【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
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■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
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【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ >>949
光人社「ルソンの砲弾」かな
買って読んだけど、家のどこかに埋もれてる… >>944
戦艦のは射撃指揮要領を見ればわかるけど
初弾を撃つまでの基礎データの一つではあっても、撃ち始めたら基本的に参考にしない
そして常識的に最初の一発で夾叉はまず無いんで、射撃結果に与える影響はあまり大きくない
距離が算出できたからって
直撃を狙える精度でもなければ、砲弾だって狙った距離に飛ぶわけでもない
結局は試射するときの最初の目安にしかならんのだ
これが近距離(20km前後)だと測距精度は半分ぐらいに縮まるし
弾道的に命中界も広くなるので、これなら測距盲従射撃に切り替えられるわけよ
大和の高い位置の測距儀は、この20km前後で水平線の此方側に的艦を入れられる高さでもある
こうなると艦上から容易に着弾景況を把握できるから
観測や斉射タイミングを無視しての連射もできるようになるので盲従射撃の能力を十全に発揮できるわけよ
決戦距離に合わせた防御を備えた戦艦大和の射撃システムは当然その決戦距離に合わせたチューニングなんだ >>952
著者同じか
ルソン戦記 若き野戦重砲指揮官の回想 だけど
まあ多分似た様な事がそれにも書いてあるんだな…
しかし六頭ばんえいの四年式を二頭で引かされたり、相次ぐ転進命令でルソン中を引きづり回されたり、とにかく移動が困難過ぎた
まあ日本の砲手は今も昔も優秀だった
拉孟の戦いのキルレシオとか、有効な砲兵射撃で敵兵を釘付けにしたんだろうなとか思う ノモンハンの苦戦はそんなところにはないんだけど、資料読んだことないのかな。
ジューコフの報告にあるようにソ連砲兵は射程限界14〜18kmで砲撃し、
頻繁に陣地変換を行うという戦術。
日本の報告にも射撃したら直ちに退却するように陣地変換するとある。
台地に上がれず低地からの観測しかできず、頼みの観測機は敵戦闘機に追い散らされ、気球は撃墜される。
敵機の目を盗んでやっと観測できるという状態、それもすぐに追い散らされる。
そもそもソ連の砲撃目標はハルハ川とその西岸で日本が川を渡って台地に上がるのを防ぐこと。
日本側はハルハ川東岸に90式野砲を配置、その後方の丘陵の向こう側に隠れて重砲が布陣。
この時点で日本側重砲がソ連重砲を射程に捉えることが困難ということが判る。 ハナから負けが決まっていた様なものだな。
砲兵の光学機器がどうこうじゃないな
逆に日本側が高台を占拠した時はめっぽう強い ノモンハン事件は物量の差なので
まあそれでも善戦の神国日本だった
ここで止めとけば真珠湾も無く原爆も無し
満州もまだあったかもねえw
日本の光学機器は性能がよかった
だからこそ戦後10年足らずでドイツを追い抜くんだし
それも基礎と素養が有ってこそ
今でも市場を二分いうかほぼ独占だがねw
またイエナ坊wが出て来そうだがw
大体伊能図を自力で作った国
近代測量まであの地図だったんだしw
和算を始め西欧式の理数系も維新前から発達 …全分隊長に双眼鏡を配備したのは日本軍くらいのものではないか?とは思う
いや、他がどうとかは一切知らんが
あと重機と軽機のスコープ搭載率の高さ。
他が壊滅的なわりになかなかのマスプロ
光学機器とカメラぐらいだけは戦後上手くいったよね
全般的には70年代後期〜80年代ごろにやっと追いついた感があるが、ニコンとかの光学機器だけはもっと早くから世界水準に追いついていたと思う >>956
そう?光学観測しか出来ないなら、敵に煙幕張られたらおしまいじゃないの
音響観測できないんでしょ。 「レーダーがあるんだから百発百中なんでしょ」みたいな理論だな 架空戦記で日本が捕獲したM2をコピー参考にして新重砲を開発という話があったがM2を捕獲したという事例を見た事がない。
というかそもそもコピーできるのだろうか。 M1918はフィリピンでいくつか捕獲して再使用してるが、M2はサイパン戦くらいが
太平洋戦線投入はじめなんで
最大規模の夜間万歳突撃したときに米軍砲兵陣地突破時の瞬間分捕りくらいだろう
朝には1000名余が海岸砂浜で永眠だから
ほかの戦線でも、とても大型兵器を無傷で入手できる戦況ではほぼない
M2コピーはできても、オリジナルの性能は到底だせない
アメリカの冶金技術には到底およばないから
戦前、貴重な良質スクラップ鉄原料としてアメ車解体部品輸入して恭しく使ってたくらい そもそも品質ならラインメタルの方が上だしな
こちらは試製砲の開発の参考にされてる
というか砲架流用してるのでまるまるコピーする気だったのかも >>964
それは本家sFH 18で、中国の博物館にあるラ式を見て貰えば分かるけど日本やフランス式の、駐退機が砲身下の1組しかないラインメタルオリジナルの試作砲だよ
24門しか作られてない一級品 あと平衡器の形も違うしな
おそらくあれがラインメタル本来の設計だろう
もう一方が本家sFH 18でクルップ式と呼ばれている事からも対比できるだろ >>951
大規模砲撃戦に必要な砲兵組織の整備が出来てないからね。
まあ、戦間期だと赤軍以外に参考になる物が無いから仕方ないが。 大隊って別に小部隊じゃないだろ。
サイパン島の黒木十五糎榴大隊とか、ペリリュー島の小林野砲兵大隊とか
まあ、沖縄戦みたいに砲兵団規模で戦果挙げた場合もあるけど 結局、日本軍の砲兵は移動弾幕射撃が出来ないまま、第二次大戦を終えた。 南晶攻略戦の修水河渡河作戦でやってるぞ。
その戦術の起源のフランス軍同様に盛大に味方を巻き込んでな。 記録を読むと、信号弾を撃ちあげる人が戦死してしまって盛大に誤爆されたらしいが
ちなみにドイツ軍も第一次大戦で同じ方法でやってるけどしばしば見落とされて誤爆されたらしい
例の攻勢でのフランス軍のは論外な
歩兵の50m手前を常に弾幕張るとか初っ端から飛ばし過ぎw 赤軍みたいに戦車部隊に移動弾幕で援護とかで、誤爆してもなんとかなる相手でやらんとなあw >>970
>>971
あーそれで渡河したら、先に対岸に渡った兵の無残な遺体があったとかあるのね
ほとんど敵の反撃によるものでなく
…ガス弾での友軍の被害も相当でたんだろうなぁ
この戦闘での毒ガス使用隠蔽するため、箝口令敷かれたらしいが
ここの大規模砲撃戦は戦前から喧伝されてたけど、おおっぴらなガス使用が明るみにでたのはせいぜい
この十年ほど
ネット普及して本を未読のひとでも、個人手記も読みやすくなったため 当時の新聞や雑誌で「渡河作戦成功」やら「未曾有の大砲撃」とか戦捷報道は大々的にやってる
…毒ガス使用の件が知られると国際的にまずいから、報道管制で徹底的に伏せてる 毒ガス使用に関しては、日本も中華民国も禁止条約に批准してないから
もちろん合法なんだが、それを用いて勝ったなんてのは印象最悪なんだよ
とくに一次大戦経験した欧米にしてみれば悪夢の再現いがいの何物でもない 一般人に戦前戦中戦後の区別が付かない人は多いけど、ミリヲタで付かない人を見ると
ちょっと悲しくなる。 ニヴェルが自信満々に実行したフランス軍の移動弾幕射撃は自軍歩兵を殺しまくって大失敗だったけど、ドイツ軍の移動弾幕射撃は割と普通だった印象
というか正確には移動弾幕射撃ではなくその走りで、弾幕のうしろにぴったり歩兵を付けるんではなく、単に弾幕を前進させるだけで地面ごと耕す、その後歩兵を突入させるだけ
所謂移動弾幕射撃というのはフランス軍がこれに着想を得て発展させ、歩兵をぴったり付ける、というものだろ
狭義の移動弾幕射撃で成功した風に見受けられるのは、遠過ぎた橋の英軍かな?
シャーマンの様な戦車と無線連絡とが合わさって初めてまともに使える戦術だろ
そもそも15糎榴弾砲も50mの位置なら普通に傷を負うし下手したら、いやしなくても死ぬからな
つまり自軍の100m先設定なら50m進み過ぎてもアウトだし50m弾着が手前に落ちてもアウト
如何にフランス軍の50m手前というのがハードル高過ぎたか分かる >>974
正確ではない用法とは思うが、昭和16年12月8日以降を現在のわれわれは戦中と呼ぶ
認識が多数派だろう
昭和12年の盧溝橋事件、第二次上海事変から全面戦闘入ってるわけだが
お互い宣戦布告なき戦闘だから、あくまで「事変」という言い訳も成立するわけよ
大陸の昭和16年12月よりまえは、それで戦前って表現もけして間違いではないの 移動弾幕射撃って一次大戦の塹壕戦で始まって、ジグザグになってる塹壕を
あまねく破壊する為のもんだろ?
目隠しと機関銃制圧もかねてて、歩兵は弾着のすぐ後を付いて突撃する。
離れると残った機関銃が撃ってくるので、むしろ歩兵の方がどんどん距離を詰めていった
と聞いている。
多少の味方撃ちよりも、敵の機関銃の方が怖いから。 というか移動弾幕に限らず、攻勢時にヘタな弾幕射撃はやらない方がマシだな
重砲によるトーチカ破砕を目的とした射撃でもなくばね
その分を戦車に充てよ、というのがトレンド
戦間期に志向されたのが、第一次大戦型の様な砲弾歩兵大量浪費型のものではなくて、機甲部隊による「スマートな戦争」だからな
各国第一次大戦の様な圧倒的な砲弾消費にウンザリしていた
10kmとか20km離れるより、針の穴を通す様な戦車砲の精密な直接観測射撃で、常に歩兵の最前線脅威を排除
それでいて砲弾浪費が少ない
砲兵などより戦車が >>980
塹壕は横ジグザグでも、移動弾幕においては基本的には塹壕まで歩兵の前進に合わせてばら撒かれるから、塹壕地帯に固定弾幕射撃した方が弾幕密度は高い
ましてやさっさと敵陣を通り過ぎた場合も多いのがあの時代でね
固定弾幕の方が即ち短時間で所要の射撃を行う事を可能にするもので、だから砲撃を短時間で切り上げる(砲兵の大規模集中急発射)の後に奇襲的に歩兵を突っ込ませるやり方が功を奏したわけで、移動弾幕射撃のアイデアは素晴らしいが戦績自体はそこまで大した事はない
敵の頭を下げさせるには必ずしも最適解ではないのだ
むしろ移動弾幕は広い攻勢正面で各個に散兵し独自に破壊・突破を行う様な戦術では制約の方が大きい 訂正
>>ましてやさっさと敵陣を通り過ぎた場合も多いのがあの時代でね
○ましてや移動弾幕が敵陣を通り過ぎた場合も多いのがあの時代でね 日本では移動弾幕射撃の友軍までの距離は野砲で150m、15榴は300mとされてた
弾幕密度は毎分1〜2発。まあ景気づけ以上の意味は無さそうであるな
それでいて、普段から意思疎通の良い直協砲兵を充当し、砲兵は最大5kmまでの射程で行う
つまり支援する友軍が良く見えてて、なおかつ動きも想定しやすい状況で運用する
これがもっと攻撃的な移動弾幕射撃もあって
こっちは友軍に関係ない戦線後方の砲兵陣地やその観測所があるであろう範囲に行う
固定弾幕で粉砕が難しそうな広範囲とか存在確定が出来てないトコに
煙弾も混ぜて広範囲に擾乱を行って観測妨害を行うんだそうな
こっちは火力機動による擾乱戦の一種だな ノモンハンの対砲兵戦がまさにそれだな
大半は空き地にばら撒かれるんでとにかく無駄弾が多い
歩兵と一緒に戦車突っ込ませる方がマシ まあ、その戦車に対する幻想が打ち砕かれて結局砲兵火力が戦争の行方を決めたのがWW2なんだけどな。 ことしにその内容の本が刊行されたみたいだね
戦鳥の人が著者だっけ? >>974
>>977
ノモンハン事件というように双方宣戦布告してない戦闘だね
戦後に十五年戦争、太平洋戦争や日中戦争って呼称が作られたから混乱が起きる
昭和12年からのやつは当時は支那事変、日支事変、日華事変とかいった
対米英戦が昭和16年に勃発して、以降満州事変からに遡って大東亜戦争と命名するなんて
流れの現象もあってややこしいんだけど
実際は満州国建国昭和10年から第二次上海事変の12年までは治安戦出兵で大規模な戦闘は
おきてないから十五年戦争なんて継続扱いは無理があると思う 南昌作戦の渡河攻撃は毒ガス弾使用にくわえ、少なくない誤射の友軍戦死負傷が緘口令対象だった
と思うね >>988
大東亜戦争に含むのは支那事変だけじゃなかったっけ? いや満州事変まで遡っての呼称
大日本帝国っていうように偉大な聖戦の意味つけたくて「大」つけた
大英帝国とかと命名同根
W号F2型とG型みたいで定義を当時から塗り替えたり、以前の定義を踏襲する人
も同時にいてはっきりとした正解は難しい
戦後の命名定義はあきらかにふさわしくないと思うが
左翼プロパガンダの思惟的造語意味合いが濃厚 閣議決定で「支那事変を含む」としてるから、満州事変は含まれないのでは? >>992
うーん、ネット検索順に検索したらそのようにでてくるね
閣議決定って基準からね
おれが大学生のときは左系の教授が十五年戦争って言って、保守民族系の教授は大東亜戦争
て言ってた。両者とも示す期間は同じ(笑)
おれもそのように認識してたけど←実話
いま、検索してて、大東亜共栄圏に満州も入ってることからまったくの間違いでもないと思うけど 大東亜戦争って名前は「大東亜共栄圏を建設するための戦争」って意味だから、
場所がどうとかは関係ない。
マダガスカルやシドニー攻撃しても、米本土を空爆しても大東亜戦争。 >>987
BUNのやつだが買うまでもない、やつのブログの焼き直し
データは書いてあるんだが、じゃあそのデータはどこからなにをもとに出したのか
まったく書いてないので、BUN信者以外は無用の本 縄文時代も二十年前だと一万年から開始とかなってたけど、いまは16000年前とか
農業も2300年前の晩期からやってたんでないか?が現在だと5000年前くらいに初歩的な
粗放農業はしてたとか新事実の解明で定義もかわるな
すくなくとも当時の認識知る努力は必要
当時の政府は外征に関して宣戦布告してない場合は事変、事件という呼称を使ってた
戦後はGHQの命令で「大東亜戦争」は侵略的な名称だからという理由で使用を禁止
(侵略的であったのは事実)
支那という語は、戦勝国中華民国の圧力上使うのを「理屈ぬきで」外務省通達で自粛やら非常事態が頻発したもんでな
おかしな新語と名称の乱発につながった
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