18世紀フランス文学って詩も小説も収穫乏しくない?
フランス文学史の記述じゃ啓蒙思想持ってきてごまかしてるけど、文学の本流はあまり優れたもの無かったような… 当時は演劇が強い
だけどラシーヌの良さと言われても日本人には難しいよね ラシーヌをもって小説の不作を補うのはただのフランス信仰で答えになってないと思う。
「当時は演劇が強い」じゃなくて、近代文学の成立前だからじゃないかな。
フランス革命、産業革命と近代小説の関係は、
演劇(文学)で言うなら世界情勢の関わりで、世界大戦とゴドーを待ちながらに見られるテーマ模索の関係に近い。
当時のフランスは哲学という原理的な文章ばかりで、それが優勢だって見方は正しいよ。
ルソーが社会契約論書いて「自由意思が死ねと言ったら死なねばならない」と書く傍らで
その小説では放蕩三昧なのはルソー問題と言われてる。
既に近代の問題の多くはこのルソーの矛盾に集約されている。
大戦によって礼賛していたモダニズムに裏切られ、生きたイワンカラマーゾフになった、
エリオットの荒地が、果たして収穫なのか末路なのかって疑問は残るけど。 >>2
バブル期の日本人はむしろラシーヌはつまらない。と陳腐なドラマに飽食する貴族の側だったでしょう。 >>1
何をもって乏しいと言っているのか分からないがヴォルテールがいるだけでも十分ではないか 『新エロイーズ』があるじゃないか。日本語がlとrを区別しないために
大方の日本人が大誤解しそうなタイトルだが。 雑談&独り言ギブアップ作戦失敗成したが口癖童貞糞名無「お前は生長の家だとデマ流し誹謗中傷しスマン」 19世紀前半のバルザックがリアリズム小説の完成者
その前は試行錯誤の時代だ 芝居は永久に過ぎ去り、僕等は遺されたスタンダアルという一俳優の演技で
満足しなければならないのであるが、こういう人の文学については、
文学史家の常識となっているところさえ、疑ってかかっても、
差支えないとまで思う。世の所謂彼の代表作も、案外見掛けだけのものかも
知れぬ。数頁のモオツアルト論も、数百頁の「赤と黒」に釣合っていないとも
限るまい。 サドは大物だろ。
フランス語の作家ならルソーというスイス人の大物もいるが。 「18世紀フランス文学って詩も小説も収穫乏しくない?」という問いは
例えば19世紀と比べるなら「そりゃそうでしょ」ということになるが、
17世紀と比べるなら「そうでもない」となる。基本的には出版点数が
増えれば「収穫」も増えるというだけのこと。もっとも、例えば
小林の>>13のような言い方(『モオツァルト』)を、詩や小説に
偏しない目で見るならばものの見え方もちがってくるかもという意味に
解して、その伝でゆけば「18世紀フランス文学」も捨てたもんじゃないとか、
バルザックよりヴォルテールのほうが偉い、スタンダールよりルソーの方が
偉い、などと答えることは可能。じゃあね。 >>16
んだ、んだその通りだと思う。結論が出てしまったのかな 確かに18世紀の小説家はサドとかラクロとかいるけど19世紀以降の偉大な作家に比べたら二線級って感じしないかな
18世紀の詩に関しちゃますます影が薄い [ナガッ!!!}(>∀<)ノ (´・ω・)y―――――・~~ マリヴォー『愛と偶然との戯れ』
ルサージュ『ジル・ブラース』
アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』
モンテスキュー『ペルシア人の手紙』
ヴォルテール『カンディード』
ディドロ『ラモーの甥』
ルソー『新エロイーズ』
ベルナルダン・ド・サン=ピエール『ポールとヴィルジニー』
レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ『パリの夜』
ラクロ『危険な関係』
ボーマルシェ『フィガロの結婚』
サド『ジュスティーヌ』