坂口安吾の狂気じみた言葉を貼るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。
必要ならば、法隆寺を取り壊して停車場を作るがいい、我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。 >>2
我々の文化は健康だ。
我々の伝統も健康だ。
必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ、
それが真に必要ならば、必ずそこに真の美が生まれる。
そこに真実の生活があるからだ。
「日本文化私観」より 藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた。
彼等は骨の髄まで盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の便利の道具とし、冒涜を繰り返していた。
現在に至るまで、そして、今も尚、代議士諸公は天皇の尊厳を云々し、国民はまた、おおむねそれを支持している。 >>4
天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、(中略)たえがたきを忍んで、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。
国民は泣いて、ほかならぬ陛下の命令だから忍びがたいけど忍んで負けよう。と、
嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!
我々国民は戦争をやめたくてやめたくて仕方がなかったのではないか。 >>5
竹槍をしごいて戦車に立ち向かい土人形の如くに死ぬのが嫌でたまらなかったのではないか!
そのくせ、それが言えないのだ。
大義名分といい、天皇の命令という。
忍びがたきを忍ぶという。
何というカラクリだろう。
惨めとも、また、情けない歴史的大欺瞞ではないか。
「続堕落論」より 親切にするなら小平や狼に殺される覚悟でやれ。
親切にしてやったのに裏切られたからもう、親切はやらぬ。という
そんな親切始めからやらぬことだ。
親切とは、殺されても仕方がない。という自覚の上で成り立っている絶対の世界なのだ。
「エゴイズム小論」 道義頽廃などと、嘆くよりもまず汝らの心に就て省みよ。
人のおせっかいは後にして、自分の事を考えるのだ。 人は何でも平和を愛せばいいと思うなら大間違いだ。
平和、平静、平安、私はそんなものは好きではない。
不安、苦しみ、悲しみ、そういうものの方が私は好きだ。
(中略)
悲しみ、苦しみは人生の花だ。
悲しみ、苦しみが逆に花を咲かせ、楽しむことの発見を見出せる。
「悪妻論」より 苦しめ、苦しむのだ!それが人間の当然の生活なのだから。
しかし、流血の惨はどうかな?
ああ、戦争は野蛮だ!
「悪妻論」より 島崎藤村は誠実な作家だと言うけれども、実際には大いに不誠実な作家で、それは藤村自身と彼の文章との距離を見れば分かる。
藤村と小説とは隔たりがあって、彼のわかりにくい文章というのはこの距離を誤魔化すための小手先の悪戦苦闘で、魂の悪戦苦闘ではない >>13
彼は世間を怖れていたが、文学を甘くみくびっていた。
藤村は世間的処世に於いてはクソ真面目な人であったが、文学的には不誠実な人であった。
したがって彼の誠実謹厳な生活自体が、不健全、不道徳、偽物であったと私は確信している。 いうまでもなく安吾は過激な人なんだが、常識や中庸に引き寄せたがるコテがいて、おれはそいつが死ぬほど嫌いだった。 >>3
伝統や文化を軽視しては美なんて生まれなかったことは日本のくそ汚い街並みを見たらわかる
坂口安吾も伝統や文化を軽視した大日本帝国に洗脳されたしょせん日本人の一人 欧米は合理主義の半面、伝統や文化もかたくなに守っている
精神性が求められる人間にとっては合理主義だけでは逆に非合理になることが分かっているからだろう
日本人がいつまでも幸福を得られないのは合理主義しかないから おかしなスレだな。
まさに「安吾読みの安吾知らず」。
安吾ほど健康的でまともな文学者はいないから。
小林秀雄が「一番常識的で一番道徳的な作家だよ」と言っている通り。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています