当事者である60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)は驚くべき内容です。
60連隊が悲惨な撤退を強いられた原因は、佐藤師団の抗命、無断撤退が原因であるとして、
佐藤師団を激しく非難した内容です。牟田口に対する批判は一つもありません。
60連隊が飢餓で苦しむ2ヶ月の撤退を強いられた要因は(白骨街道となった)
佐藤師団(烈師団)の無通告撤退、撤退時に集積所の食料を強奪したためだと明確に書かれ、
31師、烈師団を「劣師団」だと激しく非難しています。
インパール作戦の資料として日本で最も価値のある一次資料は
この60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)で間違いありません。
連合軍側の資料では、スリム中将の「敗北から勝利へ」です。
全てのインパール作戦本は、この二つの資料をソースとして書かれているはずです。
奇しくも両資料とも、佐藤師団に対する激しい批判が共通しています。そこに重点が置かれています。
牟田口15軍に対する批判はまったくありません。
しかしどの書籍にも、この肝心要の両資料の一番言いたかったことが作為的に削除、改ざんされてきました。
(スリム中将の佐藤批判を、牟田口批判であるかのように改ざんされてます)
他にも定説化されたインパール作戦批判は、事実の歪曲が多数あり突っ込みどころが満載です。
とても書ききれません。
なおこれらの貴重な情報は歯科医師、軍事研究家であった故・大田 嘉弘氏の功績です。
氏が始めてその全貌を書籍で明らかにしました。 >>1
√ ̄ヽ--ヘ O―〜,
/ ☆ ヽ || ● |
0く━=ニニ二> ||―〜'
//(●) (●) \
/ ヘ (__人__) |<牟田口廉也は、ヒトデナシ でアリマス!
/ヽノ彡,,.. .|∪| /
/ 丿,, /\ヽノ/ゝ 丶
(  ̄jヽ,/_l ヽ
\ ____ ̄{。 _____ }
ヽ、,,_, {---} }。 {---} j 大日本帝国と中華民国の戦争は最終的に、中華民国の国家主権が完全否定される形で終結した。
日華平和条約を結んだ中華民国はその時点で国家主権無き亡命政権だったからだ。
この点、戦時の一時期は亡命政権でも、終戦時には主権国家となっていた自由フランス政権とも異なる。
対日戦争では聯合国の一員である中華民国が国家主権を失った状態で終戦したのである。
アジアの“歴史の政治”
アジアの状況も、それに劣らず興味深い。そこにも、ニュルンベルク裁判に似た裁判があったが、
欧州のように道義的政治的一義性が獲得されることは、決してなかった。
https://jp.rbth.com/opinion/2015/09/02/394013
連合国vsナチスドイツ+枢軸諸国→ポツダム協定で完全決着
連合国vs大日本帝国→未決(そうでないなら台湾の帰属先は?)
1945年9月2日を『無条件降伏』と呼ぼうが何と呼ぼうが、戦勝国合意が全く形成されなかった。
聯合国が勝利したとのことなら戦後の世界秩序も勝利した聯合国が決めて然るべきであろう。
しかしながら台湾の帰属先は未定のまま、つまり聯合国は国際法上、大日本帝国に勝利していない。
大日本帝国と中華民国の戦争は、大日本帝国が中華民国のチンピラゴロツキ3500万を斃し、
その国家主権を丸ごと剥奪して亡命政権にした状態で、1952年に日華講和条約を成立させて終結した。
異論があるなら何なりと! 今年もインパールに頼るらしいNHK!w
あと30いや50回は放映されそうw 「インドの独立に繋がったのでした」とか言われると恍惚の表情で手のひらかえすくせにw >>122
ではNHKへの報復として山本五十六叩きを
さらにやりまくるしかないwww 昨日みたいな シュモーさん の番組ならいいNHK
誰も傷付けず感動する内容!!
クエーカーが神道みたいに見えたw >>104
インパールの英軍と言っても、途中の英軍は蹴散らし取るよ
ウィキペディアでは
(但しこれは連合軍側の重点防御地域でなく最初から放棄地帯とされ防御を固めたインパールへ日本軍をしむける罠)
とか書いてあるけど、実際はんなわけが無い
例えば、途中で英兵5000名を撃破して一個師団二ヶ月分の補給物資得たりしているわけで、普通に英軍敗走してたりする。おまけに物資処分も失敗というオマケ付き。
まあ問題は、道中に存在する英軍のボックス陣地崩すのに苦労しちゃったからインパール到達前に思わぬ消耗しちゃってるけど 途中の英軍の撤退はスリムの指示だし。
柳田師団長はスリムの策略を素早く察知して作戦中止を申し出てたのに、強行して大失敗したわけ。 >>127
ちょっと違う。柳田師団長が察知したのは後方遮断をしても英軍が後退しない。
という変化。流石にそれが航空補給のせいだとまでは分からなかった。 今日発売の雑誌でインパールの特集してて「敗因は補給のせいではない!」、
みたいに書いてて全部読んでみたけど、あんまりイメージは変わらんな。 >>129
その雑誌では、何のせいで負けた事になっているの? >>130
えーと、イギリス軍の戦術の変化らしい。
戦況は細かいとこまでわかるので読んでみるといいよ。 イギリス軍の戦術と言っても日本軍の補給軽視があってできた戦術だろう。
スターリングラードで包囲されたドイツ第6軍に、どんだけ
物資を空輸してもソ連軍には勝てないし。 シンゼイワ包囲作戦でもあるように、そもそも日本軍(特にビルマ方面)の弱体が原因だろ
あんなん、いくら米や弾薬送ったところで瞬発火力で負けてるんだから一発事に百発お返しがくる状況に何ら変わりは無いし、日本特有の軍備の歪さから、近接戦闘では不可欠のSMGに圧倒されるんだからさ…
杜撰な作戦ばかり責めるけど、そもそもどんな有能な監督でも二流チームをプロで活躍なんて出来ないのと同じだ 日本軍は兵站を得ても、英軍にはどう逆立ちしたって勝てっこないのだ
日本が守勢に徹すれば英軍を撃退する事も出来なくはないかもしれないが、攻勢に出るなら英軍の3倍は強くないと無理なんだ
でも実態は3倍どころか1倍切ってるんだ エルアラメインが影響してる
あの勝利で優先度が高かった中東戦線が消滅し、極東にある程度戦力が来るようになった。
例えば、第二次アキャブ作戦で退治したインド第七師団は、中東でロンメルとも戦った精鋭で
前年のインド14師団とは全く別物 まあ、攻勢に出たのが間違いだな。ビルマは南北に一本の大河が流れてる、それを盾に防御戦闘
した方がマシだった。北のマンダレー南のラングーンの西側で河は3本に分岐していて防御には適
してた。 佐藤師団長は攻勢ではなく河川での防御を構想していたとかきいたな。
まぁどのみち押し切られるわけではあるんだが。 ドイツがエルアラメイン、スターリングラードで戦ってる
最も重要な時期に
日本はこれと連携せず、どこ行ってたんだ?
このときもし日本が西亜作戦をやっていれば英ソは大敗し
戦争は終結できていた。 >今日発売の雑誌でインパールの特集してて「敗因は補給のせいではない!」、
>みたいに書いてて
「歴史群像」の古峯文三氏の記事だね。
最近陸戦の記事書き始めたけど、意図してか分からないが
氏の記事は誤解を招きかねない書き方をする。 >>139
西亜作戦なんて存在してないよ、土足くんw ◆太平洋に消えた勝機 佐藤晃著 光文社ペーパーバックス
この状況で、ドイツとイタリアが日本に有力艦隊の派遣を熱望し、わが国がそれに応じようとしたのは至極当然である。
帝国海軍空前の有力艦隊による通商破壌戦が、インド洋で展開していたらどうなっていたであろうか?
7月11日、軍令部総長・永野修身は「作戦正面のインド洋転換」を上奏した。
《独伊のマルタ島攻略及び独軍の近東方面進出も可能となり、又枢軸不敗の態勢確立の可能性も著しく増大》したので、
今後は《第2艦隊及び第3艦隊を基幹と致します兵力を持ちまして、インド洋中部、情勢によりましては
其の一部を更に西部インド洋方面に進出せしめ、同方面の敵艦隊及び船舶を捕捉撃破しますことを考えております》
同時に参謀総長・杉山元は、インド洋作戦の根拠地として「セイロン作戦(西亜作戦)」を上奏した。
開戦前の「基本戦略」の1つ《独伊と提携して英を屈服〉させる作戦がまさに始まろうとしていたのである。
が、この「作戦正面のインド洋転換」は、結局は実施されなかった。 7月中旬、機動部隊を中心とする日本海軍の有力部隊のインド洋派遣を聞いて、独軍は沸き返る思いであったという。
日本の連合艦隊がインド洋で英軍の補給路を断てば、カイロに武器、弾薬は届かない。
また、ソ連軍の兵站も失われるのである。
すでに英国東洋艦隊は開戦初期においてわが軍に手痛い打撃をくらっていたし、
その後急遽本国から空母を含む艦船が増派されたものの、前記したようにわが連合艦隊の敵ではなかったからだ。
かくして、8月30日、。ロンメル軍はエル・アラメインの英軍.に総攻撃を開始した。
だが、英軍には、この時点でもインド洋経由で膨犬な戦力が補充されていた。
インド洋輸送線は完全に機能していた。9月3日には、米国から300両のM4戦車と100両の対戦車自走砲もスユズに陸揚げされた。
10月23日、逆にモントゴメリーが攻勢に出た。英軍は後方輸送戦に勝利したのである。
11月4日、ついにロンメルは全軍に総退却を命じた。
11月8日、米英連合軍は北アフリカ西部に上陸、英国とソ連が切望した欧州第2戦線の誕生である。
ロンメルは東西から挟撃され、スターリンクラードではソ連軍が反撃を開始した。
なぜ日本軍はインド洋を放棄したのであろうか?ミッドウェー以後ガダルカナル島のような戦略価値の皆無の島で、
航空部隊の自滅戦にも等しい戦闘を続け、戦艦も空母も惰眠を貧ったのであろうか? (P88〜P93) 帝国海軍の大戦果。マスメディアの反日報道。これらは、ウソの代名詞である。
いまだに、「日本人はあの戦争からなにも学びとっていない」などという新聞記事を目にすることがある。
おこがましいことを言うものである。
マスメディアからウソばかり知らされてきた日本人が、あの戦争からなにかを学びとることは、
一般論としては不可能ではないか。
日本人はあの戦争からなにかを学びとる前に、まずあの戦争の全容と真実を知ることが先決ではなかろうか? (P220〜P224)
https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/1fca4cec2c119c6c8278ace1c3ac3244
なんどみても佐藤晃のその的確な指摘には脱帽www >>82
牟田口「イギリス軍に評価してもらえる自分すごい」みたいな感じ
イギリス軍に入隊したほうが良かったんじゃないのかな
イギリスで才能開花させてくれよw スターリングラードの戦いこそが欧州戦の天王山であり
日本が西亜作戦、インド洋作戦で独伊と連携し
それによってペルシア回廊の補給路とバクー油田を失えば
ソ連は窮地に断たされる
これで枢軸国は勝てる。
これは新たなオリジナルの主張だと思っていたが
よくよく見ると、佐藤晃もそのことをちゃんと書いている。
この人はダントツに凄すぎるw 感心するのは、東条は勿論、参謀本部も軍令部も
インド方面の作戦の重要性を、ちゃんと認識していたという事実。
「失敗の本質」というインチキ本によると当時の軍は
バカばかりで駄目組織の典型だったというのが定説だが
ぜんぜんそんなことはない。
軍部はちゃんと正しい世界情勢も戦略も把握していたのだ
にもかかわらず、なんで日本は愚かな太平洋戦線、対米戦に集団暴走
したんだろうか?
日本全体がたった一人の悪魔の扇動師に導かれとは、真の失敗の本質の究明を
しなくちゃな。 >感心するのは、東条は勿論、参謀本部も軍令部も
>インド方面の作戦の重要性を、ちゃんと認識していたという事実。
が
>日本全体がたった一人の悪魔の扇動師に導かれとは
その扇動師に騙されるのかね土足君w >開戦前の「基本戦略」の1つ《独伊と提携して英を屈服〉させる作戦がまさに始まろうとしていたのである。
何故彼らがそれをしなかったのか?
それはアメリカが黙っていないのが自明の理だからである。
であるならばアメリカに先制攻撃したほうが有利であると考えた、ということが分かる。 >>150
ドイツを支援したいなら、満州から対ソ戦した方が良いじゃないか。
インド洋周りより直接的だぞ。 >>151
西亜作戦はやったほうが良い。
インド、イラン独立支援。
後に関東軍がやるべきは対ソ戦というより、これもシベリア独立支援だな。
白軍を結成してそれを支援する。
武力なんか使うまでもなく勝てるわ。 >>150
大手新聞社と海軍省記者クラブが中心になって
マスコミがアメリカを撃つべきだと大宣伝して扇動したから
国民の大部分が、そう思い込んだんだろ。
当時の新聞社は拡販が最優先目的で、国益なんぞサラサラ考えていない
チンピラのような組織。
しかもそいつらが戦後に権力を握ったから
その影響は80年たっても収まらない。 >>153
西亜作戦なんて具体的な作戦計画は存在していないよ、土足君w >>154
>国民の大部分が、そう思い込んだんだろ。
統帥部は国民の意見を聞き入れて作戦計画を作成したのかね?
こりゃ驚きだw ≫157
例によって精神主義だったからね。
アメリカでは現場ではトラクターが走り回っていたのに、満洲ではリヤカーに機材を積んで探鉱していた。
『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』、岩瀬昇。 >>155
西亜作戦というのは通称名だが、1942年7月11日に陸海軍が同時に
インド方面の作戦を上奏している。
これが西亜作戦だろ。
ドイツのエルアライメン、スターリングラード作戦とドンピシャに
連携してるな。
アメリカはこれを妨害するかのようにガダルカナルを攻略してきたが
これは偶然とは考えられない。
明らかに慌てて陽動作戦に打って出たんだろうな。
そんなミエミエのエサに食いつくとはバカにも程がある。 >>157
当時、アジア最大の油田はインド、アッサムの油田。
そして中東コーカサスの油田。
西亜作戦は、これらを攻略する作戦なんだが? それからシベリア、イランの独立支援と書いたが
そのためにユダヤ人に協力してもらえばよい。
これは我ながらグッドアイデア
多くの問題が一気に解決できそう。 正しくは
エルアラメイン作戦だったw
北アフリカ戦線と言ったほうがいいな。
日本人からすると、日本から遠い北アフリカ戦線やカスピ海付近の戦いなんぞ
日本には直接関係無い。
そんなとこより、アメリカ艦隊撃滅の方が重要だと思ってしまって仕方が無いな。
おれもそう思ってたから。
そもそもソ連を敵国とみなさず開戦とか、話がおかしいから
未だに西亜作戦、インド洋作戦の重要性は
日本人にまったく理解されて無い >>160
それでは具体的な作戦とは言わないよ、土足くんw
単なる着想。 構想だけなら米本土空襲ってのもあったよ。ドゥーリトルの東京空襲なんかに驚いてミッドウェイ
作戦なんかやるより、米本土空襲の方が良かったな。 結局は山本五十六のやった
真珠湾奇襲、ミッドウェー海戦、ソロモン消耗戦
戦術がどうこう言う前に、戦略的にすべて大失敗で
連合軍側の思惑通り、まったく敵の思う壺じゃないか。
すべてが日本が本来やるべきだった西亜作戦を
ひたすら邪魔する結果だけにしかなっていない。
東条はガダルカナルへの兵力投入に猛反対したそうだが
たしかにそれは正しかった。 >>166
結論から言えば何をどうやってもアメリカには勝てないのだよ、土足くんw
>日本が本来やるべきだった西亜作戦
具体的には誰も策定してないんだよ。 >>169
だったらソ連に勝つしか、日本に道は無いじゃないか。
なおさら西亜作戦しかない。
西亜作戦はソ連軍の補給路を断つための作戦。
主力は新たに結成する
インド軍、イラン軍
こういった戦略を宣伝すれば、どんどん援軍が集まる。
基本はすべて現地調達 おいおい中東経由のレンドリースなんてたかが知れてるぞ
ソ連を勝たせたのはベーリング海ルートの兵器援助だ
これさえ塞いでしまえばドイツは敗けない
アメリカとソ連に宣戦し、可能なら拿捕、だめなら撃沈
連合艦隊の半分が米機動部隊を相手している間に
残り半分でレンドリース船団を叩き
西海岸のフォード工場に決死兵団を揚陸し破壊の限りを尽くす 俺が思うに航空機だけ連合軍並みに製造して、陸海兵力スカスカでよかったと思うよ
ただしその分工作機械や特許料、技術など一切の金を惜しまずドイツなどから導入し、戦前から国防費のうち大半を割いてな
史実でも79123機の生産数で、ドイツの117881機やイギリスの131549機、ソ連の158218機にかなり善戦しているが、連合艦隊や最大時200個師団を抱えてこれだからな?
航空兵力に徹すれば、中国全土を焦土に出来るし、スレタイのインパールだって航空爆撃と制空権だけで必要性がなくなる >>172
実際そんな感じだよ。戦車の生産台数も比べてごらんよ。
チハ約2100両、T34やシャーマン、それぞれ4万〜5万両以上。 軍事力だけに頼るのは
頭の悪いバカの考え。
それよりも大義に勝る力は無い。
インド、イラン、シベリアを独立国家にする。
この大義だけで日本は勝てたわ。 インドを独立させようとしてどうなっだか見れば一目瞭然。
時代は遡るが明確なビジョン無くシベリアに出兵してパルチザン相手にどうなったか。
イラン、はて。
荒唐無稽な絵空事でしかない。
結局どうやったところで何も変わらない。 >>171
日本陸軍「航空機超重点主義とか戦闘機超重点主義と当時言われたものがあってだな」
なお普通にそれやっている模様
つうか、wikiだと「日本軍の航空支援は皆無だった」なんて書いてあるけど実際のインパール作戦で日本陸軍第5飛行師団はかなり出撃しとるし、
地上部隊のインパール包囲が無いなら街道経由で輸送するから空襲だけじゃ第14軍は叩けんよ >>175
海軍さえ足を引っ張らなきゃ
すべて上手く行ってただろうな。
シベリア独立もイラン独立も
何をやられたら敵が困るか、考えればわかるはずだが
海軍がアホだから、全てが上手く行かなかったわ 日本の航空兵力は山本五十六のアホが
無駄なソロモン消耗戦で壊滅させた。 インド独立もかい?シベリア独立すら出来なかったのに >>176
実際にスピットファイアの「街道荒らし」に襲われまくった地上部隊からは
日本機はさっぱり見なかったと評されているがな。
地上攻撃を恐れて、航続距離が長いよを利用してタイから航空支援するから
一回の攻撃でほんの短い支援しかできない。出撃したと言う実績だけで中身なし。
一方イギリス空軍は近くにたくさん空港つくって、一日に何回も出撃して地上部隊を支援しまくった。
純粋な航空戦でも圧倒してたしな。 >>179
1942年8月にインドでは「インドを立ち去れ運動」という
反英運動が起きており、タイミング的にはこのときが好機。
欧州戦線は北アフリカ戦線、スターリングラード作戦で
独伊が攻勢に出ている時で、それに日本の艦隊を派遣すれば
インドだけでなくイランも同時に一気にアジア独立の
流を作ることができたはず。
実際にドイツからも矢のような催促が来ているし
インド国民も日本軍の進行に期待をしていたはず。 >>181
半年間も猛訓練してるんだが?
だから牛の半分を渡せたわけで、訓練してなきゃ全滅だろ。
この夜間渡河作戦は大成功で、連合軍は
まったく察知できなかった。 シベリアではシベリア出兵の時に極東共和国という
独立国家が誕生している。
日本軍が撤退したのは大失態で
それによって消滅している。
日本の撤退の判断は大馬鹿だな 80年前の愚行を悔やむ一方で、
80年後のための投票には行かない
あゝ日本人 >>183
雨の降らない季節に干上がった川で猛訓練したってわけだ。
牟田口の無能ぶりがよくわかる話だな。 >>186
あんたバカ?
作戦開始は乾季だが?
その時、河は干上がった状態だったと? >>187
渡河作戦大成功なら、弾薬にも食料にも困らなかったってわけだ。
牟田口以上の大バカ者がいたなwww >>180
>地上攻撃を恐れて、航続距離が長いよを利用してタイから航空支援するから
ビルマから出撃しとるけどタイからって一体何言っているんだ?
第五航空師団はほぼ毎日のように20〜50機前後で出撃で、基本的に飛行場攻撃で主にインパール上空の制空戦闘している
連日インパール上空は日本戦闘機に飛ばれており、相応の損害や苦戦をイギリス空軍食らってるが
日本側の航空作戦は5月末でさっぱり止まるが航空戦でイギリス空軍は圧倒なんてしてないよ >>189
>第五航空師団はほぼ毎日のように20〜50機前後で出撃で
地上で10万人以上戦ってる作戦で数十機の航空機って多いかな?
同時期のイギリス軍は何機くらい飛ばしてたの? >>187
あんたバカ?
補給が無い31師団でも作戦開始の3月15日から
5月一杯は物資に問題ない。
15軍が想定した作戦期間を大幅に超えてるが
この間問題なかったということは
15軍の補給計画は妥当だったと言う事 第五飛行師団も一応インパール作戦に参加してるが
こちらは南方軍が指揮しているため
まったく連携が取れていない。
敵飛行場攻撃都とウインゲート空挺団のほうに全て兵力を投入し
肝心要の地上部隊支援をまったくやってない。
とくに33師団が敵インド17師団を包囲した際、ここへ投入してれば
敵はガタガタになって降伏していたのは確実だった。
それより何より、無駄にソロモン方面で消耗戦をやったことが
日本の決定的な致命傷だな。 それから牟田口は飛行師団長に
支援を断ったと伝えられている。
渡河作戦だけ頼む。あとは支援はいらんと。
しかし、この話は捏造された嘘の話。
渡河作戦は夜間に実行しており
そもそもこれへの航空支援は必要ない。
とういか、せっかく敵に察知されないように隠密に渡河してるのに
ここで航空機が支援しいたのでは、敵に作戦がバレてしまって元も子もない。 前にも行ったが俺参謀は牟田口軍司令官に毒ガス攻撃を具申するッ! >>192
うむ。ソロモン方面では日本は、ガダルカナルで2000機、
ソロモン全体では一万機以上の航空機を損耗してるからな。
その一部でもインパールに持ってこれたら。 ソロモン方面で1万機以上の航空機消耗といえば
単純計算で飛行師団に換算すると
約100個近くの飛行師団が消滅したことになる。
・小隊:4機
・戦隊:36機(小隊×3 中隊×3)
・飛行師団:108機(戦隊×3)
これだけの航空機をソロモン方面ではなく
ビルマ方面に投入していればな
そもそもビルマに1飛行師団しか無いのがおかしい
(海軍はゼロ) >>172
>工作機械や特許料、技術など一切の金を惜しまずドイツなどから導入し
一方、ドイツは蒋介石を支援していたわけだが(苦笑 >>191
> 5月一杯は物資に問題ない。
それは糧食の話しで弾薬は不足だよ。土足くんw >>197
日本の川崎飛行機や愛知飛行機はドイツのハインケルなどの影響をよく受けていることなど知られた話だが…?
大和の戦艦主砲を作った旋盤もドイツ製
そんなん商売だから金さえ積めば売ってくれますがな
何ら反論になってない >>199
>金さえ積めば
っても限度があるんですが? >>200
コロッコロ変えんな
最初の話題に言うとだな、ドイツがどこに何を売ろうが知ったこっちゃねえんだよ
空軍はむしろかなりのソ連機とソ連の軍事顧問団や義援空軍を受け入れているがな それに日本との同盟で中独関係は下火になるしな
ドイツが中国支援してたからって何の反論にもならねぇ事に気づけ
噛み付くなら別のヤツにしろ >>201
いやいや、金の話しとなると予算措置が必要になるわけですよ。
帝国議会や大蔵省とどう話しをつけるのかな?
天皇陛下にどう奏上するの? >>203
いやいや、お前が最初ケラケラ笑ってたのは>>197だろ
何で指摘されるや予算の話に逃げてんだよ
戦費なら開戦後増えただろうが
あとはそれをどう航空兵力や艦隊・陸上兵力に振り分けるかの話であって、君のようにパイを語るのは的外れ
いいから早く>>197の続きをしようや >>204
わかった。友好関係は何の関係もないという話しならよく分かった。
では次の問題点。予算のの大半の使用についてはどうなのかな? >>205
それは最初から言ってるだろ、陸海戦力が弱くなってでも航空兵力に注力すべき
割りを食うのは陸上兵力と艦隊兵力と最初から割り切って回答しているよ
そこをダメだなあーだの言うのなら、うん君はそう思うんだねというだけで延々と争いを続けるのは不毛だよね 西亜作戦、インド洋作戦など
重要な書き込みをすると
海軍信者が出てきて自演で余計な書き込みを
大量にし、重大な事実を隠蔽しようとする。
戦後の薄汚い権力者と、その犬どもは
山本五十六と連合艦隊を、あらゆる詭弁で賛美し
日本を大敗させた海軍と、それを煽っていたマスゴミの
戦争責任を隠蔽し
大敗の責任を牟田口など陸軍になすりつけている。
いまだに山本五十六を賛美しているバカは
頭がおかしい、精神が腐った、出来損ないの欠陥人間しか
いないのでしょうw
(その代表格がバカ作家の半藤)
こいつらは救いようが無い。 >>206
いや、貴殿はそれが可能だと言っているんじゃないの?
出来ないけどこうすれば、って話しなの?
可能な話しというのはありえないとしか言えないし、
出来ないけど、という前提ならなんの意味もない話なんだが? >>207
アメリカとの戦争を始めたのは形式的にも実際的にも陸軍だよ。
海軍は「政府一任」としているのだから。 インパール作戦が失敗したのは
海軍よ、それを支持したアホのマスゴミが
妨害したから。
インパール作戦だけでなく
大東亜戦争は、こいつらバカの暴走によって
日本は勝てる戦いで大敗する結果となってしまった。
みなさん、これが事実です。
NHKや半藤などバカ作家の嘘の八百の宣伝には
くれぐれも、だまされませんようにw >>209
陸軍はアメリカとの戦争なんか
一切関わってないし、想定もしていない。
対米戦争は海軍の範疇だろが
陸軍には関係無い話しで
アメリカとの戦争は全て、海軍が独断で主導した戦争です >>208
いや、出来る出来ないの話だったらこれはあくまで「編成の意思決定の話」で、そう決まりさえすれば出来るでしょ?
こうすべきって話に「不可能」という概念は無いんだから出来る出来ないじゃなくて、「すべき」「すべきでは無い」の観念から君も言っているのだと思っていたけど?
