ワイスレ杯ヲチスレ
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自分の『したい』と向き合う話
ひたすら皮肉ってくる己の分身を殺し、最後に薄っすらと笑いを浮かべる
男の心情を読み解くのは困難を極め、読者によって見解が分かれそう
難解な内容とは打って変わって文章はとても読みやすい
感想をつけるにも一筋縄ではいかない文学的な作品
個人的には好き 0863 56回参加作品 (ワッチョイ 6bad-lzuQ) 2021/03/05 16:58:47
突然の出来事に立ち尽くす。
足下に大きな穴が空いていた。カル(犬だ)が吠えていたのはそのせいか。
いつもの散歩道。原っぱ。マンホールの蓋が空いているのでもなく。
立体感のまったくない真っ黒な円が、夏草を踏み倒して地面に張り付いている。
穴だよな、と思う。黒すぎて本当はなんなのかよくわからない。穴にしか見えないというだけだ。
晴れた6月の朝だ。大気は濃く、雨の匂いを含んでいる。あたりを見渡す。誰もいない。
空と穴と生い茂った草。
おそるおそる上半身だけを前に出して穴をのぞき込んだ。風がそよいできて、草々がふれあう音がする。
「爾が深淵を覗くとき」
子供の頃の魔法使いごっこを思い出しながら、呪文のように唱えてみる。
「深淵もまた爾を覗くのだ」
黒。あらゆる光を吸い込んで、逃がさない。閉じこめられた光はどこに行ったのだろう。
「あなた、そこで何をしているの?」
突然声がして、穴の中に娘の顔があらわれる。長いまつげ、大きな眸は透明な青。亜麻色の髪、白い裸の肩。闇の中からなんの感情もうかがえない表情でこちらを見上げている。
どのくらいの深さにいるのだろうか。
カルがくんくん鼻を鳴らしながら顔を穴に寄せる。
「君はそこでなにをしているの?」
「訊いたことに答えなさいよ。ちょっと。その犬咬まないでしょうね?」
彼女はむっと鼻の頭にしわをつくって言い返した。カルがおしりを地面につけて一度だけ吠える。コミュニケーションが必要な局面だ。
「犬の散歩中。カルは咬んだりしない」
「嘘よ」
彼女は、鏡が像を映しだすより早く言いきった。
「どっちのこと?」
「散歩のこと」
「嘘なんて」
「あなたはわたしたちを邪魔しに来たんだわ」
「そんなわけない。『たち』って言ったね。仲間がいるの? ここで何をしてるんだい? 」
彼女は戸惑ったような表情で、しばらく考えてから言った。
「目印をつくってるのよ。そこにもうひとつ」
彼女は裸の上半身を浮かび上がらせ西の方を指す。
「そこにも。まっすぐな線をひくの」
そう言って南を指す。
「なんのために? いつもの散歩道でこんなことされたら困るよ。落ちたら大変だし」
「目印。言ってるでしょ。あなたはここにあるものの光の反射を知覚しているのではなくて、あなたが見ているがために知覚可能になったものを見ているのよ。そんな人はめったにいないから、他の人には関係ないと言いきれるわ。これはあなたとわたしの問題」
「何を言ってるのかわからないけど」
「あなたが光だといってるんだわ。困ったわね。これからまっすぐな線をひかなきゃいけないのに。あなたがいたら空間が歪んじゃう。何も見なかったことにしてもう行って」
「じゃあ、行くよ。でもその前に言いたいんだけど」
「なに」
「僕は人間だ。光じゃない」
「わかったわ。でも同じものなのよ。悪く思わないで」
「さよなら」
「さよなら」
それから数日後、世界中のあちこちでこんな(・_・)顔文字が発見されはじめた。
はじめ、その報告はごくわずかな数でしかなく真偽を疑う声も多かったが、とにかく「ある」ということが認識されると、爆発的な増加をみせた。
無数に発見された顔文字(・_・) は、すぐに『フェイス』と名付けられ、なんやかやの専門家が集まってその原因と存在意義を調査・研究した(僕には口を挟む方法も資格もなかった)が、ついにその日が来るまで謎が解明されることはなかった。
その日、と言うのはそれを目印に地球外知的生命体の宇宙船が飛来した最初の日、ということだが。
ただ僕が出会ったあの娘、彼女が何だったのか、今も皆目わからないのだが、あの娘の作った『フェイス』だけはこんな感じで。
:)
薄っすらと笑みを浮かべていた。 今回で最高に難解だった作品
二次元のキャラクターが何か次元をまたぐ歪みに気付いたとかそういうレベルの話かもしれない
違うかもしれない
何か熱い想いが込められているようには感じるので作者が現れて本文と同じくらいのテキストをもって解説してくれることを願う 全作品の寸評を挙げた!
ギリギリで間に合った!
ちょっと呑む!
今日の午後八時に本スレで上位十作を発表する!(`・ω・´)ノシ >>132
お疲れ様です。ほんとに。
私は今から夕食を作りますので、リアルタイムでは結果を見られないでしょう。
久しぶりのワイスレ杯でビッグ大会になりましたな。
みなさん、あーでもないこーでもないと楽しんでいきましょう。
因みにメニュー
チャーハン
チンヂャオロース
エビアボカドサラダ
キュウリの中華風漬物
豚汁
どす。 >>132
お疲れです
寸評ありがとうございました
掌編小説を書いて評価をいただく機会はなかなかないので楽しかったです 埋めるにはレス数が残っている!
そこで本スレで発表を行い、
1000に到達した時点で揃って移動でいいように思う!
ちなみに今回の寸評は久々に七千字を超えた!(`・ω・´)ビールが美味い! 寸評もお題に則ってやってほしい
同じ苦しみを味わえ ワイさん寸評ありがとうございます!
勉強になります。
みんな上手い!みんな違ってみんないい! モナリザの作者です。どーも、皆ありがとう!
ちなみにあれの正式タイトルは
私の貴婦人
です。序盤で2000字数超えてああこれは無理だと思ったのが執筆エピソードっすw ワイさんが寸評で手放しに褒めたやつはだいたい二位か三位。
一位の奴には少しだけ苦言が入る。
これマメな。 ここどうしようか
見る目のないワイを抜きにしてそれぞれのナンバーワンを語るスレにするか(自演祭) このスレはまた次のワイスレ杯で使えばいいと思うよ。 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
さらに不正がバレて高卒の資格を剥奪された"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
けんまするのは大歓迎!!www鎌倉由比ヶ浜在住『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ 本スレは終わったが、ワッチョイ無しを希望していた者がいた!
ワイとしてはどちらでもよい! 他の者の意見を募る!
と云うか、誰かにスレッドを立てて貰いたい!
ワイは立てられなかった! では、酒をかっ食らう!(`・ω・´)ノ >>149
君主‐奴隷道徳(くんしゅ-どれいどうとく、独:Herrenmoral Sklavenmoral)
ドイツの哲学者ニーチェが提示した哲学概念。『善悪の彼岸』に初めて提出され、後に『道徳の系譜』に最大限に発展された。
最も基本的な道徳形態は「君主道徳(貴族道徳)」と「奴隷道徳」の二種類がある。
君主道徳では行為が「良」と「悪」に分けられるのに対し、「奴隷道徳」では行為が「善」と「悪」に分けられる。
君主道徳の主な特徴は、自己肯定、傲慢、主動であるのに対し、奴隷道徳は自己否定、謙遜、慈悲である。
ある人の道徳がどの道徳になのかは、その人の身分と地位で決まるのではなく、その人が行動する時の気持ちで決まる。
したがって、ある独裁者の道徳が奴隷道徳である可能性もある。
なぜなら、その独裁者は、恨みと報復によって行動しているかもしれないからである。
ただし、ニーチェは、君主道徳を勧めると同時に、奴隷道徳の中の精神力を学ぶ価値もあると主張した。
ニーチェの「道徳」は、普段われわれの言う道徳と違い、全く新しい世界観であり、独特の文化である。
そして、すべての規則と慣例は、この二種類の道徳の闘争で作られたのである。 ワイもどっちでもいいです。
ワイが立ててもいいけど、ワッチョイ有りはイマイチやり方がわかんないす。 >>149
他人を否定することによって、自分を肯定したいから
自分で自分を肯定することができない人たち >>152
では、立てられる者が現れるのを待つとしよう!
ワッチョイは必ず必要、と云う程のものではない!
では、また!(`・ω・´)ノシ 猫君の六話が楽しみ! 常に人間単位で〇か×かの判定を行おうとする
部分による切り分けができない
その人の全肯定か全否定があるのみである
そして、自分との比較において、優越感だの劣等感だのを抱いたりする
下位と思う者は嘲笑い、上位と思う者には這い蹲る
これがニーチェの言う奴隷道徳である >>154
ワッチョイは入れた方が良い
なりすましの抑制になる >>151
>君主道徳では行為が「良」と「悪」に分けられるのに対し
つまり、個人を人格としてではなく、機能として見るということだ
そして、その個人の「良い」部分だけを見る
そうすれば、その「良い」部分を、自分の機能としても取り込める >「奴隷道徳」では行為が「善」と「悪」に分けられる。
行為となっているが人格と考えるとわかりやすい
奴隷道徳の人間は他人を善と悪に二分して区分けしてしまう あいつは、しょーもないやつ
あいつは凄いやつ
こう二分してしまう
あいつの〇〇はしょーもない
あいつの〇〇は凄い
ではなくね 肯定部分のない人間などいないのである
その「良い」部分だけ見れば良い
例えばワイであれば同じことを続けられる忍耐強さ
敵対していても、「良い」部分は「良い」部分として認められる
これが君主道徳の人間
>ただし、ニーチェは、君主道徳を勧めると同時に、奴隷道徳の中の精神力を学ぶ価値もあると主張した。
ニーチェもこう言っている >>160
妄言と断定する合理的な根拠がない
「お前はしょーもない」の人格否定と同じ
結論ありきである >>160
>そして、その個人の「良い」部分だけを見る
悪いところだけを見る奴隷道徳から抜けられない >>162
言葉だけで行動を伴わない屁理屈を妄言という
ニートの屁理屈イコール妄言
お前の屁理屈はしょーもない どこまで行っても人を機能として見れないな
奴隷道徳の人間は 「行動せよ。行動なき者の虚言は罪悪である」=マルクス 「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」=日本国憲法 他人のフンドシ乙
自分独自の考えはないのな
それで作家になれるつもりなのか? エピゴーネン(ドイツ語: Epigonen)
文学や芸術の分野などで、優れているとされる先人のスタイル等をそのまま流用・模倣して、
オリジナル性に欠けた作品を制作する者を指す。「模倣者」、「亜流」、「身代わり」。 ワイメンの交流はこっちでやろう
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