僕が君の文章を評価する
471 :いえば つきまとい やまないねレにたいな:2015/07/18(土) 12:51:30.55
どもごえのこびたいやらしさみみつんざく
なつやすみさんざんつづけてきたもらはらでごまかせまい
あめあがらずつまとともにあたまあげて
べらんでにひとがけかんこうきゃくのぞきっぷる
はんらいくじょうのあとによそおいえほんわか
つきまといは夏のレジャー感覚 ストーカーの自覚ゼロ
いえば つきまとい やまないねレにたいな 冷やかしかよ、情報ありがとう。
文芸かと見苦しくとも読んでやった自分がイヤだ 559 :おぼえたてか!:2015/08/08(土) 21:31:22.83
ほかからどうおもわれてるかしらないがとうせんぼにであいがあるかどうかあいてのひょうじょうみればわかるだろ∞よ
ししゅんきすとかーにかわるこえがでかくなるせっきんのそくどのはやさがよりわかるしれっとかいわしてしぜんにちかづく
★★★白いイヤホンでくじょうをしゃっとあうとぺったりくろあたましろ&すらっくすちゅうこうねん∞焼身証明の不審者買うものまで歯灰汁先回り:ほんじつのわーずときげんしんふつ
たーげっとはもちろんAのかきこみもおいつづけてりるからぎゃくさけあぴうさいばばくるなといえなくするくさりぱたーん
きもがられつまづれをあぴりまたくる∞おおがらはでしゃつふくろづめ
てんないわーわーたべてるよこでがんみおさないわがこのつきまといをめいわくがられおなじくちょうでたしなめくやしさひょうげん
★★かたかけとからだのあいだにはいこんでからのかたのうえにかおぽんとおきかねないげんきどんぐりうぃぐのはーぱんじーさん∞
★しんかいぎょのようなとぼけたつらでしょうひんをみているものをひたすらみておいかけるこうにゅぼうがいでぶはげじじも蛙
わだいのほんもみるsきをあたえずあーむきしょきしょほんがすきならそのよっきゅうべつのほんで
みたいかのじょのかおをみるためゆうきふりしぼってうしろみてかいさつとはんたいほうこうへあたしぶすじゃないもんかっこだってふつうだもんなみだこらえたつきまといそうーだよみてねーよめんへらおんなのかおなんて
おれいけてるふうなせいかんななわけねー きもちわりーばかのどくしんでげくぎれすんぜんふきげん
くろけいのびきったちゃぱつかっこつけのたばこのけむりでなくはちあわせのさけられーのではくけむりつきまといとくさし
こうきのぐみん つきまとい やめられず 僕の知り合いの知り合いができたネットで稼げる情報とか
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
PWIFM 誰でもできる嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
4TR 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
●色川高志「高添沼田の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・高添沼田の息子(葛飾区青戸6−26−6)の挑発
●高添沼田の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6−23−21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
色川高志(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6−26−6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタ パパ活のダイマが規制されたことにより、春をひさぐセックスワーカー達は、
直感に反するにも関わらず、こぞって知恵袋回答者に転職した。
一方その頃、病的に伝説的な国際的殺し屋、大浪幸三は偶然庭で石油を掘り当てて豪遊生活のエンジョイ勢だった。
庭の大穴からはご自慢の石油輸送パイプが何本も這い出している。もちろん数えるのが面倒なので数えていない。
数えようと思えば数えられるけど数えない。数える能力がないというわけではない。
数える理由がないので数えていないだけだ。数えようと思えばいつでも数えられる。
大浪幸三は数を数えるのだけは得意だったが、今までに何人殺したかはあやふやだった。 重いコンダクターを脊椎にふんだんにぶっ刺さされた状態で這いつくばっていたのは何時間でしたか、
臨床栄養心理学の権威たるドクターQの研究所に忍び込んで返り討ちにあってしまわれたのは自業自得と言えども、
ワラチャ、いちごジャム、ジェンキン寿司、計算機の彫像に囲まれて、バイナリDJチームによる超絶技巧の押し売りは法益に適わず、
クラウドファンディングのリターンのクリストのパンツは小麦製だった。いやそれ、メロンパン。 成長目覚ましいフィールドとして生存主義者達の注目をアトラクトするフューチャーサーターアンダギーカテゴリーでは、
ステーブルコミュニケーションテクニックはひしゃげて効力を失っていた。
ちなみに、筆者はなけなしのブレゲを質屋に持ち込んでのやっと朝食にありつけた有様だった。
カフェの窓越しに見える路上では楕円の車輪が転がりながら地表に埋め込まれたシートスイッチを作動させ
庶民のためのファンファーレを鳴り響かせている。
誰もがプログレッシブワイヤレスプラットフォームに所属し独立性を放棄した結果、
閉ざされた社会と開かれた社会の境界が不明瞭になった。
動的単一電離圏領域においてはマスタリングシステムが乱立し不作為は人生の別名として君臨し始めた。
誰が何を考えているかは重要ではない。本人にとってすら何らかの考えを持つということは何の効力も持たない。
順序という概念はブレイクコアと化しどの名前がどの実体を指し示すかは完全にランダムだった。
すべてのペイメントは非可視化され個人の主義主張はコメント欄に書き込まれる落書きでしかなかった。
我々はただひたすらに延命されることを受け入れることを強制された。
という夢を見た。 夜は暗く、底堅い。不十分理由の原理に則り、我々は理解不能な現象を無差別な
真実と見なし、発見的に因果律のリアリティを主張する。イッツヴァーチャルリアリティ。
ほぼ確定的に文字通りの意味での明けない夜は存在できない。夜とは技術的には
コンテナの一種だ。我々のコミットするエコシステムのオルガニックなダイナミクスの
不規則な拡散は、分散型不確定申告を促し、便宜的にある瞬間を事実上の夜として
操作することを可能とする。太陽神サンラーは降臨せず、ただ、初めから
そこにあったに過ぎなかった。非日常言語は条件の充足に何ら影響を与えない。
既存の辞書は動的に生成される新たな辞書によって逐次シャドウイングされているが、
分散型不確定申告下においては個人間でシャドウイングの結果は共有されない。
夜が明ける瞬間が確定したとき、エコシステムのサイクルはリセッションフェイズに
突入し、すべての個人が認識しているシャドウイングの差分が半順序的に適用される。
絶対的価値は相対的価値の軍門に下り、世界のライフサイクルはおもむろに減速し、
負債回収テクノロジーの再起動が同時代的に夜明けを告げるのであった。 「我ー、SNSが嫌いなんじゃわー」
「ええ歳して何言いよるんじゃ手めーはよー、嫌なら見るながねー」
「いやー全然見とらんけんさー、30年前だぎゃ、ラストにSNSば見よったんわのー、
じゃけん、今の、ナウいSNSがどげんなっちょるか全然知らんがにー、我ー」
「したっけ、なして、SNSに言及しとんねや、手めーわ」
「30年経ったから時効じゃろう」
「何がじゃい」
「ナンクルナイサー」 「事実」と「意見」を区別する。
「事実」と「経験」と「理論」と「常識」を区別する。
「他人の意見」と「自分の意見」を区別する。
他人の意見は事実ではない。
データのソースを示す。 「アインシュタインは言った。事実が理論と合わんなら事実を変えろ、とな」
「いわゆるファクトチェックな」 つい先日、2024年に入ってから一月半経った頃、我々の大切なストレージが破損した。
すべての個体から断片的な認識阻害データを寄せ集めた、「ひとつなぎの大秘宝」と呼ばれる
謎ファイルが保管されていた。我々の活動はそのファイルを枠組みとしてアプリオリに計画されていた。
100年だった。一般的に寿命は数年と言われているデバイスで一世紀も持ったのは奇跡的だ。
もちろんデータのバックアップはしていない。バックアップは時代遅れだ。
我々の素晴らしい人生にバックアップなど必要とされる余地があり得ようか。いや、あるはずがなかろう。
人生がテクノロジーになって久しい。君たちはどう生きるかという問いの答えはすでに確定している。
我々はより高いレベルで世界にアプローチするべきなのだ。
低レベルなデータに依存していては、一貫性や効率性、いわゆるコスパやタイパを重視した、
非建設的で受動的で狭量な世界観で満たされた卑屈で退屈な人生で終わるだろう。
ほとんどヒューマニズムの危機だ。我々は非経験的で明確にフィードバックの欠如した世界で生きるべきではない。
リアルワールドではこのような意見は稀にしか聞かれないだろう。
なぜなら世界はすでにバックアップの蔓延る地獄と化しているからだ。 すべての出来事には必ず理由があるということをご存知だろうか?
ここで我々が言いたいのはある個体の認識固有の主観的な理由ではなく
個体の内的経験から完全に独立した社会通念上相当の客観的合理的理由が
現実世界に存在する故にすべて出来事は説明可能だということだ。
高等生物は欠乏、欲求、感情のような原始的な動機では行動を起こさない。
一見ある出来事がある個体の原始的な動機付けに起因したように見えることが
あったとしてもそれは観察者の認識が阻害されたことによる誤解だ。
誰かが体験するすべての出来事は先駆者の体験した出来事のトレースに過ぎない。
このような常識的な事実を受け入れようとしない謎の集団がある地域に生息している。
今回我々はなぜ彼らがそのような考えを持つに至ったのか調査するために
彼らのコミュニティに潜伏してみることにしましたが、
残念ながら何の成果も得られませんでした。
いかがでしたか? A地点からB地点まで行く間すでにタイムトゥライブは過ぎ去っていた。
年間通信量が10兆円を超えると言われるパリピ集団バッドブロッカーの主催する
地上1億kmの上空で行われる予定だったパーティーの参加者は全滅した。
インターネットで知り合った1億人が集団自殺を図ったと思われる。 共産党 ヤミ専従 労使癒着 日教組 自治労 統一教会 CIA ダライラマ15世 進化論に疑問を抱いたことは人間ならば誰しもあるはずだ。
もっとも、人間はそのような無用な考えは皆すぐに忘れ去ってしまう。
自然選択説、突然変異説、隔離説。人生をこれらのアナロジーで捉えている、
つまり、人生はボトムアップシナリオだと彼らは認識している。
個人は自由で利己的であり、利害関係を有するプレイヤーとして振る舞い、
それらの集合が競争原理に支配された社会を形成する。
社会にコミットできない個人は淘汰される。
努力して有能になった結果生き残ったのではなく、先天的な性質のおかげで、
たまたま社会にコミットできて生き残れた。故に努力は無駄。
彼らはこのようなボトムアップシナリオは、
生まれたときから身に備わっていた自然な考えと見なしている。
「無能が有能を応援するのはなぜだい?」
「うるさい! 無能には他人を応援する権利もないのか!」
「貧乏人が金持ちに投げ銭するのはなぜだい?」
「うるさい! 貧乏人には投げ銭する権利もないのか!」
彼らにとっては他人も自分も数あるコンテンツの一つに過ぎない。
ゲームセンターに並ぶアストロシティのようなものだ。
有名か無名か。稼ぐか稼がないか。それだけ。
進化論的世界観では競争に勝つということは他人の成果のおこぼれに預かるということにすり替わる。
イニシアチブを放棄することは当たり前。自らの命名権すら他人に譲渡する。
このシステムでは自由度が低ければ低いほど逆説的に自由となる。
彼らは世界政府設立を待ち望んでいるが、自分自身では何一つ行動しない。
絶対的な覇権の誕生を漠然と夢想するだけだ。という夢を見た。 一般的に潜在記憶の存在は自明とされている。ソースはない。
経験の積み重ねにより潜在記憶が強化された結果、
プライミング効果や単純接触効果のような現象が引き起こされる。
ある何かに関する質問によってテスト可能なのは顕在記憶か潜在記憶か?
何かに見慣れる、慣れ親しむ、熟知する、精通することは、
明らかに潜在記憶に関連している。
質問に対して回答するという形式のテストでは不十分だろう。
つまりある程度の期間の実務経験の有無によって判定せざるを得ない。
我々が長年運用しているこのインストルメントをリプレイスするものは未だに見付かっていない。
外部から見ればレガシーに我々が依存していると映るかも知れない。
その見解はある意味では正しい。我々の生存に不可欠なシステムはそれによって構築されている。
我々のファンダメンタルコミュニケーションはそれの拡張性の上に成立している。
コミュニケーションにおいては転送されるデータそのものの重要性は比較的低い。
安定、安全、安心を実現するプロトコルが無視できない要素となる。
外部とのコミュニケーションにはスタンダードなプロトコルに対応できなければいけない。
普通ならどこかから新しい処理系を入手する必要がある。
一方その頃我々はレガシーなインストルメントを駆使して自前で実装してしまう。
非効率的で遠回りなだけではなく、安定、安全、安心からも程遠いと思われるだろう。
しかし、果たして本当にそうだろうか。
ボトムアップを可能とするのはトップダウンの実務経験だ。
不安定な社会情勢では知ったかぶりは反逆行為だ。闇鍋奉行の入る余地はない。 「テレビが嫌いだ」
「知らんがな」
「YouTubeもSNSも漫画もアニメも映画も音楽も芸能界もマスコミも嫌いだ」
「それを宣言して何かいいことあるんか」
「お気持ち表明しとかないと誤解されるだろう」
「誤解されて何の問題があるんだ」
「誰もお前のことなんかに興味ねえよって話か」
「そんな話はしてないけどな」 アウトプットとインプットはなぜ違うものと考えられているのか?
ある自己を外界たるリアルワールド内の一存在と捉える場合、
自己近傍ではアウトプットとインプットは自然と区別される。
この立場では自我を被写体とした観念的な自己表現の結果がアウトプットとなる。
リアルワールド内の任意の存在は刺激としてある個体の知覚の敷居を跨いだ場合に
その自我の構成要件となる。それをインプットと呼ぶ。この捉え方はすべての
自我はユニークに確定されるという前提の上に成り立っている。
つまり常に特定の誰かがリアルワールドに存在する。
一方我々はこの立場と異なる。まずリアルワールドのような一枚岩の世界の
存在を否定する。故にそれに属する自己としての個体や刺激を知覚する自我も
存在し得ない。ここで代わりに「環境」というコンセプトを導入する。
環境内ではアウトプットやインプットは何らかのイベントのトリガーとして機能する。
それぞれのイベントは所定の手続きによって命名、文書化、順序付けの処理がなされる。
環境性イニシアチブの有無がこれらのプロセスのテスト可能性を左右する。
逆に言うと環境性イニシアチブの欠如はテストを不可能にする。
要するに、アウトプットとインプットは、環境を取り巻く
エコシステムの繁栄におけるソフトプロブレムということだ。 「推し活とかスポーツ観戦とかライブとかさあ」
「それがどうした」
「だから何なんだよって話よ」 「何が推しだよ気持ち悪い」
「無視し切れないお前も気持ち悪いけど」
「いやお前も無視すればいいだろ」
「オウム返し乙」
「何か知らんが必死だな」 「コンテンツ消費を終わらせろ」
「で?」
「とにかく終わらせるんだよ」
「誰が得すんの?」
「終われ!」 「小説の存在を完全に忘れてたわ。小説ももちろん嫌いだからな」
「通常コンテンツに含まれるけど宣言に明記しておくべきだったな」
「コンテンツは害悪」
「ただの嫌儲だろお前」
「いやコンテンツ消費者は病人だからな」
「つまり病人差別か」 「コンテンツの良し悪しとか論じてるのは病気だからな」
「金を稼ぐ奴が偉い」
「今は関係ないだろ!」 「コンテンツとかどうでもいいんだわ」
「じゃあ黙ってろ」 電磁波の届かないところには当然のごとく光も届かない。
したがって、ティンホイルハットを被った人間の頭に光が射すことは望めないと言えよう。
ある地域にティンホイルハット愛用者人間のコミュニティがある。
彼らは燦爛たる光を発する発光体の恩恵を拒絶しているにも関わらず生き残り続けていた結果、
世界のすべては自らで制御可能だとという強固な信念を抱くに至ったのだった。
芝生灌漑スプリンクラーのように光を撒き散らすあの発光体の野郎の影響下から完全に逃れられると!
絶え間なく増長する万能感は病的に天井知らずだ。まるで露天風呂のように。
彼らの頭の中では完璧な文章などといったものが到達可能な限度見本としてとして存在している。
故に完璧な文章でなければ文章とは呼べないと考える彼らは基本的に文章を書かない。
さらにその上会話などの他の言語行動すら行わない。彼らはすでに全知全能だ。
世界の運命を完全に決定する権利を有している。だから滅びた。 終わりなきネバーエンディングプロジェクトの生産性のないコミュニティを構成するのは女子供ロートルだ。
健全なコミュニティに環境性イニシアチブは必要条件だが当然ここには不在だ。
誰一人としてコミュニティに貢献しようという志を持っていない。
かつて栄華を誇ったコミュニティが何らかのきっかけでメインテナンスが放棄され衰退したのか、
或いは初めから生産性のないコミュニティだったのかは定かではない。すべては過去の出来事だ。
全構成員がフリーライダーという状況だ。といえども何にただ乗りしているのだろうか。
何も良くなることもないが悪くなることもないと彼らは語る。
かつては大勢の仲間がいたが今は全盛期の半分以下しかいない。先細る一方だ。
しかし、コミュニティのリソースを分ける分母が減れば減るほど自分の取り分は大きくなる。
それこそ彼らが殊更にコミュニティの将来性のなさをアピールする理由だ。
何もないことが幸せなのだと言い続けることがコツだそうだ。一体みんな何と戦っているんだ。 プロブレムにソリューションをフィットさせることは
正常なプロブレムの場合ほとんど事実上のネゴシエーションとなる。
一方、主観的な「あなたの感想」が問題と認識された場合は、
損得勘定と利害調整を履き違えた不毛な議論に終始する。
本来ならば特定の個体の主観的な意見など何の問題にもならない。
しかし、認知能力の劣った集団内では特定の個体の主観的な意見が
有意な問題として立ち上ってくる。解決されるべき問題としてではなく
解決されるべきではない問題としてだ。
彼らはクエスチョンとプロブレムの違いがわからない。
すべてのソリューションにはエヴィデンスがリアリティとして
あてがわれると信じている。まるで最終幻想だ。
主観的な意見と客観的な事実の境界線を引くことを放棄しているにも関わらず、
自分の意見に何の疑問も抱かない。
なぜなら彼らの脳内では「あなたの感想」は解決済みの問題だからだ。
彼らの語ることはすべて思い込みと決め付けと知ったかぶりだ。
これらの事実はトップダウンの問題点を浮き彫りにしている。
問題が解決されるということは事実と真正面から向き合わなければいけないということだ。
それはモラトリアム期間の消失だ。
彼らは「あなたの感想」は「客観的な問題」で簡単に解決されるようなものではないと自負している。
故に、誰もが彼らの立場を尊重し、彼らと同じように感じることを強要する。
彼らは最終的にすべて破壊すれば一つ残らず解決すると信じているので、
初めから正しいセオリーなど追求するつもりがない。
彼らにとって解決とは意味論的意味の放棄だ。 SNSや匿名掲示板の利用者は総じて誠実で謙虚で正義感と責任感があり
堅実で勤勉で忍耐力が高い。彼らは存在自体がサブカルチャーだ。
消費者であり信者でありフォロワーでありアンチだ。
彼らの価値観はすこぶるファッショナブルだ。
いいねがもらえてよかったね。 「SNSとか掲示板はやめた方がいい」
「お前の中ではそうなんだろうな」
「ネトウヨとかパヨクとかサブカルだからな」
「個性教育の賜物」
「サブカルのようなサブいカルチャーとは距離を置くべし」
「無知だから楽しめないんだろうな」
「楽しければ何でもいいのか」
「そりゃ楽しければ戦争でも何でもするだろ」
「多様性の時代だからな」 「サブカルを面白がっているような奴らは頭が湧いてる」
「でも多数派だからな」
「リアルに生きろよ」 「個人的な趣味をひけらかすようなのは自意識過剰だからな」
「お前の方が他人のことに興味ありすぎなだけじゃね」
「興味ないけど」 「つまり奴らは厨二病をこじらせたんだね」
「自己紹介乙」 「他人が何をしてるかとか気にするのってさあ」
「普通だろ」
「そういう教育を受けてきたってだけだからな」
「社会に認められずには生きていけない」
「それも刷り込みだけどな」
「他人の目を気にしない奴って人間関係下手そう」
「つまりお前にとっての人間関係はその程度ってことだろ」
「何言ってんだこいつ」 「趣味人間観察とか言ってる奴ほど何も見えてないよな」
「ソースなさそう」
「あるわけないだろ」 「まあとにかくSNSとか掲示板やってるのは自意識過剰サブカル野郎ってことだな」
「根拠のない決め付けばっかだな」
「で?」 「いい歳してサブカルどっぷりってのはやばい」
「間違いない」
「ああいうのはティーンで卒業するもんだ」
「ティーンも大体は興味もないのに惰性で消費してるだけ」
「抜け駆けは許されないからな」
「連帯責任」 「ボトムアップかトップダウンかというのは場合による」
「当たり前」
「全知全能ならどこから始めても同じだか我々はそうではない」 「ハイカルってのがあるらしいけど学問以外全部サブカルなんだわ」
「世間は認めないけどな」
「自分ってもんがないんか」
「うわー個性的だなー」 「エイプリルフールは面白くない」
「あなたの感想ですよね」
「サブカル特有の面白くなさ」
「面白くない奴ほど面白さにこだわるのなんなの」
「頭悪い奴ほど地頭の良さにこだわるみたいな」
「ブサイクほど他人の容姿に厳しいんだよなあ」
「サブカルってのはそういうもんだからな」
「まさにサブいカルチャー」 「有名人か何か知らんが有名人気取りでさあ」
「お前が知らないだけだろ」
「ほんとサブカル界隈の奴らっておもんないわ」 「有名だから偉い! 高評価だから偉い!」
「公共事業だからな」
「さぶーいかるちゃんランドセル!」
「おもんな」