苫米地英人 その33 議論用 [無断転載禁止]©2ch.net
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【猟奇的なオカマ】 三鷹/吉祥寺 莉里子=少年A=剛=コピーライティング=ハッキング常習犯
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【検証】 https://imgur.com/a/qAea6
【誕生日をコロコロ変える】
1995年5月17日(少年A) http://imgur.com/a/2uDBc
1996年4月25日(にゃんぱす) https://imgur.com/a/oJZpv
1994年3月7日(莉里子/りりこし) ニコ生で本人が申告
【ニコ生配信中の様子】 https://imgur.com/a/TXEgU
【少年A出演映画/少女の王国】 https://imgur.com/a/002N5
【彼女がいたとレズアピール、実は男でホモ彼氏とセフレがいた】
最初の頃みたいにもう布越しじゃ我慢できなくなってパンツの中に手入れてきたりしないのかな...
奉仕してるときに頭撫でてくれないのかな...終わって寝てるときにいきなりムラムラして自ら誘ってこないのかな...ちんぽっぽ
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【亀甲縛りに猿ぐつわ/麻薬/自己陶酔/乱れた性生活】 https://imgur.com/a/BHqSV
よしよしよし、寝ちゃえ!そいつらは私が掘っとくから 自称変態に「じゃあヤらせろよ」って言ったら泣いた
デビューシングル「おとこおかす」少年A feat.てけー 信者は「あなたは伝説の勇者です。地球の未来はあなたにかかっています。」とか言われたらホイホイ信じるんだろうな。 信者は基本中二病だからな、陰謀論とかオカルトとか大好きやし 楽して頭良くなろうと思うようなバカがつけこまれる
コツコツ努力する以外に道はないのに
ホリエモンがいくら地頭がよくても勉強しないで東大に入れたわけないだろ
地頭がいい上に勉強も頑張ったんだよ こういうのが効果ないのは、オリンピックなんかが証明してるだろ。宣伝してるような効果が教材にあって、
それを使った選手達が金メダルを独占とかなったら信じてやるよ。 ○○脳。になったら努力しなくてもいい。
と思ってるんだろうな バカだなぁ
だったら歴史上の天才は何もしないで発明や発見できたのかよ
偶然 ○○脳なだけで >>10
努力しなくていいなんて誰も言ってないと思うが。まずお前が努力しろよ。 まぁ努力って言葉が何を示すのかもう少し明確にして行ったほうがいい、一般的に言われる努力は
have toワークを多く含むものだよね、苫米地は努力はいらないと公言して憚らないけど、それはwant toのみでよくて
have toはいらないっていうニュアンスだけど、それだと成果や結果につながらない事が殆どだよね
苫米地ってメリットは誇張表現使ってゴリ押すけど、リスクやデメリットについての説明はしないからなぁ
それに曖昧な言葉をたくさん使って解釈次第では間違っていないっていうような卑怯な手を乱発する
苫米地に慣れてくるとそういう曖昧な言葉の使い方で上手く苫米地が逃げていくセコさが分かってくる
have toワークは継続性と習慣化に優れているから結果につながりやすいけど、ストレスが溜まる事も多い
対してwant toワークはモチベーションが上がりやすいしストレス解消になるけど、飽きると継続や習慣化に弱い
have toワークは必要性を求められたりするワークだから必要性に答えるという形だから結果や成果に繋がりやすいけど
want toワークは必要性が求められないで自分の自発的なモチベーションだから不必要な趣味の領域を出ない行動になる
好きでやっていることでも必要性が求められばhave toに変わってwant toが失われて行くことの方が多い、want toでやっていることが
継続していくといつの間にかhave toになる、そうすると苫米地の理論も破綻する。
例えば最初は好きで音楽をやっていても、本当にうまくなるためには死ぬほど努力しないといけない、楽器を見るのが嫌になっても続ける
そうしていつの間にかwant toがhave toにならざるを得ない、そうしないで気が向いた時だけ練習している人が、必死に努力している人に勝てるわけがない
だけどそうやって必死になっている人の中で上手く行く人はほんの、ひと握りwant toでやっていようがhave toでやっていようが結果が全て
やりたくなくても才能があって上手く行く人もいる、好きでやっていても伸びない人もいる、運も大きく絡むし、生まれついての才能
努力の量や質、有能な指導者に巡り会えるかどうかとか、経済的な生活環境と様々な要因が結果を生み出す。
苫米地の理論は空想上の理論上のもので現実の結果というものを単純に捉えすぎている 当たり前のことを無駄に長く書くな。
中身がないから読んでて損した気分になる ダビンチ脳、モーツアルト脳、アイシュタイン脳、メシア脳
信者もさすがにおかしいぞって思わないのかね 俺DVD見てブッダになったからさ、勉強とか努力とかバカバカしくて
元々楽して徳する方法を探していたんだ ブッダになったんだぜ 阿闍梨もカネで買える時代だしな、チベット仏教にバレてなきゃ今頃
阿闍梨だって好き勝手に言えてたろ、どうせ日本語なんてワカラナイとタカくくって失敗したけど お客様の声
〇〇で頭が良くなって、お金持ちになって、背が伸びて、イケメンになって彼女もできました!
