□■□評論家・三島由紀夫■□■
実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。
何となく「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。この、好かない、といふ意味は、
一部の神経質な人たちが愛国心といふ言葉から感じる政治的アレルギーの症状とは、また少しちがつてゐる。
ただ何となく虫が好かず、さういふ言葉には、できることならソッポを向いてゐたいのである。
この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。どことなく押しつけがましい。
反感を買ふのももつともだと思はれるものが、その底に揺曳してゐる。
では、どういふ言葉が好きなのかときかれると、去就に迷ふのである。愛国心の「愛」の字が私はきらひである。
自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に
対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。
三島由紀夫「愛国心」より もしわれわれが国家を超越してゐて、国といふものをあたかも愛玩物のやうに、狆か、それともセーブル焼の
花瓶のやうに、愛するといふのなら、筋が通る。それなら本筋の「愛国心」といふものである。
また、愛といふ言葉は、日本語ではなくて、多分キリスト教から来たものであらう。
日本語としては「恋」で十分であり、日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であつて、「愛」ではない。
もしキリスト教的な愛であるなら、その愛は無限低無条件でなければならない。従つて、「人類愛」といふのなら
多少筋が通るが、「愛国心」といふのは筋が通らない。なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである。
だから恋のはうが愛よりせまい、といふのはキリスト教徒の言ひ草で、恋のはうは限定性個別性具体性の
裡にしか、理想と普遍を発見しない特殊な感情であるが、「愛」とはそれが逆様になつた形をしてゐるだけである。
三島由紀夫「愛国心」より ふたたび愛国心の問題にかへると、愛国心は国境を以て閉ざされた愛が、「愛」といふ言葉で普遍的な擬装を
してゐて、それがただちに人類愛につながつたり、アメリカ人もフランス人も日本人も愛国心においては
変りがない、といふ風に大ざつぱに普遍化されたりする。
これはどうもをかしい。もし愛国心が国境のところで終るものならば、それぞれの国の愛国心は、人類普遍の
感情に基づくものではなくて、辛うじて類推で結びつくものだと言はなくてはならぬ。アメリカ人の愛国心と
日本人の愛国心が全く同種のものならば、何だつて日米戦争が起つたのであらう。「愛国心」といふ言葉は、
この種の陥穽を含んでゐる。(中略)
日本のやうな国には、愛国心などといふ言葉はそぐはないのではないか。すつかり藤猛にお株をとられてしまつたが、
「大和魂」で十分ではないか。
三島由紀夫「愛国心」より アメリカの愛国心といふのなら多少想像がつく。ユナイテッド・ステーツといふのは、巨大な観念体系であり、
移民の寄せ集めの国民は、開拓の冒険、獲得した土地への愛着から生じた風土愛、かういふものを基礎にして、
合衆国といふ観念体系をワシントンにあづけて、それを愛し、それに忠誠を誓ふことができるのであらう。
国はまづ心の外側にあり、それから教育によつて内側へはひつてくるのであらう。
アメリカと日本では、国の観念が、かういふ風にまるでちがふ。日本は日本人にとつてはじめから内在的即自的であり、
かつ限定的個別的具体的である。観念の上ではいくらでもそれを否定できるが、最終的に心情が容認しない。
そこで日本人にとつての日本とは、恋の対象にはなりえても、愛の対象にはなりえない。われわれはとにかく
日本に恋してゐる。これは日本人が日本に対する基本的な心情の在り方である。(本当は「対する」といふ言葉さへ、
使はないはうがより正確なのだが)しかし恋は全く情緒と心情の領域であつて、観念性を含まない。
三島由紀夫「愛国心」より われわれが日本を、国家として、観念的にプロブレマティッシュ(問題的)に扱はうとすると、しらぬ間に
この心情の助けを借りて、あるひは恋心をあるひは憎悪愛(ハースリーベ)を足がかりにして物を言ふ結果になる。
かくて世上の愛国心談義は、必ず感情的な議論に終つてしまふのである。
恋が盲目であるやうに、国を恋ふる心は盲目であるにちがひない。しかし、さめた冷静な目のはうが日本を
より的確に見てゐるかといふと、さうも言へないところに問題がある。さめた目が逸したところのものを、
恋に盲ひた目がはつきりつかんでゐることがしばしばあるのは、男女の仲と同じである。
一つだけたしかなことは、今の日本では、冷静に日本を見つめてゐるつもりで日本の本質を逸した考へ方が、
あまりにも支配的なことである。さういふ人たちも日本人である以上、日本を内在的即自的に持つてゐるのであれば、
彼らの考へは、いくらか自分をいつはつた考へだと言へるであらう。
三島由紀夫「愛国心」より 庭はどこかで終る。庭には必ず果てがある。これは王者にとつては、たしかに不吉な予感である。
空間的支配の終末は、統治の終末に他ならないからだ。ヴェルサイユ宮の庭や、これに類似した庭を見るたびに、
私は日本の、王者の庭ですらはるかに規模の小さい圧縮された庭、例外的に壮大な修学院離宮ですら借景に
たよつてゐるやうな庭の持つ意味を、考へずにはゐられない。おそらく日本の庭の持つ秘密は、「終らない庭」
「果てしのない庭」の発明にあつて、それは時間の流れを庭に導入したことによるのではないか。
仙洞御所の庭にも、あの岬の石組ひとつですら、空間支配よりも時間の導入の味はひがあることは前に述べた。
それから何よりも、あの幾多の橋である。水と橋とは、日本の庭では、流れ来り流れ去るものの二つの要素で、
地上の径をゆく者は橋を渡らねばならず、水は又、橋の下をくぐつて流れなければならぬ。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 橋は、西洋式庭園でよく使はれる庭へひろびろと展開する大階段とは、いかにも対蹠的な意味を担つてゐる。
大階段は空間を命令し押しひろげるが、橋は必ず此岸から彼岸へ渡すのであり、しかも日本の庭園の橋は、
どちらが此岸でありどちらが彼岸であるとも規定しないから、庭をめぐる時間は従つて可逆性を持つことになる。
時間がとらへられると共に、時間の不可逆性が否定されるのである。
すなはち、われわれはその橋を渡つて、未来へゆくこともでき、過去へ立ち戻ることもでき、しかも橋を央にして、
未来と過去とはいつでも交換可能なものとなるのだ。
西洋の庭にも、空間支配と空間離脱の、二つの相矛盾する傾向はあるけれど、離脱する方向は一方的であり、
憧憬は不可視のものへ向ひ、波打つバロックのリズムは、つひに到達しえないものへの憧憬を歌つて終る。
しかし日本の庭は、離脱して、又やすやすと帰つて来るのである。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 日本の庭をめぐつて、一つの橋にさしかかるとき、われわれはこの庭を歩みながら尋めゆくものが、何だらうかと
考へるうちに、しらぬ間に足は橋を渡つてゐて、
「ああ、自分は記憶を求めてゐるのだな」
と気がつくことがある。そのとき記憶は、橋の彼方の薮かげに、たとへば一輪の萎んだ残花のやうに、きつと
身をひそめてゐるにちがひないと感じられる。
しかし、又この喜びは裏切られる。自分はたしかに庭を奥深く進んで行つて、暗い記憶に行き当る筈であつたのに、
ひとたび橋を渡ると、そこには思ひがけない明るい展望がひらけ、自分は未来へ、未知へと踏み入つてゐることに
気づくからだ。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より かうして、庭は果てしのない、決して終らない庭になる。見られた庭は、見返す庭になり、観照の庭は行動の
庭になり、又、その逆転がただちにつづく。庭にひたつて、庭を一つの道行としか感じなかつた心が、
いつのまにか、ある一点で、自分はまぎれもなく外側から庭を見てゐる存在にすぎないと気がつくのである。
われわれは音楽を体験するやうに、生を体験するやうに、日本の庭を体験することができる。
又、生をあざむかれるやうに、日本の庭にあざむかれることができる。西洋の庭は決して体験できない。それは
すでに個々人の体験の余地のない隅々まで予定され解析された一体系なのである。ヴェルサイユの庭を見れば、
幾何学上の定理の美しさを知るであらう。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より われわれの死には、自然死にもあれ戦死にもあれ、個性的なところはひとつもない。しかし死は厳密に個人的な
事柄で、誰も自分以外の死をわが身に引受けることはできないのだ。死がこんな風に個性を失つたのには、
近代生活の劃一化と劃一化された生活様式の世界的普及による世界像の単一化が原因してゐる。
ところで原子爆弾は数十万の人間を一瞬のうちに屠(ほふ)るが、この事実から来る終末感、世界滅亡の感覚は、
おそらく大砲が発明された時代に、大砲によつて数百の人間が滅ぼされるといふ新鮮な事実のもたらした感覚と
同等のものなのだ。(中略)
原爆の国連管理がやかましくいはれてゐるが、国連を生んだ思想は、同時に原子爆弾を生まざるをえず、
世界国家の理想と原爆に対する恐怖とは、互ひに力を貸し合つてゐるのである。
三島由紀夫「死の分量」より 交通機関の発達と、わづか二つの政治勢力の世界的な対立とは、われわれの抱く世界像を拡大すると同時に
狭窄にする。原子爆弾の招来する死者の数は、われわれの時代の世界像に、皮肉なほどにしつくりしてゐる。
世界がはつきり二大勢力に二分されれば、世界の半分は一瞬に滅亡させる破壊力が発明されることは必至である。
しかし決してわれわれは他人の死を死ぬのではない。原爆で死んでも、脳溢血で死んでも、個々人の死の分量は
同じなのである。原爆から新たなケンタウロスの神話を創造するやうな錯覚に狂奔せずに、自分の死の分量を
明確に見極めた人が、これからの世界で本当に勇気を持つた人間になるだらう。
まづ個人が復活しなければならないのだ。
三島由紀夫「死の分量」より 最近ウェイドレーの「芸術の運命」といふ本を面白く読んだが、この本の要旨は、キリスト教的中世には
生活そのものに神の秩序が信じられてゐて、それが共通の様式感を芸術家に与へ、芸術家は鳥のやうに自由で、
毫も様式に心を労する必要がなかつたが、レオナルド・ダ・ヴィンチ以後、様式をうしなつた芸術家は方法論に
憂身をやつし、しかもその方法の基準は自分自身にしかないことになつて、近代芸術はどこまで行つても
告白の域を脱せず、孤独と苦悩が重く負ひかぶさり、ヴァレリーのやうな最高の知性は、かういふ模索の極致は
何ものをも生み出さないといふことを明察してしまふ、といふのである。著者はカソリック教徒であるから、
おしまひには、神の救済を持出して片づけてゐる。
三島由紀夫「モラルの感覚」より 道徳的感覚といふものは、一国民が永年にわたつて作り出す自然の芸術品のやうなものであらう。しつかりした
共通の生活様式が背後にあつて、その奥に信仰があつて、一人一人がほぼ共通の判断で、あれを善い、これを
悪い、あれは正しい、これは正しくない、といふ。それが感覚にまでしみ入つて、不正なものは直ちに不快感を
与へるから「美しい」行為といはれるものは、直ちに善行を意味するのである。もしそれが古代ギリシャの
やうな至純の段階に達すると、美と倫理は一致し、芸術と道徳的感覚は一つものになるであらう。
最近、汚職や各種の犯罪があばかれるにつれて、道徳のタイ廃がまたしても云々されてゐる。しかしこれは
今にはじまつたことではなく、ヨーロッパが神をうしなつたほどの事件ではないが、日本も敗戦によつて
古い神をうしなつた。どんなに逆コースがはなはだしくならうと、覆水は盆にかへらず、たとへ神が復活しても、
神が支配してゐた生活の様式感はもどつて来ない。
三島由紀夫「モラルの感覚」より もつと大きな根本的な怖ろしい現象は、モラルの感覚が現にうしなはれてゐる、といふそのことではないのである。
今世紀の現象は、すべて様式を通じて感覚にぢかにうつたへる。ウェイドレーの示唆は偶然ではなく、彼は
様式の人工的、機械的な育成といふことに、政治が着目してきた時代の子なのである。コミュニズムに何故
芸術家が魅惑されるかといへば、それが自明の様式感を与へる保証をしてゐるやうに見えるからである。
いはゆるマス・コミュニケーションによつて、今世紀は様式の化学的合成の方法を知つた。かういふ方法で
政治が生活に介入して来ることは、政治が芸術の発生方法を模倣してきたことを意味する。我々は今日、自分の
モラルの感覚を云々することはたやすいが、どこまでが自分の感覚で、どこまでが他人から与へられた感覚か、
明言することはだれにもできず、しかも後者のはうが共通の様式らしきものを持つてゐるから、後者に
従ひがちになるのである。
三島由紀夫「モラルの感覚」より 政治的統一以前における政治的統一の幻影を与へることが、今日ほど重んぜられたことはない。
文明のさまざまな末期的錯綜の中から生れたもつとも個性的な思想が非常な近道をたどつて、もつとも民族的な
未開な情熱に結びつく。ブルクハルトが「イタリー・ルネッサンスの文化」の中で書いてゐるやうに
「芸術品としての国家や戦争」が劣悪な形で再現してをり、神をうしなつた今世紀に、もし芸術としてなら
無害な天才的諸理念が、あらゆる有害な形で、政治化されてゐるのである。
芸術家の孤独の意味が、かういふ時代ではその個人主義の劇をこえて重要なものになつて来てをり、もし
モラルの感覚といふものが要請されるならば、劣悪な芸術の形をした政治に抗して、芸術家が己れの感覚の
誠実をうしなはないことが大切になるのである。
三島由紀夫「モラルの感覚」より 格の正しい、しかも自由な踊りを見るたびに、私は踊りといふもののふしぎな性質に思ひ及ぶ。無音舞踊といふ
のもないではないが、踊りはたいがい、音楽と振り付けに制約されてでき上がつてゐる。いかに自由に見える
踊りであつても、その一こま一こまは、厳重に音楽の時間的なワクと振り付けの空間的なワクに従つてゐる。
その点では、自由に生きて動いて喋つてゐるやうに見える人物が、実はすべて台本と演出の指定に従つてゐる
他の舞台芸術と同じことだが、踊りのその音楽への従属はことさら厳格であり、また踊りにおける肉体の動きの
自由と流露感は、ことさら本質的なのである。
よい踊りの与へる感銘は、観客席にすわつて、黙つて、口をあけて、感嘆してながめてゐるだけのわれわれの
肉体も、本来こんなものではなかつたかと感じさせるところにある。
三島由紀夫「踊り」より 踊り手が瞬間々々に見せる、人間の肉体の形と動きの美しさ、その自由も、すべての人間が本来持つてゐて
失つてしまつたものではないかと思はせるとき、その踊りは成功してをり、生命の源流への郷愁と、人間存在の
ありのままの姿への憧憬を、観客に与へてゐるのである。
なぜ、われわれの肉体の動きや形は、踊り手に比べて、美、自由、柔軟性、感情表現、いやすべての自己表現の
能力を失つてしまつたのであらうか。なぜ、われわれは、踊り手のあらはす美と速度に比べて、かうも醜く、
のろいのであらうか。これは多分、といふよりも明らかに、われわれの信奉する自由意思といふもののため
なのである。自由意思が、われわれの肉体の本来持つてゐた律動を破壊し、その律動を忘却させたのだ。
それといふのも、踊り手は音楽と振り付けの指示に従つて、右へ左へ向く。しかしわれわれは自由意思に従つて、
右へ向き左へ向く。結果からいへば同じことだが、意思と目的意識の介入が、その瞬間に肉体の本源的な律動を
破壊し、われわれの動きをぎくしやくとしたものにしてしまふ。
三島由紀夫「踊り」より のみならず、何らかの制約のないところでは、無意識の力をいきいきとさせることができないのは、人間の
宿命であつて、自由意思の無制約は、人間を意識でみたして、皮肉にも、その存在自体の自由を奪つてしまふのだ。
踊りは人間の歴史のはじめから存在し、かういふ肉体と精神の機微をよくわきまへた芸術であつた。武道も
もともとは、戦ひの技術を会得するために、まづ肉体に厳重な制約を課して、無意識の力をいきいきとさせ、
訓練のたえざる反復によつて、その制約による技術を無意識の領域へしみわたらせ、いざといふ場合に、
無意識の力を自由に最高度に働かせるといふ方法論を持つてゐるが、踊りに比べれば、その目的意識が、
純粋な生命のよろこびを妨げてゐる。
三島由紀夫「踊り」より 踊りはよろこびなのである。悲しみの表現であつても、その表現自体がよろこびなのである。踊りは人間の
肉体に音楽のきびしい制約を課し、その自由意思をまつ殺して、人間を本来の「存在の律動」へ引き戻すもの
だといへるだらう。ふしぎなことに、人間の肉体は、時間をこまごまと規則正しく細分し、それに音だけによる
別様の法則と秩序を課した、この音楽といふ反自然的な発明の力にたよるときだけ、いきいきと自由になる。
といふことは、音楽の法則性自体が、一見反自然的にみえながら、実は宇宙や物質の法則性と遠く相呼応して
ゐるかららしい。そこに成り立つコレスポンデンス(照応)が、おそらく踊りの本質であつて、われわれは
かういふコレスポンデンスの内部に肉体を置くときのほかは、本当の意味で自由でもなく、また、本当の生命の
よろこびも知らないのだ、としかいひやうがない。
三島由紀夫「踊り」より …ずいぶん話が飛んだやうだが、実は私は、新年といふ習慣も、この踊りの一種であるべきであり、新春の
よろこびも、この踊りのよろこびであるべきだといひたかつたのである。
新しい年の抱負などと考へだした途端に、われわれの自由意思は暗い不安な翼をひろげ、未来を恐怖の影で
みたしてしまふ。未来のことなどは考へずに踊らねばならぬ。たとへそれが噴火山上の踊りであらうと、
踊り抜かねばならぬ。いま踊らなければ、踊りはたちまちわれわれの手から抜け出し、われわれは永久に
よろこびを知る機会を失つてしまふかもしれないのである。
三島由紀夫「踊り」より 感じやすさといふものには、或る卑しさがある。多くの感じやすさは、自分が他人に
感じるほどのことを、他人は自分に感じないといふ認識で軽癒する。
世間の人はわれわれの肉親の死を毫も悲しまない。少なくともわれわれの悲しむやうには
悲しまない。われわれの痛みはそれがどんなに激しくても、われわれの肉体の範囲を出ない。
三島由紀夫「アポロの杯」より 「ゲルニカ」は苦痛の詩といふよりは、苦痛の不可能の領域がその画面の詩を生み出してゐる。
一定量以上の苦痛が表現不可能のものであること、どんな表情の最大限の歪みも、どんな
阿鼻叫喚も、どんな訴へも、どんな涙も、どんな狂的な笑ひも、その苦痛を表現するに
足りないこと、人間の能力には限りがあるのに、苦痛の能力ばかりは限りもしらないものに
思はれること、……かういふ苦痛の不可能な領域、つまり感覚や感情の表現としての
苦痛の不可能な領域にひろがつてゐる苦痛の静けさが「ゲルニカ」の静けさなのである。
この領域にむかつて、画面のあらゆる種類の苦痛は、その最大限の表現を試みてゐる。
その苦痛の触手を伸ばしてゐる。しかし一つとして苦痛の高みにまで達してゐない。
一人一人の苦痛は失敗してゐる。少なくとも失敗を予感してゐる。その失敗の瞬間を
ピカソは悉くとらへ、集大成し、あのやうな静けさに達したものらしい。
三島由紀夫「アポロの杯」より 或る種の瞬間の脆い純粋な美の印象は、凡庸な形容にしか身を委さないものである。
美は自分の秘密をさとられないために、力めて凡庸さと親しくする。その結果、われわれは
本当の美を凡庸だと眺めたり、たゞの凡庸さを美しいと思つたりするのである。
時がわれわれの存在のすべてであつて、空間はわれわれの観念の架空の実質といふやうな
ものにすぎないこと、そして地上の秩序は空間の秩序にすぎないこと。
時々、窓のなかは舞台に似てゐる。多分その思はせぶりな証明のせゐである。
狂気や死にちかい芸術家の作品が一そう平静なのは、そこに追ひつめられた平衡が、
破局とすれすれの状態で保たれてゐるからである。そこではむしろ、平衡がふだんよりも
一そう露はなのだ。たとへばわれわれは歩行の場合に平衡を意識しないが、綱渡りの場合には
意識せざるをえないのと同じである。
三島由紀夫「アポロの杯」より (竜安寺の石庭の)直感の探りあてた究極の美の姿が、廃墟の美に似てゐるのはふしぎなことだ。
芸術家の抱くイメーヂは、いつも創造にかかはると同時に、破滅にかかはつてゐるのである。
芸術家は創造にだけ携はるのではない。破壊にも携はるのだ。その創造は、しばしば破滅の
予感の中に生れ、何か究極の形のなかの美を思ひゑがくときに、ゑがかれた美の完全性は、
破滅に対処した完全さ、破壊に対抗するために破壊の完全さを模したやうな完全さである
場合がある。そこでは創造はほとんど形を失ふ。
希臘人は美の不死を信じた。かれらは完全な人体の美を石に刻んだ。日本人は美の不死を
信じたかどうか疑問である。かれらは具体的な美が、肉体のやうに滅びる日を慮つて、
いつも死の空寂の形象を真似たのである。石庭の不均斉の美は、死そのものの不死を
暗示してゐるやうに思はれる。
三島由紀夫「アポロの杯」より 希臘人は外面を信じた。それは偉大な思想である。キリスト教が「精神」を発明するまで、
人間は「精神」なんぞを必要としないで、矜らしく生きてゐたのである。
真に人間的な作品とは「見られたる」自然である。
われわれの生に理由がないのに、死にどうして理由があらうか。
アンティノウスの像には、必ず青春の憂鬱がひそんでをり、その眉のあひだには必ず
不吉の翳がある。それはあの物語によつて、われわれがわれわれ自身の感情を移入して、
これらを見るためばかりではない。これらの作品が、よしアンティノウスの生前に作られた
ものであつたとしても、すぐれた芸術家が、どうして対象の運命を予感しなかつた筈があらう。
彫像が作られたとき、何ものかが終る。さうだ、たしかに何ものかが終るのだ。一刻一刻が
われらの人生の終末の時刻(とき)であり、死もその単なる一点にすぎぬとすれば、
われわれはいつか終るべきものを現前に終らせ、一旦終つたものをまた別の一点から
はじめることができる。
三島由紀夫「アポロの杯」より 私は大体笑ふことが好きであり、子供のころから「この子を映画へ連れてゆくと、突拍子もないところで
ケタケタ笑ひ出して、きまりわるい」とおとなにいはれた。徳大寺公英氏の思ひ出話によると、中学時代も、
教室でキャッキャッと一きは高い笑ひ声がするので、私がゐることがわかる、と先生がいつてゐたさうである。
おとなになつても、福田恆存氏の「キティ颱風」の招待日などには、拍手役ならぬ、笑声のサクラに狩り出された。
うしろのはうの席に、宮田重雄氏はじめ、笑ひの猛者がそろつてゐて、セリフの一言半句ごとに、声をそろへて
ゲラゲラ笑ふのである。するとそれにつられて笑ひ出すお客がある。福田氏は、新劇の観客層のシンネリムッツリを、
よほどおそれてゐたのである。
俳優のT君が、「君の貧弱な体格からすると、笑ひ声だけが大きくて不自然だから、後天的に自分で育成これ
つとめたものだらう」といつたが、これはマトをそれてゐる。私の肺活量はこれでも四千七百五十もある。
三島由紀夫「わが漫画」より 漫画は、かくて、私の生理衛生上必要不可欠のものである。をかしくない漫画はごめんだ。何が何でもをかしく
なくてはならぬ。おそろしく下品で、おそろしく知的、といふやうな漫画を私は愛する。
悩殺する、とか、笑殺する、とかいふ言葉は、実存主義ふうに解すると、相手を「物」にしていまふことだと思はれる。
「人を食ふ」といふのもこれに等しい。われわれは他人の人格を食ふことはできぬ。相手を単なる物、単なる
肉だと思ふから、食ふことができる。
漫画はだから「食はれる状態」をうまく作りあげねばならぬ。「物」になつてゐなければならぬ。
知的な漫画ほどこの即物性がいちじるしく、低級な漫画ほど、笑ひ話の物語性だの、教訓性だの、によりかかつてゐる。
下手な落語家は「をかしいお話」を語るにすぎないが、名人の落語家ほど、笑はれるべき対象を綿密に造形して、
話の中に「笑はれるべき物」を創造してゐるのである。
何もいはゆる、サイレント漫画が知的だといふのではない。
言葉がない代りに、社会の良風美俗に逆によりかかつてわからせてゐるやうな、不心得な漫画も散見する。
三島由紀夫「わが漫画」より 漫画は現代社会のもつともデスペレイトな部分、もつとも暗黒な部分につながつて、そこからダイナマイトを
仕入れて来なければならないのだ。あらゆる倒錯は漫画的であり、あらゆる漫画は幾分か倒錯的である。
そして倒錯的な漫画が、人を安心して笑はせるやうではまだ上等な漫画とはいへぬ。
日本の漫画がジャーナリズムにこびて、いはゆる社会的良識にドスンとあぐらをかいて、そこから風俗批評、
社会批評をやらかして、それを漫画家の使命だと思つてゐる人が少なくないのは、にがにがしいことである。
もつとも漫画的な状況とは、また永遠に漫画的状況とは、他人の家がダイナマイトで爆発するのをゲラゲラ笑つて
見てゐる人が、自分の家の床下でまさに別のダイナマイトが爆発しかかつてゐるのを、少しも知らないでゐる
といふ状況である。漫画は、この第二のダイナマイトを仕掛けるところに真の使命がある。
三島由紀夫「わが漫画」より あんまりのんびりしてゐると、ほかならぬ漫画家自身が、右のやうな漫画を演じなければならぬことになりますぞ!
さて私も、かういふ商売をやつてゐて、何やかと漫画に描かれることが多い。この一文で、漫画家諸氏のお名前を
一つもあげなかつたのは、かかる職業上のおもんぱかりであるが、われわれ文士も「素人時評」といふやつは、
ほとほとにがにがしい、イヤ味なものだと思つてゐるのである。
小説書きでないやつに、小説なんてわかるものか!
漫画家でないやつに、漫画なんてわかつてたまるものか!
それでよろしい。
さて、一つの漫画は、小説家が、かういふ雑文をたのまれて、をかしくもない文章を、頭から湯気を立てて
書いてゐる、といふその状況である。
三島由紀夫「わが漫画」より 「友達」は、安部公房氏の傑作である。
この戯曲は、何といふ完全な布置、自然な呼吸、みごとなダイヤローグ、何といふ恐怖に充ちたユーモア、
微笑にあふれた残酷さを持つてゐることだらう。一つの主題の提示が、坂をころがる雪の玉のやうに累積して、
のつぴきならない結末へ向つてゆく姿は、古典悲劇を思はせるが、さういふ戯曲の形式上のきびしさを、
氏は何と余裕を持つて、洒々落々と、観客の鼻面を引きずり廻しながら、自ら楽しんでゐることだらう。
まことに羨望に堪へぬ作品である。
三島由紀夫「安部公房『友達』について」より 私は坂口安吾氏に、たうとう一度もお目にかかる機会を得なかつたが、その仕事にはいつも敬愛の念を寄せてゐた。
戦後の一時期に在つて、混乱を以て混乱を表現するといふ方法を、氏は作品の上にも、生き方の上にも貫ぬいた。
氏はニセモノの静安に断じて欺かれなかつた。言葉の真の意味においてイローニッシュな作家だつた。
氏が時代との間に結んだ関係は冷徹なものであつて、ジャーナリズムにおける氏の一時期の狂熱的人気などに
目をおほはれて、この点を見のがしてはならない。
些事にわたるが、氏の「風博士」その他におけるポオのファルスに対する親近は、私にもひそかな同好者の
喜びを与へた。ポオのファルスの理解者は今もなほ氏を措いて他にない。かつて「十三時」を訳した鴎外を除いては。
三島由紀夫「私の敬愛する作家」より 太宰治がもてはやされて、坂口安吾が忘れられるとは、石が浮んで、木の葉が沈むやうなものだ。
坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐたから、明るくて、決してメソメソせず、
生活は生活で、立派に狂的だつた。
坂口安吾の文学を読むと、私はいつもトンネルを感じる。なぜだらう。余計なものがなく、ガランとしてゐて、
空つ風が吹きとほつて、しかもそれが一方から一方への単純な通路であることは明白で、向う側には、
夢のやうに明るい丸い遠景の光りが浮かんでゐる。この人は、未来を怖れもせず、愛しもしなかつた。
未来まで、この人はトンネルのやうな体ごと、スポンと抜けてゐたからだ。
太宰が甘口の酒とすれば、坂口はジンだ。ウォッカだ。純粋なアルコホル分はこちらのはうにあるのである。
三島由紀夫「坂口安吾全集 推薦文」より 川端康成はごく日本的な作家だと思はれてゐる。しかし本当の意味で日本的な作家などが現在ゐるわけでは
ないことは、本当の意味で西洋的な作家が日本にゐないと同様である。どんなに日本的に見える作家も、
明治以来の西欧思潮の大洗礼から、完全に免れて得てゐないので、ただそのあらはれが、日本的に見えるか
見えないかといふ色合の差にすぎない。(中略)
作家の芸術的潔癖が、直ちに文明批評につながることは、現代日本の作家の宿命でさへあるやうに思ふはれ、
荷風はもつとも忠実にこれを実行した人である。なぜなら芸術家肌の作家ほど、作品世界の調和と統一に
敏感であり、又これを裏目から支える風土の問題に敏感である。(中略)
悲しいことに、われわれは、西欧を批評するといふその批評の道具をさへ、西欧から教はつたのである。
西洋イコール批評と云つても差支へない。(中略)
川端氏は俊敏な批評家であつて、一見知的大問題を扱つた横光氏よりも、批評家として上であつた。氏の最も
西欧的な、批評的な作品は「禽獣」であつて、これは横光氏の「機械」と同じ位置をもつといふのが私の意見である。
三島由紀夫「川端康成の東洋と西洋」より …氏のエロティシズムは、氏自身の官能の発露といふよりは、官能の本体つまり生命に対する、永遠に論理的
帰結を辿らぬ、不断の接触、あるひは接触の試みと云つたはうが近い。それが真の意味のエロティシズムなのは、
対象すなはち生命が、永遠に触れられないといふメカニズムにあり、氏が好んで処女を描くのは、処女に
とどまる限り永遠に不可触であるが、犯されたときはすでに処女ではない、といふ処女独特のメカニズムに
対する興味だと思はれる。
…しかし乱暴な要約を試みるなら、氏が生命を官能的なものとして讃仰する仕方には、それと反対の極の
知的なものに対する身の背け方と、一対をなすものがあるやうに思はれる。生命は讃仰されるが、接触したが最後、
破壊的に働らくのである。そして一本の絹糸、一羽の蝶のやうな芸術作品は、知性と官能との、いづれにも
破壊されることなしに、太陽をうける月のやうに、ただその幸福な光りを浴びつつ、成立してゐるのである。
三島由紀夫「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より 戦争がをはつたとき、氏は次のやうな意味の言葉を言はれた。
「私はこれからもう、日本の悲しみ、日本の美しさしか歌ふまい」――これは一管の笛のなげきのやうに聴かれて、
私の胸を搏つた。
三島由紀夫「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より 西尾幹二氏は、西洋と日本との間に永遠にあこがれを以て漂泊する古い型の日本知識人を脱却して、西洋の魂を、
その深みから、その泥沼から、その血みとまろの闇から、つかみ出すことに毫も躊躇しない、新らしい日本人の
代表である。西洋を知る、とはどういふことか、それこそは日本を知る捷径ではないか、……それは明治以来の
日本知識人の問題意識の類型だつたが、今こそ氏は「知る」といふ人間の機能の最深奥に疑惑の錘を垂らすことを
怖れない勇気を以て、西洋へ乗り込んだのだつた。これは精神の新鮮な冒険の書であり、日本人によつて
はじめて正当に書かれた「ペルシア人の手紙」なのである。
三島由紀夫「西尾幹二著『ヨーロッパ像の転換』推薦文」より 廃墟といふものは、ふしぎにそこに住んでゐた人々の肌色に似てゐる。ギリシャの廃墟はあれほど蒼白であつたが、
ここウシュマルでは、湧き立つてゐる密林の緑の只中から、赤銅色の肌をした El Adivino のピラミッドが
そそり立つのだ。その百十八の石階には古い鉄鎖がつたはつてをり、むかしマキシミリアン皇妃がろくろ仕掛の
この鎖のおかげで、大袈裟にひろがつたスカートのまま、ピラミッドの頂きまで登つたのである。
そこらの草むらには、はうばうに石に刻んだ雨神の顔が落ちてゐた。この豊饒の神の顔は怒れる眉と爛々たる
目と牙の生えた口とをもち、鼻は長く伸びてその先が巻いて象の鼻に似、しばしば双の耳の傍から男根を突き
出してゐる。(中略)
大宮殿はおそらくその下に石階を隠してゐる平たい広大な台地の上にあつた。この正面に相対して、二頭の
ジャグワの像を据ゑた小さい台地があり、さらに宮殿の入口の前には、巨大な男根が斜めにそびえてゐた。
三島由紀夫「旅の絵本 壮麗と幸福」より 壮麗な建築がわれわれに与へる感動が、廃墟を見る場合に殊に純粋なのは、一つにはそれがすでに実用の目的を
離れ、われわれの美学的鑑賞に素直に委ねられてゐるためでもあるが、一つには廃墟だけが建築の真の目的、
そのためにそれが建てられた真の熱烈な野心と意図を、純粋に呈示するからでもある。この一見相反する二つの
理由の、どちらが感動を決定するかは一口に云へない。しかし廃墟は、建築と自然とのあひだの人間の介在を
すでに喪つてゐるだけに、それだけに純粋に、人間意志と自然との鮮明な相剋をゑがいてみせるのである。
廃墟は現実の人間の住家や巨大な商業用ビルディングよりもはるかに反自然的であり、先鋭な刃のやうに、
自然に対立して自然に接してゐる。それはつひに自然に帰属することから免れた。それは古代マヤの兵士や
神官や女たちのやうには、灰に帰することから免れた。と同時に、当時の住民たちが果してゐた自然との媒介の
役割も喪はれて、廃墟は素肌で自然に接してゐるのである。
三島由紀夫「旅の絵本 壮麗と幸福」より 殊に神殿が廃墟のなかで最も美しいのは、通例それが壮麗であるからばかりではなく、祈りや犠牲を通して神に
近づかうとしてゐた人間意志が、結局無効にをはつて挫折して、のび上つた人間意志の形態だけが、そこに
残されてゐるからであらう。かつては祈りや犠牲によつて神に近づき、天に近づいたやうに見えた大神殿は、
廃墟となつた今では、天から拒まれて、自然――ここではすさまじいジャングルの無限の緑――との間に、
対等の緊張をかもし出してゐる。神殿の廃墟にこもる「不在」の感じは、裸の建築そのものの重い石の存在感と
対比されて深まり、存在の証しである筈の大建築は、それだけますます「不在」の記念碑になつたのである。
われわれが神殿の廃墟からうける感動は、おそらくこの厖大か石に呈示された人間意志のあざやかさと、
そこに漂ふ厖大な「不在」の感じとの、云ふに云はれぬ不気味な混淆から来るらしい。
三島由紀夫「旅の絵本 壮麗と幸福」より 人を脅かして、人のおどろく顔を見るといふたのしみは、たのしみの極致を行くものである。
小説家は厳密に言ふと、認識者ではなく表現者であり、表現を以て認識を代行する者である。
認識にとつて歓喜ほど始末に負へぬ敵はない。
人生が一人宛たつた一つしかないといふことは、全く不合理な、意味のない事実である。
行為とは、宿命と自由意志との間に生れる鬼子であつて、人は本当のところ、自分の行為が、
宿命のそそのかしによるものか、自由意志のあやまちによるものか、知ることなど決してできない。
人生では知らないことだけが役に立つので、知つてしまつたことは役にも立たない。
三島由紀夫「裸体と衣装」より 批評する側の知的満足には、創造といふまともな野暮な営為に対する、皮肉な微笑が、
いつまでもつきまとふことは避けられない。この世には理想主義的知性などといふものは
ないのだ。あらゆる理想主義には土方的なものがあり、あらゆる仕事は理想主義の影を伴ふ。
そして批評的知性には、本来土方の法被(はつぴ)は似つかはしくないものであるが、
批評の仕事がひとたびこの法被を身にまとふと、営々孜々として破壊作業に従事するか、
それとも対象から遠く隔たつて天空高く楼を建てるかしてしまふのである。
言葉の本質がディオニュソス的なら、文章の本質はアポロン的、といふ具合に、言葉は
私にとつてはひどく肉体的な、血や精液に充ちたものだ。
三島由紀夫「裸体と衣装」より 詩は精神が裸で歩くことのできる唯一の領域で、その裸形は、人が精神の名で想像するものと
あまりに似てゐないから、われわれはともするとそれを官能と見誤る。抽象概念は精神の
衣装にすぎないが、同時に精神の公明正大な伝達手段でもあるから、それに馴らされた
われわれは、衣装と本体とを同一視するのである。
トチリとか失敗とかは正に神秘的なもので、人間の努力の及ぶところではない。
外人がわれわれの国の踊りなり芝居なり美術品なりのイカモノに感心しようとしてゐるとき、
「あれはニセモノだよ」と冷水を浴びせてやるくらゐ愉快なことはない。
三島由紀夫「裸体と衣装」より 子供たちの目はまだ見ぬ世界への夢に輝いてゐる。この子供たちこそ世界を所有してゐるので、
世界旅行は世界を喪失することだ。尤も、生きるといふことがそもそも人生をなしくづしに
喪失してゆくことなのであるから、人間の行為と所有とは永遠に対立してゐる。
君候がいつかは人前にさらさなければならない唯一の裸の顔が、いつも決まつて恐怖の顔で
あるといふことは、何といふ不幸であらう。
ニヒリズムといふ精神状況は、本質的にエモーショナルなものを含んでゐる。
三島由紀夫「裸体と衣装」より
よく見てごらんなさい。「薔」といふ字は薔薇の複雑な花びらの形そのままだし、
「薇」といふ字はその葉つぱみたいに見えるではないか。
三島由紀夫「薔薇と海賊について」より 近代日本文学史において、はじめて、「芸術としての批評」を定立した人。
批評を、真に自分の言葉、自分の文体、自分の肉感を以て創造した人。
もつとも繊細な事柄をもつとも雄々しく語り、もつとも強烈な行為をもつとも微妙に描いた人。
美を少しも信用しない美の最高の目きき。獲物のをののきを知悉した狩人。
あらゆるばかげた近代的先入観から自由である結果、近代精神の最奥の暗部へ、づかづかと素足で
踏み込むことのできた人物。
行為の精髄を言葉に、言葉の精髄を行動に転化できる接点に立ちつづけた人。
認識における魔的なものと、感覚における無垢なものとを兼ねそなへた人。
知性の向う側に肉感を発見し、肉感の向う側に精神を発見するX光線。
遅疑のない世界、後悔のない世界、もつとも感じ易く、しかも感じ易さから生ずるあらゆる病気を免かれた世界。
一個の野蛮人としての知性。
一人の大常識人としての天才。
三島由紀夫「小林秀雄頌」より 梶井基次郎の作品では、「城のある町にて」が一番好きだが、この蒼穹」も、捨て難い小品である。小説ではなくて、
一篇の散文詩であり、今日ではさう思つて読んだはうがいい。
この作者が、死の直前、本当の小説家にならうとして書いた「のんきな患者」をほめる人もあるが、私には、
氏は永久に小説家にならうなどと思はなかつたはうがよかつたと思はれる。この人は小説家になれるやうな
下司な人種ではなかつたのである。
「蒼穹」は、青春の憂鬱の何といふ明晰な知的表出であらう。何といふ清潔さ、何といふ的確さであらう。
白昼の只中に闇を見るその感覚は、少しも病的なものではなく、明晰さのきはまつた目が、当然見るべきものを
見てゐるのである。
健康な体で精神の病的な作家もゐれば、梶井基次郎のやうに病気でゐながら精神が健康で力強い作家もゐる。
同じ病気でも、梶井には堀辰雄にない雄々しさと力のあるところが好きである。
三島由紀夫「捨て難い小品」より 梶井基次郎の文学は、デカダンスの詩と古典の端正との稀な結合、熱つぽい額と冷たい檸檬との絶妙な
取り合はせであつて、その肉感的な理智の結晶ともいふべき作品は、いつまでも新鮮さを保ち、おそらく現代の
粗雑な小説の中に置いたら、その新らしさと高貴によつて、ほかの現代文学を忽ち古ぼけた情ないものに
見せるであらう。
三島由紀夫「梶井基次郎全集 推薦文」より 清洌な抒情といふやうなものは、人間精神のうちで、何か不快なグロテスクな怖ろしい
負ひ目として現はれるのでなければ、本当の抒情でもなく、人の心も搏たないといふ考へが
私の心を離れない。白面の、肺病の、夭折抒情詩人といふものには、私は頭から信用が
置けないのである。先生のやうに永い、暗い、怖ろしい生存の恐怖に耐へた顔、そのために
苔が生え、失礼なたとへだが化物のやうになつた顔の、抒情的な悲しみといふものを私は信じる。
古代の智者は、現代の科学者とちがつて、忌はしいものについての知識の専門家なのであつた。
かれらは人間生活をよりよくしたり、より快適により便宜にしたりするために貢献するのでは
なかつた。死に関する知識、暗黒の血みどろの母胎に関する知識、さういふ知識は本来
地上の白日の下における人間生活をおびやかすものであるから、一定の智者がそれを
統括して、管理してゐなければならなかつた。
三島由紀夫「折口信夫氏の思ひ出」より (神輿の)リズムある懸声と力の行使と、どちらが意識の近くにゐるかと云へば、
ふしぎなことに、それはむしろ後者のはうである。懸声をあげるわれわれは、力を
行使してゐるわれわれより一そう無意識的であり、一そう盲目である。神輿の逆説は
そこにひそんでゐる。担ぎ手たちの声や動きやあらゆる身体的表現のうち、秩序に
近いものほど意識からは遠いのである。
神輿の担ぎ手たちの陶酔はそこにはじまる。彼らは一人一人、変幻する力の行使と懸声の
リズムとの間の違和感を感じてゐる。しかしこの違和感が克服され、結合されなければ、
生命は出現しないのである。そして結合は必ず到来する。われわれは生命の中に溺れる。
懸声はわれわれの力の自由を保証し、力の行使はたえずわれわれの陶酔を保証するのだ。
肩の重みこそ、われわれの今味はつてゐるものが陶酔だと、不断に教へてくれるのであるから。
三島由紀夫「陶酔について」より 氏の生涯は芸術家として模範的なものだといふ考へは私の頭を去らない。
日本の近代の芸術家中の一流中の一流の天才である氏は、日本の近代といふ歴史的状況のあらゆる矛盾を
「痴態」と見てゐたにちがひない。そしてそれによつて犠牲にされたあらゆるものを、氏はあの豊じゆんな、
あでやかな言葉によつて充分に補つた。かつてわれわれが「日本語」と呼んでゐた、あの無類に美しい、
無類に微妙な言語によつて。
三島由紀夫「谷崎文学の世界」より
谷崎氏は日本古典を愛しつつ、一方、小説家として少しも旧慣にとらはれない天才であつた。この相反するかの
ごとく見える二つの特性は、日本の近代文学史の歪みの是正にもつとも役立つた。なぜなら日本の近代小説は、
日本古典の流れを汲まず、一方、自分たちのこしらへた奇妙な「近代的旧慣」のとりこになつてゐたからである。
三島由紀夫「谷崎潤一郎頌」より 谷崎氏のエロティックな領域の生活はともあれ、食生活の贅沢はいろいろと言ひ伝へられてゐる。戦時中の
食糧欠乏時代にも、美食に親しみながら「細雪」を書きつづけ、戦後は、熱海で客をもてなすのに京都から
料理人を呼び寄せたり、東京のパンはまづいからとて、京都からパンを飛行機で運ばせた、などといふ噂を、
嘘か本当か知らないが、きいたことがある。
しかし、史上伝へられるヴィクトル・ユゥゴオやデュマやプルウストの贅沢に比べれば物の数にも入らない。
住居も、青年時代の横浜の洋館の純洋風生活から、関西移住後の岡本の生活など、いろいろ話にはきいてゐるが、
王候を凌ぐ贅沢といふ風には感じられない。たまたま貧乏国の貧乏文士の間に置くから目立つただけで、氏の
豪奢な文学に比べれば、いかに氏が、生活に贅を尽くしても程度は知れてゐるのである。氏の場合は、節倹第一の
儒教的倫理感とも、社会主義者の世間を気にする貧乏演技とも、はじめから無縁だつただけの話である。
三島由紀夫「谷崎潤一郎、芸術と生活」より では氏が、生活を享楽し、生を肯定し、生活第一と考へてゐたかと云へば、決してさうではあるまい。
このやうな美の執拗な構築者、美を現実に似せるために言葉の極限の機能を利用した芸術家にとつて、生活が
それほど根本的な関心であつたとは思はれない。大体氏には、花なら桜、食物なら鯛、医者なら一流の
国手といふ、大月並主義があつたのは事実だが、それが私には、氏が自分の夢想にリアリティーを与へる
手段であつたやうに思はれる。氏の文学的夢想はきはめて困難なものであり、これを万人の趣味の理想で
飾り立てることによつて、かつかつそのリアリティーが保障されるやうなものだつた。氏が御馳走が好きで
あつたことは疑ひがないが、御馳走は、氏の文学自体がもつとも美味しい御馳走となるための手段だつたのだから、
この芸術家の精神の中にある可食細胞にとつては、生活、人生、生自体はたえず「美味しいもの」に見えてゐる
絶対の必要があつたのである。
三島由紀夫「谷崎潤一郎、芸術と生活」より 氏はうるさいことが大きらひで、青くさい田舎者の理論家などは寄せつけなかつた。自分を理解しない人間を
寄せつけないのは、芸術家として正しい態度である。芸術家は政治家ぢやないのだから。
私はさういふ生活のモラルを氏から教へられた感じがした。それなら氏が人当りのわるい傲岸な人かといふと、
内心は王者をも挫(ひし)ぐ気位を持つてゐたらうが、終生、下町風の腰の低さを持つてゐた人であつた。
初対面の人には、ずつと後輩でも、自分のはうから進み出て、「谷崎でございます」と深く頭を下げ、又、
自分中心のテレビ番組に人に出てもらふときには、相手がいかに後輩でも、自分から直接電話をかけて丁重に
たのんだ。秘書に電話をかけさせて出演を依頼するやうな失礼な真似は決してしなかつた。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より 深沢七郎氏の本の出版記念会が日劇ミュージック・ホールでひらかれたとき、私は谷崎氏の隣席でショウを
見てゐた。ショウがをはつて席を立つた私のあとから、谷崎氏が、「お忘れ物」と云ひながら、席に忘れた
私のレインコートを持つて来て下さつたのには恐縮した。ふつうの世界なら、「おい君、忘れてるよ」と、私の
肩でも叩いて注意してくれるのが関の山であらう。文士の世界では、どんなにヒヨッコでも一応、表向きは
一国一城の主として扱へ、といふ生活上のモラルも、私がかうして氏から教はつたものであつた。
そんなに深いお附合はなかつたが、私が氏から無言の裡に受けた教へは、このやうに数多い。それといふのも
氏は大芸術家であると共に大生活人であり、芸術家としての矜持を守るために、あらゆる腰の低さと、あらゆる
冷血の印象を怖れない人だつたからだ。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より もし天才といふ言葉を、芸術的完成のみを基準にして定義するなら、「決して自己の資質を
見誤らず、それを信じつづけることのできる人」と定義できるであらうが、実は、この定義には
循環論法が含まれてゐる。といふのはそれは、「天才とは自ら天才なりと信じ得る人である」
といふのと同じことになつてしまふからである。コクトオが面白いことを言つてゐる。
「ヴィクトル・ユーゴオは、自分をヴィクトル・ユーゴオと信じた狂人だつた。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より
天才の奇蹟は、失敗作にもまぎれもない天才の刻印が押され、むしろそのはうに作家の
諸特質や、その後発展させられずに終つた重要な主題が発見されることが多いのである。
三島由紀夫「解説(新潮日本文学6 谷崎潤一郎集)」より
天才というものは源泉の感情だ。そこまで堀り当てた人が天才だ。
三島由紀夫「舟橋聖一との対話」より 若い人の清純な心中が、忽ち伝説として流布され、「恋愛の永遠性」や「精神の勝利」の
証左にされるのは、少なくともこのやうな架空の幻影のために彼らが身命を賭したといふ
誠実さの証拠にはなる。といふのは、「恋愛の永遠性」や「精神の勝利」なるものは、
生きてゐようが、自殺してみようが、心中してみようが、青春といふ肉体的状態にとつては
不可能な文字なのであつて、青春のあらゆる特質と矛盾する性質のものであるから、
それゆゑに、さういふものは美しいのである。
三島由紀夫「心中論」より
女体を崇拝し、女の我儘を崇拝し、その反知性的な要素のすべてを崇拝することは、実は
微妙に侮蔑と結びついてゐる。(谷崎)氏の文学ほど、婦人解放の思想から遠いものは
ないのである。氏はもちろん婦人解放を否定する者ではない。しかし氏にとつての関心は、
婦人解放の結果、発達し、いきいきとした美をそなへるにいたつた女体だけだ。エロスの
言葉では、おそらく崇拝と侮蔑は同義語なのであらう。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より 白日夢が現実よりも永く生きのこるとはどういふことなのか。人は、時代を超えるのは
作家の苦悩だけだと思ひ込んでゐはしないだらうか。
三島由紀夫「解説(日本の文学4 尾崎紅葉・泉鏡花)」より
よき私小説はよき客観小説であり、よき戯曲はよき告白なのである。
三島由紀夫「解説(日本の文学52 尾崎一雄・外村繁・上林暁)」より
「浅草花川戸」「鉄仙の蔓花」「連子窓」「花畳紙」「ボンボン」「継羅宇」「銀杏返し」
「絎台」「針坊主」「浜縮緬」などの伝統的な語彙の駆使によつて、われわれは一つの世界へ
引き入れられる。生活の細目のあらゆる事物に日本風の「名」がついてゐたこのやうな時代に
比べると、現代は完全に文化を失つた。文化とは、雑多な諸現象に統一的な美意識に
基づく「名」を与へることなのだ。
三島由紀夫「解説(現代の文学20 円地文子集)」より 右翼とは、思想ではなくて、純粋に心情の問題である。
共産主義と攘夷論とは、あたかも両極端である。しかし見かけがちがふほど本質は
ちがはないといふ仮定が、あらゆる思想に対してゆるされるときに、もはや人は思想の
相対性の世界に住んでゐるのである。そのとき林氏には、さらに辛辣なイロニイが
ゆるされる。すなはち、氏のかつてのマルクス主義への熱情、その志、その「大義」への
挺身こそ、もともと、「青年」のなかの攘夷論と同じ、もつとも古くもつとも暗く、かつ
無意識的に革新的であるところの、本質的原初的な「日本人のこころ」であつたといふ
イロニイが。
日本の作家は、生れてから死ぬまで、何千回日本へ帰つたらよいのであらうか。日本列島は
弓のやうに日本人たちをたえずはじき飛ばし、鳥もちのやうにたえず引きつける。
三島由紀夫「林房雄論」より 近代日本が西洋文明をとりいれた以上、アリの穴から堤防はくづれたのである。しかも、文明の継ぎ木が
奇妙な醜悪な和洋折衷をはやらせ、一例が応接間といふものを作り、西洋では引つ越しや旅行の留守にしか
使はない白麻のカバーをソファーにかける。私はさういふことがきらひだから、いすが西洋伝来のものである以上、
西洋の様式どほり、高価な西洋こつとうのいすにも、家ではカバーをかけない。
昔の日本には様式といふものがあり、西洋にも様式といふものがあつた。それは一つの文化が全生活を、
すみずみまでおほひつくす態様であり、そこでは、窓の形、食器の形、生活のどんな細かいものにも名前がついてゐた。
日本でも西洋でも窓の名称一つ一つが、その時代の文化の様式の色に染まつてゐた。さういふぐあひになつて、
はじめて文化の名に値するのであり、文化とは生活のすみずみまで潔癖に様式でおほひつくす力であるから、
すきや造りの一間にテレビがあつたりすることは許されないのである。
三島由紀夫「日本への信条」より 私はただ、畳にすわるよりいすにかけるはうが足が楽だからいすにかけ、さうすれば、テーブルも、じゆうたんも、
窓も、天井も、何から何まで西洋式でなければ、様式の統一感に欠けるから、今のやうな生活様式を選んだのである。
それといふのも、もし、私が純日本式生活様式を選ばうとしても、十八世紀に生きてゐれば楽にできたであらうが、
二十世紀の今では、様式の不統一のぶざまさに結局は悩まされることになるからである。
私にとつては、そのやうな、折衷主義の様式的混乱をつづける日本が日本だとはどうしても思へない。
また、一例が、能やカブキのやうなあれほどみごとな様式的美学を完成した日本人が、たんぜんでいすにかけて
テレビを見て平気でゐる日本人と、同じ人種だとはどうしても思へない。
こんなことをいふと、永井荷風流の現実逃避だと思はれようが、私の心の中では、過去のみならず、未来においても、
敏感で、潔癖で、生活の細目にいたるまで様式的統一を重んじ、ことばを精錬し、しかも新しさをしりぞけない
日本および日本人のイメージがあるのである。
三島由紀夫「日本への信条」より そのためには、中途はんぱな、折衷的日本主義なんかは真つ平で、生つ粋の西洋か、生つ粋の日本を選ぶほかはないが、
生活上において、いくら生つ粋の西洋を選んでも安心な点は、肉体までは裏切れず、私はまぎれもない
日本人の顔をしてをり、まぎれもない日本語を使つてゐるのだ。つまり、私の西洋式生活は見かけであつて、
文士としての私の本質的な生活は、書斎で毎夜扱つてゐる「日本語」といふこの「生つ粋の日本」にあり、
これに比べたら、あとはみんな屁のやうなものなのである。
今さら、日本を愛するの、日本人を愛するの、といふのはキザにきこえ、愛するまでもなくことばを通じて、
われわれは日本につかまれてゐる。だから私は、日本語を大切にする。これを失つたら、日本人は魂を失ふことに
なるのである。戦後、日本語をフランス語に変へよう、などと言つた文学者があつたとは、驚くにたへたことである。
三島由紀夫「日本への信条」より 低開発国の貧しい国の愛国心は、自国をむりやり世界の大国と信じ込みたがるところに生れるが、かういふ
劣等感から生れた不自然な自己過信は、個人でもよく見られる例だ。私は日本および日本人は、すでにそれを
卒業してゐると考へてゐる。ただ無言の自信をもつて、偉ぶりもしないで、ドスンと構へてゐればいいのである。
さうすれば、向うからあいさつにやつてくる。貫禄といふものは、からゐばりでつくるものではない。
そして、この文化的混乱の果てに、いつか日本は、独特の繊細鋭敏な美的感覚を働かせて、様式的統一ある文化を
造り出し、すべて美の視点から、道徳、教育、芸術、武技、競技、作法、その他をみがき上げるにちがひない。
できぬことはない。かつて日本人は一度さういふものを持つてゐたのである。
三島由紀夫「日本への信条」より 愛するといふことにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠の素人である。
男は愛することにおいて、無器用で、下手で、見当外れで、無神経、蛙が陸を走るやうに
無恰好である。どうしても「愛する」コツといふものがわからないし、要するに、
どうしていいかわからないのである。先天的に「愛の劣等生」なのである。
そこへ行くと、女性は先天的に愛の天才である。どんなに愚かな身勝手な愛し方をする女でも、
そこには何か有無を言わせぬ力がある。男の「有無を言わせぬ力」といふのは多くは暴力だが、
女の場合は純粋な精神力である。どんなに金目当ての、不純な愛し方をしてゐる女でも、
愛するといふことだけに女の精神力がひらめき出る。非常に美しい若い女が、大金持の
老人の恋人になつてゐるとき、人は打算的な愛だと推測したがるが、それはまちがつてゐる。
打算をとほしてさへ、愛の専門家は愛を紡ぎ出すことができるのだ。
三島由紀夫「愛するといふこと」 電熱器ばやりの今の人には火鉢と云つてもピンと来ないだらうが、むかしは炭火をカンカン起して、鉄の網を
五徳にのせて、東京人が「おかちん」と呼ぶところの餅を、火鉢で焼いて喰べるのが、冬の夜の家庭のたのしみの
一つであつた。その鉄の網目の模様がコンガリと焼けた餅にのこり、私たちは、熱い餅をフーフー吹きながら、
醤油をかけて、おいしく喰べたものだ。
さて、いくら早く焼きたいからと云つて、餅を炭火につつこんだのでは、たちまち黒焦げになつて、喰べられた
ものではない。餅網が適度に火との距離を保ち、しかも火熱を等分に伝達してくれるからこそ、餅は具合よく
焼けるのである。
さて、法律とはこの餅網なのだらうと思ふ。餅は、人間、人間の生活、人間の文化等を象徴し、炭火は、人間の
エネルギー源としての、超人間的なデモーニッシュな衝動のプールである潜在意識の世界を象徴してゐる。
三島由紀夫「法律と餅焼き」より 人間といふものは、おだやかな理性だけで成立つてゐる存在ではないし、それだけではすぐ枯渇してしまふ、
ふしぎな、落着かない、活力と不安に充ちた存在である。
人間の活動は、すばらしい進歩と向上をもたらすと同時に、一歩あやまれば破滅をもたらす危険を内包してゐる。
ではその危険を排除して、安全で有益な活動だけを発展させようといふ試みは、むかしからさかんに行はれたが、
一度も成功しなかつた。
どんなに安全無害に見える人間活動も、たとへば慈善事業のやうなものでも、その事業を推進するエネルギーは、
あの怖ろしい炭火から得るほかはない。一例が、プロヒューモ氏は、例の醜聞事件以後、すばらしく有能な
慈善事業家として更生してゐるさうである。
人間の餅は、この危険な炭火の力によつて、喰へるもの、すなはち社会的に有益なものになる。
三島由紀夫「法律と餅焼き」より しかし、もし火に直接に触れれば、喰へないもの、すなはち社会的に無益有害なものになる。だから、餅と火の
あひだにあつて、その相干渉する力を適当に規制し、餅をほどよい焼き加減にするために、餅網が必要になるのである。
たとへば殺人を犯す人間は、黒焦げになつた餅である。そもそもさういふ人間を出さないやうに餅網が存在して
ゐるのだが、網のやぶれから、時として、餅が火に落ちるのはやむをえない。さういふときは、餅網は餅が
黒焦げになるに委(まか)せる他はない。すなはち彼を死刑に処する。餅網の論理にとつては、罪と罰は一体を
なしてゐるのであつて、殺人の罪と死刑の罰とは、いづれも餅網をとほさなかつたことの必然的結果であつて、
彼は人を殺した瞬間に、すでに地獄の火に焼かれてゐるのだ。
三島由紀夫「法律と餅焼き」より そして責任論はどこまで行つてもきりがなく、個人的責任と社会的責任との継目は永遠にはつきりしないが、
少くとも、殺人といふ罪が、人間性にとつて起るべからざることではなく、人間の文化が、あの怖ろしい炭火に
恩恵を蒙(かうむ)つてゐるかぎり、火は同時に殺人をそそのかす力にさへなりうるのである。かくて、終局的に、
責任は人間のものではないとする仏教的罪の思想も、人間には原罪があるとするキリスト教的罪の思想も
生れてくるわけであるが、餅網の論理は、そこまで面倒を見るわけには行かない。
ただ、餅網にとつていかにも厄介なのは、芸術といふ、妙な餅である。この餅だけは全く始末がわるい。
この餅はたしかに網の上にゐるのであるが、どうも、網目をぬすんで、あの怖ろしい火と火遊びをしたがる。
そして、けしからんことには、餅網の上で焼かれて、ふつくらした適度のおいしい焼き方になつてゐながら、
同時に、ちらと、黒焦げの餅の、妙な、忘れられない味はひを人に教へる。
三島由紀夫「法律と餅焼き」より 殺人は法律上の罪であるのに、殺人を扱つた芸術作品は、出来がよければ、立派な古典となり文化財となる。
それはともかくふつくらしてゐて、黒焦げではないのである。古典的名作はそのやうな意味での完全犯罪であつて、
不完全犯罪のはうはまだしもつかまへやすい。黒焦げのあとがあちこちにちらと残つてゐて、さういふところを
公然猥褻物陳列罪だの何だのでつかまへればいいからである。それにしても芸術といふ餅のますます厄介なところは、
火がおそろしくて、白くふつくら焼けることだけを目的として、おつかなびつくりで、ろくな焦げ目もつけずに
引上げてしまつた餅は、なまぬるい世間の良識派の偽善的な喝采は博しても、つひに戦慄的な傑作になる機会を
逸してしまふといふことである。
三島由紀夫「法律と餅焼き」より 電気の世の中が蛍光電灯の世の中になつて、人間は影を失なひ、血色を失なつた。
蛍光灯の下では美人も幽霊のやうに見える。近代生活のビジネスに疲れ果てた幽霊の男女が、蛍光灯の下で、
あまり美味しくもなささうな色の料理を食べてゐるのは、文明の劇画である。
そこで、はうばうのレストランでは、蝋燭が用ひられだした。磨硝子(すりガラス)の円筒形のなかに蝋燭を
点したのが卓上に置かれる。すると、白い卓布の上にアット・ホームな円光がゑがかれ、そこに顔をさし出した
女は、周囲の暗い喧騒のなかから静かに浮彫のやうに浮き出して見え、ほんの一寸した微笑、ほんの一寸した
目の煌めきまでがいきいきと見える。情緒生活の照明では、今日も蝋燭に如くものはないらしい。
そこで今度は古来の提灯(ちやうちん)がかへり見られる番であらう。
三島由紀夫「蝋燭の灯」より …私の幼年時代はむろん電気の時代だつたが、提灯はまだ生活の一部に生きてゐた。内玄関の鴨居には、
家紋をつけた大小長短の提灯が埃まみれの箱に納められてかかつてゐた。火事や変事の場合は、それらが一家の
避難所の目じるしになるのであつた。
提灯行列は軍国主義花やかなりし時代の唯一の俳句的景物であつたが、岐阜提灯のさびしさが今日では、生活の中の
季節感に残された唯一のものであらう。盆のころには、地方によつては、まだ盆灯籠が用ひられてゐるだらうが、
都会では灯籠といへば、石灯籠か回はり灯籠で、提灯との縁はうすくなつた。
「大塔宮曦鎧」といふ芝居があつて、その身替り音頭の場面には、たしか美しい抒情的な切子(きりこ)灯籠が
一役買つてゐた。切子灯籠は、歳時記を見ると、切子とも言ひ、灯籠の枠を四角の角を落とした切子形に作り、
薄い白紙で張り、灯籠の下の四辺には模様などを透し切りにした長い白紙を下げたもの、と書いてある。
江戸時代の庶民の発明した紙のシャンデリアである。
三島由紀夫「蝋燭の灯」より 私は証言する。むかしの日本人は、さびしかつた。今よりもずつと多い涙の中で生きてゐた。
嬉しいにつけ、悲しいにつけ、すぐ涙だつた。そして軍隊の記念の風呂敷の、あの
ノスタルジックな極彩色は、その紫がただちに打身の紫、その赤がただちにヒビ、アカギレの
血の色を隠してゐた。人間といふものはもともと極彩色なのだ。
さびしい極彩色の日本人の生活を私はなつかしむ。家のどこかでは必ず女がこつそりと
泣いてゐた。祖母も、母も、叔母も、姉も、女中も。そして子供に涙を見られると、
あわてて微笑に涙を隠すのだ。私は女たちがいつも泣いてゐた時代をすばらしいと思ふのである!
