戦場におけるカメラについて語るスレ
乾板カメラからウェアラブルカメラまで、なんでも話しましょう
0002名無し三等兵2019/09/10(火) 17:29:04.13ID:Vqs2dqED
>>1
沢田教一のニコンFとライカM3とニコノスがベスト 0003名無し三等兵2019/09/10(火) 17:31:38.77ID:Vqs2dqED
次点はゲルダ・タローのローライフレックス
WW1とWW2の間、ドイツでの話。
外貨獲得の為に、高級カメラを大量生産して
外国に輸出してたって話だな。
で、WW2が始まると、ライカは軍用に優先的に回されて
民間では新品を入手出来なくなったそうだ。
その為に、ライカのライバルであるコンタックスが
売れる様になったとか。
>>4
コンタックスと言えば、有名すぎるロバート・キャパ。でも、
地雷でサヨナラの直前のニコンS2のほうが個人的には好き。 湾岸戦争取材では、キヤノンEOS-1とニコンF4の対決。F4は
砂漠の砂が入って使いものにならず、以降報道カメラはキヤノンに。
>>6
キヤノンは、EOS攻勢が凄くてな・・・
「あなたの機材を下取りさせてください、そうすれば格安でEOSにしますよ?」
と言って、キヤノンユーザーを増やしたんだよね。
ちなみに私は、各社のカメラをあれこれ持ってるけど
EOSは持ってない。
コニカとかニコンとかペンタックスとか、色々あるんですけどね。 >>7
それはEOS以前にF-1でプロカメラマンを取り込むのに使われた手法。 >>8
情報乙です。
そう言えば、リコーもオリンパスもあったな・・・ 軍用カメラっていろいろあるけど、憧れたのはグラフレックス・
コンバットカメラ(ガリバーズ・コンタックス)とライカKE-7A。
ニコンのFEだったかFMだったか忘れたんだが、各国の軍で気に入られていたって話。
韓国なんか、非常に珍しい事に
ニコンから正式にライセンスを買って、韓国国内で
生産していたとかなんとか。
天安門事件で、戦車を止めた男(Tank Man)を撮ったカメラマンたちは
すべてニコンを使っていた。
ペルーの日本領事館人質引籠り事件で、突入当時の
写真を撮影してたのは、意外にもニコンのカメラ。
しかしその撮影してたのがキヤノ屋さんだったとか言う話。
従軍カメラマンカッコイイから勢いで戦前ローライフレックスオートマット買ったけど、シャッターネバネバジャンク品だったわ
オーバーホール6万は俺のサイフだと高すぎて無理だから、自分でオーバーホールするしか無いな…
ローライフレックスって、ゲルダ・タローのほか、マーガレット・バーク=ホワイト
とか、ダイアン・アーバスとか、イモジェン・カニングハムとか女性のイメージが強いね。
もちろん、ヴァン・デル・エルスケンとかアヴェドンでも有名なのだけど。
ライカとローライじゃ、使う状況が違ってくるかもしれない。
>>16
戦場カメラマンは身を軽くしたいから、ライカなんだろうね。でも、タローは
戦場を撮っていたし、バーク=ホワイトも血のメーデーなどを撮ってる。 やっぱり、ライカIIIf Luftwaffeに萌えるw
そういや第二次大戦後で二眼レフを愛用した戦場カメラマンって居ないな
二眼レフブームは日本だけだったとも聞くし、みんなライカか一眼レフ使ってたのかな?
>>19
二眼レフブームって、四畳半メーカー製が多かったので、
安くてアマチュアが飛びついたというだけ。
プロはローライフレックスを使っていたよ。秋山庄太郎とかが。 ローライフレックスはハッセルブラッドが流行る前のポートレート
カメラマン御用達だったね。その頃の従軍カメラマンって、
朝鮮戦争まではみんなライカだったし(例外的にコンタックスがいた)、
ベトナム戦争が始まってからは、ライカとニコンFの組み合わせが多かった。
0022名無し三等兵2019/09/29(日) 09:12:23.85ID:xnMukk+d
スピグラが日本に入ってきたのは、アメリカ軍写真中隊が
使っていたから。それで、ニコンFになるまではスピグラ全盛だった。
スピグラの前はテナックスやプラウベルマキナが報道写真に使われていたみたい。
0024名無し三等兵2019/09/30(月) 12:03:03.93ID:UaFCDXpZ
読売新聞の報道用カメラの資料は戦後のスピグラから始まってる
>>20
何故か中国のシーガル二眼レフは軍用にも使われたそうだ…
利点は無いだろうに 0026名無し三等兵2019/10/02(水) 21:45:21.10ID:HapWmyVV
>>25
中華にはライカM4コピーの紅旗があったから、それをベースに
KE-7Aみたいのを作ればよかったのに。やっぱり技術がないんだな。 >>25
シーガルは値段が安いから、数をそろえるには良いかもね。
1台持ってるけど、中古で買って4桁だったかな。
確か新品で買っても1万ぐらいだったかと記憶してるけど、ただね
むかし、近所のカメラ屋にシーガルを取寄せお願いした所、
「そのカメラだけは止めておきなさい」
って言われたんですよね。 0028名無し三等兵2019/10/04(金) 21:25:41.36ID:mqHtSeR6
ローライフレックス
>>27
最新のシーガルはレンズに3-g 4-eと書いてあって、三郡四枚という意味でテッサータイプになっているとか
つまりずっとトリプレットだったのか…それを軍で使ってたとか気合入ってるなぁ 0030名無し三等兵2019/10/05(土) 01:22:55.80ID:9rbEJGdz
ローライフレックス
0031名無し三等兵2019/10/07(月) 06:50:50.36ID:9n2T3PoV
ロシア軍はなにを使っているのか。まさかゼニットじゃないよねw
おいらのシーガル、トリプレットだよ。
赤窓送りの、一番安い奴だから。
無理して明るくしようとしなければ、三枚玉で十分だしね
レンズ枚数が減れば数揃えられるし、テッサーほど
調整に手間がかからないし。
0034名無し三等兵2019/10/08(火) 02:55:25.01ID:7I+5Wv+/
次点はゲルダ・タローのローライフレックス
0036名無し三等兵2019/10/08(火) 17:22:51.64ID:0GekVyXz
乾板カメラからウェアラブルカメラまで、なんでも話しましょう
0037名無し三等兵2019/10/08(火) 20:06:05.57ID:CCFEkmLH
軍板なんだから、軍用カメラとか、従軍カメラの話題だろ。なんで
乾板カメラやウェアラブルカメラまで出てくる?
