育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶4
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3歳までの記憶はほとんど残らないといわれるけれど
たまに赤ん坊時代の記憶もある人も
自分自身の一番古い記憶は一体何か
何に安心したり、何が好きで何がキライだったのか
周りの人のことをどう思っていたのか
色々思い出して、育児に役立つヒントを見つけましょう
■>>980の方は、次スレ立てをよろしくお願いします
前スレ
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶3
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/baby/1339249444/ 良スレなのに過疎ってるから投下
3歳半下の妹が産まれたころ
母と寝ていて、夜中に喉が渇いたので母を起こすと「おっぱい飲む?」って聞かれた
「いいの!?」ってびっくりしたけど飲んでみた
でも全然出なくて、母は唇をこうしろとか舌をこう動かしてって色々言ってきたけど難しくて
母に気を遣ってちょっと出たと言ってやめた
味を聞かれて、ちょっと甘かったとテキトーなことを言った
なんか母も嬉しそうで、私も満たされたし嬉しかった
母からすれば飲み物取りに行くの面倒だっただけなんだろうけどw 釣りかもしれないけど
>母は唇をこうしろとか舌をこう動かしてって
って気持ち悪い
バター犬がわり? 3歳の頃、隣のおばちゃんが末っ子におっぱい飲ませてて、羨ましくなって飲ませてもらったことある
私はすんなり飲めた
でも牛乳くらいの味のつもりで飲んだからすんげーまずかった
しかし隣のおばちゃん、よくよその子に乳飲ませたな
自分は出来ないw >>4
お母さん嬉しかっただろうな。
今乳児がいるけど、卒乳のこと考えると寂しくて泣きそうw >>5
そっちこそ髭の釣り?
ストロー吸うみたいに吸ったからそれじゃ出ないんじゃない?
こうすると出るよって教えただけでしょ
あ、>>1乙です 1乙
3歳だと赤ちゃんの頃の飲み方忘れてそうだもんね 読みにくかったらごめん。
5歳ぐらいのとき、父方のおじいちゃんおばあちゃんのいる実家に行った。
買い物に行って「欲しいものがあったら買ってあげる。」と言われたのでお絵かきが好きだった私は絵葉書セットA(1500円弱)を買ってもらった。
Bセット(3000円強)はもっと絵の具が多くてちょっと豪華。
ただ、買ってもらうときに「Bセットは高いなぁ買ってくれるかなぁ…いや、小さいけど我慢してAセットでいいって言おう。」と子供なのにすごい気を使って買ってもらった。
母方のおじいちゃんはおもちゃ売り場で、「なんでも好きなもの買え〜色違いで買ってもいいぞ〜ママは買ってくれないからね〜!」って言うような大盤振舞いな人だった。ゲームボーイとか、ドリキャスとか買ってもらったし、金額はあんまり気にしたことなかった。
子供心に、「欲しいものがあったら買ってあげる。」って言い方はすごい心に引っかかりました。言葉選びはとても大切。 「好きな物買え」なんじゃない?
「欲しかったら買ってあげる」は大人の言い回しというか、子供には甘えにくい言い方だと思うよ 私はそんな時、安価なものを選んで「そんなのでいいの?もっと高いものでいいのに。欲のない子だね〜」って言われたいがために本当に欲しいのは選ばなかった 「欲しいものがあったら〜」がなんでダメなのかわからないけど
私の場合は逆に、大盤振舞いな祖母が苦手になった。
「これ欲しい!」と思いつくままに言っても、両親なら必要なければ止めてくれるけど
祖母はおもちゃでも服でもポンポン買ってくれた。
幼い頃はただ嬉しかったけど、小学校上がるくらいには何でも叶いすぎることに違和感を覚えて
むしろ祖母の前では気軽に願望を口に出せなくなり、興味ないふりをするようになってしまった。
両親の前なら、叶わないとわかっていても欲しいという気持ちを素直に口にできて気楽だった。 こんな高いもの(といっても3000円くらい)買ってもらったらお祖母ちゃんは明日からご飯が食べられないかもしれない…!って考えて我慢した事あるのを思い出した 小さい頃に近所が火事になった時、うちが燃えちゃったらこのお金で家族のご飯を買わなくては…!と
もらったお年玉(数千円)が入った缶を握りしめて緊張してたの思い出した。 >>16>>17
やさしい子だったんですね
うちのこ、上の子はそんな感じにやさしくて適度に遠慮もするけど、下の子はわがままで何でもねだる、買ってもらわなきゃギャン泣き
はやく下の子にも優しい気持ちをもってもらいたい 三歳くらいまで私は夜泣きしてたらしいんだけど、夜なんだかすごく悲しくなって泣いてたら母が抱いてくれて、
一緒に窓から車を数えてた記憶がある。
あの記憶があるから、夜泣きが始まった息子にどーんと付き合えている。
なんかよくわかんないけど悲しいんならしょうがないよねと思える。 子どものころの自分の、親を困らせるような特性が
温かく受け入れられた経験というのは、
自分自身の子育てにすごく生きてくるんだね
いい話だ〜 いくつぐらいからとは、はっきり覚えていないけど大人達の言う
「◯◯(私)は△△(親戚の人だったり、親の知り合いだったり)と結婚するんだよなー」
が冗談だってわかってるけど、気持ち悪くてしょうがなかった。 五歳くらいのころかな。
父親が駐車場で車停めるとき、ドア開けて後ろ見てたんだけど、
何故かそれがかっこよく見えてた。
で、ある日、真似したくなった。
駐車場にはいったとたん、
いける! と思ってドア開けた。
まだ全然スピード出てて、
風圧?でドアがんがん開いていくし、
でも戻せる程の腕の力ないしで、
地面が顔の真横にきた。すげー怖かった。
助手席の母親が気づいて閉めてくれて事なきを得たけど、
子供ってやっぱり、真似したがりだし、何するか判らんから、
気をつけないとな、と思う。 >>23を読んで思い出した
4歳くらいで初めて水族館に行ってから暫く「ラッコと結婚する」と言ってた 2才か3才の記憶
お気に入りのオモチャが見当たらなくて居間のソファの下を覗いていたら
少し離れたキッチンから母と兄の
ほら見てごらん、何か探してる、本当だ、フフフ
という会話が聞こえて来てなんだか恥ずかしくなって探すのをやめた
自分の子供が何か探してる姿を見ると
かわいいなーと思う。特にお尻が
母と兄もかわいいと思ってくれてたならいいな あっかちゃん
こんにちわ
28日うまれ
♪響 平せんせらも >>23
私もそれは物凄く嫌だった記憶がある
今思えば冗談だって分かるんだけど、
子供に冗談なんて通じないし
当時同じ幼稚園に好きな男の子いてその子と結婚するのが夢だったのに、親の知り合いのおっさんと結婚とか冗談でもツラくてその場で大泣きしたw たぶん5歳位の時。
その頃何故か母親の事を「お母さんはバカ!」って言うのが楽しくて毎日言ってた(たぶん、父が母に「お前はほんとにバカだなー」って言うのでその影響だとおも)。
ある日いつものように「バーカバーカ!」って言って妹と一緒にはしゃいでいたら、
「お母さんの事をバカっていうのは、おばあちゃんの事をバカって言ってるのと同じなんだからね!!」って一喝された。
母には何を言っても許してくれるだろうって気持ちがあって言ってたんだろうけど、実は祖母にまでバカって言っていたんだとその時理解した。
子供心に祖母はバカにしちゃいけないっていうのがなんとなくわかってたみたいで、自分はなんて事を言ってたんだって心にグサッときた。
たぶんそれ以降バカって言うのはスッパリ止めたと思う。
母のその一喝と言われた後の後味の悪さだけを鮮明に覚えてる。 三歳ぐらいまでの記憶結構あるからひとつ書いてみる。
うちは両親共働きで、三歳までは母方の実家に同居してた。ほとんど祖父母に育ててもらった感じ。
祖父母の家には神棚と仏壇があって、食事の度にご飯を供えて手を合わせてた。
神棚には小さい鈴もあって、祖父が鈴紐を引いて鳴らしてくれるので、小さい兄や私も一緒に手を合わせてた。
神棚に手を合わせると、不思議なことにいつも天井から飴が落ちてきて、祖父が神様からのご褒美だと言ってくれていた。
まぁ、祖父がこっそり落としてくれてたんだけど、当時は気づかなかったw
幼い私には、飴をくれる神様が本当に素晴らしい存在に思えて、神様を理由にされると素直に言うことを聞く子供に育った。
単純な子供でしたw親は育てやすかっただろうね。 子どもにうそをつくのは、どうなんだ?w
でもかわいい 多分2、3歳くらいの時、大きくなったら何になるという話を母と5歳上の姉としていた
私は好きだったうさぎと言うとおもいっきり嘲笑され
恥ずかしくなったと同時に、まだ小さい子がふといった言葉をそこまで
ばかにするかよってムカついた
大人の癖に大人気ないって思ったな >>30
私も母親のことをデブとか豚とか良く言ってた
全然太ってないのに 三歳の頃弟が産まれて、両親も祖父母も弟にかかりきりだったのが寂しかった。
寂しかったので、母に「一番好きなのは誰?」と聞いたら、「お父さんだよ」と答えが返ってきた。
兄か私か弟と答えると思っていたので心底驚いたしかなりショックでもあった。
でも母はその後に
「世界一好きなお父さんとお母さんのところに来てくれたあなたたち(子どもたち)は宝物よ」
と教えてくれた。それが嬉しくて、強烈に覚えてる。
自分にも子供が産まれて、当時の母の気持ちがわかった。最近母にこの話をしたらちょっと照れてた。 >>37
素晴らしいお母様だ!
使わせてもらいます! 幼稚園に入る前だからたぶん3歳くらいまで
色のないはずのものに色があることが漠然と怖かった
例えば外出先のトイレの青い水だとか、色つきのそうめんだとか
見るだけでなぜか怖くて怖くて必ず大泣きした
大抵、周りの大人は何に泣いてるのかも理解できないという反応で
場合によっては笑われたりして、それがまた悲しくて辛かったんだけど
母はいつも適格に理解してくれて、すぐに対処してくれていた
自分もあんな風に子供に寄り添って行きたいなと最近思う よくそうめん怖がってるって分かったなぁ
尊敬するわ >24
おっそろしいね。。何事もなくて良かった。
思いがけないことをするから、やはり子供の行動には気をつけないとなー 何歳か覚えてないんだけど、トイレトレの最終段階に来てた頃。
トイレに行くのが面倒でグズりまくってたら、同居していた祖母が「そんなに嫌ならここでしていい!」と言い出した。
「え?いいの?本当にしちゃうよ?」と戸惑いながらも、私はそこで仁王立ちでオシッコしてしまった。
が、当時の部屋は絨毯で、祖母や母の掃除を見ていると大変そうで、
なにより自分がオーバーオールを着ていたので、着替えるのがトイレに行くよりよっぽど面倒に感じた。
それ以来、きっちりトイレでするようになりました。 四歳ぐらいの頃、よく連れて行ってもらっていた近所のレストランが火事で全焼した。
ウチにはそのレストランのサービス券が何枚か残っていたけど、レストランはいつ再開するかもわからない。
大好きなレストランがなくなったのが悲しかった私は、そのサービス券をもらってレストランごっこをして遊んでいた。
幼い私なりに、レストランに対する追悼というか、そういう気持ちがあったように記憶している。
悲しかったのは、そんな私のごっこ遊びを見て、祖母に「○○(レストラン)はなくなったのに、いつまでもそんな遊びしないのよ!」と叱られたこと。
祖母は、
『私がレストランごっこをしている→もうなくなったレストランに連れて行けというアピール』
と感じたようで、無理難題で駄々をこねているように映ったのかもしれない。
レストランごっこにお客さん役で付き合わせたりもしたのでうんざりもしていただろうと思う。
あれから四半世紀以上が経ち、そのレストランはいつからから営業を再開して今も繁盛している。
よく、子供はショックな出来事があると、遊びの中でその場面を再現して現実を受け入れていくと言うよね。
先の震災の後も、津波ごっこをする子供がいて「大人は叱らずに見守って」と言われていたし。
話の規模が違いすぎるけど、当時四歳の私にはショックだったんだろうと思う。 下の子が痙攣して救急車呼んだんだけど、それをみていた上の子が痙攣ごっこ?みたいなのするようになったのはそんな理由なのかな?
知らなくてがっつり怒ってしまったよ… >>46
あー、私も叱ってしまいそう。
大きな「出来事」を再現するのは理解できるけど、
家庭のいちシーンの、それも個人攻撃のようにも見える、
「人」の真似してたら、多分イライラムカムカするわ。
小規模なことなら、私も、今までもやらかしてそう。 >>47
そうなんだよねー…
そんな事をふざけて真似するなんて不謹慎と思って叱ってしまった
でも何度か繰り返して、気づいたらやらなくなったよ
痙攣して救急車呼ぶまでは上の子ずっと黙ってたから、下の子の痙攣が怖かったんだと思う
ちょっと可哀想な事してしまったかも >>44
ふと思ったんだけど、大人も身内の死とかの悲しいことがあるといつまでも思い出してメソメソすることがあるよね
あれも自分なりに現実を受け入れようとしているのかな >>50
大人とか、ある程度成長した人は、心の中でしていることを、
子供は心の中ではできなくて、現実に再現しちゃうんじゃないかな。 だね
あの映画は、いかにも大人側の思い入れって感じの過剰に悲しげな演出で
あまり好きになれない たぶん3歳か4歳の時の記憶。
引越しをして、少し荷物が残っていたのと、掃除も兼ねて母と二人で前の家に行った。
バスがあまり通らない場所で、帰りに母とバスを結構長い時間待ってた。
待っても待ってもなかなかバスが来なくて、もう家に帰れないんじゃないかとふと悲しくなって、母も疲れていたのか隣で無言になっていてそれに更に不安になって、「お家に帰れないー!」と号泣した事。
子供の時の感覚だから30分も待ってないとは思うけど、恐ろしく長いこと待ちぼうけしたような気持ちだった。
号泣した私を見て慌てて「ちゃんとお家に帰れるよ、大丈夫」と母がなだめてくれた。
バスが来た時は心底ホッとしたのを覚えている。
>>44
深い!
子供の、出来事を再現する理由が少し理解できた。 子供って時間を大人の何倍にも感じるんだっけ。だからちょっと待って、があまりできないんだよね。大人からしたらすぐでも子供には永遠のように感じる。
ただ待つって昔は退屈したなぁ。お絵かきとかしてたら苦じゃなかったけど。 たぶん0歳か1際の頃の記憶。母親が立ちながら抱っこしてくれて、自分にとってはすごい高く感じてそこから見える景色がとても楽しかったのを覚えている。姉が庭で遊んでるのを見て自分もそっちに行きたいと思ったり。
赤を立って抱っこすると泣き止んで、座った瞬間に泣き出すから部屋の中見て楽しんでるのか?と思うと疲れるけど少し頑張れるよ。 爪噛み癖があったんだけど、キッカケは伸びた爪を噛んだら爪切りみたいに出来たので、
それに感動して、その行動が癖になって止められなくなっただけでした。
別に寂しいからとか愛情に飢えてたからとかでは無かった。 そういえば小さい頃うつぶせ寝が好きだったけど、それを見て祖母が母に「うつぶせで寝るのは寂しい証拠、もっと愛情を」とか言っていたな
でも愛情不足とかじゃなくて、ひんやりした枕の下に手を突っ込んで寝るのが気持ちよかっただけだった たぶん幼稚園時代。
粘土をプリンカップとかに詰めて型を取るのにはまっていて、ふと自分の鼻の穴の型を取ろうと思い立った。
台所で仕事をする母の背中を見ながら鼻に粘土を少しずつ詰めていきキレイに埋まり切った。
しかし詰め終わった後で鼻が取れないから粘土も取れないという事に気付き「どうしようどうしよう」と焦り、しかも息が出来ないのでパニックで大泣き。
そこで母が気付いて大騒ぎ。
鼻の穴に詰めて型を取ろう!ピコーン!と天啓のような閃きだけで突っ走ってしまったので、鼻が取れないと気付いた時の絶望感といったら。
こんな理解不能な突飛な行動をすることがあるので、片手間で仕事をしていても子供の事はマメに見ていようと思ってる。
しかしその後の事覚えてないんだよね。病院行ったのかな?
ちなみに父も妹もそれぞれ幼い頃鼻に物を突っ込んだそうなので家系だろうか。
現在1歳の娘は何を入れるのかと心配で仕方ない。 保育園の頃、私はお昼寝時間になってもなかなか寝ない子で、いつも先生が隣にきてポンポンしてくれていたんだけど、その力が当時の私にとっては強くて、「なんで先生は私を叩くんだろう?」と思ってた。
自分が寝ないから叩かれているんだと解釈していた気がする。その記憶があるから自分の子どもには超ソフトタッチでポンポンするように気を付けている。 すみません長文です
2、3歳の頃だと思う
近所に地上5階、地下1階の割と大きいスーパーがあって、母と二人で来た
地下の食品売り場から1階に上がるエスカレーターの前で母が立ち止まった
「乗るの?」と尋ねると、面倒臭そうにうなずいたから、ぴょんと飛び乗った
昇っていてふと隣を見ると、母がいない。
私パニックで大泣き。1階に上がったところで、すぐに店員さんが来てくれた。
母が乗ると言った(うなずいた)から乗ったのに…と思いながら、一言も喋れず泣いていた。
しばらくすると(泣き疲れたくらいの頃)母が慌てた様子で迎えに来た。
その母を見ながら、はっきりと「この人は信用できない」って思った。
この話を子持ちの知人に話したら「子育てしてると追い詰められちゃう時ってあるのよね…」と言ってた。どれだけ追い詰められていたかは知らないけど、さすがにこれはないだろうと思う。
ちなみに診断してないけど母は多分発達障害があると思います。 私もエスカレーターの下りで母と叔母だけ降りて私は置き去りのことあったわ
母が下りエスカレータを駆け上がってきたのが滑稽だった
ありえないよね… >>62
ちゃんと見ててほしいですよね。
でもちゃんとすぐに気づいてくれたんですね、うちの母は多分わざとだったんですよね。思い直して迎えには来たみたいだけど。
これが元で母親と信頼関係を築けなかったのが残念です。 信頼関係を築けなかった原因って、他にもありましたか?
つらいことを思い出せる質問だったら、答えていただかなくても結構です。
無神経な質問をしてごめんなさい。
幼少時のちょっとしたアクシデント(こんな言い方してごめんなさい)が原因で
その後の親子関係がぎくしゃくするのって、母親の立場からするとこわいなあと思ったので・・・ >>64
>信頼関係を築けなかった原因って、他にもありましたか?
怖がらせてしまってすみません。
この板の住人で、子供の事をあれこれ気にかけてくれるような母だったら普通の親子関係だったと思います。
先にも書いたように母は発達障害の疑いもあったり、普段から会話などほとんどしませんでしたし、この時もフォローなどありませんでした。
この出来事は一番インパクトがありましたが、それ以外の普段の生活もいろいろ問題があったのでなるべくしてなったんだと思います。
普段の生活でしっかりコミュニケーションがとれていれば、何かアクシデントがあったからと言って簡単に信頼を失うということはないと思います。我が家はそれがなかったので… >>65
64です。詳しくありがとうございました。とても参考になりました。
コミュニケーションと何かあった時のフォローを大切にします。 3歳くらいの時
家に来客があると、お気に入りの豚の縫いぐるみを持って親と客のすぐ側で遊んでた
豚の事を褒めてもらいたいような気持ちだった >>67
なるほど〜
これから幼児の子に会う時はその子のオモチャのコンパニオンも一緒に褒めてあげよう >>59
>たぶん幼稚園時代。
>粘土をプリンカップとかに詰めて型を取るのにはまっていて、ふと自分の鼻の穴の型を取ろうと思い立った。
>台所で仕事をする母の背中を見ながら鼻に粘土を少しずつ詰めていきキレイに埋まり切った。
>しかし詰め終わった後で鼻が取れないから粘土も取れないという事に気付き「どうしようどうしよう」と焦り、しかも息が出来ないのでパニックで大泣き。
>そこで母が気付いて大騒ぎ。
>鼻の穴に詰めて型を取ろう!ピコーン!と天啓のような閃きだけで突っ走ってしまったので、鼻が取れないと気付いた時の絶望感といったら。
>こんな理解不能な突飛な行動をすることがあるので、片手間で仕事をしていても子供の事はマメに見ていようと思ってる。
>
>しかしその後の事覚えてないんだよね。病院行ったのかな?
>ちなみに父も妹もそれぞれ幼い頃鼻に物を突っ込んだそうなので家系だろうか。
>現在1歳の娘は何を入れるのかと心配で仕方ない。
あ 保育園での話。
猫が好きな私は猫の絵ばかり描いていた。色鉛筆で図鑑を見ながら色んな種類の猫を描いていた。みんな口を揃えて、上手ね!、素敵ね!、誰よりも絵がうまいのね!って褒めてくれた。
その後、好きが高じてか小学生の頃作った粘土の器が市でやってる展覧会に選ばれて飾られることに。その後、中学生で描いたアクリル絵の具のイラストも選ばれた。
それ以上伸びることはなかったけど、ずっと図工、美術を好きでいられることができた。なので子どもには絶対に下手くそ、こうやったほうがいいよ、とか言いたくないなぁって思いました。 2歳の時。
親が家を買って、両祖父母が見に来た。
たいして広くない部屋だから、自分の体すぐ側によく知らない大人の足がにょきにょき生えてて
怖くて泣きそうになってた。 祖父母で思い出した、4歳頃のこと。
いつも通り母方のじいちゃんばあちゃんの家に遊びに行った時、母が「じいちゃんばあちゃんはお母さんにとって誰なのか知ってる?」と聞いてきた。
私は、そう言われてみると知らないなあと思って、「お母さんのお父さんとお母さんなんだよ」と聞かされると
「お母さんにもお父さんやお母さんがいるんだ!それがじいちゃんとばあちゃんだったんだ!」
と軽く衝撃だった。
確かに教えられないと時々会う仲の良い年寄りくらいの感覚だよなあと思って、1歳の娘には理解できないだろうけど一応「今日はおじいちゃんとおばあちゃんに会いに行くよ。ママ(パパ)のパパとママなんだよ。」とか教えてる。 私も、自分の両親にもお父さんお母さんが居るって認識?した時は軽く衝撃だった。
小さい時って自分のまわりだけが世界の全てみたいなイメージだったから、すごく狭い世界でしか考えられなくて。
幼稚園の頃かな、子供なりに紙に家系図みたいなやつを書いて、自分から始まりお父さんにも両親が居て、お母さんにも両親が居て、って枝分かれして増えてって、そしたら私にはおじいちゃんとおばあちゃんが2人ずつ居る!なんで?って軽くパニックになった記憶が…w
何故かおじいちゃんとおばあちゃんは一人ずつっていう先入観というか固定観念があったんだよね。
母方の祖父母とは遠くてなかなか会う機会がなくて、おじいちゃんとおばあちゃんと言ったらいつも会ってる父方の祖父母だけだったから。
あと両親のきょうだい(おじ、おば)の位置付けについても謎で、家系図を書きながら頭の中ハテナマークだらけになり…おじいちゃんとおばあちゃんにも更にまた両親が居て…と考えたら思考停止状態だったw
子供には難しいよね。 両親にもそれぞれ両親がいる、以前に、父と母は自分の為にそれぞれいるくらいに考えていた超自己中な子供だった私w
父は団塊世代で仕事命な関白亭主だったから、両親が仲良い実感が無かった(仲が悪かった訳では無い)
父と母の役割分担が家庭内でも自分に対しても、しっかり線引きされてたからそう感じていたのかも。 小さい子どもにとっては今現在が全てで、大人にも自分と同じような子どもの時期があったってことすら理解しづらい。 自分が大人になるのも想像つかなかったしね。
大人は最初から大人なんだと思ってたわ。
小さい時は誰でも自分が全ての中心だと思うというか、それ以外無いんじゃないかな。 6歳の時、多分考え事しながら歩いていて
命とは有限であり自分もいつか老いて死ぬんだって気付いて
殴られたようなショックを受けたのをこの流れで思い出した。
1人の帰り道をトボトボ歩いたわ。 乳幼児の不思議発言スレ見てて思い出した
3才ぐらいの時の事
母が切迫で、祖父母に長らく預けられていた私
部屋にあるものが何でもかんでも顔に見えてとても怖かった時期がある。
壁の木の節に始まり、カーテンの結び目からシーツのシワ、天井の模様まで。
ぬいぐるみや、昔のアイドルのポスターなんかは今にも動き出しそうでとても怖かった。
(でも口では「顔がある!」とか「ぬいぐるみ動く!」とかしか言わなかったと思うので、付き合ってた祖母はさぞ不気味だったと思う。)
何か不気味な事を言っても、霊的なものでない事はとっても多いと思うので
どうかビビらずに大丈夫よ〜と言ってあげてほしいです あーあったあった!なんでも顔にみえる時期。なんだろうね、あれ。布団の模様とか、壁紙とか色んなものが顔にみえて楽しかった覚えがあるよー。 なんでも顔に見える時期!
それだったのか、自宅のトイレに飾ってあった
イルカのいる海底の絵の岩がはっきり顔に見えて怖くて
トイレで向かい合うから泣いてパニックになるほどだった
父は「そうかなあ?」と言っていただけだったけど
母は「そう、怖いの。じゃあ外そうね」とすんなり外してくれたのは嬉しかったなあ
たぶん一人で便座に腰掛けていたから幼稚園の頃だと思う
うちの子もちょっとわかりにくいものを怖がるんだけど
その時はなるべく否定しないで「へえ、怖いの、じゃあ抱っこであっち行こうね」と対応している
ちなみに私はなんでも自分でやりたがる子だったけど
母は不安がらずなんでもやらせてくれる親だった(いろいろ早すぎたと思うけど)
私の子もなんでも自分でやりたがるので、温かく見守ってる そういえば、3歳の頃、ハワイ旅行に言ったんだけど
顔より大きなアイスクリーム、大きな大きなハンバーガーを食べた思い出なんか少しもなくて
泊まったホテルのエレベーターで移動中
「わたしは、英語だったらアップルしかしらない」と言っていたところ
エレベーターが止まり、扉が開き、正面に立っていた従業員の若い黒人男性に
その会話を聞かれ、クスリと笑われて恥ずかしかったことだけはよく覚えている
あとホテルでセーラームーンが見れた感動とかw 2歳の頃、12面体くらいのブロックをはめ込む知育玩具(プラスチックで、いろんな形のブロックを同じ形の穴に入れてくやつ)が嫌いだった。
好きな形(星とか丸とか)は結構すぐに見つかるんだけど半分くらい入れた位で、ひし形と台形とかの穴がいくら探しても行方不明。
似たような形の穴に無理やりギュッって入れようとして、手から滑ってブロックがポン!でモヤッ。
お母さんに聞いても、「ココ」とあっさりブロックを入れられ「さっきなかったのに」とモヤッ。
または「探してごらーん」で教えてもらえず結局見つからないイライラでいつも途中でやめてた。
そのおもちゃに対する感情を言葉で表すなら本当に「なんなんだクソつまんねぇ。バーカ!バーカ!こいつ大嫌い!」みたいなイライラだったw
イライラMAXでぎゃあぎゃあ泣いて母が呆れてるのにも「だって!!!!」とさらにイライラしたりしてた。
普段転がってても「フン。つまらない癖に。絶対遊ばない」と手は出さず。
しばらくして気が向いて触ってみるけど上記、でストレス!の繰り返し。
触ることもなくなってしばらーくして、久し振りに触ってみたら「あら、全部の穴あるじゃん」とすんなり全部片付けられた時のスッキリ感www
子供が産まれて昔のおもちゃを漁ったときにそれが見つかって、アー…とぶわっと思い出した。 2歳の頃。
叔母の結婚式に行った時。
白いご飯が食べられなくて、「のりたま!のりたま!」と母にねだった記憶が。
同じ頃。
よく行く近くの公園に、緑色の服を着たお友達がいた。
公園だけで会う友達。どこに住んでるかは知らない。
私はその子といつも公園の隅っこで石を積んで遊んでた。
後日、母曰く「あんたはいつも公園の隅っこで一人で石を並べて遊んでたわね。独り言ばかりぶつぶつ言って。」と言われて寒気がした。 0歳の時。私はベビーカーに乗ってて、父が「いってきまーす」とニコニコ手を振ってた。父と太陽が微妙に重なってて眩しくて目が開けられなくて、手も振りたいけどまだ振り方が分からなくってもどかしかった。
4歳の頃寝てる時母がさらわれたら、絶対私も一緒について行く!とわけのわからない妄想をして、母のパジャマの裾をいつも掴んで寝てた。
大人になって母に話したら、それであんなにギュッと握ってたのかーと笑ってた。 何歳かはわからないけど2歳以下なのは確か。
リビングで仰向けに横になっててリビングから玄関が見える間取りだったんだけど、6、7cm玄関が開いてた。
そこから飼ってた猫がスルッと出てって『あ、猫逃げちゃう…』って思った
親に話したら確かに昔猫を飼ってて玄関から逃げて戻らなかったんだと言われた
なんかしばらくしたら別の家で飼われてたらしい。 多分、1歳の頃の記憶だが、頭の中では色々考えていても、
言葉にうまくできないもどかしさがあった。口から出るのは、あーとかうー。
大人や姉の言っている事は理解はしていた。
幼児期の記憶では、子供は元気に遊ぶもの、はしゃぐものと思っている大人ばかりだったのが苦痛だった。
一人で本を読んでいたいのに、親戚の子供たちが集まった時なんかは憂鬱で仕方なかった。
滅多に会わない人達の前で、他の子の高いテンションに合わせるのは恥ずかしかったし、
そんな気おくれした状態の時に「おとなしいね」と言われるのは辛かった。 幼稚園の頃だと思うので、
スレチなんだけど…
なんのきっかけかわかんないけど、
両手にうちわを持ってパタパタ羽ばたきつつ
「にっぎにっぎにっぎにっぎ
にっぎりっめしっ♪」
と叫びながら家の廊下をひたすら
ピョンピョン走って往復してた。
なんだかその歌?と動きがツボにはまって
楽しくて楽しくて仕方なくて。
まわりで母や祖母が困惑してた、てか
半ば心配してた
(どうかしちゃったの的な意味で)
のはわかってたし、
自分でも頭の片隅で変だなぁと思ってたけど
とにかく楽しくて止められなかった。
もちろんその時一回っきり。
なので、いま3歳の娘が変な言動をケラケラ笑いながらしてても、
あー、今それがツボなのね、と
生温く見守っていられるww >>95
スレタイ幼児期ともあるからいいのでは?
赤ちゃんの記憶じゃないから〜と書き込まないのは勿体無い、もっとみんなの記憶読みたいわ 多分3歳くらいかなぁ
当時車の中でいつもWHAM!のアルバムのテープがかかってたんだけど
ある時いつものように歌いながら唐突に
「あ!これ!これが音楽っていうものなんだわ!」
って気付いた
それまでの童謡は音楽じゃなくてね
まさにヘレンケラーみたいだったなーあの感覚
全く育児に役立たない記憶ですんまそん 育児に役立ちそうもない内容でも、幼少期の記憶って貴重だし読んでて面白いから、そういう事はあまり気にせずに書いても良いよ 幼稚園の卒園式の練習してたときの話。
園長先生見て卒園証書をもらうっていう練習で、先生たちが『園長先生を見て!』って言ってくるんだけど
園長先生って誰?状態だった
キョロキョロしてたら先生に頭を無理矢理まっすぐに向けられた
まっすぐ前見て!ならわかるけど園長先生なんて普段見ないし知らないよ… 3age
くらいの自分。
庭で穴掘ってんだけど
地球の核に到達するくらい
掘ってやるーとか考えながら
掘り進んでた。
公園の砂場で山造ってる
ときも、富士山くらいの
山作るぞ〜て途方もない
夢想してた。
子供の想像力は∞ >>99
昔は園長先生は事務員的存在で表に出てこないから確かによく知らなかったよね
今は園長先生も他の先生と同じように子供と接してるから年少の息子もちゃんと知ってるけど >>100
保育園で穴掘りしてたら友達の母親に「地球の裏まで行けそう?」と言われたけど
私は「何言ってるんだこの人は?
そんなに掘れるわけ無いじゃん」と思った
色んな子供がいるんだなあ >>102
一見普通の砂場遊びしてる
ようにみえて
とてつもない考えを夢想してる
子供もいるんすよ。 幼稚園の流れで思い出した
私は年長になる時に引っ越して別の幼稚園に転園したのだけどそこが制服の幼稚園だったんだ
男の子は角襟、女の子は丸襟だったんだけどなぜか私だけ角襟を着てて
それに気付いた途端恥ずかしくて襟持って顔下に向けて隠してたw
母は角襟の方がかっこいいじゃんと言ってたし引っ越しでわたわたしてて
考える余裕がなかったのかもしれないが合わせてほしかったな〜 3歳くらいかな?通ってた保育園のお昼寝の時間になかなか眠れなくて寝たふりをして起きてた。
女の先生二人がずーっと園児の親の悪口を言ってた(○○の親はいっつも軽トラで来る。ありえないwとか)
あとは将来の夢を聞かれた時に私はまだ自分の名前にちゃんをつける癖が抜けてなくて「私ちゃんはせんせいになりたいな」って答えた。
そうすると先生が「自分をちゃん付けで呼ぶのやめな。そんな子が先生になれるわけないじゃん」って言った。
どちらもすごくショックだったからはっきり覚えてる。
当時共働きで忙しかった両親には延長保育もかなり遅くまでやってくれたし休日も見てくれたからすごく助かったと思うし、未だに卒園児の親の会とか参加してる。
でも保育園の先生って基本的に低学歴な人多いし親に良い所が子供にとっていいところじゃないわけだから気をつけなきゃなって思う。 幼稚園教諭なら国立4大卒もいるけど、保育士はせいぜい名前書けば入れるレベルの短大卒だもんね。 子供を指導する役の人にはそれなりの権威が必要だよ。
そうやって親が保育士をバカにすることが
保育の質を落とす要因になってると思うけどね。
とか言うと短大卒乙とか言われそうなので先回りしとくと
自分は偏差値エリート街道突っ走ってきたクチですから。
まあ>>105の前半の親の悪口を子供達の前で言う先生はろくでもないとは
私も思うけどね。 年少の頃、保育園でサンタのことを知って、
うちに帰ってから「サンタっているの?」って聞けば良かったのに
「うちの煙突ってどこにあるの?」と明治生まれの祖母に聞いたら
「ここにあるべえ」と換気扇から出た細い筒を指差され
あれ…なんか違うな…と感じでサンタを信じる気持ちがそこで終わった
我が子では何とかしてサンタごっこをやってみたい >>107
>>105の文面でバカにされてるって思うの?
卑屈だね クソ寒い地方
3歳か4歳ぐらいだった
就寝前に、居間のストーブが消えてるか見てきて、と言われ、ついてないと報告した
そしたら、何故だか「嘘をついたら、死んだ後地獄に行くんだよ」と怒られた。
(何故だか嘘をついてると思われたらしい。もちろんそんなつもりはない)
死ぬまでに一度も嘘をつかなかったら、天国に行ける。でも嘘をついたら、地獄に行くと諭された。
じゃあ、お父さんもお母さんも天国には行けないんだな。と思った。
天国に行けるのは、100人に1人ぐらいなんだろうなと思った。(ちなみに100というのは、当時の私には想像がつかないほど大きな数)
その少し後、夢を見た。
既に死んでいるという設定の人が何人も居て、そのうちの1人が「この人は天国に行った人です!」と紹介され、
とってもすごい人だと思う夢だった。
ちなみにその時、地獄がいかに恐ろしい所かを語り聞かされ、お父さんもお母さんも自分もみんな、死後はそんな恐ろしい所に行かないといけないんだと絶望した ホラ幼児てさコトバ覚えたての
頃は凄いて良く使うし
マイブームじゃん。
そんコトない?
オレッちはそうだったんだよ。
ところが、スが発音出来なくて
クゴイ、クゴイねえ〜
クゴイクゴイ
とか言うてた。
親も面白がって、矯正されなくて
随分長い間そのままだったw 多分4〜5歳
夜寝る前に母に絵本を読んでもらうのが日課だった
ひらがなだらけだから当時の私でも読めるけど母に読んでもらうのが大好きだった
絵本の最後ら辺に文字が小さくて漢字だらけの文章があるのを見つけて、でも自分じゃ漢字は読めないから
母に何が書いてあるのか尋ねたら「物語の続きが書いてあるんだよ」って言われた
そんな事言われたら続き知りたくなるから「読んで!読んで!」ってお願いしたのに母が頑なに読んでくれなくて「なんで読んでくれないんだろう意地悪だな」って悲しかった思い出
今考えたら本の後書き部分だから子供に読んでも白けるだけだから母は子供には読めないし読んで読んで言われて母は困っただろうなw >>115
変にファンシーな返しするもんじゃないんだね
楽しげな答え方してくれたのにねー
夢がなくても、子供にはおおよそ正直でいようと思う
>>116
そんコトないさ
オレっちよりはよっぽど面白いよ >>115
うちの子も読んで欲しがってた!
あとがきだけじゃなくて訳者の言葉とかだったりしたけど、
しょうがないので「作者は1912年にアメリカに生まれ幼少の頃から…」とかそのまま読んでやった。
だいたい途中で「もういい」ってギブしてたわw >>120
かわいいw
一見、不毛なやり取りだけど
これで醸成される親子の信頼関係もありそうだし
子は世界の不可解さを知るのかも 幼少期、母親がやってくれた好き嫌い矯正メニューや
栄養のバランスを考えて色々混ぜ込んだメニューが大嫌いだった。
大好きな納豆にシラスを混ぜ込まれたのは特にダメで
暫く納豆が食べれなくなった。
そのせいか、今でも色々混ぜて手の込んだ料理や物が苦手で
シンプルで分かり易いのが好き。
自分が好きな感じで子供を育てたら、好き嫌いしない
安定した子供に育ったので何か悔しいw 私も嫌いな椎茸を細かくして入れられるの嫌だったな
小さくても見た目や匂いで分かるから全部除けて食べた
手先が器用なのはそのお陰かも 椎茸なんてたいした栄養もないのに、どうして無理矢理食べさせたがるんだろうね 3歳くらい?だったと思う
昭和の頑固親父だった父は怒るとすごく怖かった
ある時コタツに入ってナイフで遊んでた(子供の手の届くところに置いとくなよと思うが)
案の定手を切って派手に出血
痛いとかより怒られる!どうしよう!としか思えずコタツ布団の下に手を隠した
不審に思った姉がコタツ布団をはぐと血まみれで焦って父に報告した
もうダメだ!怒られる!と思って目の前が真っ白になったが、なぜかその時は怒られず黙って手当てをされた
手当てをされながら「あれ?怒られない、どうしてだろう」とただ不思議だった
さすがに怯え過ぎてて不憫になったんだろうか
かわいいエピソードじゃなくてごめん >>125
単純に、親の方が焦っていたのではなかろうか 3歳くらいのとき、ヤクルトを前歯でガッと開けてちゅーっと吸いながら飲んでたら
そこに舌が吸い込まれていってとれなくてパニックになったことがある。
周りの大人もあわあわしてて、もうダメかと思った。
その内の誰かが箸を持って来て余白?のアルミ部分に穴を開けて救出してくれた。
アホな話だけど、みんなも気をつけて! 3歳くらいの時、音楽教室みたいなところで小太鼓を叩くリズムが「ト・ト・トーマート」だった。
我が子に初めて生トマト食べさせながら「トマトだよ、トマト。ト・ト・トーマート」と自然と口をついて
30ン年ぶりにその教室の光景が頭の中によみがえってびっくりした。 自分は産まれる直前の子宮の中にいた記憶だな。しばらく真っ暗で何も見えなくて、
突然目の前が真っ白になった事はよく覚えている。
もう一つは、家で親父が若干離れている場所で棒立ちしてて、自分は親父を見たとたん
嬉しい気持ちになって親父に飛び付いて言ったんだ。「私の名前は何て言うの?」って。
そうすると親父は微笑んで「○○だよ。」と、優しい声で答えた。ぼんやりとした記憶だから
いつの記憶なのか、現実なのか夢なのかわからないけどね。 自分の住んでいる場所に地球、日本、九州、○○県、○○市、○○町などとたくさん名前があることが不思議だった幼少期。
文字も、例えば自分の名前が愛子として、『愛』『子』それぞれの漢字に意味があることがなんだかとても不思議だった。
うまくいえないんだけど、自分の名前に名前以外の意味があることが面白かった。
ひらがな一文字にも漢字と同じだけ意味があると思い、母に意味不明な質問をしまくって困惑させた。
自分で言うのも変だけど、知的探求心が旺盛な子どもだったと思う。
父が面白がって、幼稚園の頃に広辞苑みたいなめちゃくちゃ分厚い辞書を買ってくれてそれに没頭した。
読書感覚で辞書を読んでた。祖父母と同居だったので、誰かしら大人を付け回して読んでもらったりもした。
結局、別にすごい天才児が育ったというようなことはなく、至って平凡に進学就職結婚出産して今は専業主婦だけどね。
学校の成績も中程度だったし。でも、国語が大好きになって国語だけは試験などでほとんど点数落としたことがなかった。
一つ得意なことがあるというのが、理数系と美術と体育が絶望的にダメな私の自信になった。
大袈裟でなく、このおかげで学校生活も楽しかったと思う。
自分も現在育児中だけど、いつかくるであろう、子どもの『なんで?』にはとことんつきあってあげたいと思う。
意味不明な質問に至る思考回路、なんとなくわかってあげられる気がする。 眠れなくてダラダラ書いてたら長文になってしまってごめんなさい。 うちの妹も平仮名の「あ」の意味を母親にしつこくきいていたなあ
一歳上の自分(4〜5歳)は(平仮名は表音文字だから漢字と違って意味なんてないのになあ
妹はちょっとバカなのかな…)とか思って見ていた冷めた子供だった
小1の時にIQテストしたら300人中1番だったと先生に言われたので、そのせいもあったのかな
その後も、勉強は全教科得意のまま大学までいけた
全教科偏差値70台で苦手教科がなかったので「どの教科が得意?」とかきかれても
答えられなかったし、自分はこれが得意!とか特に自信にならなかったなあ
一つ突出したものがある方が自信がつくのかもしれないね >>133
勉強以外もオールマイティなの?
そうじゃないならあなたの自信は「勉強が全教科できる」なんだと思うけど
小学校の頃IQが一番だったことや全教科偏差値70だとかが自慢なんじゃないかな
それより131や妹さんを冷めた目で見るような書き込みにヒヤッとしてしまった
ただの釣りなのか頭の良い子を持ったら優しさを育てるよう気をつけろってことなのか まあまあ、スレ違いな話を引っ張りなさんな。
勉強だって上には上がいるから絶対的な自信にはならんもんだよ。
オール70のヘンサチに相応しい学校に入れば
みんながヘンサチ70だから大衆に埋没さw >>135
ごめん、自分の子供の頃の話だが、私は文字に色を感じる共感覚があるんだけど
保育園で黒字で書いた「あ」を友達に「なんであって赤なのかな?」って言って
「黒だよ。赤じゃないよ」って言われたことがあるんだ
それが馬鹿にしたような勝ち誇ったような言い方で
すごく腹立ったのをなんか133見たら思い出して腹立ってしまった…
133の妹さんの「あはどういう意味?」というのも
大人だから「なんだか詩的、哲学的だなー、子供って面白いこと言うな」と思えるけど
同じ子供からしたらやっぱり「ただの表音文字だよ何馬鹿言ってんだ」なんだろうね 不勉強で共感覚って言葉自体を知らなかったが面白いね。
大人になっても持ってるの?