しかし泣いてゐた女たちの怨念は、今のやうな、いたるところで女がゲラゲラ高笑ひをし、
歯をむき出してゐる時代を現出した。むかしの女の幽霊は、さびしげに柳のかげからあらはれ、
めんめんと愚痴をこぼしたが、今の女の幽霊は、横尾忠則の絵にあるやうな裸一貫の
赤鬼になつて跋扈してゐる。うわア怖い!
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より 恥部とは何だらうか。それはそもそも、人に見せたくないものだらうか。それとも人に
見せたいものだらうか。これは甚だ微妙な、また、政治的な問題である。
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
恋愛では手放しの献身が手放しの己惚れと結びついてゐる場合が決して少なくない。
しかし計量できない天文学的数字の過剰な感情の中にとぢこめられてゐる女性といふものは、
はたで想像するほど男をうるさがらせてはゐないのだ。それは過剰の揺藍(ゆりかご)に
男を乗せて快くゆすぶり、この世の疑はしいことやさまざまなことから目をつぶらせて、
男をしばらく高いいびきで眠らせてしまふのである。私は時には、さういふ催眠剤的な女性を好む。
三島由紀夫「好きな女性」より あのヨーグルトを固めたやうな男が、男性の性的魅力の代表であるといふことについては、異論のある人が
多いと思ふ。(中略)
年増女の母性愛をくすぐる憂愁も、あどけなさも、少女の英雄崇拝にうつたへる体力も、不良つぽさも、
性的経験のある女に対する魅力も、それのない女からの憧れも……何もかも一身に具備して、歌の一ふし、
体の一ひねり、ことごとくセクシーならざるはないといふこの男。しかもそれを男の中の男と呼ぶには、
何か欠けてゐるやうな男。なまぐさい若さの、動物電気みたいなものを、存在すべてにしみこませて、それで
成功した男……。(略)
しかし、男といふものは、別にそんな存在になるために生まれてくるわけぢやない。プレースリーは、男性に
おける突然変異であり、ひどく自然に反したもので、一種の「性の神」になるやうに生まれついた男である。
ひよつとすると、彼がアメリカ人であるといふことは、女性の権力が強くなりすぎた社会における、男性の
側からの永い怨みと復讐のしるしかもしれない。
三島由紀夫「第一の性 各論エルヴィス・プレースリー」より 「ああ、女たちよ。威張れ。威張れ。いくらでも威張れ。お前たちのおのぞみの歌、大好きな歌をうたつて
やるからな。ほら、俺が歌ふと、どうしたんだい? 今まで威張つてたお前たちが、急にしびれて、引つくり
かへるぢやないか。男の暴力を封じ、経済力をむしばみ、権力を弱めてきたお前たちが、
ハ、ハ、ハ、ハートブレーク・ホテル
だなんて、俺が下らない歌を、ふるへ声で歌ふと、とたんに降参して城を明け渡すぢやないか。なんて君らは
低俗な趣味なんだ。どうだい、腰を振つてやらうか。うれしいか。ざまあみろ。俺の前ぢや、みんな仮面を
はがれてしまふんだ。いくらとりすました顔をして、威張つてゐたつて、こんな下品な歌一つで一コロなんだ。
どうだ。男にはやつぱりかなはないといふことがわかつたろう。(略)」
――プレースリーの歌をきいてゐると、私は砂糖菓子みたいな歌詞のむかふがはで、彼がたえず右のやうに
歌つてゐる声をきくやうな気がします。
三島由紀夫「第一の性 各論エルヴィス・プレースリー」より 劇画や漫画の作者がどんな思想を持たうと自由であるが、啓蒙家や教育者や図式的風刺家になつたら、その時点で
もうおしまひである。かつて颯爽たる「鉄腕アトム」を想像した手塚治虫も、「火の鳥」では日教組の御用漫画家に
なり果て、「宇宙虫」ですばらしいニヒリズムを見せた水木しげるも「ガロ」の「こどもの国」や「武蔵」連作では
見るもむざんな政治主義に堕してゐる。
一体、今の若者は、図式化されたかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。「もーれつア太郎」の
スラップスティックスを喜ぶ精神と、それは相反するではないか。ヤングベ平連の高校生と話したとき、
「もーれつア太郎」の話になつて、その少年が、
「あれは本当に心から笑へますね」
と大人びた口調で言つた言葉が、いつまでも耳を離れない。大人はたとへ「ア太郎」を愛読してゐてもかうまで
含羞のない素直な賛辞を呈することはできぬだらう。赤塚不二夫は世にも幸福な作者である。
三島由紀夫「劇画における若者論」より (中略)世の中といふのは困つたもので、劇画に飽きた若者が、そろそろいはゆる「教養」がほしくなつてきたとき、
与へられる教養といふものが、又しても古ぼけた大正教養主義のヒューマニズムやコスモポリタニズムであつては
たまらないのに、さうなりがちなことである。それはすでに漫画の作家の一部の教養主義になつて現はれてをり、
折角「お化け漫画」にみごとな才能を揮(ふる)ふ水木しげるが、偶像破壊の「新講談 宮本武蔵」(一九六五年)を
描くときは、芥川龍之介と同時代に逆行してしまふからである。若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、
これらの与へたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。すなはち決して大衆社会へ
巻き込まれることのない、貸本屋的な少数疎外者の鋭い荒々しい教養を。
三島由紀夫「劇画における若者論」より 感動した。日本人のテルモピレーの戦を目のあたりに見るやうである。
いかなる盲信にもせよ、原始的信仰にもせよ、戦艦大和は、拠つて以て人が死に得るところの一個の古い徳目、
一個の偉大な道徳的規範の象徴である。その滅亡は、一つの信仰の死である。
この死を前に、戦死者たちは生の平等な条件と完全な規範の秩序の中に置かれ、かれらの青春ははからずも
「絶対」に直面する。この美しさは否定しえない。ある世代は別なものの中にこれを求めた。作者の世代は
戦争の中にそれを求めただけの相違である。
三島由紀夫「一読者として(吉田満著『戦艦大和の最期』)」より 私の貧しい感想が、この本に何一つ加へるものがないことを知りながら、次の三点について読者の注意を
促しておくことは無駄ではあるまいと思ふ。
第一は、もつとも苛烈な状況に置かれたときの人間精神の、高さと美しさの、この本が最上の証言をなしてゐる
ことである。
玉砕寸前の戦場において、自分の腕を切つてその血を戦友の渇を医やさうとし、自分の死肉を以て戦友の飢を
救はうとする心、その戦友愛以上の崇高な心情が、この世にあらうとは思はれない。日本は戦争に敗れたけれども、
人間精神の極限的な志向に、一つの高い階梯を加へることができたのである。
第二は、著者自身についてのことであるが、人間の生命力といふもののふしぎである。
舩坂氏の生命力は、もちろん強靭な精神力に支へられてのことであるが、すべての科学的常識を超越してゐる。
三島由紀夫「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より あらゆる条件が氏に死を課してゐると同時に、あらゆる条件が氏に生を課してゐた。まるで氏は、神によつて
このふしぎな実験の材料に選ばれたかのやうだ。(中略)
体力、精神力、知力に恵まれてゐたことが、氏を生命の岸へ呼び戻した何十パーセントの要素であつたことは
疑ひがないが、のこりの何十パーセントは、氏が持つてゐたあらゆる有利な属性とも何ら関はりがないのである。
それでは、ひたすら生きようといふ意志が氏を生かしてゐたか、といふと、それも当らない。氏は一旦、
はつきりと自決の決意を固めてゐたからである。
三島由紀夫「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より 氏が拾つた命は、神の戯れとしか云ひやうがないものであつた。その神秘に目ざめ、且つ戦後の二十年間に、
その神秘に徐々に飽きてきたときに、氏の中には、自分の行為と、行為を推進した情熱とが、単なる僥倖としての
生以上の何かを意味してゐたにちがひない、といふ痛切な喚起が生じた。その意味を信じなければ、現在の生命の
意味も失はれるといふぎりぎりの心境にあつて、この本が書き出されたとき、「本を書く」といふことも亦、一つの
行為であり、生命力の一つのあらはれであるといふことに気づくとは、何といふ逆説だらう。氏はかう書いてゐる。
「彼ら(英霊)はその報告書として私を生かしてくれたのだと感じた」
(中略)そして氏の見たものは、他に一人も証人のゐない地獄であると同時に、絶巓における人間の美であつた。
三島由紀夫「序 舩坂弘著『英霊の絶叫』」より
/⌒〉 /^ヽ ,, '' ̄ ̄ ‐- ,,
i´`! / / / / ,,ィ´: :,,ィ''⌒ ̄''''ー、: : `ヽ、
| | / / / //´〉 /: : :ツ `'^ヾ,,: `''ヽ
| | / // .// / /: : : :シ '゙ー、: :\
| | / // // ./ r{ : : / __r==、,, ヾ : :,
| |ノ |'゙ / ./ /シ:/!/´  ̄``ミミ、 ノ ゙l : :li
/ / / レ' | `゙'\、, `ヽ'゙ 、 | : :|
. / / ,,-─、 ,// :: ', `ミゝノ\,-≡=,,,, ノ: : :i
/ >─ {/ / (_/ :: `ー __,,/ / ,,, `ヾミ、 ./ : : :/
/ ヽ/ /. / ./(r、 | ゙゙\, 〉 f : : :/
/ :{ ´ 'ー''ヶ`ト `'',ノ〉/ : /
/ ⌒\/ ̄ ̄~{ /r<二ー、 `ー' `ー─‐'' /:/
,,ィ _ノ' ト, / {ffrrr::\ヽ } . . ..: :: /K\
_,, ノ /゙/ :|ヘ { 弋`\frノ) : : : /::/ いやっ!犯されるっ!!
/ /::/ :| ∧ 、 `ー‐' . :' : : / /}
/ | /::/ :| ∧ ` ,, ,,,,,,, : : . :: :: ノ~_ ,,__
/'ハ l |::/ :| \ミ..,, ゙゙゙゙゙゙' _,,ィ゙ `ヽ/:::::::::::::
/ } / ヘ/ | /ヘ二ニ───'''''''´ ヘ \ /:::::::::::::::::::: 日本人の明治以来の重要な文化的偏見と思はれるのは、男色に関する偏見である。
江戸時代までにはかういふ偏見はなかつた。西欧では、男色といふ文化体験に宗教が対立して、宗教が人為的に、
永きにわたつてこの偏見を作り上げたのである。しかるに日本では明治時代に輸入されたピューリタニズムの
影響によつて、簡単に、ただその偏見が偏見として伝播して、奇妙な社会常識になつてしまつた。そして
元禄時代のその種の文化体験を簡単に忘れてしまつた。
男色は、男色にとどまるものでなく、文化の原体験ともいふべきもので、あらゆる文化あらゆる芸術には、
男色的なものが本質的にひそんでゐるのである。
芸術におけるエローティッシュなものとは、男色的なものである。そして宗教と芸術・文化の、もつとも先鋭な
対立点がここにあるのに、それを忘れてしまつたのは、文化の衰弱を招来する重要な原因の一つであつた。
三島由紀夫「偏見について思ふこと」より 政敵のない政治は必ず恐怖か汚濁を生む。
三島由紀夫「憂楽帳 政敵」より
プルターク英雄伝の昔から、少なくともウイーン会議のころにいたるまで、政治は巨大な
人間の演ずる人間劇と考へられてゐた。人間劇である以上、憎悪や嫉妬や友情などの
人間的感情が、冷徹な利害の打算と相まつて、歴史を動かし、歴史をつくり上げる。
三島由紀夫「憂楽帳 お見舞」より
チベットの反乱に対して、中共は断固鎮圧に当たるさうである。共産主義に対する
反乱といふ言葉は、何だか妙で、ひつかかる。
中共もエラクなつて、正義の剣をチベットに対してふるはうといふのだらうが、チベットに
潜行して反乱軍に参加しようといふ風雲児もあらはれないところをみるとどうも日本人は
弱い者に味方しようといふ気概を失つてしまつたやうだ。世界中で一番自分が弱い者だと
思つてゐる弱虫根性が、敗戦後日本人の心中深くひそんでしまつたらしい。
三島由紀夫「憂楽帳 反乱」より どうも私は、民主政治家の「強い政治力」といふ表現が好きでない。(中略)
強面で通して、実は妥協すべきところでは妥協する、といふのと、表面実にたよりなく、
ナヨナヨしながら、実は抜け目なく通すべき筋はチャンと通す、といふのと、どつちが
民主主義の政治家として本当かと考へると、明らかに後者のやうに思はれる。
三島由紀夫「憂楽帳 強い政治力」より
思想といふものは、古からうが、新らしからうが、所詮は人間の持物で、その思想に
ふさはしい器となる人物は、とにかく魅力を持ちつづける。
三島由紀夫「憂楽帳 思想の容器」より 一九五九年の、月の裏側の写真は、人間の歴史の一つのメドになり、一つの宿命になつた。
それにしても、或る国の、或る人間の、単一の人間意志が、そのまま人間全体の宿命に
なつてしまふといふのは、薄気味のわるいことである。広島の原爆もまた、かうして
一人の科学者の脳裡に生れて、つひには人間全体の宿命になつた。
こんなふうに、人間の意志と宿命とは、歴史において、喰ふか喰はれるかのドラマを
いつも演じてゐる。今まで数千年つづいて来たやうに、(略)…人間のこのドラマが
つづくことだけは確実であらう。ただわれわれ一人一人は、宿命をおそれるあまり
自分の意志を捨てる必要はないので、とにかく前へ向つて歩きだせはよいに決つてゐる。
結婚の美しさなどといふものは、ある程度の幻滅を経なければわかるものではない。
子供は天使ではない。従つて十分悪の意識を持ち得る。そこに教育の根拠があるのだ。
三島由紀夫「巻頭言(『婦人公論』)」より 教育も教育だが日本人と生まれて、西鶴や近松ぐらゐが原文でスラスラ読めないで
どうするのだ。秋成の雨月物語などは、ちよつと脚注をつければ、子供でも読めるはずだし、
カブキ台本にいたつては、問題にもならぬ。それを一流の先生方が、身すぎ世すぎのために、
美しからぬ現代語訳に精出してゐるさまは、アンチョコ製造よりもつと罪が深い。
みづから進んで、日本人の語学力を弱めることに協力してゐるからである。
現代語訳などといふものはやらぬにこしたことはないので、それをやらないで滅びて
しまふ古典なら、さつさと滅びてしまふがいいのである。ただカナばかりの原本を、
漢字まじりの読みやすい版に作り直すとか、ルビを入れるとか、おもしろいたのしい
脚注を入れるとか、それで美しい本を作るとか、さういふ仕事は先生方にうんとやつて
もらひたいものである。
三島由紀夫「発射塔 古典現代語訳絶対反対」より ユーモアや哄笑は、無力な主人公や、何らなすところなきフーテン的人物のみの
かもし出すものではないと信ずる。有為な人物はユーモリストであり、ニヒリストは
なほさら哄笑する。
三島由紀夫「発射塔 ヒロイズム」より
だれだつて年をとるのだから声変はりもしようし、いつまでもキイキイ声ばかり張り上げても
ゐられない。古くなる覚悟は腹の底にいつでも持つてゐなければならない。その時がきたら
ジタバタして、若い者に追従を言つたりせず、さつさと古くなつて、堂々とわが道をゆく
ことがのぞましい。
しかし「オレはもう古いんだぞ。古くなつたんだぞ」と、吹聴してまはるのもみつともない。
オールドミスが「私、もうおばあさんだから」と言つてまはるのと同じことだ。古くなるには、
やはり黙つて、堂々と、新しさうな顔をしたまま平然と古くなつてゆくべきだらう。
三島由紀夫「発射塔 古くなる覚悟」より
自分に似合はないものを思ひ切つて着る蛮勇といふものも、作家の持つべき美徳の一つである。
三島由紀夫「発射塔 文壇衣装論」より 埴谷雄高氏は戦後の日本の夜を完全に支配した。氏は黒い神話になり、ねぢ曲つた現実の回路が或る一個所で
底なしの闇に通じてゐるのをわれわれが発見するとき、必然的に不可避的に埴谷氏の顔に会つた。
あらゆる絶望の予言はすでに埴谷氏の本の中に語られてゐた。だからこれを読むことが希望の唯一の根拠になつた。
明晰な文体と異常な人物、正確な悟性と異様な幻想……そのすべてが氏の容赦なき人間認識から出て、闇の風を
孕んだ深いお告げになつた。氏は分析に足をとられたことのない稀な近代人である。世界は崩壊の一歩手前で
言葉によつて引き止められ、闇は凝視にとつて最小限必要な光りを許してゐることによつて逆説的である。
埴谷氏の文学はただ青年の書であるだけではない。人間と世界の書であることが、今や明らかになつたのである。
三島由紀夫「推薦のことば(『埴谷雄高作品集』)」より サルヴァドル・ダリの「最後の晩餐」を見た人は、卓上に置かれたパンと、グラスを夕日に射抜かれた赤葡萄酒の
紅玉のやうな煌めきとを、永く忘れぬにちがひない。それは官能的なほどたしかな実在で、その葡萄酒は、
カンヴァスを舐めれば酔ひさうなほどに実在的に描かれてゐる。
…吉田健一氏の或る小品を読むたびに、私はこのダリの葡萄酒を思ひ出す。単に主題や思想のためだけなら、
葡萄酒はこれほど官能的これほど実在的である必要がないのに、「文学は言葉である」がゆゑに、又、
文学は言葉であることを証明するために、氏の文章は一盞の葡萄酒たりえてゐるのである。
三島由紀夫「ダリの葡萄酒」より 子供のころの私は、寝床できく汽車の汽笛の音にいひしれぬ憧れを持ち、ほかの子供同様一度は鉄道の機関士に
なつてみたい夢を持つてゐたが、それ以上発展して、汽車きちがひになる機会には恵まれなかつた。今も昔も、
私がもつとも詩情を感じるのは、月並な話だが、船と港である。
このごろはピカピカの美しい電車が多くなつたが、汽車といふには、煤(すす)ぼけてガタガタしたところが
なければならない。さういふ真黒な、無味乾燥な、古い箪笥のやうなきしみを立てる列車が、われわれが眠つて
ゐるあひだも、大ぜいの旅客を載せて、窓々に明るい灯をともして、この日本のどこか知らない平野や峡谷や
海の近くなどいたるところを、一心に煙を吐いて、汽笛を長く引いて、走りまはつてゐる、といふのでなければ
ならない。なかんづくロマンチックなのは機関区である。夜明けの空の下の機関区の眺めほど、ふしぎに美しく
パセティックなものはない。
三島由紀夫「汽車への郷愁」より 空に朝焼けの兆があれば、真黒な機関車や貨車の群が秘密の会合のやうに集ひ合ふ機関区の眺め、朝の最初の
冷たい光りに早くも敏感にしらじらと光り出す複雑な線路、そしてまだ灯つてゐる多くの灯火などは、一そう
悲劇的な美を帯びる。
かういふ美感、かういふ詩情は、一概に説き明すことがむづかしい。ともかくそこには古くなつた機械に対する
郷愁があることはまちがひがない。少くとも大正時代までは、人々は夜明けの機関区にも、今日のわれわれが
夜明けの空港に感じるやうな溌剌とした新らしい力の胎動を感じたにちがひない。(中略)
機械といふものが、すべて明るく軽くなる時代に、機関区に群れつどふ機関車の、甲虫のやうな黒い重々しさが、
又われわれの郷愁をそそるのである。頼もしくて、鈍重で、力持ちで、その代り何らスマートなところの
なかつた明治時代の偉傑の肖像画に似たものを、古い機関車は持つてゐる。もつと古い機関車は堂々と
シルクハットさへ冠つてゐた。
三島由紀夫「汽車への郷愁」より しかし夜明けの機関区の持つてゐる一種悲劇的な感じは、それのみによるものではない。産業革命以来、
近代機械文明の持つてゐたやみくもな進歩向上の精神と勤勉の精神を、それらの古ぼけた黒い機関車や貨車が、
未だにしつかりと肩に荷つてゐるといふ感じがするではないか。それはすでにそのままの形では、古くなつた
時代思潮ともいへるので、それを失つたと同時に、われわれはあの時代の無邪気な楽天主義も失つてしまつた。
しかし人間より機械は正直なもので、人間はそれを失つてゐるのに、シュッシュッ、ポッポッと煙をあげて
今にも走り出しさうな夜明けの機関車の姿には、いまだに古い勤勉と古い楽天主義がありありと生きてゐる。
それを見ることがわれわれの悲壮感をそそるともいへるだらう。そしてそこに、私は時代に取り残された無智な
しかし力強い逞ましい老人の、仕事の前に煙草に火をつけて一服してゐる、いかつい肩の影までも感じとるのである。
三島由紀夫「汽車への郷愁」より それは淋しい影である。しかしすべてが明るくなり、軽快になり、快適になり、スピードを増し、それで世の中が
よくなるかといへば、さうしたものでもあるまい。飛行機旅行の味気なさと金属的な疲労は、これを味はつた
人なら、誰もがよく知つてゐる。いつかは人々も、ただ早かれ、ただ便利であれ、といふやうな迷夢から、
さめる日が来るにちがひない。「早くて便利」といふ目標は、やはり同じ機械文明の進歩向上と勤勉の精神の
帰結であるが、そこにはもはや楽天主義はなく、機械が人間を圧服して勝利を占めてしまつた時代の影がある。
だからわれわれは蒸気機関車に、機械といふよりもむしろ、人間的な郷愁を持つのである。
三島由紀夫「汽車への郷愁」より 能は、いつも劇の終つたところからはじまる。
能がはじまるとき、そこに存在するのは、地獄を見たことによつて変質した優雅である。
芸術といふものは特にこのやうなものに興味を持つ。芸術家は狐のやうに、この特殊な餌を
嗅ぎ当てて接近する。それは芸術の本質的な悪趣味であり、イロニイなのだ。
現代はいかなる時代かといふのに、優雅は影も形もない。それから、血みどろな人間の
実相は、時たま起る酸鼻な事件を除いては、一般の目から隠されてゐる。病気や死は、
病院や葬儀屋の手で、手際よく片附けられる。宗教にいたつては、息もたえだえである。
……芸術のドラマは、三者の完全な欠如によつて、煙のやうに消えてしまふ。
三島由紀夫「変質した優雅」より 現代の問題は、芸術の成立の困難にはなくて、そのふしぎな容易さにあることは、周知の
とほりである。
それは軽つぽい抒情やエロティシズムが優雅にとつて代はり、人間の死と腐敗の実相は、
赤い血のりをふんだんに使つたインチキの残酷さでごまかされ、さらに宗教の代りに
似非論理の未来信仰があり、といふ具合に、三者の代理の贋物が、対立し激突するどころか、
仲好く手をつなぐにいたる状況である。そこでは、この贋物の三者のうち、少くとも
二者の野合によつて、いとも容易に、表現らしきもの、芸術らしきもの、文学らしきものが
生み出される。かくてわれわれは、かくも多くのまがひものの氾濫に、悩まされることに
なつたのである。
三島由紀夫「変質した優雅」より
若い女性の多くは、能楽を、退屈に感じて見たがらない。そして、日本でしか、日本人しか、
真に味はふことのできぬ美的体験を自ら捨ててゐるのだ。
三島由紀夫「能――その心に学ぶ」より 私は残念ながら、大阪における武智歌舞伎時代に、世評の高かつた君の「妹背の道行」の求女を見てゐない。
しかし、その後、映画で見る君の芸風、容姿から考へて、求女がいかに適(はま)り役であつたか、想像するに
難くない。目の美しい、清らかな顔に淋しさの漂ふ、さういふ貴公子を演じたら、容姿に於て、君の右に
出る者はあるまい。
君の演技に、今まで映画でしか接することのなかつた私であるが、「炎上」の君には全く感心した。
市川崑監督としても、すばらしい仕事であつたが、君の主役も、リアルな意味で、他の人のこの役は考へられぬ
ところまで行つていた。ああいふ孤独感は、なかなか出せないものだが、君はあの役に、君の人生から汲み上げた
あらゆるものを注ぎ込んだのであらう。私もあの原作に「金閣寺」の主人公に、やはり自分の人生から汲み上げた
あらゆるものを注ぎ込んだ。さういうとき、作家の仕事も、俳優の仕事も、境地において、何ら変るところがない。
三島由紀夫「雷蔵丈のこと」より 純文学には、作者が何か危険なものを扱つてゐる、ふつうの奴なら怖気をふるつて
手も出さないやうな、取扱のきはめて危険なものを作者が敢て扱つてゐる、といふ感じが
なければならない、と思ひます。つまり純文学の作者には、原子力を扱ふ研究所員のやうな
ところがなければならないのです。
小説の中に、ピストルやドスや機関銃があらはれても、何十人の連続殺人事件が起つても、
作者自身が何ら身の危険を冒して『危険物』を扱つてゐないといふ感じの作品は、
純文学ではないのでせう。
純文学は、と云つても、芸術は、と云つても同じことだが、究極的には、そこに幸福感が
漂つてゐなければならぬと思ふ。それは表現の幸福であり、制作の幸福である。
どんな危険な怖ろしい作業であつても、いや、危険で怖ろしい作業であればあるほど、
その達成のあとには、大きな幸福感がある筈で、書き上げられたときその幸福感は遡及して、
作品のすべてを包んでしまふのだ。
三島由紀夫「『純文学とは?』その他」より 日本に生れて日本人たることは倖せである。老いの美学を発見したのは、おそらく中世の
日本人だけではないだろうか。
五十歳の野球選手といふものは考へらないが、七十歳の剣道八段は、ちやんと現役の
実力を持つてゐる。
肉体の領域でもこれだから、精神の領域では、日本人ほど「老い」に強い国民はないだらう。
三島由紀夫「『純文学とは?』その他」より このごろは町で想像もつかないことにいろいろぶつかる。小説家の想像力も、こんなことに一々おどろいてゐる
やうでは貧寒なものだ。
旧文春ビルのTといふ老舗の菓子屋で買物をしたら、私の目の前で、男の店員が、私の買物を包んでゐる女の店員に、
「領収書は要らないんだろ。もう金もらつた?」
ときいてゐた。
客の前で、大声で「もう金もらつた?」ときく心理は、どういふのだらう。
やはり銀座の五丁目のMデパートで、菓子売場の女店員に、
「舶来のビスケットある?」
ときいたら、
「チョコレートならありますけど、ビスケットは舶来はありません」
と言下に答へた。売場を一まはりして、さつきの女店員の立つてゐる飾棚を見たら、ちやんと英国製ビスケットが
二缶並んでゐる。
三島由紀夫「『純文学とは?』その他」より 「ここにあるぢやないか」
と言つたら、
「あら」とゲラゲラ笑つてゐた。
この二種類だけかときいたら、二種類だけです、と答へ、別の女の子が、他にも
二種類あります、と持つて来たはいいが、値段をきくと、全然同じ缶を二つ並べて、片方を八百円、片方を
千五百円といふ無責任さ。そのあひだゲラゲラ笑ひどほしで、奥の売場主任も我関せず焉で知らん顔をしてゐた。
(中略)
――かういふいろんな不条理か事例は、小説に使つたら、みんな嘘と思はれるだらう。もし今忠実な風俗小説
といふものが書かれたら、超現実主義風な作品になるのではないかと思はれる。
三島由紀夫「『純文学とは?』その他」より 別離だから悲しからう、悲しければもたもたするだらう、といふのが浅薄な心理主義と
私の呼ぶところのものである。別離は、劇に於ける超人間的なモメントだといふことが、
そこでは完全に忘れ去られてゐる。それは別離を人間の常態だと説いた哲学からの、
なまぬるい離反なのであつた。
舞台の上では、裸体ほど抽象的で観念的なものはなく、セリフほど具体的なものはない。
芸術家の値打の分れ目は、死んだあとに書かれる追悼文の面白さで決ると言つてよい。
「トスカ」で、私が主要な俳優たちにしばしば忠告したのは、この種の芝居における
登場と退場の大切さであつた。
役の人物があらはれる一瞬前に、役者が登場しなければならぬ。役の人物が退場した一瞬あとに、
役者が退場しなければならぬ。
能以外の劇は、すべて、運動会のピストルみたいな幼稚な効果にたよつてゐる点で、
大きな顔はできない。
三島由紀夫「芸術断想」より 遠い花火があのやうに美しいのは、遅く来る音の前に、あざやかに無言の光りの幻が
空中に花咲き、音の来るときはもう終つてゐるからではないだらうか。光りは言葉であり、
音は音楽である。光りを花火と見るときに、音は不要なのだが、あとからゆるゆると来る音は、
もはや花火ではない、花火の追憶といふ別の現実性のイメーヂをわれわれの心に定着しつつ、
別の独立な使命を帯びて、われわれの耳に届くのである。
『真相』なんて、大ていまやかしものに決まつてゐる。いつでもすばらしいのは事件そのもので、
それだけなのだ。
「希望は過去にしかない」といふ悲観哲学は、伝統芸能の場合、一種特別な意味合ひを帯び、
「昔はよかつた」といふ言葉にたえず刺戟されないかぎり、芸術的完成はありえないことを、
特に若い歌舞伎俳優に銘記してもらいたい。
三島由紀夫「芸術断想」より 小説の文体その他形式上の模倣は、小説における形式が非本質的かつ知的なものであるから、
その模倣も、多少とも知的なものと考へられて恕される。
ワグナーとは、あらゆる純粋性に対する反措定なのだ。その点では、ワグナーは、
象徴主義にとつてさへ敵である。
「トリスタン」は、ただ単に官能的だから怖ろしいのでもなく、ただ単に形而上学的だから
崇高なのでもない。そこではバスを待つ人の行列のやうにお互ひに無関心に、官能と
形而上学とが一小節づつ平然と隣り合つて並んでゐる。こんなグロテスクな無差別の
最高原理である「綜合」や「全体」が、死神にしか似てゐないのは当然だらう。死神の鎌の
無差別が、人間精神の全体性への嗜慾の象徴になる。それだから「トリスタン」は
怖ろしいのである。
三島由紀夫「芸術断想」より 芝居とはSHOWであり、見せるもの、示すものである。すべてが観客席へ向つて
集約されてゆく作業である。それだといふのに、舞台から向ふ側に属する人たちのはうが、
観客よりもいつも幸福さうに見えるのは何故だらう。何故観客席のわれわれは、安楽な椅子を
宛はれ、薄闇の中で何もせずに坐つてゐればよく、すべての点で最上の待遇を受けて
ゐるのにもかかはらず、どうしてこのやうに疲れ果て、つねに幾分不幸なのであらう。
私は妙な理論だが、こんなことを考へる。つまり人生においても、劇場においても、
観客席に坐るといふ人間の在り方には、何かパッシヴな、不自然なものがあるのである。
示されるもの、見せられるものを見る、といふ状況には、何か忌まはしいものがある。
われわれの目、われわれの耳は、自己防衛と発見のためについてゐるので、本来、
お膳立てされたものを見且つ聴くやうにはできてゐないかもしれない。
三島由紀夫「芸術断想」より 芸術の享受者の立場といふものには、何か永遠に屈辱的なものがある。すべての芸術には、
晴朗な悪意、幸福感に充ちた悪意がひそんでをり、屈辱を喜ぶ享受者を相手にすることを
たのしむのである。そのもつとも端的なあらはれが劇場芸術だと言つてよい。
劇場の暗闇へなど入らぬかぎり、われわれはみなそれぞれの社会で固有の役割を果してをり、
決して「観客」などといふ、十把一トからげの、不名誉な呼称で呼ばれないですむのである。
三島由紀夫「芸術断想」より 女のまねをする女形は、女形芸術の墓穴を自ら掘つてゐるものだと思ふ。女形の範はあくまで能の鬘物の
シテにあるので、世にも高貴な美女の仮面をとほして、神秘的な、暗い男の声がひびいて来、美しい唐織の
衣装の袖から、無骨な男の手がむき出しになつてゐるべきなのだ。
といふことは、女形の真骨頂は仮面劇にあるのであつて、歌舞伎の女形といへども、変成男子の神秘感を
失つてはならないのだ。
といつて、私は、女形が日常生活でスポーツ・シャツを着てゴルフをしたり、「僕が」とか「僕が」とかいふ
一人称を使ふのを、推賞してゐるわけではない。ただ、女形美といふものが、女性美とは別の独自性を持つて
ゐることを忘れてはならない、といつてゐるのである。(中略)
三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より 女形芸のうちで悪婆(毒婦)や若衆方に接近した要素が、一等早く衰退の気配を見せてゐるのは、悪婆的女性や
若衆的女性がふえてきたからである。逆に女性的女性が減つてきたので、真女形の稀少価値が生じて珍重されるにつれ、
女形は女の模倣の方向へ傾きがちになり、女優と見紛ふやうな芸を見せる役者も出て来て、歌舞伎の女形の
セリフからは義太夫の暗い渋い律調が失はれてしまつた。先々代時蔵の最後の政岡を見たときに、私は哀惜の念に
耐へなかつた。(中略)
さて、その女形の将来であるが、今は万事にアメリカ風の、浅薄な健全第一主義の時代であるけれど、日本人の
血の澱みは、一朝一夕に浄化されるものではない。
女形を気味がわるいと思ふ観客がふえたこともたしかだが、そんならその気味のわるさに将来性がある筈で、
芸術の歴史はみんなさういふ試練を経て来たのである。
三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より 私はつねづねふしぎに思つてゐることがある。
前述したやうに、今はむしやうに女が強くなつて男性化した時代のやうにいはれながら、女の顔自体は、昔に比べて、
だんだん男性的威厳を失つてきてゐるのである。理想の美女は、現代では、イタチが猫か少年の顔にちかく、
明治時代の女性のやうに、むしろ男性的威厳を帯びた顔は、ゐなくなつたか、少なくとも、流行らなくなつて
ゐるのである。(中略)顔はますます小さくなる傾向にあり、髷の似合ひさうな顔は一つもない。明治時代の
名妓の面影はあとをとどめない。
女性が女性的であつた時代に、却つて、女形風な顔や美がもてはやされ、沢山生存してゐた、とはどういふこと
だらうか。あれこれ思ふと、現代の女優で片はづしのカツラの似合ふやうな人は一人もなく、過去の壮大な
悲劇に似合ふ舞台上の女性は、どうしても、男にカツラをかぶせるほかはなくなるのである。ブリジット・
バルドーみたいな顔をした八重垣姫なんか、どう考へてもをかしいではないか。
三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より 男が女に化けてゐるといふ芝居のウソの前提を、観客がもつと強く意識するやうになれば、女形の将来は
捨てたものではなく、また女形自身も、舞台では女、日常生活では男、などといふコセコセした枠を作らず、
舞台の上で女形であること自体に、堂々たる男性的威厳を発揮することに努めれば、世間の目も変つてくる
ことであらう。
重ねていふやうに、日本人の血の澱みの深さは、アメリカ人などとは比べものにならないのである。
女形のやうな、面白い、気味のわるい、エクストラオルディネール(異常)なものを、さうむやみに捨て去る
ことのできる日本人ではない。その点はもつと安心して、大悟徹底してゐるべきだと思ふのである。
三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より 川端さんは、暗黒時代に生きる名人で、川端さんにとつて「よい時代」などといふのはなかつたにちがひない。
「葬式の名人」とは、川端さんにとつて、「生きることの名人」の同義語に他ならなかつた。この世は巨大な
火葬場だ。それなら、地獄の火にも涼しい顔をして生きなければならないが、現代はどうもそればかりでは
ないらしい。地獄の焔が、つかんでも、スルスル逃げてしまふのである。そして頬に当るのは生あたたかい風
ばかりである。
これには川端さんも少し閉口されたらしい。「眠れる美女」は、そのやうな精神の窒息状態のギリギリの舞踏の
姿である。あの作品の、二度と浮ぶ見込のなくなつた潜水艦の内部のやうな、閉塞状況の胸苦しさは比類がない。
そこで川端さんの睡眠薬の濫用がはじまり、濫用だけに終つてゐればよかつたが、その突然の停止が、あたかも、
潜水夫が急に海面に引き上げられたやうな、怖ろしい潜水病に似た発作を起した。(中略)
三島由紀夫「最近の川端さん」より 幼少のころ病弱で、このごろになつてバカに健康第一になつた私などには、殊に健康の有難味がわかる一方、
生れつき健康な人の知らない、肉体的健康の云ひしれぬ不健全さもわかるのである。
健康といふものの不気味さ、たえず健康に留意するといふことの病的な関心、各種の運動の裡にひそむ奇怪な
官能的魅力、外面と内面とのおそろしい乖離、あらゆる精神と神経のデカダンスに青空と黄金の麦の色を与へる
傲慢、……これらのものは、ヒロポンも阿片も、マリワーナ煙草も、ハシシュも、睡眠薬も、決して与へない
奇怪な症状である。
三島由紀夫「最近の川端さん」より 「足が地につかない」ことこそ、男性の特権であり、すべての光栄のもとであります。
子惚気ばかり言ふ男は、家庭的な男といふ評判が立ち、へんなドン・ファン気取の
不潔さよりも、女性の好評を得ることが多いさうだが、かういふ男は、根本的にワイセツで、
性的羞恥心の欠如が、子惚気の形をとつて現はれてゐる。
動物になるべきときにはちやんと動物になれない人間は不潔であります。
男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは
一つもない。
三島由紀夫「第一の性」より 女は「きれいね」と、云はれること以外は、みんな悪口だと解釈する特権を持つてゐる。
なぜなら男が、「あいつは頭がいい」と云はれるのは、それだけのことだが、女が
「あの人は頭がいい」と云はれるのは、概してその前に美人ではないけれどといふ言葉が
略されてゐると思つてまちがひないからです。
「積極的」といふのと、「愛する」といふのとはちがふ。最初にイニシァチブをとる
といふことと、「愛する」といふこととはちがふ。
相手の気持ちをかまはぬ、しつこい愛情は、大てい劣等感の産物と見抜かれて、ますます
相手から嫌はれる羽目になる。
三島由紀夫「第一の性」より 愛とは、暇と心と莫大なエネルギーを要するものです。
小説家と外科医にはセンチメンタリズムは禁物だ。
男性操縦術の最高の秘訣は、男のセンチメンタリズムをギュッとにぎることだといふことが、
どの恋愛読本にも書いてないのはふしぎなことです。
変はり者と理想家とは、一つの貨幣の両面であることが多い。
どちらも、説明のつかないものに対して、第三者からはどう見ても無意味なものに対して、
頑固に忠実にありつづける。
三島由紀夫「第一の性」より 男には謎に耐へられない弱さがある。
…男に与へられてゐる高度の抽象能力は、この弱さの楯であつたらしい。抽象能力によつて、
現実と人生の謎を、カッチリした、キチンと名札のついた、整理棚に納めることなしには、
男は耐へられない。
人間は安楽を百パーセント好きになれない動物なのです。特に男は。
スタアといふものには、大てい化物じみたところがあるものです。
政治家の宿命は、死後も誤解を免かれないところにある。
三島由紀夫「第一の性」より 俳優といふショウ・アップ(見せつける)する職業には、本質的にナルシスムと男色が
ひそんでゐると云つても過言ではない。
宗教家ほどある意味では男くさい男はありません。
宗教家といふものには、思想家(哲学者)としての一面と、信仰者としての一面と、
指導者、組織者としての一面と、三つの面が必要なので、それには、男でなければならず、
キリストも釈迦も、男でありました。
三島由紀夫「第一の性」より 軽蔑とは、女の男に対する永遠の批評なのであります。
女性の特徴は、人の作つた夢に忠実に従ふことでせうが、何よりも多数決に弱いので、
夫の意見よりも、つねに世間の大多数の夢のはうを尊重し、しかもその「視聴率の高い夢」は
大企業の作つた罠であることを、ほとんど直視しようとしません。
「だつて私の幸福は私の問題だもの」
たしかにさうです。しかし、あなたの、その半分ノイローゼ的な、幸福への夢への
たえざる飢ゑと渇きは、実は大企業が、赤の他人が作つてゐるものなのです。
一から十まで完全に良い趣味の男といふのは、大てい女性的な男ですし、ニヒリズムを
持たない男といふのは、大てい脳天パアです。
三島由紀夫「反貞女大学」より 貞女とは、多くのばあひ、世間の評判であり、その世間をカサに着た女の鎧であります。
芸術および芸術家といふものは、かれら自身にとつては大事な仕事であるものが、女性からは
暇つぶしに使はれるといふ宿命を持つてゐる。モーツァルトがどんなにえらからうと、
トルストイがどんなに天才だらうと、暇がなければ「戦争と平和」なんて読めたものではない。
芸術家といふのは自然の変種です。
角の生えた豚は、一般の豚から見れば、たしかに魅力的かもしれませんが、何も可愛い
わが豚娘に、わざわざ角を生やしてやるには及ばない。
三島由紀夫「反貞女大学」より ある女は心で、ある女は肉体で、ある女は脂肪で夫を裏切るのである。
女性はそもそも、いろんな点でお月さまに似てをり、お月さまの影響を受けてゐるが、
男に比して、すぐ肥つたりすぐやせたりしやすいところもお月さまそつくりである。
愛から嫉妬が生まれるやうに、嫉妬から愛が生まれることもある。
ちやうど年寄りの盆栽趣味のやうに、美といふものは洗練されるにつれて、一種の畸型を
求めるやうになる。
…そして、さういふ奇妙な流行を作るのは、たいてい男の側からの要求であり、パリの
デザイナーもほとんど男ですし、ほかのことでは何でも男性に楯つくことの好きな女性が、
流行についてだけは、素直に男の命令に従ひます。
三島由紀夫「反貞女大学」より ○ 森を切り拓いて一本の道をつけることは、道そのものの意義の外に与へるのみでなく、
その風景、大きくは自然、全体の意義をかへる。風景(万象)は、道の右、道の左、
道の上方、道の下方といふ観念を以て新たに認識され、再編成される。預言並びに
unzeitgemaβな仕事の意味は茲(ここ)にある。預言とは、「あるがままの変革」である。
○ 人が呼んで以て無頼の放浪者といふ唯美派の詩人たちは、俗世間の真面目な人間よりも、
更に更に生真面目な存在である。
いかなる荒唐に対しても真面目であるといふ融通のきかぬ道学者的な眼差を、道徳をでなく
美を守るためにもつ人々である彼等は、また真の古代人たりうる資格を恵まれた人等である。
○微妙なのは恋愛でなくて男女関係なのだ。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より ○ 近代人にとつては、虚心坦懐に真情を吐露せよと命ぜられるほど苦痛なことはない。
それは苛酷な殆ど不可能な命令である。近代人は手許に多彩な百面相を用意してゐるが、
そのなかのマスクの一つに、自分の「真情」が入りこんでゐることは確かだが、おしなべて
マスクと信ずることの方が却つて容易なので。即ち真情を吐露することの困難は選択の
困難にすぎない。
しかし一方確固たる「真の」マスクをかぶる者たることも近代人には不可能になりつゝある。
私はむしろ古代の壮大な二重人格を思慕する。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より ○ 同情について
――同情は特殊な情緒である。その情緒としての独立性に於て喜怒哀楽と対等であるとしての。
――同情は最も人間的な情緒である。
人間的なるものには人間冒涜的なるものが含まれる。神的なるものは神的なるもののみから、
悪魔的なるものは悪魔的なるもののみから形成さるゝのに。……かくて同情は、
かゝるものとしての人間的なるものゝ典型である。それは人類の最も本質的な病気であり、
愛の頽廃である。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より ――同情の涙は嬉し涙と同類に数へらるべきであり、義憤と同範疇に入れらるべきではない。
義憤はある道徳観念(「正義感」その他を含む)と情緒との結合であり、その強度は
この結合の確信の強度に正比例する。偶発的な結合をも確信が之を必然化する。かくて
義憤は結合の一因子たる道徳観念の上によりも、結合の確信の上に、より多く立つが、
しかしなほ、その因子の故に価値判断の対象たりうるが、同情の涙は嬉し涙と同じく
単なる情緒間の結合であつて、何ら価値判断の対象たりえない。しかるに世間は、久しく
この「同情の涙」をば結果あるひは結果としての行為から判断して、価値判断の対象とする
底(てい)の誤謬を犯して来た。
――同情ほど偏見によつて意味づけられて来た、又意味づけられるべき情緒はない。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より ○ 痒さには幸福に似た感情がある。一面幸福とは痒さに似たものではあるまいか。
○ いかなる兇悪な詐欺師からよりも、師から我々は欺かれやすい。しかしそれは
明らかに教育の一部である。
○ 精神の知恵では女は男にはるかに劣るが、肉体の知恵では女は男をはるかに凌ぐ。
○ フリードリヒ・ニイチェの思想は要約するに次の一行を以て足る。
「我愛さず。愛せられず。我唯愛さしむ」
詩人の中核にあるものは烈しい灼熱した純潔である。それは詩人たる出生に課せられた
刑罰の如きものであり、その一生を、常人には平和の休息が齎らされる老年期に於ても亦、
奔情の痛みを以て貫ぬく。どこまでこの烈しい純潔に耐へるかといふ試みが詩人の作品である。
それは生涯に亘る試作の連続である。然しながら「耐へる」(経験的ナルモノ)といふことと
「試みる」(意志的ナルモノ)といふこととの苦渋にみちたこの結婚には、本質的な
悲劇が宿るであらう。こゝに特殊な形成の形態が語られてゐる。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より かゝる純潔はラジウムの如きものである。恐るべき速度を以て崩壊し放射しつゝあるが、
この自己破壊は鉛に化するまで頗る長き時間を要する。詩人の営為もかくのごときものである。
詩人は自らの尾を喰つて自らの腹を肥やす蛇に似てゐる。単なる自己破壊ではない。
それは形成を通して輪廻に連なることができる。詩人の永遠性は自己自身の裡にはじまるのである。
(自己自身から唐突な仕方で永遠につながること)
アルチュウル・ランボオが言つてゐる。
「ひとつこの純潔の度合をじつくり値踏みしてやらう」と。併し神が彼に与へた
運命的な時間は、「じつくりと」値踏みする余裕をもたせなかつた。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より まことに小鳥の死はその飛翔の永生を妨げることはできない。中絶はたゞ散歩者が何気なく歩みを止めるやうに
意味のない刹那にすぎない。喪失がありありと証ししてみせるのは喪失それ自身ではなくして輝やかしい存在の
意義である。喪失はそれによつて最早単なる喪失ではなく喪失を獲得したものとして二重の喪失者となるのである。
それは再び中絶と死と別離と、すべて流転するものゝ運命をわが身に得て、欣然輪廻の行列に加はるのである。
別離が抑(そもそも)何であらうか。歴史は別離の夥しい集積であるにも不拘(かかはらず)、いつも逢着として、
生起として語られて来たではないか。会者必離とはその裏に更に生々たる喜びを隠した教へであつた。
別離はたゞ契機として、人がなほ深き場所に於て逢ひ、なほ深き地に於て行ずるために、例へていはゞ、池水が
前よりも更に深い静穏に還るやうにと刹那投ぜられた小石にすぎない。それはそれより前にあつたものゝ存在の
意義を比喩としつゝ、それより後に来るものゝ存在を築くのである。即ち別離それ自体が一層深い意味に於ける
逢会であつた。私は不朽を信ずる者である。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「別れ」より 石川淳氏の志操の高さ、現代文学に稀に見る気品については、語る人も多からう。私は殊に氏の文体が、
あらゆる意味で反時代的なところに敬愛の念を寄せてゐる。それは精神の迅速な運動を裸かのまま跡づけて
読者の目に示すことでは、正しく散文の重要な機能を果してゐるが、同時に、その豊富な語彙と柔軟性の
かぎりを尽した姿は軽業師の鍛へられた肉体を思はせ、文体を通じて、われわれは氏の精神の目もあやな運動に
見とれるのである。それは合せ鏡のやうな文体であり、われわれは氏の精神を喜ぶとき、たちまちその運動を喜ぶ。
しかしこのやうな神速のスピードは、日本の近代文学が忘れ去つた西鶴その他の江戸文学の文体の流れを引き、
同時に氏の西欧的教養は、日本の古い装飾的要素を剥奪して、ただ古い日本語の密度と、天空をゆくが如く
スピードを復活させるのに役立つた。この全集によつて、美しい日本語とはどんなものか知るがよい。
三島由紀夫「美しい日本語――石川淳全集推薦の言葉」より 刑事が被疑者を扱ふやうに、当初から冷たい猜疑の目で作家を扱ふ作家論が、いつも犀利な批評を成就するとは
限らない。義務的に読まされる場合は別として、私は虫の好かぬ作家のものは読まぬし、虫の好く作家のものは読む。
すでに虫が好いてゐるのであるから、作品のはうも温かい胸をひらいてくれる。そこへ一旦飛び込んで、
作家の案内に委せて、無私の態度で作中を散歩したあとでなければ、そもそも文学批評といふものは成立たぬ、
と私は信ずるものだ。ましてイデオロギー批評などは論外である。非政治主義を装つた、手のこんだ
政治主義的批評は数多いのである。
これが私の基本的態度であるから、はじめから気負ひ立つた否定などは、一度も企てたことがなかつた。
否定が逸するところのものを肯定が拾ふことがある。もしその拾つたものに批評の意味が発見されれば、
本書の目的は達せられたことにならう。
三島由紀夫「『作家論』あとがき」より 若い世代は、代々、その特有な時代病を看板にして次々と登場して来たのであつた。
退屈がなければ、心の傷痍は存在しない。戦争は決して私たちに精神の傷を与へはしなかつた。
「芸術」とは人類がその具象化された精神活動に、それに用ひられた「手」を記念するために
与へた最も素朴な観念である。
三島由紀夫「重症者の兇器」より 芸術とは私にとつて私の自我の他者である。私は人の噂をするやうに芸術の名を呼ぶ。
それといふのも、人が自分を語らうとして嘘の泥沼に踏込んでゆき、人の噂や悪口を
いふはづみに却つて赤裸々な自己を露呈することのあるあの精神の逆作用を逆用して、
自我を語らんがために他者としての芸術の名を呼びつづけるのだ。
これは、西洋中世のお伽噺で、魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙つては甲斐なく、
彼より二三歩離れた林檎の樹を狙ふとき必ず彼の体に矢を射込むことができるといふ秘伝の
模倣でもあるのである。――端的に言へば、私はかう考へる。(きはめて素朴に考へたい。)
生活よりも高次なものとして考へられた文学のみが、生活の真の意味を明かにしてくれるのだ、と。
三島由紀夫「重症者の兇器」より 人間は結局、前以て自分を選ぶものだ。
逆説はその場のがれこそなれ、本当の言ひのがれにはなりえない。逆説家は逆説で自分を
追ひつめ、どどのつまりは自分自身から言ひのがれの権利をのこらず剥奪してしまふのである。
逆説家がしばしばいちばん誠実な人間であるのはこのためだ。逆説家がいちばん神に
触れやすいのもこの地点だ。神は人間の最後の言ひのがれであり、逆説とは、もしかすると
神への捷径だ。
*「捷径」の意味…近道
三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」より 天才(ジェニー)。才能(タラン)。誰がそれを分割することができよう。
才能とは決して不完全な天才のことではない。才能と天才は別の元素だ。それにもかかはらず、
われわれはワイルドの作品のいたるところに不完全な天才を見出だすのである。
ワイルドの哄笑は、言葉の本来の意味での悪魔的な笑ひである。悪魔の発明は神の衛生学だ。
ワイルドの悪魔主義は衛生的なものだ。この笑ひは衛生的なものだ。
三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」より 苦痛は一種のドラマである。人がその欲しないものへ赴くためには、丁度子供が
歯医者へゆく御褒美に菓子をせびるやうに、虚栄心をせびらずにはゐられない。
社会はある男を葬り去らうとまで激昂する瞬間に、もつともその男を愛してゐるもので、
これは嫉妬ぶかい女と社会とがよく似てゐる点である。軽業師は観客の興味を要求することに
飽き、つひには恐怖を要求することに苦心を重ねて、死とすれすれな場所に身を挺する。
彼が死ぬ。それはもはや椿事だ。綱渡り師の墜死は、芸当から単なる事件への、
おそろしい失墜である。イギリス社会にはとりわけイギリス特産の、醜聞といふ「死」の
一つの様式があつたので、綱渡り師がこの危険に誘惑を感じない筈はないのであつた。
三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」より 生活とは決して独創的でありえない何ものかだ。ホフマンスタールの忠告にもかかはらず、
しかし運命のみが独創的でありうる。キリストが独創的だつたのは、彼の生活のためではなく、
磔刑といふ運命のためだ。もうひとつ立入つた言ひ方をすると、生活に独創的な外見を
与へるのは運命といふものの排列の独創性にすぎない。
虚栄心を軽蔑してはならない。世の中には壮烈きはまる虚栄心もあるのである。
ワイルドの虚栄心は、受難劇の民衆が、血が流れるまで胸を叩きつづけるあの受苦の
虚栄に似てゐたやうに思はれる。何故さうするか。それがその男にとつての、ともかく
最高度と考へられる表現だからである。ワイルドが彼の詩に、彼の戯曲に、彼の小説に
選択する言葉は、かうした最高度の虚栄であつた。
三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」より 音楽は詐術ではない。しかし俳優は最高の詐術であり、アーティフィシャルなものの最上である。
それは人間の言葉である台詞が無上の信頼の友を見出だす分野である。
ワイルドはその逆説によつて近代をとびこえて中世の悲哀に達した。イロニカルな作家は
バネをもつてゐる人形のやうに、あの世紀末の近代から跳躍することができた。
彼は十九世紀と二十世紀の二つの扇をつなぐ要の年に世を去つた。彼は今も異邦人だ。
だから今も新しい。ただワイルドの悪ふざけは一向気にならないのに、彼の生まじめは、
もう律儀でなくなつた世界からうるさがられる。誰ももう生まじめなワイルドは相手にすまい。
あんなに自分にこだはりすぎた男の生涯を見物する暇がもう世界にはない。
三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」より 作家といふものは、いつもその時代と、娼婦のやうに、一緒に寝るべきであるか?
もちろん小説には、まぬがれがたい時世粧といふものは要る。しかし反動期における
作家の孤立と禁欲のはうが、もつと大きな小説をみのらせるのではないか?
……それにしても、作家は一度は、時代とベッドを共にした経験をもたねばならず、
その記憶に鼓舞される必要があるやうだ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 第一私はこの人の顔がきらひだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらひだ。
第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらひだ。女と心中したりする小説家は、
もう少し厳粛な風貌をしてゐなければならない。
私とて、作家にとつては、弱点だけが最大の強味となることぐらゐ知つてゐる。しかし
弱点をそのまま強味へもつてゆかうとする操作は、私には自己欺瞞に思はれる。(中略)
太宰のもつてゐた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な
生活で治される筈だつた。生活で解決すべきことに芸術を煩はしてはならないのだ。
いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 絶望から人はむやみに死ぬものではない。
典型的な青年は、青春の犠牲になる。十分に生きることは、生の犠牲になることなのだ。
生の犠牲にならぬためには、十分に生きず、フランス人のやうに吝嗇を学ばなければならぬ。
貯蓄せねばならぬ。卑怯な人間にならなければならぬ。
芸術は認識の冷たさと行為の熱さの中間に位し、この二つのものの媒介者であらうが、
芸術は中間者、媒介者であればこそ、自分の坐つてゐる場所がひろびろと、居心地の
よいことをのぞまず、むしろつねに夢みてゐるのは、認識と行為とがせめぎ合ひ、
(那須の)与市のそれのやうに、ぎりぎりの決着のところで結ばれて、芸術を押しつぶして
しまふことなのである。そして芸術がいつもかかるものから真の養分を得て、よみがへつて
来たといふ事実以上に、奇怪な不気味なことがあらうか?
われわれが文明の利便として電気洗濯機を利用することと、水爆を設計した精神とは無縁ではない。
三島由紀夫「小説家の休暇」より さまざまな自己欺瞞のうちでも、自嘲はもつとも悪質な自己欺瞞である。それは他人に
媚びることである。他人が私を見てユーモラスだと思ふ場合に、他人の判断に私を売つてはならぬ。
「御人柄」などと云つて世間が喝采する人は、大ていこの種の売淫常習者である。
私はかつて、真のでくのばうを演じ了せた意識家を見たことがない。
傷つきやすい人間ほど、複雑な鎖帷子(くさりかたびら)を織るものだ。そして往々
この鎖帷子が自分の肌を傷つけてしまふ。しかしこんな傷を他人に見せてはならぬ。
君が見せようと思ふその瞬間に、他人は君のことを「不敵」と呼んでまさに讃(ほ)めようと
してゐるところかもしれないのだ。
都会の人間は、言葉については、概して頑固な保守主義者である。
正しい狂気、といふものがあるのだ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 少なくとも私の育つてきた時代には、「鴎外がわかる」といふことが、文学上の趣味(グウ)の目安になつてをり、
漱石はもちろん大文豪ではあるが、鴎外よりもずつとわかりやすい、「より通俗な」ものと考へられてゐたのである。
「わかりやすいものは通俗だ」といふ考へが、いかに永い間、日本の知識人の頭を占めて来たかを思ふと、
この固定観念が全く若い世代から払拭された今、かれらが鴎外を捨てて漱石へ赴くのは、自然な勢ひだとも
いへるのだが、しかし、鴎外が本当に「わかりにくいか」といふ問題には、前述のやうな鴎外伝説、鴎外の
神秘化の力が作用してゐて、一概には言へない。鴎外は、明治以来今日にいたるまで、明晰派の最高峰なのである。
三島由紀夫「解説(日本の文学2 森鴎外)」より 再び問ふ。森鴎外とは何か?
