映画のテーマを理解していないという件なら、学生時代「ぴあ」投稿の
「ゴジラ」の誤読を思い出すが、その後も認識は全く変わっていないようで
http://www.tobunken.com/diary/diary20110711110510.html

最初から最後まで誤読と事実誤認のオンパレードで、その全てを指摘しきれないが、
まず、主人公がキャラの薄い狂言回し的人物なのは、映画でも小説でもよくあるテクニック。
ジョージ・パル版の映画「宇宙戦争」とゴジラを比較しているが、ウェルズの原作を
読んだこともないのだろう(主人公は文字通り名もなき市民である「私」)。

香山滋による小説「ゴジラ」(ノベライゼーション)は、著者名は香山名義になってはいるが、
実際は別人の作じゃなかったかな?
それはともかく、小説版で新吉が主人公になっているのは少年読者向けの配慮に過ぎない。
映画の原案にあたる香山滋作「G作品検討用台本」の尾形や新吉のポジションは、完成した映画とほぼ同じ。
読んでも、新吉がそれほど重要なキャラだとは思えない。

>また、この『ゴジラ』を再編集
>したアメリカ版の『ゴジラ』(『怪獣王ゴジラ』)では、語り手
>スティーブ・マーチン(レイモンド・バー)は赴任地のカイロ
>に向う途中の新聞記者であり、偶然にも日本滞在中にゴジラの出現
>に出くわし、記者としての職務責任として事件に関わっていき、
>自らも大けがを追う。尾形にはそのような条件が何もない。
レイモンド・バーは宝田以上に狂言回しっぽいんですけど?

尾形のことを「言ってみれば船員」「住む世界があまりに違いすぎるカップル」と書いているが、
あの年齢で南海サルベージKKの所長なのだから、かなりの成功者と言えるのでは?