X



日本文学の現状と課題
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001吾輩は名無しである
垢版 |
2010/10/17(日) 09:48:01
現状・・・もう書くべきテーマが何もない。
課題・・・ケータイ小説ベストセラー化に代表されるように、日本人脳の退化が進んでいて高尚な文学を読む層が激減している。
0660吾輩は名無しである
垢版 |
2015/05/29(金) 00:13:21.04
邦画を見るたびに「台詞で説明しすぎ」「感動演出ウザすぎ」「説教に持って行きすぎ」の
3つを発症してないかどうかチェックする癖がついてしまった
出来以前に、この病気に侵されてない邦画だけを残してほしいね
0661吾輩は名無しである
垢版 |
2015/05/29(金) 15:28:47.43
私もたしかに涙を抑えがたかったが、後で考えると妙なのである。感傷的につくられていて、完全な反戦映画である。大和の最期については本も多く、私はあまり読んでいないが、こんな個人的なエピソード集にしてよいのだろうかなと疑問に思った。

 映画は戦争の運命をぜんぜん描いていない。「亡国のイージス」という映画も肉親の愛憎のテーマにすぎなかったが、
たしかにあれよりは歴史を扱っている分だけ現実感はある。けれどもイメージとして観客の心に残るのは
巨艦の自爆出動という愚挙と若者たちの犬死のスペクタクルシーンにほかならない。いまだにこういう映画しか作れないこの国では九条改正ですら難しいのかなと思った。
けれども、あの映画の製作者は自分では真正面から戦争の運命を描いているつもりになっているのではないかとも思った。反戦映画の意図はなかったかもしれない。製作者の心事を私は測りかねて今でもいる。
最近つくられる戦争映画は軍人の動作が軍人らしくない。どことなく誇張されていて不自然である。兵役のない国でそれはある程度致し方ないとしても、問題はシナリオである。なぜ日本が戦争しなければならなかったのかが分らないストーリーである。
運命感がにじみ出ていない。なぜ軍は自爆とみすみす分って一機の飛行機の護衛ももうなくなってから航行に向わせたのか。あるいは兵は承知で死地へ赴いたのか。
この「なぜ」を映画は語らないからリアリティがない。否、この「なぜ」はいまだに日本の国民が答えていないので、そもそも映画がトンチンカンになるのは仕方がないのかもしれない
0662吾輩は名無しである
垢版 |
2015/05/29(金) 21:41:03.68
その3人の偉大な脚本講師とは、以下の3人のことです。
シド・フィールド 
 ハリウッド式脚本術を最初に学ぶことをお勧めします                                                                                                
http://otoku55.capoo.jp/scenario/
0663吾輩は名無しである
垢版 |
2015/05/29(金) 22:01:09.15
遺伝子情報は随時書き換え可能となって、生殖を伴うことなくクローン技術を用いて生命個体は増殖できるようになった。2029年には人間の手によって人工的に(人間を模した)知的生命が創造され、
半世紀ほどたつと彼らが地球上で繁栄するのと引き換えに元々の人類は絶滅寸前となった