戦場で使われてたカメラには、乾板カメラもある。
それに最近の兵隊さんには、ウェアラブルカメラは標準装備なんじゃね?
0039名無し三等兵2019/10/09(水) 07:36:42.43ID:YBuZICtX
>>38
アメリカの警官はウェアラブルカメラだけどな 軍用ビデオカメラとかあったんかねぇ
まあ使い道がさっぱりわからんが…総務用?
0041名無し三等兵2019/10/20(日) 07:53:00.99ID:+2wU1tk2
軍用ムービーカメラなら昔からある。たとえばガンカメラ。
0042名無し三等兵2020/07/06(月) 19:29:51.24ID:8yFreKus
テスト
>>11
それ、FM2が発売されたときの話。
世界初、4000分の1秒が切れる1眼レフカメラに、
目を見張ったのが世界各国の軍、諜報関係者だった。
「高感度フィルムさえ使えば手ブレの心配がまったくないカメラが、民間市場で世界のどこでも買えるとは!」
日本ではハーフ判に改造され、撮影枚数を増やしたものが領空侵犯機の撮影用として航空自衛隊に納入され、
韓国では正式にニコンからライセンスを買ったものを国産化、軍にも採用され、
中国人民解放軍は民間市場で買い入れたものを配備した。
期せずしてアジアの3国で、同じカメラが軍用として使われたことになる。 >>9
東側情報機関で使われていたのが、KGBが開発した小型カメラだった。
特殊な寸法のフィルムを使い、露出計はついていないが、
ゼンマイ巻き上げで連続撮影ができる。
東西冷戦終結後、KGBから流出したものが流れ流れて日本の中古カメラ市場にも入ったが、
同機をコピーしたものを中国が作っていたことは全く知られておらず、
中国での中古カメラオークションに出品されたときには、好事家が仰天したものだった。
だが、いかにもせん面倒くさいカメラではあり、
東側情報機関の中でも東ドイツのシュタージだけは、そんな面倒なカメラをよしとせず、
ほぼ同様の寸法で普通の35mmフィルムが使え、自動露出でゼンマイ巻き上げの、
日本製「リコー・オートハーフ」を民間市場で買い入れ、制式化していた。
>>26
実機の「紅旗」は、各種の説があるが数百台しか生産されておらず、
全てが国営新華社通信の報道用に回されたのだが、
やはりライカM4には遠く及ばず、
新華社通信にニコンやキヤノンが入りだすと、お払い箱になるのも早かった。
新華社通信本社の売店を通じて、それでも目の玉が飛び出るような値段で放出されたのだが、
ごく少数が日本にも入っており、
おれが実機を見た(手にも取らせてくれず操作するなどとんでもなく、間近に見ただけだが)限りでは、
おれが持ってたライカM4と比べると、仕上げだけでも首をかしげる代物ではあった・・・。 >>8
その昔、F−1対F2の時代、報道では読売がキヤノンで朝日、毎日がニコンだったと思う。
古きよき時代?を知る某地方新聞社のカメラマンOBと飲んでたら、
「うち、ニコンやったんやけどな、ワシには『えふさん』はアカンかったなあ、なじめんでなあ。
『えふに』はホンマにええカメラやったでえ、そんなやつ多うて『さん』が入ったあとも機材ロッカーに取ってあったなあ」。 >>38
ベトナム戦争末期の米軍地上部隊で、コダック・インスタマチックをM2ヘルメットのバンドに差し込んだ兵士の写真が残っている。
個人で買ったカメラを戦場での個人記念撮影?用に・・・ま、気持ちはわからんでもないけれど・・・。
対する南ベトナム解放戦線、事実上の北ベトナム軍にもコンバット・カメラマンがおり、
こちらは東側援助のソ連製、よくいって東独製のカメラに同じく東側のフィルムを詰め、
戦闘記録写真の撮影に臨んだのだが、
ただでさえ故障しやすい東側カメラ、故障してもスペア機はなく、修理に出せるあてすらない。
完全にオシャカにならない限り、前線基地の粗末な工具でも何とか修理して撮影を続けられる、
カメラ修理の心得もカメラマン必携であったという・・・。 米兵:「お前らのカメラ、すぐ壊れるんだよな
ニコン:「いや、うちのカメラはそういう使い方考えてませんし・・・
もしもNAMの時に”現場監督”が居たらたくさん売れたんだろうな、なんて妄想してみる。
>>48
その昔、といってもナム戦終結よりはちょいと後だが、
「フジHD−1」ヘビーデューティ銀塩カメラが発売されたとき、
沖縄の米海兵隊訓練取材に持ち込んだカメラマンがおり、
海兵隊員に持たせたところ、誤って訓練場の泥土の上に落としてしまい、
「すまん!すまん!本当にすまん!」
「大丈夫だよ、このカメラならあとで水洗いすりゃいいんだ」
「そんなカメラってあるのかよ・・・マジかよ・・・驚いたぜ・・・」