芸術的な才能と繋がっていそう。
自分の一番古い記憶は牛乳が美味しかったこと。
それまで飲まされていた生温かくて甘ったるいミルクと違って
冷たくてすっきり爽やかな飲み口が本当に美味しいと思った。
のでミルク拒否の娘も牛乳なら好きになってくれるかと思ったけど
娘は牛乳も喜んでくれなくてショボーン >>134
音楽も図工も体育もできたんだ
いつも五段階オール5だった
でも99点とっても親になぜ100点じゃないのかといつもネチネチ言われてたので自信は皆無
>>131さんの
>自分で言うのも変だけど、知的探求心が旺盛な子どもだったと思う。
にちょっとイラっときてしまったのでイヤミっぽく書いてしまった
勉強も中レベルで美術も体育も絶望的なのに、国語が得意というだけで
知的探究心旺盛とかそんなに自信持てるんだなあと
>>134
>ただの釣りなのか頭の良い子を持ったら優しさを育てるよう気をつけろってことなのか
優しさじゃなくて、子供の成績を褒めずに常にネチネチ言う親にならないように気をつけてもらえればと思うよ
>>136
共感覚持ちの人って、共感覚がわからない周囲に腹立てること多いけど、わかるわけないじゃん
黒ペンで「あ」って書いて、どうして赤なのと言われたら、そりゃあきれて黒だよと言うでしょ普通
共感覚は否定しないけど、見えない人からは霊感あると言われるのと同じ感じだよ
そういう自覚は持ってほしい >>138
あなたも親御さんのようなネチネチした人になってしまっているよ… 子供なんだし、当時は腹立ってもしょうがないと思うなあ。
あと純粋な興味なんだけど、>>133さんはその後どんな人生を歩んでるの?
「十で神童十五で才子二十 過ぎれば只の人」って言葉あるけど、
成長でどうなったか知りたい。 えー、興味ないな。とりあえずいじわるババアになってるってことだけは書き込みでわかるし。 私も変なとこませてたのか
幼稚園とかで集団で踊ったり同じことするの好きじゃなかったなぁ
こんなことしてなんになんだろ…みたいな、冷めた感じ
大人からみたらうざいガキだったろうなーと思う。
頭は平々凡々ですがね。 >>142
タモリが同じようなことテレビでよく言ってたねw
私は単純な子どもで音楽がかかるとノリノリになっちゃって、お遊戯大好きだったなー。
手先足先までビシッと決めて踊ってたらしくて、親としては微笑ましかったんだろうけど、録画したビデオを見ながら
「他の子と違ってあんたのお遊戯だけこんなにビシッとポーズ決まってて面白いね〜!」
と笑いながら言われたのが何だかからかわれたようで恥ずかしくて、一生懸命頑張ってたらそうなっちゃうだけなのに…と悲しかった。
自分の子どもを褒める時も、変な風に伝わらないよう気をつけよう… >>136
私今でもあるw
あ→赤 い→黄色 う→水色 え→オレンジ お→青
そういえば小さい頃牛乳は白っぽい味だから嫌いだったな お遊戯じゃなくて幼児英語だけど、教室では発音がいいねって褒められたのに、両親には発音よすぎwって笑われて、何だかそれが凄く恥ずかしくてそれからわざと日本人の英語みたいな発音に直すようになった
微笑ましくて笑ったのかもしれないけど、小さい子には心の傷になるよね >>144
自分は「う」は茶色だし、「え」は黒、「お」は焦げ茶だ。
共感覚者同士は共感できないな… 3歳ぐらい
夫婦喧嘩で母がヒステリー起こして泣き叫びながら食器を床に叩きつける
嫌な記憶ほど鮮明に残る 三歳頃に庭のブランコでごはん食べた記憶。
母が用意してくれて、食べててねって少しの間家に戻った間の食べたものが美味しく感じなかった。
いつも食べてた俵おにぎりにほうれん草の海苔巻きなのに。
お家の中で離れても多分平気だったけど、外だと急にひとりを意識してしまったんだと思う。
晴れてるのに午前中の日陰のひんやりした空気とか、さっとたった鳥肌とか覚えてる。
幼稚園の頃、俵おにぎりもほうれん草の海苔巻きもよくお弁当に入ってたけど本当は好きじゃなかった。
あまり好き嫌いはない方だけど、この体験が関係してると思う。
母はブランコでごはん食べたら楽しかろうと思って段取りしてくれたんだろうけど、一緒にごはんの方が良かったんだなぁ。 茹でたほうれん草を出汁醤油とかで絞って、海苔で巻いて一口大にカットしたものです。
お浸しを食べやすい形にしたものかな。
ほうれん草は今もマヨネーズ派。 横だけど、ほうれん草の海苔巻きってお弁当に良さそうだな、来週のお弁当の日が有るから入れてみよう。
私が2歳半頃にアイロンを触ってしまい右手の甲に火傷跡が今も有るけど、記憶には全く残ってない。
でも母が何度も話すから、母の説明通りの映像が私の記憶の様に裏に浮かぶけど。
私の一番古い記憶は、年中の夏に父の会社の保養所でプールに入ったこと。
逆にそれ以降の記憶はかなり残ってて、良い事も悪い事もその時の感情と共に説明出来るので、これが物心がついたという事なのかな? 二歳くらいの時だと思う。
夜寝ているときに突然「お母さんに膝枕してもらって、お腹に顔をくっつけて寝たいな」と思った。
でも母にどう伝えていいかわからなくて色々考えていたら
「そうだ!泣けばいいじゃん!!」
と閃いたのでその場で大泣きして自分の思い通りの格好で寝かせてもらった記憶がある。
悲しいとかどうしたらいいかわからないとかじゃなくて、
泣けばわかってもらえる!そうだ泣こう!みたいな明るい感じなんだけど、母からしたら単なる夜泣きだったんだなぁと最近子供の夜泣きに付き合いながら思う。
なので夜泣きには割りと寛大に付き合えている…気がする。
もうひとつ、四歳頃に集めていたシールを食器棚の引き出しに大切ににしまっていたら、ある日妹のトイレトレ中のご機嫌とりに使われている最中に遭遇して物凄いショックを受けた。
そのときは「あの引き出しはお母さんの引き出しだったんだ、そこにしまったからお母さんの物になっちゃったんだ」
「でもどうみても子供のシールなのに勝手に使うなんて…」ともやもやした感じを大分長い間ひきずった記憶がある。
その記憶があるので子供の物は勝手にいじったり使ったりしてはいけないと強く思う。 なるほど!ためになる。
夜泣きされるとどっか痛いのかな?怖い夢でもみたのかな?ってオロオロしちゃうけど、そーいう前向きな夜泣きもあるんだねw 4歳頃
反応が面白いのか、父親が私をくすぐるのが好きだった
でも私はくすぐられるのはあまり好きじゃなくて、でもくすぐられると笑いが止まらなくなるので
きっと父は私が楽しんでると思ってたんだろうなぁ
息が苦しくて苦しくてたまらなくなるし、全身がクタクタになるので「や〜め〜て〜!」と訴えるのだけど、笑ってるからスルーされる。
ある時、どんなに言ってもやめてもらえなくて、ゲラゲラ笑ってた直後に大泣きした事がある
そして今の主人に当時の父と同じ匂いを感じて、どうしたもんかとちょっと悩む >>154
そうそう!息が出来なくて苦しいし、ぐったりだった!
すっかり忘れてた。
くすぐるって笑わす方法でいちばん簡単だから、最近多用してたわ orz >>154私も姉には散々くすぐられていて、挙句に「喜んでるかと思ってた!」って言われた時は殺意が沸いたなぁ。 連投ゴメン。
自身の経験からくすぐりは嫌なものなので、子供にイタズラされた時、怒るかわりにくすぐってるよ。 分かる、私もくすぐられるのすっごい嫌だった
でも娘3歳は「も一回、もっとくすぐってぇー」って言うんだよ
これ何、くすぐられるの好きな子がいるってことなの?
混乱中
いくつの頃か覚えてないけど多分2〜3歳の頃
私は畳に寝てて、脇に母が座って髪をかきあげてくれた
それで目が覚めたんだけど、途端に頭から奈落に落ちる感じが
ほんと、奈落からすごい引力で引き摺り込まれる感じ
慌てて叫びながら母にすがりついたんだけど、それでも落ちる感じは止まらず、しばらく叫んでたかな
母は意味が分からずパニックだし、私もパニックだしどうしようかと思った
何だったんだろ
それ以降もたまーに落ちる感じがあったんだけど、未だに謎 低年齢だと嫌だとは思わないのかも?と推測
2ヶ月の娘は笑いすらせず無反応だからw
そして大人になった今は笑いもせずに不快感感じるだけだしね。
>>158
アリス症候群の激しいやつとか? >>159
あー言われてみればたまに寝落ち直前にアリスになってたなぁ
でも夢との境目みたいな感じだったけど、あれもアリス症候群かな
ぐわーって風船(実際にはない)が大きくなって押しつぶされたりとか
落ちるのもそうだったのかな? うちの1歳児も足の裏くすぐると「もう一回!」って感じで足を差し出してくるよ。
節度を守れば親も子もくすぐり遊びを楽しめるんじゃないかと思う。
私も親にくすぐられすぎてトラウマになったから、子にやるときは
長くくすぐらない・子が嫌がったり飽きたらすぐやめる、は徹底してる。 そういえば、くすぐる時の母親のテンションは好きだった!とびっきりの笑顔が見れるし楽しい雰囲気がいいよね。 あまり自分の幼少期の記憶ないから為になるわ
少ない記憶
私が3歳の時なくなったおばあちゃんの作る俵おにぎりとお味噌汁は当時の子供だった私には味がよく分からず美味しいという感じでは無かった
それでも夢中で食べておばあちゃんにも美味しいと言っていたらしい
説明しづらいが味ではなく愛情のようなものを食べた気がする
すっごくくせになる感覚があった
最近母からあんたはよく可愛がって貰ったんだよーと言われてその時の味や感情を思い出した
離乳食食べない娘だが他にもいっぱい愛情を注ぐようにしたい 幼稚園くらいの頃
親と同じ布団で寝るときがあったんだけど、大人と体の厚みが違うから布団がかかってなくて寒かった
あと腕枕されたんだけど、腕が高いから首が痛かった記憶が
だから今自分が子供と寝るときはかけ布団はわけている >>164
ありがとう!
今まさに子供と寝る用にダブルのお布団買おうと思ってたとこだった!
分けて買うことにする 羽毛布団ならどちらの身体にも密着して掛かると思うよ スレチだったらゴメン。
宝石とか光るものが大好きで宝石屋さんのチラシとかセボンスターとか集めてた5歳ぐらいの女の子でした。
ある日、母親が靴に小さいラインストーンの付いた靴を買ってくれたんだけど、光るもの大好きな私は、会う人会う人に「見て!ダイヤ付いてるの!この靴ね、ひゃくまんえーん!」と自慢していた。
親戚のおばさんとか笑いながら「ねぇこの靴いくら?」って聞いて来るからすごい食い気味に「ひゃくまんえーん!」と叫んでた記憶がある。
高いもの=ひゃくまんえんというら短絡的な考えの女の子だったなぁ… ああ、わかるよ
私は高いもの=フェラーリだったから、将来はフェラーリ乗るの!ライトがパカッて開くの!とか言ってたな 何であぼーんなのかと思ったらフェ○ーリであぼーんされてたのか… 空に飛んでる飛行機が小さく見えるのをホチキスの芯が飛んでると思っていた ただの思い出話なんですが…。母親とチューしてたような記憶があるけど、少し成長してからは恥ずかしくて忘れたい過去となりました。今となっては母にその話を聞く勇気がないです。 >>171
ウチの11ヶ月は9ヶ月頃からチューを自発的にはじめた。
教えたことも見せたこともなかったのに、びっくり。ほほえましかったよ。
恥ずかしくなんかないよ。
ただ、寝る前や寝起き、不意打ちに、ぶっちゅうううううと頭を抱え込まれてのチューは
なんかセクハラっぽいです。 2歳くらいだったのかな
親と手を繋いで歩くとずっと手を挙げてる状態になるからすごく疲れた
ついちょうどいい高さの母のスカートをつかんでしまい
歩きにくいから手を持ってね、と言われるんだけどいつの間にか服をつかんでた
やっと手を繋いで歩けるようになった子が急に手を振り払ったときは
疲れたのかなと思って反対側の手を繋ぐようにしてる これコピペ?前、違うところで読んだ。
それから手を繋ぐときは私が思いっきり腰を落として、子供に負担がかからないようにした!
前より繋いでくれるようになって助かってます。ありがとう! 幼稚園にいくとき、母に玄関まで送ってもらって別れる時に必ず口でキスしてから幼稚園に行っていた。それが、精神安定剤みたいなかんじでキスすると幼稚園楽しめるみたいな。
周りからからかわれたりしなかったので卒園までずっとしていたが、小学校3年生くらいのとき、それを急に思い出して死ぬほど恥ずかしくて二度と同じ幼稚園に通っていた子達には会えないと思った。 息子は私に似て気難しくて扱い難いけど、「幼稚園行きたくない」→「お煎餅食べたら幼稚園行ける?」→「うん!」てなる時がある。
私もそういう事があったけど、やっぱりこどもだな〜お菓子で釣られるなんて単純wって笑われたりするのがすごく嫌だった。
お菓子はただのきっかけに過ぎなくて、心の中にはこれを食べたら気持ちを切り替えようっていう葛藤があるのに単純pgrされるのが心外だった。 長文失礼。たぶん3歳位
出掛ける前、余裕のある時間にトイレ誘われたけど出ないと言って行かなかった
家出る寸前に行きたいと言ったら母が激怒して一人で置いてかれた
いっぱい泣いて家中歩き回ってセールス電話で「お父さんかお母さんいる?」と言われて「誰もいなぁいぃぃ」とまた泣いた
長い時間放置されて、愛が何だか分からなくなったんだろう。成人してから心療内科行ったらボーダーと診断された
少し前に勇気出して母に言ったら「すぐ帰ったよ。そんな長時間放置してない」と言われたが、自分には昼から夕方まで位に感じてたし、大したことじゃないと思ってる風な所にも腹が立った
自分の子は留守番をしたがる時以外一人ぼっちには絶対しないようにしてる。特に怒った後に出て行くなんてこれからも絶対しない。メンヘラの連鎖は断ち切りたい そんな一回の出来事が原因になっちゃうの?
子育て怖い… >>181
うち3人兄弟で亭主関白な父だったから、母も大変だったんだと思うし実際の時間もきっと大した長さじゃなかったんだと思う。
母も姉も精神科通院歴あるし遺伝的なものもあるだろうね
でもそれは今だから納得出来る事であって受けた傷は癒されないねー。
せめて帰ってすぐ抱きしめてくれたら、普段から人一倍愛情を感じてたら、結果は違ったんじゃないかな
子供が欲しがった時に愛情や笑顔を与えられていればきっと大丈夫。怖がらせてごめんね おいてかれた時だけではなく、普段からあまりお母さんの愛情を感じられなかったということかな? >>183
子どもって常に自分が一番愛されてたいと思うんだよね。特に幼児期までは
うちは姉と年子だったから常に奪い合いみたいな感じだったし、上の事件以来姑の粗探しのように常にお母さんの愛情を試しては怒られ
「やっぱりお母さんは自分が嫌いなんだ」と思ってたから修復不可になった
因みに姉は、母は妹が一番可愛いのだろうと思ってたらしい
この際限ない試し行為が危ないみたい。幼児期はただのイタズラもワガママも試し行為の可能性があるから、叱った後は愛情フォローしてあげて下さい
幼児期の愛されてる自信は人生の土台になるとボーダー本にも書いてたから、言葉や行動で分かりやすく愛してあげて下さい
また長文になっちゃってすみません >>185
まだわかってないよ。遺伝的要因と環境的要因の複合じゃないかって。
たまたま私はボーダーと診断されただけで、遺伝的要因のない人ならPTSDかもしれないし
要は、幼児期にはたっぷり愛情かけてやる事が豊かな人格形成に繋がると実感しているという事かな。 その体験とボーダー診断が直結してるような書き方だけど、そうなのかなぁ…
でも180にとっては今でも辛いほどの重大体験だったってことはわかった ぶっちゃけ、親は普通にそこそこの愛情かけてたけど、病気のせいでそれが感じられなかったんじゃない?
過干渉も原因と言われてるんでしょ?子の要求通りすべてを投げ打って子に尽くしたら、今度は過干渉で境界性人格障害になったって言われるだけなんじゃないの? だよね。いい年こいて自分がメンヘラなのを母親のせいにするなよ。 え、そこまで言う?
いい年こいてって一言に親と言ってもいろんな親がいるし、>>180の親が普通のいい親か最低な毒親だったかなんてわかんないじゃん
それをただのメンヘラって決めつけるのは人としてどうなの。
第一>>180は親のせいでボーダーになった!って言いたい訳じゃなくてショックだった記憶を書いただけでしょ >>191
でも180読むと、それが原因と捉えているようにしか読めないよ >>191
そのことがあったあとも色々あって診断されたんじゃないの?
いや、>>180 じゃないからわからんけども。
とにかく人がとやかく言うことじゃないでしょ。
子供のトラウマになりそうなことはやめましょーね、でいいじゃない >>193
192宛だと思うけど、あくまで180を読んでの感想なので
ボーダー診断された、ではなく、すごいトラウマになった、程度にしておけば良かったんじゃないかと思う いくつか忘れたけど
風邪をひいたり熱を出したときはよく「暑い?寒い?」と聞かれた
熱のせいか、寒いのか暑いのかよくわからないということがよくあった
そういうときはいつも適当に寒いか暑いかどっちか答えていた
子供が話せるようになって寒いか暑いか教えてくれたら温度調節ラクなのにーと思っていたけど、ちゃんと教えてくれるわけじゃない場合もあるのかな… >>196
つい最近娘が発熱してそう思った!!
何歳くらいまでわからなかったか、記憶してますか? 蒸し返してごめん
180の気持ち、すごくわかる
多分自分が情緒不安定に育ったのは、生まれてから今までの母親の行動の全てに由縁するんだろうと頭では思うけど
何となく、記憶の中ではたったいくつかの事件がピックアップされてトラウマを感じるんだよね ぶった切りゴメン
確か幼稚園年長の時
キリスト系の幼稚園で、毎年年長でキリスト誕生の際の出来事の劇をするんだけど
配役は先生が決めて、クラスで一番可愛くてしっかりした子がマリア様、他にも目立つ子がそれなりの役をやって、自分はその他大勢の天使役だったんだけど、それを当然だと思って全く不満とかなかったこと
子供って大人が思うほど配役にこだわってないのかも
まあ、個人の性格によるのかもだけど お遊戯の役決めのこと覚えてる
男女ペアになって踊るお遊戯で、衣装が2種類あった
お姫様&王子様のような衣装と、欧風民族衣装みたいな、可愛い村娘&若者のような衣装
女の子はお姫様を希望する子が多くて、私もそっち側だった
よく覚えてないけど、どうしてもお姫様がいいと言い張る私に、
私こっちでいいよと譲ってくれる優しい子がいた
思い出すと自分のわがままさに呆れるよ…
当時も、譲ってくれたのは嬉しいけど、なんだかばつが悪くて恥ずかしかった覚えがある
でもそれを素直に表現できずにいたな 入園前(2年の幼稚園だったので3〜4歳?)だったと思うんだけど、初めてイルカショーを見てイルカが大好きになり、イルカ飼う!と家の裏庭に穴掘ってた
大人はあらまあウフフ、みたいに見ていたけど、自分でもイルカなんて飼えないって百も承知で、ただそれだけ好きになったんだ!というアピールだった
2人目なのに言葉が遅くてあまりしゃべらず、おっとりした子供だと思われてたけど、口にうまく出せないだけで内心色々考えてた
おっとりした子供だと思われていた方がラクだな、まだ出来ないと思われて甘えた方がラクだな、と思っていた事はよく覚えてる 4歳くらいの時、アリの役をすることになってアリのお面を作った。
黒いアリ本体を描いた後に目を描こうとしたら、白を塗ってもクレヨンだから黒と混ざって変な色になって、
なんとか目らしくしようと頑張ったけど色んな色が混ざって変な色の目が大きくなるばかりだった 私は年長の時にお姉さんの役をやりたかったのにジャンケンに負けて
おばさんの役になってしまって、オバサンは嫌だ!って泣いてた。
見かねた先生が、じゃあお母さんならどう?って言ってくれたけど、
それも微妙…と思いつつここらで妥協しとかないとダメだと思って
お母さんならいいよ、って言った記憶がある。 幼稚園のときの避難訓練が訓練じゃなく本当になにか災害があったんだと思って泣いた
母親が心配で泣いた。親は無事なの?家は大丈夫なの?って気持ちでいっぱいだった。
友達が『なんで泣いてんの』ってpgrしてたことも覚えてる >>200
3〜4才でもバツが悪いって感情あるよね。
お遊戯会で主役の座をゲットしたと思ったら主役は希望した人全員なれるって変更になって子供ながらに「ざけんな」って思ったのを覚えてる。 保育園の時、大好きな男の子がいた。本人にも大好き!と伝えていたし、その子も私とよく遊んでくれていた。
ある日優しくて美人な先生が、「先生も◯◯くんのことが大好きなんだよ〜」とからかうように言ってきた。冗談のつもりだったんだろうけど、こんなに美人で優しい先生に敵うはずがない…とかなりショックを受けて、その男の子と関わらなくなってしまった。
小学校は別々で中学校で再会したんだけど、そのショックがまだ残っていて全然話せなかった。未だに、あの時あの先生が余計なこと言わなければ、と思い出すw そんな些細なことでも子供の心に傷を残すのだなあ…気をつけねば 3歳辺りで物心が付いたけど、すでに遊びはお絵描きが大好きだった。
画材はクレヨンよりも色鉛筆の方が、細かく線が引けて色が塗れるから好きだった。
塗り絵も与えられたけど、なんで好みじゃないこんな絵に色を塗らなきゃいけないんだろう、時間の無駄と思っていた。
積み木やブロックは表現が大雑把なデジタルだから、自分が表現したいものが完成する気がせず全く好きではなくて、むしろ存在している意味が分からなかった。
絵本や漫画は絵を隅々までじっくり見るから凄く時間がかかるけど大好き、アニメは絵がどんどん進んでしまうのと毎回絵が微妙にちがうので(アニメーターが複数いるからと後に知る)イライラして苦手だった、日本昔ばなしだけは単発だから好きだった。
せんせいという磁石タイプのお絵描きボードを知って、なんて画期的なんだ!と感動したけど、おもちゃ屋で試したらドットが荒くてガッカリした。
チラシの裏を母がいつもくれてたけど、落書き用紙をはじめて知ったときは枚数の多さに大感激した。
子供の頃一番欲しかった物は色数がたくさんの色鉛筆だったけど、高価だと思ってたからねだれなかった。 なんかつらつら書いてしまった。
子供のクリスマスプレゼント選んでて、色鉛筆欲しかったことを思い出してしまいまして。 >>212読んでたら、細かい絵がかけないクレヨンが嫌いだったの思い出した。
クレヨンで絵をかいて上から水彩絵具を塗る、
色紙や色を塗った紙を黒のクレヨンで塗りつぶして
針とかでひっかく、という使い方には感激したし
大好きだったけど、それ以外には価値を感じなかった。
色を混ぜるような塗り方が出来るから、色鉛筆が好きだった。
私はお下がりの、24色色鉛筆を持っていて、
それは気に入っていたし大事に使っていたけど、
長さがバラバラなのが少し気になって、
何度か新品が欲しいとねだったが却下された。
買ってくれなかったこと自体は正しい判断だったと
別に不満には思ってないけど、
下の子も物の扱いが丁寧になったら、一人ひとつ、
多色色鉛筆を買ってあげたいなあと思ってる。
色んな色があって、それぞれの色に名前が付いている
ということが、なんだか好きだった。
「ぐんじょういろ」「あかむらさき」「やまぶきいろ」
あたりが色も名前も、とても好きだった。
私も思い出したのでとりとめもなく書いてみたw 子供の頃、姉は24色でかわいい絵のついた色鉛筆を持ってた。
多分高橋真琴の絵。
対して自分には紙のケースに入った12色。
色数の違いやケースの違いが姉との愛情の差なんだ、自分は大事にされてないんだな、と感じた第一歩だった。
今でもそれは間違ってなかったと思うから、ウチは一人っ子。二人目を作るつもりはない。
知人の子供が兄弟児なんだけど、クリスマスみたいなプレゼントイベントは全く同じではなくても価値は同程度に揃えるようにしてる。 おそらく3歳くらい。二つ違いの姉がいるのだが、些細な事でよく喧嘩をしていた。姉は私によく『バカ!』と言った。悔しいので私も『バカ!』と言い返した。母は『お姉ちゃんに向かって何て事を言うの!妹のくせに!』と私だけを叱った。
バカという言葉で相手を罵る行為は年齢関係無く良くないことではないのか?と幼いながら思っていた私は非常に理不尽に感じた。
姉妹を産んだ私は、『姉のくせに』『妹のくせに』という叱り方だけは絶対にしないと心に決めている。 >>212
>>214
>>215
のお三方にフェリシモの500色色鉛筆を贈りたいわ てか自分も欲しい500色
個人持ちじゃなくても、500色そろってて使い放題の時間貸しの部屋が
あればいいのに
特に215さんの愛情の差、は切ない 自分もそう感じて育ったから
年取って中国製品が安く入り始めたころ、500まで行かないけど数十色入りの
クレヨンと色鉛筆は買ったw もう描けなくなってしまったのにね 小さい頃、泣き出してしゃっくり上げてたら
「いつまで泣いてるの!」って母に叱られてすごく悲しかった
止めたくても泣き出した勢いで止められないだけなのに
もうすぐ3歳の子供が夜、布団に入ったとたんに何かでぐずって泣き出した
その原因は解決したんだけど、いつまでも激しくしゃっくりを上げてた
でも自分の記憶を頼りに、いつもと変わらない調子で「おやすみ」と声をかけた
そしたら子供がしゃっくりをあげてビエ〜ッて泣き声になる前のヒュッと息を吸った僅かな時間に
息だけで大急ぎで「おやすみなさい」と言った
やっぱり本人も止められなくて大変なんだなーと思った あーわかる
私も長泣き駄目!って言われてた
長引くと父に「ストップ!!!!」て言われて、口をギューっと閉じて湧き上がる嗚咽で呼吸困難だったなぁ
でも泣き続けるよりはこっちの方が早く嗚咽が治まってた気がする
泣き止んだら必ず父か母が抱きしめて、何故怒られたのか優しく諭してくれてたわ お遊戯会の流れで思い出した
年中の時にひな祭りで好き同士で男女ペア作ってお雛様お内裏様の格好して写真撮るってイベントがあった
その時、早くペア作らなきゃ!余ったら格好悪い!そうだこの子なら大人しいから断られないだろう!と大して仲良くも好きでもない大人しい小柄な男の子誘ってペアになったの覚えてる
天気がすごく良くて暖かかったのも覚えてる >>217
あら、とっても同感w
そして貴方とお三方に私から500色の色鉛筆を贈ります
今夜あたり夢の国でどうぞ使って下さいな
描けないなんて言わずトライしてみたら宜しいのよ
手を動かすと心がついて来るというし
本当に素敵なことだと思うの
私の記憶は一歳から三歳くらいかな
遊びで何かをしたら母がすごーい!と大げさに褒めてくれて、もう一度するとやっぱり同じように褒めたので
ふと、大げさ過ぎるなあと何だか疑念が涌いて、今度は完全に手を抜いてしてみせた
そうすると母がまた同じようにすごーい!と一本調子で褒めたので、あぁおざなりなんだ、と大いにがっがりしたという >>221
同じく
余りたくなくてたいして好きでもない男子にペアの申し込みした
で、もしダメでもほんとに好きな男子のところに頼みに行けばよかったなと後悔したりした
幼児でもその辺考えちゃうよね 年少の時、お遊戯会でお姫様に立候補した
他に王様、少年って役があったけど、好きな子に王様をやって欲しくて立候補したのにその子は少年に立候補したので悲しかった
後から考えたら王様はお父さんだし少年とくっつくかな〜というラストだったのでそれで良かったんだけど、当時は王様とお姫様がカップルだと思い込んで悲しんで、勝手にその子と心の距離を置いていたw
なんか年少と言えども色々なことに胸を痛めていた気がする。子供の世界は小さいけど、その時はそこがすべてだって事を理解してあげたいなと思う >>222
分かる!うちの母は私がサラダに使うミニトマトのへたを取っただけなのに
「今日のサラダは○ちゃんが作ってくれたの!」と
褒めたつもりで他の家族に言うんだけど、過大評価は居心地悪くて嬉しくなかった
「○ちゃんがトマトのへたを取ってくれたんだよ」って言われたらきっと嬉しかったな >>226
でも親になってから読むと子供を「良く育てたい」という、母の前のめりな意気込みみたいなものが感じられて
子供的にはすべってるけどw必死だったり疲れてたりするんだなあーと初めて別の視点を持った 小さい頃、母がよく自分の食べているものを私に分けてくれた。
ハンバーグやエビフライなど、私が先に食べ終えると分けてくれた。
「お母さんもハンバーグ好きなのに、どうして残して私にくれるんだろう?」と不思議に思っていたんだけど、そのうち
「大好きな食べ物を私に譲ってくれるって事は、私はお母さんにとても愛されてるんだな。幸せだな」と思うようになった。 >>228
優しいね。
同じシチュエーションで育った私は、いつの間にか
「もらって当たり前」の感覚になってしまった
幼稚園年少のときに、女が女を好きなことをレズというのだ、ということを知り
友達(女の子)を好きな私はレズなのかな…と少し悩んだ記憶がある
友情と恋情の区別がついてなかった
どこでそんな言葉を覚えたのかは不明。 子どもの頃から頻繁に夢を見ていたんだけど
怖かった夢
自宅の階段の踊り場に戦国時代みたいな格好の男性があぐらで座っていた
髪型はちょんまげを切り落としたあとみたいなやつでその肩くらいのところに生首がひとつずつ浮いていた
その男性がこちらをみてニヤニヤ笑いながら手招きしていた
この夢のせいでパニックになって泣いて、階段をすごく怖がった
幼稚園行く前後の頃
好きだった夢は空を飛ぶ夢
夢の中で「飛びたいな〜」と思うと、ベッドから体がふわっと浮いて、
階段をピーターパンみたいに飛んでおりてキッチンに降り立つ
ときどき窓からおでかけしたりした
この飛ぶ夢は3歳くらいから就学後も頻繁に見ていた
あと、幼稚園のとき「『ながしかく』はなが〜いしかくのことなんだよ」と言われて
ある日、そういう意味だったのか!とショックを受けたこととかw
子どもには当たり前だと思うこともいちいち説明してあげなきゃね レゴのセットを一つだけ持ってたみたい(いなかのおうち、みたいな)。
窓に使う、琥珀色と、水色の透明なパーツが大好きで飽きずに見たり触ったりしてた。
でも、もともと数が少ない上に三姉妹で取り合いだったので
もっと欲しい!もっと欲しい!
て思ってた。
透明は特別だった。
最近、妹と話してたら、全く同じ事言ってたのと(笑)
三歳の息子が透明やキラキララメ、青いガラス食器(箸置きやスプーン)、ビー玉に魅了されてるのをみて書いてみた。
明日レゴデュプロ、追加のブロック買いにいくよ! 心の中で字が読めた時に、思考の全てが停止した。
って書いたら大げさだけど、私は文字の習得が早く
3歳の幼稚園あがる前には、平仮名、カタガナ完璧だった
幼稚園あがって直ぐに、妹とアニメを見ていてエンディングテーマ曲を歌っていると
心の中で画面下の字幕を読んでから、口から出すって事がふと出来てしまった。
それまで、耳から聞こえた言葉が直ぐ様、私の口から出ていたのに
頭を通して、心を通して、遠回りして口から出るって言う、もどかしい事になってしまった。
耳から聞き取れなかった言葉は目で読んで補足した。
言葉に表しにくいけど、以前なら、何かを覚えるや考える時は、頭の中をジェットコースターのように
情報が脳のあちこちを勢い良く巡っていたのに、文字を完璧に理解してしまってからは
メリーゴーランドのように、ぐるぐるしてしまうだけ。
下の妹二人は文字を覚えたのは小1の時。一人は女医になり、一人は税理士になった。
あの時が無ければ、私も耳から入る言葉を処理出来る脳だったのではないかとモヤモヤしてる。 「思考の全てが停止した」のか
そこから初めて、本当の思考が動き出したのか
最短でベターな答えを出す思考もあれば
時間をかけてベストな答えを探る思考もある
いろいろでしょ 私は幼少の頃からウルトラマンや戦隊が好きだった
でも当時は、女の子はリカちゃんや女の子アニメ等が好き「でなければいけない」という固定観念が既にできていて
特撮大好きなことは誰にも言えなかった
他人の言いつけは必ず守る素直な良い子ちゃんで自我が非常に薄く
周囲に溢れる「女の子はこういうもの」という情報になんとなく従ってたせいだ
というより、従わなければいけないものだと思っていた
自分の好きなことを自由に好きになっていいということがわかっていなかった
現在4歳の娘もなんとなくそういう傾向があるので、
言いたいことは言っていい、むしろ言わないと伝わらないんだよということを
事あるごとに教えている
効果があるかどうかはわからないけど、自分が色々出遅れて損してた感があるので
自分のようにはなってほしくない
ところで娘は、私が勧めたわけでもないのに今ウルトラマンにハマっている
だから「女の子でもウルトラマン好きでいいんだよ」と言って自由にさせている
幼稚園で仲良しの男の子とウルトラマンの話題で盛り上がってるみたいだし
人並みにキティちゃんやアナ雪なんかも好きなので、特に心配はしていない >>232
私も入園前から文字読めたしテレビの歌詞字幕も読めたけど頭ぐるぐるしなかったよ
姉妹だからって能力同じとは限らないし
言いにくいけど、情報処理能力がそれだけしかなかったということじゃないのかなあ 戦隊ものが好きな女の子も昔から一定数いるから、いいんだよもなにも趣向のひとつとしてなんとも思ってなかったわ 保育園の頃、親やおじいちゃんにすごいね!えらいね!って褒められると胸がザワザワワクワクしてもっと絵をうまく描くために練習したり、文字や文章を書いたり、色々褒められるために努力してた。
この胸のザワザワワクワクは、小学校3年ぐらいかなぁ…いつの日かなくなってたけど、子供は褒められるとどんどん伸びる気がする。
ザワザワワクワクは春の風に吹かれた広い原っぱみたいな感じの、すごい爽快な感じの感覚。 4、5歳の頃ドキンちゃんがしょくぱんまんにメロメロになるシーンとか、軽い恋愛要素のあるアニメを見ると心がザワザワしていたなあ。
くすぐったくて、恥ずかしくてモジモジしちゃうような不思議な感覚だった。 >>240
あーわかる。私が園児のときちょうどセーラームーンやってたときで恋愛要素あるシーンは居心地悪かった覚えあるわ 生後8ヶ月から1年間くらいだけ住んでた家の間取りと毛布の柄
TVの横のクリスマスツリー
特撮の番組に出てくる怪獣が窓からバリーンって入ってくるシーンを見て、本当に来るんじゃないかって凄く怖かった事
私が2歳になる前に廃車にした、叔母の車のバックミラーにぶら下がってたマスコット
…ってのが乳幼児期の主な記憶かな
保育園ひよこ組(年少より下)の時おゆうぎでうさぎのダンスをしたり、後頭部で結ばれた髪(長さ的にポニーテールもどき)がお昼寝の時痛かったり
年少さんの時に同じ組の子と何か話してて
「大きくなったらこんな会話してたのも忘れちゃうのかな」
って言って肝心の会話内容は覚えて無かったり…
転勤族で何歳の頃どの地域にいたとかはハッキリしてるから、自分の思い出が何歳くらいのものかってのはハッキリしてる
思い出すのが楽しいから、記憶の上書きとかではない筈 多分3才くらいの記憶。
母親が急用で、知り合いの母娘(母のボランティア仲間)に私を数時間見てもらうよう頼んだことがあった。
うちにきてもらって。
普段その母娘はとても優しくニコニコしていて私もなついていたのだけど、母親がいなくなってから豹変した。
ピアノとかエレクトーンなど楽器を置く音楽部屋に鍵をかけ、私を閉め出して二人で勝手に弾き遊び?始め、お母さんのものなのに!私の家なのに!と怒りと理不尽さで泣きながらドアを叩いていた事が忘れられない。
母親は報告した私を信じてくれず、すごく叱られた。
幼い頃の私は、親が厳しかったので所謂とてもいい子だったから、手に負えなくて…という事ではなく、裏表のある母娘だったのに。
私は他人に子供を預けることができない。
怖くて。 はなちゃんくるまで隠しておこうと思ったけど、本やDVDみたら欲しがるかな? >>243
それ、すごいトラウマになりそう…
何で信じてもらえないんだろう。 以前も書いたかもしれない >>863 けど、生後10ヵ月ぐらいの時。
小児喘息で夜中にむせてたら、母が「赤ちゃんなのにどうしてこんなに苦しまなきゃいけないの」と泣いた。
へー、母親って子どものことで泣くんだな、と思った。
咳き込んで息が出来なくて、これってどうよ?死ぬわけ?って思いながらむせてた。 >>239
工作や手芸していた時によくなったなー。
心がザワザワワクワクしてアイデアがどんどん溢れてくるの!!
大人になるにつれ減っていって今は無くなっちゃった。
あの爽快な万能感、気持ちよかったなあ。 保育園年長の頃、昼寝後クラスで園庭で遊んでいるとき、
知的障害を持った成人男性が近づいてきて全員で一斉に同じ方向へ逃げた記憶あるな。
怖いというより鬼ごっこみたいな感覚で逃げ回ってた。
後は昼寝できなくて友達としゃべってたらあ、先生に「昼寝しないと風邪ひくよ!」て怒られたっけ。
その後本当に風邪ひいて「先生の言ってた通りだ!」って思った記憶がある。 うちの父は私が真剣に話したり
お絵描きをしたりしていても
バカにしてニヤニヤ笑っていて
いつもすごくムカついてた。
でも子供が生まれて分かった
かわいくてついニヤけてしまうこと。
小さいながら一生懸命だったり
真剣になってる子供が可愛くてついニヤけてしまう。
自分の子供にはなるべくニヤけずに話を聞いてあげたり
どうしてもニヤけてしまう時はちゃんと説明しようと思う。 暗闇の中ふっと目をさますと寒いのに何も掛けられないで横たわってる
隣に母が眠っているのに声を出す事もできない(寝起きだから?)
動いて毛布をかぶることも出来ない 染み渡るような寒さ
なんで母は布団を掛けてくれないんだろう
寒くて動く事もできなくてこの地獄はいつまで続くんだろう…とかなり長いことそのままで呆然として絶望した
まだ幼児ではなくて数ヶ月の赤ちゃんの時だと思う
>>251と同じで生んでからわかったけど
赤ちゃん、本当に布団から飛び出すw
真冬なのに布団が微妙に暑いのか、夜中に気がついて何回、加減を調整して掛けても
しゅぽぽーんと全身はみ出してた 6ヵ月くらいだったかな
もう一つ赤ちゃんの時のこと
冬で布団に寝かされて、母が毛布を掛けてくれるんだけど
嬉しそうに1枚2枚とかけて、3枚4と続いて、内心 え?まだ?って戸惑ってるのに5枚6枚まで掛けられて
ぐえーーーくっ苦しいって限界に達してた
母はすごく満足そうにしてて気が付きそうにない
訴える術がなくて布団の下できゅっと弱ってた
そうしたらすぐ祖母がそんなに掛けたら重かろうって母に言ってくれた
3枚くらいになってホッとした
あれは大人用の毛布や掛け布団を縦に半分に折って掛けたんだなと産んでからわかった
だからサクサク手際よく重なってきたんだなって >>251
ニヤついてて嫌だ!だったのが、自分のことが可愛くて仕方なかったんだな、と分かって良かったなあ、とほっこりした 母親が怒ったとき、口をきいてくれなくなるのが死ぬほど怖くて嫌だった。
怒鳴られたり、はたかれたりするのよりも無視されるのが一番つらい。
「ごめんなさい、もうしないから無視しないで」って泣いてすがるんだけど、それも無視されて、もうどうしたらよいかわからなくてパニックだった。
多分自分を空気みたいに、いない物と扱われるのが恐怖だったんだなー。存在否定されたみたいで。
今でも夫と喧嘩して口きいてもらえなくなると辛い。
もうすぐ子供が産まれるんだけど、怒っても無視するのだけはやめようと思う。 >>254
うちの母は怒るといつもそれだ
怒るとムッツリ無口になって無視されて、機嫌が直るとそれまでの事はなかった事になる
だからついこの前までずーっと
ケンカ=怒ってる(黙ってる)方の機嫌が直るまで必死にご機嫌取る事だと思ってた
子供相手でも、ちゃんと話し合いして理解して、着地点を見つけるケンカを心がけようと思う うちもそうだったなー。
不思議なことに母親がそんなんだったことを上の流れを見るまですっかり忘れていた。
機嫌が悪いときだか怒らせちゃったときだかは忘れたが「話しかけてこないで。視界に入ってこないで」って言われて本当に傷ついてたのにw
思い出さないようにしてただけかもしれないけどね。
でもそれがあるから友人とかには無視やだんまりは絶対しないでおこうと幼心ながらに誓ったわ。 うちも無視はよくあった。小さい頃はなんで怒られてるのか、無視されてる理由もわらなくて怖かったけど、こっちも小学生低学年あたりで「どうせそのうち無視も終わるだろ」って舐めてかかるようになってたな。
ご飯とか身の回りの事はやってくれるしお母さんと喋らなくてもゲームしたり本読めばいいしー、そもそもなんで怒ってるのかわからないし理由を聞いても無視だからなー、とか思ってた。
まだうちの子は小さいけど、こういう子供にならないように無視はしないと固く心に誓っている。 ここで、子供の頃に真剣に泣いてるのにニヤニヤされて嫌だった、というのを見て、なるべくニヤつかないようにしようと思ってるんだけど、への字口があまりに可愛くてニヤけちゃう。
ご飯がもうすぐ無くなっちゃうー、って泣かれるとホントに可愛くって。 私も泣いてる我が子を見てにやけてしまう。
自分も小さい頃、親に泣いて訴えてるのに笑われて全然取り合ってくれなくて悔しくてさらに大泣きした記憶がある。
悔しい気持ちは分かってるのに、口をへの字にして泣く寸前の顔見ると本当に可愛くて笑ってしまう。そしてギャン泣き。ごめん息子よ。 いつだろう、かなり初期。自分は座敷にうんちをもらしている。硬いうんちとやわらかいうんちがあって
やわらかいうんちは指でつぶせる。自分はうんちを指でつぶすのが楽しいと感じている。言葉を覚える前らしい、
言葉による思考の記憶はない。
ちなみに自分は一卵性の双子。その記憶の中では隣に双子の兄がて一緒にうんちをいじっている。
白いおしめをした状態、兄の姿形から、はいはいかつかまり立ちくらいのころではないだろうか。立って言葉を
発するような年齢容姿には見えない。母親が部屋に入ってきてうんざりした表情をしていることも記憶している。
もう一つ、自分は家の応接間でカセットテープの磁気テープを引っ張り出して遊んでいる。例によって隣に双子の
兄がいて同じようにテープを引っ張り出して遊んでいる。前のうんちの時よりずっと成長している。母親が部屋に
入ってきてうんざりした表情をしている。
カセットテープの件は母親も覚えており、「あんたが二歳の頃やったよ、もうテープ引きずり出してしっちゃかめっちゃに
して」と言っていたので三歳以前の記憶という可能性が高い。双子の兄も三歳以前の記憶があり、話を聞いてみたが、自分とは
違う記憶であった。ただ兄の記憶も母の記憶と合致するところがあった。
他にも初めて観たつもりだった白黒のクラシック映画を観てるうちに乳幼児期の頃に一緒にテレビで観ていた記憶が
蘇ることが度々あった。 母がうんざりしてるって分かってるのに、やめないんだねwwま、そんなもんだよね いつもやんちゃして母親を困らせた記憶ばかり残っている。
ただ母親にばれた後の記憶が無い。忘れたいほどひどいおしかり
受けたらしい。 ひどく叱られるというより、母親も慣れてしまって
黙々と後始末するようになったのでは?
叱るにもパワーがいるからね 私の母親は、〜して、〜しなさい、〜はだめ、〜しないで、とか、ただ単に
自分の言うことをきかせるためだけのようなことは、本当に危ないこと以外では、しなかった。
○○はしないほうがいいよ、その理由はこうだから、そういう教え方だった。
良い手本と悪い手本をこちらにちゃんと示してくれた上で、どうしてなのかを子供でもわかるように
簡潔に説明してくれた。二人共わからないことがあれば一緒に調べたりもした。
試せることの場合は、なんでもドンドンさせてくれたし、たとえこちらがそれの要領をえなくても
自分も楽しむかのようにニコニコと待ってくれていて、自分が先に手を出して、こちらがモノにする前に
サッサと片付けてしまうなんてことはしなかった。覚束なくても、ある程度できたら褒めてくれたし
頭を撫でてくれたりもして、すごく嬉しかった。
ちなみに、〜はだめ、については後年、だめだめ言ってたら何もできないし、だめな人になるかもしれないし
頭が凝り固まってしまうかもしれない、言葉自体よくない、だから言わないことにしていた、とのこと。
・やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
・話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
・やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
それを地でいく人だった母に感謝してる。 1歳のよちよち歩きの頃。
ちゃぶ台の上にお皿が並べられていてそろそろご飯の時間。
きらきら光るお茶碗の中のご飯を、待ち切れずに母親の目を盗んで手づかみで食べたこと。
案の定、すぐ見つかって叱られたが何も分からないフリをしたこと。
どんなに小さい子供でも色んなことをよく分かってます!
分からないフリだってします! 多分2歳くらい
父親が私にごはんを食べさせていて、飲み込むとすぐ次を口に持ってくる
少し一息つきたいのに次から次にごはんが目の前に運ばれてくるから、とっても息苦しかった
多分たくさん食べてくれて嬉しかったんだと思うけど、未だに思い出すからホントに苦しかったんだと思う ついつい早く食べさせたくて、まだもぐもぐしているうちに口の前にスプーン持って行ってたけど、あまり急がないようにしよう… 自分の記憶じゃなく現在5歳の息子が3歳の頃話してくれた胎内記憶。
「しゃっくりはおもしろかった。ひっく、ひっくって勝手に動くから」
当時お腹でしゃくりしてる気配があると、結構長く続くので
お腹をぽんぽん叩いてみたり心配していたけど、個人差あるだろうけどさほど苦痛ではないようです。 お腹の中でしゃっくりするの!?
初めて知ったよー。
最近胎動はげしいんだけど、何ヶ月くらいの時?
楽しみー! するする。一定のリズムだからしてたらすぐわかると思う >>271
横だしスレチだけど、胎児のしゃっくりって妊婦的には割とメジャーな話な気がするぞ…自治体でもらった資料とか育児本やらは読んでないのかな?
ちなみに、
>胎児は、妊娠20週(妊娠5ヶ月)頃からしゃっくりをし始めます。
だそうな。
自分の場合は8ヶ月位で胎動がはっきりしてきた頃にピクッピクッとした感じがたまにあったのであれがしゃっくりだったんだと思ってる。 出産した後に「あれはしゃっくりだったのか!」と分かったのでちょっと残念だ
知ってたら何となく楽しめた気がする
271も、しゃっくりし始めたらすぐ分かると思うよ 幼児期だけど、園児の頃、園からの帰りに男子に遭遇するのが嫌だった
大抵ちょっとからかわれるとか、軽く髪を引っ張られるとかだけど物凄く嫌で、そいつらに遭遇した時はまるで鬼に遭遇したような気分で絶望だった
母は母親同士楽しそうに話しているし、早く帰りたい…と纏わり付いても軽くいなされるけど本気で嫌だった
親から見たら子供同士の軽いやりとりにしか見えないんだろうな、というのは子供心に分かってて、自分が母親になったらそうじゃないって理解してやろう、と思ってた 遅くなったけど>>271です。
しゃっくりってメジャーなんだね。たまにピクッとだけ動いてる感じがするんだけどそれかのかな?と思って楽しんでおく!
教えてくれてありがとう。 自分が現在臨月になって、色んな事を思い出し始めた
このスレ知って面白くて一気読みしてしまったわ!
母が弟妊娠中だから多分私が2歳半の時の記憶
毎日働いていた母が、出産のために仕事辞めて毎日家にいるのが凄く嬉しかった
母のつわりは産むまで続き、グ○コの高原の岩清水レモンっていうジュースと
茶色の袋にアメコミの絵が入ったレモン味のパチパチキャンデーを毎日舐めてた
(後者は商品名がわからん…)
母と祖母は仲がひっじょーに悪かったのだが(いわゆる嫁姑戦争)
無事弟を出産した母の病室を出た後、祖母(産後の世話した)が
「母子さんの股はどす黒くて象みたいでキタネwww」などと言った…
私は、何がダメなのか?がわからなくてキョトンとしていると
「息子はなんであんな股の汚い女と結婚したんだろうね!」とか無茶苦茶言い始めた
意味はよくわからなかったけど、私には
「なんかよくわからんけど、おばあちゃんは母を侮辱してる!」という事は凄くわかって
なんとも言えない嫌な気持ちになってしまった…
その後母も退院した後、今度は母と父が祖母の悪口を入っていた
「あのクソババア」みたいな事を入っていたので
「クソババアって誰の事?」と聞くと母が
「おばあちゃんのことだけど、私がそう言ってたって言っちゃだめだよ」と言われた
小さいけれど、誰が誰の事を悪口言っているのかはちゃんとわかっていて
私は母も祖母も私には優しかったのですごく悲しい気持ちになった
もうすぐ出産するけど、幼い子供の前でも「どうせわからないだろう」などと思わず
人の事を悪く言ったりするのは絶対しちゃいけないなと思ったよ…
ここのスレ見てると、尚の事そういう気持ちが強まったわ >>279
スマン気になって色々ggったら
「ノーベル スーパーレモンキャンデー」
ってヤツだったわ…袋のデザインのせいでパチパチだと思い込んでた模様w
昔はもっと袋の色が茶色だったと思うんだけど、思い違いかな… あまりの酸っぱさにベロが荒れるやつだ!
酸っぱいとこ終わったら甘くて美味しいんだよなー
そうか、もうないのかアレ >>278
あったあった。うちも嫁姑険悪だったから。
私にどうにか出来るわけないんだから言うな聞かすなと思ってたなw
覚えてるわけない、解るわけないと舐めた態度も伝わってくるから
こういうことが続くほど家族に対して心が冷めてしまうし、
ストレスも強かったな
私は母がミスしたとき「ばあちゃんには言わないでよ!」
と言われるのが凄く嫌だった
八つ当たりの一種だと思うし >>280
そっちかw
自分で貼っといてなんだけどドンパッチ食べたくなってしまったわw
現在の母は温厚で親子仲も良いと思う。
だけど昔は育児でイライラしてたのか、幼児期の断片的な記憶の中の母は大体怒っている。
常に怒っていたわけじゃないと思うんだけどそういうシーンて印象に残りやすいのかな。
今娘は1歳半だけど最近イライラすることが多くつい大きな声で「コラ!」等と叱ってしまう。
将来娘が思い出す私は怒り顔なんだろうな…気を付けて穏やかに接していきたい。 四歳くらい
母が姉の習い事のお迎えに行く際
初めて私一人で留守番
日が暮れててよその家はみんな夕飯くらいの時間帯だった
最初は平気で遊んでたんだけどだんだん怖くなって泣き出して
泣いても泣いてもどうにもならなくてますます泣いて
分かりもしないお祈りやらお経もどきやらを言って(テレビで見たのの真似事)
「もう散らかしません、早くママ達が帰って来ますように」とか言いながらガクガク震えていた
帰ってきた母と姉の驚いた顔が忘れられない
次からはお迎えに私もついていくようになった
母じゃなくても誰か知ってる人がいれば平気だったので
一人なのが怖かったらしい 一歳前後の頃の記憶です。
おんぶされるのが大好きだった。
目線が高くなって、母の動きに合わせて景色がくるくる変わるのが楽しかった。
そして何より母の背中が温かくて、すごく幸せな気分になった。
その頃よくやってくれた遊びが
おんぶしながら母が「こっちだよー!」って言いながら左右交互に私の顔を見てくれるってやつ。
これがすっごく楽しかった。
現在9ヶ月の娘に同じ事をしてみたら、声を出して笑ってくれる。 三歳から保育園に入ったけど、それまで母親があまり怒らない育児をしていたせいか、最初にちょっと怒られたときにはものすごく驚いて傷つき、涙を滲ませながら復讐心に燃えていた。
お陰で暗い子だった。
もう少し怒られ耐性がほしかったなー。 >>286
私もそんな感じ
怒られるのが異常に怖かっただけじゃなく、おともだちが乱暴な言葉を使ったりするだけでもビクビクしてたわ
子にはそうなってほしくないのもあって結構キツめに叱ったりしてるけど
よく考えたら子は1歳から保育園入れてるからあんまり心配しなくて良かったかも 両親の仕事の都合で生後まもなくから保育園までを外国で過ごしていた頃の記憶は、原色が強い
中華料理屋の赤い壁、短時間の託児所にあった鮮やかな色のおままごとセット、近くの公園の真緑の芝生など…など
印象的だし覚えやすいし目に留まりやすいのだろうな
だからなんだかんだガチャガチャした印象でも、派手な色のおもちゃがいいんだろうなと思う 2〜3歳の頃の話。
母と手作りしたお菓子やパンがとても美味しかったのが今でも印象的。
ごく普通の型抜きクッキーや、バターロールなのに、
すっごく美味しくて、子どもながらに本当に感動した。
ドリールの香ばしさなんて、今でも覚えてる。
型を抜いたり、ドリールを塗ったりさせてもらえるのも楽しかった!
みんなと「美味しいね!」って言いながら食べたのも、嬉しかったな。
この話を母にすると、びっくりされる。
ごく普通のだし、時には固くて失敗したものもあるのにと。
市販のおやつじゃなくて、時には親子で作って食べるのってとても大事なことなんだなって思う。
それが、ホットケーキでも、おにぎりでも簡単なものでもいいんだと思う。
自分が作って、美味しいねって言ってもらえるのってとても嬉しいことだった。
2歳の娘も、好きなご飯を聞くと一緒に作るようなもの
(ピザや、餃子 など)を挙げるから、やっぱり嬉しいんだろうな。 2歳ごろ
母は弟を予定帝王切開だったので、祖母宅に預けられ、
お母さんはお腹切ったから抱っこできないよ!イタタだよ!と口を酸っぱくして言われた
弟が生まれお見舞いに行ったけど、抱っこって言いたかったけど必死で耐えてそれ以外は覚えてないw
3歳ごろ
寝付けなかった時に、母に、おっぱい触る?と聞かれた
もう弟の物だと思っていたから、いいの!?でも赤ちゃんじゃないし、でも触りたい…とすごくかっとうした。
鷲掴みにして寝た。 >>290
めちゃくちゃ可愛い
何歳だか忘れたけど、
何か理由があって泣いてるのに、
おっぱいを口に突っ込まれた記憶がある。 1歳前後の思い出
ベビーカーに乗ってディズニーランドをまわってるとき
ポップコーンが欲しくて後ろに手を回して催促する度に
まわりからクスクス聞こえて幼いながらも
バカにしないでよとカチムカしてたこと。
何かで大泣きして、母に抱きしめられたい!
抱っこして欲しい!と思ってたのに
一向に「どうしたの?!何がしたいの?!」と言われて
抱っこして欲しいだけなのに…!!と思って悔しくて涙が止まらなかったこと
2、3歳の思い出
兄にいじめられても、兄を叱ることなく
もうやめなさい!と喧嘩両成敗的なことをされて
母の後ろで舌を出す兄をみて
お母さんは私を守ってくれない、こんなずるい兄の方が好きなんだと打ちひしがれたこと >>293
賢いんだなぁ
それをフォローする自信がないわ >>293
後半わかるなあ
昨日TVで大家族石田家見てて、下の子が上の子と喧嘩して愚図って母親にいい加減にしろとか言われて「何であいつ怒んないの」と泣きじゃくってるの見て自分の幼児期思い出した
何があったか訊いてきちんと悪い方を叱って欲しいのに、いつまでも泣いてると怒られて理不尽だと思った
親から見たらどっちもどっちに見えるのかも知れないけどさ そうそう!それ見て私も思い出したの!
あの末っ子の殺してやる!からお母さんが止めに入って
じゃあアイツ殺してくれよ!のセリフも痛いほどわかった。
殺してくれって言うのは大げさなんだけど
自分はボコボコにされて、兄が平然とテレビ見てて
止めに入るんだったら兄に罰を与えてくれ!ってことなんだよね
末っ子はどうしてもやられっぱなしだから…
あの映像みたら末っ子君の中学、高校のグレ方は納得だったなw
そして大人なったときの兄との距離間もわかるわかるだった。 うちは私の性格が大人しかったけど、妹は男の子みたいな性格で
いつも妹が叩いてきたり意地悪してきて、私が怒ったり妹を泣かしたりすると
必ず私が年上だからって怒られて妹が大嫌いだった。
母親のいない時に叩きのめしてたわw
母親があんまり褒めない人だった。自分はできた!って思って報告するんだけど、
「〜ちゃんはもっともっと上手だよ」とか、「(もっとできた子がいたけど)記念に賞状くれたんだよ」「返事 だ け はいいね」
など他者age私sageされて、年長のころにはすっかり自信のない、輪に入っていけない子供になった。
自分の子には、よその子と比べたりしないで、できるとこはどんどん褒めてあげて、
自信を持って育っていってほしい。 年度末産まれで尚且つ身体も小さかった私。
保育園年中の時に、クラスのみんなで園庭のお花を切る授業?があったんだけど、大人しくてクラスに馴染めない私を配慮したのか、先生が「このお花、私ちゃんに最初に切って貰いましょう」と言ってくれた。
私は周りのみんなに埋もれながら「ハイ!ハイ!」って必死に手を挙げて前へ出ようとしたんだけど、押し潰されて前へ出られず、痺れを切らした先生が「私ちゃんいないの?じゃあ○○ちゃん」と前の方にいた別の子を指名した。
その後みんながそれぞれお花を切っていって、やっと私が前に行けた時には、すでにお花は無くなってた。
先生に「私の分は…?」と聞いたら、「いたの!?なんで出て来なかったの!?もうお花無いよ。呼ばれた時に来ないのがいけないんでしょう?」と言われてものすごくショックだった。
結局その保育園は私が登園拒否を何回もしたり、引越しの関係で1年経たずに退園したけど、この一件以来超早生まれがコンプレックスになった。 ひどい話だなー
いるかどうか確認できないもんかね、先生も 幼児の背の高さなら埋もれて見えないことはないと思うし、クラスも20人くらいだろうからちゃんと見てれば見えるよね
けどまあ、先生からしたら「呼んでも返事しなかった」だけの話かも 手をあげてハイハイ言ったら聞こえるし背が小さくても見えるよねえ
めちゃくちゃ声が小さいとか、手も胸の前で小さくあげてたとかなんだろうか 先生いるはずの園児がいないなら直ちに探せよw
意地悪な先生だねー 周りの子も、◯ちゃんここにいるよーとか言うよね普通 4.5歳の時、わたしは母親のことをママと呼んでいたんだけど、他の友達はお母さんと呼んでいて、私も恥ずかしいからお母さん呼びにしようかなと思った。
でもいきなりお母さんで呼んだら「あー、ママ呼びからお母さん呼びに変えたの〜?」と母親に言われたり、思われたりする方が恥ずかしくて結局変えられなかった。
だから男の子はお母さん呼びからおふくろ呼びにいきなり変える人がいるけど、よく変えられるなぁ凄いなぁ親に「あ、呼び方変えた!」って気付かれるのが恥ずかしくないのかなぁと、今でも思ってしまう。 >>304
分かるよ、なんか気恥ずかしいし周りの反応も気になるんだよね
男子のママ→母ちゃん→お袋、の過程も気恥ずかしいだろうなと思う
役職名で呼ぶ職場で出世した人を呼ぶ時とかもそうw >>304
私も小学2、3年生の頃に似たような事があったわ。
友達の前でママって呼びかけたとき、その友達から「へぇ、ママって言うんだ〜」って言われたんだよね。
その瞬間にすごーく恥ずかしくなって、そこから呼び方変えた。
その友達も嫌味な言い方ではなく、普通に感想を述べる様な言い方だった。
言われた瞬間に、子どもじゃないんだからもうママじゃまずいよな…と思ったのが印象に残ってる。
今思えば小学生なんてまだまだ子供だと思うけどw
最近はかなり大きくなってもママ呼びしてる子、多いよね。 4歳くらいかな。
父に連れられて男湯に入るのがすごくすごく嫌だった。
何故かいつも、妹は母と、私は父と、という分担がお決まりだったんだよね。
近所の銭湯では5月5日に菖蒲湯をするので毎年家族で行ってたんだけど、その日も私は父に連れられて男湯だった。
そしたらそこに、同じ幼稚園の男子がいた。
もう恥ずかしくて嫌で嫌でたまらなくて、見つからないようにコソコソしてた。
嫌なら嫌と親に言えばいいのに、「恥ずかしくて嫌」と言うのも恥ずかしくて言えなかった。
今はロリコンを警戒して娘を男湯には入れない風潮みたいだし、私みたいな思いをする子は減っていると思う。
いいことだ。 一升餅の記憶。祖母の家だったんだけど、背負わされてる餅が怖くて泣いてるのに皆笑ってて悔しかったwwなんで笑ってるの?!助けてよ!!っていう感情だったのを覚えてるw 一歳前後で家族で海に行ったのを覚えている。
水着の中に砂が入ってくるのが嫌だった。
(今考えると姉のおさがりで、月齢に合ってなかったと思う。)
3つ上の姉がチョロチョロするから母親は姉とどっか行ってしまって寂しかった。
自分が座ってる所にはおじさんが寝てるだけ。
おじさんっていうのは父親なんだけど、私が産まれてからずっと長期の海外出張に行ってて、夏休みかなんかで帰国してたときだったみたい。
一歳の私からしたら誰アンタ状態だったのを覚えている。しかも全然話しかけてくれないから暇で暇で。 話しかけてくれない親だと暇だよね
わかるわかる
私の親も無口だったから寝てるだけの月齢の時暇だった
刺激が足りなかった 3歳くらいの時、2つ下の妹が哺乳瓶で飲んでるのがすごく羨ましくて
私も哺乳瓶で飲みたいと母に訴えたら「いいよ」とリンゴジュースを入れた哺乳瓶を渡してくれたんだけど
いざ飲んでみると乳首がゴム臭いし、思いっきり吸ってもジュースがちょびっとしか出てこないし
なんか期待してたのと違ってガッカリして、それ以降哺乳瓶を羨ましいと思うことはなくなった ストローと同じような吸い方をして全然出てこなかったとかなのかな?
頭ごなしにダメって言わないで、一回やらせてくれてわからせてくれるっていいね! >>313
太いストローで吸うのと同じような勢いでゴクゴク飲めるとイメージしてワクテカしてたのに
糸みたいに細いジュースしか出てこなかったのですorz スレチかもだけど。
私は乳幼児期の記憶がほとんど無くて、幼稚園以降は割と鮮明。
実兄は1歳代の旅行の記憶とかしっかり覚えていて、私は頭悪いんだと思ってた。
実は、兄が3歳(私は乳児)の頃にカメラを壊してしまって、当時カメラはとても高価だったから(団塊ジュニア世代、2眼レフが給料1ヶ月分くらいと聞いた)、私が幼稚園上がるまで買い替えられなくて写真がほとんど無い。
兄は写真を見ながら親に思い出話をされてたから、記憶を手繰る事が比較的容易だったのかな、と考えた。
これだけで全ての乳幼児の記憶を説明はできないけど、取り敢えず子供の写真は撮って整理した方が良いな、とHDに貯まったデータを見て思うよ。 保育園年少の時にお昼寝時間が大嫌いだった。
でも、先生たちがその時間に連絡帳書いたり、運動会の準備をステージの上でやってるのが見えたので、「寝てあげないと先生がかわいそう」と思って目をつぶって寝たふりをしてたこと。
そして、お昼寝時間が終わっても寝ている同級生を見て「お子ちゃまねー」と思ってたこと。
2歳の頃に母が兄だけ連れて東京に泊まりで遊びに行ったこと。
夜に母から電話がかかってきた時に「私、捨てられたんだ」と思って悲しくなった。
大人になって、母一人で東京に行くのに二人の子を連れて行くのが大変だったから置いていったと言われた(祖父母同居)けど、悲しいという感覚を自覚した日だった。
その時に我が家のような田舎では手に入らなかった海外のおもちゃをおみやげにくれたけど、いつまでたってもそのおもちゃで遊びたいと思えなかったこと。 幼稚園行くのが大嫌いだった
給食(仕出しでくそまずい)やお弁当が冷めてておいしくないのもあったけど
なによりこのまま母が迎えにこないんじゃないか
自分の面倒見るのが嫌だから幼稚園にいれたんだ…って思ってた
だから朝起きた瞬間にお腹痛いとか嘘ついて、病院行くよ?って言われてもいいよって言ってたし
あの手この手をつかって幼稚園に行かなかった
今思うと、母親のメンタルが離婚前で不安定だったのをなんとなく感じとってたのかも、と思う 両親が共働き&激務だったため、同居の祖父母がほぼ養育者だった。
ある日母が「絵本を読んであげる」と寝室にやって来た。
母がかまってくれるうれしさと珍しさで妹も私も大喜びした。
で、テンションあがりすぎて読み聞かせをおとなしく聞けず
「もう読んであげない!」と母は怒って寝室を出て行った。
そして本当に二度と読んでくれなかった。
という記憶から、我が子には寝る前のスキンシップや読み聞かせを
珍しいものにしないよう習慣化するよう心がけてる。 >>319
普段世話しないで、
たまに来て、子供が自分の思い通りの反応でなければキレる
ひどい親だな >>308
すげーそんな頃の事覚えてるんだ!
私は全然記憶ないんだよな〜 私はまだ目がちゃんと見えない、生後数ヶ月の記憶があるよ。
おしりが気持ち悪いのを、明るくて真っ白な視界のどこかに必死で訴えていたら
にっこりしたお母さんらしき人の顔がぼんやりと見え、おしりを持ち上げられたかと思うと
乾いたおしめの感触に変わり、何とも言えない満たされた幸せな気持ちになったこと。
この記憶があるから、第一子は布おむつで頑張った。
目はよく見えずとも、皮膚の感覚はすごく敏感なんだよね。
できればたくさんのお母さん達に布おむつで育てて欲しいと、いつも思う。
リアルでは信じてもらえないから言わないけど。 私もわからないわ…。
親が布オムツ派だったってだけだよね?
紙と布併用してたのかな? 布おむつの感触が良かったと言いたいのかもね
でも、
>>324
>おしりが気持ち悪いのを
と気持ち悪い感触になるのも布おむつだからな気がするけどね >>328
それはちょっと思ったかもw
今のは紙おむつの方がさらっとしててかぶれないとか
でも、おしりが気持ち悪いから教える、が
小さい赤ちゃんでできるってのがそもそもすごい
うちのはもっと大きくても布でおしり濡れてても平気で遊んでるから ごめんなさい、文章がヘタクソすぎでした。
汚れるたびに気持ち悪いのを訴える→お母さんがニッコリしてきれいなおむつに換える、というのは
1歳になるまでに1000回以上は繰り返す親子の大事なコミュニケーションだよ、というのと
その気持ち悪い感覚は、紙おむつだと失われてしまうからもったいないよ、
というのが言いたかったのです。 紙でもおむつから解放すると楽しそうに嬉しそうにするから、まったく無いわけではないんじゃないかな。
おむつ交換はそういう感じになるのね。
やっぱこのスレ面白い >>330
あーなるほど、
気持ちよいと気持ち悪いの違いとか
訴えたら気持ちよくしてもらえたっていう認識とか
そういう面でならわかる!
六千回のおむつがえとかだっけ?の本に沿ってる気がする
でもうちのはおむつ濡れても大きいのしても
平気のへいざなんだけど
どう感じてるのかなー聞いてみたい 速水りんこさんの漫画で、幼稚園で女の子達が
「布オムツのほうがいいよねー紙オムツだとゴワゴワするもん」「ねー」
と会話していた、という話しを読んで
頑張って布にしとけば良かったかなと思ったよ
うちの子もどれだけオムツがぽんぽんに膨らんでてもへっちゃら
替えるよーと言うとジャングルジムに立て篭って拒否 今4歳だけど数年前とはいえおむつの感触覚えてるのかなあ
布と紙混合だったけど、全然気にしてなさそう… 今のおむつは性能いいから不快感あまりなさそうだわ。 >>324
うん、まぁなんだ。最後の2行が余計だったという話だ。
あなたはほんとにリアルで言わないで正解だわ。 快適さのベストは中国の田舎の子みたいにズボンに丸い穴開けとくことかな。おしりはスースーしそうだけど。 布おむつでにっこり替えてあげられたらいいけど、子供がおなかゆるめで下痢が多くて
紙おむつでも死んだ目でおむつ交換していた私には、布おむつは無理ゲーだわ まあ、お母さんがニコニコ機嫌良くしてるのが一番赤ちゃんには嬉しいことだよね オムツ交換の記憶があるのは信じるけど、
お母さんにオムツ換えてもらったおかげで気持ちよくなった!という経験をさせるために
わざわざ布オムツで1000回以上も気持ち悪い思いをさせる必要性は感じない。 記憶があるのは信じるしその話は聞けてよかったけど
だから紙オムツsageで布オムツage!ほらあなたも布にしなさいよ!
みたいなのが引っかかる原因だと思う
報告者自身が幸せの記憶があるから布で頑張りましたっていうだけなら個人の自由だしなんとも思わないけど まあでも、気持ち悪い後のまっさらな布おむつってとっても気持ちいいんだろうなとは思う
足回りも柔らかそうだしね
私はダラなので紙一択だったけど、布も利点はあるよね いまや布ナプキンに近いものになってると思う
布にこだわるなら止めはしないけど、他人に勧めるものじゃない そんなむきにならなくても…
ただの話のひとつとして受け止めればいいのに 別にむきになってないけど、幼児期の記憶の信憑性と布オムツ推しをごっちゃにしてたからみんなつっこんでるんでしょ まあ紙はさらさらとはいっても蒸れるしね
どちらも使うけど
紙だとつい2〜3回待ってためてしまうので
布の方がトータルでは湿気がないかも 何歳かわからないけど、たしか幼稚園に入るより前の記憶。
母の習い事で、たまに託児所に預けられてた。
普段はおとなしくしてたんだけど、1日だけかなりギャン泣きした記憶がある。
最初は母に対して「行かないで!」っていう寂しい気持ちで泣いてたんだけど、
それでも母は行ってしまって、内心「あーあ」って諦めがついた。
けど変わらず泣きやまず、保育士?さんが絵本持ってきたりおもちゃ持ってきたりしてあやしてくれてたんだけど、
なんだか気持ちは妙に冷静で、「あの釣りのオモチャで遊びたいな(遠くで別の子が遊んでた)」とか「おやつの時間の丸ボーロくれないかな」とか考えてた。
最終的には、丸ボーロほしいって言ったところでダメって言われるのは分かってたし、怒られるのも怖かったから、欲しいけど手に入らないもどかしさで泣いてた。
家に帰って母に「なんで泣いてたの?」と聞かれた時は、なんだか恥ずかしくて「泣いてた子がいたから(つられて泣いた)」みたいな事を答えてた。 >>349
あーなんかその記憶の気持ちわかる
泣いてるけど妙に冷静とか私もそういう記憶あるなー 3歳くらいの時の記憶
当時住んでたアパートの二階に母の友人がいて、そこには私より幼い1歳すぎくらいの子がいた
たまたま行った時に子供が耳かきをされていてその耳かき棒が家のと違う金属製だった
それを見て私は「子供の耳かきは本当はあれでやるんだ!」と思い込んだ
母に頼んで◯◯ちゃんちと同じやつ買ってと言ったけど「何で?買わないよ?」の一点張り
凄く悲しくて悔しかったけど少し後に親戚の家で金属製耳かき棒を発見
喜び勇んでそれで耳かきして貰ったけど、思ってたより全然気持ちよくなかった
物凄く欲しくて大人になったら買おうとまで思ってたけどその時に耳かき棒熱がサーっと冷めた このスレ面白いなあ!
読んでたら幼稚園位までの記憶が次々思い出して来たよ。
私は幼稚園前?に1人で寝かされるのが寂しくて嫌だった。
カセットプレーヤーで童謡かけられて「おやすみ」って親が部屋を出て行くんだけど、寝付くまで誰かに側にいて欲しかった。でもなぜか言い出せなくて。
あと、テレビでトラウマになりそうな映像が流れてた時もなぜか怖いって親に言えなかったのも覚えてる。
親からしたら問題ないテレビでも私にしたら凄い恐怖だった。
大した事じゃなくても何が怖いか、トラウマになるか分からないから自分の子供には「怖かったり嫌だったら」教えてねって言う事にします。 私は夜中1人でトイレに行くのが怖くて、
でも1人でトイレに行くのが怖いと親に言うのは恥ずかしかったので、
夜中にトイレ行きたくて目を覚ました時は必ず
自分の掛け布団をぐちゃぐちゃに乱してから親の寝室に行って、
掛け布団ぐちゃぐちゃになっちゃったから直してと母親に声を掛けて
母親が起き出して直してくれている隙にトイレに行ってた。
子供部屋から親の寝室までは、トイレに行くより遠かったんだけどねw >>353
かけ布団がぐちゃぐちゃになったから直して ということを今まで考えたことがなかったから、言い訳に使ってただけかもしれないけどそういう考えがあることが興味深いなと思った!
私は3歳くらいの時に一緒に住んでたひいおばあさんに乗って、お馬さんごっこ?をしてもらってた。
私から見れば両親でも祖父母でもひいおばあさんでも同じ大人扱いだったんだよね。
でも自分が大人になってから母親にそのことを言われて、当時70〜80歳だったひいおばあさんに馬をやらせてたのはちょっとゴメンね…と思った。 下注意
小さい頃よくう○ちを我慢しててお母さんに怒られてた。
足バッテンにして我慢してたんだけど、怒られたくなくて隠れて我慢してた。すぐバレてたけど。
その頃は出すのは気持ち悪くて、我慢するのが気持ち良かった。
今考えてみたら、怒ったり急かされたりするよりは「最終的にはトイレで出さないけんのやしトイレ行けばー?」ぐらいサラッと言われてたら嫌なりにちゃんと行ってたのかな?と思った。 良スレ。
弟がベビーカーに乗ってて、その横をベビーカーにつかまりながら歩いていたから
3歳とかその辺だと思う。
吐き気がして朝から体調が悪かったけど、母がその頃何でもかんでも些細なことで
ぎゃんぎゃんヒステリックに怒ってこわかったから、言い出せなかった。
気持ち悪くて仕方ないから無言で歩いていて、早く家につかないかなと思ってた。
よく吐く子供だったから、家なら自分でトイレに行って自分で吐けるし。
そう思ってたら家までの途中に知り合いの家があって、そこに寄ると母が言い出した。
絶望した。
母と知り合いがそこの庭で立ち話してる間、立たされっぱなしで吐き気が限界になり、
その場で嘔吐した。
なんで早く言わなかったの!迷惑がかかるでしょう!と怒られたけど、
あんたがいつもそうやって怒鳴るから言えないんだよ。と思った記憶がある。
子供心に同居の母方祖母の私への接し方と全然違うから、
母親の私への接し方が普通というわけじゃないのも知ってたし、苦手だった。
母は弟を産んだ産育休で平日に家にいるけど、長く一緒にいると怒られっぱなしだし、
相性悪いんだなー、早く復帰してほしいなーと思っていた。
あの頃母は2人目育児で余裕がなかったのかもしれないけど、
私は母みたいにヒステリックな態度で子供に対応しないようにする。
あと三文安になったかもしれないけど、祖母が家にいて私はよかった。 ほんとにおばあちゃんいてよかったね
いなかったと思うとぞっとする >>357
私も同じだった
物心つくころからすでに母親のことが嫌いになってた
本当におばあちゃんがいてくれて良かったよね 多分内容的に2歳か3歳ぐらい?そしてやや下
父の運転する車で、どこかから家への帰り道
おしっこがしたくなってお母さんに言ったんだけど、今はオムツしてるからしてもいいんだよ、と言われた
でもそのままするのは何となく抵抗があって、嫌だなと思ったのを覚えてる。
「すぐ行けるようなトイレはないから、悪いけどオムツにしてね」って言ってくれたらよかったのになぁ。
オムツじゃなくて、トイレで用を足したい気持ちを汲んでほしいと思った いずれも3〜4歳の記憶。
・母親と風呂場で毛布を踏み洗い(の手伝い)をしていて、水気をきった毛布を母がベランダまで運びにいこうとする際、自分はまだバスタブの中にいて、
「お母さんが戻ってくるまでバスタブから出ないでね」と言われた。
「もう大きくなったし自分であがれるし!」と小さい子扱いされたと思って、自力でバスタブから脱出...
着地した瞬間にスッテンコロリン転けて頭を強打して大泣きしてしまった。
慌てて母親が戻ってきて「だから言ったじゃない。まだ洗剤流してないから床が滑るのに」と言われて、やっと「出ないでね」の意味がわかった。
・鼻のてっぺんにピョロっとイボのようなものがあった私。
越してきて、同じマンションの年上の子とかに「これなあに?」と聞かれるようになってから、私も気にするようになったらしい。
両親が「女の子だし、顔の中心だし、これから幼稚園入ると余計気にするかも知れないから」ということで、レーザーで焼くことに決まった。
ある日、両親に病院に連れられ、なんの説明も受けずに台に大の字に寝かされて、母親が両脚を・父親が両手を・看護婦さんが顔を押さえつけてきた!
みんな無言で羽交い締めにしてくるし、白衣着たおじさんが青白く光る棒みたいなのを顔に近づけてくる!
正直、鼻は全く痛くなかったけど、身動き取れないままバチバチと光る妙なものを顔に当ててきて、恐怖で力いっぱい泣き叫んだ。
母親は「どうせ子供だしわからないと思った」って言ってたけど、砕いて大まかに説明したり理由を言えば3〜4歳なりに理解できる部分もあったと思っている。
まだ我が子は赤ちゃんだけど、通じなくても「これはこうだからだめだよー」って言ってる。 まだ解らない、すぐ忘れると母親が言ってたのをしっかり覚えてるわw
子供が「私今日からお母さんの話解るようになったよ」とか自己申告してくれることのほうが無いと思うから
0歳から練習だと思って説明してるわ
2人目3人目になると余裕なくなって出来なくなるのかなぁ
うちは年寄りほどまだ解るわけない、って言うから
今と昔の子供の数と情報量、質の差もあるね 祖父母に育てられていた2歳頃、お風呂で転んで頭を切った。祖母が慌ててタオルで頭をくるんで私を自転車の後ろに乗せて近所の外科に駆け込んでくれた。
普通に漕いでも5分かからない距離を全速力ですっ飛ばしている祖母の背中が一番古い記憶。この人は絶対に信頼しようと思った。
おっちょこちょいで怪我の多い私に謎の民間療法を施してくれる祖母だったけど、その時の思いからか全く疑わず謎治療を受けたものだ。 誰にも信じてもらえないと思うから人には話さないけど、
まだ寝返りもできない頃
たぶんどこかにお出かけしたかなにかで、母が疲れきってこたつで寝てた。
私はすぐとなりにぴったり寄り添っていた。
すごく眠くて目をつぶっていたんだけど、母の顔が私のおでこにくっついていて嬉しくて幸せでその感触を感じながら涙ぐんでいた。
父がカメラでその様子を撮ろうと構えている気配を感じて一生懸命泣かないようにこらえていた。
そんな記憶がある >>372
ある
実は両親は私が4才の時離婚して
その後父とは二十歳まで会わなかったんだけど、
小さい頃のアルバムはおばあちゃん家に保管されてたんだ
中学生の時に初めてアルバムをみたときにバーっとその感覚が甦ったんだよね >>373 レスありがと
上の方に誰かが書いてたけど、幼いころからその写真を見る度に撮られた時の記憶を思い出してしっかり固定された。て訳ではないのね
(自分は↑この体験があって2歳くらいで写真撮られた時の記憶があるから)
見た瞬間に思い出したんだ ホント凄いね。脳味噌って不思議。 自分にも忘れてしまった幸せな記憶が一杯あるのかなあ どこにしまい忘れちゃったんだろ 一度した体験は脳は一生覚えてるんだって
でも思い出すのが難しいんだってさ
私はその思い出せないたくさんの体験から性格が作られてるんだろうなって思ってる
生まれ持った性格なんてほとんどないんじゃないかって 双子でもかなり小さい時から全然性格違うしね。
私も気質は生来の部分が大きいと思う。 ごめん気にしないで
私はそう思うってだけで人に押し付けるつもりはないから
スレチになりそうだからこのへんで終わりにしよう
すみませんでした うん、寧ろ生まれ持った性格の強さをヒシヒシ感じるよ
記憶しているということ自体が性格形成に関わるというよりは、その記憶をどう感じるか、どう受け止めるかが生まれ持った性格によって変わり、人格が作られていくように思う 少し性的な話です
3歳のころ、アンパンマンのアニメで、カレーパンマンがバイキンマンに掃除機みたいな機械を口に押し付けられ、顔の中のカレーをドクドク吸い取られる、というシーンを見る度に、股間に不快な違和感を覚えていました。
私は「おしっこをすればなおるかも」と思って、毎回トイレに行くのですが、おしっこは出ず、気持ちわるさを覚えたままでした。
だからといって、そのシーンが嫌になるわけでもなく、執着するわけでもなく、確かビデオを持っていたからだと思うのですが、他の作品と共に繰り返し見ていました。
その後も、TVアニメなどで、悪役に人質にとられたりしたヒロインが手や布で口を塞がれるシーンを見る度に同じようなことが起こりました。
中学生のころに、それが性的な興奮であることに気付き、3歳でもそういう反応が起こるのかと、とても驚きました。
「子供がしきりと陰部を触ること」に関する対処は時々子育ての話題として上がっていますが、
そういう場で理由として挙げられている「安心感」「快感」といったものは私にはなかったので、
それらは大人の勝手な思い込みで、実は「不快感の解消」も多くあるのではないかと少し思います。
リアルでは言いにくいことですが、非常に興味深い出来事でもあるので書いてみました。 >>382
3歳でも性的興奮って、やっぱり有るんだね。
昔、ナンシー関(女性・故人)というコラムニストの本で、子供は幼稚園の頃にウルトラマンを見て人生最初の性的興奮を知るのだ、みたいな事が書いてあったような。
悪者にロープに縛られたウルトラマンを見て、らしいから同じようなシチュエーションだよね。
私はウルトラマン見た事無いからピンと来なかったけど、興味深い記憶をありがとう。 娘(三歳半)はお風呂のたびにシャワーのぬるま湯であそこをいじってるよ
はずかしがってはいなくて堂々としてやってるw
性的な観念は理解できなくても気持ちいいとかはわかるみたい 一瞬、ヒゲだろネタだろ〜と思ったけど思い出した
私のそれ、セーラームーンだったわ
小学校低学年ぐらいだったか… 性的興奮って小さい頃は裸とかじゃなくて、暴力的なものに覚えるんだってね。
これは私も身に覚えがあるわ。
それが小学校の中、高学年くらいから裸の写真とかの一般的な対象に変わっていくんだけど、正しい発達が妨げられてしまうと、サカキバラみたいに大きくなっても暴力と性的興奮が結びついたままになっちゃう。 一連の流れで記憶の扉が開いた。
私はたまたま廃品回収でその辺に置いてあったジャンプで、ケンシロウが七つの傷をつけられているところだったかもw 欧米だと子供に身長が伸びるサプリを飲ませるのが常識になってるみたいだけど
日本だとこのサプリだけなのかな?
http://topic123.xyz/seityou.html >>390
ステマ死になさい
欧米でもそんな常識ないわ >>388
私は中学生ぐらいまで治らなくて、異常じゃないかと悩んだなぁ
幼児期はそういうことも多いのか。おかしいのが自分だけじゃなくて安心した 過疎ってるようなので
4,5歳の頃、うちの裏には田んぼと用水路があって、そこに近づかないように母に脅されたのがものすごく怖くてあとを引いた事
当時親に、悪いことをすると死んだ後に地獄という恐ろしい所に行くからいい子にしなさいと教えられていた
死ぬことを考えるのも怖いし、そもそもお母さんに会えなくなるのが想像もつかないほど恐ろしくてたまらなかった
そんな中で用水路の事を、怖くて怖くてたまらない地獄を持ち出して「あそこに行くと地獄に行っちゃうからね」と言われたのが怖くて怖くて、何が危ないのかもよくわからず、用水路や田んぼには決して近づかなかった
それだけならいいんだけど、地獄っていうのは結構身近にあって、油断するとすぐ地獄に落ちて(文字通り、落下していって)しまうと思い、色んなものが怖くなってしまった事。
特に怖かったのは家の脇になぜかニョキッと突き出ていた何かの配管
手も入らないぐらいの細めの管だったけど、ぽっかりあいた穴は地獄に繋がっていると思い、近づくのも嫌だった
もうひとつ、地獄にまつわるエピソード
当時親には「一度も嘘をつかずに死ぬと天国へ行く。嘘をつくと地獄に行く」と言われ、
じゃあきっと、天国に行けるのは100人に1人ぐらいだなと思い、同時に、自分もお父さんもお母さんも、天国には行けないんだなぁと悲しくなった。正直だけでは生きて行けない事を何なく理解していて、天国へ行ける人はほとんどいないんだなぁと思っていた
(ちなみに100というのは、当時私にとって考えられないほど大きな数だった) >>396
地獄とか死の概念って、子供には結構な恐怖なんだね。
私は脅し系な事を親に言われなかったから逆に鈍感みたいで、悪ガキ息子にかなり脅しつけちゃってる…気をつけよう。 地獄のエピソード、自分も似たような事考えてた。
親や姉に騙されてる自覚があったので、家族は地獄で鬼の監視下で辛い修行・仕事(?)するのだと思ってて、
そんな親や姉の姿を想像して不安になったというか、心配で眠れなくて夜中に何度か泣いた事がある。 電気コード踏むと死ぬ、って教わってて、
初めて踏んだときはもうダメなんだー!と思って(x0x)みたいな顔して覚悟してたなー。
「死」をどう子供に伝えるべきか迷ってる。
私は、何の前触れもなく死の恐怖に取り憑かれてワーーッとなることが時々あるんだけど、
多分これは幼少期の親の教育によるものなんだろうなーと思ってる。
でも、死に至る危険は子供の身の回りにはわんさかあるから避けて通るわけにも行かないし…。 >>396
まあ、用水路に落ちると本当にこの世とおさらばになるもんね
うそをついたら〜天国だ地獄だ〜ってのは自分も言われた
そんな基準だと天国行ける人ほとんといないだろと思ってた
100ってすごい数に思えたよね
クイズの賞金100万円とかを見ると、一億円くらいに感じていたなあ わかる!