あらゆる鴎外伝説が衰亡した今、私にとつては、この問ひかけが、一番の緊急事に思はれる。
もちろん、綜合的人格「全人」としての鴎外を評価することは重要である。しかしすべての伝説が死に、
知識の神としての畏怖が衰へた今こそ、鴎外の文学そのものの美が、(必ずしも多数者によつて迎へられずとも)
純粋に鮮明にかがやきだす筈だと思はれる。
三島由紀夫「解説(日本の文学2 森鴎外)」より 鴎外は、あらゆる伝説と、プチ・ブウルジョアの盲目的崇拝を失つた今、言葉の芸術家として真に復活すべき
人なのだ。言文一致の創生期にかくまで完璧で典雅な現代日本語を創り上げてしまつたその天才を称揚すべきなのだ。
どんな時代にならうと、文学が、気品乃至品格といふ点から評価されるべきなら、鴎外はおそらく近代一の
気品の高い芸術家であり、その作品には、量的には大作はないが、その集積は、純良な檜のみで築かれた
建築のやうに、一つの建築的精華なのだ。現在われわれの身のまはりにある、粗雑な、ゴミゴミした、無神経な、
冗長な、甘い、フニャフニャした、下卑た、不透明な、文章の氾濫に、若い世代もいつかは愛想を尽かし、
見るのもイヤになる時が来るにちがひない。人間の趣味は、どんな人でも、必ず洗練へ向つて進むものだからだ。
そのとき彼らは鴎外の美を再発見し、「カッコいい」とは正しくこのことだと悟るにちがひない。
三島由紀夫「解説(日本の文学2 森鴎外)」より 竜灯祭へお招きをうけて、灯籠流しにもいろいろの趣きがあるのを知つた。今まで私がしばしば見たのは
熱海の灯籠流しであつたがこれはふつうの施餓鬼の行事で、ひろい海面の潮のまにまに灯籠が漂ふのは、淋しい
彼岸へ心を誘はれる心地がした。柳橋の竜灯祭は神事である上に、いかにもこの土地らしい華麗なものである。
川面いちめんに灯籠が流れ出す数分間はふだんはただ眺めてゐるだけの隅田川をわれとわが手で流した灯籠で、
占領してしまつたやうな快感を与へる。地上の豪奢を以て、水中の竜神の心を慰めるといふ趣きがある。それが
いかにも「竜灯祭」といふ名にふさはしいのである。
また、それから引き潮に乗つてあれほど夥しかつた灯籠が、数分間のうちにほとんど視界を没し去るのも、
いかにもいさぎよくて、江戸前の感じがする。執念が残らないで、さはやかなのである。
三島由紀夫「竜灯祭」より 最後まで料亭の舟着場の下などにまつはりついて離れない少数の灯籠もあるが、これも執念といふものではなくて、
そのすぐ上方の座敷のさんざめき、美妓のたたずまひなどに心を残して、無邪気にそこに居据つてしまつた感じで
可愛らしい。あたかもその十いくつの灯籠だけが、そろつて首をもたげてうすく口をあけて、地上の遊楽の
美しさを讃美してゐるやうだ。
灯籠流しといふと、人はすぐ暗い仏教的イメーヂを持つが、私の発見したのは別のものだつた。このごろの
大キャバレエの遊びよりも昔の人はもつと豪奢な遊びを知つてゐた。そして消えない電気の光りよりも、
波のまにまに夜のなかへ馳け込んでゆく灯籠の光りのはうに、はるかに、遊楽に一等大切な「時間」の要素が、
いきいきとこめられてゐるのを知つた。一度花やかな頂点に達してそれが徐々に消えてゆく、そのゆるやかな
時間の経過の与へる快さは、快楽の法則に自然に則つてゐて、いづれにしても花火よりも「快楽的」であると
思はれるのだつた。
三島由紀夫「竜灯祭」より 新人の辛さは、「待たされる」辛さである。
青春の特権といへば、一言を以てすれば、無知の特権であらう。
どんな人間にもおのおののドラマがあり、人に言へぬ秘密があり、それぞれの特殊事情がある、
と大人は考へるが、青年は自分の特殊事情を世界における唯一例のやうに考へる。
小説は書いたところで完結して、それきり自分の手を離れてしまふが、芝居は書き了へた
ところからはじまるのである。
芝居の仕事の悲劇は、この世でもつとも清純なけがれのない心が、一度芝居の理想へ
向けられると、必ずひどい目に会ふのがオチだといふことである。
芝居の世界は実に魅力があるけれど、一方、おそろしい毒素を持つてゐる。
三島由紀夫「私の遍歴時代」より 大体私は「興ひたれば忽ち成る」といふやうなタイプの小説家ではないのである。
いつもさわぎが大きいから派手に見えるかもしれないが、私は大体、銀行家タイプの
小説家である。このごろの銀行が、派手なショウ・ウィンドウをくつつけたりしてゐる姿を、
想像してもらつたらよからう。
忘却の早さと、何ごとも重大視しない情感の浅さこそ、人間の最初の老いの兆(きざし)だ。
文学では、(日本の芸能の多くがさうであるやうに)、肉体が老い朽ちてから、芸術の
青春がはじまるといふ恵みがある。
三島由紀夫「私の遍歴時代」より 足るを知る人間なんか誰一人ゐないのが社会で、それでこそ社会は生成発展するのである。
空虚な目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福が存在しない。
男はどんな職業についても、根本に膂力の自信を持つてゐなくてはならない。なぜなら
世間は知的エリートだけで動いてゐるのではなく、無知な人間に対して優越性を証明するのは、
肉体的な力と勇気だけだからだ。
三島由紀夫「小説家の息子」より 西部劇は純然たる男だけの世界であつてこそ意味がある。へんな恋愛をからませた西部劇ほど、おかつたるい
ものはない。さて、西部劇に欠くべからざるインディアンのことだが、アメリカ人はインディアンに対しては、
ニグロに対するやうな人種的偏見を持つてゐないらしい。ユンクによると、アメリカ人の英雄類型は結局
インディアンの伝統的英雄に帰着するさうである。アメリカ人の集合的無意識は、自分の祖先を衰弱した白皙の
ヨーロッパ人としてよりも、精力にみちあふれた赤い肌のインディアンとして見てゐるらしい。開拓時代に
インディアンと戦ひながら、アメリカ人は敵の精力をしらずしらず崇拝し、模倣しようとしたかもしれない。(中略)
「一難去つて又一難」といふ事態に対する人間のどうしやうもない興味は、(これは西部劇に限つたことでは
ないが)、どんなに平和な時代が続かうと癒やしがたいものであるらしい。平和な市民生活に直接の身体的
危険が乏しいことから、この刺戟飢餓は、危険なスポーツや、自動車の制限速度の超過や、犯罪などに向ひ、
あるひは内攻してノイローゼに向ふことになる。西部劇はかういふ不満に対するいかにも
安全な薬品である。
三島由紀夫「西部劇礼讃」より ひところ歴史小説と現代小説といふささやかな論争が起こり、私は「作家は現代を描くべきものだ」といふ
高見順氏の説におほむね賛同したが、この論争の困難は要するに時点の設定であつて、太平洋戦争を題材に
歴史小説を書くこともできれば、その前の左翼運動弾圧の時代を題材に、高見氏のいはゆる現代小説を書くことも
できるわけである。
少なくとも自分の体験し生きてきた時期だけを現代小説の取り扱ひうる時期だと考へると、そんな現代意識は
歴史から除外されてゐるかのやうで「現代」といふ観念そのものが、経験主義と、あの悪名高い私小説理念によつて
毒されることになるであらう。そのとき作家にとつての現代とは、きはめて主観的な日々の体験の累積に
ほかならず、もつと厳密にいへば、現在のこの瞬間の、感覚的純粋体験そのものになつてしまふ。
三島由紀夫「現代史としての小説」より しかし高見氏はもとより、一般人も「現代」といふときに、そこにはおのづから、特殊の歴史意識を含ませてゐる。
歴史がなほ生成過程にあつて、歴史的創造の余地を残し、未決定の要素を含んでゐる場合に、これをわれわれは
通常「現代」と呼ぶのであつて、昭和初期から今までを現代と呼ぶか、安保闘争から今までを現代と呼ぶかは、
呼ぶ人の史観の相違にほかならない。一つづきの歴史を、どこまでを既済の箱に投げ入れ、どこまでを未済の
箱に残しておくかは、その人の考へ方によることである。といつても、平安朝から今までを一つづきの現代と
考へることは、常識上ありえないから、これも相対的な問題である。
が、私の考へるのに、現代小説か時代小説(あるひは歴史小説)か、といふ問題提起には、もう一つ「現代史」
といふものに関する特殊な思想が働いてゐるやうに思はれる。つまり現代史といふものは本当に未決定なのであるか、
本当にその中に住む人間の歴史的創造の余地があるものなのか、実際にわれわれの自由意志によつて選択される
可能性のあるものなのかといふ問題である。
三島由紀夫「現代史としての小説」より ここまで来ると、小説といふジャンルは、現代史を前にして、一体、自由意志の味方なのか、それとも何らかの
決定論的思想の援用なしには成立しないものなのか、そのへんはまだよくわかつてゐないのである。
たとへば、豊臣秀吉なり真田幸村なりを拉し来たつて、彼らの伝記をよく調べ、時代考証も綿密にして、
その上で、つまりがんじがらめの既定の歴史的諸条件を課した上で、彼らに小説家の自由意志を吹き込んでやれば、
ある程度まで巧みに、彼らを「自由意志の傀儡」とすることができる。かういふ場合、(少なくとも表面上は)、
小説なるものは明らかに自由意志の味方であらう。なぜなら、小説家は何らかの決定論的思想などを援用する
必要はないので、それはすでに歴史が決めてくれたことであり、宿命が選んでくれたことだからである。
三島由紀夫「現代史としての小説」より かうして書かれた人物は、(巧みに書かれさへすれば)、いかにも活々として見え、いかにも自由に見え、
しかも見事に完結してをり、小説として成功しやすいやうに思はれる。そして小説家の思想は、要するに既定の
歴史の解釈の問題であつて、たとへ作者の人間観が浅薄であつても、歴史そのものがこれを救つてくれる。
高見氏のきらつたのはおそらくこの点であらう。
これな反して、現代小説は成功がむづかしく、アラも見えやすい。第一われわれの耳目に親しい時代は、
読者自身が、目前の現象と作中の描写とを、居ながらにして比較することができるからである。作家はもちろん
むづかしいことへ進んで赴くべきである。この点でも私は高見氏に同意である。
(中略)あれほど意志を重んじたバルザックも、「人間喜劇」の総序に、「私はキリスト教と君主政体といふ
二つの永遠の真理に照らされて書く」と宣言してゐる。
三島由紀夫「現代史としての小説」より 歴史小説や時代小説における「歴史」の代用となるものが、現代小説をともかくも芸術として成り立たしめるに
必要な「形式」として使はれてきたことは、否定しがたい事実であつた。そして現代小説に於ける形式とは、
何らかの決定論的思想の援用でなければならなかつた。あるときにはカトリシズムであり、あるときには悲観的
宿命論であり、あるときには進化論と遺伝の問題であり、最後には社会主義リアリズムであつた。これらは
すべて時代々々の、最も流行した決定論のサンプルである。そして読者や文学史家はゆめさらこれを形式とは
思はず、作品の「思想」と呼んだのであつた。
かう考へてゆくと、高見氏の投げかけた問題は意外に大きいのであつて、ひよつとすると、小説家が本当に
現代史といふものに直面したのは、今世紀の意外な事件であり、しかも小説ジャンルの衰退に歩調を合はせて
起こつた悲劇的な事件かもしれないのである。
その例証としては、プルウストとサルトルの二人を挙げるだけで十分であらう。
三島由紀夫「現代史としての小説」より プルウストの書いた現代小説は、まさに現代といふ時点が、プティット・マドレエヌといふお菓子を舌の上に
味はふその瞬間に凝結してをり、さまざまな現代の事象の大海の上に、彼が落とした一滴のオリーブ油のやうな
その「現代」と、彼が失ひかつふたたび見出した尨大な「時」とは、とてつもない対照を示してゐる。
自由意志による未決定といふ現代史の観念を、彼は、無意志的記憶といふ観念で、みごとに手袋を裏返すやうに
裏返してみせたのであるあるが、サルトルが「自由への道」でやつたこともプルウストと等しく(現代史を
決定論で押し包んで、小説形式を救ひ出さうといふやり方と反対の)決定論によらない思想で、現代小説を
書かうとした果敢な試みであつたといつてよからう。
しかしまた皮肉なことに、かうして書かれた作品の人物たちは、自由意志の恩寵からも見放され、プルウストの
「私」は影のやうにさまよひ、サルトルの小説は自由への道半ばに中絶してしまひ、保守的な、幸福な、
大河小説の作者たちが持つてゐた作品の「形式」は崩壊し、いづれもただ小説ジャンルの形式上の衰退に、
みごとな寄与をもたらすことになつた。
三島由紀夫「現代史としての小説」より 小説にとつての現代史といふ怪物は一体どこにどんなふうにして棲息しどんな相貌をしてゐるのであらう。
一体現代史は、果たして自由意志による歴史的創造の余地を残した未決定のものであるのか、あるひは
ひよつとすると、過去のいかなる時代ともちがつた、あらゆる意志が無効であり、あらゆる歴史的創造が
不可能なものであるのか? かういふ疑問が、ますます先鋭になり、小説と現代史の関係がますます困難になつた、
ことに第二次世界大戦後の状況であつて核戦争の危機がその根本原因であることはいふまでもあるまい。
もし偶発戦争によつて、世界が滅びるなら、現代は美しい夕映えの時代であらうが、その夕映えのやうな美しい
決定論も、古典的な自由意志も、ひとしく時代おくれになつた現代では、テレビが刻々とあらはれ消える
無意味な影像によつて、人の心をとらへつづけるのもふしぎではない。
三島由紀夫「現代史としての小説」より (中略)
未決定の現代といふ観念が、もし怪しげになるならば、小説は無限に歴史に近づいてゆくか、あるひは一個の
架空の時点を設定するほかはない。そして後者への道には、抽象小説(寓話的な小説や風刺小説を含む)と、
戯曲との、二つしか残されてゐないのである。
カフカからアンチ・ロマンにいたる今世紀の異様な小説の系列は、現代小説を無限に歴史から遠ざけようとする
自己防衛の本能を暗示するものであらうし、小説を何とか純粋な自由意志の産物にするための困難な冒険で
あつたともいへよう。
一方、ピエエル・ルイスのいはゆる「煙草と小説を知らなかつた」古代ギリシャで、歴史文学は完全に歴史家の
手にこれをゆだねて、みごとな宿命論の枠組に押しこめられた劇文学のジャンルが、独立独歩してゐたやうに、
小説が決定論的思想に背反して、形式を失つた以上、ふたたび古代伝来の戯曲といふ純粋形式へ無限に近づく
ことが、もう一つ残された道であるかもしれない。しかしそれが小説の一種の自殺的行為であることには
かはりがないのである。
三島由紀夫「現代史としての小説」より それからもう一つ、日本人だけにゆるされた現代小説の一方法に、冒頭に述べたやうな私小説の道があつて、
いかなる天変地異が起こらうが、世界が滅びようが、現在ただ今の自分の感覚上の純粋体験だけを信じ、これを
叙述するといふ行き方は、もしそれが梶井基次郎くらゐの詩的結晶を成就すれば、立派に現代小説の活路に
なりうると思はれるが、これにはさまざまな困難な条件があつて、それは私小説が身辺雑記にとどまることなく、
小説ジャンル全体の現代の運命を負うて、無限に「詩」へ近づくことでなければならない。
三島由紀夫「現代史としての小説」より 「BL作品の氾濫は少子化の原因。児童ポルノとは別枠で小説も含めた厳しい規制が必要」
「ゲーム脳」の提唱者・森昭雄日大教授の新著「ボーイズラブ亡国論」(産経新聞社刊)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news2/1221494175/ Q:若い人に対して、自由と規律について。
三島:十代二十代といふのは、身体の中に力がいつぱい余つてをりますからね。これを外へ爆発させたいといふ
気持があります。しかし、その力がどつちへ行くかわからないから、それに方向を与へてやらなければならないのです。
そのためには、剣道なりスポーツなりをやらせるのは非常に有効なんです。彼等は自分でもどうしたらいいのか
解らないのですから、どうしても必要ですね。
僕はいつも思ふんだけど、みんな青年に達したら団体訓練をやらせるといいと思ふんです。なにも戦争をやれと
いふのではないのですが……。それも義務的に一度団体訓練を経験させるといいと思ひます。
むかし、村落共同体には「宿」といふものがあつて、そこで団体訓練をうけてきました。もつと古くは、
成年式みたいなものがあつて非常に厳しい訓練を受け、辛ひ思ひをしてやつと一人前の男と認められたのです。
三島由紀夫「三島由紀夫先生を訪ねて――希望はうもん」より ところが現代社会は技術の社会ですから、団体訓練が全くいらなくなつて、技術的知識が一人前であれば、
一人前の人間として認められる社会ですから、訓練ができてゐません。人間は技術的ないしは行政的知識だけでは
絶対に足りないと思ひます。人間には身体があるんだから、身体からしみこむものが必要です。
Q:「剣」のなかに「強く正しい者になるか、自殺するか、二つに一つなのだ」といふ文章がありますが……。
三島:この世の中で強く正しく生きるといふことは不可能なことです。みんな少しづつ汚れてゐます。
生きてゐるといふことは汚れてゐることですからね。
三島由紀夫「三島由紀夫先生を訪ねて――希望はうもん」より Q:先生の皇室観について。
…僕は、天皇制といふものは、制度上の問題でもなく、皇居だけの問題でもない。日本人の奥底の血の中に
あるもので、しかもみんな気付いてゐないものだと思ひます。だからどんな過激なことをいつてゐる人でも、
その心の奥をどんどん掘りかへしていくと、日本人の天皇との結びつき、つまり天皇制といふものの考へが
ひそんでゐると思ひます。我々は殆(ほと)んど無意識のうちに暮してゐますけど、心の奥底で、天皇制と
国民は連なつてゐるのだと思ひます。それを形に表はしたのが皇室なんです。
ですから皇室で一番大切なのはお祭りだと思ひます。
“お祭り”を皇室がずつと維持していただく、これが一番大切なことです。歴代の天皇が心をこめて守つて
来られた日本のお祭りを、将来にわたつて守つていただきたいと思ひます。
三島由紀夫「三島由紀夫先生を訪ねて――希望はうもん」より Q:現代かなづかひについて。
…僕は今の若い人は現代かなづかひでなければ小説など読まないと思つてゐたんですけど、かならずしも
さうではないやうです。
言葉をいぢるといふことは、言葉の魂をいぢることで、日本人の歴代を人為的にいぢるのと同じことです。
僕は大嫌ひですね。言葉を大切にしない民族は、三流ですよ。
Q:先生は「文章読本」の中で、プロとしての文章家を一般と区別してをられますが……。
三島:プロといふのは僕達のことです。文章といふのは、誰れにも書けるやうで書けないものなんです。
音楽でしたら勉強しなければ出来ないとはつきりしてゐるが、文章は誰れでも書けると思つてゐるんです。
そこに錯覚があると思ひます。
しかしプロといつても、何でも書けるか、といつたらさうでもない。私が大蔵省に入つたとき大臣の演説文を
書かされましたがね、(中略)僕達の文章では大臣の演説文は書けない。
三島由紀夫「三島由紀夫先生を訪ねて――希望はうもん」より この叫び(剣道のかけ声)には近代日本が自ら恥ぢ、必死に押し隠さうとしてゐるものが、あけすけに露呈されてゐる。
それはもつとも暗い記憶と結びつき、流された鮮血と結びつき、日本の過去のもつとも正直な記憶に源してゐる。
それは皮相な近代化の底にもひそんで流れてゐるところの、民族の深層意識の叫びである。このやうな
怪物的日本は、鎖につながれ、久しく餌を与へられず、衰へ呻吟してゐるが、今なほ剣道の道場においてだけ、
われわれの口を借りて叫ぶのである。それが彼の唯一の解放の機会なのだ。私は今ではこの叫びを切に愛する。
このやうな叫びに目をつぶつた日本の近代思想は、すべて浅薄なものだといふ感じがする。それが私の口から出、
人の口から出るのをきくとき、私は渋谷警察署の古ぼけた道場の窓から、空を横切る新しい高速道路を仰ぎ
見ながら、あちらには「現象」が飛びすぎ、こちらには「本質」が叫んでゐる、といふ喜び、……その叫びと
一体化することのもつとも危険な喜びを感じずにゐられない。
三島由紀夫「実感的スポーツ論」より そしてこれこそ、人々がなほ「剣道」といふ名をきくときに、胡散くさい目を向けるところの、あの悪名高い
「精神主義」の風味なのだ。私もこれから先も、剣道が、柔道みたいに愛想のよい国際的スポーツにならず、
あくまでその反時代性を失はないことを望む。(中略)
スポーツは行ふことにつきる。身を起し、動き、汗をかき、力をつくすことにつきる。そのあとのシャワーの
快さについて、かつてマンボ族が流行してゐたころ、
「このシャワーの味はマンボ族も知らねえだろ」
と誇らしげに言つてゐた拳闘選手の言葉を私は思ひ出す。この誇りは正当なもので、何の思想的な臭味もない。
運動のあとのシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれてゐる。どんな権力を握つても、どんな放蕩を
重ねても、このシャワーの味を知らない人は、人間の生きるよろこびを本当に知つたとはいへないであらう。
三島由紀夫「実感的スポーツ論」より バレーはただバレーであればよい。雲のやうに美しく、風のやうにさはやかであればよい。人間の姿態の最上の
美しい瞬間の羅列であればよい。人間が神の姿に近づく証明であればよい。古典バレーもモダン・バレーもあるものか。
(中略)
しかし芸術として、バレーは燦然たる技術を要求する。姿態美はすでに得られた。あとは日本の各種の
古典芸能の名手に匹敵するほどの、高度の技術を獲得すれば、それでよい。ただ、バレーのハンディキャップは、
西洋の芸能の例に洩れず「老境に入つて技神に入る」といふやうなことが望めないことであり、若いうちに
電光石火、最高の美と技術に達しなければならぬといふ点で、却つて伝統と一般水準の
問題が重く肩にかかつてゐるといふ点である。
三島由紀夫「スター・ダンサーの競演によるバレエ特別公演プログラム」より ベラフォンテがどんなにすばらしいかは、舞台を見なければ、本当のところはわからない。ここには熱帯の
太陽があり、カリブ海の貿易風があり、ドレイたちの悲痛な歴史があり、力と陽気さと同時に繊細さと悲哀があり、
素朴な人間の魂のありのままの表示がある。そして舞台の上のベラフォンテは、まさしく太陽のやうにかがやいてゐる。
彼は褐色のアポロであつて、大ていの白人女性が彼の前に拝跪するのも、むべなるかなと思はせる。
ベラフォンテには、衰弱したところが一つもない。それでゐて、ソクソクとせまる悲しみと叙情がある。
これは、言葉は悪いが「ドレイ芸術」とでもいふべきものの神髄で、たとへば「バナナ・ボート」で、彼が
悲痛な声をふるつて「デオ、ミゼデオ」と叫び歌つて、強い声がハタと中空に途切れるとき、そのあとの間に、
われわれは、力の悲哀といふやうなものを感じ、はりつめた筋肉からとび散る汗のやうなものを感じ……これらの
激しい労働を冷然とながめおろしてゐる植民地の港の朝空のひろがりまでも完全に感じとる。
三島由紀夫「ベラフォンテ讃」より 歌はれる歌には、リフレインが多い。全編ほとんどリフレインといふやうな歌がある。これは民謡的特色だが、
同時に呪術的特色でもある。わづかなバリエーションを伴ひながら「夏はもうあらかた過ぎた」(ダーン・
レイド・アラウンド)とか「夜ごと日の沈むとき」(スザンヌ)とかいふ詩句が、彼の甘いしはがれた声で、
何度となくくりかへされると、われわれは、ベラフォンテの特色である、暗い粘つこい叙情の中へ、だんだんに
ひき入れられる。声が褐色の幅広いリボンのやうにひらめく。われわれは、もうその声のほかには、世界中に
何も聞かないのである。
西印度諸島の黒人の声には、何といふ繊細さがあるのだらう、と私は、たびたびおどろかされたものだ。
黒人の皮膚のあの冷たいキメの細かさと、この繊細さとは、何か関係があるにちがひない。そして、あんな
激しい太陽と海風にさらされては、繊細な魂は、暗い涼しい体内の深部へ逃げ隠れ、わづかに声帯のすき間から、
外界をのぞかうとするのかもしれない。
三島由紀夫「ベラフォンテ讃」より ベラフォンテの舞台を見た人なら、だれでも首肯すると思はれるのは、その強烈な官能性である。彼もまた、
十分演出にそれを意識してゐると思はれる。けがれのない、素朴な、健康なエロティシズムの表現において、
もちろんその恵まれた外見に負ふところが多いとしても、彼ほどのボピュラー歌手は空前絶後であらう。
そしてその官能性が、詩にまで高まつてゐるのは、まさしく彼に黒人の血が流れてゐるからである。白人の男の
官能性とは散文的なものであり、いつたん昇華しなければ使ひものにならぬ。ベラフォンテの叙情は、カリブ海の
太陽の下のファロスの叙情である。しかもそれが海風に清められてゐるから、少しもきたならしくならないのである。
官能的な激しさにもかかはらず、彼の舞台が清潔なゆゑんである。私は第一部では「オール・マイ・トライアルス」の
美しい哀傷、「ク・ク・ル・ク・ク・パロマ」の逸楽、第二部では「さらばジャマイカ」の哀切な叙情、そして
有名な「バナナ・ボート」や、たのしい「ラ・バンバ」をことに愛する。
三島由紀夫「ベラフォンテ讃」より 宮崎氏だけは、日本の敗戦の悲境を忘れず、英霊の鬼哭を忘れず、決して風化せず、内に憤怒を蔵して、
外は人間の信頼に生き、ふたたび日本男児の真骨頂を見せてくれるだらうと私は期待してゐる。
三島由紀夫「無題(三島由紀夫文学碑の栞)」より 清潔なものは必ず汚され、白いシャツは必ず鼠色になる。人々は、残酷にも、この世の中では、
新鮮、清潔、真白、などといふものが永保ちしないことを知つてゐる。
どんな浅薄な流行でも、それがをはるとき、人々は自分の青春と熱狂の一部分を、
その流行と一緒に、時間の墓穴へ埋めてしまふ。二度とかへらぬのは流行ばかりでなく、
それに熱狂した自分も二度とかへらない。
三島由紀夫「をはりの美学 流行のをはり」より
男にとつては生へぶつかつてゆくのは、死へぶつかつてゆくのと同じことだ。
三島由紀夫「をはりの美学 童貞のをはり」より 学校をでて十年たつて、その間、テレビと週刊誌しか見たことがないのに、「大学をでたから
私はインテリだ」と、いまだに思つてゐる人は、いまだに頭がヘンなのであり、したがつて
彼または彼女にとつて、学校は一向に終つてゐないのだ、といふよりほかはありません。
三島由紀夫「をはりの美学 学校のをはり」より
美女と醜女とのひどい階級差は、美男と醜男との階級差とは比べものにならない。
美女は一生に二度死ななければならない。美貌の死と肉体の死と。一度目の死のはうが
恐ろしい本当の死で、彼女だけがその日付を知つてゐるのです。
「元美貌」といふ女性には、しかし、荒れ果てた名所旧跡のやうな風情がないではありません。
三島由紀夫「をはりの美学 美貌のをはり」より 手紙は遠くからやつてきた一つの小舟です。
三島由紀夫「をはりの美学 手紙のをはり」より
人生は音楽ではない。最上のクライマックスで、巧い具合に終つてくれないのが
人生といふものである。
三島由紀夫「をはりの美学 旅行のをはり」より
個性とは何か?
弱味を知り、これを強味に転じる居直りです。
私は「私の鼻は大きくて魅力的でしよ」などと頑張つてゐる女の子より、美の規格を
外れた鼻に絶望して、人生を呪つてゐる女の子のはうを愛します。それが「生きてゐる」
といふことだからです。
三島由紀夫「をはりの美学 個性のをはり」より 自然は黙つてゐる。自然は事実を示すだけだ。自然は決して「宣言」なんかやらかさない。
三島由紀夫「をはりの美学 梅雨のをはり」より
何も形の残らないもののために、勲章と銅像の存在理由があるのです。なぜなら英雄とは、
本来行動の人物にだけつけられる名称で、文化的英雄などといふものは、言葉の誤用だからです。
三島由紀夫「をはりの美学 英雄のをはり」より
悲しみとは精神的なものであり、笑ひとは知的なものである。
肉体関係があつたあとに、おくればせに、精神的恋愛がやつてくるといふことだつてある。
日本では、恋とは肉の結合のことであり、そのあとに来るものは「もののあはれ」であつた。
三島由紀夫「をはりの美学 動物のをはり」より ある小説がそこに存在するおかげで、どれだけ多くの人々が告白を免かれてゐることであらうか。
私がいつもふしぎに思ふのは、小説家がしたり気な回答者として、新聞雑誌の人生相談の欄に
招かれることである。それはあたかも、オレンヂ・ジュースしか呑んだことのない人間が、
オレンヂの樹の栽培について答へてゐるやうなものだ。
人間の神の拒否、神の否定の必死の叫びが、実は〈本心からではない〉ことをバタイユは
冷酷に指摘する。その〈本心〉こそ、バタイユの〈エロティシズム〉の核心であり、
ウィーンの俗悪な精神分析学者などの遠く及ばぬエロティシズムの深淵を、われわれに
切り拓いてみせてくれた人こそバタイユであつた。
三島由紀夫「小説とは何か」より この世には二種の人間があるのである。心が死んで肉体の生きてゐる人間と、肉体が死んで
心の生きてゐる人間と。心も肉体も両方生きてゐることは実にむづかしい。生きてゐる作家は
さうあるべきだが、心も肉体も共に生きてゐる作家は沢山はゐない。作家の場合、困つたことに、
肉体が死んでも、作品が残る。心が残らないで、作品だけが残るとは、何と不気味なことで
あらうか。又、心が死んで、肉体が生きてゐるとして、なほ心が生きてゐたころの作品と
共存して生きてゆかねばならぬとは、何と醜怪なことであらう。作家の人生は、生きてゐても
死んでゐても、吉田松陰のやうに透明な行動家の人生とは比較にならないのである。
生きながら魂の死を、その死の経過を、存分に味はふことが作家の宿命であるとすれば、
これほど呪はれた人生もあるまい。
三島由紀夫「小説とは何か」より ドストエフスキーの「罪と罰」を引張り出すまでもなく、本来、芸術と犯罪とは甚だ近い
類縁にあつた。「小説と犯罪とは」と言ひ直してもよい。小説は多くの犯罪から深い恩顧を
受けてをり、「赤と黒」から「異邦人」にいたるまで、犯罪者に感情移入をしてゐない名作の
数は却つて少ないくらいである。
それが現実の犯罪にぶつかると、うつかり犯人に同情しては世間の指弾を浴びるのではないか、
といふ思惑が働らくやうでは、もはや小説家の資格はないと云つてよいが、さういふ
思惑の上に立ちつつ、世間の金科玉条のヒューマニズムの隠れ簑に身を隠してものを言ふのは、
さらに一そう卑怯な態度と云はねばならない。そのくらいなら警察の権道的発言に
同調したはうがまだましである。
三島由紀夫「小説とは何か」より 悪は、抽象的な原罪や、あるひは普遍的な人間性の共有の問題であるにとどまらない。
きはめて孤立した、きはめて論証しにくい、人間性の或る未知の側面に関はつてゐる筈である。
私はアメリカで行はれた凶悪暴力犯人の染色体の研究で、男性因子が普通の男よりも
一個多い異型が、これらの中にふつうよりもはるかに多数発見されたといふ記事を読んだとき、
戦争といふもつとも神秘な問題を照らし出す一つの鍵が発見されたやうな気がした。
それは又裏返せば、男性と文化創造との関係についても、今までにない視点を提供する筈である。
文学と狂気との関係は、文学と宗教との関係に似たところがある。
三島由紀夫「小説とは何か」より 体操といふものに、私は格別の興味を持つてゐる。それは美と力との接点であり、芸術とスポーツの接点だからである。
ほかのスポーツのやうに、芸術の岸から見て完全に対岸にあるものでない。
(中略)
はいつていきなり遠藤選手の床運動(徒手)を見たが、ひろいマットの上の空間に、ジョキジョキよく切れる
鋏を入れて、まつ白な切断面を次々に作つてゆくやうな美技にあきれた。私たちはふだん、自分の肉体の
まはりの空間を、どんよりと眠らせてはふつておくのと同じことだ。
あんなに直線的に、鮮やかに、空間を裁断してゆく人間の肉体、全身のどの隅々にまでも、バランスと秩序を
与へつづけ、どの瞬間にもそれを崩さずに、思ひ切つた放埒を演ずる肉体。……全く体操の美技を見ると、
人間はたしかに昔、神だつたのだらうといふ気がする。といふのは、選手が跳んだり、宙返りしたりした空間は、
全く彼の支配下にあるやうに見え、選手が演技を終つて静止したあとも、彼が全身で切り抜いてきた白い空間は、
まだピリピリと慄へて、彼に属してゐるやうに見えるからだ。
三島由紀夫「合宿の青春 『美と力』の接点――体操の練習風景」より (中略)スポーツの奇蹟は、人間の肉体といふものが、鍛へやうによつては、どんな思ひがけないところに、
どんな思ひがけない楽園を発見するかわからないといふ点だ。常人の知らない別世界の感覚の発見……。
酒や阿片とは反対のものだが、スポーツがやめられなくなるのは、やはりそれがあるからであらう。
(中略)
さつき神のやうだつた選手は、かうして会つてみると、風貌、態度のどこにも人間離れのしたところはない。
むしろ休息時の選手の顔に浮んでゐるその平均的日本人の日常的表情と、あの神業との間をつなぐ、
「練習」といふ苛酷な見えない鎖が感じられる。それは神と人間をむりやりに結びつける神聖な鎖なのだ。
三島由紀夫「合宿の青春 『美と力』の接点――体操の練習風景」より オリンピックの非政治主義は、政治の観念の浄化と見るほかなく、政治を人間の心から全然払拭することはできまい。
(中略)
「オリンピック東京大会、第一日目を開始いたします」
といふアナウンスのあとで、登場したこの二人の試合は、アラブ連合がしばしばスリップダウンをし、韓国が
判定で勝つたが、判定を待つあひだ、レフェリーを央にして、選手が二人直立して正面に向つてゐた姿は、
プロ・ボクシングを見馴れた目には、すがすがしく、気持がよかつた。
これで最初の日の勝敗が決まつたのであるが、韓国選手の謙虚な勝利者としての表情と共に、アラブ連合選手の
心を思つて、私はシャルル・ビルドラックの「兵卒の歌」の最後の聯を思ひ出して、一種の羨望を感じた。
「私は、むしろ私はなりたい、
戦争の第一日目に
第一に倒れた兵卒に。」(堀口大学氏訳)
三島由紀夫「競技初日の風景――ボクシングを見て」より 何といふ静かな、おそろしいサスペンス劇だらう。(中略)
もちろん選手がバーベルを高くさしあげたときの感動もさることながら、私は、いよいよバーベルにとりつく前の
選手の緊張に興味があつた。多少ともウエート・トレーニングをした人間には、この瞬間の恐怖と逡巡がわかるはずだ。
韓国のキン・ヘナム選手は必ずバーベルのぐあひをたんねんにしらべ、ポーランドのコズロスキー選手は、
手をかけてから長いこと腕の筋肉をふるはせ、日本の三宅選手は相撲の仕切りのやうに長い時間をかけて、
何度か天を仰いだ。
これはおのおのの就寝儀式のやうなものであつて、それをやらなければ安眠できない。ひとたび眠ることが
できれば、完全に眠ることができれば、眠りの中では、丸ビルを持ち上げることだつて可能だらう。精神集中の
究極の果てに、一つの自由な空白状態がポカリと顔を出すのだらう。そのとき力が、おそらく常の人間の能力を
超えるのだらう。
三島由紀夫「ジワジワしたスリル――重量あげ」より 地球を負ふアトラスの忍苦に似た、あくまで押へに押へぬいた努力のいるこのスポーツは、たしかに日本人の
一面に適してゐる。三宅選手は、リングの上ではむしろのんきに見え、豪放に見えるが、こんなに綿密な力の
計算を積み上げてゆくには、青空の下のスポーツとちがつて、研究室の中の科学者みたいな内向的な長い努力が
いつたはずだ。彼は金メダルを本当に計算づくでとつたのだと思ふ。鉄のバーベルの暗い、やりきれない、
うつたうしい圧力と戦ひながら。
(中略)
金メダルを受けた三宅選手は、実に自然なほほゑましい態度で、そのメダルを観衆の方へかかげて見せた。
彼はそのとき、あの合計397.5キロの鉄の全量に比べて、金のたよりない軽さを感じたかもしれない。
美麗のその黄金の羽根のやうな軽さを。
三島由紀夫「ジワジワしたスリル――重量あげ」より 体操でも、この飛び板飛び込みでも、落下のほんの瞬間に、人体が地球の引力に抗して見せるあの複雑な美技には、
ほとほと感嘆のほかはない。あの落下の一秒の間に、花もやうを描いてみせるその人間意志のふしぎな働きと
その自己統制力は、自然(引力)へのもつとも皮肉な反抗であり、犬が人間にじやれつくやうに人間がきびしい
自然にじやれつく最高の戯れだらう。(中略)
重量あげなどの、ジワジワと胸をしめつけるドラマチックな競技とちがつて、水泳競技は、単純なまつすぐな
人間意志の推進力を、美しくさはやかに見せるだけだから、その印象はひたすら直截で、ドラマといふより、
青いプールを縦に切るあの白いロープのやうに、一行の激しい白い叙情詩だ。(中略)
ガウンを脱ぎ捨てて黒い水着姿になつた彼女は、その強靭な、小麦色の体躯に、こまかいバネがいつぱい
はりつめてゐるやうな感じで、それはただ一人決勝に残つた日本女性の、しなやかな女竹のやうな姿絵になつた。
三島由紀夫「白い叙情詩――女子百メートル背泳」より 田中嬢が泳ぎはじめる。もうあと一分あまりの時間ですべての片がつく。彼女は長い長い練習の水路をとほつて、
ここにやつとたどりついた一艘の黒い快速船になる。水しぶきの列のなかで帰路、彼女の水しぶきは少し傾いて、
ともするとロープにふれる。……(中略)
泳ぎ終つた田中嬢は、コースに戻つて、しばらくロープにつかまつてゐたが、また一人、だれよりも遠く、
のびやかに泳ぎだした。コースの半ばまで泳いで行つた。その孤独な姿は、ある意味ですばらしくぜいたくに見えた。
全力を尽くしたのちに、一万余の観衆の目の前で、こんなにしみじみと、こんなに心ゆくまで描いてみせる
彼女の孤独。この孤独は全く彼女一人のもので、もうだれの重荷もその肩にはかかつてゐない。一億国民の
重みもかかつてゐない。
田中嬢は惜しくも四位になつたが、そのときすでに彼女はそれを知つてゐたにちがひない。
三島由紀夫「白い叙情詩――女子百メートル背泳」より 今日のハイライトである百メートルの決勝がはじまる。(中略)選手たちがスタート・ラインについた。
それから何が起つたか、私にはもうわからない。紺のシャツに漆黒な体のヘイズは、さつきたしかにスタート・
ラインにゐたが、今はもうテープを切つて彼方にゐる。10秒フラットの記録。その間にたしかに私の目の前を、
黒い炎のやうに疾走するものがあつた。しかも、その一瞬に目に焼きついた姿は、飛んでもゐず、ころがりもせず、
人間の肉体の中心から四方へさしのべた車輪の矢のやうな、その四肢を正確に動かして、正しく
「人間が走つてゐる姿」をとつてゐた。その複雑な厄介な形が、百メートルの空間を、どうしてああも、神速に
駆け抜けることができるのだらう。彼は空間の壁抜けをやつてのけたのだ。
しかし、十秒間の一瞬一瞬のそのむしろ静的な「走る男」の形ほど、金メダルの浮彫の形にふさはしいものはなかつた。
三島由紀夫「空間の壁抜け男――陸上競技」より スタート台の上で、一コースの選手をチラと見てから、手首を振る。両手を楽に前へさしのべたフォームで、
柔らかに飛び込む。競技はこんなふうに、どんな会社よりも事務的にはじまるのだ。
水が佐々木の体を包んだ。それから先は、彼はもう重い水と時間と距離とを、一心に自分のうしろへかきのけて
ゆくしかない。
高い席からながめてゐると、八つのコースの選手たちの立てる音は、さわさわといふ笹の葉鳴りのやうな水音に
すぎない。ひるがへる腕は、みんな同じ角度で、褐色のふしぎな旗のやうに波間にひらめく。
――四百メートル。
佐々木は大分引き離された。ターンするところで、あと残つてゐる回数の札を示される。その大きなあきらかな
数字は、おそらく水にぬれた目に、水しぶきのむかうに、嘲笑的に歪んで映るのだらう。
三島由紀夫「17分間の長い旅――男子千五百メートル自由形決勝」より 出発点の水にぬれたコンクリートの上には、選手たちの椅子が散らばつてゐる。佐々木の椅子には、赤いシャツと、
足もとの白い運動靴とが、かなたに水しぶきを上げて戦つてゐる主人の帰りを、忠犬のやうにひつそりと待つてゐる。
これらの椅子のずつとうしろには、記録員たちが控へ、さらに後方に、今日はすでに用ずみの飛込用プールが、
いま水の立ちさわぐメーン・プールとは正に対照的に、どろんとしたコバルト・グリーンの水をたたへてゐる。(中略)
出発点へ選手が近づくたびに、大ぜいの記録員たちはおのがじし立ち上り、ぶらぶらと水ぎはへ近寄り、
スプリット・タイム(途中時間)を記録し、また、だるさうに席へ戻る。必死で泳いでゐる選手と記録員とは、
こんなふうにして、十五回も水ぎはで顔を合せるわけだ。そのときほど、この世の行為者と記録者の役割、
主観的な人間と客観的な人間の役割が、絶妙な対照を示しながら、相接近する瞬間もあるまい。
三島由紀夫「17分間の長い旅――男子千五百メートル自由形決勝」より ――千メートル。
オーストラリアのウィンドル、11分16秒3といふ途中時間のアナウンス。
千五十メートルのところで、あと九回といふ9の札が示される。
佐々木はひたすら泳ぐ。水に隠見する顔は赤らんでみえる。あの苦しげな、目をつぶり口をあいた顔、あの
ぬれた顔、ぬれた額の中に、どんな思念がひそんでゐるか? あんな最中にも、人間は思考をやめないのは
確実なことで「ただ夢中だつた」などといふのは、嘘だと私は思ふ。それこそ人間といふ動物の神秘なのだ。
たとへそれが、一点の、小さな炎のやうな思念であらうとも。
最後の百メートル。真鍮の鈴が鳴らされ、選手はラスト・スパートをかける。
佐々木は六位だつた。平然と上げてゐる顔を手のひらで大まかにぬぐひ、出発の時と同様、左の手首をちよつと振つた。
それが彼の長い旅からの、無表情な帰来の合図だつた。この若者はまた明日、旅の苦痛を忘れて、つぎの新しい
旅へ出るだらう。
三島由紀夫「17分間の長い旅――男子千五百メートル自由形決勝」より 体操ほどスポーツと芸術のまさに波打ちぎはにあるものがあらうか? そこではスポーツの海と芸術の陸とが、
微妙に交はり合ひ、犯し合つてゐる。満潮のときスポーツだつたものが、干潮のときは芸術となる。そして
あらゆるスポーツのうちで、形(フォーム)が形自体の価値を強めれば強めるほど芸術に近づく。どんなに
美しいフォームでも、速さのためとか高さのための、有効性の点から評価されるスポーツは、まだ単にスポーツの
域にとどまつてゐる。しかし体操では、形は形それ自体のために重要なのだ。これを裏からいへば、芸術の本質は
結局形に帰着するといふことの、体操はそのみごとな逆証明だ。
十月二十日の夜、東京体育館の記者席から、まばゆい光りの下、マット上に展開される各国選手の、人間わざとも
思へぬ美技をながめながら、私はそんな感想を抱いた。
三島由紀夫「完全性への夢――体操」より 双眼鏡で遠い鉄棒の演技をながめてゐると、手を逆に持ちかへるときに、掌にいつぱいまぶしたすべりどめの
粉がパッと散る。それは人体が描く虚空の花の花粉である。徒手体操では、人体が白い鋏のやうに大きくひらき、
空中から飛んできて、白い蝶みたいに羽根を立てて休み……ともかく、われわれの体が、さびついた
蝶番(てふつがひ)の、少ししか開かないドアならば、体操選手の体は、回転ドアのやうなものだ。そして、
極度の柔らかさから極度の緊張へ、空虚から突然の充実へ、力は自在に変転して、とどまるところを知らない。
もつともバランスと力を要する演技が、もつとも優美な静かな形で示される。そのとき、われわれは、
肉体といふよりも、人間の精神が演じる無上の形を見る。
ポオル・ヴァレリーが「魂と舞踊」の中で、肉体が「魂の普遍性を真似ようとするのだ」と書いてゐるのは、
この瞬間であらう。(中略)
三島由紀夫「完全性への夢――体操」より 小野は徒手で、遠藤はあん馬で、見のがしえぬミスをやつたが、実際、人間なら、あやまちを犯すはうがふつうで、
あやまちを犯さないのは人間ではない。それらのミスにこそ、むしろわれわれと共通した人間の日常感覚が
ひらめいてゐる。ほんのちよつとよろめくこと、ちよつと姿勢が傾くこと、ほんのちよつと足があん馬に
さはること、ほんのちよつと演技の流れが停滞すること……これこそわれわれが「人間性」と呼んでゐるところの
もので、半神であることを要求される体操競技では、人間性を示したら、たちまち減点されるのである。
この世に、ほんの数秒の間であらうと、真のあやまりのない秩序を実現するのはたいへんなことだ。体操選手たちは、
その秩序を、少なくとも政治や経済よりはるかに純度の高い形で、人間世界へもたらすために努力する。
三島由紀夫「完全性への夢――体操」より 遠藤選手のあん馬のあとで、十数分のものいひがついたあと、五月人形のやうな無邪気な顔と体をした三栗選手が
登場して、おちついた、正しい演技を示して九・六五をとつたのには感服した。
小野選手の右肩の負傷にめげぬ敢闘にも心を搏たれ、同じ三十代の私は、年齢と肉体のハンディキャップを
越えたその闘志に拍手を送つた。練習時間のあひだから、鉄棒は彼の肩を冷酷に責めてゐた。そのとき肩は、
彼の目ざす秩序の敵になり、敵軍に身を売つたスパイのやうに彼を内部から苦しめてゐた。
優勝者遠藤さへ、退場の際、心なしか暗い目をしてゐたのを考へると、体操選手を悩ます「完全性」の悪夢が、
どれほどすさまじいものであるかがうかがはれる。
三島由紀夫「完全性への夢――体操」より 選手たちの登場。宮本がそのすらりとしたからだと、栗鼠を思はせるかはいらしい顔で、機械人形のやうに
おじぎをする。
東側の選手家族席では、宮本のおとうさんがなくなつたおかあさんの大きな写真を膝に抱いて観戦してゐる。
練習がはじまる。お祭りの風船のやうに、たくさんのボールが空に浮ぶ。七時三十分。琴の音楽がはじまり、
いよいよ日本のアマゾンたちと、ソ連のアマゾンたちとの熱戦が開始される。
バレーボールの緊張は、ボールが激しくやりとりされるときのスリルにあることはいふまでもないが、高く
投げ上げられたボールが、空中にとどこほつてゐる時間もずいぶん長く感じられる。そのボールがゆつくりと
おりてくる間のなんともいへない間のびのした時間が、実はまたこの競技のサスペンスの強い要素なのだ。
ボールはそのとき、すべての束縛をのがれて、のんびりとした「運命の休止」をたのしんでゐるやうに見えるのである。
三島由紀夫「彼女も泣いた、私も泣いた――女子バレー」より 第一セットでやや堅くなつてゐた日本は、第二セットでははるかにソ連を引き離し、余裕のあるゲームを見せたが、
なかんづく目につくのは河西選手の冷静な姿である。
彼女が前衛に立つとき、水鳥の群れのなかで一等背の高い水鳥の指揮者のやうに、敵陣によく目をきかせ、
アップに結ひ上げた髪の乱れも見せず、冷静に敵の穴をねらつてゐる。ボールは必ず一応彼女の手に納まつたうへで、
軽くパスされて、ネットの端から、敵の盲点をつくやうに使はれる。
河西はすばらしいホステスで、多ぜいの客のどのグラスが空になつてゐるか、どの客がまだサラに首をつつこんで
ゐるかを、一瞬一瞬見分けて、配下の給仕たちに、ぬかりのないサービスを命ずるのである。ソ連はこんな
手痛い、よく行き届いた饗応にヘトヘトになつたのだつた。(中略)
――日本が勝ち、選手たちが抱き合つて泣いてゐるのを見たとき、私の胸にもこみ上げるものがあつたが、
これは生れてはじめて、私がスポーツを見て流した涙である。
三島由紀夫「彼女も泣いた、私も泣いた――女子バレー」より 刑事訴訟法は手続法であつて、刑事訴訟の手続を、ひどく論理的に厳密に組み立てたものである。それは何の
手続かといふと「証拠追究の手続」である。裁判が確定するまでは、被告はまだ犯人ではなく、容疑者にとどまる。
その容疑をとことんまで追ひつめ、しかも公平に審理して、のつぴきならぬ証拠を追究して、つひに犯人に
仕立てあげるわけである。
小説の場合は、この「証拠」を「主題」に置きかへれば、あとは全く同じだと私は考へた。小説の主題といふのは、
書き出す前も、書いてゐる間も、実は作者にはよくわかつてゐない。主題は意図とは別であつて、意図ならば、
書き出す前にも、作者は得々としやべることができる。そして意図どほりにならなくても傑作ができることがあり、
意図どほりになつても意図だふれの失敗作になることがある。
三島由紀夫「私の小説作法」より 主題はちがふ。主題はまづ仮定(容疑)から出発し、その正否は全く明らかでない。そしてこれを論理的に追ひつめ、
追ひつめしてゆけば、最後に、主題がポカリと現前するのである。そこで作品といふものは完全に完結し、
ちやんとした主題をそなへた完成品として存在するにいたる。つまり犯人が出来上がるのである。
(中略)
手続法は審理がわき道へそれて時間を食ふことを戒めてをり、いつもまつすぐにレールの上を走るやうに
規制されてゐる。私の考へる小説もさうであつて、したがつて私の小説には、およそわき道へそれた面白さ
といふやうなものがない。しかし、それは作家の性格であつて、一概に小説とはむだ話の面白味だなどと
いふのは俗論である。
三島由紀夫「私の小説作法」より 法律構成は建築に似たところがある。音楽に似たところがある。戯曲に似たところがある。だから、小説の
方法論としては、構成的に厳格すぎるのであるが、私は軟体動物のやうな日本の小説がきらひなあまりに、
むしろかういふリゴリスム(厳格主義)を固執するやうになつた。私には形といふものがはつきり見えて
ゐなければつまらない。
したがつて私の小説は、訴訟や音楽と同じで、必ず暗示を含んでごくゆるやかにはじまり、はじめはモタモタして、
何をやつてゐるのかわからないやうにしておいて、徐々にクレシェンドになつて、最後のクライマックスへ
向かつてすべてを盛り上げる、といふ定石をふんでゐる。私にとつては、これがすべての芸術の基本型だと
思はれるので、この形をくづすことはイヤである。
かういふ私の性格は、残念なことに、毎回が短い連載形式には全く合はない。さういふ形式では最初の数回が
勝負であるのに、私は最初の数回で切札を見せるのがきらひだからである。
三島由紀夫「私の小説作法」より 私は戦時下のあの時代を、一面的に見られることの腹立ちを、いつも抑へることができない。又、あの時代に
不適格者であつたことを誇りにする人の気持が知れない。あの時代に永い病床にあつて、つひに病死した青年は、
自分の心の傷とも闘はねばならなかつた。しかし文学は、克己的な青年にとつては、嘆きぶしでも愚痴の捨て場
でもなく、精神の或る明るい平静な矜持を保つための方法だつたのである。
なるほど繊細鋭敏な感受性は、戦争には何の役にも立たない。だが、さういふ感受性の受難の運命は、
戦時中だらうと平時だらうと同じことだと悟り、若くして自若とした心を獲得することは、いづれにしろ一つの
勝利だつた。東氏は自分の非運を、誰のせゐにもしなかつた。
三島由紀夫「序『東文彦作品集』」より (中略)
明るい面持で、少女について語り、いささかの感傷もなしに、少年期について語り、感情の均衡を破ることなしに、
人間の日常について語ること、それも亦、あの時代にはとりわけ貴重なヒロイズムだつた。ただ耐へること、
しかも矜持を以て耐へること、それも亦、ヒロイズムだつた。
現在の芸術全般には、あまりにも「静けさ」が欠けてゐる。私は静けさの欠如こそ、ヒロイズムの欠如の顕著な
兆候ではないか、と考へる者である。戦時中の病める一青年作家が書いたこの静かな作品集が、必ずや現代の
青少年の魂の底から、埋もれてゐた何ものかを掘り出す機縁になることを、私は信ずる。
三島由紀夫「序『東文彦作品集』」より 硬派とは何ぞや?
第一に、それは紺絣(こんがすり)であり、高下駄であり、青春であり、暴力であり、
単純素朴であり、反社会性であり、小集団のヒエラルヒーであり、民族主義である。
さらに詳しく見てゆくと、そこではエモーショナルなものを、恋愛の代りに、政治が代表してゐると考へられる。
その東洋的な政治概念では、男性的な理想および男性的な人間関係のお手本として政治があり、その理想と
人間関係をつなぐ糸は、エモーショナリズムである。侠客が男なるとは、侠客道のエモーショナルな政治概念を、
わが身に体現することである。これらがあくまで恋愛とちがふ点は、恋愛のロマンチックな個性的主張とは
ちがつて、政治におけるエモーションは、自分を既成の理想型に従はせる情動だ、といふ点である。従つて
硬派は、あやまつて軟派的堕落に陥らぬかぎり、決して自己崩壊の憂目を見ることがない。
三島由紀夫「文学における硬派――日本文学の男性的原理」より 又、硬派では男性的表象が誇張されるが、この男性的原理の中心は、エモーションと力による政治であつて、
理論的知的政治概念はいはば無性のものとして、異性愛的情念は女性的なものとして斥けられる。
(中略)
私はごく大ざつぱに、右のやうな特色を列挙してみたのであるが、これらの諸要素の文学への類推を試みると、
思ひもかけない展望がひろがる。
硬派が持つてゐたやうな政治概念は、かつてのプロレタリア文学にも潜在してゐたし、その理論的知的なものの
排斥はまた、私小説の基盤であつた。硯友社を経、自然主義を過ぎて、われわれの近代小説の大勢を決した
「軟派的なもの」については、今日われわれは反吐が出るほど堪能してゐる有様だが、近代文学史に見えかくれ
して流れてゐる「硬派的なもの」については、ほとんど気づかれてゐない。むしろその点で、尾崎(士郎)氏や
林(房雄)氏は、近代日本人として稀な意識的な作家と云ひ得るのである。
三島由紀夫「文学における硬派――日本文学の男性的原理」より 恋愛の代りに政治を以て、文学のエモーショナルなものを代表させる遣口は、戦後文学の作家の或る者、
たとへば堀田善衞氏などに顕著であるが、氏がもつと硬派的に、知的理論的修飾を捨てたら、もつと純度の高い
文学を生むであらう。太宰治氏は硬派的エモーションを軟派的に誤用した結果、自己崩壊の憂目を見た。
かういふ例は、現代文学において実に枚挙にいとまがない。田中英光氏は自らのデスペレエトな力の弁護に、
民族的基底の助けを借りることができなかつた。石原慎太郎氏は自ら信じた男性的原理を、性愛の領域へ
誤用するとき一貫性を失ふ。阿部知二氏は理論的知的政治概念に縋(すが)つて、文学的に性を喪失する。
……これらの幾多の「硬派的なもの」の誤用の失敗(その最大の悲劇が横光利一氏であるが)を見ると、
谷崎潤一郎氏、川端康成氏の軟派の二大宗の、赫々たる成功が、今さらながら、日本文学伝統の女性的優雅の
強靭さを思はれるのである。
三島由紀夫「文学における硬派――日本文学の男性的原理」より しかしここに面白いのは、硬派と軟派のただ一つの共通点があることで、それは理論的知的なものへの、日本人の
終始渝(かは)らぬ不信の念である。志賀直哉氏の文学が、一見硬派的に見えるのは、(実は氏の文学ほど
硬派から遠いものはないが)、この伝来の反理智主義の徹底性のためである。
近代文学の行き詰りの打破のためには、自らの中の硬派的要素の反省と発掘も、一つの必要な手続であると思ふ。
しかし硬派は硬派で、(少くとも一つの作品の中で)、首尾一貫してゐなければならない。硬派的一要素の
切り離した誤用、殊にその無意識の誤用ほど危険なものはないことは、右にあげた諸例からも明らかであらう。
三島由紀夫「文学における硬派――日本文学の男性的原理」より この本は私の年来愛読してゐる本で、面白い個所は何度もくりかへし読んだが、特に右の(寅吉がわが身の
宿命について言ふ)一節は山人天狗をそのまま「芸術家」と置き換へて読むほどに興趣を増すのである。
わけても「山人天狗などは自由自在があるといふばかり」といふ一行は美しい。ここに語られた天狗道の無償性は、
なぜ天狗が存在するか、なぜ存在しなければならぬか、といふ根本義に触れてゐる。天狗は人間とちがつて
空を自由に飛行(ひぎやう)することができる。こちらの峰からあちらの峰へ、月下に千里を飛ぶこともできる。
しかもこの超自然的能力は、それ自体が幸福でなければならず、彼には何か、世間普通の幸福を味はふ能力が
欠けてゐるのである。
これを裏から言へば、「自由自在」は羨むべき能力かも知れないが、本来市民的幸福には属さない。それは
生活を快適にする能力ではなく、日常生活にとつては邪魔になるもので、むしろそれがあるために日常生活は
円滑を欠くであらう。
三島由紀夫「天狗道」より 自由自在は詩的概念であつて、市民的自由とは別物である。精神がそのやうな無償の自由を味はふといふことは、
辛うじて芸術にだけ許されてゐることで、一般社会では禁止されてゐる。
しかもこの魔的に自由な精神も、たえず「人間の幸福」を羨んでゐるのである。
天狗がこんなに自在であるにかかはらず、人間の生活に本当に感情移入ができず、「その道に入りて見」ることが
できないのは、ふしぎと言はねばならない。
相手方への完全な感情移入の不可能といふ点では、天狗も人間も同等同質なのであり、そこに相互の羨望が生れる。
私にとつては、天狗におけるこの「人間的」限界が甚だ興味がある。天狗はこの点では、「饗宴」篇中で
ディオティマの語るエロスに似てゐるのかもしれない。
天狗の自在な飛行は、もちろん天狗道の使命に従つて行はれるが、人間の目からはこの使命は見えず、従つて
飛行自体が戯れと見える。
三島由紀夫「天狗道」より 寅吉はなほ人間時代の記憶を留めてゐるから、その戯れを人間的倫理で以て考察しようとするが、「善事か
悪事か」さつぱり分からないのである。
人間は楽でいい、と言つて羨んでみせるときの天狗には、もちろん多大のエリート意識があるが、その
エリート意識を支へるものは、自在の飛行それ自体でなくて、日々種々の苦しい行である。これがなくては、
天狗はたちまち墜落して天狗でなくなる。
かくて天狗は、どうしても存在するために、日夜存在の努力を払ふ必要があり、このやうな存在学的努力は、
人間には本来不要なものである。
天狗にとつて人間は明らかに存在してゐるからであり、天狗のはうが分が悪いのは、或る人間たちにとつては
天狗は存在してゐる必要がないからである。
三島由紀夫「天狗道」より ここにいたつて、天狗の存在の問題は、そのまま天狗の倫理になる。天狗にとつて、天狗はどうしても存在
しなければならない。それでなければ、天狗はマイノングのいはゆる存在外(アウセルザイン)にとどまるであらう。
そして天狗を存在せしめるものこそ、「日々種々」の苦しい行であり、その発現としての自在な飛行の戯れである。
後段の天狗たることの宿命について語られた一節では、その「我師」といふ一句に、川端康成氏の名を
当てはめたい誘惑にかられるが、それでは私も天狗の端くれを自ら名乗ることになつて、不遜のそしりを免れまい。
むしろ、目を泰西文学に放つて、たとへば「トニオ・クレエゲル」の美しく踊るハンスとインゲボルクの姿を、
暗いヴェランダから硝子ごしにじつと見つめてゐる奇怪なトニオの鼻――それは又作者トオマス・マンの鼻――
が、しらぬ間に長々と伸びて来て、他ならぬ天狗の鼻に変貌してゐたりするところを、想像してゐたはうが
無事かもしれない。
三島由紀夫「天狗道」より 音楽は生活必需品かといふと、人によつてちがふだらうが、私にとつては必ずしもさうではない。それは思考を
妨げるからだ。私には、音楽の鳴つてゐる部屋で物を考へるなど、狂気の沙汰としか思はれない。このごろの
青少年がジャズをききながら試験勉強をしてゐるのを見ると、私と別人種の感を新たにする。
では、音楽は休息の楽しみとして必要だらうか。私にとつては必ずしもさうではない。机に向かふのが仕事の私には、
休息とは、体を動かすことである。運動にはそれ自体のリズムがあつて、音楽を要しない。アメリカのジムなどで、
ムード・ミュージックを流してゐるところがあつたが、何だか運動に力が入らなくて困つた。
では、私にとつて音楽とは何なのだらうか。それは生活必需品でもなければ、休息の楽しみでもない。それは
誘惑なのである。
三島由紀夫「誘惑――音楽のとびら」より むかし米軍占領時代に、家から三丁ばかり離れた大きな邸が接収されてゐて、週末といふと舞踏会が催ほされる
らしく、夜風に乗つてダンス音楽がかすかに流れてきて、食糧難時代の新米文士の仕事を攪乱したものだつた。
しかし、その音楽には、今そこにないものへの強烈な誘惑があつた。「今そこにないもの」を、音楽ほど強烈に
暗示し、そこへ向つて人を惹き寄せるものはない。もちろんただの幻である映画だつてさうかもしれない。
が、音楽のこの誘惑の力を借りてゐない映画はきはめて稀である。
「今そこにないもの」にもピンからキリまである。ピンは天国から、キリはつまらない観光的な熱帯の小島まである。
ピンは、人間精神の絶顛から、キリは性慾の満足まである。それに従つて、音楽にもピンからキリまであるわけだが、
かう考へると、音楽は生活必需品でなくても、人生の必需品、むしろその本質的なものとも思はれる。
「今そこにないものへの誘惑」にこそ、生の本質があるからである。
三島由紀夫「誘惑――音楽のとびら」より 「長安に男児ありき
二十にして心已に(すでに)朽つ」
(李長吉の詩「陳商に贈る」の冒頭の二行)
李長吉は中唐の天才詩人で西暦紀元七九一年に生れ、二十七歳で西暦紀元八一七年に死んだ。
耽美的で、難解で、デカダンで、華麗で、憂鬱で、鬼気を帯びて……、とにかくすばらしい詩人だ。
実生活は不幸で、二十歳のとき、人のねたみで、官吏登用試験を受けられず、失意に沈んだ心境を述べた詩だが、
私はそんな来歴にはかまはず、全く自分のものとしてこの詩を愛してゐる。二十歳の自分の心境告白として、
この二行を愛してゐるのである。二十歳にして敗戦日本の現実に投げ出された私は、すでに心朽ちたまま、
自分の美の国を建設せねばならなかつた。その気持を李長吉が歌つてくれたやうな気がするのである。
三島由紀夫「私の愛することば」より 革命には神秘主義がつきものであり、人間の心情の中で、あるパッションを呼び起こす最も激しい内的衝動は、
同時に現実打破と現実拒否の冷厳な、ある場合には冷酷きはまる精神と同居してゐるのである。(中略)
遠くチェ・ゲバラの姿を思ひ見るまでもなく、革命家は、北一輝のやうに青年将校に裏切られ、信頼する部下に
裏切られなければならない。裏切られるといふことは、何かを改革しようとすることの、ほとんど楯の両面である。
なぜならその革命の理想像を現実が絶えず裏切つていく過程に於て、人間の裏切りは、そのやうな現実の
裏切りの一つの態様にすぎないからである。革命は厳しいビジョンと現実との争ひであるが、その争ひの過程に
身を投じた人間は、ほんたうの意味の人間の信頼と繋りといふものの夢からは、覚めてゐなければならないからである。
一方では、信頼と同志的結合に生きた人間は、論理的指導と戦術的指導とを退けて、自ら最も愚かな結果に陥る
ことをものともせず、銃を持つて立上り、死刑場への道を真つ直ぐに歩むべきなのであつた。
三島由紀夫「北一輝論――『日本改造法案大綱』を中心として」より もし、北一輝に悲劇があるとすれば、覚めてゐたことであり、覚めてゐたことそのことが、場合によつては
行動の原動力になるといふことであり、これこそ歴史と人間精神の皮肉である。そしてもし、どこかに覚めて
ゐる者がゐなければ、人間の最も陶酔に充ちた行動、人間の最も盲目的行動も行なはれないといふことは、
文学と人間の問題について深い示唆を与へる。その覚めてゐる人間のゐる場所がどこかにあるのだ。もし、
時代が嵐に包まれ、血が嵐を呼び、もし、世間全部が理性を没却したと見えるならば、それはどこかに理性が
存在してゐることの、これ以上はない確かな証明でしかないのである。
三島由紀夫「北一輝論――『日本改造法案大綱』を中心として」より 私は「擬制の終焉」から、はつきりと吉本氏のファンの一人になつたが、読みながら一種の性的興奮を感じる
批評といふものは、めつたにあるものではない。読者は観念の闘牛場の観客の一人になつて、闘牛士のしなやかな
身のこなしと、猛牛の首から流れる血潮に恍惚とする。
本書に収められてゐる批評の傑作「丸山真男論」をはじめ、氏の批評には、認識の運動が逞しく働らいてつひには
赤裸々な現実の真姿が現はれてくるときのスリルが充満し、三文小説でイカモノの現実ばかりつかまされて
困つてゐる人は、吉本氏の著書を読むがいい。それでゐて、氏の批評には、かよわい美食家など到底及ばぬ
文学的グルメの犀利な味覚がひらめいてゐる。谷崎潤一郎の「風癲老人日記」の末尾のカナ文字日記体を、
長歌に対する反歌の役割だ、といふ卓見などそのほんの一例である。
三島由紀夫「吉本隆明著『模写と鏡』推薦文」より 芸術が純粋であればあるほどその分野をこえて他の分野と交流しお互に高めあふものである。
演劇的批判にしか耐へないものは却つて純粋に演劇的ですらないのである。
三島由紀夫「宗十郎覚書」より
小説の世界では、上手であることが第一の正義である。
ドストエフスキーもジッドもリラダンも、先づ上手だから正義なのである。
三島由紀夫「上手と正義(舟橋聖一『鵞毛』評)」より
少年がすることの出来る――そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、
おもふに恋愛と不良化の二つであらう。恋愛のなかへは、祖国への恋愛や、一少女への
恋愛や、臈(らふ)たけた有夫の婦人への恋愛などがはひる。また、不良化とは、
稚心を去る暴力手段である。
神が人間の悲しみに無縁であると感ずるのは若さのもつ酷薄であらう。しかし神は
拒否せぬ存在である。神は否定せぬ。
三島由紀夫「檀一雄『花筐』――覚書」より
無秩序が文学に愛されるのは、文学そのものが秩序の化身だからだ。
三島由紀夫「恋する男」より 初恋に勝つて人生に失敗するのはよくある例で、初恋は破れる方がいいといふ説もある。
三島由紀夫「冷血熱血」より
美人が八十何歳まで生きてしまつたり、醜男が二十二歳で死んだりする。
まことに人生はままならないもので、生きてゐる人間は多かれ少なかれ喜劇的である。
三島由紀夫「夭折の資格に生きた男――ジェームス・ディーン現象」より
人が愛され尽した果てに求めることは、恐れられることだ。
三島由紀夫「芥川比呂志の『マクベス』」より
生の充溢感と死との結合は、久しいあひだ私の美学の中心であつたが、これは何も
浪漫派に限らず、芸術作品の形成がそもそも死と闘ひ死に抵抗する営為なのであるから、
死に対する媚態と死から受ける甘い誘惑は、芸術および芸術家の必要悪なのかもしれないのである。
三島由紀夫「日記」より 青年の苦悩は、隠されるときもつとも美しい。
精神的な崇高と、蛮勇を含んだ壮烈さといふこの二種のものの結合は、前者に傾けば
若々しさを失ひ、後者に傾けば気品を失ふむつかしい画材であり、現実の青年は、
目にもとまらぬ一瞬の行動のうちに、その理想的な結合を成就することがある。
三島由紀夫「青年像」より
ほんたうの誠実さといふものは自分のずるさをも容認しません。自分がはたして
誠実であるかどうかについてもたえず疑つてをります。
三島由紀夫「青春の倦怠」より
詩人とは、自分の青春に殉ずるものである。青春の形骸を一生引きずつてゆくものである。
詩人的な生き方とは、短命にあれ、長寿にあれ、結局、青春と共に滅びることである。
小説家の人生は、自分の青春に殉ぜず、それを克服し、脱却したところからはじまる。
三島由紀夫「佐藤春夫氏についてのメモ」より 小説家は人間の心の井戸掘り人足のやうなものである。井戸から上つて来たときには、
日光を浴びなければならぬ。体を動かし、思ひきり新鮮な空気を呼吸しなければならぬ。
三島由紀夫「文学とスポーツ」より
小説でも、絵でも、ピアノでも芸事はすべてさうだがボクシングもさうだと思はれるのは、
練習は必ず毎日やらなければならぬといふことである。
三島由紀夫「ボクシング・ベビー」より
愛情の裏附のある鋭い批評ほど、本当の批評はありません。さういふ批評は、そして、
すぐれた読者にしかできないので、はじめから冷たい批評の物差で物を読む人からは生れません。
三島由紀夫「作品を忘れないで……人生の教師ではない私――読者への手紙」より
あまりに強度の愛が、実在の恋人を超えてしまふといふことはありうる。
三島由紀夫「班女について」より 論敵同士などといふものは卑小な関係であり、言葉の上の敵味方なんて、女学生の
寄宿舎のそねみ合ひと大差がありません。
剣のことを、世間ではイデオロギーとか何とか言つてゐるやうですが、それは使ふ刀の
研師のちがひほどの問題で、剣が二つあれば、二人の男がこれを執つて、戦つて、
殺し合ふのは当然のことです。
三島由紀夫「野口武彦氏への公開状」より
国家総動員体制の確立には、極左のみならず極右も斬らねばならぬといふのは、政治的
鉄則であるやうに思はれる。そして一時的に中道政治を装つて、国民を安心させて、
一気にベルト・コンベアーに載せてしまふのである。
ヒットラーは政治的天才であつたが、英雄ではなかつた。英雄といふものに必要な、
爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けてゐた。
ヒットラーは、二十世紀そのもののやうに暗い。
三島由紀夫「『わが友ヒットラー』覚書」より 私は血すぢでは百姓とサムラヒの末裔だが、仕事の仕方はもつとも勤勉な百姓であり、
生活のモラルではサムラヒである。
何ごとにもまじめなことが私の欠点であり、また私の滑稽さの根源である。
孤独と連帯性は決して両極端ではない。孤独を知らぬ作家の連帯責任など信用できぬ。
われわれは水晶の数珠のやうにつなぎ合はされてゐるが、一粒一粒でもそれは水晶なのだ。
しかし一粒の水晶と一連の数珠との間には中庸などといふものはありえない。
バラバラだからつなげることができ、つながつてゐるからこそバラバラになりうる。
三島由紀夫「フランスのテレビに初主演――文壇の若大将 三島由紀夫氏」より 芸術には必ず針がある。毒がある。この毒をのまずに、ミツだけを吸ふことはできない。
四方八方から可愛がられて、ぬくぬくと育てることができる芸術などは、この世に存在しない。
三島由紀夫「文学座の諸君への『公開状』――『喜びの琴』の上演拒否について」より
われわれが美しいと思ふものには、みんな危険な性質がある。温和な、やさしい、典雅な
美しさに満足してゐられればそれに越したことはないのだが、それで満足してゐるやうな人は、
どこか落伍者的素質をもつてゐるといつていい。
三島由紀夫「美しきもの」より
芸術上の創造行為は存在そのものからは生れて来ない。自ら美しく生きようと思つた芸術家は
一人もゐなかつたので、美を創ることと、自分が美しく生きることとは、まるで反対の
事柄である。
三島由紀夫「女が美しく生きるには」より 現代におけるリリシズムがどんな形をとらねばならぬか、といふことが、現代芸術の一番おもしろい課題だと
私は考へてゐる。リリシズムは、現代において、否定された形、ねぢまげられた形、逆説的な形、敗北し流刑に
処された形、鼻つまみの形、……それらさまざまのネガティヴな形をとらざるをえず、そこから逆に清冽な
噴泉を投射する。もし現代において、リリシズムが一見いかにもこれらしい形をとつてゐたら、それは明らかに
ニセモノだと云つてよい。これが、私の「現代の抒情」の鑑定法である。
細江英公氏の作品が私に強く訴へるのは、氏がこのやうに「現代の抒情」を深くひそませた作品を作るからである。
そこには極度に人工的な制作意識と、やさしい傷つきやすい魂とが、いつも相争つてゐる。薔薇は元来薔薇の
置かれるべきでない場所に置かれて、はじめて現代における薔薇の王権を回復する。
三島由紀夫「細江英公氏のリリシズム――撮られた立場より」より 童話とは人間の最も純粋な告白に他ならないのである。
三島由紀夫「川端氏の『抒情歌』について」より
小説家における文体とは、世界解釈の意志であり、鍵なのである。
強大な知力は世界を再構成するが、感受性は強大になればなるほど、世界の混沌を
自分の裡に受容しなければならなくなる。
三島由紀夫「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より
世界が虚妄だ、といふのは一つの観点であつて、世界は薔薇だ、と言ひ直すことだつてできる。
三島由紀夫「『薔薇と海賊』について」より
小説は芸術のなかでも最もクリチシズムの強いものだ。
三島由紀夫「文芸批評のあり方――志賀直哉氏の一文への反響」より エロティックといふのは、ふつうの人間が日常のなかでは自然と思つてゐる行為が、
外に現はれて人の目にふれるときエロティックと感じる。
三島由紀夫「古典芸能の方法による政治状況と性」より
男子高校生は「娘」といふ言葉をきき、その字を見るだけで、胸に甘い疼きを感じる筈だが、
この言葉には、あるあたたかさと匂ひと、親しみやすさと、MUSUMEといふ音から来る
何ともいへない閉鎖的なエロティシズムと、むつちりした感じと、その他もろもろのものがある。
プチブル的臭気のまじつた「お嬢さん」などといふ言葉の比ではない。
三島由紀夫「美しい女性はどこにいる――吉永小百合と『潮騒』」より 緊張ばかりしてゐては疲れてしまふといふのは怠け者の考へで、弛緩こそ病気のもとで
あることはよく知られてゐる。いけないのはテレビ・プロデューサーのやうな末梢神経の
緊張の連続であつて、豹のやうに、全身的緊張を即座に用意できる生活こそ、健康な生活で
あることは言ふまでもない。
テレビによつて、いくらでも雑多な知識がひろく浅く供給されるから、暇のある人は
テレビにしがみついてゐれば、いくらでも知識が得られる代りに、「中国核実験」と
「こんにちは赤ちゃん」をつなぐことは誰にもできず、知識の綜合力は誰の手からも
失はれてゐる。無用の知識はいくらでもふえるが、有用な知識をよりわけることはますます
むづかしくなり、しかも忘却が次から次へとその知識を消し去つてゆく。
文学は、どんなに夢にあふれ、又、読む人の心に夢を誘ひ出さうとも、第一歩は、必ず
作者の夢が破れたところに出発してゐる。
三島由紀夫「秋冬随筆」より われわれの祖先は、大らかな、怪奇そのものすらも晴れやかな、ちつともコセコセしない、
このやうな光彩陸離たる芸術を持ち、それをわが宮廷が伝へて来たといふことは、
日本の誇るべき特色である。だんだん矮小化されてきた日本文化の数百年のあひだに、
それと全くちがつた、のびやかな視点を、日本の宮廷は保つてきたのである。
三島由紀夫「舞楽礼讃」より
日本人の美のかたちは、微妙をきはめ洗煉を尽した果てに、いたづらな奇工におちいらず、
強い単純性に還元されるところに特色があるのは、いふまでもない。永遠とは、
くりかへされる夢が、そのときどきの稔りをもたらしながら、又自然へ還つてゆくことだ。
生命の短かさはかなさに抗して、けばけばしい記念碑を建設することではなく、自然の
生命、たとへば秋の虫のすだきをも、一体の壷、一個の棗(なつめ)のうちにこめることだ。
ギリシャ人は巨大をのぞまぬ民族で、その求める美にはいつも節度があつたが、日本人も
この点では同じである。
三島由紀夫「『人間国宝新作展』推薦文」より アメリカでは、成功者や金持は決して自由ではない。従つて、「最高の自由」は、
わびしさの同義語になる。
三島由紀夫「芸術家部落――グリニッチ・ヴィレッジの午後」より
芝居の世界に住む人の、合言葉的生活感情は、あるときは卑屈な役者根性になり、あるときは
観客に対する思ひ上つた指導者意識になる。正反対のやうに見えるこの二つのものは、
実は同じ根から生れたものである。本当の玄人といふものは、世間一般の言葉を使つて、
世間の人間と同じ顔をして、それでゐて玄人なのである。
三島由紀夫「無題『新劇』扉のことば」より
ひとたび叛心を抱いた者の胸を吹き抜ける風のものさびしさは、千三百年後の今日の
われわれの胸にも直ちに通ふのだ。この凄涼たる風がひとたび胸中に起つた以上、
人は最終的実行を以てしか、つひにこれを癒やす術を知らぬ。
三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より 人間がこんなに永い間花なしに耐へてゆけるには、その心の中に、よほど巨大な荘厳な
花の幻がなければならない。
三島由紀夫「服部智恵子バレエリサイタルに寄せて」より
あらゆる芸術ジャンルは、近代後期、すなはち浪漫主義のあとでは、お互ひに気まづくなり、
別居し、離婚した。
純粋性とは、結局、宿命を自ら選ぶ決然たる意志のことだ、と定義してもよいやうに思はれる。
三島由紀夫「純粋とは」より
新しい人間と新しい倫理とは別のものではないのである。倫理とは彼の翼にすぎぬ。
倫理とは彼の生きる方法だ。
金のためだつて! そんな美しい目的のためには文学なんて勿体ない。私たちは原稿の
代償として金を受取るとき、いつも不当な好遇と敬意とを居心地わるく感じなければ
ならないのです。蹴飛ばされる覚悟でゐたのがやさしく撫でられた狂犬のやうにして。
三島由紀夫「反時代的な芸術家」より 知的なものと感性的なもの、ニイチェの言つてゐるアポロン的なものとディオニソス的な
もののどちらを欠いても理想的な芸術ではない。
芸術の根本にあるものは、人を普通の市民生活における健全な思考から目覚めさせて、
ギョッとさせるといふことにかかつてゐる。
ちやうどギリシャのアドニスの祭のやうに、あらゆる穫入れの儀式がアドニスの死から
生れてくるやうに、芸術といふものは一度死を通つたよみがへりの形でしか生命を
把握することができないのではないかといふ感じがする。さういふ点では文学も古代の
秘儀のやうなものである。収穫の祝には必ず死と破滅のにほひがする。しかし死と破滅も
そのままでは置かれず、必ず春のよみがへりを予感してゐる。
三島由紀夫「わが魅せられたるもの」より 立派な芸術は積木に似た構造を持ち、積木を積みあげていくやうなバランスをもつて
組立てられてゐるけれども、それを作るときの作者の気持は、最後のひとつの木片を
積み重ねるとたんにその積木細工は壊れてしまふ、さういふところまで組立てていかなければ
満足しない。積木が完全なバランスを保つところで積木をやめるやうな作者は、私は
芸術家ぢやないと思はれる。
最後の一片を加へることによつてみすみす積木が崩れることがわかつてゐながら、最後の
木片をつけ加へる。そして積木はガラガラと崩れてしまふのであるが、さういふふうな
積木細工が芸術の建築術だと私は思ふ。
三島由紀夫「わが魅せられたるもの」より 歴史劇などといふのは、本来言葉の矛盾である。芝居に現はれる現象としての事実は、
はじめから入念に選び出されたものであるのに、歴史では玉石混淆だからである。
三島由紀夫「歴史的題材と演劇」より
一つの時代は、時代を代表する俳優を持つべきである。
この世には情熱に似た憂鬱もあり、憂鬱に似た情熱もある。
三島由紀夫「六世中村歌右衛門序説」より
すぐれた俳優は、見事な舟板みたいなもので、自分の演じたいろんな役柄の影響によつて、
たくさんの船虫に蝕まれたあとをもつてゐるが、それがそのまま、世にも面白い舟板塀になつて、
風雅な住ひを飾るのだ。
俳優といふものは、ひまはりの花がいつも太陽のはうへ顔を向けてゐるやうに、
観客席のはうへ顔を向けてゐるものであつて、観客席から見るときに、その一等美しい、
しかも一等真実な姿がつかめるとも云へる。
三島由紀夫「俳優といふ素材」より 守る側の人間は、どんなに強力な武器を用意してゐても、いつか倒される運命にあるのだ。
三島由紀夫「若さと体力の勝利――原田・ジョフレ戦」より
守勢に立つ側の辛さ、追はれる者の辛さからは、容易ならぬ狡智が生れる。
「老巧」などといふ言葉は、スポーツの世界では不吉な言葉で、それはいつかきつと
「若さ」に敗れる日が来るのである。
三島由紀夫「追ふ者追はれる者――ペレス・米倉戦観戦記」より
巧くなつて不正直になるのは堕落といふもので、巧くなつてもなほ正直といふところが尊いのだ。
三島由紀夫「原田・メデル戦」より 世の中にいつも裸な真実ばかり求めて生きてゐる人間は、概して鈍感な人間である。
親しいからと云つて、言つてはならない言葉といふものがあるものだが、お節介な人間は、
善意の仮面の下に、かういふタブーを平気で犯す。
人をきらふことが多ければ多いだけ、人からもきらはれてゐると考へてよい。
三島由紀夫「私のきらひな人」より
人間のやることは残酷である。鳥羽の真珠島で、真珠の肉を手術して、人工の核を
押し込むところを見たが、玲瓏(れいろう)たる真珠ができるまでの貝の苦痛が、
まざまざと想像された。このごろ流行のダムも、この規模を大きくしたやうなものである。
ダム工事の行はれる地点は、大てい純潔な自然で、風光は極めて美しい。その自然の肉に、
コンクリートと鉄の異物が押し込まれ、自然の永い苦痛がはじまる。
三島由紀夫「『沈める滝』について」より 赤ん坊の顔は無個性だけれど、もし赤ん坊の顔のままを大人まで持ちつづけたら、
すばらしい個性になるだらう。しかし誰もそんなことはできず、大人は大人なりに、
又々十把一からげの顔になることかくの如し。
三島由紀夫「赤ちゃん時代――私のアルバム」より
一切の錯覚を知らぬ心は、大義に近づくことができない、といふのが人間の宿命である。
現代は、死を正当化する価値の普遍化が周到に避けられ、そのやうな価値が注意深く
ばらばらに分散させられてゐる時代である。
私は円谷二尉の死に、自作の「林房雄論」のなかの、次のやうな一句を捧げたいと思ふ。
「純潔を誇示する者の徹底的な否定、外界と内心のすべての敵に対するほとんど
自己破壊的な否定、……云ひうべくんば、青空と雲とによる地上の否定」
そして今では、地上の人間が何をほざかうが、円谷選手は、「青空と雲」だけに属して
ゐるのである。
三島由紀夫「円谷二尉の自刃」より ブラジルは人種的偏見の少ない国だが、それでも黒人の悲願は白人に生れ変ることであり、
かういふ宿命を抱いた人たちは、当然仮装に熱中する。仮装こそ、「何かになりたい」といふ
念願の仮の実現だからである。
三島由紀夫「『黒いオルフェ』を見て」より
別に酒を飲んだりごちそうをたべたりしなくても、気の合つた人間同士の三十分か
一時間の会話の中には、人生の至福がひそむ。
三島由紀夫「社交について――世界を旅し、日本を顧みる」より
他人に場ちがひの感を起させるほどたのしげな、内輪のたのしみといふのはいいものだ。
たとへば、祭りのミコシをかついだあとで、かついだ連中だけで集まつてのむ酒のやうなものだ。
われわれに本当に興味のある話題といふものは他人にとつてはまるで興味のないことが多い。
他人に通じない話ほど、心をあたたかく、席をなごやかにするものはない。
三島由紀夫「内輪のたのしみ」より どんなに平和な装ひをしてゐても「世界政策」といふことばには、ヤクザの隠語のやうな、
独特の血なまぐささがある。概括的な、概念的な世界認識の裏側には必ず水素爆弾が
くすぶつてゐるのである。
三島由紀夫「終末観と文学」より
今日のやうに泰平のつづく世の中では、人間の死の本能の欲求不満はいろいろな形であらはれ、
ある場合には、社会不安のたねにさへなる。こんな問題は、浅薄なヒューマニズムや、
平べつたい人間認識では、とても片付かない。
三島由紀夫「K・A・メニンジャー著 草野栄三良訳『おのれに背くもの』推薦文」より
剣道の、人を斬るといふ仮構は爽快なものだ。今は人殺しの風儀も地に落ちたが、
昔は礼儀正しく人を斬ることができたのだ。人とエヘラエヘラ附合ふことだけに
エチケットがあつて、人を斬ることにエチケットのない現代とは、思へば不安な時代である。
三島由紀夫「ジムから道場へ――ペンは剣に通ず」より 現代は奇怪な時代である。やさしい抒情やほのかな夢に心を慰めてゐる人たちをも、
私は決して咎めないが、現代といふ奇怪な炎のなかへ、われとわが手をつつこんで、
その烈しい火傷の痛みに、真の時代の詩的感動を発見するやうな人たちのはうを、私は
もつともつと愛する。古典派と前衛派は、このやうな地点で、めぐり会ふのである。
なぜなら生存の恐怖の物凄さにおいて、現代人は、古代人とほぼ似寄りのところに居り、
その恐怖の造型が、古典的造型へゆくか、前衛的造型へゆくかは、おそらくチャンスの
ちがひでしかない。
三島由紀夫「推薦の辞(650 EXPERIENCE の会)」より
夫婦の生活程度や教養の程度の近似といふことは、結婚生活のかなり大事な要素である。
性格の相違などといふ文句は、実は、それまでの夫婦各自の生活史のちがひにすぎぬことが多い。
三島由紀夫「見合ひ結婚のすすめ」より
「日本的」といふ言葉のなかには、十分、ツイスト的要素、マッシュド・ポテト的要素、
ロックンロール的要素もあるのです。
三島由紀夫「『日本的な』お正月」より 風俗は滑稽に見えたときおしまひであり、美は珍奇からはじまつて滑稽で終る。つまり
新鮮な美学の発展期には、人々はグロテスクな不快な印象を与へられますが、それが次第に
一般化するにしたがつて、平均美の標準と見られ、古くなるにしたがつて古ぼけた
滑稽なものと見られて行きます。
ユーモアと冷静さと、男性的勇気とは、いつも車の両輪のやうに相伴ふもので、ユーモアとは
理知のもつともなごやかな形式なのであります。
三島由紀夫「文章読本」より
作家は作品を書く前に、主題をはつきりとは知つてゐない。「今度の作品の主題は何ですか」
と作家に訊くのは、検事に向かつて「今度の犯罪の証拠は何ですか」と訊くやうなものである。
作中人物はなほ被疑者にとどまるのである。もちろん私はストーリイやプロットについて
言つてゐるのではない。はじめから主題が作家にわかつてゐる小説は、推理小説であつて、
私が推理小説に何ら興味を抱かないのはこの理由による。外見に反して、推理小説は、
刑事訴訟法的方法論からもつとも遠いジャンルの小説であり、要するに拵(こしら)へ物である。
三島由紀夫「法律と文学」より 私はあくまで黒い髪の女性を美しいと思ふ。洋服は髪の毛の色によつて制約されるであらうが、
女の黒い髪は最も派手な、はなやかな色であるから、かうして黒い服を着た黒い髪の女は、
世界中で一番派手な美しさと言へるだらう。
三島由紀夫「恋の殺し屋が選んだ服」より
今でも英国では、午後の紅茶に「ミルク、ファースト?ティー、ファースト?」と丁重に
きいてまはつてゐる。同じ茶碗にお茶を先に入れようがミルクを先に入れようが、
味に変りはなささうだが、そんなことはどうでもいいかといへば、そこには非合理な
各人各説といふものがあつて、決してさうはいかないのが英国であることは、今も昔も
変りがない。「どつちでもいいぢやないか」といふ精神は、生活を、ひろくは文化といふものを、
あつさり放棄してしまつた精神のやうに思はれる。
三島由紀夫「英国紀行」より 「まづ身を起こせ」といふのが、生来オッチョコチョイの私の主義であつて、
「核兵器よりもまづ駆け足」といふことを、隊付をして学びえたと思つてゐる。
人間の脚は、特に国土戦において、バカにならぬ戦場機動速度を持つのである。
三島由紀夫「自衛隊と私」より
空手は武器を禁じられた沖縄島民の民族の悲願が凝つて成つた武道ときいてゐる。
日本の戦後も占領軍による武装解除がそのまま平和憲法に受けつがれ、徒手空拳で戦ひ、
徒手空拳で身を守るほかに、民族の志を維持する道をふさがれてゐる。
空手道が戦後の日本で隆盛になつたのは決して偶然ではない。
三島由紀夫「第十一回空手道大会に寄せる……」より
正しい力は崇高であり、汚れた力は醜悪であることは、あたかも、清い水は生命をよみがへらせ、
汚ない水は人を病気にさせるのに似てゐる。
三島由紀夫「『第十二回全国空手道選手権大会』推薦文」より 刀が武士の魂といはれ、筆が文士の魂といはれるのは、道具を使つた闘争や芸術表現が、
そのまま精神のあらはれになるためには、その道具と生体の一体化が企てられねばならぬ、
といふ要請から生れた言葉であらう。道具が生体の一部になればなるほど、道具はただの
道具ではなくなり、手段はただの手段ではなくなり、魂といふ幹の一本の枝になつて、
そこにまで魂の樹液が浸透して、魂の動くままに動き、いはば道具は透明になるであらう。
そのとき、手段と目的、肉体と精神、行動と思想の、乖離や二元性は完全に払拭されるであらう。
三島由紀夫「空手の秘義」より
「正義は力」だが「力は正義」ではない。その間の消息をもつともよく示してゐるのが、
空手だと思ふ。空手は正義の表現力であり、黙した力である。口舌の徒はつひに正義さへ
表現しえないのである。
三島由紀夫「『第十三回全国空手道選手権大会』推薦文」より 現代に政治を語る者は多い。政治的言説によつて世を渡る者の数は多い。厖大なデータを整理し、
情報を蒐集し、これを理論化体系化しようとする人は多い。しかもその悉くが、現実の
上つ面を撫でるだけの、究極的にはニヒリズムに陥るやうな、いはゆる現実主義的情勢論に
墜するのは何故だらうか。このごろ特に私の痛感するところであるが、この複雑多岐な、
矛盾にみちた苦悶の胎動をくりかへして、しかも何ものをも生まぬやうな不毛の現代社会に於て、
真に政治を語りうるものは信仰者だけではないのか? 日本もそこまで来てゐるやうに思はれる。
三島由紀夫「『占領憲法下の日本』に寄せる」より
電子計算機を使ふ人間が、ともすると忘れてゐることは、電子計算機の命令に従つて
動くのはよいが、人間は疲れるのに、電子計算機は決して疲れない、といふことである。
人間にとつて、疲労は又、生命力の逆の証明なのだ。
三島由紀夫「クールな日本人(桜井・ローズ戦観戦記)」より 私は歌舞伎といふものは、もちろん台本も大切、心理描写も大切だけれども、一瞬間で人を酔はせることが
できなければ、歌舞伎ではないんだ、といふことがだんだん分るやうになつたんです。(中略)
お客が喜ぶのは、二人の人間が何か一所懸命ぶつかり合つてゐる、しかもただ言葉でぶつかり合つてゐるのでは
なくつて型でぶつかり合つてゐる、性格でぶつかり合つてゐるのではなくて、型でぶつかつてゐる、そこにみな
感動するんです。
そしてその型が一つ一つ見事に磨きぬかれてゐる、たとへば喧嘩でも見悪(みにく)い喧嘩ぢやない、
コノヤロウといふ喧嘩なら、どこでも見せられる。腕の振りあげ方一つ、殴り方一つにもちやんと型がある。
さういふふうに感覚的な魅惑といふものに訴へることなしには、どんなことも歌舞伎は我々に伝へてこない。
もし感覚的魅惑を抜きにして、歌舞伎を分れといつても無理だし、そしてその狭い感覚的な魅惑の道を通つて
歌舞伎といふものが、にゆつと飛び出してくるんです。
三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より (中略)私は歌舞伎といふものは、いつでも昔が良かつたもんだ、と思ふんです。あらゆる時代で、昔の方が
良かつたから、歌舞伎といふこの変な生命が続いてゐるんです。
これをよく考へていただかないとね、歌舞伎は、だんだん進歩していくんだ、昔はこんなに原始的であつたのが、
良くなつていくんだと思ふと、大間違ひなんです。今が一番悪い、私で終りだといふ気持がないと、歌舞伎の
これからを支へて行くことはできない。
またうまいことに、歌舞伎といふものは、昔から滅亡論があつた。明治のころから歌舞伎滅亡論といふのが
何度あつたか分らないほどあつたんです。滅びる、滅びるといはれながら、こんな大きな劇場が建つちやつた。
これで歌舞伎が滅びないかといふと、まだいつでも滅びるんです。滅びる用意をしてゐる。
歌舞伎を滅ぼすやうな要因は、いつの時代にも、たくさんありました。あなた方は若いのに、これから歌舞伎を
始めるといふのは、滅びるものに忠誠を誓ふことになるんです。
三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より あなた方の前には、もつと新しいものが、いくらでもる。たとえばコンピュータの仕事をしてもよろしい。
…今や日本ではますます新しい仕事は要求されてゐるんです。
滅びるに決つてゐるやうなものに自分が入つて行くといふのは、よほどの覚悟がなければできない。昔は良かつたが、
今は駄目だ、と絶えず言はれる。
ところがその昔は良かつたものに、いつか自分が近付いていつて、その中に溶け込むときが来る、そこが人間の
不思議なところで、歌舞伎は昔に書かれたものですから、もし昔の理想に自分がスーッと溶け込むことができ、
昔の俳優の持つてゐた魂が、自分の中にフゥァーと宿ることがあると、その時がどんな時代であらうと、
歌舞伎といふものは、また蘇つてくるんです。
三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より (中略)私はあくまで歌舞伎を愛する、だけど私は観客として、あるひは演出家として、その出て来た華だけを
愛してゐたい。華の向う側に、どす黒いものがあるのは分つてゐるけれども、そのどす黒いものは、そのまま
大切な肥料としてそつとしておきたい、といふ気持が非常に強いんです。
もちろん私は歌舞伎の改良といふことを全然否定するわけではありませんけれども、歌舞伎といふものは、
悪に繋がつてゐるといふことを信じますから、ああ、いくらでもいくらでも綺麗にしてごらん、綺麗にしたら
何が失くなるか、よく考へてごらんといふより他にないんです。
あなた方、この歌舞伎の世界に入つて来たのには、よほどの覚悟がなくてはならんと思ふのは、その悪といふものを
是認するといふこと、そして不合理を是認するといふことです。不合理を自分の中に取り込まなければ、
歌舞伎といふ芝居を演る意味がない。(中略)
一番悪いものと、一番良いものとが結びついてゐるのが、歌舞伎の不思議なんです。それを切つたらば、生命が
なくなる。
三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より 真の東洋的なもの、東洋的神秘主義の最後の一線を、近代的立憲国家の形体に於て
留保したものが日本の天皇制である。天皇制は過去の凡ゆる東洋文化の枠であり、
帝王学と人生哲学の最後の結論である。これが失はれるとき東洋文化の現代文化へのかけはし、
その最後の理解の橋も失はれるのである。
三島由紀夫「偶感」より
日本人は何度でも自国の古典に帰り、自分の源泉について知らねばならない。その泉から
何ものかを汲まねばならない。この「源泉の感情」が涸れ果てるときこそ、一国一民族の
文化がつひに死滅するときであらう。
三島由紀夫「文化の危機の時代に時宜を得た全集(『日本古典文学全集』推薦文)」より 文学には最終的な責任といふものがないから、文学者は自殺の真のモラーリッシュな
契機を見出すことはできない。私はモラーリッシュな自殺しかみとめない。すなはち、
武士の自刃しかみとめない。
三島由紀夫「日沼氏と死」より
コンプレックスとは、作家が首吊りに使ふ踏台なのである。もう首は縄に通してある。
踏台を蹴飛ばせば万事をはりだ。あるひは親切な人がそばにゐて、踏台を引張つてやれば
おしまひだ。……作家が書きつづけるのは、生きつづけるのは、曲りなりにもこの踏台に
足が乗つかつてゐるからである。その点で、踏台が正しく彼を生かしてゐるのだが、
これはもともと自殺用の補助道具であつて、何ら生産的道具ではなく、踏台があるおかげで
彼が生きてゐるといふことは、その用途から言つて、踏台の逆説的使用に他ならない。
踏台が果してゐるのはいかにも矛盾した役割であつて、彼が踏台をまだ蹴飛ばさない
といふことは、半ばは彼の自由意志にかかはることであるが、自殺の目的に照らせば、
明らかに彼の意志に反したことである。
三島由紀夫「武田泰淳氏――僧侶であること」より 芸術家が自分の美徳に殉ずることは、悪徳に殉ずることと同じくらいに、云ひやすくして
行ひ難いことだ。
三島由紀夫「加藤道夫氏のこと」より
「ぜいたくを言ふもんぢやない」 などと芸術家に向つて言つてはならない。ぜいたくと
無い物ねだりは芸術家の特性であつて、それだけが芸術(革命)を生むと信じられてゐる。
三島由紀夫「不満と自己満足――『もつとよこせ』運動もわが国の繁栄に一役」より
文人の倖は、凡百の批評家の讃辞を浴びることよりも、一人の友情に充ちた伝記作者を
死後に持つことである。しかもその伝記作者が詩人であれば、倖はここに極まる。
三島由紀夫「『蓮田善明とその死』序文」より 人間が為し得る発見は、あらゆる場合、宇宙のどこかにすでに完成されてゐるもの――
すでに完全な形に用意されてゐるものの模写にすぎない。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
日本の詩文とは、句読も漢字もつかはれないべた一面の仮名文字のなかに何ら別して
意識することなく神に近い一行がはさまれてゐること、古典のいのちはかういふところに
はげしく煌めいてゐること、さうして真の詩人だけが秘されたる神の一行を書き得ること、
かういふことだけを述べておけばよい。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「伊勢物語のこと」より この地上で自分の意欲を実現する方式に二つはないのではないか? 芸術も政治も、
その方式に於ては一つなのではないか? だからこそ、芸術と政治はあんなにも仲が
悪いのではないか?
ラヂウムを扱ふ学者が、多かれ少なかれ、ラヂウムに犯されるやうに、身自ら人間で
ありながら、人生を扱ふ芸術家は、多かれ少なかれ、その報いとして、人生に犯される。
…人間の心とは、本来人間自身の扱ふべからざるものである。従つてその扱ひには常に
危険が伴ひ、その結果、彼自身の心が、自分の扱ふ人間の心によつて犯される。犯された末には、
生きながら亡霊になるのである。そして、医療や有効な目的のために扱はれるラヂウムが、
それを扱ふ人間には有毒に働くやうに、それ自体美しい人生や人間の心も、それを扱ふ人間には、
いつのまにか怖ろしい毒になつてゐる。多少ともかういふ毒素に犯されてゐない人間は、
芸術家と呼ぶに値ひしない。
三島由紀夫「楽屋で書かれた演劇論」より これは動いている小説である。動いて、動いて、時々おどろくほど鮮明な映像があらわれながら、却って現実の謎は深まってゆく。
たえざるサスペンス、そして卓抜な会話が社会の投影図法を描き、
犯罪の匂いと、尾行と襲撃と、……その結果、イリュージョンがついに現実に打ち克ち、
そこから見た現実自体の構造が、突然すみずみまで明晰になる。
ラストのモノロオグが、この小説の怖ろしい解決篇であり、作品全体の再構築であるところに一篇の主題がこもっている。
失踪者の前にのみ、未来が姿をあらわすのだ。
安倍氏がその小説の中に、会話の天才をみごとに活かし、
「砂の女」よりも「他人の顔」よりも、はるかに迅速に疾走してみせた小説である。
三島由紀夫「安部公房『燃えつきた地図』について」より
一旦身に受けた醜聞はなかなか払ひ落とせるものではない。たとへ醜聞が事実とちがつて
ゐても、醜聞といふものは、いかにも世間がその人間について抱いてゐるイメージと
よく符合するやうにできてゐる。ましてその醜聞が、大して致命的なものではなく、
人々の好奇心をそそつたり、人々に愛される原因になつたりしてゐるときには尚更である。
かくて醜聞はそのまま神話に変身する。
微笑は、ノー・コメントであり、「判断停止」「分析停止」の要請である。こんなことは
社会生活では当たり前のことで、日本のやうに個人主義の発達しない社会では、微笑が
個人の自由を守つてきたのである。しかもそれは礼儀正しさの要請にも叶つてゐる。
三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より 日本の伝統は大てい木と紙で出来てゐて、火をつければ燃えてしまふし、放置(はふ)つて
おけば腐つてしまふ。伊勢の大神宮が二十年毎に造り替へられる制度は、すでに千年以上の
歴史を持ち、この間五十九回の遷宮が行はれたが、これが日本人の伝統といふものの考へ方を
よくあらはしてゐる。西洋ではオリジナルとコピイとの間には決定的な差があるが、
木造建築の日本では、正確なコピイはオリジナルと同価値を生じ、つまり次のオリジナルに
なるのである。京都の有名な大寺院も大てい何度か火災に会つて再建されたものである。
かくて伝統とは季節の交代みたいなもので、今年の春は去年の春とおなじであり、去年の
秋は今年の秋とおなじである。
三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より どの国も自分の国のことだけで一杯で、日本みたいに好奇心のさかんな国はどこにもない。
…なかんづく好奇心の皆無におどろかされるのはフランスで、あの唯我独尊の文化的優越感は
支那に似てゐる。
「古橋はすばらしいですね、僕たちとても古橋を尊敬しているんです」
私は源氏物語の日本を尊敬してゐるなんぞとどこかの国のインテリに云はれるより、
他ならぬギリシアの子供にかう云はれたことのはうをよほど嬉しく感じた。競技の優勝者を
尊敬した古代ギリシアの風習が、子供たちの心に残つてをり、しかもわが日本が、
(古代ギリシアには、水泳競技はなかつたと思はれるが)、古代ギリシアの競技会に
参加して、優勝者を出したやうな気がしたのである。かういふ端的なスポーツの勝利が、
いかに世界をおほつて、世界の子供たちの心を動かすかに、私は併せて羨望を禁じえなかつた。
事実、われわれの精神の仕事も、もし人より一センチ高く飛ぶとか、一秒速く走るか
とかいふ問題をバカにすれば、殆んどその存在理由を失ふであらう。
三島由紀夫「日本の株価――通じる日本語」より 同じアメリカぎらひでも、フランスのそれと日本のそれとの間には、大きな相違がある。
フランスのアメリカぎらひは、自分の下手な似顔を描いた絵描きに対する憎悪のやうなものである。
ニュースの功罪について、僕はいろいろと考へざるをえなかつた。どこの国でも知識階級は
疑り深くて、新聞に書いてあることを一から十まで信じはしない。信じるのは民衆である。
しかし或る非常の事態にいたると、知識階級の観念性よりも、民衆の直感のはうが、
ニュースを超えて、事態の真実を見抜いてしまふ。かれらは自分の生活の場に立つて、
蟻が洪水を予感するやうに、しづかに触角をうごめかして現実を測つてゐる。真実な
デマゴオグ(煽動者)といふものが、かうして起る。敗戦間近い日本に起つたやうな
あの民衆の本能的不信は、古代にもたびたび起つた。民衆のあひだにいつのまにか
歌はれはじめる童謡が、何らかの政治的変革の前兆と考へられたのには、理由がある。
三島由紀夫「遠視眼の旅人」より 映像はいつも映画作家の意志に屈服するとは限らぬことは、言葉がいつも小説家の意志に
屈服するとは限らぬと同じである。映像も言葉も、たえず作家を裏切る。
われわれの古典文学では、紅葉(もみぢ)や桜は、血潮や死のメタフォアである。
民族の深層意識に深くしみついたこのメタフォアは、生理的恐怖に美的形式を課する訓練を
数百年に亘つてつづけて来たので、歴史の変遷は、ただこの観念聯合の秤のどちらかに、
重みをかけることでバランスを保つてきた。戦争中のやうに多すぎる血潮や死の時代には、
人々の心は紅葉や桜に傾き、伝統的な美的形象で、直接の生理的恐怖を消化した。
今日のやうに泰平の時代には、秤が逆に傾いて、血潮や死自体に、観念的美的形象を
与へがちになるのは、当然なことである。かういふことは近代輸入品のヒューマニズムなどで
解決する問題ではない。
三島由紀夫「残酷美について」より 歌には残酷な抒情がひそんでゐることを、久しく人々は忘れてゐた。古典の桜や紅葉が、
血の比喩として使はれてゐることを忘れてゐた。月や雁や白雲や八重霞や、さういふものが
明白な肉感的世界の象徴であり、なまなましい肉の感動の代置であることを忘れてゐた。
ところで、言葉は、象徴の機能を通じて、互(かた)みに観念を交換し、互みに呼び合ふ
ものである。それならば血や肉感に属する残酷な言葉の使用は、失はれた抒情を、
やさしい桜や紅葉の抒情を逆に呼び戻す筈である。春日井氏の歌には、さういふ象徴言語の
復活がふんだんに見られるが、われわれはともあれ、少年の純潔な抒情が、かうした手続を
とつてしか現はれない時代に生きてゐる。
三島由紀夫「春日井建氏の『未青年』の序文」より
性と解放と牢獄との三つのパラドックスを総合するには芸術しかない。
三島由紀夫「恐ろしいほど明晰な伝記――澁澤龍彦著『サド侯爵の生涯』」より 肉といふものは、私には知性のはぢらひあるひは謙抑の表現のやうに思はれる。鋭い知性は、
鋭ければ鋭いほど、肉でその身を包まなければならないのだ。ゲーテの芸術はその模範的な
ものである。精神の羞恥心が肉を身にまとはせる。それこそ完全な美しい芸術の定義である。
羞恥心のない知性は、羞恥心のない肉体よりも一そう醜い。
ロダンの彫刻「考へる人」では、肉体の力と、精神の謙抑が、見事に一致してゐる。
三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より 生物は、いらいらの中で育ち、成長期に死に一等親近してゐるやうに感じ、さて、幸福感を
感じるときには、もう衰退の中にゐるのだ。
春といふ言葉は何と美しく、その実体は何とまとまりがなく不安定であらう。さうして
青春は思ひ出の中でのみ美しいとよく云ふけれど、少し記憶力のたしかな人間なら、
思ひ出の中の青春は大抵醜悪である。多分、春がこんなに人をいらいらさせるのは、
この季節があまりに真摯誠実で、アイロニイを欠いてゐるからであらう。あの春先の
まつ黄いろな突風に会ふたびに、私は、うるさい、まともすぎる誠実さから顔をそむけるやうに、
顔をそむけずにはゐられない。
三島由紀夫「春先の突風」より 青春といふものは明るいと思へば暗く、暗いと思へば明るく、自分がその渦中に在るあひだは
五里霧中でありながら、時経てかへりみると、村の教会の尖塔のやうにくつきりと日を受けて
輝やいてゐる。意味があると思へばあり、ないと思へばなく、生の激湍(げきたん)と
死の深淵とにふたつながら接し、野心と絶望を併せ蔵してゐる。ティボーデが、小説に
青年を書いて成功したものの少ないことを指摘してゐるのは、青春のかういふ特質に
よるのであらう。いはば深海魚が大気の中に引揚げられると変形されてしまふやうに、
青春の姿は、さういふ変形された形でしかとらへられぬものかもしれない。しかし青春も亦、
病気のやうに、一人一人がその中を生きるもので、いづれは治る病気ではあるけれど、
療法をあやまると、とりかへしのつかないことになる。
三島由紀夫「あとがき『青春をどう生きるか』」より 飛行機が美しく、自動車が美しいやうに、人体は美しい。女が美しければ、男も美しい。
しかしその美しさの性質がちがふのは、ひとへに機能がちがふからである。(中略)
機能に反したものが美しからう筈もなく、そこに残される手段は装飾美だけであるが、
文明社会では、男でも女でも、この機能美と装飾美の価値が巓倒してゐる。男の裸が
グロテスクなどといふ石原慎太郎の意見は、いかにも文明に毒された低級な俗見である。
三島由紀夫「機能と美」より
エロティシズムが本来、上はもつとも神聖なもの、下はもつとも卑賎なものまで、
自由につながつた生命の本質であることは、「古事記」を読めばよくわかることだが、
後世の儒教道徳が、その神聖なエロティシズムを忘れさせて、ただ卑賎なエロティシズムだけを、
日本人の心に与へつづけて来たのであつた。
三島由紀夫「バレエ『憂国』について」より わが国中世の隠者文学や、西洋のアベラアルとエロイーズの精神愛などは肉体から精神への
いたましい堕落と思はれる。精神が肉体の純粋を模倣しようとしてゐる。宗教に於ては
「基督のまねび」それは愛においても肉体のまねびであつた。近代以後さらにその精神の
純粋すら失はれて今日見るやうな世界の悲劇のかずかずが眼前にある。
三島由紀夫「精神の不純」より
われわれが住んでゐる時代は政治が歴史を風化してゆくまれな時代である。
古代には運命が、中世には信仰が、近代には懐疑が、歴史の創造力として政治以前に存在した。
ところが今では、政治以前には何ものも存在せず、政治は自然力の代弁者であり、
したがつて人間は、食あたりで床について下痢ばかりしてゐる無力な患者のやうに、
しばらく(であることを祈るが)彼自身の責任を喪失してゐる。
三島由紀夫「天の接近――八月十五日に寄す」より それがたとへどのやうな黄金時代であつても、その時代に住む人間は一様に、自分の
生きてゐる時代を「悪時代」と呼ぶ権利をもつてゐると私には考へられる。
あらゆる改革者には深い絶望がつきまとふ。しかし、改革者は絶望を言はないのである。
絶望は彼らの理想主義的情熱の根源的な力であるにもかかはらず、彼らの理想はその力の
根絶に向けられてゐるからである。
「絶望する者」のみが現代を全的に生きてゐる。絶望は彼らにとつて時代を全的に
生きようとする欲求であり、しかもこの絶望は生れながらに当然の前提として賦与へられた
ものではなく、偶発的なものである。なればこそかれらは「絶望」を口叫びつづける。
しかもこのやうな何ら必然性をもたない絶望が、彼らを在るが如く必然的に生きさせるのである。
三島由紀夫「美しき時代」より 人間の道徳とは、実に単純な問題、行為の二者択一の問題なのです。善悪や正不正は
選択後の問題にすぎません。道徳とはいつの場合も行為なんです。
自意識が強いから愛せないなんて子供じみた世迷ひ言で、愛さないから自意識がだぶついて
くるだけのことです。
三島由紀夫「一青年の道徳的判断」より
すぐれた芸術作品はすべて自然の一部をなし、新らしく創られた自然に他ならない。
地球上の人類は、全く未知の人同志が同じ瞬間に必ず息を引き取つてゐるといふ当然すぎるほど
当然な現象を、見て見ぬふりをしてをります。
運命的な愛こそは、人々の社会や国家や民族相互の愛の母胎をなし象徴をなすものである。
三島由紀夫「情死について――やゝ矯激な議論――」より 老夫妻の間の友情のやうなものは、友情のもつとも美しい芸術品である。
長い間続く親友同志の間には、必ず、外貌あるひは精神の、両性的対象がある。
三島由紀夫「女の友情について」より
文学に対する情熱は大抵春機発動期に生れてくるはしかのやうなものである。
われわれは人生を自分のものにしてしまふと、好奇心も恐怖もおどろきも喜びも忘れてしまふ。
思春期に於ては人生は夢みられる。われわれ生きることと夢みることと両方を同時に
やることができないのであるが、かういふ人間の不器用に思春期はまだ気づいてゐない。
思春期にある潔癖感は、多く自分を不潔だと考へることから生れてくる。かう考へることは
少年たちを安心させるが、それは自分がまだ人生から拒まれ排斥されてゐるといふ逆説的な
怠惰な安堵なのである。
思春期を殺してしまつた詩人といふものは考へられない。
三島由紀夫「文学に於ける春のめざめ」より 芸術はすべて何らかの意味で、その扱つてゐる素材に対する批評である。判断であり、
選択である。
文体をもたない批評は文体を批評する資格がなく、文体をもつた批評は(小林秀雄氏のやうに)
芸術作品になつてしまふ。
小説を総体として見るときに、批評家は読者の恣意の代表者として、それをどう解釈しようと
勝手であるが、技術を問題にしはじめたら最後、彼ははなはだ倫理的な問題をはなはだ
無道徳な立場で扱ふといふ宿命を避けがたい。
理解力は性格を分解させる。理解することは多くの場合不毛な結果をしか生まず、
愛は断じて理解ではない。
芸術家の才能には、理解力を滅殺する或る生理作用がたえず働いてゐる必要があるやうに思はれる。
三島由紀夫「批評家に小説がわかるか」より 人間は自分一人でゐるときでさへ、自分に対して気取りを忘れない。
男の虚栄心は、虚栄心がないやうに見せかけることである。
個性を超克するところにのみ生れる本当の美の領域では、虚栄心はほとんど用をなさない。
そこではただ献身だけが必要で、この美徳は芸術家と母性との共通点だ。
三島由紀夫「虚栄について」より
作家は末期の瞬間に自己自身になりきつた沈黙を味はふがために一生を語りつづけ喋りつづける。
安易に自己自身になりきれるかのやうな無数のわなからのがれるために、純粋な作家は
遠まはりを余儀なくされる。それも誰よりも遠い、一番遠い遠まはりを。――従つて
純粋な作家の方法論は、不純のかたまりでなければならぬ。さうでなければ、その純粋さは
贋ものである。一つの純粋さのために千の純粋さが犠牲にされねばならぬ。
三島由紀夫「極く短かい小説の効用」より あらゆる芸術作品は完結されない美であるが、もし万一完結されるときそれは犯罪と
なるのである。 犯罪、殊に殺人のやうな行為には、創造のもつ本質的な超倫理性の醜さが
見られ、犯人は人間の登場すべからざる「事実」の領域へ足を踏み入れたことによつて
罰せられるのだ。だからあらゆる犯罪者の信条には、何かきはめて健康なものがある。
三島由紀夫「画家の犯罪――Pen, Pencil and Poison の再現」より
ヨーロッパの芸術家はもつと無邪気に「私は天才です」と吹聴してゐる。自我といふものは
ナイーヴでなければ意味をなさない。
日本の新劇から教壇臭、教訓臭、優等生臭、インテリ的肝つ玉の小ささ、さういふものが
完全に払拭されないと芝居が面白くならない。そのためにはもつと歌舞伎を見習ふが
よいのである。演劇とはスキャンダルだ。
三島由紀夫「戯曲を書きたがる小説書きのノート」より 真の技術といふものはそれ自身一つの感動なのである。
歌舞伎とは魑魅魍魎の世界である。その美は「まじもの」の美でなければならず、
その醜さには悪魔的な蠱惑がなければならない。
三島由紀夫「中村芝翫論」より
歌舞伎の近代化といふはたやすい。しかし浅墓な古典の近代的解釈にだまされるやうなお客は
却つて近代人ですらないのだ。そんなのはもう古い。イヤサ、古いわえ。
美は犠牲の上に成立ち、犠牲を踏まへた生活の必死の肯定によつて維持され育まれる。
類型的であることは、ある場合、個性的であることよりも強烈である。
三島由紀夫「歌舞伎評」より 「後悔せぬこと」――これはいかなる時代にも「最後の者」たる自覚をもつ人のみが
抱きうる決心である。
三島由紀夫「跋(坊城俊民著「末裔」)」より
「子供らしくない部分」を除いたら「子供らしさ」もまた存在しえない。
大人が真似ることのできるのはいはゆる「子供らしさ」だけであり、子供の中の
「子供らしくない部分」は決して大人には真似られない部分である。
三島由紀夫「師弟」より
大学新聞にはとにかく野生がほしい。野生なき理想主義は、知性なきニヒリズムより
数倍わるくて汚ならしい。
三島由紀夫「野生を持て――新聞に望む」より 「商業」それも大規模な商業には、人間の集団とその生活がもたらす深い暮色の香りが
たゞよつてゐるやうな気がします。人間が大勢あつまると暮色がたゞよふのです。
インダストリーといふ雰囲気にはどこかメランコリックなものがあるね。
詩情をよびおこすものは消費面より生産面のはうが多いのではないか。
僕はビルディングの窓々にともる灯火よりも、工場街の灯火のはうに、深い郷愁を
そそるものがあるのを感じます。…昼のサイレンよりも、工場の作業開始のサイレンのはうが、
何故かしら僕のあこがれる世界に近かつたのです。そこでは又しても暗いどよめきの彼方に、
汚れた河口や、並立つ煙突や、曇つた空や、それらの象徴する漠たる人工の苦悩が
聳(そび)え立つてくるのでした。
三島由紀夫「インダストリー――柏原君への手紙」より 偽悪者たることは易しく、反抗者たり否定者たることはむしろたやすいが、あらゆる
外面的内面的要求に飜弄されず、自身のもつとも蔑視するものに万全を尽くすことは、
人間として無意味なことではない。「最高の偽善者」とはさういふことであり、物事が
決して簡単につまらなくなつたりしてしまはない人のことである。
人間は自由を与へられれば与へられるほど幸福になるとは限らない。
三島由紀夫「最高の偽善者として――皇太子殿下への手紙」より
理想は狂熱に、合理主義は打算に、食慾はお腹下しに、真面目は頑迷に、遊び好きは自堕落に、
意地悪はヒステリーに紙一重の美徳でありますから、その紙一重を破らぬためには、
やはり清潔な秩序の精神が、まばゆいほど真白なエプロンが、いつもあなたがたの生活の
シンボルであつてほしいと思ひます。
三島由紀夫「女学生よ白いエプロンの如くあれ」より 作家はどんな環境とも偶然にぶつかるものではない。
三島由紀夫「面識のない大岡昇平氏」より
理想主義者はきまつてはにかみやだ。
三島由紀夫「武田泰淳の近作」より
小説のヒーローまたはヒロインは、必然的に作者自身またはその反映なのである。
三島由紀夫「世界のどこかの隅に――私の描きたい女性」より
これつぽつちの空想も叶へられない日本にゐて、「先生」なんかになりたくなし。
三島由紀夫「作家の日記」より
私の詩に伏字が入る! 何といふ光栄だらう。何といふ素晴らしい幸運だらう。
三島由紀夫「伏字」より
小説家には自分の気のつかない悪癖が一つぐらゐなければならぬ。気がついてゐては、
それは悪でも背徳でもなく、何か八百長の悪業、却つてうすぼんやりした善行に近づいてしまふ。
三島由紀夫「ジイドの『背徳者』」より 簡潔とは十語を削つて五語にすることではない。いざといふ場合の収斂作用をつねに
忘れない平静な日常が、散文の簡潔さであらう。
三島由紀夫「『元帥』について」より
伝説や神話では、説話が個人によつて導かれるよりも、むしろ説話が個人を導くのであつて、
もともとその個人は説話の主題の体現にふさはしい資格において選ばれてゐるのである。
三島由紀夫「檀一雄の悲哀」より
物語は古典となるにしたがつて、夢みられた人生の原型になり、また、人生よりももつと
確実な生の原型になるのである。
三島由紀夫「源氏物語紀行――『舟橋源氏』のことなど」より
趣味はある場合は必要不可欠のものである。しかし必要と情熱とは同じものではない。
私の酒が趣味の域にとどまつてゐる所以であらう。
三島由紀夫「趣味的の酒」より
衒気(げんき)のなかでいちばんいやなものが無智を衒(てら)ふことだ。
三島由紀夫「戦後観客的随想――『ああ荒野』について」より われわれが孤独だといふ前提は何の意味もない。生れるときも一人であり、死ぬときも
一人だといふ前提は、宗教が利用するのを常とする原始的な恐怖しか惹き起さない。
ところがわれわれの生は本質的に孤独の前提をもたないのである。誕生と死の間に
はさまれる生は、かかる存在論的な孤独とは別箇のものである。
三島由紀夫「『異邦人』――カミュ作」より
君の考へが僕の考へに似てゐるから握手しようといふほど愚劣なことはない。それは
野合といふものである。われわれの考へは偶発的に、あるひは偶然の合致によつて
似、一致するのではなく、また、体系の諸部分の類似性によつて似るのではない。
われわれの考へは似るべくして似る。それは何ら連帯ではなく、共同の主義及至は理想でもない。
三島由紀夫「新古典派」より 左翼の人は「ファッシスト」と呼ぶことを最大の悪口だと思つてゐるから、これは
世間一般の言葉に飜訳すれば「大馬鹿野郎」とか「へうろく玉」程度の意味であらう。
ファッシズムの発生はヨーロッパの十九世紀後半から今世紀初頭にかけての精神状況と
切り離せぬ関係を持つてゐる。そしてファッシズムの指導者自体がまぎれもない
ニヒリストであつた。日本の右翼の楽天主義と、ファッシズムほど程遠いものはない。
暴力と残酷さは人間に普遍的である。それは正に、人間の直下に棲息してゐる。今日店頭で
売られてゐる雑誌に、縄で縛られて苦しむ女の写真が氾濫してゐるのを見れば、いかに
いたるところにサーディストが充満し、そしらぬ顔でコーヒーを呑んだり、パチンコに
興じたりしてゐるかがわかるだらう。
三島由紀夫「新ファッシズム論」より 女性は抽象精神とは無縁の徒である。音楽と建築は女の手によつてろくなものはできず、
透明な抽象的構造をいつもべたべたな感受性でよごしてしまふ。
実際芸術の堕落は、すべて女性の社会進出から起つてゐる。女が何かつべこべいふと、
土性骨のすわらぬ男性芸術家が、いつも妥協し屈服して来たのだ。あのフェミニストらしき
フランスが、女に選挙権を与へるのをいつまでも渋つてゐたのは、フランスが芸術の
何たるかを知つてゐたからである。
道徳の堕落も亦、女性の側から起つてゐる。男性の仕事の能力を削減し、男性を性的存在に
しばりつけるやうな道徳が、女性の側から提唱され、アメリカの如きは女のおかげで
惨澹たる被害を蒙つてゐる。悪しき人間主義はいつも女性的なものである。男性固有の
道徳、ローマ人の道徳は、キリスト教によつて普遍的か人間道徳へと曲げられた。
