彼らは結局、要はやはり戯れていたいのだ…
誰かの言葉に支えられ、誰かからの自己承認の為に結局は夜更かししながら毎晩この板に齧り付く。
時に心無い椰子からの罵倒の言葉に心を傷つけられながらも、やはり彼らはまた此処に戻って来る。
時に落ち込み、時に共感もし勇気づけられてはいるものの…コレの繰り返しばかりだ。
埒があかない。

人間は一見意思で動いているつもりでも、さにあらず。規則的なパターン化した情動回路により、決断はよく邪魔されている。
特に生き方が決まった遺伝子達は感情の起伏は大まか決まってしまっている。
彼らは情動主導。原始的な頃から引き継ぐ気性というモノによく支配されやすいのだ。思考なんか出来ていない。
そして脳の原始的な部分が発達してしまった個体は、ロジックによる認知が得てして不得手だからこそ対話が出来ない。
原始的であればあるほど…つまり猿寄りに近い個体は話にならないのだ。
強いて言うなら彼らは情動回路に既に身体を凌駕され、コレがまた不思議と苛々し易い。
思慮浅く軽薄な彼らは、利己的であり独善的な思考故に結果的に自分すら幸せに出来ていないのだが…彼らは来る日も来る日もやはり情動回路に支配されている。
コレに気付けないのは悲劇としか言いようが無い。
彼らもまた迷える仔羊であるのは、ある呪縛にかかり保身の為に逃れているからだ。
その奇妙な生き方は、ある意味悲劇的なのは我が身を担保にサイコに憑いたりしながら、おかしなものに執着し保身に徹する。
結果的に人間性をも棄てる羽目になっている事にはなかなか気付けないのも大きな悲劇だ。
彼らなりに上手く立ち回っているつもりなのでかも知れないが、得てしてザコキャラに成り下がるのだから…タチが悪い。

客観を喪失した者。神を冒涜した者はこうして陥るだけなのである。