例えば反対の立場を仮定して、別にイ式重爆を買った金(一説には満州産大豆)で戦車とか砲を買ったって何ら不可能ではないんだぜ?そういう事だろ
この場合出来る出来ないじゃなくてすべきすべきではないの話じゃないの? >>212
自演でどうでもいい書き込みを
しないでくれ >>213
では土足君、インパール作戦(ウ号作戦)話しをしようかw >>214
おまえには論戦の能力なんか無いだろ。
真面目にやれば
おまえがボコボコになるから
おまえには、ふざけた態度で1行スレを書くしかできない >>215
土足君は真面目にインパール作戦の話しをしたことがないだろうw
グルカ兵が警備員レベルとか戦史がデタラメだとかw 航空機は安い
ということで戦争中盤からは量産しているよ
それまではただ、一つの機種を毎月百機以上作ることができなかっただけ
でもって沢山完成したけど多くの兵器がそうだったように
前線へ到達するまでの輸送途上で海没してる ちなみに開戦当初までは
1機種・1工場・1日・1機
という生産体制が標準だから
20〜40機という1ヶ月あたりの供給機数というのが
昭和17年後半まで続くんだよね
例外的に隼だけは早期から増産体制がとれたけど >>216
アマゾンのレビューで反論してくれ
どうせ出来んだろw >>189
英空軍はアラカン戦でタイからの陸軍航空機も相手にしてたわけ。
タイならビルマと違って連合軍に地上撃破される心配がない。 >>193
田副飛行師団長も曲者なんだな。
結構嘘捏造が多いし >>195
>>196
ソロモンよりニューギニアの方がひどいだろ >>216
アマゾンのレビューは議論する場ではなく商品を評価する場所だよ。
あまり迷惑ばかりかけていると通報するよ。 >>219
ここにインパールスレッドがあるわけだが?土足くんw 歴群の最新号がインパール特集だが、あれを読むと3月から5月までは第五飛行師団は真面目にインパール作戦を支援している様に書かれている >>226
真面目に支援してもいかんせん数が足りない。
毎日20〜50機前後の出撃って、ミッドウェー海戦の空母一隻分にもならんではないか。 >>227
空母じゃあ5回も出撃したら燃料弾薬切れ。 この機数で輸送機も落とせ、対地支援もしろって無理ゾ インパールで地上部隊からは「味方機の姿なんぞ全然見なかった」って言われているが
そもそも絶対数が足りない、たまに飛んでてもシルエットだけじゃ敵か味方かなんて、よほどの
低空を飛んで無いと分からない
地上部隊は飛んでるのは敵機ばかりと思い込んでるから、たまに味方機が飛んでても敵機と思い込む
実際は少ない機数をやりくりして地上支援はしてたんだけど、そんな理由で「日本の飛行機なんて
全然見なかった」になってしまうんだろうな >>230
ワシの読んだ本では、
友軍機が物資を投下に来たが、敵機を恐れ低空には降りてこなかったので、味方陣営に落ちたのは1個だけだった。
なんてのがあったな。 日本軍機は地上部隊の周辺に殆ど行ってないから
見なくて当然。
日本機は敵の飛行場しか攻撃して無い。
あとウィンゲート の部隊への攻撃 牛と積み荷を半分も川に流したのが自軍の勢力圏でって所が度し難い無能
これだけで作戦の失敗は約束されたも同然 計算通りにいくならむしろ画期的発想なんだろうがなぁ…ジンギスカン作戦
川で流されるとか戦闘機に銃撃されるとか、敵制空権下で大変な地形踏破に使う戦術じゃないんだよな
戦争の優勢時別の戦場ならムッチーの評価も変わったんでねえの? 補給・偵察・攻撃と航空機を活用したイギリス軍に対して、日本軍の航空支援は皆無だった。
「制空権がなく航空作戦は無理」という陸軍第5飛行師団に対して、牟田口が「それならばチンドウィン渡河まででよい」と、
むしろ支援を断る結果になったためである。
しかし、作戦中補給を求めても、空返事しか返さない牟田口に業を煮やした各師団は、指揮命令系統を超えて第5飛行師団に
窮状を訴えた。第5飛行師団もそれに応じて、敵制空権下を突破して手持ちの食料医薬品を投下したが、襲撃機の武装を外して
も輸送できる物資はわずかであり、全くの焼け石に水だったという。
wikiより >>235
画期的発想ってのは前例の無い独創的な発想を言うんであって、牟田のジンギスカン作戦は単に
「大昔にはこんな事をしてたんだぞ、俺って物知りだろう(エヘン」
で、現地の実情も検討せず、ただの思い付きでやらせただけだから、画期的でもなんでも無いバカ案 ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 >>239
こいつら全員、日本軍を自分ら基準で評価してるからな
現実、コヒマに到達した時点でどんな状態だったか知ったら絶句するだろう >>240
彼らはマウントバッテンに「日本軍は絶対ディマプールに来る」と報告してしまったからな。
こうでも言わないと恥ずかしいんだろう。
判断ミスだからな。 イギリス人の報告書っていつもこのパターン。
敵がずる賢く強かった。けどそれに勝った俺はもっと凄いぜってやつ。 >>239
それも今月の歴群を読むと、31師団がコヒマを落とした時点で、
ディマプールには英軍1個師団の増援がすでに到着してたから、
完全に無防備ではなかったようだ。 このとき英側の兵力はコヒマにほぼ無傷の1個連隊、ディマプールに1個師団。
なんで山越えで軽装備の31師団が単独でディマプールをつくのはムリゲーじゃないかな。 よく土足が引用してくる大田本の>>239なのだが下記の方面軍及び15軍の実施要綱を見ると
明らかに日本軍の作戦計画を知らないで語っているのが分かる。
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後
重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に
向け攻勢を執り
成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り
爾後
国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
(4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃
拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠
たらしむ
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す
15軍作戦計画骨子
(三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を「コヒマ」に突進し同地の
要域を占領して「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ
これにはディマプールのデの字も無い。ディマプールは第二目標でも無ければ
佐藤師団長がどうとかいう物でもないのである。 >>245
連合軍側は(自分達基準で)「師団」規模の日本軍がコヒマに進出したって前提で語ってるからだ
中身なんてしったこちゃない >>247
まぁそれが本来まっとうな判断基準ではあるのだが、
判断は型どおりだと当たらないという自明の理でもある。 >>246
グルーシーか。
命令や事前計画どおりやったんだから、
負けても責任はないとか、戦争はそういうもんじゃない。
臨機の計画変更、独断専行はありうる。
もちろんそれで失敗したら責任重大だが。 正気にてはビルマ防衛は成らず。
ウ号作戦はシグルイなり。 >>249
ワーテルロー会戦の話しに例えるならば、問題はディマプールへの進撃ではなく、
インパールへの戦闘加入の是非の話しになると思うのだが?
31師団の任務はインパールへの英軍の増援の遮断にあるのだから、
コヒマ周辺での防御は当然の行動だと思う。 また、グルーシーはプロイセン軍の捕捉撃滅もできず、
ワーテルローへの合流阻止もできず、
自軍はワーテルローへの戦闘加入もできず、
というところが問題視されているのだが、
31師団は英軍の増援阻止という任務は果たしているのだから了とすべきだと考える。 佐藤は連合軍がもっとも頼りにした将軍
■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。
彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。
しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、彼の部隊が到着したとき彼はこれを
コヒマの小さな町の連続する 攻撃に投じた。
私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から
救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 >>253
>彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。
>彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
命令だし作戦計画どおりだからそれでいいと思うんだがね土足君w
>全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
>彼は思い及ばなかった。
それは及ばないだろうね。そういう情報ではあれば話しは別だけどね。
そういう情報は31師団にもたらされたのかな?w 鬼畜無茶口は、周りと喧嘩しまくってて
作戦に反対したから、ということで飛行師団との連絡も絶ってしまったので
配下の師団長達は、こっそり(本来の軍指揮系統からすれば問題だし)航空支援を頼まないといけない窮状だったそうだね
そもそもインパール作戦の目的自体、インドまで侵略、なんて非現実な妄想のためじゃなくて
来るであろう連合軍の反撃の力を、先手を打って削いでおくのが目的
が、牟田口にはそこらへんが全く伝わってなかった…と大本営参謀が回想しとるよ
もう滅茶苦茶ですがな >>254
>そもそもインパール作戦の目的自体、インドまで侵略、なんて非現実な妄想のためじゃなくて
>来るであろう連合軍の反撃の力を、先手を打って削いでおくのが目的
わるいがインパール作戦の目的は、そのような小さなものではない。
そもそもの大東亜戦争の根幹となる最重要作戦。
それはインド独立支援によって、世界じゅうに
アジア解放と日本の正当性を示すことで、世論の大きな流れを
我が方に取り込む目的がある。
アメリカ国民の継戦意志を削ぐことが最重要。
この作戦が失敗するようでは、もはや大東亜戦争に勝ち目は無いので
全ての作戦を中止して日本は降伏するしかない。、
もし日本が大東亜戦争を諦めてないならば
日本はこの作戦に全てをかけるしかない。 >>256
だったら1年早く、海軍と協力してやるべきだったな。
まだチャンドラ・ボースがドイツだけど。
インパール作戦は再精鋭の兵士と師団長にキチガイ3名揃えて成功率10%程度の大博打。
師団長3人が揃ってマトモで作戦に正当な懸念を表明してるのでは最初から見込み無い。
が、インパール作戦無しでイラワジ会戦とか制空権制海権奪われて平原で機甲部隊に走り回られて勝率0%。
どっちにしてもビルマ防衛は詰んでる。 やはり結論は山本五十六の暴走が
日本を大敗させた原因。
海軍にこのバカさえいなけりゃなw だったら、山本にビルマ方面軍を指揮させて、牟田口に一航戦でも指揮
させてみる架空小説でも書いてみてはどうか? >>258
そんなつまらん架空小説など無意味。
やはりアメリカを攻撃せず開戦して
どうなるかが一番おもしろい。
アメリカは当然、挑発して日本軍を太平洋戦線に
引きずり込もうとするだろうが
それに乗ったらバカだわなw >>256
二十一号作戦の亡霊ですな。
当時牟田口はヒラの師団長だったので、まともな判断をしてこの作戦に反対したものだ。
しかし軍団長に出世して何個師団かを動かせるようになると、皇帝になってしまったんだね。
足元で連合軍のビルマ奪還作戦が始まっているのに、方面軍ではそれには目をつぶり、貴重な戦力をインパールへ
行かせてしまった。
この軍団を直接ビルマ防衛に使っていれば、一方的な負け戦にならず終戦を迎えていただろう。 >>256
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱にも15軍作戦計画骨子にもそんなことは書いていないよ、土足君w
それは君の妄想だ。 >>258
あいかわらず海軍や陸軍の組織について理解していないようだね、土足君w
五十六はだたの現場のTOPにすぎないんだがw 土足ってバカは何年も掛かって牟田口のカスを擁護してるけど、ネタは軍研別冊の大田本だけで説得力がない。もっと新たなネタを出せよ!ただ執念だけはたいした馬鹿だわ! 土足君は8年間だたひたすら念仏を唱え続けている。
8年間もw >>259
MIは2対2(米軍側:ヨークタウン、ホーネット、日本側:加賀、蒼龍)の空母喪失ぐらいで終わらせておけば、まだ評価も違ったろう >>261
ビルマ奪還作戦が始まってるからこそ、牟田口は
内線作戦、各個撃破を狙ってインパールに攻め込んだ。
アラカン、インパール、フーコン、雲南の4方向で最も効果有りそうなのがインパール。
発想としては、アスターテのラインハルトばりというか、
その元ネタの1796北イタリアや
1813-1814のナポレオンばりというか。
ビルマで黙って待ってたら4方向からくる数倍の兵力に潰されて終わり。
負けを長引かせるだけ。 >>267
黙って待つどころか、ビルマの実情はすでにカチカチ山の状態になっていた。
モールに師団規模の要塞を作られ要地を襲われても、高々2000人のゲリラ部隊が侵入という認識しかなく、
小兵力の逐次投入で次々負けを重ねた。
さらにインパールへの補給部隊の活動も攪乱され、初めからインパール作戦は不吉な雰囲気に包まれていた。
フーコンでも、敵は米支軍(米式装備の支那兵)の大軍とは知らず、深いジャングルを越えてやってくるのはグルカ兵
くらいだろうと踏んでいた。
兵力差でも装備でもただ者ではない敵とわかっても、方面軍は守備隊を叱咤激励、督戦一方で援軍は送らなかった。
敵を知らず、己を知らず。
ここにきて裸の王様、日本軍に戦局の一発逆転の機会はもうなかった。 >>267
この頃には英軍の反抗計画は、フーコン・雲南・アラカン・アマンダン島上陸。
だが兵力不足のためアマンダン島上陸と雲南は中止になり、残ったのは
アラカンとフーコンの2方面と、ウィンゲートの後方攪乱だけ。
だからインパールがなかったらビルマは終戦まで日本が保持していた可能性は高い。 >>269
「ビルマ方面軍は、シナ方面を支えるため、陸路のビルマルートは1944年いっぱい、その後も可能な限り遮断すべし。
日本は1945年末まで保たないので、休戦交渉に資するよう、ビルマ方面軍は可能な限り戦力を保持しつつ、
1945年いっぱいタイに進入されないよう
ビルマの広大な平原と河を盾に遅滞作戦すべし。」
という任務が与えられたのであれば、インパール作戦は不要で、フーコンと雲南に増援してたでしょうが。 >>270
補給を度外視した無謀な作戦を行う理由にはならんだろう。 >>267みたいなことは
言おうと思えば太平洋戦争の全ての方面で同じようなことが言える。
圧倒的な国力を持つ連合国を相手にしてるのだから。 >>271
無茶をするしか無い局面ではあるけどな、まあ無茶して無駄に散ったのは事実だが座して死を
待つよりはなんぼかマシ この場合責められるべきは無責任な軍上層部、ビビッて何もできない税金ドロボーの政治家でしょ、
日露戦争の講和仲介の見返りの反故から始まり、リットン調査団の譲歩を蹴り飛ばし熱河作戦と言う
暴挙に出て外交的に完全に詰む。現場はやれる手を打ったまで。
ルーズベルトの反日陰謀なんか唱えて、上層部擁護なんかしてるカスが一番のクズではないか? >>272
軍事作戦として本当にマシなのかね?
どのみち負けるにしろ、敵に打撃を与えて持ちこたえるべきだと思うのだが? >>273
>責められるべきは無責任な軍上層部
これには牟田口も含まれるわけだが? 山本五十六のほうが、バカだったのである。
なんといっても、山本五十六がバカなのは、間違いないのである。
このバカが余計な対米攻撃、無駄な消耗戦を、しさえしななければ
日独は勝利していたであろう。
しかし好機は去った。 >>274
結果論としては意味が無いけど、守勢に立ったとしても万が一にもいい方向には
行かない、奇跡にすがるにしても攻勢じゃなきゃ何もつかめない まあナチと積極的に協調路線とったのは陸軍なんですけどねw >>277
守勢にたったイギリス軍にとってはインパールの戦いは奇跡の大勝利だけどな。 >>277
航空支援も補給もない。戦車・大砲だけでなく弾薬や食糧もない。
インパールで死んだ日本人将兵は5万人以上だが、イギリス軍との戦闘で死んだ数より
餓えと病気で死んだ日本兵の方が多いという。
これで奇跡を起こしてくれと言われても神様も怒るだろ。 >>280
実施後1ヶ月で作戦失敗を認めて早期撤退してたら、
1944の枢軸に貴重な戦術的勝利になってたと思う。
それが出来ないのが日本軍のポンコツ可愛いとこだけど。 >>276
君の頭の悪さは絶望的だね土足君w
アメリカとの戦争を決定したのは陸軍出身の東條首相なのだが? >>277
奇跡すら起きる状況ではないけどね。
今更インドに突入したところで何も無いよ。 >>281
なんせ陸大の戦術教育で徹底的に退却を否定しているからねぇ >>230
地上部隊はスピットファイアの「街道荒らし」にやられまくったからじゃないか。
入江連隊長も笹原中将もスピットファイアに襲撃されて戦死するくらいだから
下級兵がどれだけスピットファイアに襲撃されたか凄まじいもんだったろう >>253
スリムはディマプールを優先する余りコヒマを無防備に近くしてしまって、
おもにコヒマ守備部隊から批判されてるんだよな。
ディマプール進行の危険を不相応に強調してるのはその弁明のため。 >>230
古峰氏の受け売り?
彼の言うことをあまり真に受けない方がいいよ。 >>283
それでも2個旅団撃破して物資集積点奪取したんだから、
3週目時点ではロンメルのバトルアクス作戦撃破くらいの勝利では。 普通に勝てた作戦だわな。
たかがインド師団3個ごときに
日本の三個師団で負ける方が異常。 ウィンゲート旅団が痛かった。
ただでさえ戦闘力皆無な日本軍の輜重部隊が大量の荷物で身動きが取りにくいところを壊滅させられた
輜重部隊にはジャングル内での護身用にSMGや散弾銃、より上単位には機関銃や歩兵砲も多少は配備した方が良かったかもしれない
コストはかかるが前線で食糧を待つ将兵の命に比べれば遥かに安いものだからな 土足のカス!
皆に迷惑掛けんと大田本を抱きしめて寝とけ。
牟田口のアホが英軍将校の誉め殺し記事を後生大事にしたように。 >>288
単なる作戦次元の話しなら一理あるけど、田中師団長の意見具申を入れて
防御に転換したらなら無駄な損害を出さずにすんだ。 >>289
この作戦の日本軍の師団は通常の編成ではないんだよ、土足君w 戦闘機の護衛の下、ゼロ式輸送機で食料の空中投下をするべきだった。
それも米ではなくカロリー貨の高い羊羹。大量の羊羹をトン単位で投下していたら日本軍は勝っていた。 また運搬は加工しにくい牛ではなく豚で運搬するべきだった。
食った後の豚の頭を並べて防衛線を築くと英印軍のインド人兵士は近づけないぞ。
最強の野戦陣地だ。 スリム中将の評価では
原因は謎だが日本軍の師団長は、作戦を中止させるために
意図的に進撃を遅らせ、停滞し
連合軍をわざと勝たせたと評している。
まあ、海軍を中心とした日本の愚かな対米決戦派による
水面下での政治的策略があったんだろうな。 >>297
>原因は謎
第58連隊のサンジャック攻撃は今だに多くの謎を残しているね、土足くんw 基本的には糧秣の不足ではなく
行動時間の長大化による飲用水の絶対的不足が大量戦病死に繋がっている >>294
そう、ただし指揮官はイギリス人。
日本側は植民地のインド人兵士など弱いと舐めてたのもインパールの敗因の1つ。 >>300
ありがとう。インド兵だと日本軍も敵愾心がわかないね。
おいおい、ちょっと待てよという感じかな。 そんなの相手に二個師団使って二個大隊で足止めされた馬鹿牟田口が、敵の背後にもう一個師団来てれば勝てたと言い張るのは矛盾というもの
(二個師団を二個大隊で止められるんなら一個師団はもう一個大隊出せば止められる) 弱過ぎワロタ
地形的にSMG持って出直して来ないと無理だな 身内にボースの義勇軍がいるんだよ。
英グルカ兵も若い日本兵の屍を見て泣いたって話もあるし。
親分よりも自分らに似ている日本兵を見て泣いたんだよ。 インド人の多くはああみえてコーカソイド系なんじゃなかったか?
色的には間違いなく黄色人種なんだがね 東インド植民地兵が弱兵だったのは開戦当初だけ
頼れるオヤジと呼ばれるようになるまで現場に足を運んで兵隊と意識の共有に努めてきた結果が
円筒陣地が実用に耐える作戦になった原因
(シンガポールレベルの士気なら円筒陣地を作っても兵隊が勝手に降伏するので機能しない)
仕掛けるならスリムによる再教育が済む前だったのですよ
コンクリートが固まる時間を与えてから突撃させた馬鹿は牟田口 あとは敵にブレンガンが普及していた、これが痛い
誰が使ってもそこそこ強いからな ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 あまり語られないがインパール作戦の原型は勿論
西亜作戦。
1942年7月、陸軍は西亜作戦を、海軍はインド洋作戦を
同時に奏上している。
これはとうぜん独伊の北アフリカ戦線とスターリングラード作戦に
呼応してやろうという、当然やるべき作戦であり
このときこれを実施していたなら、日独伊は確実にWW2に勝利できたのは
間違いない。 インパール作戦をいくら検証しても
それは木を見て森を見ずだな。
そもそも大東亜戦争で日本が大失敗した原因は何だ?
だれがどう見ても、山本五十六の暴走が原因じゃないか。
こんな明らかな歴史を、日本人は未だに直視せず
誤魔化して真剣な歴史検証から逃げてきた。
いつまでもそでで済むわけが無い。 >>308
往生際が悪いね土足君w
これが日本軍の作戦計画なのだよ。よく見るように。まぁ理解できないかw
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後
重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に
向け攻勢を執り
成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り
爾後
国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
(4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃
拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠
たらしむ
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す
15軍作戦計画骨子
(三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を「コヒマ」に突進し同地の
要域を占領して「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ
これにはディマプールのデの字も無い。ディマプールは第二目標でも無ければ
佐藤師団長がどうとかいう物でもないのである。 >>309
西亜作戦なんて具体的なものは何も無いよね、土足君w 日本軍がインドを落とせなかったのは
21号作戦の時なら負け癖が抜けてない土人の寄せ集めと戦えばよかったのに
わざわざ根性を叩き直す時間を与えた馬鹿牟田口が全部悪い >>301
すまん、認識に間違いがあった。インド師団はインド兵のみでなく混成部隊だね。
インパール戦ではだいたい各師団に1/3くらいイギリス兵がいたようだ。訂正しとく。 昨日は東京上空で普段見かけない多数の軍用機が目撃され
いよいよ戦争勃発が近いのではないかと
噂が流れていた。
おれもヘリの編隊を目撃して不思議に思った。
と思ったら観閲式だったのか
https://www.youtube.com/watch?v=RdcOn0muCI8
しかし何でマスコミはまったく報道しないんだろうか?
首都圏の人間は観閲式があるなんて、だれも知らない。
そこへいっきなり首都圏上空に大型輸送機が飛来し
ヘリの編隊が続いて飛んできて
その後、戦闘機の編隊まで飛んできたのでは、いったい何事か?
と思ってしまう。
観閲式は誰も知らないところでこっそりやらず
国民の前で堂々とやってもらいたい >>311
悪いが、こっちの内容は
歴史的貴重な永遠に不偏の一次資料である。
おまえごとき、ただの軍事ヲタのぶんざいの戯言とは
わけが違う。
天土と地の差がある。
しかもおまえは頭が悪いので
おれと真面目に論戦する能力も無い。
五十六信者はなんでこうも、おまえみたいな
バカしかいないのか?w >>315
そりゃ、予行なんて報道しないだろ。
本番は14日だよ。 >>311
作戦通すためにディマプールを削ったんだが、
全く結果論だがディマプールを入れとくべきだった。
絶望のなか、死中に活を見いだすのがインパール。
狂ってなければ成功しない。 戦史にかかれる「日本軍一個師団/歩兵団の攻撃」って、実は師団や歩兵団の隷下の一個連隊の攻撃だったりするんだよな
宮崎支隊もそんな感じで、少将率いる歩兵団に見せかけた実態のところ歩兵第58連隊だった
>>302とか、「二個師団が二個大隊に負かされたワロスwww」みたいな感じだけど、実態のところ戦力差はそう無かったのかもしれないぞ >>316
軍ヲタでないなら君は何なのかね?土足君w 英軍の歩兵旅団
歩兵大隊X3 2または3インチ迫撃砲X24門
重火器大隊 機関銃×36丁 4.2インチ迫撃砲X4門
師団砲兵X72門
日本軍第15師団(インパール作戦時)
連隊 連隊砲X1門
歩兵大隊X3 機関銃X2 大隊砲X1
師団砲兵×10門
日本軍第31師団インパール作戦時)
連隊 連隊砲X1門
歩兵大隊X3 機関銃X4 大隊砲X2
師団砲兵×17門
英軍は機関銃や迫撃砲の火力で日本軍の何倍なんだ?!
というくらいの火力の差!!
師団砲兵を加えるとどうしようもない格差!!
日本軍は砲兵弾薬が乏しいので、1門あたりの携行砲弾も150−200発
1回本格的に戦闘したら弾切れ!!
一方英軍は1個中隊8門で1日3000発発射という恐ろしい火力。
本当にどうしようもないのだ。 やばいな、師団砲兵だけでドイツ軍の2倍…
しかも高性能な25ポンド野砲か?
教養人が不足していたであろうインド人に使えたんだろうか
勝負にならんな >>321
日本軍歩兵は迫撃砲で近接火力だけは互角だったのでは?
砲弾あればだけど。 第15師団はビルマ転戦前にかなり装備置いてきてる
編成も変わってるんだろう
野砲兵連隊なのに野砲を全て置いてきて代わりに寄せ集めた山砲で穴埋めしてた >>323
日本軍には迫撃砲は配属されなかったはず。
58連隊は鹵獲迫撃砲はありましたが、1-2回の戦闘で弾切れ。 >>324
しかも31年式という日露戦争時の砲(愕然 >>318
どのみち58連隊がサンジャック攻撃を始めた時点でディマプール進撃の目はないのだけれどね。 そもそも一個砲兵中隊って日本やドイツ、北朝鮮などは4門、アメリカやフランスは6門だったが
一個中隊8門というのは寡聞にして聞いたことがないぞ
一個師団あたり72門なら3個師団で沖縄戦の日本軍にも匹敵し得る筈だが
そんな重編成の師団をあんな地形に持っていけるのか? インパール作戦で戦ったインド師団ごときに負けるようでは
軍人を辞めるべきだな。
あんなのに負ける様では、勝てる相手が無い。
しかも奇襲は大成功したのだから
インパールの敵は3週間で粉砕しインパールを攻略なんぞ
やれて当たり前。
失敗することのほうが難しいし考えられない。
普通にやって負けるなんてことは、ありえんわw じゃあ3個師団全員解雇しろよw
武器の差で完敗しているんだからむしろ負けて当然の結果なんだがね もし宮崎が33師団で先陣の連隊を指揮していれば
シンゲルで得た武器でそのまま一気に突撃して
1個連隊で2週間でインパール攻略なんぞ終了していたと思う。
だれが指揮するかで結果は天と地の差がある。 敵から奪った武器のそのまた何倍もの武器とその予備兵力がなお控えていたってのは少しでも考えれば分かる事なんだがねぇ… >>332
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 現にインパールで指揮していたジファード大将が
インパールから撤退して逃げる相談を
してるじゃないか。
日本は決定的に勝てる情況にあった何よりの証拠 >>309
つまり、どっちも失敗した時点でインパール作戦は無意味で牟田口はただの気違い >寡聞にして聞いたことがない
馬から落ちて落馬の類だナw >>319
実質兵力が少ないなら尚更、
英軍による想定の範囲内の襲撃なんで、壁に卵を投げつけるレベルの愚行じゃん。
しかも、それに必要な分の補給も届けられないって超絶無能牟田口伝説に新たな一ベージが(笑) >>337
コヒマに1個師団やってくるのは想定の範囲外だろう。 >>334
そいつの上司と筆者には虚仮威しと見抜かれてて駄目だしされてたのでアウト(笑)
内部の意見の相違で言うなら部下相手の図上演習さえマトモに出来ないムッチーの勝算の方が皆無(笑)
いや、そこでディマプール突貫をプレイして見せれば佐藤の選択肢に入ったかも知れないのに。 >>338
連隊レベルの火力しか持たせて無いんだから
虚仮威しがバレたら連隊でしかない。 ジイちゃん、虚仮威なんて言葉、オレら中年にはわからないわwww >>341
やだなーそんな馬鹿に「当時翻訳された」本が読める訳ないじゃんw
つまり、議論について行けないって自白しちゃったんだからさっさと退場してねw ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 成功はしたが徒労に終わった南方打通における過剰布陣から
少しでも多くの兵力をビルマ方面にシフトして
兵力を4進路12万で作戦していれば
ディマプール攻略は現実となっていたことを勘案すれば
作戦骨子からディマプールの字を消したというのは本当にまずかった >>344
そうなんだよなあ。
インパール作戦は常軌を逸したキチガイ作戦だが、
ビルマ方面軍の日本軍師団は、世界戦史上最強の歩兵部隊で、
キチガイ作戦を成功する一歩手前まで持って行ってしまった。
あと1〜2個師団後詰めで第二梯団にできれば、1個師団壊滅と引き換えに
英軍の反攻準備を破砕できたかもしれない。 インパール作戦は、あと一歩で成功していた作戦だった。
これはもう疑う余地が無い。
しかしそんな事はどうでもいい事。
1942年になぜ西亜作戦をやらなかったのか?
これが最大の問題。
やっていれば勝てていた。
戦犯は牟田口なのか、山本五十六なのか
ここが最大のポイント。
まあ答えは考えるまでも無いがw >>346
ムッチーが21号作戦を蹴ったのが悪い。
例え敵中で全滅同然にされようと突っ込むべき時が有ると佐藤を避難する資格はこの時点でムッチーには存在しないからな(笑) >>328
>一個中隊8門というのは寡聞にして聞いたことがないぞ
英軍の8門バッテリーはなんかの本に書いてあったと思う。すぐには思い出せないくてスマン。
>そんな重編成の師団をあんな地形に持っていけるのか?
72門とはいってもその運用は1コ大隊に1コ中隊(8門)を配属する形にするから
砲兵連隊がそろって行動するわけではないよ。 例えば佐藤が全滅覚悟で前進して他の部隊も後退考えずに突進して最終的にインパールを占領出来てたとする
で補給は?
結局アラカン山系を超えて補給する能力が日本軍にはない
3個師団分の空中給油なんか当時のビルマ派遣軍には100%無理
結果的には英軍の反撃で壊滅してたのは明白
俺は牟田口が悪いというよりこれを認可した上級司令部や陸軍参謀本部が悪いと思うよ
少なくとも牟田口は勝手にインパール作戦開始したわけではなく許可された正式な作戦だからね >>349
>俺は牟田口が悪いというよりこれを認可した上級司令部や陸軍参謀本部が悪いと思うよ
>少なくとも牟田口は勝手にインパール作戦開始したわけではなく許可された正式な作戦だからね
西欧ならごもっともな話しだがなんせ下克上上等の日本軍ですからね。
牟田口が作戦を認可されるためにいろいろと手を尽くしたのは巷間知られているところです。
牟田口が攻勢を言い出す前は方面軍でも南方軍でも攻勢を考えてなかった。
必要のない攻勢を出世のために牟田口が言い出したわけです。まぁかなり言葉が巧みなんですよ。
上官の琴線に触れるのがうまいというか。
しかも6月には失敗を自覚していながら、河辺に言い出せず、
「顔色で」とか「河辺司令官から言われれば」とか言い出す始末。 >>329
>インパール作戦で戦ったインド師団ごときに負けるようでは
>軍人を辞めるべきだな。
>あんなのに負ける様では、勝てる相手が無い。
ビルマではもっと弱かったインド師団を逃がしてしまった
牟田口のことを言っているのかね?土足君w
>しかも奇襲は大成功したのだから
>インパールの敵は3週間で粉砕しインパールを攻略なんぞ
>やれて当たり前。
>失敗することのほうが難しいし考えられない。
>普通にやって負けるなんてことは、ありえんわw
君の言う普通にやってというのはどういう戦闘ことかね? >>331
>もし宮崎が33師団で先陣の連隊を指揮していれば
>シンゲルで得た武器でそのまま一気に突撃して
> 1個連隊で2週間でインパール攻略なんぞ終了していたと思う。
一気に突撃ってシンゲルからインパールまで突撃するのかね?
突撃隊形でかねw
>だれが指揮するかで結果は天と地の差がある。
宮崎さんはサンジャックみたい他の師団戦区に行ってしまうのでは?(ジョーク >>343
いや、師団は作戦計画にしたがって任務を遂行しているのだよ、土足君w
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後
重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に
向け攻勢を執り
成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り
爾後
国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
(4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃
拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠
たらしむ
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す
15軍作戦計画骨子
(三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を
「コヒマ」に突進し同地の要域を占領して「アッサム」方面より予想する
英印軍の増援を阻止す ←これ重要、師団の任務の核ですから。
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ >西欧ならごもっともな話しだがなんせ下克上上等の日本軍ですからね。
>牟田口が作戦を認可されるためにいろいろと手を尽くしたのは巷間知られているところです。
頭悪いから連投してるんだろうけどよ
手を尽くそうがそれを認可した上級司令部が悪いんだよ
お前みたいに社会に出たことない奴に何言っても時間の無駄だけどな >>354
いや、インパール作戦までの流れを見ての話しなんだが?