こういうの本気にしちゃう層が苫米地信者 あ、あほべちめそどをやたらひらがあがうおしあけるようにありああいた >>17
フォレスト出版では、これまで
21の苫米地博士の能力開発プログラムを世に送り込んできました。
手に取ってくださった多くの方がそれぞれの道で大きな成果を上げられています。
この私もまた、お付き合いさせて頂く方々が変わり、大きな環境の変化に感謝しています。
多分野に渡る苫米地博士のプログラム。
しかし、史上最大、間違いなく歴史に残るプログラムになるでしょう。
いや、能力開発プログラムの域を遥かに超えた、
世界を覆す 救世主育成プログラム になると確信しています。
なぜなら……
苫米地博士が自らのルーツを明かして まで、
圧倒的に高いゴールを目指し、最上級の幸せを願うあなたに、
本当に伝えたかった真実の福音がここにはあるからです。
※守秘義務アリ
これまでほとんど口にしたことのない、自らのルーツを博士が語ったのには
やはり深いワケがあります。 苫米地英人ブロマガ用生放送 第100回“なまべちでGO!! >>22
もう何年か後に、これが先生の最強の教材○○脳ですって新しい○○脳が出てるって。 基本的にフォレストの商品は誇大広告だからな、苫米地に限らず
この教材であなたも〇〇に成れますっていうのは、ほぼ嘘
まぁ完全に嘘とは言い切れないような詐欺みたいな逃げ道とか
何年何十年必死に努力してたとしても、まだまだ努力が足りませんねぇーと言い逃れできるパターン
パワーストーンとか、詐欺ダイエットサプリとか一日10分で月に15万円稼げます
っていう詐欺広告と同レベルと見ていい
詐欺師の文言をそのまま受け取るアホが苫米地信者だからな
一個買うだけだと足りないので別のも買ってくださいと、シリーズ全部買わせる
ワークスdvdシリーズとかも酷い
このdvdだけでいい!と販売ページにはあるがdvdの中だと他のも全部見てくださいと誘導したりもしてる
結果全部揃えてみると、酷さがわかる、全体像が見えないうちは、よく分からないから期待ができる、全部見て始めて現実がわかる
それかそこから具体的な技術はワークスで、と誘導されてワークスで50万払わせられる
ワークスで技術は身につかずに、苫米地も実際の技術はヤラセみたいな演出じゃ無いと披露できずに
現実を見るのか、信者脳から抜け出せないでワークスリピートしたり
直接対面コーチングを受けたりで気づいたら何百万も使うっていうパターンが多い
それに加えて認定コーチまでとりにいったりして一千万以上使うが、客なんか取れずに
コーチとしての収入もろくに得られず、信じ続けてきたからもう引き返せない
信者の出来上がりとなる末路を辿るのかが主なパターン 認定コーチの中でもマスターコーチとかは、新しいコーチの養成ビジネスで稼げるから
金持ちも確かにいる、だけど殆どのコーチはコーチングでは食っていけない
コーチング単価も高いし、苫米地の知名度からしてそんなに潜在的な顧客もいないから
安定して収入を得ることはできないし、ワークスに参加しようがdvdを全部持ってて
毎日必死に見て、音源を聴いても、苫米地のいうような超能力じみた力もつかなきゃ
頭が劇的に良くなるわけでも、成長も大してしない、借金して苫米地理論に賭けたり
貯金を切り崩して苫米地につぎ込んでるから、信じる事を止めることができない
苫米地を軽く批判するだけでブチ切れておかしくなる人間も多い、これが信者の現実 >>11
苫米地は教材とか動画とか本当とか何度も努力はしなくていいと言っている
コーチング系の本とか教材とかならかなりの確率で明言してる IQをガンガンに上げて人生を楽しめ!
苫米地信者を叩くことで一時的に優越感を得られても低い能力と惨めな現実は変わることはないぞ。
それでいいのか?惨めで自分を誇れないまま生きてていいのか?人生をサバイブしたくはないのか >>28
それを真に受けてるってマジか?
馬鹿すぎる。
努力を努力と捉えてないだけでやってるのは端から見たら努力してると同じことしてる。
それなのにマジで努力しないでいい=何もせずに楽して何かが得られるとか信じてたら頭がおかしい。
例えば東大生が殆ど勉強してないで東大受かったと言ってるのを真に受けて自分も殆ど勉強してないのに東大入れないと嘆いてたら馬鹿だろ、高いレベルの努力してないは普通に見たらめちゃ努力してるレベルだからな。
勘違いするなよ >>31
努力はいらない、やりたくないような努力はしない
自分は好きな事を夢中になってやってきたがやりたくないような努力はしない
好きな事をやり続けろ、have toはいらない
want toをやれといっている >>34
お前はアスペだから分からないんだよ。言外の意味が。文字通りしか解釈できない >>33
違うよ、苫米地のいう努力は
have toの事を指す、have toはいらない、want toをやれといった
もしそれが効率的であってもhave toなら間違いというのが苫米地理論
苫米地の場合はwant toが効率的な努力と言って憚らないから
努力はいらないと明言しているってこと、同じように反復練習してたとして
want toでやってるかhave toでやってるのかで違ってくる
want toでやってる場合は上にあるメリットとデメリットとリスクが適応されて
have toでやってる場合も同上になって、それぞれ結果と継続性が変わってくる Want toやhave toとか馬鹿じゃねえの。
大した意味はないだろ。
意味のない言葉遊びしてないで皆がやるような努力やれ。それなら間違いない
やりたくないからウダウダ言ってるだけだろ。 >>35
まず、文字通りの解釈ではなく明言された事だから解釈云々ではないよ
苫米地は努力はいらないと明言している、努力はいらないと誰も言っていないと書いてあるが
まずそれが間違い、まず言っている確実に、それがどのような解釈をするかは
脇道に逸れてるけど
何もしなくても結果が出るなどとの解釈は批判側は誰も書いてない、want toでやってるか
have toでやってるかでモチベーションは異なるが行動は伴う
want toでやっている行動を努力とは思わないから努力はいらない
have toでやってると努力だと思うから努力はいらない苫米地は言っているのであって
何も行動しなくても結果が出ると苫米地は言っていると解釈してる人はいない
努力はいらない=have toはいらないであって努力はいらない=何も行動しないじゃない
want toだけじゃくてhave toもバランス良く使う方がいい、どちらにも短所と長所があるからそれを把握して使い分けるべき
want toだけでいい、好きな事をやり続けろっていうだけの努力はいらないっていう
苫米地理論は現実では通用しない、結果に繋がらないと批判が出てる >>38
てかそんなのどうでも良くないか?
くだらんことに拘りすぎ。
どれがhaveでどれがwantだろうが
何か大きく変わるわけでもない。
どうでもいいことを言葉こねくりまわして
るだけだよ。そんなもんに拘らないで
やることやる方が実になる >>38
苫米地のせいにしないで努力しろよ。
苫米地関係なく努力するんだ やぁみんな!ニート信者だよ!人には努力しろとか偉そうに言うけど
俺はニート脳だから努力はできないんだ!好きな事へ楽な方へ楽な方へと流れていく事しかできない!
不摂生で昼夜逆転生活したり、仕事もしてなきゃ就職活動もする気もないのだ!
具体的な努力はできないから苫米地の動画とか本とか見て現実逃避したり
オカルトに期待して現実逃避するぐらいで、社会で必要な能力の訓練はできない
ニートなのだ!どうだ!まいったろ!あー働きたくない!働きたくない!