批評家の東浩紀は、ブリュノとミシェルをそれぞれ文系と理系の代表とした上で、この作品の舞台となっているのはグローバリゼーションによって文系的な教養より理系的な知識が優位になった時代であり、
文系の価値が急落した現代において文学にどんな可能性が残されているのかという問題に対する答えを出そうとしているのだと解釈している。
評論家の小谷野敦は、本作について、ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの思想(神学と進化論の融合)の新装版にすぎないとし、(発情期の無い)人間の性欲は退屈しのぎのために発明されたのだという仮説を元に、
本作の結末(生殖なしに人類が存続できるようになって新たな可能性が開ける)
は誤っている(実際には退屈しのぎの性交を奪われて苦悩することになる)と述べている[6]。
作家・著述家の本田透は、本作は、資本主義や性愛の商品化の進行によって異性を獲得できない恋愛弱者が蔑まれ社会階層の下部に追い込まれるという問題(本田の言葉でいえば恋愛資本主義)を暴いた作品であると述べている[7]。
日本語版の訳者でもあるフランス文学者の野崎歓は、男女の恋愛をテーマとすることが多くSF的要素を嫌ってきた傾向のあるフランス小説において、本作は恋愛の困難さを描く物語の終盤で突如としてSF的な展開を用意しており、「驚くべき達成」であると述べている
0664吾輩は名無しである
垢版 |
2015/05/30(土) 20:51:58.68
“身体意識”とは、“体性感覚的意識”を短く表現したものです。視覚的意識や聴覚的意識とは異なる、身体の筋肉・骨格・内臓・皮膚・血管・経絡・細胞等々の上に成立する力感・圧力感・流動感・接触感・質感・温感・気感そして
存在感などの一切の体性感覚を根拠として成立する意識系のことです。
 人というものは、“身体で感じ、身体で考える存在”であるということなのです。
 誰しも生まれてからしばらくの間は理想に近い形で、“身体意識”が働いているのです。しかし言語を習得しつつ成長し…人はしだいに、“身体意識”との結び付きを喪失した視覚・聴覚的意識の過大な意識世界を作り上げてしまうのです。
20世紀の哲学者や詩学者が問題にしたという「身体性を喪失した言葉の氾濫」というのは、このことを言葉の面から捉えたもの。しかるにさらに重要なことは、身体でさえ“身体意識”を喪失することがある、ということなのです
0665吾輩は名無しである
垢版 |
2015/06/02(火) 21:17:00.01
これは、人と話している時には会話の80%を相手のことに振り向ける、残りの20%を自分の話にする、というものだ。
相手が8割しゃべり、自分が2割しゃべる、ということではない。
自分が話す時間の中で、8割を質問や相手の話すことへのフィードバックなど、
相手に関する内容に当てる。これを頭の中で視覚的にイメージするだけで、適度な「サスペンション」が効いてくる。
【 ダメな事例 】
相手:最近、ヨガを始めたの。
自分:ヨガ、いいよね。私もやってるよ。始めてから体調がよくなった。最近、はまってるのが、ホットヨガ。40度ぐらいに暖められた室内でやるんだけど、だくだく汗かいて、
ものすごく気持ちいいんだよね。何でも、体温を上げると……(と延々続く)
【 80:20の話し方 】
相手:最近、ヨガを始めたの。
自分:へー、どこで?
相手:表参道の〇〇スタジオ。
自分:そこのヨガ、どう?
相手:先生が熱心で、とてもいいよ。それに、始めてからものすごく体調がよくなった気がする。
自分:ヨガって健康効果が高いっていうよね。
相手:そうそう。肩こりとか、関節痛とかがなくなってきたし、よく寝られるようになった
0666吾輩は名無しである
垢版 |
2015/06/05(金) 14:22:14.48
無垢の博物館トルコのノーベル文学賞作家オルハン・パムク
ケマルの妄念的な愛情がケマルの愛情はフュスンの内面や社会的状況には向けられず、もっぱら女性としての外面的な美しさに向けられており、きわめて自己中心的に描かれている。フュスンに対する生涯の愛情を確信したケマルは別の女性との婚約を解消し、
フュスンや彼女の生活に関わり、それらをケマルに想起させる物を収集し始める。物と妄念により自己の持つ愛情を満足させることが習慣となり、ケマルは家族や友人たちとの健全な社会的人間関係を損なっていく。
作品中には蝶やカゴの小鳥、ケマルのフェティシズムにより集められた小物が多数登場する。フュスンに完全に魅了されていたケマルは、しかし彼女をひとりの人間として扱うことができないことが、
作品中では最後まで描かれ続ける。しかしそうした人物はケマルだけでなく、フュスンの周囲に登場する男性は誰もが彼女の異性としての魅力にとりつかれ、彼女の個性や内面を見ようとしない。
最終的に彼女は、トーマス・ハーディの「テス」やフロベールの「ボヴァリー夫人」のように、そういった男性たちの欲望の犠牲となる
0667吾輩は名無しである
垢版 |
2015/06/05(金) 15:12:16.46
また、個人的な趣味としては「古典的なものが好き」で、歌舞伎、落語、相撲[32]などを愛する。また、NHKの「大河ドラマ」に関してもマニアックなファンである[33]。
音楽ではクラシック、オペラなどが好きであり、大学院では歌舞伎とオペラの比較研究を志していたこともある。
その一方、「ロックなどという若者向けの音楽を論じて、受けを狙う学者は気にいらない」「ミステリのような通俗小説を、学者で愛好する人がいるのが理解できない」
「筒井康隆のようなSF的設定の小説は面白いが、SF小説自体は、SF漫画やSF映画に乗り越えられている」などと語っている。その他、特撮を愛好する一面もある
0668吾輩は名無しである
垢版 |
2015/06/06(土) 15:17:48.46
漫画は止め絵だから要所要所で大げさなポーズもとるし説明的なセリフも必要になる
だが映画は頭からケツまで全てつながってるんだから本来そんなの必要ない

福井晴敏「アニメは情報が止まり只の止め絵にしか見えなくなったらおしまいだから、説明的でも台詞は絶やしちゃいけない」(月刊シナリオ・意訳
0669吾輩は名無しである
垢版 |
2015/06/10(水) 15:20:56.64
ライク・セックス 娼婦マミーのホテル稼業W・B・ヒュイ
ライク・セックスとは何か?――ラブ・セックスが愛なきマネー・セックスに堕落している現在、原始の性への復活剤たりえるか。

“性のホテル”――娼婦あがりの実業家マミーが、ハワイに始めた性の楽園である。ポリネシアの秘法で性の奥儀を伝授され、気に入った相手とフリーセックスを悦楽する。それはハワイ旅行の幻滅を救う、
新奇な商法だ。作家ジェイムス・マディスンは、このルポルタージュを依頼されてかつての愛人マミーのもとを訪れる。マディスンの前に繰り拡げられた“ライク・セックス”の夢幻の如き秘技……。
 マディスンは七人の相客とホテルに入った。その中には美貌の女弁護士エレーンがいた。彼女は二十八歳の今日まで、処女をまもったことを心に恥じているのだ。マディスンはその“聖処女”を犯すことに青春の歓喜を想い起す。
 旅は人に性の自由を与え、旅は性の刺激剤となる。かくて、世界中のホテルで、愛なき性の営みがくりかえされているではないか。マミーの花園は、ただ、その仮面を捨てて性の歓喜に人を没入させる― 新しい門だ。
河出書房「人間の文学シリーズ」で邦訳された『マミー・ストーヴァー』の続編。

佐野繁次郎が装丁を手掛けた書籍も数多くあり
0670吾輩は名無しである
垢版 |
2015/06/12(金) 19:25:59.90
山田太一ドラマは庶民批判があるけれど、
山田洋次映画にはただただ庶民礼賛しかないのである。
庶民は正しくてあったかくて、みんな苦労しているんだから、がんばって生きようみたいな。
0671吾輩は名無しである
垢版 |
2015/06/17(水) 16:45:47.78
今、物語に頼りがちなエンターテインメントの小説が多い中、一つ一つものすごく文章にこだわった小説だと思うんです。」
「恋愛を描いてとてもチャーミングな描写がたくさんあって、女性が主人公になっている章もあるんですけど、男の作家が書いているのに一つもブレがない。」
「登場人物の一人一人が心の中で傷を持っているんだけど、純文学が陥りがちなトラウマに堕していない。」「虚無をセンティメントに反転させるのを臆面もなく書くのは恥ずかしいんですけれども、そういうことをちゃんと書くのは大切だと思うんですよ。」
0672吾輩は名無しである
垢版 |
2015/06/19(金) 13:19:22.57
ジョンソン政権の政治エリート達を中心に描いた『ベスト・アンド・ブライテスト』でその名声を不動のものにした。ハルバースタムの作風は、事実を淡々と書くボブ・ウッドワードの作風とは対照的である。
読者の注意をわしづかみにする導入や逸話の挿入、刺激的な語句の使用とドラマチックな展開は彼の著作を他のジャーナリストのそれから際だたせるものとなっている
0673吾輩は名無しである
垢版 |
2015/06/21(日) 14:05:38.29
日本軽佻派を名乗り、独自の喜劇・風俗映画を中心的に、露悪的で含羞に富み、卑俗にしてハイセンスな人間味溢れる数々の作品を発表した。
人間の本性をシニカルかつ客観的な視点で描いている作品が多く、弟子の今村昌平の作品ともども「重喜劇」と称されることが多い。川島の場合、脚本を担当した藤本義一が命名したとも、
フランキー堺が呼称したとも言われる。今村がムラといった地方の土着社会に関心が移行していったのに対し、『洲崎パラダイス赤信号』や『しとやかな獣』に見られるように川島は都市に関心を持ち続け、
都会に生きる現代社会の人間達をテーマの中心に据えていた。
0674吾輩は名無しである
垢版 |
2015/06/24(水) 20:38:32.35
モームの言葉としてこんな自己主張をしている。

「働いているあいだは自分を忘れることができるので、労働は賛美されるのである。
愚かな人間は何も仕事がないと退屈する。
労働は、大多数にとっては、アンニュイ(倦怠)から逃れる唯一の道だ。
で、だからといってそれを神聖と呼ぶのは笑止千万。
怠惰でいるためには、多くの才能と豊かな教養が必要である。
あるいは特別製の頭がいるのだ
0677吾輩は名無しである
垢版 |
2015/07/13(月) 14:45:15.06
物語を考えるきっかけは、1990年代のユーゴスラビア解体やルワンダ紛争でした。東西冷戦期、核戦争におびえていた私たちは、冷戦が終われば良い時代が来ると思っていた。
でも、平和に共存しているように見えた民族が、憎悪の記憶をあおられ、お互いを殺し合った」
「愛と憎悪はいつも『思い出すこと』と結びつく。個人だけでなく、国家がどのように『記憶』を扱うかを書きたいと思いました。
現代的な設定や、携帯電話が人間の頭の記憶に影響を与えてしまうようなSF的な設定も考えたけれど、魅力を感じなかった」 
そのとき、遠い過去の世界という設定が浮かんだ。子供の頃に読んだ本や、鬼が現れ、超自然と現実が融合されたような、母が読み聞かせてくれた日本のおとぎ話の記憶もよぎった
「記号のように読解しなくてはならない小説は書きたくない。自分が表したいのは感情や気持ちです。あの夫婦には、こんな複雑な感情があったのかと感じてほしい。
21世紀は情報をやり取りするだけのような時代になっている。感情を分かち合い、事実の裏側にあるものを伝えたい」
作家、村上春樹さんとの親交の深さでも知られる。「村上さんの作品から私が学んだ主なことは、どのように夢や幻想を現実の状況とブレンドし、混ぜ合わせるかということです」
0679吾輩は名無しである
垢版 |
2015/07/19(日) 22:44:08.86
その人の人生観とかものの見方は他の若者とは違うだろうから、ぜひ読んでみたいと思いますね」と興味津々の様子。
さらに「いわゆる文学青年みたいなヤツの(小説)はホントつまんなくなっちゃってね。
とにかく選考委員やっててね、自分の登場の時みたいに足元をすくわれるようなとんでもない新人が出てこないかと思っていたんだけど、
あんまりショックを受けることはなかったなあ」と振り返った。

また、又吉の「火花」が純文学でありながらエンターテインメント性も併せ持つ作品になっていることについても触れ
「純文学も娯楽小説も差はない。面白い小説は面白い。
純文学で出てきた人が娯楽小説を書くべきじゃない、みたいなタブーがありますけど、
カテゴリーで分けるのはおかしい」と持論を展開。「たとえば川端康成の『雪国』は、
あんなに感覚的で面白い小説ないじゃないですか。
文学とは新しい感性で人を揺すぶること。人間の価値は感性。
感性というモノに依らないと、人生というものは自分の軌跡を描くことは出来ない
0680吾輩は名無しである
垢版 |
2015/07/25(土) 00:46:11.19
それはモノとメカニズムに関する即物的な描写において特に鮮明にあらわれてくる。「ナイト・ダンサー」における機械の描き方は、決して機械的ではない。
カタログそのものでもない。調べた知識にせよ、作家の感覚をとおして構成された文章である。読む人によっては無味乾燥とも、煩雑とも感じられそうな技術用語の羅列が、
私にはすこぶる興味ぶかく思われて舌なめずりしながら読みすすんだのだから小説というやつは不思議なものだ。
人間関係の描写になると、とたんに興ざめしてしまう欠点を承知の上で、テクノ・サイエンスの新種として「ナイト・ダンサー」を強く推す結果となった
0681吾輩は名無しである
垢版 |
2015/08/16(日) 13:14:06.80
作家の村上春樹さん(66)が、共同通信のインタビューに答え、
歴史認識や原発について語った。東アジア情勢について、中国と韓国の国力が上がり、
今まで封じ込められていた問題が吹き出した、と現在の状況について述べ、
歴史認識について踏み込んだ発言をした。4月21日付の神戸新聞などが報じている。
ただ歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。
相手国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、
わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。
謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、
国に侵略したという大筋は事実なんだから。
また、原発についても「地震も火山もないドイツで原発を撤廃することが決まっているわけです。
危険だからという理由で。原発が効率的でいいなんて、ドイツ人は誰も言っていません」
とし、原子力発電所ではなく、「核発電所」と呼ぶべきだ、と主張している
0682吾輩は名無しである
垢版 |
2015/08/23(日) 14:01:02.65
ハイテク化ですべてが進んでいるようにみえるけど、欲や嫉妬のような人間の基本的な本能は絶対に変わらない。
こうした基本的な部分が変わらないから、国境を超えて芸術が理解されるんです。
だから、携帯電話でゲームばかりやっている最近の子供たちに、
その基本的な部分でわれわれがどんなにすばらしい遺産を受け継いでいるかを理解させるためには、情緒を養ってあげないといけないんです
。数字とか情報を与えたってダメ。それよりも教養が重要です。
教養は本や映画、音楽、美術とかいいものをみてだんだん染みついていくもの。情報と教養は全く別なのよ。

戸田奈津子
0683吾輩は名無しである
垢版 |
2015/09/03(木) 00:45:48.12
1.自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2.限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3.自分が特別であり、独特であり、ほかの特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4.過剰な賞賛を求める。
5.特権意識、つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6.対人関係で相手を不当に利用する。つまり自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9.尊大で倣慢な行動または態度。
0684池澤夏樹
垢版 |
2015/09/13(日) 13:24:03.50
日本の三権分立は死にかけている」と朝日新聞のコラムで書いた。実際、憲法判断を放棄している司法、さながら大政翼賛会と化している立法府。
民意は無視され、憲法破壊が公然と進んでいるのだから、ひどいものだ。沖縄や憲法問題に真っ向から取り組んできた作家・池澤夏樹氏に、安倍政権の危うさと日本の行く末を聞いてみた。
――安倍政権が言う積極的平和主義って、何だと思われますか?
戦争主義ですよ。つまり戦力を誇示し、威嚇と恫喝によって周囲を黙らせることでしょう。
――しかし、多くの日本人はいまだに安倍政権の勇ましさを支持しているように見えます。日本人って、そういう民族なんでしょうか?
実は3.11の東日本大震災をきっかけに日本という国、日本人に大きな関心が湧いてきたんです。1年ほど東北に通って、惨憺たる場所を見たり、
時にはボランティアの手伝いをして、国土について調べ、日本人はどうしてこんなところで生活してきたのかを考えました。日本は島国で、
異民族支配を知らないで済んできた。そのせいで、少しトロいというか外交下手のところもある。自分たちが起こした戦争ですら、自然災害のように早く忘れてしまう。何なんだろう、日本人って。

アメリカが辺野古の基地建設にこだわるのは、海兵隊の既得権益を放したくないのだと思います。
――経済政策にしても、日本は米国流のグローバルスタンダードというか、新自由主義を全面的に受け入れている。
企業が儲かれば庶民にも恩恵が行くというトリクルダウン説ってあるでしょう。僕はあれを「悲しい流しそうめん」と呼んでいます。下流の方でいくら待っていても何も流れてこない。
沖縄については「後ろ手で縛られた回転ずし」と書きました。目の前を富のようなものが流れていくけど、沖縄の人は手を出せない。結局、この国は主権在民ではなく、主権在企業なんですよ。
すべては企業のお金の尺度になって、企業が栄えて、国はどんどん劣化していく。人間にとって幸福とは何かを、頭から考え直さなければいけないと思います
0685池澤夏樹
垢版 |
2015/09/13(日) 13:27:40.49
――日本もデモが根付いてきましたね。
やっと日本もデモができる国に戻ったという感じです。積極的意思表示というのはそれだけで力がありますからね。SEALDsの動きも落胆で終わらないようにしなければならない。
ただし、デモを拡散しているSNSというツールには危ない側面もあります。これまでインテリは勉強し、一応の理屈を用意してから発言をした。だから、論争にもなった。
ところが、SNSはきちんと整理された意見ではなく、その場の思い付きや感情が連結されて、炎上したりする。こういうメディアの特徴は知っておくべきです
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/163141
0686吾輩は名無しである
垢版 |
2015/09/20(日) 22:56:22.90
何気ない立ち居振る舞いでその人物を語ってしまうのが小説的人物描写だろう。
しかし読者にもそれなりの素養を求めてしまうのが難点なのかもしれない。
人物描写というのは、何ページも使って生い立ちや考え方を細かく書くことじゃないように思う。
そりゃ、わかりやすくていいだろうけど。
その割には各人物が単純化されてしまいがちだ。

福井が若年層や小説をあまり読まない層に喜ばれるのはそんなところだろうと思う。
0687吾輩は名無しである
垢版 |
2015/09/22(火) 02:50:42.08
プルーストの『失われた時を求めて』からも多くを学びました。これはとても長い作品です。大学にいた時、授業で読まされてはいたのですが、当時は読みながら寝てしまうほど退屈だと思っていました。
 でも、小説家になって、デビュー作を書いた直後に、この本を読んで、「物語を語るための、すばらしい技術が隠されている」と気がつきました。
 ちょうどその頃、私はテレビの脚本も書いていて、そのせいか、自分の小説がどうも脚本のようだと感じていました。この本を読んで、「テレビと同じような本は、必要ない」
とわかった。そして、次に小説を書くときは、小説ならではの強みを生かした、こういう本にしよう、と決めました。
 それで、序章と「コンブレー」(第1篇「スワン家の方へ」の第1部)を特に子細に読み、観察していきました。この本は、まるで抽象画や、コラージュ作品のような本と言ってもいいかもしれません。ある一つのイメージから、次のイメージへ。
一つの記憶から次の記憶へと、自由に物語をつむいでいくよう。それによって、ただプロットを追うよりも、はるかに自由で、大きなことができるようになるのです。「記憶」は、語られる「対象」としてだけでなく、
物語を語る「形式」にもなりうることを学びました。一番好きな作家とは今も言えないのですが、間違いなく、多大な影響を受けた作家です。
0688吾輩は名無しである
垢版 |
2015/09/22(火) 02:53:53.69
「この15年、社会や国の記憶についてずっと考えていた」という。1990年代、泥沼化した紛争の末にユーゴスラビアが解体し、アフリカのルワンダでは民族間の大量虐殺が起きた。
「1世代、2世代前の記憶が目覚め、むごいことが起こる。衝撃でした。思ったのは社会の記憶は政府によって武器として使われるということです。安定した社会にもそうした埋められた記憶、『忘れられた巨人』はある。
対立やトラウマが残る段階で、過去は忘れたままにした方がいいのか、目を向けた方がいいのか−という問題に苦しみながら向き合うことを書きたかったのです」
過酷な運命を受け入れる若者を描く哀切な長編『わたしを離さないで』(2005年)などで生の糧(かて)となる記憶を見つめた作家が、だから本作では記憶を取り戻す怖さを掘り下げる。
簡単な答えはない。暴力や社会の崩壊を防ぐために忘れる方がいい場合もあるからです。親子や夫婦間も同じです。ただ問題は、真の広い意味での和解がなければ『埋められた』と思ったものが息を吹き返し非常に大きな問題になり得る、ということです」
「私が小説を書きたいのは感情や情緒を分かち合いたいから。情報を交わすだけでは十分ではない。痛みや苦しみといった、出来事の裏にあるものを小説はささやかではあっても伝えられると思うのです」
0689井上ひさし
垢版 |
2015/09/24(木) 23:57:36.99
小説を読んでお金が儲かるなら経営難の銀行や会社の役員はみな勤勉な読書家になっている。小説が健康にいいなら病院も医院もとっくに
本屋や貸本屋に転業している。小説で品性がよくなるなら議員諸公は選挙のときに自分の蔵書を得意そうに連呼するはずだ。
そうなっていないのは、小説を読んでもお金にはならず、健康のためにも役に立たず、品性向上にも効果がないからである。では何のためにわたしたちは小説を読むのだろうか。暇潰しのために読むのだ。
 だが良い小説は、わたしたちのその暇を、生涯にそう何度もないような、宝石よりも光り輝く「時間」に変えてしまう。しなやかで的確な文章の列が、おもしろい表現や挿話の数数が、
巧みに設えられた物語の起伏が、そしてそれを書いている作者の精神の躍動が、わたしたちの平凡な暇を貴い時間に変えてくれるのである
0690吾輩は名無しである
垢版 |
2015/09/27(日) 03:33:54.47
終わりの始まりを描く。それがウエルベックの自らに課してきた使命である。だがフランス共和国のイスラーム化という大胆きわまる設定のもと、ヨーロッパ文明の終焉──ないしは「安楽死」?
──を悲痛に物語るかに見えて、実は小説という、まさしく西欧的な産物の健在ぶりを示すところに作者の凄腕を感じる。なるほど、もはや政治にも宗教にも社会を束ねる力は残っておらず、
主人公の文学部教授が示すとおり、学問にも知性にも期待はできないのかもしれない。だがそうした苦境を一見鬱々と、しかしユーモアもにじませて描き出すことで、小説は自らのしぶとく、
しなやかな生命力を証しだてる。ウエルベックはプルーストでも、サルトルでもなければ、もちろんロブ=グリエでもない。
ウエルベックは現代のバルザックなのであり、十九世紀以来の形式に焦眉の社会問題を激突させることでロマンを鍛え直す。ウエルベックとともに、終わったはずの小説は不敵な笑みを浮かべつつ蘇るのだ
0691吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/01(木) 03:21:21.31
「名所見物にはあまり興味が持てない。
世界遺産に熱を上げる人があまりに多いので、
そういうところに行っても私は夢中になれない。(……)
一番興味があるのは人間であり、人間の送る生活である」(P239)
人生もまた旅である。ところが、「人生が作家に既製(レディ・メイド)の物語を提供してくれることはめったにない。
実際、事実というのは扱いが厄介である。
事実は作家の想像力を刺激するようなヒントを与えてくれるのだが、
一方で作品に有害でしかない権威を行使しがちなのである」(P247)
モームはスタンダールの「赤と黒」を引き合いに出す。
スタンダールは当時有名だったある事件をもとにして「赤と黒」を執筆した。
作家はおのが理想を「赤と黒」の主人公にたっぷりと投入した。
だが、スタンダールは最後に失敗をした。
事実に引きずられ事件のてんまつを物語の流れにそむいたものにしてしまった。
モームにいわせると、スタンダールは「赤と黒」最終部分で
「事実を捨て去る勇気」を持たなければならなかったのである
0692モーム
垢版 |
2015/10/01(木) 03:26:28.01
「筋の主たる効用に多くの人が気付いていないようだ。筋は読者の興味をある方向に導く。
それが小説の場合おそらく一番大事なことである。というのも、読者の興味に方向を与えることによって、
読者があるページから次のページへと読み進むように仕向けるからであり、
読者の心に作者の望むような気分を醸し出すからである。
作者は常にサイコロに仕掛けをしておくのであるが、そのことを読者に悟らせてはならない。
筋を巧みに操ることによって、どういうふうに騙されたかを気付かせないまま、
読者の注意を引きつけることが出来るのだ」(P260)
「執筆中に作家はたいてい風邪をひいたり、熱を出したり、痛みや苦痛、時には吐き気を覚えたりする。
その一方、すぐれた作品の多くが書けたのは、肉体の病的な状態のお陰であることにも気付いている。
作家というものは、自分の最も深い感情や霊感によって浮かんだような素晴らしい考えの多くが、
実は運動不足や調子の悪い肝臓のお陰であると自覚しているので、自分の霊的体験を多少皮肉に眺めるのは否めない」
0693吾輩は名無しである
垢版 |
2015/10/02(金) 00:33:27.91
戦場の司馬は、まさにこの見掛け倒しの「憂鬱な乗り物」であるところのチハ車に乗らされる。昭和期の行政官僚や陸軍が現実離れした「形而上的ポーズ」に支配され、
正常な自己認識を失った結果として、兵士の命を脅かす時代遅れでポンコツの戦車ができてしまう
戦争は善か悪かという問い以前に、司馬にとってはまずこの日本軍の奇怪な行動様式こそが最大級の批判に値するものであった。
もっとも、ここで司馬は、下品な恨みつらみにならないように言葉を選んでいる。正岡子規を敬愛していた司馬は、国家の愚かさを高みから裁断するのではなく、自分自身をも客体視する「写生文」の手法を巧みに用いている。
むろん、チハ車が徹甲弾にやられて「自分が挽肉になるという想像は愉快なものではなかった」にしても、この深刻な想像を描くとき、
司馬の筆致は独特のユーモアを醸し出す(「挽肉のことを書こうとしているのではない。/機械のことを書くつもりだった」)。それはちょうど、死後の自分のありさまを落語のように描いた子規の写生文とどこか通じるものがある。
要するに、司馬は戦場に何のロマンも幻想も認めていない。彼にとって、戦場とはただ、軍国主義すらグズグズにする日本の愚かさが支配する空間にすぎない。彼の写生文は、一兵卒である自分自身も含めて、
すべてを等価なモノのように扱う。そして、この非熱狂的な文章技術によって、馬鹿げた戦争の描写には奇妙な「おかしさ」が宿り得るだろう。

さらに、戦争に関しても、反戦・非戦を声高に叫ぶよりも「日本は地理的に対外戦争などできる国ではない」という「小学生なみの地理的常識」から始めたほうがよいと提言する
0694吾輩は名無しである
垢版 |
2015/12/04(金) 01:26:47.48
・アンケート集計結果、発表!
各界著名人143名が選んだベスト100はこれだ!
(1「ロビンソン漂流記」デフォー/2「厳窟王/モンテ・クリスト伯爵」ペール/3「十五少年漂流記」ベルヌ/4「宝島」スティーブンソン/5「小公子」バーネット/6「トム・ソーヤーの冒険」トウェイン/
7「黒猫・黄金虫 」エドガー・アラン・ポー/8「西遊記」誤承恩/9「アンクル・トムの小屋」ストウ/10「飛ぶ教室」ケストナ/11「ガリバー旅行記」スウィフト/11「銀の匙」中勘助/
11「シートン動物記」14「幸福な王子」ワイルド/14「母をたずねて三千里」デ・アミーチス/14「耳なし芳一の話」小泉八雲/17「若草物語」オルコット/
17「ファーブル昆虫記」ファーブル/17「レ・ミゼラブル」ユゴー/20「風の又三郎」宮沢賢治/20「銀河鉄道の夜」宮沢賢治・・など)
0695吾輩は名無しである
垢版 |
2016/03/02(水) 23:11:00.88
大手広告代理店の代理店手数料は、扱い額の「3割」だと聞いたことがある。
クライアントとの関係や仕事の内容によっても異なるのだろうが、買い手を見つけられないコンテンツの売り手に対して、買い手との関係を取り持つことの価値はそのくらいあってもおかしくない。
いわゆる口利き料の相場とは、このくらいのものなのだろう。そう考えると、最近「口利き」が問題になった有力政治家の事務所が得た実質的な口利き料は案外安かったのかもしれない。
大学教授や作家、評論家などの、いわゆる「文化人」がタレント的な活動をする場合、マネジメント事務所に所属すると、事務所の取り分はギャラの3割である場合が多い。
筆者は、それほど多くないが講演の仕事をすることがある。
講演の講師のキャスティングには、講演の依頼者側にキャスティングの事務所が入ることが多い。
講師を探してきて、手配するのが彼らの仕事だ。この事務所が取る手数料も3割であることが多い。
たとえば、講演の依頼元が支払う講演料の予算が50万円である場合、キャスティング会社を通じて提示される講演料は35万円となる。
キャスティング会社が介在する場合の講演料を聞いてみると、7で割り切れる数字(3割がキャスティング事務所の取り分になるので)になる場合が多い。
さらに、講師側にマネジメントの事務所が介在すると、こちらでも3割取るので、講師が手にする講演料は24万5000円となり、依頼元が支払う金額の半分を少々下回ることになる。
7割×7割=49%なので、計算に間違いはない。
●事務所に所属することが割に合っていない人も
3割のマネジメント料が高いか安いかは、マネジメント事務所がどの程度ビジネスを増やしているかに依存する。
ここで「マネジメント料が3割なのだから、事務所がビジネス案件を3割増やしてくれていればいい」と思うのでは、少々数字に弱い。
「3割値下がりした株が、元値に戻るには約4割(正確には42.85%)の値上がりが必要」なのと同様で、事務所の営業活動によって、
ビジネスが事務所が介在しない場合よりも、少なくとも4割以上案件が増えているのでなければ、事務所にマネジメントを任せることにメリットがないという計算だ
0696吾輩は名無しである
垢版 |
2016/03/02(水) 23:12:42.90
ちなみに、いわゆる文化人のテレビ出演料は、世間でイメージされているよりも高くない。時間当たり単価は、講演料の数分の一だ。
民間の放送局の間では、通称「文化人価格」と呼ばれる、緩やかな談合価格が存在し、その価格は同じ番組に出演する芸能人の数分の一であることが多い。
売れている芸能人は、付き人から同事務所の売れないタレントまで食わしているので、妥当な価格設定だとも思える。
テレビ局側から見ると、「文化人は、テレビに出して顔を売ってあげるので、講演の仕事を増やして、自分で稼いでください」といったニュアンスの価格設定だ。
マネジメント事務所に所属していると、依頼案件を断る時や、ギャラの請求をする時などに気が楽な面があるのだが、文化人にビジネスを依頼する側が、
介在する事務所の有無によって依頼するか否かを変えるかどうかは微妙だ。
トータルに見て、マネジメント事務所への所属が得になっていない文化人は少なくないのではないだろうか。
●厳しい職業作家
テレビ出演や講演で稼ぐ文化人よりも効率が悪いかもしれないのは、職業作家だ。
永井荷風や夏目漱石の頃は、一般人の収入に対して作家の収入は相当に大きかった。
原稿料は高かったし、作家はスターだったし、出版は成長産業だった。
しかし、長きにわたって字数当たりの原稿料はデフレが止まらない。単行本の印税は概ね書籍価格の10%だが、
出版は点数が増えている一方で、出版全体の売り上げが毎年落ちている業界であり、作家の収入事情はごく一握りの売れっ子を除いて大変厳しい
職業作家として、そこそこに名の通った人、何年か前に有名文学賞を受賞していて文庫本も複数出ているようなクラスの人でも、
印税と原稿料だけなら、一般の勤労者の平均所得(年収約400万円)とそう変わらないことが多い。
  文芸の単行本だと、知名度や話題性がある著者でなければ、初版が5000部程度であることが多く、増刷にならない場合が少なくない
0697吾輩は名無しである
垢版 |
2016/03/02(水) 23:13:18.55
ノンフィクションや実用書でも事情は似たようなものだ。一冊が1500円としても、著者に入る初版印税は75万円にしかならない。
増刷されて合計1万部売れても150万円だ。
雑誌などに定期的な連載を持ち、一定の原稿料を稼ぎつつ、これを単行本化してまた稼ぐ、といったワーク・フローを確立しないと、
書き仕事だけで食べていくのは大変だが、このビジネス・モデルだと、有力雑誌の連載欄の数が食える作家の数の上限になってしまう。
せいぜい数十人だ。
日本の作家の場合、「作家になりたい」という希望者は数多い一方で、そもそも「日本語」のマーケットが小さい。
加えて、本を買う人口は、全体の人口減少以上のスピードで減っている。少なくともビジネス・モデルの改良は急務だ。
ミュージシャンの世界では、インターネットの影響もあり、CDがかつてほど売れなくなったので、
ライブのチケットを値上げしグッズの販売を増やすなど、ビジネスの形態が変化してきている。
ファンを集めた交流会的なイベントを催す場合もある。
また、かつてであれば、イベント屋やチケット販売会社に丸投げしていたコンサートのチケット販売を、
昨今ではミュージシャンの事務所が直接行い、「中抜き」される手数料を節約するとともに、
顧客のデータを自分達で持つ、ダイレクト・マーケティングを取り入れるようになってきた。
●ビジネスモデルの改善が急務
俗に「センセイ」と呼ばれる、講演や著述で食っていこうとする人々は、おしなべていえば、第一にそもそも営業努力が足りないし、第二にビジネス・モデルに工夫がない。
結果的に大学の教師で食っていこうとする人が少なくないが(しばしば生徒には迷惑だ)、少子化で大学も衰退産業だし、大学教員の希望者が多くて、席を確保するのは大変だ。
センセイ業の人々は、対面サービス的な時間をつくって少数のファンを深掘りするか、ネットを使って広く・薄く課金(あるいは広告)できるモデルを考えるか、
いずれかの方向を目指すべきだろうし、どのような方向であっても、顧客データを自分で持つことを考えるべきだろう。
マネジメント事務所や出版社のアクションを漫然と待っているのでは、早晩ビジネスとして成り立たなくなる。
0698吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/20(水) 13:51:43.76
女性誌「CREA」編集部が作家・村上春樹らと共に、14日に地震が発生して以来今もなお余震が続く被災地・熊本を支援する活動「CREA<するめ基金>熊本」を19日より開始した。

