◆◆◆文芸書籍サロン総合スレ【1】◆◆◆
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ただ、娯楽小説を書くのが上手い人に過ぎない訳だ
その人たちがいかにも「作家です」って顔をしてるじゃないか
かつての三島や太宰みたいに
全然違うのにさあ
ラノベ作家はそういう顔をしない
ちゃんと自分たちは娯楽作家であることを自覚している 硬派というか、ノンフィクションの人でしょ?
フィクションとノンフィクションが混在しているのはおかしいよね 俺はライトノベルには肯定的なんだよ
その方法論として
現在あるものということではなくてね 403 名前:この名無しがすごい![] 投稿日:2018/10/15(月) 00:18:58.14 ID:JDMEzFWT
窓を開ければ、澄んだ夕風が身を洗う。湯船から巣立つ白煙が、気ままに遊泳する姿を見せ始めた。夜と宵に揺れる星空を霞ませながら、深い群青へと旅立った。
お願いします 437 名前:ぷぅぎゃああああああ ◆Puuoono255oE [] 投稿日:2018/10/15(月) 09:16:29.11 ID:6Qk3zEED
>>389
息苦しい程の渦巻く湯気に包まれる。手が暗闇を押し込めた窓へと伸びた。
一思いに開け放つと濃密な闇が白い湯気をゆっくり味わうように食らう。湯船から出た肩が小刻みに震えた。
背後に人の気配を感じた。空気の動きをうなじが伝える。彼は何も言わず、背後に滑り込み、身体を密着させた。
太い二の腕が首に回され、また息苦しい状態となる。彼の妻である友人の幸美が脳裏に浮かび、泣き笑いの顔を作りながらも苦しさに埋没してゆく。
このくらいの内容で書かれていれば薄っすらと事情はわかる!(`・ω・´)ノシ 本当に忙しいので! > 窓を開ければ、澄んだ夕風が身を洗う。湯船から巣立つ白煙が、気ままに遊泳する姿を見せ始めた。夜と宵に揺れる星空を霞ませながら、深い群青へと旅立った。
> 息苦しい程の渦巻く湯気に包まれる。手が暗闇を押し込めた窓へと伸びた。
> 一思いに開け放つと濃密な闇が白い湯気をゆっくり味わうように食らう。湯船から出た肩が小刻みに震えた。
> 背後に人の気配を感じた。空気の動きをうなじが伝える。彼は何も言わず、背後に滑り込み、身体を密着させた。
> 太い二の腕が首に回され、また息苦しい状態となる。彼の妻である友人の幸美が脳裏に浮かび、泣き笑いの顔を作りながらも苦しさに埋没してゆく。
元の方が遥かに良いね、何とゴテゴテとして醜悪な文章だろう 言葉の調律がまるで出来ていない
上の人の方が文学をわかっている 文学とはエクリチュールなんだよ、それ自体なのだ。
説明を上手にして読者に判らせることじゃない
エクリチュールがそこにあれば、判る人には判る
それ自体としてね 短い語数で本質を射抜く
これが文学の一つのやり口でもあるよな > 息苦しい程の渦巻く湯気に包まれる。
間に入っている「渦巻く」がおかしい
欲張り過ぎ > 手が暗闇を押し込めた窓へと伸びた。
「暗闇を押し込めた窓」が意味不明だな > 一思いに開け放つと濃密な闇が白い湯気をゆっくり味わうように食らう。
まあ、何かこれも欲張り過ぎだね
「一思いに開け放つ」と「ゆっくり味わうように食らう」が呼応していない > 湯船から出た肩が小刻みに震えた。
誰のことかわからないな > 空気の動きをうなじが伝える。
上手くないね
擬人法が好きだね
何の意味もない > 彼の妻である友人の幸美が脳裏に浮かび、泣き笑いの顔を作りながらも苦しさに埋没してゆく。
「彼の妻である友人の幸美」わかりにくいね
頭がこんがらがる 結局、自分の中には像があるんだろうが
それが上手く表現されていない
概ね、主語が曖昧である
> 窓を開ければ、澄んだ夕風が身を洗う。湯船から巣立つ白煙が、気ままに遊泳する姿を見せ始めた。夜と宵に揺れる星空を霞ませながら、深い群青へと旅立った。
元の文章の方がスッキリ
簡にして要だ 人ではないものを主語にしたがる癖がある
たまには良いが、多用し過ぎだ
彼の中で「文学的」というと擬人法のことなのだろう > 窓を開ければ、澄んだ夕風が身を洗う。湯船から巣立つ白煙が、気ままに遊泳する姿を見せ始めた。夜と宵に揺れる星空を霞ませながら、深い群青へと旅立った。
まあ、これもそうなのだが
これにはワイのような不快さはないな
「白煙」この表現が良いね
湯気ではありきたり 919 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2018/10/15(月) 21:29:16.01
本当に耳を傾けるべきは「プロのアドバイス」と「素人の感想」であって、