南方軍、方面軍、上級組織にも責任の一端はあるが、
「現場が出来る」と強く主張しているわけだがらね。
また南方軍、方面軍ともに作戦をもっと堅実にするとう指導もしているね。
それを無視したのが牟田口なんだよね。 >>354
だったらムッチーを21号作戦ですり潰せば損害は全滅でも2個師団で済むw
命令拒否で予備役とか銃殺とかなら最高ですけどね
で、常識人たちが敵前で挑発ダンス踊って
馬鹿ムッチーみたいに無駄に居座らずに足元の明るいうちに帰れば
21号作戦はインパールよりマシな結果になるのは疑いようもないw
そもそもムッチーは大隊さえまともに管理できない能無し故、佐藤の靴でも磨かぜときゃ良かったのに
下らない年功序列のせいでこんなバカに3個師団も預けた陸助には恩給を受け取る資格なんか無い(もう兵卒かペーペーの尉官しか残ってないんだから勘弁してやれ) >>349
そうだよね。他にもインパール、コヒマ、ディマプールのあるナガランド州は、
インドでは例外的に殆どの住民がキリスト教徒なんで占領後の住民の協力がえられるかも疑問だな。 インパール作戦の批判本は中身はみな、お決まりのほぼ同じ内容ですが、
定説化されたそれらは事実を歪曲しておりデタラメです。
1ヶ月程度でインパールを攻略するというこの作戦は、
さほど無謀な作戦ではなく、また作戦計画(補給を含めて)も十分に練られたものであり、
予定通りに普通に作戦を遂行していれば難なく成功していた作戦です。
このことは連合軍の司令官、参謀など当時の関係者の多くがそのような
見解の記録を残しており、日本での定説、評価とはまったく異なります。
連合軍側の見解では、師団を指揮した師団長(特に31師・佐藤、33師・柳田)らが
あまりにも消極的で進行を遅くさせ、そのために日本軍は勝てた作戦で負けに転じた
(わざと勝たせたとも)と評してます。
これは多数の連合軍関係者が同じ見解です。英国公刊戦史にも記載されてます。
その他にもインパール作戦では定説化された嘘が多数あります。
●補給を無視した、補給をしなかった、険しい道なき道を進行したという定説の嘘
補給が無かったのは参加した三個師団のうち、31佐藤師団だけです。
他の2個師団には補給されてます。
また33師団は連合軍の物資集積拠点をほぼ無血で確保し有り余る物資(武器、弾薬、車両、燃料、食料)
を得ており、もし補給なしでも物資を持て余しています。
(シンゲルで師団2か月分の物資を確保したとの記録があります)
15軍の作戦計画である期間の1ヶ月程度、長くても2ヶ月程度では補給はまったく問題ないです。
(作戦が延長され4ヶ月にも及んだのは、参謀本部、南方軍の判断で牟田口の判断ではありません) 補給が無かったのは31師・佐藤師団だけです。
しかしこの部隊は敵の背後へ回り込むという、日本軍がもっとも得意とした迂回、浸透戦術の部隊です。
こういった特殊な任務の部隊は、普通、作戦が終了するまで補給が無いのは当たり前です。
佐藤師団長も、そんなことは百も承知だったはずです。
実際に15軍の想定した1ヶ月は物資に何の問題もありませんし、
2ヶ月間は問題無かったわけですから、補給が尽きた責任は15軍・牟田口の責任ではありません。
作戦延長の判断は参謀本部によるものです。
(参謀本部の判断は中国からB29で日本本土を空爆するという連合軍のマッターホルン作戦を阻止すべく発令された
大陸打通作戦との兼ね合いから、ビルマに米支軍を引き付ける意味でインパール作戦がさらに重要となったため)
(またチャンドラボースも作戦中止に猛反対したため、日本軍のインパール作戦中止の判断が遅れました)
進行経路は険しい山岳地帯の道なき道を進行した、という話も嘘です。実際には道路が完備されています。
33師団、15師団の進行経路は全てトラックが通れる道路が整備されてますし、
もっとも険しいとされた佐藤31師団の進行経路でさえも、実は連合軍側によってジープ道が整備されており
それを利用し道なき道では無かったことが判明してます。
牟田口15軍はそれらを綿密に調査した上で作戦を立てています。
●参謀ら皆が無謀だと反対していたという嘘。
参謀らが反対したのは、以前の計画のウ号作戦です。
これはインド、アッサム州を攻略するという作戦であって、
それより遥か手前のインパールを攻略するインパール作戦とはぜんぜん別物です。
話がスリ変えられています。 ●白骨街道の嘘
撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団(山内師団)だけです。
31師団(佐藤師団)と33師団は飢餓に苦しんでいません。
また餓死者が多数という話も嘘です。
飢餓に苦しんだ15師団でも、餓死という記録はまったくありません。
負傷兵が撤退をあきらめて自決したのがほとんどです。
撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団の特に60連隊(松村連隊)だけです。
しかしこの白骨街道の話の当事者である60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)は驚くべき内容です。
60連隊が悲惨な撤退を強いられた原因は、佐藤師団の抗命、無断撤退が原因であるとして、
佐藤師団を激しく非難した内容です。牟田口に対する批判は一つもありません。
60連隊が飢餓で苦しむ2ヶ月の撤退を強いられた要因は(白骨街道となった)
佐藤師団(烈師団)の無通告撤退、撤退時に集積所の食料を強奪したためだと明確に書かれ、
31師、烈師団を「劣師団」だと激しく非難しています。
インパール作戦の資料として日本で最も価値のある一次資料は
この60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)で間違いありません。
連合軍側の資料では、スリム中将の「敗北から勝利へ」です。
全てのインパール作戦本は、この二つの資料をソースとして書かれているはずです。
奇しくも両資料とも、佐藤師団に対する激しい批判が共通しています。そこに重点が置かれています。
牟田口15軍に対する批判はまったくありません。
しかしどの書籍にも、この肝心要の両資料の一番言いたかったことが作為的に削除、改ざんされてきました。
(スリム中将の佐藤批判を、牟田口批判であるかのように改ざんされてます)
他にも定説化されたインパール作戦批判は、事実の歪曲が多数あり突っ込みどころが満載です。
とても書ききれません。
なおこれらの貴重な情報は歯科医師、軍事研究家であった故・大田 嘉弘氏の功績です。
氏が始めてその全貌を書籍で明らかにしました。 インパール作戦は国家方針「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」に沿った戦いです。
海軍の暴走によって時期は遅れ、規模を縮小し陸軍単独作戦となってしまいましたが、
太平洋戦線の劣勢な状況を海軍側から知らされて無い東条首相が
この作戦を支持したのは当然の流れといえます。
当初予定した独伊と連携したインド、中東方面の作戦を西亜作戦と言います。
海軍ではインド洋作戦です。
大儀はビルマ、インド、イランの大英帝国からの独立支援です。
アジア独立を旗印にしたこの方面の作戦は、英軍に打撃を与えるだけでなく、
それ以上にソ連軍が窮地に追い込まれます。
スターリングラードの戦いで、補給の要衝であるペルシア回廊とバクー油田を
ソ連が失えば、独ソ戦の展開は大きく変わっていたでしょう。
ソ連軍は実は補給路が非常に限定されており、決定的な弱点がありました。
さらに日本軍が日本海を封鎖してシベリア鉄道の補給路を遮断すれば
ソ連軍の敗北はもはや決定的です。
ソ連が停戦を申し出た場合、単独講和を認めない連合軍の規定によって、
アメリカの戦争継続は不可能になりますので、戦争はこれで終結です。
アメリカ国民を刺激さえしなければ
大東亜戦争で日独伊が勝つのは、さほど難しくありません。
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」のとおりに
やっていれば良かったのです。
こういった主張を始めて行ったのは故佐藤晃氏です。
ハワイを攻撃した山本五十六を愚将だと評し、
インパール作戦で陸軍は勝てたという、その衝撃的な内容は、
当時はトンデモ本扱いされていましたが
徐々に認められ、今では保守派ではこの主張が完全に支持されています。 要するに日本が大東亜戦争で勝つためには
ドイツのスターリングラードの戦いに合わせて
インパール作戦のようなインド方面の作戦をやり
海軍はインド洋作戦を実施し、ペルシア回廊の遮断、ドイツはバクー油田の攻略
政略としてビルマ、インド、イランなどアジアの独立支援
さらには日本海の封鎖によりシベリア鉄道のソ連軍補給路の遮断。
これだけやってれば日本は勝てたのです。
これは当時の日本の主導者も、ちゃんとそれを理解してましたし
現に「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」でもそうなってます。(対ソ宣戦布告を除いて)
単独講和の禁止規定によって、ソ連またはイギリスの脱落でWW2は停戦に持ち込めます。
当然こういった日本側の意図をチャーチルもルーズベルトも
百も承知で、連合軍側は相当な危機感があったと思います。
連合軍側は負けることも想定していたと思います。
そこで米軍が打った手は、ドーリットル空襲とガダルカナル攻略です。
この作戦は米軍にとって戦略的な意味がまったく無く多大な犠牲を覚悟した
バカな作戦で、軍から相当な猛反対されたと思うます。
しかしルーズベルトは、迷うことなくこの大博打作戦を早期に打ってきました。
そして結果は、連合軍の思惑通り大成功しました。
日本の海軍は愚かにもこの餌に反応し、全軍でこの太平洋の陽動作戦に食いついてしまいました。 ということで戦後の日本人は、全てをわかったような態度で
特に陸軍や東条らに対し、バカだアホだと安易に批判しますが
ほんとうに当時の状況や戦略を理解してるとは到底思えません。
むしろ陸軍のほうこそが正しい認識でした。
アジア独立を旗印に、敵の補給路を寸断し
連合国の国民の戦争支持、継戦意思をそぐと。
その通りです。
連合軍は単独講和が出来ないという重大な事項が見落とされています
連合軍のどこの国が停戦したがるか、考えればわかるはずです。
アメリカとひたすら消耗戦では日本の負けは確実です。
中国軍は何十個もの師団を擁する大軍ですが
その補給路は、たった1本のインドアッサム鉄道という
ローカル鉄道が唯一の命綱です。
これは中国軍の決定的な弱点ですから牟田口でなくとも
その中国軍のアキレス腱であるアッサム鉄道を切りに行くべきだと
考えたのは当然です。
インパール作戦は補給を軽視した作戦というより、
むしろ広い意味で補給を理解した作戦とも言えます。
東条や参謀本部、牟田口らがインパール作戦を推したのは
当時としては、当然の結論です。
インパール作戦に反対した、海軍の支持者、マスコミの対米決戦派のほうこそが
間違った認識、妄想をしていました。 明日は観閲式
首都圏上空にF35戦闘機他
多数の軍用機が飛来します。
厳戒態勢になります。
首都圏のみなさん、
マスコミが報道しないので知らないでしょうが
戦争が勃発したと勘違いしないでくださいw 【サリンで死刑なら、放射能も死刑】 福島県ぐるみでインチキ米検査、南相馬市立総合病院のデータ流出
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1539395396/l50
無差別テロの容疑で自民党議員を逮捕せよ! >たった1本のインドアッサム鉄道というローカル鉄道が唯一の命綱です。
最近ダイエットにうるさいのがお気に入りなんだよローカル線 >>360
>なおこれらの貴重な情報は歯科医師、軍事研究家であった故・大田 嘉弘氏の功績です。
>氏が始めてその全貌を書籍で明らかにしました。
歯科医師なんですな、土足君w
たしかその著書でドイツ空軍のスツーカみたいに第31師団を近接航空支援しろ、
みたいな事を書いてしまうド素人ですがw >>368
どこが素人なのか
意味不明だが?
お前の書き込みは常に
中途半端、尻切れトンボ、結論不明 >>369
p294に
「なにより重要なことは、第31師団に欠けた砲兵力の代わりを、地上直協の空軍が行うこと
ができることにある。あたかも、ドイツ機甲師団の砲兵の替わりを急降下爆撃機が
つとめたように」
とド素人まるだしの記述のしているのだよ、土足君w >>370
何がどう素人なのか具体的に書いてくれ。
そうでなければ、論戦にならないだが? 少ない機数だと爆撃をどう引き伸ばしたって限界があるじゃん
砲兵みたいに味方が前進中に継続した射撃で敵兵の頭を下げさせられない >>372
べつに砲兵と航空攻撃が同じだとは書いて無いだろ。
砲兵が十分進出できないような地域では航空機がそれに代わって
支援するなんてことは普通だと思うが? >>373
いやそれじゃ砲兵の代わりが務まったという事にはならないだろ
「砲兵の代わりに支援する」と「砲兵の役が務まる」はごっちゃにしたらいかんでしょ そもそも日本陸軍にCAS出来るような航空機と前線部隊との無線連絡手段なんかないしな
ビルマ方面軍が動かせる襲撃機がそもそも何機あったんだか
制空権は英軍が握ってるし >>375
だれのせいでビルマの航空兵力が弱体化したんだ?
海軍のせいだろが >>371
土足君は論戦なんてする気はないだろw
まぁいい。
まず本家のドイツ空軍のスツーカは近接航空支援のために戦前から訓練していた。
一方、日本の陸軍航空は飛行場攻撃が主眼で近接航空支援は想定されていない。
そして、一線の地上部隊には空軍の幹部が攻撃目標を航空機に指示するために
派遣されていて、彼らが乗る車両には強力な通信機が装備されていた。
当然ながら通信連絡系統も事前に調整されている。
日本陸軍はそんなことはやったこともない。
それを突然やれ、といわれてもできるわけがないんだよ、土足君w
またそれを平気で書いてしまうド素人丸出しの歯科医さんにもあきれるw >>378
陸戦史集には、33師・柳田師団長のトンザン、トイトムでの作戦指導に対する批判の中で
航空部隊の直接支援を要請すべきだと指摘がある。
実際に3月25日に、遅すぎだが
わずかな航空機が短時間だけ支援に来ている。
大田インパール P182 P300 インパールの頃は敵の制空戦というか飛行場爆撃を避けるために
航続距離ギリギリの後方配備してたんでは。
一式戦の機銃掃射とか散発的な近接航空支援は可能だったろうが…
英軍輸送機の離発着スケジュールを抑えて輸送機を叩く方がいいような。
それも難しいか。 33師団がシンゲル、トイトムを確保したのは3月15日。
そこからインパールまではガラ空き状態で
1週間でインパールまで突撃できたじゃないか。
しかし33師団の総攻撃は、それから2ヶ月も後の5月
ビシェンプールで敵が強固な防衛陣地を構築するのを待って
そこへ総攻撃している。
バカじゃないか。
当然のごとく撃退された。
33師団は2ヶ月もの間、なにやってたんだ?
つー話だろ。 >>379
陸戦史集インパール作戦上巻 P190 の
>航空部隊の直接支援を要請すべきだと指摘がある。 と
大田本の p294にに書いてある
>あたかも、ドイツ機甲師団の砲兵の替わりを急降下爆撃機が つとめたように」
は、似てはいるが即時性と目標指示の方法に違いがある。
「ドイツ機甲師団の砲兵の替わりを急降下爆撃機が つとめたように」
するのは一般的には近接航空支援と呼ばれ現場の空軍士官が
直接上空にいる航空機に一線部隊に依頼された目標を攻撃する。
一方、陸戦史集の言う
>航空部隊の直接支援を要請すべきだと指摘がある。
は師団司令部→軍司令部→ビルマ方面軍→南方軍→第三航空航空軍→第5飛行師団
の指揮系統をたどって要請をする必要がある。
つ実際、3月24日のトンザン攻撃が失敗してから要請して、飛行師団から強力する
旨の電報があったのは25日だった。
つまり、ドイツ軍は機甲部隊の機動戦についていける直接支援なのであり、
陣地戦しか直接支援できない日本軍の直接支援とは意味合いが異なるのである。
違いがわかったかな?土足君w >>382
でも最後に欲しかったのは陣地戦やからええやん。 >>383
そんなもんかねぇ(苦笑
機動戦も陣地戦も近接航空支援もただの対地攻撃も区別が付かない人間が
ウソを書き散らしているんだよ。 >>381
>33師団がシンゲル、トイトムを確保したのは3月15日。
ついにウソまでついてしまうのか土足君w
まぁ藤原と同じでウソでもつかないと33師団に責任を転嫁できないからね。
シンゲルの確保は26日だよ。
>そこからインパールまではガラ空き状態で
> 1週間でインパールまで突撃できたじゃないか。
それは君の想像だよ。215連隊を攻撃した英軍の37旅団と戦車連隊が居るはずなんだが?
> 33師団は2ヶ月もの間、なにやってたんだ?
>つー話だろ。
そうだな。27日から再編制を開始して、3月28日、215連隊第一大隊、シンゲル付近を出発
3月28日、215連隊第二大隊、3299高地付近を出発
3月29日、215連隊第三大隊、サウカン東方高地を出発
4月10日、215連隊主力、ライマナイに到着、追撃終了
14日でシンゲルーライマナイ間、『直線距離』で100kmを越える
距離を踏破。
極めて迅速な前進であった。
統制前進は藤原のウソだよ。 >>384
日本軍のやり方だと、
敵陣地攻撃要請→写真撮影か地図準備→爆撃目標指定→攻撃日時決定→爆撃実施
になっちゃうかね。
そういうまどろっこしいのは近接航空支援ではないなあ。
日本軍に一番必要だったのは小型無線機かも。 要するに21号作戦をムッチーが拒否した時点で首にしてでも実行しないと日独連携による勝算は消えてなくなる。
やっぱりムッチーが悪い。 >>386
と、言うか重爆投入に必要な制空権が無いのに突っ込めと言うなら
ムッチーが味方を置き去りにして逃げるのに使う司偵で
百式機関銃と手投げ弾身体中に括り着けたムッチーをインパールに落とせば勝手にスリムの首でも取るんじゃね? >>385
>シンゲルの確保は26日だよ。
15軍司令部が33師団から「シンゲルで師団2ヵ月分の物資を確保」
との報告を受けたのは3月14日だが? (P167)
英印軍は最重要拠点であるシンゲルに、なんと正規軍をまったく配備しておらず
警備員しかいない状態で大失態。
このときシンゲルからインパールはガラ空きで正規の軍は配備されてない。
どんなに遅くとも3月中にインパールに突入きる。
それを5月にビシェンプールで総攻撃とか
まったく話がおかしいわ。
33師団は始めから、全くやる気が無い。 >>387
牟田口には21号作戦を拒否する権限なんぞ無い。
無期限延期となったのは、山本五十六のバカが
ガダルカナル、ニューギニアで敵の思惑通り
愚かにも消耗戦を開始したため
日本の方針は、これですべて狂わされた >>382
そもそもドイツの電撃戦と同じだとは
大田は一言も書いてない。
しかし補給など考えずに、一気に進撃して
敵の意表をついて攻略を完了するという考え方は
同じだな。
こういった短期決戦では航空攻撃が有効だという点も同じ。
補給がどうとか言ってる時点でバカ その時インド17軽師団はどこで何してたのか?
それを受けてインド23師団はどこへ行ったのか? >>393
17師団は3月14日にティディムからトンザン、トイトム方面に向けて撤退を開始している。
しかしその時すでに33師団はトイトム、シンゲルを確保している。
20師団はバレル、23師団はサンジャックだろ。 >>394
それだけ?
インド17軽師団は補給デポ取られた後、引き返して逆襲開始
33師は迂回して包囲するが、17軽師は壊滅的被害受けながらも空中補給受けながら粘ったとか
お前の頭の中じゃ無人になってんのなw >>395
インド17師団はトイトムでもシンゲルでも日本軍が引いたため
殆ど反撃を受けず素通りしインパールに戻った
そしてオンパールで大慌てで迎撃体制を構築して待ち構えた。
しかし待っても待っても柳田の師団はインパールに来ない。
そこで17師団は再び前進してビシェンプールに強固な陣地を構築した >>391
南太平洋は無関係だな、手持ちの2個師団が前に出るだけだからw
その時点でムッチーがインパール作戦で佐藤に要求した通りの事を自分でやって見せるだけで
印度人の蜂起と英軍の自滅は明らかだ(ドイツが欧州で本国を締め上げてて補充も不十分インド人部隊の負け癖が抜ける前 完璧である) トイトムもシンゲルも敵を見下ろす絶好の自然の要害にあり
ここで敵に抜かれるなんて、ありえんわな。
敵は戦車部隊じゃあるまいし、大量の家畜を伴う
たかだかインド軽師団。
こっちはシンゲルであり余る武器弾薬もある。
これだけ有利な条件が与えられて、それで負ける様では
世界中に勝てる相手は無い。 >>397
21号作戦は西亜作戦の一部で
2個師団だけでやるような作戦ではない。
陸海軍が総力でやるべき最も重大な天王山。
それを山本五十六のバカがぶち壊して日本はおわった >>396
マイルストーン109補給デポを巡っての戦闘続けられて3月25日には17軽師団が再占領
そして大部分の物資を持ち去るか破壊して26日に後退。
この戦闘では双方被害が大きく、33師は牟田口の督戦にも慎重にしか進めなかった。
イギリス側唯一の予備兵力といえたインド23師団は17軽師団の支援に派遣され、
インパールに戻るのは4月4日 >>390
> 15軍司令部が33師団から「シンゲルで師団2ヵ月分の物資を確保」
>との報告を受けたのは3月14日だが? (P167)
その後取り返されたことは大田本にも書いてあるよ、土足君w
>英印軍は最重要拠点であるシンゲルに、なんと正規軍をまったく配備しておら>ず
>警備員しかいない状態で大失態。
>このときシンゲルからインパールはガラ空きで正規の軍は配備されてない。
>どんなに遅くとも3月中にインパールに突入きる。
それは君の妄想だよ土足君w
実際には英23師団が展開している。
>それを5月にビシェンプールで総攻撃とか
>まったく話がおかしいわ。
> 33師団は始めから、全くやる気が無い。
ジャングルの間道を連隊で移動しているのだから、
仕方が無いではないか?
君ならジャングルを1日何キロ移動できるんだい? >>392
では
>あたかも、ドイツ機甲師団の砲兵の替わりを急降下爆撃機が つとめたように
限定した例えはなんなんだね?土足君w
そしてそれは平時からのシステム構築と訓練がないとできないわけなんだが? 東部ニューギニアへ送られた兵力は15万
ざっと10個師団に相当する。
まったく無駄だった。
これをインド、中東方面に投入する。
これで負けるわけが無い。 >>396
どのみち、英軍は機械力、人力、資材を豊富にもっているので
1日で強固な陣地は作れるんだよ、土足君w >>398
高地が絶対的に有利なんて何時代の話をしているのかね?土足君w
もう航空機があるのだよw ということで33師団のインパール突入は
最短で3月23日
多少の敵に遭遇しても3月中には突入できる
他の師団も同様、3月中に完了すべき作戦。
この程度で無茶な計画なんていうなら
日本には無茶な計画しかなくなるわな。 21号作戦は二個師団の作戦
従って補給負荷も3個師団のインパール作戦より軽いのに、馬鹿ムッチーが拒否した。
ここで銃殺にして佐藤にでも師団を預ければインパール作戦の開始後1月分の成果まで奪って勝ち逃げ
仮にこれ以上の西進そのものが間違いだったとしても損害はより少なくて済んだものを 21号作戦が不可能だと言うならインパール作戦などただの妄想である
どーせ妄想ならムッチーが司偵でインパールに直接乗り込んで軍刀ふりまわせばいい >>406
大田本でも英印17師団が脱出したのは3月26日になっておるよ、土足君w
相変わらず戦況図も読めなくなったようだね、頭がいいんだよね? ようするに統制前進とか退路開放命令とかはすべて藤原参謀の捏造。
そうでもしないと柳田師団長に責任を転嫁できないから。
なぜ柳田師団長にスケープゴートになったか?
それは例の作戦中止の意見具申にある。
臆病者扱いされているこの意見具申だが、
戦況をみればみるほど現実的である。
なにせ旧来の後方連絡線遮断戦法が通用しないのがハッキリしてしまった。 我々は2次アキャブの結果を知ってるけど、
時間的にその戦訓を生かすのは無理だからねぇ。
棚橋連隊長も解任されて戦後自決だったな・・ 31師の代わりに久留米18師と56師を投入する計画だったらディマプールに乱入してた…気がする。 そんな事はどうでもよい
インパール作戦だけではなく、大東亜戦争全体が
山本五十六の暴走によって無茶苦茶に狂わされた。
これは日本軍のインド方面の作戦に対し
絶望的な危機感をもったチャーチルが、ルーズベルトに泣きついて
日本軍を太平洋におびき出すよう懇願した結果。
日本を大敗させた諸悪の根源は山本五十六と
このバカの作戦を煽っていた、マスコミ、反東條の岡田とか重臣らの責任。
こいつらバカが悪い。
インパール作戦を徹底検証した結果の結論。 >>412
ただ、柳田師団長は状況的におかしいと判断して作戦中止の意見具申を
したと思う。
棚橋連隊長自決は戦後、花谷正に強要されたらしいよ。 >>415
柳田は実戦経験ゼロなんだが?
そんな人間が状況判断とかできるわけがないw >>413
そもそも31師団は寄せ集めの師団で佐藤師団長は初代師団長だ。
58連隊と138連隊は別の師団から抽出して124連隊はガダルカナルで
壊滅した連隊を再編制したもの。
乾坤一擲だというなら18と56を投入すべきだった。
まぁ牟田口は英軍を軽くみていたからね。 >>416
そういうならそんな人間を師団長にした陸軍省人事課に責任があり、
結果的には天皇陛下にも責任があるわけだが?土足君w
とはいえ師団には参謀長とか作戦参謀とか居たと思ったがw >>414
土足の馬鹿がインパール作戦を持ち上げ、現場の師団長を罵倒する分だけ
21号作戦を蹴ったムッチーの馬鹿さが証明されるだけだなw
チャーチルが泣きを入れてた絶好のチャンスだったのだから、
二個師団でも十分にインド人を奮い起こす戦果は叩き出せたものを
馬鹿ムッチーの腰抜けのせいで全部ぶち壊し これだけ組織的に作戦を中止させる動きがあったのだから
これは師団長の判断だけとは考えられない。
おそらく対米戦に全兵力を投入したい側が
政治的に裏工作してたんだろ。
柳田なんか確実に、作戦は中止されると思い込んで
行動しているので、これはそういう政治的な力が働いていたとしか
考えられんわ。
しかしどう考えてもインパール作戦より
太平洋戦線の方がバカで無意味な作戦だわな >>419
あまえアホ?
師団長がどうやって、作戦を蹴ることなんか出来るんだ? どうしても海軍と山本五十六の話しは
したくない、真剣に考えたくない、
しかしおまえらが、面白半分で牟田口叩きやり続けた結果
報復として山本五十六は全否定され、徹底的に叩かれる結果となったw
自業自得とはこのことw そりゃ師団長に負けるような作戦しか建てられないから図上演習にも出ずに実戦に突っ込むアホムッチーの下じゃ
師団長の発言も握りつぶされるってだけで
勅任官たる師団長の「できない」は作戦中止の十分な理由 >>420
土足君は大田本さえよく読んでないんだね。
南方軍もビルマ方面軍もインパール攻略に拘ってないよ。
中参謀長の発言と作命をよく読んでみたまえ。
防御に転換しても問題ないのだよ。 >>422
そりゃあインパール作戦スレッドですからw
山本五十六スレッドじゃないですからw
スレ違いなのだよ、土足君w >>423
だったら太平洋戦線の作戦は全て
出来ないと断るべきだな。
太平洋戦線はすべて玉砕必至で犬死に
なんでだれも反対しないんだ? >>424
>南方軍もビルマ方面軍もインパール攻略に拘ってないよ。
こだわってないもクソも無い。
丸投げで傍観してるだけで
指揮なんかなにもやってない。 インパール作戦に最も反対して妨害したのは
南方軍の稲田参謀副長だが
こいつも対米決戦派。
このバカはインパール作戦は無謀だと反対したが
そんなに対米戦が好きなら、そっちへ行けということで
待望のニューギニアへ行くことになったw
いったら地獄で敵前逃亡したw >>427
土足君w
相変わらず指揮と指導の区別がついてないんだねw
南方軍、方面軍ともに15軍を指揮する立場ではないんだよ。
しかし丸投げとはひどい言い草だ。
河辺方面軍司令官は援軍を投入してくれているのに。 >>428
インパール作戦反対派はだれでも攻撃かw
そもそもアメリカと戦争を始めると決定したのは東條内閣なのだが?
でこれはインパール作戦スレッドだと思っていたのだがね、土足君w >>429
南方軍も方面軍も司令官がいるのに
それが指揮しないで指導とはなんだ?
参謀ではなく司令官なんだが? みんな結果が判ってるクジなんか引きたくない。
口を出したり指導すれば責任が掛かるからな。 東条は海軍が勝手に引き起こした戦争犯罪、侵略戦争の罪を
すべて押し付けられた。
こんな不当な話しは無いし、これ永遠に放置したのでは
戦没者も浮かばれない。
徹底して事実を広め名誉回復する。
日本人の最低の義務。 五十六信者は相当、あせっているw
最近、日本はルーズベルトにハメられただの、中国が悪いだの
中身が同じ内容の本が大量に出版されている。
あらゆる者を悪党に仕立てて
山本五十六の罪を誤魔化そうとしている。
いかにも汚い人間が考えそうな策だな >>435
それは既存マスコミによって
海軍の実態を知らされて無いからだろ
海軍は捕虜や民間人を殺しまくっていた。
この事実が知れ渡ったらどうなるかな? >>435
あと海軍幹部らは戦争責任を陸軍になすりつけて
戦後は他人事のように振る舞い
だれも責任を感じてない
鬼畜米英だと直前まで若者に特攻を強要しておいて
敗戦と同時に自分らはアメリカに尾を振る。
こんな汚い無責任の極地の人間の集まりが海軍だろ?
