『虚無への供物』中井英夫 五色不動縁起
トリックが主題じゃないってのは分かるけど
紅司の死の真相は結構ガッカリしたような だってこれミステリじゃないもの
そうやってどんなトリックで人を殺したのか?!
なんてふうにワクワクしながら殺人小説を読んでる読者を、
批判する小説だもの 稀代の大量殺人者か?と思わせておいて実は…ていうね
そこでwktkしちゃったら作者の術中にハマっちゃてるんだろうな >>5
リアルだと婦女暴行殺人事件なんかも一例だな。
被害者の名前と顔写真が全国に晒されて、残された家族はいたたまれないだろう。
とくにねらーは容赦ないもんな。
フィクションとしての推理小説が好きなのはいいが
現実の事件にまで面白半分の推理小説的な関心の持ち方をすることへの批判じゃないかな。
作者の近辺にも、そんな不謹慎な手合がいたから苦々しく思っていたのかもしれない。 この板にもたまにそういうスレが現れるが不愉快極まりない。
不謹慎もさることながら、見当違いなこと言って自己満足に浸っているあたりが
この板的にはちょっと、ということもあるかもしれない。 「明日は我が身」とも言うしな。
テレビのニュース見て傍観者でいられるうちはいいけど、
今の世の中、いつ当事者側に立つかわからん。
被害者であれ、加害者であれ。
一歩間違うと自分もああなっていたかも知れない、と思う時もあるもんな。 色々な読み方ができて、味わいが深いのは
この作品が単なる謎解きミステリーなんてレベルをはるかに超越してるからでもある。 >>11
その通りなんだよな
だから、比較的ドグラマグラや黒死館より分かり易いとは思うが
100パーセント理解となると、ほぼ不可能な気がする 「宿題」または「宿題マン」とは
ネタバレ&住人罵倒&コピペやAA連投荒らしの常習者「書斎魔神」の別名なので
スルーでよろしくお願いします。 お前の突っ込みさえなければ、このスレは
少なくとも7日間は荒れていなかったんだけどな。 仕方ない、カモメが飛ぶ前の俺の最後のカキコミでも残しておくよ。
別に何の意味もないけどw
[233]名無しのオプ[sage] 2010/09/07(火) 19:21:28 ID:ftlD7i+c
AAS
俺も久しぶりに読んでみようかな。
たまたまスレ覗いたら、登場人物が懐かしい知己のように思えてきた。
本棚の片隅の講談社文庫@580の背文字が黄色くくすんでいる。 まあ、虚無はさ、実際の殺人事件をゲームのように推理する登場人物や読者を批判してるってのは分かるよ
でも、楽しく読めちゃうんだよなあ
俺は中井秀夫にぶん殴られてしまうタイプだな 結局一人増えた焼死体の謎は分からなかったぜ
どこか読み飛ばしたんだろうか >>17
あれは実は牟礼田だって評論を見たな
オレもさっぱりだわ 創元リイブラリの全集、コンプリート記念眞紀子。
虚無、15年振りくらいで再読中。やっとゴム毬が出てきたよ。 テーマがテーマとはいえ放りっぱなしの謎はやっぱ気になるねぇ
悶々としてると作者に怒られちゃいそうだけど >>19
おめ
創元社の値段いいけどカバーがあれだから扱いに困る
せめて、もう少し頑丈な紙にならなかったものかね 焼死といえば「爺や」が最期を遂げた精神病院の火事は実際に起こった火災事故がモデルになっていて、
そこには小説にあるように宏大な薔薇園もあった。
この精神病院の薔薇園には、中井英夫はかなりインスピレーションをかき立てられたようで、
『幻想博物館』にも出したりしてるね。 時代のせいもあるんだろうが弱者の多くが為すすべなく死んでいかざるを得ないのは悲しいね
あの犯人のような気持ちになった人もいたかもしれない 気持ちだけなら誰もが殺人鬼
いままで何人殺してきた?
「こいつ、死ね」と思うこと十本の指じゃ足らず >>24
ほんとは犯人なんていなかったんでしょう? 『蒼白者の行進』は完結させてほしかったけど、話がゴチャゴチャ広がり過ぎて
連載していた雑誌が潰れてなくても収拾つけられなくなっていたかもしれない。 >>29
仮に完結出来たとしても、あんまり綺麗なオチにはならなかったかも
元々、完成させる気もなかったみたいだけど
ただ、中井が本気出したら名作になり得た可能性は否めない 中井英夫作品は男色嗜好は当然でも、兄×妹モチーフもけっこう出てくるけど、これの意味するところは?
「炎色反応」の、兄と性的な遊びをしたり兄の男色手記を盗み読みしたりする美少女は何? 果たして12月10日に虚無を読んだ奴はこの中に何人居たのか 12月10日って俺の誕生日だ。
虚無、読まなかったけど。 この小説、作者が前に出すぎだな。
作者が登場人物より目立ってはダメだろ。 亜利夫や藍司はアレだが鴻巣玄次ってネーミングは抜群にいいと思う。
存在感バリバリ。 自分でも説明つかないことなんだけど、この本(講談社文庫版)に登場する事件の部屋の見取り図がなんか薄気味悪かった
今まで読んできた他の作品の挿入図にはなんも感じなかったんだけどな
こんなこと感じるの俺だけだと思うけど >>49
うーん。見取り図の死体が某人間じゃないからとか?
今までミステリ読んできたけどあんまり死体がリアルタッチってないような…… 古い図面を何回も複写を繰り返した荒れてかすれたタッチになってるのが
陰気な感じを起こさせるんじゃないのかね。 「人形たちの夜」を読んだ
虚無の他この人の本読んで無かったから衝撃を受けたわ
ミステリとは違う所に着地する話だけど、その収集のさせ方や「秋」の暗号解きとかはやっぱ本格ミステリ的だね >>50-51
サンクス
きわめて漠然としたバレを聞いていたからかも知れない
事件現場を覗き込むような、
壁の厚みが描かれていたのも気になった
最後まで読むと全く自分の勘違いだったと知ることになるんだけど
それでも読んでる最中は薄気味悪かったな
バレに関わるのでこれ以上詳しくは書けない 巨大な災害が起きた時のやり場のない怒りと哀しみ
説明出来ない、理解出来ない、呑み込めない暗黒のようなもの
それを感じる時、いつもこの小説を思い出してしまう 過去ログ見たらびっくりするぐらい盛況だな
今の過疎ぶりが冗談みたい
あの時の住人はどこへやら 2ちゃん自体が寂れた
こういうのを読むような層は今はFacebookにでも行ってるよ >>54
おれは今回の災害&人災で、この小説が酷く小さなものとなったな
現在進行中の犯罪の巨大さに、将来どんな収拾が着くのかと思うと慄然とする
リアルで国家というものが理解不能な存在として自分の前に立ちはだかっているのを感じる
3・11以降、戦争でもないのに国民全体が事件の当事者になってしまったようだ 虚無読んだ〜
洗濯機の中に小さい人が隠れてたとか言う推理を聞いた久生が憐れむような声で却下するところの
やり取りがかわいい
それと藍ちゃんと久生がお気に入りという三島由紀夫に萌え
後半はちょっと情報量多すぎてよくわからんかった 津波の犠牲者死者行方不明者2万数千人のことなど忘れたように原発論争に耽っている世情が
洞爺丸事件を忘れたいがため倒錯世界にのめり込んでいった兄弟に被る。 利権のために今までさんざん原発推進に血道を上げてきたどこぞの政党が
今では野党ヅラして復興対策の妨害をしまくっているのも、
そういう風に思えば納得できないこともない。 枝分かれして薄まって、小説方面には主要水脈は残ってないかもしれんな 幻想小説なら赤江瀑が妥当だけど全く若くはないしな
ミステリーもそんなに毒気のある作家がいない
叙述トリックだとか無駄な蘊蓄をだらだら書けばそうなると勘違いしている
若い作家は大勢いるし、それはそれで悪くないと思う作品も多いのだが、
それをもって水脈と言えるのかとか、>>67の言う通りどれが「主要」
なのかいい切れないというところが現状なんだろうな。
余程斬新なのが出てこない限り、ほぼ終了していると見て良いだろう。 結局これって、「犯人」とされたあの人、何もしてなかったってことなんじゃないでしょうか?
