京極夏彦 Part.93
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
妖怪作家・京極夏彦を語るスレ 

次スレは>>970。無理な場合は即申告のこと


関連リンク 

●大極宮(公式情報) 
http://www.osawa-office.co.jp/ 

●お化け大学校 
http://obakedai.jp/ 


前スレ 
京極夏彦 Part.92
http://itest.5ch.net/mevius/test/read.cgi/mystery/1565137502


※連投・コテハン荒らしは徹底放置・絶対に触れない事。 

荒らしに構っているレスは全て荒らしの自演です。 

釣られて反応しないようにしましょう。
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 乙もらきで思い出した
オンモラキ昭和それも戦後じゃさすがに厳しかった
江戸時代の小藩のお殿様かせめて維新直後のド田舎なだったら
きっともっとすんなり物語に入り込めたのにちと残念だった でもあれ、戦後残ってる財閥筋だから成り立つ設定じゃね それを差し引いてもいくら純粋培養種でも既にあの時代であそこまで無知だとちょっとねぇ
無垢というより言い方は悪いが犯人が中年の華族の婦女子でも引くのに
ましていい年こいたおっさんがカマトト(←江戸末期からある言葉らしい)ぶってるみたいで…
作者が意図した狙いはわかるんだよ
にもかかわらず本来感じるべき痛ましさより不自然さやキモさの方が勝ってしまってなぁ キモさなんて個人の生理的な感覚なんだからどうだっていい
そんなもんただのイチャモンでしかねーだろ
でもいくら温室育ちの華族だからってあれはあり得ないよ
あんな状態があり得るとしたら宗教的な洗脳しかない
陰摩羅鬼は読者を説得できるだけの設定や書き込みが全然足りてない
姑獲鳥だって無理あったけど、そこは最低限クリアしてたからな 俺はシリーズで姑獲鳥が一番あり得ないと思う
産婦人科医が娘の〇〇〇〇を放置して限界にまで至らしめるとか
死体を〇〇に変えてしまう謎の建築物とか
何より記憶が見える探偵とか
そして犯人の正体の何もかもがあり得ない
全部が全部現実ではあり得ない不思議としか言えない状況を
京極堂が「不思議なことなど何もない」と言い切って
幻想的ではない論理的な物語にしてしまったのが本当に凄い
ミステリーと言うならそんな小説に出来たことこそがミステリー それで言うなら読者の感想自体が全て「個人の生理的な感覚」じゃないのw
このスレどころか5chそのものがそうだとさえ思うよ
でも読者のネガティブ感想「ただのイチャモンでしかねー」で済ませるのはいいね
小説家や編集にとっては気楽だし潰れる新人やマイナー作家もいなくなるよ
関口もこのぐらいの勢いでいけばいいんだがな
長生きできないのは仕方ないがせめてもっと楽な生き方と逝き方してほしいわ
本人のためにも後に残されるであろう雪絵さんや仲間たちのためにもね 昨日夜中23時位に境港の水木しげるロードに到着し、
初めて来たのもあり興奮し人気のない通りで写真パシャパシャ撮ってたら
京極夏彦みたいな格好の人が居て、まさかね…
と思ってたら、公式ツイッター見ますと本人ですやん!
妖怪に遭遇するよりレアな体験だったかもw >>16
すごい体験したね
そういうのは続くから宝くじでも買ってみたら 鬼や河童や天狗の薄味が続いた後じゃ鵺も前ほど期待できないな
竜頭蛇尾と言ったら失礼だが上の三作とも出だしはわりかしときめく
だが解決編でいきなり失速してそのまま終了で読後すぐ忘れそうになる
続いて初期の百鬼夜行や巷説を読むとカタルシスっていうの
大詰めでの盛り上がりようと終わりの余韻が雲泥の差でびっくりするよ 百鬼拾遺は憑物落としじゃないからなあ
百鬼夜行シリーズは最後京極堂が終盤長々と憑物落としをするけど
その対象は犯人だけじゃなく登場人物とその視点で読んできた読者に向けられてる
だから最後まで読んだときに大きなカタルシスを感じる
百鬼拾遺は犯人視点で進まず敦子と美由紀の視点で進んで謎の究明だけ行う
続百鬼や徒然袋と同じ番外編で、本編のような憑物落としを行う小説じゃないし別物 憑き物落としなんて、矢吹駆の本質直観と同じでただのレトリックだろ
やってることは普通の本格の名探偵と全然変わらないんだし
敦子のシリーズは長編に比べたら単線的なんだよ
百鬼夜行の長編はもっと複線的にプロットが入り組んでるからな
京極が短編だって強弁してたのはそういう意味でしょ
長編みたいなカタルシスを期待してもそりゃ満足できない >>23
謎の解明と憑物落としは全然違うだろう
「謎とは知らないこと。不思議とは誤った認識」
トリックやら真相を解き明かしても憑物は落ちない
「この世に不思議なことなど何もない」と嘯いて
蘊蓄を絡めて聞く人間の誤解や偏見の解消を促すのが憑物落とし
シリーズ本編は関係者が多いから物語が複線的だし、そのぶん憑物の数が多いから蘊蓄や理屈が長くなる 個人的には陰陽のほうが敦子と美由紀のシリーズよりマシだった
あっちは本当にただの本編の補間兼ファンサービス
いわば陰鬱な百器徒然袋みたいなもんと思ってた
そのぶん端から割り切って読めた
それに対して敦子たちのほうは一応は番外の長編スタンスだけに物足りなさ感じる
下手すると作者の劣化やモチベ激減の兆候みたいで怖くなる
気のせいならいいんだけど、っていうかぜひともそうあってほしい 劣化してるというならもう読まなきゃいいだけだと思うがなあ
どうせ京極が何出してもつまらないって言ってるのだろうし 話の構造が違うから、読後感は違って当然よね
それが楽しめたかどうか
河童しか読んでないけど、個人的には楽しめたよ
多々良先生が出ると一気にコミカルになるよね
河童蘊蓄は、宴の支度のひょうすべで結構やってるから、実際の水系に纏わる宗教的、文化的な流れを
フォローしてたのが良かったかな
榎木津みたいな天衣無縫なキャラがいるわけでもなく、連続尻出しどざえもん事件という不可解な事象を
解明したのだから、敦ちゃんはエラい!
まっすぐな気持ちで犯人を説き伏せるうら若き女子高生もエラい! 美由紀のいいところはシリーズ一現代人に近いところかな
百鬼夜行とか巷説とか過去ものは言葉遣いに制約があるし、キャラの年齢層が高いのもあって文章がおとなしめ
京極の魅力のひとつである文章や台詞の小気味いい響きは過去ものより現代ものの方が威力を発揮してると個人的に思う
そんでもってシリアスよりもコメディだとそれがより顕著
美由紀は現代風でしかも百鬼拾遺だとコメディ寄りだから理屈っぽい文章でも読みやすくて楽しい
京極が現代ものやコメディ書いてたことが百鬼拾遺では活かされてる
絡新婦のときの美由紀視点の文と比べると京極の文章の変遷がよくわかるし
まあ小難しさとか格調高さとか求める人には劣化に思えるのかも知れんけど
よりキャラ小説とかラノベっぽくなったとか感じてしまうのだろうか そして何より美由紀のいいところは絡新婦で京極堂の憑物落としを受けているということ
だから年齢よりも大人びて見えるくらい現代性と公平的な視座の持ち主になってる
あとは敦子が年下の美由紀に対する接し方がいつもと違う印象で面白いとかかな なるほどね
美由紀の現代人に近いところがいいところという見方もあるんだな
そもそもミステリに小難しさや格調高さなんて求めてどうするという気もするが
推理小説やクイズやパズルなど謎解き系は暇つぶしの最たるものと考えてるし
自分は苦手な口だが確かに作中時間の経過的にもじわじわ現代に近づいてるし
後巷説でも移り変わる時代と共にレギュラーキャラの退場が描かれていた
邪魅でも初読後いつになく現代物のにおいがすると感じたが
もしや作者は時代の変遷を書く為にあえてそうしているのかな 時代の変遷というなら、あえて時代の節目を書いてる気がするな
京極堂シリーズは戦後、巷説は江戸後期、弔堂は維新後
それまでの価値観が変化していく時代
京極はよく「時代で人を括るのが嫌い」、
「昔の人も今の人も頭のつくりは変わらないだろう」と言って
昔の人は迷信深くて今の人は進歩的だとかそんな書き方はしないけど
科学技術や文化なんかは新しくなっていくわけで、その流れの中で迷ったり変節して行く人間を描いている
そしてその中で、妖怪というはるか昔からいるようで実は最近創られたいい加減で自由で面白いものを操って小説にするのが京極だと思う 養老孟司との対談でもそんな話あったね
>人の頭の作りは変わらない >>26
>あっちは本当にただの本編の補間兼ファンサービス
陰陽、多くの人がこういう読み方しかしてないようですが
表題の妖怪を中心に据えて読む。要は妖怪が主人公の小説として読むと、ちゃんと単品で補完的な作りになってるんですよ
むしろ本編の知識があると視点人物の憑き物の原因が解ってしまい味わいが落ちる。という捉え方もできます 途中送信…
なんていうかなあ
本編ではトリックの一つの妖怪が
生きているというか(いないんだけどw) 平野祐吉はちょっと不憫にも感じたな
あの時代に珍しいアレルギーでは、気づいてあげられる人は少なかっただろうけどね >>37
読んでいるうちに、
「妖怪ぐらい、いてもいいんじゃないか」
という気分になってきたぞw しかし京極って本当に姑獲鳥が初執筆だったんだろうか。
副業でゴーストライターやってた気がする。 漫画の連載はやってたみたいだけども
元デザイナーだし文筆業よりむしろそっちの方が近いのか >>42
出てくるよ
けど徹底的に新選組disの内容だから色々と幻滅するよきっと
新選組好きのコにはあまりオススメできない あれはディスってよりあり得ないほど矮小化してるだけだな
それが新選組の本質を突いてるってほどでもないし
司馬から始まる美化された新選組へのアンチテーゼなんだろうけど
でも現実とかけ離れすぎて、新選組好きが読んでも何だこれってなるだけ
批判するにしてもやり方が幼稚なんだよな
お前の母ちゃんでべそレベルの無意味なレッテル貼り小説 >>44
新選組ファンには大不評だろうな当然
京極は「どんな時代であろうと人殺しは人殺し。許されざる大罪」と書き続けてる人だからな
だから新選組だけじゃなく討幕派の志士とか戊辰戦争以降のグダグダ内戦も冷静に客観的に分析してる
でも新選組なんかは司馬が書く前は悪名の方が高かったわけで
それなのにいま明らかに賛美され過ぎてるのは事実だろ
矮小化せずに正義だの士道だの志だの美しく描いても実際の新選組はろくな功績はないし
僅かの功績ってのも所詮人殺しだし
人殺しが活躍する気狂い染みてる時代の中でサイコパスの土方だけが異常性を見極めてるのが凄く面白い 登場人物を矮小化してると言っても
それぞれの言動は他の作品とそこまで乖離はないんだよな
沖田なんか燃えよ剣でも異常に描かれてるし
近藤だって結構無能呼ばわりしてたし
多少誇張はあるけどイメージと違う感じはしない
ただそんな人々を見詰めて分析する土方がサイコパスで情とか正義感なんて一切持ち合わせてない事が最大の違い
だから身も蓋もないことを平気で言えるのだけど冷静に考えれば筋が通ってる
だからこそ終盤の土方のどうしようもない激情が胸に刺さるんだよなあ イメージと違ったのは山崎丞と吉村貫一郎くらいかな
吉村は守銭奴だけど妻子思いってのがバッサリ消えてモロ人非人
だけど他人と別の価値観で動くという視点で坂本龍馬に繋げるのは凄いテクニック
逆にイメージ通りの松原とか武田は小心者の弱者であるがゆえに
異常な人斬り集団の中でマトモに見えちゃうのが面白い
ダメなオヤジキャラ好きの京極ならではの扱い方 伊右衛門とかの怪談シリーズと同じ
京極の手になる既存の物語の解体と再構築なのかな 土方サイコパスという風に書かれているのか。策士で新撰組を実際に機能させていたブレーン的なイメージだったけど
それはそれで面白そうね >>40
あんなん桐箱に入っていきなり送られてきたら編集もビビるよな 漫画の中禅寺先生が男子校から共学に変更されたのは見た目を少しでも華やかにしたいからかなぁ 絵が古臭いって言うけど
京極作品のコミカライズの絵が流行りの萌え絵みたいだったら、その方がキツくないか? 昭和27〜28年という戦前を思わせるような時代が、
百鬼夜行シリーズの舞台なんだから、
むしろ絵柄が古臭いほうが、世界観に合っていい。 >>51
匣の中には、黒髪の娘がみっしりと…
ええ、分かります。原稿のことでしょうw 漫画の絵は古いかどうか知らんけど綺麗すぎるきらいがあるな
昭和感はあまりない 志水アキ?あれで古いと言われるのか
確かに少女漫画系統の絵としてみると若干古臭いかな 別に古臭くないだろう。
島田和彦や血界戦線の絵は古臭いと思うが。 そもそも今時の流行りの絵とかわからんし
普通に絵と漫画が上手いだけで十分だな あの漫画ここでは評価高いよな
俺は途中でもういいわって感じで追うのやめたけど そうか?褒めるより文句言う奴の方が多い気がするけど
まあ細かい不満はあるけど話のまとめ方は上手いし、無難でいいコミカライズだと思う
絡新婦以外は >>62
>絡新婦以外は
文庫版では加筆してほしい 高橋留美子も最近は怪奇物だからダメ元でオファーしてみたらどうだ 高橋留美子に描かせたら多々良先生は絶対頭身低いだろうな 自分はコミックから入ったけど雰囲気とか分かりやすくていいコミカライズだと思うよ >>67
塗仏の韮山大乱闘のシーンだけやってほしい
いたるところで「ちゅどーん」と爆発が巻き起こり
キャラが蛙みたいなポーズで飛んでるイメージで 京極堂を無駄にスタイリッシュなイケメンに描かなければ誰でもいいや
あと榎木津の眉毛を太く描いてくれれば
アニメも漫画もこれで世界観に入りにくい 映画の榎木津はイメージとかけ離れていたからな。中禅寺はまぁまぁいけど、今なら綾野剛かね 君ならできる!できるそお!
やっぱむりかあ〜!!
映画筺 舞台の京極堂はダンスもできる無駄にスタイリッシュなイケメンだったぞ
なぜかあまり文句は言われなかったが
榎木津は映画やドラマのリアリティの水準だと難しいよ
漫画やアニメや、キャラクター小説だからこそ許されるキャラ
無理にやろうとしたら、今時の漫画原作コスプレ邦画みたいに寒いことになる
あの程度の変更は見る方が許容しないとダメだろう 確かに
榎木津のキャラを実写で再現しようとすると
いだてんみたいな不快な演技になるだろう
文章なら面白いチャチャも肉声でやられるとうるさいだけだ 小野大輔ははまり役だったなあ。
本人は実際変人だしw
おそ松さんでもそんなキャラ担当だった。 >>80
どうでもいいけど舞台って内容関わらずダンス組み込まれるのたまにあるよな ダメ元で永井豪先生に頼んでみるとか
永井豪先生も酒呑童子とか調べてるし なぜ中村光が出てこない!?
仏教キリスト教にめっちゃくわしいぞ!
大英博物館に展示されてる漫画家だというのに…(-_-メ) >>86
昭和27年の日本から始まった物語が、
最後は善と悪の宇宙的規模の戦いへと繋がってゆく、という
原作完全無視の漫画になると思う。 イエスとブッダのほのぼの日常には
さすがに人種がヤバすぎてアッラー入れられなかったんだよなw そりゃ、漫画家だって命が惜しいw
イスラム原理主義者に命を狙われるなんて、いやだろう。 この間東京行った時に都電に乗ってきた
雑司が谷の隣が鬼子母神だからこその姑獲鳥の設定だなとなんか実感する この作家さんって、なんでこんな人として、つまらない、辛い
最低の本ばっかりだしてるの?
塗仏以降まったく好きじゃない お前の好みなんか知るかよ
10年代ならともかく、00年代の作品には傑作もある
直木賞取ったのも00年代だしな
ただ、京極って根本的に性格が無茶苦茶悪いんだと思う
歳食って性格の険しさみたいなもんが露骨に作品に出るようになった 京極の素でも知ってるような口ぶりだな。
思うだけで、なったと よう書ききれるわ・ 京極は文が整えられてるから、長いけど読みやすい。でも、個人的には沢木耕太郎の文体が好き 中禅寺先生物怪講義録,けっこういいな!
妖怪うんちくもあるしw えっ、何それ?と検索してみたが漫画なのね
自分には絵柄が無理だ… 京極はずっと世間の偏見や無知に異議を呈して来たけど
最近は危機感をより強く訴えている気がする
以前は過去ものを中心に書いてたのに現代ものを書くほうが多くなったのもそれが理由かと
京極って出版社や編集者に合わせて作品を書くと言ってるから
出版社や編集者が現代の危機感を京極の筆に託しているように思えてならない
弔堂炎昼の文庫版を読んでてそう感じた 今の京極持ち上げている奴は
なに勝手なこと言ってるの?って感じです >>105
それは京極の言うことを真に受けすぎじゃねーかな
京極は「自分が能動的に何かをする」ってのをなぜか認めない人
求めるのは常に読者や編集者であって、自分に欲求があるとは絶対に言わない
でもあの体型や、家の本や玩具の量見たら全然そんな人じゃないよな
むしろ浅ましいくらいに自分の欲求に忠実な人間に見える
又吉の番組では「本や玩具は勝手に集まってくる」って言ってたけど
冗談とはいえやっぱ他動的ってことにしたがりなんだよな
出版社のカラーなんてあってないようなもんだし、
そもそも京極はそんなに多くの会社と仕事してない
出版社がどうのってのは京極がよくやる適当な誤魔化しだと思う 百鬼夜行シリーズは姑獲鳥持ち込んだあと「続きは書けますか」と聞かれて続いたものだからミステリーになったわけで
巷説は「怪」連載だから妖怪もの
ルー=ガルーはSF色の徳間に合わせた作風だし
集英社からはどすこいや南極なんて異色作が多い
死ねばいいのには担当編集者から渡されたテープへの回答で
百鬼拾遺の天狗なんてモロ新潮社だからだし
でも京極って同じことを色んな作品で繰り返し述べてて
インタビューでも講演でも同じように言ってたりするから伝えたい欲求があるのは読んでればわかる
伝えたいことをできるだけ多くの人に伝えたいからこそ出版社ごとにあえて作風を変えてるのだと思う 虚実が帝都物語をたたき台にして書いたというけど、クトゥルフがあんなに目立ってるのはなぜ?
帝都物語ってクトゥルフ関係ないじゃん? 京極夏彦の小説に、どうしてクトゥルフが出てくるんだよw 現代創作お化けの代表なんじゃない
しかも大勢の人の手が加わってる
つーか帝都物語には日本のちまい妖怪も出ないし クトゥルフ神話も優れた創作世界だけど
妖怪に比べて馬鹿っぽさが足りない
何しろ神話ってついてるくらいだし
属性的にはオカルト方面に親和性が高いもの
京極たちが推進するおばけって「馬鹿」がミソだから
それと対比になるようにクトゥルフ持ってきたんだろ
それに黒史郎始めおばけ関係者の中にもクトゥルフ好きが多いし >京極夏彦の小説に、どうしてクトゥルフが出てくるんだよw
出てるんだからしょうがないw
ひょっとして平将門が邪神だった?
でなけりゃ荒磯の巨岩並みの大きさじゃないよな(*_*; 小野不由美読んでから京極と小野以外読みたくなくなったわ 岡本綺堂とか幸田露伴は読める
このくらいの頃の文章はなんか読みやすくてしっくり来る
まあ、俺が本読むの苦手なだけなんだけどね いやさすがに読んでる読んでないは別としても京極とか読んでて柳田國男を誰?はヤバい >>114
神話でありホラーだからね
多分日本人にはクトゥルフの怖さは一生理解できないんだと思う
一神教の世界観が否定されるタブー感覚やゾクゾク感みたいのが全く分からないから
邪神崇拝何それ?美味しいの?ご利益あるの?あるなら拝んでもいいよ?ってのが日本人じゃん
日本人にとってのクトゥルフは八百万の神の一つに過ぎない 厨二的な魅力が詰まってるんだよなクトゥルフって
ダークな格好よさがあるけど端から見たら痛々しくて恥ずかしい感じがする例のアレ
妖怪ってそもそも格好悪いものだから正反対だけど
こっちは見たまんま痛々しくて恥ずかしいもの
つまりは馬鹿なもん つまり日本人にとってはクトゥルフもお化けも大して変わらないと言うこと
擬人化したり萌え化したりグルメにまでなっているわけでこうなってはコスミックホラーもクソもない
クトゥルフ神話を怖いと思って読んだ日本人は一人もいないのでは?
恐怖を題材にしてるけどあくまで登場人物が発狂してるだけで読者は何も怖さを実感してない クトゥルフは背景にキリスト教文化があるけど
妖怪の背景には日本文化がある
日本人は学ばずとも生きてるだけで妖怪を身近に育つ
あと大きな違いとして
妖怪というのは漫画だということ
漫画で妖怪は今でも増えて進化することで活躍し続けてる
しかも妖怪にはクトゥルフ的な要素さえ取り入れてしまう無節操さがある
格式とか格好つけずいい加減で自由なのが妖怪の魅力 自分で立てたスレがあるんだからそっちに籠もっててくれりゃいいのに >>123
クトゥルフがグルメに?と思って調べてみたら、
徳島に蛸神というたこ焼きのお店がありました。 この先生さ…なんで、こんな内容の本売ってるの?
一部の人は、本当に不快だと思うよ、
それに影響された不快な本いっぱいでてるし。
ひどく言われている人は、なにしているんだろうね?
これらの本のせいで苦労していると思うよ だから、不快だから迷惑だってつってんだろ!!!!!!!!!!!!
おまえ、人の書いている言葉が読めないほどお子様なのかいね、オイ!!!!!!!!!!!!!!!!
すぐそうやって、自分の気に入った人同士で、かたまって
自分のお気に入りの話題だけしかしようとしない
日本人の悪い所…集団になって、内輪で固まる 地球の反対側から飛んできて荒れている人、くらい遠いところにいた人です 嫌なら読まなければいい
そんなに今は売れてないだろ 京極はああ見えてむっつりスケベ。
吉永小百合や水樹奈々の前ではだらしなくニヤついてた過去がw ワッチョイありでこれなら次はまたip表示にすべきだな
人気作家でファンの分母が多いから、そりゃキチガイもいるだろうけど
京極は更にキチガイを呼び込み易い作風な気がする
自分で立てたスレ全然使ってないのは、やっぱ反応が欲しいからだろう
相手にしなきゃたぶんそのうち消えるよ 自治議論誘導も荒らしの手口だけどな
京極夏彦スレなんだから、なっちの楽しい話題を自分から振れば荒れないし楽しいぞ
ちなみに、今日はゲゲゲ忌最終日だね 名前でNGしたら見えなくなるしワッチョイで充分じゃないか 唐突で既出っぽい質問なんですけど、巷説百物語で又市が姿を消した西と東にまたがる大仕掛けって小説になりました?
新しい雑誌で新シリーズが始まると知って何年かぶりに読み返そうかなと思ってるんですが、
昔そのうち書かれるだろうと楽しみにしてたその大事件のことが気になって 関口が、粘菌の研究者をやめて、売れない小説家になった経緯が知りたい。
有能な粘菌研究者の関口が、ある日突然アホになって帰ってきて、
小説家になりたい、などと言い出した。
関口の身に何が起こったのか? 有名じゃないしそれで暮らしが成り立たなくなったからって姑獲鳥に書いてあるだろ …というのは表向きで、実は…というのが知りたいw
堂島大佐がらみの事件に巻き込まれていて、
記憶があいまいになっている、とか。 小説家もカストリ雑誌に偽名で
だから幾重にも稼げない人だな あれは、関口に対して好意を示したんだよ。
ただ、好意の示し方が久保流だったので、
関口がからかわれているようにしか見えなかっただけ。 「べ、別にあんたの書いたものなんか全部目を通してるわけじゃないからねっ」 久保もカストリ雑誌読んでハァハァしてるってことだよな
異常な性癖の持ち主だし 相当特徴的な文体だったのか内容でも分かりやすかったのか何なのか
普通探そうとしても分かんないだろ雑誌の記事の著作者に付いてとか
司馬遼太郎が記者時代どの記事書いたか誌面から探すみたいな話だし
当時のカストリ雑誌読んだことないけども なんか以前のスレに微妙につかみどころのない書き込みしたひとがいて
「関くんの書く文章ってこんな感じなのかな」って言われてて笑ったw
まぁ何にせよ読んで独自ののセンスがあるんだろうね 地獄の楽しみ方、なっちの言葉哲学がすごいわw
ていうか、本の整理整頓ネタ、久しぶりに聞いた。相変わらず愛と執念か。
あれ?愛はいらない事に気づいたとかどこかで言ってなかったっけ?
おいらの勘違いかな。 >>157
本なんか、本棚に届かないときは下に置いて踏み台にするようなもんだとか
怪ラヂオだったっけ 百鬼夜行とルーガルーしか読んだことないにわかだが京極作品って現代が舞台のやつってあるのかね >>159
「」談シリーズ(冥・幽・眩・虚・鬼)
厭な小説
死ねばいいのに
オジいサン
虚言少年
ヒトでなし
虚実妖怪百物語
右の方に進むべきである(打ち切り?)
この中なら初心者向けは冥談や死ねばいいのに
あたりかな? 忘れてた
どすこい
南極
まあこっちは好きなように 自分から言っといてアレだけど冥談は現代要素ほぼなかった
他の談シリーズは大体現代 >>162
どうもありがとう
何か時代小説たくさん書いてるイメージだったけど結構現代のあるんだね
検索してネタバレを目にするの避けたいからここで聞いてしまうがその談シリーズは全部ストーリーとかキャラが繋がってる感じ? >>163
「」談シリーズは全部独立した短編集で連作短編でもない
一作一作に繋がりは全くない別の話
京極小説お約束の他作へのリンクもない 虚談は思いっきりリンクしてるね
冥談所収の『遠野物語より』も柳田が出てくるので繋がってるという解釈もできるといえばできるかな みなさんありがとう
取り敢えず談シリーズに手をつけてみます 何故か角川文庫からオジいサンが出るみたいだな
中公の単行本も文庫も持ってるけど表紙見て買うか決める
東日本大震災直前に本出てあの不安な時期にのほほんと読めた思い出の作品で好き
新しく角川から続編でも出すのかな 「周りはラブレター書きまくってたけど、自分は恋愛に縁が無かった」
本当かぁ!?
昔は痩せててハンサムだったんだから、言い寄られたりしてただろうに。 いくらイケメンでも身長が女の平均くらいしかないじゃん
しかも体力なくて恐らく運動もできないタイプでしょ、体育会系嫌いだし
マスコットとして可愛がられることはあったかも知れないが恋愛対象としてはね 何と言うか、大した根拠もなしに人についての推論をあーだこーだ述べるのってすごいバカバカしさを感じるなw
滑稽とまでは言わんが 背が低いのか
そういうコンプレックスをバネにして勉強とかしたのかもな >>170
自分で女の子が近寄って来ないようなオーラ出してたみたいで
「バレンタインにチョコなんて贈ったら呪われる、みたいな感じで」って笑って言ってたよ。 >マスコットとして可愛がられることはあったかも
兄貴に告白されたりしてそうw
おっさんずラブ的な 結婚が早い=モテるではない
まあモテるモテない以前に色恋に大して興味がないんだろうな
遊びたい盛りのはずの20代を自分から放棄してるわけだから
ただ子供作ったのは確か30くらいなんだよな
子供もいないのに何で若い頃に籍まで入れたのか そう考えると姑獲鳥の頃から既婚者だったけどまだ子供さんはいなかったんかな >>182
その頃はもういたはず
できちゃった婚だったけど流産されてしまったたとかかな
無責任な憶測ですが
姑獲鳥の構想もそのころのはずだし影響あったとかね >>181
そんなん、 普通に真面目だからでしょ。
子供もいないのに入籍するの不自然とかいう感覚がおかしい
あなたは19世紀から来たのか? もはや作家というよりアイドルですなあ
最初からそうだったと言われればまあそうなんだけど https://i.imgur.com/d0UOI9F.jpg
角川文庫版オジいサンの書影来た
ストレートな表紙
というか京極夏彦の字がジワる 「一番好きな京極作品の声、多数」ってのは意外
というか誇張し過ぎな気がする
自分くらいしかいないと思ってた 読んだこと無いけど、お年寄りが主役の日常系みたいなストーリーなのか? >>188
多数とは何を基準にして多数なのか触れてないから
割合でも無ければ絶対値でもない
極論すりゃ100人居りゃ多数と強弁する事もできちゃうわけでね
つまり何の意味も妥当性も無い飾り文句でしかない >>189
独居老人が細々と暮らしてて
地デジ移行やら回覧板やら墓石のセールスやら
そんな事に思考を巡らして一喜一憂するだけの日常系小説
虚言少年は主役が小学生の思考の域を超えてるし
眩談のシリミズさんも日常系だけどおばけ出るし
オジいサンは京極夏彦唯一の日常系小説
「この世に不思議なことなどない」と
「非日常なんてない全ては日常」は京極の口癖だけど
真に日常を小説にしてるのは本作だけ シルバー川柳の本が出る前に
オジいサン川柳なんて公募でやってたな
ネットだけど結構応募集まったし
イベントまで開かれた程
シルバーの方は老い先短い後先暗いのを笑いにした
ブラックな魅力が受けてるけど
オジいサンの方は本当にユルいネタが多かった
京極夏彦が特別賞贈った作品が
「マッコリを モッコリだよと 婆頑固」
だし 京極作品思うんだけど女性がレ○プされる事多くないか?
たまにならともかく毎度出てくる気がすると食傷気味なんだが。
巷説シリーズとか仕方ないかも知れないけどさ… 巷説は悪人退治の話だし、百鬼夜行はミステリですよ
そもそも妖怪や怪談自体人間の暗部と切り離せないもんだし
そういう作家選んで読んでレイプはいかがなものかってアホとしか >>194
なんつーか人物造型や物語自体はあえて類型なとこあるからね
あえて類型にすることで説話っぽさを出しているというかお伽噺の中の人物のように奇妙に現実感がない
だから人が死んでもあまり悲しくないしレイブや売春も大した心理障壁にならない
登場人物の身体感覚、はっきり言えば痛みを感じない世界
名探偵コナンで人が死ぬってのと同じくらいの軽さでレイプや殺人が行われる
話の進行のため、登場人物の動機付けのために使われてるだけって感じはする
そこはその程度で良いという作者の意向なのだろう
書きたいのはそういうところじゃないというね 連投すまんがもっといい例えがあった
昔のカンフー映画で必ず親や師匠が殺されて仇討ちするようなもんだw
物語を動かすためだけに殺しやレイプが行われるけど
そこは「ありきたり」でいいやっていう割り切り 年端もいかない少女が性行為するストーリーが多いので、多分ロリコンなのでは >>196
え、なに? 言って欲しいの?
『死ねばいいのに』 関口に好意を持ったり、
逆に関口が魅せられたりする人物がいれば、
ほとんどの場合、そいつが犯人だ。 百鬼拾遺は出たし、進展はしてるよ
竹本、綾辻、麻耶とのトークショーで言ってたけど書いてはいるらしい
この面子だとさすがにいつもの「版元に言え」では逃げられなかったな
何か白状させられたって感じだった >>207
考えてみたら今年400枚くらいしか小説書いてないんだよね
そりぁ水面下では鵺書いてなきゃダメでしょ >>207
Twitterじゃないからいいね!が押せないw 虚実は寝かせてから読もうと思う巷説を読み直すとやっばり面白いなぁ オレは京極が天才だと疑わないんだが、みんなはどう思ってるの? 広義で言えば天才には違いなかろう
あんな小説は彼にしか書けないのだから
ただ質で言えばひらめきやキレで勝負する天才型と言うよりは桁違いの仕事量をこなせるタイプなのかなと思う
CPUの容量がめちゃ多くてマシンパワーが高いから常人にはこなせない推敲の果てに良い文章が組み上がってくるという印象を持っている 能力は高いけど発想が突飛だとか新しいものを作った人ではない
作品は引用だらけだし、引用を多用するスタイルも珍しいものじゃないし
そういう人を天才呼ばわりするのは逆に失礼だろう
良くも悪くも天才としか言いようがないのは麻耶雄嵩みたいなタイプだな ある意味スーパーマン。多岐に渡る方面に才能を現すマルチタスクの人。
この人が努力・尽力したお陰で革新スピードが早まった技術があったり
特定の筋での「常識」が見直されたりした。
ひとりでやったとは言いきれないが、ひとり産業革命みたいな人と思ってる。 天才と言えるのは、弘法大師空海だけだよ (´・ω・`) 荒俣さんの妖怪になった物辞典はプレゼント用に良い本だと思った! 冬になると鉄鼠読みたくなる
箱根で読めたらいいだろうなぁ 俺は塗仏読んでる
読み終わったら陰摩羅鬼、邪魅と読んで、空鳥に脳を合わせる算段 次は「陀含(だごん)の○○」という題で、
クトゥルフ神話の邪神たちを妖怪に見立てて、
それでミステリーを書いてほしいw そうかなぁ?
波山を扱う以上火は不可欠だし、未読の人多いだろうから詳述は避けるけど動機も全然違うよ
火難以外の共通的はない
まあ首里城も燃えちゃったし、タイミング的になんでいま波山なのかを考えたときに影響あるかもと思わなくもないけど
明らかに、というほどの類似はないかな 中禅寺って古き者共見てもSAN値上がらないんだろうな
ゲームなら学者のクラスになるんだろうが >>233
そういえば関口は、粘菌の何を研究したのかな。
粘菌を使って迷路を解く研究とかw なんか今の内閣って加藤保憲が操ってんじゃないかというぐらい酷いよな。
虚実のダメ日本が重なってしょうがない。 邪魅の雫読んだけど、ちとくどいね。
ただなぜか、中禅寺が大鷹のことを語るくだりでボロ泣きしてしまった。 >>239
残念ながら違う
本人もリブートっていってたけど、登場人物もほぼ新キャラのみ
『ほぼ』なので一部続投してるけど、又市百介辺りは出るとしても終盤にカメオ出演くらいかなぁと 久々の百鬼夜行に京極堂出ないし、久々の巷説に又市出ない
読者はもちろん編集者だっていつもの面子見たいだろうに
何かもう小説書くことが嫌でしょうがないって感じだね
書くことに倦んでしまうのはある程度のキャリアの作家なら誰でもあることだけど
最近の京極には、自分が嫌だから読者の喜ぶこともしたくないという鉄の意思を感じる >>243
でもさ、イヤイヤ書いて出してきたような物を読みたいと思う?
そんなものには何の価値もないと俺は思ってるわ
なんでもいいから予定通りに出せだせって言ってる人の気が知れない
それだったら過去作を読み返してた方がずっとマシだわ >>245
作者のメンタルと作品のクオリティは必ずしも一致しないからね
著者渾身の駄作もあれば手慰みに書いた傑作もある訳で
そもそも京極さんは執筆自体が嫌いなんだし
その考え方だと暇潰しに書いた姑獲鳥しか読み返せないことになってしまうよ と、いうか小説書くのが好きな作家てどれだけいるのか
ラノベや夢小説みたいに自分の理想だの妄想だの書いてるのなら楽しいのだろうが
京極は元デザイナーでイラストや漫画も描いてたりするけど、絵を描くのは楽しいと思う
自分もよく絵を描くけど、大変だとしても楽しいし
あとは講演とかやってるし話をするのは好きだと思う
まあ何でも好き嫌いはないとは本人言うけど
小説書くのは大変だろうし嫌いで当然だと思う仕事だものさ 本日の大極宮スタッフブログで
『来年の夏まで続くデビュー25周年、まだまだいろいろありそうです!』とのこと
鵺かな? その言い方なら鵺ではないやろな
そんならもっと派手に煽ってくるはずやぞ 鵺来ないんは寂しいが来たら来たで関口の死がまた一歩近づいてくるようで軽くジレンマや
後巷説ラスト感動した反面やっぱ切なさもハンパなかった
だから百鬼では関口にせよ誰にせよレギュラー1人も欠けてほしくない
けどぬらりひょんの段階で関口死去だけはほぼ確定しとる
そういう意味じゃあの番外編笑えると同時に地味に罪作りやったわ >>256
関口君は当時(連載時として2007年)から40数年前に寒中水泳している両津を見かけている訳で
最低でも昭和33年まで絶対死なず、期待値42年くらいまで存命の保証がされてることになるのか
これまでと同じペースでシリーズ作中時間が流れていくようなら近々の事件で死ぬってことはなさそうかな。老衰だといいね
>>252
遠巷説の単行本はまだ出そうにないから、来年の9月までに新刊が出るとしたら書下ろししかない
となるとやっぱり鵺かなと思う。いつもの講演やイベントのことだったらちょっとがっかり 京極堂の教師時代の漫画、トリック古すぎないか?
ひょっとして薔薇十字業書ってみんなこんな感じ? 先走って発表したら邪魅のときみたいにまた京極がぶんむくれるからな
そりゃ仄めかすような言い方しかできない
空鳥じゃなくて鵺って書いたくらいで書く気なくす人だし
相当めんどくせーよ いい加減だとか無分別だとか許さない人だからな
世の中の理不尽を重々承知の上で
常に理性的で合理的であれと小説に書いてるわけで
何より自著に対してはこの世で一番厳しい目を向けてる
逆に他人の手によるメディア化やアンソロに寛容なのはそのため
自分が関わる以上決して手を抜かないし
その障害となるような相手には全く迎合しない 本当はプロモーションも自分でやりたいんだろうね
水木先生のお別れの会を取り仕切ってたのを観るに、自分が関わるからには最初から最後まで
手抜かりなく事を遂げたいんだろうな 「真逆」を「まさか」で使うのは京極と泡坂妻夫な。
尤も他にも居るだろうけども・ >>263
まぎゃくって言葉ができたのは最近だよ
言われ出した時の違和感が凄かった
それいうなら正反対だろうがよ、と >>262
校正や宣伝、販売は編集部や版元の仕事
小説家の自分は小説書くだけと割り切ってる
そのせいで講談社が好き勝手して自分の仕事を蔑ろにされたとキレたわけだけど
だからこそ余計に自分は小説に手を抜くわけにはいかないと思ったのだろう
それこそ読者への誠実さの証だと思うわ まぎゃく、ダウンタウンの松本由来のような気がするなあ
正確に初出か誰かは知らんけど
あの界隈のお笑い芸人が使いだして広まったと俺は記憶している >>266
まっちゃんのやつは逆ギレじゃなかったかな? >「まぎゃく(真逆)」は2002、03年頃から急に使われるようになり、2004年の流行語大賞の候補にもなったことばである。なぜその頃からはやり始めたのかよくわかっていないのだが、一気に広まった感がある。
青空文庫で検索すると「まさか」で使ってるのは、寺田寅彦・梶井基次郎・宮本百合子・夢野久作
他はたいてい「真逆様(まっさかさま)」 新年と2020年代突入を祝って……
ぬ……
ぬ……ぬ……
ぬ……ぬぅうううううううううう……
ぬえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ〜〜〜〜〜〜〜〜ッッつッつ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! このヌエキチガイ受け入れてんなよ
ワッチョイ変えてまで自演してんじゃねーだろうな
5chだし気持ち悪いのはまだ良いとしても、つまんねえんだよなコイツ
しかも同じネタをもう10年くらい続けてるキチガイ というか
スレルールに違反してる訳でもないのに個人的につまらないという理由でキ印扱いしてる人の方が寧ろ……
>>271
今年こそは出るといいすね >>234-235
波山は、元官僚が息子を殺人した事件にインスパイアされてるんじゃないのか?
あと、余所者の商人の事件ってえのは、岩手県民からクレームが入ったのかもw 鵺も内容によるな
鬼とか河童とか天狗みたいに
面白くなかったら二度と読まないな 鬼や河童や天狗は面白い面白くない以前に極めて薄くてそのせいでもう細部ぼやけ始めたよ
対するに同じ番外編や外伝でも百鬼夜行―陰陽や百器徒然袋はまるで正反対
それぞれ別の意味で濃厚だったから未だによく覚えてるし一編ずつは短くても堪能できてそれなり満足がいった
だけど今昔百鬼拾遺はそこそこの長さあるのも裏目に出た
変な時間にほんのちょっぴり摘み食いしたせいで物足りなさによけい空腹感が増した感じだ 多分鵺出ても
>>280-281
の満足が行くような作品じゃないと思うな
どうせ陰摩羅鬼以降の京極小説全部つまらないと言ってるのだろうし 読んでつまらないと言いたい人もいるだろうし、ここに来て愚痴言うくらいの人は何言っても必ず読むよ 百鬼に関わらず今なお出続けてる新作を
面白がって読んでる身からしたら
馬鹿のひとつ覚えみたいにぬえぬえ言ってるのが不思議
そんだけ鵺に拘るのは他のが面白くないと思ってるからだろう
なら待つだけ無駄だし鬱陶しい >>286
>そんだけ鵺に拘るのは他のが面白くないと思ってるからだろう
ちょっと短絡的過ぎない?
予告済みの人気シリーズを楽しみに待つのは極普通のことで
ノイジーだからといって他作品を楽しめていないとは限らないし
そういう思い込みを前提に非難するのはどうなのかなぁと思うけども
京極作品全部好きな京極ファンで、中でも鵺を特別心待ちにしているだけかもしれないですよ
私もそうだし、そういう人はいっぱいいるでしょう 馬鹿だな君は
新作を(大小はおいといて)期待して読んでの感想なんだよ 最近のはつまらない!鵺書かないのは才能枯れたからだ!
ぬえぬえ騒ぐ輩のほとんどがこんな感じだけどなあ
このスレでもそんな短絡的な声が多過ぎて
昔と比べて変わって来てる京極の今の作風を気に入ってて
その上で鵺がどうなるか楽しみだって期待してるならわかるけど
やっぱり京極は百鬼夜行じゃなきゃ駄目だ
だから早く鵺書けって言ってるのがほとんどの気がする そうかな? 近作つまらないって書いてる人達は、鵺にも特に期待してないように思うけど 答えがあるような問題でもないんじゃないかな
近作がつまらない、と書いている人でも、「ある程度楽しめたけれど、百鬼夜行シリーズほどには面白くない」、という
文脈かもしれないし、文章からだけでは推し量れない本音というものは常に包含され得ると考えたほうがいいよ 短絡的で意味不明な書き込みから汲める本音なんぞ1ミリもないと思うがな
大体京極の才能が枯れただの劣化してるだの言う読解力のない連中の鵺信仰ほどアホらしいものはない オンモ以降全部駄作、でも鵺は傑作に違いない……
とかなら、その判断はどうなのよ。と思うけども
そんな人いるかな?
つまんない派のほとんどは
どうせつまんないんだろうけど出版されたら読んでやるから早く書けよ……くらいのスタンスじゃないの?
そういうの信仰っていう? 期待ですらないよ なんか恐ろしくどうでもいいことに拘り持ってる人が居る事は分かった
俺は好きな作家という以上の何の思いも抱いてないけどなあ
面白く無いと思うものもあるけど別にそれで評価下げるわけでもないし まあ京極ファンの多くが鵺と言うより中禅寺や榎木津目当てというだけだと思うな実際
百鬼拾遺がつまらないと言う理由の大半がその二人が出ないという点かと
遠巷説だって又市出ないからつまらないのだろうし
京極小説はキャラ小説とよく言われるけど
キャラ萌えで読んでる人には今の京極小説なんて読むに値しないのだろうさ ちょい長めの文で連投してる人のほうが信者臭いですねこれは キャラ萌えという観点も正しいんだろうけど、百鬼夜行シリーズに関して言えば、京極堂の薀蓄による
事象や概念の解体、再構築が最大の見せ場であるからこその不満が出ている気もする。
特に今昔百鬼拾遺に関しては、憑き物落としが無いだけでなく、舞台の描写や関係者の描写、事象の描写、
どれもが敦子や美由紀視点であるが故なのか、少々物足りない感覚が残った。
とは言っても個人的には十分楽しんだんですけどね。 鵺はもう出たら儲けものぐらいに考えてるよ
そのほうが勝手に期待して勝手に失望するよりよっぽど心の平穏にいい
別に百鬼じゃなくても面白ければなんでもいいんだから鵺じゃなくても構いやしない
だけど京極さんの小説全般何ていうか昔に比べると情念?みたいのが薄れてきた気がする
宴以前は今読んでも感じる熱気というか勢いというべきか多少の粗は吹き飛ばす力が最近あまり感じられない それはどんな作家だってそうだよ
キャリアを重ねるほどに初期の熱量はなくなってしまう
熱量がなくなると同時に書けなくなってしまう作家も多い
京極は計算高いように見えて実は意外と天然だし
だから本人のモチベーションの低さがモロに作品に出てしまってる
談シリーズなんかは新しい試みなんだろうけど、イマイチ読者に届いてない
まあ小説として成功してるとも思わないけど
大衆小説の読者の大半ってのは結局キャラが読みたいんだよな
作家としてはキャラじゃなく作品を読んで欲しいんだろうけど 自分は全く逆の考えだな
京極の小説は最近のものほど純度を増して無駄がなくなってる
読者によっては無駄なものの方に魅力を感じてたのだろうけども
キャラ萌えとか厨二要素とか、好きな人には受けるってものは
反対に好きな人以外には受けないということだから
京極が今でも作風を変えてるのは他の読者にも読んでもらおうとしてるからだろう
そもそも、京極はデビューからずっと一貫して同じことを何度も繰り返し作品に書いてるわけで
同じことを別角度から時流に合わせて言葉を変えて技巧をこらして読者に届けようとしてる
今の京極小説を読んで熱量がなくなってるとは到底思えない
熱量がなくなったというなら間違いなく読者の側だろう
それは他の読者に向けて書こうと意識してるのだから仕方ない そりゃ長く続けてて初期と同じテンションを維持出来てたらおかしいから
都合の良い記憶喪失にでもならない限りそれは無理だ
マンガの場合は処女作にその漫画家の全てが詰まってるっていうけど作家だって似たようなもんだろうよ
熱量が減るのは当然だよ
そこを無理やり否定してもなんにもならない 直近では角川文庫版のオジいサンの加筆でも京極の仕事への熱量を感じたな
本当に一文加えるだけで理屈っぽい京極らしさを感じさせる上
主人公の怒りとか嘆きをより強くしてた
比べると中公版のより格段に面白くなってる
オジいサンなんて大半の京極ファンにとって興味ないだろ
既に中公版の文庫もあるのだし角川文庫で表紙変えてもそう買うとは思えない
でも未読の人は買うかもしれないわけで
そのために一文一文に拘って改良して見せる京極は決して昔よりテンションが下がってるとは思えない とにかく中禅寺に説教されたい
絡新婦ラスト200ページの如き怒涛の憑き物落としをまた聞きたい キャラ萌えや惰性で読んでて今の京極は面白くないと思うのは仕方ないが
それで京極の才能が枯れただの熱量が失われただの言うのは違うだろうと思う
新しい作品をきちんと読んでから言って欲しい
そういう手合いはどうせ鵺出たとしてもつまらない、京極は終わったとか言うに決まってる 好きな男をバカにする女と擁護する女くらいの違いしかないよ
どちらにしても「私が一番カレを理解している」という思い込みがこのスレにそういった感想を書かせるんだろう >>305みたいなちょっと入り込み過ぎの人が話をやっかいにしているんだよな
自分は京極の事を分かってると思い込んでる それこそ何度も何度も繰り返し、著者の本心は伝わらないと説いてきた人なのにね
そこは完全に無視なんですねぇ
まあだからこそあれが本心だとも限らないんだけど
こういう不毛な言い争いを避けるために、正解を秘匿したのかもしれないね
誰が何いったところで、その人がそう思っているってだけなんだから
そんなにお叱りいただかなくてもいいんじゃないすかね 京極は同じことを繰り返し手を変え品を変え小説に書いて
読者に届けようとしてるけどね
たとえば読書に誤読はない
どうあれ面白く読むのが正しい読書であると書いてたりするわけで
何しろ京極は「この世に面白くない本はない」と言い切る人だから
他の読者がどう読んでるのか知らないけど
つまらない、熱量が感じられないと嘆く方々よりは正しく読んで理解してる自信がある
>>306
まあ、己の至らなさを棚に上げて男の愚痴ばかり並べ立てる
女の腐ったような奴よりはマシだと思うけども ID:6btFvCa70は作家にとってマジで鬱陶しいファン()じゃねーの
カレの小説のよさがわからないなんて読む資格ないんだから!読まないで!だもん 『鵺待ち』は最早関係者も巻き込んでのイベントだもんね。
ただ楽しみに待つしかないわ。
しかし、昨年夏にあんなに派手にぶち上げたのに結局年内は間に合わなかったん。 ほっといてやれよw
言ってることが理解できなくたって、わざわざ叩かなくてもいいだろw
さらっと別の話題に流れろよw ワッチョイ c245-e6nMのレスはどうもズレてるな
短絡的以前の問題だけど狙ってるのか天然か
つまらないなら読むななんて誰も言ってないだろうに
ただ自分が面白がれなかった理由を京極の劣化だと言い張るのは間違ってると主張しているだけさ 同じ本を読んでるはずなのに、180°意見の食い違う人達がいるんだから
読書に誤読はないってのは然もありなんだね そういう意見もリベラルすぎて全然響かないけど
世の中に絶対はないけど、普遍はあるんだから
じゃないと物事に洗練も淘汰もありえなくなってしまう
今の京極も変わらず面白いって人がいるのは別にいい
でも劣化だって感じる人を読解力がないって否定するのは間違ってる
意見が間違ってるんじゃなくて、スタンスが卑怯なんだよ
自分の正しさが絶対的な前提になってる人には人は説得する資格がない
まあ単に5ch的な煽り合いがやりたいならそれでいいんだけど
どうせなら普遍を目指して欲しいもんだ >>316
一見それらしいけど中身のない言葉を使って
自分は参加してませんよと装いつつ
その実自分が否定されたのがとても我慢ならないから
相手をディスりだけはする姿勢は卑怯じゃないのかしら
そんなみっともない真似するくらいなら
適当に煽ってる方がまだねらーとして正しい姿勢だと思う 震災で内容の変更を余儀なくされて、ちゃんと整合性取れてるんだろうか… >>308
> 誰が何いったところで、その人がそう思っているってだけなんだから
> そんなにお叱りいただかなくてもいいんじゃないすかね
まさにこれ
ねらーやってれば本来自然と身につくはずなんだけどねえ
好きなものとなるとそうもいかない人が居るということかもなあ 全く関係ないが
年末から十二国記を初めて読み始めた
それで十二国記のスレをちょっと覗いてみたのだが
やはりなにかの解釈で住人が揉めていて
こうに決まってるだろ?分からない人は読解力が無いだけ!
いや明確にそうとは書かれてないだろ?己の脳内補完を公式設定にするなボケ!
ハッキリ描かない不由美が悪いんや!
いや皆まで書いたらなんの味もないだろクソが!
・・・みたいな不毛な言い争いが繰り広げられていた
どこ行っても”読者””ファン”ってしょーもないものなんだなあってなんかほっこりしたw まぁ作品解釈でもめてる分にはまだまし
正月ネトフリで見た邦画のスレなんか下手に覗くと
主演女優のファンとその作品出てない同世代女優のファンが
全く映画関係なく不毛なバトル延々繰り返してて、そっ閉じパターンが多い >>319
そんな煽りがしたいなら
ワッチョイなしのスレでやるべきだろう
自分も早々乗っておいて急に知らん顔するのは滑稽
ねらー玄人気取ってる割に初歩的なミスしてるんじゃないよ >>322
( ゚д゚)ポカーン
先ずはっきりさせたいのは>>319は煽りでは無いということ
だいたい、殆んどの人は好きな作家だから作家スレに来るわけでしょう(そうじゃ無い人もいるが)
ならばスレ民の殆んどにとっては、京極作品は「好きなもの」ですよ、煽りでもなんでも無い
そして、>>308も巻き込む形になって申し訳ないが、308を引用したのはスレが荒れる主因が、
作品の解釈ではなく作者の創作意欲やら姿勢やら、収拾つかない話に結論を求める人がいるからだと、
そう思ったからです
それが貴方なら、まあ個人攻撃みたいになってしまったなら申し訳なかった
ワッチョイ云々は意味が分からなかった >>318
タイトルを流用してるだけで中身は前のと全く違う話なので心配には及ばない >>322
これ新手の統失くんかな
執念深いというか粘着質というかいやーな感じ >>320
平和で何よりw
これが聖書とかコーランとか仏典での解釈の争いなら、
ガチで殺し合いや戦争になるんよ。 >>303
>本当に一文加えるだけで理屈っぽい京極らしさを感じさせる上
>主人公の怒りとか嘆きをより強くしてた
>比べると中公版のより格段に面白くなってる
仕事への真摯さは感じたけど方向性が違う。と感じましたね
私は通読してもどこをいじったのか全く気付かなかった
読了後中公版と突き合わせて検証し漸く解ったくらい
いわれてみるとそうかもねと思う反面、面白さに変化はないと感じた
寧ろ単行本や中公版と比べて印象の差が出ないように尽力されてるんじゃないかな
まあいつものレイアウト調整でしょう
中公文庫版と比べて何がイイって、とにかく角川文庫版は文字がデカくて目に優しいW 姑獲鳥の頃から京極夏彦のヒロインがとても好きだった
毎回甲乙つけがたい違うタイプのヒロイン登場でときめいてた
でも瑕でヒロイン不在
雫でもどこがいいのかさっぱりわからんヒロインが来た
悪女好きだし絡新婦の彼女が宴で死んだ時は大ショック受けたが
あのヒロインにはこれっぽっちも心動かされなかったんだよね
鵺でも別のタイトルでもいいからまた魅惑のヒロイン見てみたいなあ >>328
目玉焼きの主張の強さについて理屈を加えたり、
女や子供の昔の新聞紙の使い方とか書いて元の文章を詳しくしたりしてる他に
テレビの識者のおっさんを憎々しげに呟くワードを加えたりして
京極らしいテンポの良い笑い所も増えてる
あと一番デカいのが田中電器親子の徳一へのリスペクトが追加されてる点
どれもさりげないから注意してないと見落とすけど
中公版より確実にクオリティ上がってる
宮部みゆきの解説も名文
新規だけじゃなくてもオジいサンファンなら絶対角川版読むべきなのは確か 一番加筆してたのは田中電器とテレビ観てるところだな
他のは時が経っていじりにくいのもあったのかも知れないけど
テレビの堕落についてはむしろ当時より悪化してるからより力を入れたのだろう
安上がりな番組作りの話なんか詳しくして
最後に笹川眼鏡が切り捨てられられた、のあとに
徳一たち老人みんなが切り捨てられたのだって加えたのも
結構グサっと来たな
たった一文だけどそのひとつが効くんだよ ヌエヌエ言っても十二国記みたいにイマイチなもの出されてもな 匣の中にはゴーンがぴったり入ってゐた。
ミスタービーンのやうな顔だ。勿論善く出来た楽器に違ひない。
なぜ楽器の箱に入ってゐるのだらう。
何とも間抜けな顔なので、つい微笑んでしまった。
それを見ると匣のゴーンもにつこり笑って、「ほう。」と云った。
ああ、生きてゐる。
何だか男が酷くうらやましくなつてしまつた。 正月に鬼滅の刃ってアニメを初めてみたが
サイズといい作りといい魍魎の匣だったなw
中に美少女が入ってるし >>335
ワラタw
効果音みたいな名前だし多分あれは楽器に違いない ゴーンはむしろ蝶々殺人事件だろう
魍魎のあれは押絵と旅する男オマージュだし >>336
自分も思った。
炭次郎、強い雨宮じゃん!? >>331
楽しめたようでなによりですが、クオリティの問題にしちゃうのはどうかと
映画でいえば、劇場公開版とディレクターズカット版の違いみたいなもので、どっちが上とかじゃないんですよね
補足された分解釈の幅が狭くなった箇所もあるし、宮部氏の解説はよかったけども解説自体が要らない邪魔だという人もいるでしょう
加筆部確認のために二週もしてしまったので私ももう角川版の方が好きだけどw これから読む人はどっちからでもいいと思います
ソーセージのくだりは中公版の方がすっきりしててよかったかな まあクオリティ云々は
どれほどオジいサンを好きか否かというのと、
京極小説の魅力の捉え方で差があるのだと思う
理屈っぽいのに僅かな一文を挟んで笑わせたりする文章の魅力を感じるか否かで
今回の加筆した部分はより理屈っぽくしたり
たとえを増やして以前の部分をよりわかりやすく補強したり
理屈とは反対に感情を強調しつつ、思わず笑ってしまうようなワードを挿入したりしてる
一番加筆した第六章なんて結構読み味違うと思うな
まあこれは京極の理屈とユーモアが好きだから良くなったと感じるのであって
別にそれが好きじゃなければ重視するようなものじゃないと思う
そもそもオジいサンがそこまで好きじゃない人にはどうでもいいことですらあるだろうさ まあ小説の解説なんて面白いのからつまらないのまで様々あるから全部要らないって意見はよくわかるけども
でも今回の宮部みゆきの解説に限ってはぜひ読んで欲しいなあ
オジいサン好きならとても同意できるし嬉しいサービスまである
そこまで好きじゃなかったとしたら宮部先生の意見で面白く読めるようになるかもってくらい名文
そもそも単行本持ってたらそこまで文庫本欲しいと思わないものだけど
解説で有名作家が書いてたりすると欲しくなるのもあるし
まあ好き好きよね まだ加筆がどうたら粘着質の奴が喚いてるのか
レイアウト調整だろあんなもの
オタは盲目と言うがホント些細なことを取り上げて騒ぐよな
アホらしすぎる あとがきも解説も読まない
あとがきないから京極の本が好きまである 加筆部分もさすが京極、洒落た文章だなあくらいで留めておけばいいのに
そこでテーマ性が増すだのアホな事言い出すからおかしなことになるんだよねえ 解説は眩談の文庫の諸星大二郎が秀逸だったな
諸星御大のシュールギャグと不条理さに溢れる漫画のまんまで
眩談かなり好きなんだけど単行本のフォントが馴染めなかったから文庫の方が読みやすい >>339
「心の中の幸せを入れる箱に穴が空いているんだ」
「どんどん幸せが零れていく」
「その穴に早く気づいて塞がなきゃ満たされることはない」
鬼滅の刃 第145話 「幸せの箱」より
雨宮というより、久保竣公じゃないかw
久保は匣の中を何かで満たすことに、
物凄くこだわった人だからね。 そんなキャラ、他の漫画にも一人や二人はいるだろ
こじつければ大抵のものは大抵何かに似る
アニメの出来が良かったからって急に語る奴が増えやがって
本屋で全巻買いしてる奴も何度見たか
流行りもんに集ることで安心したいのかねえ おいらも流行りの新本格ブームの一環でなっちの書籍を手に取ったのだが もうミステリーが流行りになることは無いだろうな 定着したとも言えるけど 俺21世紀になってから読み始めたから全然関連付けてなかったけど
京極夏彦も新本格ブームの中でデビューしたんだな
中身は似て非なるものだけどミステリーの流れのせいで売り出しやすかったとかあるのかね あの頃は分厚いノベルズならなんでも売れたような気がする いや、厚くなったのが京極さん以降だからそれはない
講談社ノベルス界隈が賑やかだったのは確かだね
新作が出なくなってしまった作家さんも多々いるなか、京極さんはご健在で嬉しく思う あのころ自分は読解能力が底辺で、京極を読むのに何度も挫折したものよ。
今では京極に鍛えられてドイツ語も読めるようになったよ。 魍魎とか鉄鼠とかどんなに分厚くても全然苦にならなかったなぁ
それどころか至福の一時で徹夜明けだってのに眠っとる場合かと夢中で貪り読んでた
源氏物語に夢中になる更級日記の作者・菅原孝標女の娘時代の気持ち
時代もジャンルも飛び越えて痛いほどよくわかったw 昔から夜が弱いから
オタクのくせにハマった漫画や小説があっても夜はそそくさとベッドに入ってるわ
テレホ世代じゃなくてよかったけど、夜に弱い人は毎日辛かったろう 京極シリーズは事件とは関係なく妖怪の説明ばかりでうんざり 京極堂ものでトリック的に新しいのは姑獲鳥の夏のみと気づいたので、トリックが新しいのを
読もうかな…。
皆さん良かったら教えて下さい。 姑獲鳥に始まるシリーズを語るにトリックという言葉は適当なんだろうか >>362
早坂吝のデビュー作『○○○○○○○○殺人事件』とかはどうでしょう
ある意味革新的ではなかろうかと 姑獲鳥は盗まれた手紙パターンを極端にしてるだけで、別に新しくはない
新本格自体トリックにもう新しいものはないって諦観から始まってるし
ヒップホップとかタランティーノの映画と同じサンプリング文化だよ トリック中心の推理小説は過去か未来に舞台を設定しないと厳しいからな
携帯電話や防犯カメラが常に監視してる現在は舞台にするにはキツい
現在ならではのAIネタも割りとやり尽くした感が有るし
最近はファンタジー設定を推理小説に持ち込むのが流行りだけど(屍人荘とか)
逆にそうでもしないと新しいトリックが書きにくいのかも
鵺は当初原発ネタだったらしいけど原発ネタは今こそ書くべきじゃないかとも思う 携帯電話と防犯カメラがあっても未解決事件いくらでもあるじゃない
世田谷一家殺害事件なんて比較的最近に東京都で起きた上に
遺留品もたくさんあるのに全然解決しそうにない 鵺が原子力がらみ或いは甚大災害がらみじゃないのか?って推測をネットに最初に書いた俺です
作者本人は何も言っていませんのでその点ご留意頂きたく、、、 ぬえがキメラだから、ゴジラみたいな突然変異生物を本筋のエッセンスに絡めると予想したのかな
俺は話の構造として、一つの事件なのに、別々の事件として目撃証言や犯人が出るのかと予想してた いやw
出版直前に震災が起き、被災者の心情を鑑みてそのままでは出版出来ない内容なので
大幅な書き直しをして時期を改めて出版する、という説明だったので
マッドサイエンティストが東北に極秘に作った原子力施設で事故があったか
大災害で一箇村が丸々なくなって事件の証拠が全てなくなった、
というような話なのかと想像した >>373
話の構造についてはきっと全くその通りなんだと思うけど
まぁなんだ、大抵のミステリ小説はそんなものだよねw 鵺は声の妖怪だから、というのは盛り込みやすい要素だよね
正体はトラツグミでもないし雷獣でもキメラでもない
不気味な鳴き声だけがあって「正体」はそれぞれの想像がこしらえたものでしかない---
というモチーフがどう面白く犯罪に使われるのか 化物退治譚は大体そうだけど、権勢を誇示する道具として使われたり、政治的な色合いもあるよね
「碑」というのも、文書改ざん問題とか、広開土王碑あたりを引き合いに政治的な話も入れてきそう 鵺を「退治した」って頼政もまた源平の間をフラフラして平家から頼朝を保護したりして最後は攻められ平等院で自害したって言う曰く付き 原発ネタだから出せないわけではないと思うな
理由は人の噂も七十五日
直後は無理でももうこれだけ日数が経てばとっくにほとぼり冷めてる
実際しばらくは自粛してた天災に端を発する作品もチラホラ発表されてきてる
そんな中で鵺だけ駄目っていうのもおかしい気がするよ そもそも震災云々が京極特有の適当発言じゃねーの?
京極に言わせりゃ講談社から版権引き上げたのも確執が原因じゃないしな
地獄の楽しみ方でも、こんなジジイの言うことを信じるなって自分で言ってたし
基本的に本音も本当のことも言わない人でしょ >>379
ダメってことでなくて、書き直しをした結果が納得いかない出来だったのでお蔵になったんだと思う。
直後にこのままでは出せないってことで書き直しをしたんだ。
書き直し作業がもうすぐ終わる、ってとこでの発言。てか、イベントでの編者者とのやり取りで
「もうすぐ(書き直し作業)終わるんですよね?」「ええ。…もうすぐ終わります」と聞いたのが2012年6月。
未だに出ないってことはその時書いてた鵺は放棄して改めて別の物語を書くんじゃないか。
ただ、それには他の仕事の予定がぱっつんぱっつん詰まってるんじゃないかと。 妄想ばっかりだな
そんなこと言ってもなんにもならねーじゃん
過去作でも読め
怪と幽の話題もほとんどなかったし 話題がほとんど出ない作品についてはそれ自体が答えだよ
そもそも需要がないか読んではみたけど語る気になれない凡作ってことだ
傑作はむろん問題作でも賛否両論賑わうもんだ >>382
なんとでも言え
想像力もない読み手なんぞ
うんちでしかない 想像力ある人間は誰かを糞呼ばわりなんてしないと思うがなあ 宴の直後は大佐の中国編を妄想してみたこともあったりした
でも雫を読んだらご想像にお任せしますの方がいいと思った 寒川英輔はなんで診療所に運ばれたんだろう?
厄介な碑のことよりそっちが気になる Twitterで京極が「マーダーミステリー」をやったと呟いてるけど、なんぞ?
へたくそな京極でも出来るテレビゲームか? 鵺は原発ネタって言うかどっちかと言うと
「当時日本軍が作ろうとしてた原爆」ネタ
だったんじゃないかと 難しい題材だし頓挫 ヒトごろしの土方は(沖田や山崎も)異常者というより現代人っぽさが勝った
巷説の時は各キャラいかにも江戸時代末の人って感じがしたんだけどな
敦子や美由紀も拾遺だと戦後じゃなく今の若い女性と大差なくなってる気がする 原発でも原爆でもどっちでもいいけどなあ
邪魅の雫が731を扱ってるってのと同じくらいどうでも良くね?
あれをして731ネタって言われるとなんか違うと思うっしょ?
単に道具立てとして持ってきてるだけでそこは重要じゃないと言うか >>394
幕末とはどう考えてもキチガイ染みた正義観が横行してた時代で
新選組を現代人は美化するけど当時の京都の人間は毛嫌いしてたわけで
現代人は昔よりも先進的で合理的というわけでもなくて
むしろ今の人間は正義とか愛とか夢とかそういうファンタジーを好む上に
なまじ生活水準に余裕があるもんだから過去の人間より保守的で非合理的だったりする矛盾
ヒトごろしの土方はそういう矛盾を突くキャラクターだと思う
だからあえて呼ぶなら現代人というより京極人だろうか 志水アキ氏の漫画に木場修はいつ出てくるんだろうか。。もう結構出てないなぁ。。 >>393
だから原発ネタは一ファン(一読者)が
そうだったのかも?と想像したというだけなんだよ。 京極ってとことん理屈の人だけど完全な合理主義者でもなく
おばけみたいな馬鹿な、無駄な物が好きなんだよな
それは馬鹿らしく見えるけど実は無駄じゃなくて日本人の持つ豊かさの証なんだと
例えば節分の豆まきだってあれで鬼やら不幸を追い払えるなんてあり得ないけど昔から続いてるわけで
迷信だ愚かだと切り捨てるのじゃなく人々の切実な願いや豊かさを大切にして残すべきだと
巷説シリーズはその豊かさを描くシリーズだと思う 合理主義と精神世界の尊重は何も矛盾しないと思うぞ
科学と神秘主義などもそうだ
例えば男鹿半島のなまはげなんてのも単なる宗教的行事ではなくて
各世帯を回ってそれぞれ抱える問題のリスニングをしたり子供に規範意識を植え付けたり
共同体への帰属意識を高めたりと言った実用的な側面も大きいわけで
「豊かさ」なんて曖昧なものだけではない
妖怪にしたって怪異をそういう風に説明するのがもっとも「合理的」だからそうなったというのがある
妖怪ウォッチの歌と同じだよ
妖怪のせいなのねそうなのね、とするのが最も賢いやり方だった
>>401はそういうのを「無駄なもの」「バカなもの」「でも豊かなもの」規定することで昔の人々の知恵を見下しているのに気が付いていない気がするな ああ、書き方悪かったかな
おばけというのは馬鹿で無駄な愛すべきものって書いたら良かったかな
おばけとナマハゲは違うだろう
当時の秋田の人もナマハゲと一つ目小僧やらろくろ首やらと違うのは解ってたろう
ナマハゲに限らずムラ社会におけるそういう風習はもっと日本各地にあったはず
ただムラという共同体がなくなってナマハゲくらいしか有名なのが残っておらず他の個別なモノはほとんど消えたのは事実
それはやっぱり明治以降の人々が非合理的と切り捨てたからだろう
社会や共同体の仕組みそのものが変わったなら合理的なシステムとして役目があった風習が消えるのも仕方ないさ
でも弔堂にもあるけど柳田國男なんかはそういう、消えていくものの中にある日本人性というか
心の豊かさは失くす前に記録して日本人の心の中に残しておくべきだと考えた人だろう
怪異の説明としての袖引き小僧やら天狗とは違って
おばけってのは最初からシステムとか合理とは全く別にエンタメとして消費されるだけの存在として
庶民に届いたから絵本の中にマチの人々の心の中に残ったけど
それでも昭和に水木しげるがいなかったら今ようには残ってないし
ジバニャンなんか生まれなかったのは間違いない
エンタメとしておばけを消費すればナマハゲとかの文化に触れられない他地域の人々にも豊かさを届けられる
そういう存在がおばけだし京極たちが推進してるものだと思う つまり「ないものをある」とするのが心の豊かさであり
日本の言葉や風土はその豊かさを育むのに優れている
それがおばけとして今なお残っているのが素晴らしいところなんだというのかな >>403
>>404
そういう趣旨なのは巷説シリーズというより豆腐小僧シリーズじゃない?
巷説シリーズはお化けの合理的利用法を扱ってる作品だと思うけど >>405
怪異の合理的解釈だった化け物が、キャラクターとしてのおばけになる変節を描いたのが豆腐小僧だろう
巷説シリーズの又市ほかの仕掛けって小豆洗いだの柳女だの全部黄表紙に出てくるお化けで
当時の子供だってそんなの信じないレベルの物語を用意して始末をつけてる
でも当時の人々には「それでいいじゃないか」と思う心の豊かさがあったからこそ成立する仕掛けだろう
まず昔の辛い苦しい悲惨な現実なんて今の時代の比じゃないのだし「ないものはない」じゃ救いがない
そんなものよりは化け物のせいにした方が後味悪くないじゃないか、
「ないものはある」でいいだろうその方が、と作中全員が思ってる小説だと思う
だって袖引き小僧みたいな合理的解釈がまだ有効だった時代なのだからさ >>406
そもそも巷説シリーズは妖怪を『無駄なもの』としては扱ってない
『説明』であったり『言い訳』であったり様々な活用をされてる
なので>>403言うところのおばけには出番がない
特に仕掛けの被験者達は「ないものはある」などと呑気な態度はとってない
ガチ。ガチで騙されてる。だって結果死んだりもする「それでいいじゃないか」とかそんな余裕はない
とは言え、主張通りの読み方も出来る懐の深さを持ってる作品ではあるとは思う
でも、ザ・無駄な妖怪豆腐小僧がレゾンデートルを自問するロードノベルなあちらの方が
より貴論に合致した内容じゃないかと思うのだけど 読んでないけどまたなんかウスラトンカチが湧いてる感じ? 巷説の時代は怪異の合理的解釈としての化け物が有効な時代で
明治以降はその解釈が通用しなくなった結果無駄だと切り捨られたわけだけど
でも柳田國男はそこに日本人の心の豊かさという価値を見出し文章に残して
一方黄表紙やらで作られたキャラクターとしてのおばけは最初から馬鹿で無駄だけど面白いから本やら講談やらに残ってた
それらを統合して昭和に水木しげるが「妖怪」として甦らせた
怪異の解釈としては妖怪は現代じゃ当然機能しないけど
漫画アニメゲームと増え続けて日本人の心の豊かさを継承する役目を帯びて生き続けてる
って考え 巷説って時代劇なんだけど「化け物とか迷信だ」というような人物ばかり出てくる
「そんな物は神経のせいだ」という説は実際に江戸時代流行ってたらしいし
仕掛けのターゲットは肝を冷やして始末されるけど
巷説で起きるいざこざはすっきり白黒つけて片付くような
そんな単純な問題じゃない、
あちら立てればこちら立たず、真っ当な手段じゃ誰も幸せにならんから
複雑怪奇な仕掛けで煙に巻いてしまうオチ
そういうわけのわからないもんは昔から化け物の仕業と相場が決まってるのだ、
ならそういうことにしとこうよってのが巷説の人々だろう
いや、日本人は昔からそうやって理不尽な事柄に対処してきたのだってのが巷説シリーズだと思って読んでる 長文はいいけどもうちょっと論旨をまとめろ
5chはおまえの思考の流れを書く場所じゃないんだぞ
神経云々って言い方が流行ったのは江戸じゃなくて明治だ
明治政府や井上円了が近代国家を目指して啓蒙しようとしたけど
庶民は結局納得しなかったってのが実際のところだよ
大衆的なレベルでは江戸と明治にそこまで決定的な断絶はない
なまはげは突出して有名なだけで、似たような風習はいくらでも残ってる
時代なんか関係なく人間にはそういう心の拠り所が必要なんだよ
だから巷説は江戸だけじゃなく明治も舞台にしてるわけだし
まあ本当はそれは心の豊かさじゃなくて、人間の弱さだと思うけど
いるかいないか、あるかないかなんて実は大した問題じゃないんだな
京極も「昔の人も本当は妖怪なんかいないって分かってた」って言ってるし
巷説の人たちだって、描かれてないだけであれで完全に納得してるわけがない 例えとして妖怪を料理に言い換えてみる
豆腐小僧は料理の歴史や材料などを料理自身がレクチャーする小説で
巷説百物語は料理を食べる人間と作る人間のドラマの小説
どちらも料理がテーマで面白いけど
その料理の持つ「美味しさ」がより読者に伝わるのは後者だと思うのよ
>>411
すまんね
でも思うんだけども
どうしようもない理不尽な出来事の責任を誰かに負わせて叩くことこそ弱さの証でなかろうか
一方妖怪というありもしない存在の責任にしてしまえば誰も傷つけずに済むだろう
それこそが心の豊かさの証ではないかと 心の拠り所ね、それが時代や人によっては神になったり妖怪や宗教になると >>414
神仏は今も昔も形而上のものだけど、
妖怪は形而下のもっと身近なものだと思う
いや、昔の日本人には身近なものだったというべきか
水木しげるの言うところの妖怪感度が備わってた
だからこそ合理的解釈としての機能が果たせてたのだろう
ただ、その感度が失われた現代人にとっては形而上の神仏と似たものとした方が理解しやすいのかも
当時の人々的には心の拠り所というより、心のゆとりに妖怪が湧くという感じ
そのゆとりを持ってることが心の豊かさと言うのだと思う 流石にいい加減にしてくれと言いたいな
論旨どうこうの話じゃない
このスレはお前の感想文を書くところじゃない
だらだらと同じ事をいつまでも書き散らしたいならブログでも作ってそこでやってくれ まあね、長いかも
一つの作品の一場面の解釈とかならまだ話引っ張るのも理解できるけどね 長文は読む気まるでなし。スルー。
書く自由も有れば読まない自由もあるわけで。
かまってチャンはムシに限るね。 自分に経験がないから「いない」と断定するのはどうもね 目に見えない未知のものに感じる不安とか恐怖を
怨霊とかタタリというネガティブなものにするのはオカルトの分野かな
一方存在しないものに姿や形を与え、愉快でポジティブなものにしてしまったのが妖怪
ありもしないものに怯えるよりは笑えるものにしようという先人の智慧であり賢さ
しかし妖怪感度の低くなった現代人には後者より前者の方が浸透してるみたいだな 真木姫ちゃんとか、京極堂、ネタにしないのかな?
あのツンとした感じとか、誰かさんに似ていて、すごくお似合いなのに 真木姫(40歳)男児持ち
製造業やってる主婦のおばさん >>421
全然違う
画図百鬼夜行見たら分かるけど、普通に怨霊や悪霊も載ってるでしょ
そもそも妖怪ってカテゴライズが近代的な概念でしかない
妖怪って言葉もインテリは知ってたけど昭和中期まで全然一般化してないし
更に水木しげる的な定義だと怪奇現象やオカルトだって妖怪の中に内包できる
笑い飛ばすために作られたとか、そんな単純なもんじゃないよ >>424
こんにちの妖怪とは意味が違うものさ
画図百鬼夜行なんかは昔から絵師が描いてきた化け物画に
地方から輸入された不可思議の解釈としての化け物、さらに石燕の創作なんかが混じった絵本
しかしあくまで滑稽本、エンターテインメントとして作られたものでホラーじゃない
生霊なんかも載ってるけど全然怖くないしみっともない、醜い人間の性を揶揄してるのばかりでむしろ石燕のジョーク的な遊びに近い
やっぱり当時の人々にとって子供を除けば化け物なんかは恐ろしい対象ではなかったとわかる
そもそも不可思議に形を与えて不安や恐怖を無くそうとして作られたのが化け物なのだし
そうして残されたものなんかを水木しげるが漫画にして妖怪というコンテンツになった そもそも日本の宗教観からすりゃ怨霊や祟りの方が古くからあるものだしなあ
荒御魂だの和御魂だのというのがそうだ
天変地異や疫病や数多の悪いことを誰々の祟りや為政者への天罰と解釈して人心を安んじていたわけだ
これをしてオカルトと断じられてはたまらない
科学とは違うやり方だけど合理精神の賜物だよこういうのも 画図百鬼夜行って化け物の絵の中に石燕がジョークを入れてるんじゃなくて
石燕のジョークが画図百鬼夜行の化け物たち
100%ウケ狙い
そもそも解釈としての化け物は名前だけで姿なんてなかったのに
これ面白くない?ってインパクト重視で姿を作られた上に名前にちなんだダジャレまで描いてる
大元の百鬼夜行の絵巻に出てくる化け物だって付喪神的などう見ても実在じゃない奴らなのだし
怖いだろう、化け物だぞお、て意図で出されたのじゃなく笑って頂戴的なキャラ達だろ
江戸時代の人間はそんな物が実在すると信じる程馬鹿じゃないし
怖がるような絵なんて一つもないのだし よく言われる「零落した神」が由来のやつってそんなにいないんだろうな
天目一箇神ぐらいか 絵になってるものだけが妖怪ではないでしょ
>>424 >>426 はもっと総括的な意味で言及してるように思うけど 妖怪はエンターテインメントだよ
その中には解釈としての化け物だったり
大昔の怨霊や鬼も一緒くたに混ぜたりしたけど本来別物
絵になった妖怪は娯楽として江戸庶民に流行り
解釈としての化け物は共同体の変容の中で役目を奪われた
今の妖怪は水木しげるがそれらを拾って漫画として蘇らせたもの
漫画やアニメの中じゃ妖怪は恐怖の対象みたいに扱われたりするけど
過去に解釈として生まれた化け物は恐怖や不安をなくすために作られた存在であり怖さとは真逆
ホラーだろうがギャグだろうがエンターテインメントの材料なのは変わらない
いずれにしろ楽しくポジティブなものが妖怪 別に間違ってるとは言わないけど、ちょっと一面的過ぎ
妖怪の正体には、被差別民、身体障碍、精神障碍などネガティブなイメージを包括してる奴も沢山いる
例えば、頭髪の薄い人を『河童』とあだ名して揶揄する。あり得ないことじゃないですよね?
概念の用途として殊更不適切だとは思わない、まあからかってる側にとってはエンタメ利用でしょう
でもやられてる方はどうでしょうね。ただの悪口でしょ。ポジティブな印象は多分持たないよ
たんに妖怪を怖がってる人もいる。そういう人に妖怪は怖くないよエンタメだよと説得してもなかなか聞き入れてくれない
成立過程や文化論を解説しても無駄でしょう。啓蒙が成ればいいけど失敗したらハラスメントになるだけ
京極さんも妖怪の定義はできないっていってる訳だし、いろいろ複雑、娯楽性だけで処理できるような簡単なもんじゃない
一面的な見解じゃコンセンサスは得れないよ 京極小説で言えば河童とひょうすべの話から何を学んだの?って事になるよね
妖怪の成立過程だけに限っても一対一に対応したものなど無いとあれほど書かれていたのにw
もうNGにしたから読んでないけど
この人一度自分で思い込んだらそれ以外何も見えなくなってしまうようだね
妖怪は娯楽だというのは河童の話で言えば無数にある髪の毛の一本に過ぎないのですよ >>431
河童って色んなルーツがあって被差別民なんかも含まれてるのは間違いないけど、それだけじゃなく大陸の伝説やら宣教師やら
各地域の川で起きた事故なんかの解釈としての化け物とあれこれを結びつけた上に
やがて河童というキャラクターが生まれたとされてる
妖怪という言葉が示すのはそのキャラクターであり、
裏には差別などの日本文化のネガティブなものを秘めつつも
キャラクターの河童は愉快で絵本になるようなポジティブなもの
差別され虐げられた者たちの怨念といった扱いをすればホラーや心霊の分野にいくけど妖怪とはベクトルが違う
人が暮らしの中で抱き続けた負の部分が妖怪の背景にはなるものの、それを負のまま出したら妖怪にはならない
妖怪感度が低い現代の人には妖怪なんてそれこそホラーや心霊と変わりなくて
過去には妖怪=怖いってイメージが強かったのをそれは違うと作品に書き続けてきたのが京極夏彦だろう
妖怪とは先人たちがネガティブなものをポジティブに変えて生み出された日本の素敵な文化なのだと 宴の始末の、中盤で多々良先生と光保さんが揃って話をする場面で散々解説していたと思う >>434
顔面偏差値の低い人を『妖怪みたいな顔』っていうことがあるんだけど。これ普通悪口なんですよ
そういう文化が残存してる以上は民俗学的にいっても『妖怪』って言葉にはネガティブな意味『も』包括されてるんですよ
それとも妖怪感度の高い人にとっては『妖怪みたいな顔』は褒め言葉なのかな? 妖怪よりも宗教をテーマにして小説書いてる作家いませんか? 妖怪からすると、
「妖怪などいない」と思わせたほうがいいんだろうし、
仮にいることがバレても、「妖怪はいいもの、ポジティブなもの」と思われたいんだろうね 雨月物語の蛇性の婬かな(妖怪が「自分は妖怪じゃない」って無理矢理証明する 最終的にはバレる) フェリシモで安珍清姫モチーフのアクセが出ててワロタ 女性を評価するのに
「人形みたい」って言うと悪口になって
「お人形さんみたい」って言うと褒め言葉になるよね >>441
面白い指摘だね
日本語習い始めた外国人が聞いたら「え?何が違うん?」と混乱しそうだ
ちょっとだけ考察すると
「人形みたい」も「お人形さんみたい」も殆どの場合で対になって使われる文脈とセットで覚えられているからだろう
前者は外面は綺麗だけど感情に乏しい、意思や表現が無い、何も出来ない、などいう、負の要素を含んだ内面を言いたい時に使われる
後者は内面には言及せずもっぱら外面が整っていて可愛くて綺麗だという表現で使われる
言葉にするそれぞれ5文字と8文字だけどそれは氷山の一角で
水面下にもっと大きな情報量が隠れているって事だ
日本人はその文脈を承知しているから5文字と8文字でそれぞれ何を言いたいかが伝わるけど外国人にとっては最初わけが分からないだろうな >>436
妖怪って見た目は怖いというより馬鹿馬鹿しくて
美しいというより不細工じゃん
目に見えなくて不可解なものに対する不安や恐怖を
馬鹿馬鹿しくて不細工な姿にして矮小化する
つまりこれがネガティブな事象をポジティブに転化するということ
まあ、妖怪のような顔と形容する場合馬鹿馬鹿しくて不細工な顔って意味だろう
顔が怖いならそのまま怖いと言えばいいのだし
普通に考えれば言われて気持ちのいい評価ではないが
馬鹿馬鹿しくて不細工ってのは笑える顔だということでもある
言われた当人はまず傷つくから問題あるからネガティブな表現に違いないが
お笑い芸人だとしたらこれはネタになるわけで
「不細工で悲しいわ」と思うより「人を笑わせられる」と思えばポジティブになる
つまり馬鹿馬鹿しさを楽しむ心の余裕が妖怪感度
京極始め妖怪好きは馬鹿を好むのよ なんであれ
物事をネガティブに捉えれば辛いけど
ポジティブに捉えれば生きていきやすいもの
昔の日本人からしたら辛さや不安に別の名前や姿形を与えることで矮小化して
現実を強く生きる術としたのだろう
その術こそ妖怪 長々と書いてしまったのは
これって妖怪の話とちょっと似ていると思ったからだ
それこそ「宴」の河童とひょうすべの話で触れられていたと思うけど
名と造型を与えられキャラクターとして成立した妖怪だけを見て水面下の文脈を読み解く力が無くなってしまうと本質を見誤る
「人形みたい」と「お人形さんみたい」の隠れた文脈が分からなくなってしまうと
河童とひょうすべは同じでしょう?と質問してしまうことになる 妖怪を単に恐ろしいものと捉えた場合心霊やオカルトと同じで
「存在しないものに怯えるなんてくだらない」として否定されてしまう
でも妖怪ってのは存在せず手が出せない恐ろしいものを「ある」として馬鹿馬鹿しく滑稽な姿にすることで
現実の辛さや苦しさを乗り越えてきた先人たちの智慧なんだとすることで
単に過去の迷信ではない、素晴らしく豊かな文化だとして未来に残り
しかも漫画やアニメゲームとなって受け継がれていく
つまり我々は過去の人々の生きる智慧から学ぶことができるということ
それが柳田國男が記録として保存し民俗学として日本人に説いたことだろう ざけんなよ「アクロイド殺し」で検索したら思いっきりネタバレされちまったよ
ネタバレ禁止の法律作ってくれよ 妖怪シリーズの短篇集で風とか雲とかあったけど面白い?
この前鬼河童天狗と読んだからそれよりは面白ければ今更だけど読んでみようかなと >>448
天狗かっぱなど足元にも及ばない面白さだぞ >>450
豆腐小僧や虚言少年、オジいサン、南極あたりの京極小説が好きで
平山夢明とやってたラジオ聴いてたのなら凄く面白く読める
百鬼夜行や巷説みたいなのが読みたいなら期待外れだと思うよ長いし この間のティーンの前で語るやつをYouTubeで見たんだが、京極の語り方がちょっと
気持ち悪いなと思ってしまった。
子供をだましてる悪人みたいだ。 >>450
怪、幽あたりの作家なんか少し知ってると面白い >>452
いい大人なのに、俺あの本買ってしまったよ 自分でも言ってたけど、胡散臭えよな
わざとらしく声色や声の強弱変えてるのがまた小賢しい
しかも最低限の自己管理もできてないデブの言うことだし
子供には反面教師にしかならないんじゃないか >>455
なんでそんなになっちのことが嫌いなの? 自分も似たような疑問ずっと抱いてた
作品さえ良ければ作家自身の容姿や声なんてどうでもよくないか
不摂生が原因で体調を崩して新刊無期限延期や連載落としまくりなら話は別だが 俺も同じ感覚だ
作家個人のパーソナリティなんて気にしたことが無い
妖怪研究と水木さん関係以外の京極夏彦は俺にとってはどうでもいい
でも作家をスター視するのは珍しい事でもないし
京極はかなりメディアに露出してキャラクターを売ってる人でもあるからまあ分からないでもない 文豪ストレイ……なんとかでも出てるし、仕方ないよな(えーと、羊じゃ無くて猫じゃ無くて……) 前スレ荒らしてた奴じゃ無いの
見かけたら即NGにしてるが 個人的には作家個人を気にするだけ損だと思うけどな
作家に左右されて本の面白さが純粋に楽しめないのってすごく損してる気分になる
まああんまり作者の顔が透けて見えると萎える事も多いけども わざわざ表に出るタイプなんだから
ある程度言われても仕方ないと思う
岩井志麻子といえばアレだし
楳図かずおといえばアレ ツイッターで学歴差別発言をした古野まほろだけは絶対読まない >>459
これ名前だけは聞いたことあったけどググって初めて内容を知ったわ
実にくだらなくてバカバカしい(褒め言葉)発想だなw
異能力「ドグラ・マグラ」だの「人間失格」だの
富樫のマンガあたりが直接の源流っぽいが 和服に指ぬきグローブというアイコンもあるしなあ
わざわざ自分でイメージ作ってる まあ京極が常に自然体の人かって言われると違う気がするな
常に理論武装して外殻作ってる気がする。
でもそういうイメージを周囲が抱く事を自覚している感じはする。そしてそれを面白がってそう
故にこうやって「京極はこういう人」と俺達が語ろうとする事もなっちーの掌の上なのだ…
個人的には「しゃらくせえ」という言葉が一番似合う 京極夏彦自身が作家のパーソナリティに興味を寄せる人物だしね。
ていうか、文学部で作品研究・作家研究するのに普通にやってることだし。 妖怪って、時の権力者が作る正史には含まれない、民俗情報が含まれてることが結構多いよね
時代の変化によるもの、権力闘争による変化、正史に含まれない個人に至るまでの情報を理屈に合うように
整理したいという願望があるように感じる どういうこと?具体的には?
歴史って別に民族情報をフォローするためのものじゃないぞ
化け物や怨霊の類は古代の正史には普通に出てくるし
正史に対置されるのは稗史、偽史の類だろう
義経がチンギス・ハンになったとか明智光秀は天海だみたいなやつ 歴史に残らない大衆の生活史や風俗があるって事は理解出来るが
そこにあえて正史と対立して妖怪を絡める意図は良く分からないな
サンカが山爺であるみたいな例はあると思うが大上段に言うほど特別なもんでは無かろうとしか >>472
そう言われると自分の解釈が大仰だったかなあとも思う
ただ、そういう民俗文化や史料というのは好きで調べないとあまり巡り合わないんで、それらを
調べるきっかけを作ってくれるから妖怪は面白いなあと いや俺が正史っていう言葉に過剰に反応しただけだから
正史に残るものの方が少ないやろって考えてたからさ >>452
今昔百鬼拾遺の天狗読んでるんだが、
登場人物にこの動画で語ってることそのまんま、語らせてるのな
面白いからいいけど
ちなみに、榎木津が結婚式めちゃめちゃにしたミヤコね 17才講座で語ってることの8割は小説で書いてることだしな
そもそも京極は同じことを何度も繰り返し小説で説いてる 占星術殺人事件を読んだら、御手洗潔が鬱病でびっくり。
関口も探偵役になる素質、ワンチャンありますかね? >>476
本の収納の話もいろんなインタビューで話してる事だね 榎木津や京極堂が濃すぎるから目立たないだけで関口もほかの作品なら探偵役ぐらい務まりそう 勘違い2割
間違い2割
嘘1割
思い込み5割
だったか 教養人だしエリートでもあるけど探偵役はどうかな
ワトソンとしても頼りないくらいだし >>481
俺はこれに近い
京極堂みたいな友人はいないけど能天気だから鬱病にならなかった 講演会、今日だった。
明日と思い違いして、当選してたのに行きそびれた。
関くんのせいだ。 >>483
そりゃ最初から鬱の素地がないんだよ
関口の病気だって京極堂のおかげでどうにかなってるわけじゃない
京極堂は関口があっち側に行きそうになったとき襟首掴んで強引に引き戻すだけ
御手洗は双極性だから榎木津みたいな躁モードもある
御手洗の鬱が抜け出して石岡に合体したのが関口 巷説百物語に戎色の袖なしって出てくるんだけど
戎色ってどんな色? そんな色あるの えびす色とググったが「裏葉色」しか何故か出てこなかったぞ
なお戎色でぐぐると怪しい中国語サイトがトップに来る 気になってきちゃったじゃないか
えびす色って何色だよ
グーグル先生に聞いたが戎色やえびす色で該当するものはなかったぞ
>>490
中国語サイトは晋書の王戎伝という文献の一節がヒットするからだろう >>488
もちろんググってみたけど >>490 と同じくよくわからんかったのです
恵比寿色でも調べたけどやっぱわからん
>>492
京極せんせのことだからなんか典拠がありそうな気がするんだけど、なんでしょね >>487
自分は鳶色を誤植したんじゃないのかなあと思ってたけど ちなみに晋書・王戎伝の一節はえびす色とは全く関係無かったよ
「戎色不ス」、---王戎は喜ばなかった---という文章があるだけだから 昨日から「鉄鼠の檻」読み始めたけど面白いね。
厚いので敬遠してたけど読み始めて良かった。 >>494
んー多分それはない思う。えびすって確りルビも振ってあるし
全文が、『大黒頭巾を被り、戎色の袖なしに筒袴を穿いている』なので
大黒頭巾と戎色はセットで表現してるんじゃないかな
ちなみに読んでるのは中央公論社のノベルスで、ハードカバーと文庫がどうなってるのかは知らんです 京極未経験なんだけど
女郎蜘蛛のやつっていきなり読み始めても大丈夫?
続きものだったり前提知識が必要だったりする? 姑獲鳥の夏だけでも先に読むことをオススメするが必須というわけではないよ
京極堂シリーズは全部同じ世界で起こってる出来事ではあるけど
続きものとして読む事を読者に要求してはいない
前作を知ってた方がすんなり読めるし一部ピンとこない箇所
が出てくるかも知れないけど本質的なことではないよ >>501
キャラ小説としての楽しみ方もあるので、そういう意味では姑獲鳥の夏から順に読んだ方が楽しめるよ 塗仏の宴だけは先に読まない方がいいと思うけどねw
あれは結構なネタバレが入ってるしキャラ総登場だから所見だと訳が分からなくなる ためしに読んでみてよくわからないキャラが出てきて気になったら順番に読んでみるとか 姑獲鳥の夏から鉄鼠の檻まで、簡単に「先に読んだ方がいいよ」とは言えないページ数だけど
俺は最初から順番に読んで本当によかったと思っています ページ数は多いけど文字数は大したことない
リーダビリティも高いし、そんな敷居の高い作家じゃないよ
しかしなぜ絡新婦から読もうと思ったのか
一作目の姑獲鳥か、メディアミックスの多い魍魎からってのが普通では どのくらい続き物かって尺度で言えば普通の本格ミステリ程度じゃないかな
例えばシャーロック・ホームズや御手洗潔のシリーズを途中から読んでもさして問題は無い
でも一部過去にあった出来事を下敷きにした設定があったり「かの事件の折に知り合った〇〇という人物が〜」とかいう描写が出てくる
そういうのを遡って読むのも面白いと思うけどね 塗仏読んでて雑司ヶ谷事件が一年前ってあるとびっくりする
そんだけしか時間たってないのかよと 後巷説久しぶりに読み返したけど
なんというか、BLだなあと思った
京極読むようになって長いけどそんな風に思ったのは初めてで驚いた
百介が過ぎ去りし日の又市との蜜月を回想する体裁だからか
しかも長い時を超えて再び通じ合うのがメロロマンス的な
巷説シリーズで一番好きなのは後巷説だけど
キャラ小説として読む腐の皆さんは大興奮だったのだろうなあと すげーな
京極堂シリーズならまだしも巷説をBLと読むことが出来るんだw
考えもしなかったわw
腐の方々のイマジネーションの豊かさに結構本気で感心する
百×又か又×百かで争ったりするのか? >>512
京極って雑に言うならBLもGLも読めるし書けるタイプの人間だと思うけどな
腐とか百合豚ほどの熱量はないが、「物語のネタとして書けますよ」みたいなライトな感じ
まあ江戸時代とか男はバイなのザラでそう言う創作物もあったの知ってるし読んでるだろうなぁと勝手に想像してる
京極作品の中で明確なBLが出てくるのって知ってる中では、覗き小平次、前巷説百物語、鉄鼠の檻ぐらいか?
明確なGL作品は知らないが、そういう匂いのする奴だと絡新婦の理とか魍魎の匣かなぁ 妖怪シリーズは別にナンバリングされてるわけでもなければ、
ぱっと見シリーズと分かるようなタイトルもないし、
たまたま手に取ったものから読むって人も少なくないんじゃないかな 後巷説だけが特別だと思うな
巷説って作品ごとに全部話のつくりが別だし
人は老いると昔のことことはなんでも愛おしくなるものだし
後巷説だと又市はチョイ役のように出番減った分一つ一つが濃くなってる
百介も又市もお互いを案じて行動してるし
腐女子じゃないからか百鬼夜行をBLと感じたことないなあ
別にキャラ小説として読まないからかな 後巷説は一言でいうと「しんみり」という読後感だった
悲しいでも寂しいでもない
エンターテイメントとしても面白いし民話的な趣もあるしキャラも立ってる
そういのが全部「しんみり」に包み込まれるのがいい >しかしなぜ絡新婦から読もうと思ったのか
>一作目の姑獲鳥か、メディアミックスの多い魍魎からってのが普通では
探偵役や視点キャラクターなどが
超知能犯に掌で踊らされていたというオチが好き
読者視点では自然・当然だと思われていた行動が
実はすべてその知能犯に仕向けられたもので
最後に犯人がどのようにして影で全員の行動を操っていたか
伏線回収とともに明らかになるそんな話が読みたい
と幾つかのスレで発言したところ複数人に絡新婦を勧められた
他にも似たような話知ってる人居たら教えてほしい いきなり絡新婦読んでも平気じゃないかな?
探偵役やらレギュラー陣が気になったら遡って読むかwiki見たらええやん >>518
なるほど、それなら山田風太郎もお薦めかな
太陽黒点や明治断頭台なんかはそういうテーマの傑作だよ
絡新婦も山風のオマージュ作品だし >>514
テクニカルな作家だよね。
どうなるかわかってて仕込んでる。と前から思ってる。 上手いんだけど切ないねぇ。
座布団を
一枚あげる
一枚はずす
全部持ってく
どうすりゃいいんだい。 京極ってアナログゲームよくやってるよね。
TVゲー下手なのに、こっちは合ったのだろうか? 今の首相を論じた京極の小説ってないかな?と知人に訊いたら、虚実百物語にあった
よ、と聞いたのですが、3巻もあるので、どれに載ってるか教えてクダサイ<(_ _)> >>527
昨今のコロナ関連の情勢?
危機管理の話かな
虚実なら破の20章
今昔百鬼拾遺の天狗の100ページあたり
ルー=ガルー2の52章でも同じこと書いてる
「大事なのは安全管理ではなく危機管理」
「最悪のケースに備えるべき」
てなことは東日本大震災直後からよく話してたし書き続けてた あとヒトごろしの終盤
勝と土方による幕府と函館政府への批判も
今にこの国に通じるものだと思う
面子やら旧弊に拘って後手に回ったり下手打ったり
結局は要らぬ人死を増やしただなんてのは正に そういうのは別に今に限ったことじゃないでしょ
普遍的すぎることって実際には何も言ってないに等しいと思う
今みたいなパニックやヒステリーの主体は個人だけじゃない
国だって揺らいでるときに、落ち着いて最善手だけ打つなんて絶対に不可能
勿論、だからって個人が蔑ろにされていいわけじゃないけど 昔は政治が頂点でその下に経済があったが(中露みたいな独裁国家は今もそうだが)
民主主義社会は経済が頂点でその下に政治があるからな
「大事なのは経済ではなく生命の管理」
「経済にこだわって後手にまわったり下手打ったり」
こういう読み替えが必要だね ありがとう!見てみます。
しかし安倍さんは無能すぎると思うけどね。
コロナ対策会議に10分ぐらいしか出ず、あとは新聞社と会食(!)に3時間とか。
国会でヤジ飛ばす首相なんて初だし。メシ友のマスコミは立派な人物に描いてきたけど、今回
ので世界から批判されて、7年間応援してきた百田や高須にも見限られちゃったね。 毎日TBSのニュース番組見て刷り込まれてそうな感じだけど、すべてを疑うことを忘れちゃダメだよ とりあえず
当該箇所を挙げたのだから読んでみて欲しいな 悪いんだが
教養雑学としての政治一般論ならともかく
現実の政権批判がしたいなら他所でやってくれないかね?
不特定多数の居る場所で政治・宗教・病気の話はしない
どこで敵を作るか分からないし揉めるだけだからだ その主張がしたかった&京極の言葉を借りて政権批判したいから最初の質問をしたんだろ
最初の質問から異臭半端なかったのにスルーできなかった俺達の負け うーん
>>528-529の
書き方も悪かったかなあ
京極は「へっ、そんな一般論w」とか思わせずに書くのが凄いと思ってて
「安全管理とは」「危機管理とは」
「何故最悪のケースを想定するとは」を述べてるから読んで
みたいに書けばよかったのかな
まあ作家スレだし政治云々よりも
ただ京極の小説を読んで欲しいというだけ
面白いから まぁ政治ってどうしても勝ち負けが有るからなぁ
勝ち負けがない政治なんて世の中にないでしょ
明治維新は薩長の勝ちと言えるかは微妙なとこだけど(勝海舟が落とし所を考えたから) 今回の問題は、真っ先に国境閉じてたら
「観光地は閑古鳥でー国民の生活がー」とそっち系の人が騒いでたんだろうなあと思うと
今の大騒ぎも醒めた目で見てしまうのがね >>518
>探偵役や視点キャラクターなどが
>超知能犯に掌で踊らされていたというオチが好き
「鉄鼠の檻」もそうじゃないかと思う。
超知能犯は実行犯に、
「○○様は、豁然大悟なされました」
と囁いて、実行犯に殺人を実行させた。
もちろん、実行犯が悟りを開いた者に対して嫉妬心を持っていて、
そう言えば、人を殺めることを十分に計算した上でね。
で最後に超知能犯は、実行犯に
「円覚丹様は豁然大悟なされました」
と言って、円覚丹を殺させようとした。
葬儀が終わったので、実行犯が本堂に行ってみると
そこでは古本屋が憑き物落とし大会をやっていたw ほれネタバレじゃないんか
楽しみを奪っているような気がするが 鉄鼠のその解釈も的外れだしネタバレはするしどうしようもないね >>542
キャラデザがCLAMPなのでそこは好みが分かれる
話の筋やウンチクはかなり再現してくれてるので(アニオリもあったかも)、俺は楽しく観たよ 魍魎のアニメは凄く頑張ってるという印象
原作が好きな人があれを見て不愉快になることは無いんじゃないかな
ただあのアニメで魍魎の匣のお話に初めて触れる人があれで理解出来るのか付いてこれるのかなという懸念はある
そこいらへんは原作既読の俺にはもう分からないところなんだが 魍魎のアニメは中国のアニメファンをミステリに引きずり込んだらしいね
陸秋槎がインタビューでそんなことを言ってました 百鬼夜行なら、普通に地上波で連ドラでいけるんじゃない? そもそもいけると思ったらとっくに飛びついてるやろ・・・ ここ何年かずっといるでしょ
平気でネタバレしてる上にクソつまらん解釈をドヤ顔で書き込む奴
鉄鼠だけじゃなくてたぶん他の作品でも似たようなことしてると思う
やっぱ京極作品はキチガイを呼び寄せやすいんだろうな 鉄鼠の檻は京極堂シリーズの中でも屈指の駄作だと思っているので
語ることすらくだらないと思います
京極堂シリーズは狂骨まででよかったです後半のシリーズは単なる
ファンブックです なんで、こんな感じなんだろうねこの作家、
色々、自分が悪いんじゃん キャラクターもの分かっているって、いう雰囲気醸し出しているけど、
キャラデザとか優劣感覚酷いし、ひどい不公平作家だよ
主人公になれないって、なげいている子を助けてよ オジいサンの文庫版がジワジワ売れてるそうな
宮部先生の煽り文のおかげだな
これなら続編あるかも はこの中身が面白おじさんだったら
あんなことにはならなかったのに 緊急入院した知人へ、書棚から適当に見繕って差し入れた中に
死ねばいいのに 理不尽で無節操で無神経な世の中にいて
京極の小説読むと心が洗われる
これが憑物落としか 理不尽で無節操で無神経な世の中だと思ってたけど
自分がそう思い込んでただけだったってこと?
「一度自分をあやしんで」ってやつかな? 物事を一度バラバラにして自分の都合のいいように組み立てればいい 結構ティーンエイジャー読者多いのかな
思い込み強そうな人いたりポエミーな人いたり 中禅寺の経歴じゃないが憑き物落としのやり方って洗脳そのものだもんね
自我の枠組みを解体して再構成することで憑き物が落とせるなら
自分にとっての世界の在りようを解体して思うままに再構成することも出来るだろう
貴方が変われば世界が変わるってやつだ
憑き物落としのシーンって自己啓発セミナーとか参考にしてるのかな?
あの当時だとそういのの実態がかなりルポになったりしてたよね 自己啓発セミナーじゃ事件の真相は解明できない
憑物落としなんて言ってるのはただのハッタリだよ
多少芝居がかってるだけで実際は他の名探偵と同じことしかやってない
まあ名探偵に都合のいい真実を押し付けてるとは言えるかも知れない
だから名探偵ってのはよく神に擬せられるわけだけど
セミナーというよりは単に宗教的儀式でしょ
それが洗脳に見えるなら戦後日本的な宗教アレルギーがすぎる ええ・・・?
何言ってんの?
中禅寺のやりようが洗脳に使えるってのは作中で語られてることなのにw
いつものキチガイかなこの的外れな粘着質は 戦後日本に宗教アレルギーなんかない
オウム以来だろ 洗脳って言うか教育って言うか
洗脳と教育の線引きも難しいとこだけど 洗脳という言葉を重たくネガティブに捉えすぎなんだよな
学校教育やマナーのような公衆道徳だってある種の洗脳だし
社会全体の利益というバックボーンがあるからそういった洗脳はむしろ推奨されてるだけで >>567を説明
主義や体面で正論が潰される理不尽さ
それはそれ、あの時はあの時と手の平返す無節操さ
他人を平気で蔑み叩ける無神経さ
そして夢とか愛とか美しくポエミーな言葉で幻を見せる世の中に対して
柔軟な思考と巧みな話術で理の正しさを説き、
日常と非日常、過去と現代を分けず理を一貫させ
不当な差別や暴力を決して許さない
そして醜くてユーモアのあるお化けを使って現実を見せる京極
だから京極読んでると安心できるし
読んだあと憑物が落ちた気になる、ということ >>577
中禅寺TUEEEEでスッキリしてるだけだよ多分
中禅寺のやってることはそれはそれ、これはこれに理屈をつけて
曲論で正論を潰してるだけだもの
それを聞かされてる者が「うんうん」と頷いてスッキリしてるからイイハナシダナーとして成立してるだけ 中禅寺の言うことなど胡散臭いことばかりだろう
真に受ける人たちがいるとは
娯楽小説として楽しければいい、でしょ
そこまで深いものじゃないよ 基本的に論破されて倒されてくれる雑魚ばっかだからな
異世界物とそう変わらん 信濃の南朝の末裔の酒屋とかはもうちょい反論できただろうけど(何十年もそれで生きてきたんだし)
その前段階で心が割りと折れてたからかあっさり落ちちゃったな もう少し足掻いて欲しかった
逆に全然落ちない美馬坂 そういえば、でしょさん最近見かけないね
アノ口の大きくて歪んだ化物みたいな人も好きみたいだけど >>578
百鬼夜行シリーズは昔何度も読んでたけど
今では読み返すのがダルくて大分開いてない
蘊蓄は面倒臭いしストーリーは全部頭に入ってるし
キャラ目当てで読まないし
読み返すのは最近のが多いからなあ 俺は>>577と似たような感想持ってるよ
別に京極夏彦や中禅寺明彦を崇めてるわけでないし、娯楽作品として楽しんでもいるけどね
それより、洗脳と教育は全然違うぞ
教育はただの刷り込み、教育方針の基底としての国家観や宗教観はあれど、刷り込み
洗脳は既存概念の破壊というプロセスがあるから、全然違う >>584
もっというと「洗脳」と「マインドコントロール」も違う
絡新婦で京極堂が理想的な洗脳を語るパートがあるけど
あれは今日的な意味ではマインドコントロールであって洗脳の定義とは違う なんだか下らない話で荒らしてしまったようで申し訳ない
洗脳がどうこうなんて書いた俺が悪かったよ 自分、実は一時期井沢元彦にはまってたんだけど、余りにも言霊と穢れで日本を解釈
しすぎなので、気持ち悪くなっちゃって。
京極夏彦はそこから出るきっかけになったよ。
作家じゃなくて、学者の書籍を読むようになったし。 明治維新の尊皇攘夷運動がそのまま続いちゃったのが先の大戦の遠因、みたいな事はどっかで言ってた気がする ところで、映画の姑獲鳥の夏、どうかしらね
表紙が美しいじゃないの…
まだ見ていないのだけれども、どうかしらね コロナを妖怪で語れないかなぁ…と思ったけど、怨霊の方が近いか?
国に祟ってるよな。 深刻な疫病だという呪と杞憂に過ぎぬという呪の掛け合い 化物…
俺も私も化物…みんなゆがんでみにくい化物なんだよ…。
と云いたかっただけです。 なっちは、詩とか書かないのか?
もっと年を取ってから、エッセイとか書きだすかな?自伝とか…
そういう随筆みたいなの、期待しているよ。
あ、おジイさんがそうか。
今度、読んでみるよ。
無理がなかったら なんでも、政治家は、偽治世者が現れると、
国に天罰で厄災が起こると本気で信じているらしいけど、
そういう考え方おもしろいよな
なんでも、政治家は、占い好きみたいだし、(芸能人もだけど)
なっちのいう所だと、そういう厄災は、加藤がそうなのかね…
じゃあコロナは… 安倍がコロナにかかれば良い。
オリンピックを開くために、感染者を隔離するのではなく、「検査しないこと」で感染者がいない
事にする隠蔽作戦を行っている。
京極がTwitterで柄にもなく投票を呼び掛けていたのは、安倍のやばさに気づいてたんだろうな。 >>597
エッセイは書きませんってなんかのインタビューで答えてた記憶がある >>599
こういう奴がいるから反安倍がパヨクってバカにされるんだよな
現実が間々ならないからって陰謀論に落ちたらネトウヨや在特会と同じだぞ
>>600
エッセイを避けてるというか、あんまり自分語り自体しない感じだね
どういう家庭で育ったとか、どんな子供時代だったとか
インタビューや講演が多いわりにそれほどプライベートを明かさない >>601
単発でわざわざ危なげなレスに両方触れるあたり
いつもの自演荒らしかな? >>602
うるさい
>>600>>601
そうなんだ〜エッセイはプライベート保持のために書かないんだね
ありがとう!
さすが影で暗躍する作家なだけある 虚談でほんのちょっとだけ私小説っぽい風のナニカは一応書いてはいた
全部丸っきり全てが嘘だけど(デザイナーの仕事しててさっさと結婚して今は小説書いてる、ぐらいしか現実に即してない) >>604
嘘じゃあ、アレだねえ…でも、虚談はちょっと読んだ気がする
内容覚えてない…もうちょっと印象に強い物語書いてくれればいいんだけど… 100円でだいたい揃えたけど分厚すぎて読む気が起きない
これから読めば挫折せずに最後まで読める面白いの教えて 再読したけど百鬼拾遺の鬼好きだわ
京極の小説って一度目より二度目読んだ時の方が面白かったりする
一度目はストーリーや謎追うのに夢中で途中の理屈や蘊蓄は読み流しちゃうんだけど
全部わかってから読み直すと理路整然とした理屈や感情、一行一行の伏線まで拾えて
作者の意図までわかった気になる >>607
好みがわからんからなんとも言えない
姑獲鳥の夏読んで合わなかったら売ればいいよ >>609
細かいことだけど、一行一行の伏線って何?
伏線ってそんなやたらとあるもんじゃないでしょ
最近みんな伏線って言葉使いたがるけど、何か使い方ズレてんだよな
京極はフェアプレイの本格じゃないし、伏線の張り方は上手くない
姑獲鳥でも、関口の認識がおかしいって伏線が「ないはずの色が見える」ってのだし
本筋のトリックと何の関係もないし、むしろ逆っていう >>611
ミステリ的な伏線じゃあないな
そもそも京極をミステリ小説として読むのはアレなの多いひ
鬼なんて正直謎解きミステリとしちゃ下の下
陰摩羅鬼と一緒で途中まで読んでたら読者は先に真相に辿りつくよ
終盤の長々とした謎解きなんか邪魔にすら思える
そういうのとは別に
主題の伏線というか、最後の方で
なるほど、これが言いたかったのかと胸に落ちてくるワードとかのこと
あれこれ繰り返し散りばめられていたのが収束していく快感が好き
凌雲閣とか最後に効いてくるだろう >>611
>本筋のトリックと何の関係もないし
あるよ
⚪️⚪️が見えなかった理由の心理的バイアスに関わる伏線も兼ねてるんだから
たんに君が関連付けて読んでないだけだな 普通そこまで、深読みしてよむかね(;^ω^)
気味悪いそこまで傾倒するの…
個人個人で、解釈だの結果だのは楽しめばいいじゃない 悪い…
傾倒して読むの面白いよね
ただ、京極の本は、中の人ネタだからねー…
同人界の2、5次元、ナマモノジャンルと変わらなくて、危ないことしてんのに、
本人、いけしゃあしゃあと中の人ネタで、突き進んでるよ
本人、これでいいと思ってるのかね >>611
だからなに?
それが確かめられたところで、なんの問題もないのに揚げ足取りではないかね、君 なっちって、幽霊はいないんですけどね
ってよく言ってたけど、
講演会でまだ言ってるかなあ?
幽霊はいる気がする…んですけど
姑獲鳥で、関口が巻物に赤い経血が流れ出して見えた幻
みたいなものを見ているけど、
これは、ちょっと取り憑かれている可能性がある
みえそうで見えない
が常人で、
見えてしまったら、
それは…ちょっと憑かれている
可能性がある
まあ、創作なんだけど、うるさいことを申した >>623
どう解釈するも何も、水木しげるの体験した現象の解釈が塗り壁というだけ
水木しげるがジャングルでの逃避行中、一歩も前に進めなくなって、「これが塗り壁か」と思った
その解釈こそが塗り壁であり、妖怪であるという話だろう
そこから鬼太郎に出てくる塗り壁が生まれたのだし >>623
それは「わからない」じゃないかな
京極さんは恣意的な解釈を批判してるだけで、どんな現象も起こるときは起こると考えてるはずなので
水木さんの内的事情に由来する錯覚なのか、物理現象なのかの判断はできない。推測はできても確定はできない
よって「わからない」と判断されるはず 不眠不休飲まず食わずで逃げまわってたら動けなくなるのは当然だし
目の前に何か障害があったのに気付かないほど疲弊してただけかも知れん
実際気絶するように眠ったら進めるようになったわけで
どうあれ生理現象やら錯覚で説明つく話
なんら不思議でもない
しかしどうあれ古くから目の前に壁があるように進めなくなるような体験を、
塗り壁に遭うといってたのは事実
だから水木しげるがそう解釈したのは正しい >>625
分からないものは分からないとしておくのがいいんだ、みたいな事を中禅寺に言わせてたね >>627
わからない事をわかった気でいるから
想定外の現象が起きたときに信じられない、不思議だと言い出す
しかしそれはただの思考停止に過ぎなくて
この世の全ては起こりうるべくして起きているのだから
現実に起きたことを不思議だと言うのはただの無知な者の傲り
原因がわからなければわからないと素直に受け止めてから調べ考えるべきだという話
科学的思考を持つ現代の我々には既に不要となった解釈を昔の人々は用いて不思議を無くしていたわけで
その不要となったモノどもを「妖怪」として蘇らせたのが水木しげる 塗壁は榎木津の能力ほど判断が難しいものじゃない
普通の人間でもあり得る現象だろうし、判断停止で棚上げするほどでもない
断言はしないだろうけどね
妖怪は見えるし感じることもできるが、存在はしないってのが京極の定義
水木の体験とは別に矛盾しないし対立もしないよ
>>628
科学的思考じゃなくて近代的迷信だな
昔の人が妖怪や神で済ませてたことを、別のもので理解した気になってるだけ
構造は同じだからそこに水木的な「妖怪」が入り込む余地もあった >>630
幽霊は見えるが存在しない、は姑獲鳥の中禅寺の台詞だな
錯覚にしろ幻視にしろ見間違いにしろ、「いるはずのない場所でいないはずの人を見る」ことを「幽霊を見る」という
だが当然いないのはいないし、いたのなら実際いた、
それだけの話
つまり幽霊とは存在しないものの解釈であり、
存在したのなら幽霊とは言わない
これが「幽霊は見えるが存在しない」の意味
妖怪が見えるなんて馬鹿なことは京極は絶対言わんし
水木しげるの言う「妖怪は気配を感じるもの」だって
そんな意味ではなかろうさ 科学的思考を近代的迷信(?)と否定するならもう前近代の人間以下だろ
江戸時代の人間だって塗り壁なんてものが実際いるなんて信じちゃいなかったのだし
そもそも化け物が現象の解釈として有効だった時代、
化け物に姿はないし当然見ることなんてできない
それに姿を与えたのは水木しげるだよ
それ以前の妖怪画は古典などを題材にしたものだったり
鳥山石燕の駄洒落のように創作されたものばかり しかし人間に化けた化け物=妖怪どもが科学を作って人間を騙してるかも知れんだろ
「不思議なことはない」と小説中で盛んに主張している京極もその仲間なんだよ >>632
全ての人が現代科学の隅から隅まで知り尽くしてるならともかく、
自分の頭では良く分からないけどエロい人がそう言ってるからそうなんだろう
ってレベルの人の方が大多数なわけで。
そのレベルではエロい坊さんが妖怪の仕業だと言ってるからそうなんだろう
ってのと大して変わらんって話じゃねーの? >>634
科学を隅から隅まで知らなくたって義務教育受けてれば
科学的思考はするよね普通
そのために学校行くのだし
まあ普通そうでもお化けいるとか思っちゃう残念な人が多いのも事実だろう
あとお坊さんはお化けなぞ語らんよ
偉ければなおさら
昔の人になって考えて欲しいのだけど
「こんな信じられないことがあった」
「それは〇〇という化け物じゃ」
と伝えられたとして見えもしない、無茶苦茶な存在をいい大人が信じるかね?
信じないよ普通に生活して頭があって考えられるならさ
同じ文化をわかつ共同体でのみ有効な解釈であるけど外に出れば当然無効
「野暮と化け物は箱根から先」ですよ ゲゲゲがもう終わってしまうのでかなしい。
なっちもかなしいだろう? >>631
評論やインタビュー読む限り、京極堂の考えと京極の考えは一緒
存在しないことと、見えることや触れられることは矛盾しないよ
主観的な問題をどう解釈するかは本人の問題でしかない
本人が見えるって言うなら、そこに客観的判断や共同主観が入り込む余地はない
人間の認識のメカニズムなんて近代も前近代も変わらないんだよ
スイッチを押せばテレビが点くって知ってるけど、なぜかは完全に理解してないでしょ
現代人はそこに科学を当てはめ、昔の人は神仏や妖怪を当てはめたってだけ 水子の霊だって本来無いだろう
子ども亡くしたのにお経あげて貰えない母親を救う為に祐天さんがひり出した方便
まあ、水子の霊はお化けでは無いが、方便として妖怪を利用した坊さんがいても別に不思議では無い まーた議論やってんのか
みんなお出かけ自粛で暇なのか >>637
科学的事実を否定しても本人の問題といえばそうだが
それでも人として恥ずかしいと思うわ
許されるのは精々小学校低学年まで
京極は妖怪をドーナツの真ん中に例えてるな
周りには過去の人々な風俗や信仰、文化があるけど
その中心部は空洞で何もない
水木しげるはドーナツの真ん中をポンと見せたのだと 言い忘れてたけど、妖怪に姿を与えたのは水木が最初じゃないからね
現象(コト)を妖怪(モノ)化したものは画図百鬼夜行や絵本百物語にもある
ただ江戸時代って、妖怪はもうほぼ諧謔の世界にしか生きてなかったのは確か
河童なんかは当時は歴とした生物学上の分類だったし
怪奇現象は現代のオカルトと同じように霊の仕業にされていたらしい 実は神も悪魔も妖怪もいるんだよ
みんなは嘘つき科学者に騙されてる
大地が球形であるというのも、実際に自分が確かめて確認したわけじゃないでしょ
光速度不変の原理や重力波も自分で実験に参加して確かめたわけじゃない
君たちの科学への信頼は無根拠なんだよ
結局、科学者集団を盲信しているだけで、司祭集団を盲信していた人々と変わらない
知識の根拠は実は脆弱な信念体系なんだよ
ちょっとしたことで脆くも崩れる
たとえば妖怪が目の前に現れたら、科学信奉者もすぐに改心するでしょ
「この世に不思議なことは何もない」「その根拠は?」 自分の目で見て確認しないといけないとか科学全否定やん >>643
じゃあ君は自分の目で確かめてもいないものをなぜ信じるのか >>644
だからそれが科学だろ
実物の三角形を見なくても三平方の定理は証明できるだろ >>645
理屈の上で正しくても、現実とあっているかはわからないだろう
そのために実験が必要なんであって
相対性理論なんかも理屈の上で正しいが、本当かどうかは検証した科学者の主張を信じるしかない
もし実験にアクセスできなければ、相手が嘘つきではないと信用することしかできない
その程度の根拠しかない >>646
何トンチンカンな事言ってるんだ
知識がどういう風に積み重ねられてきて科学として成立してるかを知らないから、そんな的外れな事を言ってしまうんだ それで、科学に疑問を呈しながら科学の産物である言語をこうやって疑いもせず使用するのはなぜ?
結局、自分に都合のいいようにアレはダメ、コレはOKと選択して悦に入ってるだけの概念オバケやん >>647
「知識がどういうふうに積み上げられているか」は理屈としての正しさにすぎない
最後には検証が必要
つまり自分の目で見て確かめることだよ
それを怠っている以上は科学者集団を盲信しているだけでしょ
たとえば大地が球形であるというのは明らかに嘘だよ
>>648
言語は科学の産物ではなく逆です
科学が言語の産物です 誰かと会話したくてわざと逆張りしてる感アリアリでキツい >>649
なら逆に訊くが、自分の目で見て確認したことが事実であるという根拠はなんだ?
君個人の感覚が現実ソノモノを正確に認知できているという根拠は?
真に理性的でありたいなら何も信じてはいけませんよ。というのが京極イズムだと個人的には思うけどな
自分の心に騙されながら生きていくしかないけども、自覚的ならまあまあ楽しい人生よ >>651
まああまりに常識的な科学信奉者が多いので少し揺さぶりをかけただけです
京極氏にしても本当に不思議なことは何もないと思ってるなら、妖怪などにこだわらないでしょ
実際には魑魅魍魎が巣食う世界ですからねこの世は 俺は自分の眼で見たものしか信じねえが
場合によっちゃ自分の見たものだって信じねえぞ
価値相対主義者より木場のほうが百倍賢い 俺は自分の眼で見たものしか信じねえが
場合によっちゃ自分の見たものだって信じねえぞ
価値相対主義者より木場のほうが百倍賢い >>652
うん判った。ならその世界観で宜しくやりな
宜しくなくなりゃ観方を変えれば済むだけだしな
魑魅魍魎が跋扈する世界。大いに結構
色即是空空即是色、世は何もなし、何でもありよ 実際見たことない人は、びっくりするかもしれないけど、
あんたの知らない世界は実際に存在するんだな、
幽霊の信じられない人は心霊スポットに突撃するといい そうだなぁ俺が神様でお前らをコントロールしてるって誰も気づいてないもんな 幽霊を見たら自分を疑え、ってなっちが言ってたじゃん。 前、鉄鼠について公案のことについて書き込んだら
趣旨が違う、おかしいとかいう連投が続いたんだが、
なんのことを言いたいのかさっぱり分からなかった
結局なにがおかしいのか、はっきり言って欲しい
それとも、ただ、屈辱的にさせたいだけだったのか?
はっきり理由も言わないでおかしいおかしいって、
それじゃわからないですよ 京極は前近代の人間は実のところ化け物なんて信じちゃいなかったと書いてるけど
そんなん当たり前の話だよな
塗り壁だの袖引き小僧だの大人が信じる方がおかしい
現代人の「昔の人は迷信深くて愚かだった」という偏見に過ぎない
理解不能の事象に対する恐怖心が化け物を見せたのではなく、
恐怖心を和らげるために化け物が解釈に使われたというのであって
だから〇〇小僧だなんて怖くないもの、馬鹿馬鹿しいものの名前をつけられた上に
全くリアリティがないものばかり
恐怖心が見せたのなら小僧なんて出てこないだろう
未知への恐怖を可笑しさに変える先人の知恵がお化けだったはず えー今まで榎木津君が主人公だったわけですが、これから神の力でちょい役だった
中禅寺を主役にします。みんなの記憶も改変するので変わったことにも気づかないと思います
これが神の力です 神社やお寺とかの宗教が子供騙しに過ぎないってことも
前近代の人間はちゃんと把握してたからな
昔の人は迷信深くもないし愚かでもない 前近代の人間は実のところ宗教なんて信じちゃいなかった
単に理解したくないこと(死別)を解釈するために便利な方便として機能していただけで
そういう先人の知恵としての宗教を本当に信じていた人がいるなんて思い込みのせいで疑似宗教に騙されてしまう事になる 昔と違って現代人は死が身近に感じられなくなった上に
漫画の読みすぎテレビの見過ぎで現実感すら希薄になったから
幽霊やお化けは実在するんだと信じて怖がるような阿保が結構いる
だからこそ逆に「昔の人は迷信深くて愚かだった」と思いたがるのだろう
昔だってお化けなんか大人は信じるわけないし
ましてそもそも怖がらないようにするためのお化けだったにも関わらず これが神の力です
パッと見なんか悪い宗教みたいだな 幽霊こわくないんだろ?だったら心霊スポット一度行ってみろ
談シリーズは、杜鵑の湯だったかな?あれが一番印象に残っている
あと、もくちゃんもラストで唖然とした記憶がある。
京極のホラーは、ちょっと、子供にも読ませたい感じのする話もこうしていくつかある。
読ませなくない話もある。
杜鵑の湯はなんか、まともな世界からだんだん変な世界に連れていかれる感じがすごいヨカッタ。
怪談絵本もなかなか面白い。
ちょっと奇妙な感じがするのがいいなあ 「鉄鼠の檻」読んでるけど京極氏の知識凄いな。改めて感心した。 >>663
まだ未熟ですねあなたは
早く向こうの世界からの働きかけがあるといいですね 今昔百鬼拾遺の敦子は、もうちょっと可愛く描いてほしかった。
みゆきちゃんと話してるのを読むと、不愛想な感じで、怖い。
目が死んでる、暗い女性像しか浮き上がってこないw 塗り仏とかのイメージそのままじゃね
自分のことつまらない人間だと思い込んでる 溌剌としてるのは他人の目から見たときだけなんだよな
本人は実は根暗、今風に言うと陰キャか
兄貴があれなんだし当然といえば当然だけど 他の人視点だと可愛いのかなと思うけど
自分視点だと鬱陶しいんだよね 無機質な人間(になりたいヒト)だからな
感情を表に出す前にいちいち
自分の感情に説明入れようとしちゃう 拾遺の敦子は京極小説の主人公らしい理屈っぽさだから違和感はないな
感情や常識よりも理性や合理性重視で
恋愛に距離を置くところも
ただ科学の信奉者なところが敦子の個性
キャラ小説としては違和感あるだろうが
京極小説としてはお馴染み
兄貴は妖怪好きでつまり馬鹿要素あるけど敦子はそれがないから余計に面白味ない
そのために美由紀がついてるし美弥子もいる >>666
えー、色々と有名な心霊スポット廃墟巡っていますが、何もおきませんが?夜のお墓で写真撮りまくっても、何にもこわいもの等写りませんが? 俺も実家は寺の隣だから墓の横で育ったけど何もなかったわ
大人になって遊び半分で関西圏の有名な心霊スポットに結構行ったけど何もなかったし
そもそも怖いと思ってないから見れないんだろうな
集団ヒステリーも怖い怖いと思ってるから起こるようだし くんほう様ってなんか菌なんだろ
大昔から同じ場所に同じ大きさ、形でずーっと存在するもんなんだろうか
繁殖するとかで大きくなったり小さくなったり、移動したりしないもんか 粘菌な
自然公園なんか行くと湿っぽいところに生えてたりする
でもいくら条件が揃っても普通あんな状態にはならないと思う
魍魎のあの技術と同じで、かなり虚構的でご都合主義な存在
人体と合体した何か新しい種なんじゃないか >>680
他人の記憶が視える人が実在する世界だしな 本当の御神体は失っちゃって
江戸時代に現れた「ぬっぺっぽう」を
捕まえて新しい御神体にしちゃったんじゃないんかなとも
あれ現れたの確か静岡だし 昔は榎木津みたいなのが色々出てきて能力系ミステリになると予想していたな〜 >>683
胡散臭いよねあれ
京極堂は断言してたけど、証拠は作中ですら提示されてない
京極堂は名探偵じゃないから憑物落としに必要ない部分は適当なんだよな
基本的に動機も深堀りしないし
狂骨でも、普通のミステリなら重要な首切りの謎もほったらかし ただくんほう様が破壊されないならされないで
これからの「家族」の維持にはそっちの方がよかったかもなぁみたいな未練は言ってたが
「佐伯家のその後」は特に描かれてない(布由だけちらっと)からそれも確かめようのない理屈で
元々家族共同体の維持なんて中禅寺には本来どうしようもない領分の話だからなぁ 書楼弔堂読んでるけど面白いなぁ。
長いけどやっぱ京極は読みやすいよ 喋り方に特徴ありすぎるから勝海舟って書きやすいんだろうな 弔堂おもしろいよね
メインゲスト扱いの登場人物はだいたい知ってたけど、巌谷小波さんは知らんかった
京極さんはエピソード創作するために、その人の人となりや人間関係含めかなり調べるんだろうなあ >>693
作品の為の調べ物は基本しないんだとか
書き終わってから間違いがないか調べるくらいで
……嘘かもしれんが 虚談かよ
京極はあの格好見れば分かる通り自己演出過剰だから信用しづらいよね
実は無茶苦茶コンプレックス強い人なんだろうな >>687
これか
【妖怪】「もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」江戸時代に熊本の海に現れた妖怪アマビエの姿絵
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1584038130/l50 弔堂の一作目は店に来る客が何者か当てる楽しみがあったので、
二作目の帯に客の顔ぶれが書かれていたのは残念だった 皆一般的な1000ページぐらいの京極本を何日ぐらいで読破できるの? 俺は読むの遅いから一日一時間読んでも20日くらい掛かる
速読しても楽しくないんだ(言い訳) 他に用事がなくて読み続けていられるんだったら、姑獲鳥、魍魎、狂骨は1日で読めた。
鉄鼠は2日かかった。
絡新婦は3日かかった。
塗り仏 は2日掛ける2。
その辺で大学卒業して、もう一日中暇な状況ではなくなってしまったので計測できなくなったけど、時間掛けてまだ読み続けてる。 直近千頁級の「ヒトごろし」で一週間くらいかかった
ルガルはハマってしまって一日で読んだ。けど十五六時間かかったんでスピードは普通かな
>>700といっしょで小説は速読しない派です 完全週給2日の会社員だけど、睡眠時間削ってだいたい2日半。
週末はさんでも他にやることあれば同じ。
絡新婦、塗り仏、ヒトごろしはもう少しかかった。(上の人とご同様)
弔堂は1日一編。もったいないからw
一時すごく貧乏して本が買えなかった時があって図書館で借りてたけど
京極夏彦と森博嗣の読者は殆どの人が3日くらいで返却してくるから
新刊がすぐに読めて助かったよ。
反対に返却までものすごく時間かかってたのは宮原みゆき、東野圭吾、浅田次郎 読むの早い方だけど、京極本はちまちま読んでるよ
こんな日本語あるんだー、とか思いながら 敦子呉美由紀の三部作でルーガルー2以来に久しぶりに京極読んだけどやっぱり面白いわ 何を隠そう俺が最初に京極小説を読んだのは3.11の後で仕事も休みになり計画停電になってる時だった
ちょっともにょっとする方法で手に入れた、誰かが焼いてくれた自炊ファイルを暗闇の中タブレットで読んだ
「魍魎の匣」との出会いである
1日で読み切ったなあやること無かったし >>708
どんなきっかけであろうとも、知って読んでくれる読者がいる事は良いことだと思う。
なるべく買っておくれ。。 手描きアニメ動画いつのまにか消えてる
仏さまは難しかったか アマビヱはアマビコの書き写し間違い、って言ってたのは誰だった?
なっちもその説を肯してたよね? それより還暦近い成人男性をなっち呼ばわりしてる方が気になる
アイドル扱いだった30代の頃の名残りなんだろうけど
その時代を知ってるってことは自分も40代くらいでしょ
親しくもない作家にはさん付けも先生呼びもできないな
馴れ馴れしいし、何か畏れ多いんだよな 昔の名残じゃなくて、推しを愛称で呼ぶ感覚だけど
君に共感しろと押しつけはしないのでこっちのことも放っておいてね? >>714
作家先生に恐れ多いという感覚を自分は持ってないけど
愛称で呼ぶにしても「なっち」はあまりに幼稚だなとは思う
いいおっさんおばさんが爺ちゃん捕まえてなっち呼びは客観的に見ておぞましいわな
ああ勿論自分の意見だから他人には押し付けないし共感して貰わなくても結構だけどね まあ、木原浩勝とか身近な人たちが積極的に「なっち」って呼んでるからな。広まってくのはしゃーない。 百鬼夜行シリーズ、姑獲鳥から塗仏まで再読した。大まかなあらすじ以外、内容忘れてたんでほぼ初読感覚で楽しめた。
ちょっと疲れたんで、しばらくは休憩がてら未読の薄いのを適当に読んでみる。嗤う伊右衛門と死ねばいいのに。 『氷川清話』という勝海舟の談話をまとめた明治期の作品があるが、それが江戸っ子のべらんめえ口調だから >>722
そうなんだね、有難う。
前に弔堂の話が出てて、再読して気になったから。 勝海舟て本当にあんな豪快で立派な人物なの?
個人的に幕末史で高評価なのは怪しいと思ってるんだが、、、 江戸っ子だから喋り方だけは豪快だった可能性が高いが
心の中がどうだったかは不明だな まあ今で言えば麻生さんとか橋下さんみたいな人なんだろう
豪快、とはちょっと違うと思うが、他人が言いにくいような事でもズケズケと言う人だったんだろう
勝海舟はどっちかっていうと行動家としてより批評家として評価が高い人だと思う ドイツ語は怒ってるみたいに聞こえるけど、別に怒ってるわけじゃないみたいなもんじゃないか
江戸っ子でべらんめえ口調だからと言って、性格も豪放磊落とは限るまい
寡黙だけど肝は座ってる人もいれば、口調は豪快だけどケツの穴が小さい野郎もいるだろう。 >>724
大体氷川清話のせい あとサービス精神旺盛で
話を聞かれたら
やたら面白おかしく話を盛っちゃう人(龍馬は最初俺を殺そうってつもりだったぜとかは多分盛ってる)
ただアドリブで色々対応したり話を咄嗟に作れちゃうくらいだから頭の回転の速さは確かだと思う
他の人より頭の回転が速く決断するから周りからは思い切りがよく豪快な人に「見える」 そういえばテッチって妖怪もいたな
水木しげるが描いた中でも特に怖い、というかキモい絵だった テッチ。八丈島の、おばあちゃん
ああいうかんじがいいんだよ、妖怪は。
なんていうか、皺っていうか、そういうのが多い感じの化け物みたいな。
水木しげるは漫画よりイラストが好きだった。 ぬ…ぬっぺっぽう
ぬ…ぬりかべ
ぬ…ぬりぼとけ…
ぬ…ぬえ…
ぬ…ぬ… 実際問題京極さんが体調崩して入院でもしたら長編作はもう絶望的だろうなぁ >>742
一度過労でぶっ倒れたぞ
心身共ボロボロの京極のために講談社が本当によくしてくれた結果
百鬼夜行シリーズが無期限休止する羽目になったという 今回の太極宮の写真、すばらしいな
グロテスクな風貌の化け物と色合いが桜に似合って
ところで悪鬼ってのはコロナのこといってんのかな? >>744
IN POCKET 2009年6月号インタビューより
「確か○五年に「妖怪大戦争」と「姑獲鳥の夏」の映画がダブルであって、時期を合わせて新作を出版せよ的な陰謀が渦巻き、
ここにいる皆さんは満面の笑顔で「それは、いいですねえ」と人の気も知らずに言い放ち(笑)。
で、『邪魅の雫』を書いている途中で倒れて、しばらく働くなとお医者さんが言うもんだから。
で、まあ一箇月くらいは完全休養して、まずは『邪魅』を仕上げようと。」 >>746
出版社や編集が無理言うのはよく聞く話だけど、
夏彦先生のところでもあったんだね
ドクターストップまででたんなら、相当な過労だったんだろう
大変だったね
もうお年だし、今後も無理のないよう働いて欲しいね、ファン心理としては… 夏彦先生は講談社から嫌われたっていっているけど、
実際の所は講談社が京極先生を嫌いとかいうことではなく
無理に作品を書いてほしくてそういう風な発表をしたんでないの…?
編集がすさまじいひどいことをいうことは知ってるけど、
京極先生も大変なところで無理してんだな…涙涙 2006年9月に『邪魅の雫』発売
終わりの京極夏彦作品一覧のページで次回作『鵺の碑』と記載
それから約14年にわたり読者は新作を待ち続けて現在に至る >>747
書いてるうちにどんどん腸が煮えくり返ってきてるのがよくわかるw そして我々は約十四年、砂漠の上でご飯を待ち続けている…というわけだ このまま新刊が出ずにみんな死んでしまう可能性は、
やっぱり、危機感を持って生きていかないといけないかな?
ひそかに、書いていて、いずれ出版するという可能性は…なし? 嫌われてるって発想がやべーんだよな
書いて貰ってる立場の編集者が嫌がらせでそんなことするわけがない
普通に考えてちょっとハッパかけただけでしょ
単に俺の許可なくそんなことするなって言えばいいのに
何で変な被害妄想みたいな考えになるのか
過剰に被害者ぶって編集者を更に悪者にしてるだけじゃん >>755
ハッパだったら何しても許されるっていう発想がヤベーわ
典型的なパワハラ脳 いや、講談社の編集も他ところの編集同様、
影では作家に酷い事をバシバシ言うやばい連中かもしれない
普通、京極先生くらいになると、みんなへこへこ頭を垂れるのが普通なんだろうけど
裏ではわからんからね。そういうところが、表にでてきたのかも…
>単に俺の許可なくそんなことするなって言えばいいのに
>何で変な被害妄想みたいな考えになるのか
編集が、出版社が言う事きかなかったんだよ >>751
邪魅の年に産まれた子が高校生になる日も近いな 一番普通に解釈すると講談社が京極を嫌ってるとかその逆とかそういう次元の話ではないし
発破かけるだの俺の許可なくだのも話がズレてるだろう
講談社が勝手に次回作の発売予定日を公表した、
要するに無理な納期を既成事実化するようなやり方をした
それは信義にもとるし実際進行中の仕事にも支障をきたしたので怒ったというだけの話だろ?
なぜそれ以外の読み方をする人が出てくるのか理解出来ない >>745
御大自らアマビエチャレンジとは恐れ入りますな
ちょっとアマビコ風味だしw 一番問題なのは作者と出版社の関係が拗れたことじゃなく
作者と読者の関係が拗れたことにあると思うな
締め切りを守るのは作家として当然だが
納得できるもの以外読者に届けたくないと思うのは至極真っ当だし
それは読者に対する本当の誠実の証だろ
講談社は作者に対してもそうだが何より読者に対して不誠実を働いた
で京極はブチ切れた
それで一年出版が遅れてやっと出したと思ったら即鵺発表
>>747の中で京極が
「そもそも、書き上がっていないものの出版が決まっているのはおかしいと、それは再三申し上げているわけです。
書き上がったのがもしどーしよーもない作品だったらどうするんでしょう? それでも売るのでしょうか?」
と書いてるにも関わらず、次これ出しまーすと発表するおかしさ
これを京極が許してたなら鵺をとっくに出してるはず
それなのにずうっと待たせたまんま
そして京極が何書いても読者に早く鵺出せ鵺出せ言われて
しまいには情熱無くしたの才能枯れたの好き放題言われる始末
京極の言うように講談社からの嫌がらせなのか知らないけど
京極と講談社の関係ではなく京極と読者の関係が悪化したのは間違いない
スレ見てればわかるだろう 陰謀というかなあ・・・
単に講談社がいい加減な上に思慮も分別も足りなかった結果
今の百鬼夜行休止という事実を招いたと推察してるだけ
ここでぬえぬえ喚いてれば出ると妄想してる人には気の毒と思うわ実際 あと根本問題として
才能が枯れて過去の自己模倣のしょーもない駄作を連発されるよりは
納得行くものが書けるまで出さないで居てくれる方がいいわ
なんだったら小説はお休みして妖怪研究なり水木研究なりに精を出してくれてもいいし
とにかく義務ではなく京極自身が今やりたいことをやってくれ
俺らはそのおこぼれを楽しめればそれでいいし楽しめなかったらそれはそれで構わんし おっと誤解の内容に付け加えておくが
今の京極が才能が枯れたとか自己模倣してるとか言ってる訳じゃない
あくまで作家やクリエイター一般についての俺のスタンス
特に作家なんてクリエイターの中では格段に自己完結してて産業構造や組織に縛られる事がない職業なのだし
もう食うために書く必要なんて無いくらい金は稼いでいるのだろうから >もう食うために書く必要なんて無いくらい金は稼いでいるのだろうから
と、普通は思うけど本人曰く「執筆は大嫌い」「仕事は金のため」って断言しちゃうんだよね
もちろん嘘かもだけど >>767
�ニいうか一種の韜晦、照れ隠しでしょ
人には「なまけものになりなさい」とか言うのに、
自分自身はワーカホリックだった水木しげるイズムだろうな
誰に奨められたわけでもなく勝手に小説書いて出版社に持ち込んで
それで「作家になるつもりはなかった」とか言う人だし
京極の発言は基本的にレトリックだと思った方がいい 水木しげるの「怠け者になりなさい」は
「怠けてても金が入って来るくらい偉い人になれ」って意味だからな
京極が絵描くのが好きなのは確かだろう
TwitterにCG絵上げまくってるし
講演会なんかあちこちでよくやってるのは話が好きなんだろうさ上手いし
しかし小説書くのはどうかね実際
そもそも小説書くの好きと言い切るプロの物書きが果たしてどれだけいるのやら
というか京極の小説はどれも好きで全部楽しく読んでるけど
書いてる作者が楽しく書いてるとは思えないようなのばかりな気がする 妖怪馬鹿だっけ?いろいろな漫画家の絵柄をトレースした
夏彦作パロディ漫画が載ってたけどどれも完ぺきに元ネタを模しててびっくりした
「あーそれっぽい!うまいうまいww」レベルじゃなく
「まんまじゃん…(むしろすごすぎて引き気味)」って感じ ぬえぬえ言ってりゃ出るなんてみんな思ってないわな
「富樫仕事しろ」みたいなもん >>769
姑獲鳥のプロモで「爆笑問題のススメ」に出た時に、書きたいテーマなんか一切ないって断言してたな ひねくれ者だからそんなの嘘かもしれない
とりあえず金になるものは書きたいと思ってるだろうな
金がなければ甘いものとか食べられないし、本も買えないじゃんか Twitterでもここでも
ぬえぬえ言う奴の空気読めなさは異常 やっと虚実妖怪百物語読み終わった。でもこれリアルタイムに読んでなきゃいけなかったパターンだったんだなあ。悔しいなあ。 まあ陰謀論の人がいうように、鵺予告に腹を立てた京極さんが臍曲げて書かない……、なんてことはまずあり得んけどね
IN☆POCKET2011年10月号や京極夏彦全小説ガイドブックのインタビューで
「準備が整ったのでこれから書きます」ってきっぱり明言してるし書く気は普通にあったんよ
その後2012年11月1日のブログで「忙しくて大変、いいかげん書き下ろしの続きをさせてほしい」つって後は音沙汰無し
以降は「版元にも問題が」の一点張り。つまり執筆がままならなくなったのは2013年以降なんだよね
個人的には水木大全集が主な原因と思てるけどね 読者としての率直な感想を言えば百鬼夜行シリーズは塗仏の宴でモチベーションを使い果たしのかなと思う
毎回あんなパズルを組み上げるみたいな長編小説書くのはしんどいだろうし >>777
最近でも竹本や綾辻と一緒に出たトークライブで書いてるとは言ってる
水木全集は単にデザイナーとしての仕事でしょ
忙しくはなったけど、その間も小説を出してなかったわけじゃない
書けなくなった原因とは言えないだろう
京極はとにかく本音を言わない人なんだよな
何かを語るとき、論点をズラしたり笑い話にして流すことも多い
鵺のことも出版社に責任押し付けて自分は説明もせず逃げてるだけ
言っちゃ悪いけど、ファンにも出版社に対しても誠実な態度じゃないよ >>779
>忙しくはなったけど、その間も小説を出してなかったわけじゃない
書けなくなった原因とは言えないだろう
そうかな? キャパギリギリの仕事量だったんだと思ってるけどね
連載には締め切りがあるが書下ろしにはとりあえず締め切りはない
どっち優先するかは明白じゃないかな。鵺は先送りされたんじゃないかと
でそのうち内容忘れて、今は脳内データの復元作業中 >>769
あなた自身、仕事は何のためにしてるのかね。
食うため、家族を養うため? 豊かでゆとりのある生活を営むため?
読みたい本を好きなだけ買うため?
周りに理解されない趣味や研究に好きなだけ注ぎ込むため金を稼ぐ
単なるおたくですよ、京極夏彦。 俺は塗仏で終わらせとけば良かったと思ってる。あれ、オールスター感謝祭だろ やっぱそう思う人居るよな
塗仏がクライマックスで邪魅はもう後日譚と言うか外伝みたいな読後感があった あそこまで外伝で色々匂わせてるんだし、書く気は有るんだろうな
詰まってるだけで 上梓されたぬえがすげぇつまんなかったらどうする?
じゃみみたいにさ キャラ小説やら厨二要素好きの読者は間違いなくつまらないだろうな
そういう読者は陰摩羅鬼以降の京極の小説をずっとつまらないと言い続けてるし今更 塗仏の宴のラストはまさに「戦争」で、スケールがでかかったよな。
あれを何らかの要素で超えないと、外伝級になっちゃうよな、陰摩羅鬼も邪魅も。 >>786
どっちかと言うと逆のような気がするけどなあ
キャラ小説として読み続けたい人の方が百鬼夜行シリーズの存続に拘り続けているように思うのだけど
俺の勝手な想像だけど作者はもう義務のようにあの世界のキャラ小説を書かされるのに飽きたんじゃないかと思ってるんだが 塗仏のあとルー=ガルー出て衝撃受けた
これまでの作風から全然違う世界観でありつつ
京極の小説なのは疑いようがない
その時「妖怪小説」から「京極小説」と呼ぶべきものに変わった気がする
陰摩羅鬼も邪魅も妖怪小説、もしくはミステリやキャラ小説としては確かにつまらないだろうが
妖怪小説というより京極小説の走りで違和感を感じると思えばすんなり納得できる
今昔百鬼拾遺の場合も敦子や美由紀はやっぱり京極小説の主人公になってると感じる 京極先生お誕生日おめでとうございます。
春になっても鉄鼠を読んでいる年があります。 今日誕生日なのか
祝ってくれる人が多いんだろうなあ
コロナには気をつけて欲しいね 遠巷説の次回、tweetの所為で『手洗い鬼』かと思ってたけど『鬼熊』っぽいね >影響を受ける若手作家が続々出たのもむべなるかな
たとえば誰よ? 90年代の京極ブームがもう20年以上前だもんな
奈須きのこや西尾維新が京極の影響受けてたってもう知らない人も多いか
藤木稟、高里椎奈、物集高音なんかは分かりやすかった
ただ藤木と物集とは歳変わらないから、影響受けたものが京極と近いんだろうけど
峰守ひろかずのほうかご百物語は珍しくて、
京極の作品じゃなく評論下敷きにしてラノベ書いてたな なんか人が死んでるというのにニヤニヤしてる与党の政治家見てると、妖怪に見えてきた。
大先生が生きてたら、アッキーは認定されてるよなあ(本人は喜ぶかもしれんが)。 ひねくれてる京極は、安倍自民をあえて批判しないだろうな。
コロナ対策からの批判が多すぎて。
遠巷説では何か物申すのか楽しみ♪ エイプリルフールだからって、人をがっかりさせる嘘ってのはなあ… 布マスクをいつかつけて、デモしようぜ
鵺だしてよー 布マスクってコロナウイルスすり抜けるみたいね。
いーみなーいじゃーん! >>817
ワッチョイ 61-
お前いつもスレ違いの安倍政権批判ばかりしてるけど、ウザいんでそろそろこのスレから消えてくれ は?
これぐらいで政権批判になるの?
京極が以前「投票にいこう」みたいなつぶやきした事があったけど、それも安倍政権批判になるよね?いかなければ自民圧勝なんだから。おかしくね?
時事問題語っちゃいけない決まりでもあるの?ここは。 >>819
御託は良いから消えてくれと俺も思う
めんどくさいわ 何で選挙に行こうが政権批判になるんだよw
行かなきゃ安倍が圧勝するからって、理論が飛躍しすぎ
何か前から時事ネタに絡めて無駄なレスする奴いるよな
スレに書き込みがないと寂しいとか思ってるのかね でぶ彦先生――――そのマスクは―――――コロナを予想していたんですね――――― 自治厨を気取る訳じゃないけどさ
何かを発端に脱線して少しくらい政治一般の話になるのは構わないのよ
そうじゃなくて隙あらば時事ネタや政治ネタに絡めて自分の政治的見解や社会批判論を語ろうとする奴が居るのよな
主客転倒っつーかさ
独特の気持ち悪さがあるからすぐ分かるんだけど 京極の小説はよくその時の世相を反映してるが
感情的でなく論理的なまなざしで書いてるのが好き
別に政治だけに留まらず本来もっとタブーである宗教すら書けるのは京極くらいだし
オウム事件があって日本人が宗教アレルギーの風潮だったとき百鬼夜行シリーズを書いてたのが凄い
でも今は宗教以上に政治アレルギーを起こす人たちがネットに多いのが不思議でならない どうでもいいけど投票行ってない層が投票に行けばさらに自民が圧勝するんやで
投票率が低い若年層の方が自民支持が多いという世論調査結果があるから
そもそも「投票に行こう」というのは、若者が投票に行く事によって
大票田になり、若者のための政策や政治家が増えるってことなんだよ
そこには右も左もないよ 最近なんでもそうだけど、物事の解決を急いで頭の中だけで単純化しすぎなんだと思う
簡単に変えられるのは自分の行動と考え方だけです
他人を変えたり動かそうとしたら、時間も労力も掛かりますよ 元凶が消えたら綺麗さっぱり解決って風にはならんからなぁ…… 久しぶりに読み返してんだけど過去と境遇差し引いてもクソ女の茜が塗仏で死んでくれてスッキリした
計画止められなかったも何も殺す気マンマンの計画じゃねえか できたら絡新婦でボスのまま死んでほしかった
塗仏では雑魚キャラ化してたからなんか消化不良だったわ 織作茜が女郎蜘蛛で家族を皆殺しにして、京極堂でさえも手も足も出なかったのに
なんで塗仏の冒頭で簡単に殺されるのか謎すぎる。日本の中心になったんじゃなかったの?
温泉に行ったとはいえそう簡単に暴漢が侵入できるような安い部屋だったのかね そりゃ女だしどんなに頭良くても襲われたらひとたまりもないでしょ
しかも最初から狙われてるわけだし
あそこは本来なら関口が殺されるべきシーンだよ
あの人じゃ京極堂を出し抜いた以外に関係がないし、大した警告にもならない
んであの人を殺したことで、大袈裟な話作品の世界観も閉じてしまったな
死んだのも含めてアイリーン・アドラーのオマージュなんだろうけど >>835
>あそこは本来なら関口が殺されるべきシーンだよ
どういう意味で「本来」といってるのかにもよるけど
「蓮台寺裸女殺害事件」自体が、被害者、容疑者、真犯人、全部セットで
中禅寺がゲームにちょっかい出せなくするための抑止力なんだから役割は置換できないんだよ 前作のラスボスが続編の序盤であっさりやられちゃうんだもの
普通に萎える展開だよこれ
ドラゴンボールみたいに強さがあっという間にインフレ出来る世界ならともかくさ まぁ茜は因果応報というか、そこまでが茜の役割だったんだよ。でも、堂島出したんなら最後まで書いてほしいよな アドベンチャーズエンドゲームでもサノスが簡単に殺せたからな
前作のあの強さはなんだったのか?と
あれはもしかしたら塗仏に影響されたか? まあ蜘蛛は網張ってなんぼの待ち伏せハンターだから
目も良くないし強くもないっていう生態の反映なのかも知れんけど 絡新婦の事件内でも何回か死にそうな目には合ってるからなぁ >>844
太極宮Twitter最新のpost見てどう思いますか? 語りたいこと語ればいいよ
それがイヤな人は離れればいいだけ >>847
ここは京極夏彦と彼の小説について語るスレですから
少々の脱線はともかく関係ない話を延々やりたいならそっちの方こそご退場願いたいと思うのは自然なこと
語りたいことなんでも語れば良いというならスレが分かれている必要すら無くなってしまう >>849
語りたいこと語ればいいのは京極さん
>>844>>845へのレスだよ なっちには、あんま自分が善で相手が悪、みたいな事言ってほしくないけどね そんなアホこと言ってるか?
それよりどうせ批判すんなら変にぼかすのを止めてほしいわ
立場もあるんだろうけど、あんな書き方だせえ保身にしか見えない
安倍の動画のことなんだろうけど、政策がどうのとか別の次元でヤバいもんなあれ
判断力なさすぎ空気読めなさすぎて精神病疑えるレベル 自分が思う善を提示するほうがフェアな感じはするね
あの物言いはちょっと卑怯な感じがする
まあどうでもいいけど 政治を実際に行う政治家は高学歴
政治を語る一般人は低学歴
豆な 先生の執筆も、もっとスピード感をもって行っていただきたいものよ 京極の執筆はもの凄く早いけどな
百鬼夜行書かなくなったのは講談社の失策の積み重ねの結果だし ピーク時、魍魎(約1400枚)2ヶ月
現在、4ヶ月に一度約100枚程の短編
……スピード感カムバック!
尚、水面下で書き下ろしを頑張っておられる可能性がありますので
あくまで「感」ですよ「感」 デビュー時より今の京極の書く小説の方が好きだからなあ
百鬼夜行よりヒトでなしとかオジいサンの続編が読みたい
早ければ早いほど良いとは思えんし
講談社はそれがわからなくて京極を怒らせたのだろう 道尾秀介の真備シリーズ読んでおもしろ〜〜〜って思ってたら
やたら京極堂シリーズと比べられるし京極堂シリーズの軽い版って言われてるから
姑獲鳥の夏から読んでて
100ページくらい読んでるんだけどいつまでこの二人いい年した大人のくせに
言葉遊びしてるの?展開おそすぎやないか?
あとひらがなでいいやんってところをやたら漢字になってるのが気になるし
こういう物語シリーズみたいな言葉遊びをホルホルしないと楽しめないの? そういう感想抱くならこれ以上は読まない方がいいんじゃないかな
文章が合う合わないって一番大事なところだから
どんなに曲が素晴らしくてもヴォーカルの声自体が気に入らなかったら聴くの苦痛でしょ?
それと同じだよ
好きになれないものを無理して読む必要はない
ちなみにその唯脳論をえんえん述べているのも作品構成上意味があることなんだけど
そういうの抜きにして俺はそのくだり大好きなんだよね
文章や論理構成が好きとしか言いようがないんだけどさ >>854
唐突に学歴の話題を持ち出す人間は100%学歴コンプ
これ真実な >>863
自分も最初の座談からいきなりハマった
でも姑獲鳥の感想いろいろ読んでると『最初は? だけど後半から面白くなる(大意)』ってのが多い
>>862
なので我慢して読むと後半面白くなってくるかもよ
結局ダメで、まだ京極チャレンジしてみたかったら次の魍魎から再出発してみるのもアリよ
魍魎〜姑獲鳥の順ならネタバレ少なし 俺は「木場はそうも思う」が、一時期気になって仕方なかった
何かの拍子に脳内で「木場はそうも思う」が繰り返されて困ったもんだった あれが言葉遊びにしか見えない読者はその時点でダメだろ
西尾みたいに空疎な会話が目的化してるわけじゃない
明らかに何かの布石だろうって予想できる構成じゃん
姑獲鳥は全然難しい本じゃないけど、合う合わないはあるからな
道尾とか東野圭吾みたいなライトな作風期待してたらそりゃ楽しめない >>864
わしが小学校しか出てないのは貧乏だったからですじゃ
わしの時代はみんなそうでしたじゃ。勉強もできなかったですじゃが
わしより成績の悪い日本人の方が進学は有利でしたじゃ 塗仏あたりから妖怪仲間同志の自説発表会場みたいな部分増えてるけど
少なくとも姑獲鳥魍魎なんかは終わって振り返るとびっくりするほど無駄話がないよな 布石の塊だし、構成が構造的に組まれてるよね
魍魎読んだ時に作者本人も理屈屋なんだろうなあ、思って読んでた 内容のない言葉遊びではないけど、最近読んだら、会話が厨二病くさいwと感じたことはある
そこも含めて大好きだが あの座談こそ俺が求めてるものだ
エッセイ風にあの座談だけの本とかあっていいわ
京極堂の人生相談みたいな
京極堂は人生相談とか勿論嫌うが 時代が違うけど今の時代のカウンセラーっぽいことは京極堂も一通りやれそうね 元々先生やってたし >>873
あーた、それで憑物落としてはりますねん! いじめを無くす……的なことはできるかも
多分根本的な解決ではなく応急処置だけど 京極堂カウンセラーの手口って
・秘密の開示・・・隠されていた動機、秘密を明らかにする
・価値の相対化・・・その秘密や動機に絶対的な価値が無い事を分からせる
・思いやり、理解・・・そうせざるを得なかったそれぞれの立場への理解を促し
・利害の調整・・・傷つく人が少なくなるように口八町で丸め込む
だいたいこんな流れだと思うんだけど
カウンセリングにしちゃいきなり急所を突きすぎて心を閉ざされてしまうような気もする
あの世界だと全て相手がぐぬぬ・・・となってくれるからいいけど 憑物落としはカウンセリングじゃない
カウンセリングするならそれに相応しいやり方に変えるだけだろ
京極堂のあれは自己啓発セミナーに近い
事件の真相を明かすって体がなければただの洗脳だな
他の名探偵と比べても暴力的で、真相を強引にねじ込むって感じ 外出できなくて暇だから順に読み返したけどカタルシスも余韻も段違いだな
宴を境にして全っ然違うわ
怒涛の展開で畳み掛けてから京極堂の登場で最高潮その後静かに幕を閉じるメリハリある宴以前と
なんかダラダラ続いていつの間にやら事件も解決で終わる以後
通して読むと単にネタ切れや作者が飽きたという以上の悪しき変化がまざまざと伺える 百鬼夜行シリーズなんて厨二臭くて
いい歳して読んでられないわ
作者が書くの嫌になっても仕方ない 昔のインタビューで、推理小説家であるという感覚は無い
黄表紙や講談の流れを受け継ぐ娯楽作家であるという感覚はある
みたいなことを言ってたけど
塗り仏を書く中で何かがオーバーフローして娯楽や面白さの方向性が
変わったのかもしれない 絵も描くんだっけ?どの作品の表紙を描いたとかあったかな >>873
あーた、それで憑物落としてはりますねん! あっ、だからそう思われるだけの才能があるからあんなことやってるんでしょ、てことよ。
憑物落としイコールカウンセリングなんて言ったつもりないすよ。
人の心を掴むのが上手い人が接客業でナンバーワンになるか
詐欺ギリギリのセールスマンになるか、みたいな例えよ。 >>881
黄表紙は読んだことないのでわからないが講談は確かに似てた気がする
巷説はもちろん百鬼夜行も講釈に通じる雰囲気があった
山場に向け徐々に盛り上げ息つく間もなくわっと行って最後に余韻を残すあの感じが同じだった
でも塗仏からこっちは全体に平坦な印象が拭えないんだよな
そのせいでキャラもエピソードもいまいち心に残りにくい… 自分が面白がれなくなったから劣化だと決めつけるのはアホ過ぎ リテラシーに自信があるんじゃないかな。すごいね。いろんな意味で 夏彦の知ってることくらい当たり前に知ってる。っていう妖怪マニアや古書マニアの人が
読んだらつまんないのかな。 情報は既知のものでも並べ方次第でいくらでも見え方が変わる
京極作品なんか引用だらけだし、目新しいから面白いわけじゃない
最近だとサピエンス全史がそんな感じかな
目新しい情報はないけど、見方や結びつけ方が面白くてあれだけヒットした
ポピュラーサイエンス本じゃなく自己啓発本としても読まれてるくらいだ 大河ドラマなんて視聴者全員オチを知ってるわけだけど
情報の開示の順番で面白くもつまらなくもなるからなぁ 同じ物事に対しても解釈の仕方は十人十色だしね
それとサブカルに興味のあるオカルトマニアは結構いても
特に日本の妖怪に通じてる人ってのは元からそんなにいないんじゃないかな
自分の場合姑獲鳥あたりは知ってたけど鉄鼠なんて完全に初耳だったよ
魍魎も言葉としてはともかく境界がどうとかはあの小説で初めて知ったが読んでて楽しかった
そういう点でも邪魅や陰摩羅鬼では妖怪に重きを置かなくなってるのが
いよいよ現代に近づいてる証というか微妙に寂しいような気持ちになった そうだなあ
オンモラキはまだ作品の中で生かされてるけど邪魅は正直邪魅じゃなくてもええやんって感じだった 陰摩羅鬼は儒教のネタが話の主役でもあったけど
邪魅の主役は何だかぼんやりした邪な気持ちが
あるだけで
妖怪として形をなす前に解決しないと思うが何もないって否定されたからなぁ 元々中禅寺が出張るまでもなく解決できる予定だったらしいし
鵺は流石に色々出張らないと 陰摩羅鬼は儒教のネタが話の主役でもあったけど
邪魅の主役は何だかぼんやりした邪な気持ちが
あるだけで
妖怪として形をなす前に何もないって否定されたからなぁ 元々中禅寺が出張るまでもなく解決できる予定だったらしいし
鵺は流石に色々出張らないと解決しないと思うが 榎木津がでてきたとこまで読んだけど結構面白くなってきた
関口だっけ?、榎木津、京極の関係性が面白い
ただなんだろ、主人公にイライラしてくるわ
陰キャだしなんなのこいつ、しかも前にうつ病、失語症とあとなんだっけ
いいとこないやん >>892
>そういう点でも邪魅や陰摩羅鬼では妖怪に重きを置かなくなってるのが
>>893
>邪魅は正直邪魅じゃなくてもええやんって感じだった
作品としての出来不出来みたいな人によって解釈が180°変わり得るような要素と違って
表題の名詞とそれを修飾する妖怪と小説全体の親和性はとことん計算されて書かれてると考えるべきだと思うけどね
たとえ解らなかったとしてもね >>897
嫌味な言い方してるけど結局人の揚げ足取ってるだけで何も言ってないね君
そういう無意味かつ他人を不愉快にさせるだけが目的のレスは止めてくれないかねえ >>898
そっちのレスが間違ってると感じたから反論しただけだけど。反論って無意味なの?
それともなぜ京極氏が『タイトルと内容の親和性を計算して書いてると考えられるのか』を詳述した方がよかったかな?
ここの人達ならほとんどが同じ見解だと思ったから省略したんだけど
あ。あと揚げ足取られた自覚があるなら自レスの瑕疵を認めたって解釈でいいの?
それから、こちらの目的を勝手に決めつけてるようだけど、そういうの不愉快だからやめてほしいね 意見の相違はあってもいいけど
なぜいきなり相手に突っかかったり見下したりするような調子でやるのか
しかも自分の考えは述べないで相手を否定して見下すだけでさ
無意味なだけなら構わんし意見の相違から議論するのはいい
でもただケンカ売ってくるような行為には相応の反発をするよってことよ だから勝手に決めつけるなっての
そんなの全部そっちの主観でしょうが
突っかかったつもりもなければ、見下したつもりもないよ
考えは述べたつもりだし、無意味なレスしたつもりもない
そういう風にしか読めないんだったらもうそれはそれでいいけどね。どうしようもないし
君の中では私はそういう人間に映ってるんでしょうね >>905は文章書くのが下手
無駄に難しい単語使いたがるのも余計な一言入れたがるのも
読み手に誤解を与えたり反感を買ったりするだけ
読んでほしい主張があるなら伝わりやすい文章を心がけたら? 皮肉として読めてしまうのはたしかにそうだから、私の文章に問題がないとはいわないけど
それを差し引いても>>898の読解は大分酷いと思うよ
齟齬が出るけど無理矢理要約すると『京極は計算して書いてるから、そんなことはない』という意見を書いたのに
そこに再反論するならわかるけど、論点ずらして『無意味』だの『何も言ってない』だの難癖つけた挙句勝手に『不愉快にさせるだけが目的』と決めつける
ちょっと思い込みが激しすぎると思う ゴチャゴチャ言ってるけど他人にマウント取りたいだけだろ結局
だから自分への反発やツッコみに過剰に反応してキレ出す
お前の独りよがりの意見にもお前という人間にも全員興味ないしウザいだけだからやめろ たしかに誰も興味ないだろうけど
だったら、しょうもない横槍入れずに新しい話題提示すれば タイトルの親和性云々自体は純粋に興味あるし聞いてもみたかったよ
だから待ってた
だけどそれについて語る気はなさそうだなと思った
日付を跨いでこれだけageまくりの半ばコテハン状態で連続レスしても内容はスレタイとかすりもしない
ひたすら「俺に意見するな」だもの >>890
サピエンス全史面白いよね
>目新しい情報はないけど、見方や結びつけ方が面白くてあれだけヒットした
そうそう
なんだろう、教養と知性の力って言うのかな
整理した情報を適切に並べる能力って大事だなと思わされる
〇〇を発見した!とか新見解!とかじゃないんだよね
でも著者の描いた筋道の通りに人類の歴史を読み解いた気分になる
確かに憑物落としと少し似た所があるかも >>911
語る気あるよ
でも京極さんに詳しい人達にとっては自明なことだと思うけども
まず京極さんの執筆スタイルはタイトルが出来てから書き始めるというもの(本人曰く、表題と内容は同時に出来上がるそうだけど)
小説書き終わってから取り敢えずでタイトル決めるタイプの作品とは関連度が全く違う。=の関係になってないといけない
そこはかなり重要視していて、乱歩賞の選評でもタイトルと内容の合致性にはすごく厳しいコメントを寄せてる
だからタイトルに矛盾しないようディテールを調整しながら執筆していると考えられるし、自身の第三者視点をクリアする仕上がりになってないと脱稿しないと思う
鵺は読むまでもなく『鵺の碑』というタイトル以外あり得ない小説に仕上がってるという確信が持てるし(クオリティーとは別問題に)
もし必然性がない、別の妖怪でもよかった。と思ったとしてもそれは京極氏の布石に気付けてないだけだと考えた方が合理的だと思う
邪魅は蘊蓄は数行しかないし妖怪度数はシリーズ中一番低いと思われてるけど、多分そんなことはない
中禅寺は7章で『悪』の本来の字義について解説してるけど、あれは「邪魅は魑魅の類なり妖邪の悪気なるべし」を現代の語感で読むと誤解が出るから行ったんだと思う
あの手続きがあるから鳥山石燕の邪魅を京極夏彦がどう解釈したのかが解る(ような気がする)し、するとどのタイミングでなぜ邪魅が湧いているのかも大体解る
蘊蓄少ないから妖怪度も薄いというのは早計なんじゃないかなと思うんだよね ありがとう、でも悪いけど率直に言って拍子抜けした
だって>>897で
>たとえ解らなかったとしてもね
なんて書いてたから、ということはじゃあこの人はわかってるんだな!
ぜひとも聞いてみたい!!
と思いきや蓋を開けたら主観と希望的観測の連続でしかないんだもの
>と思う
の連続だし、何より
>確信が持てるし
>京極氏の布石に気付けてないだけだと考えた方が合理的だと思う
まだ出版されてもいない
それどころか原稿が存在するのかも不明な小説に対してこれはないわ
典型的な「信者の妄想乙」ですよ
おまけに
>〜解る(ような気がする)し、
>大体解る
最後までそこが一番重要という核心部分省くし
これじゃ「犯人はお前だ!(ry」で動機やトリック明かされず完と同じだよ
それとも「京極さんに詳しい人達にとっては自明なこと」なわけ?
にわかではないがマニアとまでは行かない身には全く納得行かない説明だったけど 妖怪度ってのがイマイチわからんが百鬼夜行シリーズの話題であることから察するに
「お化けについての蘊蓄があって、かつ総体としてお化けっぽい雰囲気を醸し出してる小説」のことかしら
百鬼夜行シリーズのファンとしてはそこらへんが重要なのかもしれないけど
京極夏彦の小説のファンの自分としては別にそこらへんはどうでもいいかなって気がしてる
だってしょせんお化けはお化けに過ぎなくて
百鬼夜行シリーズの面白さはお化けの周辺やその背景にある民俗学やら宗教つまり人間そのものに対する
京極夏彦のどこまでも論理的でかつユーモラスなアプローチに新たな発見や面白さを見出せるからだと思ってる
その京極らしいアプローチって別に妖怪というテーマに限定されるものじゃないから
百鬼夜行シリーズ以外も自分は面白く読んでるし
むしろ過去ものより現代ものの作品のほうが言葉もユーモアもより鋭くなってるから好きだな
まあ「京極夏彦=百鬼夜行シリーズ」である大多数のファンにはあまり理解されないだろうけど 以上、横からだけど
ケンカ腰で無駄にまた蒸し返すようなのよりは
別の話題向けてみるつもりからの長文でした >>914
>>897の時点で『思うけどね』なので思ってるだけですよ。確信は持ってるけど所詮は思い込みなのでこういう書き方をしてます
その書きぶりだと納得できないのは、理詰めが不完全だからという意味で、内容そのものではないよね?
自明というのは、執筆スタイルや乱歩賞の選評のこと、ここら辺を踏まえてプロファイリングすると大体みんな似たような結論に落ち着くと思う
……と思っていたのだがそうでもないのだろうか
京極さんは「百鬼夜行シリーズはタイトルがネタバレです」というような発言を何度かしてて、これなんか確定的だと思う
鉄鼠以外エピローグでタイトルコールするよね。あれはタイトルで作品を総括したという意味なんだよ多分ね >>917
もう止めたほうがいいんでない?
指摘されてもなんにも分かってないようだし
結局最後まで「自明だと思うんだけど」「確定的」「プロファイリングすると」って言ってるだけで自分の言葉ではなにも語ってない
分かる分かると言ってるけど具体的にはどういうこと?って突っ込まれてるのに相変わらずそんなの自明のことだと思うんだけどねえしか言わないんじゃ
ああこの人は能書きで分かった振りしてるだけで何も語れないんだなって見做さざるを得ないよ そもそもシリーズ読者で『表題の名詞とそれを修飾する妖怪と小説全体の親和性はとことん計算されている』に疑問を持っている人はほとんどいないはずで
いるとすれば作者の執筆理念を全く知らないか、あるいは計算はされてるだろうが作品によってバラつきがある。と思っているかのどちらか
なので前者は作者のバックボーンを説明することでほぼ立証できると考えた
で後者は、蘊蓄の少ない陰摩羅鬼とほぼ全く蘊蓄のない邪魅は特に妖怪度が低いと感じている。と仮定してみる
『妖怪度』とは、作中で表題の妖怪が読者の頭の中に顕在化している時間と濃さの度合いのことを便宜上そう記したもので、『蘊蓄の有無』と=ではない
豆腐小僧がもし百鬼夜行シリーズに湧いていたら。と想像してもらうと解りやすいと思う
どの時点で小僧はその妖怪を認識するか、が顕在化、どのくらいはっきり見えているか、が濃さ。と思ってください
顕在化するには当然その妖怪の発生条件を知っていなければならない、当たり前だか京極氏は妖怪の知識をほとんど持たないフラットな読者をまずは想定して書く
そのため発生条件を認知させる手続きが必要になる。これが蘊蓄。これを経ているので該当箇所に差し掛かると妖怪が湧く
発生条件が重複していくこと、あるいはより上位の条件を満たすことで濃さが変わる
巻頭に妖怪画と解説文が提示され関連文書が抜粋されるのはその最低条件
邪魅は、この最低条件だけである程度どのような妖怪なのかが解る。『〜妖邪の悪気なるべし』つまり邪悪な妖怪、これが憑き物となると害意悪意を持つことと理解できる
途中、中禅寺の解説で『悪』の字義が拡張され『自制できない心持ち』などが足される。要するに『邪悪な気持ちを自制できない』状態が邪魅に憑かれている。といえる
すると西田新造は一章最初の一行「殺してやろう、と思った」の時点ですでに邪魅に憑りつかれているということが解る。だから蘊蓄は要らない
小僧がそこに居れば確実に邪魅を認識している。他シリーズと比べて妖怪度が低いとは思えない
蘊蓄=妖怪。という考えは、ドーナツ=ドーナツの穴というようなもので間違いだ。さらにいえば蘊蓄=ドーナツでもない。そういうこと 鵺の妖怪度がどれくらいになるかだなぁ
鵺の正体みたりトラツグミと言うか
元々トラツグミなんだが生まれ方名付けられ方が特殊だからなぁ
それでいて妖怪の中ではバツグンの知名度がある >>919
長えぇ〜そしてその割に中身がねえ〜w
そもそも妖怪度とかいうどうとでも取れる基準を問題にしてる時点でダメ
明確な定義がないんだから「らしさ」で何だってこじつけられるじゃん
それじゃ何の正しさも証明できないから、結局誰も説得できない
京極はぶっちゃけ詭弁家でハッタリ屋なんだよ
全部計算でコントロールしてる、全てに意味があるみたいなこと言うけど
実際にはかなり天然で、発言も矛盾する人
深遠な意図があるに違いないって前提で立論したら絶対読み間違えるよ まずさあ
『表題の名詞とそれを修飾する妖怪と小説全体の親和性はとことん計算されている』
この時点で他人をウンザリさせることに気がついた方がいいと思うのw
ここまで周りくどくてその癖内容が薄い文章書く人見たこと無いわ
京極の文章の上っ面を悪い意味で模倣しているように見える
当時ミステリの応募作にこういうの沢山あったんだろうなあと思うと審査する人に同情するわ >>921
それじゃ何の正しさも証明できないから、結局誰も説得できない まずは作者本人がどう言ってるかを見るといいかもしれない
昔のインタビューか何かで「夏」とか「匣」とかは構造
妖怪名は意匠(だったか?)、両者は直交関係なので
やろうと思えば『鉄鼠の夏』なんてのも可能である
とか言ってたような気がする
ただし90年代の大量露出してた頃の話なのでどのインタビューか
全く覚えてないし、インタビューで真実を語ってるとも限らないし
作者本人の方法論的自覚とその実際は異なり得るし
そうだとしても「夏」を姑獲鳥にした理由の件もあるし
思い出したことを書いてみただけ
あと絡新婦は当初「鑑」だったんだけど、編集から前作の「檻」と
つくりが同じだと指摘され、気持ち悪くなって「理」に変更した
という話があったはず
女学園での事件と情交専門の安宿での事件の人物配置が似てるとか
水平線をはさんで空と海が対称形に向き合っていたという描写とか
中禅寺と榎木津が同じセリフを言うとか
完成版にも若干影響が残ってんだよね 姑獲鳥の夏読み終えた、批判しすぎるとなんか言われそうだから先にいっとくとすごく面白かったよ、ほとんど読書しないのになぜかデジャヴ感じたのはもしかしたら子供の頃映画でもテレビでみたのかな?
感想は、読めない字がたまにあったりするせいか建物の構造とか想像できない部分もあって内容も複雑だし、推理は諦めて読んでた。
読み終わって真っ先に思ったのは関口がほんとに涼子を犯したのかってとこ、さらに涼子に恋してたのかってとこも謎だったな。妙な使命感もってたし。
シリーズを読んでいくにあたって関口が犯してないのを望みたいとこだけど、やはりあの後引きこもってるしやっぱヤッちゃったんだよね?
あとは、あの母親とその子供の内藤、なんか言うほど悪者に見えないんだよね、母親に関しては報いみたいな感じで死んでたけど死ぬ必要ないやろ、と思ったね、母親も同じく被害者みたいな。
あと内藤も泣きっ面に蜂みたいな感じで探偵達とか身内にまで常にボロクソ言われてるけど結構な被害者だと思うんだが、マキオのイカれ具合と内藤のドン引きがギャグみたいで面白かった。
以上、魍魎の函ちょびっと読んだけど
既にかなり面白い、期待できそう 面白い面白くないの個人の感想は自由だぜ。委縮してはダメ
関口実はやってない説は初めて見た気がする
内藤の件については今後のシリーズの展開にご期待ください 関口のフルネームってセキグチミノルだっけ?っと一瞬思った 面白かったならよかったね
当分楽しめるじゃん
榎木津のキャラに拒否感無いなら外伝も楽しめるしね 書店に並んでた海外の吸血鬼の本見たら、河童が吸血鬼の一種として説明されてた、、、
妖怪馬鹿たちでもこの誤解は止められないのかなぁ?
それとも受入れちゃうんだろうか? 河童は尻小玉を抜くからなあ。
尻小玉の解釈によっては、人間の精を抜き取る存在と言えなくもないし、吸血鬼っていうか「吸い取る怪物」に分類できるかもな。 吸精鬼と捉えれば同一カテゴリになるのか
・・・と思ったら結構とんでもない英語名なのなw
An●s Vampireだってw
An●s Vampire
Spirit in the Japanese Shinto religion that is known as the Kappa or Shirokodama and sucks a person’s soul out through their anus.
Run for your lives, I think I just saw an an●s vampire ハリポタ関係には「河童は血を吸う」と書かれてる本に、ハーマイオニーが否定ツッコミしてた☺
知ってる人は知ってるのかな? コロナ差別がいよいよ問題化してきたな…
日本でコロナ流行が始まりかけたとき京極が同和関係主催で講演やったとき
間違いなく今の状況を見越して差別について話したのだろうからその内容が気になるわ
今こそ公開してくれないかな まぁケガレを嫌う云々の話だったんじゃ
だから清い水に流して禊をするわけで 「鬼熊」は女性たちを遠野の親爺たちが〇〇してたという話だけど、これは元になる史実があるの?
京極、すごく怒ってる気がする、、、 「個性を主張し、性差を主張し、立場を主張し、そんな醜い世の中に何の救いがあるのだ
格差をなくせ段差をなくせと叫んで、概念の化け物のようになって生きることにどんな得があると云うのだ」
「それでは伺いましょう。意味があることにどんな意味があるのです?
得があることや、救いがあることや、根拠のあることは、
損をすることや救われないことや無根拠なことより勝っていると云うのですか?
そんなことはないでしょう。だから、あなたに兎や角云われる筋合いはない」
ずっとこのやり取りは頭の片隅に引っ掛かってたけど
最近SNSが支配的になり出してからは特に思い出すことが多くなる
堂島の台詞だけじゃなく反論であるはずの京極堂の台詞すら今の社会にグサグサ刺さってる気がして 何の作品のどのあたりか言わないと、こっちは記憶力世界一じゃないから
覚えてないよ そういうのホントどうでもいいわ
なんで京極を何が何でも社会に物言う作家にしたいんだろうねえ?
そういう読み方する人がもう臭くて臭くてかなわん
いい加減にして欲しいわ
多分同じ奴なんだろうけどさ
場違いだということに気が付いて欲しい そんな事言ってたら何も話題がなくなるんじゃないか?
興味がない話題はスルーすればいいだけだよ
少なくとも京極堂と堂島のやり取りから受けた感想なんだから、作品の感想として成り立ってるし、
作者どうこうの話題よりこのスレに向いてるんじゃね >>938
堂島とやり取りしてる時点で塗仏の始末だって分かるだろ
多面的な読み方ができるのは優れた作品である証拠なんだけど
SNS以前の時代の台詞持ち出してこじつけるのはちょっと牽強付会だな
LGBTやラディカルフェミニズムならまだ分かるが
しかし改めて読むと京極堂の反論が全然反論になってないのは笑える
「嫌なら見るな」レベルの駄々こねてるだけ
やっぱ京極が言うように二人の考え方は似てるんだろうな
だからまともな反論ができない >>941
確かに強引かもしれん。別に京極夏彦が予言者だとか社会論客だなんて言いたい訳じゃないし
ただあくまで自分の中で繋がったってだけなんだけど当時の意識の延長線上ではあるかなって思っちゃってさ
>改めて読むと京極堂の反論が全然反論になってない
そんでそこな。京極堂の弁は堂島の弁と似たベクトルにも働く結構なブーメランじゃんって
改めて思って上のように書いてしまいもうした もちろん偶然だけど、ルーガルーみたいな世界にはなりそう >>941
あほかそれはわかってるよ塗仏の宴のどのへんだよ
ラスト近くだけどそれでももうこっちは読んだ本なんて捨ててるんだし
図書館は休み。あと書店に行って立ち読みしか方法がないだろ
そしたらそんなに長々とは立ち読みできないじゃないか >>945
「それをすてるなんてとんでもない!」
ノベルス630頁
文庫版1043頁 京極夏彦の小説の底に流れてる基本的なスタンスはずっと変わってないと思う
姑獲鳥から虚実、遠巷説まで同じことを何度も繰り返し述べてることもある
自称「通俗娯楽小説」書きである以上、そのときそのときの世間の色は絶えず入れるようにして
かつ単なる社会派小説と言われるような作品を書いてはいないし同じシリーズでも作風も変え続けてる
「世の中を変える小説」じゃなくて「世の中の人に楽しんでもらえる小説」が京極の言う通俗娯楽小説なのだと思う 捨てるわ。君たちみたいな大豪邸に住んでるんじゃないんだよ
余分なモノは置いとけないんだよ
ごく普通の一軒家なんだから本なんて読み終わったのをいちいち
取っといたら家がいっぱいになっちゃうよ 人工のウィルスじゃないしな
あくまで天然のウィルス 幽と怪を読んだのだけど、京極のトラウマ本はどこにあるのだね? 朝ドラのエールのナレーションってドラマCDで京極堂の声を担当した人だな 人工のウィルスじゃないしな
あくまで天然のウィルス
人工の病気で最悪のことやってるのは溝出
あれ動機不明なのが尚更タチ悪い 雫はウィルスや毒ってよりゲームの即死アイテムみたいな印象受けたわ
あんな危険なブツ取り扱い注意の極みと思うのに
薬物の専門家でもないキャラがあっさり使用できとるあたり雑やなあ感じた
ルー・ガルー2でも都合のええ毒物出てきよったがこっちは元々設定が現実離れしとるから平気やった
雫のほうはも少し地に足のついた世界観なんで気になったんや >>958
新聞広告で見た概要しか知らんので違うかもだけど
赤川次郎の「毒」みたいな扱いなのかなとは思った 魍魎の匣と同じようなテーマもあるよね
殺人者とそうでない人には機会の有無の差しかない
毒=凶器の存在が連続殺人を作ったという
主体は人ではなく毒なんだ 邪魅、魍魎だけじゃなくシリーズを貫くテーゼだろ
殺意は痙攣的なもので、加害者と被害者の境界すら曖昧
でも敦子のシリーズだとちょっと怪しいんだよな
百鬼拾遺の快楽殺人、復讐、計画殺人は継続的な殺意がなければ起きない
まあ本編のシリーズと対比させるためなんだろうけど
妹の事件を兄貴が解決してたら、何か別の「真相」だったかもな 魍魎の匣を楽しんだあとに姑獲鳥の夏を読んだんだけど、ラストに関が新興宗教の教典読ん
で「面白〜い」って言ってるんだけど、なんでこんなシーンが挿入されてるんだ?
夏彦はむしろ批判する立場だと思うんだが、なにか意味があるんだろうか。 百鬼夜行シリーズでのベストは絡新婦。
次は鉄鼠、狂骨、魍魎…
塗仏で終わらせとけば良かったと俺は思ってる 邪魅の雫はその後の京極小説のスタイルを決定づけたものだから
そういう意味でも好きだな
だから百鬼夜行ファンは嫌いなんだろうが >>867
作家を擁護するのに他の作家を貶めるのは見苦しい 降旗は何でヒモになってしまったのか
当時は心理学なんて最先端の科学学んでるのにな 検察庁Twitterに今回はいろんな奴が乗っかってるな まあ、狭い業界だしねえ
ハッシュタグのみというとこがまた まー付き合いもあるのだろうし察してやろうや
回覧板みたいなもんで回避できないんだろう オタクにとっては社会とか世間とか興味ないものなんだろうな
邪魅の雫の西田と江藤みたいに
だからオタクを批判する内容の邪魅の雫は特に評判悪いのだろう はーオタクを批判する小説だったのかあれ
そんな読み方が出来るの始めて知ったわw
他人というのは色々な事を考えているものだねえ ホスト規制でダメでした
立てられる方、お願いします
妖怪作家・京極夏彦を語るスレ 

次スレは>>970。無理な場合は即申告のこと


関連リンク 

●大極宮(公式情報) 
http://www.osawa-office.co.jp/ 

●お化け大学校 
http://obakedai.jp/ 


前スレ 
京極夏彦 Part.93
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/mystery/1573360389/
※連投・コテハン荒らしは徹底放置・絶対に触れない事。 

荒らしに構っているレスは全て荒らしの自演です。 

釣られて反応しないようにしましょう。
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured まぁ邪魅で西尾維新ネタを使ってはいるけど西尾さんは西尾さんでネタにしてるしなセカイ系
社会の役に立つと思ってやる人殺しは社会のためになっているんだから素晴らしいと
言うのは新撰組小説で散々否定してたりどうも社会って枠組みは1回外さないと視点が偏ってつまらなくなる でも(京極)って書いてないから別の中の人なんじゃない? そういう時は「3人とも検察庁法改正に反対なのね!」と解釈しとけばこのスレは平和 文筆業の癖にタグだけで具体的な意見表明もなしとか失望しかないよ 京極は小説で十分過ぎるほど語ってるけどな
それでも足りないガッカリってのは読解力も想像力もないだけ >>984
邪魅の分冊文庫版で西尾維新が解説してたけど
まー中身がなかったな
そのくせ文章がページをまたがない猿真似だけはする
あれは全部わかってる上での自虐ネタなのか
それとも馬鹿にしてんのかわからなかったな
つまりは全部太田が悪い 次スレ立ってるしこちらは埋めるか
まーなんにせよ京極に絡めて政治や社会を大上段に語るのは止めて欲しいわ
前々から何度も言ってるけどさ
京極夏彦は誇りを持って通俗娯楽小説を書いてるだけ
それを理解してやって欲しいよね 検察庁法改正関連のデマと扇動がバレて問題になってるね
相関図を作ってた人がデマだと認めて元ツイートを削除した
いま乗っかってデマを拡散させた有名人が恥をかいてる
なっちは一般知名度が低いのか太極宮でハッシュタグだけだったからなのか、名前は出てないけど 情報戦でチョロく扇動される肉彦
歳とったのう・・・ >>988
上でも書いたがハッシュタグだけだったのを察してやろうよ
作家筋か出版社筋か知らんが回覧板のように回ってきて無下にも出来ないんだろう >>987
勝ち負けでものを考えるから被害妄想的に攻撃性を感じるのだと思うよ
現政権に対する支持云々ではなく
社会や世間に対する京極の考え方は何度も繰り返し小説に書いてるからなあ…
まあなんであれ他人に政治的発言を許さない風潮は間違ってると思うし
京極小説の読者であればなおさら短絡的に批判するのはどうかと思うわ
それに自分は最初からあくまでも京極や著作の話題をしているのであって
小説や京極と関係ない話題をしてるのはそれこそ別の人だよ >>991
誤解を与えるようなレスのタイミングで書いてしまって済まない
君に対して言ったつもりは全く無かった
次スレに向けてそうであって欲しいなとスレ民全体に対してこぼした俺の愚痴と思ってスルーして欲しい
いずれ出しゃばった事を書いてしまったのは認めるしそれも謝るよ
スレを埋めようとなんか言おうと思って余計な事書いてしまった
申し訳ない 天狗でもあったけど
なんでも勝ち負けでしか物事を考えられない人に限って
自分と違う意見の人がいると変に脅かされていると感じて
負けたくない、許せないと怒り出すのだと思うな
他人の発言に怒って反論するのならまだしも
あいつには失望したとか歳を取ったとか貶めるようなだけの発言は
それこそ傲慢というか卑怯というかなあ… >>993
君はちょっとダブスタ気味なのを自覚したほうがいいと思う >>994
上の話題から始まる
京極に対する的外れな批判に対して反論しつつ
かつその人間性を理解しようとして言葉を選んだつもりだったが
まあ失礼だと言われればその通りなので謝罪するよ このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 183日 3時間 30分 18秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。