そのとき道徳の堕落がはじまつた。道徳の中性化が起つたのである。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より 一夫一婦制度のごときは、道徳の性別を無視した神話的こじつけである。女性はそれを固執する。
人間的立場から固執するのだ。女にかういふ拠点を与へたことが、男性の道徳を崩壊させ、
男はローマ人の廉潔を失つて、ウソをつくことをおぼえたのである。男はそのウソつきを
女から教はつた。キリスト教道徳は根本的に偽善を包んでゐる。それは道徳的目標を、
ありもしない普遍的人間性といふこと、神の前における人間の平等に置いてゐるからである。
これな反して、古代の異教世界においては、人間たれ、といふことは、男たれ、といふ
ことであつた。男は男性的美徳の発揚について道徳的責任があつた。なぜなら世界構造を
理解し、その構築に手を貸し、その支配を意志するのは男性の機能だからだ。男性から
かういふ誇りを失はせた結果が、道徳専門家たる地位を男性をして自ら捨てしめ、
道徳に対してつべこべ女の口を出させ、つひには今日の道徳的瓦解を招いたものと
私は考へる。一方からいふと、男は女の進出のおかげで、道徳的責任を免れたのである。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より (「危険な関係」の)ヴァルモンは、女性崇拝のあらゆる言辞を最高の誠実さを以てつらね、
女の心をとろかす甘言を総動員して、さて女が一度身を任せると、敝履(へいり)の如く
捨ててかへりみない。
…女に対する最大の侮蔑は、男性の欲望の本質の中にそなはつてゐる。女ぎらひの侮蔑などに
目くじら立てる女は、そのへんがおぼこなのである。
人間の文化はこの悲しみ(omne animal post coitum triste《なべての動物は性交のあとに
悲し》)、この無力感と死の予感、この感情の剰余物から生れたのである。したがつて
芸術に限らず、文化そのものがもともと贅沢な存在である。芸術家の余計者意識の根源は
そこにあるので、余計者たるに悩むことは、人間たるに悩むことと同然である。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より 男は取り残される。快楽のあとに、姙娠の予感もなく、育児の希望もなく、取り残される。
この孤独が生産的な文化の母胎であつた。したがつて女性は、芸術ひろく文化の原体験を
味はふことができぬのである。
私は芸術家志望の女性に会ふと、女優か女声歌手になるのなら格別、女に天才といふものが
理論的にありえないといふことに、どうして気がつかないかと首をひねらざるをえない。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より 文学とは、青年らしくない卑怯な仕業だ、といふ意識が、いつも私の心の片隅にあつた。
本当の青年だつたら、矛盾と不正に誠実に激昂して、殺されるか、自殺するか、すべきなのだ。
青年だけがおのれの個性の劇を誠実に演じることができる。
芸術家にとつて本当に重要な時期は、少年期、それよりもさらに、幼年期であらう。
肉体の若さと精神の若さとが、或る種の植物の花と葉のやうに、決して同時にあらはれない
ものだと考へる私は、青年における精神を、形成過程に在るものとして以外は、高く
評価しないのである。肉体が衰へなくては、本当の青年は生れて来ないのだ。私はもつぱら
「知的青春」なるものにうつつを抜かしてゐる青年に抱く嫌悪はここから生じる。
三島由紀夫「空白の役割」より 今日の時代では、青年の役割はすでに死に絶え、青年の世界は廃滅し、しかも古代希臘のやうに、
老年の智恵に青年が静かに耳傾けるやうな時代も、再びやつて来ない。孤独が今日の青年の
置かれた状況であつて、青年の役割はそこにしかない。それに誠実に直面して、そこから
何ものかを掘り出して来ること以外にはない。
青年のためにだけ在り、青年に本当にふさはしい世界は、行動の世界しかない。
三島由紀夫「空白の役割」
若い女性の「芸術」かぶれには、いかにもユーモアがなく、何が困るといつて、昔の長唄や
お茶の稽古事のやうな稽古事の謙虚さを失くして、ただむやみに飛んだり跳ねたりすれば、
それが芸術だと思ひこんでゐるらしいことである。芸術とは忍耐の要る退屈な稽古事なのだ。
そしてそれ以外に、芸術への道はないのである。
三島由紀夫「芸術ばやり――風俗時評」より 文士などといふ人種ほど、我慢ならぬものはない。ああいふ虫ケラどもが、愚にもつかぬ
ヨタ話を書きちらし、一方では軟派が安逸奢侈の生活を勤め、一方では左翼文士が斜視的
社会観を養つて、日本再建をマイナスすることばかり狂奔してゐる。
若造の純文学文士がしきりに呼号する「時代の不安」だの、「実存」(こんな日本語が
あるものか)だの、「カソリシズムかコミュニズムか」だの、青年を迷はすバカバカしい
お題目は、私にいはせれば悉く文士の不健康な生活の生んだ妄想だと思はれるのである。
三島由紀夫「蔵相就任の思ひ出――ボクは大蔵大臣」より
中年や老人の奇癖は滑稽で時には風趣もあるが、未熟な青年の奇癖といふものは、醜く、
わざとらしくなりがちだ。
三島由紀夫「あとがき(『若人よ蘇れ』)」より この世で最も怖ろしい孤独は、道徳的孤独であるやうに私には思はれる。
良心といふ言葉は、あいまいな用語である。もしくは人為的な用語である。良心以前に、
人の心を苛むものがどこかにあるのだ。
三島由紀夫「道徳と孤独」より
文化の本当の肉体的浸透力とは、表現不可能の領域をしてすら、おのづから表現の形態を
とるにいたらしめる、さういふ力なのだ。世界を裏返しにしてみせ、所与の存在が、
ことごとく表現力を以て歩む出すことなのだ。爛熟した文化は、知性の化物を生むだけではない。
それは野獣をも生むのである。
三島由紀夫「ジャン・ジュネ」より
その苦悩によつて惚れられる小説家は数多いが、その青春によつて惚れられる小説家は稀有である。
三島由紀夫「『ラディゲ全集』について」より 私は自分の顔をさう好きではない。しかし大きらひだと云つては嘘になる。自分の顔を
大きらひだといふ奴は、よほど己惚れのつよい奴だ。自分の顔と折合いをつけながら、
だんだんに年をとつてゆくのは賢明な方法である。
六千か七十になれば、いい顔だと云つてくれる人も現はれるだらう。
三島由紀夫「私の顔」
恥多き思ひ出は、またたのしい思ひ出でもある。
三島由紀夫「『恥』」より
映画には青少年に与へる悪影響も数々あらうが、映画は映画なりのカタルシスの作用を
持つてゐる。それが無害なものであるためには、できるだけ空想的であることがのぞましく、
大人の中にもあり子供の中にもある冒険慾が、何の遠慮もなく充たされるやうな荒唐無稽な
環境がなければならない。
私のいちばん嫌ひな映画といへば、それはいふまでもなく、あのホーム・ドラマといふ代物である。
三島由紀夫「荒唐無稽」より われわれが、お互ひにどんなに共感し共鳴しようと、相手の顔はわれわれの精神の外側に
あり、われわれ自身の顔はといふと、共感した精神のなかに没してしまつて、あたかも
存在しないかのやうであり、そこでこれに反して相手の顔は、いかにも存在を堂々と
主張してゐる不公平なものに思はれる。相手の顔に対する、われわれの要請は果てしれない。
だが、要するに、私は顔といふものを信じる。明晰さを愛する人間は、顔を、肉体を、
目に見えるままの素面を信じることに落ちつくものだ。といふのも、最後の謎、最後の
神秘は、そこにしかないからだ。
三島由紀夫「福田恆存氏の顔」より 知的なものと感性的なもの、ニイチェの言つてゐるアポロン的なものとディオニソス的な
もののどちらを欠いても理想的な芸術ではない。
芸術の根本にあるものは、人を普通の市民生活における健全な思考から目覚めさせて、
ギョッとさせるといふことにかかつてゐる。
ちやうどギリシャのアドニスの祭のやうに、あらゆる穫入れの儀式がアドニスの死から
生れてくるやうに、芸術といふものは一度死を通つたよみがへりの形でしか生命を
把握することができないのではないかといふ感じがする。さういふ点では文学も古代の
秘儀のやうなものである。収穫の祝には必ず死と破滅のにほひがする。しかし死と破滅も
そのままでは置かれず、必ず春のよみがへりを予感してゐる。
三島由紀夫「わが魅せられたるもの」より 立派な芸術は積木に似た構造を持ち、積木を積みあげていくやうなバランスをもつて
組立てられてゐるけれども、それを作るときの作者の気持は、最後のひとつの木片を
積み重ねるとたんにその積木細工は壊れてしまふ、さういふところまで組立てていかなければ
満足しない。積木が完全なバランスを保つところで積木をやめるやうな作者は、私は
芸術家ぢやないと思はれる。
最後の一片を加へることによつてみすみす積木が崩れることがわかつてゐながら、最後の
木片をつけ加へる。そして積木はガラガラと崩れてしまふのであるが、さういふふうな
積木細工が芸術の建築術だと私は思ふ。
三島由紀夫「わが魅せられたるもの」より この世界には美しくないものは一つもないのである。何らかの見地が、偏見ですら、
美を作り、その美が多くの眷族(けんぞく)を生み、類縁関係を形づくる。
幻想が素朴なリアリズムの足枷をはめられたままで思ふままにのさばると、かくも美に
背致したものが生れる。
三島由紀夫「美に逆らふもの」より
男性の色情が、いつも何らかの節片淫乱症(フェティシズム)にとらはれてゐるとすれば、
色情はつねに部分にかかはり、女体の「全体」の美を逸する。つまり、いかなる意味でも
「全体」を表現してゐるものは、色情を浄化して、その所有慾を放棄させ、公共的な美に
近づけるのである。
動物的であるとはまじめであることだ。笑ひを知らないことだ。一つのきはめて人工的な
環境に置かれて、女たちははじめて、自分たちの肉体が、ある不動のポーズを強ひられれば
強ひられるほど、生まじめな動物の美を開顕することを知らされる。それから突然、
彼女たちの肉体に、ある優雅が備はりはじめる。
三島由紀夫「篠山紀信論」より 日本ではいまだに啓蒙的なインテリゲンチアが、古い日本は悪であり、アジア的なものは
後退的であると思ひ込んでゐるのは、実に簡単な理由、日本人に植民地の経験がないからである。
又、進歩主義者の民族主義が、目前の政治的事象への反撥以外に、民衆に深い共感を
与へないのも、日本人に植民地の経験がないからである。この民族主義は東南アジアでは
怖るべき力になる。
資本主義国、社会主義国いづれを問はず、結局めざましい成功を収めた経済現象の背後には、
必ず政策の成功があり、政策の基礎には民族的エネルギーに富んだ「国民的生産力」が存在する。
三島由紀夫「亀は兎に追ひつくか?――いはゆる後退国の諸問題」より
今日、伝統といふ言葉は、ほとんど一種のスキャンダルに化した。
どんな時代が来ようと、己れを高く持するといふことは、気持のよいことである。
三島由紀夫「藤島泰輔『孤独の人』序」より 風俗といふやつは、仮名遣ひなどと同様、むやみに改めぬがよろしい。
三島由紀夫「きのふけふ 羽田広場」より
母親に母の日を忘れさすこと、これ親孝行の最たるものといへようか。
三島由紀夫「きのふけふ 母の日」より
現実はいつも矛盾してゐるのだし、となりのラジオがやかましいと非難しながら、やはり
家にだつてラジオの一台は必要だといふことはありうる。
三島由紀夫「きのふける 両岸主義」より
日本はここでアジア後進国にならつて、もう少し威厳とものわかりのわるさを発揮
できないものであらうか。ものわかりのよすぎる日本人はもう沢山。
三島由紀夫「きのふけふ 威厳」より
大衆に迎合して、大衆のコムプレックスに触れぬやうにビクビクして作られた喜劇などは、
喜劇の部類に入らぬ。
三島由紀夫「八月十五夜の茶屋」より
怖くて固苦しい先生ほど、後年になつて懐かしく、いやに甘くて学生におもねるやうな先生ほど、
早く印象が薄れるのは、教育といふものの奇妙な逆説であらう。
三島由紀夫「ドイツ語の思ひ出」より 作家にとつての文体は、作家のザインを現はすものではなく、常にゾルレンを現はすものだ。
一つの作品において、作家が採用してゐる文体が、ただ彼のザインの表示であるならば、
それは彼の感性と肉体を表現するだけであつて、いかに個性的に見えようともそれは
文体とはいへない。
三島由紀夫「自己改造の試み――重い文体と鴎外への傾倒」より
はじめからをはりまで主人公が喜び通しの長編小説などといふものは、気違ひでなければ書けない。
三島由紀夫「文字通り“欣快”」より
画家と同様、作家にも純然たる模写時代模倣時代、があつてよいので、どうせ模倣するなら
外国の一流の作家の模倣と一ト目でわかるやうな、無邪気な、エネルギッシュな失敗作が
ズラリと並んでゐてほしい。
運動の基本や練習の要領については、先輩の忠告が何より実になる筈だが、文学だつて、
少なくとも初歩的な段階では、スポーツと同じ激しい日々の訓練を経なければものに
ならないのである。
三島由紀夫「学習院大学の文学」より 芸術とは物言はぬものをして物言はしめる腹話術に他ならぬ。この意味でまた、芸術とは
比喩であるのである。物言はんとして物言ひうるものは物言はしておけばよい。
作品を読むことによつてその内容が読者の内的経験に加はるやうに、一人の女の肉体を
知ることはまた一瞬の裡にその女の生涯を夢みその女の運命を生きることでもある。
三島由紀夫「川端康成論の一方法――『作品』」より
神を持つ人種と、神を持たぬ人種との間に横たはる深淵は、芸術を以てしては越えられぬ。
それを越えうるものは信仰だけである。
三島由紀夫「小説的色彩論――遠藤周作『白い人・黄色い人』」より
芸術家が芸術と生活をキチンと仕分けることは、想像以上の難事である。芸術家は、
その生活までも芸術に引つぱりこまれる危険にいつも直面してゐる。
三島由紀夫「谷桃子さんのこと」より
人間は好奇心だけで、人間を見に行くことだつてある。
三島由紀夫「奥野健男著『太宰治論』評」より 歴史の欠点は、起つたことは書いてあるが、起らなかつたことは書いてないことである。
そこにもろもろの小説家、劇作家、詩人など、インチキな手合のつけ込むスキがあるのだ。
三島由紀夫「『鹿鳴館』について」より
オルフェは誰であつてもよい。ただ彼は詩に恋すればいいのだ。日本語では妙なことに
詩と死は同じ仮名である。
三島由紀夫「元禄版『オルフェ』について」より
恋が障碍によつてますます募るものなら、老年こそ最大の障碍である筈だが、そもそも
恋は青春の感情と考へられてゐるのであるから、老人の恋とは、恋の逆説である。
三島由紀夫「作者の言葉(『綾の鼓』)」より
かういふ箇所(自然描写)で長所を見せる堀氏は、氏自身の志向してゐたフランス近代の
心理作家よりも、北欧の、たとへばヤコブセンのやうな作家に近づいてゐる。人は自ら
似せようと思ふものには、なかなか似ないものである。
三島由紀夫「現代小説は古典たり得るか 『菜穂子』修正意見」より 世の中には完全に誤解されてゐながら、絶対に誤解されてゐないといふふうに世間に
思はれてゐる人もたくさんゐる。
人間は精神だけがあるのではなくて、肉体がなぜあるのかといふと、神様が人間はなかば
シャイネン(ふりをする)の存在だとしてゐるといふことを暗示してゐると思ふ。
ザイン(存在)だけのものになつたら、シャイネンがほんたうに要らない人間になる。
それならもう社会生活も放棄し、人間生活も放棄したはうがいい。どんなに誠実さうな
人間でも、シャイネンの世界に生きてゐる。だから僕が一番嫌ひなのは、芸術家らしく
見えるといふことだ。芸術家といふものは、本来シャイネンの世界の人間ぢやないのだから。
芸術家らしいシャイネンといふものは意味がない。それは贋物の芸術家にきまつてゐる。
芸術家らしいシャイネンといへば、頭髪を肩まで伸ばして、コール天の背広を着て
歩いてゐるといふのだらうが、そんなのは贋物の絵描きにきまつてゐる。
三島由紀夫「作家と結婚」より 花柳界ではいまだに奇妙な迷信がある。不景気のときは黄色の着物がはやり、また矢羽根の
着物がはやりだすと戦争が近づいてゐるといふことがいはれてゐる。…かうした慣習や迷信は、
女性が無意識に流行に従ひ、無意識に美しい着物を着るときに、無意識のうちに同時に
時代の隠れた動向を体現しようとしてゐることを示すものである。女の人の髪形や、
洋服の形の変遷も馬鹿にはできない。そこには時代精神の、ある隠された要求が動いて
ゐるかもしれないのである。
三島由紀夫「私の見た日本の小社会」より
知的なものは、たえず対極的なものに身をさらしてゐないと衰弱する。自己を具体化し
肉化する力を失ふのである。
三島由紀夫「ボクシングと小説」より
知己は意外なところに居るものであります。
三島由紀夫「私の商売道具」より
退屈な人間は狂人に似てゐる。
三島由紀夫「大岡昇平著『作家の日記』」より 世間とは何だらう。もつとも強大な敵であると共に、いや、それなればこそ、最終的には、
どうしても味方につけなければならないもの。さういふものと相渉るには、政治学だけでは
十分ではない。何か「世間」に負けない、つひには「世間」がこちらを嫉視せずには
ゐられないやうな、内的な価値と力が要る。魅惑(シヤルム)こそ世間に対する最後の
武器である。(中略)
美しい病気を(いくら美しくても、病気である限り、もともと人に忌み避けられるものを)
世間全般に伝播伝染させ、つひには健康な人間の自信をも喪失させ、病気になりたいと
願はせるまでもつてゆくこと。すなはち、自分一個の病気を時代病にまでしてしまふこと。
人は、虚偽を以てまごころを購ふことには十中八九失敗するが、まごころを以て虚偽を
購ふことには時あつて成功する。
三島由紀夫「序(丸山明宏著『紫の履歴書』)」より 日本近代知識人は、最初からナショナルな基盤から自分を切り離す傾向にあつたから、
根底的にデラシネ(根なし草)であり、大学アカデミズムや出版資本に寄生し、一方では
その無用性に自立の根拠を置きながら、一方では失はれた有用性に心ひそかに憧憬を寄せてゐる。
日本知識人が自己欺瞞に陥るくらゐなら、死んだはうがよからう、と嘲笑はれてゐる声を
きかなければ、知識人の資格はない。
知識人の唯一の長所は自意識であり、自分の滑稽さぐらいは弁えてゐなくてはならぬ。
命を賭けて守れぬやうな思想は思想と呼ぶに値しない。
三島由紀夫「新知識人論」より 知識人の任務は、そのデラシネ性を払拭して、日本にとつてもつとも本質的な「大義」が
何かを問ひつめてゐればよいのである。
…権力も反権力も見失つてゐる、日本にとつてもつとも大切なものを凝視してゐれば
よいのである。暗夜に一点の蝋燭の火を見詰めてゐればよいのである。断固として
動かないものを内に秘めて、動揺する日本の、中軸に端座してゐればよいのである。
私はこの端座の姿勢が、日本の近代知識人にもつとも欠けてゐたものであると思ふ。
三島由紀夫「新知識人論」より
ゲエテがかつて「東洋に憧れるとはいかに西欧的なことであらう」と申しましたが、
これを逆に申しますと「西欧に憧れるとはいかに東洋的なことであらう」ともいへるのです。
他への関心、他の文化、他の芸術への関心を含めて、他者への関心ほど人間を永久に
若々しくさせるものはありません。
三島由紀夫「日本文壇の現状と西洋文学との関係――ミシガン大学における講演」より 無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。無気力も、徹底すれば
徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。近ごろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。
たとへば情熱、たとへば理想、たとへば知性、……何でもかまはないが、人間によつて
価値づけられたもののかういふ体系を、誰も抜け出すことができない。逆を行けば
裏返しになるだけのことだ。
三島由紀夫「川端康成再説」より
現実といふものは、いろんな面を持つてゐる。火口を眺め下ろした富士の像は、現実暴露
かもしれないが、麓から仰いだ秀麗な富士の姿も、あくまで現実の一面であり一部である。
夢や理想や美や楽天主義も、やはり現実の一面であり一部であるのだ。
古代ギリシャ人は、小さな国に住み、バランスある思考を持ち、真の現実主義をわがものに
してゐた。われわれは厖大な大国よりも、発狂しやすくない素質を持つてゐることを、
感謝しなければならない。世界の静かな中心であれ。
三島由紀夫「世界の静かな中心であれ」より サドの文学はヒューマニズムで擁護される性質のものではない。また、芸術的見地から
弁護される性質のものではない。サドはこの世のあらゆる芸術の極北に位し、芸術による
芸術の克服であり、その筆はとつくに文学の領域を踏み越えてしまつてゐた。時代を経て
徐々にその毒素を失ふのが、あらゆる芸術作品の通例だが、サドほど、何百年を経ても
その毒素を失はない作家はなからう。それはあらゆる政治形態にとつての敵であり、
サドを容認する政府は、人間性を全的に容認する政府であつて、そんなものは政府の
埒外に在るから、政府は一日も存続しまい。つまりサドは芸術のみならず、政治に対しても、
政治による政治の克服、政治が政治を踏み越えることを要求せずにゐないのだ。
三島由紀夫「受難のサド」より
胃痛のときにはじめて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いて
ゐれば、存在を意識されるはずのものではなく、まして食卓の話題なんかになるべき
ものではない。政治家がちやんと政治をしてゐれば、カヂ屋はちやんとカヂ屋の仕事に
専念してゐられるのである。
三島由紀夫「一つの政治的意見」より 三島とかいうバカの着眼点はことごとく人間の本質からはずれてるな 主知主義の能力の限界は、人間が生の非連続性に耐へ得る能力の限界である。この限界を
究めようとする実験は、主知主義の側から、しばしば、且つ大規模に試みられたが、
ゆきつくところは、個人的な倫理の確立といふところに落ちつかざるをえない。
三島由紀夫「『エロチシズム』――ジョルジュ・バタイユ著 室淳介訳」より
実業人と文士のちがふところは、実業人は現実に徹しなければならないのだが、小説家は
この世の現実のほかのもう一つの現実を信じなければならぬといふことにあるのだらう。
そのもう一つの現実をどうやつて作り出すかといふと、その原料になるものは、やはり
少年時代の甘美な「文学へのあこがれ」しかない。その原料自体は、お粗末で無力な
ものであるが、それを精錬し、鍛へ、徐々に厚く鞏固に織り成して、はじめはフハフハした
靄にすぎぬものから、鉄も及ばぬ強靭な織物を作り出さねばならない。「人生は夢で
織られてゐる」とシェークスピアも言ふ。
その夢の原料は、やはり少年時代に、
つまりはあの汚ない、埃だらけの文芸部室にあつたと思ふのである。
三島由紀夫「夢の原料」より 作家の思想は哲学者の思想とちがつて、皮膚の下、肉の裡、血液の流れの中に流れなければ
ならない。
あるとき野球部に入つてゐる友だちが、肺浸潤の診断をうけて学校を休みだす直前、
かへりの電車の中で、突然私にかうきいた。
「君は sterben(死)する覚悟はあるかい?」
私は目の前が暗くなるやうな気がし、人生がひとつもはじまつてゐないのに、今死ぬのは
たまらない、といふ感じが痛切にした。
それから半年ほどのちその友だちは死んだ。(中略)
「君は sterben する覚悟はあるかい?」
といふ死んだ友人の言葉が又ひびいて来る。さうまともにきかれると、覚悟はないと
答へる他はないが、死の観念はやはり私の仕事のもつとも甘美な母である。
三島由紀夫「十八歳と三十四歳の肖像画」より 簡素、単純、素朴の領域なら、西洋が逆立ちしたつて、東洋にかなふわけはないのである。
三島由紀夫「オウナーの弁――三島由紀夫邸のもめごと」より
私は球戯一般を好まない。直接に打つたりたたいたり、ぢかな手ごたへのあるものでないと
興がわかない。見るスポーツもさうである。芸術にしろスポーツにしろ、社会の一般的に
許容しないところのものが、芸術でありスポーツであるが故に許される、といふのが
私の興味の焦点だ。
三島由紀夫「余暇善用――楽しみとしての精神主義」より
犬が人間にかみつくのではニュースにならない。人間が犬にかみつけばニュースになる。
ぼくら小説家は、いつも犬が人間にかみつくことに、かみついてゐるわけだ。
映画俳優は極度にオブジェである。
映画の匂ひをかいだり、少しでもその世界に足をふみ入れた人間には、なにか毒がある。
三島由紀夫「ぼくはオブジェになりたい」より
舞台の夜空に描きこまれたキラキラする金絵具の星のやうな、安つぽいロマンスこそ
女の心を永久に惹きつけるものだ。
三島由紀夫「『からっ風野郎』の情婦論」より 作家あるひは詩人は、現代的状況について、それを分析するよりも、一つの象徴的構図の下に
理解することが多い。それは多少夢の体験にも似てゐる。ところで犯罪者もこれに似て、
かれらも作家に似た象徴的構図を心に抱き、あるひはそのオブセッションに悩まされてゐる。
ただ作家とちがふところは、かれらは、ある日突然、自分の中の象徴的構図を、何らの
媒体なしに、現実の裡に実現してしまふのである。自分でもその意味を知ることなしに。
三島由紀夫「魔――現代的状況の象徴的構図」より
決して人に欺されないことを信条にする自尊心は、十重二十重の垣を身のまはりにめぐらす。
目がいつもよく利きすぎて物事に醒めてゐる人の座興や諧謔といふものは、ふつうでは
厭味なものだ。
三島由紀夫「友情と考証」より
作家にとつて、栄光といふものは、奇妙な疥癬(かいせん)みたいなもので、その痒みは
一種の快感であり、それをかくことは一種の快楽にほかならないが、それは仕方なしに
くつついて来たものにすぎない。
三島由紀夫「川端康成氏と文化勲章」より 人間は、自分のこととなれば、自分が実在するかどうかは大問題であつて、もし実在しない
といふ結論が出れば大変なことになるが、他人のこととなると、他人の実在如何は大して
気にかけないといふ性質がある。
われわれはめつたに会つたことのない遠い親戚なんかよりも、好きな小説の主人公のはうに
はるかに実在感を持つてゐる。
三島由紀夫「映画『潮騒』の想ひ出」より
青年の冒険を、人格的表徴とくつつけて考へる誤解ほど、ばかばかしいものはない。
三島由紀夫「堀江青年について」より
日本の芸能界では、憎まれたら最後、せつかくもつてゐる能力も発揮できなくなるおそれがある。
三島由紀夫「現代女優論――越路吹雪」より
一度自分の味はつた陶酔を人に伝へようとする努力は、奇妙に生理に逆行する。意気沮喪
するやうな努力である。
三島由紀夫「『花影』と『恋人たちの森』」より 三島作品は僕に文芸進化の行き止まりのようなものを連想させた。
遺伝子的後退。
間違えた方向に進んだまま後戻りできなくなった奇形生物。
進化のベクトルが消滅して、歴史の薄明りの中にあてもなく立ちすくんでいる孤児的生物。
時の溺れ谷。
それは誰のせいでもない。
誰が悪いと言うわけでもないし、誰にそれが救えると言うものでもない。
まずだいいちに三島は未成熟な思念を文章にするべきではなかったのだ。
過ちはまずそこから始まっていた。第一歩から、全てが間違っていた。
最初のボタンがかけ違えられ、それにあわせてすべてが致命的に混乱していた。
混乱を正そうとする試みはあらたな細かい混乱を生み出した。
そしてその結果、何もかもが少しずつ歪んで見えた。
そこにある何かをじっと見ようとすると、自然に首が何度か傾いてしまうのだ。
そのような歪み。
ずっとそこにいれば馴れてしまうのかも知れない歪み。
それに馴れてしまったら、今度はまともな世界を見るときに首を傾けることになる。 >>310
進歩だ、なんだかんだ言ってる大江健三郎みたいなのに奇形の子供が生まれてますよ。
ブサヨの自己紹介にしか見えませんが。 処女作とは、文学と人生の両方にいちばん深く足をつつこんでゐる。だから、それを
書いたあとの感想は、人生的感想によく似て来るのです。
三島由紀夫「『未青年』出版記念会祝辞」より
どんな芸術でも、根本には危機の意識があることは疑ひを容れまい。原始芸術にはこの危機が、
自然に対する畏怖の形でなまなましく現はれてゐたり、あるひはその反対に、自然を
呪伏するための極端な様式化になつて現はれてゐたりする。
三島由紀夫「危機の舞踊」より
青春が誤解の時期であるならば、自分の天性に反した文学的観念にあざむかれるほど、
典型的な青春はあるまい。またその荒廃の過程ほど典型的な荒廃はあるまい。しかも
そのあざむかれた自分を、一つの個性として全的に是認すること。……これは佐藤氏より
小さな規模で、今日われわれの周囲にくりかへされてゐる。
三島由紀夫「青春の荒廃――中村光夫『佐藤春夫論』」より
近代ヒューマニズムを完全に克服する最初の文学はSFではないか。
三島由紀夫「一S・Fファンのわがままな希望」より 嘘八百の裏側にきらめく真実もある。
三島由紀夫「『黒蜥蜴』について」より
二流のはうが官能的魅力にすぐれてゐる。
三島由紀夫「ギュスターヴ・モロオの『雅歌』――わが愛する女性像」より
人がやつてくれないなら、自分がやらねばならぬ。
三島由紀夫「ジャン・コクトオの遺言劇――映画『オルフェの遺言』」より
お客を怒らすことは必要だがナメることは禁物だ、といふのが、すべてのショウ・ビジネス
(古典から前衛にいたる)の鉄則だらう。
三島由紀夫「Four Rooms」より
顔と肉体は、俳優の宿命である。いつも思ふことだが、俳優といふものは、宿命を外側に
持つてゐる。一般人もある程度さうだが、文士などの場合は、その程度は殊に薄くて、
彼ははつきり宿命を内側に持つてゐる。これは職業の差などといふよりは、人間の
在り方の差で、宿命を外側に持つ人間と、内側に持つ人間との、両極端の代表的存在が、
俳優と文士といふものだらうと思はれる。
本当の芸の境地は、競争や戦ひの向うにある。
三島由紀夫「若尾文子讃」より 男らしさとは、対女性的観念ではなく、あくまで自律的な観念であつて、ここで
考へられてゐる男とは、何か青空へ向つて直立した孤独な男根のごときものである。
男らしさを企図する人間には、必ずファリック・ナルシシズムがある。
「男らしさ」といふことの価値には、一種の露出症的なものがあり、他人の賞賛が
必要なのである。
真に独創的な英雄といふものは存在しない。
あと何百万年たつても、女が男にかなはないものが二つある。それは筋肉と知性である。
三島由紀夫「私の中の“男らしさ”の告白」より
私の文学の母胎は、偉さうな西欧近代文学なんぞではなくて、もしかすると幼時に耽溺した
童話集なのかもしれない。目下SFに凝つてゐるのも、推理小説などとちがつて、それは
大人の童話だからだ。
三島由紀夫「こども部屋の三島由紀夫――ジャックと豆の木の壁画の下で」より 文学の勉強といふのは、とにかく古典を読むことに尽きるので、自国の古典に親しんだのち、
この世界文学の古典に親しめば、鬼に金棒である。
古典の面白さを一度味はつたら、現代文学なんかをかしくて読みなくなる危険がある。
三島由紀夫「小説家志望の少年に(『世界古典文学全集』推薦文)」
古典文学に親しむ機会の少なかつたことが、大正以後の日本文学にとつて、どれだけ
マイナスになつてゐるか。又、大正以後の知識人の思考の浅薄をどれだけ助長したかは、
今日、日ましに明らかになりつつある事実である。
三島由紀夫「時宜を得た大事業(『日本古典文学大系 第二期』推薦文)」より
文学だらうと、何だらうと、簡明が美徳でないやうな世界など、犬に食はれてしまふがいい。
文学が人の心を動かす度合は、享受者の些末な窄い関心事をのりこえて、文学独特の世界へ
引きずりこむだけの力を備へてゐるかどうかによつて測られる。
三島由紀夫「胸のすく林房雄氏の文芸時評」より 旅では、誰も知るやうに、思ひがけない喜びといふものは、思ひがけない蹉跌に比べると、
ほぼ百分の一、千分の一ぐらゐの比率でしか、存在しないものである。
私はいつも人間よりも風景に感動する。小説家としては困つたことかもしれないが、
人間は抽象化される要素を持つてゐるものとして私の目に映り、主としてその問題性によつて
私を惹きつけるのに、風景には何か黙つた肉体のやうなものがあつて、頑固に抽象化を
拒否してゐるやうに思はれる。自然描写は実に退屈で、かなり時代おくれの技法であるが、
私の小説ではいつも重要な部分を占めてゐる。
小説の制作の過程では、細部が、それまで眠つてゐた或る大きなものを目ざめさせ、
それ以後の構成の変更を迫ることが往々にして起る。したがつて、構成を最初に立てることは、
一種の気休めにすぎない。
三島由紀夫「わが創作方法」より 人のよい読者は、作家によつて書かれた小説作法といふものを、小説書き初心者のための
親切な入門書と思つて読むだらうが、それは概して、たいへんなまちがひである。
作家は他の現代作家の方法意識の欠如、甘つちよろさ、無知、増上慢、などに対する
限りない軽蔑から、自分の小説作法を書くであらう。
三島由紀夫「爽快な知的腕力――大岡昇平『現代小説作法』」より
自分に関するおしやべりが人を男らしくするといふことは、至難の業である。
三島由紀夫「アメリカ版大私小説―N・メイラー作 山西英一訳『ぼく自身のための広告』」より
いささかの誤解も生まないやうな芸術は、はじめから二流品である。
われわれは美の縁(へり)のところで賢明に立ちどまること以外に、美を保ち、それから
受ける快楽を保つ方法を知らないのである。
三島由紀夫「川端康成読本序説」より 大体、時代といふものは、自分のすぐ前の時代には敵意を抱き、もう一つ前の時代には
親しみを抱く傾きがある。
三島由紀夫「明治と官僚」より
日本人は、改革の情熱よりも、復興の情熱に適してゐるところがある。
三島由紀夫「幸せな革命」より
小さくても完全なものには、巨大なものには、求められない逸楽があり、必ずしも
偉大でなくても、小さく澄んだ崇高さがありうる。
三島由紀夫「宝石づくめの小密室」より
日本には妙な悪習慣がある。「何を青二才が」といふ青年蔑視と、もう一つは「若さが
最高無上の価値だ」といふ、そのアンチテーゼとである。私はそのどちらにも与しない。
小沢征爾は何も若いから偉いのではなく、いい音楽家だから偉いのである。
三島由紀夫「小沢征爾の音楽会をきいて」(昭和38年)より 猫は何を見ても猫的見地から見るでせうし、床屋さんは映画を見てもテレビを見ても、
人の頭ばかり気になるさうです。世の中に、絶対公平な、客観的な見地などといふものが
あるわけはありません。われわれはみんな色眼鏡をかけてゐます。そのおかげで、
われわれは生きてゐられるともいへるので、興味の選択ははじめから決つてをり、
一つ一つの些事に当つて選択を迫られる苦労もなく、それだけ世界はきれいに整備され、
生きるたのしみがそこに生じます。
しかし人生がそこで終ればめでたしですが、まだ先があります。同じ色眼鏡が、
ほかの人の見えない地獄や深淵をそこに発見させるやうになります。猫は猫にしか見えない
猫の地獄を見出し、床屋さんは床屋さんにしか見えない深淵を見つけ出します。
三島由紀夫「序(久富志子著『食いしんぼうママ』)」より ボクシングのいい試合を見てゐると、私はくわうくわうたるライトに照らされたリングの
四角の空間に、一つの集約された世界を見る。行動する人間にとつては、世界はいつも
こんなふうに単純きはまる四角い空間に他ならない。世界を、こんがらかつた複雑怪奇な
場所のやうに想像してゐる人間は、行動してゐないからだ。そこへ二人の行動家が登場する。
そしてもつとも単純化された、いはば、もつとも具体的で同時にもつとも抽象的な、
疑ひやうのない一つの純粋な戦ひが戦はれる。さういふときのボクサーには、完全な
人間とは本来かういふものではないか、と思はせるだけの輝きがある。
三島由紀夫「ウソのない世界――ひきつける野生の魅力」より
狂言の「釣狐」ではないけれど、狐はある場合は、敢然と罠に飛び込むことで、彼自身が
狐であることを実証する。それは狐の宿命、プロ・ボクサーの宿命のごときものであらう。
三島由紀夫「狐の宿命(関・ラモス戦観戦記)」より 日劇のストリップ・ショウの特別席は、大てい外人の観光客で占められてゐるが、鬼をも
とりひしぐ顔つきの老婆と居並んで、ぽかんと口をあけてストリップを見てゐる老紳士ほど、
哀れな感じのするものはない。ああいふのを見ると、私はいつも、西洋人の夫婦を
支配してゐる或る「性の苛烈さ」を感じてしまふのである。尤も御当人の身にしてみれば、
鬼のごとき老妻に首根つこをつかまへられながらストリップを見るといふ、一種の
醍醐味があるのかもしれない。
三島由紀夫「西洋人の夫婦」より
現代の人間が、自分の良心の力だけで自己の魂にベルトを締めることができるかどうか。
人間は、目で見えるもの、なにか形のあるものに直面することによつて魂をゆすぶられるんです。
だからカトリックの荘厳な儀式、祭服、音楽、彫刻といつたものは大切です。ヒンズーも
同様だが、生きてゐる宗教とはそんなものなんですよ。
日本文化の源流を求めりやみんな天竺へ行つてしまひますね。それは、もう、みんな
あすこにあります。
三島由紀夫「インドの印象」より 一体、赤紙の召集ぢやあるまいし、芝居の大事なお客さまを「動員」するなどといふのは、
失礼な話だ。
芝居のお客は、窓口で、個々人の判断で、切符を買つてくれる人が、あくまで本体である。
われわれ小説家の著書を、団体で売りさばくといふ話はきいたことがない。部数の大小に
かかはらず、われわれの本は、われわれの仕事に興味を持つてくれる人の手へ、直接に
流れてゆくのであつて、さういふ読者の支持によつて、はじめてわれわれの仕事も実を
結ぶのである。
芝居といふものは絵空事で、絵空事のうちに真実を描くのだ。
三島由紀夫「私がハッスルする時――『喜びの琴』上演に感じる責任」より
芝居はとにかく芝居なのであつて、それ以下のものでも、それ以上のものでもない。
芝居を「しばや」と発音するほどの年齢の人にも、楽しんでもらへるのが芝居といふものだ。
三島由紀夫「三島さんと『喜びの琴』」より 旅は古い名どころや歌枕を抜きにしては考へられない。
旅には、実景そのものの美しさに加へるに、古典の夢や伝統の幻や生活の思ひ出などの、
観念的な準備が要るのであつて、それらの観念のヴェールをとほして見たときに、
はじめて風景は完全になる。
ストリップこそわが古典芸能の源であり、女性美の根本である。
苦行の果てにはかならずすばらしい景色が待つてゐる。
観光地といへば、パチンコ屋とバーと土産物屋が蠅のやうにたかつて来てそこを真黒に
してしまふ大都市の周辺は、私に黒人共和国ハイチの不潔な市場を思ひ出させる。
いやに真黒なものばかり売つてゐるな、と思つて近づくと、それがみな食料品に隙間なく
たかつた蠅なのだ。しかしバーや土産物屋などの蠅よりも、一等始末のわるいのは、
音を出す拡声器といふ蠅である。
三島由紀夫「熊野路――新日本名所案内」より 「いやな感じ」といふのは、裏返せば「いい感じ」といふことである。
人間と世界に対する嫌悪の中には必ず陶酔がひそむことは、哲学者の生活体験からだけ
生れるわけではない。行為者も亦、そのやうにして世界と結びつく瞬間があるのだ。
三島由紀夫「いやな、いやな、いい感じ(高見順著『いやな感じ』)」より
異国趣味と夢幻の趣味とは、文学から力を失はせると共に、一種疲れた色香を添へるもので、
世界文学の中にも、二流の作品と目されるものの中に、かういふ逸品の数々があり、
さういふ文学は普遍的な名声を得ることはできないが、一部の人たちの渝(かは)らぬ
愛着をつなぎ、匂ひやかな忘れがたい魅力を心に残す。
学生に人気のある、甘い賑やかな感激家の先生には、却つて貧寒な、現実的な魂しか
備はつてゐないことが多い。
正確な無味乾燥な方法的知識のみが、夢へみちびく捷径(せふけい)である。
三島由紀夫「夢と人生」より 相手を自分より無限に高いものとして憧れる気持は、半ばこちらの独り合点である場合が多い。
それがわかつて幻滅を感じても、自分の中の、高いもの美しいもの、美しいものへ憧れた
気持は残る。
三島由紀夫「愛(エロス)のすがた――愛を語る」より
憧れるとは、対象と自分との同一化を企てることである。従つて、異性に向つて憧れる、
といふのは、言葉の矛盾のやうに思はれる。
三島由紀夫「わが青春の書――ラディゲの『ドルヂェル伯の舞踏会』」より
フランス人のドイツ恐怖はむしろ民衆の感性であつて、歴史上からも、フランス人は
ドイツに対する愛好心を貴族の趣味として伝へてきた。外交官でもあり、社交界に
精通したジロオドウの中には、このやうな貴族趣味が生き永らへてゐて、彼の親独主義は、
別に現実政治と見合つたものではない。いがみ合ひは民衆のやることであつて、
ドイツだらうが、フランスだらうが、貴族はみんな親戚なのだ。
三島由紀夫「ジークフリート管見――ジロオドウの世界」より 万物は落ち、あらゆる人間的な企図は人間の手から辷り落ちる。しかし落ちることのこの
スピードと快さと自然さに、人間の本質的な存在形態があることに詩人が気づくとき、
詩人はもはや天使の目ではなく、人間の目で人間を見てゐるのである。
三島由紀夫「跋(高橋睦郎著『眠りと犯しと落下と』)」より
時は移り、青春は移る。あるひは、文学は不変で、そこに描かれた青春も不変である。
三島由紀夫「(『われらの文学』推薦文)」より
本当に危険な作品は、感覚的な作品だ。どんな危険思想であつても、論理自体は社会的
タブーを犯さぬのであつて、サドのやうな非感覚的な作家の安全性はこの点にある。
これ(言語による言語からの脱出といふ自己撞着)を突破したのはアルチュール・
ランボオ唯一人だが、われわれが言語を一つの影像として定着するときに、われわれは
すでに自ら一つの脱出口を閉鎖したのである。
三島由紀夫「現代文学の三方向」より ものごとの表面ほど、多く語るものはない。
不安自体はすこしも病気ではないが、「不安をおそれる」といふ状態は病的である。
三島由紀夫「床の間には富士山を――私がいまおそれてゐるもの」より
すべてのスポーツには、少量のアルコールのやうに、少量のセンチメンタリズムが含まれてゐる。
三島由紀夫「『別れもたのし』の祭典――閉会式」より
美容整形も、因果物師も、紙一重のやうな気もする。因果物師とは、むかし見世物に出す
不具者ばかりを扱つた卑賎な仕事で、それだけならいいが、むかしの支那では、
子供のときから畸形をつくるために、人間を四角い箱に押しこめて、首と手足だけ出させて
育てたなどといふ奇怪な話が伝はつてゐる。美と醜とは両極端だが、実はそれほど
遠いものではない。
三島由紀夫「『美容整形』この神を怖れぬもの」より 蕗谷虹児氏の作品は幼ないころから親しんで来たものであるが、今度私の二十歳のときの作品「岬にての物語」を
出版するに当り、氏の画風ほど、この小説にふさはしいものはないと思はれたので、お願ひをして快諾を得た。
殊に口絵の百合の花束の少女像は、今や老境にをられるこの画家が、心の中深く秘めた美の幻を具現して
あますところがない。その少女のもつはかない美しさ、憂愁、時代遅れの気品、うつろひやすい清純、そして
どこかに漂ふかすかな「この世への拒絶」、「人間への拒絶」ほど、「岬にての物語」の女性像としてふさはしい
ものはないばかりでなく、おそらく蕗谷氏の遠い少年の日の原体験に基づいてゐるにちがひないこの美の
わがままな映像が、あたかも一人の画家が生涯忘れることのなかつた清らかさの記念として、私に深い感動を
与へたのである。
三島由紀夫「蕗谷虹児氏の少女像」より 小説を書くというのは、ことばの世界で自分の信ずる「あすのない世界」を書くことですね。そして、あすの
ない世界というのは、この現実にはありえない。戦争中はありえたかもしれないけれども、今はありえない。
今、われわれは、来週の水曜日に帝国ホテルで会いましょうという約束をするでしょう。戦争中は、来週の
水曜日に帝国ホテルで会いましょうといったって、会えるか会えないか、空襲でもあればそれまでなんで、
その日になってみなきゃ、わからない。それが、つまりぼくの文学の原質なのですけれども、今は、来週の水曜日、
帝国ホテルで会えること、ほぼ確実ですよね。そして文学は、ぼくのなかでは依然として、来週の水曜日、
帝国ホテルで会えるかどうかわからないという一点に、基準がある。それがぼくの、小説を書く根本原理です。
ぼくは文学では、そういう世界を、どうでも保っていくつもりです。それはぼくの悲劇理念なのです。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より 悲劇というのは、必然性と不可避性をもって破滅へ進んでゆく以外、何もない。人間が自分の負ったもの、
自分に負わされたもの、そういうもの全部しょって、不可避性と必然性に向かって進んでゆく。ところが現実生活は、
必然性と不可避性をほとんど避けた形で進行している。偶然性と可避性といいますか、そうして今の柔構造の
社会では、とくにそういうような、ハプニングと、それから、可避性といいますか、こうしなくてもいいんだ
ということ、そういうことで全部、実生活が規制されてしまう。
そうするとわれわれも、ある程度、その法則に則って生活しなくては生きられないわけですから。それで来週の
水曜日、帝国ホテルで会うということについても、ある程度、迂回作戦をとりながら、その現実に到達するために
努力する。ところが、芸術では、そんなことする必要はまったくないのですから、来週の水曜日、会えないところへ
しぼればいいわけですよね。ぼくにとっては、そういう世界が絶対、必要なのです。それがなければぼくは、
生きられない。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より (中略)
ぼくの小説があまりに演劇的だ、と批評する人もありますけれども、必然性の意図と不可避性の意図が、
ギリギリにしぼられていなければ、文学世界というもの、ぼくは築く気がしない。それはぼくの構想力の問題であり、
文体の問題でもあるんですが、あるいは、法律を勉強したのが多少、役にたっているかもしれません。犯罪が
起これば、これは刑事事件ですから、そこで刑事訴訟のプロセスが進行するわけでしょ。これは完全に、
必然性と不可避性の意図のなかに人間をとじこめてしまいますからね。そういうものがぼくにとっては、
ロマンティックな構想の原動力になるので、私の場合「小説」というものはみんな、演劇的なのです。わき目も
ふらず破滅に向かって突進するんですよね。そういう人間だけが美しくて、わき目をするやつはみんな、愚物か、
醜悪なんです。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より ヴァレリーもいってるように、作家というのは、作品の原因でなくて、作品の結果ですからね。自己に不可避性を
課したり、必然性を課したりするのは、なかば、作品の結果です。ですけれども、そういう結果は、ぼくはむしろ、
自分の“運命”として甘受したほうがいいと思います。それを避けたりなんかするよりも、むしろ、自分の
望んだことなんですから……。生活が芸術の原理によって規制されれば、芸術家として、こんな本望はない。
ぼくの生き方がいかに無為にみえようと、ばかばかしくみえようと、気違いじみてみえようと、それはけっきょく、
自分の作品が累積されたことからくる必然的な結果でしょう。ところがそれは、太宰治のような意味とは、
違うわけです。ぼくは芸術と生活の法則を、完全に分けて、出発したんだ。しかし、その芸術の結果が、生活に
ある必然を命ずれば、それは実は芸術の結果ではなくて、運命なのだ。というふうに考える。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より それはあたかも、戦争中、ぼくが運命というものを切実に感じたのと同じように、感ずる。つまり、運命を
清算するといいましょうか。そういうふうにしなければ、生きられない。運命を感じてない人間なんて、
ナメクジかナマコみたいに、気味が悪い。
…「新潮」の二月号に西尾幹二さんがとてもいい評論を書いている。芸術と生活の二元論というものを、私が
どういうふうに扱ったか、だれがどういうふうに扱ったかについて書いている。日本でいちばん理解しにくい考えは、
それなんですよね。それで、作品と生活との相関関係ということが、私小説の根本理念ですから、その相関関係を
断ち切ることは、絶対できない。私の場合は、作品における告白ももちろん重要ですけれども、実は告白自体が
フィクションになる。作品の世界は、さっきも申し上げたように、かくあるべき人生の姿ですからね。もし、
自分が作品に影響されてかくあるべき人生を実現できれば、こんないいことはないわけですけれども、逆に
そうなれないというのが、人生でしょ。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より そうなれないことが人生で、それでは、そうなれない人生をもっと問題にして、どうにもならんことを小説に
書けばいいではないか、という考え方も出てくると思う。しかし、ぼくは、それは絶対やりたくないですね。
死んでも、やりたくない。そういうことを書く作家というのが、きらいなのです。小島信夫の「抱擁家族」などと
いうのは、そうならない人生を一生懸命書いているわけです。そうなれない怨念を書くのが文学だとは、ぼくは
決して信じたくない。
文学というのは、あくまで、そうなるべき世界を実現するものだと信じている。告白といいますけれども、
告白も、かくあるべきだ、こうなりたいんだ、けれども、こうならなかったという、それを語るのが、告白であって、
告白と願望との関係は、ひと筋なわではゆかないと思いますよ。人はいつでも、告白するとき、うそをついて、
願望を織り込んでしまうと思うのです。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より (中略)
文学と関係のあることばかりやる人間は、堕落する。絶対、堕落すると思います。だから文学から、いつも
逃げてなければいけない。アルチュール・ランボオが砂漠に逃げたように……。それでも追っかけてくるのが、
ほんとうの文学で、そのときにあとについてこないのは、にせものの文学ですね。ぼくは作家というのは、
生活のなかでにせものの文学に、ばかな女にとり囲まれるように、とり囲まれていることが多いと思うのです。
だって、ふり払ったことがないから。自分が“もてる”と思ってますからね。
ところが、それをふり払って、砂漠の彼方に駈けだしたときに、そのあとをデートリッヒみたいに、はだしで
追いかけてくる女は、ほんとうの女ですよ。ぼくはそれが、ほんとの文学だと思います。ぼくの場合は、
できるだけ文学から逃げている。するとはだしで追っかけてきてくれる女がいる。それが、ぼくの文学です。
その女に、やさしくしますよ。そのときに、小説を書くわけですね。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より (中略)
ぼくはいつも、あとから自分の素質を発見するのですけれども、――ぼく、剣道なんて、けっしてうまく
ありませんけれども、剣道やる人間になるなんていうことは、昔は想像もしなかった。おなじことで、論理的能力を
発見するなんて、昔は想像もしなかった。だから、人間って、あきらめないでじっくりやっていれば、何か出て
くるんだと思うのです。自慢じゃないですが、英語の会話ができるようになったのは三十越してからですからね。
それまで英語でしゃべれなかった。アメリカへ行っても、ほんとに語学で不自由いたしました。三十ごろになって、
アメリカに半年くらいいてから、まあまあしゃべれるようになった。人間の能力なんていうものは、ほんとに、
早く決めてしまうことないと思いますね。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より (中略)
ぼくは、自由意志が最高度に発揮されたとき、選択するものは、決まっていると思う。それが源泉ですね。
その時、自由意志が、ほんとに正当なものを発見したと思うのです。ですから自由意志には、無限定な自由は
ないですね。自由意志は、さまざまな試行錯誤をくりかえしますけれども、自由意志が源泉を発見した時に初めて、
自由意志が、自由になるのだ、と思います。それまでは自由意志は、なにものかにとらわれていて、もっと
自由な何か、もっと広い世界を期待しているわけです。それが、ぼくは源泉だと思う。ヘルダーリンの
「帰郷(ハイムクンフト)」のいう、一種の恐ろしさですね。最もなつかしいもので、最も恐ろしいものです。
現代社会は、そういう、源泉に帰ることを妨げるように、社会全体の力が働いている。人間は源泉からたえず
遠ざかって、前へ、前へ、上すべりしてゆくように、社会構造ができている。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より たとえば、テレビ、初め映りの悪いテレビ、それがまた、映りのいいテレビ、カラー・テレビになる。現代社会は、
その機械と同じことで、次々と、改良されたものは与えられますけれども、改良された果てに何があるか、
それはなにも与えないで、ぼくらを、先へ、先へ、進めるでしょ。
でもぼくらは、テレビより、もっと遠くみえるものがあるはずです、いちばん前に。ぼくはほんとに、それが
自分の夢でないと思ったのは、インドへ行ってからですよ。…インドへ行って、人間の、
ほんとの能力というのはあったんだ、という感じを強くもった。テレビより、もっと遠くがみえるはずです。
それから、人の心も、もっとよくみえるはずですし、つまり、みたいと思うものは、百万里先だろうが、
みなければならない。みえなくしてしまったのは、“文明”ですよね。ぼくはそう思います。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より (中略)
目ですね。
ぼくは、源泉にはそれがあったはずだと思うのです、ぼくにだって。失っただけですね。
剣道なんかやってますと、(そんなこというほどの資格はぼくにありませんが)“観世音の目”ということ、
いいますね。全体をみなければいけない。相手の目を見たら、負けてしまう。まして、相手の剣尖を見たら
負けてしまう。そうではなくて、“観世音の目”は相手を上から下まで、完全に見てしまう目です。そういう目を
鍛錬し、養成することが、剣道の極意だといわれているのですが、ぼくはそれ、源泉に帰ることだと思います。
それから、ネコ。ネコが寝たあと、クッションならクッションの跡みますと、ネコの寝た形が、ちゃんとできている。
あれが、寝るということ、休むということの本当の形なのですね。人間の寝た跡はそんな形になっていませんよ。
しゃっちょこばってますわね。寝てもまだ、からだがこわばっている。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より ネコは寝れば、完全に、ぐにゃあっと、液体のようになってしまう。あれが源泉なのですね。それから、
運動でもそうです。運動で、巧緻性とか、迅速性、いろいろ申しますけれども、運動能力というのは本来、
人間にはすべてあるはずなのが、なくなってしまった。そして、からだをこうやって曲げても、手の指先が足に
つかないようになってしまう。これはもう、源泉から遠ざかってしまっているわけですね。
…ぼくは、自由なものは美だと思うし、自由は源泉のなかにしかないと思うのです。プラトンと同じで、
動くものが、美しい。ぼくは静止したものはきらいですから、美術品なんて、あまり好きではないですね。
動くものが、美しい。“動くもの”というのは、自由ですし、自由は、それは未来にはなくて、源泉のなかに
あるのだ、という感じがする。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より 25 :本当にあった怖い名無し:2010/11/18(木) 14:25:34 ID:jP1T7beKP
三島由紀夫は美輪を「金閣寺のように美しい」と形容したに違いない
26 :本当にあった怖い名無し:2010/11/18(木) 14:27:38 ID:FwzfGi7YO
美輪さん、信念があるから美しい。
男が女に化ける日本演劇の伝統様式を丸山はみごとに受けついでゐる。その伝統が時代に密着して花開いたのが
“丸山ブーム”の原因と考へる。
女形は、わづかにかぶきのジャンルにみられるだけで、新派でも早晩衰徴していくだらう。そのなかで
現代女形――丸山明宏の誕生は心づよい。西洋では“フィーメン・イン・パーソナリティー”といふ完全な
道化役者はゐるが、日本のやうな女形は、シェークスピア時代からさびれた。だから女形は日本のほこりで、
女形がなくなったらかぶきは消えてしまふとさへ断言できる。中村歌右衛門でもさうだが、丸山には女形特有の
我の強さ、意思の強さを猛烈に持つてゐる。よくいへば根性があるといふのか……。それだから彼の可能性は、
まだまだ発掘されるにちがひない。
三島由紀夫「可能性はまだまだ――現代の女形―丸山明宏」より さてこの主人公の女賊黒蜥蜴は、十九世紀風フランス大女優の役どころで、どこから見ても、tres tres grande dame
でなければならない。現存の女優では、エドウィージュ・フィエールなんかがこれに当るだらう。初演のときには、
水谷八重子さんがみごとな成果をあげた。水谷さんのもつ堂々たる風格と、「無関心の色気」ともいふべきものと、
その古風なハイカラ味とは、余人の追随すべからざる成果を示した。
さて、これを他の女優に求めようとしても、この日本の中にちよつと求められない。新配役による再演が永いこと
実現しなかつたのはこのためもあるが、先ごろ「毛皮のマリー」を見て、丸山明宏君の演技に私は瞠目した。
君とは旧知の仲だが、歌は天才的であつても、長いセリフをこれほど堂々とこなせるとは、正直に言つて、
想像もしてゐなかつたのである。容姿から言つたら、「黒蜥蜴」にピタリのことはわかつてゐたが、セリフで
作者を唸らせてくれるかどうか未知数だつたのである。
三島由紀夫「『黒蜥蜴』」より 「毛皮のマリー」で、丸山君は、長いセリフをみごとに構成し、一句一句を情感でふるはせながら、しかも強い
ハガネの裏打ちを施し、セリフが最後の頂点にいたると、噴出する悲劇的感情で観客の心をわしづかみにするといふ、
一種壮麗な技法を示した。おどろいたのは私ばかりではなかつた。演出の松浦竹夫氏も驚嘆し、二人で相談して、
実現をはかることになつた。そこへ今度松竹の重役になつた永山雅啓氏が、折よく手をさしのべてくれたのである。
もう一人の問題は、相手役の明智小五郎だつた。このダンディ、この理智の人、この永遠の恋人を演ずるには、
風貌、年恰好、技術で、とてもチンピラ人気役者では追ひつかない。種々勘考の末、天知茂君を得たのは大きな
喜びである。映画「四谷怪談」の、近代味を漂はせたみごとな伊右衛門で、夙に私は君のファンになつて
ゐたのであつた。
三島由紀夫「『黒蜥蜴』」より 最近東京空港で、米国務長官を襲つて未遂に終つた一青年のことが報道された。日本のあらゆる新聞が
この青年について罵詈ざんばうを浴せ、袋叩きにし、足蹴にせんばかりの勢ひであつた。(中略)
私はテロリズムやこの青年の表白に無条件に賛成するのではない。ただあらゆる新聞が無名の一青年をこれほど
口をそろへて罵倒し、判で捺したやうな全く同じヒステリカルな反応を示したといふことに興味を持つたのである。
左派系の新聞も中立系の新聞も右派系の新聞も同時に全く同じヒステリー症状を呈した。
かういふヒステリー症状は、ふつう何かを大いそぎで隠すときの症候行為である。この怒り、この罵倒の下に、
かれらは何を隠さうとしたのであらうか。
日本は西欧的文明国と西欧から思はれたい一心でこの百年をすごしてきたが、この無理なポーズからは何度も
ボロが出た。最大のボロは第二次世界対戦で出し切つたと考へられたが、戦後の日本は工業的先進国の列に入つて、
もうボロを出す心配はなく、外国人には外務官僚を通じて茶道や華道の平和愛好文化こそ日本文化であると
宣伝してゐればよかつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より 昭和三十六年、私がパリにゐたとき、たまたま日本で浅沼稲次郎の暗殺事件が起つた。浅沼氏は右翼の十七歳の
少年山口二矢によつて短剣で刺殺され、少年は直後獄中で自殺した。このとき丁度パリのムーラン・ルージュでは
Revue Japonais といふ日本人のレビューが上演されてをり、その一景に、日本の短剣の乱闘場面があつた。
在仏日本大使館は誤解をおそれて、大あわてで、その景のカットをレビュー団に勧告したのである。
誤解をおそれる、とは、ある場合は、正解をおそれるといふことの隠蔽である。私がいつも思ひ出すのは、
今から九十年前、明治九年に起つた神風連の事件で、これは今にいたるもファナティックな非合理な事件として
インテリの間に評判がわるく、外国人に知られなくない一種の恥と考へられてゐる。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より 約百名の元サムラヒの頑固な保守派のショービニストが起した叛乱であるが、彼らはあらゆる西洋的なものを憎み、
明治の新政府を西欧化の見本として敵視した。(中略)あらゆる西欧化に反抗した末、新政府が廃刀令を施行して、
武士の魂である刀をとりあげるに及び、すでにその地方に配置された西欧化された近代的日本軍隊の兵営を、
百名が日本刀と槍のみで襲ひ、結果は西洋製の小銃で撃ち倒され、敗残の同志は悉く切腹して果てたのである。
トインビーの「西欧とアジア」に、十九世紀のアジアにとつては、西欧化に屈服してこれを受け入れることによつて
西欧に対抗するか、これに反抗して亡びるか、二つの道しかなかつたと記されてゐる。正にその通りで、
一つの例外もない。日本は西欧化近代化を自ら受け入れることによつて、近代的統一国家を作つたが、その際
起つたもつとも目ざましい純粋な反抗はこの神風連の乱のみであつた。他の叛乱は、もつと政治的色彩が
濃厚であり、このやうに純思想的文化的叛乱ではない。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より 日本の近代化が大いに讃えられ、狡猾なほどに日本の自己革新の能力が、他の怠惰なアジア民族に比して
賞讃されるかげに、いかなる犠牲が払はれたかについて、西欧人はおそらく知ることが少ない。それについて
探究することよりも、西欧人はアジア人の魂の奥底に、何か暗い不吉なものを直感して、黄禍論を固執するはうを
選ぶだらう。しかし一民族の文化のもつとも精妙なものは、おそらくもつともおぞましいものと固く結びついて
ゐるのである。エリザベス朝時代の幾多の悲劇がさうであるやうに。……日本はその足早な、無理な近代化の
歩みと共に、いつも月のやうに、その片面だけを西欧に対して示さうと努力して来たのであつた。
そして日本の近代ほど、光りと影を等分に包含した文化の全体性をいつも犠牲に供してきた時代はなかつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より 私の四十年の歴史の中でも、前半の二十年は、軍国主義の下で、不自然なピューリタニズムが文化を統制し、
戦後の二十年は、平和主義の下で、あらゆる武士的なもの、激し易い日本のスペイン風な魂が抑圧されて来たのである。
そこではいつも支配者側の偽善が大衆一般にしみ込み、抑圧されたものは何ら突破口を見出さなかつた。
そして、失はれた文化の全体性が、均衛をとりもどさうとするときには、必ず非合理な、ほとんど狂的な事件が
起るのであつた。
これを人々は、火山のマグマが、割れ目から噴火するやうに、日本のナショナリズムの底流が、関歇的に
奔出するのだと見てゐる。ところが、東京空港の一青年のやうに見易い過激行動は、この言葉で片附けられるとしても、
あらゆる国際主義的仮面の下に、ナショナリズムが左右両翼から利用され、引張り凧になつてゐることは、
気づかれない。反ヴィエトナム戦争の運動は、左翼側がこのナショナリズムに最大限に訴へ、そして成功した
事例であつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より それはアナロジーとしてのナショナリズムだが、戦争がはじまるまで、日本国民のほとんどは、ヴィエトナムが
どこにあるかさへ知らなかつたのである。
ナショナリズムがかくも盛大に政治的に利用されてゐる結果、人々は、それが根本的には文化の問題であることに
気づかない。九十年前、近代的武器を装備した近代的兵営へ、日本刀だけで斬り込んだ百人のサムラヒたちは、
そのやうな無謀な行動と、当然の敗北とが、或る固有の精神の存在証明として必要だ、といふことを知つてゐた
のである。これはきはめて難解な思想であるが、文化の全体性が犯されるといふ日本の近代化の中にひそむ危険の、
最初の過激な予言になつた。われわれが現在感じてゐる日本文化の危機的状況は、当時の日本人の漠とした
予感の中にあつたものの、みごとな開花であり結実なのであつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より 僕らは嘗て在つたもの凡てを肯定する。そこに僕らの革命がはじまるのだ。僕らの肯定は諦観ではない。
僕らの肯定には残酷さがある。――僕らの数へ切れない喪失が正当を主張するなら、嘗ての凡ゆる獲得も亦
正当である筈だ。なぜなら歴史に於ける蓋然性の正義の主張は歴史の必然性の範疇をのがれることができないから。
僕らはもう過渡期といふ言葉を信じない。一体その過渡期をよぎつてどこの彼岸へ僕らは達するといふのか。
僕らは止められてゐる。僕らの刻々の態度決定はもはや単なる模索ではない。時空の凡ゆる制約が、僕らの目には
可能性の仮装としかみえない。僕らの形成の全条件、僕らをがんじがらめにしてゐる凡ての歴史的条件、――
そこに僕らはたえず僕らを無窮の星空へ放逐しようとする矛盾せる熱情を読むのである。決定されてゐるが故に
僕らの可能性は無限であり、止められてゐるが故に僕らの飛翔は永遠である。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より (中略)
新らしさが「発見」であるとするならば、発見ほど既存を強く意識させるものはない筈だ。発見は「既存」の
革命であるが、それは既存そのものの本質的な変化ではなく、既存の現象的相対的変化に他ならない。既存の
革命といふよりも、既存の意味の革命といふべきだ。(中略)
読者は僕らがなぜ革命を云はうとするのか訝(いぶ)かるかもしれない。しかし手始めに僕らは、革命といふ
概念の古さを修正しようとかかつてゐるのだ。十八世紀以来使ひ古されたこの陳腐な概念そのものに、革命を
与へることからはじまるのだ。(中略)
僕らは永遠への思慕を忘れかねて革命を欲求する。衝動のはげしさは革命の概念によつて盲目にされはしない。
熱情の血との併有。信仰と懐疑との美はしい共在。僕らは革命のスツルム・ウント・ドランクを通じて、無風帯を
留保しておくだらう。(中略)
熱情に対して、より低い次元の侵入を警戒せねばならない。あらゆる批判と警戒の冷水も、真の陶冶されたる熱情を
昂(たか)めこそすれ、決してもみ消してしまふものではない。むしろあらゆる冷血にも耐へうる熱情の強さに
僕らは誇りを感じるべきだ。(中略)
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より たえず高きを憧れる存在が同じくその存在にとつて本質的な他のものによつて掣肘される時醸し出される緊張は、
その存在から矛盾と衝突が取除かれ融和と協同のみが得られる所謂「完成」と之を比べる時、何れ劣らぬものを
もつてゐるのではあるまいか。形成とは本質的なるものの分裂とその対立緊張による刻々の決闘である。
結果たる勝敗を本質的なものとして固定的に考へるならそれは変様と過渡とにすぎぬが、併し真の普遍性と
永遠性は後者のなかに見出だされるかもしれないのだ。独創性は真の普遍性の海のなかでしか発見されぬ真珠である。
不変なるものは変様のうちにひそんでゐるかもしれない。僕らの若さはなるほど本質的なるものが分裂し互に
制約する点にもともと悲劇的なものであるといへるし、若さそれ自身が不吉であるとさへ感ぜられる。しかし
傍目には退屈なこの形成の過程は、それから生れ出る結果を俟(ま)つまでもなく、それがそのまま抽象されて
評価に耐へうる筈だ。未完的完結の形に於てその刹那刹那に終止する否定しがたい意味が見られる筈だ。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より その外見上の未熟と不完全とにも不拘(かかはらず)、(壮年老年の文学が表現によつて定型化されるなら)、
若年の文学は表現を掣肘せんとする凡ゆる時間的空間的因子によつて定型化されるであらう。いはゞそれは
ネガティヴな、これまた貴重な表現型式であるといはねばならない。若年の文学的作品はその言語的表現以前の
評価の基準となりうべき、或るかけがへのない不吉な「確かさ」に満ちてゐるものだ。
かくて僕らは若年の権利を提言する。「たゞ若年に可能性をのみ発掘しようとする努力に終るな。なぜなら我々の
最も陥りやすい信仰の誤謬は、存在そのものを信仰してゐるつもりでその存在の可能性のみを信仰してゐることに
存するのだから」かくの如く僕らは主張し警告することを憚るまい。(中略)
新らしい時代を築かうとする若年には夭折の運命がある。神の国を後にした古事記の王子(みこ)たちは、
凡て若くして刃に血ぬられた。彼等と共に矜り高くその道を歩むことを、恐らく僕らの運命も辞すまい。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「わが世代の革命」より 私が法廷で述べたことは、この映画の醜悪さは議論の余地がないこと、この映画の主題は(たとへば私の
映画「憂国」が、一定の政治状況下において、性が異常に美しく昂揚するのを描いたのとちやうど反対に)
一定の政治状況下において、性が極度に歪められ圧殺されるのを描いてゐること、性行為はそのやうな醜悪な
形でのみ描かれ、唯一の純情な恋人同士の間には性交が存在しないこと、能の居グセその他の様式を大胆に用ひ、
また長回しの技巧によつて、一時的な性的印象を政治的寓喩へ移行させる様式をはつきり意図してゐることであつた。
今も私のこのやうな考へに変はりはない。
すばらしく穢(きたな)らしい映画であるが、問題の米軍基地のそばを裸女が駆ける場面だけは、ふしぎに
美しい印象になつて残つてゐる。あそこには、何か壮烈なものがあつた。何もしひて、裸女を日本の象徴と
見立てなくても。
三島由紀夫「『黒い雪』裁判」より (中略)私は事文化に関しては、あらゆる清掃、衛生といふ考へがきらひである。蠅のゐないところで、
おいしい料理が生まれるわけがない。アメリカ文化を貧しくさせたものは、清教徒主義と婦人団体であつて、
日本精神はもつともつと性に関して寛容なのである。日本文化の伝統は、性的な事柄に関する日本的寛容の下に
発展してきたものである。教育ママ的清潔主義(ミュゾフォビー)は、外来文化の皮相な影響であるから、
武智氏のいはゆる「民族主義」作品が、教育ママに死刑を宣告されることは、いかにもありさうな事態であつた。
そして、政治的にも、保守と革新が、仲よく手を握る分野は、かかる教育ママ的清潔衛生思想の分野であつて、
現下日本で、イデオロギーを越えたもつとも甘い超党派理念は「偽善」である。「黒い雪」に目クジラを立てた
婦人層の何割かは「清潔」な美濃部都知事には安心して投票したにちがひない。(中略)
三島由紀夫「『黒い雪』裁判」より いくら「黒い雪」が穢らしくても、偽善よりはよほどマシである。映画も芸術の一種として、芸術のよいところは、
そこに呈示されてゐるものがすべてだといふことだ。芸術は、よかれあしかれ、露骨な顔をさらけ出してゐる。
それをつかまへて「お前は露骨だ」といふのはいけない。要するに、国家権力が人間の顔のよしあしを判断することは
遠慮すべきであるやうに、やはり芸術を判断するには遠慮がちであるべきである、といふのが私の考へである。
それが良識といふものであり、今度の判決はその良識を守つた。
この一線が守られないと、芸術に清潔なウットリするやうな美しさしか認めることのできない女性的暴力によつて、
いつかわが国の芸術は蹂躙されるにいたるであらう。われわれは、二度と西鶴や南北を生むことができなくなるであらう。
三島由紀夫「『黒い雪』裁判」より 伝播の速い世の中では、今日の独断も、明日の通念になる。あなたがロマンチストと言つて下さつた以上、明日から
私はロマンチストでとほりさうです。いづれにせよ、人がかぶれといふ帽子を、私は喜んでかぶるつもりです。
たとへそれが、あのルイ王がかぶらされたといふ三角帽子であつても。
ただ私の何とも度しがたい欠陥は、自分に関する最高の通念も、最低の通念も、同じやうに面白がることなのです。
これはほとんど私の病気です。おしまひにはいつもかう言ひたくなる。「何を言つてやがる。俺は実は俺ぢや
ないんだぞ」これが私の自負の根元であり、創作活動の根源です。そしてこれが、あらゆる通念を喜んで
受け入れる私の態度の原因なのです。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より 私は不断の遁走曲であり、しかも、いつも逃げ遅れてゐる者です。子供のころ、学校で集団でイタヅラをすると、
いつも逃げ遅れるのが、私ともう一人Kといふ生徒でした。そこで私とKはつかまつて、先生から、鉢合せの罰を
うけるのでした。こんな痛い刑罰はない。しかしKのオデコにはコブができないのに、私のオデコにだけは
コブができた。これが爾後、私の宿命となつたやうに思はれます。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より 聞くところによると、例の「風流夢譚」掲載のいきさつについて、中央公論の嶋中社長がその掲載を反対したにも
かかはらず、あたかもぼくが圧力かけて掲載させたやうに伝はつてゐるらしいんです。
これはとんでもない誤解で、推薦した事実さへない。第一、新人の原稿ならいざ知らず、深沢さんといへば
一本立ちの作家ですからね、だれそれの推薦なんてあり得ないぢやないですか。世間ではよく、ある出版社の
背後にはこれこれといふ作家がゐて、その作家の言ふことならきく、といふやうな考へを持つ人がゐるらしいが、
それは“編集権”の存在を知らない者の言ふことで、編集権を侵害しないといふモラルは、ぼく自身いつも
守つてきたはずだ。ただ例外があるとすれば、“文学賞”の審査員になつたときくらゐのものだらう。そのときだつて、
技術顧問的な役割で、作品の芸術的な判断以外の社会的な影響にまでは、タッチしないものだ。
三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」より かういふ事情を知つてゐれば、ぼくが「風流夢譚」を掲載するやうに圧力をかけたなんていふことがナンセンスだと
いふことがよくわかるはず。しかし、それにもかかはらずぼくの名が使はれたとすれば、それは一部の者が
苦しまぎれの逃げ口上に使つたのではないか。さう思へば使つた者にも同情の余地があるのだが、迷惑うけるのは
こちらだからね。ともかくふりかかつた火の粉ははらひ落としたいといふのが本音だ。この際、次第に
大きくなる風説――新聞雑誌でもそんな書き方をされてゐるんで――の誤解をときたい……。
(談)
三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」より 福田 浅田彰が言うように、あまり日本、日本と言わなくてもみんなそうなんだか
らというのもあるじゃない。倫理不在のだらしのない日本人のあり方、みたいな。
「あなたがたがおっしゃるように国が大事だと言うのはわかるけれど、日本人は
みんな弱虫ばかりなんだから、みんな最後に国家、国が助けろと言うに決まって
いる。そんな連中相手に国と言ってもしようがないですよ」と言うような、ね。
宮崎 それはあまりに正確無比過ぎて、かえってつまらない観測(笑)。
福田 正しい。でも、そんな弱虫じゃ嫌じゃん。まあ大体そうだけど。ちょっと批判
すると、すぐピーピー騒ぐし。
宮崎 何でこいつ生きてるんだろうとかって思いたくなるよね(笑)。
福田 でも浅田氏の言うとおりなんだよ。弱者のナショナリズム、こうしたルサンチ
マンによる無意識な弱者の糾合。これが僕は一番嫌なんだ。国家的なナショナリ
ズムの問題だってね、自虐史観と言われている史観にしても、そのカウンターパー
トである自由主義史観トカナントカにしても、結局どっちも被害者史観でしょう。国家
にイジメられたか、あるいは国際社会にイジメられたか、これまでの定説では日本
はおとしめられていたとか、位相の違いがあるにしろ、イジメられっ子の話でしょう。
イジメられっ子はキライでね、私は。
(『愛と幻想の日本主義』pp.17-18) 少しでも自動車をころがしてみた人なら、白バイの存在を意識しなかつたといふ人はあるまい。それは、
ゐませんやうにと神に祈るほどの存在であり、しかも、どこかにゐてくれなくては物足らない存在である。だから
ますますそれは、小イキな服装と小イキな白いオートバイと共に、神秘化される。悪人の目から見たところの
鞍馬天狗のやうな存在、善良な市民にちよつぴり悪人の気持を味はせてくれる存在である。その威厳、その美しさ、
その神速、その権力、一つとして羨望の的ならざるはない。白バイを怖がつたことのある人なら、必ず一度は、
白バイになつてみたいと思ふだらう。
三島由紀夫「私はこれになりたかつた――それは白バイの警官です」より 「葉隠」の恋愛は忍恋(しのぶこひ)の一語に尽き、打ちあけた恋はすでに恋のたけが低く、
もしほんたうの恋であるならば、一生打ちあけない恋が、もつともたけの高い恋であると
断言してゐる。
アメリカふうな恋愛技術では、恋は打ちあけ、要求し、獲得するものである。恋愛の
エネルギーはけつして内にたわめられることがなく、外へ外へと向かつて発散する。
しかし、恋愛のボルテージは、発散したとたんに滅殺されるといふ逆説的な構造をもつてゐる。
現代の若い人たちは、恋愛の機会も、性愛の機会も、かつての時代とは比べものにならぬほど
豊富に恵まれてゐる。しかし、同時に現代の若い人たちの心の中にひそむのは恋愛といふものの
死である。もし、心の中に生まれた恋愛が一直線に進み、獲得され、その瞬間に死ぬといふ
経過を何度もくり返してゐると、現代独特の恋愛不感症と情熱の死が起こることは
目にみえてゐる。若い人たちがいちばん恋愛の問題について矛盾に苦しんでゐるのは、
この点であるといつていい。
三島由紀夫「葉隠入門」より かつて、戦前の青年たちは器用に恋愛と肉欲を分けて暮らしてゐた。大学にはいると先輩が
女郎屋へ連れて行つて肉欲の満足を教へ、一方では自分の愛する女性には、手さへ
ふれることをはばかつた。
そのやうな形で近代日本の恋愛は、一方では売淫行為の犠牲のうへに成り立ちながら、
一方では古いピューリタニカルな恋愛伝統を保持してゐたのである。しかし、いつたん
恋愛の見地に立つと、男性にとつては別の場所に肉欲の満足の犠牲の対象がなければならない。
それなしには真の恋愛はつくり出せないといふのが、男の悲劇的な生理構造である。
「葉隠」が考へてゐる恋愛は、そのやうななかば近代化された、使ひ分けのきく、要領のいい、
融通のきく恋愛の保全策ではなかつた。そこにはいつも死が裏づけとなつてゐた。
恋のためには死ななければならず、死が恋の緊張と純粋度を高めるといふ考へが「葉隠」の
説いてゐる理想的な恋愛である。
三島由紀夫「葉隠入門」より おそるべき人生知にあふれたこの著者(山本常朝)は、人間が生だけによつて生きるものではないことを知つてゐた。
彼は、人間にとつて自由といふものが、いかに逆説的なものであるかも知つてゐた。そして人間が自由を
与へられるとたんに自由に飽き、生を与へられるとたんに生に耐へがたくなることも知つてゐた。
現代は、生き延びることにすべての前提がかかつてゐる時代である。平均寿命は史上かつてないほどに延び、
われわれの前には単調な人生のプランが描かれてゐる。青年がいはゆるマイホーム主義によつて、自分の小さな巣を
見つけることに努力してゐるうちはまだしも、いつたん巣が見つかると、その先には何もない。あるのはそろばんで
はじかれた退職金の金額と、労働ができなくなつたときの、静かな退職後の、老後の生活だけである。(中略)
戦後一定の理想的水準に達したイギリスでは、労働意欲が失はれ、それがさらには産業の荒廃にまで結びついてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より しかし、現代社会の方向には、社会主義国家の理想か、福祉国家の理想か、二つに一つしかないのである。
自由のはてには福祉国家の倦怠があり、社会主義国家のはてには自由の抑圧があることはいふまでもない。
人間は大きな社会的なヴィジョンを一方の心で持ちながら、そして、その理想へ向かつて歩一歩を進めながら、
同時に理想が達せられさうになると、とたんに退屈してしまふ。他方では、一人一人が潜在意識の中に、深い
盲目的な衝動をかくしてゐる。それは未来にかかはる社会的理想とは本質的にかかはりのない、現在の一瞬一瞬の
生の矛盾にみちたダイナミックな発現である。青年においては、とくにこれが端的な、先鋭な形であらはれる。
また、その盲目的な衝動が劇的に対立し、相争ふ形であらはれる。青年期は反抗の衝動と服従の衝動とを同じやうに
持つてゐる。これは自由への衝動と死への衝動といひかへてもよい。その衝動のあらはれが、いかに政治的な形を
とつても、その実それは、人間存在の基本的な矛盾の電位差によつて起こる電流のごときものと考へてよい。
三島由紀夫「葉隠入門」より 戦時中には、死への衝動は100パーセント解放されるが、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、完全に
抑圧されてゐる。それとちやうど反対の現象が起きてゐるのが戦後で、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、
100パーセント満足されながら、服従の衝動と死の衝動は、何ら満たされることがない。十年ほど前に、
わたしはある保守系の政治家と話したときに、日本の戦後政治は経済的繁栄によつて、すくなくとも青年の
生の衝動を満足させたかもしれないが、死の衝動についてはつひにふれることなく終はつた。しかし、青年の中に
抑圧された死の衝動は、何かの形で暴発する危険にいつもさらされてゐると語つたことがある。
(中略)
トインビーが言つてゐることであるが、キリスト教がローマで急に勢ひを得たについては、ある目標のために
死ぬといふ衝動が、渇望されてゐたからであつた。パックス・ロマーナの時代に、全ヨーロッパ、アジアにまで
及んだローマの版図は、永遠の太平を享楽してゐた。
三島由紀夫「葉隠入門」より 現代社会では、死はどういふ意味を持つてゐるかは、いつも忘れられてゐる。いや、忘れられてゐるのではなく、
直面することを避けられてゐる。ライナ・マリア・リルケは、人間の死が小さくなつたといふことを言つた。
人間の死は、たかだか病室の堅いベッドの上の個々の、すぐ処分されるべき小さな死にすぎなくなつてしまつた。
そしてわれわれの周辺には、日清戦争の死者をうはまはるといはれる交通戦争がたえず起こつてをり、人間の
生命のはかないことは、いまも昔も少しも変はりはない。ただ、われわれは死を考へることがいやなのである。
死から何か有効な成分を引き出して、それを自分に役立てようとすることがいやなのである。われわれは、
明るい目標、前向きの目標、生の目標に対して、いつも目を向けてゐようとする。そして、死がわれわれの生活を
じよじよにむしばんでいく力に対しては、なるたけふれないでゐたいと思つてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より このことは、合理主義的人文主義的思想が、ひたすら明るい自由と進歩へ人間の目を向けさせるといふ機能を
営みながら、かへつて人間の死の問題を意識の表面から拭ひ去り、ますます深く潜在意識の闇へ押し込めて、
それによる抑圧から、死の衝動をいよいよ危険な、いよいよ爆発力を内攻させたものに化してゆく過程を示してゐる。
死を意識の表へ連れ出すといふことこそ、精神衛生の大切な要素だといふことが閑却されてゐるのである。
しかし、死だけは、「葉隠」の時代も現代も少しも変はりなく存在し、われわれを規制してゐるのである。
その観点に立つてみれば、「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いはば同じことだといふことを「葉隠」は主張してゐる。われわれはけふ死ぬと
思つて仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
三島由紀夫「葉隠入門」より 西欧ではギリシャ時代にすでにエロース(愛)とアガペー(神の愛)が分けられ、エロースは肉欲的観念から発して、
じよじよに肉欲を脱してイデアの世界に参入するところの、プラトンの哲学に完成を見いだした。一方アガペーは、
まつたく肉欲と断絶したところの精神的な愛であつて、これは後にキリスト教の愛として採用されたものである。
(中略)
日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながつてゐる。もし女あるひは若衆に
対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変はりない。このやうなエロースと
アガペーを峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕の情」といふ名で呼ばれて、天皇崇拝の感情的基盤を
なした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊して
ゐるとはいへない。それは、もつとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に
一直線につながるといふ確信である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 一方では、死ぬか生きるかのときに、すぐ死ぬはうを選ぶべきだといふ決断をすすめながら、一方ではいつも
十五年先を考へなくてはならない。十五年過ぎてやつとご用に立つのであつて、十五年などは夢の間だといふことが書かれてゐる。
これも一見矛盾するやうであるが、常朝の頭の中には、時といふものへの蔑視があつたのであらう。時は人間を変へ、
人間を変節させ、堕落させ、あるひは向上させる。しかし、この人生がいつも死に直面し、一瞬一瞬にしか
真実がないとすれば、時の経過といふものは、重んずるに足りないのである。重んずるに足りないからこそ、
その夢のやうな十五年間を毎日毎日これが最後と思つて生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、
一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つときがくるのである。これが「葉隠」の説いてゐる生の哲学の
根本理念である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「葉隠」は、一面謙譲の美徳をほめそやしながら、一面人間のエネルギーが、エネルギー自体の原理に従つて、
大きな行動を成就するところに着目した。(中略)
もし、謙譲の美徳のみをもつて日常をしばれば、その日々の修行のうちから、その修行をのり越えるやうな
激しい行動の理念は出てこない。それが大高慢にてなければならぬといひ、わが身一身で家を背負はねばならぬと
いふことの裏づけである。彼はギリシャ人のやうにヒュブリス(傲慢)といふものの、魅惑と光輝とその
おそろしさをよく知つてゐた。
男の世界は思ひやりの世界である。男の社会的な能力とは思ひやりの能力である。武士道の世界は、一見
荒々しい世界のやうに見えながら、現代よりももつと緻密な人間同士の思ひやりのうへに、精密に運営されてゐた。
忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかはりに、無料の忠告なら湯水のごとくそそいで
惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることはめつたになく、人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、
恨みをかふことに終はるのが十中八、九である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 思想は覚悟である。覚悟は長年にわたつて日々確かめられなければならない。
長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べるが、時期はかならずしも選ぶことが
できない。それは向かうからふりかかり、おそつてくるのである。そして生きるといふことは向かうから、あるひは
運命から、自分が選ばれてある瞬間のために準備することではあるまいか。
戦士は敵の目から恥づかしく思はれないか、敵の目から卑しく思はれないかといふところに、自分の対面と
モラルのすべてをかけるほかはない。自己の良心は敵の中にこそあるのである。
いつたん行動原理としてエネルギーの正当性を認めれば、エネルギーの原理に従ふほかはない。獅子は荒野の
かたなにまで突つ走つていくほかはない。それのみが獅子が獅子であることを証明するのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より 合理的に考へれば死は損であり、生は得であるから、だれも喜んで死へおもむくものはゐない。合理主義的な
観念の上に打ち立てられたヒューマニズムは、それが一つの思想の鎧となることによつて、あたかも普遍性を
獲得したやうな錯覚におちいり、その内面の主体の弱みと主観の脆弱さを隠してしまふ。常朝がたえず非難して
ゐるのは、主体と思想との間の乖離である。
「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。
いまの恋愛はピグミーの恋になつてしまつた。恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ少ないほど恋愛は
イメージの広がりを失ひ、障害を乗り越える勇気を失ひ、社会の道徳を変革する革命的情熱を失ひ、その内包する
象徴的意味を失ひ、また同時に獲得の喜びを失ひ、獲得できぬことの悲しみを失ひ、人間の感情の広い振幅を失ひ、
対象の美化を失ひ、対象をも無限に低めてしまつた。恋は相対的なものであるから、相手の背丈が低まれば、
こちらの背丈も低まる。かくて東京の町の隅々には、ピグミーたちの恋愛が氾濫してゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より エゴティズムはエゴイズムとは違ふ。自尊の心が内にあつて、もしみづから持すること高ければ、人の言行などは
もはや問題ではない。人の悪口をいふにも及ばず、またとりたてて人をほめて歩くこともない。そんな始末に
おへぬ人間の姿は、同時に「葉隠」の理想とする姿であつた。
いまの時代は“男はあいけう、女はどきよう”といふ時代である。われわれの周辺にはあいけうのいい男に
こと欠かない。そして時代は、ものやはらかな、だれにでも愛される、けつして角だたない、協調精神の旺盛な、
そして心の底は冷たい利己主義に満たされた、さういふ人間のステレオタイプを輩出してゐる。「葉隠」は
これを女風といふのである。「葉隠」のいふ美は愛されるための美ではない。体面のための、恥づかしめられぬ
ための強い美である。愛される美を求めるときに、そこに女風が始まる。それは精神の化粧である。「葉隠」は、
このやうな精神の化粧をはなはだにくんだ。現代は苦い薬も甘い糖衣に包み、すべてのものが口当たりよく、
歯ごたへのないものがもつとも人に受け入れられるものになつてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より 常朝は、この人生を夢の間の人生と観じながら、同時に人間がいやおうなしに成熟していくことも知つてゐた。
時間は自然に人々に浸み入つて、そこに何ものかを培つていく。もし人がけふ死ぬ時に際会しなければ、そして
けふ死の結果を得なければ、容赦なくあしたへ生き延びていくのである。
(中略)一面から見れば、二十歳で死ぬも、六十歳で死ぬも同じかげろふの世であるが、また一面から見れば
二十歳で死んだ人間の知らない冷徹な人生知を、人々に与へずにはおかぬ時間の恵みであつた。それを彼は
「御用」と呼んでゐる。(中略)
彼にとつて身養生とは、いつでも死ねる覚悟を心に秘めながら、いつでも最上の状態で戦へるやうに健康を大切にし、
生きる力をみなぎり、100パーセントのエネルギーを保有することであつた。
ここにいたつて彼の死の哲学は、生の哲学に転化しながら、同時になほ深いニヒリズムを露呈していくのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「葉隠」の死は、何か雲間の青空のやうなふしぎな、すみやかな明るさを持つてゐる。それは現代化された形では、
戦争中のもつとも悲惨な攻撃方法と呼ばれた、あの神風特攻隊のイメージと、ふしぎにも結合するものである。
神風特攻隊は、もつとも非人間的な攻撃方法といはれ、戦後、それによつて死んだ青年たちは、長らく犬死の汚名を
かうむつてゐた。しかし、国のために確実な死へ向かつて身を投げかけたその青年たちの精神は、それぞれの
心の中に分け入れば、いろいろな悩みや苦しみがあつたに相違ないが、日本の一つながりの伝統の中に置くときに、
「葉隠」の明快な行動と死の理想に、もつとも完全に近づいてゐる。人はあへていふだらう。特攻隊は、いかなる
美名におほはれてゐるとはいへ、強ひられた死であつた。(中略)志願とはいひながら、ほとんど強制と同様な
方法で、確実な死のきまつてゐる攻撃へかりたてられて行つたのだと……。それはたしかにさうである。
では、「葉隠」が暗示してゐるやうな死は、それとはまつたく違つた、選ばれた死であらうか。わたしには
さうは思はれない。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「葉隠」は一応、選びうる行為としての死へ向かつて、われわれの決断を促してゐるのであるが、同時に、
その裏には、殉死を禁じられて生きのびた一人の男の、死から見放された深いニヒリズムの水たまりが横たはつてゐる。
人間は死を完全に選ぶこともできなければ、また死を完全に強ひられることもできない。たとへ、強ひられた死として
極端な死刑の場合でも、精神をもつてそれに抵抗しようとするときには、それは単なる強ひられた死ではなくなる
のである。また、原子爆弾の死でさへも、あのやうな圧倒的な強ひられた死も、一個人一個人にとつては
運命としての死であつた。われわれは、運命と自分の選択との間に、ぎりぎりに追ひつめられた形でしか、
死に直面することができないのである。そして死の形態には、その人間的選択と超人間的運命との暗々裏の相剋が、
永久にまつはりついてゐる。ある場合には完全に自分の選んだ死とも見えるであらう。自殺がさうである。
ある場合には完全に強ひられた死とも見えるであらう。たとへば空襲の爆死がさうである。
三島由紀夫「葉隠入門」より しかし、自由意思の極致のあらはれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、つひに自分で選んで
選び得なかつた宿命の因子が働いてゐる。また、たんなる自然死のやうに見える病死ですら、そこの病死に
運んでいく経過には、自殺に似た、みづから選んだ死であるかのやうに思はれる場合が、けつして少なくない。
「葉隠」の暗示する死の決断は、いつもわれわれに明快な形で与へられてゐるわけではない。(中略)
「葉隠」にしろ、特攻隊にしろ、一方が選んだ死であり、一方が強ひられた死だと、厳密にいふ権利はだれにも
ないわけなのである。問題は一個人が死に直面するといふときの冷厳な事実であり、死にいかに対処するかといふ
人間の精神の最高の緊張の姿は、どうあるべきかといふ問題である。
そこで、われわれは死についての、もつともむづかしい問題にぶつからざるをえない。われわれにとつて、
もつとも正しい死、われわれにとつてみづから選びうる、正しい目的にそうた死といふものは、はたしてあるので
あらうか。
三島由紀夫「葉隠入門」より 人間が国家の中で生を営む以上、そのやうな正しい目的だけに向かつて自分を限定することができるであらうか。
またよし国家を前提にしなくても、まつたく国家を超越した個人として生きるときに、自分一人の力で人類の
完全に正しい目的のための死といふものが、選び取れる機会があるであらうか。そこでは死といふ絶対の観念と、
正義といふ地上の現実の観念との齟齬が、いつも生ぜざるをえない。そして死を規定するその目的の正しさは、
また歴史によつて十年後、数十年後、あるひは百年後、二百年後には、逆転し訂正されるかもしれないのである。
「葉隠」は、このやうな煩瑣な、そしてさかしらな人間の判断を、死とは別々に置いていくといふことを考へてゐる。
なぜなら、われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ「葉隠」は、生きるか死ぬかと
いふときに、死ぬことをすすめてゐるのである。それはけつして死を選ぶことだとは言つてゐない。なぜならば、
われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。
三島由紀夫「葉隠入門」より われわれが生きてゐるといふことは、すでに何ものかに選ばれてゐたことかもしれないし、生がみづから
選んだものでない以上、死もみづから最終的に選ぶことができないのかもしれない。
では、生きてゐるものが死と直面するとは何であらうか。「葉隠」はこの場合に、ただ行動の純粋性を提示して、
情熱の高さとその力を肯定して、それによつて生じた死はすべて肯定している。それを「犬死などといふ事は、
上方風の打ち上りたる武道」だと呼んでゐる。死について「葉隠」のもつとも重要な一節である。「武士道といふは、
死ぬ事と見付けたり」といふ文句は、このやうな生と死のふしぎな敵対関係、永久に解けない矛盾の結び目を、
一刀をもつて切断したものである。「図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。
二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり」
図に当たるとは、現代のことばでいへば、正しい目的のために正しく死ぬといふことである。その正しい
目的といふことは、死ぬ場合にはけつしてわからないといふことを「葉隠」は言つてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」、生きてゐる人間にいつも理屈がつくのである。
そして生きてゐる人間は、自分が生きてゐるといふことのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。
したがつて「葉隠」は、図にはづれて生きて腰ぬけになるよりも、図にはづれて死んだはうがまだいいといふ、
相対的な考へ方をしか示してゐない。「葉隠」は、けつして死ぬことがかならず図にはづれないとは言つてゐない
のである。ここに「葉隠」のニヒリズムがあり、また、そのニヒリズムから生まれたぎりぎりの理想主義がある。
われわれは、一つの思想や理論のために死ねるといふ錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示してゐるのは、
もつと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さへも、人間の死としての尊厳を持つてゐるといふことを
主張してゐるのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじない
わけにいくだらうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より 桜田門外の変は、徳川幕府の権威失墜の一大転機であつた。十八列士のうち、ただ一人の薩摩藩士としてこれに
加はり、自ら井伊大老の首級をあげ、重傷を負うて自刃した有村次左衛門は、そのとき二十三歳だつた。(中略)
維新の若者といへば、もちろん中にはクヅもゐたらうが、純潔無比、おのれの信ずる行動には命を賭け、
国家変革の情熱に燃えた日本人らしい日本人といふイメージがうかぶ。かれらはまづ日本人であつた。
そこへ行くと、国家変革の情熱には燃えてゐるかもしれないが、全学連の諸君は、まつたく日本人らしく思はれない。
かれらの言葉づかひは、全然大和言葉ではない。又、あのタオルの覆面姿には、青年のいさぎよさは何も感じられず、
コソ泥か、よく言つても、大掃除の手つだひにゆくやうである。あんなものをカッコイイと思つてゐる青年は、
すでに日本人らしい美意識を失つてゐる。いはゆる「解放区」の中は、紙屑だらけで、不潔をきはめ、
神州清潔の民はとてもあんな解放区に住めたものではないから、きつと外国人を住まはせるための地域を
解放区といふのであらう。
三島由紀夫「維新の若者」より 鉄の性質はまことにふしぎで、少しづつその重量を増すごとに、あたかも秤のやうに、その一方の秤皿の上に
置かれた私の筋肉の量を少しづつ増してくれるのだつた。まるで鉄には、私の筋肉との間に、厳密な平衡を保つ
義務があるかのやうだつた。そして少しづつ私の筋肉の諸性質は、鉄との類似を強めて行つた。この徐々たる経過は、
次第に難しくなる知的生産物を脳髄に与へることによつて、脳を知的に改造してゆくあの「教養」の過程に
すこぶる似てゐた。そして外的な、範例的な、肉体の古典的理想形がいつも夢みられてをり、教養の終局の目的が
そこに存する点で、それは古典主義的な教養形成によく似てゐたのである。
しかし、本当は、どちらがどちらに似てゐたのであらうか? 私はすでに言葉を以て、肉体の古典的形姿を模さうと
試みてゐたではないか。私にとつては、美はいつも後退りをする。かつて在つた、あるひはかつて在るべきで
あつた姿しか、私にとつては重要でない。鉄塊は、その微妙な変化に富んだ操作によつて、肉体のうちに失はれ
かかつてゐた古典的均衡を蘇らせ、肉体をあるべきであつた姿に押し戻す働らきをした。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 私は鉄を介して、筋肉に関するさまざまなことを学んだ。それはもつとも新鮮な知識であり、書物も世故も決して
与へてくれることのない知識であつた。筋肉は、一つの形態であると共に力であり、筋肉組織のおのおのは、
その力の方向性を微妙に分担し、あたかも肉で造り成された光りのやうだつた。
力を内包した形態といふ観念ほど、かねて私が心に描いてゐた芸術作品の定義として、ふさはしいものはなかつた。
そしてそれが光り輝やいた「有機的な」作品でなければならぬ、といふこと。
さうして作られた筋肉は、存在であることと作品であることを兼ね、逆説的にも、一種の抽象性をすら帯びてゐた。
言語芸術の栄光ほど異様なものはない。それは一見普遍化を目ざしながら、実は、言葉の持つもつとも本源的な機能を、
すなはちその普遍妥当性を、いかに精妙に裏切るか、といふところにかかつてゐる。文学における文体の勝利とは、
そのやうなものを意味してゐるのである。古代の叙事詩の如き綜合的な作品は別として、かりにも作者の名の
冠せられた文学作品は、一つの美しい「言語の変質」なのであつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より みんなの見る青空、神輿の担ぎ手たちが一様に見るあの神秘な青空については、そもそも言語表現が可能なので
あらうか?
私のもつとも深い疑問がそこにあつたことは前にも述べたとほりであり、鉄を介して、私が筋肉の上に見出したものは、
このやうな一般性の栄光、「私は皆と同じだ」といふ栄光の萌芽である。鉄の苛酷な圧力によつて、筋肉は徐々に、
その特殊性や個性(それはいづれも衰退から生じたものだ)を失つてゆき、発達すればするほど、一般性と普遍性の
相貌を帯びはじめ、つひには同一の雛型に到達し、お互ひに見分けのつかない相似形に達する筈なのである。
その普遍性はひそかに蝕まれてもゐず、裏切られてもゐない。これこそ私にとつてもつとも喜ばしい特性と言へる
ものだつた。
そこに、これほど目にも見え、手にも触れられる筋肉といふものの、独自の抽象性がはじまるのである。(中略)
筋肉はわれわれが通例好加減に信じてゐる存在の感覚を噛み砕き、それを一つの透明な力の感覚に変へてしまつてゐた。
これこそ私が、その抽象性と呼ぶところのものである。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 私の筋肉が徐々に鉄との相似を増すやうに、われわれは世界によつて造られてゆくのであるが、鉄も世界も
それ自身存在感覚を持つてゐる筈もないのに、愚かな類推から、しらずしらず鉄や世界も存在感覚を持つてゐるやうに
われわれは錯覚してしまふ。(中略)かくてわれわれの存在感覚は対象を追ひ求め、いつはりの相対的世界にしか
住むことができないのである。
筋肉は鉄を離れたとき絶対の孤独に陥り、その隆々たる形態は、ただ鉄の歯車と噛み合ふやうに作られた歯車の形に
すぎぬと感じられた。涼風の一過、汗の蒸発、……それと共に消える筋肉の存在。……しかし、筋肉はこのとき
もつとも本質的な働らきをし、人々の信じてゐるあいまいな相対的な存在感覚の世界を、その見えない逞しい歯列で
噛み砕き、何ら対象の要らない、一つの透明無比な力の純粋感覚に変へるのである。もはやそこには筋肉すら
存在せず、私は透明な光りのやうな、力の感覚の只中にゐた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 想像力といふ言葉によつて、いかに多くの怠け者の真実が容認されてきたことであらうか。肉体をそのままにして、
魂が無限に真実に近づかうと逸脱する不健全な傾向を、想像力といふ言葉が、いかに美化してきたことであらうか。
他人の肉体の痛みをわが痛みの如く感ずるといふ、想像力の感傷的側面のおかげで、人はいかに自分の肉体の痛みを
避けてきたことであらうか。又、精神的な苦悩などといふ、価値の高低のはなはだ測りにくいものを、想像力が
いかに等しなみに崇高化してきたことであらうか。そして、このやうな想像力の越権が、芸術家の表現行為と
共犯関係を結ぶときに、そこに作品といふ一つの「物」の擬制が存在せしめられ、かうした多数の「物」の介在が、
今度は逆に現実を歪め修正してきたのである。その結果は、人々はただ影にしか接触しないやうになり、自分の
肉体の痛みと敢て親しまないやうになるであらう。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 拳の一閃、竹刀の一打の彼方にひそんでゐるものが、言語表現と対極にあることは、それこそは何かきはめて
具体的なもののエッセンス、実在の精髄と感じられることからもわかつた。それはいかなる意味でも影ではなかつた。
拳の彼方、竹刀の剣尖の彼方には、絶対に抽象化を拒否するところの、(ましてや抽象化による具象表現を全的に
拒否するところの)、あらたかな実在がぬつと頭をもたげてゐた。
そこにこそ行動の精髄、力の精髄がひそんでゐると思はれたが、それといふのも、その実在はごく簡単に「敵」と
呼ばれてゐたからである。
拳の一閃、竹刀の一打のさきの、何もない空間にひそんで、じつとこちらを見返すところの、敵こそは「物」の
本質なのであつた。イデアは決して見返すことがなく、物は見返す。言語表現の彼方には、獲得された擬制の
物(作品)を透かしてイデアが揺曳し、行動の彼方には、獲得された擬制の空間(敵)を透かして物が揺曳する筈だ。
そしてその物とは、行動家にとつて、想像力の媒介なしに接近を迫られるところの死の姿であり、いはば闘牛士に
とつての黒い牡牛なのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄」より あらゆる英雄主義を滑稽なものとみなすシニシズムには、必ず肉体的劣等感の影がある。英雄に対する嘲笑は、
肉体的に自分が英雄たるにふさはしくないと考へる男の口から出るに決まつてゐる。(中略)私はかつて、彼自身も
英雄と呼ばれてをかしくない肉体的資格を持つた男の口から、英雄主義に対する嘲笑がひびくのをきいたことがない。
シニシズムは必ず、薄弱な筋肉か過剰な脂肪に関係があり、英雄主義と強大なニヒリズムは、鍛へられた筋肉と
関係があるのだ。なぜなら英雄主義とは、畢竟するに、肉体の原理であり、又、肉体の強壮と死の破壊との
コントラストに帰するからであつた。
肉体を用ひて究極感覚を追求しようとするときに勝利の瞬間はつねに感覚的に浅薄なものでしかなかつた。
敵とは、「見返す実在」とは、究極的には死に他ならない。誰も死に打ち克つことができないとすれば、勝利の
栄光とは、純現世的な栄光の極致にすぎない。そのやうな純現世的な栄光ならば、われわれは言語芸術の力を
以てしても、多少類似のものを獲得できないわけではない。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 私は言葉とどのやうにして附合つてきたであらうか。
すでに私は私の文体を私の筋肉にふさはしいものにしてゐたが、それによつて文体は撓(しな)やかに自在になり、
脂肪に類する装飾は剥ぎ取られ、筋肉的な装飾、すなはち現代文明の裡では無用であつても、威信と美観のためには
依然として必要な、さういふ装飾は丹念に維持されてゐた。私は単に機能的な文体といふものを、単に感覚的な
文体と同様に愛さなかつた。(中略)
もちろんそれは日に日に時代の好尚から背いて行つた。私の文体は対句に富み、古風な堂々たる重味を備へ、
気品にも欠けてゐなかつたが、どこまで行つても式典風な壮重な歩行を保ち、他人の寝室をもその同じ歩調で
通り抜けた。私の文体はつねに軍人のやうに胸を張つてゐた。そして、背をかがめたり、身を斜めにしたり、
膝を曲げたり、甚だしいのは腰を振つたりしてゐる他人の文体を軽蔑した。
姿勢を崩さなければ見えない真実がこの世にはあることを、私とて知らぬではない。しかしそれは他人に委せて
おけばすむことだつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 軽々しく予言はしてはならない。予言した本人が窮地に立たされる 私は何より敗北を嫌つた。自分が侵蝕され、感受性の胃液によつて内側から焼けただれ、つひには輪郭を失ひ、融け、
液化してしまふこと、又自分をめぐる時代と社会とがさうなつてしまふこと、それに文体を合せてゆくほどの敗北が
あるだらうか。
芸術作品といふものは、皮肉なことに、そのやうな敗北と、精神の死の只中から、傑作を成就することがあるのは
よく知られてゐる。一歩しりぞいて、この種の傑作を芸術の勝利とみとめるにしても、それは戦ひなき勝利であり、
芸術独特の不戦勝なのであつた。私が求めるのは、勝つにせよ、負けるにせよ、戦ひそのものであり、戦はずして
敗れることも、ましてや、戦はずして勝つことも、私の意中にはなかつた。一方では、私は、あらゆる戦ひと
いふものの、芸術における虚偽の性質を知悉してゐた。もしどうしても私が戦ひを欲するなら、芸術においては
砦を防衛し、芸術外において攻撃に出なければならぬ。芸術においてはよき守備兵であり、芸術外においては
よき戦士でなければならぬ。私の生活の目標は、戦士としてのくさぐさの資格を取得することに向けられた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 死に対する燃えるやうな希求が、決して厭世や無気力と結びつかずに、却つて充溢した力や生の絶頂の花々しさや
戦ひの意志と結びつくところに「武」の原理があるとすれば、これほど文学の原理に反するものは又とあるまい。
「文」の原理とは、死は抑圧されつつ私(ひそ)かに動力として利用され、力はひたすら虚妄の構築に捧げられ、
生はつねに保留され、ストックされ、死と適度にまぜ合はされ、防腐剤を施され、不気味な永生を保つ芸術作品の
制作に費やされることであつた。むしろかう言つたらよからう。「武」とは花と散ることであり、「文」とは
不朽の花を育てることだ、と。そして不朽の花とはすなはち造花である。
かくて「文武両道」とは、散る花と散らぬ花とを兼ねることであり、人間性の最も相反する二つの欲求、および
その欲求の実現の二つの夢を、一身に兼ねることであつた。そこで何が起るか? 一方が実体であれば他方は
虚妄であらざるをえぬこの二つのもの、その双方の本質に通暁し、その源泉を知悉し、その秘密に与るとは、
一方の他方に対する究極的な夢をひそかに破壊することなのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 生きてゐるあひだは、しかしわれわれは、どのやうな認識とも戯れることができる。それはスポーツにおける
刻々の死と、それからのよみがへりの爽やかさが証明してゐる。たえず破滅に瀕しつつ得られる均衡こそが、
認識上の勝利なのだ。
私の認識はいつも欠伸をしてゐたから、よほど困難な、ほとんど不可能な命題に対してしか、興味を示さぬやうに
なつてゐた。といふよりもむしろ、認識が認識自体を危ふくするやうな危険なゲームにしか惹かれなくなつたのである。
そしてそのあとの爽快なシャワーにしか。
かつて私は、胸囲一メートル以上の男は、彼を取り巻く外界について、どういふ感じ方をするものかといふことに、
一つの認識の標的を宛ててゐた。それは認識にとつて明らかに手にあまる課題であつた。(中略)
――しかし、突然、あらゆる幻想は消えた。退屈してゐる認識は不可解なもののみを追ひ求め、のちに、突然、
その不可解は瓦解し、……胸囲一メートル以上の男は私だつたのである。
かつて向う岸にゐたと思はれた人々は、もはや私と同じ岸にゐるやうになつた。すでに謎はなく、謎は死だけにあつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 永遠に想像力に属する唯一のものこそ、すなはち死であつた。
しかし、どうちがふのか? 夜襲を仕掛けてくる病的な想像力、あの官能的な、放恣な感覚的惑溺をもたらす想像力の
淵源が、すべて死にあるとすれば、栄光ある死とその死とはどうちがふのか? 浪漫的な死と、頽廃的な死とは
どうちがふのか? 文武両道の苛酷な無救済は、それらが畢竟同じものだと教へるであらう。そして、文学上の倫理も、
行動の倫理も、死と忘却に抗ふためのはかない努力にすぎぬと教へるであらう。
男とは、ふだんは自己の客体化を絶対に容認しないものであつて、最高の行動を通してのみ客体化され得るが、
それはおそらく死の瞬間であり、実際に見られなくても「見られる」擬制が許され、客体としての美が許されるのは、
この瞬間だけなのである。特攻隊の美とはかくの如きものであり、それは精神的にのみならず、男性一般から、
超エロティックに美と認められる。しかもこの場合の媒体をなすものは、常人の企て及ばぬ壮烈な英雄的行動なので
あり、従つてそこには無媒介の客体化は成り立たない。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 私にとつて、時が回収可能だといふことは、直ちに、かつて遂げられなかつた美しい死が可能になつたといふことを
意味してゐた。あまつさへ私はこの十年間に、力を学び、受苦を学び、戦ひを学び、克己を学び、それらすべてを
喜びを以て受け入れる勇気を学んでゐた。
私は戦士としての能力を夢みはじめてゐたのである。
……私が幸福と呼ぶところのものは、もしかしたら、人が危機と呼ぶところのものと同じ地点にあるのかもしれない。
言葉を介さずに私が融合し、そのことによつて私が幸福を感じる世界とは、とりもなほさず、悲劇的世界であつた
からである。もちろんその瞬間にはまだ悲劇は成就されず、あらゆる悲劇的因子を孕み、破滅を内包し、確実に
「未来」を欠いた世界。そこに住む資格を完全に取得したといふ喜びが、明らかに私の幸福の根拠だつた。
そのパスポートを言葉によつてではなく、ただひたすら肉体的教養によつて得たと感じることが、私の矜りの
根拠だつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より そこでだけ私がのびやかに呼吸をすることのできる世界、完全に日常性を欠き、完全に未来を欠いた世界、
それこそあの戦争がをはつた時以来、たえず私が灼きつくやうな焦燥を以て追ひ求めてゐたものであつたが、
言葉は決して私にこれを与へなかつたのみか、むしろそこから遠ざかるやうに遠ざかるやうにと私を鞭打つた。
なぜなら、どんな破滅的な言語表現も、芸術家の「日々の仕事(ターゲヴェルク)」に属してゐたからである。
何といふ皮肉であらう。そもそもそのやうな、明日といふもののない、大破局の熱い牛乳の皮がなみなみと
湛へられた茶碗の縁を覆うてゐたあの時代には、私はその牛乳を呑み干す資格を与へられてゐず、その後の永い
練磨によつて、私が完全に資格を取得して還つて来たときには、すでに牛乳は誰かに呑み干されたあとであり、
冷えた茶碗は底をあらはし、私はすでに四十歳を超えてゐたのだつた。そして困つたことに、私の渇を癒やすことの
できるものは、誰かがすでに呑んでしまつたその熱い牛乳だけなのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 「来(きた)るべき戦争」といふ厖大な仮構へすべてが捧げられ、訓練計画は周到に編まれ、兵士たちは精励し、
そして何事も起らぬ空無は日々進行し、きのふ最上の状態にあつた肉体は、今日かすかに衰退し、老いはつぎつぎと
整理され、若さは小止みなく補給されてゐた。
私は今さらながら、言葉の真の効用を会得した。言葉が相手にするものこそ、この現在進行形の虚無なのである。
いつ訪れるとも知れぬ「絶対」を待つ間の、いつ終るともしれぬ進行形の虚無こそ、言葉の真の画布なのである。(中略)
言葉は言はれたときが終りであり、書かれたときが終りである。その終りの集積によつて、生の連続性の一刻一刻の
断絶によつて、言葉は何ほどかの力を獲得する。(中略)
終らせる、といふ力が、よしそれも亦仮構にもせよ、言葉には明らかに備はつてゐた。死刑囚の書く長たらしい手記は、
およそ人間の耐へることの限界を越えた永い待機の期間を、刻々、言葉の力で終らせようとする咒術なのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄」より われわれは「絶対」を待つ間の、つねに現在進行の虚無に直面するときに、何を試みるかの選択の自由だけが
残されてゐる。いづれにせよ、われわれは準備せねばならぬ。この準備が向上と呼ばれるのは、多かれ少なかれ、
人間の中には、やがて来るべき未見の「絶対」の絵姿に、少しでも自分が似つかはしくなりたいといふ哀切な望みが
ひそんでゐるからであらう。もつとも自然で公明な欲望は、自分の肉体も精神も、ひさしくその絶対の似姿に
近づきたいとのぞむことであらう。
しかし、この企図は、必ず、全的に失敗するのだ。なぜなら、どんな劇烈な訓練を重ねても、肉体は必ず徐々に
衰退へ向ひ、どんなに言葉による営為を積み重ねても、精神は「終り」を認識しないからである。言葉がなしくづしに
終わらせるので、すでに言葉によつて生の連続感を失つてゐる精神には、真の終りの見分けがつかないのである。
この企図の挫折と失敗を司るものこそ「時」であるが、ごく稀に「時」は恩寵を垂れて、この企図を、挫折と失敗から
救出することがある。それが夭折といふものの神秘的な意味であり、ギリシア人はそれを神々に愛された者と呼んで
羨んだのであつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より あのころの、十七歳の私を無知と呼ばうか? いや、決してそんなことはない。私はすべてを知つてゐたのだ。
十七歳の私が知つてゐたことに、その後四半世紀の人生経験は何一つ加へはしなかつた。ただ一つのちがひは、
十七歳の私がリアリズムを所有しなかつたといふことだけだ。
もしもう一度あの夏の水浴のやうに私を快く涵してゐた全知へ還ることができたらどんなによからう。
七生報国や必敵撃滅や死生一如や悠久の大義のやうに、言葉すくなに誌された簡潔な遺書は、明らかに幾多の
既成概念のうちからもつとも壮大もつとも高貴なものを選び取り、心理に類するものはすべて抹殺して、ひたすら
自分をその壮麗な言葉に同一化させようとする矜りと決心をあらはしてゐた。
もちろんかうして書かれた四字の成句は、あらゆる意味で「言葉」であつた。しかし既成の言葉とはいへ、それは
並大抵の行為では達しえない高みに、日頃から飾られてゐる格別の言葉だつた。今は失つたけれども、かつて
われわれはそのやうな言葉を持つてゐたのである。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 肉体が未来の衰退へ向つて歩むとき、そのはうへついて行かずに、肉体に比べればはるかに盲目で頑固な精神に
黙つてついて行き、果てはそれにたぶらかされる人々と同じ道を、私は歩きたいとは思はなかつた。
何とか私の精神に再び「終り」を認識させねばならぬ。そこからすべてがはじまるのだ。そこにしか私の真の
自由の根拠がありえぬことは明らかだつた。言葉の誤用によつてことさら全知を避けてゐた少年時代の、あの夏の
さはやかな水浴を思ひ出させる全知の水にふたたび涵つて、今度は水ごと表現してみせなくてはならぬ。
復帰が不可能だといふことは、人に言はれるまでもなく、わかりきつてゐる。しかしその不可能は私の認識の退屈を
刺戟し、もはや不可能にしかよびさまされぬ認識の活力は、自由に向つて夢みてゐたのである。
文学による自由、言葉による自由といふものの究極の形態を、すでに私は肉体の演ずる逆説の中に見てゐたのだつた。
とまれ、私の逸したのは死ではなかつた。私のかつて逸したのは悲劇だつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より さて、私の幼時の直感、集団といふものは肉体の原理にちがひないといふ直感は正しかつた。今にいたるまで、
この直感を革める必要を私は感じたことがない。後年、私が「肉体のあけぼの」と呼んでゐるところの、肉体の
激しい行使と死なんばかりの疲労の果てに訪れるあの淡紅色の眩暈を知るにいたつてから、はじめて私は集団の意味を
覚るやうになつたからである。(中略)
力の行使、その疲労、その汗、その涙、その血が、神輿担ぎの等しく仰ぐ、動揺常なき神聖な青空を私の目に見せ、
「私は皆と同じだ」といふ栄光の源をなすことに気づいたとき、すでに私は、言葉があのやうに私を押し込めて
ゐた個性の閾を踏み越えて、集団の意味に目ざめる日の来ることを、はるかに予見してゐたのかもしれない。
(中略)紙に書かれようと、叫ばれようと、集団の言葉は終局的に肉体的表現にその帰結を見出す。それは密室の
孤独から、遠い別の密室の孤独への、秘められた伝播のための言葉ではなかつた。集団こそは、言葉といふ媒体を
終局的に拒否するところの、いふにいはれぬ「同苦」の概念にちがひなかつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 肉体は集団により、その同苦によつて、はじめて個人によつては達しえない或る肉の高い水位に達する筈であつた。
そこで神聖が垣間見られる水位にまで溢れるためには、個性の液化が必要だつた。のみならず、たえず安逸と放埒と
怠惰へ沈みがちな集団を引き上げて、ますます募る同苦と、苦痛の極限の死へみちびくところの、集団の悲劇性が
必要だつた。集団は死へ向つて拓かれてゐなければならなかつた。私がここで戦士共同体を意味してゐることは
云ふまでもあるまい。
早春の朝まだき、集団の一人になつて、額には日の丸を染めなした鉢巻を締め、身も凍る半裸の姿で、駈けつづけて
ゐた私は、その同苦、その同じ懸声、その同じ歩調、その合唱を貫ぬいて、自分の肌に次第ににじんで来る汗のやうに、
同一性の確認に他ならぬあの「悲劇的なもの」が君臨してくるのをひしひしと感じた。それは凛烈な朝風の底から
かすかに芽生えてくる肉の炎であり、さう云つてよければ、崇高さのかすかな萌芽だつた。「身を挺してゐる」と
いふ感覚は、筋肉を躍らせてゐた。われわれは等しく栄光と死を望んでゐた。望んでゐるのは私一人ではなかつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より 私には地球を取り巻く巨きな巨きな蛇の環が見えはじめた。すべての対極性を、われとわが尾を嚥(の)みつづける
ことによつて鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせてゐる最終の巨大な蛇。私にはその姿が見えはじめた。
相反するものはその極致において似通ひ、お互ひにもつとも遠く隔たつたものは、ますます遠ざかることによつて
相近づく。蛇の環はこの秘義を説いてゐた。肉体と精神、感覚的なものと知的なもの、外側と内側とは、どこかで、
この地球からやや離れ、白い雲の蛇の環が地球をめぐつてつながる、それよりもさらに高方においてつながるだらう。
私は肉体の縁(へり)と精神の縁、肉体の辺境と精神の辺境だけに、いつも興味を寄せてきた人間だ。深淵には
興味がなかつた。深淵は他人に委せよう。なぜなら深淵は浅薄だからだ。深淵は凡庸だからだ。
縁の縁、そこには何があるのか。虚無へ向つて垂れた縁飾りがあるだけなのか。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より 人は地上で重い重力に押しひしがれ、重い筋肉に身を鎧つて、汗を流し、走り、撃ち、辛うじて跳ぶ。それでも
時として、目もくらむ疲労の暗黒のなかから、果然、私が「肉体のあけぼの」と呼んでゐるものが色めいて
くるのを見た。
人は地上で、あたかも無限に飛翔するかのやうな知的冒険に憂身をやつし、じつと机に向つて、精神の縁へ、
もつと縁へ、もつと縁へと、虚無への落下の危険を冒しながら、にじり寄らうとする。その時、(ごく稀にだが)、
精神も亦、それ自身の黎明を垣間見るのだ。
しかしこの二つが、決して相和することはない。お互ひに似通つてしまふことはなかつた。
(中略)
どこかでそれらはつながる筈だ。どこで?
運動の極みが静止であり、静止の極みが運動であるやうな領域が、どこかに必ずなくてはならぬ。
もし私が大ぶりに腕を動かす。そのとたんに私は知的な血液の幾分かを失ふのだ。もし私が打撃の寸前に少しでも
考へる。そのとたんに私の一打は失敗に終るのだ。
どこかでより高い原理があつて、この統括と調整を企ててゐなければならぬ筈だつた。
私はその原理を死だと考へた。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より しかし私は死を神秘的に考へすぎてゐた。死の簡明な物理的な側面を忘れてゐた。
地球は死に包まれてゐる。空気のない上空には、はるか地上に、物理的条件に縛められて歩き回る人間を眺め
下ろしながら、他ならぬその物理的条件によつてここまでは気楽に昇れず、したがつて物理的に人を死なすこと
きはめて稀な、純潔な死がひしめいてゐる。人が素面で宇宙に接すればそれは死だ。宇宙に接してなほ生きるためには、
仮面をかぶらねばならない。酸素マスクといふあの仮面を。
精神や知性がすでに通ひ馴れてゐるあの息苦しい高空へ、肉体を率いて行けば、そこで会ふのは死かもしれない。
精神や知性だけが昇つて行つても、死ははつきりした顔をあらはさない。そこで精神はいつも満ち足りぬ思ひで、
しぶしぶと、地上の肉体の棲家へ舞ひ戻つて来る。彼だけが昇つて行つたのでは、つひに統一原理は顔をあらはさない。
二人揃つて来なくては受け容れられぬ。
私はまだあの巨大な蛇に会つてゐなかつた。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より 或る日、私は自分の肉体を引き連れて、気密室(プレシャー・チェンバー)の中へ入つた。(中略)
酸素マスクは呼吸につれて、鼻翼に貼りついたり離れたりしてゐた。精神は言ひきかせた。
「肉体よ。お前は今日は私と一緒に、少しも動かずに、精神のもつとも高い縁まで行くのだよ」
肉体は、しかし、傲岸にかう答へた。
「いいえ、私も一緒に行く以上、どんなに高からうが、それも亦、肉体の縁に他なりません。書斎のあなたは一度も
肉体を伴つてゐなかつたから、さういふことを言ふのです」
(中略)
四万一千フィート。四万二千フィート。四万三千フィート。私は自分の口にぴたりと貼りついた死を感じた。
柔らかな、温かい、蛸のやうな死。それは私の精神が夢みたいかなる死ともちがふ、暗い軟体動物のやうな死の
影だつたが、私の頭脳は、訓練が決して私が殺しはしないことを忘れてゐなかつた。しかしこの無機的な戯れは、
地球の外側にひしめいてゐる死が、どんな姿をしてゐるかをちらと見せてくれたのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より F104の離陸は徹底的な離陸だつた。零戦が十五分をかけて昇つた一万メートルの上空へ、それはたつた二分で
昇るのだ。+Gが私の肉体にかかり、私の内蔵はやがて鉄の手で押し下げられ、血は砂金のやうに重くなる筈だ。
私の肉体の錬金術がはじまる筈だ。
F104、この銀いろの鋭利な男根は、勃起の角度で大空をつきやぶる。その中に一疋の精虫のやうに私は
仕込まれてゐる。私は射精の瞬間に精虫がどう感じるかを知るだらう。
われわれの生きてゐる時代の一等縁の、一等端の、一等外れの感覚が、宇宙旅行に必須なGにつながつてゐることは、
多分疑ひがない。われわれの時代の日常感覚の末端が、Gに融け込んでゐることは、多分まちがひがない。
われわれがかつて心理と呼んでゐたものの究極が、Gに帰着するやうな時代にわれわれは生きてゐる。Gを彼方に
予想してゐないやうな愛憎は無効なのだ。
Gは神的なものの物理的な強制力であり、しかも陶酔の正反対に位する陶酔、知的極限の反対側に位置する
知的極限なのにちがひない。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より つい数分前までは私もその一人であつた地上の人間にとつて、私は一瞬にして「遠ざかりゆく者」になり、かれらの
刹那の記憶に他ならない一点に、今正に存在してゐた。
風防ガラスをつらぬいて容赦なくそそぐ太陽光線、この思ふさま裸かになつた光りの中に、栄光の観念がひそんで
ゐると考へるのは、いかにも自然である。栄光とはこのやうな無機的な光り、超人間的な光り、危険な宇宙線に
充ちたこの裸かの光線に、与へられた呼名にちがひない。
(中略)
音速を超え、マッハ1.15、マッハ1.2、マッハ1.3に至つて、四万五千フィートの高度へ昇つた。沈みゆく
太陽は下にあつた。
何も起らない。
あらはな光りの中に、ただ銀いろの機体が浮び、機はみごとな平衡を保つてゐる。それは再び、閉ざされた
不動の部屋になつた。機は全く動いてゐないかのやうだ。それはただ、高空に浮んでゐる静止した奇妙な金属製の
小部屋になつた。
あの地上の気密室は、かくて宇宙船の正確なモデルになる筈だ。動かないものが、もつとも迅速に動くものの、
精密な原型になるのだ。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より 窒息感(チョーク)も来ない。私の心はのびやかで、いきいきと思考してゐた。閉ざされた部屋と、ひらかれた
部屋との、かくも対極的な室内が、同じ人間の、同じ精神の棲み家になるのだ。行動の果てにあるもの、運動の
果てにあるものがこのやうな静止だとすると、まはりの大空も、はるか下方の雲も、その雲間にかがやく海も、
沈む太陽でさへ、私の内的な出来事であり、私の内的な事物であつてふしぎはない。私の知的冒険と肉体的冒険とは、
ここまで地球を遠ざかれば、やすやすと手を握ることができるのだ。この地点こそ私の求めてやまぬものであつた。
天空に浮んでゐる銀いろのこの筒は、いはば私の脳髄であり、その不動は私の精神の態様だつた。脳髄は頑なな骨で
守られてはゐず、水に浮んだ海綿のやうに、浸透可能なものになつてゐた。内的世界と外的世界とは相互に浸透し合ひ、
完全に交換可能になつた。雲と海と落日だけの簡素な世界は、私の内的世界の、いまだかつて見たこともない壮大な
展望だつた。と同時に、私の内部に起るあらゆる出来事は、もはや心理や感情の羈絆を脱して、天空に自由に
描かれる大まかな文字になつた。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より そのとき私は蛇を見たのだ。
地球を取り巻いてゐる白い雲の、つながりつながつて自らの尾を嚥んでゐる、巨大といふもおろかな蛇の姿を。
ほんのつかのまでも、われわれの脳裡に浮んだことは存在する。現に存在しなくても、かつてどこかに存在したか、
あるひはいつか存在するであらう。それこそ気密室と宇宙船との相似なのだ。私の深夜の書斎と、四万五千フィート
上空のF104の機体内との相似なのだ。肉体は精神の予見に充たされて光り、精神は肉体の予見に溢れて
輝やく筈だ。そしてその一部始終を見張る者こそ、意識なのだ。今、私の意識はジュラルミンのやうに澄明だつた。
あらゆる対極性を一つのものにしてしまふ巨大な蛇の環は、もしそれが私の脳裡に泛んだとすれば、すでに
存在してゐてふしぎはなかつた。蛇は永遠に自分の尾を嚥んでゐた。それは死よりも大きな環、かつて気密室で
私がほのかに匂ひをかいだ死よりももつと芳香に充ちた蛇、それこそはかがやく天空の彼方にあつて、われわれを
瞰下(みお)ろしてゐる統一原理の蛇だつた。
三島由紀夫「太陽と鉄 エピロオグ――F104」より 私はそもそも天に属するのか?
さうでなければ何故天は
かくも絶えざる青の注視を私へ投げ
私をいざなひ心もそらに
もつと高くもつと高く
人間的なものよりもはるか高みへ
たえず私をおびき寄せる?
均衡は厳密に考究され
飛翔は合理的に計算され
何一つ狂ほしいものはない筈なのに
何故かくも昇天の欲望は
それ自体が狂気に似てゐるのか?
私を満ち足らはせるものは何一つなく
地上のいかなる新も忽ち倦(あ)かれ
より高くより高くより不安定に
より太陽の光輝に近くおびき寄せられ
何故その理性の光源は私を灼き
何故その理性の光源は私を滅ぼす?
眼下はるか村落や川の迂回は
近くにあるよりもずつと耐へやすく
かくも遠くからならば
人間的なものを愛することもできようと
何故それは弁疏し是認し誘惑したのか?
その愛が目的であつた筈もないのに?
もしさうならば私が
そもそも天に属する筈もない道理なのに?
三島由紀夫「太陽と鉄――イカロス」より 鳥の自由はかつてねがはず
自然の安逸はかつて思はず
ただ上昇と接近への
不可解な胸苦しさにのみ駆られて来て
空の青のなかに身をひたすのが
有機的な喜びにかくも反し
優越のたのしみからもかくも遠いのに
もつと高くもつと高く
翼の蝋の眩暈と灼熱におもねつたのか?
されば
そもそも私は地に属するのか?
さうでなければ何故地は
かくも急速に私の下降を促し
思考も感情もその暇を与へられず
何故かくもあの柔らかなものうい地は
鉄板の一打で私に応へたのか?
私の柔らかさを思ひ知らせるためにのみ
柔らかな大地は鉄と化したのか?
堕落は飛翔よりもはるかに自然で
あの不可解な情熱よりもはるかに自然だと
自然が私に思ひ知らせるために?
三島由紀夫「太陽と鉄――イカロス」より 空の青は一つの仮想であり
すべてははじめから翼の蝋の
つかのまの灼熱の陶酔のために
私の属する地が仕組み
かつは天がひそかにその企図を助け
私に懲罰を下したのか?
私が私といふものを信ぜず
あるひは私が私といふものを信じすぎ
自分が何に属するかを性急に知りたがり
あるひはすべてを知つたと傲り
未知へ
あるひは既知へ
いづれも一点の青い表象へ
私が飛び翔たうとした罪の懲罰に?
三島由紀夫「太陽と鉄――イカロス」より Q――五社英雄監督の印象は?
