[再考] 屋敷伸之とは何だったのか?
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答えを知ってる。羽生とぶつかって羽生の天才ぶりに震えて、
もう越すことかなわぬという空しさを競艇にぶつけたんやろね。
つべに大昔の羽生VS屋敷TV早指し将棋のがあがってたけど、
若き屋敷の顔が歪んでいくのがよくわかったわ。 競艇ではなくアルコール依存症が人生の敗因
当時の将棋界の陰湿な虐めで心を病み酒に誘ってくれる悪い大人に懐いた
羽生は師匠の二上会長に守られていたから代わりに上の世代の捌け口にされた
聡太は羽生世代とポスト羽生世代が浄化した良い時代に生まれたよ 今日最年少タイトル挑戦記録も抜かれたし、恐らく最年少タイトル獲得も抜かれることに
屋敷は本心ではどう思ってるんだろうな
インタビュー受けるだろうけど、恐らくいつものニコニコ顔で「えぇ、まぁなんといっても藤井さんは天才なんで〜」
と韜晦したテキトーな態度を取りそうだが
以前木村に「たまには本音を言ってくださいよ〜(笑」とツッコまれていたのが印象深い 同年代の中であまりに早く実積が頭ひとつ抜けたから切磋琢磨する環境を上手く作れず、普通の優しい青年ぽい性格もあいまって、上位者の孤独に耐えられなかった
立て直してきたのが、同じポスト羽生世代の三浦さん久保さん深浦さん木村さんあたりがトップに絡んできてからなのが象徴的
90年代前半は森下さんが奪取失敗したとき島さんに「負けちゃいけない相手に負けた」と言われたり、島研あたりからはかなり警戒されていた印象
そこへもってきて棋界統一に向かう羽生さんが、自分の持ち味である柔軟性でも軽快さでも圧倒的で、目標を見失った感がある >>6
本音は藤井さん委は連盟という強い味方が付いてますから〜 >>4
やっぱり妬まれてたのかな
人生ってそういう場面にどうしても出くわしてしまうけど、そういう時の対処法が人生の鍵を握ってる感じはする まあそう言う時代だったのかもね
谷川、田中とかもそうだし 屋敷は中原に勝ってしまったことで少し過大評価されてる節があるな
もちろん最終的にはA級まで来る器ではあるんだが棋風的には広瀬っぽい不思議な
イメージで羽生佐藤森内にはやや劣る >>14
先輩棋士をだらしないとか偉そうに書いてるけど当時54歳にもなってまだ六段、30歳でようやくプロ入りしてなんの実績も残せず仲間の観戦記で生活してるような一番だらしない輩が何を言うんだ てもなんか河口の文章って読み応えあるんだよね
そこは本当に実力があると思う 河口や先崎の文章は本人の私情と読者への媚が面白さだから
彼等の贔屓棋士の話を読む時は快いがそうでない場合は不快にもなる
羽生ファンを満足させるのが上手いので大正義だと思われているが 40代に突入した中原の衰えが顕著だったこと(大山羽生より衰えが早かった)
中原の3つ上、7つ上の米長、加藤は45歳、50歳近くになり劣化していたこと
大山も60代後半になっていたこと
これら4強がレベルダウンしていたところを55年組が荒らしていた
歴史的に見れば将棋界全体のレベルがダウンしていた時期でもある
大山66歳棋王挑戦、羽生19歳竜王なども近い時期に起こっている
高齢、若年での極端な活躍が目立つのは今の渡辺、豊島がせいぜい谷川1人だった
その谷川もピリッとせず55年組に呑まれていたような状況
屋敷の最年少タイトルはそのような状況でのこと
渡辺、豊島、永瀬ら指し盛りがタイトルを7つ保持するところを17歳にして荒らしにかかっている藤井とは
かなり状況が違う 屋敷はもちろん天才といっていいが、環境に助けられ出来すぎだったのも事実
10代で2タイトル取ったが、20代で1タイトル、30代40代は0タイトル
羽生世代の下なのでややこしく感じるが
活躍時期が55年組と似ている 55年組は三段リーグが無くて楽にプロ入りしたが廃止される直前に羽生佐藤森内
が流入してきたのが運の尽きだったと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています