なぜ文学に精通する人間はこうも性格が悪いのか?
文学作品を読む事を通じて教養を深めれば深めるほど人格が陶冶されるはずが、
昨今の文学板は荒らしや揚げ足取りに余念のない連中が跋扈して、むしろ文学を読むことは
かえって中途半端な賢しらさを身につける事以外の何者でもないのでは、と思いたくなる
他方でTwitterに目を転じてみても、文学のエクスパートたる人文界隈は今日も男性憎悪に満ちたフェミニズムやキャンセルカルチャー、オタク叩きなどの「運動」にご熱心である
ファスト教養やtiktok書評()、ビジネス本などの新自由主義が「答え」であるとは
到底思いたくもないが、しかし、もう、文学なんて読まない方が人間としてマトモな時代なのかもしれない 昔は、もう少し人間性がマトモな連中が多かったと思うんだがな......... こんな情勢の中で、文系学部の廃止という政策が大きく注目されてくるのだから、
ややもすると、その流れに「ざまをみやがれ!」と、反動めいた快哉を叫びたくなる衝動に駆られるのは果たしておかしなことだろうか? 書を捨てよ、町へ出よう!
寺山修司の言葉が、今こそ切実な響きを伴って思い返される。 とまあ、新聞の社説めいた駄文を垂れ流したわけだが、
おかしいと思うところがあれば諸君お得意の性格の悪さでボッコボコにしてくれたまへ(笑) 性格が悪いのは、マスコミ、出版業界……
責任転嫁はいけない
国民総白雉化をねらっている?
と思われるほどの、くだらない番組と本ばかりを世に送り出している >>1
マルクスや毛沢東が好きな文学者が出世したからだろ
理屈は洗練されてるけど
心の奥底はプーチンや習近平と似たようなもんだ ジャーナリズムやその周辺に蝟集する人士への批判は芥川やバルザックの頃からあるので
あの頃よりもさらに大衆化と教養(この場合は知識量)が低下しているし
反比例的に発言の機会が増えているわけだから悪い所ばかり目に付くのはあたりまえ
でもまあ、大して本を読んでいるわけでもないのに文学という看板にすがりついて
文学者や作家という肩書を得て知識人気取りをしたがる人がおおいのは興味深いね 性格の悪さで有名なフランス文学者が東大総長になったことが原因と思われ >>1
>Twitterに目を転じてみても、文学のエクスパートたる人文界隈は今日も男性憎悪に満ちたフェミニズムやキャンセルカルチャー、オタク叩きなどの「運動」にご熱心である
雄弁な自己紹介だな😂 いや、今更感。
肥溜めでうんこが臭いと嘆くようなもんだぞ それらの横行を嘆いている自分の態度は「非政治的」だと思っているわけじゃん
もうどこから突っ込んでいいかわからないし、端的に言って救いようがないよな >>1
ポストモダン系の奴らが主流になってるからな ネット文化の弊害でしょう
たとえば知り合いが著名というだけで自分も同格と勘違いする無能が急増した、と
需要がなくても収入がなくても評価されてなくても自分はまだ見つかってないだけ
と思い込みながら中年になり老人になり
死ぬ あまりはっきりとおぼえてはいないが、小さいころ蓮實重彦に強姦されたかも >>20
昔は結構フレッシュだったけど、俺も今や変なおじさんだもんな 文学に精通って、歩くポケットサイズ文学辞典か、歩く文学wikiみたいな感じかな。
そういうのは精通じゃなくて、広く浅くのチョイ文学親爺だろ。
文学全般に精通した奴などいないのが今の時代では? 文学に精通って、歩くポケットサイズ文学辞典か、歩く文学wikiみたいな感じかな。
そういうのは精通じゃなくて、広く浅くのチョイ文学親爺だろ。
文学全般に精通した奴などいないのが今の時代では? 性格が悪い女性は恋愛を絞れる。その先に性格がいい悪いの問題がある。 ある意味普段の生活と同じ調子の掲示板が文学的、しかし善意を隠しておく場所に困る。 誰にとっても性格が良いわけでなく、性格が良いことが恋愛上手でもない。 あくに親しみ悪を憎み 偽善をなくす。善と悪を人格に取り込んで内面的葛藤をするというのはよくある。