>>663
スティムソンだろ

>グローブスがトルーマンのもとを訪れた2日後の1945年4月27日にグローブスは、原爆を日本のどこに投下するか話し合う、
>『目標検討委員会』に出席した。ここに大統領だったトルーマンやその側近は出席していない。
>話し合いの結果以下の17か所が選ばれた(川崎、横浜、東京湾、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、呉、山口、
>下関、小倉、八幡、福岡、佐世保、長崎、熊本)。その中で、京都と広島が有力候補に上がり、
>グローブスは京都を上げた。その理由についてグローブスは、「京都は外せなかった。最初の原爆は破壊効果が
>隅々と行き渡る都市に落としたかった。」と語っている。
>そしてその3日後グローブスは、陸軍長官のスティムソンに呼び出された。目標場所を答えたところ「京都は認めない。」と言われた。
>その訳がコネティカット州にあるイェール大学の図書館に保管されていたスティムソンの日記で明らかになった。
>6月6日付けの日記にはこう記されている。「この戦争を遂行するにあたって気がかりなことがある。
>アメリカがヒトラーを凌ぐ残虐行為をしたという汚名を着せられはしないかということだ。」。
>実はスティムソンは京都を二度訪ねたことがあり、原爆を投下すればおびただしい被害者がでることを知っていた。
>スティムソンは、この頃勢いを増していた日本への爆撃が、全世界が非難する無差別爆撃に当たるのではと考えていた。
>これ以上アメリカのイメージを悪化させたくなかったのだ。しかしグローブスは、諦めることなく何回もスティムソンと交渉をしたが、
>結果は同じだった。歴史学者によると、「都市の真ん中に原爆を落とし、市民を殺戮する計画にスティムソンは反対でした。
>戦争で市民の死は避けられないことは分かっていたが、意図的に市民を狙って殺すことは別だと考えていたのです。
>そしてトルーマン政権は、軍に突如介入し、まったをかけたのです。」と述べている。