何ができるのかわからない!何がしたいのかわからない!道に迷ったニートのアラサーが俺!
働くのは死ぬほどいやなんだ!今の怠惰なニート生活も捨てがたいし、頭も良くないし特別な特技や資格もない!
職歴にニート生活のでっかい空欄があるから恥ずかしいのね!
苫米地やオカルトに期待するくらいしか現実の俺にはできないの!努力なんて出来ないの!
だけどムカつくからここに粘着して論破されても言い返してるよ!
もはや苫米地の教えに背いてるけど、ムカつく野郎に言い返すために苫米地理論無視して言い返す! 質問
残り97%の脳の使い方の付属CDではヤワラちゃんは勝ってガッツポーズしてる間違いって言ってたけど
違う音声では(フォレストの特典音声のどれか)ではみんな喜び方が足りないって言ってた
これってどういうことなんだろう
矛盾してる気がする 信者って共通してるよな。
初期段階 苫米地はカーネギメロン大学の博士課程を出てる IQ無限大 英単語を30分で2000語覚える すごい人だ
中期 教材に手を出して、効果があるような気になる
末期(苫米地歴5年くらい)全く変わらず 騙されたことに気づく 信者がんばってメシアになってくれ!!地球の未来はまかせたぞ。 苫米地さんがインチキかどうか?
多分、こういうことだと思う。
はじめ「億万長者になる!」のような目標を立てていても、want toを追求していくと
多くの人は、実は、億万長者などになりたいと思わないことに気づく。
究極的には「生きていること、それだけで素晴らしい」と言う結論にたどり着くので
みんな、一週回って「平凡な人」になっちゃうんだよ。
外野から見ると「なんや、どこにもビルゲイツみたいな成功者が出てこないやんけ」=効果無しにみえるが
その本質は、「自足した凡人」を作り上げる、エコ理論なのかもしれない。
「自分の有り方に不満足な凡人」→(苫米地理論を経由)→「自分の有り方に満足した凡人(非凡人)」
結果的に浄土真宗などでいう「妙好人」のような存在を作り上げるメソッドともいえる。 >>61
流石に恣意的な解釈が過ぎるな、もっと冷静に現実を客観的に事実に基づいて考えていくべきだろ
現実的に啓発や苫米地にハマっていて億万長者に成るという目標を建てて、want toを追求したとしても
結果に結び突かなければフラストレーションが溜まっていく、現実的にその人の行うwant toが社会の需要に適したものであるか
新しい需要を生み出せるほどその業界の数歩いくレベルでなければ金には結びつかない、現実的に社会に新しいマーケットできたなら
そこに新規で参入すうるものが増え競争が激化するか、既存のマーケットであっても競争や企業努力が存在する
そんな資本主義競争社会に置いてwant toが持つ効果というのは苫米地の言うようなhave toより爆発的に効果があるものではない
have toで行われているビジネスでも企業努力や競争を勝ち抜いてきた相手にwant toをやったからといって太刀打ちできる道理はない
だからwant toを続けて金持ちになるどころか、変わらない現実化、挑戦しようとして失敗して生活が悪化して
自足した人間に成るよりは金のない人間になる。それはまず第一に苫米地の理論の失敗となっている。
結果がでないから、その結果が出ないことから学んで成長しろというなら、最初からその結果を推して儲けるビジネス自体するべきではないただの詐欺 >>61
現実的に金持ちのなるという目標を建てているのに、多くの人は億万長者になりたいのではないという結論に達する人が
ほとんどというのもおかしい
ある程度満足した収入があるのなら、その収入に満足してそれ以上の収入を求めようとしなくなることは事実としてありえる
だが多くの苫米地のハマっているひとや、苫米地理論というのは現状に対する不満をモチベーションに変化をもたらすという
ゴールの世界に臨場感を持ってホメオスタシスに依って達成するという方針を取る
自分が金持ちになっている世界に臨場感があれば現実とのギャップが大きくなり、収入が少ない自分の現実に不満をもつ、欲求不満が大きくなる
苫米地理論というのは現状に充足した人間をもたらすものではなく、現状とのギャップを埋めていく道筋の中の現実に満足を感じるものだから
金持ちに成るという目標を立てている人は、それに向かっているとか、ゴールに向かっている状況に満足を感じれるはずの理論だから