三島:ぼくは、非常にこの人物が好きになつた。会つたのは初めてですけど、いい人です。映画監督特有の、
もつて回つたやうな芸術家気取りがない。そして好きなものは好き、きらひなものはきらひとして、なんら
映画界の権威を認めてゐない。自分の好きにとつちやふんだ。映画界からみれば、こんなに腹の立つ男はゐないと思ふ。
Q――映画に出演するといふこと、三島さんがおつしやつてる「行動」とか、「肉体」とかを結びつけると……
三島:世間では、みんな結びつけたがるから、何もかも結びつけちやふんだけど、ぼくは人間を、さういふふうに
一元的に統一しようといふのは、現代の悪い傾向だと思ふ。なるべく、ワクからはづれることが、人間にとつて
大事だといふ考へをもつてゐる。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より たとへば、いちばん崇高でもあり、つぎの瞬間にいちばん下劣でもあるのが人間なんですよ。ぼくは、さういふ人間を
考へる。崇高なだけであつてもウソに決まつてゐる。また下劣なのが人間の本当の姿だ、といふ考へ方も大きらひ
なんですよ。それは自然主義的な考へ方で、十九世紀に、ごく一部にできた迷信ですよ。人間は崇高であると同時に
下劣。だから、ぼくのことを下劣だと思ふ人があれば、それでもかまはない。ぼくの中にだつて、「一寸の虫にも
五分の魂」で、崇高なものもある。それを、ぼくは自分でぼくだと思ふ。
むりやりに結びつけて、論理的に統一しようつたつて、できるものではない。ただ思想的には節操は大切だと
思ひますけど、それと人間の行動の一つ一つ。つまり節操の正しい人は、どんなクソの仕方をするのか。いつも
まつすぐなクソがでてくるかといふと、そんなものぢやない。節操の正しい人でも、トグロを巻いちやふ。
節操の曲がつた人でも、まつすぐなクソが出るかもしれない。そんなこと関係ないですよ。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より Q――かなり全共闘に共鳴するところがあつたんぢやないですか。
三島:それは共鳴するところもあるし、反発するところもある。自民党の人間と会つたつて、それは同じことだ。
Q――全共闘の立ち場を幕末でいふと……。
三島:幕末にはないよ。幕末は一人でやれなければいけない。みんなからだを張つてゐますね。一人でやれると
いふことは、サムラヒの根本条件ですよ。一人でやれるやつは、全共闘に一人もゐないぢやないですか。みんな
集団の力を組まなければ、何もできない。一人で連れてきて胸ぐらをつかんだら、みんなペコペコするだけですよ。
そんなのサムラヒぢやない。したがつて、明治維新に類型を求めることはできませんね。
Q――サムラヒといふことについて、もう少し詳しく説明をしてください。
三島:要するにサムラヒといふのは、一人でやれるといふことですよ。その精神だね。それしかないと思ふ。
外人の中で、よく全共闘を幕末の志士にたとへるやつがゐるんだけれども、とてもぼくは怒るんですよ。
とんでもない。精神が違ひますよ。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より Q――文学者としての三島さんが、時務の文章を書くのは……。
三島:つまり文学といふものは、死んだものぢやない。生きて動いてゐるものだ。お茶器みたいに、きれいなものを
作つて、戸だなにしまつておくものぢやない。動いてゐるものだ。一方で、美しい文学を書くためには、喜んで
ドロ沼の中へ手を突つ込まなければダメだと思ふ。手を汚さないことばかり考へたんぢや、文学はダメになつちやふ。
たまたま病気でサナトリウムにはひつてゐる、といふなら、それはいいよ。運命だからね。
Q――その人にとつては、それがドロ沼の中に手をつつ込んだことになるわけですね。
三島:その人にとつてはさうだ。病気といふものはさうだらう。宿命だから……。だけど、からだが丈夫で、
生きて動いてゐる人間が、ドロ沼のそばを着物が汚れるからと、よけて通るのは作家ぢやない。ぼくはさう思ふ。
ドロ沼にはひつて、おぼれるかもしれないけれど、おぼれる危険を冒して、生きてゐなきや小説は書けない。
ドロ沼にはひつたとき、どういふふうに表現するか。人間だから考へますね。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より それは、濾過されて文学になる部分もあり、いくら濾過しても文学にならん部分もある。ドロ水を飲料水にするための
濾過装置があるでせう。濾過装置の中で、残つたドロと飲料水になる水とあるけど、残つたドロがいらないもので、
捨てちやつていいものかといふと、ぼくはさうぢやない。それが現実なんだ。現実を避けることはできないね。
現実を避けて自分が象牙の塔に閉ぢこもるときには、象牙の塔の純粋性が保たれなければ死んでしまふ。
ぼくは、文学を象牙の塔だと考へてゐる。水晶のお城だと考へてゐる。それを大事にしておくためには、作家が
ドロ沼へはひらなければ、といふパラドックスがある。ぼくはさうだと思ふ。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より (シニスム)が大抵のものを凡庸と滑稽に墜してしまふのは、十九世紀の科学的実証主義に
もとづく自然主義以来の習慣である。私は自意識の病ひを自然主義の亡霊だと考へてゐる。
すべてを見てしまつたと思ひ込んだ人間の迷蒙だと考へてゐる。あらゆる悲哀の裏に
滑稽の要素を剔出するのはこの迷蒙の作用である。いきほひ感情は無力なものになり、
情熱は衰へ、何かしらあいまいな不透明なものになり終つた。
悲劇は強引な形式への意慾を、悲哀そのものが近代性から継子扱ひをされるにつれてますます
強められ、おのづから近代性への反抗精神を内包するにいたる。それは近代性の奥底から
生み出された古典主義である。喜劇は近代をのりこえる力がない。
偉大な感情を、情熱を、復活せねばならぬ。それなしには諷刺は冷却の作用をしかもたないだらう。
三島由紀夫「悲劇の在処」より http://www.nicovideo.jp/watch/sm13608635 ニコニコ動画
「三島由紀夫みたいに腹を切って死にたいんだ」
歴史とは過ぎ去るものでも繰り返されるものでもない。
歴史とは一粒の涙に他ならない。
涙は外部と内部を区別する不可視な枠を溶かすある種の独創言語と表現
してもよい。
涙の速度はただただ恐ろしく、我々の認識という名のキリスト教的人類愛では
捕まえられず、形而上学、と、陳腐にそう名付けられた。
ゆえに、。
イチイあると >>10の後
……それにしても、仙洞御所を一時間あまり拝観して、辞去するとき、私ははなはだ畏れ多いことながら、その庭が
自分の所有に属さないことを喜んだ。いづれ又、紅葉の季節や、花の季節に、私は拝観を願ひ出て、仙洞御所を
再訪することもあるだらう。しかし、この御庭を愛すれば愛するだけ、私はそれが決して自分の所有に属さず、
訪れない間は、京都へ行けば必ずそれがそこにあるといふ、存在の確実さだけを心に保つことができるのを喜ぶ。
それといふのも、所有といふことの不幸と味気なさを、私は我身で味はつたのは貧しい例でしかないが、人の
身の上にしみじみと見て来たからである。或るフランスの大富豪の貴族のシャトオに数日滞在してゐたときのこと、
私は次々とあらはれては去る来客を、主人夫妻が、ほぼ同じ順序でもてなすのを見た。(中略)
自分のシャトオにゐる間、主人夫妻は、いはば、案内役と司会者の役割を毎日つとめて、倦きもせずに、ただ
次々と新らしい客の讃嘆の声だけを餌にして生きてゐた。これを見てゐて、私はつくづく、所有する者の不幸と
味気なさを感じたのである。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 庭も亦所有を前提としてゐる。他人に思ふまま蹂躙された庭は、公園であつてもはや庭ではない。しかし厳密に
言ふと、所有者にとつても、それは徐々に「庭」であることをやめるのである。なぜなら、見倦きた庭は、
庭であることから、何かただ、習慣のやうなものになつて、われわれの存在の垢とまじり合つてしまふからである。
四季の変化からなるたけ影響を受けぬやうに作られた幾何学的な庭はもちろん日本の庭の中でも竜安寺の石庭の
やうな抽象的な庭は、所有者にとつては、忘れられた厖大な蔵書の一部のやうになつてゆくにちがひない。
ある庭を完全に所有すまいとすれば、その庭のもつ時間の永遠性が、いつも喚起的であるやうに努めねばならない。
理想的な庭とは、終らない庭、果てしのない庭であると共に、何か不断に遁走してゆく庭であることが必要であらう。
われわれの所有をいつもすりぬけようとして、たえず彼方へと遁れ去つてゆく庭、蝶のやうに一瞬の影を宿して
飛び去つてゆくやうな庭、しかもそこに必ず存在することがどこかで保証されてゐるやうな庭、……さういふ
庭とは何であらうか。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 私はここで又、仙洞御所の庭に思ひ当る。なぜならその御庭は、私の所有でないと同時に、今はどなたの住家でも
ないからである。しかもそれは確実に所有されてをり、決して万人の公園ではない。もしわれわれが理想的な庭を
持たうとするならば、それを終らない庭、果てしのない庭、しかも不断に遁走する庭、蝶のやうに飛び去る庭に
しようとするならば、われわれにできる最上の事、もつとも賢明な方法は、所有者がある日姿を消してしまふ
ことではないだらうか。庭に飛び去る蝶の特徴を与へようとするならば、所有者がむしろ、飛び去る蝶に化身すれば
よいのではないか。生はつかのまであり、庭は永遠になる。そして又、庭はつかのまであり、生は永遠になる。……
そのとき仙洞御所の焼亡は、この御庭にとつて、何かきはめて象徴的な事件のやうに思はれるのである。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 生きてゐる芸術家とは、どういふ姿になることが、もつとも好ましく望ましいか。
私は或る作家の作品を決して読まない。それは、その作家がきらひだからではない。その作家の作品を軽んずる
からではない。それとは反対に、私は彼の作家としての良心を敬重してをり、作品を書く態度のきびしさを
尊敬し、作品の示す芸のこまやかさと芸格の高さにいつも感服してゐる。それなのに、私は彼の作品を読まうと
しないのである。
何故かといふのに、私が読まなくても、彼は円熟した立派な作品を書きつづけてゐることがわかりきつてゐる
からである。さういふ作品が彼を囲んで、ますます彼の芸境を高めてゐることを知つてゐるからである。
さうなつた作家は、すでに名園である。いはば仙洞御所の御庭である。行かなくても、そこへ行けば、その美に
搏たれることがわかつてをり、見なくても、そこにその疑ひやうのない美が存在してゐることがわかつてゐるからだ。
だが、私は、自分の作品の、未完成、雑駁を百も承知でゐながら、生きてゐるあひだは、決してさういふ千古の
名園のやうな作家になりたいとは望まないのである。
三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 柳田国男氏の「遠野物語」は、明治四十三年に世に出た、日本民俗学の発祥の記念塔ともいふべき名高い名著で
あるが、私は永年これを文学として読んできた。殊に何回よみ返したかわからないのは、その序文である。
名文であるのみではなく、氏の若き日の抒情と哀傷がにじんでゐる。魂の故郷へ人々の心を拉し去る詩的な力に
あふれてゐる。
(中略)
この一章の、
「茲にのみは軽く塵たち紅き物聊(いささ)かひらめきて……」
といふ、旅人の旅情の目に映じた天神山の祭りの遠景は、ある不測の静けさで読者の心を充たす。不測とは、
そのとき、われわれの目に、思ひもかけぬ過去世の一断面が垣間見られ、遠い祭りを見る目と、われわれ自身の
深層の集合的無意識をのぞく目とが、――一定の空間と無限の時間とが――、交叉し結ばれる像が現出するからである。
(中略)
柳田氏の学問的良心は疑ひやうがないから、ここに収められた無数の挿話は、ファクトとしての客観性に於て、
間然するところがない。これがこの本のふしぎなところである。
三島由紀夫「柳田国男『遠野物語』――名著再発見」より 著者は採訪された話について何らの解釈を加へない。従つて、これはいはば、民俗学の原料集積所であり、
材木置き場である。しかしその材木の切り方、揃へ方、重ね方は、絶妙な熟練した木こりの手に成つたものである。
データそのものであるが、同時に文学だといふふしぎな事情が生ずる。すなはち、どの話も、真実性、信憑性の
保証はないのに、そのやうに語られたことはたしかであるから、語り口、語られ方、その恐怖の態様、その感受性、
それらすべてがファクトになるのである。ファクトである限りでは学問の対象である。しかし、これらの原材料は、
一面から見れば、言葉以外の何ものでもない。言葉以外に何らたよるべきものはない。遠野といふ山村が
実在するのと同じ程度に、日本語といふものが実在し、伝承の手段として用ひられるのが言葉のみであれば、
すでに「文学」がそこに、軽く塵を立て、紅い物をいささかひらめかせて、それを一村の緑に映してゐるのである。
三島由紀夫「柳田国男『遠野物語』――名著再発見」より さて私は、最近、吉本隆明氏の「共同幻想論」(河出書房新社)を読んで、「遠野物語」の新しい読み方を
教へられた。氏はこの著書の拠るべき原典を、「遠野物語」と「古事記」の二冊に限つてゐるのである。近代の
民間伝承と、古代のいはば壮麗化された民間伝承とを両端に据ゑ、人間の「自己幻想」と「対幻想」と「共同幻想」の
三つの柱を立てて、社会構成論の新体系を樹ててゐるのである。(中略)
さういへば、「遠野物語」には、無数の死がそつけなく語られてゐる。民俗学はその発祥からして屍臭の漂ふ
学問であつた。死と共同体をぬきにして、伝承を語ることはできない。このことは、近代現代文学の本質的孤立に
深い衝撃を与へるのである。
しかし、私はやはり「遠野物語」を、いつまでも学問的素人として、一つの文学として玩味することのはうを
選ぶであらう。ここには幾多の怖ろしい話が語られてゐる。これ以上はないほど簡潔に、真実の刃物が無造作に
抜き身で置かれてゐる。
三島由紀夫「柳田国男『遠野物語』――名著再発見」より 上田秋成は日本のヴィリエ・ド・リラダンと言つてもよい。苛烈な諷刺精神、ほとんど狂熱的な反抗精神、
暗黒の理想主義、傲岸な美的秩序。加ふるに絶望的な人間蔑視が、一方では「未来のイヴ」となり、一方では
稀代の妖怪譚となつて結実した。
ロボットと妖怪。これは共に人間を愛さうとして愛しえない地獄に陥ちた孤独な作家の、復讐的な創造なのである。
リラダンは作中で、この比類ない創造、失はれた精神の代位とも称すべき無機質の美の具現を、海中の深淵に
投ぜざるを得なかつたし、秋成もまた、幾多の貴重な草稿を、狂気のやうになつて古井戸の中へ投げ入れざるを
得なかつたのである。二人ともに、己れの生涯を賭けた創造の虚しさを知つてゐた。
私はのちにむしろ雨月以後の「春雨物語」を愛するやうになつたが、そこには秋成の、堪へぬいたあとの凝視の
やうな空洞が、不気味に、しかし森厳に定着されてゐるのである。こんな絶望の産物を、私は世界の文学にも
ざらには見ない。
三島由紀夫「雨月物語について」より 詩情とサスペンスに充ちた見事な導入部、再々の脱出のスリル、そして砂のやうに簡潔で無味乾燥な突然のオチ、
……すべてが劇作家の才能と小説家の才能との、安部氏における幸福な結合を示してゐる。
日本の現実に対して風土的恐怖を与へたのは、全く作者のフィクションであり寓意であるが、その虚構は、
綿々として尽きない異様な感覚の持続によつて保証される。これは地上のどこかの異国の物語ではない。やはり
われわれが生きてゐる他ならない日本の物語なのである。その用意は、一旦脱出して死の砂に陥つた主人公を
救ひに来る村人の、「白々しい、罪のないような話しっぷり」一つをとつても窺はれる。一旦読み出したら
止められないこと請合の小説。
三島由紀夫「無題(安部公房著「砂の女」推薦文)」より 最近、村松剛氏が浅野晃氏の「天と海」を論ずる文章を書くに当つて、私にかう問うたことがある。大東亜戦争末期に
つひに神風が吹かなかつたといふこと、情念が天を動かしえなかつたといふことは、詩にとつて大きな問題だが、
さういふ考への根源はどこにあるのだらうか、と。
私は直ちに答へて言つた。それは古今集の紀貫之の序の「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし」だ、と。
私は直ちに答へた。どうして直ちに答へることができたのか。ここに私と古今集との二十年以上の結縁がある
のだと思ふ。
二十年の歳月は、私に直ちにさう答へさせたほどに、行動の理念と詩の理念を縫合させてゐたのだつた。もし
当時を綿密にふり返つてみれば、私は決してさう答へなかつただらう。なぜなら古今集序のその一句は、少年の
私の中では、行動の世界に対する明白な対抗原理として捕へられてゐた筈であり、特攻隊の攻撃によつて神風が
吹くであらうといふ翹望と、「力をも入れずして天地を動かし」といふ宣言とは、正に反対のものを意味して
ゐた筈だからである。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より (中略)
ではなぜ、このやうな縫合が行はれ、正反対のものが一つの理念に融合し、ああして私の口から自明の即答が
出て来たのであらう。
いふまでもなく、それは、つひに神風が吹かなかつたからである。人間の至純の魂が、およそ人間として考へ
られるかぎりの至上の行動の精華を示したのにもかかはらず、神風は吹かなかつたからである。
それなら、行動と言葉とは、つひに同じことだつたのではないか。力をつくして天地が動かせなかつたなら、
天地を動かすといふ比喩的表現の究極的形式としては、「力をも入れずして天地を動かし」といふ詩の宣言のはうが、
むしろその源泉をなしてゐるのではないか。
このときから私の心の中で、特攻隊は一篇の詩と化した。それはもつとも清冽な詩ではあるが、行動ではなくて
言葉になつたのだ。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より ――私が今ふたたび、古今集を繙(ひもと)かうとする必要があるとすれば、それはいかなる必要だらうか。
私はこの二十年間、文学からいろんなものを一つ一つそぎ落して、今は、言葉だけしか信じられない境界へ
来たやうな心地がしてゐる。言葉だけしか信じられなくなつた私が、世間の目からは逆に、いよいよ政治的に
過激化したやうに見られてゐるのは面白い皮肉である。
それはそれとして、戦後の一時期は、言葉の有効性が信じられ、その文学理論に基づいた文学が栄えたが、これこそ
最も反古今集的風潮であつたといへる。「力をも入れずして天地を動かし」の、戦時中における反対概念は、
言葉なき行動の昂揚であつたが、戦後における反対概念は、言葉そのものの有効性の信仰であつた。
何故なら、古今集序の一句は、言葉の有効性には何ら関はらない別次元の志を述べてゐるからである。もし
詩の言葉が、天地を動かす代りに、人心を動かして社会変革に寄与するやうに働くならば、古今集が抱擁してゐる
詩的宇宙の秩序は崩壊するの他はない。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より 「鬼神をもあはれと思はせ」る詩的感動は、古今集においては、言語による秩序形成のヴァイタルな力として
働くであらうが、それは同時に、詩的秩序をあらゆる有効性から切り離す作用である。古今集の古典主義と、
公理を定立しようとする主知的性格はすべてそこにかかつてゐる。
詩的感動と有効性とが相反するものとして提示された古今集に親しんだのち、私はすでに古今集のとりこになつて
ゐたのであらう。戦後の一時期に、私は一度も古今集を繙かなかつたが、それはすでに私の心の中で、「詩学」の
位置を占めてゐたからである。
今、私は、自分の帰つてゆくところは古今集しかないやうな気がしてゐる。その「みやび」の裡に、文学固有の
もつとも無力なものを要素とした力があり、私が言葉を信じるとは、ふたたび古今集を信じることであり、
「力をも入れずして天地を動かし」、以て詩的な神風の到来を信じることなのであらう。
三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より 古今集の世界は、われわれがいはゆる「現実」に接触しないやうに注意ぶかく構成された世界である。プレシオジテが
つねに現実とわれわれとの間を遮断する。それは日本におけるロココ的世界であり、情念の一つ一つが絹で
包まれてゐるのである。
文化の爛熟とは、文化がこれに所属する個々人の感情に滲透し、感情を規制するにいたることなのだ。そして、
このやうな規制を成立たせる力は、優雅の見地に立つた仮借ない批評である。貫之の序が、一見のどかな文体を
採用してゐるやうに見えながら、苛酷な批評による芸術的宣言を意味してゐることからも、これは明らかである。
(中略)
古今集は「人のこころ」を三十一文字でとらへるために、言葉といふものを純然たる形式として考へ、感情といふ
ものを内容として考へた整然たる体系を夢みてゐた。これが「新古今集」との明らかな較差であつて、近代詩派が
むしろ新古今集に親しみを感じるのは、言葉自体のこの純形式的意欲がそこでは一種の象徴言語に席を譲り、
象徴において言葉と感情は融合してゐるからである。
三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より 古今集ほど、詩の複合的な情緒(シュティムンク)を欠いた歌集はめづらしい。(中略)
古今集における四季の歌に、貫之のいふ「誠」を求めるのは至難の企てであるやうに思はれる。しかし「目に見えぬ
鬼神をもあはれと思はせ」る歌の「誠」とは、古今集では、近代人の考へるやうなあからさま誠実ではないのである。
(中略)
想像力の放恣が不正確に陥り、一定の言葉にこめられた意味内容が無限にひろがり、芸術的効果が(いかに
美しくとも)何か不確定なものに依存することになるのを、古今集の四季の歌は厳密に避けてゐた。一定の効果への
集中度によつて、混沌が整理され、整頓された自然ははじめて人間的なものになるのであり、抒景歌の「感情の
真実」はそこにしかない、と考へるときに、すでにわれわれは古今集の「詩学」の裡にゐるのである。
三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より 実はこの秩序の観念こそ、「みやび」の本質なのであつた。草木も王土のうちにあつて帝徳に浴し、感覚の放恣に
委ねられたいかなる美的幻想的デフォルマシオンをも免かれて、一定の位置(位階)を授けられ、梅ですら官位を
賜はり、自然は隈なく擬人化されて、それ自体のきはめて静かな植物的な存在感情を持つやうになり、そのやうな
存在感情を持つにいたつた自然だけが、古今集の世界では許容されるのであれば、四季歌における「誠」はどこに
存するか明白であらう。それは草木の誠であり、草木は王土に茂り、歌に歌はれることによつて、「みやび」に
参与するのである。
古今集における「誠」とは、デモーニッシュな破壊的な力を意味しなかつた。秩序において演ずる一定の役割に
「真実」を限定することこそ、やがて詩語と詩的宇宙を形成する必須の条件であり、言葉はそこではじめて
「形式の威厳」を獲得する。
三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より 私は自殺をする人間がきらひである。自殺にも一種の勇気を要するし、私自身も自殺を考へた経験があり、自殺を
敢行しなかつたのは単に私の怯惰からだとは思つてゐるが、自殺する文学者といふものを、どうも尊敬できない。
武士には武士の徳目があつて、切腹やその他の自決は、かれらの道徳律の内部にあつては、作戦や突撃や一騎打と
同一線上にある行為の一種にすぎない。だから私は、武士の自殺といふものはみとめる。しかし文学者の自殺は
みとめない。日々の製作の労苦や喜びを、作家の行為とするなら、自殺は決してその同一線上にある行為では
あるまい。行為の範疇がちがつてゐる。病気や発狂などの他動的な力が、突然作家の生活におそひかかつて、
後になつて、彼の芸術の象徴的な意味を帯びるのとは話がちがふ。自殺と芸術とは、病気と医薬のやうな対立的な
ものなのだ。医薬がもし利かなくて病気が治せなかつたといふなら、それは医薬がわるかつたのだ。これは少くとも、
患者の心理でなくても、医師の確信であるべきである。
三島由紀夫「芥川龍之介について」より 恥かしい話だが、今でも私はときどき本屋の店頭で、少年冒険雑誌を立ち読みする。いつかは私も大人のために、
「前にワニ後に虎、サッと身をかはすと、大口あけたワニの咽喉の奥まで虎がとびこんだ」と云つた冒険小説を
書いてみたいと思ふ。芸術の母胎といふものは、インファンティリズムにちがひない、と私は信じてゐるのである。
地底の怪奇な王国、そこに祭られてゐる魔神の儀式、不死の女王、宝石を秘めた洞窟、さういふものがいつまで
たつても私は好きである。子供のころ、宝島の地図を書いて、従兄弟と一緒にそれを竹筒に入れ庭に埋めたりして
遊んだものであつた。
アメリカへ行つたときまづ私が探したのは、おそらく日本に輸入されてゐないさういふ子供むき映画の常設館で
あつたが、いくら探してもみつからなかつた。アメリカの子供は漫画雑誌でしよつちゆう「スーパー・マン」などに
心酔してゐるのに、それを映画で見ることはできないのであらうか。
三島由紀夫「荒唐無稽」より 最近「乱暴者」といふ映画に大へん感動したが、そこには精神年齢の低い青少年の冒険慾が周囲に冒険慾を
充たす環境を見出だしえず、やむなく平板凡庸な地方の小都会を荒らしまはるにいたる一種の無償の行為が、
簡潔強烈に描かれてゐたからであつた。
映画には青少年に与へる悪影響も数々あらうが、映画は映画なりのカタルシスの作用を持つてゐる。それが
無害なものであるためには、できるだけ空想的であることがのぞましく、大人の中にもあり子供の中にもある
冒険慾が、何の遠慮もなく充たされるやうな荒唐無稽な環境がなければならない。「乱暴者」のやうな映画は、
大人には面白いが、子供には有害であらう。
ハリウッド映画のおかげで、あらゆる歴史的環境は、新奇な感を失つたなまぬるいリアルなものになつてしまつた。
私はもう一度、映画で思ふさま荒唐無稽を味はつてみたいと思ふのである。
ディズニィの漫画で、「不思議の国のアリス」の気違ひ兎と気違ひ帽子屋のパーティーの場面は、私を大よろこび
させた。「ダンボ」の酩酊のファンタジーもよかつた。
三島由紀夫「荒唐無稽」より しかしやつぱり人間、この親愛感あるふしぎな動物、写真にその顔が出るだけでわれわれの感情移入を容易にし、
どんなありえない事件の中に彼が置かれても、心理的つながりを感じさせるこの動物が、はつきり登場して
ゐなくてはならない。写真はこの点でふしぎな説得力をもつてゐる。小説ではさうは行かない。
さうして彼は埋没した王国を探りに旅立ち、さまざまな奇怪な人物に会ひ、いくたびか地図を盗まれ、巻数半ばで、
想像を絶したふしぎな国土とその生活にとび込むのである。そこではミイラもよみがへり、美しい女王は千歳を閲し、
怪物は人語を発し、花々はあやしい触手をのばし、危難は一足ごとにあらゆる辻に身を伏せてうかがつてゐる。
それも決して喜劇であつてはならず、おそろしい厳粛さ真剣さが全巻を支配してゐなければならない。
私はいつもそんな映画にかつゑてゐる。そして私のいちばん嫌ひな映画といへば、それはいふまでもなく、あの
ホーム・ドラマといふ代物である。
三島由紀夫「荒唐無稽」より (谷崎)氏は今日にいたるまで、怒りを知らないやうにみえる。怒りを知らなかつたといふことは、言ひかへれば、
無力感にとらはれなかつたといふことでもある。一度怒つた作家がいかに深い無力に沈んだことか。突飛な比較だが、
怒りをしちつくどい感覚で縛り上げて、怒りを小出しにし、内燃させて、つひに今日まで無力感にとらはれないで
来た作家に、中野重治氏があり、怒りを一旦爆発させたあとで、深い無力感を極度に押しつけがましく利用した作家に、
永井荷風氏がある。谷崎氏を含めて、かれらはいづれもニヒリズムに陥ることから、それぞれの生理に適した方法で、
おのれを救つた作家である。
実は、谷崎氏ほどニヒリストになる条件を完全にそなへた作家はめづらしかつた。意地のわるいことを言ふと、
「神童」の芸術家たるの目ざめ、「異端者の悲しみ」の同じ目ざめから以後の氏の作品は、すべて動機なき犯罪に
似てゐる。動機のない犯罪にだけ、本当の宿命的な動機がある、といふ逆説を、氏は生涯を以て実証したやうに
みえる。その完全な開化が傑作「卍」である。
三島由紀夫「大谷崎」より 「卍」の背後に動いてゐる氏の手つきは、ニヒリストの白い指先に酷似してゐる。しかしこれはニヒリストの
作品ではないのだ。人間存在のこのやうな醜悪で悲痛な様相に直面した作家の目は、ここから身をひるがへして
脱出しようといふあがきを示してゐないからだ。ニヒリズムの兆候は、得体のしれない脱出の欲望として
あらはれる。(中略)
おそらく谷崎氏の生き方には、私の独断だが、芥川龍之介の自殺が逆の影響を与へてゐるやうに思はれる。芥川の
死の逆作用は、大正時代の作家のどこにも少しづつ影を投じてゐる。谷崎氏は、芥川の敗北を見て、持ち前の
マゾヒストの自信を以て、「俺ならもつとずつとずつとうまく敗北して、さうして永生きしてやる」と呟いたに
ちがひない。
実際、芸術家の敗北といふ、これほど自明な、これほど月並な、これほど必然的な帰結について、谷崎氏ほど
聡明に身を処した人はなかつた。戦はずして敗北し、御馳走をたべ、そして永生きすればよいのだつた。
三島由紀夫「大谷崎」より 大体、ゴルフを中年すぎのスポーツと思ひ込んでゐるのは、一応、道具をそろへたり、クラブへ入会したりするのに
金がかかるところからきた経済的錯覚であつて、およそ西洋人の発明したもので、「年寄向き」といふものは、
何一つあらうはずがないのだ。
西洋では年寄とは頽齢に他ならず、西洋人の肉体運動は、ことごとく青春の独占物にきまつてゐるのである。
バレーと日本舞踊、フェンシングと剣道、声楽と謡曲、……かういふ似通つたものを比べてみればすぐわかるが、
西洋では肉体と精神をはつきりわけてゐるから、こと肉体に関する限り、青年の勝に決まつてゐるが、東洋人の
肉体訓練は、必ず精神的なものがまじつて来るから、老人の勝利になる。老齢の力といふものは、東洋の発明である。
ゴルフだつて、国家が補助して、十代、二十代の青年が第一線に乗り出してくれば、今までヤニ下がつてゐた
老童ゴルファーなど、ひとたまりもなく駆逐されるにきまつてゐる。さういふ日が来ないうちに、一日も早く謡曲にでも転向すべし。
しかし他人のたのしみに、こんなお節介はいふまい。
三島由紀夫「ゴルフをやらざるの弁――私は天下のヘソ曲り」より 私はそこらの分類屋の世代論などには歯牙もかけないが、この九十ページにおよぶ評論だけはパセティックな
同世代意識にひたつて、熱烈に読みをへた。明晰な論理に終始した一評論家の生涯を論じたところで、われわれは
せいぜい知的感銘しか受けないが、保田与重郎氏といふ存在は一つの不気味な神話であり、美と死と背理の
専門家の劇的半生であり、戦後の永い沈黙がまたそれ自体一つの神話である以上、はじめ昭和七年ごろの知識人の
デカダンスから説き起こされたこのエッセイは、スピーディーな精神史的展望と共に、おもしろい小説的興味をも
喚起する。一つの時代とともに生き滅びること、自分の人生と思想をドラマにしてしまふことが、いかに恐ろしく、
戦慄的で、また魅惑的であるかを、このエッセイほど見事に語つた文章はまれである。そして現代と、保田氏の
青年期との、さまざまの不気味な暗合も語り明かされるのと同時に、日本人の美意識の根本構造について、不吉な
予言的洞察と宿命観が展開され、一読、暗い海に向かつたやうな印象を与へられる。
三島由紀夫「大岡信著『抒情の批判』」より 四月二十七日(木)
大岡氏が(保田与重郎の)精妙な分析をしてゐるが、こんな精神構造は、現代にも、現代にほそぼそと生きて
ゐる一人であるこの私にも、未だに妙な親近感を与へるから不気味なのだ。大岡氏が保田氏の文体の「頽廃化」の
例証をあげつつ、その論理的必然と一貫性をつかみ出す手つきは鋭く、読者はたちまち、昭和十年代の精神的
デカダンスから、自覚せる敗北の美学へ、言葉の自己否定へ、デマゴギーへ、死へ、といふ辷り台を一挙に辷り
下りることを強ひられる。思へば、私も、こんな泰平無事の世に暮しながら、どこかで死の魅惑と離れられないのは、
保田氏のおかげかもしれないのだ。(と云ふのはむしろ冗談だが)
そして、生の充溢感と死との結合は、久しいあひだ私の美学の中心であつたが、これは何も浪漫派に限らず、
芸術作品の形成がそもそも死と闘ひ死に抵抗する営為なのであるから、死に対する媚態と死から受ける甘い誘惑は、
芸術および芸術家の必要悪なのかもしれないのである。
三島由紀夫「日記」(昭和36年)より 本学の法科学生であつたころ、私が殊に興味を持つたのは刑事訴訟法であつた。(中略)
それ(刑事訴訟法)が民事訴訟法などとはちがつて、人間性の「悪」に直接つながる学問であることも魅力の
一つであつたらう。しかも、その悪は、決してなまなましい具体性を以て表てにあらはれることがなく、一般化、
抽象化の過程を必ずとほつて、呈示されてゐるのみならず、刑事訴訟法はさらにその追求の手続法なのであるから、
現実の悪とは、二重に隔てられてゐるわけである。しかし、刑務所の鉄格子がわれわれの脳裡で、罪と罰の観念を
却つてなまなましく代表してゐるやうに、この無味乾燥な手続の進行が、却つて、人間性の本源的な「悪」の匂ひを、
とりすました辞句の裏から、強烈に放つてゐるやうに思はれた。これも刑訴の魅力の一つであつて、「悪」といふ
やうなドロドロした、原始的な不定形な不気味なものと、訴訟法の整然たる冷たい論理構成との、あまりに
際立つたコントラストが、私を魅してやまなかつた。
三島由紀夫「法律と文学」より また一面、文学、殊に私の携はる小説や戯曲の制作上、その技術的な側面で、刑事訴訟法は好個のお手本で
あるやうに思はれた。何故なら、刑訴における「証拠」を、小説や戯曲における「主題」と置きかへさへすれば、
極言すれば、あとは技術的に全く同一であるべきだと思はれた。
ここから私の、文学における古典主義的傾向が生まれたのだが、小説も戯曲も、仮借なき論理の一本槍で、
不可見の主題を追求し、つひにその主題を把握したところで完結すべきだと考へられた。作家は作品を書く前に、
主題をはつきりとは知つてゐない。「今度の作品の主題は何ですか」と作家に訊くのは、検事に向かつて
「今度の犯罪の証拠は何ですか」と訊くやうなものである。作中人物はなほ被疑者にとどまるのである。もちろん
私はストーリイやプロットについて言つてゐるのではない。はじめから主題が作家にわかつてゐる小説は、
推理小説であつて、私が推理小説に何ら興味を抱かないのはこの理由による。外見に反して、推理小説は、
刑事訴訟法的方法論からもつとも遠いジャンルの小説であり、要するに拵(こしら)へ物である。
三島由紀夫「法律と文学」より 一人の作家を評価するのに、彼がビッコだからとか、マゾヒストだからとか、さういふものを前提にした評論は
一番つまらない。精神分析の本を一二冊読めば、何かのコムプレックスで作家の全作品を解明するのは易々たる業で、
子供でもできることである。
コンプレックスとは、作家が首吊りに使ふ踏台なのである。もう首は縄に通してある。踏台を蹴飛ばせば万事
をはりだ。あるひは親切な人がそばにゐて、踏台を引張つてやればおしまひだ。……作家が書きつづけるのは、
生きつづけるのは、曲りなりにもこの踏台に足が乗つかつてゐるからである。その点で、踏台が正しく彼を
生かしてゐるのだが、これはもともと自殺用の補助道具であつて、何ら生産的道具ではなく、踏台があるおかげで
彼が生きてゐるといふことは、その用途から言つて、踏台の逆説的使用に他ならない。踏台が果してゐるのは
いかにも矛盾した役割であつて、彼が踏台をまだ蹴飛ばさないといふことは、半ばは彼の自由意志にかかはることで
あるが、自殺の目的に照らせば、明らかに彼の意志に反したことである。
三島由紀夫「武田泰淳氏――僧侶であること」より あらゆる芸術ジャンルは、近代後期、すなはち浪漫主義のあとでは、お互ひに気まづくなり、別居し、離婚した。
(中略)
それぞれの分野が、八ちまたの八方へ別れ去つたのである。
かうして、めいめいの孤独が純粋性を追求した結果どうなつたか?
あとに残つたのは、エリオットのいはゆる「荒地」、それだけだ。
(中略)
氷つた孤独を通過して来たあとの各芸術ジャンルは、もう二度と、あんな生あたたかい親しみ合ひを持つことは
できない。
今後来るべき交流と綜合は、氷のやうな交流で、氷河的綜合にちがひない。
今ここに、かりにアヴァン・ギャルドといふ名を借りて、舞踊、音楽、映画、絵画、演劇、の各ジャンルが、
一堂に会して展観される。人はアヴァン・ギャルドなどといふ名にとらはれる必要はない。ここに二十世紀後半の
芸術の宿命的傾向を見ればそれで足りる。それは宿命であつて、今ふんぞり返つてゐる古い芸術も、畢竟この道を
辿らねばならないのだ。
そこで、純粋性とは、結局、宿命を自ら選ぶ決然たる意志のことだ、と定義してもよいやうに思はれる。
三島由紀夫「純粋とは」より 個体分裂は、分裂した個々の非連続性をはじめるのみであるが、生殖の瞬間にのみ、非連続の生物に活が入れられ、
連続性の幻影が垣間見られる。しかるに存在の連続性とは死である。かくてエロチシズムと死とは、深く
相結んでゐる。「エロチシズム」とは、われわれの生の、非連続的形態の解体である。それはまた、「われわれ
限定された個人の非連続の秩序を確立する規則的生活、社会生活の形態の解体」である。
主知主義の能力の限界は、人間が生の非連続性に耐へ得る能力の限界である。この限界を究めようとする実験は、
主知主義の側から、しばしば、且つ大規模に試みられたが、ゆきつくところは、個人的な倫理の確立といふところに
落ちつかざるをえない。戦後の実存主義も、かうした主知主義的努力の極限のあらはれであつて、死と神聖感と
エロチシズムとを一直線に結ぶ古代の血みどろな闇からの救ひではない。われわれが今ニヒリズムと呼んでゐる
ものは、バタイユのいはゆる「生の非連続性」の明確な意識である。そして主知主義的努力は、その非連続性に
耐へよ、といふ以上のことは言へないのである。
三島由紀夫「『エロチシズム』――ジョルジュ・バタイユ著 室淳介訳」より バタイユがロジエ・カイヨウの持論を紹介してかう言ふ。
「(中略)宗教外の時間は普通の時間で、労働と禁止尊重の時間であり、神聖な時間は祭の時間、つまり本質的には
禁止違犯の時間であります。エロチシズムの面では、祭はしばしば性的放縦の時間であり、専ら宗教的な面では、
とくに殺人禁止の違犯である犠牲の時間でありました」
しかしかういふ明快な時間割を、現代人は完全に失つた。宗教の力は微弱になり、宗教の地位に、映画や
テレヴィジョンを含む各種の観念的娯楽がとつて代り、文学の少なからぬ部分もこれに編入されることになつた。
それらは毎日、性的放縦の観念と殺人の観念を、水にうすめて、ヴィタミン剤のやうに供給してゐる。いたるところに
エロチシズムが漂ひ、従つて死の匂ひが浸潤してゐる。それがますます機能化され単一化されてゆく機械的な
社会形態の、背景であり、いはゆるムードである。火葬場のある町に住んでゐる人のやうに、かくてわれわれは
死の稀薄な匂ひに馴らされて、本当の死を嗅ぎ分けることができない。
三島由紀夫「『エロチシズム』――ジョルジュ・バタイユ著 室淳介訳」より サドの文学はヒューマニズムで擁護される性質のものではない。また、芸術的見地から弁護される性質のものではない。
サドはこの世のあらゆる芸術の極北に位し、芸術による芸術の克服であり、その筆はとつくに文学の領域を踏み
越えてしまつてゐた。時代を経て徐々にその毒素を失ふのが、あらゆる芸術作品の通例だが、サドほど、何百年を
経てもその毒素を失はない作家はなからう。それはあらゆる政治形態にとつての敵であり、サドを容認する政府は、
人間性を全的に容認する政府であつて、そんなものは政府の埒外に在るから、政府は一日も存続しまい。つまり
サドは芸術のみならず、政治に対しても、政治による政治の克服、政治が政治を踏み越えることを要求せずに
ゐないのだ。
かういふと、あたかも今私が、警察当局の態度を是認するかの如くだが、サドの文学の本質の問題と、良識ある
飜訳家、誠実な研究家かつ紹介者たる澁澤氏の問題とは別である。私は、澁澤氏のために怒つてゐるので、
サドのために怒つてゐるのではない。
三島由紀夫「受難のサド」より 序文といふものは、朝、未知の土地へ旅立つてゆく若い旅人に与へる「馬のはなむけ」のやうなものである。
あたりはまだ薄闇に包まれてゐて、やがて汗ばむことになる馬の鬣(たてがみ)も、ひんやりと朝露に濡れてをり、
前脚ははやるやうに蹄を挙げて草を蹈みしだいてゐる。若い旅行者は元気よく馬の背に鞍を乗せ、腹帯をきつく締め、
さて馬に打ち跨がつて、馬上から見送りの人へ振向いて微笑する。しかしその顔にはすでに未知の土地の幻影が
かがやいてをり、昨夜まで滞在してゐた地方は、朝露のやうに急速に、その記憶から拭ひ去られてゆくのが
見てとれる。序文の筆者は、ただ馬の鼻先を、未知のはうへ向けてやればよいのだ。それで万事をはりだ。馬は
走り出し、旅人は二度とこちらを振向くことがない。
春日井建氏のこのブリリアントな処女歌集に贈る私の序文も、それ以外のものであつてはならない。しかしすでに、
目先しか見えない人々の間で、氏の歌がやすやすと前衛短歌などといふレッテルを貼りつけられてゐる。さういふ
俗悪な誤解は、この機会に解いておかなければならない。
三島由紀夫「春日井建氏の『未青年』の序文」より (中略)
言葉が、氏の場合、柔らかな生身を守る固いきらきらした胸甲のやうになつてゐるのは、今日の若者の場合、
当然の抒情的要請である。言葉にはふしぎな逆説的機能がある。言葉で固く鎧へば鎧ふほど、柔らかな生身は
ますますいたましく鋭い外気にさらされなければならない。氏は詩語を平気で蹴ちらかし、強引な観念聯合を
設定するが、かうした外界の現実への抵抗の姿勢が、逆になまなましい傷つきやすい赤裸の肌をさらけ出して
ゐるのである。胸甲のやうな言葉の金属性は、現代に対する敏感な反応であつて、言葉をうすい皮膚のやうに
なめらかに身にまとつてゐる既成歌人たちは、現代に対して鈍感なだけのことである。その代り、彼らは傷つく
ことから免かれてゐる。抒情は言葉の皮膚の上にとどまつてゐるからだ。しかし赤い立派な胸甲を持ちながら、
春日井氏の魂は裏返しの海老である。その魂は、歌集のいたるところで、活作の海老のやうにぴくぴくと慄へてゐる。
私はこの肉の顕在を愛する。
三島由紀夫「春日井建氏の『未青年』の序文」より 又一つ言ふと、歌には残酷な抒情がひそんでゐることを、久しく人々は忘れてゐた。古典の桜や紅葉が、血の
比喩として使はれてゐることを忘れてゐた。月や雁や白雲や八重霞や、さういふものが明白な肉感的世界の
象徴であり、なまなましい肉の感動の代置であることを忘れてゐた。ところで、言葉は、象徴の機能を通じて、
互(かた)みに観念を交換し、互みに呼び合ふものである。それならば血や肉感に属する残酷な言葉の使用は、
失はれた抒情を、やさしい桜や紅葉の抒情を逆に呼び戻す筈である。春日井氏の歌には、さういふ象徴言語の
復活がふんだんに見られるが、われわれはともあれ、少年の純潔な抒情が、かうした手続をとつてしか現はれない
時代に生きてゐる。
現代はいろんな点で新古今集の時代に似てをり、われわれは一人の若い定家を持つたのである。
三島由紀夫「春日井建氏の『未青年』の序文」より 作家あるひは詩人は、現代的状況について、それを分析するよりも、一つの象徴的構図の下に理解することが多い。
それは多少夢の体験にも似てゐる。ところで犯罪者もこれに似て、かれらも作家に似た象徴的構図を心に抱き、
あるひはそのオブセッションに悩まされてゐる。ただ作家とちがふところは、かれらは、ある日突然、自分の中の
象徴的構図を、何らの媒体なしに、現実の裡に実現してしまふのである。自分でもその意味を知ることなしに。
若い不平たらたらなサラリーマンの心には、社長になりたいといふ欲求と紙一重に、若いままの自分の英雄的な
死のイメーヂが揺曳してゐる。これは永久に太鼓腹や高血圧とは縁のない死にざまで、死が一つの狂ほしい
祝福であり祭典であるやうな事態なのである。
「俺が滅びるのだ。だから世界がまづ滅びるべきだ」といふ論理は、生きるための逃げ口上に使はれれば、容易に、
「世界が滅びないのなら、俺は滅びることができない」といふ嗟歎に移行する。いづれも死を前提にした論理で
あるのに、死が死の不可能と固く結びついてゐる。
三島由紀夫「魔――現代的状況の象徴的構図」より 作家は現実の犯罪の手続をとることもなく、又、ただひたすらに孤独から遁れ去らうといふ欲求に身を任せるでもなく、
まづ、生れながらに、絶対孤独を自分の棲家とする。だから、そこに棲んだまま、黙つて、何も言はずに、涸化して
死んでしまつた作家もある筈だ。一行も書かなかつた作家といふものもある筈だ。
作家はこんなにも沢山、自分の絶対孤独の雛型を作つてどうしようといふのであらうか? 私はかつてこんな
不気味な漫画を見たことがある。礼服にシルクハットの人形売りが街頭に立つてゐる。彼の足もとには、彼と
そつくりな礼服にシルクハットの沢山の小さな人形が、背中のネヂを十分に巻かれて、四方八方へ歩き出してゐる。
この漫画の惹起する笑ひには、ぞつとするやうなものが含まれてゐた。これが大方の作家が心に抱く象徴的構図だと
言つてもまちがひではあるまい。他者は永久に来ないことを作家は知つてをり、連帯の不可能も明らかであり、
犯罪は一回きりで終り、劇的な死も一回きりで終るのは明らかである。
三島由紀夫「魔――現代的状況の象徴的構図」より (中略)
絶対孤独はいかなる場合も非生産的なものである。しかしこのうつろな非生産性が、歴史に動かされて、もつとも
執念深いもつとも持続的な生産者を作り出す。これが作家といふものであり、作家がある時代の申し子となるのは
こんな事情に依るが、時代のはうでは、それぞれの時代の純粋な絶対孤独の持主に目をつけて、こいつを拾い上げ、
こいつに記録者としての全権を委任することがよくあるのだ。時代は孤独者が孤独の雛型を次々と作り出すのを
ゆるす。後世にのこすためには冷たいタイルの羅列のはうが長持ちするからだ。
それにしても作家は、自分が生きてゐる時代と絶対孤独との関係については、たえず頭を悩まさざるをえない。
これは一体どういふ関係であらうか? それは単に、醜聞のやうなものなのか? 書くたびに、書けば書くほど、
彼はこのことを思ひ詰め、このふしぎな疑問が、はては彼の反復される主題にまでなつてしまふ。
三島由紀夫「魔――現代的状況の象徴的構図」より (サドの)獄中生活はその禁慾によつてサドの想像力を助け、中世の僧侶が禁慾によつて地獄の残忍非道な
イメージを得たやうに、彼をやむをえず芸術家にし、革命の嵐の実践行為の世代から、彼はやむをえず自分を守つた。(中略)
サドの人生には事件は山ほどあるが、その意味でのドラマはない。一個の強烈な思想はあるが、その意味での
意志悲劇はない。ツワイクが描いたバルザックのやうなドラマの代りに、ここには書斎と牢獄が同義語をなし、
究理慾と創作活動とが同義語をなした十八世紀といふふしぎな時代が現前してゐる。(中略)
人間解放の意欲と牢獄とは、多くの社会運動家の生涯の、矛盾した二要素をなしてゐて、珍らしくもないが、
サドがサドたるゆゑんは、この二つのものを統一する原理が、芸術を措いては存在しないやうな境地へ、自分を
追ひ込んだことであらう。イデオロギーは解放と牢獄とを一直線上に浄化する。サドはそのやうに浄化されない
もう一つのファクター(性慾)を追究し、性と解放と牢獄との三つのパラドックスを総合するには芸術しかない、
といふ結論に、やむをえず達したのであらう。
三島由紀夫「恐ろしいほど明晰な伝記――澁澤龍彦著『サド侯爵の生涯』」より 大多数の日本人が、敗戦を、日本の男が、白人の男に敗れたと認識してガッカリしてゐるときに、この人(谷崎
潤一郎)一人は、日本の男が、巨大な乳房と巨大な尻を持つた白人の女に敗れた、といふ喜ばしい官能的構図を以て、
敗戦を認識してゐたのではないかと思はれるふしがある。大きな政治的状況を、エロティックな、苛酷な、
望ましい寓話に変へてしまふことこそ、この人の天才と強者としての自負の根源だつた。
敗者といふ言葉にまつはる日本的なセンチメンタリズムや湿気から、氏ほど無縁であつた人はない。敗北といふ
ことが氏の官能の太陽であつたから、「刺青」の女の背の刺青が朝日にかがやくのへ拝跪したときから、氏の
幸福な敗北の独創がはじまつた。そのとき氏は、芸術家であることの、殊に日本で芸術家であることの、秘鑰を
発見したのだと言つてよい。俗世間との戦ひ、政治との戦ひ、芸術以外のあらゆるものとの戦ひに、官能の
戦ひにおけるその敗北のひそかな勝利をあてはめ、ふえんすることによつて、氏は逆説的にも、絶対不敗の
芸術家になつた。
三島由紀夫「谷崎文学の世界」より つまり氏は、俗世間をも、政治をも、いや、この世界全体をも、刺青を施した女の背中以上のものとは見なかつた。
外界はみんな女の肉体の諸相に姿を変へた。それは乳房であり、尻であり、背中であり、足裏であり、そのもつとも
秘密の部分に「母」が宿つてゐた。氏のフェミニズムが、強烈であると同時に単純な構図を持つのは、そこに
氏の世界と人間に対する態度決定が前提となつてゐたからであり、美への憧憬と侮蔑的世界観とが統合されて
ゐたからである。かういふものをこそ、われわれは真個の思想と呼び、あへて感覚とは呼ばないが、日本の
へんぱな社会科学者流の批評家によつて、氏は久しく「思想のない作家」と呼ばれてゐた。
だから、そんな連中は虫けらだつた。女の荘厳な肉体の一片にも化身できない連中だつた。谷崎氏はかれらを
無視してゐた。
氏の生涯のやうに、文学者として思想的一貫性を持ち、決してその「発展」などに意をもちひず、言葉を、ただ
徐々に深まる人間認識に沿うて深めてゆくことのできた、幸福な事例は、おそらく絶後であらう。
三島由紀夫「谷崎文学の世界」より (中略)
芸術作品としての「春琴抄」や「蘆刈」や「吉野葛」や「細雪」や「少将滋幹の母」などの、一種言ひやうのない
ツルツルした様式的完成は、氏の美学が、いかに既存のものの一流的安定を愛し、氏の人間認識がいかに未踏の
破壊的なものにつながつてゐたかといふ、その危機に対抗するところに生れた僥倖の所産であるかとさへ考へる。
もちろん古典といふものはそのやうにして残つてゆき、上田秋成も、「春雨物語」の作者としてよりも、
「雨月物語」の作者として残つたのである。
氏の生涯は芸術家として模範的なものだといふ考へは私の頭を去らない。日本の近代の芸術家中の一流中の一流の
天才である氏は、日本の近代といふ歴史的状況のあらゆる矛盾を「痴態」と見てゐたにちがひない。そして
それによつて犠牲にされたあらゆるものを、氏はあの豊じゆんな、あでやかな言葉によつて充分に補つた。
かつてわれわれが「日本語」と呼んでゐた、あの無類に美しい、無類に微妙な言語によつて。
三島由紀夫「谷崎文学の世界」より (谷崎潤一郎)氏はうるさいことが大きらひで、青くさい田舎者の理論家などは寄せつけなかつた。自分を
理解しない人間を寄せつけないのは、芸術家として正しい態度である。芸術家は政治家ぢやないのだから。
私はさういふ生活のモラルを氏から教へられた感じがした。それなら氏が人当りのわるい傲岸な人かといふと、
内心は王者をも挫(ひし)ぐ気位を持つてゐたらうが、終生、下町風の腰の低さを持つてゐた人であつた。
初対面の人には、ずつと後輩でも、自分のはうから進み出て、「谷崎でございます」と深く頭を下げ、又、
自分中心のテレビ番組に人に出てもらふときには、相手がいかに後輩でも、自分から直接電話をかけて丁重に
たのんだ。秘書に電話をかけさせて出演を依頼するやうな失礼な真似は決してしなかつた。
深沢七郎氏の本の出版記念会が日劇ミュージック・ホールでひらかれたとき、私は谷崎氏の隣席でショウを見てゐた。
ショウがをはつて席を立つた私のあとから、谷崎氏が、「お忘れ物」と云ひながら、席に忘れた私のレインコートを
持つて来て下さつたのには恐縮した。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より ふつうの世界なら、「おい君、忘れてるよ」と、私の肩でも叩いて注意してくれるのが関の山であらう。文士の
世界では、どんなにヒヨッコでも一応、表向きは一国一城の主として扱へ、といふ生活上のモラルも、私が
かうして氏から教はつたものであつた。
そんなに深いお附合はなかつたが、私が氏から無言の裡に受けた教へは、このやうに数多い。
それといふのも氏は大芸術家であると共に大生活人であり、芸術家としての矜持を守るために、あらゆる腰の低さと、
あらゆる冷血の印象を怖れない人だつたからだ。しかも荷風のあまりに正直な冷笑的な生き方に比べて、氏の
生き方は概括的に云つて円い印象を与へ、しかも遠くから見ると、鬱然として巨大に見えた。氏は世俗の目の
遠近法をよく知つてゐたのである。
氏は十九世紀に生れながら、むしろ十八世紀人としての器量を持つてゐたと、つねづね私は考へてゐる。その文学の
本質は、十九世紀の小説の概念だけではつかまへにくいのである。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より (中略)
身も蓋もない考へといふのが、老荘思想の影響からか、日本では妙にもてはやされるが、氏は一見装飾派様式派で、
琳派の芸術の一種のやうに見えながら、その実、氏ほどその作品を通じて、身も蓋もないことを言ひつづけた人はない、
といふのが私の考へである。
それはいはば周到な礼譲に包まれた無礼な心といふ点で、氏の生活と照応してゐるが、晩年の不気味な傑作
「瘋癲老人日記」にいたるまで、氏は、人間精神が官能に必ず屈服する、といふ一つの定理をしか語つてゐない。
それは自然主義とは又ちがふのであつて、「少将滋幹の母」などにあらはれてゐる母へのあこがれの主題が、
氏の一生をつらぬいた抒情であるとするならば、氏はこのやうな抒情の根源を、幼年時の恐怖、それへの屈服、
敗北、敗北によるあでやかな芸術的開花、といふふうに、分析し、探究する。
初期の「刺青」は、その意味で、実に象徴的な作品である。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より (中略)
それはまづ美へのあこがれからはじまる。刺青師は氏の抒情を担つてゐる。鋭い刃による制作がはじまる。
氏の苛酷な芸術家精神と批評精神がそこにこもつてゐる。彫り上る。そこで突然、価値の顛倒が起る。芸術品と
化した女体は、おそるべき勝利の女神になり、もう刺青師の意志の操り人形ではなくなつてしまひ、やがて
刺青師を足下に踏みにじるべき怖ろしい存在の予感をひびかせてゐる。そこに彼は、幼年期への恐怖を再び見出す。
彼はひざまづく。ひざまづくことのなかに恍惚がある。安心がある。彼は自分の作つたものの前にしか決して
ひざまづかないことを自分で知つてゐるからである。その敗北、その拝跪によつて、はじめて彼は幼年期の恐怖から
自由になり、性の根源に対して、「母」へのあこがれの抒情を寄せることもできるのである。
いささか図式的だが、この構図は、氏のほとんどの作品にあてはまるやうに思ふ。「痴人の愛」のナオミは、
新しい女の風俗的典型のやうに読み誤られたが、実は純然たる氏の頭脳の所産であつた。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より 作家といふものは、複雑精妙な機械装置を持つ必要はない。石でも木でも刻める、一本の強力なノミを持てばよい。
それは職人芸などといふ考へとは別物で、言葉の芸術では、言葉に一つの強力な統制原理を与へることが何よりも
必要なのである。
谷崎氏ほどそれを徹底的にやつた作家は稀であり、女体を彫ることに集中された言葉や文体は、それ自体次第に、
女体そのもののやうに曲線美や丸みを帯びてゐた。そこまで行つたものだけが作家の「思想」と呼ぶにふさはしく、
谷崎氏は思想的な作家だつたと云つて、少しもまちがひではない。
しかし晩年の「鍵」や「瘋癲老人日記」では、つひに氏の言葉や文体が、肉体をすら脱ぎ捨てて、裸の思想として
露呈して来たやうに思はれ、そこにあらはに示された氏の人間認識の苛酷さも、極点に達してゐた。
氏の死によつて、日本文学は確実に一時代を終つた。氏の二十歳から今日までの六十年間は、後世、「谷崎朝文学」
として概括されても、ふしぎはないと思はれる。
三島由紀夫「谷崎朝時代の終焉」より 本とはよくしたもので、読むはうに「読書術」などといふ下品な、町人風な、思ひ上がつた精神があれば、
本のはうも固く扉をとざして、奥の殿を拝ませないのが常である。殊に文学作品を読むには、それなりに一定の
時間と、細心の注意と、酔ふ覚悟が必要である。
私は二三の文学賞の委員をしてゐるが、その一つは殊に長編小説中心の賞で、各作家の心をこめた長編を七つ八つは
読まねばならぬ。大へんな重量感で、大へんな精神的負担である。気持が受身になつたら最後、読めるものではない。
そこで私は、心持を水のやうにして、作品の中へ流れ入るやうに心がける。すると大ていな偏見も除かれ、
どんなに自分のきらひな作家でも、その作家なりの苦心経営の跡を虚心に味はふことができる。そのためには
どうしても時間がかかる。時間をかけたくなければ、偏見の色メガネをかけて読めばよいのである。これが
速読法としてはもつとも有効確実なものであらう。
三島由紀夫「私の読書術」より 岡田斗司夫は子供のころから軍歌が好きだったというから、歌詞から入る人なの
かもしれない。でも、個人的には「外人の歌う曲」であっても心に響く、というか
「いい」と思えるのだけど。俺、歌詞カードとかあまり読まないしなあ。日本人だ
からといって日本語しか理解できないわけではないのだし。そういえば、岡田斗司
夫は『スター・ウォーズ』の『インペリアル・マーチ』に歌詞をつけたことでも知
られるけど、あの曲は心に響いたのだろうか。作ったのは外人(ジョン・ウィリア
ムズ)ですが。 八十年の生涯を通じて、(谷崎)氏がほとんど自己の資質を見誤らなかつたといふことはおどろくべきことである。
横光利一氏のやうに、すぐれた才能と感受性に恵まれながら、自己の資質を何度か見誤つた作家のかたはらに置くと、
谷崎氏の明敏は、ほとんど神のやうに見える。
もし天才といふ言葉を、芸術的完成のみを基準にして定義するなら、「決して自己の資質を見誤らず、それを
信じつづけることのできる人」と定義できるであらうが、実は、この定義には循環論法が含まれてゐる。といふのは
それは、「天才とは自ら天才なりと信じ得る人である」といふのと同じことになつてしまふからである。コクトオが
面白いことを言つてゐる。「ヴィクトル・ユーゴオは、自分をヴィクトル・ユーゴオと信じた狂人だつた」
初期の作品「神童」(大正五年)において、谷崎氏はすでに、あらゆる知的教養に対する不信を表明したが、
この発見こそ、氏の思想の中軸をなすものの発見だつた。それは同時に、自己の資質の発見とそのマニフェストであつた。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より (中略)
氏は、自由の根拠にエロスを持つて来た。自分が縛られないといふことの根拠に、最も協力に自分が縛られるものを
持つて来た。ここに於て、断念すなはち自由の放棄と、解放すなはち自由の獲得とは、終局的に同一の意味を持ち、
かたがた、芸術制作上の倫理ともなるのである。芸術制作における言葉と文体の厳格性において、氏は稀に見る
精進を生涯つづけた。
エロス自体の性質といふものもある。サディスティックなエロスは批評に向いてゐるが、マゾヒスティックな
エロスは、つるつるした芸術的磨き上げに適してゐる。そして前者は束縛を厭うて形式を破壊し、感受性を
涸渇させる危険があるけれど、後者は愛する対象による束縛を愛して、感受性の永遠の潤沢を保障しうる。
理想的な作家は両者の混淆にあるのだらうが、どちらかに偏するなら、後者に偏したはうがいい。それにしても
谷崎氏のエロスの傾向は、前述の自由の問題の解決にもつとも好都合のものであつた。自己批評の達人であつた氏が、
このやうな自己の資質を、芸術制作に十二分に利用しなかつた筈はないのである。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より (中略)
鬼子母神は、子をとらへて喰ふ罪業を拭はれて、大慈母となるのであるが、氏のエロスの本質を探つてゆくと、
この鬼子母神的なものにめぐり当る。(中略)女性とは、氏にとつて、このやうなダブル・イメーヂを持ち、
慈母としての女性の崇高な一面は、亡き母に投影され、一方、鬼子母的な一面は、ナオミズムの名で有名な
「痴人の愛」の女主人公に代表されるのであるが、後者ですら、その放埒なエゴイズムと肉体美が、何か崇高な
ものとして崇拝の対象になつてゐる。そして、女性のこの二つの像が、最晩年の「瘋癲老人日記」の主人公の
極楽往生の幻想のうちに、見事に統一されてゐると考へられる。
前者の女性像を中心とした「刺青」「春琴抄」「鍵」と、後者、すなはち母のイメーヂを中心とした「母を恋ふる記」
「少将滋幹の母」の、二系列のうち、谷崎文学を語るときに、後者の系列も決して無視することはできない。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より なぜならそこでは、女性に対するもつとも浄化された愛が唱ひ上げられ、通例の意味の恋愛小説といふ点では、
却つてこの系列のはうが恋愛小説らしいからである。しかし、それでは慈母の像に全くエロスの影が認められぬかと
いふと、さうとは云へないところが谷崎的である。ただ、母のエロス的顕現は、意識的な欲望の対象としてではなく、
無意識の、未文化の、未知へのあこがれといふ形でとらへられるので、そのとき主体は子供でなくてはならない。
(中略)
かういふ母性への醇化された憧れに、たまたま肉慾がまじつて来ると、忽ち相手の女性は転身して、「刺青」や
「春琴抄」の女主人公のやうな、美しい肉体のうちに一種の暗い意地悪な魔性を宿した、谷崎文学独特の女に
なつて来るところが面白い。しかし、仔細に見ると、これらの女性の悪は、女性が本来持つてゐる悪といふよりは、
男によつて要請され賦与された悪であり、ともすると、その悪とは、「男性の肉慾の投影」にすぎないのでは
ないかと思はれるのである。
三島由紀夫「谷崎潤一郎」より これを更につきつめると、(おそらく考へ過ぎの感を免かれまいが)、谷崎文学は見かけほど官能性の全的是認と
解放の文学でなく、谷崎氏の無意識の深所では、なほ古いストイックな心情が生きのびてゐて、それがすべての
肉慾を悪と見なし、その悪を、肉慾の対象である女の性格に投影させ、それによつて女をして、不必要に意地悪、
不必要に残酷たらしめ、以て主体たる男の肉慾の自罰の欲求を果さしめるといふメカニズムが働いてゐるやうに
さへ思はれる。すべてはこのメカニズムを円滑に運用し、所期の目的たる自罰を成功させるために、仕組まれた
ドラマではないのか? 女は単なるこのドラマの道具ではないのか?
しかし、道具であればあるほど、いよいよ美しく、いよいよ崇拝の対象であるべきで、少くともそのドラマの上では、
氏は女の肉体を崇拝することによつて、自分の肉慾を、自分の悪を崇拝し、以て「神童」の主題に対する永遠の
忠実を誓ふことになる。この悪へのアンビヴァレンツは、官能美を浄化された「母へのあこがれ」の世界では、
決して出現することがない。
三島由紀夫「谷崎潤一郎」より (中略)
「春琴抄」における佐助が自らの目を刺す行為は、微妙に「去勢」を暗示してゐるが、はじめから性の三昧境は、
そのやうな絶対的不能の愛の拝跪の裡に夢みられてゐた傾きがある。それなら老いは、それほど悲劇的な事態ではなく、
むしろ老い=死=ニルヴァナにこそ、性の三昧境への接近の道程があつたと考へられる。小説家としての谷崎氏の
長寿は、まことに芸術的必然性のある長寿であつた。この神童ははじめから、知的極北における夭折への道と、
反対の道を歩きだしてゐたからである。
(中略)
氏のエロス構造においては、性愛の主体は、おのれの目を突き、肉体をゼロへ近づければ近づけるほど、陶酔と
恍惚も増し、対象の美と豊盈と無情もいや増すのだつた。言ひかへれば、性愛の主体が、肉体を捨てて、性愛の
観念そのものに化身すればするほど、現前する美の純粋性は高まるのだつた。晩年の作品「鍵」にあらはれた
老いの主題は、佐助の行為の自然な延長線上にある。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より そして「瘋癩老人日記」において、この主題は絶頂に至るのであり、肉慾は仏足石の夢想の恍惚のうちに死へ
参入し、肉体は医師の冷厳な分析の下にゼロに立ちいたる。あの小説の結末の医師の記録を蛇足と考へる人は、
氏の肉体観念について誤解をしてゐるやうに思はれる。
女体を崇拝し、女の我儘を崇拝し、その反知性的な要素のすべてを崇拝することは、実は微妙に侮蔑と結びついてゐる。
氏の文学ほど、婦人解放の思想から遠いものはないのである。氏はもちろん婦人解放を否定する者ではない。
しかし氏にとつての関心は、婦人解放の結果、発達し、いきいきとした美をそなへるにいたつた女体だけだ。
エロスの言葉では、おそらく崇拝と侮蔑は同義語なのであらう。しかし氏の場合、この侮蔑の根拠である氏自身の
矜持は、いかなる性質のものであらうか。それは知的人間、見る人間、非肉体の矜りであらうか。それともただ、
男の矜りなのか。あるひは又、天才の矜りなのであらうか。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より (中略)
ここ(「蓼喰ふ虫」)には、性的関心がたとへ侮蔑と崇拝のアンビヴァレンツをゆれうごいてゐるとしても、
ひとたび性的無関心にとらはれたときの男は、どのやうな冷酷さに到達しうるかといふ見本がある。(中略)
世界の何ものも、このやうな性的冷淡の地獄に比べれば、歓びならぬものはなく、お祭ならぬものはない。
どうしても女は、谷崎氏にあの侮蔑と崇拝のドラマを作らせる要因として、活き、動き、笑つてゐなければならない。
さうでなければ、女一般などは何の意味もないのである。
女ならどんな女でも、そこに微妙な女性的世界を発見して、喜び、たのしんだ室生犀星のやうな作家に比較すると、
谷崎氏は決して、いはゆる女好きの作家ではない。一般的抽象的な女、かつ女一般、女全体は、氏に何ものも
夢みさせはしないし、女がただ女なるが故に、氏の幻想を培ふのではない。氏にとつては、女はあくまで、氏の好みに従つて美しく、
極度に性的関心を喚起しなければならず、そのとき正に、その女をめぐるあらゆるものがフェティッシュな光輝に
みちあふれ、そこに浄土を実現するのだ。
三島由紀夫「谷崎潤一郎について」より こいつが熊谷を罠にはめたフジテレビの在日アルバイター
市川卓 id=23413879
http://i.imgur.com/pyY0V.png
http://yfrog.com/user/tk_tk1117/profile
http://twitter.com/#!/tk_tk1117
http://beebee2see.appspot.com/i/azuYk_2mBAw.jpg
tk_tk1117って誰?
現在地: Tokyo,Sapporo,Japan
自己紹介: 本日晴天なり。 法政大学は多摩キャンパスなり。
俺、スンヨンなり。 友達は、イケてるやつばかりだ。 いや嘘だ、クソメンばかり。 果敢な人生だ。
ハレルヤ? FELIX/O2/津田ゼミ/フジテレビ/北海道日本ハム/柴咲コウ/AAA/東方神起/JYJ/SCANDAL/miwa 音が好き。ノリで生きてる。直感タイプ。
http://twitter.com/#!/tk_tk1117/status/91374786369949696
@tk_tk1117 いちかわ
@aralenaoco オーストラリア行かないんすか?コアラ♪(´ε` ) カナダに行こうと思ってます。韓国に帰るってのもありなんだけどー
7月14日 Teeweeから
日本人は「韓国に帰る」とかツイートしません 谷崎氏は日本古典を愛しつつ、一方、小説家として少しも旧慣にとらはれない天才であつた。この相反するかの
ごとく見える二つの特性は、日本の近代文学史の歪みの是正にもつとも役立つた。なぜなら日本の近代小説は、
日本古典の流れを汲まず、一方、自分たちのこしらへた奇妙な「近代的旧慣」のとりこになつてゐたからである。
私は問題の所在は、簡単に云へば、日本の近代小説における過度の「リアリティー」の要請にあつたと考へる者である。
いふまでもなく小説は、たとへ幻想小説であれ、その根底に「まことらしさ」の要請を負つたジャンルである。しかし、
「真清水は、ただ清水也。まことの清水といふ心也」(正徹物語)
といふやうな、中世の簡明な芸術理念は忘れ去られ、私小説的芸術理念は、この芸術上の約束にすぎぬ
「まことらしさ」を踏み越えて、ほとんど立証不可能であつてしかも説得的なもの、といふ領域に踏み入つたのである。
三島由紀夫「谷崎潤一郎頌」より 日本人の莫迦正直が、西欧の自然主義リアリズムを過度に信奉して、これを俳諧や随筆文学のスポンタニーイティの
美学と結びつけて、つひには小説の「まことらしさ」を、「一定の現実に生起した事実のもたらす主観的信憑性」
といふ窄い檻に押し込めてしまつた。その果てに一種の詩を招来したことは、なるほど私小説の功績だが、一方、
日本の小説は、体験主義に縛られつつ、「まことらしさ」の苛酷にすぎる要請を背負はされることになつた。
谷崎氏はこれを打破したのである。これを打破するのに、氏は四つの強力な武器を持つてゐた。すなはち、観念、
官能、写実、文章の四つである。
(中略)写実は、氏が源氏物語から学んだ世界包括性を持つた技術であつて、(「細雪」の洪水のシーンを見よ)、
それを氏はひたすら文章の練磨によつて支へた。氏の言葉は、「この世にありえぬやうな真実(ヴェリテ)」へ
向けられたが、(一例が「春琴抄」)、何らそれはバロック的誇張ではなく、氏が「見捨てられた真実」に一生
忠実を誓つたことにすぎない。
三島由紀夫「谷崎潤一郎頌」より @tkok_sosk_8228
高岡蒼甫
http://twitter.com/#!/tkok_sosk_8228/status/97746539908308992
三島由紀夫さんがこう言った。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、
からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大
国が極東の一角に残るのであろう。
戦後60年以上経ち尚、人は考える事を拒絶している。その中に自分も存在してる。
15時間前 実は白状すると、私は舞台へ背を向けて、客席を見てゐるはうがよほどおもしろかつた。何のために興奮するか
わからぬものを見てゐるのは、ちよつと不気味な感動である。私だつて、興奮が自分の身にこたへれば、エレキ
だらうと、何だらうと偏見はない。(中略)
しかし、今目の前に見てゐる光景は、原因不明で、いかにも不気味である。
私の数列うしろの席は、ビートルズ・ファンの女の子たちに占められてゐたが、その一人はときどき髪を
かきむしつて、前のはうへ垂れてきた髪のはじをかんでゐるが、アイ・ラインが流れだしてゐる恨むがごとき
目をして、舞台をじつと眺めてゐる顔は、まるでお芝居の累である。(中略)
何で泣くほどのことがあるのか、わけがわからない。もつとも女の子は、たいてい、大してわけのないことにも
泣くものである。ふとつた子が、身も世もあらぬ有様で、酸素が足りないみたいに口をパクパクさせると思ふと、
急に泣きながら、
「ジョージ!」
「リンゴ!」
などと叫びだすのを見ると、心配になつてしまふ。
三島由紀夫「ビートルズ見物記」より 熱狂といふものには、何か暗い要素がある。
明るい午後の野球場の熱狂でも、本質的には、何か暗い要素をはらんでゐる。そんなことは先刻承知のはずだが、
これら少女たちの熱狂の暗さには、女の産室のうめき声につながる。何かやりきれないものがあるのはたしかだ。
だからビートルズがいいの悪いの、と私は言ふのではない。また、ビートルズに熱狂するのを、別に道徳的堕落だとも
思はない。ただ、三十分の演奏がをはり、アンコールもなく、出てゆけがしに扱はれて退場する際、二人の少女が、
まだ客席に泣いてゐて、腰が抜けたやうに、どうしても立ち上がれないのを見たときには、痛切な不気味さが
私の心をうつた。そんなに泣くほどのことは、何一つなかつたのを、私は知つてゐるからである。
虚像といふものはおそろしい。
三島由紀夫「ビートルズ見物記」より 三島:ときどきつまらない映画で発見することがありますね。この間、なんだったかちょっと忘れたが、男が
入ってきて、女がとても驚いて水差しを落すところがある。水差しが床に落ちて割れる。それを見てなるほどなあと
思って、しばらくあと考えたのだけれども、ちょっと落すのがおそいのだよ。それで、あっ嘘だと思うのですよ。
現実には人間の心理は、驚いてから水差しを落すまでに間がある。だけど映画はその瞬間見ていると明かに嘘に
なるのです。そうすると、芝居なんかのアクチュアリティというのは、やはり現実のままじゃいけないと思う。
なんかこれならアクチュアリティがあるというタイミングがあると思う。そのタイミングを演出家はしょっちゅう
考えなければならない。そのタイミングは現実とはちょっと違って、お客の心理の中にある。お客の持っている
生活体験から生れた最大公約数の真理がある。芝居はそういうものを狙わなければならない。つまりそれが芝居の
リアリティと、考えちゃったのです。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:(中略)現実通りにやると間がのびちゃう。あれは不思議なものだね。時間で計るわけにいかないことだからね。
三島:ただ見ているお客の目から見ると、女がびっくりして水差しを落す所を現実の生活でしょっちゅう
見ているわけじゃない。しかしわれわれの生活にはそういうときには、このタイミングで水差しを落さなければ
おかしいと考える法則ができている。そういう法則がなければ安心して生きていられない。その法則をみんな
持っている。ぼくもミーハーも同じだ。それが外れると嘘なんだと思う。
荻:ヒッチコックがリアクション・ショットをやるでしょう。ふっと驚くところを出して、次に、驚いた原因を
見せる。ただその原因を知っているだけじゃ、このおもしろさをだれでも出せるわけじゃないな。そのときの
タイミングというか、映画独特の時間を勘で持っているかどうか。格闘シーンなんか全然現実時間じゃないな。
三島:現実の格闘はもっと間の抜けたものだろう。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:結局そういうところは歌舞伎……新国劇の殺陣なんかも、舞台の時間というものを創作した人は偉かったですね。
三島:歌舞伎の場合はもっとスロー・モーションで引き伸ばしてあって、別のおもしろみを出している。
現実生活ではお客は見ていないで、なんか考えるところはおもしろいと思う。観客心理としておもしろいと思う。
だから小説と体験の問題でも、小説家の体験、読者の体験ということがどっかでマッチするところがある。
たとえば人殺しをやった体験は、読者にもない、作者にもない、しかもどっかで折り合いのつくものがなんか
あるのです、法則がね。
荻:三島さんが書いていらっしゃいましたね。舞台では一目惚れとか偶然ということは、簡単に観客のほうに
許されるところがあると。映画では、同じくドラマでも問題になる。たとえば日本のすれ違い映画が観客を
笑わせるのは、やはりおかしいからなんだ。ところが芝居だと、「ロミオとジュリエット」の一目惚れは実に
簡単に受け入れられるのだな。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:その点では映画は小説に近い。映画はドラマより小説に近いと思う。やはり時間の経過は映画の場合は
厳密じゃない。たとえば、急に十年飛ぶ。芝居は非常に構成が必然的だから偶然が許容される、ということが
考えられる。たとえば荻さんの話をして、荻さんどうしたろうと言っているところへ荻さんが入ってきても、
芝居だとおかしくない。映画じゃおかしいよ。ぼくは古典劇の技巧が好きなんだ。たとえば「あそこにネロが
やって来た、こうしちゃいられない、向うへ行きましょう」、ああいう技巧は好きなんだ。(中略)
しかし、映画はどうして演劇的であるということをいやがるのだろう。大概芝居くさいのは受けが悪い。
荻:それは見るほうも作るほうも、内心で解放感を求めているからでしょう。
三島:そうですね。
お客が一つの枠の中で享受する芸術の楽しみ方はもう失われちゃったからね。したがって、映画は枠が小さい
という観念――最近は大きくなったけれども――枠が小さいから、それで解放感を求めるということがあると思う。
人物全体を見られないからね。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:ぼくは映画が生れたのは小説の罪だと思う。(中略)小説の謳歌した罪を映画はもっと拡大して謳歌している。
五十歩百歩だ。小説家が映画の悪口を言うのは、眼クソ鼻クソを笑うと同じものだ。
小説の欠点をみんな持っているもの。たとえば一人の人生が一時間で語れるという、そういう確信を持っている。
戯曲はそんな確信を持っていなかった。ある人間の三時間とか一日とかしか語れない。小説、映画はそういうことが
できることになった。
小説の双子だな、芝居の双子というよりは……。
荻:まま子だな。だから、小説の崩れもずいぶん流れ込んだんじゃないか。
三島:オペラを喜んでいたお客は、現実生活とは違うものというので、それを喜んでいた。だけど小説が始まって
砕いちゃった。書いてあることは本当のことだという迷信を抱かしちゃった。だから映画が出てくるのは当たり前だ。
荻:映画は実写的だからなおその確信が映画の支えになったのだし、それはまだ続いている。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:しかし小説と映画はあまりにも近すぎて、かえって関係がない。近いものではないけれど、ぼくは芝居の
興味で見る。やはり映画は野外劇の発展したものじゃないですか。ページェントですね。だからイタリアの廃墟を
うまく使って「ロミオとジュリエット」を作ったり、そういうものはたしかに生きてくるのだ。つまり野外劇では、
舞台装置の全部が人工のものでなしに、現実におかれた外部のものがすっと入ってくる。廃墟とか水とか芝生とか、
そういう芝居と関係のないものが入ってくる。それで芝居が展開していくおもしろさ、そういうものは昔から
発見されていた。それが映画に発展して行ったと思うのです。
荻:映画論でそのことを指摘しているのは、日本では寺田寅彦さんですね。ドキュメンタリーのおもしろさは
全くそれなんですね。
三島:ものが入ってきたのだ、芸術の世界に。
劇では生のものは絶対出さないわけですよ。(中略)人間だけ生であとは生でないというのが芝居のミソだ。
映画では人間プラスいろいろなものが入ってくる。
荻:それが機械でとらえられるから、なお複数になっちゃうのですよ。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:三島さんは映画芸術を信じられる?
三島:ものによっては信じるな。
荻:条件づきですか。
三島:小説だって芸術だかどうだか怪しいものだ。いまや芸術というものはあまりはやらないからな。
荻:そうなんだ。
三島:小説も芸術じゃない、あいまいなものだと思います。非常に限定がない。限定がないものは芸術じゃない。
芝居とか詩とか、そういうのは限定があるから芸術だね。限定がないと、ぐずぐずになっちゃう。
荻:じゃ映画が条件づきで芸術というのはどういうところ?
三島:そうですね、出来と仕上げです。それから統一性ということだな。最初のすべり出しからラストまで
統一的理念が支配しているということ、そういう映画は芸術だと思うのだ。腰砕けになったものは芸術じゃないと思う。
それは三流西部劇だって統一的だよ、だけど……。
荻:そのほかに何かある?
三島:ほかにも何かあるでしょう。あいまいなものだ。小説だってこれは芸術か芸術でないかというのは見当つかない。
谷崎さんの「鍵」だってわからない。映画は小説と同じに芸術の概念があいまいなときに生れたのじゃないか。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 荻:ぼくは実をいうと芸術でなくともよいと思うのだが。
三島:そう思う。どうでもいい。
荻:つまらないものでも部分的に芸術的なところがある。
三島:それはあります。(中略)ぼくもなんか映画というものを根本的に信用していないことはたしかなんだ。
荻:どういう点ですか。
三島:多勢で作るから信用できない。
荻:それはいつも問題になる。批評家が戸惑うのもそこなんだ。(中略)ほかの芸術みたいに一個人を探し
求めようとすると、それは不可能です。(中略)
三島:芝居も多勢で作るものだが、台本は神聖だし……。
たとえば録音技師が音を入れる場合に、重役が口を出して、ここは人間が歩いているから足音がないとおかしい、
はい、入れますと、それを入れる。人間が歩くと足音がする。汽車が走るとシュシュポッポ。そこで崩れちゃう。
足音を入れちゃいかんという監督が何人いるかね。
荻:単に個人の権力として言える言えないでなく、入れちゃいかんという自信がなくなっちゃうわけです。皆で作る、
ということが根本なんだから。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:チャップリンでは「殺人狂時代」が好きだ。「ライムライト」は大嫌い。
荻:三島さんはやはり濡れたのが嫌いなんだ。
三島:大嫌い。
荻:「しのび泣き」(ジャン・ドラノワ)なんてのは濡れたところと乾いたところの境目みたいなものだけれども。
三島:ああいうものは許容できる。ガイガー検査器をあてると、許容量のリミットだね。
荻:映画というものがすぐセンチメンタルに湿ってくるということ、これも考えなければならない問題でね。
三島:「二十四の瞳」は困った映画ですね。木下恵介さんのああいう傾向は買えないな。
荻:あの人は一歩退いて自分をいじめることができる作家だ。乾かすこともできる。湿らすことも……。
三島:だけど日本人の平均的感受性に訴えて、その上で高いテーマを盛ろうというのは、芸術ではなくて政治だよ。
荻:しかし映画はそのポリシーが……。
三島:あるのだね。(中略)国民の平均的感受性に訴えるという、そういうものは信じない。進歩派が
「二十四の瞳」を買うのはただ政治ですよ。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:ぼくはほうぼうで引用するが、アーサー・シモンズの言葉、「芸術でいちばんやさしいことは、涙を
流させることと、わいせつ感を起させることだ」というのがあるが、これは千古の名言だと思う。
荻:逆に言えば、映画は末梢を刺激するようにできている。
三島:セックスの点がそうね。あんなセンジュアルなものはない。映画の根本的なものかもしれない。オッパイが
出てくれば、三メートルぐらいに拡がっちゃう。そういうことと涙と関係があるからね。
荻:映画ってものは観客をどうしても同化作用に引き込ませる。映画ですぐ作品のテーマということが問題に
なるのもそこね。たとえば頽廃的なもの、悪影響を及ぼすもの……。
三島:映画でいちばん信用できないのはそれなんです。人間的な限界をのり越すということなんだよ。彫刻は、
大きな彫刻はあるにしても、人間の限界にとどまっているからね。無害なんだ、芸術として。小説も人間の限界に
とどまっている。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:映画は人間の限界を飛び越すからね。オッパイは三メートル、十メートルになっちゃう。それは人間の
仕事でなく、拡大する機械の仕事なんだ。そういうものによって訴えるということは、人間的な限界を踏み越した
ものだと思うね。
荻:それはおもしろいな。みんなこの問題はマス・コミュニケーションの問題としてしか考えていない。
たくさんの人々に見られるから危険だというふうにしか考えない。
三島:ぼくは非人間的なものが危険だという考えだ。
荻:その点をまた映画は大変な武器にして来たわけでね。
三島:オッパイが十メートルになるということは、現実の世界にはない。シネマスコープは十メートルになる。
そんな昂奮はないかもしれない。そういう点でラクロの「危険か関係」のように、「観念がいちばんわいせつだ」
という信念で作られたエロ小説から考えると、十メートルのオッパイは観念なんだ。観念が拡大されて人間以上の
ものになっている。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 三島:ラクロがどんなに努力しても、人間の想像力のエロチシズムから出ない。映画は想像力を越して、ただちに
官能に命令する。そこが危険なんだ。そういうものを狙ったものが。ぼくも木石でないから感ずる。それは
芸術でないと感ずる。そういう武器はすごいよ、映画は。観念が拡大されて人間を追い越すという点では
恐るべき武器だ。どこまでも行っちゃう。古代ローマのコロシアムのショーね、あれなんか登場人物がほんとうに
死ななければ満足できなかったのだ。今やプロ・レスリングがそうだし、ボクシングがそうだ。
荻:抽象的なルールのないスポーツみたいなものなのね。
三島:ギリシャ劇がいつかローマの円形劇場のショーへ堕落して行ったのと小説が映画になったということは、
符節を合している。そこまで言うと身も蓋もなくなる。映画にもいい所があるけれども……。
(中略)
荻:一部の映画作家がむしろアンバランスなものを作ろうというところに、いわゆる映画芸術の悲劇があるのかも
しれない。
三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より 大体どんな芸術でも発展期は非常に発達して一応完成してしまうと発達しませんよ。映画は立体映画とか聴覚、
色彩がある。さらに匂い、それこそわきがの匂いが映画でかげるようになったって、一方に映画の本質的な
運命があるので、その運命的性格は抜け切れない。小説も小説の運命的な性格は抜け切れない。
三島由紀夫
吉村公三郎・渋谷実・瓜生忠夫との座談会「映画の限界 文学の限界」より 渋谷:イタリア映画はどうですか。
三島:嫌いなんですよ。なぜかというと見え透いていてね。あんなに見え透いたもの芸術じゃないと思うね。
そうしてね、ひとつひとつ言えば、あの「自転車泥棒」なんか、父子の義理人情からすぐさま共産主義へ持ってゆく、
理論的な飛躍の癪に障ること。それから「無法者の掟」の結末の浪花節的なこと。実につまらぬものだと思う。
「パイサ」を見たときは非常に面白かった。
(中略)
フランスの映画は、露骨な理論的飛躍がない。そこで止めておくから、見る人が理論的に追求して自分のほうへ
持ってゆくでしょう。「自転車泥棒」には理論的な押しつけがましさがセンチメンタルの後ろにあるので、
一面から質的相違に見えるけれど、センチメントはセンチメント。シモンズが文学論で言ってるけれど、芸術が
われわれに訴える涙ぐましさは猥褻さの効果とあまり変らない。そういう意味での涙脆さにすぎぬ。社会問題なんかは、
もっと理論的にイデオロギッシュに考えるべきだ。
三島由紀夫
吉村公三郎・渋谷実・瓜生忠夫との座談会「映画の限界 文学の限界」より 小森:若いシネ・クラブの会員のかたなどに対しては、どうお考えになりますか。
三島:なにか間違ってるんじゃないですか。映画を研究している若い人の話なんか聞くと、なんでこんなに
シチ面倒くさいことを、と思いますね。まず楽しむことですよ。映画で哲学を考えるんなら、哲学の本でも
読めばいいのに、本を読みもしないで映画で考えるなんていうのはナマケモノじゃないですか。
映画は芸術的雰囲気に酔ってくれたらいいんです。文学でも同じことで、あまりいろいろなものを求めすぎて……
文学も芸術ですから、やはり酔ってくれなければ困るんですね。それで酔わないものだから、みんなLSDなんか
のんで酔わなくちゃならない。(笑)
三島由紀夫
小森和子との対談「十二才のとき映画に開眼したんです」より 淀川:おいくつです?
三島:トニー・カーティス、ファーリー・グレンジャーと同い年……と言ったら、みんな笑う。一九二五年生れです。
どうして可笑しいのか……。
淀川:なんとなく可笑しい。なんとなく面白い。最近はまた大変ですね。歌舞伎の新作一本、新劇一つ、(中略)
それから読売の連載……。
三島:(中略)それに明日に控えた文春の“文士劇”があるんですよ。
淀川:それは大変、何をおやりになるの。
三島:「屋上の狂人」の弟役、僕の役……十八歳なんですよ、ハハッ十八歳なんですよ!
淀川:貴方なら充分、とってもお若い……その文士劇は他にどんなのがあります。
三島:「め組の喧嘩」と「車引」……こういうのに引っ張り出されると、本当に役者が自分の舞台で観客に
印象づけようと厚かましくもなる……そんな気持ち、(中略)当人になると無理もないと、つくづく解ってくる。
淀川:「車引」の桜丸なんか演って貰いたかった!
三島:いや、僕は時平公が演りたかった!
淀川:これは、まあ派手に厚かましい!
三島由紀夫
淀川長治のインタビュー「三島由紀夫氏訪問」より 戦艦大和竣工の日に生まれてきた軍事評論家
http://2nd.geocities.jp/jmpx759/02/4/46_2.html
自衛隊に対して影響力を誇示していた軍事評論家「田岡俊次」のことだ。 戦後、文化の問題の偏頗な扱ひは、久しく私の疑惑を培つて来た。戦争について書かれた作品で、文学作品として
後世に伝へられる資格を得たものは、悉く文学者の作品である。餅は餅屋であるから、もちろん文章は巧い。
文学的な深みもあり、普遍的な説得力もある。しかし、いかんせん、その個人的な戦争体験は限られてをり、
戦闘に参加する前から文筆の人であつた者の目に映じた戦争は、どんなに公平を期しても、そこに自ら視点の
限定がある。いかなる大戦争といへども、個々人にとつては個人的体験であることは当然だが、同時に、そこには、
純戦闘員による戦争の真髄が逸せられてゐたことは否めない。
誤解のないやうに願ひたいが、私は、文学者の書いた戦記が、体験のひろがりと切実さを欠いてゐる、と非難して
ゐるのではない。ただ、あの戦争に関する記録乃至創作を、純文学的評価だけで品隲することは、実は、もつと
大きな見地からは、非文学的、ひいては非文化的行為ではないか、といふ疑問を呈したのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より その好例がこの「戦塵録」である。これがいはゆる文学作品を狙つた記録でもなければ、文学的素養ゆたかな人の
作物でもないことは、一読すでに明らかである。しかしここに描かれてゐるのは、大きな一つの文化及び文化様式の
終末の悲劇なのである。
わけても貴重なのは、筆者が戦闘機乗りとしての純戦闘員であり、戦争の最先端の感情と行為を体験し、又、
一人の若者であつて、純情な恋愛とその愛別離苦を身にしみて味はひ、且つ、戦争の終末とその終末に殉じた人たちの
最期に立会つたといふことである。行為者にして記録者であること、青春の人にして終末の立会人であつたこと、
……このやうな相矛盾する使命をこの人に課したのは、おそらく歴史のもつとも生粋のものを後世に伝へようと
はかられた神意であるにちがひない。
今にして思へば、私は、戦後文化の復興者であらうと自負した人たちの近くにゐすぎた。そこにゐたのは、必ずしも
私の責任ではないが、そこにゐて感じた反撥の数々は、却つて私をして文化と歴史の本質について目をひらかせて
くれたとも考へられる。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より すなはち、昭和二十年八月、身を以て、日本文化の伝統的様式を発揚し、日本の純にして純なる文化の終末を体現し、
そこに後世に伝へるべき真の創造を行つたのは、いはゆる文化人ではなくて、「戦塵録」に登場する、若い
戦士だつたのであり、自刃して行つた矜り高い武人たちだつたのである。戦後の文化人は、そこにもつとも重要な
文化の問題がひそむことを理解せずに、浅墓な新生へ向つて雀躍したのである。残念ながら、私もその一人で
あつたと云はねばならない。「戦塵録」の著者ならびにその戦友たちは、若き日を、戦ひ、死に直面し、
絶対的なものについて思惟し、しかも活々と談笑し、冗談を飛ばし、喧嘩をし、異国の美女に心を惹かれ、
明日をも知れぬ恋を体験し、……そのやうに十分に生きた上で、ひとりひとり、いさぎよく散つてゆく。冒頭の
人名の上に引かれた赤線は、かれらの名を抹消するのではなく、かれらの名を不朽のものにするのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より そして、選局逼迫の只中にも句会を催ほし、死に臨んでは辞世を作る。日々日本刀の手入は怠りなく、そこには、
日本人に対する日本文化の「型」が与へた最後の完璧な強制とその達成があつた。もちろんかれらは、強制されて
句を作り辞世を詠んだわけではない。しかし文化の本質とは、その文化内の成員に対して、水や空気のやうに、
生存の必須の条件として作用して、それが絶たれたときは死ぬときであるから、無意識のうちに、不断に強制力を
及ぼす処のものである。それこそは文化であり、このやうな文化を理解しなくなつたところに、戦後の似而非文化は
出発したのである。戦士たちの死の作法そのものが文化であるやうな文化の、最高度の発揚とその終末を、
「戦塵録」ほど、みごとに活々と語つてゐる本はなく、その点でいはゆる文学作品をはるかに凌駕してゐる。
では果して、日本文化は滅びたのか? 私は、ここには、反時代的なその「型」の復活の衝撃によつてのみ、
蘇生の可能性をのこしてゐる、とだけ言つて置かう。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より 「戦塵録」は、もとより意図して、文化の発揚と終末を語つたものではない。それは伝来の規律正しい簡潔な
「軍隊の文体」で語られた記録であり、すべてが「型」の文体であるから、そこには人間心理の発見などといふ
ものではない。戦闘状況は巨細に述べられるが、強ひて迫力を加へようとした抒述はない。(中略)
平凡な抒述であるだけに却つて深い真実に迫つてゐる。戦闘の場面と、これら恋愛の場面と、最後の自決の場面が、
「戦塵録」の三つのクライマックスであることは明らかである。
私はその上に、ただ一行、いつまでも心に残る個所をあげておきたい。それは私がそのやうな青空を同じ時期に
日本でも見てゐるからであり、又、今を去る数年前、同じ青空を、現地カンボジアで見てゐるからでもある。
昭和二十年六月二十五日、死を決した著者は、スコールのあくる日の大空、「手を伸せば指の先が藍色に染って
しまひそうな」ほど鮮やかに澄んだ熱帯の空を眺めて、次のやうな一行の感想を心に抱くのである。
「此の大空、果てしない碧空にこそ凡ての真理を包蔵して居るのではなからうか」
三島由紀夫「『戦塵録』について」より 石原氏の出現はひとつの事件であり、いろんな点で象徴的事件であつた。それはヨハネの黙示録の「赤き馬」のやうに、
第二の封印を解かれて現はれ、これに乗る者の地より平和を奪ひ取ることと、人をして互に殺さしむることとを
許されたやうに見えた。……しかし事件がをはつたとき、作家としての氏には人生が残されてゐる。これを
生きることの辛さは想像に余りあり、人を刺すための「大いなる剣」は今度は我身を刺す。読者はこの作品集に、
その辛酸の音楽と、一つの代表的青春の凄壮な呻きとを聴くであらう。
三島由紀夫「一つの代表的青春(『石原慎太郎文庫』推薦文)」より 赤ッ面の敵役があまり石原氏をボロクソに言ふから、江戸ッ子の判官びいきで、ついつい氏の肩を持つやうに
なるのだが、あれほどボロクソに言はれなかつたら、却つて私が赤ッ面の役に回つてゐたかもしれない。その点
私の言ひ草は相対的であり、また、現象論的であることを御承知ねがひたい。
従つて、ひいきとしては、氏の一勝負一勝負が一々気になるが、今まででは「処刑の部屋」が一等いい作品で、
中にはずいぶん香ばしくないものもある。
香ばしくないどころか、呆れ返るものもある。しかし、ひいきのたのしみはいつも不安を与へられることであり、
はじめから安定した、まちがひのない作家といふものに私は興味がない。
(中略)
今のところ、氏は本当に走つてゐるといふよりは、半ばすべつてゐるのである。すべることは走るより楽だし、
疲労も軽い。しかし自分がどこへ飛んで行つてしまふかわからぬ危険もある。やつぱり着実に走つて、自分の脚が
着実に感ずる疲労だけが、信頼するに足るものだといふことを、スポーツマンの氏はいづれ気づくにちがひない。
三島由紀夫「石原慎太郎氏」より 生きてたら80台後半か
日本は惜しい人材を失ったな 6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!!
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!
2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!!
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!
『春の雪』の映画化だって断然オレを主役に決定してただろうしサッ!!!
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。
私は、人間の生活の一番重要なものは、戦争、もう一つは宴会だと、かういふふうに考へてをります。
いかに平和主義者がなんと言はうとも、人類は戦争ばつかりして来たのでありまして、歴史は戦争の
歴史で――まあこれからはないはうがいいでせうが、片つぱうは宴会の歴史であります。ギリシアの
叙事詩は、戦争の叙述と、それから宴会の叙述で埋まつてをります。私が戦争といひますのは、
もちろん精神的な戦争も含めていふのでありまして、キリスト教の勝利、そしてまた哲学者たちの
それぞれの哲学体系の、愚昧な当時の民衆の俗権に対する勝利、かういふことも人間の闘争的世界の
産物であります。
三島由紀夫「美食と文学」より 氏の内の決して朽ちない少年のこころ、あらゆる新奇なもの神秘なもの宇宙的なものへの関心は、
そのナイーヴな、けがれのない熱情は、世俗にまみれた私の心を洗つた。氏は謙虚なやさしい人柄で、
トゲトゲした一般小説家の生活感情なんぞ超越してゐた。
世俗的に言へば、氏はあんまり早く超越してしまつたと思はれるふしがある。(中略)一番面白いのは、
氏が小型映画用のシナリオとして書いた掌編で、その「望遠鏡」といふ一編では、シリウスの伴星を
見ようと志して、超強度望遠鏡を発明した男が、半裸の汗だくで、望遠写真をやつと写したところが、
一点の黒点のある平面のみが写つてをり、あとで細君から、それはあなたの背中の黒子の写真ぢや
ないかと言はれ、男の嘆息の字幕でおしまひになる。
「ああ、今度はあまり遠くが見えすぎたのだ?」
遠い恒星よりももつと遠い自分の背中が見えてしまふ目を持つた男、その男の不幸を、そのころから
北村氏は知つてゐた。
三島由紀夫「空飛ぶ円盤と人間通――北村小松氏追悼」より 飛行機も映画も、自動車も円盤も、すべて氏の玩具にすぎず、氏の本質は人間通だつたのかも
しれない。
それを証明するのは、「婦人公論」の五月号に出た、氏の「わが契約結婚の妻」といふ文章で、
私はこれこそ真の人間通の文章だと感嘆し、早速その旨を氏へ書き送つたが、今にしてみると、
それは氏のやさしい遺書のやうな一文であつた。
それは逆説的な表現で、奥さんへの愛情と奥さんの温かい人柄を語つた文章であるが、人間が
自分で自分をかうだと規定したり、世間のレッテルで人を判断したり、自意識に苦しめられたり、……
さういふ愚かな営みを全部見透かして、直に人間の純粋な心情をつかみとるまれな能力を、氏が
持つてゐることを物語つてゐた。
三島由紀夫「空飛ぶ円盤と人間通――北村小松氏追悼」より
┏━━┓ ┏┓┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓
┏┛┏┓┃ ┏┛┗┛┗┓ ┃┃ ┏┛┗┓┏┛┗━━┓ ┏┛┗┓┏┛┗━━━┓
┗━┛┃┃ ┗━┓┏━┛ ┏┛┗┓ ┗━┓┃┃┏━━┓┃ ┗┓┏┛┃┏━━┓┏┛
┏━━┛┗┓ ┃┃ ┃┏┓┃ ┃┃┃┗━━┛┃ ┃┃ ┗┛ ┃┃
┃┏┓┏┓┃┏━┛┗━┓ ┃┃┃┃ ┏┛┃┃┏━━━┛ ┃┗━┓┏┓ ┃┃
┃┗┛┗┛┃┗━┓┏━┛ ┏┛┃┃┗┓ ┃┏┛┃┗━━━┓ ┃┏┓┃┃┃┏┛┃
┃┏┓┏┓┃ ┃┃ ┃┏┛┗┓┃ ┃┃ ┃┏━━┓┃ ┏┛┃┃┃┃┗┛ ┃
┃┗┛┗┛┃┏━┛┗━┓ ┏┛┃ ┃┗┓ ┏┛┃ ┃┗━━┛┃ ┃┏┛┃┃┗┓ ┏┛
┗━━━━┛┗━┓┏━┛ ┃┏┛ ┗┓┃ ┃ ┗┓┗━━━━┛ ┃┃ ┃┃┏┛ ┗┓
┏┓┏┏┏┓ ┃┃ ┏━┛┃ ┃┗━┓┃┏┓┗━━━━━━┓┃┃┏┛┃┃┏━┓┗┓
┗┛┗┗┗┛ ┗┛ ┗━━┛ ┗━━┛┗┛┗━━━━━━━┛┗┛┗━┛┗┛ ┗━┛
大江健三郎の文章はそのままサルトルの飜訳だといつても、誰が不思議に思ふでありませう。サルトルと
大江氏の文章は発想においても資質においてもちがつてゐることはもちろんであります。彼は意識的に
その用語を、サルトルの使つたやうな用語の概念に近づけようとして使つてをります。それは戦前ならば
飜訳調の文章と思はれたでせうが、いまは、われわれはそれをさほど飜訳調の文章と感じないので
あります。むしろ飜訳調の文章と大いに言はれたのは、新感覚派の時代の初期の横光利一氏の文章で
あります。
(中略)
現在では飜訳調の文章は、横光氏の時代がもつてゐたやうな、人の感覚に抵抗を与へる効果といふ
ものは、すべて失つてしまつたのであります。われわれは飜訳文の氾濫によつて、もはやどんな不思議な
日本語もさほど不思議と思はなくなるに至りました。そのもつとも極端な例は、石原慎太郎氏の「亀裂」の
文体のやうなもので、ここでは、日本語はいつたん完全に解体されて、語序も文法もばらばらにされて、
不思議なグロテスクな組合せによつて、異常な効果を出してゐます。しかし石原氏にとつて損なことは、
その文章が横光利一氏のやうに、故意の飜訳体の形において人の感覚に刺戟を与へ、それからめざめ
させるといふ効用を、現在はほとんどもつてゐないことであります。
三島由紀夫「文章読本 第二章 文章のさまざま―文章美学の史的変遷」より . kanikawa_sama
_______ __
// ̄~`i ゝ `l |
/ / ,______ ,_____ ________ | | ____ TM
| | ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄)) | | // ̄_>>
\ヽ、 |l | | | | | | | | ``( (. .| | | | ~~
`、二===-' ` ===' ' ` ===' ' // ̄ヽヽ |__ゝ ヽ二=''
ヽヽ___// 日本
______________ __
|五関敏之 | |検索|←クリック!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄
●ウェブ全体 〇日本語のページ 世界が首筋にぶつかってきたのだ
こうして死んでしまったわけだが gotogen@gotogen
王位戦2日目の深夜、もういい塩梅の行方尚史さん数人で部屋に送り届けたとき、
枕元に三島由紀夫の本が置いてあって、ああそうか、たしかにそうだなと思いました。
2013年7月13日 - 1:24
2006年、第24期朝日オープン将棋選手権第四局の揮毫色紙
http://www.asahi.com/shougi/photogallery/image/TKY200605150308.jpg
http://www.asahi.com/shougi/photogallery/image/TKY200605150304.jpg
三島由紀夫の四部作『豊饒の海』の第二部タイトル(奔馬)
王位戦中継サイト
http://live.shogi.or.jp/oui/ >>518
なかなか良い批評だけど、そんな三島自身が
滑ってしまったね >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめと口裏合せと口封じの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない傷になるなあ ともに面白いことには違いがないが、「切腹」は芸術的に優れていると言い(昭和37年9月)、
「天国と地獄」は芸術的にはどうかと言うほどのものでもない(昭和38年3月)と評している。黒澤については昭和43年1月、
三島由紀夫・大島渚・小川徹(司会)の対談で≪ テクニシャンですよ。すばらしいテクニシャンですよ。思想はない。
思想はまあ中学生くらいですね。昔の中学生といまの中学生とくらべるとえらいよ、ずいぶん
小川徹「黒澤明はどうですか」 三島由紀夫「テクニシャンですよ。すばらしいテクニシャン ですよ。思想はない。
思想はまあ中学生くらいですね」 (映画芸術 昭和四十三年一月号 大島渚との対談「ファシストか革命家か テレビによつて、いくらでも雑多な知識がひろく浅く供給されるから、暇のある人は
テレビにしがみついてゐれば、いくらでも知識が得られる代りに、「中国核実験」と
「こんにちは赤ちゃん」をつなぐことは誰にもできず、知識の綜合力は誰の手からも
失はれてゐる。無用の知識はいくらでもふえるが、有用な知識をよりわけることはますます
むづかしくなり、しかも忘却が次から次へとその知識を消し去つてゆく。
三島由紀夫「秋冬随筆」より 松本:三島さんとは映画についてどんな話をなさいましたか。例えば過去の良い映画として、三島さんは
どんなものを挙げてました?
藤井:あの人はね、限りなくひどい映画ばっかり話題にするんですよ。『大アマゾンの半魚人』だとかね。
山中:新東宝とかそういうのが好きでしたからね。
松本:晩年は東映のヤクザ映画。
井上:まあ、映画は趣味娯楽として面白いものに徹していたところがありますね。
藤井:でも、本当は『大アマゾンの半魚人』で満足しているような人じゃないです。
佐藤:映画の心理描写が嫌だっていうようなことを言いますよね。カメラワークや技術で人間の心理を見せようと
するのは嫌だとか、そんなことを言ってましたね。心理ではなくて、物として見せられるかどうかが勝負だって。
三島の『潮騒』のロケ随行記がありますでしょ。あれを見ると、こういうところから三島は始まっているんだ、
(中略)一本筋が通っているのは、映画は物としての人間を見せなければ駄目だというところですね。これは
変わらないなと思いましたね 598 :無名草子さん:2012/03/30(金) 21:11:47.03
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。 153 :無名草子さん:
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。
総合★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。
口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。
そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。
本田宗一郎 すべての詩人、劇作家、小説家、エッセイスト、文芸評論家、そして文学関係の学者のみなさんについて、好き嫌いで判断しないようにしているし、事実、判断は不可能である。判断の基準は、あくまでも個々の作品だ。
退屈の皮をうまくかぶって日々を事なかれでやりすごしている自分が心底から揺り動かされる作品、それがわたしには「いい作品」ということになる。
三島由紀夫の仕事でいえば、彼の小説群や評論群で心を衝き動かされたことはない。しかし、三島戯曲の中にはすごい作品がある。とくに『サド侯爵夫人』は、
その完璧なまでに空虚な構造、噴飯物寸前のみごとな台詞修辞法によって、二十世紀の世界劇文学を代表するに足る一作である。
三島自決の報は、市川市の自宅で聞いた。ちょうど『十一ぴきのネコ』という戯曲を書いている最中で、わたしはとっさに、「この作家は、結局のところ書くという仕事がつまらなくなったのだな」と思った。やがて事情がわかってくるにつれて、
「この偉大な劇詩人は森田必勝という青年によって黄泉の国に強引に連れ去られてしまったのではないか」と考えるようになった。最近、中村彰彦さんの著書を読んで、
この考えは確信に近くなっている。三島さんの真剣めかした遊びは、生真面目な狂気に破れてしまったのである。
三島以後の日本は、ますますアメリカ合衆国のお稚児さんになってきたようだ。そのうちにアメリカの准州になるかもしれないが、それを防ぐためには、三島さんの嫌っていた日本国憲法を攻撃的に駆使するしかない。そのためにも、わたしには筆がある 「わたしは三島由紀夫のイデオロギーがどんなものであったか知らないし、興味がない。三島由紀夫について考えるとき、興味があるのは、三島自身及びメディアが、個人の問いを共同体の問いにすり替えてしまったのではないかということに尽きる。」
村上龍
「三島由紀夫没後三十年に思うこと」『新潮11月臨時増刊』 文化】ゲイの世界遺産...ハッテン場発祥の地「竹の家旅館」探訪記
当時は同種の施設がなかったこともあり、経営は大当たり。大阪や東京のみならず
日本全国からゲイが集まり、個室も大部屋も常に満員御礼の状態だったという。
噂は外国まで飛び、「グリーンハウス」として、その道の人々の日本必訪スポットとなった。
有名人の常連では、三島由紀夫はもちろんのこと、ラジオでも活躍した大物俳優、
一世を風靡したファッションデザイナー、レジェンド級のプロ野球選手なども足しげく通っていたそうだ ■憲法9条について
三島「僕、憲法9条が全部いけないって言ってるんじゃないんです。つまり、人類がですね、戦争しないってことは立派なことです。
第2項がいけないでしょ。第2項がとにかく念押しの規定をしているんです。アメリカ占領軍がね。念押しの指摘しているのを日本の変な学者がね、
逆解釈してね、自衛隊を認めているわけでしょ。そういうことをやって、日本人はごまかし、ごまかし生きてきた。二十何年間。で、僕は大嫌いなんですよ、そういうことは。僕は、人間はごまかしてね、そうやって生きていくことは耐えられない。本当、嫌いですね」 ■自らの行動について
三島「僕の小説よりも僕の行動の方が分かりにくいんだ、という自信がある。
僕が死んでね、50年か100年たつとね、『ああわかった』という人がいるかもしれない。それでも構わん」
■死生観について
三島「生きているうちは人間みんな、何らかの意味でピエロです。人間は死んだときに初めて人間になる。人間の形をとる。
死んだときに。なぜかって、運命がヘルプしますから。運命がなければ、人間は人間の形をとれないんです。でも、生きているうちはその人間の運命が何か分からないんですよ」 ■自身の小説について
三島「僕の文学の欠点は、小説の構成が劇的すぎることだと思うんです。ドラマチックでありすぎる。どうしても自分でやむをえない衝動があるんですね。大きな川の流れのような小説は僕には書けない」
■川端康成について
三島「川端さんの文章は、ある場合は睡眠薬が助けてくれるというのもありますけどね(笑)。
でも、ジャンプするのがすごいんですよ。怖いようなジャンプをするんですよ。僕、ああいう文章、書けないな。怖くて」
■死について
三島「死がね、自分の中に完全にフィックスしたのはね、自分の肉体ができてからだと思うんです。死の位置が肉体の外から中に入ってきた気がするんです」 ◯自身の作品について
「僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。僕にはそういう欠点があるんですね。
日本的な余白がある絵ってあるでしょう。それが僕は嫌いなんです」
◯憲法について
「平和憲法は、偽善です。憲法は、日本人に死ねと言っているんですよ」
◯美について
「美とは、何か。自分の一回しかない時間を奪い、塗りつぶし陶酔する濃密なかたまり」
◯このインタビューについて
「これは、ひとつのコンフェッション(告白)なんです」
◯思想の主張について
「僕は今の日本じゃ、言葉を正すこと以外に道はないんだろうなって思い詰めている。
文体でしか思想が主張できない」
◯子供時代の気持ち
「僕は、ショーウインドーで見た空気銃が欲しいね、欲しいねって友達と話していた。
それが何十年かたって、どうしても鉄砲が欲しくなったのと同じでしょうか。
あっはははははは。かかかかか」 深川図書館特殊部落
同和加配
人ボコボコぶんなぐってもOK お咎めなし
ガキどもが走り回る 見て見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用 深川図書館特殊部落
同和加配
奇声あげて人をボコボコにぶんなぐってもOK お咎めなし
ガキどもが走り回る 見て見ぬふり
公務員による恣意行為
etc
なんのための施設か? →特殊な関係用 ともに面白いことには違いがないが、「切腹」は芸術的に優れていると言い(昭和37年9月)、
「天国と地獄」は芸術的にはどうかと言うほどのものでもない(昭和38年3月)と評している。黒澤については昭和43年1月、
三島由紀夫・大島渚・小川徹(司会)の対談で≪ テクニシャンですよ。すばらしいテクニシャンですよ。思想はない。
思想はまあ中学生くらいですね 坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐたから、明るくて、決してメソメソせず、生活は生活で、立派に狂的だつた。坂口安吾の文学を読むと、私はいつもトンネルを感じる。なぜだらう。
余計なものがなく、ガランとしてゐて、空つ風が吹きとほつて、しかもそれが一方から一方への単純な通路であることは明白で、向う側には、
夢のやうに明るい丸い遠景の光りが浮かんでゐる。この人は、未来を怖れもせず、愛しもしなかつた。未来まで、この人はトンネルのやうな体ごと、
スポンと抜けてゐたからだ。太宰が甘口の酒とすれば、坂口はジンだ。ウォッカだ。純粋なアルコホル分はこちらのはうにあるのである。
—  三島由紀夫 村上龍BOT‏ @RyuMurakamiBT · 11月1日
絶望した時に発狂から救ってくれるのは、友人でもカウンセラーでもなく、プライドである。
三島由紀夫‏ @Mishima__Bot · 12 時間12 時間前
「絶望する者」のみが現代を全的に生きてゐる。 そこで先輩選手に交じって練習すると、スイングスピードが違っていたり、制球が抜群に良かったりするものだから、そこで自分の実力と比較する。『オレの来るような世界じゃなかった』と絶望感に打ちひしがれるのも、ある意味、仕方のないことかもしれない。
だが、本当の勝負はそこからだ。プロのレベルの高さを身に沁みて痛感したときに自分はどういう選手になるべきか。自分では長距離打者だと思っていたのに、プロに入ったらそうなれそうもないと悟ったら、
どういうプレーヤーを目指すべきか。あるいは制球に苦しんでいたら、現状をどう打破していけばいいのか。そこから己との格闘が始まる。
人間には技術的限界があるが、挑戦することには限界がない。どんな人間にも技術的な限界はいつかやってくる。たとえ1年目に好成績を残しても、2年目には相手から研究し尽くされ、1年目と同じような成績を残せない。
俗にいう『2年目のジンクス』は、相手の執拗なまでの研究と、己の慢心が招いた結果だと分析しているが、持って生まれたセンスだけで通用するほどプロの世界は甘くない。
そのことを理解していれば、たとえ技術的な限界にぶつかっても、『このままじゃいけない』という危機意識と飽くなき探求心が芽生えてくるものだ。
昔も今も、プロ野球の第一線で活躍している選手は、皆技術的な壁にぶつかってそれを乗り越えてきた。そのために必要なのは、頭を使って創意工夫を積み重ねていく重要性に気づくことだ」 一般書籍よりもおすすめてきにネットで得する情報とか
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ
TDSGJ 女は「きれいね」と、云はれること以外は、みんな悪口だと解釈する特権を持つてゐる。なぜなら男が、 「あいつは頭がいい」と云はれるのは、それだけのことだが、
女が「あの人は頭がいい」と云はれるのは、概して その前に美人ではないけれどといふ言葉が略されてゐると思つてまちがひないからです。
相手の気持ちをかまはぬ、しつこい愛情は、大てい劣等感の産物と見抜かれて、ますます相手から嫌はれる羽目になる ドラえもん
「病院をでたとき、かすかに東の空が白んではいたが、頭の上はまだ一面の星空だった
こんな広い宇宙の片すみに、ぼくの血をうけついだ生命がいま、うまれたんだ
そう思うとむやみに感動しちゃって涙がとまらなかったよ」
「それからの毎日、楽しかった日、みちたりた日々の思い出こそ、 きみからの最高の贈り物だったんだよ
少しぐらいさびしくても、思い出があたためてくれるさそんなこと気にかけなくていいんだよ」
しずかちゃんは心の底にあった言葉をパパに正直に告げます
「あたし……不安なの。うまくやっていけるかしら」
次のパパの言葉はこうです
「やれるとものび太くんを信じなさいのび太くんを選んだきみの判断は正しかったと思うよ
あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ
それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね
彼なら、まちがいなくきみをしあわせにしてくれるとぼくは信じているよ 山下清澄の版画には、古いローマ風の建物や模様化された木々や草花、妖精のような裸婦などが装飾的に配置され、独特の詩的で幻想的な世界が広がっています。
かつて三島由紀夫は山下清澄の絵について、「何かが起ろうとして起らず、慰籍が諦念と結びついている ※元山口組二次団体最高幹部“極道作家”沖田臥竜が描くリアルアウトロー書籍!
『絶賛好評発売中!』
【沖田臥竜(おきた・がりょう)とはいったい何者なのか?】
※元山口組二次団体最高幹部/作家。兵庫県尼崎市出身。76年生まれ。元山口組二次団体最高幹部。
所属組織の組長引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。
以来、ネット媒体、新聞、書籍などで作家として執筆活動を始める。
ヤクザに関する多数の記事をウェブサイトや週刊誌、夕刊紙などに寄稿しており、書籍も発売している!
★http://biz-journal.jp/2018/03/post_22732_3.html
★http://r-zone.me/2018/05/post-2210.html
【沖田臥竜 / 著書】
★『生野が生んだスーパースター文政』
※インターネットで話題の小説がついに単行本化!
これがリアル大阪裏社会だ!
ヤクザ、半グレ、詐欺師に盗っ人大集合!⇒ https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4866250704/ref=mw_dp_sim_ps4
★『尼崎の一番星たち』
※デビュー作「生野が生んだスーパースター 文政」を超える快作が誕生!
ディープすぎる街、兵庫県・尼崎を舞台に、常識破りのアウトローたちが織りなす群像劇!⇒ https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4866250968?qid=1516180083&ref=aw_d_ol_books&sr=1-1
★『2年目の再分裂』“「任侠団体山口組」の野望”
※「核弾頭」「秘密兵器」と称された織田絆誠元若頭代行らが突如組織を離脱、新団体を立ち上げた!
山口組二次団体の最高幹部だった作家・沖田臥竜が、内部情報を元に任侠団体山口組の野望を追跡!⇒ https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4866250917/ref=mw_dp_sim_ps4
★『惡問』のすゝめ 「猫組」有名講師陣による禁断のドリル ~ヤクザ・暴走族の知られざる実態~
※ヤクザの起源から暴力団への変容を歴史的背景から解説!
暴走族と関東連合など半グレと呼ばれる、新しい不良集団の実態についても詳しく解説!⇒ https://www.amazon.co.jp/dp/4198643288
★沖田臥竜 Twitter
https://twitter.com/garyookita
https://twitter.com/pinlkiai
http://twitter.com/4649okita
★沖田臥竜 blog
http://ameblo.jp/ts217ts217/ 黒白の画面の美しさはすばらしく、全体に重厚沈痛の趣きがあり、しかもふしぎなシュール・レアリスティックな美しさを持つてゐる。放火前に主人公が、すでに人手に渡つた故郷の寺を見に来て、
みしらぬ住職が梵妻に送られて出てくる山門が、居ながらにして回想の場面に移り、同じ山門から、
突然粛々と葬列があらはれるところは、怖しい白日夢を見るやうである。俳優も、雷蔵の主人公といひ、鴈治郎の住職といひ、これ以上は望めないほどだ。試写会のあとの座談会で、市川崑監督と雷蔵君を前に、私は手ばなしで褒めた。
かういふ映画は是非外国へ持つて行くべきである。センチメンタリズムの少しもないところが、外国人にうけるだらう。
— 三島由紀夫「日記――裸体と衣裳」(
三島由紀夫氏の小説「金閣寺」に於ける金閣は、主人公にとって、一つの主観的な美意識であり、映画が追究するには厄介な対象であった。ところが市川監督は、映画化に際し、この『金閣』を、主人公の父親への愛情と、
社会的な正義感の結晶に転換し、彼の金閣に対する愛情を見事に客観的に描き出したのである。『炎上』はその意味で、小説の鮮やかな映画的再構成と言えるであらう。
— 増村保造「原作映画とその映画化」[ 【AFP=時事】オウム真理教(Aum Shinrikyo)の元幹部ら13人の死刑が今月執行されたことを受け、作家の村上春樹(Haruki Murakami)
氏が29日付の毎日新聞(Mainichi Shimbun)に寄稿し、自身は死刑制度に反対の立場だとしながらも、今回の執行には反対だと公言できないとの考えを示した。
村上氏は自身について一般的には「死刑制度そのものに反対する立場」だとした上で、地下鉄サリン事件の被害者への
インタビューをまとめた「アンダーグラウンド(Underground)」(1995年)を執筆する過程において事件の被害者や遺族の苦しみに触れた体験から、
「『私は死刑制度に反対です』とは、少なくともこの件に関しては、簡単に公言できないでいる」としている。
その一方、村上氏は死刑執行によりオウム関連の事件が終わるわけではないと指摘し、今回の執行に「事件の幕引きにしよう」という意図や
「死刑という制度をより恒常的なものにしよう」という思惑があったとすれば、「そのような戦略の存在は決して許されるべきではない」と断じている。
2018年7月29日 21時27分 ※元山口組二次団体最高幹部“極道作家”沖田臥竜(おきた・がりょう)が描く“最新刊”新ノワール小説!
山口組分裂騒動以降、さまざまな内部情報を各媒体で発表してきた気鋭の書き手、沖田臥竜氏による“最新刊”小説――
※沖田臥竜氏が塀の中の独居房で、果てしなく続く孤独と対峙しながら書き始めた小説『死に体』――
★『 死 に 体 』 ((単行本)) 発売日:2018/7/26 価格:\1,296
〓〓 全 国 書 店 に て 絶 賛 好 評 発 売 中 ! 本 屋 さ ん 店 頭 お 取 り 寄 せ も ♪ 〓〓
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4846204243/ref=mw_dp_img?is=m&qid=1532579416&sr=1-1
【死に体・著者/沖田臥竜(おきた・がりょう)とはいったい何者なのか?】
※元山口組二次団体最高幹部/兵庫県尼崎市出身。76年生まれ。
20代でヤクザ渡世に身を投じ、通算12年間を刑務所で過ごす。服役中から執筆活動を開始!
出所後は六代目山口組二次団体で若頭代行を務めていたが、2014年の親分の引退を機に渡世から足を洗う。
以来、ヤクザに関する多数の記事をネット媒体、新聞、週刊誌などに寄稿しており、書籍も発売している!
〓死に体・内容紹介〓
死刑宣告を受けた元ヤクザ・伊丹杏樹。彼のすさんだ人生は、処刑台に上がるまでのたった3年あまりで大きく変化することになる。
社会から隔絶された空間で「死に体」なった死刑囚に何が起こったのか?――。
12年もの獄中生活を経験した著者(沖田臥竜氏)だからこそ書ける
リアルな獄中風景と心理描写、アングラ社会の実態、そして、愛や絆の尊さ……
最期に放たれる「母からの言葉」と「遺書に込められた想い」に涙すること必須の感動作!
命を以って、罪を償う。決断した男に去来した想いとは―――。
※元山口組系組長で評論家の猫組長氏いわく「究極の死と愛の物語である!」と大絶賛し太鼓判を押した本作をぜひご覧ください!
★沖田臥竜 Twitter
https://twitter.com/pinlkiai
https://twitter.com/garyookita
★沖田臥竜 blog
http://ameblo.jp/ts217ts217/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 三島由紀夫の死、
「狂ったとしか思えない」
「基地外はどこにでもいる」
以上。 他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 9
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1524579725/23
23 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2018/04/24(火) 23:45:01.09 ID:WlJCnZ6W
425 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/07/31(日) 19:31:54.46 0
「自国ではなく宗主国と関係を持ちたがるのは、全ての植民地に固有のことである。
白人の革命的戦略を分析せず、躊躇もせずに受け入れるのも同じである。
植民地化された者にとっては、解放がキリスト教の聖なる光のように、やはり海外から
自分を文明化するヨーロッパのもう一つの産物として、小包みのようにして届くのを
見るのは当たり前のことに映る」
ラミロ・レイナガ 三島由紀夫は『文化防衛論』の中で、ペタン政府がパリを無血開城したことについて、次のように評価している。「(中略)中世以来の建築的精華に充ちたパリの破壊を免れるために、これを敵の手に渡したペタンの行為によくあらわれている
。パリは一フランスの文化であるのみではなく、人類全体の文化的遺産であるから、これを破壊から護ることについては敵味方は一致するが、政治的局面においては、一方が他方に降伏したのである。
そして国民精神を代償として、パリの保存を購ったのである。このことは明らかに国民精神に荒廃をもたらしたが、それは目に見えぬ破壊であり、目に見える破壊に比べたらはるかに恕しうるものだった!」 三島の説得に川端と石原は同じタクシーで乗り付けたが
廊下の血の匂いで石原は動けず 川端は腰が抜けてヘタリ込んだ
そこに中曽根が現れツカツカと入室
転がった三島の首に
「アンタ何て事してくれたんだああああああ!」と怒鳴っていた
現場自衛官証言 三島由紀夫が決起8か月前、川端康成に「私には心霊的能力が欠けてゐる」…書簡発見
作家の三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、割腹自殺する8か月前の1970年3月、
師と仰いだ川端康成宛てに送った書簡が見つかった。「決起」に向けた計画を立て始めていたとされる
時期で、専門家は「書簡からは、三島が当時の政治的状況に失望し、自身の最期を具体的に考え始める
転機となった時期であることがわかる」と話す。書簡は全集にも収録されておらず、川端没後50年に
向け、資料を整理中に発見された。便箋2枚で、自ら主宰する軍隊的集団「楯の会」の会員らを率いて
3月1日から1か月弱、体験入隊していた静岡県御殿場市の自衛隊の施設から出されていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/33523da0cb2236272c72fab72e650132ca92570a 自殺じゃないんだって
演説後取り押さえられて殺されたのが真実 ここに詳しく書いてあるから読んでくれ
://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/nihonseishinco/mishimayukioco/top.html