この事実が知られれば国民の認識も変わると思うわ それは違うな。
北進南進の根底には支那をどうするかという問題がある。
満州の兵力を転用する上でソ連と、支那へ援助する米英仏をどうするのかということだ。
陸軍は順番に戦争をして片付けるように考えた。
まずはソ連から、そして兵力転用に目途をつけておいて南進しフランスと戦端を開き次にイギリスと戦争する。
その中で米が参戦することも織り込み済み。
北進と南進は不可分で1つの戦略、ドイツが対ソ戦始めたからそれに乗る乗らないは些末な事。
片が付いたら南進する、あくまで支那を片付けるのが目的だ。
これが陸軍の、つまり日本の基本的な戦略、だから1940年の1月に海軍は出師準備を発動する。
海軍は降って沸いた発言権を利用して好きなように戦争しただけ。 なにより12月8日の開戦後、この戦争を支那事変に遡り大東亜戦争としたのもその証左であるし、
インパール作戦成功の場合はその矛先を大理に向け支那屈服を狙っている。
陸軍の過ちは緒戦の戦果にとらわれて補給物資を海軍に優先してしまい、1942年に成都侵攻作戦を発動できなかったことだ。 >>437
さて、アメリカとの戦争を決定した内閣の総理大臣は誰だったのかね?土足君w >>440
>北進南進の根底には支那をどうするかという問題がある。
だとすればシナを支援していたドイツと戦争するべきだったと思うがね、土足君w >>441
成都w 馬鹿ムッチーが勝手に始めなきゃ上海で蒋介石殴って終了だったんだが?
だいたい自由フランスってロンドンに本拠置く有様で「機能している」
中華民国亡命政府がワシントンから抗日レジスタンスを指図して泥沼は十分あり得るんだよねw つまり、成都で終わるという根拠は全くない。
ソ連経由で毛沢東が物資を受けとるだけ。
(中立義務違反?そんなの気にするような生き物かどうかは数年後に明らかになったではないか(笑)) で、十個師団で行っても補給(のうちにも入らん愚策)と移動速度が同じなのでインパールの前で飯と弾が無いのに変わりない。
いや、ムッチーが他人に手柄を譲って自分の指揮する史実で使った師団は全部トラック運転手にする位謙虚なら...。
必要なトラック集めるよりそっちの方が難題だけどな。 この手のCASやればいいって簡単に言う奴って
日本海軍が戦艦で艦砲射撃すればよかったって平気で言う奴と一緒だよなぁ
米軍はち密にグリッドを作ってどこに何発みたいな感じで徹底的に砲撃してたけど
日本海軍にはそんなノウハウはない
そもそも追い込まれたレイテ沖でも陸上砲撃命じられたら憤慨するレベルなんだから
ガダルカナルでは飛行場砲撃したけどあれは海軍陸戦隊の生き残りと陸軍が決死の覚悟で灯りをともして
三角測量で砲撃したものだし
本来艦砲射撃には精密な航空偵察と写真が必要なんだよ
話は逸れたけど要するにCASしたいなら前線部隊に同行する陸軍航空隊の連絡員と高性能無線機が必要 カスがカスさえ有ればとか笑っちゃいます
制空権が無いから本職の爆撃機は数往復で壊滅。
後は往復二時間に一機一発で重砲の弾よりショボイ爆弾しか積めない戦闘機のみ
飛行中隊動員して重砲一門未満にしかならん。 ありもしないCAS期待するくらいなら分解して持って行った歩兵砲の砲弾くらい補給してやれや >>349
作戦兵力が不足しているから、余計にロジスティックへの負荷が拡大してしまっているだけ
日本軍は、米軍のように前線への投入と後方兵站での回復再編を繰り返すシステムではなく
動員と復員による出征方式であるため
大多数の部隊は本拠地からの新編部隊である
この方式は一見不便そうであるがなぜ米軍のようなシステムにしないかというと
使い切った兵に多大なリソースを注いで再生兵力とするよりは
帰郷させて本拠地の兵営または実家に戻す方がロジスティックへの負荷が小さいからで
さらに新品の部隊の方が運動能力が高く、結果として作戦日数の短縮につながり
これもまたロジスティックへの負荷を減らすことができるからである
つまり正面戦力は十分な兵力を動員していれば
携行食、つまり2週間分の行動装備だけの軽快部隊を浸透させて
重装備部隊はあとから来ればよく
そのほうが個々の戦闘による消耗が抑えられ、早く敵を駆逐できるから
トータルで進軍速度は三倍速くなる計算である >>450
二週間だけ嫌がらせしながら後退して空軍に橋やら落とさせるだけでインパールのボロ負けを再現できますが?(笑) 長文の奴って要するに頭悪いから考えをまとめられないわけねw しょうこりもなく日中戦争でデタラメな話が書かれてるので
真実を貼っておく。
★日中戦争は陸軍の対ソ戦を阻止して予算拡大を目論む
海軍の謀略によって勃発しました。
日中戦争は海軍の先制攻撃、渡洋爆撃によって勃発しています。
当時、国際連盟でもそのように判断し、日本の侵略戦争(不戦条約違反)
であるとして対日非難決議が採択されています。 (1937年10月)
国際法に違反した都市無差別爆撃であることも非難されました。 (1937年9月)
ルーズベルト大統領もシカゴの演説でこの海軍の都市爆撃を
激しく非難しました(隔離演説 1937年10月)
その後9ヶ国条約会議(ブリュッセル会議)でも日本の
侵略戦争を非難する対日非難決議が採択されました(1937年11月)
この海軍の中国空爆は計画的に準備して実行されており
自衛の武力行使とはとても言えません。
真珠湾奇襲と同じで、計画的な先制攻撃で侵略戦争(不戦条約違反)です。
そしてこの空爆をやる際に海軍省とその記者クラブが
さかんに宣伝したのが、海軍の大山中尉が中国軍に
虐殺された事件です。
日本国民に対し、中国に対する憎しみを抱くように国民世論は
扇動されました。
日本では中国を討伐すべきだという意見が沸きあがりました。
そして海軍は空爆を正当化していました。 しかしこの大山事件は、海軍による自作自演の
事件だったのです。
当時そのことは関係者はみんな知っていたようです。
しかし戦後の日本は海軍を支持していた者たちが権力を握り
彼らはアメリカとも癒着して
海軍の不正行為はすべて隠蔽し、陸軍に責任を擦り付けました。
戦争を煽っていた海軍省記者クラブの人たちは
終戦と同時に手のひらを返して、他者の批判を始めました。
彼らは戦後も言論界の主要なポストについて、彼らに都合のいい
陸軍悪玉論が宣伝されました。
日中戦争勃発時、海軍の実権を握っていたのは海軍次官だった山本五十六です。
そして海軍省記者クラブが絶大な影響力を持ち、新聞社による戦争扇動が
行われるようになったのもこの時からです。 日本で出版される日中戦争本は
読んでもわけがわからないだけだと思う。
これは意図的にゴチャゴチャにして
読者を混乱させるように書かれているから
そうなるのも当然だな。
上記のテキストを見れば、日中戦争の本質が理解できると思う
たったこれだけの文章で、どんな書籍よりも
明快に理解できる。 >>447
>この手のCASやればいいって簡単に言う奴って
軍ヲタのぶんざいが何を偉そうにwww
この作戦に関わった当時を知る軍参謀が
陸戦史集に書いてるんだが?
おまえ、そいつらより情況を把握して軍事に詳しいのか? しかしやはり河辺の指揮には問題ある
というか全く指揮して無い。
航空兵力ををどのように投入するかは河辺次第だが
まるきり他人事のように日記を書いているだけ。
山本五十六と同じだな >>431
河辺司令官は牟田口司令官に命令を出す立場なので、その命令を
自分で指揮して実行したら牟田口司令官は不要になるんだよ、土足君w
でもこのように命令を実行して欲しい、というのが指導。 >>456
この陸戦史集というのは若手幹部自衛官が戦術や軍人としての心得を
勉強するために書かれているから現代戦の視点でも書かれている。
自衛隊では近接航空支援は可能な仕組みになっているが、
その当時は日本軍は近接航空支援は仕組みとしてできないんんだよ、土足君w 今の自衛隊でも実際に空自の航空統制官が来て演習することなんてほぼないけどな
そもそも陸自は攻撃ヘリ持ってるしそっちの方が使い勝手いいだろ >>456
陸戦史集って自衛隊の本じゃなかったかな?
つまり戦後の後出しじゃんけん。
それ主張してる本人さえ現場じゃ思いつきさえできなかったという落ち。
違うなら何時どの職責に於いて誰に進言なりしたか戦中の公式の記録出せばぁ?
(日記にしか無いなんてのは誰にも言えなかった証拠にしか(笑)) で、南方軍の航空戦力を全部突っ込んで重砲何門分の支援になるって言い張る気なのかね(笑)
あんまり少ないなら、大砲を置いて行ったムッチーのアホさの証明にしかならんぞ。
インパール遠足(笑) 最初から空中給油頼みで攻撃してきて英軍を防いでりゃよかっただけだな
インパールとビルマの後退戦でビルマ派遣軍が壊滅する事態も避けられただろうしな そもそもあの段階で攻勢に出るという発想が酷いわな
インパールで敵の物資を運よく確保できたところで
ビルマからの補給は全く期待できないのでその物資が尽きたら終わり
あくまでインパールを占領すればインドで独立勢力が蜂起するという他力本願
あまりにもお粗末 帝国陸軍の本気の砲撃を見せちゃる。
って事でノモンハンで大小合わせて八十門でソ連砲兵とガチの殺し合いを丸1日。
さて、使った弾は何発でしょー(二万八千発)
大小取り混ぜなんで1日で平均15kg×350発
一門1日で五トンである。
ムッチーの補給計画では飯もマトモに届かない遠足作戦にしかならんわな。 >>465
何見たのか知らないが、ノモンハンの砲兵戦では3日間で約20900発だ。 >>466
一門につき1日1トンにしても。
ムッチーはそれさえ満たせないんだから
インパール作戦がバカの遠足な事に変わり無い。 >>460
まぁ陸自としても近接航空支援よりは揚陸艦攻撃に全力を投じて欲しいようだけどね。 空自による空爆なら事前に見つけた固定目標の精密爆撃が主流で
陸自部隊の前進に合わせたCASなら攻撃ヘリか常時滞空型の無人攻撃機だろう
戦闘爆撃機でCASってのは効率が悪い 日本陸軍の参謀連中って山越えで敵の後背を突くとかな作戦好きだけど、山越えの方が平地で道路がある場所を移動する
行動計画より地形の把握や補給なんかに綿密な計画がいるのに、大雑把な等高線しか引いて無いスカスカな地形図見ながら
「ここからここまで何日で進出」とか平気で線を引いて作戦立てる
モデルになる地形なら日本国内の山岳地でもあるだろうに、なんだったらそこへ行って自分で軍装身につけて携行食糧だけで
相当する距離を歩いてどんだけ大変か実体験してみればいいのに 八甲田山でそれやって数百人死んでるけど何も懲りてないのが日本陸軍 士官学校はまだまともなんだけどね
普通の指揮官を養成してる
陸大に上がるとくそみたいな司令官・参謀が多数輩出、いや排泄される(もちろん凄い司令官・参謀も多数いる) 牟田口や辻みたいなのもいるけど多くはまともなわけで
インパール作戦も兵站参謀は最初から「成功のめど無し」と反対してたし
そいつらを更迭してイエスマンに変えるとかそういうことやってるからあの大敗北になっただけで
軍レベルの参謀はそれなりの人物があてがわれてたんだよ
日本は指揮官じゃなく参謀の力が強いみたいな辻や服部のパターンばっか取り上げられるけど
実際はほとんどの場合司令官に変なのが就くと地獄を見る >>470
何も知らないぶんざいが何を言ってるのか?
進行経路に関しては、事前に徹底調査が実施されている。
それによって連合軍が極秘に作っていたジープ路が
すべて日本側にバレて、31師団はそれを利用して
迅速な奇襲に成功している。
なおこのことは過去、日本の書籍にはまったく書かれていない。
英第二師団参謀のアーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』に
そのことは書かれている。
(太田・インパール) >>475
デタラメ書くなボケが。
補給の問題から反対されたのはアッサム攻略作戦であり
インパール作戦ではない。 このようにインパール作戦批判は
嘘のオンパレードですw
反論があるやつは出て来い >>477
昭和18年6月のラングーン兵棋演習は無かったことにしたいらしい。 >>479
ラングーン兵棋演習では、補給に問題がある
なんて指摘は一切無いが? >>480
では具体的に書いてもらおう。
だれが補給に問題あると指摘したのか? >>482
こんなことも知らないでよく書き込めるな、恥というものを知らないのね。 >>476
戦争は道路上だけでするものではないよ、土足君w どうせアホは逃亡するからこっちで書くが
ラングーン兵棋演習では
インパール作戦は成功という結果が出ている。
しかし31師団の配備と投入に関しては
別案の異論も出た。
だが補給に問題があるなどという指摘は
まったく記録に無い。 >>484
だから具体的な反論はどうした?
だれが何と言ったのか? このようにインパール批判してるやつは
具体的に突っ込まれると
まるきり反論できませんwww >>480
もっと悪い。兵站の細部の研究はしていなかったのだよ、土足君w 平気で大嘘書くような奴なんか誰がまともに相手するんだよw
486なんか大嘘もいいところだ、どこにそんな都合のいいこと書いてあるんだよ。
インパールまで追撃したところで苦戦に陥って演習終了してんのにw 中参謀長や竹田少佐の宮に何と言われたのか全文書いてみろ >>491
ラングーン兵棋研究会に関しては
大田インパールに非常に詳細に書かれている。
15軍片倉参謀への取材もある。
作戦計画、攻め方に関しては異論もあるが、とりあえず
インパール攻略には成功するとした結論には異論は無い。
またこの作戦はやる必要があるとの結論にも異論は無い。 ラングーン兵棋研究会において激論となったのは
アッサム侵攻をやるかどうか。
しかしこれは補給が無理との結論で
15軍の案は退けられた。
しかしインパール攻略に関しては
まったく異論は無い。
この辺を日本の書籍では話をすり替えて
インパール攻略が否定されてたかのように
嘘の話が伝えられている。 しかしアッサム侵攻を反対した参謀らも皆
本来は国家方針としてインド侵攻は必要だと認めている。
結局のところ、やはりバカ海軍による対米決戦に
みんながだまされたということ。
あともう一息でアメリカ艦隊は撃滅させて
対米戦争に勝利できるのでは無いかとの海軍の妄想に
陸軍の多くもだまされた。 >>493
>作戦計画、攻め方に関しては異論もあるが、とりあえず
>インパール攻略には成功するとした結論には異論は無い。
ほう、南方軍、方面軍にも作戦計画があったのは認めるのかね、土足君w >>480
つまり、21号作戦は可能だったのにムッチーが日本の勝機を潰した、
で決定
なお、インパール前の半年有ればイギリス側の戦力積み増しは更に増大するので、
ラングーン将棋で上手く行くように見えてもインパール作戦の保証にはあんまりならないんだけどさ。 そもそもラングーン将棋ってインパールに日章旗立てる所までちゃんとやって無い。
インパール前で補給が届かないのは既にその時点で発覚してたから、世紀の珍作戦であるジンギスカン作戦なんかが必要になるわけで。 戦後牟田口が開いたステーキ店がジンギスカンって名前だったって言うのは
さすがにガセだよね? このように過去のインパール作戦批判は
全てデタラメ、嘘のオンパレードですw
真面目に 反論できるやつがもしいるなら
ちゃんと具体的に批判、反論して論戦に応じたらどうだ? 牟田口批判をしてる人物が
いかに人間性の劣化した下品な人間かが
このスレを見ればお解りであろう。
これが山本五十六信者の本質です。 土足ってもしかして坂井三郎スレで他全員が五十六信者に見えて仕方なくてひたすら五十六連呼して噛みつきまくっているあの基地外と同人物なのか? ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 それって欧米人が大好きな「こんなに強い敵に勝った俺たち最高!」ってやつだよw
まさか「敵はアラカン山系を超えた時点で消耗しており補給も続かずすでに限界に達していた。
正に攻勢限界点に達していた敵を叩くのは造作もなかった。敵は大した抵抗も出来ず敗走した」
なんて言ったら勲章にありつけないじゃん 欧米の干渉から隔絶された亜細亜の然るべき地に
皇太子を擁して陸軍主導主体の第2日本国を設立し
大戦の帰鄒がいかなる結果を生じようとも
(仮に本国が消滅しようとも)帝国の存続を図る
ディマプール攻略が戦略的に是か非かを問うなら
第2帝国建設の要素も視野に論じることはやぶさかではない >>505
そのとおり。2010年から自分の意見に賛同しない者を五十六信者と断定して
わめきちらしている。しかし8年もwご苦労なことだ。 >>506
このように第31師団の任務は以下なのだよ、土足君w
ディマプールのデの字も無いのだ。
頭の良い土足君なら理解できると思うのだが?
三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を「コヒマ」に突進し同地の
要域を占領して「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ >>511
その文章は何からの引用か知らんが、原文とは違ってるな。
三、「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
↓【原文】
第二 指導要領
三、「ディマプール」方面ヨリ予察セラレル敵増援兵力ヲ拒否シ・・・
五、(略)雨季に入ルニ先テ「ディマプール」「シルチアール」各東方山系及
「チン」高原ヲ確保シ・・・
大田インパール(P107) ということでバカの言い分によって、新たな発見があった。
現物の作戦計画の第二 「指導要領」が
一般に書籍で出回ってるものでは、「作戦骨子」として書き換えられ
なぜか「ディマプール」から「アッサム」に改ざんされている 太田のキチガイ本の方に原典を合わせろとか、
ただのキチガイだな、ムッチー教徒は。 で、土足は骨子が何だかわからないので、
大阪から部隊が来るんだってさ、
を関西の部隊が来るよーと言うと虚偽報告になるらしい。
そんなもん、ムッチー大隊長の
「部下を拉致られた」に比べたらどーでも良いこと。
男二人で闇夜に何やらかしてたんだか。 >>509
土足のアホは佐賀人だな。
なんにしろ孤軍奮闘で同じ事をコピペして哀れな奴だわ。 >>512
さて、↓の(略)は何故略したのかね?
五、(略)雨季に入ルニ先テ「ディマプール」「シルチアール」各東方山系及
「チン」高原ヲ確保シ・・・
大田インパール(P107)
(略)部分には 「インパール」攻略ハ四月中旬頃ニ之ヲ完成シ爾後
という文言が入っているようだが?
つまり、「ディマプール」をするのは「インパール」攻略後であることが
明記されている。この肝心な部分を略するとは、さすがに頭の良い土足君だw 任務分析をすると先ずインパール付近の野戦軍を撃滅後に
「ディマプール」「シルチアール」を占領するという作戦になっている。
しかも別に「ディマプール」を占領する部隊については第31師団と
規定していないのである。 >>516
何故、五十六を攻撃したいのか分からんのですよ。
別に牟田口と対立していたとか無いわけだし。 一応指摘しておく
三、「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
三、「ディマプール」方面ヨリ予察セラレル敵増援兵力ヲ拒否シ・・・
上は当初の作戦計画案
下は最終的に確定し昭和19年2月に発令された作戦計画 >>513
フム、陸戦史集は「アッサム」になっており、戦史叢書は「ディマプール」となっているようだ。
戦史叢書のほうが土足君には都合がいいようだからこれからはそちらを使おうw >>518
スリム中将は日本軍の特に佐藤に対し
最初の計画にこだわり応用力が無い愚鈍だと
批判している。 三、「ディマプール」方面ヨリ予察セラレル敵増援兵力ヲ拒否シ「インパール」攻略完成迄軍主力ノ側背ヲ掩護ス
このあとに状況によってはインパール攻略に一部直接参加させることがあると続く
命令発令後に久野村中将がやってきて佐藤師団長に口頭で、
コヒマ占領後ディマプールに突進してもらいたい、これは牟田口軍司令官の意図と伝えた。
佐藤師団長は黙殺し聞き流したとあるけど当然の対応。
正式な作戦計画を発令した以上、命令書で発令しなきゃダメ。 >>522
師団の任務とは何か?ということだよ。31師団の任務を分析すると、
まず
1 コヒマ周辺の敵を排除すること(コヒマ周辺での陣地構築を妨害されたくないため)
2 野戦築城を行い、防御力を積み増しすること(時間と労働力が必要)
3 英軍が攻撃してこなければ、インパールに援軍を出すこと(要請されれば)
であり、ディマプール攻撃は別途に命令が必要。
その際は現任務は解除されなければならない。
戦力の少ない31師団は2兎も3兎も追えないのだよ、土足君w 31師団に対するディマプール追撃(まだ1個大隊が死守しているのだから厳密には
追撃ではないが)の口頭命令は方面軍司令官によって却下されている。
方面軍司令官の命令を無視するのが柔軟性といえるのだろうか?土足君w 佐藤師団長の問題はディマプール追撃命令に従ったかどうかではなく(時期的に遅い)
それ以前の問題。
進軍があまりのも遅く肝心な所で停止している。
31師団主力の2個大隊は、一気に進めば遅くとも3月中にコヒマに到達していたはず。
この時コヒマもディマプールも、正規軍が配備されておらず陣地すら満足にない
まったくの無警戒同様の状態だったと言う事。
佐藤師団長は始めから作戦が中止になると見込んで、そうした指揮をしていたということ。
これは中央からそういう政治的な水面下の動きがあったと思われる。
もし佐藤が本気でやる気で指揮していれば
一気にディマプールまで突入できていただろうな。
結局は対米決戦と、インド独立支援の作戦と
どっちが重要なのか政治的に対立し、裏で策略だらけの状態だから
こんな状態でまともに作戦ができないのは当然。
結論はインパール作戦を妨害していた、海軍と対米決戦派が悪い。 ということで各師団が猛スピードで進軍していれば
3月中にインパール、コヒマ突入は可能だった。
4月中旬に作戦完了の計画は、ぜんぜん無謀では無い。
普通にやれていたはず。
(ラングーン兵棋研究で議論となったのは、その後どうするか)
補給の問題なんか、まったく無い。
むしろ過剰に補給を考えすぎたくらい。 しかし仮にインパール作戦に成功しても
その後最終的には、奪還されて敗退すると言えば、それはそうだろうな。
しかしこれは牟田口や陸軍の責任ではない。
海軍のバカ作戦と、それを支持していたアホが悪い。 >>527
492で指摘されなかったか?
>中参謀長や竹田少佐の宮に何と言われたのか全文書いてみろ >>526
では1日あたり何キロ前進すればよかったのかね?土足君w >>527
ラングーン兵棋では補給について研究されていないよ、土足君w >>528
海軍のバカ作戦というがどのみち1944年にはアメリカの大艦隊がやってくるので
どうしようもないのだよ、土足君w >>510
皇太子を拉致して潜水艦で印緬に送り
南方総軍の保護下におく計画があったことをしらないんだな >>533
陸助は潜水艦自前で作っちまった訳だが、
それって今の陛下だろ?確か小学生じゃん。
奸賊以外の何者でもないがな。
バレてたら将官の銃殺とか珍しい物が見られたね(笑)
まあ、無能土足が兵力を盛大に損なったので第二も第三も無意味ですけどね(笑) 海軍信者は、あらゆる者を悪党に仕立てて
海軍批判を誤魔化してかわそうとしている。
こいつらは追いつめられ、最近はついに天皇批判をさかんにやっている。
こういう人間性の劣化した海軍と山本五十六信者こそが
最低の人間のクズだわな。 陸助の屑っぷりを勝手に披露してるのは土足の方であってw
それがどういう意味を持つのか指摘されて逆切れが>>536 日本を壊滅させた国賊・山本五十六
岡田啓介、山本五十六ら艦隊派が海軍軍縮条約からの脱退を企て
予備交渉を意図的に破綻させる。
↓
海軍軍縮条約から脱退確定
↓
海軍、政友会、三菱財閥など利権勢力が青年将校らに襲撃される(2.26事件)
↓
山本五十六が海軍次官に就任。山本は米内を海相に推して米内が海相に。
↓
大山事件勃発(海軍の自作自演、謀略)(陸軍主導の船津和平工作が妨害され潰された)
↓
海軍が中国都市爆撃を独断で強行
↓
海軍による都市無差別爆撃が世界中から非難される
国際連盟は対日非難決議を採択。中国支援を決定。
国共合作が実現する。
日中戦争勃発。
↓
閑院宮・陸軍参謀総長は畑陸相に対し、日中戦争を拡大泥沼化させてる要因は
米内ら海軍だとして、日中停戦のため米内内閣に協力しないよう要請。
↓
井上成美は中国都市爆撃の強化を唱え重慶に対する
無差別爆撃を実施。
↓
陸軍は日米諒解案をベースに対米交渉を続けるが
それを妨害するため海軍が主導し南部仏印進駐を強行 >>513
これは驚き!
アッサムはディマプールの南のベンガル沿岸地方だよね。
ディマプールもアッサム地方なのかな?
宇都宮と関東地方みたいな関係? >>539
アッサム地方から陸路でディマプール以外のどこから湧けるというの?
佐藤がディマプールに突っ込めば勝てるという気違いは、ディマプールでアッサム地方から来る部隊に踏み殺されろと言ってるに過ぎない。 >>540
バーカー中佐がおかしな手紙をよこすからおかしなことになるんだね。
ディマプールを取られても別にインパールを放棄する必要性はまったく無いのに。 理想的な時期にディマプールを攻略できたならば
皇太子様を奉じた建国が現実味を帯びてくるわけである
もとよりディマプールを皇都することはなかったであろうが
産業・経済面で新皇土の策源地となったことは確かである
そして油田及び精製設備は、将来的には輸出原資として新皇国の財源となったであろう
因みにこの頃になると、既に軍は戦争指導において帝の信を失いつつあり
実際、戦争に勝つ見込みは皆無であることをわかっているので
避難皇土の名目で軍が生き残りを図ることは至極当然の流れであった
ただ、新皇土にも御標を要するので
理想的には皇子を仰ぎ、神器の一つを移管し本土皇国との一体を願いたいところであったが
それを説得することはおよそ不可能と考えられたので
潜水艦による拉致強奪という手段を想起せざるを得なかった
(正仁親王は病児ゆえ対案にならなかったが
私個人的には弟君を天子としてお迎えし、世嗣等は後々考えればよかったと思う) そこらへんにウンコが落ちているな。触らないように注意しよう。 >>542
要するに先帝(昭和帝)に見切りを付けられてたアホ陸助による謀叛である。
が、やっぱり第二帝国の戦力もバカの陸助なので、史実より長持ちするメドがないんだけどな。
工業力を本土に置き去りにして、戦車も戦闘機も手持ちを磨り潰すしか無い癖に石油を有り難がって何に使う気やら(笑) だいたい、第二帝国の領土が他人の靴の上にしか存在しないのに、
本土または史実より手加減して貰える訳がない。
もし、連中に存在意義があるとしたら
戦犯としての罪を全部引き受けて本土を講和させる位だから、殿下が連れ出せなくても東條とかは忘れずに吊れて行けよ(笑) >>546
そしてイタリア枠で連合軍入りした日本軍に
226のオチである、賊軍扱い&下士官以下は投降で免罪のビラで秒殺される第二帝国(笑)
陸助は学習能力が無いなぁ。 てか、英国の戦史研究家にも酷評されてるのに、インパール作戦
でも、一部の変な手紙しか見ないんだよね、擁護派って >>548
まだ擁護派なんているのかね?擁護しているのはもう土足くらいしかいないだろう。
大田嘉弘ももう死んでいるし。 Bunzo
‏ 11月4日
あるドキュメンタリー映画の取材を受けたインパール作戦から生還された方が取材者に
「これはよく調べています。」と歴史群像10月号特集記事のコピーを差し出したと聞く。
こうした話は素直に嬉しい。 >>301
皇軍はインド兵の捕虜を銃剣の練習台にしてなぶり殺しにしてたぞ
それがバレて後でインド兵に復讐される >>526
コヒマへの進撃が遅れたのはジェッサミとサンジャックでの戦闘のせい
ジェッサミはまだいいが、サンジャックは15師団の管轄でわざわざ攻撃したのがアホ
つまり宮崎繁三郎のせい。 >>539
アッサムはベンガル以東のかなり広い範囲
ディマプールもティディムもアッサム >>556
敵から奪う、は当作戦の大前提だから宮崎の機転は推奨される行為だし、
コヒマはちゃんと取って目標は達成している。
だいたい、空挺の処理を優先したのを非難するとムッチーにブーメランが刺さるぞ。 つまり、佐藤に補給をきちんと付けなかったムッチーがアホなせいで負けた!
補給が通ってれば言い訳のしようが無いし途中の寄り道も不要なので勝てたw
っと言いたいんだなw >>556
そもそも、コヒマを何日目に落とそうが、
究極無能ムッチーは残りの二個師団でインパールの前の二個大隊にさえ勝てないので全く無意味。
まあ、大隊と師団が撃ち合って大隊が撃つ方が多いとかアホな条件にしたのもムッチーだしな。 牟田口の事をムッチーなんて呼ぶのは
この世に一人くらいしかいないと思うがw
すべて一人の書き込みなのか?w ムッチーの正当性を主張するキチガイより多くても何の不思議もないけどなw >>558
>宮崎の機転は推奨される行為だし、
宮崎将軍を礼賛する人たちはそういうけど、
軍事作戦としてとしては作戦地境を調整も無く超えるのは問題じゃないかな?
場合によっては友軍相撃になりかねない。
>コヒマはちゃんと取って目標は達成している。
サンジャックの戦闘で七日を失っているね。
その間に161旅団がコヒマに到着してしまっている。
それをどう考えるのかな? >>563
挟撃さえ出来なかった15師団と相撃など有り得ない
そもそもが方や空挺方や山越えの為に大砲置いていた軽歩兵同士のド突き合い、
直接照準下の戦闘で敵味方の区別も出来ないボンクラしか連れて来れないんじゃ作戦自体が無意味だわw
コヒマを見捨てた161旅団にインパールに行かれるよりはコヒマで拘束の方が作戦に沿っているし、
英空挺師団の仕事は後方攪乱であり、始末した史実より酷い補給状況での前進など比較する意味もない あ、そういうボンクラに飛行機を幾ら廻しても少し前に陸助の馬鹿が欲しがった近接航空支援なんて完全に論外だな。
味方に機銃撃つって有様なんだから。 >>564
>挟撃さえ出来なかった15師団と相撃など有り得ない
60連隊は間に合って共同で攻撃しようと提案したが宮崎少将に拒否されているね。
本来攻撃の責務は60連隊にあるのだから拒否するのはどうかと思うが?
>コヒマを見捨てた161旅団にインパールに行かれるよりはコヒマで拘束の方が作戦に沿っているし、
>英空挺師団の仕事は後方攪乱であり、始末した史実より酷い補給状況での前進など比較する意味もない
別にコヒマより先に前進するべきだったとは書いていないよ。
七日早く到着すればその分野戦築城に時間を掛けることができる。
それを考えるとサンジャックはわざわざ58連隊が攻撃する必要がある
という判断には同意できないという話し。 宮崎の指揮する58連隊は師団の主力では無い。
状況に応じて動くのが正しい。
本来ならば31師団の主力である2個連隊が
先にコヒマに突入していなくてはならない。
こっちが遅すぎる。
いずれにしても宮崎の連隊を指揮したのは
31連隊の司令部で、こちらの方が問題。
ここが始めからやる気が無いのだから作戦は失敗して当然。 >>566
つまり、相撃にならない連絡が可能だったと実例があるので>>563が杞憂だっただけだな
>早く到着すればその分野戦築城に時間を掛けることができる。
60師団が来るまで敵が野戦築城なり散開させるなりはええんか? >>567
60連隊はもっと後ろにいたから先に攻撃できなかったのだ
15師団で遅いなら誰にもチャンスが無いのだから、作戦自体がアホ過ぎなだけだなw
幾ら戦線を前に出そうが補給が届かなければ維持できないし、例えどこで増援を止めようが
残りの二個師団で攻めて二個大隊に追い返される無能ムッチーにはインパールを落とす可能性など有りはしないのだw >>568
杞憂ではなく軍の計画で師団戦闘地境を設定しているのは友軍相撃を避けるため、
部隊の混交を避けるため、師団の責任範囲を避けるためという戦術上の考え方による。
何処の国の教範にも書いてある普遍的なもの。
なにも起きなかったのは運がよかった。
> 60師団が来るまで敵が野戦築城なり散開させるなりはええんか?
サンジャックは15師団の責任範囲だから別に構わないよ。
31師団及び15軍の作戦計画に従うなら58連隊は速やかにコヒマに進撃して
周辺の英軍を排除して防御陣地を構築すべき。
むしろ積極的にサンジャックを攻撃しなければならない理由が見つからない。 >>567
相変わらず師団を運用と戦術を理解してないようだね。土足君w
分進号撃に主力かどうかは関係ないよ。
31師団の作戦命令(作命)をみればわかるが、
58、138連隊ができれば同時に、コヒマに到着するのが望ましい。
124連隊は師団の第三梯団なのでその後だね。
また状況に応じて動くというのはあくまで師団の作戦に寄与することが前提。
好き勝手に動くことではないよ。 >>571
佐藤がマトモな司令官なら、3月中に124連隊が
コヒマに突入していたはず。
そして宮崎の58連隊に対しては、インパールへ突入
させるように指揮する。
当然これらは15軍、15師団と調整して連携する。
最初の作戦計画がどうだろうが関係無いだろがアホ
スリム中将もそう指摘している。 >>570
防御陣地を作っても敵が減るわけでも無ければ弾や飯が出てくる訳でもない。
ウ号作戦の計画通りの線まで下がって構築して良いならともかく、ムッチーの作戦>>572は攻勢で押し切るんだから後退許可を3月には出せないよね(笑)
結局4月以降の負けスケジュールは何一つ変わらない。 ムッチーが二個師団で二個大隊に追い返されるんだから、58連隊が単独で突っ込んでも中隊で十分支えられる。
インパールは落ちない(笑) 土を掘ってそこに入ると言っても
あの辺、とてつもなく悪そうな虫や生き物が沢山でてくるんだろ >>563
ウエストケント大隊が4月5日に到着したんだよな
このせいでコヒマは陥落しなかった。 >>564
15師団は3月23日にサンジャックに到着していたが、山砲を準備してから攻撃する用心深さで25日から砲撃開始した。
サンジャックは掘っても90センチで固い岩盤にぶち当たる大砲に弱い土地で、英軍はさんざんやられた。
歩兵だけで猪突してはね返されて大損害だした宮崎繁三郎とは違うのだよ。 >>567
細道しかない北方の山岳を踏破した2個連隊と比べ
わざわざ整備されたウクルル道を通った58連隊がほぼ同時にコヒマ到着ってのがまずおかしい。 毒餌で死ぬ程度な間抜けな畜生の脳ならそう思って地雷でも踏むんだろうな(笑) >>573
>防御陣地を作っても敵が減るわけでも無ければ弾や飯が出てくる訳でもない。
そのとおりだが、そういう作戦計画なんです。31師団の作戦計画は速やかにコヒマ周辺に集結して
防御戦闘に移行することだから。サンジャックに寄り道しているヒマは無いのですよ。
31師団の作戦にまったく寄与しないのですから。 >>572
では土足君。一日あたり何キロ前進すればよかったのかな? >>572
>そして宮崎の58連隊に対しては、インパールへ突入
>させるように指揮する。
牟田口君はそのような命令を出さなかったし、
宮崎少将もそういう意見具申はしてないのだが?
>最初の作戦計画がどうだろうが関係無いだろがアホ
命令の変更がなければ計画通り行動するしかないわけだが?
勝手行動していいのなら佐藤師団長の独断も許されるということかな?土足くんw >>576
七日の遅延がなければコヒマ三差路高地は取れたかもしれませんね。 >>581
31師団の中突進隊(138連隊)がゼッサミに攻撃開始したのは3月28日朝
こんな取るに足らない敵を相手にせずコヒマへ突入していれば、
3月31日にはコヒマ攻略完了だな
(ほぼ空き屋状態だから)
※ゼッサミ〜コヒマ間 90km ジープ路完備
日本の公刊戦史と英軍の記録では全然内容が違い
日本側ではゼッサミで強敵と激戦を戦って、死傷者多数のように書かれているが
英軍側の記録では、このアッサム連隊にまったく被害は無く
無傷でゼッサミからコヒマに戻ったと記録されている。 追記
※ゼッサミ〜コヒマ間 90km ジープ路完備 (直線距離で30km程度) >>580
コヒマで守備隊と空挺に挟撃されろ、なんて命令でないのだから、
後顧之憂を絶つのは指揮官の裁量の範囲内。
それを超越して前に進めと言うなら、
良いから先に行け後方は60連隊でバックアップするから、って確約をムッチーがするべきだったのだが、してないわけで。
図上演習でこういうお題をキチンと詰めてれば まだしも、そういう準備をしてないんだから
素面の師団長たちが各自の常識の範囲内で処理するのは当たり前。 死地に特攻すべき31師が一番やる気がなくて、
アホな作戦で死ぬのは嫌だから
無理しないよう、深入りしないようにしてたんでしょ。
横に敵が居たら、前進しない理由になるんだから喜んで潰しに行くよ。 >>587
本当にただ無意味に潰されるだけの死地だからね。
損害は出るけど勝算が有る、とやる前にコンセンサスを作れば、それが誤算でもちゃんと突っ込むんですよ。
本作戦の場合、図上演習とかサボってるムッチーのせい。 >>585
それで、31Dが保有しているジープは何台?
あとジープ道の幅と勾配は? >>589
ジープなんかなくとも90kmの距離なら
3日で行けるじゃないか。
3月31日にコヒマ攻略は普通にやれたはず。 地雷を埋めるなり狙撃兵数人で嫌がらせするだけで道路は使えなくなるけどな >>586
>後顧之憂を絶つのは指揮官の裁量の範囲内。
ところが宮崎将軍は後顧の憂いを断つためにサンジャックを攻撃するとは
言ってないわけなんですよ。
軍旗がどうとか武士の情けとは言ってはいるようですが。
しかも60連隊の戦闘加入を拒否するしまつでしてね。 >>584
答えになってないよ土足君w
31師団は作戦発起3月15日から一日あたり何キロ前進すればいいのかね?
58連隊ならー7日だからもっと余裕だがねw アーサー・バーカーの見解では
4月の段階で、宮崎の指揮する1個連隊がインパール攻略に
加わっていたなら、インパールは墜ちていた。
しかし、それ以上に日本が簡単に勝つ方法は
佐藤の師団主力が、即座にディマプールに突入すること。
これで日本はインパール攻略だけではなく、作戦全体で
大勝利していたであろう。
こう言っている。
他の関係者もほぼ同じ見解。
だったら楽勝じゃないか。
上記のように3月31日には、コヒマを戦わずして攻略できて
大量の物資が得られるのだから
インパールでもディマプールでも、どっちを攻めても勝てたわけだな。
また宮崎がサンジャックを攻めたのも正しい。
そのままインパールを猛追すればよかったわけだな。
いずれにしても佐藤がちゃんと師団の指揮をして無いから
宮崎は混乱して当然。 まあ軍板にはバカしか居ないから
まともな反論は期待しない 53師団をフーコンに早期投入して18師と交代。
18師団を先鋒にしてOMGよろしく損害に構わずディマプールに突進させ、第二梯団として31師団に追及させればいい。
これで勝つる! >>594
アーサーのは戦後の発言なので、追加部隊に負けても自分が捕虜になる訳じゃないから証拠にはならんな(笑)
腰抜けジファードさんみたいに当時それを主張してなかった、それこそが4月におけるアーサーの本音(笑)
>>596
補給が届かない以上、18師団が佐藤同様に切れる、宮崎みたいに敵から奪う為に手近な敵に突っ込む、に走るだけ。
そもそも交代を敵が認める根拠がない。
18師団に遅滞戦術の一隊をあてがって、53師団の背後から攻撃を続行しても良いわけで。 >>597
田中新一中将なら、日本帝国を救うため、英国脱落の起死回生、回天を為すために、18師団と死んでくれと説得すれば納得してくれる。はず。
18師団には、ディマプールでの乱取りを許可すれば良い。 >>596
そもそもウ号も壮大な打通作戦の一部分と考えるべきなんだよね >>599
WHEN TIGERS FIGHT(XTR)や
Vinegar Joe's War: CBI(DG)では、
大陸打通作戦とインパール作戦はセットで、
CBI戦線での日本陸軍の戦略攻勢、
欧州でのバルジ作戦みたいな扱いやね。 連合軍から見るとその二つは連動してるように見えたかもしらんが、
たまたま同時期にシナ派遣軍とビルマ方面軍が攻勢発起しただけだと思う。 >>601
>たまたま同時期にシナ派遣軍とビルマ方面軍が攻勢発起しただけだと思う。
そんなわけ無いだろがアホ
連合軍の最大の目的は、中国からB29によって日本を爆撃するため
その補給路としてアッサム鉄道経由でレド公路を打通させること。
インパール作戦計画時には日本はその意図を知らなかったが
作戦開始のころは、それが明確に判明したため
(日本の飛行師団がB29とも初めて遭遇する)
インパール作戦の重要度が増した。
またそれに対応するため、大陸打通作戦も実施された。
米支軍が中国からビルマへなだれ込んだが
結果的にはそれが中国側にとっては大失敗。 >>602
だったらディマプールまで行くか、
中部ビルマのインパール作戦やめて
北部ビルマのフーコンとミートキーナ守らなきゃダメじゃん。
インパール作戦の目的でB29の本土爆撃阻止なんて聞いたこと無いけど。
北部ビルマ防衛はすなわち援蒋ルート切断目的ではあるが。 >>606
その辺も考慮して牟田口は北側に重点を置いたんだろ。
南からだけ攻めるという本面軍の作戦よりは妥当だし
現にその狙いどおり連合軍は窮地に追い込まれている。
連合軍側でも目的がビルマ奪還か第一なのか、
中国への補給ルート確立が第一なのか
米英中で考えがまとまってない >>603
つまり、インパールの南側は最初からブラフと言い張るなら補給は北側に寄せておくべきだったな。
やらないムッチーが悪い。 >>594
>アーサー・バーカーの見解では
これは英軍しか知らないトップシークレットw
日本軍は知りようもないんだよ、土足君w
だた偶然なんの根拠もなく牟田口君がディマプールを言い当てただけでね。
でもディマプールは宮崎少将のせいでとても取れない状況になりましたw >>600
それを読んだ古峰氏が最近歴史群像でそんなことを書いていたけど、
大理作戦なんて一部の参謀で研究してただけだという。
そもそも作戦目的が違う。 >>602
B−29の基地破壊と打通作戦とインパール作戦は
因果関係が別々だよ土足君w
そもそも2つ以上の作戦を連動させるという概念を明確に
持っているのはソ連軍だけなのだよ土足君w >>608
> >>602
> B−29の基地破壊と打通作戦とインパール作戦は
> 因果関係が別々だよ土足君w
それな。
チャンドラ・ボースがUボートで来日成功してなきゃ
東條はインパール作戦に入れ込まず、中央から作戦中止が命じられるか、違う形になったかも。
陸軍は大陸打通作戦に資源を集中するから、ビルマ方面軍は現有戦力でビルマルート遮断を維持して大人しくしとけ!って言われたりして。
> そもそも2つ以上の作戦を連動させるという概念を明確に
> 持っているのはソ連軍だけなのだよ土足君w
それもな。
ボードゲームで連合軍SEAC総司令官&国民党軍総司令官を兼任する一体おまえ誰やねん!プレイヤーに対峙する、
日本軍シナ派遣軍と南方総軍を両方指揮する、やはり一体おまえ誰やねんプレイヤーは、
自然にインパール作戦と大陸打通作戦を連動して計画実行しちゃうんだが。
で、インパール作戦は、連合軍の空軍と補給を吸引して潰されて、大陸打通の側面援護になっちゃうか。 >>609
どうみてもインパール作戦が中止か支作戦に格下げだね >>606
さすがアホの軍ヲタを代表するバカ軍ヲタ
それは
インパール作戦の作戦計画には、ビルマ防衛しか書いて無いから、
インパール作戦には、インド独立支援やアジア開放、援蒋ルート遮断というような
目的はない。
と言ってるようなもん。
そもそもビルマ方面軍の存在目的の中で
援蒋ルート遮断は大きな柱であり、
中国戦線と連動して無いわけがない。
しかし南方軍の配下というのもおかしい
南方軍では中国戦線のことは関知して無いだろうが
参謀本部では二つの作戦をセットで考えているのは当然だわな。 連合軍側から見れば、戦略的、政略的には
大敗と考えてるだろうな。
英軍はビルマ奪還で喜んでるが
米中は日本空爆を重視しており、ビルマなんか重視して無い。
結果的に米英中の信頼関係は崩壊し、以後アジアでの
米英中の共同作戦は破棄された。
政略的には日本の勝利だな。
しかしアメリカはアホの日本海軍に標的を絞り
バカな日本海軍の愚作のくり返しによって勝利した。
日本のアホの海軍は、連合軍勝利の最大の功労者。 >>611
インパール作戦はビルマ防衛が主眼だよ、土足君w
なんせ河辺、牟田口以外の関係者が口を揃えている。
>参謀本部では二つの作戦をセットで考えているのは当然だわな。
根拠を示すようにw インパール作戦失敗の原因は
勢いと流れや空気
こういったことの影響が大きいと思う。
アジアの人間も、やはり勝ち馬に乗りたいと思って当然。
しかし太平洋戦線での日本海軍の負け振りを見れば
日本は負けるとだれもが思う。
だから日本側について戦っては、あとで酷い目にあうと思って
みんな願えるだろうな。
おれでもそう考えるわ。
もし太平洋戦線で海軍が上手く戦っていたら
アジアの人間はみんな、どとうのごとく日本側について
その勢いで連合軍を一気に撃破出来たと思う。
いくら入念に計画しても、勢いや流れには勝てない。
例を挙げれば鳥羽伏見の戦いでは
5000人の薩長軍が、15000人の幕府軍を
一気に叩きのめしてしまった。 >>613
>米中は日本空爆を重視しており、ビルマなんか重視して無い。
そりゃそうだよ。アメリカは日本空爆の基地としてマリアナ諸島を占領するつもりだったし、
>結果的に米英中の信頼関係は崩壊し、以後アジアでの
>米英中の共同作戦は破棄された。
そもそも目的が違う。
ルーズベルトは大日本帝国の解体が目的だし、
チャーチルは領奪回、
蒋介石は領土からの日本の排除だから。
利害関係の違う3者を共同させた東條が(w >>614
>例を挙げれば鳥羽伏見の戦いでは
>5000人の薩長軍が、15000人の幕府軍を
> 一気に叩きのめしてしまった。
薩長軍は近代戦術を習得していたが幕府軍は習得していなかった。
インパールでは後方遮断戦術で勝とうとした牟田口君だが
英軍は航空補給と円形陣地で対抗した。
戦術だよ、土足君w アメリカはマリアナ奪還には1年くらいはかかると
奪還には消極的だったんだろ。
いや無理だと考えていたと思う。
だから苦労してレド公路貫通を進めていた。
しかし、アメリカは中国戦線の敗北で
マリアナ攻略の必要に迫られて、仕方無しに大出血覚悟でやったんだろうな。
しかし結果は
日本の海軍は考えていた以上にバカだったため
(もともとバカとはわかってはいたが)
簡単に攻略できてしまったと。
こんなとこだろうな >615
>利害関係の違う3者を共同させた東條が(w
山本五十六だな
ソ連、中国、アメリカ、イギリス
利害関係の違う4者を結びつけて
全力で日本と戦わせた
このバカの影響は計り知れんわ 少なくとも軍2つにまたがる2つの作戦を連携して展開するなら、
そりゃラングーンだけで済むわけなくて、
東京でムッチーの2つ以上上の裁決を取らないと成立しないんだが?
それが取れた根拠は?
双方の責任者が顔を合わせて日程の擦り合わせをやったとかの。 >>617
レド公路は蒋介石を対日戦から脱落させないためのものだよ、土足君w
蒋介石に脱落されたらアメリカは大日本帝国を崩壊させる大義名分を失うよ。
日本海軍の頭が良かったらアメリカに勝てたのだろうか? >>618
相変わらず山本の評価が東條より高いな、土足君w
一介の連合艦隊司令長官が陸軍大臣や参謀総長、海軍軍令部総長、海軍大臣
外務大臣、大蔵大臣の頭を押さえて開戦を奏上させ、実施するんだから
ものすごく大した人物だw 因みに開戦経緯を調べると関係するあらゆる会議に山本はまったく顔を出してない。
それで日本を動かしたのだからなんというか催眠術かなんかかな?w >>617
米海軍のマリアナ攻略に中国関係ないよ。
マーシャルのあとトラック迂回したら、
マリアナかパラオでしょ。 ★山本五十六の犯罪履歴書
・1936年 海軍軍縮条約からの脱退・・・岡田首相と山本五十六らによる計画的な交渉破綻による
・1937年 海軍マル3計画・・・対米戦争を想定した機動部隊を主力とした連合艦隊を編成を計画
そのための予算要求
・1937年 海軍の山本五十六らは、船津和平工作を妨害するため自作自演の大山事件を起こし、
それを口実に独断で中国空爆、陸軍の上海派兵を要求、日中戦争が勃発
海軍は大幅な軍事予算拡大
・1937年 ルーズベルト大統領が日本の中国空爆を非難する演説
国際連盟、9カ国条約会議が日本の侵略戦争に対する非難決議採択
対日経済制裁開始
・1940年 海軍は重慶に対し大規模な都市無差別爆撃を開始(予算消費が目的)
(山本五十六の子分、井上成美が主導)
・1940年 陸軍は海軍主導の日中戦争を終結させ、対ソ防衛目的で三国同盟を提案。
海軍は三国同盟を認める見返りとして、南進政策を要求。北部仏印進駐開始。
・1940年 山本五十六は真珠湾奇襲を計画、準備を開始。
・1941年 海軍は日米諒解案に基づいた日米交渉を妨害するために南部仏印進駐を強行。
対米英戦争を見据え、そこに大兵力を集結し連日猛訓練を開始。
アメリカの対日禁油政策決定。
陸軍の米英可分論に対し、山本五十六は米英不可分論を主張
なんとしてもアメリカを戦争相手国とするために画策していた。 >>644
でボンクラの陸軍大臣や参謀総長、海軍大臣、海軍軍令部総長が
同意したわけだw こうしてみると山本五十六の愚考は明白だが
その後ろ盾となった岡田啓介の存在が大きい。
岡田啓介こそが最大の戦犯である。
こういう結論になる。
こいつはWikiで絶賛美化されているが
ほかにもいるが
NHKやWikiで絶賛美化されてるやつこそが、
日本を暴走大敗させた本当の戦犯だと思って間違いない >>606
宮崎繁三郎のサンジャックせいでディマプール取れなくなったんだよな
こいつが皇軍でもトップの名将とはな。 >>584
残念ながら3月31日にはウエストケント大隊がコヒマに到着してたんだな。
すぐにディマプールに向かわされたけど。
しかしディマプールには第インド5師団がすでに空輸され、さらに鉄道でイギリス第二師団が続々集結中だった。
なぜか?、それはサンジャックで3月26日に若い日本軍将校の遺体から英軍が捕獲した作戦文書がスリムの元へ渡ったせい
考えなしにサンジャックに歩兵のみで突撃させた宮崎繁三郎の大チョンボ
15師団にまかせとけば良かったのにな。 >>590
そもそもジェッサミまでがはるかに難路で、3月28日じゃないか
ウクルルに3月21日に到着した宮崎繁三郎の58連隊とは全く状況が違うわな。
ほかにジープ道で90キロといっても途中のカラソムにも英軍がいたしな。
こちらの英軍は撤退命令が届かず英司令官が最後まで戦って戦死してる。 もちろんジープ道といっても、舗装されたウクルル道とは比べ物にはならん >>628
デタラメ乙
当時ディマプールにいた英第二師団のアーサー・スウィンソン大尉が
コヒマもディマプールもまったくの無防備状態だったと書いている。
彼によると部隊が到着したといっても、それは先遣隊のごく少数で
少しずつ水滴のようにしか、部隊も物資も届かなかったと書いている。
このとき日本が攻めれば、日本は間違いなく勝てたと。
彼はおまえら軍ヲタなんぞとはわけが違うw、軍参謀で
しかも当時そこにいた当事者なんだが?
日本の作家ごときが、しかも当時の戦況を見ても居ないぶんざいが
英軍の見解を間違ってるとか、笑わせるなw >>627
アーサー・バーカーは宮崎を絶賛している。
彼のような軍人がもう一人居たら、連合軍は負けていたと
こちらも当時、インパールで日本軍と戦っていた
第四軍団の参謀で当事者
おまえらなんぞとは、その説得力には
天と地の差があるw
笑わせるなw 繰り返すが部隊配置から見て
コヒマを攻略する主力は北側の2個連隊
(司令部の位置から明らかだが)
宮崎の部隊は、その側面を突く支援部隊
あるいはインパール攻略に転用も考慮された部隊。
宮崎がサンジャックを攻めている間
別働隊がコヒマに向っており、予定通り到着している。
しかし師団主力と連携して攻撃するため、待っている状態。
宮崎は師団主力のコヒマ到着が遅いのを知って
ではコヒマ攻撃にはまだ時間の余裕があり
サンジャック攻撃も可能だと判断したんだろ。 >>631
つまり、大隊長時代に兵隊の管理も出来なかったムッチーごときが軍団を後方から仕切って勝てるなんてのが間違い。
実際に見てる方が正しいのだから、
佐藤が下がると言うなら佐藤が正しく、宮崎がコヒマよりサンジャックを優先するなら宮崎が正しい(笑) >>631
その水滴以下の弾さえ前線に届かないアホ補給の責任はムッチーに有るんだが。 >>631
制空権と味方の後方の道路で水滴しか届かないって証言が有るのに、
その両方が欠けた敵地に道路が有るだけで弾切れ飯抜きの水滴以上の何が届くんですか? >>631
さて、その無防備な日時なのだが
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』より
3月24日 西ヨークシャー第二大隊がコヒマ到着
3月28日 138連隊がゼッサミのアッサム連隊を攻撃開始
58連隊はサンジャックを進発
英161旅団コヒマに到着済み
スリムの意見では、「コヒマの山稜は防戦にはディマプールより秀でて」おり、
コヒマはディマプールをカバーもできるし「山岳にしがみついている限り、あま
り激しい反撃を受けないで機に応じては増援を送れる」と説いたこのスリムは
日本軍のコヒマ到着を4月3日ごろと推定していた。それまでには6日あった。
もし日本軍がディマプールに一個連隊を向けてくるとしても、4月10日まで
には達しないはずだと彼は考えた。4月5日には英第二師団が来着している。
ということなのだよ、土足君w >>633
戦史叢書 インパール作戦
第三十一師団の攻撃部署
四 左突進隊は三月十五日夜ホマリン付近及びその下流メザリ間でチンドウィン河を渡河し、
ウクルル−ガヘジマ−マオソンサン−コヒマ道をコヒマ向かい突進する。
サンジャックと取れとも師団側面援護とも書いていないのだよ、土足君w 因みに土足君が信奉している太田嘉弘先生の「インパール作戦」にも
愚見ではサンジャックは強襲することなく、軽戦ないし、一部による監視に止めて、
宮崎部隊の主力は本来の目的であるコヒマに向かってあくまで急襲突進すげきでは
なかったかと考える。
と書いてあるのだ。 実戦心理としてなあ。
当事者は目の前の状況はリアルタイムでよくみえるけど、
周辺状況は数日遅れで曖昧にしかこない。
後知恵で死地に向かって突進しろというのは難しい。 ウクルルに配備されていた英軍1コ大隊がサンジャック方向に後退したため、
追尾して師団の戦闘地境を越えてしまったのは仕方の無い所ではあり、
その件は納得できる擁護論があるが、
60連隊への戦闘加入断固拒否という不可解な事が起こっていため、
戦史叢書、陸戦史集でも擁それへの擁護論は歯切れの悪い記述になっている。 >>643
その答えは協力しないのを不可解と言ってた人が提示してるじゃん。
混ぜるな危険、教科書にも普通に乗ってるって。
調整に成功しても大隊を連隊2つ掛りとか、流石にオーバーキルだろう。 >>644
実際には60連隊の福島大隊がサンジャックの陣地に突入している(そう記述している
ものが多い)。
菊田参謀長はそれについて高く評価している。
15師団の立場にたてば菊田参謀長の言うように、
60連隊が58連隊の言うことを真に受けて放置して前進したあと、
58連隊がサンジャックの敵を激破することなく去ってしまった場合、
15師団としては打つ手が無くなるということがある。 >混ぜるな危険、教科書にも普通に乗ってるって。
これについては福島大隊はすでに将校斥候が58連隊左翼一線中隊と接触している。
そこで浅井哲中尉を連絡将校として派遣して調整しようとしたが、
宮崎少将は例の「軍旗を預けて・・・五八の名誉にかけても・・・武士の情けを知らぬのか・・・」
発言となる。この発言には調整の困難性についてはまったく触れていない。 >>639
それじゃこれはなんなんだ?
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 >>647
作戦意図の違いだな。
英軍はディマプールを取られると困る(蓄積した物資を失い数日間鉄道が遮断される)
日本軍はインパールを取りたい。取って防御に移行したい(最小限の戦闘、最小限の損害で)
そして日本軍も英軍もお互いの作戦意図は分からない。 >>648
一ヶ月間ディマプールを占領出来れば、
だからね。勿論瞬間的に勝てても増援枠の部隊に奪回されるだけなの。 >>632
そりゃアーサー・バーカーは宮崎繁三郎を激賞するわな
コヒマの勝ちを決定付けたサンジャック暴走をやってくれたもんな >>631
サンジャック暴走の3月22日ではディマプールは無防備だったのは確か
宮崎繁三郎がサンジャックでスリムに作戦文書を渡してくれたから、空輸であっという間にディマプールが防備された。
お陰でウエストケント大隊がディマプールからコヒマに送り返され、到着したのが4月5日
このためコヒマも陥落しなくなった。
全部宮崎繁三郎のこうせきだね。 ではまたスリム中将の見解を見てみよう。(英国公刊戦史)
ハッキリと佐藤がバカだから連合軍は助かったと書いている。
そして佐藤の司令部を攻撃してはならないと空軍に厳命した。
このバカ司令官がこのままいたほうが、連合軍にとって都合が良いからだと
本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。
彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。
しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、 彼の部隊が到着したとき
彼はこれをコヒマの小さな町の連続する 攻撃に投じた。
私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から
救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 まだ土足のバカは太田本で暴れてるのか?
いくら妄言並べても、牟田口とお前の無能は覆る事はないから。 >>652
佐藤を殺す気だった空軍でさえムッチーは攻撃対象にしなかったのだから、
佐藤よりも英国に有益だったのはムッチー。 >>652
コヒマで防御して英軍を食い止めろ、というのが河辺中将の命令なのだよ、土足君w
佐藤中将の意思は無関係なのだ。 >>655
おまえみたいなアホが何をほざこうが
松村連隊史の記述は永遠に
消し去ることは出来ないのだよw
この資料は永遠に貴重な一次資料として
日本史に残される。
どうやっても消すことは出来ませんw
ここに書かれているのは、とにかく悪いのは佐藤だということ。
複数の関係者がみんなそう指摘している。
白骨街道の当事者の生の記録は
永遠に不滅でございますので
あしからずwww 味方が戦車に轢かれてる時に後方の補給処でグダってた糞砲兵の妄想に価値なんか無い訳でw >>656
サンジャックの一件で松村連隊は31師団を恨んでいるのだよ、土足君w >>658
二つの河の戦いにはサンジャックのことも書かれているが
その内容は、
公刊戦史ではザンジャック攻略は58連隊で、60連隊は戦闘に参加して無い
ように書かれているが、それは事実ではなく
60連隊も戦闘したという反論。
とくに宮崎を批判したような記述はまったくない。
それに対して佐藤の師団指揮に対してはボロクソ。
特に無通告撤退と、その後の食料強奪に対し複数の関係者が
あれは烈師団ではなく劣師団だと、激しく非難している。 >>659
>特に無通告撤退と、
58連隊から伝令将校が通告したはずだが、大田本には書いてないのかな?w
>その後の食料強奪に対し複数の関係者が
>あれは烈師団ではなく劣師団だと、激しく非難している。
31師団からみれば食料をくすねている15師団を実力で追い散らしただけ。
しかも15師団はそれについて正式には抗議してないのだよ、土足君w >>659
2個師団の補給拠点と指定されてるところに、損害食らって半壊している連隊一つを満たすことのできない物資しか
おkぅってない軍司令部の怠慢だね。 よやくお歳暮の優待がとどかっていたわ
そうして全国復興食事券とかもきたわよ 大田本を調べたが
>それに対して佐藤の師団指揮に対してはボロクソ。
佐藤中将個人に対しては何も書いてないな。
批判しているのは職業軍人気取りの歯科医、太田嘉弘w
>特に無通告撤退と、その後の食料強奪に対し複数の関係者が
>あれは烈師団ではなく劣師団だと、激しく非難している。
しかしながら15師団は自分達の正当性は主張していない。 陸軍第六十連隊 公式連隊史
『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』
「隣接友軍の無通告退却のために、直接の被害者となったわが右突進隊は、腹背の敵から挟撃されて、
推定260名以上に及ぶ犠牲者を出す運命の日となった。」
「損害の主因が戦場のルールと道義を無視した隣接部隊の友軍にあったという紛れも無い事実によって、
戦後なお敵に対するよりも、さらに激しいある種の感情を捨てきれない宿命を背負っている。」
「同じ戦場で同じ目的のために、死力を尽くしあってきた同胞に対し、ここに問題を提起して
新たな対立感情を起こすことは回避したいと思うし、この記録の目的とするところではないが、
「わが連隊の記録」への投稿者の戦友のうちには、この間の感情に対し、激烈な非難をこめた
ものが少なく無い異常さがあった。」
「歴史が単に局外者の推理やエゴイズムによって、創作されるとしたならば、それは恐るべきことである。
しかもこの形式が、ひとたび活字となった場合には公刊、非売、限定等の形式に関わらず、また内容の
当否は別として、既成事実化し、真実は葬り去られるのが世の常である。」 『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』
「抗命部隊」 第二大隊砲小隊 桑原真一
『6月下旬、私は師団輜重連隊の本部と行動をともにしていた。
宿営地のそばのフミネ方面に通ずる道路をガヤガヤと大勢が通る
足音に目覚め、天幕外に飛び出して驚いた。
見ると松明をかざした野盗に見まごう一団が歩いている。』
『その後、輜重連隊にも転進命令が下り、フミネに到着したが、そこには一粒の米も無かった。
耳に入ったのは6月下旬に烈の兵隊の襲撃を受け、否応無しに少ない糧秣を奪われたという情報であった。
友軍である列の徒党を組んだ襲撃の情報は信じたくなかったが、タナンに向かう撤退行軍の苦難の日々が重なるにつれて、
烈の兵隊に対する憎しみの感情が起るのは、やむを得なかった。
戦後20数年を経た今日でさえ、捨てられた弁当箱にご飯粒が 残っているのを見ると、
あの山の中で、この米粒があったらと思うと同時に、「あの時の米は烈に奪われたのだ」という思いが、
頭をかすめてくるのである。』 >>666
同じ部隊が戦車に立ち向かってる時に後で油を売ってる砲兵こそ裏切りものじゃん。
6月下旬に輜重で松明を持ったボロボロの
兵隊を見ただけで強盗は見ていなかった。
これがこの屑が見た真実。 >>665
佐藤師団長は31師団の師団長なのであって31師団にのみ責任があるんだよね。
31師団の師団長が15師団に命令を出すなどおかしなことではないかね?土足君w >>666
その米は久野村参謀長が佐藤中将に確約したお米なんだよね。
15師団将兵は知る由もないだろうがね。
そしてそれは15軍の怠慢なのではないかな、土足君 >>658
結局は悪いのは宮崎繁三郎だよなあ
特に1980年代に英軍の秘密解除がされて、サンジャック暴走で宮崎のチョンボでスリムに作戦計画書がわたったのがばれてからは >>665
これも宮崎繁三郎が6月22日までカラムで耐えると豪語して、松村連隊黙ってたのが最大の原因だよな。
実際には20日に突破されたわけだから、宮崎の怠慢が悲劇の最大の原因だろ。
そもそも佐藤師団長は山内15師団長に撤退のことを伝達していた。
しかしすぐに牟田口廉也が山内を更迭してたという事情がある。
とはいえ、隣で守備してる松村連隊になんの連絡も寄こさない宮崎はひどくね? >>670
>サンジャック暴走で宮崎のチョンボでスリムに作戦計画書がわたったのがばれてからは
そんな話しは聞いた事が無い
それは小説の話だろがw >>671
15師団が把握してる内容は、31師団はウクルルへ後退し
そこで補給の輸送などを行いつつ、体制を立て直して
戦闘体制を取るといった内容。
これは15軍からの命令。
宮崎もそのように理解している。
宮崎は31師団からの命令しか得て無いので、全体の体勢は把握していない。
ところが佐藤はウクルルを通り過ぎて、そのまま勝手に撤退してしまった。
そんな事態になってると知ったのは、宮崎も15師団も後になってから。
佐藤自信が回想録で書いてるが、15師団司令部の近くを通ったが
あえて15師団には何も告げず、そのまま撤退したと自分で言っている。 >>671
>これも宮崎繁三郎が6月22日までカラムで耐えると豪語して、松村連隊黙ってたのが最大の原因だよな。
それもインチキ『小説』の話だろ
出展はなんだ? まあおれが言うより
『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』
これに詳しく書いてある。
佐藤師団の統帥を無視した無通告撤退と食料強奪で
どんだけ60連隊が窮地に追い込まれたか
普通は公式連隊史でそこまでの批判はしないものだが
よほど恨んでいるんだろうな。
また高木などインチキ作家が佐藤を美化した小説を出して
それが流布されたから、60連隊の怒りが爆発したんだと思うわ。 そこにしか、それも伝聞でしか存在しない強奪事件w
強盗に遭ったはずの輜重部隊さんの証言が存在しない以上、
自部隊が戦車に踏まれてる時に砲兵が後方に居た「つまり、弾が一発もないから前線に砲兵が居てもしょうがない」
という事実以外には何の証拠能力もない駄文。
隣がどうこう以前にこの状況で撤退しない自分の連隊長を恨むべきだが、それでは流石に連隊史には載せられないわなw >>673
つまり、宮崎は隣の持ち場の友軍など最初から居る訳ないのを承知してるじゃん、
ブラックムッチー「徹底抗戦、死守死守!」
佐藤「ざけんな!昼休みだから飯にするオ」
佐藤「お昼食べに出るから」
宮崎「あ?佐藤君ならお昼食べに外出中ですよ」
連絡通ってるやん。敵が来襲するまでに戻って来れるかどうかについて確約してないし。
佐藤がウクルル飯店に居たら助かってた、という証拠でもあるの?
60連隊の証言にあるボロボロの山賊とやらがウクルルから飯も食わずに戻って使い物になるって言い張る気かねw >>676
佐藤師団の食料強奪は桑原真一のほかに
松村連隊長も回想録で書いている。
「七月中旬フミネで祭の貴重な米を、烈が自動火器の銃口を突きつけて
強奪したことがあった。」
大田インパール P428 わるいが
『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』
これはインパール作戦で唯一もっとも信頼できる
第一級の一次資料だとだれもが認めている
永遠に不滅の一次資料ですのであしからずw >>678>>679
不滅の駄文だなw
7月中旬なら少なくとも佐藤師団など存在しない
佐藤は解任であるし既にインパール作戦も中止である。
で、銃口を突き付けられた当人の証言が無いんだが?
60連隊は上から下までキチガイしか居なかったってだけだわなー
そもそも、人の分の米俵まで担いだら何も残ってないって時点で、補給が不十分な証拠なんだがw ブラックムッチー「徹底抗戦、死守死守!」
佐藤「ざけんな!昼休みだから飯にするオ」
ムッチーはこの情報を宮崎に流さなかった...(ダメじゃん、すごくダメじゃん)
佐藤「お昼食べに出るから」
宮崎「あ?佐藤君ならお昼食べに外出中ですよ」
連絡通ってるやん。敵が来襲するまでに戻って来れるかどうかについて確約してないし。
佐藤が休業日のウクルル飯店に居たら助かってた、という証拠でもあるの?
60連隊の証言にあるボロボロの山賊とやらがウクルルから飯も食わずに戻って使い物になるって言い張る気かねw
その証人自体がウクルルには何も届いてないから届くの待ってる有様だし。 >>675
>佐藤師団の統帥を無視した無通告撤退と食料強奪で
>どんだけ60連隊が窮地に追い込まれたか
その頃はもう佐藤中将は解任されていたんじゃなかったかね?土足君w
まぁどのみち31師団は後退せざるを得ないわけだし、
その責任は31師団のみにある。
31師団長は15師団に命令できないわけだからね。 予想外のアクシデントで、1944年5月予定のDデイがまたしても遅れてしまってwww
その時(一九四四年三月〜七月)、英国民の関心はドイツとの戦いに集中し、ドイツ軍の英本土爆撃、
連合軍のノルマンディ上陸作戦(六月六日)に心を奪われ、遠いアジアでの戦いは余り問題にされなかったが、
スクーンズ中将は当面の責任者としてインパールの持つ政略上、戦略上の重要性はどれほど重視しても重視
しすぎることはないと考えていたという。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/inparl/inparl.htm
↑
ドイツ打倒第一主義であっても、ビルマ戦線で日本軍と戦う英軍将兵を見捨てることは出来ない。
優先順位が低いからと言って見捨てるくらいなら撤退させろってことにもなりかねない。
在韓米軍だってそうだろう? で、遅れたからなんだって?
いや、1944年ならスターリンは9月にはドイツ国境まで食い付ける勝ち年なのに、
その前で単独講話したら取り分減るだけやん、そんな無欲なスターリンが居るか(笑)
それでも東ドイツでっち上げを放棄して欧州から抜けたとしたら、史実イベントの前倒しで対日参戦で元を取りに来るだけ。
いやー欧州戦線から引き抜いたスターリン戦車でチハたんとか、ただの虐殺ですわ。
でもさ、そうまでしてドイツを助けるつもりで仕掛けるなら、スターリンがぶちきれる迄(雨季が来る前に前線に半年分の備蓄が貯まる位)の長期戦を前提にした補給の確立なり、
佐藤ルートを主にした(ディマプール作戦)、での布陣と指揮系統の確保。
どっちもムッチーの手に余るのだから、黙ってウ号作戦を保守的にこなすのが妥当。 >>6
>サンフランシスコ平和条約を結んだから日本政府は無条件降伏してないとかほざいてる基地外
ポツダム宣言に法的効果は無いよ? そうでなければ台湾の帰属先は?
○池田国務大臣 それはそのときに、領土権はどうかという問題と、だれが支配しているかという
問題を区別しての御質問ならば、いまのようにはっきり答えます。だから、もしそういうように言って
おるとすれば、ここではっきり申し上げますが、台湾は中華民国政府が現に支配しておる、
そして日華条約はここに適用になる、こういう意味でございます。領土権はどうかといったら、これは、
日本が放棄しただけで、中華民国の領土権はカイロあるいはポツダム宣言にはそういうことを予定
してきめておりまするが、この規定は、われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。
われわれ平和条約によって日本の外交をやっていくのであります。これが私の考えであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0514/04602290514017a.html
>われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。
ポツダム宣言はあくまで軍事目標であって、国際条約ではないぞ? >>685
ミズーリ艦上で全権が調印した休戦文書に
日本はポツダム宣言履行するとある。 >>686
無条件降服という政治的だか軍事的だかな用語が、極めて限定された意味しか持ち合わせてないのは、
並立する他の条項が有るといえ時点で明らかジャン? >>672
1980年代以降に英国で刊行されたビルマ戦記を見てみ?
ルイ・アレンのlongest warは邦訳もされてるぞ。
サンジャックの宮崎繁三郎のポカも、スリムに作戦文書がわたってからの迅速な対応も明記されている。 >>673
>>674
ウクルル方面の英軍の進撃はゆったりしたもので佐藤師団長がウクルル過ぎてフミネに向かったのは松村連隊の悲劇とは何ら関係がない
問題は宮崎繁三郎の担当のインパール道だ。
宮崎繁三郎が隣の松村連隊に何ら連絡せず、松村連隊の将校斥候が宮崎繁三郎の司令部に情報を取りに来てからようやくだったから
しかもその時はマラムで6月22日まで耐えて、ミッションに移ってさらに耐えるととか豪語してたわけ。
松村連隊はそんな豪語は信じずに、さっさと撤退準備を始めたが
英軍のマラム突破が6月20日とあまりに早かったから、悲劇が現出したわけだ。 >>686
>ミズーリ艦上で全権が調印した休戦文書に
>日本はポツダム宣言履行するとある。
しかし残念ながらポツダム宣言に法的な効果は無い。
そうでなければ、台湾の帰属先は何処? ポツダム宣言を履行するしないを決めるのは聯合国であって日本ではない。それが『無条件降伏』というもの。 『この計画の問題点の一つに、利用可能な上陸用舟艇の確保があった。アメリカ軍司令部は特に、
ノルマンディー上陸および南フランス上陸作戦は延期しないことを決定していた。そのためシングル作戦では、
当初これら貴重な舟艇の使用期限は1月15日までとされた。しかしそれは困難であるとされ、
ルーズベルト大統領は2月5日までの延長を許可した。』 大日本帝国と中華民国の戦争は最終的に、中華民国の国家主権が完全否定される形で終結した。
日華平和条約を結んだ中華民国はその時点で国家主権無き亡命政権だったからだ。
この点、戦時の一時期は亡命政権でも、終戦時には主権国家となっていた自由フランス政権とも異なる。
対日戦争では聯合国の一員である中華民国が国家主権を失った状態で終戦したのである。
アジアの“歴史の政治”
アジアの状況も、それに劣らず興味深い。そこにも、ニュルンベルク裁判に似た裁判があったが、
欧州のように道義的政治的一義性が獲得されることは、決してなかった。
https://jp.rbth.com/opinion/2015/09/02/394013
連合国vsナチスドイツ+枢軸諸国→ポツダム協定で完全決着
連合国vs大日本帝国→未決(そうでないなら台湾の帰属先は?)
1945年9月2日を『無条件降伏』と呼ぼうが何と呼ぼうが、戦勝国合意が全く形成されなかった。
聯合国が勝利したとのことなら戦後の世界秩序も勝利した聯合国が決めて然るべきであろう。
しかしながら台湾の帰属先は未定のまま、つまり聯合国は国際法上、大日本帝国に勝利していない。
大日本帝国と中華民国の戦争は、大日本帝国が中華民国のチンピラゴロツキ3500万を斃し、
その国家主権を丸ごと剥奪して亡命政権にした状態で、1952年に日華講和条約を成立させて終結した。
異論があるなら何なりと! インパールは戦術レベルでは英連邦軍の勝利だが、戦略レベルでは5月予定のオーバーロード作戦が6月に延期。
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、
どっちせよ(そのように実質的なものではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm
西側諸国と亡命政府 西側諸国は,一方で相変らず第二戦線を創出できないでいること,
他方でソ連の対日戦争参加を強く望んだことのためにソ連に対して外交的に著しく弱い立
場に追い込まれた。西側諸国はこの問題においてソ連に対して譲歩しなければならないこ
とを痛切に感じ始めた。最も重要な同盟を失うかもしれないという西側諸国の恐れは,
スターリン が 1943年 7月半ばに, またしても第二戦線の創出が延期されたことを理由に
ワシントンとロンドン駐在大使を召還し, アメリカ大統鎮ルーズヴェルト CFranklinD.
Roosevelt) との予定されていた会談を無期限に延期したとき, とくに強まった。西側諸
国,とくにイギリスはいっそう強くポーランド亡命政府に圧力をかけてソ連の要求に応じ
させようと努力した。(21)
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/5035/1/KJ00000112975.pdf
日本陸軍はまた連合軍の作戦を粉砕することもできた。インパール―コヒマへの攻撃速度はイギリス軍の
指揮官たちとインド軍にショックを与えた。両軍が防衛に成 功した理由は、連合軍航空部隊と輸送機
が利用できたためという一点に尽きる。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
>スクーンズ中将は当面の責任者としてインパールの持つ政略上、戦略上の重要性はどれほど重視しても重視
>しすぎることはないと考えていたという。
ドイツ打倒優先だからと言ってインパールの英連邦軍を蔑ろには出来ないからだ! 不破 ソ連にとってポーランドは非常に難しい国でした。39年にヒトラーと組んでポーランド国家
を消滅させたのが、ほかならぬソ連ですから。一方、イギリスはポーランドと同盟関係にあり、
そのことからドイツとの戦争に踏み切った国です。つまり、イギリスにとって、
独立ポーランドの再興はこの戦争の最大の大義というべき問題でした。
ところが、41年6月に独ソ戦が始まった時、スターリンは、英ソ交渉の最初の段階から、
東部ポーランドをソ連領と認めよ、という要求をイギリスに突きつけるのです。
その年の12月、イギリスのイーデン外相がモスクワを訪問しました。ドイツ軍の猛攻からモスクワを
守りぬいた直後の時期でしたが、英ソ会談でスターリンが最大の議題としたのは、援助問題ではなく、
戦後ヨーロッパの国境問題、なかんずくポーランドにかかわる領土問題でした。イーデン外相も驚いたのですね。
石川 スターリンは、ソ連の役割なしにはヒトラーを倒せないというイギリス、アメリカの弱みを見事に
逆手にとっていますね。英米に援助を“お願いする”というのでなく、ソ連の要求を受けいれるのは当然、
という姿勢が、ここにもはっきり出ています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-10-20/2015102010_01_0.html スターリンが西側に求める第二戦線はあくまでフランスであってイタリアでは無かった。
1943年12月のテヘラン会談で、第二戦線は翌年5月と決められた。
>アメリカ軍司令部は特に、ノルマンディー上陸および南フランス上陸作戦は延期しないことを決定していた。
日本軍のインパール作戦はDデイを一ヶ月遅らせ、西側はソ連に対して更に弱い立場に追い込まれた。 東部戦線で赤軍が快進撃を続け、かつ半年もかけて用意周到な余裕たっぷりのDデイプロジェクト。
それが日本軍のインパール作戦で、一ヶ月も遅れてしまったwww >>698
その結果が沖縄は回収できたのに北方領土はサッパリな現実。
ムッチーのアホが暴走したせいで国家百年の大損失である。 有名な、働き者の馬鹿 に属するムッチーは、
やっぱり日華事変で銃殺しておくべきだっただけだな。 >>698
つまり、ソ連をアシストした牟田口スゲーって事でいいですか?w やって見せて、ほめてやらねば、人は動かし
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半藤一利wwww >>701
うんまあ戦術的に敗北したとは言え、腐っても皇軍だってことさ。戦略的には無駄ではなかった。 【1943年12月テヘラン会談の骨子】
『Dデイは翌年5月までのフランス上陸、イタリア戦線をDデイ延期の理由にしない。』
>アメリカ軍司令部は特に、ノルマンディー上陸および南フランス上陸作戦は延期しないことを決定していた。
つまり、牟田口廉也のインパール作戦こそが、Dデイを延期に追い込んだのである!! >遅くとも春、もっと早くなる可能性もある。
史実のDデイは6月6日www
発総統 総統司令部 一九四三年一一月三日 複写部数二七 <指令第五一号>
この二年半、多大の犠牲を伴う厳しい対ボルシェヴィキ闘争は、東部正面 において我方の軍事力の
大半を注入することとなり、極度の努力が求められ てきた。危機の大きさと一般の情勢からそれが必要であった。
しかし状況は変わり、東部正面の危機は相変わらずであるか、それよりも大きな危機が 西部正面に出現している。
アングロ=サクソンの上陸作戦である! 東部正面では、広大な領土のおかげで、相当に土地を失っても、
ドイツの中枢部に致命的な打撃を与えることはない。
西部正面ではまったく違うのである! ここで敵が我方の防衛線を突破すれば、当面の結果は予測がつかない。
すべてが示唆するのは只一つ、敵がヨーロッパの西部正面に攻勢をかけてくるということである。遅くとも春、
もっと早くなる可能性もある。ほかの戦場を優先して、西部正面をこれ以上弱体化させるようなことは、責任上できない。
そこで余は、特にイギリスへの長距離爆撃が始まる地を中心に、防衛を強化する方針をきめた。敵が攻撃して
くるところは必ずそこであり、すべての徴候を見誤まらなければ、上陸軍との決戦生起が、ここであるのは間違いない。
<ヒュー・R.トレヴァー=ローパー「ヒトラーの作戦指令書 電撃戦の恐怖」 > つまり、ムッチーが女王陛下の足を引っ張って喜ぶのは、
ガチレイシストのぼんくら画家と、
人類史の汚点なソ連だけ。
日本としては、馬鹿が余計な事をしてスターリンをムカつかせたせいで、
満州からの円満撤収の可能性を踏み潰しちゃった訳で。
満州からの引き揚げがあんな性病と堕胎祭りになったのはムッチーのせい。 >>703
ようするにソ連邦万歳というとこですねw >>706
WW2当時、英国の王様は、男性ですよ。 英国王のスピーチで有名なジョージ6世を知らないとは頭田中謙介だな 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 >>709
で、スターリンのご機嫌を損ねた方は否定できないわけだ。 攻性防御によってビルマ戦線の崩壊を1年以上先送り出来た功績は大きい。
先に牟田口閣下が仕掛けなければ先手を英軍に取られて押し込まれた結果、
早期にビルマを失陥することになったであろうことは疑いない。
戦いにおいては常に先手を取り、主導権を握るのが如何に重要かという先例である。 >>714
ウ号作戦は攻勢防御じゃないよ。限定攻勢。
もっとも攻勢のあげく戦力をすり減らしてビルマ防衛を不可能にまでした牟田口の勘違いの
功績は大きい(笑)
>戦いにおいては常に先手を取り、主導権を握るのが如何に重要かという先例である。
この誤解を反省して陸自では必ずしも可としていないんだよね。 >>715
>もっとも攻勢のあげく戦力をすり減らしてビルマ防衛を不可能にまでした牟田口
Dデイが一ヶ月ズレて、スターリン閣下を激怒させたんだが?
自由ボーランド政府? なにその亡命政府www >>707
当たり前じゃん。特にポーランドがルブリン政権になって本当に良かった。あれこそ民主主義の勝利だ。 朝鮮戦争は戦術レベルで互角に見えても、戦略的には中共の独り負け。なお大日本帝国は戦略レベルで敗北していない。
日本帝国主義に抵抗しこれを打破する戦争で、最も長期間悪戦苦闘をつづけるうちに、中国人民は最大の犠牲をはらい、
また最大の貢献をしてきた。したがって、中国人民と彼等がうちたてた中華人民共和国中央人民政府は、
対日平和条約の問題において最も合法的権利をもつ発言者であり、また参加者である。ところが、
平和条約アメリカ、イギリス草案は、戦争中日本にあった連合国及びその国民の財産と権益の処理に
関する条項で、適用期間を規定して一九四一年十二月七日から一九四五年九月二日までとし、
かつ一九四一年十二月七日以前における中国人民が自力で抗日戦争を行っていた期間を完全に無視しているのである。
中華人民共和国を除外し中国人民を敵視するこういったアメリカ、イギリス両国政府におけるごうまんな
不法措置は、中国人民の決して許さないところであり、断乎反対するところでである。
[文書名] 対日講和問題に関する周恩来中国外相の声明
http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPUS/19510815.O1J.html
↑
中華民国も中華人民共和国も、対日講和会議から叩き出されて蚊帳の外に放り出されたのだから! Dデイの期日が守られ無かったというのは、西側は聯合国としての義務を果たさなかったということ。
高い落とし前をつけられるのは当たり前だ。 >>719
で、それが日本の得になったかどうかなんだが?
増長したスターリンが満州やら北方領土でやりたい放題を西側が座視したのが落ちなんで、
糞の役にも立たないアホ作戦だった訳だ。
ソ連を信用できないってのは日本陸軍の常識じゃん。 攻性防御によって西太平洋戦線の崩壊を1年以上先送り出来た功績は大きい。
先に山本閣下が仕掛けなければ先手をアメリカ軍に取られて押し込まれた結果、
早期に西太平洋を失陥することになったであろうことは疑いない。
戦いにおいては常に先手を取り、主導権を握るのが如何に重要かという先例である。 相変わらず攻勢防御が間違って理解されているのなこのスレではw 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 やって見せて、ほめてやらねば、人は動かし
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半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 >>725
ムッチーは無能な働き者であった。
少なくとも日本の役に立つ事はなにもしてない。
で済む内容をどんだけ薄く引き伸ばしたんだ(笑) 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
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司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
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功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ホースは、後にこう
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貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサレと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
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半藤一利wwww >>727-729
ムッチーは無能な働き者であった。
少なくとも日本の役に立つ事はなにもしてない。
で済む内容を何度アップしても意味ないぞ、オナニー猿。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサレと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサレと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
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半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサレと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 738 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2019/03/23(土) 00:49:08.17 ID:OVKgrysi
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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山本五十六を賛美して毎回射精w
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ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 上で同一コピペを繰り返しる池沼は、
ムッチーが勝手に中華と戦端を開いた事を否定できず。
(いくら陸軍の気違い沙汰のせいだろうが、海軍は上海の自国民を守る義務から解放されないからな)
インパール作戦の軍事的合理性を戦略レベルでも戦術レベルでも示せず、
撤退に至る責任を取った事も証明できないので発狂してるだけなの。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ヽ〃 インパール作戦プシュ!
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WW2最低の愚将 牟田口廉也を賛美して毎回射精w
日本の一番汚いホラ吹きジジイOVKgrysi 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ヽ〃 インパール作戦プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
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日本の一番汚いホラ吹きジジイOVKgrysi ヽ〃 インパール作戦プシュ!
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WW2最低の愚将 牟田口廉也を賛美して毎回射精w
日本の一番汚いホラ吹きジジイOVKgrysi やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
.
.
ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
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山本五十六を賛美して毎回射精w
日本の一番汚い射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
.
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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日本の一番汚いホラ吹きジジイUSGocFYr(土足 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
.
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半藤一利wwww 山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
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司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
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功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 大隊長時に国境警備と言う重要任務中に部下の数も把握できなかった低能w
連隊長時の武勲?上から言われたとおりにやってりゃ誰でもできる開戦初期に、
手りゅう弾の距離まで近づく軽率さ
師団長時には印度侵攻の足止めをしたイギリス軍の頼れる味方w
そしてインパール作戦。
おまけ、インパール作戦の後に学校の校長になるも、そこで生徒殺してる。
ヽ〃 インパール作戦プシュ!
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日本の一番汚いホラ吹きジジイ土足 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
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一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
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司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
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功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
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ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 大隊長時に国境警備と言う重要任務中に部下の数も把握できなかった低能w
連隊長時の武勲?上から言われたとおりにやってりゃ誰でもできる開戦初期に、
手りゅう弾の距離まで近づく軽率さ
師団長時には印度侵攻の足止めをしたイギリス軍の頼れる味方w
そしてインパール作戦。
おまけ、インパール作戦の後に学校の校長になるも、そこで生徒殺してる。
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上から言われたとおりにやってりゃ誰でもできる開戦初期に、
手りゅう弾の距離まで近づいて無駄に負傷する頭の悪さは日本陸軍最低の師団長である。
その後、21号作戦を悪質なサボタージュで妨害、
しかる後、英軍の戦力が充実した所でインパール作戦という、英軍にとっての最善手を、情実でねじ込んだ連合軍のスパイ。
彼はこの成果により戦犯指定を免れている。
おまけ、インパール作戦の後に学校の校長になるもそこで中学生相当の生徒を殺してる。
ヽ〃 インパール作戦プシュ!
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人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 果断の人は、顔色で察して欲しかったと言って撤退を先送りしない。
物量・兵員数の劣る我が軍による無謀な作戦と拙劣な用兵により多くの将兵を失った事を、我々日本人は記憶せねばなら
ない。
十五軍隷下の各師団長の上申も聞き入れず、無謀、無作為、無恥に より、帝国陸軍の汚名を歴史に残した。
我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたというのなら、
己一人丸々と太っていないで、最前線で苦しみを共に分かち合うべきだったのだ。
インドの負け犬にしか称えられぬ時点で、日本の軍人としては全くの能無しであったという証明に他ならない。
そもそも、皇国の将官がカエサル(共和国から帝政に移行させた人物、つまり成功しただけで謀反人なのです)
と喩えられるのは、不忠と恥じ入るべきところである。 山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
.
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
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貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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半藤一利wwww やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
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終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 果断の人は、顔色で察して欲しかったと言って撤退を先送りしない。
物量・兵員数の劣る我が軍が牟田口廉也による拙劣な用兵によって無意味に多くの将兵を失った事を、我々日本人は記憶せねばなら
ない。
十五軍隷下の各師団長の上申も聞き入れず、無謀、無作為、無恥に より、帝国陸軍の汚名を歴史に残した。
我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたというのなら、
己一人丸々と太っていないで、最前線で苦しみを共に分かち合うべきだったのだ。
インドの負け犬にしか称えられぬ時点で、日本の軍人としては全くの能無しであったという証明に他ならない。
そもそも、皇国の将官が謀反人であるカエサルに喩えられるのは、不忠と恥じ入るべきところであるw
なお、赤誠な人物は敵将の手紙一通で舞い上がって反省自重をやめたりしない物である。 最近知ったんだけど、盧溝橋事件の交戦命令だしたの
牟田口だったのね。
2回死んで欲しい。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
日本の一番汚い射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 日本人は元来草食動物だからその辺の草でも喰ってろwww
(自分は芸者と酒かっ食らってるけどな)
ヽ〃 インパール作戦プシュ!
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| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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WW2最低の愚将 牟田口廉也を賛美して毎回射精w
日本の一番汚いホラ吹きジジイ 土足 連隊長時に国境警備と言う重要任務中に部下の数も把握できなかった低能w
上から言われたとおりにやってりゃ誰でもできる開戦初期に、
手りゅう弾の距離まで近づいて無駄に負傷する頭の悪さは日本陸軍最低の師団長である。
その後、21号作戦を悪質なサボタージュで妨害、
しかる後、英軍の戦力が充実した所でインパール作戦という、英軍にとっての最善手を、情実でねじ込んだ連合軍のスパイ。
彼はこの成果により戦犯指定を免れている。
おまけ、インパール作戦の後に学校の校長になるもそこで中学生相当の生徒を殺してる。
(能無しにして品性下劣の佐賀人のくせに教育総監やりたがってた、で校長やってこれですよw)
ヽ〃 インパール作戦プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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WW2最低の愚将 牟田口廉也を賛美して毎回射精w
日本の一番汚いホラ吹きジジイ土足 >>777
果断の人は、顔色で察して欲しかったと言って撤退を先送りしない。
物量・兵員数の劣る我が軍が牟田口廉也による拙劣な用兵によって無意味に多くの将兵を失った事を、我々日本人は記憶せねばなら
ない。
十五軍隷下の各師団長の上申も聞き入れず、無謀、無作為、無恥に より、帝国陸軍の汚名を歴史に残した。
我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたというのなら、
己一人丸々と太っていないで、最前線で苦しみを共に分かち合うべきだったのだ。
インドの負け犬にしか称えられぬ時点で、日本の軍人としては全くの能無しであったという証明に他ならない。
そもそも、皇国の将官が謀反人であるカエサルに喩えられるのは、不忠と恥じ入るべきところであるw
なお、赤誠な人物は敵将の手紙一通で舞い上がって反省自重をやめたりしない物である。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 782 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2019/03/30(土) 09:33:06.16 ID:STovkTM5
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
.
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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日本の一番汚い射精w
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半藤一利wwww 連隊長時に国境警備と言う重要任務中に部下の数も把握できなかった低能w
上から言われたとおりにやってりゃ誰でもできる開戦初期に、
手りゅう弾の距離まで近づいて無駄に負傷する頭の悪さは日本陸軍最低の師団長である。
その後、21号作戦を悪質なサボタージュで妨害、
しかる後、英軍の戦力が充実した所でインパール作戦という、英軍にとっての最善手を、情実でねじ込んだ連合軍のスパイ。
彼はこの成果により戦犯指定を免れている。
おまけ、インパール作戦の後に学校の校長になるもそこで中学生相当の生徒を殺してる。
ヽ〃 インパール作戦プシュ!
( _) シコシコ・・・ シコシコ・・・
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WW2最低の愚将 牟田口廉也を賛美して毎回射精w
日本の一番汚いホラ吹きジジイ土足 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 果断の人は、顔色で察して欲しかったと言って撤退を先送りしない。
物量・兵員数の劣る我が軍が牟田口廉也による拙劣な用兵によって無意味に多くの将兵を失った事を、我々日本人は記憶せねばなら
ない。
十五軍隷下の各師団長の上申も聞き入れず、牟田口廉也の無謀、無作為、無恥に より、帝国陸軍の汚名を歴史に残した。
我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたというのなら、
己一人酒色に耽って丸々と太っていないで、最前線で苦しみを共に分かち合うべきだったのだ。
インドの負け犬からの称賛しか出せない時点で、日本の軍人としては全くの能無しであったという証明に他ならない。
そもそも、皇国の将官がカエサルに喩えられるのは、謀反人と同列と恥じ入るべきところである。
そして牟田口廉也のインパール作戦をカエサルの何に例えると言うのかw
(カエサルの仕事に例えるならガリア制圧位は欲しいが、占領地域も敵将の首の一つも取ってない馬鹿ムッチーが何故カエサルと並べるのかw)
なお、赤誠な人物は敵将の手紙一通で舞い上がって反省自重をやめたりしない物である。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 連隊長時に国境警備と言う重要任務中に部下の数も把握できなかった低能w
上から言われたとおりにやってりゃ誰でもできる開戦初期に、
手りゅう弾の距離まで近づいて無駄に負傷する頭の悪さは日本陸軍最低の師団長である。
その後、21号作戦を悪質なサボタージュで妨害、
しかる後、英軍の戦力が充実した所でインパール作戦という、英軍にとっての最善手を、情実でねじ込んだ連合軍のスパイ。
彼はこの成果により戦犯指定を免れている。
おまけ、インパール作戦の後に学校の校長になるもそこで中学生相当の生徒を殺してる。
ヽ〃 インパール作戦プシュ!
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日本の一番汚いホラ吹きジジイ土足 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 佐賀の恥 牟田口廉也の愚行集ダイジェスト
連隊長時に国境警備と言う重要任務中に部下の数も把握できなかった低能w
上から言われたとおりにやってりゃ誰でもできる開戦初期に、
手りゅう弾の距離まで近づいて無駄に負傷する頭の悪さは日本陸軍最低の師団長である。
その後、21号作戦を悪質なサボタージュで妨害、
しかる後、英軍の戦力が充実した所でインパール作戦という、英軍にとっての最善手を、情実でねじ込んだ連合軍のスパイ。
彼はこの成果により戦犯指定を免れている。
おまけ、インパール作戦の後に学校の校長になるもそこで中学生相当の生徒を殺してる。
ヽ〃 インパール作戦プシュ!
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日本の一番汚いホラ吹きジジイ土足 やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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山本五十六を賛美して毎回射精w
日本の一番汚い射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 果断の人は牟田口廉也のように、顔色で察して欲しかったと言って撤退を先送りしない。
物量・兵員数の劣る我が軍が牟田口廉也による拙劣な用兵によって無意味に多くの将兵を失った事を、我々日本人は記憶せねばなら
ない。
十五軍隷下の各師団長の上申も聞き入れず、牟田口廉也の無謀、無作為、無恥に より、帝国陸軍の汚名を歴史に残した。
我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたというのなら、
牟田口廉也は己一人酒色に耽って丸々と太っていないで、最前線で苦しみを共に分かち合うべきだったのだ。
ガンジーではなく、誰よお前、カレー屋?程度のインドの負け犬からの称賛しか出せない時点で、日本の軍人としては全くの能無しであったという証明に他ならない。
そもそも、皇国の将官がカエサルに喩えられるのは、謀反人と同列と恥じ入るべきところである。
そして牟田口廉也のインパール作戦をカエサルの何に例えると言うのかw
カエサルの仕事に例えるならガリア制圧位は欲しいが、占領も敵将の首の一つも取ってない馬鹿ムッチーが何故カエサルと並べるのかw
これに解答できない癖に元コピペを張り付ける土足は歴史について語る資格を持たないただの荒らし。
赤誠な人物は牟田口廉也のように敵将の手紙一通で舞い上がって反省自重をやめたりしない物である。 >>794
このスレでここ何十レス、山本の名前書いてるのその小汚いコピペだけじゃん。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口廉也のインパール作戦をカエサルの何に例えると言うのかw
日本の領土が増える訳でもなく敵将の首の一つも取ってない愚行であるインパール作戦が、
何故カエサルと並べるのかw
これ一つにさえ解答できない癖に元コピペを張り付けるしか能の無い奴しか弁護しないなら、
左翼のせいじゃなく、牟田口が本当に愚かだったという証拠だなw 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 >>799
>>798の後にそれ張ったんで、牟田口は無能、で決定w 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 果断の人は、顔色で察して欲しかったと言って撤退を先送りしない。
物量・兵員数の劣る我が軍が牟田口廉也による拙劣な用兵によって無意味に多くの将兵を失った事を、我々日本人は記憶せねばなら
ない。
十五軍隷下の各師団長の上申も聞き入れず、無謀、無作為、無恥に より、帝国陸軍の汚名を歴史に残した。
我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたというのなら、
己一人丸々と太っていないで、最前線で苦しみを共に分かち合うべきだったのだ。
インドの負け犬にしか称えられぬ時点で、日本の軍人としては全くの能無しであったという証明に他ならない。
そもそも、皇国の将官が謀反人であるカエサルに喩えられるのは、不忠と恥じ入るべきところであるw
だいたい牟田口廉也のインパール作戦をカエサルの何に例えると言うのかw
日本の領土が増える訳でもなく敵将の首の一つも取ってない愚行であるインパール作戦が、
何故カエサルと並べるのかw
これ一つにさえ解答できない癖に元コピペを張り付けるしか能の無い奴しか弁護しないなら、
左翼のせいじゃなく、牟田口が本当に愚かだったという証拠だなw
なお、赤誠な人物は敵将の手紙一通で舞い上がって反省自重をやめたりしない物である。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
日本の一番汚い射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
.
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
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/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
日本の一番汚い射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
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/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
日本の一番汚い射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ヽ〃 インパール作戦プシュ!
( _) シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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大日本帝国史上最低の愚将 牟田口廉也を賛美して毎回射精w
日本の一番汚いホラ吹きジジイ土足
牟田口廉也のインパール作戦をカエサルの何に例えると言うのかw
日本の領土が増える訳でもなく敵将の首の一つも取ってない愚行であるインパール作戦が、
何故カエサルと並べるのかw
これ一つにさえ解答できない癖に元コピペを張り付けるしか能の無い奴しか弁護しないなら、
左翼のせいじゃなく、牟田口が本当に愚かだったという証拠だなw
(既に何度も馬鹿スレ張り直すだけで返答が無いので弁護が出来ない=牟田口廉也が本当に愚かだっただけ) 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ヽ〃 インパール作戦プシュ!
( _) シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
大日本帝国史上最低の愚将 牟田口廉也を賛美して毎回射精w
日本の一番汚いホラ吹きジジイ土足
牟田口廉也のインパール作戦をカエサルの何に例えると言うのかw
日本の領土が増える訳でもなく敵将の首の一つも取ってない愚行であるインパール作戦をカエサルの偉業と並べるようなバカにしか誉めて貰えない牟田口廉也は
日本史上最低の愚将にして売国奴である。
これ一つにさえ解答できない癖に元コピペを張り付けるしか能の無い奴しか弁護しないなら、
左翼のせいじゃなく、牟田口が本当に愚かだったという証拠だなw
(既に何度も馬鹿スレ張り直すだけで返答が無いので弁護が出来ない=牟田口廉也が本当に愚かだっただけ) 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 何もかもこのバカが悪いw
日中和平交渉を妨害し
大山中尉に自爆突入を強要
そしてこのバカは中国無差別爆撃を強行し
日本を世界から孤立させてしまった。
.
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 鬼畜蒋介石に正義の鉄拳を !! r::- _
:::::::::'、 上海・南京を火の海にせよ /:::::::: ´` '
::::::::':、 みよ満州の陸軍のアホどもよw ,.:':::::::
::::::::ヽ / ̄\ /:::::::
::::::::丶 | | ,.::'::::::::::
::::/ ,:、 \_/ _,..:'::::::::::
/ ,..':::::::> _|__ ... く::::::::::
/ ,.:::::::: /\ , , /\ `、 \
/ ,.∩ / <●> <●>\.`、 \∩
/ , ' l ヽ∩ / (__人__) \ ∩ノ j
/ , ヽ ノ | |::::::| | ヽ ノ \
/ , ' | ヽ \ ` ⌒´ / / j \
/ , ' \  ̄  ̄ / `、 \
./ , ' 山本五十六
やる必要の無い中国空爆は海軍予算拡大が目的
このアホの暴走が日本を破滅に追い込んだ 何もかもこのバカが悪いw
日中和平交渉を妨害し
大山中尉に自爆突入を強要
そしてこのバカは中国無差別爆撃を強行し
日本を世界から孤立させてしまった。
.
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 鬼畜蒋介石に正義の鉄拳を !! r::- _
:::::::::'、 上海・南京を火の海にせよ /:::::::: ´` '
::::::::':、 みよ満州の陸軍のアホどもよw ,.:':::::::
::::::::ヽ / ̄\ /:::::::
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./ , ' 山本五十六
やる必要の無い中国空爆は海軍予算拡大が目的
このアホの暴走が日本を破滅に追い込んだ 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 何もかもこのバカが悪いw
日中和平交渉を妨害し
大山中尉に自爆突入を強要
そしてこのバカは中国無差別爆撃を強行し
日本を世界から孤立させてしまった。
.
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 鬼畜蒋介石に正義の鉄拳を !! r::- _
:::::::::'、 上海・南京を火の海にせよ /:::::::: ´` '
::::::::':、 みよ満州の陸軍のアホどもよw ,.:':::::::
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./ , ' 山本五十六
やる必要の無い中国空爆は海軍予算拡大が目的
このアホの暴走が日本を破滅に追い込んだ 何もかもこのバカが悪いw
日中和平交渉を妨害し
大山中尉に自爆突入を強要
そしてこのバカは中国無差別爆撃を強行し
日本を世界から孤立させてしまった。
.
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 鬼畜蒋介石に正義の鉄拳を !! r::- _
:::::::::'、 上海・南京を火の海にせよ /:::::::: ´` '
::::::::':、 みよ満州の陸軍のアホどもよw ,.:':::::::
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./ , ' 山本五十六
やる必要の無い中国空爆は海軍予算拡大が目的
このアホの暴走が日本を破滅に追い込んだ 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
.
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
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/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
日本の一番汚い射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ■結論
何もかもこのバカが悪いw
日本は大東亜戦争を決意したはずだが
いざ開戦でフタをあけると海軍の一人のバカの暴走によって
アメリカとの全面戦争になってしまった。
.
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', ハワイを奇襲攻撃する!! r::- _
:::::::::'、 早期開戦こそが、日本が勝つ /:::::::: ´` '
::::::::':、 唯一の策である!!! ,.:':::::::
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/ , ' \  ̄  ̄ / `、 \
./ , ' 山本五十六
ハワイを不法攻撃したテロリスト犯罪者
アメリカを全面参戦させ日本を惨敗させた最悪のアホwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ヽ〃 インパール作戦プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
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/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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隊長時に国境警備と言う重要任務中に部下の数も把握できなかった低能w
上から言われたとおりにやってりゃ誰でもできる開戦初期に、
手りゅう弾の距離まで近づいて無駄に負傷する頭の悪さは日本陸軍最低の師団長である。
その後、21号作戦を悪質なサボタージュで妨害、
しかる後、英軍の戦力が充実した所でインパール作戦という、英軍にとっての最善手を、情実でねじ込んだ連合軍のスパイ。
彼はこの成果により戦犯指定を免れている。
おまけ、インパール作戦の後に学校の校長になるもそこで中学生相当の生徒を殺してる。
(能無しにして品性下劣の佐賀人のくせに教育総監やりたがってた、で校長やってこれですよw)
WW2最低の愚将 牟田口廉也を賛美して毎回射精w
日本の一番汚いホラ吹きジジイ土足 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 .
.
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山本五十六は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断したのである
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
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/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
日本の一番汚い射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww .
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山本五十六は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断したのである
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 こういう牟田口のような歴史的事実を覆い隠して「日本人は優秀だ、ミスは犯さない」なんて信じ込ませるから同じ失敗が起こるんだよ
福島で起こった事は典型
間違いを後世に伝えない事は日本の国益を損ねる事に繋がる 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 果断の人は、顔色で察して欲しかったと言って撤退を先送りしない。
物量・兵員数の劣る我が軍が牟田口廉也による拙劣な用兵によって無意味に多くの将兵を失った事を、我々日本人は記憶せねばなら
ない。
十五軍隷下の各師団長の上申も聞き入れず、無謀、無作為、無恥に より、帝国陸軍の汚名を歴史に残した。
我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたというのなら、
己一人丸々と太っていないで、最前線で苦しみを共に分かち合うべきだったのだ。
インドの負け犬にしか称えられぬ時点で、日本の軍人としては全くの能無しであったという証明に他ならない。
そもそも、皇国の将官が謀反人であるカエサルに喩えられるのは、不忠と恥じ入るべきところであるw
なお、赤誠な人物は敵将の手紙一通で舞い上がって反省自重をやめたりしない物である。
牟田口廉也の評価が不当と言うなら、まさにこのスレのそれこそが不当であり
彼こそ日本国古今無双の大馬鹿中将、が正しい。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 山本五十六は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断したのである
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 山本五十六は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断したのである
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
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山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 そもそも豊臣家における兵站のスペシャリストは長束正家なんだが Hmanのせいで山本五十六が
ボコボコだな
おわったわ
責任とれHman ベトナム戦争で米軍が失敗したのは、アジアについて無知すぎたからだと思う。
22日、インド北東部インパールで実施された慰霊式典で献花する日本兵の遺族土谷仁志さん(手前左から3人目)
式典には、作戦から生還した日本兵の故土谷伝吉さんの長男仁志さん(65)=静岡市清水区=も参列。
「父や戦友は命令されるままにここまで来て、ふるさとの妻や子供のために戦った。インドの人々も巻き込まれた。
今の平和がその犠牲の上にあることを忘れてはいけない」と力を込めて語った。
レッドヒルには、日印両国が協力し「インパール平和資料館」が開館。作戦に参加した日本兵の遺族から衣服
や水筒など約50点が寄贈された。仁志さんも父が描いた戦場の悲惨さを伝える絵などを寄贈した。また、
戦闘に巻き込まれて死亡したことが判明した地元住民237人の氏名などを記した木札が壁に埋め込まれている。
資料館の運営委員で、インパールで遺品の収集などに当たってきた「第2次世界大戦インパール作戦財団」の
ユムナム・ラジェシュワル代表(42)は、「勝利した軍人を顕彰するのではなく、(一般兵士を含めた)市民の被害
に焦点を当てたかった。沖縄県平和祈念資料館などを訪れ、展示を参考にした」と語った。
https://gunosy.com/articles/aftPN
↑
一般的に東南アジアで評価されてるのは米軍ではなく日本軍だ。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 米海兵隊によるベトナムからの米人引き上げ作戦の報道は私を憂鬱にした。
何万という難民がそのあとについて脱出していくが、石を投げる者はいない。
その記事の一つ一つは、しまいには読むのが苦痛になった。
形は変わるが三十年前我々も比島から撤退した。
誰か、我々の後についてきたであろうか。
もちろん、事情は違う。私が言うのは本当についてきてほしいということではない。
だれかが、「日本軍の後について脱出したい、しかしそれは現実にはできない」と
内心思ってくれたであろうか、ということである。
もちろん何事にも例外はある。しかし我々は、アメリカ軍と違って、字義通りに
「石を持って追われた」のであった。
三十年前に、マニラ埠頭の罵声と石の雨を、昨日のことのように私に思い出させたからである。
二十年九月ごろだと、異様な憎悪の殺気のようなものが群集の中に充満しており、
その中を引かれていくと、いまにも左右から全員が殺到してきて、八つ裂きのリンチ
にあうのではないかと思われるほどであった。
護送の米兵の威嚇射撃のおかげで、我々はリンチを逃れた。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 重役に或る事数十年、今回ほど成功の信念が湧き上がる思いをした事が無い
オリンピック2020は必ず成功する
ボランティアについて心配する事は誤りである
元来日本人は忍耐強い奴隷である
然るに奴隷に対する衣食住の補給はすべて、
不要なのである!
大会前三週間前に現地入りせよ
大会は必ず成功する!
打ち水は奴隷に味方するものなり
あくまで奉仕すべし 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ★海軍は捕虜になったパイロットに自爆を強要していた
中川八洋『山本五十六の大罪』より
“零戦の天才パイロット”坂井三郎も、“ 部下殺し”の残忍な山本五十六を告発している。
1942年の初期マレー作戦で、 台湾の台南海軍航空基地の「中攻」隊のうち、1機が
被弾して敵地に不時着し、マレー半島の現地人に保護されたあと救出された6名の搭乗員に
対して、「捕虜になった」と認定して、山本五十六は「5月上旬」と指定した「死刑」の
“自爆”を命じた。
かくして、6名が乗る「中攻」1機は、ラバウル基地から東ニューギニアの
ラエ基地に飛び、そこから敵の高角砲陣地にめがけて「自爆=自殺」した。
このように、山本五十六は、パイロットの命を“虫けら”としか考えなかった。
国家の財産である中型爆撃機1機など“ちり紙”としか考えなかった。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 >>851
おまえ今度またそれ貼ったら報復として
さらなる山本五十六叩きを実行する
百倍返しでお見舞いするから、そのつもりでな 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 その時半藤は射精した。
令和を生きる日本のいちばん長い射精
知りたくないではすまされない
.
.
ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 アビームコンサルティングの花王プロジェクトすみだ事業場では、
20代の若手社員に対して、本人の意思とは無関係に、
徹夜による夜間ジョブ監視の強制や、
深夜睡眠中に電話をかけて無理やり起こすなどのパワハラ、安全配慮義務違反がありました。
アビームコンサルティングは、日本軍、軍隊、悪質な体育会のような組織です。
プロボノ、かものはし、負けない人
ビジネスアスリート、精神論、スポ根 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 何もかもこのバカが悪いw
日中和平交渉を妨害し
大山中尉に自爆突入を強要
そしてこのバカは中国無差別爆撃を強行し
日本を世界から孤立させてしまった。
.
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 鬼畜蒋介石に正義の鉄拳を !! r::- _
:::::::::'、 上海・南京を火の海にせよ /:::::::: ´` '
::::::::':、 みよ満州の陸軍のアホどもよw ,.:':::::::
::::::::ヽ / ̄\ /:::::::
::::::::丶 | | ,.::'::::::::::
::::/ ,:、 \_/ _,..:'::::::::::
/ ,..':::::::> _|__ ... く::::::::::
/ ,.:::::::: /\ , , /\ `、 \
/ ,.∩ / <●> <●>\.`、 \∩
/ , ' l ヽ∩ / (__人__) \ ∩ノ j
/ , ヽ ノ | |::::::| | ヽ ノ \
/ , ' | ヽ \ ` ⌒´ / / j \
/ , ' \  ̄  ̄ / `、 \
./ , ' 山本五十六
やる必要の無い中国空爆は海軍予算拡大が目的
このアホの暴走が日本を破滅に追い込んだ 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 >>862
その「食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった」ことが非難の対象なわけだが。 >>862
最初から足りない物をジンギスカン気取りの阿呆が河に流すんだから、3月中に負ける(インパール奪取の失敗)ことは決まってたのだ。
それを顔色見て察してとか言う馬鹿も居てだな。
傑作なことに同一人物と来たもんだ。 インパール作戦批判、牟田口叩きをやっているのは
汚く下品でアホの五十六信者です
こいつらはキチガイですw 牟田口叩きをやればやるほど
カウンターで山本五十六がいかにアホだったか
こいつこそが本当の国賊、戦犯だということが
よりいっそう鮮明に浮き彫りになる。
ザマーみろ山本五十六wwwwwwwwwwwwwwwww おいアホのuaaでてこい
おまえのせいで山本五十六はボコボコだがw
もんくでもあるかおまえ?w たった一人の山本五十六というバカによる
身勝手な暴走が、世界を戦争に引きづり込んだ。
この事実を徹底検証することが令和の日本国民の
義務である。 国賊 山本五十六の戦争犯罪
このバカが真珠湾奇襲なんかやったために
日本は原爆投下され都市無差別爆撃をされました。
悪いのはすべてこいつです。
しかしこいつの信者はその責任を天皇に
なすりつけようとしています。
世の中に山本五十六の信者ほど
汚い人間はいません >>871
牟田口叩きの仕返しで
山本五十六叩きをやってる者ですが
なにか? 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 山本五十六の信者が牟田口に投げつけた汚いブーメランは
全てアホの山本五十六信者自身に戻って来て
全部が自分に突き刺さって自爆する結果になるであろう(笑) 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 >>876
報復で山本五十六叩きを、やりまくってきたw
おまえ、どんだけおれに仕事やらせる気なのか?w 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 .
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昭和史は善玉悪玉の二者択一でわりきれるものではありません!
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
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/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 .
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遣ってみて、見せてやらねば!!
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ… 人は動か痔
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 山本五十六の罪
@日本を海軍軍縮条約から脱退させた中心人物
A大山事件を図り日中交渉を妨害
無差別爆撃を強行して日中戦争を計画的に勃発させた。
Bアメリカを仮想敵国に見立てて予算を要求し、対米兵力を拡大させ
アメリカから経済制裁を受ける原因を作った。
C真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、米大使館と結託し
偽りの外交を裏で指示した。
D太平洋戦線では捕虜をすべて殺害するよう厳命
E愚かな作戦をくり返し、日本軍に壊滅的な被害を与えた張本人 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 日本国民にまったく知られていない
山本五十六主導の大罪の数々
@岡田首相とともに日本を海軍軍縮条約から脱退させた中心人物
(予備交渉で山本五十六が無茶苦茶な提案をして意図的に交渉を破綻させた)
A大山事件を図り、日中交渉を妨害
自作自演のこの事件を口実に、対中無差別爆撃を海軍独断で強行
日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
B海軍の都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く
ルーズベルトの隔離演説、国際連盟の侵略戦争・戦争犯罪に対し対日非難決議採択(1937)
B1937年、軍縮条約脱退と同時に、莫大な兵力拡大を図る(マル3計画)
アメリカを仮想敵国にし、対米兵力の増強、莫大な予算拡大を図る。
そのため、アメリカから経済制裁を受ける。
C真珠湾をだまし討ち攻撃を成功させるべく、野村大使(元海軍大将)と結託し
アメリカとの偽りの外交を背後で主導。
D太平洋戦線では捕虜をすべて殺害するよう厳命
連合艦隊配下の各地で、捕虜、民間人、女子供が大量処刑されている
E南太平洋で愚かな消耗作戦をくり返し、日本軍に壊滅的な損害を与えた張本人(ソロモン消耗戦等 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 国賊 山本五十六の戦争犯罪
このバカが真珠湾奇襲なんかやったために
日本は原爆投下され都市無差別爆撃をされました。
悪いのはすべてこいつです。
しかしこいつの支持者、信者らのバカは、その責任を陸軍や天皇、その他に
なすりつけています。
世の中に山本五十六の支持者と信者ほど
汚い人間はいません 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 多くの状況証拠によって大山中尉の死因は
海軍の組織的な謀略以外には考えられない
・大山中尉は当日、死を覚悟していた (当時の日記から発覚)
・船津和平交渉の日に事件が起こった(偶然ではない明らかな妨害工作)
・事件は大山が任務上、行くはずのない場所で起きた。(自爆目的以外に合理的説明がつかない)
・海軍省は事件が起こることを予め予期して、事実確認もせず不自然翌日未明に即座に対応した
(大山中尉の昇進の上奏、裁可等)
・大山の葬儀と待遇は、異例の好待遇がなされた
葬儀には海相らが列席し、天皇、首相からもお言葉が届いた
遺族に支給された見舞金など、その合計は莫大な金額
靖国神社に大山の銅像が寄与された。美化する宣伝映画も制作
・武藤徹(元陸軍参謀本部動員学徒)の証言
陸軍参謀本部・釜賀一夫少佐から聞いた内容
「大山勇夫中尉は、上官から『お国のために死んでくれ。家族の事は面倒を見るから』と言われて出かけた。
・海軍航空隊は、事件に合わせて渡洋爆撃準備で待機していた(盧溝橋事件直後に準備開始)
・海軍は日中戦争を勃発させたい動機が明確にあった(陸軍の対ソ戦阻止のため)
・海軍は対米戦を想定した予算大幅拡大を狙っていた(海軍軍縮条約から脱退、1937年マル3計画)
・山本五十六は自分が開発し新設した航空部隊、96陸攻による爆撃を宣伝したかった .
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昭和史は善玉悪玉の二者択一でわりきれるものではありません!
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 日米開戦 陸軍の勝算 (祥伝社新書)
林 千勝 (著)
本来ならば勝てた戦争、大義のある戦争を
大敗させ侵略国家に貶めた原因は、山本五十六の暴走であった
こういった正しい分析が、徐々に知られるようになってきた 国賊 山本五十六の戦争犯罪
このバカが真珠湾奇襲なんかやったために
日本は原爆投下され都市無差別爆撃をされました。
悪いのはすべてこいつです。
しかしこいつの信者はその責任を天皇に
なすりつけようとしています。
世の中に山本五十六の信者ほど
汚い人間はいません 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 日本海軍の犯罪の例を挙げれば
ウェーク島では100人の捕虜を
海軍陸戦隊が全員銃殺処刑しました。
パラワン島では150人近くの捕虜を全員防空壕に閉じ込めて
上からガソリンかけて火を放ち、全員を生きたまま焼き殺すという
信じられない残虐行為をやっています。
重巡洋艦利根は商戦を拿捕し、その民間乗組員65名を
全員殺害しました。
駆逐艦秋風では移送中の女子供を含む外国民間人60名を
全員殺害しました。
ナウルではハンセン病患者39名を船に載せ沖に浮かべて
それを砲撃して皆殺しにしました。
これらは日本の海軍では異例なことではなく、ごく日常の当然の行為として
海軍は捕まえた捕虜も民間人も尋問した後、基本的にすべて殺して
海に投棄していました 元々三週間分の食料しか持たせて無かったのだから、
三週間で目標が達成できなかったら即時撤退以外には有り得ないのだ。
(実際には食料が無くなってからでは遅いのである)
作戦開始時に31師団に対し、軍参謀長が「ムッチーの命令である」と明言して上層部から許可を取った作戦案と違う指示を出している。
これを実行した場合インパールを攻撃するのは南方を進んだ二個師団だけになり、31師団による攻撃は期待できないのだが...
予定とは違う形だがこれは現実となり、たった二個大隊を前にムッチー直卒の二個師団が前進を阻まれたのだw 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 wniの鈴木里奈の脇くっさ
(6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
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\ 、'、v三ツ /
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山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
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ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 しかしNHKのインパル番組で
牟田口の息子が出てきて、謝罪をして
歴史の審判におもねると発言したのには
正直驚いた。家族には罪は無かろうに。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 >>904
おいおい、牟田口はキチガイでも学業はできてたのに、その息子が...
(ゆだねる、だよね? それともボケたふりして謝るのは本心じゃないもーんって?) 謝罪をして見せた後で「おもねってみただけです」って言うのはね。
「手前らがウザいから『話合わせてやっただけ』で、本音は悪いと思ってない」
って意味になるのよw 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 もし、N局で本当に「おもねる」とか言ってたなら
せっかくアホ廉也の墓を放り出して第15軍関係者の報復から解放されたと思った牟田口家の墓石に
怒りの鉄槌再びですねw
所詮アホの子はアホか... 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 .
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山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
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山本五十六を賛美して毎回射精w
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半藤一利wwww ★山本五十六の犯罪履歴書
・1936年 海軍軍縮条約からの脱退・・・岡田首相と山本五十六らによる計画的な交渉破綻による
・1937年 海軍マル3計画・・・対米戦争を想定した機動部隊を主力とした連合艦隊を編成を計画
そのための予算要求
・1937年 海軍の山本五十六らは、船津和平工作を妨害するため自作自演の大山事件を起こし、
それを口実に独断で中国空爆、陸軍の上海派兵を要求、日中戦争が勃発
海軍は大幅な軍事予算拡大
・1937年 ルーズベルト大統領が日本の中国空爆を非難する演説
国際連盟、9カ国条約会議が日本の侵略戦争に対する非難決議採択
対日経済制裁開始
・1940年 海軍は重慶に対し大規模な都市無差別爆撃を開始(予算消費が目的)
(山本五十六の子分、井上成美が主導)
・1940年 陸軍は海軍主導の日中戦争を終結させ、対ソ防衛目的で三国同盟を提案。
海軍は三国同盟を認める見返りとして、南進政策を要求。北部仏印進駐開始。
・1940年 山本五十六は真珠湾奇襲を計画、準備を開始。
・1941年 海軍は日米諒解案に基づいた日米交渉を妨害するために南部仏印進駐を強行。
対米英戦争を見据え、そこに大兵力を集結し連日猛訓練を開始。
アメリカの対日禁油政策決定。
陸軍の米英可分論に対し、山本五十六は米英不可分論を主張
なんとしてもアメリカを戦争相手国とするために画策していた。 やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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山本五十六を賛美して毎回射精w
日本の一番汚い射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 国賊 山本五十六の戦争犯罪
このバカが真珠湾奇襲なんかやったために
日本は原爆投下され都市無差別爆撃をされました。
悪いのはすべてこいつです。
しかしこいつの信者はその責任を天皇に
なすりつけようとしています。
世の中に山本五十六の信者ほど
汚い人間はいません 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 日本本土が本土決戦寸前なのにインパール作戦とか何の意味あるのかと1億年問い詰めたい 南寧の戦いの前後に昆明を経由する援蒋ルートを航空攻撃や
遡上する砲艦、上陸逓信部隊とかで遮断できなかったのかいな?
米英開戦までしてビルマ占領で援蒋ルートを遮断するとか
目的と手段がお菓子い >>916
中国から日本本土を空爆する、マッターホルン作戦を阻止する必要がある。
またインドで反英・独立運動が広がれば
世界の世論の変化が期待できる。
逆に聞くが対米決戦の方に、勝機や意味はあるのか? >>912
1936:まず海軍軍縮条約を破棄するの決定したのは2年前な
(この条約には2年前に通告する義務があって、それが明けるのがこの年)
で、その前年に国際連盟を脱退してる。言うまでも無く陸助の暴挙である満州国でっち上げの結末である。
つまり、次の世界大戦で負け組枢軸を組む為の第一歩は陸助の方。
この世界中の不信を買った状態で紳士の協定である軍縮条約など維持できるわけが無いのである。
本邦外務省に英米可分を現実化させる能力が無かったのは、
陛下のお使い一つ満足にできなかった12月8日の駐米大使の無能さ見ても明白ジャン。 >>919
満州事変も国際連盟からの脱退も、良し悪しは別として
国際社会からの批判は殆どないし、日本が世界から孤立したという
状況にも至ってない。
経済制裁などもされてない。
それに対して海軍側の主導した中国無差別爆撃と
海軍軍縮条約からの脱退、その後のマル3計画による
海軍の対米兵力増強は、アメリカを警戒させ、世界中からも非難されてるじゃないか。
誰がどう見っても、日本が戦争へ至った原因は海軍側にある。 >>920
国連(国際連盟)決議であんな無様な評決(お友達枠でさえ棄権で済ませて残り全部が有罪判決)食らって何寝ぼけてるの?
日本が侵略国として認識されたのはこれで明白。 日本の満州における“特殊権益”は認めたが、満州事変は正当防衛には当たらず、「満州を中華民国に返還した上で、『日本を含めた外国人顧問』の指導下で自治政府を樹立するようにされるべきである」
これに賛成が42票、後日本と棄権した2国と言う惨敗である。
満州を踏み続けてる限り、侵略国家指定のまんまである。
その上国境線(国際的にはただの不法占拠)で馬鹿やったムッチー大隊長とかが居るから、とうとう実力行使に踏み込まれたというだけの事。
この位置から足をどけない以上、軍備を強化するのは必須になる訳で。マル3計画は「日本国として」当たり前の行為。
陸助のボンクラが余計に中華を煽って上海の居留地(こっちは正当な権利)の安全も守れないから海軍陸戦隊という警備員の従妹みたいな代物に日本国民の生命と財産を預ける羽目に陥らせたのだ。
不足分を補うのは「日本国として」当然の行為だが、陸助のボンクラは飛行機を飛ばすことはできても海の上で迷子になるから海軍にしかできなかったというだけの事である。
こんなボンクラに航空機など勿体なすぎw 日中戦争、対米戦争を勃発させ、日本を大敗させた
アホの山本五十六の大罪
@岡田とともに日本を海軍軍縮条約から脱退させた中心人物
脱退と同時に海軍はアメリカを仮想敵国に見立てて予算を要求し(マル3計画)
対米兵力を拡大させ アメリカから経済制裁を受ける原因を作った。
A大山事件を図り日中交渉を妨害
年無差別爆撃を強行して日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
B海軍の都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く
国際連盟の対日非難決議、谷知経済制裁決議、ルーズベルトの隔離演説
C山本五十六は真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、野村大使と裏で通じ
偽りの外交を画策。
海軍は日本政府とアメリカ政府をだまし、真珠湾奇襲を強行。
D太平洋戦線では捕虜をすべて殺害するよう厳命
E本来の大東亜戦争の主戦場であるアジアでの陸軍の作戦を常に妨害し
太平洋戦線で消耗作戦をくり返し、日本軍に壊滅的な被害を与えた最大の愚将 ◆日本海軍による捕虜大虐殺
ウェーク島では100人の捕虜を
海軍陸戦隊が全員銃殺処刑しました。
パラワン島では150人近くの捕虜を全員防空壕に閉じ込めて
上からガソリンかけて火を放ち、全員を生きたまま焼き殺すという
信じられない残虐行為をやっています。
重巡洋艦利根は商戦を拿捕し、その民間乗組員65名を
全員殺害しました。
駆逐艦秋風では移送中の女子供を含む外国民間人60名を
全員殺害しました。
ナウルではハンセン病患者39名を船に載せ沖に浮かべて
それを砲撃して皆殺しにしました。
これらは日本の海軍では異例なことではなく、ごく日常の当然の行為として
海軍は捕まえた捕虜も民間人も尋問した後、基本的にすべて殺して
海に投棄していました ★日本海軍はアメリカに対し、これだけの挑発行為をやっている
@アメリカを仮想敵国にした日本海軍の兵力配備
1937年以降、日本は海軍軍縮条約から脱退し、アメリカとの戦争を想定した急速な兵力増強をやっている。
巨大戦艦、空母主力の機動艦隊、航空部隊を多数増設するなど(1937年マル3計画、1940年マル4計画)
また海軍組織も大幅に変更され、連合艦隊司令部が圧倒的な艦隊と地上航空部隊を指揮する出来る事になった。
これは完全にアメリカとの戦争を想定した、海軍の戦時体制である。
なお、軍縮条約の脱退は日本の代表の山本五十六が戦艦、空母を全廃すべきだとの
無茶苦茶な提案をし、明らかに日本は意図的に交渉を破綻させている。
A1937年8月、海軍は大山中尉に自爆突入させ
それを口実に独断で中国都市爆撃を強行
上海、南京などに無差別爆撃を繰り返す
この事態に国際連盟は緊急会議を開き、日本軍による都市無差別爆撃を非難し
日本の軍事行動を不戦条約違反、9か国条約違反だとして対日非難決議を採択。
しかし日本の軍事行動は収まらずエスカレートし
アメリカ大統領は隔離演説で日本を非難し、くず鉄など一部に輸出規制を行う。
翌年、国際連盟は中国支援と日本への経済制裁を採択
B1939年〜 日本は重慶に対する大規模な都市無差別爆撃開始
この日本の不法攻撃は戦略的に全く意味のない攻撃だが、
これはアメリカとの戦争のための軍事予算拡大を目的にした、
対米戦争の準備行動と見られる。 C南部仏印での日本の対米英戦争準備行動
日本は南部仏印に14個もの飛行場を作り、航空兵力の全てを集結させ
陸海軍の大兵力を配備、猛訓練を開始した。
日本のこれらの行動は対米英戦争の準備行動であるのは明らか。
アメリカは日本への石油の輸出を止める経済制裁を決定
日本はこれだけの事をやっておきながら
アメリカに石油を売れとは、厚かましいにも程がある
北朝鮮でも、ここまで狂ってはいない
日本が米英に対し、戦争を仕掛ける準備をやっているのは明らかで
だからアメリカは日本への石油の輸出を禁じた。
この経済制裁はアメリカとしては当然の措置である
こんな国に石油を売ったのでは、大統領は米国民から売国奴扱いされてしまう。 >>921
満州事変では、国際社会からの批判はほとんどなかった。
騒いでたのは日本の海軍だけだろ?
海軍が朝鮮人工作員を使って
満州でテロや反日活動をやらせていたんだろ?
当時の日本海軍は、そういう汚い組織ですw >>927
議場に居た44か国中、日本と棄権したタイ以外全部に
「さっさと満州から出ていけ」と決議されてるのに批判が無いとか、さすがムッチー信者は厚かましい。 ハルノートにも満州から出ていけ、は明記されてる訳で。
ここがボタンの掛け違いなのは明白。 >>929
ハルノートのどこに満州から出ていけなんて
書いてあるんだ?
そんなこと書いてないし、疑問があるなら
確認すればよいものを、なぜ日本は確認すらしないのか? 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 では、昭和19年のビルマで日本軍はどういう行動を取れば良かったのか? 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 と
毎回芸者がお座敷で聞かされるのでうんざりでしたとさ 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 山本五十六の大罪
@岡田とともに日本を海軍軍縮条約から脱退させた張本人
A大山事件を図り日中交渉を妨害
年無差別爆撃を強行して日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
B海軍の都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く
Bアメリカを仮想敵国に見立てて予算を要求し、対米兵力を拡大させ
アメリカから経済制裁を受ける原因を作った。(マル3計画)
C真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、野村大使と結託し
偽りの外交を裏で指示した。
D太平洋戦線では捕虜をすべて殺害するよう厳命
E愚かな消耗作戦をくり返し、日本軍に壊滅的な被害を与えた張本人 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 国賊 山本五十六の戦争犯罪
このバカが真珠湾奇襲なんかやったために
日本は原爆投下され都市無差別爆撃をされました。
悪いのはすべてこいつです。
しかしこいつの信者はその責任を天皇に
なすりつけようとしています。
世の中に山本五十六の信者ほど
汚い人間はいません 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 日本を戦争に導いた
国賊 山本五十六の大罪
@岡田とともに日本を海軍軍縮条約から脱退させた張本人
A大山事件を図り日中交渉を妨害
年無差別爆撃を強行して日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
B海軍の都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く
Bアメリカを仮想敵国に見立てて予算を要求し、対米兵力を拡大させ
アメリカから経済制裁を受ける原因を作った。(マル3計画)
C真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、野村大使と結託し
偽りの外交を裏で指示した。
D太平洋戦線では捕虜をすべて殺害するよう厳命
E愚かな消耗作戦をくり返し、日本軍に壊滅的な被害を与えた張本人 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、優柔不断の人だった。「顔色で察して欲しい」と言うべきことも言えぬ根性なしの
人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。それは前線将兵の貢献による物で牟田口の愚劣な作戦による物ではないと。
十五軍隷下の各師団長との図上演習も行わず、無知、無策、無恥、により、帝国陸軍の名を永遠に辱めた。
>よく兵站を無視したと批判されるが司令官は我が軍将兵の発奮を促すのにあえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
全くの大嘘である。作戦立案時から必要十分に持たせられる可能性など欠片も無かったのだから単なる成り行きである。
>これは司令官が功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
そのせいか帝国陸軍が無くなった戦後の見苦しい挙動を挙げるときりがないw
カレー屋のおやじチャンドラ・ボースは、後にこう言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
>終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
生き残った兵卒士官、果ては参謀クラスまでインパールの大惨敗直後(つまり左翼もへったくれも無い戦中)から馬鹿にし倒してたのである。
階級章一つ入営年度一つで欠礼すれば鉄拳どころかスパイク付きの軍靴でぶたれかねない兵卒がムッチーには平気で欠礼するw
士官の軍刀のチェックをして磨くよう指示しても誰一人従わないw
しまいにゃ「死にたいなら勝手に死ねや、相談なんかしたら役職上止めなきゃいけないので見えない所で黙って死んで」
左翼関係ないねー 国賊 山本五十六の戦争犯罪
このバカが真珠湾奇襲なんかやったために
日本は原爆投下され都市無差別爆撃をされました。
悪いのはすべてこいつです。
しかしこいつの信者はその責任を天皇に
なすりつけようとしています。
世の中に山本五十六の信者ほど
汚い人間はいません 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 .
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昭和史は善玉悪玉の二者択一でわりきれるものではありません!
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 牟田口第十五軍司令官は、優柔不断の人だった。「顔色で察して欲しい」と言うべきことも言えぬ根性なしの
人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。それは前線将兵の貢献による物で牟田口の愚劣な作戦による物ではないと。
十五軍隷下の各師団長との図上演習も行わず、無知、無策、無恥、により、帝国陸軍の名を永遠に辱めた。
>よく兵站を無視したと批判されるが司令官は我が軍将兵の発奮を促すのにあえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
全くの大嘘である。作戦立案時から必要十分に持たせられる可能性など欠片も無かったのだから単なる成り行きである。
と司令官が大言壮語ばかりで実の伴わない、典型的帝国陸軍軍人の悪癖を持ち合わせていたからだったからに他ならない。
牟田口は左翼無関係な戦中から、あらゆる批判を受けることになった。
生き残った兵卒士官、果ては参謀クラスまでインパールの大惨敗直後から馬鹿にし倒してたのである。
階級章一つ入営年度一つで欠礼すれば鉄拳どころかスパイク付きの軍靴でぶたれかねない。そんな兵卒がムッチーには平気で欠礼するw
士官の軍刀のチェックをして磨くよう指示しても誰一人従わないw
しまいにゃ
「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」
と、参謀まで見放した屑である。 上で「止めないから見えない所で勝手に死ねばぁ?」って言ってた藤原参謀は後に自衛隊のセンセーになりました。
ムッチーは恥知らずにも藤原に自衛隊幹部の前で講演する機会を設けてくれと要請してきた。
当然、即座に断った。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断したのである
だれよりも日本の事を考えていた真の愛国者
それが山本五十六の実像に他ならない。
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
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/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
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山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断したのである
だれよりも日本の事を考えていた真の愛国者
それが山本五十六の実像に他ならない。
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
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| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
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山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww やって見せて、ほめてやらねば、人は動かじ
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ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
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/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
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山本五十六を賛美して毎回射精w
日本の一番汚い射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 国賊 山本五十六の戦争犯罪
このバカが真珠湾奇襲なんかやったために
日本は原爆投下され都市無差別爆撃をされました。
そしてこのバカを持ち上げた海軍省記者クラブこそが日本の諸悪の根源
しかしこいつの支持者、信者らのバカは、その責任を陸軍や天皇、その他に
なすりつけています。
世の中に山本五十六の支持者と信者ほど
汚い人間はいません 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ニュー速+で変なインパール作戦スレ立ってるのはNHK朝ドラのせいだったのかw やれやれ。エールは今までだって何人もドラマ中で史実を変えて殺してきたのに
インパール作戦で戦死になった途端に論説委員長が口を汚く罵るのな
NHKさん、大嘘はダメです 論説委員長・乾正人
https://special.sankei.com/a/life/article/20201020/0001.html 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 もう堂々と牟田口を批判できる人間はいなくなった
ゲリラ的にスレを立てて、一気に終わらせて逃亡
何をそんなに恐れているのでしょうか?w それと実況だからか
実況だといつもそんなもん
10分でスレ終わることもしょっちゅう 連合国側がビルマ(現ミャンマー)を攻略したのは事実だけど
その時にインパールは何かの役割を果たしたっけ
連合国側がビルマ攻略を計画するならば
インパールにどういう役目を与えるかも考えると思うから
つまり資料をあたれか
自己完結した 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ◆日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた山本五十六の犯罪行為
@1934年、岡田首相他、海軍上層部と結託し条約継続の予備交渉で
戦艦を全廃すべきだと無茶苦茶な提案をし、交渉を意図的に破綻させ
日本を軍縮条約から脱退させた
A1937年、海軍軍縮条約から脱退と同時に、対米戦争用の兵力を
大幅に拡大するマル3計画、マル4計画を作成
航空機を主力とした機動部隊、地上航空隊の新規配備。山本五十六が主導
B1937年、日中全面戦争を勃発させるため大山事件の陰謀を企てる
大山中尉に自爆突入させ、海軍省記者クラブを使い、そのことを宣伝
それを口実に海軍は独断で中国空爆を強行(渡洋爆撃)
日本海軍は上海、南京等、都市に対する無差別爆撃を実施。
そのため日本は世界中から非難を浴びた
・ルーズベルト大統領による隔離演説
・国際連盟による都市無差別爆撃に対する対日非難決議採択
・国際連盟による、日本の不戦条約違反、9ヵ国条約違反、侵略戦争を非難する決議採択
・9か国条約会議でも同様の決議。
国際社会は中国支援決定。対日経済制裁を是とする決議採択
連合艦隊へ移動した山本に代わり、井上成美が主導し
海軍は重慶に対する、さらなる空爆強化の計画を作成。航空機を大幅に増強。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 山本五十六の信者は
チンピラ、ゴロツキのような連中ばかりです。
牟田口叩きが下品なのも当然でしょう
こいつらはバカなので、まったく論戦に応じません
山本批判に対しては、ひたすら沈黙してるだけのアホしかいません
それもそのはずで、笹川、児玉という日本を支配した極道と結託した
利権目当ての汚いチンピラのような連中ですので
こいつらは山本五十六ら海軍と癒着して戦争で金儲けしていた連中です
しかし日本は国家ぐるみで、この極悪人の歴史観が
NHKなどでも繰り返し宣伝されています
そういう汚い連中にだまされてはいけない
笹川良一、児玉誉士夫 (山本五十六の盟友 ヤクザ社会の親玉)
岸信介、正力松太郎、野村吉三郎
いつらがアメリカCIAの工作員でもあるが
アメリカから裏で莫大な資金援助を得て
自民党を創建し日本を支配した。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 日本を大敗させた最大のバカは
やはり山本五十六であった。
このバカの暴走が日本を大敗させたことは
もはや常識ですw
しかし戦後の日本は、とにかくこの事実を隠蔽したいがために
私利私欲の塊のようなインチキ作家やアホの評論家を総動員し
国家ぐるみでその扇動をやってきた
キチガイの左翼とここのアホ軍オタは、陸軍悪玉論を
(その象徴が、インチキ作家による牟田口叩き)
最近のバカ右翼はアメリカ悪玉論を
いずれのバカの主張で、バカすぎて話にならん
やはり問題は山本五十六
こいつの化けの皮を剥いで全国民にさらすほか道は無い(笑) 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 国賊山本五十六の大罪
@岡田とともに日本を海軍軍縮条約から脱退させた中心人物
A大山事件を図り日中交渉を妨害
年無差別爆撃を強行して日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
B海軍の都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く
Bアメリカを仮想敵国に見立てて予算を要求し、対米兵力を拡大させ
アメリカから経済制裁を受ける原因を作った。
C真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、野村大使と結託し
偽りの外交を裏で指示した。
D太平洋戦線では捕虜をすべて殺害するよう厳命
E愚かな消耗作戦をくり返し、日本軍に壊滅的な被害を与えた張本人 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ●鈴木貫太郎首相は沖縄県民を捨て石にした
鈴木貫太郎首相が沖縄戦を前に、沖縄の全軍官民に対して送った緊急ラジオ放送。
『沖縄に在る全軍官民諸君
私の只おもふことは御詔を奉じ一億国民共に一致団結し以てこの大戦争を
最後まで闘ひ抜き勝ち抜き米英の野望を飽迄粉砕し以て大御心を安んじ奉らねばならぬといふことである。
不肖私自らも一億全国民の先頭に起って戦争一本の旗印の下に総攻撃を敢行する所存である。
我が肉弾による特攻兵器の威力に対しては敵は恐怖をきたしつつある。
今後日本独特の作戦に対して敵の辟易することは火を見るよりも明かである。
私は諸君がこの神機をつかみ勝利への鍵を確かと握られることを期待してやまぬ。
私共本土にある国民亦時来らば一人残らず特攻隊員となり敵に体当りをなし
如何なる事態に立ち到らうとも絶対にひるむことなく最後迄闘ひ抜いて
終局の勝利を得んことを固く決意してをる』
沖縄県民は全てが、この通りに行動した
日本の首相が、国民すべてが戦闘員になると世界に宣言したが
それが嘘ではないことが沖縄戦で証明された
しかし実際には、鈴木首相は時が来ても特攻はしなかった
というか初めからそんな気は無い
沖縄住民は鈴木にだまされたなwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ヴァカ日本人w
早く反論してみろ無能w
日中戦争は山本五十六ら海軍が謀略によって引き起こした戦争である
https://www.bookbang.jp/review/article/30202
日本海軍の知られざる実像
[レビュアー] 山村杳樹(ライター)
一九三七(昭和十二)年八月九日、上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が虹橋飛行場に車で突入、運転手共々、中国の保安隊によって射殺された。
この「大山事件」に乗じて海軍軍令部は十一日、宣戦布告に等しい要求を中国側につきつけ、十四日には大規模な渡洋爆撃を開始した。
近衛文麿内閣は「暴支膺懲」声明を発表し、支那事変に対する方針を不拡大から拡大へと一変。
当時の山本五十六海軍次官は、連日の渡洋爆撃を対米戦に向けての準備期間と捉え、海軍航空隊の充実、錬成に莫大な臨時軍事費を注ぎ込んだ。
本書はこの「大山事件」が現地海軍が仕組んだ謀略だったことを種々の資料や証言から論証し、事件を機に動き始めた日本海軍の「自滅のシナリオ」
の展開を跡づける。
更には、戦後、軍令部の参謀たちが偽証の口裏合わせをし東京裁判に臨み、「海軍は、陸軍に引きずられて太平洋戦争に突入した」という
「海軍善玉論」を意図的に創作、流布、宣伝したことに言及する。
著者は、日本海軍全体が「国の命運や国家利益さらには国防よりも組織的利益を優先させた強いセクショナリズム集団」であり
、膨大な戦時予算を獲得するために海軍の縄張りであった華中、華南で謀略を仕掛け、「自滅のシナリオ」を発動させたと結論づける。
実際、海軍は皇族で対米英強硬論者の伏見宮博恭を九年間(一九三二〜四一)にわたり軍令部長(在任中に軍令部総長に名称変更)に据え
、皇族の威光に隠れ横車を押す「知能犯」でもあった。
驚いたのは、昭和初期の海軍にあって、日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥が隠然たる影響力を持っていたという事実。
東郷元帥は対米英戦に懸念を示した当時(昭和七年)の谷口尚真軍令部長を「こっぴどく面罵」し軍令部長交代を実現させたという。
一次資料、公刊資料、証言などを精力的に博捜した本書には、日本海軍が辿った歴史を検証し、流布されている“海軍神話”を解体せんとする情熱が溢れている 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ムタグチが史上最低クラス指揮官であることは、疑う余地はない
日本本土が米国に侵攻されそうになってるのに、インドとかで兵士を死なせるとか愚鈍の極み 日本を大敗させた最大のバカは
やはり山本五十六であった。
このバカの暴走が日本を大敗させたことは
もはや常識ですw
しかし戦後の日本は、とにかくこの事実を隠蔽したいがために
私利私欲の塊のようなインチキ作家やアホの評論家を総動員し
国家ぐるみでその扇動をやってきた
キチガイの左翼とここのアホ軍オタは、陸軍悪玉論を
(その象徴が、インチキ作家による牟田口叩き)
最近のバカ右翼はアメリカ悪玉論を
いずれのバカの主張で、バカすぎて話にならん
やはり問題は山本五十六
こいつの化けの皮を剥いで全国民にさらすほか道は無い(笑) 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 日中戦争は山本五十六ら海軍が謀略によって引き起こした戦争である
https://www.bookbang.jp/review/article/30202
日本海軍の知られざる実像
[レビュアー] 山村杳樹(ライター)
一九三七(昭和十二)年八月九日、上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が虹橋飛行場に車で突入、運転手共々、中国の保安隊によって射殺された。
この「大山事件」に乗じて海軍軍令部は十一日、宣戦布告に等しい要求を中国側につきつけ、十四日には大規模な渡洋爆撃を開始した。
近衛文麿内閣は「暴支膺懲」声明を発表し、支那事変に対する方針を不拡大から拡大へと一変。
当時の山本五十六海軍次官は、連日の渡洋爆撃を対米戦に向けての準備期間と捉え、海軍航空隊の充実、錬成に莫大な臨時軍事費を注ぎ込んだ。
本書はこの「大山事件」が現地海軍が仕組んだ謀略だったことを種々の資料や証言から論証し、事件を機に動き始めた日本海軍の「自滅のシナリオ」
の展開を跡づける。
更には、戦後、軍令部の参謀たちが偽証の口裏合わせをし東京裁判に臨み、「海軍は、陸軍に引きずられて太平洋戦争に突入した」という
「海軍善玉論」を意図的に創作、流布、宣伝したことに言及する。
著者は、日本海軍全体が「国の命運や国家利益さらには国防よりも組織的利益を優先させた強いセクショナリズム集団」であり
、膨大な戦時予算を獲得するために海軍の縄張りであった華中、華南で謀略を仕掛け、「自滅のシナリオ」を発動させたと結論づける。
実際、海軍は皇族で対米英強硬論者の伏見宮博恭を九年間(一九三二〜四一)にわたり軍令部長(在任中に軍令部総長に名称変更)に据え
、皇族の威光に隠れ横車を押す「知能犯」でもあった。
驚いたのは、昭和初期の海軍にあって、日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥が隠然たる影響力を持っていたという事実。
東郷元帥は対米英戦に懸念を示した当時(昭和七年)の谷口尚真軍令部長を「こっぴどく面罵」し軍令部長交代を実現させたという。
一次資料、公刊資料、証言などを精力的に博捜した本書には、日本海軍が辿った歴史を検証し、流布されている“海軍神話”を解体せんとする情熱が溢れている 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 日中戦争は山本五十六ら海軍が謀略によって引き起こした戦争である
https://www.bookbang.jp/review/article/30202
日本海軍の知られざる実像
[レビュアー] 山村杳樹(ライター)
一九三七(昭和十二)年八月九日、上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が虹橋飛行場に車で突入、運転手共々、中国の保安隊によって射殺された。
この「大山事件」に乗じて海軍軍令部は十一日、宣戦布告に等しい要求を中国側につきつけ、十四日には大規模な渡洋爆撃を開始した。
近衛文麿内閣は「暴支膺懲」声明を発表し、支那事変に対する方針を不拡大から拡大へと一変。
当時の山本五十六海軍次官は、連日の渡洋爆撃を対米戦に向けての準備期間と捉え、海軍航空隊の充実、錬成に莫大な臨時軍事費を注ぎ込んだ。
本書はこの「大山事件」が現地海軍が仕組んだ謀略だったことを種々の資料や証言から論証し、事件を機に動き始めた日本海軍の「自滅のシナリオ」
の展開を跡づける。
更には、戦後、軍令部の参謀たちが偽証の口裏合わせをし東京裁判に臨み、「海軍は、陸軍に引きずられて太平洋戦争に突入した」という
「海軍善玉論」を意図的に創作、流布、宣伝したことに言及する。
著者は、日本海軍全体が「国の命運や国家利益さらには国防よりも組織的利益を優先させた強いセクショナリズム集団」であり
、膨大な戦時予算を獲得するために海軍の縄張りであった華中、華南で謀略を仕掛け、「自滅のシナリオ」を発動させたと結論づける。
実際、海軍は皇族で対米英強硬論者の伏見宮博恭を九年間(一九三二〜四一)にわたり軍令部長(在任中に軍令部総長に名称変更)に据え
、皇族の威光に隠れ横車を押す「知能犯」でもあった。
驚いたのは、昭和初期の海軍にあって、日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥が隠然たる影響力を持っていたという事実。
東郷元帥は対米英戦に懸念を示した当時(昭和七年)の谷口尚真軍令部長を「こっぴどく面罵」し軍令部長交代を実現させたという。
一次資料、公刊資料、証言などを精力的に博捜した本書には、日本海軍が辿った歴史を検証し、流布されている“海軍神話”を解体せんとする情熱が溢れている このスレッドは1000を超えました。
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