「CREA<するめ基金>熊本」とは、2004年に文藝春秋より刊行された旅行記「東京するめクラブ 地球のはぐれ方」の著者で
作家・村上春樹、作詞家・作家の吉本由美、写真家・編集者の都築響一ら3人のユニットに端を発したもの。
2015年6月、「CREA」では村上が都築と共に熊本で暮らす吉本を訪ねる企画を行っており、
編集部では「何かすぐにでも役に立てることはないか?」との思いから村上と相談のうえ、支援金を集め被災地に届けるかたちでの活動を考案した。

村上は熊本での旅の思い出を振り返ると共に、「そのときにお目にかかったみなさんが、今回の大地震でどのような被害に遭われたのか、心配でなりません。
また『東京するめクラブ』のメンバーである吉本由美さんも、しばらく前から猫たちとともに熊本に住んでおられます。
僕としても、被災されたかたがたの、何か少しでもお役に立てればという気持ちでいっぱいです」とこの活動に対してコメント。
「するめを噛むみたいに、じっくりたゆまず支援を進めていきましょう」とスタンスを説明したうえで、支援を呼び掛けている。
0699吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/14(土) 13:54:31.25
「川端はいかにも日本文学。一語一句、漢字のニュアンスまで、その繊細さ、微妙さがある。日本語の機能を最大限引き出している。でも村上さんは全く違う。
言葉の美しさや、文化的な文脈に寄りかからない。映画やテレビドラマみたいに、場面の移り変わりを描いていく。だから、英語にしてもわかりやすい」
言葉の美でなく、映像的。だが同時に、抽象性も備えている。
「映像が頭に思い浮かぶのに、舞台が日本なのかなんなのかわからない。抽象的な感じもある。文化に頼らないから伝わりやすい」。バーンバウムさんは言う。
作品の舞台が日本でも、登場人物はそばでなくスパゲティを食べる。出てくる音楽は、「荒城の月」ではなく、ジャズであり、クラシック。
「世界共通の、ハンバーガーやジーンズのようなものを目指したんだと思う。いわば、ポップカルチャーだよ」
対照的なのが、英語で執筆する日系アメリカ人作家のカズオ・イシグロだという。最初期の作品は、イシグロが幼い頃に過ごした日本を舞台にして書かれている。
「でも、読んでみると情景が全然わからない。畳にすわっているのか、ちゃぶ台でたべているのか、テーブルでたべているのか、全然わからない。それは意識的に作ろうとした抽象的な日本なんだ」
村上さんの目は、アメリカにあるとバーンバウムさんは主張する。
抽象化された世界共通文化としての「アメリカ」。違う文化に生きる読者にとっても、入りやすく、壁を作らない。「たまたま日本語で書いている、アメリカの作家」と表現する理由
0700吾輩は名無しである
垢版 |
2016/06/06(月) 00:42:49.92
測量師のKは深い雪の中に横たわる村に到着するが、仕事を依頼された城の伯爵家からは何の連絡もない。村での生活が始まると、村長に翻弄されたり、
正体不明の助手をつけられたり、はては宿屋の酒場で働く女性と同棲する羽目に陥る。しかし、神秘的な“城"は外来者Kに対して
永遠にその門を開こうとしない……。職業が人間の唯一の存在形式となった現代人の疎外された姿を抉り出す。
0702吾輩は名無しである
垢版 |
2016/07/07(木) 14:43:17.86
モスキートコースト/ポールセロー
奇想天外でラディカルで素晴らしく力強い
     村上春樹
0703吾輩は名無しである
垢版 |
2016/07/23(土) 15:43:17.36
清水克衛(以下、清水) どうしたらいいんですかね。何か革命的なことでも起きないと、この頽廃的な状況は変わらないのかもしれませんが。
小林よしのり(以下、小林) 政治的な革命じゃダメだからね。人間の意識や感覚のレベルで革命が起きないといけない。たとえば、これはありえない妄想かもしれないけど、SNSとは無縁な、
本しか読んでいない若い世代がいるとして、彼らが議論の場をどんどんつくって、地方都市まで広がっていくような動きが現れるとかね。 
そんなことが起きたら、「若者すごい!」と賞賛しますよ。ただし、その議論の場がタコツボ化してお互いに反対勢力をブロックするようではダメ。いまの論壇はそうなってるでしょ。右と左が相互ブロックして、相手のいうことにまるで耳を貸さない状態ですよ。
清水 それでは議論にならないですね。
小林 それぞれが自分たちの意見にうっとりして快感を得ているだけだからね。保守論壇の講演会なんかに行くと、「この日本にはもっと大きなポテンシャルがあると思いませんか? いかがですか?」とかアジる奴がいるわけ。すると、
集まったおっさんたちが「うおー!」って拍手喝采するの。もう、あきれかえってしまって「バカか?」と思うよね。
同じ考えの人間だけが集まって、盛り上がっている状態。あんなマスターベーションにはなんの意味もない。
清水 お祭り騒ぎみたいな「デモ」にも、それと同じものを感じませんか?
小林 その通りですね。そういう風潮が蔓延してるから、「ゴー宣道場」では絶対にそんな予定調和にしないんです。たとえば、わしは憲法改正すべきと考えているけど、護憲派の人間を呼ぶこともある。どういう理由で護憲なのか、聞いてみないとわからないじゃないですか。
改憲派にだっていろんな意見があるんだから。そういう議論の場を若い連中があちこちにつくり始めたら、わしは「おまえたちは革命を起こした」というかもしれない。いまの日本で民衆の知性レベルを根本的に高める方法があるとしたら、そういうやり方しかないんですよ。 
  わしや宮台(真司)や東(浩紀)は、それを始めたけど、若い世代がそれを始めたら本当に革命的な変化が起こるんじゃないかな
0704吾輩は名無しである
垢版 |
2016/07/23(土) 15:44:59.45
清水 うちの店に来る若い人たちも、最初は何も知らないんだけど、本を読むといろんなことがだんだんわかってくるんですね。いままではそういう機会がなかっただけなんでしょう。ある男子大学生は、
「本を読むようになってから友だちがいなくなった」というんです。話が合わないので、飲み会に誘われても「本の続きが気になるから」と断っているうちに、声がかからなくなった。
でも、彼と話の合う若者もどこかにいるかもしれませんよね。「パンとサーカス」にどっぷり浸ってる子もいれば、そうじゃない子もいる。ちょっと気づけば、議論の場にどっと入ってくる可能性はあると思います。
小林 わしも学生のときは同じような経験をしましたよ。学生って浮かれてるから、友だちが車で迎えにきて「よお、小林! どっか遊びに行こうぜ!」と誘いに来るんだけど、わしは本が読みたいから断るわけ。
そうすると、「小林は本当につき合いが悪くなった」みたいなことをいわれるんだよね。
でも、それに乗っていったらアホになる。そう思ってたから、学生時代は孤独でしたよ。大学に講義すら受けに行かない。朝から晩まで、ひたすら本を読んでいましたね。
清水 どうしてそこまでストイックになれたんですか。
小林 ある意味、焦っていたんだと思う。みんなと同じように過ごして大学を出たら、サラリーマンや公務員になるしかない。だから、漫画家になるためにはなんとか
大学在学中に決着をつけねばならんと思ってたんだよね。そのために、本を読んで、自分が何を描けばいいのか、どうすればいちばん個性が出るのか、
プロと自分の差はなんなのか……ということを考えた。それをやりながら、必死で漫画を描いて投稿をくり返していたんだから、完全に孤独ですよ。
清水 読書じたいが、ある意味で孤独な行為ですよね。
小林 孤独ではあるけど、その一方で、めっちゃくちゃ楽しいことでもあるからね。そこに描かれた時代の空気や登場人物たちの心情に同化して、別の世界に没入できる。「パンとサーカス」の現実世界より、そっちのほうがはるかに楽しいと思えることも多いじゃないですか
0705吾輩は名無しである
垢版 |
2016/10/08(土) 20:12:46.08ID:MdiHY6Mt
<子供の時に読み始めて、老年になってもずっと読みつづけることができる、そういう作家はい
ま世界に十人といないんじゃないかな。日本にはさらにいないでしょう。ひとりかふたりでしょう。
私の考えでは井伏鱒二と宮沢賢治。そのふたりの作家がいる。そして私たちに富をあたえて
くださっているということを私たちは忘れてはいけない。>
                 ――大江健三郎「あいまいな日本の私」岩波新書――
0707吾輩は名無しである
垢版 |
2017/04/30(日) 13:40:24.85ID:Uc3s3kEb
文学は剣より強いのか??
いじめ殺しを許さない社会にしようぜ!!!!
       ↓
上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188

『作品紹介から』
 初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。

プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/

社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ!
0708吾輩は名無しである
垢版 |
2017/05/06(土) 01:27:51.91ID:uzLp9Mdh
日本の作家は創造性について貧困だと感じられる
たまにはハリーポッターやダヴィンチコードみたいな
作品が出てくればいいなあとは思う
残念ながらそういうのにはかけている
だれかそういうのを手掛けてほしいとも思う
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況