あの人の気持ち
あんたら(=読者である我々も含む)がそんなにも殺人事件を欲し、犯人を欲するのなら、
お望みどおり自分が犯人になってやるよ
で、ああいう演技をしたと
怒りと皮肉
だからアンチミステリ 1957年1月2日
一昨年のはじめから、己は長い奇妙な物語を書きあげようと試み、
何度もその巨大な城に向って突撃した。しかし城は全くびくともしなかった。
何千枚という反古紙が堆積し、そのためのノートや参考書ばかりが重ねられ、
物語はまだただの一行も出来上がってはいない。
頭の中では、登場人物も話の筋も、どんな細部にも亘って完成しているのに、
<虚無への供物>という題まで出来上がっているのに。
もう一度、空しいその捧げもののあらすじを記してみよう。
話は浅草の片はずれに黄薔薇を飾ったゲイ・バア“あらぶ”で、昭和二十九年の末、
忘年パーティがひらかれるところから始まっている。
ヒロちゃんというそこのボーイが踊る少年サロメが、すべてのプロロオグなのだ。
その時、それを見ていたのは、狂言廻しの役をつとめる光田亜利夫、その友人の矢島某、
それから、この物語の前半まで探偵役の藤木田という老人である。
読者はたちまち氷沼という旧家に案内される。
亜利夫と矢島の友人である氷沼蒼司がそこの若い当主で、弟の紅司、従兄弟の藍司、
伯父の橙二郎、その子緑司、爺や、そして大阪弁の肥った男、花房皓吉などが次々登場する。
しかも物語は、現在生きているそれらの人々ばかりでなく、
死に絶えた人々も大きく関係しているのだ。洞爺丸で死んだ蒼司と藍司の父母四人、
函館大火で死んだ祖父、さらに明治のはじめ北海道でアイヌの怨みを深く買った曽祖父、
伯母の朱実、その子黄司、彼らは宝石商だった祖父の考えでみんな色彩に関係のある名前をしている。
大体、もうそこまでで話が混乱しすぎて、手につかない。
作者が手に負えないのだから、むろん読者に話の筋がのみこめるわけがないのである。
が、しかし―― 十二月の一夜、目白の家で弟の氷沼紅司が心臓麻痺で死ぬ。
鍵をかけた浴室の中で、むろん他殺など考えられもしない。
しかし、藤木田老の提案で、仮にこれを「氷沼家殺人事件」として、
亜利夫、矢島、藍ちゃん、藤木田の四人で銘々に殺人のトリックを考えると、
四人四様の方法を考え出し、そしてそれは全部正しいとしか思えない事件が次々に起こってくる。
しかしとにかくその時は、犯人は伯父の橙二郎に違いないという推論が下され、
それを目標に探偵を進め、皆で麻雀をしているときに、今度は橙二郎が死んでしまう。
やはり厳重な密室でのガスの事故死としか考えられない。
そして意外にも犯人は藤木田老と亜利夫という客観的証拠が出るけれども、
そんなことはあり得ない話で、やはり皆で厳重に推理を進めてゆくと、
紅司とへんな関係にあった九鬼玄次という不良が犯人として推定される。
しかし、その九鬼某は、今度は青酸カリで自殺をとげる。
密室の中で、花房と対談している間のことで、花房は疑わしいが何ひとつ証拠を残さない。
そして四番目に藍ちゃんが殺されかけ花房が殺され、
犯人はその場から逃げ出したヒロちゃんこと黄司に間違いないのだが、
彼もまたその場で自殺する。これも密室の中である。しかし真犯人は別にいた。
推理の末、矢島は藍ちゃんを犯人に推理する。
そしてその時ふらんすから帰ってきた友人杉原某は、
蒼司が第一の紅司殺し以来の犯人である旨を暴く。
その動機、それがここ二年間、己の書きたくてたまらないことなのだが、
――そして以上は洞爺丸から紫雲丸まで、全部実際の出来事とからみ合って起るので、
そうした調べも実は、残る限なく出来上がっているのだ。
しかし何が不足しているのか、己にはこれを原稿紙の上に実現してゆく力がない。
もうほんとに、涙の出るくらいあがいて、全身を傾けて試みたけれど、やはり、虚無への供物だった。
そういいながら、まだもう一度、やってみようという気はしている。
五色不動と五色の薔薇とのからみ合った、異様なこの物語は、たとえ何千枚になっても、
ライフワークとして取り組むほかはない。だが、ほんとうに、何が欠けているのだろう。
この物語に光を与え、生命を与える何がないのだろう己には。 1962年7月31日
時間は夜の九時十五分を廻って、二十分に近い。
私の生涯を賭け、すべてを投じた小説はあっさり没になったのであろう。
しらせの電話はついに鳴らなかった。五百六十余枚。二度と書くこともない、
さらにまた永久に未完のまま土に朽ちるべきその物語のために、ひとりで苦い祝杯をあげよう。
他の人ならば、また、ということもあり、何度でも別の長篇を書きあげる筆力を持っていよう。
しかし、ぼくは生涯これしか書けず、この一作にまる七年の歳月を費やした。ぼくの夢や希いは、
それほどお粗末なものではなかった筈だが、と、愚痴をこぼさずにはいられぬ、どころか、
泣いても泣ききれぬ、みじめさだ。
これから死ぬまで、俺の住むべき獄。
汚辱と悔恨にみちた獄。それは、世の常の生き方、考え方へ挑戦しようとした者の、
当然受けなければならない掟だと認めるほかはない。
8月1日
乱歩賞は他の二篇に決った。かりに二篇へ授賞ということになれば、もう必ず、
とひそかに考えていたおれの自信に、激しい飛沫のような嘲笑を叩きつけて、
その「機会」は遠くに走り去っていった。いちばん、みじめな朝。
他の一篇に敗れたのならば、まだしも。救いがたい灰いろの雲が、ひたひたとおれを包む。
おれの小説の欠点。
一、未完なこと。終ったのか終らないのか判らない。でもそれは、前篇だけだって、
充分に可能性を買われるだろうと信じていた。
二、イヤらしいこと。そりゃそうだ。もともと一件たちの雑誌に、性描写を主に出したものの焼き直しで、
おれ自身、スキャンダル覚悟の上だった。
――それにしてもたぶん選者たちからは、思いきった罵言が浴せられたかと思うと、
身がすくむ。これまで、ここぞと思う賭に外れたこともなければ、
こうまで自信に嘲罵を浴せられたこともなかった。
何という朝だろう。雀の鳴く、明るい夏の朝に、おれはただこれから死ぬまでの、
長い長い道中を思い浮べるだけなのだ。
むすうの泡つぶのような声が、あちらこちらで何かいっている。
私を笑っているのだろう。 8月5日(日)
そこに私が描こうとしたのは、すべての倫理、すべての生活感情を裏返した、完全な陰の世界であった。
ふだん見慣れた白黒の陰翳が、そのまま裏返しとなって、ふしぎな美しさを、
異様な現実感を醸し出すその手法は、すでに映画やテレビではふんだんに用いられているけれども、
小説ではアンチ・ロマンの一群の作でさえ、なお果し得てはいない。
私はそれに成功し、そのために拒否された。私の小説は、夏の薔薇のように沈黙し、
丈長い茎を風にそよがせているばかりだ。
(略)
8月19日(日)
前の日記から二週間、やはり玉ばかり突いていた。
文章を書くのも二週間ぶりという汗臭い体の男。
(略)
この日記からだけでも、自分の精神の荒廃、思いやられるほど。
(略)
9月14日(金)
死んだ母の誕生日、十六夜の月冴えて、薔薇がまた赤い茎と葉をのばしはじめて、――
きのう、「宝石」十月号を買って、乱歩の“虚無”評を読んだ。
これだけいって貰えれば本望かもしれない。早く後篇を書きあげて、乱歩に読んで貰いたい。
ただ彼を喜ばせ楽しませるためにだけでも書きたいと思うほど。それでいて、
この日記のはじめに記した決意はどこへやら、この夏、ただひたすらビルヤード通いで終えた。
根性がないんだ。思い切り尻でも蹴とばしてやりたいほど、甘えん坊なんだ。
乱歩に少しほめられて、やっと、じゃ少し書こうかなんて考えてる、そんなことで「作品」が出来るもんか。
でも、ひとつ。嬉しいような、くすぐったいような気持になったのが、乱歩も第一にほめ、
それから木々高太郎も“稀有の文体”といっている、おれの文章のことだ。
おれに文体があるのだろうか、思い惑って、このためにも作家の資格がないと信じていたのに。
みっともないから、この頁、破って棄てたいくらい。
(略) 拝啓 突然ながら御便り申上げます。小生、別便にてお送り申上げました『虚無への供物』の作者で、
塔晶夫と申します。お送りしましたのは推理小説の形式を借りた奇妙な長篇で、
洞爺丸のある遺族についての物語ですが、たぶん終り近くまでは、
遺族の苦しみ、悩みに少しも触れていない、むしろ不愉快な話と思われ、
何のためにこんなものを送ってきたのかといぶかしがられるかも知れません。
そして確かに、こうして本をお送りすることじたい、小生の感傷にすぎないのかも知れませんけれども、
ただ気持としては、どうしてもこの本を、寛、珠子御両氏の霊前に供えたいという思いが抑えられないでおります。
というのは、あの一年後に出ました遺族写真集(遭難追悼集)を買い求め、
頁を繰ってゆきますうちにあの御二方の御写真を見たときから、
何でこれほどまでに幸福そうな、晴れやかな未来を持つ人までが、
あんな無意味な事故で死ななければならないだろうと、そればかりを考えるようになりましたからです。
肩を寄せ合って、寛さんのほうが多少甘えたように、珠子さんのほうがしっかり者のように、
それでいて何とも微笑ましい人間らしさのあふれたあの写真のために、
小生はこの小説を書いたという気持なのです。
しかし、気持ばかり持っていても、それが生かされていなければそんなものは価値がありません。
ですから、もしこの小説を順を追っておしまいまで読んで下さって、
それでもやっぱり違うと御考えでしたら、どうかすぐ焼き棄てて下さいませんか。
またもし、少しでも空しい死者への空しい花束の意味があるとお思いでしたら、
右に添えました紙片を挟んで御霊前にお供え下さい。お願い致します。
(本当は遺族の方どなたにもというのが当然なのかも知れませんが、
それも出来ませんので、菊川さんにだけは別にお送りしました)
1964年3月15日 塔 晶夫
再追伸 いまはもう静かな眠りに就かれ、
残された方々も漸く心安らかに落ちつかれようとされている時なのだと思い返しますと、
こうしていまさららしくお騒がせ致し、哀しい思い出をことさらにかき立てる行為はためらわれてならず、
よほどやめようかと惑いましたが、あえてお送り致します。突飛なことをいきなりに申し上げて、
本当に申訳ありません。おゆるし下さい。 とらんぷ譚の、悪夢の骨牌と真珠母の匣を先に買っちゃったんだけど、
幻想博物館から読まないとまずいですか? >>80
4冊とも全部別の話だからOK。
ただし1冊1冊は初めから順に読まないと駄目。 待てど暮らせど東京創元社がアドニス版虚無を収録した中井英夫全集補遺を出してくれない
不況が憎い >>83
不況だけが問題なのかという気もする。
アドニスとBについてはもっと知りたいが。 虚無への供物はたぶん古典ミステリを知らなければ退屈、冗長と感じるのでは あんなに夢中になって読んだミステリはなかったな個人的には 虚無ってアンチミステリーの看板がないほうがいいと思うんだけどなあ
著者本人が公言してるのだから仕方ないけど 看板だろうが本人が公言しようがしまいが
ありゃ客観的に見てもアンチミステリーだろ
まあ「アンチミステリー」という言葉で表現するかどうかはわからないが ああ、そうじゃなくて。
アンチミステリーって前情報はこれから読もうって人には伏せたほうがいいって意味 主旨は了解だが、バレてもあまり差し支えないような気がするなあ
叙述を叙述というほどは悪質では無い気がする 三大奇書と云う看板自体がもはやアンチミステリの代名詞みたいになっているから
伏せるのはもはや不可能でしょう でも三大奇書それぞれ
ミステリに対しどうアンチなのかの方向性がそれぞれ違ってるんだよな 藤木田老人がキャラ立ちしている。
「ユーの…」こんな老人実際にはいそうもないんだが。
おそ松君のイヤミみたいだ。 虚無はサブカルチャー(心理、風俗、世相の描写)として
面白い。だから何度も読める。
ただあまり素直に読みすぎるとニヒリズムにはまる。