パーソナル・コンピュータの普及とほぼ歩みを同じくするエロゲの歴史は、規制の歴史でもあった。

1991年の「沙織事件」以降エロゲ業界の側も、業界団体による審査や表現の自主規制で対応してきたが、
最近では、海外・国内の「いわゆる」人権団体の圧力によって、更なる規制の可能性が再燃している。
2009年6月には、凌辱系ゲームが英国議会で問題として取り上げられたことをうけて、
最大の業界団体/審査組織「コンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)」が、
凌辱系のアダルトゲームの製造・販売を禁止する事態に至った。
規制反対派は、一度「圧力をかければ規制に追い込める」と言う先例を推進派に与えた結果、
凌辱系のみならず他のジャンル(ロリ系、学園物、その他すべてのジャンル)に規制を波及させる口実を
与えてしまったのではないかと懸念している。

ゲームはゲーム・現実は現実としっかり線引きして楽しめば、なにも悪いことはないはずなのだが、
規制推進派はゲームをプレイすることで女性蔑視・性犯罪助長の風潮が高まると主張している(メディア強力効果論)。
しかし、日本はエロゲ(CG・絵などの創作物を含む)や児童ポルノに対しより厳しい規制を強いている他の先進諸国より
性犯罪の発生率が極めて低く、日本だけを見ても性犯罪の発生率は昭和30年ごろにピークを迎えて以降全体として減少傾向にあるため、
エロゲが性犯罪を助長するという主張には今のところ統計的な根拠が存在せず、現状では印象論の域をでていない。

また、規制推進派は「児童ポルノ」を「実際に児童を撮影した画像」と「キャラクタが幼く見える創作物(絵、CG)」を区別していないことも多い。
実際に被害者(撮影される児童)が存在する前者と比べ、創作物については明確な被害者が存在せず、
「児童全体の福祉」「社会全体の健全さ」といった抽象的な法益を保護する(上述の通り、その効果には統計的な根拠が存在していない)
ために何の犯罪行為にも加担していない人々の趣味を「犯罪化」することに対しては疑問が残るし、
当然そのようなことが単なる「ムード」や「空気」に基づいて行われてはならないはずである。