落合莞爾 ・吉薗秘史★1
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第二次大戦中、日本の軍部はアメリカ軍に裏をかかれる事態に何度も遭遇した。
「情報が漏れている!」当時の暗号文は人間に解析できる物ではなかったので、
技術者達は敵に超能力者がいるのだ!と考えた。やがてスパイ、その報告で、
多数の女性の名が浮かび上がる。一人の技術者がその女性ら?を使いこなしていたらしい。 ある二次元世界には勘違いが甚だしい男性の外人がいる。
彼は3、4年周期で現れ、時の学徒を困惑させたと言う。
その評判のため彼は今後その世界に二度と出現しないと思われた。
しかし、この年に彼は現れたのだ。
さらに性転換までしていた。
彼にいったい何があったのだろうか。 モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」が邦訳されたのは古く、1807年のことである。
京都の蘭学者、海上髄鴎の弟子である藤本宵啓が、その歌詞部のみを訳し、「轟君曇天記」と題して著したものだ。
だがしかし。この「ドン・ジョヴァンニ」がオランダ語に初めて訳されたのは、1949年になってからなのだ。
藤本宵啓はいったい、何語から訳したのだろうか? 2004年12月、山口県の某企業に勤めている夜間警備員の男性が解雇された
彼が夜勤時、勤務時間中に詰め所で携帯電話でのサイト閲覧に熱中し、定時巡回を度々怠っていた事が発覚したためである
後日 その詰め所で彼の解雇に関する処理を進めていた彼の上司は、書類に解雇理由の詳細を記入している時にふと気が付いた
この詰め所は地下3階…当然”圏外”にあると キリスト教が、現代欧米文化の根底にあることを否定するものはいない。
イエス・キリストの肖像は、グレコ、ジョット、ルーベンス等、ヨーロッパの
さまざまな画家によって描かれ、その姿はクリスチャンでない私たちにも
馴染み深いものとなっている。画家によってイメージに若干の差異はある
ものの、欧米文化を支える神の子イエス・キリストに共通している特徴が
ただひとつ。アラブ人に特有の長く縮れた黒髪である。 前200年白登山の戦いは、4世紀の劉淵にも、
7世紀の唐太宗にも影響を与える。
900年以上に渡って影響力を持ちつづける事績である。 そもそも太宗だったり高宗だったりが後継者になれたのは結果論で、
その後の唐皇帝たちに引き継がれる伝統ではない。 ここで唐太宗が、
西晋から五胡十六国、南北朝の歴史をまとめる意義は何なのか。
それは、鮮卑出身の唐の太宗が、
異民族の地・漠北と、漢民族の地・中華の両方を支配し得た歴史を
明示する、その役割が晋書である。 西晋の八王の乱に始まり、
異民族と漢民族が入り乱れる状況から、
南北に明確に政権が分かれて、
異民族・鮮卑出身の人物が、
中華を統一するという物語。 隋文帝楊堅が偉大だが、煬帝が世を保てず、
李淵が受け継ぐも、この漠北、中華を保つには足らず、
唐の太宗がそれを受け継ぐという歴史だ。 現代の我々にはぼんやりとしか伝わらないが、
唐の太宗が鮮卑であるという事実は当時は周知の事実であった。 異民族、鮮卑出身の太宗が、
中華、漠北を支配する、その正統性。 それを明示するのが、晋書なのである。
西晋から、300数十年乱れに乱れたこの天下を
唐の太宗が支配する由来。
それは今後の王朝維持には非常に重要である。 それで、唐の太宗は晩年に急いだ。
拙速であろうが、
完成を急いだのは、王朝維持のためである。 唐太宗を初めとした異民族が侵略者ではない理由を作りたい。 ここで、重要なのは本来は中華を支配すべきではない、
異民族が中華に入ってきた由来である。
異民族は、
単なる侵略者なのではないか。
そう思われてしまったら、
唐太宗も同類となってしまう。
そうではない伝説を作りたい。 こち亀で
警視庁は警視長警察官に該当する人物はいないと発表 唐太宗は侵略者ではない。
その理由。
見つけた理由が、
劉淵が白頭山の戦いに由来して、
漢を名乗ったということであったと私は考える。
ここで話が変わったのだ。 異民族=漢、なのかもしれないと思わせるロジックの出現 劉淵存命当時においては、
非常に攻撃的なこのストーリーは、
唐の太宗の時代になると、異民族が漢民族と融合できた由来と
なり得る。
唐の太宗時代には、融和の象徴になる。 異民族の唐や唐太宗の視点から考える。
前200年に白登山の戦いにおいて、
漢高祖劉邦が匈奴冒頓単于に負けた時点から、
漢と匈奴は兄弟である。 西晋の末期、その由来に則って、
始めて異民族が中華の伝統に従って、漢風の王号を名乗った。 異民族の漢化の第一号、劉淵にそれを言わせた。
しかし劉淵の死後、匈奴は漢化しきれず、滅亡。
紆余曲折を経て、鮮卑拓跋氏が北魏を建て、その志を引き継ぐ。 北魏が漢化したのは良く知られている。
その後分裂などを経て、隋唐に至る。
唐の太宗が、隋や李淵が天命を受けきれず、お鉢が周ってきたわけである。 漢 前趙 後趙(大趙) 前秦(大秦) 北魏(大代大魏) 西魏 北周 隋 唐 漢 前趙 後趙(大趙) 前秦(大秦) 北魏(大代大魏) 西魏 北周 隋 唐 この話の流れは、
異民族が正統に漢化し、漢人のみしか受けられないはずの天命を
異民族が得た経緯を示している。
唐の太宗に至る必然性、それを示しているのが晋書である。 前漢武帝にとっての史記が、
唐の太宗にとっての晋書であるというわけである。 漢民族の祖と言える劉邦と、中華にとっての異民族首領初代冒頓単于が
兄弟となった白頭山の戦いをピックアップすることは、
漢民族に対する異民族の優越性を示している。
冒頓単于の漢に対する優越から始まり、
約800年の漢人・異民族の対立が続く。
それを融合させ、統一したのが
唐太宗ということである。 前200年に始まる、異民族と漢の対立の歴史が、
唐太宗が編纂させた晋書の成立する648年に終焉するのである。
それは唐太宗という人物が全てを終わらせたという新しい「歴史」である。
だから、晋書には、
漢人皇帝のみではなく、
異民族皇帝も事実上の列伝(載記)が存在するのである。 即死チートは無敵
能力が効かない相手が存在すればもう何もできない 中華皇帝の中でも著名な唐太宗。
その内実は色々であるが、
五胡十六国時代から続く、
中華の民族シャッフルを完成させた
時代の皇帝と言える。 五胡十六国時代・南北朝の政治テーマである、
胡漢融合の集大成を成し遂げたのが唐太宗の時代であった。
唐太宗が集大成にしたわけではない。
唐太宗に至るまでに、
数々の異民族の君主が、
苦労して胡漢融合を徐々に成し遂げ、
それが唐太宗の代で完成したという意味である。 前秦苻堅の名宰相、王猛は漢人として初めて胡漢融合を推進させる。 異民族の強み・軍事力を保持しながら、
徐々に漢を取り込むという
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