私も5歳頃親の寝室で一緒に寝てて、テレビの上にデジタル時計が置いてあったんだよね。
でも私は子供で早く寝ちゃうから、20時くらいまでしか見たことがなかったんだ。
父親にこれは何時までなるの?って聞いたら100時って言われて、ビックリ&感心したんだよね。
でも実際には24時までしかないことを小学校に入って知ってビックリしたよー。 396です
>>400
>用水路に落ちると…
本当、その通りなんだよねぇ…
地獄云々じゃなくて例えば実際に連れられて見に行って教えられたとしても、逆に興味持っちゃってたかも知れないし。
危ない事は一切なく過ごせてよかったのは間違いないんだけど、思い返すと何か釈然としないというかね。
あっちの方向(用水路≒地獄)からいつ閻魔様や鬼がやってくるかと、急に怖くなったりしてたから。でも4,5歳って、そういうものなのかな。 >>397だけど。
私の母親の実家は離島で信仰が神道だからか、天国・地獄の話をされた事がないって思い当たった。
そのかわり「身の周りには見えない所にも神様がたくさんいて、良い事も悪い事も全部お見通しだよ」って言われてた。
私が今、割と善良な小市民なのは(道に転がってる空き缶を拾ってゴミ箱へ捨てる程度だけど)、誰にも褒められなくても神様は見ててくれるってどこかで思っているからだと思う。 >>403
その考え素敵だなぁ。
天国地獄って考え方もありだけど、子供には八百万の神とかお天道様?みたいな考え方で、誰も見ていない所でも正しい事を出来る人になって欲しいわ。
そういう昔話とかってないのかな?
特に宗教に詳しくないんだけど、仏教の教えとかだとそういうのがあるのかなぁ。 >>401
質問されてパッと100時って言える親父がすげーわww >>404
花咲き山って絵本あるよ。超名作なので大抵の本屋にあると思う。 幼少期の記憶って殆どないけど、唯一覚えてるのは母親(祖母だったかも)と歩いてると、歩幅が違うから決まって置いて行かれたことだわ。
「待って」って言うと一瞬立ち止まってくれるんだけど、振り返るだけで待ってはくれない。
慌てて走って追いついても、息切れしてぜえぜえしてる間にまたさっさと先に行っちゃう。
4歳くらいで体が大きかったから、抱っこもしてくれなかった。
未だに微妙な理不尽さを感じる。 勤務時 や 職場の宴会で、先輩から 君はタバコはやらないのか?と聞かれて・・・(健康に良くないので)と返事していると相手には真意が伝わらない。
(タバコが苦手なので)でも伝わらない。
(タバコが嫌いなので)でやっと伝わるが、(何だこいつは)と思われて、後で職場で面当てされることも。
●こんな目に遭わないためにも、ハッキリ言うべし!・・・(タバコは大嫌いです)と。 強い意志を持った嫌煙であることを伝えることが大切です。
喫煙者からは、軽く見られないようにしましょう。 4歳の幼稚園だった記憶。
結構この頃の記憶がよく残ってる。
リビングで昼寝してた私はすごく怖い夢をみた。何かが襲ってくる夢。
怖くて起きたときに泣いてしまってすごく恐怖だったとき母親がすぐ横にいて
どうしたの?怖い夢でもみたの?大丈夫だよーって抱きしめてもらって恐怖がなくなった記憶がある。
そのときの母親の顔がすごく優しかった。
抱きしめてもらうって効果絶大だ。 4歳の頃
兄が入院して母が付き添ったので数日私と父と二人きりだった
父は朝早く夜遅く、休みもあまりないような人だったからほとんど顔を合わせなかった
そんな父と二人きりになるのが嫌で嫌で、「だれ!?怖い!だれ!?こないで!!」と泣き叫んでこたつの周りをグルグルと逃げ回っていた記憶
父だともちろんわかっていたけど、嫌だったのと多分困らせよう、と思っていた
その数日ですっかり仲良くなったけど、その年齢で親を困らせようとするものなんだな、と大人になってから思った
私が性格悪かっただけかもしれないけど 困らせてみてどこまで許容されるか、を試してみる気持ちが子供にはあるって聞くね。
その数日でこの人は大丈夫と感じたんだろうな。 うん
そこまで拒絶されても、母にヘルプや祖父母におまかせせずにお父さん頑張ったから父子で仲良くなれたんだね
いい話だわ 3歳頃
母と祖母の仲が険悪で、母がよく祖母の居ないところで「クソババア」呼ばわりしていた。私はなぜかおもしろがってその度に祖母に「お母さんが、クソババアって言ってたよ」って告げ口してた。当然ながら母と祖母の仲はさらにこじれた。
こじれさせて申し訳なかったなと思う反面、子供の前でクソババア呼ばわりってどうなの…とも思う。
自分は家族の悪口は言わないようにしなきゃな、って気をつけてる。 多分それぜんぜん悪気ないよね。3才じゃわかんないよ なんかワロタ
お母さんもよく子供の前でクソババアなんて言うよw
3才児が秘密になんてできるわけないのにw
もしかしたらわざとなのかもね
子供にクソババアをクソババアって言わせたかったのかもw 面白いスレだー。
私の一番古い記憶は、1歳前のベビーカーの中の記憶。
東武ワールドスクエアのお土産か展示物の棚を、下から寝転がって見てた。ドーム状の影があって、それは今思うとベビーカーのフード部分だったんだなーと。
あとはトイトレの最中だから2歳前後かな?
トイレ間に合わなくてカーペット敷きなのに漏らして汚した。お母さんが火がついたように怒ってて、ゲンコツ飛んできた。
何も出来ずにただ立ち尽くして泣いて謝ってたわ。
ただでさえ双子で手がかかるのに、カーペットでおもらししたらそりゃキレるよね。 >>418
自分もトイトレ覚えてる
白鳥のオマルの顔が怖かった
首が長かったのでアヒルではなく白鳥だった
補助便座よりも和式トイレの方がトイトレ助かると今になって思う 3歳までは両親も仲が良く仕事も安定していたので
自分の記憶の印象も、穏やかな感触で統一されているのだが
その後に弟が生まれて、同時に両親の仕事が忙しくなり不仲になったので
記憶も我慢するもの、寂しさに耐えるもの、といった類のものがほとんどになる
大人になってからも、その記憶の寂しいトーンというのはしばしば思い出されて
落ち込んでいたので、自分の子育てでは気をつけたいと思っている 私も水色のベビーカーが最初の記憶。近所に散歩に行って、同じような乗り物の母子にあい、お母さんが笑顔で喋り出した。まだかなーってぼんやり見てた。不満とかではないけど長時間に感じた。
トイレは、3歳くらい。お絵かきしてて「あっ」って思ってトイレに急いで行こうとし間に合わず廊下で全部出ちゃって、アチャー間に合わなかったか!って思った記憶がある。
間に合わせたいって気持ちは確かにあった。気づいてから出るまでがかなり短かった。だんだん我慢できるようになったけど、トイレが遠い時は失敗した。わりと父親に声かけされてトイレに行ってた。 4歳の時にお泊り遠足で布団敷いて何故か一つの布団に男の子と一緒に寝かされてドキドキして眠れなかったのを覚えてる。小さいうちでも、異性を意識するもんなのね… トイトレ私も覚えてる!
ミシン目に合わせて1枚だけ引き出して、押さえて破る、という「トイレットペーパーを取る手順」を教わってワクワクしたよ。 良スレ
私は幼稚園が大嫌いな子どもだった
年中入園だったんだけど入園式で、皆が静かにきちんと座れているのに対し、
私は「おかああああざああああん!」とギャン泣き。泣いていたのは私だけ
母も非常に恥ずかしかったらしい
泣いていた理由もうっすら覚えている
慣れない子どもの集団に入れられたことや
幼稚園がどんな場所なのか分からなかったのも怖かった
母や祖父母に聞けば、乳児の頃から人見知りの激しい子どもだったらしい
子7ヶ月はまだ人見知りはしていないけど、行く場所や会う人等きちんと伝えてあげようと思う 一番古い記憶はパーテーションで区切られた、真っ白い長机のあるスペース。
私は母の膝に乗せられてて、向かいに座ったベストを着たOLさんみたいな服のおばさんが私を褒めて母は嬉しそうだった。
で、おばさんが持ってる白い粘土板みたいものにお母さんが私の手のひらと足をぐーって押し付けた。ちょっと痛かった。
で、粘土に押し付けられた手が汚れた感じがしてすごく嫌で、気持ち悪くてちょっとグズった。
…という記憶があるんだけど、いつのなんの記憶だろ、って聞いたら母がめちゃくちゃビックリして、生後半年になる頃に百貨店で半年記念の手形と足型を取ったと。たんすの奥底に眠ったその記念プレート見せてくれた。ちなみにそれ見るの初めて。
ちなみにそれが原因かどうかは分からないけど、未だに手に汚れがつくのは苦手で保湿クリームとかも塗れない。
あといきなり手やら足やら粘土板に押し付けられて嫌だったから、なんでも初めてのことを赤ちゃんにするときは声かけてからしようと思う。 >>425
面白い!
でも粘土板のせいで今でも苦手、じゃなくて
もともと感覚過敏があるから昔も今もってことではないかと 1歳10ヶ月くらいの時
に撮られていたビデオ。
兄におもちゃを奪われてぐずっている時に、父が私にビデオカメラを向けて「私ちゃーん、ばぁ、は?」と言っている場面が写ってるんだけど、その時の気持ちをはっきり覚えてる。
私は本当はおもちゃのことで泣こうとしてたんだけど、今泣くとお父さんが残念がるかな、お父さんのせいで泣いたと思われちゃうかな、とか思って、ちゃんと「ばぁ」のポーズをとって笑ってみせてから、改めて兄に向かって泣き出した。
この記憶のおかげで、人って小さな頃からけっこう気を遣うんだなということが分かった。 すべて1歳ぐらいの記憶。
親戚と集合写真撮るとき兄は母が抱っこ、私は親戚のお姉さんの膝の上というポジションだった。
お姉さんは短パンを履いていて未処理の足の毛がジョリジョリチクチク…
それが嫌で泣いて泣いてお母さんに抱っこしてもらいたかったけど叶わずそのまま写真撮られた。
あとはひいおばあちゃんがヨボヨボで怖くて抱っこされたくなかった記憶と、
海水浴に行ったときに押し寄せる波が怖くて全く近づけなかったこと、
水着姿のまま食堂に行かされてぽんぽこりんのお腹が恥ずかしいから水着のままでは出歩きたくないと思ってたこと。
嫌だったこと、怖かったこと、悔しい!と思ったことばかり覚えてる…。 すごい!
なんか生まれ変わりとか輪廻転生とかで
大人の意識をもった赤ちゃんっていてもおかしくないかも 4歳ぐらいの時、伯母さんとその友達にテーマパークに連れて行ってもらった
両親は忙しかったのか私は伯母に預けられ、「これからお兄ちゃんとお姉ちゃんのいるお家に行くよ」と言われておばの友人の家に行った
家につくと、伯母の友人の若夫婦が出迎えてくれた
私は一緒に遊ぼうと思ってお兄ちゃんとお姉ちゃんの姿を探したけど、その家には若夫婦以外の姿はなかった
私は伯母に「お兄ちゃんとお姉ちゃんはどこ?」と聞いたら「目の前に居るじゃない」と若夫婦を指さされたのでぎょっとした
お兄ちゃんお姉ちゃんと言うからには自分より2つか3つ上の子供を想像していたのに、こんな大人のどこがお兄ちゃんお姉ちゃんなんだ!と思った。
当時は伯母もまだ20代だったし若夫婦も同じぐらい、子供もいなかったので、自分達はまだお兄ちゃんお姉ちゃんで通じると思ってたんだろうな 家が自営やってて保育園に預けられてたんだけど、繁忙期の時に何度かお迎えを忘れられた事がある。先生と「お母さん遅いねぇ」って話してた記憶が鮮明に残ってるな。
まだ自分の子は生後数ヶ月で預ける予定もないけど、もしそうなったらどんなに忙しくても気をつけよう。 1歳ぐらいのとき、トリトラやみたいなイスを父が買ってきたんだけど、それがすごく嫌で、
なにこの赤ちゃん用みたいなイス!って失望したの覚えてる。
大人用の座面が柔らかいイスが良かったんだよねえ 1歳頃の記憶
お絵かきしているのを母が見守ってくれてた時
わざと壁に書くふりをしながら、母の方を見ると、
首を横にふってくれるのが嬉しくて(私のことを見てくれてる)
3回ぐらい繰り返した
それ以上すると怒られそうなので、大人しく紙に書いた 多分3歳くらい
当時ひみつのアッコちゃんがリメイクされたか再放送だかしてた
コンパクトのおもちゃが欲しくて母にねだったのだけど、「一万個にひとつだけ、本当に変身出来るやつがある。
でも本物とちがって、変身は出来るけど元には戻れない。
元に戻れなくなったら、お母さんはあんたのこと解らなくなって、うちの子じゃなくなってしまうけどそれでもいいの?」
本物に当たったら怖いから、いらないってなった
先日のすくすく子育てで、嘘は言ったらいかんというのを見たので、これはどうなのとちょっと思った ↑これが嘘とわかったのは何才くらいだろう
機転のきく嘘がうまいお母さんだな〜と感心してしまった。 >>436
かーちゃん息を吐くように嘘を吐いたなw あー同年代かも
私はひみつのアッコちゃんコンパクトを買ってもらったくちだけど、アニメのコンパクトと微妙に作りが違うのが気になって、どうせ偽物なんだなって諦めて遊んでた記憶
あと3歳くらい?のときお父さんのサンダルを見えないところに隠した。
じゃーん、ここにありましたーみたいなことがやりたかったんだけど、頭ごなしに
お父さんに怒られて言い出せなくなっちゃったんだよね
私はやってない!って嘘ついたのにお母さんは庇ってくれたな
なんか泣けてきた 私もアッコちゃんの変身コンパクト欲しくてねだったなぁ
多分幼稚園くらいの年だったと思う
でも母がくれたのは使用済みのファンデーションのケースw
当時は平べったくて丸く、鏡がついたファンデーションが主流だったんだと思う
それに糸を通して首から下げれるようにしてくれた
嬉しかったよ、友達の本物の玩具と見比べるまでは
友達のと見比べたら自分のは全然違う!ってなって凄く悲しくなったのを覚えてる
結局ちゃんとした玩具を買ってもらえたんだけどね、そこは記憶にないw
大人になって玩具が残ってたのを見たときぶわーっと思い出したよ みんな若いんだねー
私は当時小6だったけどアッコちゃんの変身コンパクト買ってもらったよ
おもちゃなのはわかってるけど、自分の所に来る変身コンパクトだけは本物な気がして
クリスマスプレゼントに買ってもらったw
小1の妹も同じ物欲しがってて家に2個あったわ。
小6にもなって小1の妹と同じもの欲しがるなんて(失笑)って親によく言われてたわ 保育園のころ、おやつに蒸しパンが出たんだけど私は蒸しパンがそれはもう大嫌いだった
おやつはご飯と違って食べなくてもいいもんだという認識があったから、いらないって言ってたんだけど先生がどうしても食べろときつく言ってくる
みんなはすごく蒸しパンが嬉しかったみたいで、嫌がってるのは私だけだったし、それなら食べたい子にあげるって言ってもダメだった
今思えば、一個だけ譲っても揉めるだけだったから、先生も困ったんだろうけど
蒸しパンには干しぶどうが二粒ついてたんだけど、先生が
「けんちゃんは干しぶどう嫌いだけど、頑張って食べたんだよ!だからあなたも我慢して食べなさい」と言う
当のけんちゃんはすごく美味そうに蒸しパンを食べてて、それ見て私は
いやいや、干しぶどうはちょっと我慢して飲み込んじゃえばすむけど、蒸しパンは無理だよ!と思った
すごく理不尽を感じながら、何とか半分食べて解放された
この件をかなり後になって母に話したら、なんでその時に言わなかったのと怒られたんだが、当時はそのモヤモヤ感を上手く話すことが出来なかったような気がする その時に言えって、言ったら先生に文句言ってたのかな
アレルギーとか、嫌いすぎてえずいてしまうとかならともかく、嫌々ながらも半分食べられたのだから先生の指導も別に悪くないように思うけどな >>443
その時に聞いてたら、母はどうするつもりだったのかは解らないけど
蒸しパンは、未だに食べるというか匂いだけで吐き気がするレベルなので、半分食べるのもすごく辛かったよ
母が気にしたのはそこかも
しかし干しぶどうと比較されたのは本当に未だに納得がいかないw
子どもでも解るよ、量が違いすぎるということは… 文句言うつもりだったかはわからないじゃんw突然先生の指導の弁解されてもw
単に「そんなあとから言われても」って感じかもよ
「あのときああだった」みたいな文句あとから言われると、そのとき言えよとイラつくじゃん
でも子供って、気持ちをうまく伝えられないよね
私も寂しいって言葉と感情がずっと結びつかなかった
そのとき言えよってイラっとするかもしれないけど、子供にとっては
気持ちを言葉にできるくらい成長したってことかもと心に留めておこうと思った アッコちゃんのコンパクト、欲しくて父にねだったなー。
「おもちゃだから変身できないけどいいの?」と聞かれたけどほしい!と。
変身できないけどお姫様の衣装がついてくるものだと思ってた。
CMで女の子がお姫様に変身してたから。。 私はクリィミーマミのコンパクトだったw
当たり前だけど変身したくて頑張ってみたけど出来なかったのが悲しかったな。
中に入ってるステッキもコンパクトから出せば大きなるって信じてたし。 私は花の子ルンルンだったw
本当に変身できると思って、チューリップの前でドキドキしながら呪文唱えたら当たり前だけど変身しなくて、
「ああ、作り話なんだな」と悟ったw 私はララベルだったなあ
ステッキを振っても、あのキラキラ出てこない…とがっかりした思い出w アッコちゃんのとか私はどんなにねだっても買ってもらえなかったのに、
妹は翌年何も言わずとも買ってもらえてた。
近所の人が第1子が生まれた時はキャラ物は買わないって頑張ってたけど、
幼稚園で配られたノートがキャラ物だったりしてなし崩しに解禁、
第2子には普通に与えてたのを見て、あのモヤモヤを思い出した。 他のスレで体臭の話が出てたけど、授乳されながら母の二の腕から胸のあたりの汗ばんだ体臭を嗅いでたこと覚えてるよ
当時の家の冷蔵庫が黄緑でクーラーがオレンジだったその色彩も鮮明に覚えてる >>451
その汗の匂いって、不快だなぁとか嫌だなぁとか思ってましたか?
夏生まれの我が子にも私が汗だくで対応してたからなんと思われてるか怖いな >>452
横だけど、気にすること無いよ。
幼児期は匂いがするかしないかしか分からなくて、その後の経験によっていい匂いかイヤな匂いかを判断していくようになる。
3歳児にバラの香水と生ゴミの匂いを嗅がせて、どっちの匂いが好きか選ぶ実験すると半々になるらしい。
大好きなお母さんの汗の匂いなら、きっと幸せな匂いだよ。 確かに小さい頃ママっ子でいっつも母親にべったりだったけど母親がくさいって思ったことないな。むしろ好きな匂いだった
暑い日はそれなりに汗かいてたと思うけども 幼稚園に入る前くらいに寝かしつけでよく肩辺りをポンポンされてたんだけど『そこじゃないんだけどな〜おしり辺りをポンポンしてほしいんだけどな〜でも何か悪いから言わないでおこう。』って、変な気遣いをしていたことを自分が出産してから急に思い出した。 >>455
肩ポンやっててうまくいかないんだ
おしりポンにしてみるわ
しかしよく覚えてるね >>452
規制に巻き込まれててすみません
嫌だとは全然思ってませんでした
むしろお母さんの匂いだぁと認識してたかも >>457
それが出産して子育てを始めてから、急に子どもの頃の特に幼稚園くらいまでの記憶が色々蘇ってきたんです。不思議なもんです。 2歳〜2歳半頃。
日曜日、いつも父(どこに出しても恥ずかしい屑)はゴルフかパチか麻雀でいないのに、その日はなぜか朝からいた。
今日1日絶望感いっぱいで過ごすのか…と思ったらなんか無理だった。
足蹴り車っていうのかな。両足で蹴って進む子供用の乗り物。
あれに乗って3kmほど離れた父の実家に誰にも告げず逃亡。
当然母たちは大騒ぎ。しかしほどなくして私が父の実家に着き、祖母が電話で自宅に連絡し、
すっとんできた母にこってり叱られる。
理由も聞かれたが、なぜか「父が嫌だった」とは言えなかった。
そして1番記憶に残っているのは、ちゃんと白線の内側を通ってきたこと。
自宅から必死で逃げながら、「白い線の中を通らなきゃ」とすごく思っていた。
今3歳の息子がいるが、すぐ私の手を振り払って道のどセンターを歩こうとする。
白線の内側を歩くんだよ、と注意するたびにこの逃亡劇を思い出す。 >>453>>458
ありがとう!クサイって思われてたらどうしようって考えたけど大丈夫みたいで良かった!
汗を含めておかーさんの匂いと認識してるのかなー 2歳半で3キロ逃亡ってすごすぎる
そしてここでも小さい子なりに気を遣う実例が。
私も子供に気を遣わせてる場面、いっぱいあるんだろうな… ここ参考にして、
出かける前に毎回どこそこ行くよ、とか、
例えば一時保育の時など、
今日はママ用事があるから後で迎えに行くから待っててね、
などとつたえてるけど
行く間際にハッとした顔して泣き出すから
上手く伝わってるのか心配だわ
全文読んで共感が大事なんだと改めて思った >>463
お子さんいくつ?
小さいころは言葉が伝わっていてもまだ我慢できないよ
前スレだったかな?2歳くらいで熱いお味噌汁持ったお母さんに
「危ないから近づかないで」と言われて、意味はわかるんだけど
お母さんに抱きつきたいのを止められず抱きついてしまい
酷い火傷を負った自分にお母さんがごめんねと泣きながら水シャワーをかけて
「言うこと聞かなかった自分が悪いのに」と思っていたというのがあった
例えしゃべれない赤ちゃんでも、ちゃんと人格を持った人間なので、反応が悪くても
(伝わっているかいないかわからなくても)言葉掛けが大事なんだとここ読んで私は思った
心配なら言葉掛けの本とか読んでみたらいいよ 40代妄想ニュース事件情報報道内容そていFX博奕「ニューヨークソルトレイク」ライザップセンター50代野村光金しゅっちょおしょくじけん
https://www.youtube.com/watch?v=jET485MS1Vw宇ドナルド)マック張内戦中華
40代妄想ニュース事件情報報道内容ディズニーちゃくふく春分解雇FXさんどりしゅっちょう[ノートンヘルシア緑茶]
https://www.youtube.com/watch?v=oMbYLIPZQ6c講演会自主責任
40代妄想ニュース事件情報報道内容自供グルテンそてい十代FXセーブデータ遠隔消去KAR-Dローン(シュッ)しょうきょ家賃滞納決算トラファルガーしたらば銀行光金動画蓄物牧場
電力自由化上野坂個人ニュー酢駅員サービス不足ホテルバイトワインスーパーパワーギャンブル
マンハッタンシチリア無料モニターパリ横浜人事部新橋飲酒運転チャイナタウン義援金とうせん京都マネー
適正価格詐欺のうぜい国立ラスベガススーダンエクアドルチャイナタウンブックオフ経営費福祉沖縄中華旅行絶句ロスディレクタークビ30代投稿ネタ不正労働ビザ
ぼったくり春文インフラ時事ネット遊園地たかが執行人(しん原宿あっせん安保上納金決算ドーピングニュース)井野頭3月経歴査定
虎の門20代無許可監督者保証池上横浜ポセイドンニュース外国人秋葉原情報(ブフランス札幌西村ソフトバンクスーパーアドバイザー退会処分披露宴NPO決済ビジネス) うちの息子も、1〜3歳までのことを「わかってるんだけどそうしちゃうの…」
って覚えてて教えてくれたよ@6歳
言い聞かせも、意外と覚えていた。言い聞かせというのは、即効性があるものではなく、
徐々に徐々に効いてくる感じ。
10年越し20年越しっていう言い聞かせもあるんだろうなw
私の記憶は、体が弱くてすぐ気分が悪くなってたから、幼少期はいい思い出がない。
幼稚園も嫌いだったし、とにかく給食やお弁当のにおいがダメだった。
そういう思いはさせたくなくて、息子は体を鍛えるのが一番!だということ、あと
親の笑顔とか機嫌がいいこと、甘えた記憶など、温かい記憶が多ければ多いほど残って
くれるかなと思って意識してる。 ふと思い出したのでカキコ
多分幼稚園に入る前だから2、3歳の頃だったと思う
近所の幼稚園児がシャボン玉をしてたから近付いて、私もやりたいって言ったんだ
するとその子のお母さんが
「あなたはまだ小さいから駄目。シャボン玉吹けずに液を吸っちゃうでしょ」って言ってさせてくれなかった
ちゃんと吹けるもん、吸うなんてしないのに!って口に出したかは分からないけど、とにかくモヤモヤしたのは覚えてる 自分が保育園に預けられてた時の記憶
お母さんと離れて悲しくて毎日泣いてた
迎えの時間が近付くと窓の外見て迎えに来てくれるのずっと待ってた
保育園の先生はなんか怖くて、がさつで、職員室?みたいな所で保育士同士でお行儀悪く雑談してるのを見たのを覚えてる
そして1番印象に残ってるのは、保育士の真っ赤なペディキュアの色
先生の顔なんか全く覚えてないけど、足の爪に塗られた真っ赤な色だけは鮮明に覚えてる 小さい頃の記憶
折り紙の本を見て、しっぽをひっぱるとぱたぱたと翼がうごく鳥の折り紙を母に作って欲しいとねだった
忙しかったのか面倒だったのか、今度作ってあげるねとはぐらかされてそのまま作ってくれなかったこと >>472
何歳頃かな?
私も悪気なく忙しくてあとでねってそのまま忘れることある
で思いだしたけど子供は別の遊びしてるからまーいっかーで済ますことがあるからこれからは声かけたほうがいいかな >>473
幼稚園〜小学校低学年のころだったとおもう、スレ違いだったらすみません
今度作ってあげるねって言われて、こちらは約束したつもりでいたので寂しいというか約束破られたような気持ちになったのを未だに思い出してしまいます >>474
そういうの私もあるなぁ
後から言うのもあっちは忘れてるから言いづらくてそのままになっちゃうよね
私は昔好きだったアニメの歌を歌ってて(たぶん4歳くらい)歌詞を間違えて覚えてたんだけど
母親から冷静にその歌詞はこうでしょ?と言われたのが恥ずかしくてやだったなー 何歳か忘れたけど幼少期アンパンマン好きでよく見てたけどアンパンマンがお腹すいてる人に顔の一部を分け与えるシーンを
“私もアンパン食べたいな”って気持ちと“野ざらしの頭の一部を食べるとか汚いな食べたくないな”って気持ちが混ざって複雑な気持ちでいつも見てたw
もちろん当時野ざらしなんて言葉知らないけど感覚的にはそんな気持ちだった
結構衛生観念しっかりしてたんだなって思った アンパンマンのアニメ始まった時に5,6歳位だったんだけど
「また子供騙しのアニメ始まったかー。子供の好きそうな要素がたくさんあるから
1,2年は持つんじゃないかな。ふふん。」
みたいな冷ややかな感じで見てたわ。
まさかこんなに長寿番組になって自分の子供までお世話になるとは思わなかったw よく母親に無視されてた。
理由はたぶん、私がイタズラしたり我が儘言ったりってことなんだろうけど、家から追い出されて玄関前で泣いた記憶とか、妹だけ相手して私が何言っても存在を無いものとして扱われてた記憶がある。小学校高学年くらいまで続いたかな(そこまで行くと幼児期じゃないけど)
でも後から、無視したのは3回だけでその後そんな事をして申し訳なくていっぱい構ったって聞いて驚いた。
自分の中では辛くて苦しくて何度もされたようなイメージだったから、たぶん子供心に思い返したりする度に何度もやられたイメージになったのかな。
「そんな事より毎日怒鳴りつけてばっかりで悪かったね」って言われたけど、怒鳴られた記憶なんて殆どなくて、無視された3回の方がよっぽど記憶に残ってる。
無視って本当に恐ろしいんだな……って思った。当たり前の事だけど、してはいけない事だしそれを子供にもしっかり伝えていきたい。 >>480
当時のあなたの気持ちを思うと胸が痛くなるよ
でもこれを読んで私も肝に命じた
無視って人の存在をゆっくり殺してしまうようで怖い
つらい思い出なのに書き込んでくれてありがとう 小学1年生位までだったと思うけど、自分の母親がすごく可愛いと思ってた。
◯◯ちゃんのママは美人さんだけど、うちのママは美人というより可愛いの!世界で一番可愛い!って。
今その頃の写真見るとどう見ても可愛いって感じしないし、むしろ他の子のママの方がまだ可愛い感じがする。
なんで可愛いと思ってたのか全然わからない。
最近言葉が少しずつお話出来るようになって「ママかわいい」って何度も言ってくれる娘を見て思い出した。
自分の時の記憶を考えると、もしかしたら本当に可愛いと思ってくれてるのかもw >>482
私もそうだった
私は母が世界で一番美人だと思ってた
成長するにつれ「あれ、もしかして違う…?」と感じるようになり
中学くらいかな、母本人に直接聞いたら
「子供は母親を美人、可愛いと思い込むものなんだよ」と言われた
思い込みだったのか… 私は別になんとも思ってなかったなあ…
同級生に私ちゃんのママ美人だね!って言われてハァ…?と思ってた
ちなみに私とそっくりで目が小さい
ソバージュ()だったから田舎のあの時代の小学生女子には珍しかったのかも… 保育園の頃くらいの話だったと思うけど
母親とニホンザルのテレビ見てて
母ザルが死んでしまった子ザルをずっと抱っこしてるっていう
それ見て母親が泣いてて、私は何で泣いてるのかさっぱりわからなかったんだけど
今それ見たら涙腺決壊するだろうな
親になってみないと解らないことって本当にあるもんだわ >>484
小学生ならそんなもんじゃない?
482も小1までって書いてるし、もっと前の話じゃないかな
でも人それぞれなんだろうね
子が母親のことかわいいかわいい言うのは本気なんだろうなと思った あ、ごめんごめん
幼児期からずっと別になんとも思ってなくて小学校の時に〜って感じ
ってか母親の顔ちゃんと見てなかったような気もする 自分は末っ子で従妹とかも含めて一番年下で体も小さかったから洋服のお下がりがしょっちゅう回ってきた。
まだ着れるものがあるから自分には新品を買って貰えない。
「みんなよりたくさん洋服あっていいじゃない」って言われたけどお下がりって自分のために買ってくれたヤツじゃないから好みじゃないのが多い。
10枚のお下がりより1枚の自分のために選んで買ってくれた物が欲しかった。
いま、子供にお下がりくれる人がいて経済的には嬉しいけど、自分が子供の為に選んで、本人の好みにあうやつを買うようにしてる。
し○むらの大量生産品でも「自分のため」に選んで貰ったのは価値が違うと思ってる。 保育園でみんなで歌うとき他の子が大きな声で音を外して歌うのが嫌だった
なんでメロディのとおりに歌わないんだろう、大声出すなら
ちゃんと音を聞いて音楽に合わせてほしいのにって思ってた
負けないように大きな声で正しいメロディを歌ったけど
修正できなくて悔しかった
外遊びがあまり好きじゃなくてずっと折り紙やお絵かきだけしていたかった
靴を履いて外に出たってまた中に入らなきゃいけないし時間の無駄なのに…って
少し風邪気味だったのか分からないけど自分だけ室内でお絵かきしていた時があって
静かですごく楽しくて、また一人でお絵かきしたいな〜とずっと思ってた
同じクラスで女の子が自分含め5人だけで
残りのみんな運動神経よくて外遊び好き、自分だけトロくて話も合わなかったから
一人でいるほうが快適だった
今自分の子供の保育園が外遊びに力入れてるところで
子は私に似てあまり運動が得意そうではないけど
楽しそうに通ってて偉いな〜と感心してしまう >>488
私も末っ子でお下がり多かったけど、あまり気にしなかった
子供によって違うもんだね
多分洋服とかにあまり興味無かったからだと思う
そのおかげで真ダサママになったけど
ランドセルはさすがに買ってくれたが、別に古いのでいいのにと思っていた
未だに時々姉や母のお下がりをもらっているw 私も下の子だけど、お下がりはむしろ嬉しかったな。
兄のお下がりを、パーカーとか未だに貰ってるw 北海道の男の子見つかってよかったね。自分の小さい頃も思い出したので書いてみる
2,3歳の頃母親にものすごい怒られ出て行けと言われて本当に出ていった
夕方だったけど外は暗くて200メートルくらい歩いたら慌てて追いかけてきた
そのときは本当にこんな家出てって一人で生きていく!と思ってたなぁ 2,3歳でそれはすごいね。
うちの5歳児は泣いて出てかない!って言うわ… >>493
小さかったから出来たことだと思う
その後幼稚園〜小学生で何度か締め出しくらったけど、一人で生きていくのは無理だなーと思って車の中でじっとしてた
今思うとかなり育てづらい子だなw 私は小さいころ、よく外に出されていたよ
記憶があるから4歳ころかと思うんだけど、いつも家に入れてほしくて泣いてドアを叩いてた
でもある日、泣くの無駄だなと気づいて庭で遊ぶことにした
いつもしばらくすれば入れてくれるから、その時間泣くんじゃなくて遊べばいいと思った
でも庭で歩いていたら、母が追ってきて捕まえられた
そのときは何故母が追ってきたのか心底不思議だった
ちなみに外に出されて反省とかはしたことがなく、逆に母を呪っていた
北海道の子も、置いていかれたからしばらく1人で生きていこうと思ったのかな
親になって外に出したい気持ちもわかったけど
親の頭を冷やす時間にはなるかもしれないけど
子供にはまったく響かないんだろうなと思った マンションの1階住まいだったのに、下着のパンツだけでベランダにしめだされたのは今でも恨んでる
小1のとき ベランダどころかマンションの外廊下にパンツ一枚で締め出されたことある
小1か2の時。 閉め出しなんて短気な親でも最終手段に近いお仕置きな気がするけど
みんないったい何しでかしたの それが全く覚えてないんだよね〜
行き過ぎたおしおきは意味ないわな >>498
495だけど私もまったく覚えてない
親は以前「昔は悪いことしたら外に出すくらい普通だった」って言ってた
私は普段大人しかったらしいし、親の方の感覚がおかしかったんじゃないかと思ってた
お尻を叩かれたり、今で言えば体罰も当たり前だった
親になって、外に出したくなる気持ちもわかるなと思うようになったけどね
エスカレートしたら怖いから、自分は軽い体罰もしないことにしてる >>498
496だけど私は体育で使って汚れたままの体操ズボンで家で遊んでたら、劇おこで脱がされる→そのまま外へだったよ
昔から今も、普段からヒスっぽい親 >>495
そうだよね、反省するより呪うよね。
まあ自分もよく外に出されたが必ず身の回りのもの一式をランドセルに詰め込まれて「ウチの子じゃないから出ていけ」って言われた。
近所の人や近くに住む祖母が取りなしてくれなかったら家には入れて貰えなかった。
親の都合で遠方に転居した時は深夜に父親が帰宅するのを待つしかなかった。
父は母に「やり過ぎ!」と怒ってたけどやめる事はなかった。
今、父も亡くなってニートの姉を養ってて生活が苦しいらしくすりよってくるけど「ウチの子じゃないんでしょ」でスルーしてる。
外に出されてる間、見下して笑ってた姉も同罪と思ってる 私も締め出しとかお尻ペンペンを度々されてた記憶あるわー
今だとありえんって思うけど、昔はよくあることだったのかな
でも同じく原因とか全然覚えてなくて、腹立たしい記憶しかない
小さい頃は泣いて待つだけだったけど、機動力がついてきた小学生くらいのとに、広い家の周りの結構な距離を裸足で歩いて、裏庭の塀よじ登って侵入して祖母に助けを求めて家に入れてもらい、見つかったらまた怒られると思ってビビりながら家のなかで隠れてたのを覚えてるわ
それで締め出しは最後になって、母はそのときのこと笑い話にしてたけど、あんなに怒ってたのを笑い事にするのは理解できなかった >>498
好き嫌いして食べなかったものがあって閉め出された覚えがある 4歳頃まで指しゃぶりしてた。両親仲悪くて喧嘩ばっかりしてたし、なんか嫌だったから。指しゃぶりが一番落ち着くなーと思ってた。
父親は男の子が欲しかったらしく3年後に産まれてきた弟の方にベタベタだったと思う。
きっといい思い出もあったんだろうけど今子育てしてると嫌な記憶しか出てこないw父方の祖母祖父がすごいフォローしてくれてたと思う。今でも大好き。
初めてサンリオピューロランドに連れてってくれた時が一番嬉しかったなぁ。弟のためじゃなくて私のために連れてってくれた!みたいな。それから今でもキティマイメロ集めてます。 幼稚園初登園が終わり、ようやくお母さんに会えると思い、幼稚園バスから降りて「お母さ〜ん!」と抱きついたら友達のお母さんだった。
慌てて母親の所に行ったけど、3歳にしてすごく恥ずかしかったのを覚えてる。 わ〜自分も似たようなことしたの思い出しました。
私の視界に入る腰から下だけ見て判断して「パパ!」って手をつないだら全くの他人で、ビックリ怖い恥ずかしい、たくさんの感情がありまひたね‥
周りの人にも見られてるってのが恥ずかしいですよね‥ 年中くらいの時だけど、レストランかどこかに飾ってある絵を見て、「これきれいだね〜おとうさん」と隣の全然知らないおじさんに声をかけたことを思い出した。
おじさんは「そうだね」と返事してくれたのに、恥ずかしくてピューっと逃げ出したわw >>476
>>477
遅レスだがアンパンマン幼少期にはまだ始まってなくて観れなかった世代なのでつくづく高齢ママである事を実感した。 >>357だけど、1年ぶりにスレを覗いた。
返信くださってる方、ありがとうございます。
コメントがとても嬉しいです。
書き込んだときはつわり真っ只中で、どうにもこうにもつらくて休職していて、
お腹の子供のことを考えてスレを読んで吐き気を紛らわしてた。
お正月あたりに娘が生まれてそろそろハーフバースデー。
半年育ててきたけど娘、本当可愛くて。
これから大変になるのかな?とも思うけど、娘を育ててて母の私への対応がますます疑問に思えてきた。
まだ生める年齢だけど、2人目は考えてない。
決して人間できてるわけじゃないから、次が女の子でも男の子でも、
今いる娘と差をつけてしまわないとは言い切れないから。
娘は、子どもは3人生みたい、とか言えるような子に育てたいと思ってます。
これだけだとスレチなので。
弟が子供の頃から潔癖だった。
幼稚園の粘土遊びも泥遊びもしたがらなくて変人扱いされていた。
手が汚れるから嫌なんだよな〜と私はなぜかわかっていて、先生や父母に代弁してた。
それ以外にも弟が話さないけど思っていることをよく感じ取っていた覚えがある。
弟が生まれた頃自分は2歳だったけど、本当に可愛かったな。
私が哺乳瓶でミルクあげてて、弟がむせて母に怒鳴られたのも今やいい思い出。 >>511
私も1歳代まではひたすら可愛く感じてたけど、2歳後半になりイヤイヤ期と赤ちゃん返り(下の子が産まれた)がダブルで来るとイライラが先行して冷たく当たってしまう事も出てきたよ…
正直自分でもヒステリーかよって思う時もある
>>357を読んでなんだか身につまされる思いだわ…考えて無かったけど3歳になると幼児期の記憶があってもおかしくない年齢だよね
鬼の形相の母の記憶とか嫌だよね
なんとかイライラを抑えて優しいお母さんになれるようにがんばろう… 私も、自分が1歳代から記憶あるのにも関わらず子供にキツく当たってしまうことがあるので、あーこれきっと大きくなっても憶えてるんだろうなぁと自己嫌悪によく陥る
でも、憶えてて良かったなってこともある
子供は睡眠障害持ちで、酷い時期は毎晩30分毎に起こされたりしてたんだけど
自分も寝るのが下手な性質で、そういう状態のときにどんな気持ちだったかを憶えているお陰か共感が先に立ち、睡眠不足からくるイライラもどうにか抑えることができた
その時の気持ちは、とにかく恐怖や違和感と闘っている感じ。ファンタジーとかで、突然異世界に飛ばされたらこんな気持ちになるだろうかという
圧倒的な心許なさ、恐怖、足元が覚束なくて誰かに縋りたいけれど、完全に興奮状態で自分が何故泣き喚いているかもわからない感じ
多分、昼間起こったことを脳内で処理しきれなくて覚醒してしまってたんだろうけど、そういう時、母は心底面倒くさそうなおざなりな対応で
時には寝ぼけ状態から脱したら、訳の分からぬまま正座させられ怒鳴りつけられていた、とかそんなのばかりで凄く悲しかった
ようやく、この辛い状態から助けてくれる人を見つけたのに! て、伸ばした手を振り払われたみたいで
(まあ子の様子を見ていたら、ここまでではなかったにせよ私も余程酷かったんだろうなぁ、そりゃ母も疲れただろうなぁという思いもあり)
なので、子がパニックを起こして殴ってこようが蹴ってこようが、ああ今物凄い恐怖と闘ってるんだなぁ、こんな小さいのに可哀相だなぁと胸が痛くなる
寝ぼけているときはひたすら見守り、言葉掛けて良さそうなときはお母さんここにいるから大丈夫だよと声を掛けたり、触るのを嫌がらなければ撫でたり手を繋いだりしていたら
少しずつ落ち着いてきたのか、朝まで眠れる日がぽつぽつ増えてきた。3年半長かった 自分が覚えている記憶は一番古くて2歳位かな?
4つ上の姉の友達複数人とうちの前で外遊びしていて、おやつの時間にみんなで中に入ったんだけど、2歳の私は列の一番後ろ
私の前にいた姉の友達が、振り返ってにやりと笑って家の鍵を閉めた
当時インターホンにも手が届くような身長じゃないし、子どもがたくさんいる環境で締め出され、外で泣いても気付かれないんじゃないかと本当に絶望した
もちろん母はすぐに気づいて迎えに来てくれたけど「誰か間違えて鍵を閉めちゃったんだね〜、怖かったね〜」って感じであやしてくれて、『ちがう、あれは故意だ!にやにやしてたもん!』って納得がいかなかった…幼すぎて伝えられなかったけど
大人になってからふと思い出してその話を母にしたら、「あー、あの子意地悪だったからやりそうだねー」って笑ってたわ 蒙古斑がなかなか消えなくて、3歳過ぎても実父と姉に「青ケツ〜」っていわれてた
というか、消えた後も5歳くらいまで言われ続けていた
お陰で恥ずかしくて友達と水遊びとか絶対したくなかったし、幼稚園のお泊まり会では絶対にお風呂に入りたくないって駄々をこねて、最終的には腰にタオルを巻いてしぶしぶ入った
可愛くてもいじり過ぎちゃだめ! >>515
ええ!蒙古斑て5,6歳くらいでもあるもんじゃないの?
妹は小学生くらいまであった気がするし、2歳の娘は消える気配無いわ…。
蒙古斑はともかく欠点(?)を弄るのはよくないね。
2歳でもちゃんと話が分かってるみたいだし、ちょっとした事を気にしちゃうかもしれないもんね。 30過ぎても蒙古斑が残ってる自分がきましたよ
「青ケツ」言われてたけど全く気にもとめなかったな。
流石に中学以上になるとつっこまれなくもなるからなんとなくネタで自分から言うようになったりする そりゃ人それぞれでしょうよ。気にしない人もいるけど気にする人もいる。みんなそんなのわかった上で私はこうだった、という書き込みでしょ。なぜそんなアホなレスしちゃうの? >>518
なんというブーメランw 絡みにいきなよ 前スレから見てやっと追い付いた
自分が覚えてる古い記憶は2歳くらいで、そこらへんにおちてる砂(小さい石つぶ)をよく拾って食べてた
自分も子供をもつようになってふと思い出したので調べたら、石や砂を食べるのは鉄分とかの栄養障害からくる異食症という病気なんだと初めて知った。
確かに自分の母親は子供が食べたがるものしか出さないような性格だったけどまさか自分が栄養障害だったとは・・・・
ちなみに当時、石や砂つぶは超美味しかった
「この味とじゃりじゃり感がたまらんわー」とか思ってたわ 3歳の記憶
当時ベビースイミングに連れて行かれてたんだけど、ビキニの水着が嫌だった。
上の部分が、本来必要ない体型だから、どうしてもずれちゃうんだよね。小さくても一応女の自覚があったので、すごく恥ずかしかったのを覚えてる。幼稚園のパンツ一丁水遊びも嫌だったなあ。 >>522
私も幼稚園の時、プールに水泳パンツ一丁で入るのが恥ずかしくて嫌だったなー。
ワンピース型の水着は知っていたから、何で女の子なのに
こんなの着なきゃいけないの?と思っていた。
私が卒園して、3歳下の妹も同じ幼稚園に入ったけど、
ちょうど園長先生が代わって、プールは指定の水泳パンツから自由な水着になっていた。
羨ましいというより、すごく理不尽で腹立たしかったのを覚えてる。 自分の記憶ではないけど、うちの子の幼稚園、プールの後はなぜかみんな真っ裸になって甲羅干しするんだよね、、
年長さんは嫌がる子もいるだろうなーと思ってたけど、年少さんでも同じなんだねきっと。 ざっとこのスレ読んで、>>199を見て思い出した。
私の行っていた幼稚園も全く同じイベントがあって、うちの所は配役を決めるのは子の希望制だったんだけど
私はその他大勢の天使だかお星様役がよかった(目立ちたくないので数が多い役が良かった)のに
ある朝、登園した時、園の前の横断歩道で交通当番してた先生に会ったとき
「○○ちゃん(私)、他にやりたい人が決まらないからマリア様役やってくれないかな?」と頼まれて
嫌で嫌で仕方なかったけど、一番好きな先生の頼みだから断れないと思って引き受けたよ・・・
あと同じく幼稚園の運動会で、親が作ってくれたシャツ(母に聞いたらアロハシャツ指定だったとの事)を着て行う演目があったんだけど
他の子はキャラ物とかのシャツが多い中、自分は派手な色のシャツで明らかに浮いちゃう!と思って、それが嫌で嫌で。
でも柄が嫌なんて作ってくれた母親に悪いから言えなくて、木にしがみついて泣いて喚いてその演目をボイコットした。
あとピンク色の変なイラストのお弁当箱の袋が嫌いだったw男兄弟に囲まれてたせいか、ピンク色が嫌いだった。
子どもって大人が思う以上にこだわりが強いと思うから、自分の子にはできる限り気をつけてあげようと思ってる。
それとスレ関係ないけど、自我が芽生えたというか、物心がついた瞬間を覚えてる。
それも幼稚園時代だったと思うけど、急に頭の中が霧が晴れるようにクリアになった。
わかりにくいけど、世界がカラーに見える!って感じだった。
よく胎内記憶とか聞けるのに年齢制限がある様だけど、こういうのを境に忘れるちゃうのかなーと思ってる。 子供って意外と気を遣ってるよね。
大人からすると「そんなとこ気遣わなくていいのに」って思うようなところ。
うちは何か色違いで選ぶ時、私が水色、妹がピンクという組み合わせが定番だった。
祖父母の家で使う枕カバーの色とか、誰かがくれた色違いのアクセサリーとか、どうでもいいものばかりなんだけど、ちょっと不満だった。
大人になった今なら、そのぐらい自己主張してもいいのにって思うけど、言えなかったんだよなぁ。
妹も何が何でもピンクがいいってタイプでもなかったから、喧嘩にもならなかっただろうに。
その反動か、自分で色々買えるようになったら何でもピンクで揃えるようになってしまった。
財布携帯手帳折り畳み傘筆箱…鞄の中がピンク一色で物が探しにくかった。 長女は水色、次女はピンクって分けてたら親からしたら私物も区別しやすいし、色ちがいでなにか買ってあげる時も色で迷わないから楽だろうけど
子供本人からしたらフラストレーションたまるよね >>432
「池袋にいた78才のおじいちゃんが自分で死んだあと雲の上に行ってから子供になってうちに来た」
なんかすごいwww
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関西弁不誠実社員(高級ホテルガイシ戦争サービス不足40代鉄の結束サインください真田丸薬品シャンプー) 子供の頃、親兄弟にイジラれてからかわれる事がしょっちゅうあってすごく不愉快だった。
そんな時「本気で怒ってるんだ」と言う表現の為にほっぺたをプッと膨らませていた。
それを見た大人が更に「膨れた、膨れたフグちゃんだ〜フグちゃんカワイー」とからかい、笑い物にしてきた。
今でもあの「本気の怒りが伝わらない怒り」で腸が煮えくり返りそう。
もう、いい大人だからほっぺたを膨らませたりはしないけど、今度は「子供の頃はすぐフグちゃんになったのに〜かわいかったんだしやってよ〜」とからかう。
自分の子供に、は子供と言えど、本気の感情があって、子供だから表現は拙くても「本気」の感情には本気で返すようにしてる。
子供でも一人の人間としてプライドがある。 >>532
そうだね、なんだか読んでて涙出そうだったよ
そういう気持ち、私もしょっちゅうしたような気がするな
からかわれるのって、小さくたってすぐ解るんだよね
気をつけなきゃ… うん同意。
プライドを傷つけるのは本当に良くないと思います。
どう違うのかの弁明も出来ないので、ストレスがすごく溜まるんですよね。
うちの母親も子供を馬鹿にしたような態度が大嫌いで沢山傷つきました。
いつもヤレヤレといった顔をしているイメージしかないです。
笑っているとしたら、ドジしたり失敗したり恥ずかしがったり、いわゆる子供らしいとされる時だけでしたから、
大人っぽい子供だった私が嫌い?だったんだと思っています、真相は知りませんが。
誰かも↑で言ってたのに似てるけど
ストーブが危ないと言っても私が聞かないので、あえて手を当ててやけどさせて理解させたことがあるそうです。
そこまでは許せるのですが、それをまるで武勇伝のように何回も家族親戚に言いふらす母親がとても嫌でしたね。
現実私が怪我をした事件なのに、まるでいい母親気取りアピールで、こいつは卑怯者だと思いました。
嘘もよく付かれました。
子供だから分からないだろう、という各種ナメた対応をされましたが
皆さんが言うように子供は嘘に敏感ですし、親を悲しませない様に相当気を使っていますよね。
一番母親を軽蔑したのは、私の嫌いなマヨネーズをわざと混ぜて出した卵焼きを出してきて、
私が追及すると、入れてない入れてない(笑)と嘘を付いて無理矢理食べさせようとした瞬間です。
当然、どんな約束も当たり前のように破られまくったので、母親を信頼することはなくシラけた子供でした。 ざっと読んで>>525と似たような経験思い出した…
幼稚園の劇で、主役が男の子の役だった
私は可愛い衣装のナレーター役が良かった。
主役やりたい人ー!って立候補制だったけど誰もいなくて、先生が休憩を挟んだ
その休憩時に私のところに来て
主役やってくれない?もう一回聞くからその時手を挙げてね
と言われた。断れずイヤイヤやった。なんとなく大人の汚い部分を知ったなって瞬間だった…
>>532もわかる。私はいとこの中でダントツ下の子だった。
常にバカにされてて、何言ってもバカにされて、
今でも親族は好きになれない。
もうひとつ
まだおそらく言葉がうまく喋れてない時期に、こうやって写真撮りたい!と何度も言った。
でも相手には全く通じず、何言ってるかわからないと言われた
その時の写真は残っているので、実際のことだと思う。
これがあるから子が何言ってるかわからない主張していても本人はハッキリ言ってるんだと聞き取ろうと努力してる。 ★baby:育児[スレッド削除]
http://macaron.2ch.s c/test/read.cgi/saku/1459265209/4- 2歳nhkの針時計がめっちゃ怖かった。今はないよね
立っても大人の足くらいの背丈だから大人達が巨人に思えた。
そんなでっかい巨人に怒られる事は乳幼児にとって怖いもんだよ。自分の2倍くらい背丈がある人に怒鳴られると想像したらチビる 40代背信炎上「痛名談合」ヤンキーADD世代甘やかされニュース40代生被害者づら金品請求報道NGワード禁止社員甘やかされ投資家ロスディレクター(はじめリーダーしゅっちょうノルマ記者)クビ日刊アラフォー40代社員パーソナリティ
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関西弁不誠実社員リスク低キング(高級ホテルガイシ戦争サービス不足40代鉄の結束サインください秋葉原警察署児童ポルノ真田丸薬品シャンプーヨウ素 ) カラフルでチープな積み木とナチュラルな木の積み木があったんだけど
木の積み木はハズレ扱いで、パーツが足りない時に仕方なく使うくらいだった
子供用のオモチャはカラフルで派手で説明過多なのを買ってあげようっと… >>539
わかるわ
私も一色だけ色がついた積み木を大事にしてたな。
友達が木のおもちゃ屋で働いてて、そういう店に買いにくる客はインテリア重視で素材色の積み木やおもちゃ買いたがるけど、子供自身はカラフルな色が好きだって言ってた。
木は重くて固いから学ぶことも多いけど、ある程度投げても軽くて安全なプラスチックの素材も悪くはないって。
なかなかインテリア考えると難しいよねー。 私は積み木じゃないけど、子供の頃につかってた保育園用のカバンが母の趣味で選んだカントリー調のデザインのカバンで
周りの友達はカラフルで派手なカバンなのに私のカバンはただの地味でダサいカバンで嫌だったことを思い出した
大人になった今、当時の写真見てみると大人目線ではかわいいカバンだなーって思うし、
小さい子がカントリー調のカバン持ってるのは可愛いから今ならあのカバンを選んだ母の気持ちわかるけど子供だった私の感性ではそれが理解できなかったな >>541
わかる…
私も小さい頃チェックのシャツに、デニムのオーバーオール着て、コンバースとか履いてたけど、フリルとかリボンの着いたかわいい服に憧れたなぁ。
三輪車も無印のシンプルなの買ってくれるつもりだったらしいけど、実物見に行って「えー、これ〜?かわいくない…」って思った記憶があるわ。で結局高くて無印では買わなかったんだけど、実際買って貰ったものは憶えてない。
親に異を唱える子ではなかったから、思春期までずっと服は親が選んで買ってくれてたな。
今思えば、そんなところ、遠慮しないで自分の好みを言っても良かったのに、と思うけど、当時は悪いような気がしてた。 園児くらいだった頃
床屋のオッチャンに、ちょっとでも動いたら耳ちょん切るぞーと脅されて以来、アラフォーだけど未だに髪切るの怖いし嫌いでギリギリアウトまで美容院に行けない
慎重な性格の子に、あまりキツく脅すような躾をするのは可哀相だ 母親がいつも生返事することにガッカリしてたな。
おしゃべりしたいのに、いつも寝てるか家事してるかできちんと向き合ってくれなかった。
どうせ私の話は聞いてない…と思ってた。
それから車に置き去りにされることも多かったし、習い事のお迎えはいつも遅れてきた。実際どれくらい待ってたかわからないけど、いつも待たされるのが苦痛だった。 >>545
わー身につまされる
たまにやってしまうわ
何歳頃の記憶ですか? >546
話聞いてもらえないと感じたのは4歳くらい。
幼稚園年長になる頃には人との壁を作る子になってました。
車内放置とお迎え遅いのは小学校低学年の頃です。
私の場合は兄弟がいたからまだ良かったですが、気をつけてあげてくださいね。 車内放置はないけど、母親は習い事とか遊びで家にいないので、いつも一人で幼稚園行って帰ってきてた、家のなかにはベランダから出入りしてたw
そこから一人で習い事行ったり…
30年以上前の田舎だからできたことだけど、立派な放置子だわな
兄弟も私が末っ子なのでいつもいじめられてたし、大人になった今でもほぼまったく没交渉。次に会うのは親戚の葬式だろうなー ここの範囲がいつ頃までか分からない?
年長は確実に入ってる
>>547
低学年も入ってるの?
中学が範囲外なのは流石に分かる 常識的に考えてくれりゃ何でもいいよ
書き込み少ないしバンバン書いてくれ 低学年余裕だろ
卒園までに達成出来なかったら絶対低学年になる
自分も卒園までに自転車に乗れなかった
年中春休み〜小3一学期
3年以上かかった
1年生までは車輪の子はまあまあ居た
2年生以降の子供会のサイクリングが恥ずかしかった 三歳の時、昼寝(か朝寝)から目覚めると母がいた
起こすのがかわいそうで、小児科の予約時間を過ぎてしまったそうだ
小児科からの帰り道、女医にがっつり怒られた母親はシクシク泣いていた
こんなに娘命の優しい母親がですよ、1年後に妹ができた途端、ヒスに豹変するんだから
母親の心の余裕って超大事
最初から怒られてれば免疫がついてたと思うけど、甘やかされた箱入りだったからなあ
妹が生まれる前後で、アルバムの私の顔つき違ってるから、よほどストレスだったんだと思う
昔のことだから、お姉ちゃんでしょ!で圧力かけまくられてたし 2歳くらいか、私の一番古い記憶
祖母の家で、母にちょっとおいでと呼ばれた
祖母の部屋から出てきたおさがりを合わせたかった?っぽい
でも行きたくなかったから、嫌だって動かなかったら母に手を引っ張られて脱臼した
そこから私は大泣きで近所の整形外科に連れていかれた
自分の子はまだまだ赤ちゃんだけど、大きくなっても手を引っ張るのはやめようと思ってる 多分2歳か3歳くらいの話
トイトレ中だったのか、おまるに座ってる自分がトイレに座っている父と話していた
他愛もない会話だったと思うんだけど、今想像するとアパートの狭いトイレの中で親子2人向かい合っている姿に笑った
その後少しか大きくなって大人用のトイレにすわれるようになったけど、用足した後に拭けないから大声で母を呼んでた
ええ、アパート中に響き渡るくらいの大声で「おしっこ出たよー!」とね 0歳児スレに書き込んだの、こっちのスレにもコピペさせてもらいます。
私の一番古い記憶が自分が夜泣きしてる時の記憶。
豆電球が付いてる中で気持ちよく泣いてて、母が一生懸命口をアワアワしてきたり抱っこしてきたりしてる。
(口をアワアワするのはアワアワされたら泣き止むのやめて笑ってた)
「泣きたいから泣いてるだけなのに、何でこの人泣き止まそうと色々してくるんだろう?」って思ってた気がする。
赤ちゃん泣いてると「何で泣いてるんだろう??」って色々手を尽くすけど「我輩は泣く。ただし理由はない。」って場合もあるんだろうなって思うよ。 3歳の時親が用事を済ませる間、同じ建物内のミニシアターみたいなところで
9歳の兄と子ども用のアニメを見ていた
上映が終わって椅子の座面を上げるときに手が側面の金具に挟まって血が出
て兄が慌てて親のもとに連れていってくれたのを覚えている
子どもの指って本当に色んなとこに挟まる可能性があるね
現代だと短時間とはいえ9歳と3歳を二人っきりにするのも無しだよね 赤ちゃんの時、初めてレトルトの離乳食を食べて「ふわぁ〜!!この味は何!?」的なことを思ってた
すごく不思議な味でパクパク食べた
今、子の離乳食の残りで同じ味のレトルト食べたけど全く美味しくない 過去レスにある、なんでも顔に見えるっていうやつ私もあった
あと、ヒマワリが吸い込まれそうで怖くて嫌いだった 夜寝るのが怖かった
このまま寝て明日目が覚めなかったら…っていうのが心細かったし恐怖だった
寝ないように頑張ってた。まだ寝てないの?!って親に見つかってよく怒られた
「明日もちゃんと起きられますように」って寝る前に布団の中で祈ってた
だから今、人の親になって寝る前に赤ちゃんが泣く時はその時の気持ちを生かせる!と思ったけど、生まれた子は寝かしつけなく寝る子だった… >>558
懐かしい…自分もヒマワリ怖かったわ
特に枯れて垂れ下がってるやつが、じーっと見てるようで近づけなかった
友達の家の前にヒマワリがあって、目を瞑って走った記憶 幼稚園はいる前あたりかな?
一時期食事を受け付けなくなってしまった
ご飯だよって言葉を聞くと気持ち悪くなって、食べ物を目の前にすると口がカラカラになる
母親が目の前にいると更に悪化した
旅行先でも朝御飯が気持ち悪くて食べれなくて、母親がぶちギレてきた
「食べ終わるまで部屋に戻ってくるな!」と父親と私は食堂に置き去りにされた
母親がいなくなったとたん朝御飯が喉を通るようになった
そのときに父親に「ママがいないとご飯食べれる」と言った
食べ終えて部屋に戻ると、母親が「全部食べたの!?」とキレながら聞いてきた
父親が全部食べていたと答えると「嘘ついてるでしょ!本当は残したんでしょ!?こんな早く食べ終わるわけない!」とまたキレた
覚えてるのはそこまで
そのあと父親が私が言ったことを母親に伝えたかどうかはわからない
小さい頃から食事中に母親に口うるさく怒鳴られることが多かったせいで
プチ拒食症みたいになってしまったんだと思う
自分は子が食べてるときはできるだけ怒鳴らないようにしようと思っている たぶん4.5歳ぐらいの時
おもちゃ部屋のおもちゃ片付けてと母に言われ、おもちゃ全てを時間をかけて壁にそって並べた
母にそうじゃない的な反応され片付け方教えられた気がするんだけど、自分の中ではおもちゃ並べた事がすごくドヤッ!て気分だった
おもちゃ箱に入れるのが正解だったんだよね、今でも片付け苦手 お正月に母の実家に行った、8ヶ月なりたての頃の記憶。
3ヶ月早く産まれた従兄弟が歩行器に楽々で乗っていて自分も出来る!とアピールして乗せてもらった。
抱っこしてくれている母に乗りたいと訴えているんだけど、◯ちゃんにはまだ早いよ〜となかなか乗せてもらえなかった。
しつこく食い下がってなんとか乗せてもらったけど、立っているのがやっとで従兄弟みたいにあちこち動け回れなくて早く脱出したかったけど、ほらやっぱり無理だったでしょと言われるのが嫌でやせ我慢でわざと笑顔作って楽しそうにしていた。
退屈し始めた頃に近くに兄が来て、兄が持っていたおもちゃを奪ってそのおもちゃで退屈をしのいだ。
他にもお座りしておもちゃで遊んでいる時に、母に誰かが「◯ちゃん、もうお座り出来るの?」と聞いているのを覚えている。
その時遊んでいたおもちゃは透明プラスチックケースの中に人形があって、それを取りたくて一生懸命手を伸ばしていて、母が写真を撮ろうと◯ちゃん〜◯ちゃん〜と声をかけてくるんだけど、面倒くさくてしばらく無視していたw
仕方なく、何回も呼ばれるから顔を上げてやるかと顔を上げた瞬間に写真撮られた。
後日、出来あがった写真がアルバムに貼られていて、一緒に見た祖母に「これ知ってる!」とアピールして、祖母が「うんうん、◯ちゃんだね〜」と言ってくれて満足した記憶もある。
赤ちゃんでも大人がなにを言っているのかだいたい分かっているし、感情も大人と変わらないレベルで備えているんだと思う。 >>563
そういうのわかるなぁ
なんか意外と冷静に考えてたりするよね
私が泣くと周りが笑ったり泣く真似したりするのがすっごいむかついてた
遊ばれてるような感じで余計大きい声で泣いてた >>563
凄いなぁ。
8ヶ月でもそこまで感情が動いてるんだね。
うちの子は今10ヶ月だけど、今以上にちゃんと対応したいこうと思ったよ。 4歳くらいの記憶
自分の顔を鏡で見た感想で、一番古いやつ
朝保育園の支度で祖母に髪を結ってもらっているとき、鏡に写った自分があまりにもブサイクで想像していた顔と全くかけ離れていて物凄いショックを受けた事
(リカちゃんやジェニファーとかアニメのヒロインみたいな可愛い顔だとずっと思っていた)
そこから自分は可愛くないんだと思うようになって、毎朝結ってもらってた髪も自分がやっても可愛くないと思って止めた
それが尾を引いて5歳の頃親戚の結婚式でドレスを着るのが嫌で嫌で行きたくないと駄々をこねた
親戚や親の、女の子=ピンクのフリフリドレス好きでしょって感じにもムカついたな
二十歳くらいまで女の子らしいものが苦手だったわ >>567
自分の顔を意識したのってそういえばいつなんだろう。全然記憶にないな。
でも子供の頃って将来はアニメキャラになりたいと思ってたりするし、自分の顔をアニメキャラのようだと思ってても不思議はないんだね。
わたしは4.5歳の頃に親戚とお揃いの洋服を貰うことがあったんだけど、親戚の女の子が色白で白が似合うからって白のワンピース、私は残った黄色のワンピースを貰うことになったのが嫌だったな。
その後も同じように白は親戚で残りを自分になったことがあった。
そこまで白が好きだったわけじゃないんだけど、私だって白の方がいいと思ってた。
誰かに私は黄色が似合うから黄色!とか言われてたら気にならなかったのかな。
多分それまで長女で可愛がられてたから余り物、二番目扱いが嫌だったんだと思う。
今でもたまーに思い出すけど今更親にも言えないし、なんかずっと覚えてること。 このスレ見てて思い出した記憶を二つ。
一つ目は幼稚園に上がる前トイトレ時期。両親共働きで祖父に世話してもらっていて我儘放題だった頃、絵に描いたような白鳥型のおまるを使ってた。
それをトイレの便座の上にのせてくれたらちゃんとできる!と言って祖父を困らせたのを覚えてる。
下が貫通してそのままトイレに流せるんだと思ってたんだよねw
二つ目は幼稚園の年少クラスの時。年に一度発表会で演劇があって、そこでスーパーマンの役がやりたくて手をあげたら、先生に隅の方へ呼ばれて「これは男の子の役だけど本当にいいの?やめたほうがいいんじゃないの?」とほぼ強制的に諭された。
それが終わるともう女の子の花形みたいな役は定員いっぱいになってて、結局あまりものみたいな役に決められた。
本番になってみたら、他のクラスの女の子で二人くらいはスーパーマンをやっている子がいてがっかりした記憶。
上の方にもあったけど、男児だから女児だからって決めつけないようにしたいなと思う。 幼稚園くらいのとき
2階の和室でなかなか寝られず、階段から落ちるのを想像したり日本人形がコッチを見てると怖くなったり暗い廊下に何か出そうって想像しては怖くなって、
旧式の壁掛けの内線をプープー鳴らして母に来てもらいたくて呼んでた (弟は知らん顔で隣で寝てた)
母は1階で家事やらなにやらしてるんだけど、夜の階段が怖いから会いにまではいかず
何度か鳴らすと母は一旦来るもののまた戻ってしまって、また寂しくなって鳴らして、
今度は内線越しに軽くあしらわれ、横になっては寂しい寂しいの泣き声をあげてた
ずっと母にそばにいて欲しかった
この流れをしばらく繰り返すのがいつもだったらしく、ある日のぶんをカセットテープに録音されてた
のを小学校真ん中くらいになったときに、あんたこんなんだったわよーと聴かされた
30分から小一時間はあったと思う、親は大変だっただろう
でも恥ずかしさも相まっていろいろと悲しくなった 幼稚園の時の記憶でもいいなら…
幼稚園の園長はとっても素敵な人だった
多分おじいちゃんだったと思うけど、よく竹を小刀で削って竹笛や竹トンボ作ってくれるの
それで一緒に遊んだり、プレゼントしてくれたりする人だったんだ
秋には園長自ら落ち葉を集めて焼き芋も焼いてくれた
それを幼稚園の中にあるジャングルに登って、すっごく美味しいなぁーって思いながらホクホクのお芋を頬張った記憶がある
その時の空が綺麗だったこと、空気が冷たかったこと
落ち葉がいろんな色で綺麗だったこと
そのシーンだけは鮮明に覚えてる
芋を食べるたび思い出されるんだよね
未だに芋は大好きだ >>570
そういう怖さ寂しさって、なんだか
得体の知れない独特なものだよね
お母さん、録音して聞かせてくれる
くらいだから、
気持ちには余裕があったと思うよw
>>571
いい話だね
風景や香りまで伝わってきそう 話せるようになったけど、支離滅裂なことを言っている記憶なのでたぶん2才過ぎくらい?
車の窓からマックの看板を見て母親にマックの看板について説明しているんだけど、言葉が溢れてくるっていうか喋るのが止まらなかった。マックの看板なのに絆創膏について話していたような気がする。母親が一生懸命頷いてくれるから更に得意になって話をしていた。
自分の子どもが今朝から晩まで絶えず喋り続けているのは言葉が溢れてきて仕方ないんだと思う。母親の様に意味のある話もない話も一生懸命聞いてあげなきゃなーと思いつつなかなか余裕がない。 保育園で英語をならった。
祖母に、「りんごはアポーだよ!」と言ったら「はいはい、アップルね」と言われ、何度訂正してもアップルとしか言ってくれなくて、それから英語が嫌いになった。
なんだか、自分が否定されてるような気がしたんだよなぁ。アポーって言うのは恥ずかしいことなのかなぁとも思った。 >>573
二歳の息子が一日中喋ってるの、辟易してて時々堪り兼ねて注意してたけど、そういう状態なのかな
そう思うと、どんどん言葉を吸収、放出?して成長過程なんだね
573のお母さんみたいに、もう少し心広く構えなきゃかわいそうだなぁ >>571
素敵な思い出だね!
読んでて私も心が暖かくなったよ。 何歳かわからないけれど。
母親に抱っこされている時、母親がタンスから小さい黄緑色のノートを出してきた。
たまたまそのノートが目の前にきたので、かじっていたずらしてやろwと思いついて噛み付いた。
こらやめなさい!とあわてて取られるのを期待していたのに気付かれずにスルーされて、気付かれるまでしばらく噛んだまま待っていた。
やっと気付いてもらえてもあっさりした反応しかされず、期待ハズレで面白くなかった。
そして口の中にモロモロになった紙の感触が嫌だった思い出がある。
夢みたいなおぼろげな記憶だったんだけど、物心ついた頃に自分の母子手帳をみたら黄緑色で噛んだ後が残っていた。
そこであの時のは夢ではなかったんだとパズルのピースがはまったようなすっきり感があった。
噛んだ跡を見ると、今8ヶ月のうちの子くらいの口の大きさと同じくらいかも。 読み返してたら>>110にクリスマスネタがあったので私も
まだ未就園児の頃、私も煙突探してた
当時はお風呂をマキで炊いてる古い家だったからカマド含めて煙突が家に3つくらいあった
当時でもかなり珍しかったと思う
お友達に自慢して「うちは煙突いっぱいあるからサンタさんいっぱいくるかも!」と意気込んでた
しかしクリスマスの朝に枕元にプレゼントが無くて愕然とした思い出…
あとから聞くと私の寝相が悪くてプレゼント置くのは危険と判断されたらしいw おばあちゃん家に泊まった時、普段見ないアイロンを母が手伝いでやっていた
(危ないから、自宅では子供の前でやらなかったんだと思う)
アイロンをかけ終わり、母は
「火傷するから絶対に触っちゃ駄目よ!」と言った
駄目と言われたら触りたくなる
当時の私は『触るだけでダメージをくらう平らな物』が存在するなんて知らなくて
母の隙を見て触り、火傷して大騒ぎになった
少し悪知恵つくようになってて『触っちゃ駄目』と言われても動かしたり汚したりせずソフトタッチならバレないと知ってたんだよね
駄目と言われたものに母の目を盗んでバレずに触る事にスリルを得ていたんだと思う
あんな平らな板に触るだけで火傷するなんて分からなかったんだ… 遡って読んでたら幼稚園のお遊戯会の話があって思い出した。
配役決めで、女子はみんなお姫様狙いで、もちろん私も本当はお姫様が良かった。でもお姫様は倍率が高いし、それであぶれて木の役なんて絶対やりたくなかったんだよね
だからお姫様は諦めて最初から村娘に立候補してストレートに決まって、人間の女の子の役で安心した…っていう記憶。 歳上の兄から初めからサンタはいないって教えられてたから、幼稚園で本当に信じている友だちに驚いた
でもその子に英語で書かれてるサンタからの手紙を見せられ、先生に聞いてもいると言うし段々信じるようになった
そこで遠慮なく値段の高いおもちゃをリクエストしようとしたら、親に却下されやはりサンタはいないのだとショックを受けた 3、4歳の保育園の頃の記憶
先生が、お遊戯会で使うウサギのお面にクレヨンで好きな色を塗りましょうと言った
好きな色で〜と言われたから青色で塗り始めたのに、先生にウサギは青じゃないでしょうと言われて途中から白で塗り始めた思い出
幼いながら物凄く理不尽に思ったので、未だにこの事は忘れらない うさぎの色の話を読んで思い出した
5歳くらいの時、字を読むのが得意で保護者向けの簡単な読み物を読んだことがあった
そこには、「例えばこどもがくまの絵を青色で描いたとき、青色のくまはいないと言うのはだめ」というような内容だった
で、試しに親の前で青の熊を描いてみたら、まんまと否定されて
ちょっとがっかりしたw 私も5歳くらいのとき、「危険な幼稚園」みたいな題名にひかれて親の本を読んでみたことを思い出した。
丁寧な言葉遣いを推奨するあまり、「お」をつけすぎる幼稚園!「お八百屋」だなんて!現代幼稚園の言葉の乱れガー!みたいな論調。
それは流石に盛り過ぎだろうと子供心にオヤオヤと思ってたよ。 三年保育の幼稚園に通ってて私は年中からの入園だったんだけど、周りの子達があんまりにも幼稚で嫌で仕方なかったなあ
あと、年少さんを見て、うっわーーちっちゃ!!幼稚園って赤ちゃんもいるんだ!?と思ったのを強烈に覚えてる 年少の部屋にしか扇風機なかったのも、赤ちゃんは暑いの我慢できないからね、ナルホドと思ってた
今思うと一年しか違わないのにね…おませさんだったのよ私 まだ喋れなかったので多分1〜2歳ごろ
汽車が好きで、本やテレビで汽車が出てくるととても嬉しかった
ある日、親が引退したSLを展示してある公園?に連れてってくれた
でも「汽車は線路の上を走るもの」って思ってたから、ただでかいSLがコンクリートの上にどーんと存在してあるのにびっくりして怖くてぎゃーっと泣いた
親も驚いて、え?大好きな汽車だよ?なんで泣く?とオロオロしてた
違うのー走ってる汽車が見たかったのーと伝えたかったけどまだ喋れないからひたすら泣いた
この記憶があるので、楽しいはずの場所で子が泣いた時は何か親には分からない怖いポイントがあるんだと思うようにしている >>587
可愛いなw
親も好きな汽車のはずなのに困っただろうなぁ >>587
なるほど…
なんかいろんな事のヒントになりそうな話だね 歳がバレるけど
私が3歳で弟が2歳くらいの時かな?
私と弟はアニメの歌を一緒に謳うのが大好きだった。
弟のこだわりで、男のパートは弟、女のパートは女の私が歌わないと怒るので、全部一緒に歌いたかったけど私はお姉ちゃんだから我慢した。
アニメ中は大抵、母は家事で忙しそうだったんだけど、北斗の拳は面白いと一緒に見てくれた。
北斗の拳の歌の時間は、私にとってささやかで大切な一家団欒の時間だった。
ある日弟が寝てしまい、一緒に北斗の拳が見られなかった。
本編は見られなくて残念だったけど、せめてエンディングだけでも一緒に歌ったら、弟も楽しい気分になれるだろうと起こしたんだよね。
案の定本編が見られなかったと泣く弟。
ぐずる弟をなだめながら、
「お姉ちゃんは意地悪なんだから」
と母が怒ったのがショックだった。
一人で全部歌いたかったのを我慢して、弟に歌わせてあげようとした優しい気持ちからだったんだけどな。
大人になってクリスタルキングは、どっちも男だと知ってビックリしたけどね ある日、家の壁になんか汚れが付いてた。
それについて「鼻くそ付けだだろ!!」と親に怒られた。
断じて私はやってない。
いくら違うと訴えても、私の目線の高さに汚れが付いているという理由で決め付けられた。
新聞紙でお尻も叩かれた。
今度実家に帰った時に猛抗議してくる。 年子の姉がその場にいなかったから2歳かな
予防接種を受ける為、注射が嫌?怖い?で
母の自転車の後ろに乗って泣いてたんだけど
熱が出てたみたいで今日は受けられないわね、と言われ
病院に入らず帰ってえ、いいのやったー!と心の中で思ってた たぶん保育園時代かな?
物心ついた頃にはもうサンタクロースは両親だと分かっていた
クリスマスのたびに信じているふりをしていたので
毎年クリスマスの朝はどうリアクションしようか緊張していたなあ
演技をし続けていった結果、お互い後に引けなくなり
高学年〜中学生時代はクリスマスの朝がいつも憂鬱だった…
高校生くらいの時に母が気まずそうに、あんた分かってると思うけどサンタクロースは実はいないのよと言われ、
25歳の朝「クリスマスの年齢こえたからもうサンタは来ません」と父の一言で唐突に終わったw
自分の子どもはまだ4ヶ月なので気が早いけどいつまでサンタ信じてるかな?やめ時どうしよう…とふと思いカキコ >>593は憂鬱だったのに、申し訳ないけどなんだか笑ってしまった
クリスマスにサンタからプレゼント!って夢のあるイベントなのにお互い気を遣うクリスマスって…
やっぱり子供は小さくても色々解ってるんだねー
うちの赤子は何考えてるんだろ… 25歳までクリスマスプレゼントもらえるとは、
いいご家庭だなー >>595
>>596
サンタの正体を暴露するのは私の為に頑張ってる両親に悪い気がしてたんですよね
子どもって小さくても大人が想像している以上に気を使ってる
ちなみに幼少期〜思春期は気恥ずかしくて何々が欲しいですとかサンタさんへのお願いを言ったことはなく、
高校生以降はふざけてサンタさんへの願い事呟いても不景気の為段々贈り物はショボくなっていったので良いご家庭でもなく…
欲しいものもらった記憶ないので本当に誰得イベントだったw サンタさんで私も思いだした
常日頃、親から「知らない人に付いていってはダメ」「知らない人から物を貰ってはダメ」って口酸っぱく言われてた
でもクリスマスのサンタさんは親的にはOKなのが私には理解出来なかった
私からしたらサンタさんは知らないおじさんだし、その知らないおじさんから物を貰うってダメなはずなのに
親にサンタさんの素性を問いただしても「知らない」としか言われないし
親もよく知らない人なのになんでサンタさんに限っては勝手に家に入ってくることも勝手に物を置いてくこともOKなのかが謎で
怖い気持ちと、プレゼント貰えて嬉しいのと気持ちと、矛盾することを言ってる親への不信感がゴチャゴチャになって複雑な気持ちだったw
ちょっと大きくなってサンタさんの正体が親だと分かったときに全てのことが納得いってスッキリしたなー 3歳くらいかな?
昔、近所の子たちが子どもだけでお留守番をしてすごいねって母が言ったものだから
私も褒められたくて「私もお留守番する!」と言ったは良いものの、実際一人で家に取り残されてみると怖いのなんの。
何が怖いって「このままお母さんが帰ってこなかったらどうしよう」
車に轢かれて死んじゃったら…
怖いおじさんに誘拐されちゃったら…
恐怖を払拭するために、玄関の前で叫び続けた
「お母さん!お母さん!」
お母さんが辿っていると思われる道順を脳内でシュミレーションしながら。もう帰ってくるはずなのに!おかしいな?きっと頭の中で道順をとばしちゃったんだ!一人で大葛藤。
誰かの足音が聞こえると叫ぶのをやめてた。一人でお留守番できないなんて知られたら恥ずかしいから。近所の人もお母さんも、私が叫んでたの知ってたんだろうけど。
お母さんがいなくなることはものすごい恐怖だということと、小さくてもプライドはしっかりあることは、子育て中の今肝に銘じてる。 中学位の時に、背を下にして寝っ転がった状態のまま両手両足を天井に向けて上げて、ブラブラすると楽しい気持ちになることに急に気がついた。
不思議に思って母親に聞くと、私が赤ちゃんの頃、寝転がる私の両手両足を支えてブラブラとすると喜ぶので、良くやったと言われた。
その瞬間、畳の部屋(中学生の頃には改築されて畳では無くなっていた)で床に転がる私から見た母親の姿がフラッシュバックして思い出された。太陽の光が差し込んで、すごい幸せな気分だった。 わー、そんなことってあるんだね
なんだか胸がいっぱいになったよ 600さんの読んでて思い出した
小学低学年の頃お気に入りの濃いピンクの中綿布団に潜って手足上にあげて
脚を高速に動かして足の裏で歩いてるみたいにバタバタする遊びが好きだった
北海道で寒かったからか日中も布団出して明るい太陽の光の入る部屋で遊んでたら
姉が入ってきてママのお腹の中みたいーって言った時に赤ちゃん時代の記憶が突然蘇って
あ、ママのお腹の中濃いピンクでたまにオレンジぽくなったりしたなーとか
たまにピンクなのに明るくなったり暗くなったりしたなーとか
手足バタバタするのが大好きで布団みたいによく足でバタバタ蹴って遊んでたなーとか
もっと早くもっと早く脚をバタバタしたいのにーって思ってたの思い出したわ
多分お腹蹴ってた頃の胎内記憶かなと今になって思う 母のバッグの持ち手の匂いを嗅ぐのが大好きだった。お母さんのにおい〜と嗅いではやめてよーと言われてた
昔の化粧品の匂いなんだけど、当時は嗅ぐと幸せな気分になれたw
それで今の自分の匂いって?と思うと何もないなと気が付いた。香りって記憶が蘇るというから、今自分の子にとってのお母さんのにおいがないって寂しいな >>604
自分のだからわからないだけで、きっとあるよ >>604
今ならシャンプーの匂いとか洗剤の匂い、ハンバーグの匂いやカレーの匂いとか
母の匂いになりそうなものたくさんあるよ 2歳か3歳くらいの時
某魔法少女の変身ステッキが欲しくて親にねだったら「高いからダメ」と言われた
「高くないよ!高くないよ!」と一生懸命食い下がったけどダメだった。どうしても納得できなかったから今でも覚えてる
おもちゃ屋さんの下の方の棚にあったから
「高いところにあるから、取れないからダメ」という意味だと思ってたw
値段が高いって言葉を知ったときに衝撃を受けた
「高くないよ!低いよ!」って言えてれば良かったな、そうすれば意味の違いに気づいてもらえたのになって幼稚園くらいの時に反省した
だから、ガンコに訴えてくる意味の食い違ってそうな言葉はよく聞くようにしてる >>607
なるほどなぁ。
言葉の使い方としては親も子供も間違ってないけど
子供は語彙が少ないから理解のズレは有り得るよね。
気をつけてあげよう。
でもね、ここで「値段が高い。お金がないからダメ」と答えても、
財布の中の小銭とか見て「お金あるよ!」と抵抗するんだぜ。
(先週の週末に実際おもちゃ屋で攻防戦を繰り広げてしまったよ)
「このお金はほかの買い物のために必要なものだ。おもちゃ用予算はない」
を伝えるのはなかなか難しいw >608
そうですよね
私もちっちゃいとき「お金がない」と言われて「一万円払えばいいじゃん!」と抵抗する子供だったな。一万円は千円も五千円もカバーできるお金という意味だけインプットされてたみたい
お金の価値を伝えるって難しいね
お手伝い一回10円にされてから一万円って大変なことだったんだ!って思えたけど。小学生頃かな? 私は最初に「100円はすごく高い」と教えられてしばらく信じてたわ 文具用品売り場で小学生の女の子がお母さんにペンのセットを900円だよ!安いよ!とねだってて、「お母さんのパートの時給より高いわ!」と一蹴していた。 感覚的な事なんだけど、すごく小さい頃、これからどんな事が起きてどうする必要があるのか知っているというか本能で分かっていた気がする。
その他には3歳になる前には小さい頃の記憶を思い出せたのに、3歳前後に昔の事を思い出そうとしても思い出せなくてなんでだろうと歯がゆく思った記憶がある。
まるで記憶喪失になったようだった。 一人でベビーベッド的なところに寝かされてたからかなり小さい頃、昼寝から目が覚めると急に心細くなって、ポンキッキでやってた白い粘土のお面のやつとか思い出して怖くてあーーー!って大声で叫んで祖母を呼んでた
あなたは昼寝から起きるとあーあー呼んでたって言われて思い出した
あと幼稚園の入園式でまだ誰も知らないはずなのに隣の子に「まりちゃん(仮)どこ」ってきいて、あそこにいるよっていわれてまりちゃん見つけて、ああいたいたって思った。
なんでだろープレとかあったのかなあ… >>612
どんなことか起きるか知ってた…とは
自分の未来がどうなっていくか分かってたということ?
生まれる前の記憶とかで、自分の一生をすべて理解した上で生まれてくる、みたいなのを読んだことあるから興味深い。 >>614
既視感が赤ちゃんにも有るのかと思ってた。 >>614
私も>>612の言うことなんとなくわかる
>>615の言うように既視感なのかな
私はもう少し大きいころ(3歳過ぎ)で、最初保育園でみんなになじめなくて
保母さんが一生懸命働きかけてくれるんだけど
「明後日にはみんなと遊べるから心配しなくても良いのに」みたいに思って平然としてた
そして実際2日後に遊べるようになった
なんか未来は知っているから大丈夫なのに、なんで大人は心配するのかと思ってた
逆にこれは危険だからやめておこうとか、なんか予感めいたものがあった
内にこもる性格だったし、単なる思い込みで、自分が予想した通りに行動してただけかもしれないけど
そのときは信じていた 幼い頃は妄想とか記憶がごっちゃになりやすいのもあるかもな
私は空を泳いでた「記憶」がハッキリあるよ…
妄想が記憶になっちゃったんだと思うけどさ >>612だけど、自分の一生を全て理解するというか、大まかな流れは何故か知っていたような気がする。
いつかは今いる場所(お腹の中?)にいられなくなるとか、その時は大変な思いをするとか、同じ事を繰り返すんだなぁという思いが記憶にある。
一歳になる前の記憶もちょこちょこあってここにもいくつか書いたことがあるけど、記憶が点で散らばっていて、線で結びついた事をよく覚えているかな。 赤ちゃんは自分の一生(いつどうやって死ぬかまで)を知った上で、親を選んで産まれてくるって聞いたのはこのスレだっけ? 私、二択の人生を選ばせてもらった記憶があるわ
小さい頃の妄想かもしれないけれど、今実際に選んだような人生になっている 3歳のある日、はっ!と自我が芽生えた
3歳児ランドという未就園が通う教室の受付で、
母が妹の入ったカゴを受付の人に渡す瞬間だった
母の顔を見て「この人が私の保護者なんだな。この人を頼れば大丈夫なんだな」と認識した覚えがある
区切りがよいのでそれから、必ず右足から歩いて左足で止まる。歩数を数える。などの取り組みを色々始めてみたけど、父親にトランポリン付き遊具施設に連れて行ってもらって夢中で飛び跳ねたらわけわからなくなって止めた ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
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ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパンタイ資金洗浄)
違法改造大好き在日中国人報道中国車リコール発言反日飛行機会社
ヤフーネットダイエットコーヒーニュースタウンワークサービス不足マイナンバー窃盗犯
安売ドラマ魔界村ビールぼったくり販売員適正価格テレビ朝日対日本人高圧的偏向報道
適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
関西弁不誠実コメント●テレビ(芸人)
トランプジョーカー切り(放送大学森有消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル)
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロシアは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNA消費者せんター相談CNN向け原文ママニュース 預けられ母と離れるとき「おかあさんはわたしがいなくて泣いていないか」と心配で泣いていたことを思い出した。
寂しくて泣くというより、母がちゃんとしているか心配で泣いていた記憶。 >>624
面白いね。母の心配が子に伝わるってよく言うけど、こういう事なんだろうな。 5歳くらいだと思う
当時父と母は別居していた
母は夜の仕事をしていてお店の2階に母と年の離れた異父兄と私と弟で住んでいた
明け方母が戻ってくると別室で寝ている兄に起こされ、財布を取ってこいと言われ枕の下に隠していた財布そーっと取って兄に渡していた
子供ながらに物凄く嫌だけど10程違う兄には逆らえず言いなりだった
いつも「お母さん起きないかな」と思っていた
日曜はお父さんに会える日で自分で電話をかけて父に迎えに来てもらい、当時の父の恋人と私の3人で遊んでいた
弟はまだ小さかったので母が面倒見ていたと思う
帰り際「おばちゃん(恋人)の事は内緒だよ」と言われるが、母は気付いていたのか「今日も○○さんいたの?」と聞いてくる
私は母に嘘をつくのも嫌だけど父との約束も守らなくちゃいけないから「分からない」としか答えられなかった
寂しかったのか父との別れ際は毎回泣いてたと思う
クリスマスの時に父とおもちゃ屋さんに行きリカちゃん人形をねだったけど、当時お金の無かった父はダメだと言った
私はむきになって駄々をこねた
人形が欲しかったと言うより父に甘えたかったんだと思う
結局買ってもらえたけど物凄く後悔してその夜は一人で泣いた 分からないと答えた意味も、駄々をこねた意味も、お父さんとお母さんは、きっと分かっているだろうね。というか伝わっていてほしいよ 3歳くらいのとき
オムツが外れて、自分ひとりでトイレに行けるようになった
でも毎回、「お母さんトイレ行ってきていい?」て聞いてから行っていた
毎回毎回言うので、母もうんざりして「いちいち聞かなくていいよ、行きたくなったら行っておいで」と言われたんだけどそれでも毎回聞いていた
なぜかと言うと、私はお母さんの姿が見えなくなると不安になるからお母さんも私が急にいなくなったら心配して泣いちゃう!だからトイレ行く時は言わなくちゃ!という考えだった
3歳なりに、母を悲しませたくなくて気を遣った行動だったんだけど、当時はしつこく同じことを言うことが母を
うんざりさせるって分からなかったんだよなあ やさしいw
あるよね、そういう子どもなりの伝わらない優しさって 何歳か正確には覚えてないけど、未就学児の頃
ファミレスに家族で行って、ソファーが珍しくて寄り掛かったり寝転んでみたりしてたら父に「そういうことするならもう連れて来てあげないよ」と言われた
「きちんと座って」って言われればそうできるし、めったに関わってこないくせに父親面してそんな言い方…って思った
あとそのとき父は真面目に働いていなかったから、連れて来てくれてるのは母なのに…とも思った
それからもうひとつ
私が何か失敗したときに、大人たちが寄ってたかって笑いものにして、言いふらして何回も言われるのが嫌で嫌で仕方なかった
子供を育ててみてわかったけど、あれは大人にとっては「可愛い微笑ましい話」だったんだな
子供には常にきちんと向き合うように気を付けてる わかる、大人に笑われるの嫌いだったの覚えてる。でもついかわいくてジジババに報告してしまう。1歳半くらいから恥ずかしい話はやめてほしそうな反応するようになったからなるべく子供の前で言わないように気をつけてるけどきっとあの頃の気持ちなんだろうなー。戒め戒め。 ここのスレを読んで、笑ってバカにするようなことはやらないぞと心に決めた1年前。
現在息子1歳になったけど、すっかり忘れて笑ったり夫に報告してたわ…
思い出したよ。笑ったりしてごめんよ。 >>631
あー自分も気を付けなきゃと思ってたのにすっかり忘れてた
微笑ましい話を周りにちょっと面白おかしく伝えちゃうんだよね
自尊心を傷つけないようにしないとな >>629
今3歳の娘がまさにそんな感じだw
いちいち「ママートイレ行っていいー?」と聞くので「ママに言わないで行っていいよ!」ってやりとりをしょっちゅうしてるわ
子供なりにそんな配慮をしてるのかもなんて考えもしなかったから目から鱗だわ 3歳から5歳くらいかな
父がいつも家の前に頭から突っ込む形で車を停めてた
ちょっと物を取りに行く時とか助手席に私一人にされるんだけど、大昔でチャイルドシートとか無かったから車の中をあちこちいじっていた
覚えているのはルームミラーの角度を変える
ウインカーやワイパーを動かす
サイドブレーキを戻す
車を停めている場所は少し傾斜になっていたから、いつも車が下がって家の前の通りを塞いでやって来た車にクラクションを鳴らされ父が慌てて家から出て来た
通りはけっこう大きい通りで覚えてるだけで2、3回はあるから、今思えば事故らなかったのは奇跡だと思う
きっとあちこち触るのは父を見て覚えたんだろうけど、実際父が操作してた所は全く覚えてない 物心ついた時には、子どもだから子どもの振る舞いしないと変に思われるって思ってたけど、同じ人がいる事にびっくり
姉が私のおまた開いて、トイレにおしっこしーってしてくれてたんだけど、それもめちゃくちゃ恥ずかしかったの覚えてる 保育園にいってたんだけど、お昼寝しないと布団叩き?で叩かれてた(毎回)
その事を親に話したかは覚えてないんだけど、結局、保育園行こうとすると熱が出たりお腹が痛くなってしまい通えず祖母の家に預けられた
この事がトラウマで貧乏なのに専業やってる・・・ かつてここで「同じ手ばかりだとあげ続けるのが辛くて繋いだ手を離したくなった」と教えてもらって
できるだけ手を下げてつないだり、嫌がった時は反対の手を勧めてみたらちゃんと繋いでくれることが多かった
今は自分で「反対の手 つなぐ」と教えてくれて必要な時はずっとつないでくれている
教えてくれた人ありがとう 今、小学生の子供がいる。
TVをみながらポツリと「あかちゃんの時、タケモトピアノのCMキライだった。急に大きな音が出るから怖かった」と言い出した。
タケモトピアノのCMで泣き止む赤ちゃんがいる、と聞いて録画して見せたりしてたんだけど、確かに泣き止んだ事はなかった。
赤ちゃんと言えどもちゃんと物事を考えてるんだな、と思った。
あと、子供には「怖い思いをさせて悪かった」とちゃんと謝った。
若干スレチかも。ごめん。 羊水が腐ってきたので児童相談所に通報 沖縄ビッチ天国 ほうれいせん
モンスターペアレントとして連行 米兵さんのそそりたつ巨根 あと25年住宅ローンの奴隷
PTA当番さぼって村八分 発狂押しかけ義母つきまとい。
沖縄の基地はあと百年間戻りません 虐待通報
米兵さんのチンポによがり狂いわたくしたち朝鮮人だけ差別する卑屈なモンキージャップ。
パパ一緒にお風呂に入ってママとするみたいなことしよ 美白スキンケアはもう手遅れです
給食費は払いません 花王の正社員は20代で年収1千万
米兵さんとわたくし達はメス倭猿の青かびチーズまんこの共同所有者なのです
発達障害の疑い アンチエイジングに一ヶ月7千300円 06年にアメリカ軍曹に尻穴レイプされたビッチ幼女は今年で二十歳になりました
今年生まれてくる子も間違いなくモンキーと人の合いの子のビッチ害児です。 今やお前らのほうが従軍売春婦どものポン引きなww、買ってやってるのが俺達wwwwww
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/ /|/l ! {,,il| {,,,,ill|ヽ ヽ|-、/l
,' / ,' ゞリ ゞッ ,イj } i.
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,、(、‐、 )、__) `''‐ヽ._,ノ,、‐'i / /´ _,、、 ' ヽ :
(、-‐-、)' \ ,i `;" ~ /`>,ノ、ノ ,、 i ヽ!
{,,、‐-、 )\\~''''''‐--`―'‐'' ,´/ ,、‐';ー( , ヾ、ヽ
{__,,、‐' | i ヽ`、`ー‐--,,、-=='-‐‐‐<_r''' |、`t' ノ|っ、
`ー/ | `、 {''''。''~::: :: 。 ::| ノヽ i_,',r'ミ. |
/ i 人 ...ノ 丶.. ..ノ :i i | i. | ヽヽ |
/ ! / ,i :i i |iヽ| /
i iノ ,' / :i | |ヽ|; /
i ー'´ :,' / i ! | | |ヽ'
i / / ’ } i | |\
|il ./ i ./ i ヽ
| / i' 、 :: , 'i / | :| \
/| / i ヽ_j_ノ |' / i \
; / ノ / i: | ::| |:: l / |ヽ
あめりかのへいたいさん
これでこわいちゅうごくのひとたちからぼくたちおまもってね >>638
体罰まではされなかったけど昼寝しないと担任に睨まれてた
担任の怖い顔ばかり覚えていて笑顔を全く覚えてない
保育園の延長保育を利用しない年中年長は、迎え抜きで4時に自分で帰れの保育園だった
昼寝できない年長に体罰したり自力で空っぽの家に帰れとかありえない
自分も専業 >>638
子どもさんを保育に預けられないって意味かな? いくつかわからないけど、小さいときの話。
3人兄弟の真ん中だった私は明らかに母に構って貰えなかった。
よその人は、私をよく褒めてくれていたが母は絶対に褒めなかったし、認めてくれなかった。
お母さんはどう思っているのかな、お母さんにもっと褒めて貰いたいのにな、っていつも思っていたのを今でも覚えている。
古い日本家屋だったが、柱にマッキーで「なきたい」とデカデカと書いてしまったことは反省してる。
でも母は怒らなかったし、その落書きへの感想もなかったな。
ちなみに父は全然家に居なかったけど、その薄っぺらい存在感から兄弟への格差は感じず、好きだったし今でも仲がいいと思う。 年中さんのころ、お弁当にうなぎが入っててどうしても食べられなかった
普段からお弁当残しがちだったんだけど、その日に限って「今日は全部食べようね」と先生に念押しされてた
いやいや食べようとした時に箸から落ちて結局残すことに
先生に落としたから食べれないとも言えず、結局「この子は少食なのね」と思われてお弁当を少なくしてもらうことになった 泣き止んだあと、父に毎回「泣いてたカラスがもう笑った〜w」って言われるのがものすごく嫌だった
本当はもっと泣きたいけど頑張って泣き止んだのに!なんでからかうの!って怒りすら覚えた いつの記憶かわからないけど、ご飯食べたあと母に「お腹いっぱいだね」ってお腹ポンポンされるのが好きだった >>649
これ多いね。やっぱりみんな嫌なんだな。
可愛くてつい言ってしまいそうになるけど我慢してる。 わたしもいやだったなぁ
あと泣きそうな時に、『泣いちゃう泣いちゃう泣いちゃう〜』ってからかわれるのもいやだった
本とに泣きたいのに笑っちゃうか、我慢してるのに涙が出ちゃうかのどっちかだったから 自意識過剰だったら恥ずかしいんだけど、小さい頃かなり頭の回転が早かったんじゃないかと思ってる。
例えば「どうしてお月さまはずっと後を付いてくるの?」っていう定番の質問があると思うんだけど、誰に教わったわけでもなく理由を知ってた。
建物だって大きければ大きいほど追い越すのに時間がかかるかかるんだし、と。
更にそのことに関して他の子供を馬鹿にすることもなかった。
それと、私は飛蚊症で空とか見るとプランクトンみたいなものが視界にあった。
それに気付いたのは幼稚園の時で、なんだろうこれ?と思った。
目にゴミが付いているのかと最初思ったんだけど、目を擦っても消えないし視界をずらしても日をまたいでも定位置から消えないもんだから
あ、これ目の中にあるんだな、別に邪魔でもないしまぁいっか、と思った。
あまりにも日常だったもので、それが飛蚊症だという病気だと知った時はびびった。
この程度誰でも分かることだったらスルーして下さい。 飛蚊症が目の中にあるんだなと思ったなんて賢いね
私は「もしかして…私にだけ空気の粒が見えてるのかもしれない!」と思ってたよw 私は妖精だと思って名前つけて話しかけてた。赤ちゃん、青ちゃんとか色で見分けて。 物分りのいい子供だったなぁ。
うちの両親が教師なんだけど、災害や事件で夜中だろうがなんだろうが駆け付けるのね。
特に父親は生徒指導だったし。
それについて、両親にとっては大事な仕事だし姉もいたし、仮に1人でも寂しいとは思わなかったな。
なんていうか、自分の安全が担保されている状況なら、両親の緊急事態なら当然そっちが優先されるべきだって思ってた。
鍵っ子だったけど全く寂しくなかったなぁ。
両親が私(と姉)にメロメロなの分かってたからだと思う。 そうやって親からの愛情をしっかり実感できていたからこそ、情緒も安定していたんだろうね。いいなー
ちなみに、親御さんからの深い愛情を感じたエピソードや思い出など、もし覚えてたら教えてください。
自分自身、子供に愛情を伝えてられてるか、自信がなくて… 父母姉私、おでかけはいつも一家で行ってたんだけど
一回だけなぜか母が私1人をつれて小さな遊園地に連れて行ってくれたことがあった
(本当になんでだろ?姉が修学旅行とか行ってたのかな?)
私は母に愛されているんだと実感して
とても嬉しくて嬉しくて今でも強く覚えている 中学の家庭訪問の時、なんかの流れで私の情緒がとても発達していますみたいな話になった。
そしたら母親が「そうなんです!この子は悲しげな音楽を聴いて涙したり…」と言い、なぜか母親が泣いた。
それを見た私はちょwwwおまwwwと思った。
恥ずかしかったけど嬉しかったよ。 あと、両親はすごい甘かった。
お小遣いは少なかったんだけど、言えば大抵なんでも買ってくれたしよく褒めてくれた。
(今思えば図鑑や化石を欲しがったからかも)
門限だけは厳しかったけど。
でも両親は「厳しく躾けた!」って誇らしげ。
当の私はあれで厳しいとかwwwウケるwwwっていう思ってた。
かといって調子に乗れば本当に厳しくなるのが分かってたから無茶なことはしなかったけど。
でもその「調子に乗ると厳しくされるのが分かる」っていうのは両親がちゃんと躾けた結果なんだろうなぁと今は思う。
ある意味私を信じてくれたから甘くなったんだろうね。
ちなみにやはりそこは子供、目測を誤って調子に乗り雷を落とされたこと数十回… 3〜4歳くらいの頃、母親と祖母とスーパーに行った
母親だけ別行動で買い物して、その間に祖母に幼児向けの雑誌を買ってもらった
その雑誌の名前が『よいこ』(うろ覚え)で、合流した母親に「おばあちゃんに買ってもらった!」と見せに行った
でも母親はすごく冷たい目で「よいこ…?へえ、あんた全然良い子じゃないのにね」と言われた
それがもうすごくショックで、そこから「私は良い子じゃない」と思い込んでしまった
それまで甘えてた母親と距離を置き、中学生になって反抗期の勢いでこの記憶を話して、母が謝ってくれてようやくモヤモヤが晴れた >>663
モヤモヤが晴れてよかった!
悲しいよね、そういう事言われると。 >>661-662
親にされて嬉しかったことスレ向きかも >>665
同意。>>661-662は中学の話だからスレチ >>661は中学の時だけど、>>662は小学校低学年くらいからだよ。
ダメだったらごめん。 スレタイは幼児期となってるから未就学までだと思うよ 保育園に行ってる時。
具体的に何歳かは忘れたけど…
お昼寝の時間で眠れなかったので、自分の手をじっと観察してた。
そして初めて爪というものを発見した。
なのでとりあえず確認したくてカリカリ食べてみた。
その時から今までずっと爪を噛む癖が治らない。
なんで食べてみようなんていう発想になったんだ自分…!
という経緯があるから、爪噛みは愛情不足だとかいう話には懐疑的だった。
今の風潮はどうなんだろ? 親御さんから注意はされなかった?
私も爪噛み癖があったけど、親は私に無関心だから何も言われないまま育った。
愛情不足とは思わないけど、あまり注意を払ってはもらえなかったのかな しょっちゅう怒られたし注意されたし手袋とかたくさん試されたよ。
でも自分の意思を持って止めなかった。
愛情はすごく注いでもらったけどねえ。
もう成人超えたらほとんど何も言われなくなったけど、今はだいぶ我慢できるようになったよ。 たぶん幼稚園頃、寝る前の絵本読み聞かせが凄く嫌いだった。
寝る前は静かにして気分を睡眠モードに持って行きたいのに、読まれるとそっちに気がそれて邪魔になってイヤだったな。でも母がせっかく読んでくれてるから我慢して聞いてた。
我が子は読んでクレクレって持ってくるので人それぞれだなーと。 保育園の頃の、時々父親にギューっとされて、ただ痛かっただけの記憶が、
中学生位の頃に突如「ものすごく愛された記憶」に変わった瞬間がすごい衝撃だった。
それ以来、色々駄目な所のある父だけど好き。
反対に、母にギューっとされた記憶が無くて、もう亡くなったけどたまに恋しくなるくらい。
だから5歳の娘にはたまにギューっとするようにしてるよ。
その度に「グェッ」って言った後めっちゃ嬉しそうに笑っててかわいい。 いわゆるライナスの毛布を持ってた。
私の場合タオルだったけど、汗や鼻水やよだれがたーくさん染み付いて、自分的にはすごくいい香りに仕上がってたw
ミルクみたいな感じ。
それを母親が見かねて洗濯しようとするんだけど、絶対して欲しくなかったなー
幼稚園に行ってる間に洗われて、匂いが違うと言ったけど、洗ってないよと押し通された。
すごーーくがっかりしたなぁ。
あれだけ自分好みの匂いにしたのに一からやり直しか…って親にすごい不信感を抱いたし。
なのでもし我が子がライナスの毛布的なものを持ってたら、トイレに落としたとか以外は極力洗わないでおこうと思う。 子供の頃、理科が好きだったし成績もよかった。
だから高校大学は理科が学べる所に行きたかった。
そんな話をしたら「アンタ算数出来ないから無理!」と一刀両断。
今、子供と一緒に算数の問題を解いていると面白いし算数・数学は美しいと思う。
あの時「算数を頑張ればいいよ」とか言って貰えたら違ったんだろうな。
だから子供には「アンタには無理」とか「出来ない」とか言わずに、どうすれば出来るか、と言うようにしてる。
どんな可能性があるかわからない以上、それを潰さないようにしたい。 >>678
うわぁすごく切ない話。
数学を美しいと思うなんてそれだけで才能を感じるのに。好きな進路に進めなかったのかな、他人事なのに残念。 いい話なんだけど幼児期までの記憶じゃないんだよね
小学生〜思春期あたりの子供の頃感じてたことを語るスレって無いんだっけ >>680
親にされて嬉しかったことを語る
ってスレは? >>676
ライナスの毛布私も持ってた。
親が洗濯してしまうと、ベランダに干してあるのが乾くまで
その場に座り込んで端っこ握りしめて泣いてたってwww >>681
>>678は「親にされて嬉しかったこと」ではないだろう このスレを「自分の子供の時の記憶」にすれば良いのでは?
ただでさえ過疎なのに それじゃただの雑談スレになってしまう
中学一年生の頃のこと書かれたって、このスレの趣旨と違うじゃん
過疎ってても今のままでいいよ 親にされて嫌だったことスレもあったけど、落ちたのかな 1歳になる前の記憶
親が共働きで、産休明けてから祖母に預けられて育った
最初の頃、車から降ろされて無言で祖母の家の玄関まで連れていかれる時「私捨てられるんだ」と絶望していた
一生懸命泣いて抵抗するんだけれど無視されて、祖母に引き渡して母は仕事に行ってしまった
無視が何より辛くて、その後から今まで何とも言えない不信感を抱え続けている
送り迎えの合間にでも会いたかった気持ちや寂しい気持ちを共感する言葉があればなぁと思い出すたびに思う モヤッとしたり傷ついた話が多いのね
たぶんその百倍位たくさん面倒見て大事にされたんだろうけど、記憶に残っちゃうのはそういう話の方なんだろうな
自分も親にして欲しかった事、やめて欲しかった事、決定的に傷つけられた事たくさんあるけど、自分が産んでみてどれだけ面倒見てもらってたか分かった
でもそれでもほんの一回の行き違いで自分の子にもどっかでトラウマ植え付けちゃうんだな、って思うと怖いね 長くなっちゃうので連投スマソ
自分のは毒にも薬にもならない記憶だけど
いわゆる物心ってものがついたその日の記憶がある
それまでの記憶はゼロで、その日からきっちりひと続きで記憶が始まってるから、その日その瞬間に間違いなく物心ついたんだと思う
最初に見たのはグリーンのタイルの手術室みたいな部屋と、今まさに産まれましたって様子の産声あげてる赤ちゃん
画面変わって目が覚めるとそこは保育園
で、自分は3歳だった。ちょうどお昼寝のじかが終わって起きたところ
ああ夢見てたんだな、赤ちゃんだったなぁと思った
その夢の赤ちゃんが自分だったのかどうかはわからない
何故なら視点が赤ちゃん本人から見た映像じゃなくて、赤ちゃんを上から見下ろしてたアングルだったから
手袋をした手がその赤ちゃんを取り上げてるのは見えたけど、手の持ち主や赤ちゃんの母親は視界には入らなかった
その辺の意味は全くもって分からないけど、自分が自分として記憶が始まってるのがその夢からっていう不思議な話 すごいなぁ、私はいつだか覚えたないけど、ベビーベッドの中から天井見てたの覚えてる。
頭のところにメリーがかかってた。
それだけ。 そういえば私もメリーを見上げてる記憶があるな
もしかしたら2コ下の弟のメリーだったかもしれないけど 保育園か幼稚園の時かな。
4つ上の姉が意を決して正面のスーパーからコカコーラ(ビン)を買ってきた。
それを縁側で眺めながら「これがコーラというものか…」と、神妙に言い合った。
初めてのコーラの味は覚えてない。 3歳の頃、両親が離婚した時の記憶がある。
離婚する前は夜ベッドに入ると、下の階から毎日のように両親の喧嘩する声が聞こえてきて怖かった。
ある日、いつもとは明らかに違う激しい怒鳴り合いが聞こえてきた。
少しして静かになったと思ったら、子供部屋に母が様子を見に来た。
いつものように寝たふりをしようか迷ったけど、その日は何だか母親がいなくなりそうな予感がして不安だったから「お母さん出て行かないよね?」と声をかけた。
すると母は「出て行かないよ」と言い、眠れないのかと私に絵本を読んでくれた。
次の日起きたら母がいなくなっていて「ああやっぱり」と物凄い寂しさと絶望感でいっぱいだったのを覚えてる。
それからしばらくは泣いたら父が困ると思ったから、昼間は泣かずに夜ベッドに入った時に声を押し殺して泣いてた。
2つ上の兄がいるんだけど、兄も同じように感じていたのか、昼間は全く泣かないのに夜になると二段ベッドの上から兄のすすり泣く声が聞こえてきた。
私は今では結婚して子供もいるけど、この時の事のせいか主人や子供と離れる時に、また会えるのか毎回毎回不安でいっぱいになるw >>695
嫁に不満は色々あるけど、やっぱり子供にこんな思いさせちゃいけねーな。
ハッとさせられたよありがとうね。 >>695
どんなに辛い事があっても子供だけは手放さないと改めて感じたよ。 赤ちゃんの頃の記憶がある方いますか?
赤ちゃんの育児に疲れ果てているのでお話し聞きたいです。 >>700
少し上にあるけど、ちょっとだけあるよ。
私は自宅のベビーベッドに寝て天井とメリーを見てた。
感情は特になかった。
ぼけーっと見てただけ。
周りに人はいなかったと思う。 >>701
ありがとうございます!
貴重な記憶ですね。 保育園とか幼稚園くらいの頃だと思うけど、なんでお風呂のお湯を飲まないのか理解できなかったなー
だってこんなにたくさんお湯あるじゃんって。
怒られるから飲まなかったけど。
ついでになんでお風呂場で用を足さないのかも理解できなかった。
排水溝あるじゃん、と。
怒られるからやらなかったけどw 2歳の頃
同じマンションに住む同い年の友達と、その子のお家で遊んでいた
2人でベランダに出たんだけど、その時に友達は子ども用のかわいいサンダル、私はベランダで普段大人が履いていたらしい茶色い(便所?)サンダルを借りた
子供心にも「ここは友達の家だからその子が自分のサンダル履くのは当然だよね」と思いながらなんとなく羨ましいような、自分が可愛くないのを履いてるのが恥ずかしいような気持ちだったな 食卓に赤くてキラキラしたものがあったので口に入れたとたん口の中に激痛を感じて、走り回って大泣きした
その様子を親はゲラゲラ笑いながら見てた。大きくなって自分のアルバムを見てたら、タカノツメを握って大泣きしてる2才頃の写真を見つけた
あとは自分が幼稚園の頃、弟が生まれて自分は赤ちゃんがえりをした。おむつをかえてもらうのも離乳食をアーンしてもらうのもおっぱいを飲むのもげっぷでトントンしてるのも全てが羨ましかった。
赤ちゃんになれば自分もお世話をしてもらえると思ったけど、赤ちゃんがえりするたびに怒られた。だからきっと自分はいらない子なんだと思って、
「私がいなくなったらいいなって思ってるんでしょ。階段から落ちればいいなって思ってるんでしょ」って言ったのを覚えてる >>703
お風呂のお湯を飲むのは思い付かなかったわw
似たようなとこだと、私は雨の日に幼稚園バスを待ってるとき、幼馴染の女の子と空に向かって大口開けてた思い出がある。せっかく水が降ってくるんだから飲もうよ!って
母親に「汚いからやめなさい」って怒られたけど、雨が汚いってのが全然ピンとこなくて「え?なに言ってるの?」って感じだったな
後年小学校の授業で大気汚染とか酸性雨の話を知って、ようやく現代の雨は汚れてるってことを知った >>705
昔は赤ちゃん返りしたのを叱る風潮だったんだろうか?
今は逆だよね。
辛かったね。
あなたのレス読んで、もし第二子ができて上の子が赤ちゃん返りしたら精一杯お世話してあげたいと思った。
というか並んでアーンしてくれるならすごく楽そうだ。 >>706
昔の雨も少しは汚れてるよ
噴火とか山火事とかで
でもちょっと似てて笑ったw 幼稚園入る前だから2歳後半かな
父親の使ってるハサミを引っ張りだして自分の髪をザクザクきった
親に取り上げられて怒られたけどハサミは髪とか紙を切るものだから指なんて切るわけないのにと思った記憶がある
今思えば危ないんだけど 暗い思い出注意
両親が弟の世話にかかりきりだったこともあり、幼少期は同居祖父(激甘)に懐いていた自分
でも祖父母と両親は仲が悪くて、それぞれから悪口を吹き込まれて育った
両親からは「お前はお祖父さんに育てられたから我儘に育ってる。お菓子や玩具を買ってくれるからってお祖父さんに懐いて、モノでつられる悪い子だ」とことあるごとに言われてて、
最初はなにを言ってるかよく分からなかったんだけど、ある日「そうか。両親が弟達ばかり可愛がるのは、私がお祖父さんに育てられた悪い子だからなんだ」と納得してしまい、家族の仲間に入れてもらいたい一心で祖父のことが大嫌いになった
今にして思えば、寝かし付けやお風呂も祖父がやってくれてたんだから懐くのは当然なのにね
小1の頃は全く体調悪くないのにも関わらず「風邪をひいてる」って担任の先生に訴え続けてた。当時は「なんでこんなことしてるんだろう」って自分で自分のことが不思議だった
両親はけっきょく冷たいままだったし、祖父からの愛情も自分から断ち切ってしまったから、愛情に飢えてたのかもなと思う
大人同士の不仲に子供を巻き込むのって、想像以上に深い傷を残してしまったりするよね
こんな経験があるから今でも両親とはあまり上手くいってないんだけど、我が子を巻き込まないように気を付けなきゃなと思う 多分幼稚園に行くか行かないかぐらいの記憶。物心ついた時から「そんなことしてたらお化けが来るよ」「ほら青い顔が○ちゃん連れて行こうとしてるよ!」と怒られてた
それが原因かわからないけど、夜寝るのが怖くて怖くて、夜になると添い寝をせがんだ。けど母がいても安心しきれずぜんぜん寝れなくて、寝る前はいつも大泣きで愚図ってた
親もイライラしてか「もう寝なくていい!」みたいにいつも怒ってた。なんとかしてそばにいて欲しくて何故か「下から男の人の声が聞こえる」「ずっと笑ってる、怖い」と訴えてた
寝たら寝たで、悪夢ばかりみてたのが本当にしんどかった。
悪夢の内容は今でも覚えてる。自分も子供が生まれてまだ0歳だけど、恐怖によるしつけはしないでおこうと思う >>706
つららをかじったり雪を食べたりして、汚いからって怒られたの思い出したわ
やっぱりなんで汚いのかは当時は理解できてなかったw 上の方にもでていたけど、私もライナスの毛布的なタオルがあったなー
糸をびーーーっとひっぱって、それを指でくるくる丸めるのが好きだった。お気に入りのドラえもんのタオルケットで穴が空くほど糸をひっぱっては丸めてを繰り返してたらタオルから毛玉だらけのようになってたわ…
大小いろんな糸玉を作っては気分に合わせてさわさわしていた思い出。 >>710
読んで胸が痛くなった
あなたは自分の新しい家族と仲良く暮らして、少しでも傷を癒やしてほしい 下の子を産んで上の子(または下の子)をないがしろにするっていうのはどんな心境なんだろう。
忙しい故に放任気味になるののは分かる。
でも言葉で傷付けるのは違うと思う。
本当に辛い思いをしたね。
今は穏やかに過ごせてるといいね。 姉がふたつ上だから幼稚園の年少の頃の記憶だと思う
園からバス乗り場までの移動の時、私が男の子に何かからかわれたら
姉が「私の妹をいじめないで!」と言ってくれた
自分だってまだ小さいのに優しかったなぁ
そのおかけか今でも仲良し姉妹でいられてる >>716
スレ違い本当に申し訳ないが、4つ上の姉が成人式ではっちゃけて門限を破り、父にしこたま怒られて泣いていた時、怒る父の後ろで変顔とか変な踊りとかしてたら、
後々姉の旦那さんに嬉しかったエピソードとして語ってた(旦那さん談)
それを知った時は嬉しかったなぁ。
怒ってる途中の父も私の変顔に気付いてはいたけどスルーしてた。
年齢は違えどあなたのように嬉しく思っててくれるのは本当に嬉しいね。
ちなみにその姉との思い出として、私が幼稚園の頃。
うちには屋上があったんだけど、そこで姉と姉の友達と遊んでた。
…んだけど、上の子にありがちな、つきまとう下の子を疎ましく思っていて、階段を上る私の手を振り払い私が階段の上から下まで転げ落ちた。
ギャン泣きする私に姉たちは驚き、ひとまず友達は帰り、私は姉に布団に寝かされた。
そしていつもは触らせてくれないぬいぐるみ達を布団の周りにぎっしりと並べられ、お母さんには内緒だよ!と迫真の目で言ってきた。
アホなわたしはまんまと策略に乗り、すぐに泣き止んでニコニコ。
今思えば本当に危なかったけど、当時から今も笑い話としてたまに思い出しては1人笑ってる。 2歳の時、保育園の先生が優しかった
・1人だけお昼寝しない問題児だったんだけど、こっそり抱っこして保育園中を探検→アンパンマン人形を静かに並べる遊びならしてていいよって言ってくれた
・祖母が料理上手でコロッケとか餃子作るのとか手伝ってた。保育園の粘土で餃子を作った時、「すごい!先生が園長や他の先生に見せに行こう!」と言ってくれたのが嬉しかった
・あんぱんまんの「あ」が書きたくて、自発的にひらがなの練習を始め、ぐるぐるの渦巻きをひたすら書いてた
あと、飛行機に乗ってディズニーランドへ行き、ワクワクしたのを強烈に覚えている
年中から、幼稚園へ入園。保育園と比べて、先生たちがビジネスライクで放置気味だし、幼稚園の子たちはませてて、毎日意地悪されたり急に仲間に入れられたりするのが不思議だった
「冬休みの思い出」で絵を描かなきゃいけなくて、どこにも連れていってもらえなかったので「鶴を見た」と嘘の絵を描いた。参観で、母が「これなんの絵…?」と聞いてきて、ショック受けてたw
幼稚園は自分の居場所じゃないと思ってたし、できれば行きたくなかった
ストレスで、バスの中で指定カバンのベルトを噛んでボロボロにしてた
小学校に上がったら、幼稚園とか保育園とか関係なく友達になった
町に1つしかない幼稚園だったので仕方なかったけど、もし何個か幼稚園や学校見て回ってる人は、お子さんに合ったカラーというのが少なからずあると思うのでそれをまず優先してほしい
それとどんなに小さくても形式だけでも、「家族でここへ行った!これをした!」というレジャーや年中行事の思い出はたくさん作った方がいいと思います! >>713
うちの子が似てるw
おんぶした時だけだけど、私のカーディガンを歯で噛んでプチップチッとやってる。
ジェラピケのお気に入りなのにこのやろうwww 幼稚園の頃腕を脱臼して病院に行った時、「すぐに痛くなくなるよ、痛くないよー、痛くないよー」と言いながら看護師さん数人に体を押さえつけられて医師が力づくで脱臼をはめ直した
痛くないと言われたから痛くないと思ったのにすさまじい痛さで大声で暴れた。大人の言うことなんて嘘ばっかだと子供ながらに思った
いま我が子はまだ0歳だけど、予防接種の時は「痛いの嫌だけどすぐだから頑張ってね」と声をかけるようにしてる 我々の血税がこのアマの屁となり糞となってしまっている。
おかしいことはおかしいと言える国にしよう。
あっこの顔だ。この顔見たら110番。
山尾志桜里容疑者のツラ (詐欺・脱税)
https://seiji.yahoo.co.jp/giin/001127/
この者は秘書らと共謀して多額の税金をだまし盗った詐欺の被疑者である。
国会議員こと常習詐欺犯 山尾志桜里の逮捕状を請求するべきである。
山尾志桜里にはなぜ手錠をかけないのだろうか?なぜ山尾宅に家宅捜査に入らないのだろうか?
詐欺の被疑者・山尾志桜里の身柄をただちに拘束するべきだ。
山尾志桜里容疑者による詐欺の証拠
http://brief-comment.com/blog/lawmaker/52463/ 暗い思い出
初めて参列した葬儀が母のだった
6歳の時だったんだけど、母が亡くなる数週間前は祖父母が遠方だったこともあり父一人で子供3人の世話+母の面会は無理ゲーなので兄と私は児相に預けられてた(弟は0歳だったから乳児院)
ある晩何故か叔父叔母が迎えに来て、車の中で兄と「お母さん退院したんだー、約束の遊園地だー」なんてはしゃいでた
が、家に帰ると母は白い布顔にかけて寝てた
それまで人が亡くなるとそうすること知らなかったけど見た瞬間「死んじゃったー!」ってわかってわんわん泣いた
これは周りの親族の方が辛かったかも
で亡くなったら火葬されることももちろん知らなかったから骨にされちゃって無茶苦茶びっくりした、これじゃ生き返れないじゃん!!って 辛すぎる…
お母さんもあなたに会いたかっただろうに >>724
辛い気持ちにさせてしまってすみません
どんな事情があったか知らないけど、両親だけ中部地方に住んでて子供は双方の祖父母(九州や四国)に代わる代わる預けられてたから純粋に6年べったり母と過ごしたわけじゃなく、
悲しいは悲しいけど「母親」がいないことそのものが悲しいって思ってたな
思い出が少ないから、手料理も2品くらいしか覚えてない
そういえば兄が学校行ってる時に、母が突然2人で動物園行こうって言い出してお弁当持って行った(弟もいたのかもしれないけど赤ちゃんだったから記憶では頭数に入ってない)
おにぎりが初めて食べる梅かつお味で「すっぱい!」と思った、他のおかずは覚えてないw
若くして亡くなった母は辛かったと思うけど
母の死後すぐ父の実家で賑やか7人家族で育ったよ
今は自分も同じ3人の子持ちになった
子供たちのためにも元気でいないとと思う >>725
辛くても今は幸せそうでよかった。
私も子のために死んでも長生きしたいと思ってる。
それまで破滅願望が強くて刹那的に生きてきて親にもたくさん苦労かけて、でもあなたの子供の時の気持ちを聞くと、精一杯真っ当に生きたいと思った。 しょうもない記憶
4歳くらいの時、一つ上の兄とDr.スランプアラレちゃんのソーセージに入ってたシールの取り合いになった
兄は体が大きく私は小柄なこともあり当時は年子以上の年齢差を感じていた
兄はかわいいアラレちゃんのシールをさっさと自分の椅子に貼ってしまい、私は泣きながら、頭がボサボサのセンベエの小さなシールを椅子に貼った
何で気に入らないシールなのに貼ったんだあの時の私は 知り合いから教えてもらった副業情報ドットコム
暇な人は見てみるといいかもしれません
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TCWG4 5、6歳頃かな
休みの日でソファでゴロゴロしてたら、ふと「あれ?よく考えたら魚にもゾウにも、人間にも目が2つある…
別に1個でも5個でもいいはずなのに、みんな共通して2つあるって、なんかすごい…何か共通するような、ものすごい重要な秘密があるに違いない!!」
って世紀の大発見をしてしまったような気持ちになって、心臓がばくばくした
その後中学校で進化論を知り、なるほどこれかーと納得した
その後大学院出るまで生物専門したけど、この時の衝撃が影響したと思う 赤ちゃんの頃の何となくの記憶だけど
この世の何もかもが辛くて、悲しくて大泣きしたのは覚えてる >>730
そういうの聞くと、赤ちゃんでもただ泣きたい気分なだけみたいなのってあるんだな 4歳の時に、2歳の弟と父親と入浴していて、結構大きな地震があって(食器棚や箪笥が倒れるくらい)地震に気付いた父親が、弟だけ連れて避難し、揺れる浴槽の中で呆然としていた記憶がある
今なら小さい弟が優先されたのは当然だと思えるが、当時は待望の長男ばかりが可愛がられていて、私はいらないのか、と思っていた
その後、ビデオデッキにビスケットを詰めたのは私なのに弟のせいにしたりして復讐したり、我ながらひどい姉だと反省したため、たまに飯を奢って罪滅ぼししています 2歳くらいの時にオトンの自慢の車によじ登り滑り台のようにして何十回も滑ったり飛び跳ねて遊んだ
当時は小さい子だけで外で遊ぶのも普通な時代だったから父母が気付くのも遅く車は傷だらけに
小学生の時に「覚えてないだろうけどこんな酷いことしたんだよw」と言われた時に覚えてないふりしたけど、バッチリ覚えてる
車の価値を知らなくて、べつにいーじゃんしつこいな…と思ってたけどとんでもねぇよね
ホント申し訳ない 4歳と2歳なら4歳おんぶ2歳抱っこで逃げられるわなぁ
ちょっと「ソフィーの選択」を思い出したわ >>734
2歳の背丈でよくクルマによじ登れたね
運動神経良かったのかな
アッパレだわ >>733みたいbな仕打ちをうけたらきっと私は一生ゆるさない >>733
お姉ちゃんなら自力で逃げられると思ったんだろうが、父ちゃんそりゃないわ 保育園行ってた頃、相性の悪い男の子がいて毎日いじめられて泣いてた
ある日お散歩に行った先の公園でまたいじめられて、私も甘ったれで泣き止まないのも悪いんだけど先生も呆れてもう置いてくからね!と言って本当に置いてかれた
…と思っただけで実はこっそり見てたのかも
というのも、置いてかれた私はこれ幸い、こんなトコやってられるか家に帰ってやる!と1人で家まで歩き出し、500m程歩いた所で後ろから先生に追いつかれ、あえなく連れ戻された
勿論その件は親に報告が行って、その日のうちに何でそんな事したと問いただされたけど、
私はとにかくいけない事をしてしまったという思いで一杯で、追いつかれた時に先生に怒鳴られた事もトラウマみたいになって、何も答えられず泣くばかりで親には何も言えなかった
そこの保育園は園児に裸足で野山駆け回らせるような野育ち系の所で、繊細で甘ったれでインドアな幼児だった私にはカラーが合わなかったんだと今にして思う
でもその時は保育園は行かなきゃいけないもんだとしか思わないから、親に「行きたくない」なんて言う選択肢がある事も知らなかった
全部自分の中に抱え込んで、毎日お腹が痛くて、給食も食べられないのに全部食べるまで席を立つ事は許されなくて、毎日皆が食べ終えて遊んでる中1人ぼっちで机に向かわされ、すごく辛かった
自分の子供は今1歳、園に入れる時はよくよくそこのカラーを見て選ぼうと思う。今は食べきるまで許さないとかさすがにないと思うけど、合わない場所に放り込まれて逃げ場がないのは本当に辛いから >>740
読んでで胸が苦しくなった
ツラい経験したんだね
私もいつも苛めてくる男の子がいてお昼寝のお布団が必ず隣で
寝ようにもちょっかいかけられるしで嫌な思いしたの思い出した
自身の体験からお子さんの性格に寄り添ってあげることでポジティブに向き合ってて素晴らしいわ >>740
その時は保育園は行かなきゃいけないもんだとしか思わないから、親に「行きたくない」なんて言う選択肢がある事も知らなかった
昔は不登校ってなかったよね
いじめられてた子も学校に来てた
いまはいじめられたらすぐ不登校でしょ
昔のほうがメンタル鍛えられてた気もする・・・ メンタル"鍛えられた"結果が大人の虐めだしハラスメントだし引きこもりだからね。
嫌という表現はできたほうがいいし、抑圧はどの世代でもないほうがいい。
今のほうが自由でいいよ。 >>743
不登校から始まってその後ずーっと引きこもりよりは、昔のほうがいいよ >>742
昔っていつ頃?
自分が小学生だった30年前でも不登校ってあったよ
あなたの周りにいなかったか気づいてなかっただけでは? したくないことしなくてイイヨ?で育った薄弱メンタルは
お前って言われただけで会社やめるんでしょwww 薄弱メンタルの私はお前って言われたらキュンと来るわ。
逆にあんたって言い方が下品に感じる。 4歳ごろ
幼稚園の夏祭り(夕方に園に集まってやる)に母と行った
帰りに火のついたろうそく入りの提灯を貰って「大事に持って帰ってね」と言われた
私の持ち方が悪かったのか火は園を出たすぐくらいで消えてしまった
そしたら「まーたやってる!いつもそう!あんたが悪いから消えたよ!!」と責められた
消えちゃったねとなぐさめてほしかった
そんな提灯の火くらいで激怒しないでほしかった
親の怒りってすごく悲しくてたまらなかった
楽しいことがあっても親が怒ってると全て帳消し
本当に親が全てで生きてたなって思う >>750
あああ、身につまされる…
イライラしてるとどうでも良い事に怒鳴っちゃったりするから、ホント気を付けたい
沢山怒鳴っちゃってゴメン…
書き込んでくれてありがとう >>750
まじで省みようと思う。
親が世界のすべてだもんね… 幼稚園の頃かな、四つ葉のカタバミ(シロツメクサではない)を見つけた。
それ以来1度も見つけられたことはない。
取っておけばよかった。
たくさんの苔の形も覚えてる。
傘のような苔を小さいパラソルに仕立てて脳内おままごとをしたり、砂粒を色分けしたり石英だけピックアップして集めたり。
今は子が道路にしゃがみこんで砂ぼこりを触ろうとすると、汚いよと言って歩くのを促してしまうけど、
もっと遊ばせてあげないとなぁ… >>750
ああー、一行一行身につまされた…
私も怒る時に余計なこと言ってしまうし些細なことで変に激怒したりしてしまう
子供は親が全てってそうだよね
自分がされたら嫌なはずなのに忘れてしまってた 夜泣きで抱っこされてる時背中トントンされると気になって眠れず
余計泣いてしまった、普通に抱っこで良かったのに 幼稚園か保育園の時、父親が間違えて進入禁止の道路に入っていって警察に捕まったんだけど、
その時私は後部座席に座ってた。
車外で警察とやり取りしてるのを見ながら、私はもう死んじゃうんだと思った。
お父さんが警察に連れてかれちゃう。
きっと私も牢屋(刑務所という単語はまだ知らなかった)に入れられるんだ。
そんで拷問をされてお母さんにも会えずにお家にも帰れずに死んじゃうんだ。
と本気で怖かった。
怖すぎて泣くどころではなかった。
その後普通に父親は車に乗って引き返して帰ったわけだが、しばらくは逮捕されるかと思って戦々恐々としてた。 一歳ならないぐらいだったかなあ
父の友人が訪ねて来た時に十分ぐらい泣き続けてすぐ追い返した事があったんだけどその時の事を覚えてる
明確に言葉にして考えてたわけじゃないけど「この人が帰るまで泣き続けてやる」というような感じの事を思って泣いていた
この出来事以外は覚えてないけど、三ヶ月ぐらいから本当に人見知りが酷かったらしいのでいつもそんな気持ちで泣いてたのかも 3歳くらいの時
父が単身赴任で週末に帰ってくるんだけど、母としょっちゅう喧嘩していた
夕食の後とか一人で寂しそうにお酒飲んでいてそれがすごく気の毒だった
とにかくお父さんを喜ばせないといけない!と思って、帰ってくるときは車の音が聞こえたら玄関出て走って迎えにいったり、布団に入り込んでお話聞かせてと言ったりすごく気を遣っていた記憶
両親の喧嘩もすごく嫌で自分を否定されているみたいだったけど、とりわけ母に腹が立っていた
今から思えば義両親と同居で平日夫いないなんてよく耐えたなと思うくらいだけど >>124
大人になった時に戸惑わない為や旦那の亀がかわゆく感じたやろ? 飛行機が空を飛ぶとゴーって音がするじゃん。
あれ本当に飛行機だなんて思ってなかった。
だって音がしても見上げたら飛行機はいなかったから。
だから近所のおばちゃんに「これ何の音だろう?」って聞いたんだけど、当たり前だけどおばちゃんは飛行機だよって答えてくれる。
それを聞いた幼稚園生の私は「なに言ってんの?」と引いてた。
いやいや飛行機いないじゃん、と。
飛行機は見えなくなっても音はまだ聞こえるのよって教えてくれたのに、「あー…まぁお年寄りは耄碌するもんなぁ…」とまた引いてた。
書いてて恥ずかしいし失礼だしもう自分をしばきたい。 小さい頃、テレビで空襲の番組見てたから飛行機の音聞くと怖かった
あと近所にあったガスタンクが爆発すると世界が滅ぶと思ってた この世のものではない、他の人には見えない存在が見えるという設定に憧れてた。
なので誰もいない空間に向かって喋ってた。
万が一親が頭の病気を心配してたらと思うと…
10年早い中2病を発症してほんとすみませんでした。 >>762
わろた
うちの1歳児もそうだといいな
お盆の時期に誰もいない壁の上のほうに向かってキャッキャ笑いながら宇宙語しゃべってたよ 2歳児育ててるけどいいスレだね
自分の1歳くらいの記憶
うちの母はよく私をおんぶ紐で背負ってご近所さんと井戸端会議してた
私はゆらゆらされながら母の体温に包まれて、母の背中に耳をぴったりくっつけて骨伝導みたいに響く母の声を聞くのが大好きだった
次は3,4歳くらいだと思う
一度だけ便秘になったことがあって、母に付き添われてトイレで踏ん張ってた
筋力使うのが下手なのか、ある程度までいきむともっといきみたいのに何故かうえ〜んって泣いちゃうんだよね
力いっぱい頑張りたいのに泣くばっかりで、母に「辛いね、痛いね」と慰められて「違うんだよぉ」と思っていた
自分の子が便秘になるたびにこのことを思い出す >>764
前半はすごくホロリときたのに後半で笑っちまったwww
いいお母さんだね 幼稚園年中組の時にクラスで鬼ごっこをした
私はすぐタッチされたけど実はルールを理解してなくて、誰も追いかけず1人で遊んでた
そしたら先生が来て「鬼をやるのが嫌だからって逃げるのはずるだよ」と言われてすごくびっくりした
ズルする気もなくて、何なら鬼になったという認識もなかったから
空想の世界にいることが多くて何考えてるかわからないみたいで先生からはよくキツく注意されてた
自分は砂をふるいにかけて小さい石ころが残るのは何でだ?と考えたり動物や草花の観察が好きだった
お話を考えて一人芝居するのも大好きだった
でもそういう所はおかしいとガチガチに押さえ込まれる感じで行きた心地がしなくて凄く苦しかった
小学生になってから絵画や作文で入賞するようになり、そこからまた伸び伸びできたから良かった
あと、子供に分からないと思って大人同士であれこれ言ってるのは結構分かる
我が子が近くにいる時に雑談で貶してる親がたまにいるけど絶対やめるべき 幼い頃団地に住んでた
時期的に多分2、3歳の記憶
出掛けた帰りに4階まで登るのが嫌だった
足が痛くてしんどくていつも家が近付くと車の中で寝たふりしてた
すると父親が抱っこして連れて帰ってくれた
4歳のときに行ったディズニーで弟だけバギー貸出してもらってて自分も足が鉛のように重たくて歩くのしんどかったのに歩かされて辛かった
それを思い出すと、子供が歩きたくないって駄々こねてるときそうだよね脚がだるいよね抱っこしてあげるって思う 子どもの身長や脚の長さを考えると
階段の昇り降りは大人以上に体力を使う
電車の中とか子どもは立ってろって言われても
子どもが大人に混ざって立ってると身長差的に圧迫感があってしんどい 私の身長が140台だからよく分かる。
旦那とは階段における負担が違うんだよ…と思う。
歩きたくないなら無理に歩かせなくてもいいよねほんと。 幼稚園の頃祖父が亡くなった。
急に幼稚園から帰されて、いつもは夕方まで親戚の家に預けられていたのにその日は自宅直行だった。
何人か大人がいて、母が泣いていた。
気丈に振る舞っていたように思う。
おそらく私は死を分かっていたけど、すんなりその事実は受け入れてた。
今思えばもっとたくさん話を聞きたかったなぁ。
その母がさっき倒れて、予後がかなり悪い。
2歳の娘も、私の様子を覚えてたりするのだろうか。
幼い頃から母から愛情をたくさんもらって、具体的な記憶はそんなにないけどその愛情の深さだけはしっかり覚えてる。
その愛があったから、たくさんの事に挑戦できたり挫折しても立ち上がれた。
まだ幼い娘にも、同じように愛情を注いでこの愛情を忘れないでいて欲しい。 具体的な記憶はなくても、大切にされた記憶ってちゃんと残りますよね。
私も子供にしっかり愛情を注いでいこう。
お母さんが良くなりますように。 自分の脳内の声と普通の話し声の区別がついてなくて、頭の中で考えていることも周囲に聞こえているんだと思っていた
なのでさっきまで考えてたことが相手に伝わってる前提で続きを話しはじめたりしてた
当たり前だけど伝わらなくて、あれ?と気づき始めたけどとても信じられなくて(こんなにはっきり聞こえてるのにみんなに聞こえないはずない!と思ってた)
脳内で(お母さん!)と呼びかけて「今の聞こえた?」と尋ねてみて試したりしてようやく理解していった記憶
母は何のことやら分かってなかったと思う 保育園の頃だから3歳くらいかな?
今から35年くらい前のこと。
乱暴者の男の子がいて、いつもみんな泣かされてた。
悔しくて悔しくてなんとギャフンと言わせたかったんだけど腕力じゃ叶わなくて悶々としてた頃。
その男の子が運転してるお母さんの膝の上に乗って登園してきた。
それを見たみんなが甘えっ子ー!!って一斉に囃し立てた。
私もここぞとばかりに馬鹿にした。
でも実は内心少し羨ましかったんだよね。
私の母はねだっても絶対に運転してるときは膝に乗せてくれなかったから。
それ以来その男の子はわりと大人しくなった気がする。
そして私は母が助手席にいるときは膝に乗るようになった。
しかも中一まで。
ある意味黒歴史。 なぜか母親に抱っこされた記憶があんまりないなぁ。
めっちゃ溺愛されてるし私も大好きなのに当たり前過ぎて逆に覚えてないのだろうか?
もったいねぇー 節分の時期なので、2歳半ごろの節分の記憶を思い出してカキコ
両親と私で豆まきしてたんだけど、両親のかぶる、鬼の代わりのおかめのお面が怖かった
自分が鬼役すればお面見なくて済むと気付いて鬼役することにした
しかし、お面かぶって廊下からリビングに入っていくと、廊下の突き当たりの姿見に自分の姿がうつって不意にお面が見えてしまった
怖かったけど、ここで怖がったらかっこ悪いと思って我慢して、そのまま鬼役を続行した
自分の子がもうすぐ3歳になるけど、こんな小さくてもこんな考えたり見栄張ったりするしそれを覚えてるんだと思うと下手なことできないな、と身が引き締まる ROMってたら発表会ネタが出て来て思い出した
幼稚園の年中のときの発表会が白雪姫だった
予めクラスでディズニーの白雪姫のビデオを見てから好きな役を一週間の間に考える、だったと思う
何故か私は森の動物のロバになりたいと思い、
しかもそれが人生の中での一番の閃きくらい得意げでクラスの子に自慢しまくった
そしたらみんなもロバって最高!となってしまって、配役決めの時にクラスの半分以上がロバ役を立候補
そもそもロバなんていた?!と先生は大混乱したのを覚えている
急遽動物役を増やして私は念願のロバ役に
ロバだけで5人くらいはいたと思う
誰がロバになるかで喧嘩をしすぎて似た馬も増やすからと先生がなだめてたような
しかし、最後の最後で鏡役があと1人足りないと言われた
先生はと凄く困っていて、しかもすでに決まっている鏡役の男の子2人は仲良い子達
ここで私が鏡役をやればこの場が収まってみんな幸せ!と思ってロバ→鏡役に変えた
先生と鏡役の子達にお礼を言われてコロッと鏡サイコー!と肩組んで踊ってた
衣装合わせやリハーサルで親の出番が多いのだけど、私の鏡役の衣装は白のフリフリのお姫様みたいな衣装でとても可愛くて母は大興奮
ロバと馬はあまりにもリアルな被り物で、ロバ馬役の保護者達はザワザワしていたそう
何故ロバが多いのかを先生から聞いて知っているうちの母は、とにかく気まずかったらしい
母はこの話をよくネタにしているけど、自分が園児の子供を持つとただの面倒くさい嫌な子供じゃんと思ってしまうわ
悪意はないんだけど、可愛くもないロバを広めて自分はちゃっかりフリフリドレス着てるなんてね >>778
ワロタwww
ロバの子たち自身は満足して終えれたのかしら
鏡いいなーなんてならなかった? >>778
長文なのに一気に読めたw
情景が浮かぶわw >>779
親同士はあったみたいだけど子供同士は自分の役に誇りをもっていたと思う
特にロバと馬は被り物製作が難しくて園長先生や色んな先生たちが関わって結構な力作で、他の役の子もみんな交代で被ってた
むしろ私ちゃんはロバが出来なくて残念だね終わったら貸してあげるねって言われてた
当日は私は緊張して可愛いスカートに嘔吐して結局かぼちゃパンツで踊ったから母は不満がってたけど だめだID:IQrSouWXが面白すぎるww
腹筋崩壊
くやしいわww シモ注意ごめん
何か参考になればと思って
2〜3歳児スレで幼児自慰が話題になってたけど自分してたわ
目でものが見える!すごい!
指を動かせる!すごい!
ここを押さえたら気持ちいい!すごい!
みたいな幼児によくある体感覚探求の延長でやましい気持ちは何もない
ストレスがあったわけでもない
よくストレスが〜とか言うけど関係ないと思うただ偶然発見しちゃっただけ
母が悲しそうな顔をしてたから人前ではしなくなった
それが自慰だと知った思春期に罪悪感が半端なかった 幼稚園の3〜4歳くらいのときかな
外のお砂場で少し離れたところにいる先生を大きな声で呼んだら
「そんな大きな声出さなくても聞こえてますぅ〜」って迷惑そうな顔ですごく意地悪っぽい言い方されて悲しかった
自分は子供の声が大きすぎても
「今のはライオンさんの声の大きさだったね
ネコさんの声の大きさでも大丈夫だよ」
みたいな言い方をしてあげようと思った >>783
私は自慰ではないけどこっそりパンツずらして露出してた。
人から遠く離れたところや建物の影で。
エロいこととはっきり理解してた上で、見られるかもしれないというスリルを楽しんでた。
ストレスとかは全くなかった。
完全に変態ですありがとうございました。
2年くらいでやらなくなったかな?
小学生に上がったらやらなかったはず。
なんだったんだろう、不思議。
今二才の子が自慰まではいかないけどお風呂の時に触りたがる。
痛くしないで、汚い手では触っちゃだめよとは言ってるけど、対応にすごく困ってしまう。 私はストレートに自慰じゃない分ちょっとこじれてたと思う
上半身裸で仰向けになって手術ごっこをしていた
親が見ている前ではなんとなくダメな気がして朝誰よりも早く起きてこそこそやってた
おもちゃをお腹にあたる程度だけど今思うと凄く興奮していた
しかも戦隊モノでヒーローが敵にボコボコにやられるのを見ると胸がザワザワして多分大人でいうムラムラ
だから手術ごっこをしながら自分は戦隊のブルーで敵にエロい実験をされている妄想もしていた
両親は自営で忙しく2歳から留守番したり朝から晩まで託児所だったので寂しかったのもあるかな
この頃から大人になってからもマニアックな性癖は変わらず悩んだりもした
今じゃただの干からびた子持ちおばさんだけどたまにウルトラマンを見て当時の気持ちや出来事を思い出す
流石に今は興奮しないけどね >>786
寂しかったのは辛かったね。
でも自分も回りも傷付かないように幼いながらも消化できてたのはよかった。
しかし戦隊ものはやばいよね。
私もピンクが蜘蛛の怪人に糸でぐるぐる巻きにされたので目覚めたわ。
さらに言うと父親が持ってた美術絵画図録の楽園追放とか地獄草紙の絵を見てムラムラしてた。
あまりそういうものは見ないようにしなさいと母親に怒られたなぁ。
手術ごっこではないけど、脳内妄想でエロい部位だけ切り取れば余計なものがなくてもっとエロくなるじゃん!!と猟奇的な拗らせかたして、脳内スプラッタ(ブロックみたいに外すだけで血は出ない)を楽しんでた。
でも自慰は全然しなかった。
しかし変な性嗜好という自覚は幼い頃からあっても全く悩みはしなかった。
むしろ楽しむ幅が多いと思ってた。
そして私も今はもう干からびて興奮しない。
さすがにあれなんで消えます。 幼児は基本的に暴力的なもので性的興奮を覚える
それが成長すると所謂エロいものへ対象がうつる
ここでキチンとした脳の発達ができないと、サカキバラセイトみたいに大きくなっても暴力的なものに性的興奮を覚えたままになってしまうのです 祖父が他界したのが私が3歳半のときらしいけど
元気だった頃のことを少し覚えてるから2歳〜3歳なりたてくらいの記憶かな
なんとなくでじいちゃんの真似(行動&言葉)をしてみたら嬉しそうに笑ってて
それを見た自分も嬉しくなった
あとは病院にお見舞いに行ったときだからこれは三歳過ぎかな
私達が行ったらしんどそうなのに頑張って体を起こしてくれて
それを見て「無理しないで横になってていいのに」って思ったけど上手く言葉にできなくて
抱えてた猫のぬいぐるみを黙ってぎゅーっとしてた >>790
涙出そう
おじいちゃんエピソードに弱いわ
小さいのにおじいちゃんを気遣えたんだね
おじいちゃんも孫が来てくれて嬉しかったね 私も祖父と同居してたけど関係がかなり希薄で亡くなったときは死を理解してたけどほぼ無感情だった…
会話を覚えてない。
でも一緒に畑作業(私は遊んでるだけだけど)をしたりして、祖父のキリッとした上腕二頭筋をよく覚えてるw
その後ほぼ交流のなかった祖父の双子の兄に預けられた(幼稚園の後は今のように預かり保育がなかった)んだけど、そこの家は大きくて模造刀があったりしてトイレがめっちゃ怖かった。
無意識に鍵をかけちゃって出られなくなってギャン泣きして、トイレの窓から指示されてやっと出られた。
その後トイレが怖くなって、庭で●したけど怒らなくてありがとうございました。
そこの家で過ごした時間(夕方だけだけど)は五年間くらいかな?
色んな経験をして、とても鮮明に記憶に残ってる。 3歳くらいだと思うけど、車の後部座席で眠ってたんだ
で、車が信号か何かで停車した時にふと目覚めたら隣の車線にはトラックがいて、その運転手さんがニッコリ笑って私のことを見てた
今思えば可愛いなって見てたんだろうけど、私は「寝てるとこ見られた!」ってすっごく恥ずかしくて毛布で顔を隠したのを覚えてる 車で思い出した
車に乗ってるとき、信号待ちで止まると隣の車線で止まってる車の中の人にじゃんけんをしかけてた
わりと気付くとノッてくれる人多くて嬉しかった記憶がある >>794
思い出した、私もやってたわw
最近はのってくれる人少なさそうだよね >>776
亀だけど、私も抱っこの記憶は全くない
でも6〜7歳くらいの時、寝る時に布団の中で母に強めにぎゅーっと抱きしめられて、
痛いしお口が臭いなって思った記憶が鮮明に残っていて、思春期や成人して以降もそのときのことはふと思い出す
兄弟に比べて自分で愛されてないんじゃ?厳しいばかりで母は私のこと嫌いなんじゃ?と思っても
あの晩、強く抱きしめられたことを思い出して「いや私は愛されてる」って確信できた
自分の子のことも、ちょっと大きくなってからも抱っこしたり抱きしめたりしてあげようと思う 母に抱っこされたのは覚えてないけど、父の膝に乗ってご飯貰ったりおんぶされてた記憶なら沢山ある
母抱っこは当たり前すぎて記憶に残らないのかな?
父との触れ合いがイレギュラーだから(当時出張が多くてたまにしか在宅してなかった)覚えてるのかって思った 自分も母に抱っこされてたのは思い出せないんだよなー
でも3歳の幼稚園の夏祭り(夜)の集合写真で、みんなは一人で立ってるのに自分だけ涙目で母に抱っこされてたから
日頃からことあるごとにべそべそして抱っこされてたんだと思うw
不思議なことに、物心ついたときからなぜか
母にとって自分は世界で一番大切なんだという確信があった 逆にに父のことは苦手で、二人で出かけるのも手を繋ぐのも嫌がるので父がいじけてたと母から聞かされたけど
覚えてるのは多分4歳くらいのとき
部屋で父がタバコを吸っていて煙が充満していて
「臭いからやめて」とお願いしたんだけど笑ってスルーされた
そのときに煙たいこと自体も嫌だったけど、父は私のことよりも自分の都合が優先なんだなと絶望した
あとは何歳か忘れたけど、海に家族で行ったときに父と海に入り
父がふざけて私を沖に一人で置き去りにして陸に戻ってしまった
浮き輪はあったから潮の流れに押されて陸には戻れたけど
頑張って泳いでも全然進まなくて
これ塩のの流れが逆だったらどうなってたんだろうと子供心に怖くなった 2歳半まで父の仕事の関係で海外にいたんだけど
色んな大人にほっぺに挨拶のチューされるのがすごく嫌だった
ぶちゅーとされた後の頰にひんやり唾液が残る感じが嫌で拭いたくてたまらなかったけど
好意でされているのもわかってて拭ったらいけないと思ってた
でもやっぱり我慢できなくて結構拭ってた
あとこども用のブランコがすごく好きでよく親に乗せてとねだってた
大人の腰の高さくらいに鉄の箱のような座る場所がついてるブランコだったから自力では乗れなかった
もっと乗せて欲しかった 年中辺りから4月生まれのプレッシャーがしんどかった思い出
クラスで4月生まれは私だけだったみたいで、先生からも友達からも「お姉さん」「年上」って常に言われてた
同じクラスの子達から「年上」って言われると自分だけ違うみたいで寂しかった
5月6月生まれの子達からも、冬になっても年上扱いされてたのは謎だし本当に嫌だった
引っ込み思案だったのに4月生まれってだけで「リーダーさん」やらされてたのも嫌で逃げたかった
実際、一番背が高かったし周りより落ち着いてたと思うけど、みんなよりしっかりしなきゃっていつもプレッシャー感じてた
まだまだ幼かったのに可哀想だったな、私
自分の子は絶対に4月生まれだけは避けてあげたくて、秋と冬生まれにした
真ん中くらいで丁度いいし心地いい 1歳位ででつかまり立ちをしてた時の記憶なんだけどベビーベッドから立ち上がって電気のスイッチを押したくて仕方ないんだけど微妙に身長が足りなくてどうしても押せなくてイライラして泣いた 幼稚園の時、すでに今でいうアニメ絵を描きまくってた。
友達からも「顔の輪郭描いて」とか言われてた。
今思うとかなり上手かった方だと思う。
見直すと小学生くらいの絵と言われても過言ではない。
やっぱり少し年の離れた姉がよく描いていたのに影響されたんだろうな。
今も絵を描くのは好きだけど、違う道を選んだし子供がいると中々本格的なものは描けないしデジタルにもほとんど慣れてない。
よくあるラノベのように転生できたら絵師を目指してみたい。 たぶん4歳くらい
習い事で水泳やってたときの記憶を急に思い出した
息苦しいのが苦手で、けのびのときに途中で顔を上げてしまったときに
「他の子はみんなできてるのになんで○ちゃんはできないの!」って先生に怒られて
子供心にイラッとした
今は思い返してみても、その理由を見つけてどうにかするのがお前の仕事だろがと思う
あとは、スネの絆創膏が剥がれかけててそれが痛くてバタ足を思い切りできなかったときに、
「ちゃんとやりなさい!」って頭ごなしに怒られたのも嫌だった
他にもいろいろあったんだろうけどとりあえず思い出せるのはこれだけ
楽しかった記憶は全くない
あっさり辞めさせてくれた親には感謝してる >>805
水泳私も幼稚園のころやってた。
冷たい水に入る意義が分からなかった。
怒られはしなかったけど、泳げなかったから放置されてたな。
同じく楽しい記憶がない。 >>805
うわー私も思い出した
友達家族の紹介かなんかで水泳教室の体験に行った
こっちは超初心者でかろうじて水に入れる程度なのに、はい泳いで!と言われた
こっちは泳ぎ方を一から教えてくれると思ってたからさっさとやれと言われてもできない
ほとんど何もできず壁にひっつき、しまいに無視されて最後どうやって終わったか記憶にない
私のことが気に入らなかっただけかも知れないけど、何も教えず泳げ泳げって言われても幼稚園児には無理だろって
ちなみに友達の親に連れて行って貰ったからうちの親は現場を見てない
何回か通う体験コースだったけど、もう行きたくないと言ったらすぐ了承されたから良かった
普段は何事もやり遂げろって言う親なんだけど、よっぽど私が嫌そうだったのかな こういうときにさっさと辞めさせられる親でありたい。
ただのワガママなのか、本当に向いてないのか、理不尽な扱いを受けたのか、見極めるって難しい… >>808
わかる
自分はバレエを年中の始め頃から習い始めてたらしいんだけど、休みたかっただけなのに「やすみたい」が言えず「やめたい」って言葉を間違えてしまって、辞めたくなかったのに辞めることになってたの覚えてる
思い出したので長文スマソ
その日は、送迎がいつもの母親じゃなくて父親だった
女の人がいっぱい居る中で父親だけ男の人だったのが恥ずかしくなって泣き出して「やめたいのー!」って教室で叫んでた記憶がある
帰りにいつもは買ってもらえない缶のオレンジジュース飲んでルンルンの車中、キレ気味の父親から「もうバレエはなし!」って言われて、「うん!」って返して次はお母さんが送ってくれると良いなって考えてたところまで覚えてる
バレエ自体は身体が柔らかくて教室行けば凄いねって褒められるし、可愛いお姉ちゃんがたくさんいて好きな雰囲気だったから当時は辞めたくなかったんだよなぁ わかる と書いたけど、辞めたくないのに辞めることになった話書いてたわ
年中年長にもなれば今後ずっとやりたいのかやりたくないのか、今回だけが嫌だったのか意思は固まっていそうだから、次も行きたいかどうか聞いて次も行きたくないと言えばさっさと辞めてあげた方がいいんだなーと、この流れ見てて思った 習い事に執着する親って一体多数いるよね
そりゃすぐ辞めまーすが良く無いのも分かるけどさ
前に別のところにも書いたことがあるけど母はとにかくピアノに執着してた
どれだけ学業や日常生活に支障が出ても辞めたいって言葉を絶対に言わせない空気を作られたり、先回りで抑えられたり
一度だけ泣きながら辞めたいって土下座したら髪の毛引っ張られて往復ビンタされて言葉になってないくらいに怒鳴られて吹っ飛ばされた
そもそも私がやりたかったは、良くある楽しく好きな曲を弾きましょうってのだったけど、母は変なところで本格思考でクラッシックしか認めないような教室に入れられた
発表会がないかわりにプロのオーケストラと一緒に弾けるコンクールがあって、それに出ることが誇りのようだった
参加費だけでも数万するんだから一次選考なんて誰でも受かるのにね
自分の自慢の材料や見栄だけのために習い事を強いる親にだけはなりたくないわ ごめん学業の歳まで行くとスレチだよね
ただ、どうすれば親は喜ぶかとか私になんて言って欲しいかとか、そういうのは年少の時点で分かってた記憶がある >>811
辛かったなぁ…頑張ったねぇ。
上の辞めたくない話もあるけど、色々考えさせられるよほんと。
でもほんとに、自分じゃなくて子供のプラスになるように動きたいと切に思う。 多分1歳頃の記憶
豆電球がついてて母に抱っこされてワーワー泣いてた
母が何とか泣き止まそうとしてるのは何となくわかってた
だけど、何か嫌なことがあって泣いてた訳じゃなくてただ泣きたいから泣いてて泣くのが気持ち良い?みたいな感覚
なのに何で泣き止まそうとしてるんだろう?って思った記憶
自分が母の立場になってどこかで「お腹も空いてなくてオムツも濡れてなくて何ともないのに泣いてるのはただ泣きたいだけだ」
ってのを見て、あの時そうだった!って思ったわ >>815
0歳や1歳の頃の記憶がある人ってたまにいるけど、他にもその頃の断片的な記憶があったりするの?
それとも覚えてるのは1つだけなのかな?
凄く不思議でとても気になる 育児板でお迎えのときや公園でよその子が絡んできてウザい 喋りかけてきてウザいって言うのを見かけてふと思い出した
私は放置子ではなかったけど4歳くらいのときから周りが子供過ぎて大人と話してるほうが楽しかった
とはいえ自分もまだまだ子供できっとウザがられてただろうな
露骨に嫌な態度取る人には絡まないようにしてたし優しい人にはどんどん喋ってた
子供ながらに子供が嫌いだった
ちなみに今も我が子以外の子供が嫌い >>816
自分は生後7ヶ月まで住んでいた家については3つの場面を覚えています
ただ印象深いことを断片的に記憶していることに変わりはないかな
記憶に時間の流れが伴わないので
>>817
自分もそうだったなぁ
誰かのお母さんだと自分の子供が1番で他の子までかまっていられないというのはわかっていたので家で叔母たちと話していた >>816
断片的な記憶がちょこちょこあるよー
これも多分1歳くらいの記憶
泣いてる時に口をアワワワワーってされると笑っちゃってたんだけど、ある日反骨心?が湧いてきてアワワされても笑うもんか!って母の手を押しのけて泣き続けた
母の焦ったような困ったような雰囲気も覚えてる
子どもって分かってないようで相対する大人のこと意外とよく分かってるはず >>816
私は一つだけ。
昼間ベビーベッドで寝てて、メリーと天井を見てた。
それだけ。 多分5・6歳の頃だからちょっとスレチかも知れないけど
父親に紙と鉛筆渡して何か絵を描いてと頼むと、ひらがなで大きく「え」と書かれて返された
大人ってずるいわ…と感じた思い出
中二で父を亡くしたけど今では自分も子持ちになり、ふと思い出した 絵で思い出した
3歳くらいの時かな、父と一緒にお絵描きしていた
父が独特かつド下手なタッチで変な馬とか人の顔とか描いた後に母が来て「なにそれ!」と笑った
父はしれっと「これ○○(私)が描いたんだよ」と言った
すると母は信じたみたいで「そうなんだ、上手いじゃんお父さんかと思ったよ」と言ってきた
私もうまく否定できなくて嘘言われたのもショックで頭が混乱した 自分も同じ対応をしてしまってふと思い出した
小さい頃に母に遊ぼうとかどうやってやるの?と声をかけると「自分で好きなようにやりなさい」と言われるのが凄く悲しかった
我が家の場合はだけど、自分で好きなように=1人で遊んでなさいの意味合いだったから
母はいつも忙しそうで時間に追われていて、サラッとこの台詞を言われることが殆ど
どうやってやるの?やり方教えて?何色がいいと思う?
これ全部母と一緒にやりたくて構って欲しくて言ってたんだなと思い出した
私も家事に追われていると子供に同じ台詞を言ってしまうことがあって、そういうことじゃないんだよなと反省
極力言葉だけでも参加するようにしている >>821
うちの父もそれやりそうなタイプだw
そのうち孫にもやるかもしれないw
ひょうきん?で嫌いじゃないけど、子供はもうっ違う!って思うよね 2月生まれなんだけど一年過ぎてちょっと経った4月に親戚の家に行ったことを覚えてるよ
そこの家の年上の子達がジェンガをしていて私もやらせてもらおうと手を伸ばしたらあなたはまだできないよーって引き離されてしまった
内心は何言ってんだできるわって感じだった 初ディズニーランドは5歳の時に叔母に連れられて行ったんだけど、
自分の兄弟といとこ達含めて6人の未就学児を叔母が1人で連れて行ったので(今思うと超人だわ
電車内でもパーク内でも子沢山家族に間違われて見知らぬ大人達から
「6人兄弟なんだ、凄いね〜」みたいな事を何回も言われて恥ずかしかった
「違うのに!」と思いつつも子供だったから否定も出来ず黙り込んでた
ディズニーランドで遊んだ記憶は一切残っていなくて、その恥ずかしかった記憶だけ鮮明w 保育園だから2歳だと思う。
(3歳から幼稚園だし風景が違うので)
たまに出てくるお昼のスパゲッティがすごく美味しくて大好きだった。
ツナとか絡んでて。
でもうちで出てくるスパゲッティとは違う味だしどんな調味料とか想像が至らなくてそれ以降食べられなくて残念だった。
対照的にホットで出てきたオレンジジュースは許せなかった。
オレンジジュースを暖かくする意味が分からなかった。
大人になって件のスパゲッティは醤油バターだということが分かった。
あの保育園の味だ!とすごく感動した。
そして冬になるとホットオレンジジュースを重宝するようになった。 自分がたぶん、3〜4歳くらいのとき
一生懸命話しかけてるのにたまに母親が上の空で遠くを見たまま「うんー」とか「へー」とか気のない返事をするのが不満だったんだけど
(普段はちゃんと反応してくれてた)
今母親の気持ちがすごく分かる…
すごく疲れてる状態で、子に一日中どうでもいいことて話しかけられ続けてると最終的にはそんな反応になる 2歳の時の記憶
キャラ物の服は絶対着たくなかった。理由は子供っぽいから(子供だけど)
母が買ってきてたアンパンマンのジャージを着たくなくて泣いて暴れまくった
せっかく買ったのにと怒られ、どうやって着せられたかは覚えてないけどいつの間にか上下着せられていた
確かその日は何しても気分が乗らなかった
好きだった服の事もよく覚えてるから、服買う時は子供と一緒に選ぶようにしてる 自分は生まれつきビビリで慎重
知らない大人や大きな音や暗いところ、未知のものは全部怖かった
2〜3歳くらいのときにはすでに外で母から離れたら死ぬ!と思ってた記憶がある
(後から母にも、2歳で引っ越したけどしはらく母の後ろに隠れてたと聞いた)
なので外出先でも母としっかり手を繋ぐか後ろにぴったりくっついていて
勝手にものを触ったり手を振りほどいて走り出すなんてことは1回もなかった
そういえば親に怒鳴られたこともましてや叩かれたこともない
でもそれは生まれ持った性質なだけで別におりこうなわけじゃない
やんちゃな子も生まれつきなんだろうな…と思ってる 幼稚園の時に公園のはじっこにゴミをポイ捨てした。
(今から35年ほど前のことで、田舎のことだし幼児が一人で出歩くことは珍しくなかった)
そこにはいつもたくさんのゴミが捨ててあったから特に疑問にも思ってなかった。
が、ある時「ここはごみ捨て場ではありません。捨てたら犯罪です。罰金か懲役○年が科されます」みたいな看板が立ってたことに気付いた。
その途端血の気が引いて、いつか逮捕されて牢屋に入れられて拷問されるのかもしれないとしばらく怯えて暮らしてました。 虫注意
幼稚園年長のときにダンゴムシがたまらなく好きで帰りの前の自由時間に通園カバンにダンゴムシを沢山入れていた
家で母がカバンを開けたら阿鼻叫喚
一年生でもランドセルにしこたまダンゴムシを詰め込んで見つかったときの母親の叫び声声と涙目は今も忘れられない カプセルトイなのにカプセルに入っていない画期的商品ダンゴムシの発案者が、子供の頃にダンゴムシ集め熱中した人が結構多いのでそれもヒット要因と語っていたわw ふと思い出した。
自分はベビーベットらしきものにいるが、2歳近いかもしれない(産まれてから数年は障害があって歩けなかった)
すぐそばに姉がいた。離れた所から母が「〇〇(姉の名前)〜」と呼ぶのを聞いて
「自分も大きくなったら(姉とは6歳差)、名前は〇〇になるんだ!」と思った記憶が鮮明にある。
何で自分の名前が変わると思ったかは分からない 夜中に双子の妹の泣き声で目が覚めて、隣で寝てたはずの母がいない
抱っこしてもらってるんだ!私も!と思って私も泣いた
そしたら父が飛んできて抱っこしてくれた
ひやきおーがん飲んでた記憶もあるから両親(特に母)は夜泣きで悩んでたんだろうな
ごめんなさい >>837
可愛い〜〜
両親からしたら大変だったんだろうけどそんな風に思ってたなんて
ぜひ双子育児してる人に読んでもらいたいわ >>837
ほんと可愛い!!親は大変だったよねw
でも可愛い〜 近所の一コ上の子と遊んでる時に
対象年齢5歳のおもちゃを
4歳は遊んだらいけないんだよ!といわれ
遊んでもらえなかった
それ対象年齢やろ!それが理解できる私のが
確実にあんたより賢いわ!と内心思っていた トイレトレやってた時だから2歳位?
トイレに行きたくなってすぐに行けば間に合うのは分かってたけど、その時は何となく動くのが面倒くさかったからわざとその場(家のリビング)でしちゃった事がある
漏らしても怒らないですぐに拭いてくれるだろうって思っていた
案の定怒られず、失敗しちゃったのね〜とか言いながらすぐに拭いてくれる母
今思うと申し訳ない事をしたな 少しスレチだけど、私は0歳から保育園に通ってて、3つ年上の兄も同じ保育園なんだけど、保育園での兄の記憶が全くない
母が迎えに来てくれたのは覚えてるけど、兄が一緒に帰った記憶はない
だから兄が卒園までの3歳くらいまでの記憶はないということだよね
今娘も保育園通ってて2歳くらいには転園予定だから、ここの園の優しい先生の記憶は無くなると思うとちょっと寂しい >>842
わかる!ていうのもなんだか私の場合は変で
幼稚園の記憶はちゃんとあるのに同時期に通ったはずの兄と弟はすっぽり抜けてる
朝も帰りも園内での兄弟の記憶がない
運動会にしてもお遊戯会にしても参観にしても自分だけを見に来てくれていた記憶しかなくて
面白いことに兄と弟も同じことを言ってた
両親が上手に分け隔てなくしてくれてたんだなぁと思ったよ
よく年子は可哀想だとか可愛い時期に相手してやれないとか耳にするけど人によるなーと 幼稚園に1年、転園して保育園に1年通った
幼稚園は放課後?に希望者だけリトミックやってたみたいだけどうちはやらせてもらえなくて
いつもやる子だけ集められるホールのドアが閉まって中が見えなくなって
楽しそうだなあ何やってるんだろうと隙間から覗こうとしたりしてずっと羨ましかった
年長で転園した保育園は自分(ハナコ(仮))とほぼ同名の子(ハナちゃん)がいて
今までハナちゃんと呼ばれてた自分は何度も勘違いして「ハナコちゃんは呼んでないよ!呼んだのはハナちゃん!」としょっちゅう周りの子に言われてた
その子が髪の長いかわいい人気の子だったから
なんだかハナちゃんの座を追われたような気分だったw 年中の頃、お父さんが子どもの頃遊んでた遊びは何?て聞いてくるよう先生に言われた
父は家の中だけはすごくおちゃらけていたので(外ではプライド高い)聞いたらリカちゃん人形だな〜!と笑いながら答えたのでそのまま先生に伝えた
後日、父親参観で「私ちゃんのおとうさん→リカちゃん人形」とデカデカ壁に貼られた
その時の父の固まった表情とか色々悟って「!!」と思ったドキドキとか今だに覚えてる
みんなコマとかだったのに…父もまさか貼られるとは思わずおちゃらけたんだろうな 2・3歳スレで絵本を破った話が出たときのレス
なるほどーと思ったので甜菜
94 名前:名無しの心子知らず [sage] :2019/07/16(火) 12:57:32.40 ID:KK4e5yb/
隙自語失礼
私もスレタイ年齢の頃に絵本破いて母に心底がっかり顔されたことがある
その時はうまく言えなかったけど、お気に入りの絵本で特に好きなページがあったので、ここだけ持ち歩きたいなぁと思ったんだ
もしそんな感じの理由で破いたなら、コピーとってファイリング?スクラップブック?みたいなのはどうでしょうか
自分語りだしクソバイスだし的外れならスルーして 私は母親のおっぱいを吸ってる記憶があるんだよ
それと2歳の頃の家族の会話を音として記憶している
中学生になってからその音を呼び出して会話内容を理解できた
その時に家族が座っていた部屋の位置も記憶している 小さい頃迷子になる子どもの事が不思議で仕方なかった
親を見失うという発想がなかったから
けど迷子で親が必死で探しているシチュエーションに憧れてわざと姿をくらましてみた事があるけど騒がれる前にあっさり見つかって未遂に終わった
迷子になる子どもって親の事を一瞬忘れてしまう子ども以外にこんな子も実は沢山いるのかもしれない >>848
なるほど
子供は思っているより色々考えているよね
読んでて思い出したけど、風邪を引いた時に親が心配して看病してくれるのが何かくすぐったくて心地よく、大袈裟に痛いだのしんどいだの言ってみたことあるな わざとやる関連で思い出した
多分年少かな?お昼寝のある幼稚園だったんだけど、毎日必ず誰か(メンバーはランダム)がおねしょしてた
した子が着替えたり落ち込んでるのヨシヨシされたり手厚く構ってもらってるのが羨ましくて、わざとおねしょしてみたことがあった
当然だけどすごく気持ち悪くてすぐ後悔したけどお昼寝あけまで泣きそうになりながら耐えてた
当然母親にも報告されて、その頃既にトイトレも完璧で夜尿もなかった子だから何かストレスかと相当悩んだらしい
今思うと申し訳ないわ… >>848
わかる
自分もわざと迷子になって親に心配してもらいたい、かまってほしいって思ってた
テーマパークでは普通にお土産見てたり、お祭りでは屋台見たりしてた
迷子センターの存在は知ってたけど行かなかった
今思えばかなり迷惑な子どもだな わざとやるって分かる
自分は結構慎重な子供で、ワーッと走って転ぶとかちょっとした怪我するってことが全然なかった
でも転んじゃった…で親によしよしされるシチュを経験してみたくて、自分の顔に土擦り付けて「転んだ〜」って言いに行ったことがある
その時は思ったような反応じゃなくて、何でそんなに土が!?って感じて驚かれただけで終わった
3歳か4歳あたりだと思う
看病への憧れもあったけど無駄に体強くて全く機会がなかったな >>852
なんでそんなに土が⁉
想像して笑ったw 物心ついてから母に褒められた覚えがない
大人になってから母に聞くと、褒めすぎは教育によくないと思ってるからだった(褒めすぎというか全くだし今もそう思ってるみたい)
代わりに「あなたにはできない」「あんたには無理」という言葉ばかり
おかげで自分から何かしたいと思っても、どうせ自分には無理だとハナから諦めてしまうし、自己肯定感の低い子どもに育ったよ…
大人になって、あれ、意外と自分やればできる?みたいな経験が少しずつ出てきて今取り返してる?ところ
母は孫にも同じこと言うからそれは注意してる
褒められるって嬉しいよ
褒めて何が悪い
子どもには同じように思ってほしくない あと母に「何で?」「どうして?」と聞いても全然答えてくれず、わからないとばかり返された
めんどくさかったのかほんとにわからなかったのか不明だけど、この人は何も知らないんだな、と子どもながら呆れてた 書いてたらどんどん出てきた
幼稚園の頃だから3.4才かな
自分は4月生まれなんだけど、かけっこ速かったり字がきれいに書けたりレベルのことだけどそこそこできる子どもだった
でもすべて「4月生まれだから」で片付けられてしまってすごく不満だったな
逆にできないと「4月生まれなのに」と言われて、失敗するのが怖くなってできそうなことしかやらなくなった
うん、やっぱり自分の子どもは褒めてた育てたいな
自分のこと好きって思って生きていってほしい
思い出すと止まらなくなって連投すみません >>856
私も4月生まれなので凄くわかる
園児の頃、運動会で模範演技したり他の子より絵が上手いのを先生や他の保護者に褒められても
母が必ず「4月生まれだからね」と(今思えば)謙遜するのを横で聞いてて傷付いてたしプレッシャーも凄かった
そして入学して学年が上がるにつれて周りの子達に追い越されていく悲しさ・遣る瀬無さね
自分の子が褒められたら「好きみたいで」みたいに言ったり、「頑張ったもんね」って本人に振るようにしてる >>857
ああ、追い抜かれていく悲しさやるせなさすごくわかる
共感してくれてありがとう
これだけ書いたけど自分も我が子が褒められたりしたらつい謙遜して下げてしまうことがある
ほんと気を付けようと思う 幼稚園の頃かなぁ、普段そんなことないのに、夜中みんな寝静まってる時に突然すくっと起き上がって歩き出した事がある。
母が慌てて止めてくれたけど、私本人は何も考えてなかった。
何でそんなことしたんだろ?
でも反応が面白くて「誰かに呼ばれた」とか嘘ぶっこいてた。
当時80年代でオカルト流行ってたからそれに乗ってみたかった。
今思うとアホだなって思う。 >>859
幼稚園児から厨二病患者とはなかなか上級者だなw >>860
上の方で、見えないものが見えるとかっこいいと思ってたから何にもない空間に話しかけてたって書いたけど、オカルトに憧れる厨二だったのはもう否めない。
無邪気とはほど遠いや。
ほんと生暖かく付き合ってくれた両親には感謝してるわ… 幼稚園の時かな。
わりと大きな地震が夜にあった。
30年以上前で当時ですらボロ家屋だったからめっちゃ揺れて怖かった。
けど、両親が私と姉を体の下に入れて庇うようにしてくれて(ちゃぶ台くらいしかない)、その瞬間、ああ、もういいやって思った。
怖かったのが気が楽になって、絶望じゃなくて諦めたのが自分でもよく分かった。
というか、今なら幸せに逝けるなぁって思ったのがアラフォーになった今もすごく印象に残ってる。
大好きな家族と一緒に逝けるのは、この上ない幸せだなぁって。
だから幼い子供を含んだ一家心中の事件を見ると、「子供を巻き込むな」という意見が大半を占めるけど、
当の子供はそれでよかったと思ってるかもしれないよな、と考えちゃう。
家族がいない人生を受け入れなきゃならないなんて辛すぎるだろう、と。
絶対に人前で口にはしないけどさ。 親に脅威から守ってもらいながら死ぬのと、
親自身が脅威となって殺されるのではだいぶ違うのでは… うん怖さから体を張って守って貰った経験と親の勝手で命奪われるのを同一視出来ないと思う
飛躍しすぎだから本当に人には言わない方が良いね 保育園なので2歳までの記憶。
30年以上前。
・テレビでお母さんといっしょを見てた。終わったら遊びタイムだったんだけど、そのままニュース見るのが好きだった。
ていうか昔ってNHKは1局しかなかったのかな?
チャンネルは回さずにニュース始まってた気がする。
・給食の具なしスパゲティがすごく大好きだった。
社会人になって初めて、あれはバター醤油の味だったことが判明した。
・園庭にキリンのでかいオブジェがあった。が、登った記憶はない。 3歳までは泣き止み方がわからないからずっと泣いていたけれど、幼稚園に通い出してある日突然泣き止み方が分かって自分でコントロールできるようになった
それからずっと泣いていることがなくなった
今1歳児が泣き止まないときがあるけれど、泣き止み方がわからないだけだと勝手に思っているから、イライラせずに待てる 亀だけど『わざとやってみた』関連のレス興味深かった
好ましくないことを子がしたときはなるべく淡々と接するのが良いってよく聞くけど本当にそうなんだね 自分も思い出した
幼稚園だから3〜4歳頃だと思うんだけど、お弁当の千切りキャベツが食べたくなくて残してたら
食べなさい!と先生に強めに言われて、でもどうしても嫌で泣いてしまった
そしたら急に先生がオロオロして無理しなくていいよと言ってきたんだけど
シクシク泣くのを続けながら「泣いたら急に態度変わった…」と冷静に考えてた 凝ってるデコより背中にアンパンマンの大きい転写ドーンみたいな子の方が先生によく声かけられて羨ましく思ってた
…って事を来年入園の子のスモックどうしようかなと考えてたら思い出した
後ろから見て分かりやすいって先生に目をかけて貰うには重要だなと >>871
幼稚園の制服のブレザーの背中にセーラームーンの刺繍どーん!だったな
とても気に入ってたのでよく覚えてる
子供は分かりやすいのが好きだよね
今考えると母頑張ったんだな… 保育園行き始めの頃だから多分1歳くらい
母のお手製のドーナツやパフェの柄のセーターをとても先生達が可愛い可愛い言ってくれててとても嬉しかったの覚えてる
関係ないかもだけど今でもスイーツモチーフの物好き 通い始めた幼稚園が楽しくて仕方がなかった年少の頃
朝から熱出て気持ち悪いのにどうしても行く!!って制服に着替えて幼稚園バスに乗ろうと家から飛び出したことがある
母にとっ捕まって強制送還されたけど行きたくて行きたくて泣きまくってた
結局家に戻ったところで嘔吐して、こりゃ無理だって諦めがついたのを覚えてる サンタクロースは初めからいなかった
物心ついてから毎年、クリスマスプレゼントは普通に親に頼んで親に貰っていた
一応「サンタさんはどこから入ってくるの?」って親に尋ねたことはあるけど、当時住んでたアパートの通気口?を指差して「ここだよ」って言われて、子供心にそんな訳ないよなって逆に納得した
なのでまだ0歳の我が子にサンタシステムをどうしたらいいのか今から不安 >>877
うちもサンタはいなかったよ
子供には「サンタは壁をすり抜けることが出来るんだよ」と説明したわ 年子の姉がいたけど、2歳くらいの頃よくお喋りを「ちゃんと言えてないw」てからかわれて泣きながら怒ったな〜
あと妙に醒めてて姉が叱られてるのを見ては「いつも同じことして怒られてるのに何で分からないんだろう」「すぐ謝ればいいのに」「あーあ、それやったら怒られるのにまたやった」みたいに見てた記憶
そのくせ自分がやらかした時は「まあこのくらいなら、子供らしく『何でかわからないけどこうなっちゃった』て顔をしておけば許されるだろう」とわざとキョトンとしたり泣いたりして「できなかった」「わからなかった」フリもよくしてたw
今ひとりっ子を育ててるけど、当時の姉のように何度も同じことしてくるのが不思議で、自分は姉を見て学んでたんだなって改めて認識した。ひとり目の損なとこかも。 多分2、3歳の記憶
田舎だったから常に玄関フルオープンで、たまに近所の小学生?が家の中にいる私達親子に挨拶かなんかしてくれるんだよね
子どもだ!一緒に遊びたい!今追いかけないと二度と会えなくなる!って必死に追いかけてた思い出
大人と子どもの区別はできていて、小学生は自分寄りの子どもだと思ってたな。核家族で兄弟いなかったせいか?子どもとの関わりに飢えてたのかな?
子どもをパパやママとは違う特別な存在に感じてた。
靴とかの概念がなくて、室内〜玄関先までハイハイで突破して追いかけようとしてたw
途中で親に捕まるんだけど、なんで邪魔するの!?追いかけたいのに!離せ!でもそれを伝えられなくて泣いてたな。
ただ、少し時間が経つとすんなり外に出してもらえる。(多分外に出る前に靴を履かせたり、おむつかえたりしてたんだと思うけど、一つのことが気になると自分が何されてるか全然わかってなかったと思う。
お兄ちゃん達いるかな!?ワクワク…→どこにもいない絶望感すごい覚えてる。 2~3歳児スレで一つ前の話題にタイムリーな書き込みだ 幼稚園児の時
宇宙人がいないものとして、もしこの世の人間や生物が全員居なくなったら、だれが宇宙の存在があるって認識してくれるの?ただただシーンとした寂しい空間のまま時間だけが過ぎていくの?ってすごく怖くなった
答えが知りたくて親や園の先生に質問したけど、当然うまく言葉にできなかったから濁されて終わった 幼稚園のとき、幼稚園に歯科衛生士が来て歯磨き指導をしてくれることになった
歯磨き指導の後に歯をチェックしてもらうため男女別に背の順に一列に並んで口を開けて待っていた
歯科衛生士のお姉さんが前の子の口をチェックしていて次は私だとドキドキしていたらなぜか私は飛ばされて次の子がチェックされた
列の最後までチェックが終わり「みんな見てもらったかな?チェックしてもらってない子いる?」と言われたが私は手をあげられなかった
当時の私は男の子みたいな見た目をしていたので
ふざけて男の子が列に混ざっていたと思われて飛ばされたんじゃないかと思ってショックだった >>883
臨時の先生の最終日、先生を見送る時
握手してサヨナラという流れだった
皆一人ずつ握手、自分の番!と手を出して待っていたのに
飛ばされ次の子から握手を続けていった
ショックで今でも覚えてる
こういうのって消えないよねぇ 教育実習生が可愛い子だけに優しかったの覚えてる
ブスな私には目も見ずあしらって
あと、遠足についてきたカメラマンも可愛い子ばかり撮ってて私も私もーとピースしたら撮ってくれず >>887
どれも幼児期の記憶だけどまさか高校生のときの話かと思った? 夜、家事が一段落した母が寝ている自分を見にきて、母がそっと「かわいいな」と呟くのを聞くのが好きだった。
眠りが浅かったのか、部屋の戸が開くと大体目が覚めていたのだけど、その言葉をきくために寝たふりをしていた。
でもある日、戸が開いても寝ているフリをしていたら、来たのは姉で、濃いブッチューをされた。その何時間か後、父にもされた。
息苦しいやら父はタバコ臭いやら口は濡れてるのに寝たふりをしてるから拭けないわで不快だった。それが初めてのキスの記憶だと後で気づいた。
微妙な気分になったので、子どもの口にはキスしないようにしている。 本人的にはいやだったのかもしれないけどみんなに愛されて育った幸せな記憶って感じで素敵 こんな良スレがあったのね
母に連れられて初めてトイレに入った時、用を足すのはすんなり出来たんだけど壁に貼ってあるナントカ明王の札がめちゃくちゃ怖かった
怖いから剥がしてってお願いしたんだけど「神様だから…」って聞き入れてもらえず、結局トイレが嫌いになり何度も失敗したし小学生になってもトイレ以外の場所で隠れてしたりしてた
自分の子のトイトレはまだこれからだけど絶対>>83さんの様な対応をしよう!って思う 何でも顔に見えてたなぁ子供の頃は
地面の汚れやシミも顔に見えて怖くて仕方なかった
暗いところも怖くてなんだったら中学生くらいまでは顔も暗いところも怖かったよ
我が子がまさにいまそれで、木のおもちゃ箱の木目が全部目に見えて怖がるから、逆手に取ってそれを目にした動物の絵を直接描いていったら怖がらなくなった
象に餌をあげたりきりんと写真を撮ったり、水鉄砲のようなゲーム?をした記憶がある
この前写真が出てきて3歳くらいだった
姉2人と妹がいたのに、記憶には両親しか残ってない
そして、その遊園地がこの3月末で閉園するらしい
今はコロナで臨時休業してるからもし閉園までに開くなら我が子とも行きたいなぁ >>882
すごい分かる。
いつか誰もいなくなってしまうんだと考えるとめちゃくちゃ恐ろしくなった。
背中がぞくっとしたよ。
私は絵が好きなんだけど、よく幼稚園のお絵かきの時間に、複数の友達から「顔(の輪郭)だけ描いて!」と頼まれた。
年齢と田舎ぶりを鑑みると相当うまかったと思う。
それって絵の上手い姉がいたからだろうかやっぱり。
3歳の娘も絵が好きだけど、上手かどうかはまだ分からん。 まさに自分の子が>>894さんの状態かも
不安なんだね、しっかり安心させてあげないとな…
良スレだなぁ >>892
ググってみたけどこれは子供には怖いなぁ…
そういうの大人が思う以上に後々まで影響するよね
何が怖いのかわからないものを怖がる時とかあるけど否定しないように気を付けよう
自分が最近思い出したのは怪我した時に「大丈夫大丈夫!いたいのいたいのとんでけー!」って軽く言われるのが嫌だったな
いや全然とんでってないし、って
もっといろんな話読みたいのでアゲ 良スレだよね
たぶん幼稚園のときの話
「みずいろ」って自分では言ってるつもりなのに、どうしても発音が「みじゅいろ」になるらしく、それを父母に笑われたこと
自分が母親になって、あぁあのときは可愛いわウフフな感じの笑いだったんだろうなと実感できたけど、当時は「わたしはちゃんと言ってるのに! 笑ってバカにしないで!!」と泣いてた >>897
全く同じ体験した
次女だから長女にも笑われて嫌だったな
あとちょっとしたことでも兄姉を贔屓されるの嫌だった
たぶん大人は全然意識してないけど、次は自分の番のはずなのにとか、子供だから?と平等にされないのがすごく嫌だったなあ >>897
似たような事があった
CMソングを真似したシチュエーション
私の記憶の中ではハッキリ発音してるのに祖母も母も笑いながら「そうじゃなくて『… 』よ」みたいな訂正が入って「ちゃんとそっくりに出来てるのになんで?」って思うの
そのCMを真似した音声が残ってて後に聞いたら全く発音出来てなく「ん、んんー」みたいな感じ
記憶の中ではキチンと真似出来てるのに
音声のみでいつなのかはっきりしないが、その拙さからたぶん1歳前半の発語前
言葉出る前でも結構言ってる事は理解してるという例です 七歳七五三の着物を買うので呉服屋さんへ行った記憶がある。多分5歳くらい。
両家の祖母と両親がいて、山のような着物を肩にかけられた。
私は青いのがいいと言ったけれど、両祖母と母の
「青だと顔がさみしそうに見える」(!?)
と言われて、はいはいどうせ私の意見なんか聞いてもらえないんだもうどーでもいいやと一気につまんなくなった記憶。
今ランドセルスレで色に関して話題になってるけど、やっぱり子どもが好きになったものは尊重してあげて欲しいと思う。
やっぱり反動で?成人式の着物は青にしたし。 4、5歳の記憶
保育園の庭で遊んだ後、「◯◯屋さんにある(売ってる)ものは?」っていう連想ゲームみたいな、古今東西みたいなので
お題に答えられた子からお部屋に戻りましょうっていうのがあった
自分の番の時、うどん屋がお題になった
当時ほとんど外食したことがなくて、うどん屋のメニューなんてサッパリわからなくて
何でもいいんだよーって言われながらやっと思いついたのが「どん兵衛」だった
先生がめっちゃウケてオッケー出してくれたんだけど、その回答をお迎えに来た母にも伝えられて2人でまた笑われて、すごく恥ずかしかった
自分の子はまだ乳児だけど、将来クイズやテストで珍回答しても本人は真剣に考えた結果かもしれないから、絶対ネタにはしないと決めてる お姉さんパンツになった頃だから2.3.4才くらい?だと思うけど、当時好きだったけろけろけろっぴのパンツが嬉しくて、父が撮影するビデオカメラに向かってパンツを見せて「けろっぴーー!」とはしゃいでた
それを親戚が集まったときにテレビで映されてみんなに笑われてすごく恥ずかしくて嫌だった
今ならかわいいなぁ〜って気持ちだとわかるけど当時は本当に嫌だったな ここでも結構見るけど大人がかわいい、ほほえましいと思って笑っても本人は子供心に笑われた、と嫌な思いするパターンて多いよね
こどもにもちゃんとプライドがあるんだね
うちも可愛くてみんなで笑ったら泣かせちゃったってことあるから気をつけなくては
でも可愛い受け答えとか仕草だったりするとみんなでその可愛さ共有したくなっちゃうよね
可愛いいと思って笑ってるんだよ、とか伝えてもこどもは納得しないのかな いくら可愛いって言われても、笑っちゃったらアホ可愛いみたいな馬鹿にされてるニュアンスがあるのは分かると思う
「かわいいwww」じゃ褒められてる感じはしないよ
真面目に言ってる・やってることを可愛いって反応されたらハァ?ってなるだろうし
はしゃいでて可愛かったって事でも、目の前で周りに報告されたり晒されたりしたら、恥ずかしい・嫌だって思う子もいる
子供心だって見くびらずに接しないとね 小学生の頃だったと思うけど、徒歩の距離の本屋に一緒に行って欲しくて父親に「ちょっと付き合って」って言ったら他の大人達に笑われたの思い出したわ
いっちょまえに大人びた言い回ししたのが微笑ましかったんだろうけどすごい恥ずかしかった この流れすごく勉強になる。気をつけようと思った
いくら可愛いと言っても対等な相手に対してはしない失礼な反応だよね
だからショックを受けたり傷つくんだよね
忘れられないって相当だよね
話がずれるかもしれないけど
小さい頃から割と1人前の大人扱い?するアメリカとかは反抗期が穏やかで
小さい子扱いしがちな日本の方が反抗期が激しいという話をツイッターで見たのを思い出した うん、嫌な気持ちがよく分かった
ただ一挙手一投足かわいくてかわいくて堪らない気持ちはどう抑えたらいいのだろう
拙さや一生懸命さもかわいいというのは下に見てるから出る感情なの?
漏れ出てしまいそう >>907
ふつうにニコニコしてうんうん、て聞いてりゃいいと思う >>907
うちは正直笑っちゃうこともある
でも笑われて嫌だったって書き込みは前にも見たことあるし自分も記憶にあるから気をつけてる
笑いはこらえてかわいすぎるー!って抱きしめたり
この前笑っちゃった時はニコニコしながらもなんでわらうのー?って言われてあっと思ってかわいくてたまらなくて大好きだからだよって言ったらすごく嬉しそうだった
もう少し大きくなってくると変わるかもしれないしこの流れで改めて気をつけようと思ったよ うちの子一歳の時、初めての発語が出たから私は嬉しくて今しゃべった?!って笑いながら大げさに喜んで正しい発音を教えたりしつつ拍手して褒めたんだけど
それから全く発語しなくなって今一歳7ヶ月
今思うとやり過ぎたんだろうなと…
きっと馬鹿にされたと思ったんじゃないか…
他の事は褒められると得意になって何度もやるのに
正しい発音で言い直されたと思ったのかも
子育てって難しいね >>911
>正しい発音を教えたりしつつ
ここが原因ぽいね…褒める前にこれだもんね >>911
それは多分関係ないし考えたって答が出ない案件だから考えるだけ無駄
専門家に相談案件
そしてスレチ >>911
全く関係ないと思う
ただ喋んない子なだけ 絵本って紙が分厚いですよね それが1ページだとしてもページが何枚も重なってるかのように見えるし
ハードカバーの本なんか厚い表紙に薄い紙が圧着されてたり
子どもの頃、それをめくったら何か書いてあるんじゃないかと思って必死にめくろうと(はがそうと)していた…
一枚の紙を2枚に裂くっていうか、たとえばティッシュを一枚ずつにするように、絵本のページも剥がしていた
剥がしてもボロボロの紙面しか出てこなくて、それでもこすったり削ったりしてイラストが出てこないかな?って必死だった
何歳ごろのことか覚えてないけど、自分の子どもが似たようなことしてて思い出した はしゃいでオモチャなどを壊してしまったとき、因果関係がわからなくて
「乱暴にするから壊れちゃったんだよ」と親に言われても意味がわからなかった
勝手にオモチャが壊れた!としか思えなくて自分が原因だなんて微塵も思っていなかった 箱型の型はめで昨日は出来たのに何故か入らなくてこのおもちゃは寝てる間に自動的に位置や形が変わるんだなと思ったな
その後向きや角度が違うだけで変形せずずっと同じだと気付いてびっくりしたw なんか似たようなこと書いてる人いた気がする
>>916さんもだけど、子供って出来ない・失敗したのは自分のせいとは思わないもんなのかなw
そうなると叱るのも気を付けないといけないね >>915も>>917もこどもの思考っておもしろいなー
そんな風に思ってるんだ ちゃんと子供なりの理由があるのか〜面白いね
結構あるあるなのかな
理由を聞いてみるけど親が予想もしてなくて説明を上手く聞き取れなそうな事もありそうだな、気を付けよう
そういえば私も人形の髪が伸びるってテレビで見かけてリカちゃん人形の髪の毛切って怒られたな
怒られたけどまた伸びるのに何をそんなに怒ってるんだろうって思ってたの思い出した 人形の髪が伸びるはホラー系の番組だと思うんだけど怖くなかったのかな 幼児の頃、よく鼻をほじってて注意されたんだけど、自分の子供もやるんだよね
こんなん遺伝するのかー、と思ってたけど、違うよね、鼻ほじり癖が遺伝するんじゃなくて、なんで鼻をほじるかっていうと詰まってるからなんだよね当たり前だけど
多分ホコリとかのアレルギーあるからそれで詰まりやすいんだと思う。何でも理由というか原因があるんだよなあと、鼻ほじりを注意する前に鼻詰まってる?と留意してくれよと今更思った 子供の頃、頭の中で歌ったら本人みたいに歌えてすごくうまくて感動して
「ねえねえ!聞いてほら!すごく上手に歌えるでしょう!」って弟に言ったの思い出した
勿論相手に聞こえるわけもなくww
「???」って反応されたから、「口に出して歌うんじゃなくて心で歌ってみて!」って言ったら弟も、「本当だ!!すごく上手に歌える〜!!」とw
二人でお母さんに聞いてもらおう!ってノリノリで言いに行ったな
母は相手にしてくれなかったw >>923
ふふってなったw
バカ姉弟って漫画思い出したわ
(タイトルは酷いけど決してバカじゃない) テーブルのジュースこぼした時、「そんなところにコップ置くのが悪いんだよ」とか「そんな飲み方するから」ってよく怒られたけど、自分ではそんなつもり全くなかったんだよねぇ
かといって、「またジュースこぼしてしまうかもしれないから気をつけよう」と事前に考えることもできなかったな
いつも気がついたらジュースこぼれてた
どんな風に自分が間違えてるのかわからなかったな
思い出すとなんか辛い 微笑ましく読ませてもらったけど、最後の文…
辛かったのは忘れられないのか、気を付けよう 自分が次女なんだけど長女が>>927みたいな感じで小さい頃からいつも「何で分かんないんだろ」て思って育ったんだよね
今、自分の長女がそんな感じなんだけど、理解してやれない所があるからやっぱり「なんで??」と思ってしまうので、声のかけ方に気をつけよう… 子供の頃おもちゃの広告を見て「これ欲しい」と言っただけで「それならもっとお手伝いしてクドクド」みたいに説教されることが不満だった
我が子を見てても思うけど、大人でいう「ハワイ行きたーい」みたいなものだから、「そうだね素敵だね」って共感してもらえるだけで良かったんだよね
現在進行形で気を付けてる >>930
そうなんだよね、うちも3歳の娘によく「欲しいなって言っただけじゃん」って怒られる?から気を付けてる >>930>>931
自分は逆に子供の頃欲しくて、大人になった今でも諦めきれないものがある
2000円くらいのおもちゃなんだけど
あの時親がお手伝い〜とか手に入れるための手段を提示してくれてたらなぁと思う 私は大きくなったら○○になりたい!(お花屋さん、ケーキ屋さん、スーパーのレジの人等)って言うと父親にじゃあいっぱい勉強しないとなって毎回返されるのが嫌だったな 赤ちゃんの記憶じゃないけど
幼稚園と小学校どちらも結構遠くて毎日よく歩いて通ったなーと思ってGoogleマップで距離確認したらたったの600〜700mだった
記憶の中では倍くらいな気がしてた それとは違うんだろうけど子供の頃にはすごく広く感じたデパートが大人になったらそうでもなかったり
ケーキやお菓子がすごく大きく感じたけど今ではすごく小さく見えたりするよね
昔はコンビニおにぎりやカントリーマアム一個だけでもすごく満足感あったよね >>935
カントリーマアム時々そういう人居るけど、あれは実質値上げで本当に小さくなってるのよ 昔からあるお菓子は量減ってるよね
ポテチも一袋80gとかじゃなかったかな
今は65gくらいだっけ
ポッキーとかも中の袋を2つに分けることで量を減らしたはず >>935
デパートの広さわかる
寂れたせいもあるだろうけど玩具売り場に
ゲームコーナーにレストラン街がキラキラして
夢の世界みたいだったデパートがすごく小さい
ヒーローショーやってた広場も
びっくりするほど狭かった ヒーローショーの広場の話凄くわかる!
広場はめちゃくちゃ広くて観客もたくさんいるけど、「悪者に連れ攫われたらどうしよう…絶対迷子になる…怖い…」って思ってて、親にうるさく「怖い怖い」って、言ってたなぁ
もしかしたら泣いてたかも、その辺はあやふやだけど母親が「大丈夫よー、連れ去るわけなんて無いから」ってあっさりとしてて、「なんでお母さんは連れ去られないって分かるんだろうか、強いの?」って思ってたの思い出した
もしかしたらscの小さいゲームセンターは子供から見てキラキラ輝いて見えているのだろうか
実際ギラギラしてるけど、思い出すデパートはファンタジー映画のようなキラキラなんだけどそういう感じなのかなー べたべたにゃんこは甘えんぼ
っていう絵本知ってる人いる?
めっちゃ甘えん坊な子猫がいつも母猫にべたべたくっついて、怒った神様が
「そんなにママがいいなら一生くっついてなさい!」
といって、子猫を母猫に物理的にくっつけてしまう。
そうなると子猫は自由に歩くことも遊ぶこともできないので、懲りて反省し、「もう甘えません」と神様に許してもらう、っていうお話。
それを好きでよく読んでもらってたんだけど、私なら一生お母さんとくっついててもいいのに、なんでこの子猫は嫌がったんだろ?
と不思議だったw
遊べなくてもいつもお母さんとくっついてるなら最高なのにってw >>940
なんか良い話…そんなふうにいつまで思ってたんだろ
少なくともうちの6歳は最近親離れぎみで寂しい 母が手芸が趣味で、小さい頃はバッグや服などをよく作ってくれた
しかし、親子の趣味が合わないのに完成品を渡されるから拒絶することも多かった
パステルカラーが好きなのにオレンジやエンジの生地をチョイスするし…
いちばんの記憶はキティちゃんが運転手になったバスの巨大なワッペンがついたリュック
バスが横向きなのに運転手であるキティはこっち向いてて子供心に怖くて「こっちみんな」って思ってた
今では私も手芸が趣味になったけど、何か作る時は子供に生地を見せてからにしている 一番古い記憶が3歳の曾祖母の葬式
その後「大きいばあちゃんどこ?」と聞くと大人は骨壺を指差して「あの中だよ」と言った
私は子供心に「普通に考えてあんな小さい入れ物に人間が入るわけ無いだろ
また子供だと思って適当に返事された!」
と憤ったのをはっきり覚えている。
子供と見下してファンタジー回答したわけでもないのに
いま考えたら教えてくれた大人には理不尽だな
自分の2歳の子供に色々説明するときは、はなぜそうなったかの過程も添えて回答するようにしてるけど
それで合ってるのかは分からない 子供だと思ってばかにして!という感覚を持っていたわりには
母が毎晩「寝てるときに口を開けてたら、月のウサギがお団子を入れてくれるよ」
というのを完全に信じてた 良スレあげ
少し●話注意
トイトレ中だから多分2〜3歳
おまるまではクリアできたけど補助便座では出来ず、●だけ頑なにオムツにしていた記憶がある
今思えば、小柄な子どもだったので補助便座が体格に比べて大きめで、少し気を抜くと中に落ちてしまいそうで座りたくなかった
あと脚が付かないのが怖かった
それを上手く説明できずに「座るの痛いからイヤ!」と言っていた
先日ふと思い出して母に話したら、確かに痛いと駄々をこねていたそうで、そうだったんだと驚いていた 4歳くらいのとき、ある朝目が覚めると母が私の顔を覗き込むようにして座っていた
寝起きでぼーっとした状態だったのもあってこちらもそのままじーっと母の顔を見ていたら母が私の頬を撫でて「かわいい」と言って笑った
なんだか不思議な記憶として心に残ってたけど、自分の子供を持ってあの時の母もこんな気持ちだったのかなと思うようになった
子供の寝顔ほどかわいいものはない
育児で色々辛いことも大変なこともあるけど頑張ろうと思える >>945
それすごいね
やっぱり補助便座や踏み台使うのは意義あるねー 3歳の頃父の勤めていた会社の社員旅行に着いて行った時のこと
父の同僚のおじさんに「まだオムツしてるの?恥ずかしいね〜」と言われ恥ずかしくてくやしくてたまらなかった
旅行から帰った私は今日からもうオムツ履かないと母に言い、本当にオムツを卒業したらしい
あの時のばかにされてくやしい気持ちは今でも覚えている >>942
こっちみんなww
運転手は前を向くものとちゃんと理解してるんだね すごい母親が好きです何をするにもお母さんお母さんだった。
父親は痩せてるし固いしなんか湿ってるしあんまし会話が続かないしw
でも万が一離婚するとしたら、父親についていこうと思ってた。
なんていうか、お父さんは一人になったら全ての気力が削がれちゃうから側にいてあげなきゃ、みたいな。
母親には姉がついていけばいいし、もし一人になってもお一人様を楽しめるタイプなので。
うちの両親は仲が良いので全然離婚の心配はなかったんだけどw
子供ながらに幼稚園終わった後に見てた昼ドラの影響かな。 私は母の連れ子だったんだけど、父が養父だって知ったのは大人になってからだった
でもそういえば初めて父と会った日のことをハッキリ覚えてるんだ
季節と妹の年齢から考えると2歳半あたり。最初は恥ずかしくて隠れてたんだけど、父は可愛いぬいぐるみを持っててそれに釣られて出てった。すごく優しかった。そのぬいぐるみは親元離れてからも引っ越しのたびに連れてきててずっと持ってる
誰だとか何も伝えずにとりあえず会わせられたらしかったけど、私は「お父さん」って寄ってったらしい。呼んだのは覚えてないけど「お父さんだ」って思ったのは覚えてる、そしてそれが再婚の決め手になったらしい
思春期は母に対する反抗はすごかったけど、父のことはずっと好きで尊敬していて、父の言うことは聞いていた
お父さんくさいというのは思春期の女の子として正常な反応だと知ったとき、私は父のにおいに嫌悪感持ったことがなかったから、私は何か遺伝子的に欠陥があるのではないかと本気で悩んだなぁ
だから血が繋がってないと知ったときはショックだったけど、私が異常なわけじゃなかったんだと安心もした
10年前くらい?にスピリチュアルとかが流行ったとき、スピリチュアルカウンセラーなる人のとこに行ってみたことがあったけどその人には、
私と父は前世で家族か恋人か親友かとになくすごく近い存在だったけど、自分たちではない他の都合によって引き離された、だから私もすぐ懐いたし父もこの子だと思ったはずよって言われて泣いた
長い上に後半スレチでごめん 5553150853550855>>98
209: 10/0:21 ID:nmUGPeaf0
中尾断二さん(おじいちゃん)
中尾京子さん(おばあちゃん=株式会社ゼロ役員)
中尾嘉宏さん(株式会社ゼロ社長=ちきちーた=FOX=夜勤=せしりあ等)
中尾八千代さん(奥さん)
中尾吏美佳(娘)
中尾優美子さん(前の奥さん=株式会社ゼロ役員)
中尾祐太さん(息子)
札幌市厚別区も、みじ台南、七丁目5番10号
自宅電話番号 011-897-7012 2909150809290829>>98
209: 10/0:21 ID:nmUGPeaf0
中尾断二さん(おじいちゃん)
中尾京子さん(おばあちゃん=株式会社ゼロ役員)
中尾嘉宏さん(株式会社ゼロ社長=ちきちーた=FOX=夜勤=せしりあ等)
中尾八千代さん(奥さん)
中尾吏美佳(娘)
中尾優美子さん(前の奥さん=株式会社ゼロ役員)
中尾祐太さん(息子)
札幌市厚別区も、みじ台南、七丁目5番10号
自宅電話番号 011-897-7012 3035150835300830>>98
209: 10/0:21 ID:nmUGPeaf0
中尾断二さん(おじいちゃん)
中尾京子さん(おばあちゃん=株式会社ゼロ役員)
中尾嘉宏さん(株式会社ゼロ社長=ちきちーた=FOX=夜勤=せしりあ等)
中尾八千代さん(奥さん)
中尾吏美佳(娘)
中尾優美子さん(前の奥さん=株式会社ゼロ役員)
中尾祐太さん(息子)
札幌市厚別区も、みじ台南、七丁目5番10号
自宅電話番号 011-897-7012 幼い頃、たまに家族そろって訪れる家があった。そこの家では毎回おやつに葛餅を出してくれた記憶がある。
いつの間にか行かなくなって、そこが親戚だったのか何なのかわからない >>958
なんか夏らしくて良い思い出
その親戚の方が亡くなっちゃったりして没交渉にでもなったのかねぇ >>959
親に訊けばわかったんだろうけど訊かないままこの歳になった
それと、母方の祖母が私が1才くらいのときに亡くなってるんだけどその死因も未だに知らない
車椅子に座ってる写真がアルバムにあったのを見ただけ 幼稚園終わった後に親戚のじいちゃんとこに夜まで預けられてたけど、なぜか昼寝しちゃいけないと思い込んでた。
だから寝てるのがばれないように、必死で足だけ(足首から下)動かしてた。
それがいつか癖になって寝るときは足だけ動かさないと落ち着かないようになってしまった。
治ったのはつい最近だわ。
あとよく言われてるけど、オブラートに包まれたゼリーっぽい四角のカラフルなお菓子は私も嫌いだったw 両親がけんかしてたんだけど、
父が母のほっぺを軽めに(ペチ、みたいな音)叩いたあと、
「なにすんのよ!」
と叫んだ母がかなり強めに(バシコーン!みたいな音)父の顔を叩いた記憶
3歳くらいの時だった
その後両親は離婚しました 35年前くらいのこと。
昔のキッチンて古くて虫とかもたくさんいたんだけど、ある時ハエトリグモみたいな蜘蛛がゴキブリを糸でぐるぐる巻きにしているのを母親と見た。
なんかすごいびっくりして、母親と一部始終を固唾を飲んで見守った。
糸を巻き終えた蜘蛛は、ぐるぐる巻きになった糸の塊の中にいそいそと入っていって出てこなかった。
今でも母親とその話で盛り上がる。
忘れられないわー >>963
自分で書いといてあれだけど、ゴキブリの大きさは蜘蛛の5倍以上はあった気がする。
そんな大きさのゴキブリが抵抗もせずに大人しくぐるぐる巻きにされてたことにも今も驚くわ。
最初はきちんとゴキブリの体が見えていたのに、その内に糸でラグビーボール型のミイラのように真っ白に完全に見えなくなってしまった。
あまりにも衝撃的過ぎてありありと思い出される。
あと親戚のおじいちゃん、おじいちゃん家のトイレが怖くて立派な庭の小路に●してすみませんでした。
慌てて飛んできても怒らずにいてくれてありがとう。
その日以降勇気を出してトイレで用を足すようにしてたらうっかり鍵をかけて出られなくなって大泣きしてたのを、
トイレの窓から必死で指示して開け方を教えてくれてたのにパニクって泣きわめいてすみませんでした。
怒らずにいてくれてありがとう。 >>961
四角のゼリーあったあった
ほんと不味かったw 胎内記憶と赤ちゃん〜2歳ごろの記憶がひとつだけある
胎内記憶はプールの中みたいなところで亀みたいに身体を丸めて水面を見上げてるところ
水のごぼごぼっていう音がして、カーテンみたいな布っぽいものが頭上でゆらゆらしていた
赤ちゃんの頃の記憶は床でごろんとして母が兄に食べさせているのを眺めているところ
床がひんやりしていて気持ちよかった
ソファの模様が2歳前まで住んでいた家のものだったらしい
3歳の娘も、○○ちゃんがもっともっと小さい赤ちゃんの時はね、お月さまだったんだよ
ママは会社だったねと言っている
自分の記憶も子どもの記憶も物心ついてから得た情報で脳が作り出した記憶のような気もするけど、私はたしかに覚えている…と思ってる >>967
いいなあ胎内の記憶
水のごぼごぼは子宮内じゃなくて腸とかの音が響いたのかもね
子宮には気体は入ってないと思うから
しかも見上げてたんなら正常位なんだろうね
うちの子は逆子だから多分見下げてたw 幼稚園のころ、制服の紐リボンをなかなか結べるようにならなくて母が紐リボンを結んだ形に縫ってスナップボタンをつけてくれてたのを急に思い出した
お母さんありがとう 昔から猫舌だったので、ご飯の時は母親に冷ましてもらってから食べてた。
その方法が、「母親が口に入れてしばらくして出したものを食べる」というもの。
咀嚼してたかどうかは覚えてないが。
とにかく母親に冷ましてもらうのが好きでねだってた。
私の虫歯が格段に多かったのはそのせいだと思ってる。
今じゃかんがえられないわー >>230
家族みんな早く寝付いてしまったから読み返してたら、この話の落武者にムカついたwww
幼い記憶にしてはディテールが詳細なので夢ではなくて本物の幽霊と仮定して考えると、
「こんな小さな子供を怖がらせて武士の風上にも置けないクズが!恥を知れ!」と言ってやりたくなったw 幼稚園の頃に落花生を畑に植えてたのを収穫した。
植えてたのは2年くらいの間だったかな?
だから収穫も2回くらい。
でも落花生の実り方はよーく覚えてる。
当時は畑の周囲も藪ばかりで薄暗くて妖怪とか出てきそうだったので一人で行くのは怖くて冒険感満載だった。
(40年くらい前は幼児一人で歩いてても誰も気にしなかった)
今は住宅地に囲まれて畑も明るくなって、たまに規制したときは娘を連れて野菜を収穫してる。
娘も覚えててくれるといいな。
あと私山梨なんだけど、そこらじゅうに水晶がゴロゴロ落ちてた。
当たり前に落ちてたから拾ってもないし、庭やその辺の家の庭や獣道(アスファルトの道にはさすがにあんまりない)にも50センチくらい大きいのから小さいのまでめちゃめちゃあった。
今は欠片も見ない。
何あれ、誰か撒いてたの? 初めて「怖い」を明確に感じた時の記憶
幼稚園、年中のころ小学生の従兄弟から「口裂け女」と「トイレの花子さん」の話を聞いたのがきっかけ
それから自宅だとトイレのドアを開けるようになったのと(幼稚園は上も下もドアの隙間?があったから怖くなかった)
暗いところや、お墓が怖くなった 幼稚園の時に従姉妹の家にあったノートパソコンが気になって『これ何?』って聞いただけなのに母と従姉妹の母が『触っちゃダメよ!!』ってすごい勢いで叱ってきて相当怖かった
それ以来従姉妹の母がどうしても苦手で未だに好きになれないし理不尽に怒られたから私も内向的な性格になってしまった
ダメって言葉は破壊力あるんだなって身をもって知ってるから自分の子にはまず説明をするように気を付けてる
とはいっても咄嗟にダメって言っちゃうよね >>974
つい言いがちだわ
自分も子どもの頃強くダメって言われたときのいやな気持ちをまだ覚えてるな
気をつけよう >>974
そういうのって、するわけないじゃんって所にも嫌な気持ちにならない?
実際触る寸前だったとかでもないのにキツく止められたらショックだよね
パン屋でパンを選んでる時、少し離れた所から親に向けてこれって指差したら店員が飛んできて「触っちゃダメ!!」っ注意された
触っちゃいけないなんて分かってたからパンそのものじゃなく空中を差してたのに
触ろうとしてたように見えたんだろうか
店員はそのパン片付けてて、親からも触った濡れ衣で厳しく怒られ
触ってないと言ったけど信じて貰えず辛かった
それ後数年はずっと嫌な気持ちだった パン屋のパターンは子供側でも大人側でも経験あるわ
子供と大人って距離感が違う気がする
子供としては触らないように気をつけていて子供基準では「このくらい指を離していたら大丈夫」という距離なんだけど、大人から見ると「指が近すぎてうっかり触っちゃいそう!」ってなるんじゃないかなと 子供って動きが特有だよね。
スムーズじゃないというかぎこちないというか。
幼稚園くらいから自覚してて、「なんで大人みたいなしなやかな動きができないんだろ?」と嫌だった。
鏡見たり同じ動作を繰り返したりして練習してたw
中学生くらいまで、その特有の幼い動きを感じてたなー ここ見るといつも子供扱いしないで対応しなきゃと思うんだけど、ついつい怒ったりあしらったりしちゃうの何とかしたいな
唐突に思い出した事
多分3歳くらい?髪結ぶの面倒とかで、女の子なのにスポーツ刈りみたいに短くされてて、どこ行っても「ボクは何才かな?」みたいに男の子前提で話しかけられるのがすごく嫌だった
ものすごい抗議したし、1年もなかったんじゃないかとは思うんだけど、子供の頃は何年も何年も続いたように感じた
大人にとっては短い期間でも、子供ってすごく長く感じてるんだよね
嫌な事は尚更だし、嫌がってたらなるべく早く解決してあげたい 幼稚園に意地悪な男子がいて私はその子が怖くて仕方がなかった
すれ違いざまに叩かれたり、髪の毛引っ張られてチョークの粉掛けられたり、私の上履きを2階の窓から外に投げられたり、幼稚園のおもちゃ箱の中に小便したり
母にその子に意地悪されて嫌だと訴えていたんだけど母は何を勘違いしたのか、その子の話ばかりして好きなんでしょと言い出し、からかわれるようになった
その子の事なんて全然好きじゃなかったし本当に怖いだけだったのに母にからかわれるのが嫌でしょうがなかった
卒園間際に母に「もう◯◯君に会えなくなっちゃうからお手紙書こう!」と言われて無理矢理ラブレター書かされた
返事も来なかったんだけど、幼稚園でその子の母親に会った時に「お手紙ありがとう。返事書くように言ったんだけど、うちの子全然書かなくてごめんね。」と言われた
「私も無理矢理書かされただけだし!◯◯君の事なんて全然好きじゃ無いから!」と思ったけど言えなかった
その後小学校もバラバラになって忘れかけていたんだけど、中学生になって塾でそいつと再会した
向こうも私の事を覚えていたらしく、クラス中に「こいつ俺のこと好きだったんだよ!好きですって手紙送ってきた!」と言いふらされて最悪だった
あれは母親に無理矢理書かされたと言っても分かってもらえなかった
母親曰く私は聞き分けの良い育てやすい子だったらしいけど、今から思うと嫌な事嫌と言えずに相当我慢していたんだろうな
娘が来年から幼稚園行くけど娘の話はちゃんと聞いてあげようと思った >>980
嫌な男…可哀想に幼少期の980
私も子どものいうことはきちんと聞いてあげよう
そして申し訳ないけど次スレよろしくね すみません、次スレ立てられましたがURLの貼り方が分からず、今調べています… 立て&貼り乙です
もうクリスマスかー…
いつからサンタは親だって気づいたんだっけな
誰からもハッキリとは言われなかったけど、色々考えた結果親以外あり得ないなと気付いたのは覚えてる
信じてた頃、大人にサンタさんはどこから家に入るのか聞いたら言うことが皆バラバラだったのも辻褄が合うなーと思ったw 今こんなスレあるのを初めて知って1から読んでるけど、自分も小さい頃親に笑われるのが嫌だったな。からかわれてると思ってた。
今妊娠中だけど、子どもが生まれて、子どもがやったことに対して笑うことがあったら、ちゃんと微笑ましくて笑ってるんだと説明しよう。
あと小さい頃、泣くと親が私の口に手をポンポン当てて私の声を「わわわー」ってなるようにやっていたのも心底バカにされてると思って
憤っていた事も思い出した。親に聞いたらその方が(楽しくて?)泣き止むかと思ってやってたとの事だけど、この方法は我が子には絶対に使わない。 >>980
それは嫌だ
その男は幼少期だけでなく成長してもろくな奴にならなかったんだな
他人の親を悪く言うのもあれだけどお母さん思い込み激しすぎない >>980
かわいそう
胸が痛くなる
自分も幼稚園のとき同じロッカーの男子がすごく意地悪で大嫌いだったのに、先生は「あなたのことが好きなのよ」とか言って全然対処してくれなかったの思い出した 子どもが意地悪されて嫌な子がいるって話してくるんだけど、本当は私もその子のことが大嫌いでめちゃくちゃに悪口言いたい
けど子供にはそんなこと言えないから「嫌だねぇ。そんなことしてくるの。でも、きっと好きだから意地悪してくるんだよ」って言ってしまってた
やめよう 立ておつ貼りおつです
>>980のお母さんはなぜそんなことを…ここに書いたことで少しでも楽になりますように
おもちゃ箱に小便はドン引き案件なのに逆にバラさなかったのえらいわ
そんな980はこれからいいこといっぱいあるよきっと 980だけどありがとう
母には私の語彙力が足りず意地悪の内容や嫌な気持ちが上手く伝わってなかったのかもしれない
「◯◯君は私ちゃんの事好きだから意地悪するんだよ」もよく言われてたから、勝手に好き同士だと思い込んで楽しんでたのかな
長年モヤモヤしてたけど嫌な気持ち分かってもらえてスッキリした 体内記憶っていうか、羊水の匂い?をずっと覚えてて、うすうすそうかなとは思ってたんだけど
自分が出産したときに「あ、これってやっぱり羊水の匂いだったのか」と理解した
子どもの頃は定期的にその匂いがする夢を見てた 続き
子どもの頃は風邪をひくといつも決まった夢を見ていて、無重力のような感覚と、舌が口内に触れる感覚と、羊水の匂いを同時に感じる夢だった
当時から、羊水の匂いがお母さん由来の匂いだということは理解していたように思う もしかして私も子供の頃よく匂ってたというか味がした不思議なあれは羊水だったのか 帝王切開だから全然わかんない
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