結果に結びつかなく、周りから見たら普通の人に見えるという解釈は流石におかしい 例えば、野球の大谷君など、苫米地理論が適用できる事例でもあるよね。
彼は、金には興味が無いようだが、世界最速や二刀流など、野球に革命を起こそうとしている。
それが彼のモチベーションらしい。
そして実際、目標シートみたいなものを書いてますね。
そして移籍金300億などと言う話も出ているので、「金持ちになる(こともある)」と言うことはいえるだろう。
しかし、大谷君が、野球ではなく「槍投げ」に興味を持っていたら、きっと食うにも困るような状況になっていただろうw
まぁそういうことだ。苫米地理論が、ぴったり資本主義的な成功にも合致する場合もあれば、そうならないケースも在る。 >>61
苫米地の理論上ゴール設定が本当のwant toではなく億万長者に成ることがwant toではなく
自分の本当のwant toが見つからないから誤ったゴール設定に成ってしまってたから
億万長者になりたかったのではないと思う人はある程度存在するのだろうが、多くの人間にとって
ルサンチマンではなく、そんなに金なんかいらないと思う境地に辿り着ける人間はごくわずかだし
大体は金持ちになりたいという欲望を抑圧しているだけで、心のどこかでは金持ちを羨ましいと思う心を捨てきれない
それにある程度の結果をもたらす社会的な成功(金銭的なものではない)を納めれば自然とそれに付随する形で資本主義である以上
経済的な結果は付随するものだ、経済的な結果だけではなく苫米地理論が本当に効果があるのなら、目に見えた結果というものが出てくるものだ
だから周りからみたら普通の人にしか見えないような状態にはならず、金持ちではないが凄い力がある人だとか
ある程度有名に成るという結果は付随する、それが見えないなら効果理論上のものだと批判されてもおかしくはない >>苫米地理論というのは現状に対する不満をモチベーションに変化をもたらすという
これは違うんじゃないか?現状に対する不満とかは、それ自体が、現状の中で作られた虚偽の感情であって、
そういうものをそぎ落として、純粋に「やりたいこと」をやるということだろ思うぞ。
例えば「俺を振った女を見返すために東大に入ってやる!!」(情動・ルサンチマン)と言うのは、「want to」ではないだろう。 >>64
まだ途中だが>>63にそれは指摘した、苫米地理論が資本主義的、経済的な成長に必ずしも合致しないが
ビジネスのマーケット規模の大きい野球に合致したwant toで行動したから経済的な成長に結びつくが
もしかりに大谷が野球で旋風を巻き起こせるほどの結果を出せたなら、空に困るレベルにはなっていないだろうし
結果が出ているのだから理論に誤りは無いと言える。ハンマー投げの室伏レベルになっていれば有名人になっている
実際に大谷が槍投げがwant toだったとして彼の身体的な特徴や思考や、身体的、精神的、努力の継続性などが必ずしも槍投げで野球ほど上手く行くとは限らない
want toをやったとしてそれが上手く言って結果に繋がるか否かは運の要素も多く含まれる だからさ。資本主義的な成功を度外視すれば、全ての人間は、何をやっても「成功」している訳ですよ。
毎年、庭の向日葵を美しく育てるのが好きな人も居れば、車を毎日ピカピカに磨くことが大好きな人も居る。
彼らは資本主義的には特に成功していないが、人生を楽しむという意味では「成功」して居る訳だ。
たまたま、巨大なマーケットに結びつくと、億万長者になることもあるかもしれないが、大谷君が金に淡白なように、向日葵職人も
預金通帳に100億あっても、淡々向日葵を育てるだけの日常は変らないのだろう。 >>66
例え話で無理矢理な解釈に誘導している節が多く見られる
例えば金持ちになっている世界に臨場感があるのなら、その現状との間にギャップが生まれる
俺は金持ちのはずなのに、そうじゃない!おかしい!それを不満と表現した
純粋にやりたいことをやっているからといって完全に充足した人間になれるとは限らない
野球が大好きで野球さえやっていられば幸せという人間がいたとして、ゴールの世界では最高のプロ野球選手なのに
現実では草野球のメンバーレベルでは不満となる、その不満にホメオスタシスが働いて結果が出るというのが苫米地理論だが
現実では草野球のメンバーレベルからプロレベルになれる人はごくひとにぎり、才能があって遺伝子が良くて運が良くて幼少期からやっていて
そういう条件を揃えたとしても上手く行く人はごくひとにぎり
want toをやっていて上手く行く人はたまにいるのも皆そうなると誘導したり苫米地はしているし
あなたも苫米地理論をやっていけば一部の人はこうなる可能性があるというものを、多くの人はそうなると誘導している >>69
苫米地を抜けば、あなたの主張自体には俺は同意する。だが、それを本当の意味で満足できる人間は少ないし
それなら現状維持で現状に満足を感じればいい、苫米地理論の独自性を排した考え方でいい
苫米地を無理矢理に肯定する形で解釈するのは流石に恣意的な解釈が過ぎる。
本当に好きなことをやって成功するのが苫米地理論であって、その成功が現状維持の中にある産物なら苫米地理論の有効性は必要ない
現状の外側にゴールを設定してそれに向かう必要もないし、結果としてそれを経由する遠回りをする理由もない
苫米地理論を反面教師とりようする以外のメリットがない 自演するなら文章をかき分けろよ
下手すぎで萎えるわ >>61
色々と錯綜したが、あなたの主張は苫米地の有用性や有効性を度外視した上での主張や解釈になっている
理論が有効なのか否かに関わらず行き着くような結論を、苫米地の有用性や有効性故に行き着くと無理矢理な解釈と
論理の辻褄合わせや、例え話に依る解釈の誘導を行っている
苫米地がインチキかそうでないかという論題に、苫米地がインチキであろうか無かろうかに関わらずに行き着く結論に誘導するインチキを行っている構図だ
苫米地がインチキかそうでないかという論題で議論したり、主張したいのならば、苫米地の理論の有用性や有効性について語るべきであって
本質的にそれを排した形での主張を、苫米地の有用性や有効性を主張するものと錯覚させる論理を展開している。 というのも、苫米地理論以前の「凡人」の「現状維持」は、学校や会社で劣等感や競争意識を植え付けられ
「どうせおれなんかカスだし」や「くそー、子供を東大に入れて世間を見返してやる!!」とか「同期のあいつより出世できなきゃ会社辞めてやる!!」のようなゆがんだ意識の場合が多い。
「現状の自分を愛することができる」という能力は、世間の普通の人にとって、もっとも「現状の外側」の能力なのだ。
というわけで、色々と、現状の外側のゴールを達成していき、「非凡人」「変人」の類になって、再び、「凡人」に戻るというプロセスが重要なのだ。
少なくとも、その人は「本当はこうなりたかった・・」「あのときこうしていれば」という、内面にグチャグチャしたものがない、さわやかな人になっているだろう。 当のばかべち自身だ何の結果も出してないのに
そいつから何を襲われることがあるのか教えてほしい 金持ちになるどころか、貧困にあえぐ可能性もあるが、want toで生きるというところに至福があることは否めない。
ゴッホにしろ、ニーチェにしろ、宮沢賢治にせよ、どう見ても幸せにも見えなければ、生前は、成功者とも言えなかった訳だが
彼らは、「至福」につつまれて生きていたということは断言できる。血反吐を吐きながらではあるがw >>75
色々とおかしい、少し劣等感や不満に関する心理学の本を読んで学んだほうがいい、思考や論理を展開する以前に
基本的な知識が足りていない、現状の自分を愛する能力は、人それぞれ大小はあるが一般の人にも普通にあるものだ、大小こそあれ普通の人に備わらないものではない
その大小こそある、現状を愛する能力を育てて行けばいいのであって、あなたの言うプロセスは単なる遠回りに過ぎない
あなたが例示したものは劣等感が異常に強いタイプの人間や、競争意識が過度に強い人間を一般的な人達もそうであると誘導している節が多い
前のレスでも指摘したが、一般的なものではない一部のものを一般的なものと誘導するのは苫米地もよくやるが
あなたものその思考の影響を受けている、過度な一般化というのは論理の混乱をもたらすものであり、その思考法は改めたほうがいい
劣等感や競争意識故に現状を愛せない人間に対する解決作としてあなたのいうプロセスは有用性や有効性が低い
上にゴールを次々に達成できる保障もなければ、want toをやった結果経済的な破滅や悪化を生み出す可能性が大きいというリスクを度外視している
あなたの言う範囲でのwant toならばあいた時間に趣味のwant toをする程度でいいものを、人生をwant toに捧げようとする苫米地理論とリスクを同列化したうえで
理論の現実の客観的に評価できる結果への有用性や有効性を無視した論理を展開している >>78
心理学の本など読んでもまた一つ「洗脳」が深まるだけだよ。
また、ディベートなどの訓練をして論理を展開していけば真理にたどり着くなどというのも一つの妄想だ。 >>77
流石に酷すぎる非論理的に自分の主張を押し通す暴論というか最早論理ではない
そういう一部変わった人間がいるというのを一般論にすり替えている、更に自分の恣意的な解釈を
さも事実のように断言している。
ニーチェやゴッホのような精神病や苦悩に自殺願望に生きていた人間がwant toの中にいた上で至福だったと
断言している酷すぎる論理を唱えている、人の幸せは主観的なものだから客観的に判断できるものではないのに
恣意的な解釈で断言をするがおかしい上に例示した人間の人生をまるで理解できていない
want toをやるのに人が幸せを感じるのは間違っていない、趣味レベルの楽しみのwant toであればの話
人生をwant toに捧げたとして本当に人生が経済的に上手くいかなければ不幸せな人が大半だし、どんな人でも不満はあるのだ
want toを行うことが自足した人間になる道として有効でも有用でもない、ある程度の有用性はあるかもしれないが希少的、副次的、副副次的レベルの効果だ
それをメインのターゲットにした有用性にはなり得ない 「経済的な安定」というのがwanttoならば、それもありなのでは?
好きな科学研究をしながら特許局で働いたアインシュタインもどきのような人生もあるだろう。 君は、論理、論理と、苫米地の代わりに論理を神のごとくあがめているようだが(それで儲けている人たちもいる)
そもそも言語によって、お互いの意思を完全に伝え合うなどというのは不可能なのだよ。
私が上のレスの内容を、詳細に伝えようとしたら、電話帳なみの厚さの情報量になるかもしれないが、それを解読するのに、人間の頭脳では無理だし
かといって、抽象的に伝えても100パー誤解する。
結局、自分で納得するしかないのだよ。他人を論破使用し、論破されようが、最終的には自分が納得したことが真理なのだ。 >>79
ある程度思考する上で最低限の知識は必要だ、知識もない状態で素人がした思考など素人の浅知恵にすぎない
あなたの言うようにある知識があることによってそれによって思考が妨げられるということはあり得る。
だが心理学や劣等感についての基礎的な知識も理解もない状態で酷いレベルの解釈とゴリ押しをしているから
無知さ、短慮さを指摘したのに、心理学の本など読んで洗脳が深まるというのは流石に酷すぎる
あなたの論理展開では本質的に知識を習得すること=洗脳が深まるという酷すぎる論理展開になっている
自分の考えを主張したり、自分なりに考えることは必要だ、だが知識というものを軽視してはいけない
苫米地もよく酷いレベルの知ったかした上で暴論を唱えているが、あなたもその分野で必死になってとりくんだ先人の学問の知恵というもを
バカにしすぎだ、なんでも感でも洗脳という苫米地の発言に悪影響を受けている ひどすぎて結構。知識や学問を深めれば幸せになれるなどというのは、ただの勘違いでしかない。
まぁ、一種の自己満足、趣味のようなものだから、飽きるまでやればいい >>81
多くの人間は経済的な安定のためにhave toを行っている、元々経済的な安定を求めているから皆want toだ
経済的な安定のためにhave toをやるなら苫米地理論は関係ない
経済的な安定がwant toなんて誰でもそうだ、それがwant toでない人間など一部の人間
というか議論が脱線した無意味な言い換えしになっているし噛み合ってない >>82
俺は論理を神のように崇めてはいない、俺もあなたの思考法や誤りを指摘するためにあなたの状態を
記述したがそれとは違うレベルのでの単なるレッテル貼りのような表現だな。
俺は論理のみならず感性や、幸福といった分野についた部分についても触れている、非論理的な分野について
論理を用いて暴論をしているから、((論理))という言葉を多用したのであって
論理を神のように崇めてなどいない、
言語に置いて全てを伝え合うのは不可能なのは分かっている、だが完全に不可能であってご言語によって相手と
議論したりすることは有用であり、あなたの書いている内容など
論理的に誤りをしてきするレベルで十分の思考であり、俺が批判しているのはあなたの書いた論理の部分だ
非論理的な感情的に何か言い返さないと負けた気になるから言い返している暴論の部分を論理的に誤りを指摘するのは
論理が行っていい範囲内であって、あなたはそれを無理やり、人の思考を言語で全て分かり合うことができないから
結局自分で納得するしか無いと言った相手の論理から逃避する酷すぎる思考を行っている
苫米地もよくやる抽象度を上げて逃げるパターン、苫米地信者の大概は論理で追い込まれると、正しいとも間違いとも言えない
抽象的で曖昧な論理を展開して逃亡する、そういう逃げ道を知恵とか賢くなったと錯覚している ピコ太郎なんかも、まさに、好きなことやって資本主義的にもある程度「成功」した例だが
10年前に生まれていたら、首吊っていたかもしれんな。
結論として、万民の幸福を願うならば、ベーシックインカムとかいいんじゃね。ピコ太郎より芸が高度すぎて資本主義的には失敗してしまう例なども
いくらでもあるだろうしな。 >>87
お前と話しても不毛だから呆れてレスをしてこないだけだと思うぞ。
無意味に言葉を羅列して中身のないのを誤魔化してるだけなのにそれを論理と呼ぶ奴と話し合いをしても時間の無駄だからな 新しいタイプの苫米地アクロバティック擁護信者来たな、またニートか?バカなのに必死に辻褄合わせて言い返すのは
どいつもこいつも同じだなw >>89
want toやっててピコ太郎になれる奴が何人いるんだろうなw芸人やってたり音楽やってたり
スポーツやってる奴なんて皆want toやってるんだろうが万能というか若く無くなってきて人生詰むパターンがほとんだ何だろ
そいういう一部のピコ太郎を例示して、芸人になれば皆うまくいくよーとやるのが苫米地
ニートなら現状の悪化をwant toやっててもしないけどリアルでマトモに生きてりゃwant toやって人生破滅ってパターンが殆どなんだろ
趣味レベルのwant toならいいけど生活の基板をwant toに据えたら大概詰む 万能☓晩年○
若い頃はいいけど晩年とか年食ってくると詰む ほとんだ
そいういう
↑まずは日本語をきちんとしような 正直、俺が詰まないのは、不動産収入で生活が維持できているからだしなw
苫米地も、親の代から金持ちで、have toの苦労がピンと来ないという面もあるのだろう。 というわけで、ベーシックインカムが国民全体にいきわたったとき、苫米地理論は空気のように当たり前の常識になるだろう。
早まると、餓死ということもあるので気を付けよう。(実際は、苫米地も言うように、生活保護やらなにやらで面の皮さえ厚ければ餓死しないシステムになってはいるが) >>95現実じゃニートだけど不動産収入ある設定だろwネット上じゃ好き勝手言えるからな >>97
最低限の収入の基板が社会的にあれば苫米地理論が当たり前に成るというのがおかしい、現実的に社会を回しているのは
have toワークが殆どだ、そういったベーシックインカムが導入されたとして完全に働かなくても食っていけるような金額にならない
もし本当にニート万歳のような金額を支給した場合、財政が成り立たない。
それに生活保護の金額というのは完全に働かなくても生きていける金額を貰えるかどうかわからないし、生活保護を申請する基準も厳しくなるし
先に詰む可能性が非常に高い、ベーシックインカム自体が成り立たない可能性の方が俺は高いと思っている、経済が成り立たなくなり生産性が低下する点も指摘されている
まず現実的にwant toをやるほうがhave toをやるより良いかというと、一部の芸術やスポーツの分野ではアドバンテージがあるが
社会で必要とされるような一般的な職業において必要とされる人員がwant toで需要と供給が一致しない可能性の方が高い
必要とされるような職種につくhave toをやるという形で雇用形態は安定している
雇用や就労というのも需要と供給によってできているのであって多くの人間は供給側である雇われる形だから
需要に合わせる形でのhave toをやらないことには社会が成り立たない、当たり前に成ること自体あり得ない
空気のように当たり前になる理論ではないこの先も一部の信者が信仰して広めようとするレベルの理論だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています