【俳句】プレバトのお題で一句詠みましょう 9
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
住人同士の批評は名無しである限りアマチュア同士の感想だと思い、感情的にならないようにしましょう
玄人を自負して批評される方はコテ(+トリップ)で特定されない程度で経歴や入賞歴をつける事をオススメします
お題をキャプチャーしてくださる方に感謝!どうもありがとうございます ★俳句に向いている方の匿名掲示板の使い方★
・流れと空気を読んだ書き込みをする
・他人の句の添削は提案に止まり「この方が良い」「私の方が良い」と言う断定をしない
・自分のレスの批判について過剰に反応しない
・第三者が見て不快になる書き込みをしない
・匿名の掲示板ゆえに初心者ベテランともに同じ立場である事を理解する
・自分は他の住人より俳句がうまい事を前提に書き込みをしない
・上記の当たり前の事が守られていないレスには反応しない
こうしたことができない方は感性が鈍いからです
感性の鈍い方に俳句は向いておりません ★俳句に向いている方の匿名掲示板の使い方★
・流れと空気を読んだ書き込みをする
・他人の句の添削は提案に止まり「この方が良い」「私の方が良い」と言う断定をしない
・自分のレスの批判について過剰に反応しない
・第三者が見て不快になる書き込みをしない
・匿名の掲示板ゆえに初心者ベテランともに同じ立場である事を理解する
・自分は他の住人より俳句がうまい事を前提に書き込みをしない
・上記の当たり前の事が守られていないレスには反応しない
こうしたことができない方は感性が鈍いからです
感性の鈍い方に俳句は向いておりません ★作句の心得★
@無駄な言葉を使わない
俳句は17音しかありません
言わなくても読者に通じる言葉、重複した言葉は避けましょう
Aありふれた表現をしない
陳腐、手垢がついたとも言います
歌詞にあるようなフレーズは全て駄目と思ってください
例:虹の橋 小さい秋 旅の宿 白帽子の富士山 花の絨毯 紅葉のような手 など
B季語以外のフレーズを季語の説明にしない
季語とは万人共通の認識です
季語の説明をしても意味がありません
C説明をしない 原因結果を述べない
喜雨に(だから)草木が喜んでいます
◯◯だから(すれば)△△する(なる)
原因 理由を語って結果を述べるのは一番説明くさくなります
そもそも草木が喜ぶのが喜雨
草木以降は不要な言葉で季語の説明になってしまっています D客観的な映像表現を心がける
教室に生徒らが急いでいます 主観
教室に生徒らが走っています 客観
Eともかく多作多捨
ともかくたくさん作ってみること、そしてダメなものは捨てること
これ以上の上達方法はありません
自分が何がしか感じたその光景を言葉で切り取ってみましょう
客観的な映像表現をすれば後は読者が勝手に想像してくれます
季語の力と読者の想像力を信じきりましょう
ただし最低限自分の言いたいことが伝わる内容になっているかどうかは確認しましょう ★余興★
染める 燃える 舞う(踊る)
これが凡人以下の人がよく使う三大動詞だそうです
安易に使わないようにしましょう
また凡人以下の人がよく使う三点セットというのも存在するようです
花火 鼻緒 痛み がその一つだそうです
安易な発想の凡人セットは避けましょう
夏井先生添削三大スペシャル
光 はにかむ リフレイン
何かの時に役に立つかもしれません >>12
いや、五七五板でもうざいんだよ。ここの赤ペンセンセイ お題:都会のたんぽぽ
5位
卒業と春風を待つわたぼうし
卒業と風待つ絮よ君たちよ
卒業や風待つ絮として我ら
4位
蒲公英や都会の割れ目に顔を出す。
蒲公英や都会の灰色の割れ目
3位
父母のもとへ飛んでけぽぽの綿
父母のもとへたんぽぽ絮飛ばせ
2位
蒲公英のyell受け取る初出勤
蒲公英のyell一人の初出勤
蒲公英のyell駆け出す初出勤
1位
たんぽぽのわたと飛び乗る銀座線
添削なし
特待生
春光の嬉しさそこに足元に
春光の嬉しさそこここにここに
名人
ビル鎮火濁水まみれのたんぽぽ
添削なし JRとなりて昔の初桜
国鉄から、いろいろあって今のJRに 自尊心だけ強い。レトリック過剰で下手。指図ばっか。頭は分裂気味w >>32
お題が新幹線と桜ということを知らなければ
全く意味が分からないですよ 新幹線と桜は発想のきっかけであり、そんなににガタガタ騒ぐことではない。 >>36
まさにその通り
意味のわからん俳句は 馬鹿を選ぶんだよ こいつわけのわからん俳句作って
自分でガタガタ騒ぐことではないとか言ってやんの
真性のバカじゃん >>34
> 新幹線と桜は発想のきっかけであり…
その結果がダメダメでした 残念 百年のグリコ快走さくら咲く 泉田秋硯
浪音の由比ヶ浜より初電車 高浜虚子
葉桜の頃の電車は突つ走る 波多野爽波
子と見てゐる桜の下を行く電車 細見綾子 >>42浪音の由比ヶ浜より初電車 高浜虚子
この句は季節違いです。違う例句をお願いします。 >>42葉桜の頃の電車は突つ走る 波多野爽波
この句も季節違いです。違う例句をお願いします。 >>47だからあんさんはいつまでたっても基地外のボンクラ。 50 3時間遠征移動桜見ぬ
東北の野球部の遠征だとおもいます。交流校があるのでしょう。
遠征と移動は重複するので注意。
遠征の交流試合初桜 富士andShankansenと桜かな
日本の代名詞 >>54
シャンカンセンて何?
チャンリンシャンのお友達かな? >>56
下手くそなお前が全て悪い
少しは反省しろ 桜 若櫻 老桜 家桜 門桜 庭桜 彼岸桜 桜狩
糸桜 山桜 八重桜 初桜 遅桜 朝桜 夕桜 夜桜
花 花盛 花の陰 花明り 花の昼 花の夕 花の雲
花過ぎ 花の果 落花 花吹雪 花の塵 花の風
花見 花人 花の宴 花の客 花衣 花筵 花灯
花篝 花疲 花守 花の宿 花便
新幹線 shankansen(英名) >>74
アルファベットで書いて何か意味があるの? ってか、ゲスタレントのクソバラエティースレなんかやめちまえ
俳句は俳句の掲示板でやれよ
いい加減うざいわ >>84
おまえは人に指図するな
勝手に改悪するな
ランク付けするな
陳腐とか汚い言葉を平気で使うな うんちっち桜の下でうんちっち
>>85
おもらししちゃダメだよw >>88
下手なのはしょうがないけど
減って とそのまま口語を使うのはやめてくれ
せめて 減りて な 新幹線光となりてさくらさくら
なっちゃんの大好きな光を中七に入れて
さらに愛してやまないリフレインで着地しました >>91
お前ホント下手だな
朧月の新幹線の気圧が何だって言うんだよ?
詩??ポエム板荒らしてる割には詩心もクソもねえな
挙句に詩??ポエム板への移転を提案しておいて
俳句は俳句板でやれだとか…
たまにはおぉという書き込みしてみろよ
このくず句を句として成立させるんだったら
時間と空間の経過を表す「を」だろ
朧夜を新幹線の気圧かな
こうすれば朧夜の中歩く新幹線の気圧という映像に一応なる
これでも分からなければ小学校の国語の教科書買ってこい >>93なにが時間と空間の経過を表す「を」だと、まさにあんたは下衆の極み。
「の」柔らかい皮膚感覚を台無しにしやがって、なめらかな調べが無くなって
しまう。 >>93
この方は何を言っても無駄ですよ。
人に嫌悪感を持たせることに生きがいを感じてますから。 >>93俳句は俳句板でやれだとか…
そんなこと私は書き込んだことはないよ。あんた重症のスットコドッコイだよ。 >>106修行が足らんよ。三年俳句の勉強すればわかるよ。 >>112
季語同士を如くでつなげるってどういうこと
富士を背に並ぶ桜やのぞみ行き
風となるさくら走りて西郷(せご)思ふ
(真夏の海水浴場)
砂浜に異国のソーダ瓶光る
夢うつつパジャマの下は海水着
(帰省ラッシュ)
ラッシュ抜け黄泉より下界の初盆へ
(京都と朝顔)
朝顔や伸びる芽の先に太陽
お裾分け下駄の音弾む京の秋
(夕暮れの商店街)
三軒目駆け寄る先にさんまかな
(夕焼けとレインボーブリッジ)
秋の日やつるべの意味を聞く娘
夕暮れに高きに登る親子かな
(読書の秋)
秋深し孫の絵本と老眼鏡
絵本に馳せて走る病床の秋
(月と鎌倉大仏)
失恋の吾子に寄り添い星月夜
(箱根のススキ)
芒野を滑りし風や指抜けて >>126お前のスカトロ俳句は面白くもなんともない。下品で下衆まる出し。 >>124お前に出来ることは所詮そうゆうことだけだ。情けねえ。 馬鹿や荒しが増えて
てまともな人が去っていったのはダメなこと ここの俳句上級者さんは詠みやすいお題の時しか書き込まないから 俺は>>126に一票w
箇条書きの多い中俳句っぽいよw ちるさくら海あをければ海へちる 窓秋
桜だとやっぱこれか 150 発車ベル 桜散る街 背を向ける
下5の「背を向ける」は故郷をあとにすることだと思います。そのことを
上5の「発車ベル」に具体性を与えて「上京の」としてみては、
上京の発車のベルと花吹雪
あと元句はマグロのブツ切れ状態ですので17音は詰めて表記することを
おすすめします。
そうすると句またがりの句に対応することができます。
>>152さん
優しく丁寧な添削ありがとうございます^^
「故郷をあとにして都会へ向かう」感じを確かに表現してみたかったのですが、
漠然とした感じになってしまいました。「上京の」ではっきりと都会へ向かう
状況が想像できますね。
句間を空けたり詰めたりする意味、了解しました。こちらはど素人なので勉強に
なりました^^ >>159
ただの説明
>>154
>>161
ぼやけた感傷 今回の視点は、季重ね、季違いを、あまり気にならない句で
どう詠むかに焦点を合わせるかに由ると思われます。 父の手に怯えし那奈のランドセル
小学五年生の冬
母が浮気相手と消えたときから
那奈に対する父親の性的虐待は始まった
夜な夜な勉強部屋で那奈は父親のものを口に含まされ
青臭い欲望を放出され続けていた
父の口癖はいつもこうだった
「中学生になったら、本当の性の悦びを教えてやる」
那奈の処女を奪うという宣告だった
虐待に耐え続け小学校に通っていた那奈
卒業式の前日
最後の通常登校を前に父は那奈へランドセルを差し出した
「今日でこのランドセルともお別れか、いよいよ中学生だな」
じっと虐待を我慢し続けてきた那奈と
それを見つめてきたであろうランドセル
春の切ない親子関係を詠んでみました お題:「桜と新幹線」
3位65点
新幹線桜舞う空流れけり
新幹線桜の空の流れゆく
2位70点
台本のラストの「・・・」春の宵
台本のラストの「・・・」(無言)春の宵
4位63点
のり弁と車窓に映る初桜
のり弁と君と車窓の初桜
のり弁と母と車窓の初桜
5位45点
幼き日桜(はな)の知らせと師のもとに
上京や桜の知らせ師のもとへ
1位71点
朝桜夕べの雨に色をつけ
朝桜ゆふべの雨に色を添え
朝桜ゆふべの雨に色そへん
特待生
吹上がる花屑先の流線型
吹き上がる花屑流線型のひかり
名人
新幹線待つ惜春のチェロケース
添削なし
;流線型でとったね。
次回お題「入学式と桜」 山桜さくらさくらや足跡や
校庭の春爛漫にランドセル ひきこもり高齢化するも、行政「39歳まで」で門前払い 家族「息子の生きる世界は家族とインターネットの中だけと非常に狭い。」
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1521938498/ 才能アリが俳句の世界ではどの辺りなのかわかりません? 五次元を独りさすらふランドセル
(>>200の人ごめん。ムーの誘惑に勝てなかった・・・) デジタル全盛のいま、ネガフィルムも過去のものとなりつつありますね。 >>213
>>214
どっちにしたって同じだよ。相変わらずテーマも詩もないのを修辞でごまかす 悩みつつ十七文字の花の宴
眺むれば一文字多し花一字 今日の凡人の句を予想w
入学式はずむわが子の笑い声
凡人35点w ( ^ω^)おちんちんお
( ^ω^)世界平和を願いましょうお 昨夜のプレバト!次回のお題の告知がありませんでしたね。
中田さんから即水彩画に行っちゃった。
かりそめのガッツポーズや飛花落花
ジュニアさん、お疲れさまでしたw >>233
ありがとうございます。
特番に潰されないだけでもありがたい。
昨秋は野球と特番に潰されまくって寂しかったから。 三、独り言は句にならない。自分を詠む時も
描写することによって自分を客観視し、人に
共感を起こさねばならない。
四、句に情懐をかもし出すこと。
詩がなければならない。 お題:桜と入学式
5位:35点
初桜交互に跳ねよ赤と黒
初桜跳ねる鞄の赤と黒
4位:50点
花冷えの門出の子らも頬染めて
頬あかき子ら花冷えの校門へ
「助詞へで動きのある句に」
3位:55点
桜冷え子の眼と頬に萌ゆるあか
花冷えや巣立ち往く子の頬あかし
花冷えや巣立ち往く子の眼美し(はし)
;(いし、では優れているの意)
2位:60点
走ろうよふたりだけの入学式
走ろうよ走れよ入学児の二人
;いろんな入学式があります。
1位:70点
えんぴつに桜の歯形入学式
えんぴつに桜の歯形入学す
「季重なりにならない虚の季語」
特待生:降格
初桜子供の笑い声で咲く
子らの声とひかりを吸うて初桜
特待生:昇格
分校の一樹、入学児一名
分校の一樹、入学児は一名
「一の対比が見事」 5位
卒業と春風を待つわたぼうし
卒業と風待つ絮よ君たちよ
卒業や風待つ絮として我ら
4位
蒲公英や都会の割れ目に顔を出す。
蒲公英や都会の灰色の割れ目
3位
父母のもとへ飛んでけぽぽの綿
父母のもとへたんぽぽ絮飛ばせ
2位
蒲公英のyell受け取る初出勤
蒲公英のyell一人の初出勤
蒲公英のyell駆け出す初出勤
1位
たんぽぽのわたと飛び乗る銀座線
添削なし
特待生
春光の嬉しさそこに足元に
春光の嬉しさそこここにここに
名人
ビル鎮火濁水まみれのたんぽぽ
添削なし
3位65点
新幹線桜舞う空流れけり
新幹線桜の空の流れゆく
特待生
吹上がる花屑先の流線型
吹き上がる花屑流線型のひかり
名人 ジュニアがこの句になった感覚わかるような気がする
前の小便の句でも、放物線などと言わなければよかった
のであって季語の初桜がきれいすぎる。もっと泥臭い
人間臭い季語にすればよかったのでは。
姥桜子供の笑い声で咲く
蝦蟇蛙子供の笑い声で鳴く(ガマガエルは季語でないが)
もっとも、ゴールデンタイムの番組には相応しくないけどw 五、季語を取っても、その句に
季感がなければならない。
そうでない句は季が動き力が弱い。
一、真に感激した対象を詠うこと。
そして詠むべき対象を貧欲なまで見ること。
作者の感激の足りない句は
読者の心を打たない。 >>242
ご託宣、勿体ぶって小出しにすんなよ。ドチンピラ >>243
てめえこそ、御託並べてねえで句でも詠んでろ。 いいじゃんどうでも
もうまともな句なんてひとつもないんだし
ここはレゴランドスレの合間の暇つぶしだみたいだしさ >>244
始めからアマしかいない界隈で宗匠・プロ俳諧師気取り
アナクロ・ド主観・ド印象・お勉強俳句で恥ずかしいねw
「古典落語のギャグはたしかによくできている。が、同じギャグを聞かされる以
上、客の立場は咄家の「芸」を鑑賞することにしか残されていない。
落語ファンが全員「評論家」であるのは当然の成り行きである。」 中島らも
落語・ギャグを俳句に替えてみ >>242
そのバカみたいな教条の開陳も要らないからw
どこまでも印象・主観的なゲスの感情失禁ね >>244
あんまり自身や自身の句を偉く見せようとするので、
どういう形や方法でも批判批難されるのは当たり前 >>249
一席ぶって、他人に小言言われて、自身の了見の狭さに恥ずかしいって気持ちはないのかねえ・・・ 2ちゃんねるのスレッドのような趣味領域を「場」としたサブカル俳句を作ったり、
消費文化を「場」とした意味から逃走するオシャレ俳句を作ったりして、
それが外部読者を獲得する道だと考えているのですが、
それが細分化された特殊な「場」でしかないため、寄り集まってパック売りをすることで広さを偽装しています。
自然を「場」とすることを乗り越えようとしても、その結果はさらなる細分化となって、
個人で勝負できないグループ俳人を生み出しているのが実態です。
しかし、僕には俳人たちが「場」の細分化の問題を真剣に考えているようには思えません。 それより何でジュニアがちぐはぐなのか。
語れる人いる? 「発想」は常に良いと思います。独特の発想ができる人だと思います。
以前の「ひな壇をゆっくり上る老いた猫」は好きですね。
いかんせん国語表現の技術が足らないからだと感じます。
「初桜…で咲く」ではなくて
「初桜…に目覚め」や
「初桜…に応え」と言い換えができれば現状維持になったのでは? >>257
なるほどね。
「初桜」ではなく、「咲く」が陳腐だったか。
ジュニアは力強いリアリティー(少し怖いような)があって、好きなんだけどな。
新聞に金子兜太さんの遺作9句がのっていたが、全然定型ではないんだね。 国語の下手の横好きw
だから、兜太より一番遠いところがここだって
みんああいかわらず5ちゃんねる風の返ししかできないんだね >>259
259が一番5ちゃんねる風なのが面白い。 河より掛け声さすらいの終わるその日
最後に詠まれた九句の中の一つだそうです >>261
新聞によると「さすらい」は介護されている日々のことらしい。
言い得て妙だ。
施設で働いたことのある身としては、風呂に勝手にいれられるとか
でも気持ちがいいとか、よくわかる。
必ずしも、有季定型ではないが、少なくとも一行詩として、
兜太さんのことをよく知っているわけではないが、
これら句を見るとただ者ではなかったと思う。 人体冷えて東北白い花盛り くらいか
漂泊詩人の再評価って運動屋としては評価されるが、駄句ばかり
一辺倒にほめられたもんじゃない。TV見て悦んでる程度のばか者が担ぐなよw けちけちしないで9句だせよ。金子兜太先生の句
雪晴れに一切が沈黙す
雪晴れのあそこかしこの友黙(だ)まる
友窓口にあり春の女性の友ありき
犬も猫も雪に沈めりわれらもまた
さすらいに雪ふる二日入浴す
さすらいに入浴の日あり誰が決めた
さすらいに入浴ありと親しみぬ
河より掛け声さすらいの終(おわ)るその日
陽(ひ)の柔(や)わら歩ききれない遠い家
※さすらいの入浴3句がいいね 先生先生と田舎者特有のべたつき 教師か講談だけにしてもらいたい 気持ち悪い いや、こいつもこんなだけどセンセって呼ばれたいんだよ いじれば香ばしくなるよw >>263
俳句は、まず存在意義からして問われているのが面白い。
金子兜太はやたら持ち上げられているけれども、とうがってみていたが、
遺作9句をみて、納得したしだい。介護経験のない人は分からないかも
しれない。
>>264
ありがとさん。お風呂ってね。重要なのよ。 >>269
次回お題ですか?
二つの題がつづきますね。まあ「桜」だけでは、難しいのかもですね。
その代わり、必ず入れなければならないというものでもないし。
動けねど桜逢いたし富士の山 富士の峰からいくらでも見えるだろ
個人的には見えると逢えるの
意味が似たような動詞が二つ入ってるのが気になる
○○○○○見えぬ桜や富士の峰
これで見たい逢いたいってわかるだろ
陳腐にさせないためには上五が勝負 桜と富士。クールジャパンな美しい日本てんこ盛りで、恥ずかしい。
どうしようが、ハナから小唄風。粋の履き違い。「陳腐」(下品・下衆・雑な言葉だな)を免れないね。 >>282-284
発想結構好き
でも遂行は必要だと思う だな。着眼点はまぁまぁ良いとこあんのに、
それをしっかり表現しようとせず表面撫でたような言葉を並べただけで終わりにしてしまう人多過ぎ。勿体無い。
なんか表現しきれてないなぁ、って気持ちはないのかな。ないならもうそれ以上の成長は無いし、せっかくの良い着眼点は幻だったのかなって感じだけど、そういう気持ちがあるなら、しぶとく作句しろよ。
って思う。 おまえらの森林限界ここにあり
花の冷ケルン投げあう句会かな >>283
そりゃ2000m半ばも過ぎれば植物もないでしょう。「登れ」「知れ」って決意めいたものだけ?
山高きが故に貴からずですな 575の定型に振り回されるだけで終わってしまう人と
その定型を乗りこなす人がいる
乗りこなすのが詩人
振り回される人生なのが一般人 >>291
ま、ネット越しにやりあっている我々には、これが逆にリアル。
>>292
292が思う例句を示してくれ。
じゃないと、292がどの程度のことを言っているのかわからん。 これは昭和だなぁ
昭和60年代はこういうの多かった 今日の天気はまさにこれが花あらしだったから詠んだ。
厭味を言われてもべつに気にしない。 そもそも人が人に俳句を教えるとかナンセンス。
つまり俳句は芸術じゃないのかもな?
自然発生的に独学で勉強しやるべし。
専門俳人なんてのが権威になっているだけ。 >>297
まあねw
>>294 からの三句はガツンとくる感動もないし
はっとする驚きもない
でもまったりしていて抜群の安定度
ご年配の大ベテランの句とすぐに分かります
たまに書き込みされる俳句草庵の方でしょう ーー今回のプレバトーー
寒空にみくじの花や夢満開
寒空や夢咲くようにみくじ咲く
@対決
1:大女優
A、落日に人生の秋重ねみる
秋の落日に静かな余生いま
B、走り終えサンダル探す運動会
添削なし
2:
A、メゾフォルテ銀座の梅雨のものがたり
梅雨はメゾフォルテ銀座の物語
B、助手席の窓に流れるイブの夜
助手席の窓を流るるイブの街
3:
A、カフェ独りニーチェの頁めくる秋
添削なし
B、赤とんぼ飛び交う紅白身をかわし
紅白の玉身をかわす赤とんぼ
4:名人
A、長刀鉾雲裂き進みぎしぎしと
長刀鉾雲裂き進むぎしぎしと
B、許されて寺の笹切る星祭
添削なし
5:落語家
A、雲がゆく又雲がすぎ鯉のぼり
雲がゆき又雲がすぎ鯉のぼり
B、南無の空光にみえしチューリップ
南無の空ひかりとなれるチューリップ
6:名人
A、水ヨーヨーすかす夜店の灯かな
夜店の灯透けて水ヨーヨーの青
B、鎌で切る鶏の首盆支度
添削なし つづき
@MVH
1月:銀板の弧の凍りゆく明けの星
2月:節分のセンサーライトが照らす闇
3月:卒業の駐輪シール並ぶ朝
4月:野良犬の吠える沼尻花筏
5月:はこね号これより初夏に入ります
6月:紫陽花の泡立つ車窓午後の雨
7月:空蝉の転がるベンチ海の駅
8月:マンモスの滅んだ理由ソーダ水
9月:秋夕焼赤黒き1000グラムの吾子
10月:千年の樹海の風と枯葉の香
11月:秋天はがれ落ちる人にベンチに
12月:750t(ナナハン)のタンクにしがみつく寒夜 >>303-304
どうもありがとうございます。
レベルが上がると求められるものも多くなりますし
お題も難しくなって
プレバト俳句名人・特待生の皆さん、ほんとプレッシャー半端ないんだろうなと思います。 プレッシャーとか不安って何であると思う?
それは自分の能力以上の結果を求めてるからだよ おぼろ月さかさに映る富士の裾
道なきは四月(頂を抱いて >>320
あ、素敵ですね。
「やっと逢えたね」って、富士山の心の声が聞こえました。 >>321
村上ポンチのヨーヨーを透かした句は覚えてる?
これと同じ
俳句始めたばかりは何でも透かして何かやった気になってる
これと同じで触れるも超陳腐
踊る手が月触れたとか
重なって見えるものが触れるとか掃いて捨てるほどあるから
この手の発想はもうやめてくれって感じ
またあほな反論がたくさんあると思うが
覚えておくといいと思う >>322
言うだけ無駄と言いたいんだが…
やっぱり俺も言いたくなるw
>>322
さかさふじ触れるさくらの水面かな
水澄みて早苗のそよぐ逆さ富士
この二つを比べてみ
上の水面ってどんな水面だかよくわかんないじゃん
下は水面と書かなくても水面とわかるし
水面の具体的な映像もある
上はひらがながよくわかんねえし語順もいじりたい
下は一字たりとも動かせないよね
お手本にすべきは>>312と>>313
これが昭和の王道 大ベテランの句 早苗「のそよぐ」ってとこの野暮ったさ垢抜けなさハズし感をどう評価するかってのも、作者を盲信でもしてるんじゃなきゃ結構割れると思うけどね。
桜貝のも、渚のその色のその小ささの貝まで富士から視点と世界が跳んで延びてったってところは「ほー。」と思うだろうけど、それ以上のものがあるかというと、ちょっと貧しい句と切り捨てることも出来るしね。
で、昭和の王道大ベテランって誰 「さかさふじ」ってひらがなにした理由が何かあるならそのままでいいだろうけど、ないなら普通に漢字にしたらどうか。
世の中で詠まれてる句に照らしてみれば陳腐だから〜ってのはちょっとおかしくて、別にその句を高めるために必然的な言い回しであるなら使っても何も問題ないし、
決まりみたいに「〜って言葉は陳腐だからダメ。もう読む側が飽きてるからダメ」って単純に思い込むのは違う。
ただし、真に迫っていない言葉を安易に使うべきではない、ってことだけ。
接す、接する、って言葉を持ち込むだけでも、幾何学的な描写(三角形、点、円、平面…)の地平が持ち込まれて、また作句感覚が更新されるかと思うけどね。
ま、よく詠まれがちな言葉を陳腐だと思えるくらい俳句を読んできた目ばかり肥えた方々にはそれも既視感しかないんだろうけど。 「評論家」になることは割と簡単なんだよ。
先生の指摘を模倣すればいいだけ。
でもそれは自分で創りだすこととは別だし、創作する段になると、途端に自分の言っていたことさえ忘れてしまうような人ばかり。
ここで評論家してる人たちはまぁまぁ的外れではないことを言ってるけど、作句してる人のほうが光ってるよ。頭悪いジジイの出来損ない狂歌みたいな下品なだけの五七五は即NGしてるけど。
まぁ、こんなこと書く当の自分はどちらかと言えば俳人ではないんだけど。 はいはい
陳腐って言っても色々あって
ここまで陳腐だともう類想句なんだよ
要するに過去に誰かが発表した句とほぼ同じ
分かりやすく言えばパクリとみなされるの
パクリをよしとするなら好きにすればいい
まずこの発想は陳腐だということを知ること
そしてそれを遂行してオリジナリティを出すこと
これが出来なきゃいつまでたっても俳句は上手くならない
掃いて捨てるほどある句で終了
超陳腐な発想の句にオリジナリティを加えた例も
プレバトであるからよく見てみるといい
王道の遂行が村上ポンチのヨーヨーをすかした句
超ウルトラスーパースペシャル陳腐な句を
まさに劇的添削したのが梅沢名人のひなあられの句
YouTube あたりであったら見てみ 312 水澄みて早苗のそよぐ逆さ富士
季語が2つあります。秋の「水澄む」、夏の「早苗」
>>328
このスレにいて俳句が好きなら
上手くなりに行けよ 何言ってるのかと思ったら「推敲」もマトモに書けないん。
俳句が発想一本勝負の世界だと思ってるなら詩人やめて広告屋にでもなった方がいい。
言葉の一つ一つの連なり、置き方、表記、音、全てが絡み合って初めて句が立ち上がるものなんだから。
よくある発想だって事実は自覚しておくに越したことはないし、
それを知らずに得意げに悦に浸ってる素人俳人を見てると居た堪れないのも分かるけど、
よくある発想だからといって切り捨てるのは、まさに鑑賞能力が無く無駄に俳句歴だけ重ねてきた人のやること。
馬鹿なんだから「はいはい」とか口答えせずに自分でも俳句の一つでもひねってりゃ良いと思うよ。
どうせ今日も一句も詠まずに、読んでばっかりでまた惰眠を貪るんでしょ。 >>331
文章ちゃんと読めてる?噛み合ってないように見える。おもしろい感じになってる。 季語二つある〜とか言うけどどうなんだろ
だから何って感じ
それに「水澄む」まで秋さんの専売特許になっちゃあ、他の季節は泥水すすらなきゃなんねえんですかっつう >>330
季重なりに関してはとてもこんなところで説明ができない
俳句のギモンに答えます 角川学芸出版
Google Books にあるからサンプルだけでも読んでみてほしい 分かればいいんだよ。良い勉強になったなら嬉しいよ。 水澄みて早苗のそよぐ逆さ富士
これって早苗は水面に映ってるの?
それとも逆さ富士とは別?
「水」と「逆さ富士」の間に入ってしまってるのが気になるんだけど >>340
君俳句に向いてないかも
まあゆっくり考えてみようよ >>342
御高説はいいから教えてよ
みんな褒め称えるけどさ
俺はピンと来なかったから
早苗は水面に映ってないよな
なら三段切れじゃないのこれ 水澄みて早苗のそよぐ逆さ富士
季語2つは拙いよ。
一面の早苗のそよぐ逆さ富士 すいません。「水澄みて早苗のそよぐ逆さ富士」の作者です。
俳句は最近興味持ったばかりのど素人ですwプレバトは過去放送から欠かさず視てはいます。
いろんなコメントに正直驚きです。ありがとうございます。
「水澄みて」も季語なんですか?無知でした。ごめんなさい。
「そよぐ」は確かに陳腐な感じですね。素人の語彙力ではこの程度しかできなかったです。
後で思い直して、逆さ富士は水に必ずリンクするから句内に「水」を入れては駄目でしたね。
訂正します。「そよぐ」に代わる素敵な言葉ありましたらご教授お願いいたします。
空青し早苗のそよぐ逆さ富士
http://s.webry.info/sp/betyan.at.webry.info/201305/article_9.html ほら本人の方が分かってるじゃねえか
出てきて説明しろよ>>342
で、修正後も三段切れじゃないかと・・・ 「逆さ富士」なのに水田が鏡面になっているわけでもなく、適当にぽつぽつとあるらしい「早苗」がそよいでいる、嘘っぽい景
陳腐云々より、嘘か本当かである
後は出逢い系演歌と、俳句である必要のない口語ものが少し
プロが成立しない世界なので全員が評論家でありうる 風流が風雅と余流であるのと同じように、芸術は芸道と美術だと思う
俳句を読んで俳句を作ると、ほんの少しの修辞に対する拘泥が過剰になる
結果、主知的なシミュレーションだけの世界になってしまう
現実的な景は省みられることなく、記号ばかりフィードバックだけが響いてしまう 鑑賞(解釈)する句も、鑑賞しなくてそのまま好い句もある
「独創」とか「創作」は「クリエイティヴ」なやくざの符丁で、それに指示される観念は逃げ水のように遠く去っていくのでついに捉まえることは出来ない 「陳腐」だけを戦略的なタームにするのと、気に食わないやつ皆「朝鮮人」と吐き捨てるのは似ている >>348
俳句というか詩は、習い事でもお勉強でもない >>350
「逆さ富士」だが、適当にぽつぽつとあるらしい「早苗」がそよいで水田の鏡面をぶち壊す、嘘っぽい景
に訂正 >>350逆さ富士といえば常識的に水に映っているとおもうよ 習い事・お勉強俳句は道徳教育の問題と同じ
道徳教育の優等生なぞ要らないのと同じく、俳句に優等生をこさえてしまう
TVで凡人云々とランク付けしているのがそれ >>339
まぁ相手にするにも素質ってものがあるからね。
レベルの高すぎる相手じゃ無理 確かに苗植わってる状態なら逆さ富士映ってるのもさほど見えないよね。別の田に映ってるのかと考える。
でも、田植えの最中だと思えば成り立つと思うよ。 >>339
>>341
あぁ、この短時間単発二つは自演かあ…残念だなぁ
年老いた人間を成長させるのは難しいってことか レクサスのニュースを見て、もしかしたら富士山も構造発色で青く見えているのかなと思いました。
モルフォ蝶のように。 心がそう見せてるとかじゃないのかよ
その線で自分だったらどう作るか考えてみてたのに >>310
> 逆さ富士水面たゆたう花筏
逆さ富士に水面は言わずもがなですので
・逆さ富士たゆたう花筏の行方
としてみました。 >>364
富士山の青は、光の散乱によるもの
波長がみじかい光ほど散乱されやすい
構造色とは違う
構造色は角度でキラキラする いや、そこにあるのは、そういうセンチメンタルな物語にすがることでしか生きられないひ弱な「私」、しかも、そのような自分を売り物にして弱者の群れの歓心を買おうと計算するさもしい「私」でしかないのだ。
もちろん、「弱者」は実際にはつねに多数派であり、その意味ではむしろ強者といってよい。現に、一昔前なら私小説に夢中になったであろうひ弱な「文学青年」たちが、「写真評論家」や「美術評論家」を自称し、
寄ってたかって荒木経惟の「私写真」を「芸術」に祭り上げてしまったのであり いま残されているのは、希薄化されたその形骸でしかない。
写真そのものはもとより、プリントやディスプレイからしてすでに、
徹底してチープでもなければ、徹底してゴージャスでもない、
つまりは、いかにも中途半端なのだ。
それにしても、こういうウェットな感傷にまみれた薄汚い写真が日本の現代芸術の代表とみなされ、
公立の美術館で大規模な展覧会が開催されるというのは、なんという倒錯だろう。 寄せ寄せし浪を手前に春の富士
富士を背に寄せ来る浪は春を呼び 370.371=380-383
知識をつまみ食いした感じで、すぐに分かる。 米朝が語る桜と富士と空
空より酒のほうが良かったような… >>391
落語は「話す」、講談は「読む」。「語る」は分からない。
前に志ん生と蕎麦が何とかの句の人がいたけど、蕎麦は「たぐる」。そういう音なら志ん生でなく志ん朝。
何故、富士に上方落語の米朝がぽっと出るのかよく分からない。
お、これはババアの添削句か。ウヨ公かと思ってたけど、センスねえな >>391
同意。噺の上での「桜と富士」なのだからあと一つ言葉を付け足すとすれば
落語に関連しそうな言葉だと自分も思いましたよ。自分なら「蕎麦」かなw
今回は夏井先生の添削も冴えてないような気がしました。「空」と添削したら
なんかゲスト、観客ともにあまり感心しているような感じではなかったw 来週はお休みで次回放送は4月26日のようです。
お題もまだわかりません。
Eテレ『俳句王国』は明後日4月15日放送です。 ーー第2回:春の俳桜戦ーー
お題「桜と富士山」
9位:
啓蟄や花びらも食べ空も食べ
花びらを食べ空を食べ未来へ
啓蟄の虫や花びら空も食べ
8位:
噺家が魅する桜と富士の山
米朝の語る桜と富士の空
7位:
逆さ富士に目桜鱒天めがけ
逆さ富士ゆらぐや桜鱒跳ねる
ポイント
;誇張しすぎない
6位:
肉食のフェンスの施錠山ざくら
肉食獣のフェンスの施錠山ざくら
ポイント
;言葉のイメージは変化する 5位:
もの思うこと忘れおり花衣
やるべきを忘れ花衣のうつつ
4位:
銭湯で花見の日取り決まりけり
銭湯で決まる花見の日取りかな
ポイント
;桜だけ
;富士だけ
;両方詠む
3位:
乙女座のスピカ流るる花吹雪
乙女座のスピカよ花吹雪流るよ
2位:
空のあお富士の蒼へと飛花落下
添削なし
1位:
花震う富士山火山性微動
添削なし 米朝にかかるミサイル春朧
添削してやったw こんなんでいいだろ 酒は予定調和過ぎて広がりがない
空は突飛過ぎて馴染まない
他の発想が正解だろうね 夏井先生はセオリー通り、見ているものの
空間的広がりを言っているのだとおもうよ。
最終的に、”ひかり”とか”そら”までもっていきたいのだろう。
そもそも”語る”という実物ではない世界だから、自在で構わない。
逆に、落語に実在感のある人は、(上方落語の米朝なのはわからないとかいう人)は
落語を聞いてでそらに上るような感じを受けることはまずないだろうから、
突飛感がある。
というわけで
○○○(富士か桜が出てくる落語や講談を十八番にもつ名人)
が(話す、又は読む)
桜と富士山(もしくはどちらか)
で、いい句ができるのでは?
例えば、とってつけで申し訳ないが、
旭堂が読よめる弥次喜多富士の山
そのへん詳しそうな、392さん、どうぞ 米朝も逃げる八景富士青嵐
いや、朗読劇でもない演芸が「語る」ではまずい。
「語る」だから、現実的な参照項を欠いた記号ばかりを操作する領域にあって、自在だぜって感覚はまずくないかな
「空間的広がり」というが、迂回表現というより、現実の把握力がただ希薄な場合もある。それが今回のババアクオリティー 「最終的に、”ひかり”とか”そら”までもっていきたいのだろう。」
それ、宗教。現代的な詩ではない。詩にも地と図が要るけどね。 把握が希薄、おあとがよろしいようで。
視界をそらまで広げるのであれば、より深い落語という演芸に対する理解が
必要だったということか。そこは梅沢の方があるだろうし。
固有名詞はよくないというイメージがあったが、使うとしたらどうしたら
よいかのヒントになった気がする。 固有名詞が良くないって言葉、ビギナーがよく言いがちだけどなんかに載ってんの?
自由にしなよ
良い句を自由に詠みなよ
まぁ、決まりごとと権威が好きだから短歌じゃなく俳句やるんだろうけど >>410
プレバトでも夏井先生がちょくちょく言っている。
ジュニアもそれで一般名詞にしたのでは?
NHK俳句の「やっていけない、ことはない」の4月のテーマが「固有名詞」
3月は「孫」だった。それでいろいろ思案中。
どうして、有季定型なのか?。自由律はマイナーのままなのか。
有季定型でなければ(俳句のルールがなければ)、ジュニアへ添削は
ただのいじめ(力の誇示)になってしまう。ジュニアの句はインパクトは
あるもの。むしろインパクトの処理の仕方で失敗しているように感じる。
フジモンはインパクトがファンタジーの範疇に収めているから、受け入れやすい。
伝統俳句的には評判はよくないのでしょ? うるせぇよ馬鹿。
夏井の言うことが絶対でお前は盲信するだけかよ。
固有名詞出さない俳句しか読んだことねえのか。固有名詞だろうとなんだろうとそれで句が良くなりゃ良いんだよ。
固有名詞の選択にセンスが無さすぎる下手な俳句詠みが多過ぎて、とりあえずやめとけって言われてるだけだから。 短歌でよく言われるところの「動詞の数を抑えなさい」みたいなもん。
下手な奴を矯正するために言われてるだけのことであって、決まりごとというわけでは全くない。
有季だの定型だのいう流儀があるからなんなの。
それを笠にきて「添削」()なるものをすりゃ「ただのいじめ(力の誇示)」ではなくなるんか?ちょっとは考えてから物を言え。
有季だの定型だのを後生大事に振り回して威を借る狐になってる時点で、純粋な句の良さ以外の力が流入して既に歪んでんだよ。
無季でも自由律でも良けりゃいいし、
ここからは俺の見解だけど、俳句のグルーヴの中で詠ってれば俳句。この点については語れば本5冊くらい余裕で書けるし、押し付ける気もない考えだからこれ以上何も言わないけど。
もうちょい自分の頭で考えることをしてから死ねよ?阿呆が >>412
あんた、頭悪いなあ。
そりゃ、内容がないってことに気付かなければ本の何冊でもかけるさ。
考えてないだろ。
ところでグルーヴってなに? でも、考えてみたら凄いことですよね。
夜7時からのゴールデンタイムに民放で俳句の番組をやるって…
俳句の面白さを世に知らしめた夏井先生の功績は偉大だと思います。 確かにそうだな
俳句とバラエティーなんて組み合わせなんて普段思い付かない
しいてあげれば月曜から夜更かしみたいには一般人に川柳読んでもらうが
それはおふざけレベルであって本格的な俳句がNHK以外でやれるとはね。 >>414
>>>412
>あんた、頭悪いなあ。
>そりゃ、内容がないってことに気付かなければ本の何冊でもかけるさ。
>考えてないだろ。
>ところでグルーヴってなに?
↑最後に自分の頭の悪さ露呈させるオチまで付けて
傑作だな >>416
でも日曜朝のNHK俳句は俺以外観てないんじゃないかレベルで過疎ってるよ
NHK短歌もだけど >>417
もったいぶって使った言葉に自分で説明できないなんて
やっぱりもの考えてないだろw
って落ちにしようとおもったが、
先に取られたな。
まあ、落ち着いてよかった。 え、本当にグルーヴの意味が分からないの?
そんなに語彙少ないから17文字の詩しかやらないんじゃないかってみんな思ってるよ、あなたのこと。
いい加減もう絡んでくるのやめてほしいです。疲れます。
定型のリズムうねりノリみたいなのがあるでしょ?もしかして感じ取れてない?それがグルーヴ。グルーヴ感。そのことを言ってるだけなんだけど、なんで分からないんですか。
もう本当あなたに詩の授業する義理もないので、やめてください。泣きそうです。 以前NHK俳句に、初学者に向けて昔の誓子の映像でも出したらどうだとか、
Sっておかしい俳人がいるから出してみと書いたら、本当に二つとも出てきたw ま、ステマなんだろうけど、ババアとその信者はきもいな 固有名詞が悪目立ちする句がまずいということ。確かに「モルゲッソヨ」なんてぽんと言われると、検索しないと分からない
口誦した感覚の好い固有名詞だったら、入れてはいけないなんて教条もないと思う。 ここは本スレかと思ったら一句読むスレの方か。
長期間議論続いているから、本スレと勘違いしてしまった >>420
調べを大切にしています。程度のことを
馬鹿が、あほがと言っとかないと語れないようじゃ、
脳みそいっぱいいっぱいなんだろうな。
次は泣きそうなのか。泣いとけ。 「グルーヴ感のある曲」というと、個人的にはシンコペーションを活用したノリの曲、と思ってる
俳句で言えば、句またがりのことだな! そこでわざと字足らずにすることによる効果、そんなに出てるかなぁ?字足らずの空白とそこまでの言葉のリズムが合わさってそんなにグルーヴ効いてる感じある?
それより、「微生物の〇〇 春始めむ」ってちゃんと七音なり八音なり刻んだ方がいいと思ったけどなぁ。そこの一語でもっと深み出せるし。
「微生物の香(か)」とか「微生物の音(ね)」とか「微生物の夜」とか、もっといくらでも良いやり方はあるけどさ。 字余りなら言葉をオーバードライブさせても自然と出てきてそれなりに様になりがちだから自由律系の雰囲気の句では割とみんなやるんだけど、
字足らずってなかなか難しいんだよね。
大衆ウケする予定調和のポップスをちょっと予想裏切りの路線でアレンジして、なおかつそのビターだったり不気味だったりあるいは甘々だったりするような空隙すらカッコいいってものに落とし込むセンスがとても問われる。
それをやろうとしてる点では意欲作だと思うけどね。 そのうちバイブスだのレイヴだの言い出しそうだなチェケラッチョ あ、そうか。ラップの歌詞みたいなものを目指してるのか。w 437 風船に叩かれゐるも全然
「た」の一音を足すといいのでは
風船に叩かれゐたるも全然
俺も風船で何か詠んでみようかねぇ。ここには書き込まないけど。
ここ一週間は短歌ばかり思いついて、俳句的な切り込み方を忘れてしまいそうだからねぇ。 そういえばお題出されて詠むことって今までほぼねぇな。 少しのズレが高揚感を生む。
それが、韻やリズム(聴覚)、意味(識覚)でも。
”い”でなく”ゐ”なのも、視覚的ズレの効果なのかもね。
歴史的仮名遣だから、では昔はこうだったって言っているだけで理由は
述べてないもんね。 さっきから↑このIDあぼーんされてて見えないんだけど荒らし?
どっかで荒らしてたとかでNGしたのかな、自分。 「た」の一音を足すといいのでは
足すことによって起きる差(ズレ)がいいのでは、と提案するのは
意味のことか、音のことか、両方か、又はそういうことではないが他の何かか、
提案者さんが示すと、元句作者さん判断しやすいかな。 昨日、あんたのグルーヴ感にケチ付けたから、
したんだろ。w
泣くといけないから、見ない方がいいよ。 「如く」がなくても杉花粉のことを詠ってることは分かるから、別の言葉を入れて表現の濃さを稼ぎましょう! 「空へ産卵」という七音がちょっとチープかもしれないです…。
放たれる卵のイメージを掴んだのなら、安易な言葉に飛びつかず、納得いくまで練りましょう! それと、「天守」から「産卵」される必然性が句の中に乏しいのも惜しい点かと。
五七の内容が最後の五音を「しゃぼん玉」という名詞で止めるこの感じにうまく繋がってないために、全体が日曜大工のようにガタガタしている…ように感じませんか?
天守と産卵の繋がりを強くするためにも、やはり別の言葉で五七をブラッシュアップしてみては。 題《風船》で巡らしてみたら合格レベルのが俳句4、短歌1できたわ。
自分はお題とか出されて作るようなタイプじゃねぇから!とか思ってた部分もあったけど、結構作れるもんだな。 映像やモチーフがあっても詩情やテーマがないのでウンコ。滑稽といった可笑しさもない 「多作多捨」って信じてるみたいだけど、やっぱり口数や量ではない 足りでねえごどはこれがら培っていげばええんだど。なぬが足りでねえがわがったっつうこどが既ぬ成長なんだど。 実際、多作寡作ってどのくらいのことを言うんだろうね。 >>441
今度はシロかよ
愛犬という意味の言葉無いのかな 一応掲示板も多くの人の目に触れる場所だし
ここに投句するのは捨ててる事にはならないと思う
多少は精査してほしい >>468
村夫子風に装った田舎っぺの感情的総論
素描にしては夢見がちで、言葉の自己目的化・玩具化ばかり 提案しているけど、言葉のテクニックばかり吹聴し、他人を操ろうとする
自身で出しているのは、言葉による退嬰的な慰みものばかり
サイコパスか 自分の苛立ちを誤魔化すために、なんか抽象的な言葉こねくり回して人様を罵る前に
俳句詠みなさいよ。あなた。 俳句を投句している人は3人ぐらいであとは能書き垂れるアホと御託を
ぐたぐたのべるスットコドッコイ。
でも3人いるからこの板は安泰だね。 ちょっとした批判でもすこぶる怖がる2ちゃん風返答ばかり
やっぱり口数や量ではない >>477
アホだのコストコだの罵ってもあなたの作句能力が上がるわけではないよ。
わたしの作句能力が下がるわけではないよ。 コストコ
アメリカ生まれの大型会員制の倉庫店。コストコでは、ご家庭に
必要なものをすべて取り揃え、皆様のお越しをお待ちしております。高い品質の一流
メーカー品を卸値に近い価格でご提供するほか、1時間で仕上がる写真現像サービス、
タイヤセンター、フードコート、薬局、メガネ店など、便利なサービスもご用意しています。
店内には常時、国内外の有名メーカーの商品4000点が揃えられています。
>>481
いいですね。かっこいいです。
なけりが一瞬分かりづらかったので下五に鳴という漢字があるといいと思ったのですけど、
そうすると蟇鳴という熟語と思ってしまいそうですし
(パッと見ですよ。考えればすぐに分かります。)
やはり、蟇なけりがベストなんですかね…
上五は胎内とすると、さらに闇の暗さが増すかなぁ。 >>482
プレバトのお題で一句ひねるスレですからね(笑) この時季は晩春だけど今年は1週間ほど季節が早いね。
柿の若葉が瑞々しい。日曜日には29度になるらしい。
プレバトのお題は例年だと「こいのぼり」あたりだね。 体内、っていう熟語が全体の中でいまいち馴染んでない。
蟇鳴けり、がやっぱり同じように馴染んでない。
音が悪いからだ。 最近うれしかったことは、
父母のしきりに恋ひし雉の声 松尾芭蕉
の句があるけど、この雉の鳴き声を聞いたことだね。
雉のほろ打ちというらしい。
これで芭蕉の句が体内に浸透してきた。立体的になった。
ヒキガエルの声ももうそろそろ隣の山田さんの庭から鳴く頃だな。
俳句はがんばってやるもんじゃないよ。
季語の実感を皮膚が感じるだけで5割は達成だね。 雉の声すら聞いたことなかったんかよ、都会育ちで無駄に年だけ取ったやつはやっぱ頑張りが効かないんだな
そこで踏ん張ればもう一段上の景色が見れるのに。情感に浸ってる自分に流されて言葉を疎かにしてしまうから…。
句を繰り返し声に出しながら作ったりたりしてる?してないでしょ。まずはそこから。 他人のよかったことに素直に共感したことを伝える文章って
難しいね。批判はいくらでも書けるのに。 もっと良い点が増えてほしいよね。
いっぱい褒めたいよ一緒に「いいよね…いいね…」ってしたいよ。 本日、当地方はまさに穀雨。
穀雨の頃の雨、と言うべきなのかな。
穀雨にもあの日の人はどうしてる? ここ一、二週間は難癖つけるだけのジジイもほぼ絶滅して、わりと添削されてんじゃん
添削っつっても正解押し付けるようなやり方じゃなく指導指摘って感じの添削だけど フランスの社会学者 P.ブルデューによって提起された概念。
支配関係の根底にある暴力を婉曲化することを目的とする権力作用を意味している。そのため象徴暴力とも呼ばれる。
その機能は支配者側の特定の恣意的な価値の強制,現実の力関係の隠蔽,現存秩序の正統性表象の3つに分類される。
この概念は教育や文化の自律性という幻想を解体し,それらの領域に隠された意味の押しつけという不可視の権力行使を明らかにする。
価値観の優劣そのものが支配関係の婉曲化された表現にすぎないとする象徴権力の分析は,文化の政治性を読解する視点を提供している。 このロゴスを自己へと現前せしめる声=音声言語は「意識の始源性」と一致するとみなしてきた (音声中心主義 phonocentrisme) 。
デリダは,ロゴスと声の特権が前提として疑わなかった一切の根源性を抹消し,
近代哲学において堅持されてきた認識と対象,思惟と存在の一致への確信のイデオロギー性を暴露し,
このロゴス=音声中心主義の持つ現前性の思考に向けて, 「ぼけ」や「認知症」を俳句に詠みました。
この俳句で 認知症が進行していることを 表現できたでしょうか?
「君の名も 思い出せずに 夜寒かな」 俳句を絶対に作らせない という趣旨の本としか思えない。腐すこと腐すこと全編その姿勢。本代1円だったのでどうしてなのかと思ったがこれでは人気が出なくて当たり前。 カンナはいつも「燃え」、「一つ」だけ枝に残った柿はきまって「夕陽」に照らされ、妻は「若く」、母は「小さい」
――だれでも初めて俳句に手を出すとまず口をついて出てくるのが、こうしたきまり文句。 481名前はいらない2018/04/17(火) 10:08:55.00ID:sa5GClY7>>483
体内の闇を持ち上げ蟇なけり
483名前はいらない2018/04/17(火) 11:11:18.83ID:LNFNSQCi
>>481
いいですね。かっこいいです。
中二病かw レス4つ 痴呆の模様に並び居る
俳句でなくて漫談ですw いや、俳句でも漫談でもないよ
一言で言うと? ババアのファンw 当季雑詠でいいとおもう。
ところでツツジとサツキの違いってわかるか、それとツツジを
漢字で書けるか、「躑躅」がツツジなんだとシュールすぎるな。
たしか漢字検定1級の問題だった。 レス4つの文字たちの羅列を「模様」と表現したことで、「レス4つ」という言葉がどうしても句の頭で宣言してしまう卑近さ軽薄さをグッと引き締めて、なかなかどうして句全体にアンヴィバレントな現代的雰囲気を持ち込んでいる。
しかも荒らしに対して当意即妙に詠んでいる点でも好評価。 居り、じゃなくて、居る、としたのも
風雅の余韻へと安易に流れない、朴訥とした不気味さを描けている。
自由律に時々見られる感じ。廊下の奥に戦争が〜の句を思い出させる不気味な後味。
ただ、この流れの中では散文由来の終止形かと思われてしまいかねないのが惜しい。
平仮名じゃなく漢字にしたのはその誤解を避けるためか。 >>499
金子兜太氏も最後は認知症を患っていたらしい。
でも、コミュニケーション能力はよかったのだと。
認知症の人は、人の名前を思い出せないと考えられなくなる。 >認知症の人は、人の名前を思い出せないと考えられなくなる。
まぁ程度なんて動き続けるもので千差万別だから思い出せない時と思い出せる境の人もいるわけだけど
でもこの句はさすがに駄目だね
その辺のことまで自分の心を浸らせて行って詩を掴んでいるのとは明らかに違うし
安っぽい漫画やドラマ書き写したような句 言葉は自己言及できない。
クレタ人曰く”すべてのクレタ人は嘘つきだ”
だから、花鳥諷詠にしましょう。 >>515
ちなみに、思い出せるときの自分は、思い出せないときの自分を
思い出せない。
ね、おかしな文章になるでしょ。
(私は認知症ではないが)と認識している人は、どうあがいても
認知症のひとを逆なですることしかできない。
人の認知能力は限定的(俺ってなんにもわかってないな)と素直に認めて
読めば、いい句になるよ。たぶん
兜太氏の遺作はよかった。 516よ自分の尺度で判断すればいいだけだよ。
皆、自分の尺度で言いたいことを言っているんだから。
書き込みの前文を揶揄しているともとれるし、それとはちがった句
ともとれるかもしれない。
しかし麻生財務大臣のヒョットコ顔にはうんざりするね。 君の名も 思い出せずに 夜寒かな
「夜寒」は秋の季語だから春の季語で作るとまた違うかも
君の名も思い出せずに春の雲 >>518
おかしな文章のなかに真理がないなんて誰が決めたの >>520
ヒント
「君」っていう輪郭でその句の主体を取り巻く世界から何かを切り出してくることに
もう少し躊躇いを持て
なんのためらいもなく言葉を決め打ちし過ぎなんだよ
多分理解できてないと思うから念のため付け加えるけど、「君」を使うのはおかしいという意味ではないよ?
ただ、句を切り出す前にもう少し踏み止まれたら世界が変わる瞬間に立ち会える
良い句は自然と出てくる >>518
限定的であることを認めて〜ってのはその通り >>522
"句を切り出す前にもう少し踏み止まれたら世界が変わる瞬間に立ち会える "
すなわち、把握の仕方が変わる。= 句の俳しかた、俳句が変わる。
俳句の醍醐味かな。
しかし、他人は批判、せいぜい指摘の形でしか、伝えることができないだよね。 俳句は神経科のカウンセリングではない。
柏餅はやはりこしあんがつぶあんより人気がある。 >>524
非難ではない意味での批判という言葉の意味と、その意味での批判、指摘をちゃんと味わってほしいよね
かったるいとか反抗期の中学生みたいなこと言ってないで 批判でなく厭味、指摘でなくあら捜し
そんなの味わえといわれてもこまる。お腹をこわしちゃうよ。 >>524
かと言って、娯楽ではない。ましてお菓子でもない。
疲れた体や頭は、甘いお菓子を欲するが、
お菓子だけでは、体に良くない。
いずれにせよ。こしあん、つぶあんではこしあんの方が良い
などの議論はお菓子屋でなければどうでもよい。
アナロジー(類推)使うと、多少ましかな。
まあ、お菓子が欲しいばかりの人には”御託”には変わりないけど。 529あなたの話しは退屈。バカ中学生にはつかみが大切。
信長のいちごのパンツ本能寺
1582年だったんだ。 いかん。煮詰まった。
でもいい俳句作りたいだよね。
己の世界を変える、新しい把握。
古池や蛙飛び込む池の音 −−芭蕉
古庭に鶯啼きぬひもすがら −−蕪村
下の句は蕪村としての第1作で、
上の芭蕉の句を意識して、かつ新しい句境を示したかったそうだ。
で、
菜の花や月は東に日は西に
春の海ひねもすのたりのたりかな
芭蕉と蕪村は妻子もいたし、定職があったからね。 訂正
芭蕉と違って蕪村は妻子もいたし、定職もあった。 >>529
そうそう。俺も書いてて眠たくなってきた。w
俳句はもとは発句。
つかんでなんぼ、でも間違いでもない。 で、凡人たるもの脈絡関係なく最後は汚していかなければ。
波打際、砂文字消せり四月尽 三月尽(弥生尽)
四月尽
には「春が去ってゆく(名残を惜しむ)思い」
砂文字を消した思いは何の思いか?
春が去ってゆく思いとは違うような・・・ 534 波打際、砂文字消せり四月尽
おお、いいね。ここの板を浄化してくれる。アホの仲間にはいっちゃダメと言っている。
浪打の砂文消ゆる四月尽 浪打の砂文消ゆる四月尽
は「字」が抜けてた
浪打の砂文字消ゆる四月尽
二月尽、三月尽ではというご意見がありますが四月尽がやはりいい。
春は憂いの季節なんだよね。しきりと初恋の人を想う季節なんだよ。 おっと、春の憂いはまた恋の始まる季節だ。
浪打際に今年も彼氏、彼女の名前を書きに行こう。
陶片に残る文様春の潮 人間が出来ているっていうけど、もう出来上がっちゃってるね 暦の表し方は、混乱はあろうが、
弥生 = 旧三月 ほぼ 新暦四月
と解している。
よって四月尽は、いまの暦で四月の終わり、春も終わり(を惜しむ)の意味で使った。
四月、夢やチボーをもって入社入学した人たちも、そろそろ現実を意識しない
といけない頃。波打ち際の文字はほっといても自然と消えるが、あえて”消せり”
と表現して、自ら消して次のステップを進もうとした気持ちを表した。
最初、”波打ちの”だったが、これだと波が消したことなる。”消せり”としたことで、
”波打際”とした。
俳句が連歌の発句(これから、この句につづけ!)が元なのを考えれば、
上五の字余りは許せるというのも理解できる。中七、下五と調えれば、
後につづく者はやりやすくなる。
536さんの読みも悪くないよ。ほぼ正解w。 なんかマジで昭和軽薄体じみてきて読むのキツい…
ジジイ、明日から書き込むのは一日一レスまでな。で、俳句だけな。 542は自分のチンボコの皮を剥いていればそれで良し。
チョロチョロしない。 おはようございます。
次回のお題は『春の動物園』です。 体の中の暗闇を持ち上げるように動いて蟇が鳴いた、
っていう三流の散文を575に成形してるだけなんだよなあ…
その甘さに気づけるようになってほしい あのね、今日はおじいちゃんはニューヨークへ行ってるからここには来ないよ。 やっとお題でましたね。
「春の動物園」
わあ、たのしそう!、なんていうのは親の子供に対する幻想。
もっとシュール(見かけの現実より現実的)なはず。
檻の中に我を眺むる夫婦かな シュールというのは、よくわからない取り合わせ
ということではない。
子供は無邪気だなあ、実は計算づく → シュール
人に役に立つことをしたいです。俺の自己満足のためにね。 → シュール
本当はわかっているけれど、気づかないふりをしていたことに
気づかされるのは、不気味だ。 東国原英夫
春深し・・・
春ふかし麒麟の鼻に蜜の香や・・・なわけないか。 一字余ったら「や」入れとけばいいや〜と思ってない?
二字余ったら「かな」入れとけばいいや〜と思ってない?
駄目だからね?そういうの >>556
そうですね。安直でした。
檻の中の我を眺むる夫婦あり 557 檻の中の我を眺むる夫婦あり
囚われの身を自分たちに重ねあわせた感慨を言いたければ
檻の中に我が身をおもう夫婦かな
しかし、季語がない。
以前私が作ったのは冬の季語で
息白し檻の内そと真向かわず
多摩動物園の冬の雨の日、豹の檻の前、豹と目をあわすことなく獣の荒い息
だけが記憶に残った。
今回は春の動物園だから、557さんも春の季語はいれないとね。
否否>>557
あんたのことやない。
>>555わてのことや。
春ふかし麒麟の舌に蜜の味・・・桜の花を噛んじゃんだめよん。 >>554
ええ加減な知識で無茶苦茶
象徴・想像・現実的なものが分かってない
欲動・欲求・欲望の発達段階も分かっていない
二物衝撃・モンタージュ・デペイズマンも分かってない まぁそのものズバリ春の季語が入らなくちゃいけないというわけでもないだろうけどね。
その頃の動物園を確かに句の出発点とか通過点とか到達点にしてたり、全体に香らせてれば。
季語原理主義者から言わせれば絶対なきゃダメだろうけどw
ただし、題として「春の」と言われてるからには、必ずそれに応えなきゃね。もうそこはゲームとして、腕を見せてやろうとする心意気の領域。 >檻の中の我を眺むる夫婦あり
これ、動物側から人間の夫婦を見てんの?
それとも動物のツガイが檻を挟んで自分を見てんの? 空のうえ象とパンダと春の雲
春眠しあくび重ねるカバの口
囀りは空の果てへと絶え間なく >>564
動物園の動物は、大切にされ餌にも困らないが、自由がない。
好きな餌を、最高の伴侶を勝ち取る自由がない。すべてあてがわれたものだ。
人間の夫婦が我を見ている。人間だから自由に食物を選べ、伴侶を選ぶのも
自由意志のはずだ。
だが、本当にそうなのか。笑ってみているが、本当に・・・。
春の季語いれないとね。 檻の中の我を眺むる・・・だから
動物側から人間の夫婦を見てるのよん。
だけど季語が無いっていってるの。
季語を入れてみましょう。
檻のなか我を眺むる春隣 失礼春隣は冬だった。・・・
檻のなか我を眺むる花の客 >>566
ふーん。そんな感じのこと感じて詠んだんだ。
わが檻も惑う四つ脚 ヒトのつがい ま、自分だったらこのくらい飛ぶ。
読む側に高い鑑賞能力にあることを願って、自分は最大限、その掴んだ詠むべきことに誠実に詩を成すだけ。神様の前で饗するために詠んでるだけだから。たとえ万人が理解できなくても何の問題もない。
基本的に歌人だっていうアイデンティティで、俳句は一日平均一つくらいしか作らないから、ここの人たちとは違って専門的なことはあんまり分からないけどね。 あ、だめだ。
春の、ってお題なんだ。
じゃあ推敲で迷った言葉のうちの一つを入れ替えて
わが檻も溶かす〜
か?…違うかも。
やっぱり春の雰囲気が足りない?
でも「つがい」の時点で春っちゃあ春なんだけど。
ここでさっき書いたゲーム的な精神がはたらいて、もっと分かりやすくミッション達成したいなという思いが頭をもたげてくる。
でも美的観点からいえば〜…ってんで、二つの間で引き裂かれるわけよ。
とりあえず、このくらいのレベルの迷いはせめて経験しながら俳句作れよってこった。遊びや爺の自慰じゃねぇんだぞコラ。 いずれにしても「惑う」は俗っぽ過ぎるだな。擬人法のクサさ。作者の意図を散文で読んだせいで、なんか悪い癖が出た。
作って数分後のいま読み返してさえそう思うんだから、明日明後日思い返したらまだまだ改作の余地はあるだろうな。 モニタリングの原西ゴリラの立場で詠んだんだね。
神様もいろいろいるからね。信仰の自由あるものね。 「蕩(と(ろ))かす」だと人間の男女の関係のことを中心に詠ってるだけの歌って思われちゃうし。
…じゃあ「融かす」か。
もしかして。
抜本的に改作せず、部分的な推敲にとどめるとしたらの話だけど。
モニタリングって、番組のこと?見たことない。原西ゴリラってなに。フジワラの人がそういうキャラとかやってんの? わが檻を融かす四つ脚 ヒトのつがい
で一旦ひとまず置いて明日まで寝かす。
「我が」にしなかったのは、漢字だと余りに動物側の眼差しが人間的理性に重なり過ぎるから。作者の感覚は違うかもしれないけど、そんな人間中心的な捉え方をするのはちょっと自分としては違ってたから。
「を」に替えた。「も」だと、熱々カップル()のイメージが出かねない。あと「を」って助詞のその意味と、多分その音が、動物がその佇む人間二人に出会った感じと、その時走る、救いのような、あるいは別種の牢獄に出逢って統合されただけのような感覚を描ける。
あとは表記的なこだわりが主で特に書くまでもなく分かることでしょう。
明日になったらまた全然違う句で元の作者の意図を表現しようとしてるかもね。
もはや一般的な添削ではなく、作者のその感じを自分だったら例えばどう表現するか、ってことになってるけど、
ありがたく読んで思考回路味わえよ。 あまりにも高尚すぎて淳子にはよくわからない。純子でんなく淳子よ。人違いしないでね。
淳子の好きな動物園句は
柔らかく女豹がふみて岩灼くる 富安風生 (夏の季、 灼く)
爛々と虎の眼に降る落葉 富澤赤黄男 (冬の季、 落葉)
女豹の目が眩みそうなしなやかさ、
虎の哀れさの中の威厳
どちらも目の前の現実であり現実が理想の一瞬に象徴化されている。
流転してゆく季語の力の働きを侮ってはだめだね。 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20180419-00000043-ann-soci
こういう幼児が物を飲み込む類の事件は商品停止の可能性が出てくるからやめてもらいたい
他の人間が迷惑するんだよ
子供つくったんなら、そういう小さい物は子供の手が届かないところに置いとけよ
「商品停止しちゃった〜🌸」とか言って他人事でよ、取り返しのつかねーことになんだ
バカな主婦の自己中心的な思い上がりやルンルン気分が人様の迷惑に発展するってことがあるってこと言ってんだよ
幼児教育はよく勉強しとけよ
改良しなかったらそういう育児に関する法律を立法するから気を付けとけよ
てめえ勝手な思い込みや軽率な行動のせいで人様に迷惑がかかってんだよ
なにもこの件だけじゃねんだよ
1幼児が物を飲み込む
2自動車走行中に幼児が駆け込んできた
3子供が騒いでうるさい
4子供が大人に蹴りを入れズボンが汚れた
他
→母親が全く注意しない、あるいは、「だめでちょ〜」程度の慰みで厳しくしつけねえ なめてんのかこらあ!
あんまりそういうママに対し依怙贔屓が多くて当の本人はお花畑だからイラつくんだよ あんま調子のってんじゃねえよお前らbloodthirsty Wolfがうろつくことになるぜ パンダの毛むしりて作るカラスの巣
猛獣の遠吠え聞こゆ牡丹園
ゾウのハナコパンダグッズと並んでる 「むしりて」…。あり得るけど、これは文語使い慣れてない感じあるなぁ。
主語がカラスなわけだけど、詩だとしたってちょっとちぐはぐになってるよね。そこが落ち着かない。下手さとして映る。
写実的な方針でいくならそれはそれでいいだろうから、それならもうちょっと対象に迫ってほしい。世界の中心はその巣だって言い切るくらいの瞬間を切り取ってほしい。そのためにはあなた自身が対象の中で窒息して死ね。苦しいけどその先にちっぽけな自我が消えた世界がある。
「牡丹園」の語がどこか素描的で迫ってくるものに乏しい。上の五七と上手く噛み合わさって世界を拡げる五音として成功しているかというと、疑問。鳴き声と牡丹園のことを詠むならそれで全然いいから、全体を見直して別の詠み方をしてみては。
パンダグッズって言葉が出てくるなら、わざわざ「ゾウの」って言う必要ないかもね。これだけじゃ読む側には分からないけど、「並んでる」という軽めの言い方が、単に字数合わせのものでなく自らの選び取った表現でありますように。 んー…でも「牡丹園」って言葉が自分の中であんまりちゃんとリアルな重みを持ってないだけなのかもしれない…。
もしくは、俳句ってこのくらいラフにイメージを置くくらいが乙なのかもしれない…。
どう思う?
考えといてください。今は分からないです。 そんなこんなでEテレ見てたらがらぴこプーで「五七五あそび」なるものをやってた。
がらぴこが中七の鬼で笑ったw 基本的なことを強調するためのくだりだったんだろうけど。
でもまあまあ良い感じの五七五だったよ。どのキャラが詠んだものも。
子どもの俳句は良いね。
こないだ見かけて今も覚えてる句。
【ありました つつじいっぱい 根津神社】
【つつじをね もすこしはやく みたかった】
子供の句ってことでフィルターかかってんのかなと自分でも思ったけど、
大人が詠んだ句として見ても、不思議と悪くない。なんか素朴で外連味の無さが魅力的。
ここの人にもプレバト()の句を作ってる作家たちにもプロ廃人にも一度自らを振り返る機会としてほしいものでありますでございますなぁ。 >>579
どうもありがとうございます。
正直むずかしいです。
ハナコさんのは季語もないし俳句ではないのですけど
平和と友好のシンボルであるパンダのグッズと共にゾウのハナコさんのグッズも売られてる。
決して忘れてはいけない大切なことなんだと思いました。 感覚的な能書き 観念的なご託宣
読みにくいからうろうろするなよ そんなことはないと思うよ。
つつじをね もすこしはやく みたかった
の子供の俳句情報を提示してくれていていい人だよ。
あなたとね もすこしはやく あってたら
とリズムが似ているね。タイミングを逃した悔しさだ。タイミングをゲットするには
こうゆう句があった。
三日月の頃より待ちし今宵かな 一茶 >>569
興味深い指摘をありがとう。
檻の中の我を眺むる夫婦ありの作者です。IDは一晩たつと変わるので念のため。
檻の中の我が、檻の外の人間夫婦をみている。
”〜の中の”は”我を”にかかります。と文法の曖昧なところだけ示して、
作者の意図は余分だったかな、と一晩たっておもう。
最小限の表現にとどめ、あとは読み手それぞれの読みにまかせる、のが
俳句の一番のよいところかな。
もちろん、”私”も昨日の自作句を見て、新たな読み(発見)があることも
あるし。
夏井先生いわく、自分が選んだことばは、自分(の意図)を超えることはないが、
季語はときに、自分の意図以上のことを表現できるので素晴らしい、だそうだ。
これは、俳句に季語が必要な一つの理由ね。
わが檻を融かす四つ脚 ヒトのつがい
作者さんも意識している通り、この句は短歌の形式まで延ばせば、
一首になりそうだ。単に下句(七七)を足すだけでは、ごつごつ
してしまいそうでもあるし、俳句としては、読み手は読みに入りにくい。
批判している訳じゃなくて、俳句と短歌の在り方の違いや句を詠む、歌を詠む
意義の違いに発見があって、面白かった、と伝えたい。 >>576
淳子おじさん、こんにちわ。
この中では、
爛々と虎の眼に降る落葉
が一番いいわ。 二本脚であるヒトが二人一組で檻の向こうにいるから"四つ脚"なのだなぁ
自由とは如何に…という思いその一点において動物と人間の境界が春に溶けだすから檻は"融けるのだなぁ >>588
そっか、四つ脚 = 獣 かと思った。
掛けたところもあるのだろうが、俳句ではあまり聞かない。
理由は、読みに入りにくいからだと思う。
読み手が掛詞の読み(ノリと言ってもいいか?)に慣れれば、
強力な表現手段になりうるのかもいれないが。
檻の下に覗く四つ脚はヒトのつがいか
鳥脚食べつつ、妻と語らふ
短歌って五七五七七を俳句ほど気にしていないように
感じるけど、どうなの?
スレ違いかもしれないが、有意義なら進めたい。 俳句のほうにやたら字数にこだわり過ぎる人が多いってだけじゃない?
わたしは中七の鬼ですから!とか馬鹿かと思って見てるわ。とっとと死ねよ、って。
でも今日ちょうど同じ着想を俳句と短歌の両方で作って比べたり色々して思ったんだけど、
短歌のほうが俳句より若干フレーズの息が長く詠み得る分だけ、五七五七七の上に乗って詠んでも言葉のリズムの刻み方が多様になって字数が伸び縮みする可能性高くなるんじゃないか。
でも反対に俳句は短いから音数ぶっ壊してぶん投げても割と最後まではついて行ける感じがある。
短歌は比較的長いから、しっくりくるリズムじゃないと、ましてや攻めた音数の順序で来られると疲れちゃうかもしんないとも思う。
ん。でも「反対に〜」じゃないな。別に二つは矛盾しないから。
とりあえず、自由律俳句ってのは有名だけど自由律短歌なるものは聞かないのは、その辺の本質的な理由が絡んでると思う。 >>590
”〜対して”ぐらいかw。
自由律短歌は聞かない。か、なるほどです。
>>585
三日月の頃より待ちし今宵かな
いい句ですね。一茶の人生を考えると、シュールのシュールはまた表(の凡)。
では、一句
春は曙、動物園に行く日なの >>595
ゾウの字違いまっせ。象
馬は馬シマウマくさめ春の朝
朝のおはようカバの夫婦に水温む
昔々カチカチ山の狸でなし
シロクマのうだつあがらぬ春うらら
ライオンの母ちゃん怖し春暑し
しばらくは休ませてくれ父の春
春の空猿の山でもピクニック
くたびれた午後のウサギは春の園
のそのそのカピバラを観て夏近し
少年の閉園後の春の夕 うららかやステップを踏むインド象
これは小田原城跡公園のウメ子、小学4年生の時に見た。今はもういない。 動物園の動物たちはどんな夢を見ているのかな、子供たちは今日どんな
夢を見るのかな。動物園は思い出のエキスだな。 このどんぐりから頭一つ抜けるならどうするか分かる?わっかんねえだろうなぁ…。
一つは
動物を詠まないことです。 >>605
では、実作でどうぞ〜。
って、なかなか頭で作った理論どおりにはできないし、
理論どおり作っても面白くなかったりする。
一応ね。10句の中で、
季語はもちろん
動物を一つ
朝〜昼〜夕の時間の流れ
しり取り
の縛りをつけて作ってみた。
パズル的な面白さがあったよ。
で、子供のころの思い出して一人ウルウルもした。w そうだね。
こどもがいないんだね。みんなの句には。
動物はいても子供の姿が何処にも見えないね。 >>608
そうだねえ。
自分を連れて行ってくれた頃の親の歳を、
もう過ぎている。ウルウルしちゃうねえ。 605 は一人でお池にはまっていればいいよ。ドングリの背比べでわるかったね。 >>606
理論じゃねえよ馬鹿
題材との距離感の練習。その一環。 筍の穂先を持ちてかぶりつく
パンダのお父さん、遠くから見るとアイスクリームのコーンをかじっているように見えます。 >>612
映像みた。
クマさん的には、最大のコミュニケーションの発露
(君たちカワイイねえ)なんだろう。w >>615
まあ、実作で示してよ。
動物を一つ入れたのは、縛りというより、句作を楽にするため、
というのは認める。 考えすぎて、グルーヴィンなものを忘れると、
前説や説明・解釈に必死になり句の面白さも半減する
結局、こんなところで披露しても負債だけ
首相の桜を見る会をみるとちらほらグロテスクなのは、あなた方の姿だ 守るべき俳味を理解し守りつつ俳句にさよならすること
必要なのは、ヴァラエティーから脱けて生活上に確たる意味をなすこと >>618
お前さ、例えば「初夏の海」ってお題が出てなんて読む?魚のこと読む?漁師?船?砂浜?天気?空の色?
「春の動物園」ってお題でここまで大勢がやってるのはそういうことで、
しかも発見に乏しい。目を開かれるようなものがない。世界が狭くて貧しい。
だから一回動物園の動物を見る自分のこころ〜みたいなのから離れた視点も持てっつってんの。練習だから。豊かになれよ。
「初夏の海」で詠むなら
【みどり子の頬突く五月の波止場にて】
くらいの感じ。
感覚回路のダイナミックさを見習いましょうね。 あと、なに句を楽に作ろうとしてんの。
あり得ない…
楽に作って浮いた分のエネルギー、何に使うの?
そんな魂胆から始まる詩作なんて殲滅しなきゃいけない。
中七馬鹿みたいな字数アスペとは違う方向で悪だな。世界の敵。本当に。 >>619
612のクマさん的なものを感じる。619に。 >>621
"〜みたいなのから離れた視点も持て"
のために何かするのは、無駄。という立場。
離れるっていってもいろいろあるんだよ。わかるかなあ。
天気いいしね。実際動物園にいって詠めばもっと楽しかったとは思う。
楽に作って浮いた分のエネルギーは、生活上の別の何か、に使う。普通だろ。 624さんはこういう風に思ってるし、こういう風な人間なんだってさ。
全世界に自分がどういう人間か声高に宣言したその言葉の一つ一つ、文の一つ一つ、そのレスたちはもう消せないね。石に刻んだね。とても誇り高く見えるよね。きっとそれ読んでみんな拍手してるよ。 >>625
さすが、歌人アイデンティティ。大した熱量だね。
アプローチの仕方が違う、ぐらいで理解しといてくれ。
みどり子の頬突く五月の波止場にて
いい句だと思うよ。625の自作? 俳句の元は連歌の発句、といっても、
じゃあ、発句って何?というわけで、
最近、安東次男著「芭蕉連句評釈」を読んでいる。
作法とか、決まりとか全然しらないのだが、
芭蕉と迎えた名古屋の町衆の熱気みたいのものは感じた。
今でいうジャズのような面白さなのかなとも思った。
〜狂句こがらしの巻〜
狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 −−芭蕉
たそやとばしるかさの山茶花 −−野水
有明の主水に酒屋つくらせて −−荷号
かしらの露をふるふあかむま −−重五
朝鮮のほそりすすきのにほひなき −−杜国
日のちりちりに野に米を刈 −−正平
以上が、初折(一ノ折)の表
以下、一ノ折の裏、二ノ折(表、裏)とつづく
全部で36行あった。
で、その影響もあって、春は曙、動物園〜の句を
発句と位置づけ、動物園の一日を、クリアできそうな
縛りを設定して、独吟した次第。
わざわざ、縛り(世界を狭くして)でどうなるか
試したのだから、最初から読み取れ。w >>636
そういや、今朝は爽やか東風だった。やるじゃん。
下五掛詞、俳句的にはどうなのよ。
鴨帰る空を見上げるキリンかな
これも言葉遊びっぽいな。w 鴨帰る空と言えばそりゃ見上げてるんじゃね
ちなみに昔テレビコマーシャルでやってた
オートラマに愛に恋をパクった >>637
そういわれるのは承知の上で、
いや、見上げてみたキリンが空を見上げてましたよ。という掛け。w
しゃらくさいから639の句でいいね。
獣交る(けものさかる)という季語があるんだねえ。いま見つけた。
恋や夢や裏や表や獣交る
まんまやんw >>643
”うらら”だけで、春の季語なんだよね。
だから、”春うらら”はおかしい!という議論がどこかのスレにあった。
てっきりアカウミガメの間違いかと
検索したら、グーグルさんに訂正されたw(こっちで検索しましたよ) 「春うらら」と言うのは、「馬に乗馬する」と言っているのと同じで、
季語としてだけではなく、日本語としても間違っているのです。
「桜」と言えば、誰が考えたって「春」に決まっています。桜のことを「春桜」
などと言う人がいるでしょうか? 「桜」が春を代表する花だからこそ、冬の桜を
「冬桜」と呼ぶのです。「風邪」が冬の季語だからこそ、「春の風邪」や「夏風邪」
と呼ぶのです。冬に風邪をひいた者が、「冬風邪ひいちゃったよ!」なんて言うで
しょうか?
唯一、許されるのは、俳句以外の文芸や歌の歌詞などで、「春のうららかな〜」と言った
ように、間に「の」と言う助詞を用いて使う場合だけです。この場合は、「春に桜が咲いて〜」
や「冬に風邪をひいて〜」と同じ使い方なので、日本語としても間違ってはいませんし、何も問題は
ありません。
以上きっこの裏俳話集より 寒桜な
冬桜も辞書によってはのってるが
春のうららの隅田川って歌あるわな
春うららは人によって解釈が違う
うららの語源はゆらゆら
春ゆらゆらならおかしくないだろ
春麗はダメだと思うけど 春うらら希望のかたち飛行船 野口香葉
春うらら白磁のつぼに自然光 山中宏
四ッ手網風を孕んで春うらら 中村祐子
道くさを悔ゆることなし春うらら大平保子
月夜鴉のごと孤独かな春うらら 董振華
校舎まで背中の太陽春うらら わたなべじゅんこ
春うらら児どもを連れて遊ぼうか熊谷みどり
春うらら車掌口笛もて発車 福場朋子
春うらら碧き湖まで峠ごえ 松村美智子
ふたびに言葉の増える子春うらら 大川冨美子
春うらら野鳩きくきく寄ってくる 石井てう
巻尺を延ばす町角春うらら 伯井茂
ドーナツの穴の不可欠春うらら瀬川照子
春うらら栗鼠の眠りし朽木の巣田中聡子
春うらら病舎の鳩も恋をして 上原カツミ
春うらら艸から足をそつとぬく 吉弘恭子 647は646の書き込みをちゃんと読んだのか。
理解力が足りないよ。俳句をつくる以前の問題だよ。 >>646
では、敢えて
春はうらら、我ら同胞(はらから)
動物園
意外と深いでしょ。 そうか
>>648は全部間違いなのか
そりゃすげーや 春うららは間違えていう人もいれば
そうでないという人もいる
ただそれだけのこと
結社に所属しているのなら
上に従えばいい
以上終了 648の例句は
「春うらら」を「うららかや」「うららかに」にすればちゃんとした句になった
のに残念でした。
うららかに汗かく耳のうしろかな 久保田万太郎
うららかや猫にものいふ妻のこゑ 日野草城
麗かや鼻反る牛の顔の泥 原 月舟
仏唇に朱の残りをりうららなり 林 翔 春うららまとめ
http://先読みトリビア.com/2015/0202/haruurara/ >>648 も刊行物に出ているちゃんとした句ですから
残念でした >>654
単にうららかという季語を使った句なんていっぱいあるのに
馬鹿だねぇw また束の間の意味を嘘ついたバカが暴れてんだろ
ほっとけよ 人生は短いんだから不味いラーメンを食いたかないよ。
雑誌に掲載されていてもね。 >>659
俺は君が決して間違っているとは言わないよ
春うららは間違いという人もいれば
そうでないという人もいる
ただそれだけのこと
結社に所属しているのなら
上に従えばいい
以上終了 650名前はいらない2018/04/23(月) 15:55:46.50ID:nigAN9OF
>>646
では、敢えて
春はうらら、我ら同胞(はらから)
動物園
・・・・・・・・・・・・・・・・
うららかや我ら同胞(どうほう)動物園
だったら良かったのに残念。調べもいいでしょ。 >>667
この句だけでは外にはねるくせ毛の持ち主が
誰なんだかわからない
動物なのか人間なのかマネキンなのかぬいぐるみなのか >>661
なるほど、同、動の韻ね。
うらら、はらからの方を意識したから、ふりがなを付けたのだが、
付けなければ、読み手が詠んでくれたかもね。 世の中、疑問を考えられない人たちって相当数いるからなあ。
(いまだに、束の間ひきずっているのか。) >>646
では、敢えて
春はうらら、我ら同胞(はらから)
動物園
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「春うらら、」春うららだけでもダメなのに、その後の「、」を付けているのが
凄く違和感をかんじる。どのような意図、効果があるのでしょうか
銀座のママの付け黒子じゃないんだからどうにかしてよ。
刺身にとんかつソースをつけた不味さを感じる。以前食べた。
おまけに分かち書きで置いた「動物園」。これで反則技の三連発。
俳句の表記だけは守ってほしい。夏井先生が泣くよ。 IDを姑息に変えてもすべてお見通しだ。匂いでわかる。 そうだね
おめでとう ヽ(〃''▽''〃)ノ☆゚''・:*☆♪ 俺の真似して批評添削もどきみたいなことやってんの?
馬鹿じゃね ーー第2回:春の俳桜戦ーー
お題「桜と富士山」
9位:
啓蟄や花びらも食べ空も食べ
花びらを食べ空を食べ未来へ
啓蟄の虫や花びら空も食べ
8位:
噺家が魅する桜と富士の山
米朝の語る桜と富士の空
7位:
逆さ富士に目桜鱒天めがけ
逆さ富士ゆらぐや桜鱒跳ねる
ポイント
;誇張しすぎない
6位:
肉食のフェンスの施錠山ざくら
肉食獣のフェンスの施錠山ざくら
ポイント
;言葉のイメージは変化する
5位:
もの思うこと忘れおり花衣
やるべきを忘れ花衣のうつつ
4位:
銭湯で花見の日取り決まりけり
銭湯で決まる花見の日取りかな
ポイント
;桜だけ
;富士だけ
;両方詠む
3位:
乙女座のスピカ流るる花吹雪
乙女座のスピカよ花吹雪流るよ
2位:
空のあお富士の蒼へと飛花落下
添削なし
1位:
花震う富士山火山性微動
添削なし
395 名前:名前はいらない[] 投稿日:2018/04/13(金) 12:58:26.95 ID:ovKsOs+n [1/3]
ーー第2回:春の俳桜戦ーー
お題「桜と富士山」
9位:
啓蟄や花びらも食べ空も食べ
花びらを食べ空を食べ未来へ
啓蟄の虫や花びら空も食べ
8位:
噺家が魅する桜と富士の山
米朝の語る桜と富士の空
7位:
逆さ富士に目桜鱒天めがけ
逆さ富士ゆらぐや桜鱒跳ねる
ポイント
;誇張しすぎない
6位:
肉食のフェンスの施錠山ざくら
逆さ富士に目桜鱒天めがけ
逆さ富士ゆらぐや桜鱒跳ねる
ポイント1位:
花震う富士山火山性微動
添削なし 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >>675
そうだそうだ。ジュンコおじさんはIDの変え方しらないんだぞ。w
で、そんなことはどうでもよいが、
文法、用法の違いが通例になっていくことは、よくあること。
多くの人が”春うらら”を使って作句し、かつ選句されているということは、
何か意味があるはず。
春うらら希望のかたち飛行船
この句の背景を知っているわけではないが、
昔、無謀といわれながら、飛行船にのって
太平洋を渡ろうとし、そのまま行方不明になった発明家がいた。
(いわんこっちゃない。)
このことを詠んだとしたら、
うららかや希望のかたち飛行船
では綺麗すぎる。
用法的に間違い(馬に乗馬する)が、そのまま
春の陽気な馬鹿さ加減の意味を強化しているのではないか?
つまり、”うらら”とは違った意味、ニュアンスが発生したので
通用したのでは? 678名前はいらない2018/04/23(月) 19:59:22.53ID:2R23cuxJ
俺の真似して批評添削もどきみたいなことやってんの?
馬鹿じゃね
............................
なに寝ぼけたこと言ってんの。ここでちゃんとした俳句批評を見たことないよ。 他にも、
春うらら野鳩きくきく寄ってくる
は
うららかや野鳩きくきく寄ってくる
では、野鳩の”きくきく”感がうららかやにではしっくりこない。
”春に日に”でも”春うらら”には意味的に負けそう。 680は救いのないボンクラだね。恥ずかしくないの。 あ、ジュンコおじさんヒス起こしちゃった。
落ち着いて、深呼吸を3回。
これは例示用の即興句。
春うらら私の名前違えたね。
→は?名前間違えた?まあ春の陽気のせいかもしれないから許す。
うららかに私の名前違えたね。
→あん?どういうこと?浮気した? 連戦連敗馬にハルウララという馬がいた。めちゃめちゃに弱かったので
逆に人気が出た。馬鹿でも愛嬌があれば救われるがひねくれ者はダメだな。 >>687
そうそう。
ハルウララでは、確信的に違う効果を狙っていることになる。
そこでシンコベーション(少しのズレが高揚感を生み出す)
”間違えたんじゃないの?”感が絶妙に、
春の馬鹿さ(でも許せる)感を醸し出しているのでは? >>688
競馬では、カタカナが通例だから、俳句とは違うが、
ハルウララという名前はやはり(弱くてレースに出れるほどじゃ
ないかもしれないが、頑張る)という意味を背負っていたのかもね。 バカがブチ切れて連投してるわwww
無様だのうwww >>684
訂正
うららかやにではしっくりこない
うららかやではしっくりこない
”春に日に”でも
”春の日の”でも 民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。原版は
国立国会図書館デジタルコレクションで無料で読めます
法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V ここの人の大半は別にプレバトなんか見てないんだと思ってた そだね。
でも、俳句が五七五の短詩型にもかかわらず
短歌にも詩にも劣らず人の心を打つことの
出来る要因は季語,切字、調べが有るからなんですね。
お疲れ。 >>714
素晴しい ヽ(〃''▽''〃)ノ☆゚''・:*☆♪ >でも、俳句が五七五の短詩型にもかかわらず
>短歌にも詩にも劣らず人の心を打つことの
>出来る要因は季語,切字、調べが有るから
切字は短歌にもありますが?散文でもあり得ますが?
調べに至っては良い散文にはあって当たり前のレベルですが?
季語がなくちゃ俳句は人の心()を打てないんですか?
もう少しものを考えてから文章を書いてください。もう少しものを感じてから俳句をよんでください。お願いですから。 君俳句の根本がわかってないし
俳句は愚か文学全体に向いてない
とりあえず俳句は即やめよう そだね。
もう少しものを考えてから
もう少しものを感じてから
そうします。季語、切れ字、調べ。
この三大要因をいかに巧みに駆使することが
その句の価値を決定するものだそうですから。 ID替え替えさん、旧ジュンコおじさん、
いつもお疲れ様です。 ジュンコおじさんはレゴランドスレて忙しいから
最近はポエム板の書き込みもだいぶ減ったね
IDが変えられるのもの1回線と
変えられないもの2回線使ってるよ 春霖の都会の動物園
この景色だけって漠然としすぎだろ
詩がないし 自分で言うのもなんですが、傑作ができたと思っている。w 動物園の朝餉ってのが
動物園の動物のエサなのか
作者が動物園で朝飯を食ってるのかわからない ”朝げ”は天皇が召し上がる朝の食事という意味
だそうだが、朝食の丁寧な言い方として通用していると思う。
この場合は、飼育員さんが動物たちのために丁寧に朝食を作り、食べさせている
事を連想するのが自然だ。飼育員さんにとっては大切な仕事だからだ。
雨の中、わざわざ動物園で”朝げ”を摂るのは変じゃない? 一般的に動物の餌を朝餉とは言わない
そこで迷う人もいると思う ちなみに俺は最初動物園での朝食と思ったが
動物の餌とも取れると後から感じた
春霖と中七下五との関係が…
季語が動くかなとも思う コメントありがとう。
餌とも言わず、朝食とも言わず、朝餉を使ったところがミソ。
元の意味は天皇が召し上がる朝食だから、ただ朝に食事する
ということではなく、たくさんの人が関わり仕事をしているはず。
動物園では飼育員さんの仕事ぶりを連想する。(と思う。)
春雨とも考えたが、(最初は実は、上五は”晴れ上がり”だった。)
長雨を意味する霖、雨に林が、動物園の檻とも通じるので合っていると思う。
(漢字は意味を知らなくても、字面で想像できるところが良い) >>733
話を聞けば朝餉としたところに
本人の工夫があるのは分かる
ただそれが句を読んだ人に伝わるかどうか
そして季語はやはり思いっきり動きます
この辺りは句会に出て
数多くの人に意見を聞くのがいいよね
季語の選択については やはり師に付くのがいい
最低でもカルチャースクールね
独学で最初に自己流の変な癖がつくと
後から相当苦労する 句の良し悪しは別にして、季語が動くというのは分からないなあ
春霖の中の朝餉というのはちゃんとその世界があると思うけど
たとえば、ゾウとかゴリラとかにとって、元々の生息地の熱帯雨林の朝の雰囲気を思わせながらの朝食となる
これが「秋霖の・・・」としたら、またイメージも意味合いも違ってくるかなと >>734
"季語の選択については やはり師に付くのがいい"
そうだね。季語は伝統のもの(語り継いだもの)なら、大切にせねば。
辞書的にちょろっと見つけてドヤって使うのはよくないと思う。
でも、季語はやはり思いっきり動きます 。
と言い切ったなら、ここはつらつらと挙げてもらわねば。w 伝統もクソもねぇだろ。歴史のあっさい俳句で、しかも歳時記なんてどこの馬の骨かも知れない編集者の匙加減で作ってる紙の無駄遣いみたいもんを後生大事にして、バカみたい。 >>736
そう。春の長雨だから、やはり朝餉。
(秋なら、夕餉か?それは秋になってから考えます。w)
そして、”動物たち”の朝餉でなく”動物園”としたのは、
準備したり、給仕したりする人たちを客観者として意識したため。
もし作者が実際の飼育員なら、動物たちの〜としたかもしれない。 厳かに「元朝」はどうでしょうか、元旦の朝の動物たちへの朝餉 >>740
う〜ん。今が新春ならいいかも知れない。
ただ、朝餉は”天皇の儀式ではなく、日常の朝食”ということだから、
厳かにするために、時期をずらすほどではないと思う。 ↑
おおかみに螢が一つ付いていた 金子兜太
今日はプレバトの日です。
柏は新しい芽が出るまで古い葉が落ちません
従って子孫繁栄の象徴の木と言われます
そのため5月5日の節句には
この柏の葉で包んだ餅が食されます
この柏餅の由来をよく考え
句を読んでみましょう 旧5月には柏の若葉は大きくなっていて、その葉でくるんでいたから、
柏餅の葉は緑だったが、新暦5月ではまだくるめるほど大きくない。
そこで、塩漬けにして保存した葉を使うようになった。
それで、柏餅の葉はくすんだ緑になった。
現在では、真空パック等保存技術がすすんだため、だいぶ緑に戻ったらしい。 桃の節句といい、なぜ季節感をずらしてまで、
行事を新暦に合わせたのかが不思議。 七夕も今の暦では、梅雨あけ前なので、
彦星、乙姫はなかなか会えない。
一年に一度だけ会える日、という感じがしない。
ただお盆は、あの蒸し暑さは、ご先祖様が帰ってきていると感じても
おかしくないなと思っていたが、調べたら、
そもそも旧暦7月中旬の行事なので、これはずらしていないことが分かった。
(まあ、それぞれ地方差はあるのだが) >>767
なら、知っているだけで終わらせないで、
なぜ、そのまま無理にでも新暦にあわせた行事(端午や桃の節句)があり、
一方で旧暦のまま(お盆)の行事があるのか、考えてみれば?
句作に深みが増すと思う。 >>767
だめだなあ。
”言われてみれば、そうですね”ぐらいのことで、
いちいち句歴の自慢にしてもらっては。
”知っている”というのなら、その理由を
己の考えで構わないから、言えるようにならないと。w ちょっと早くやってるやつなら知ってることを
ドヤ顔で書き込むな たまたまテレビ(その差知ってますか)で見たことと、
wikiったことを示して、疑問を投げかけただけなのだが。
了見の狭い男よのう〜w お題「春の動物園」
5位:15点
象よりのゲーム気になるミモザ達
象よりもゲームミモザのような黄色帽
4位:35点
春昼にひび割れのまま象と脛
春昼やひび割れ深き象の脛
春や象のごとくひび割れたりし脛
3位:55点
春風にゆられ長鼻檻の主
春風の檻やゆらりと長き鼻
;カットを割って映像を明確に
2位:65点
はな子には足とめぬ子ら夏近し
象のはな子に足止めぬ子ら夏近し
ポイント
;固有名詞は具体的に
1位:70点
象の歩に見えては隠る雀の子
象の歩に隠れて跳ねて雀の子
名人3段:昇格4段
象の糞豊かに崩れ穀雨かな
象の糞豊かに崩れゆく穀雨
;季語と季語以外のつかず離れずの感覚が良い
名人6段:昇格7段
春深し象舎の壁の罅長く
添削なし
;季語選びのセンスがよい
なんだ、動物園の象の写真だったのね。
次回「学校のこいのぼり」 >>774
どうもありがとうございます。
勉強になります。 スランプというのは
ある程度俳句を知っている者がなるものであって… 空いっぱい育て々と幟立ち
画用紙にはみ出す程の鯉のぼり
子ら走る空へ走れと幟立つ >>783
どれも素敵ですね。
詠むだけで元気になります。
リフレインがとても効果的に使われていると思います。 >>783
昇りとは
https://www.google.co.jp/search?q=幟&prmd=ismvn&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjzocGl89vaAhUQPrwKHZD8BwIQ_AUICSgB 鯉幟は幟の一種で、
”幟”だけではこいのぼりとは言えない訳だね。
たなびく哉鯉をとらえた幟竿 音を入れてみる。
チョークの音窓から見ゆるこいのぼり >>788
いいですね!
下校チャイム陽のさす門のこいのぼり >>787
幟と言えば鯉のぼりを指すという結社もあるし
幟と鯉のぼりを分けている結社もある
歳時記もその判断は分かれてる
数年前なっちゃんは幟と鯉のぼりは完全に分けてた
とりあえず鯉のぼりとした方が間違いはない >>788
窓から見えるから鯉のぼりって書いてるわけで
見えるは必要ないでしょ
志らくさんのチューリップの回覚えてるかな?
俳句で見えるという言葉が本当に必要なことは
そうそうないから ちょっと外してみましょう
タクシーのアンテナ小さき鯉のぼり 発想をぶっ飛ばしてみましょう
鯉のぼり柄の靴下一儲け 鯉のぼり鏡の前で人魚姫
これはあくまでギャグ俳句です
万が一わかる!とかいいな!と思った人は才能無しです >>796
いいね!w
下半身履いて人魚かこいのぼり
よりも、
下半身履いてうっとり鯉のぼり
の方が、一瞬なんのこと?、あ〜。
の方が面白い気がする。やりすぎると面倒くさいが。
”エッジ”ってやつですか。w >>791
言われて、いろいろ考えたが、やっぱりこの場合は、見えるの方がいいな。
チョークの音が聞こえるぐらい、静かな集中している教室で
(当然、板書をノートに写さないといけないが)窓の外の鯉のぼりを”見てた。”
聴覚と視覚を対比する意味でもね。
>>800
やりすぎ。w 789の下校チャイムの時は、鯉のぼりが視界に入ることは、
なんの不自然さもないから、これでいい。と思う。 >>799
ミニおなら下半身という表現は要りません
またうっとりは主観です
>>801
見えるはNGです
こうしたセンスを磨かないと俳句はうまくなりません
やはり師を持つべきです
>>802
下校チャイム陽のさす門のこいのぼり
快晴の下校チャイムや鯉のぼり
両者をよく比べてみましょう >>803
だめだなあ。
ここで、結社に入る、師を持つべきと勧めたかったら、
そのメリットを示さないと。
少なくとも、あなたは具体的な例示をして、
”ほら、師を持って精進した私はこんなにうまくなりましたよ”
というアピールをしないと。 >>803
ぞれぞれ、反論を書いたが、おもしろくないからやめた。
俳句は理屈を超えた面白さがあるはずだから、あなたもそちらに
重心をおいてみれば?
とりあえず人魚の句はギャグと断っているので、いちいちまともな指摘は
しないこと。 チョークって言ったら基本学校だから、鯉のぼりが見えてたら、基本窓から見えてんじゃないかな?
それに上五の字余りが、寸詰ってるのは微妙じゃない?
音のこと言ってるわけだし、もっと響かせたりした方がいいような
例えば
指先のチョーク弾けて鯉のぼり
みたいな >>806
目のつけどころがすごくいいですね。
添削の才能アリだと思います。 背面跳び大地を蹴ってこいのぼり
中距離走きらいな男子こいのぼり
学舎(まなびや)の耐震工事こいのぼり
白球を腹に受けたるこいのぼり >>806
添削ありがとう。
元句との違いは、切り取る時間、尺の違いなんだろうね。
下校チャイム陽のさす門のこいのぼり
快晴の下校チャイムや鯉のぼり
上句の方が、自然な脳の認知の仕方(音が聞こチャイムと分かり、
大きな映像から狭めていく)で、わかりやすいとは思うが、句歴
を重ねれば、下句の表現で、わかるようにならないといけない。
上句で満足していると、素人臭がぬけないよ。
と、803は言いたいのかもしれない。 >>813
なぜ、破調をしてまで、語順を変えたのだろう。
雨匂う雲が流るる鯉のぼり
雨匂う雲流れるや鯉のぼり 上五中七のワンフレーズ名詞止め+や/季語
基本の型だから覚えておくといい >>815
雲が(早く)流れるのが見えた→どことなく雨の匂いがした
の順番が良かったから
とはいえ
鯉のぼり流れる雲に雨匂う
の方が良かったかも >>818
そうだね。
鯉のぼりをみてたら、その先の雲が流れるのに気付いた。
雨の匂い(気配)がした。
の方が、自然な認識の順に思える。
年季の入った句歴の人はどういうかわからないが。w
(型だから云々) 鯉のぼりを見たらその先に雲が流れていた
100人中98人は同じこと言うよな 入学式シーズンになると
春光背負うランドセルとか腐るほど出てくる
鯉のぼりも朝日や夕日を背負うはお腹いっぱい
あと黒いって情報いる? 欠伸って言えば口だよねそりゃ
アポカリプティックの午後で十分でしょ
このに句ワイヤーって情報必要?
告げるに工夫があるのは分かるけど…
不要な言葉を削れば新たな情報を入れたり
調べを整えることができると思う >>829
終末の音鳴りやまぬ鯉のぼり
とか、どうでしょ? こいのぼり見てたらアポカリプティックサウンドが聞こえてきた
とか
自分にはまったく考えつかないような発想のぶっ飛びに出会えると面白いなあ〜って思う。 >>822
こう、なんというか。
陳腐であると言いたいのに、
毎回同じ陳腐な言い回しを使うとは。!
(100人中98人は〜)
お主、陳腐よのう〜。 発想を飛ばして、
いいものに出会えたりするのもいいが、
自然を丁寧に描写するのも良い。
雲が流れるところを見ている人など、実際あまりいないよ。 >>838
それは、他の陳腐でない言い方もしてからのセリフ。
で、なければ説得力がなく、言い訳に聞こえる。
(なぜなら、俺がよく使うから。反省) >>837
初心者の多い句会とか出るとよくわかるよ
鯉のぼり 雲 空は3点セット
さらに泳ぐ 流れる そよぐなんかのありきたりな動詞ばっか
それが駄目とは言わないけれど
このありきたりで詩を作るのは難しいんだよね
プレバトでは林家木久扇師匠ぐらいしか成功してない
雲がゆき又雲がすぎ鯉のぼり
by 林家木久扇師匠 添削夏井先生 >>841
雲、流れる、→ ハイ、陳腐
という発想が、短絡的じゃあありませんか。
もっと句全体を読もうよ。
元句 流れる雲に雨匂う鯉のぼり
わざわざ破調にしたのは、語順ににこだわりがあったから、
雲が流れるのをみて、雨の気配を感じた。
逆ではない。雨の気配が先ならばを感じたなら、普通はわざわざ雲をみない。
洗濯物とかを考えると思う。
作者は、鯉のぼり流れる雲に雨匂う の方が良かった。と言った。
なぜなら、雨の気配を感じてから、鯉のぼりを見る(印象に残る)のはやはり不自然だから。
だと思う。
最初、こいのぼりを下五に置いたのは、単にそれが”型”なのでという理由かも
しれない。
”雨が匂う”という感覚はテレビの映像を見ているだけではわからない感覚。
(動く、や泳ぐはわかるけどね。)
体験したことをそのまま句にしたのなら、それを陳腐と言われる筋合いはない。
(朝日は毎日あがるけど、陳腐じゃないでしょ。)
陳腐とは実際体験していなくて、頭の中だけ想像したようなこと。
白米や刺身にならぬ鯉のぼり とかね。w
鯉のぼりアポカリプティック響く午後 は、それでも飛躍しているからok
でも、それに影響を受けたと思われる
こいのぼりどこかで見てる逃亡者 は、やや陳腐。だと思う。 ま、作者じゃないから本当のところはわからない。
(嗅覚の要素を入れるといいと聞きましたよ、”雨が匂う”とか?)
って感じで作ったのかも知れないけどね。w 訂正
雨の気配が先ならばを感じたなら
雨の気配が先ならば >>844
荒らしでなく本気で言ってるなら
俳句やめたほうがいいよ >>844
リアル社会でそういうこと言わない方がいいよ >>847
>>848
まあ、たいがいの人はそう言う。
二人が(ID替え替え君一人なのかもしれんがw)
一番気になるのは、
体験したことをそのまま句にしたのなら、それを陳腐と言われる筋合いはない。
ここのところか?
そのまま受け取ると、完全コミュニケーション拒否(お前の言い分は一切きかん!)
と取れるから。 >>849
>>844の内容を
リアル社会で人に向かって話してごらん
ま 俳句の好みなんて人それぞれだけど >>850
ここがリアルじゃないから、話せるんだよ。w
なぜ、リアルを持ち出すの? リアルだといい加減なことが言えない
リアルでないと平然と意味不明な独自理論を並べる
さらにあまりの馬鹿さ加減に書き込みが減ると
なぜか勝った思ってる奴までいる
ここは面白い世界 >>844
私の陳腐な作品を解釈していただきありがとう
「流れる雲に」は陳腐だなーと自覚しつつカキコしたもの
「雲の川上」とか「雲出ずる先」とかも考えたけど、クサくて吐き気がするし
「雲増えゆきて」だと説明だし
「雲たなびきて」も陳腐さはかわらないから
陳腐だけどやっぱ風を感じられないとね、ということで「流れる雲に」にした >>852
あ、なるほど。
面白い世界なら、それを楽しめばいいのに。w
リアルでないから、独自理論を打ち立てればいい。
実際の句会で言いづらいこと、タイミングを外して言えなかった疑問を
吐けばいい。 >>854
どうもどうも。
自分がいいなと評価したのは、前に書いた通り
”雨が匂う”という表現と、その語順。
ただ、”流れる雲”をみて、なぜ”流れる雲”と表現するのを
”陳腐だなあ”と思うのがわからない。
その他挙げた表現より、断然いいよ。 >>854
今はもうほとんどいなくなっちゃったけど
ここで結構真面目に俳句を勉強してたやつもいたんだよ
そういうやつが信じちゃったらどうするよ
って話
もう結構前の話なんだけど
まるまるのバツバツを語るスレってのがあって
まるまるには俺の所属してた団体名
バツバツには俺の実名が入ってた
それ以来2ちゃんねるには楽しませてもらってるよ
あのスレには本当に勉強させてもらった >>856
まあ、ネット上の知識(特に匿名スレ?)をそのまま信じる人はいないな。
それに大抵は意見として、書き込んでいるのだし。 >>856
俳句スレで?
それって、けっこう叩かれてなかった?
(よく知りませんが) ここ一、二週間は書き込んでなかったけど、
俺の真似して添削しようとして馬鹿みたいなこと書き込んじゃってる人いんのかー
かなしいな 俳句ってさ実体験じゃないこと詠んでも良いの?東のえげつない俳句みていつも思うんだけど >>865
最終的に句が良ければそれでいいんだろうけど…
やはり基本は実体験
その方が力のある国句になるはず
ただお題によってはそうもいかない時もあるし
というのが大抵のカルチャースクールの
考え方だと思う 詩を作るにあたって駄目なことってあんの?馬鹿じゃないの?
想像力乏しい奴があれこれ歴史だの歌論だの持ち出して「みんな実体験で詠まなきゃダメ!想像は反則!ズル!」って100年単位で騒ぎ続けてるだけ。 >>865
何百万人もの視聴者がみて、よしとされているのなら、よし。
東だから、プレバトだからよし、なのかもしれないし。
句会のペーペーが同じような句を作ったら、
ご親切にもあれこれ直されるかもしれないし。
俳句に限らず、世の常でんな。
では一句
世の中は紙と棒にてこいのぼり そんなクソみたいな行為を「世の常でんがな」で済ませるような卑しい生き方してっから俳句なんかひねって茶を濁すようになんだよ
反省しろ >>868
詩を作るにあたってダメなこと
お前みたいなバカが作ること >>871
気が短い奴だな。w
自作自演っぽく次の書き込み考えていたのに。
先に取るな!
>>870
アホかお前!ぬくたいこと言ってんじゃねぇよ!
(IDご確認ください自作自演です。)
なんだ、この隣でガーガー寝ている女は、
これが一時は俺が愛した女か!
俺が上司にかしづいている間、どの口があのランチを食べれるのだ!
何でこんなことになった。俺の愛は!純真だったあの心は!
聴け!十七音に凝縮したこの調べを。
・・・・・、・・・・・・・、・・・・・
と、大なり小なり皆言いたいことがあって
上の点々を埋めるのが、俳句なのではないでしょうか。
実体験云々、季語云々は、
言いたいことを言うのに、役に立つのか邪魔なのか、どうよ。
ということでは? >>873
↑実体験と季語でしか俳句作れない人のレス。
気持ち悪いね。 >>874
お前もキモい。リーマン川柳でもよんでろ >>876
この譬えだと、じゃあ川柳吐いてれば。ってことになるかもね。
でも、川柳吐いて受け取るものと、良い俳句詠んで(他人の作でもよ)
受け取るものは違うんだよな。
川柳 → ぷっと笑って、ガーガー女房そのまま。
俳句 → フッと楽になって、ガーガー女房のかわいい所発見。
譬えですからね。 鯉のぼりの句で一番良かったのは
>>796かもしれない そうかもしれないけど…
一応有季定型で季感もある
他がひどすぎるだけかもしれない まあ、俺は
陳腐臭(頭で考えましたね。キミ)がしないくらいの
そのまんまの句が好きだから、
発想を飛ばした(よくそんなところに気がつきましたね。)の句と
同列に評価することはできない。 翻し黄は仔鯉の幟かな
;こんなんでいい、最後は”かな”でなくとも、”なり”で十分かも。 俳句って言うと学校は廃校
駅は無人駅
とどめは故郷の村は過疎の村
これが侘び寂びで良いと思ってるのかな
こういうやつを春の頭として
歳時記に載せてくれないかな >>893
その発想の柔軟さだけは評価する
柔軟さだけだけどね 今日はプレバトの日でしたね。
連休中は曜日の感覚が曖昧になってしまいます。
こいのぼり泳げぬほどの風雨かな
こいのぼりやまぬ風雨はありません >>899さん。端午の節句は昔は旧暦で
祝ったのですが、今は新暦の5月5日
晩春ですね。季語は夏の季語。
驟雨は夏の季語で、春驟雨は春の季語
やはり気重なりですね。 「新緑の鎌倉」が、お題。
新緑が主体か鎌倉が主体か。
新緑のだからやはり鎌倉か。 新緑や和み地蔵に手を合わせ
微笑みの絶えぬ地蔵に若葉風
良縁を願ふ地蔵や苔のはな >>905
長谷寺の良縁地蔵ね
>>906
大銀杏が崩れたときのお守り買いましたよ お題「学校のこいのぼり」
5位:50点
麗らかや蒼き空飛べ鯉、愛児
麗らかや青き空飛べ子も鯉も
4位:55点
学び舎の見えげる先は空の海
学び舎の頭上5月の空は海
;詩の核となるものはある
3位:63点
校庭に葉桜ぽつんとたたずめり
廃校の風に葉桜たたずめり
ポイント
;大切な言葉を逃さない
2位:67点
母になり手帳に記す端午の日
母となり手帳に記す端午の日
ポイント
;存在を表す助詞「と」
1位:70点
窓の枠狭しとうねる鯉のぼり
窓枠の狭しと風の鯉幟
名人7段:現状維持
こいのぼりさいのかわらにかがむ吾子
鯉幟さいのかわらの空如何
鯉幟さいのかわらの空蒼し
次回「新緑の鎌倉」 「うねる」があったか、これなら多少の時間を感じられる。
チョークの音窓にはうねる鯉のぼり
まあ、上五が気に入らない人には、そもそも成立しないが。 校庭に葉桜ぽつんと幟なし
これだと季重なりか。
校庭に葉桜ぽつんと風はなし
”〜なし”という表現はあまりみないな。
存在を意識させるのに有効な表現だと思うのだが。 次回「新緑の鎌倉」
鎌倉に行ったことない、田舎の片隅の人間はどう詠めばいいのだろうね。
とりあえず、
素堂の「目に青葉〜」の真似を。
香は若葉
鶯は里
阿弥陀仏 >>914
山口素堂の句はあえて三段入れにして
それぞれの季語を等位とし季感を出しているが
その箇条書きはただの季重なりの三段切れ
もうちょっと推敲してみたら? >>915
幼稚は言い過ぎかもしれないけど
下手なものは下手だと思うよ >>914
目には青葉山時鳥初松魚
視覚、聴覚、味覚な。 青葉(仲夏)→若葉(初夏)
ホトトギス(夏)→鶯(春)
季語の平行移動だから、季節感は悪くないと思うよ。
というか、自分の周りの里山は今、若葉で鶯が啼いている。
(大仏はないが)
>>919
そこは、あえて、だ。気付け。
(嗅覚、聴覚、視覚) >>910
どうもありがとうございます。
次スレは980前後に宣言した上で立てる予定です。 >>918
下手と言われれば、その通り。
だが、柔らかいものはすぐに固くなるが、
固いものが柔らかくなるのは難しい。
おじいさんほど、これが良いと決めつけずに、柔軟にね。w 新緑の果てへ江ノ電ひた走る
新緑や墓碑銘は「無」の一字のみ >>922
そいつは何言ってもダメだよ
同じ ID で書いてるもの読めば分かる >>910
さいのかわらとか陳腐すぎん?
東に子を喪った親の気持ちがわかるのか ID替え替え君は、ときおり
ひとりがってんやるねw。
そういう時は、外の空気でも吸ってきなさい。
>>928
そもそもゴールデンタイムなんて、外からでは
想像もつかないくらいの、放送コードがかかっている。
その前提で考えないと。
”ミッキーマウスって、しょせんぬいぐるみだろ”
とかと同じ。 >>921
ありがとうございます。
新緑の果てへ江ノ電ひた走る
”夏の果て”なんて季語があるようですが、”果て”は時間上の後のもの
を指すように思います。”果実”は”実の果て”など。
”新緑の果て”は表現の工夫かと思いますが、”初夏の果て”という言葉が
ないように、時間表現の重複の感があります。
”葉の果て”とやると、作者の言いたいことに近づくのではないかと思いました。 >>932
どうもありがとうございます。
「果て」って時間を表す言葉なんですね。ちょっと勘違いして使ってしまいました。
勉強させていただきました。 深緑の果てへ江ノ電
これだけで走ると書かなくても
馬鹿でも走るとわかるんじゃねーの >>934
ウマやシカには言葉はわからないかと思いますが、
上句の言いたいことは見事に、言い切れていると思います。 言えてるけど余分な言葉が俺もあると思うよ
まだまだ別の情報が入れられる >>936
咳をしても一人
山頭火のような句を、作者さんも許容して、良いと思えるなら、
このままでいいかと。
>>937
グズグズ言ってないで、散歩でもしてきなさい。 >>940
あ、そっか、勘違い。すみません。
山頭火と尾崎放哉の違いって、どんな? 細胞が違う。
当たり前やん。w
ボケてくれたのか? 山頭火と放哉の傾向の違いを概説する筋合いなんか無いわ。 >>943
おじいちゃんは、昼夜逆転せず、夜はよく寝ること。 >>945
自信ないのか?
実は945も句だけでは区別がつかないとか。 >>949
まあ、そう言わず。
赤の他人に文章だけで伝える努力してみろよ。 それもどうなのw
もしかしてこの人も触れちゃいけない常習犯?w 聡美いいだろ。似非インテリみたいななんとか葉子よりずっと好感持てるわ。 >>957
なぜかオッサンの池沼鉄をイメージしてしまった NG。
マジでこのスレ見始めて添削とかやり出してからスランプになってるわ。しばらくさよなら。 >>961
なんかよくわからないけど、寂しいよ。
薄皮一枚でいいから、剥けたら、帰って来るんだよ。w 山頭火と放哉の違い。
山頭火は嫁さんと逃げた。
放哉は嫁さんが逃げた。
が、句風の違いとなっている。と思う。
それから、
定型のでないものは、非定型という。
それを自由と称したので、わかりにくくなったのではないか。
自由は人によって取り方が千差万別。 ここまでだと>>906が一番いいと思う
>>908はよく分からん 遠き日の甘い思い出恋糸蜻蛉
遠き日の甘い思い出恋雨蛙
遠き日の甘い思い出恋蝉時雨 >>968
季語が動くんでなく
上五中七と『恋』のぼり をかけたんでしょ
季語もないし無駄な努力だけど 見たままを写生したらば季重なり
俳句あるあるですね(笑) だから季語とかいう権威的非芸術的制度やめりゃいいのに。
歌人でよかったー 失礼。
スレ立てぬいざ詠みめやも
それにしても、ここも10スレ目ですか…
感慨深いです。 「有季定形・文語でキレあり」に疲れきってしまった・・・ 埋めてもいいのですが、なんかもったいない気もして… >>983
だからそれ夏井教に苦しめられてんだろ。
こんな番組のあんな馬鹿が俳句の入り口になって俳句の伝道者になってたら、そんな貧しい土壌の上で五七五をおがらせ続けるのはそりゃあ厳しいだろ。
ヒョロヒョロの五七五でも気付かないような奴らならそれでも満足なんだろうけど。 ふわふわの雲に乗りたし八重桜
川端の水に映れる八重桜
優しさの母の笑顔と八重桜 ここの人たちって、俳句わりと作る割に、句集とか歌集とか全然読まないでしょ。
疲れたとか言うなら、変な習い事みたいな縛りを行儀良くかなぐり捨てるためにも色んなの読んで吸収すればいいのに。
自由詩とか短歌をやってもいいのに。
誰かに、何かの決まり事に、お手軽に従いたいんだろうなぁ。
安倍政権が続く背景の一端を垣間見るようだ。 このスレッドは1000を超えました。
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