最も耳を傾けてはいけないのは「プロの感想」と「素人のアドバイス」なので、
業界に精通する人間が「すげえ」と言ってても深追いしなくていいし、
体験してないことを「こうしたほうがいい」と言ってる人間の話は聞かなくていい。 プロって結局ずうずうしさだと思う
どこまでずうずうしく厚顔無恥になれるか
普通の人は読者に気を使っちゃうじゃん
嫌われないようにしようとか気に入られようとか
その結果、ありきたりな平凡なものにしかならないんだよ >>406
ちょっと違うな、読者に気をつかうにしても、
素人は単に人に嫌われるのやだなーみたいな漠然としたぼんやりした感じでぼやけてその結果ありきたりで平凡なものになったりもするけど、
プロだと、例えば自分の創造物の商品価値を上げるためにはどう気をつかえばよいか目的をはっきりさせて方法論を確立させるからこそ成果が出る
何をやるにしても、それを何のためにやるのかという目的意識と方法論を確立させることこそがなんのプロであるかに関係なくプロというものを目指すために必要なことでしょ
金にならないことしかできない奴はプロになれないからね
プロ作家ってのは、良い作品を作る作家のことではなく、金になる作品を作る作家のことだ
ここを間違えると、プロに変な幻想を抱くことになる プロ=金貰ってる作家だもんな。
レベルが高くても金貰ってなかったらアマチュア。 > 自分の創造物の商品価値を上げるためにはどう気をつかえばよいか目的をはっきりさせて方法論を確立させるからこそ成果が出る
その商品価値が作品の真の価値と必ずしも一致しないってことなんだよな 商品価値を規定するのは消費者であり
マスとしてのその消費者が作品の答えを持っているとは限っていないからだ
吉本隆明は最後、大衆のその機能を信じたかったみたいだが
俺は懐疑的だ 大衆の望む物が作品として価値が高いかどうかはわからない
作者が意図的に大衆の願望に合わせて作品を作り始めたらなおさらだ 文学的価値、あるいは小説の価値は商品価値とは独立してある
これが小説という特殊な商品の価値構造だ
文学的価値と商品価値は時に真っ向から対立する しかし、商品価値優位の社会状況の中では
商品価値のみが唯一の小説の価値になりつつある
その中で文学的価値は居場所をなくして宙吊りになる まあしかし、プロになりたいなら
自分の理想は捨てて売れる商品を書くことだね もはや、大衆は自己超克を望まないってことなんだ
作品におけるそれを
安易に自己が肯定される薬物のみを望む
本人の為になる苦い薬ではなくってね 自己超克(じこちょうこく)とは哲学用語の一つ。
これはフリードリヒ・ニーチェによって提唱された言葉である。
自己が置かれている現状を超えるような価値を創造したり道徳を形成することから、
人間としての本来あるべき自己を形成していくということである。
ツァラトゥストラはこう語ったでは、全ての存在というのはその存在自身を越える
何物かを創造してきたと言うことが歴史であるがゆえに、
人間というものも自身は何者かによって超えられるべき存在であるというわけである。
また創造者というのは人間にとっての意義と未来を与える者、そして善悪は何であるかを創造する者である。
そしてニーチェの提唱する超人というのは自己超克を成しうる創造者というべき存在にあてはまる。 文学の本質とはある意味アイロニーだからね
「きれいはきたない、きたないはきれい」だ
普通の人が信じる価値を安易には信じないこと 大衆が望む薬物を仕込んでやれば
その商品は売れる
薬物とは「作品の中で読者に近似した人物が安易に肯定される構造だ」
時に作者自身が気付かずに、自分の為にこの薬物を作る場合がある 薬物を拒んでニーチェのように破滅するか
薬物の遣い手となって秋元のような成功者となるか
まあ、正しいのは後者だろうな 薬物の遣い手となれ、さすれば秋元のような大金持ちになれる
人としてのモラルは全て捨ててね
それが大衆の望んだことなら仕方ない ゆめゆめニーチェを選んではいかんぞ
その先に待っているのは死と破滅のみだ ツァラトゥストラではなく、メフィストフェレスにならなければならない 「なろう」もまた一つの薬物なんだよ
ワナビの夢や欲望をエネルギー源とする
それ自体がメフィストフェレスかも知れない 他人が望むものじゃなく、自分が理想とするものだけを追求するのはプロの仕事じゃないってことだな
プロとしての仕事は金になってなんぼだから、ひたすら金にならないことだけをやって極めたいならアマチュアとしてやるしかない でも、金になれば、それで良いのかって話だ
小説という商品の場合 金にならないことをやりたいのなら、商売としてやらなければよいのよ
プロ作家でもいるでしょ?
ほんとうに書きたいものを書いても売れ筋じゃないことはわかってる、でも書いて発表したいんだ、だからそういうのは趣味の作品として非商業ベースで作品を出す(WEBとか同人誌とか)ってひと
プロの仕事として商品として作品を書くなら、商品価値を無視してはいけないが、
商品ではない趣味の作品なら商品価値なんてのはどうでも良いってことね
商品価値なんてのを無視して自分が良いと思う作品だけを書きたいひとは、あくまでも趣味として書くが宜し
そしてプロ作家ではなく最高のアマチュア作家を目指してくれ もし面白いものが売れるのでないなら、良い作品は全部無料でアマチュアばかりレベルが高くなるけどな。 アマチュア作品でもちょっとファンがついたら、ファンが多い=売れると判断した出版社が声をかけてくるのが今の世の中だからな
面白いと認められた作品(ファンがいっぱいついた作品)はみんな商業行きよ それが普遍的に面白いなら良いけどそうじゃないからな
簡単に言えばAKBのようなもので
特定のファンだけが気に入るようにできている
逆にそれ以外の人間には食えないものとなる
でも、その特殊なファンの数が一定数いれば商売としては成り立つ >>426
金になれば、それで良いのか≠金にならないことをやりたい
金になれば、それで良いのか≠売れ筋じゃなくても、本当に書きたいものを書く
であることはわかるよね
本当に書きたいものを書いて、ビジネスとしても成立させるってことだ
村上春樹、大江健三郎はそれをやってる >>426
貴方はどの立場で物を言っている?
出版社の人間でないなら、その代弁、擁護をする必要はない
或いは、現在プロ作家として成立している人間でなければ >>426
「金になれば、それで良いのか?」
がなぜ短絡的に「商品価値を無視する」ことになるのかわからない
その両立は十分可能だし
本質的に価値のある作品の方が、その時々の売れ筋の作品より
長期的に見ればトータルで出版社に利益をもたらす プロ作家でも、出版社の人間でもない者が
なぜ、売れ筋ばかり気にするのかわからない
その代弁をしようとするのか
それは貴方の唯の「強迫観念」に過ぎないと思うが
貴方個人がそれを実践するだけなら良いが
或いは、実践した結果成果が出たのなら良いが
そうでないなら自分の「強迫観念」を他人に押し付けてはいけない
その自覚もないのだろうがね 無意識に自分の「強迫観念」を他人に押し付けている人間は多々ある なろう作品が書籍化されまくる理由
>「ラノベとなろうの書籍化というビジネスは、似ているようで違います」
>と編集の方はいいます。
>
>ラノベというのはそれなりに伝統のあるビジネスで、強いレーベル、弱いレーベル、
>有名な作家、売れる作家というのが大体固定しています。
>
>いわゆる、作家を前面に出したプロモーション、というものが行われます。
>そしてファンは「◯◯先生の新刊、新作だ!」と買っていくわけですね。
>「ところが、なろう書籍は違います。ファンはレーベルや作家でなく作品についています。
>
>ですから、どこの出版社にもチャンスはあります。
>
>おまけに、作家の方が毎日Webで更新されることで作品には最初から一定数のファンがついています。
>広告宣伝費が重いラノベ業界とは、そこが根本的に違います」 >「ところが、なろう書籍は違います。ファンはレーベルや作家でなく作品についています。
いや、レーベル依存はあるでしょう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています