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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/07/20(火) 01:12:54.26ID:zKnXRLRV
タイトル:長い別れ 作者:(仮名)空澤高紘
いつも別れは突然だ。
誰にも何も言わずにあの人は去っていった。
去っていったあの人の哀しみを夏が来ると思い出す。
残された者は自分の無力を打ちひしがれ、ただ哭くことしか出来ない。
涙は、酷薄な街に、浸透圧の如く流れ出るけど、
乾いた街で雫はライデンフロストのように、霧散していく。
人は忘却を求めるけれど、忘れることができないこともあるんだ。
人の痛みは、心の中で感じなければわからない。
忘れることを求める人は、忘れたいほどの思いを経験したことがない人だ。
夏はいつだって、哀しくて、風鈴の音とともにあの人がまた現れて、逢えることを願う。
夢の中では、いつも子どものまま。
こちらはただ年を取ってしまい、また暑い夏がやって来る。
夏の青空は、どこか物悲しく、雨香が長い別れを思い出させる。
0952名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/13(金) 10:55:34.53ID:X3mnrIoI
以下は、Wikipediaの"Crossed fingers"の項目からの引用である。

>To cross one's fingers is a hand gesture commonly used
to wish for luck. Occasionally it is interpreted as an attempt
to implore God for protection. The gesture is referred to by
the common expressions "cross your fingers", "keep your fingers
crossed", or just "fingers crossed". The act of crossing one's fingers
originates in pre-Christian Western Europe from the pagan belief
that a cross symbolizes perfect unity.<

>In German-speaking countries and also Sweden and Latvia
the gesture is a sign of lying. Instead, wishing for luck is gestured
by holding thumbs. The same gesture is used in many Slavic countries
such as Poland, the Czech Republic, Slovakia, Bulgaria and ex-Yugoslav
republics. In South Africa, Afrikaans speakers also have the related
phrase "duim vashou" meaning "holding thumbs tightly". <
0953名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/13(金) 11:42:29.77ID:X3mnrIoI
万葉集で詠まれている歌の多くには、「な(汝/己)のいと(絲)を(惜)しさ」
と「(大君の任けのまにまに仕へることを務めとする)ますらを(大丈夫)の
こころ(心)」の間の「葛藤」を見ることができる。しかし、
統治イデオロギーとしての制度宗教を補完するものとして発展して
きた制度的な学問としての「哲学」は、そのような「葛藤」の如実な
表現に哲学的な思索の跡を認識することができず。それを素朴な
「心情の吐露」としてしか受けとめることができない。
なぜなら、制度的な学問としての「哲学」にとって、「葛藤」とは、
英語であれば"conflict"に対応するもの、つまり、回避されるべき、
もしくは解消されるべき、あるいは少なくとも、最終的には完全に
解消されることが望まれる「対立」に過ぎないからだ。
しかし、万葉集の歌に詠まれる「さな葛(かづら)」という表現が、
否定的な評価で用ひられてはいないことからも明らかなとおり、
歌に明らかに「葛藤」が示されているとしても、その「葛藤」は、
"conflict"/「対立」とは異なり、「うつつ(/現実)」において
解消することができるものとしても、完全に解消されることが
望ましいものとしても捉へられてはいない。だからこそ、歌は、
理想において「うつつ(/現実)」を「ぬ(漏)け出す『たま(魂)』」の
働きとして、その「さそ(誘)ひ」の魅力と危うさに対して
極めて自覚的に詠まれているのである。
0955新型コロナ(ボレアリス株)
垢版 |
2023/01/14(土) 13:40:43.32ID:KJuqmf8V
「な(汝/己)のいと(絲)を(惜)しさ」と「(大君の任けのまにまに仕へる
ことを務めとする)ますらを(大丈夫)のこころ(心)」の間でどのように
してメビウスの帯の如く捩れたループを形成して、統治技法として
活用することができるかについては、「アリアドネ―の糸」を導き
の手がかりとして考へてみることも面白いのではないか。

>One year, the sacrificial party included Theseus, the son of
King Aegeus, who volunteered to kill the Minotaur.
Ariadne fell in love with him at first sight and provided him
a sword and ball of thread (ο Μίτος της Αριάδνης, "Ariadne's string")
so that he could retrace his way out of the labyrinth of the Minotaur.<
(出典 en.wikipedia.org/wiki/Ariadne)
0956名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/15(日) 00:12:27.96ID:LIpu+gAG
万葉集 第4巻 644番
今者吾羽 和備曽四二結類 氣乃緒尓 念師君乎 縦左<久>思者
今は我はわびぞしにける息の緒に思ひし君をゆるさく思へば
いまはわは わびぞしにける いきのをに おもひしきみを ゆるさくおもへば
(出典 万葉集ナビ)
0958世継ぎ
垢版 |
2023/01/15(日) 08:54:50.59ID:LIpu+gAG
上の話とは無関係だが、日本語と印欧諸語の間で発音がどのように
類似したイメージで使はれているか探ってみることはなかなか面白い。

この「よ(世)」の春

>Proto-Indo-European *yóh₁r̥ (“year, spring”).
(en.wiktionary.org/wiki/year)
0959名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/15(日) 10:25:38.67ID:LIpu+gAG
>Ariadne fell in love with him at first sight and provided him
a sword and ball of thread (ο Μίτος της Αριάδνης, "Ariadne's string")
so that he could retrace his way out of the labyrinth of the Minotaur.<

万葉集 第20巻 4347番
伊閇尓之弖 古非都々安良受波 奈我波氣流 多知尓奈里弖母 伊波非弖之加母
家にして恋ひつつあらずは汝が佩ける大刀になりても斎ひてしかも
いへにして こひつつあらずは ながはける たちになりても いはひてしかも
(出典 万葉集ナビ)

この歌からは、「いは(斎)ふ」という言葉が、どのようなイメージで用ひ
られた表現であったのかがよく分かる。
0960名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/15(日) 10:39:46.03ID:LIpu+gAG
ところで、"アドリアネ & ディオニュソス"をキーワードにして検索すると、
次のニーチェの言葉の引用がヒットした。ニーチェは、自らの思索との
関連において"アドリアネー"をどのようなアレゴリーとして理解したのだろうか。

>わたしのほかに誰が知ろう、アリアドネが何であるかを!
……これらすべての謎は、いままでだれ一人解いた者がなかった。
そこに謎があることに気がついた者さえいるかどうか疑わしい。
(ニーチェ『この人を見よ』)<
0961名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/15(日) 11:00:37.21ID:LIpu+gAG
Dionysos:
Sei klug, Ariadne!...
Du hast kleine Ohren, du hast meine Ohren:
steck ein kluges Wort hinein! –
Muß man sich nicht erst hassen, wenn man sich lieben soll?...
Ich bin dein Labyrinth...

Nietzsche, Friedrich, "Dionysos-Dithyramben", Klage der Ariadne
(出典 zeno.org/nid/20009257241)
0962Dionysos gegen den Gekreuzigten
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2023/01/15(日) 14:32:47.66ID:LIpu+gAG
>>926
>immer durstiger mit allen unsren Zweigen und Blättern in uns
hineinsaugen<
"Die fröhliche Wissenschaft", 371. Wir Unverständlichen,
(zeno.org/nid/20009254234)

>Alles, was bisher »Wahrheit« hieß, ist als die schädlichste,
tückischste, unterirdischste Form der Lüge erkannt;
der heilige Vorwand, die Menschheit zu »verbessern«, als die List,
das Leben selbst auszusaugen, blutarm zu machen.
Moral als Vampyrismus...<
"Ecce Homo", Warum ich ein Schicksal bin 8,
(zeno.org/nid/20009257063)

ニーチェにとって「みどり」と「道徳」は互いに逆数の関係にある、
すなはち、
(みどり)^(-1)=道徳、(道徳)^(-1)=みどり
の関係にあることをはっきりと見てとることができる。
0963世間之道/虚蝉乃代乃人跡成事
垢版 |
2023/01/15(日) 15:43:17.59ID:LIpu+gAG
万葉集 第5巻 904番
>比等々奈理伊弖天 安志家口毛 与家久母見武登
大船乃 於毛比多能無尓 於毛波奴尓
横風乃 <尓布敷可尓> 覆来礼婆 世武須便乃 多杼伎乎之良尓

>人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと
大船の 思ひ頼むに 思はぬに
邪しま風の にふふかに 覆ひ来れば 為むすべの たどきを知らに

万葉集 第9巻 1785番
>人跡成 事者難乎 和久良婆 成吾身者
死毛生毛 <公>之随意常 念乍 有之間尓 虚蝉乃 代人有者
大王之 御命恐美 天離 夷治尓登 朝鳥之 朝立為管
群鳥之 群立行者 留居而 吾者将戀奈 不見久有者

>人となる ことはかたきを わくらばに なれる我が身は
死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ありし間に うつせみの 世の人なれば
大君の 命畏み 天離る 鄙治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ
群鳥の 群立ち行かば 留まり居て 我れは恋ひむな 見ず久ならば
0964新型コロナ(ボレアリス株)、或いは明後日の神話
垢版 |
2023/01/16(月) 07:50:33.76ID:kuKcPeDh
私は、反ワクチン派などではないが、それでも、
新型コロナ(王冠)をボレアリス株として極北に収束させることのできる
ディオニュソスは、ワクチンでも、製薬会社でもないだろうと思ふ。
0965等己与(とこよ)能(の)久尓(くに)の天乙女
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2023/01/16(月) 22:10:10.82ID:kuKcPeDh
「『を(終)ふ』のさき(崎/先)」、「『を(終)ふ』のうら(浦/裏)」、
すなわち、「任務を『を(終)ふ』こと」/"mission accomplished"の後には、
どこで誰が待っているのか?

万葉集 第5巻 865番
伎弥乎麻都 々々良乃于良能 越等賣良波 等己与能久尓能 阿麻越等賣可<忘>
きみをまつ まつらのうらの をとめらは とこよのくにの あまをとめかも
(出典 万葉集ナビ)
0966名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/16(月) 22:49:11.72ID:kuKcPeDh
日本語の「世/代(よ)」は、竹の節と節の間も「よ」と呼ばれて、
「世/代(よ)」と語源的に共通であると推察されることからもはっきり
と分かるとおり、基本的に"temporal"であり、たま(魂)かぎ(限)る
「うつしよ(現世)」のことである。「等己与(とこよ)」の、つまり、
自己同一的なものとして与えられている抽象的な時空間がまず
想定されているわけではなく、また「うつしよ(世/代)」は、必然的に
みづから(身づ柄/自ら)の「いき(息/生)のを(緒)」、
「たま(玉/魂)のを(緒)」と結び付いているので、つねに状況的であり、
時間と空間が別々に分かれて捉へられることもない。
さらに、「『を(終)ふ』のさき(崎/先)」、「『を(終)ふ』のうら(浦/裏)」
として理想化される「等己与(とこよ)」も、自己同一的なものとされて
はいるものの、時の移ろひを失った永遠無限の時空間としてイメージ
されているのではなく、いくらめぐ(廻)っても飽くことのない時空間
的な回遊としてイメージされている。

temporal (adj.)
late 14c., "worldly, secular;" also "terrestrial, earthly; temporary,
lasting only for a time," from Old French temporal "earthly,"
and directly from Latin temporalis "of time, denoting time;
but for a time, temporary," from tempus (genitive temporis)
"time, season, moment, proper time or season," from Proto-Italic
*tempos- "stretch, measure," which according to de Vaan is from
PIE *temp-os "stretched," from root *ten- "to stretch," the notion
being "stretch of time." Related: Temporally.
(出典 etymonline.com/search?q=temporal)
0967名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/17(火) 11:05:53.85ID:WeyBF3V+
>「国恩を報ぜん事を思ふて心を尽せば、世人(セジン)称して山師といふ」
(出典 精選版 日本国語大辞典)
0968名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/18(水) 09:54:51.05ID:ITU/0V7K
ところで、昔、犬を飼っていたが、犬も睡眠中に寝言を言うことがある。
といっても、唸ったり、吠えるような声を出すだけのことだが、
それでも、犬も夢を見ていることが分かる。私自身は、子供の頃は、
夢を見ることがよくあり、空を浮遊しているような夢がとても多かった。
自分の意志で飛んでいるのではなく、勝手に体が空に浮遊している夢である。
では、犬も夢を見ているとき、空を飛ぶ夢を見ることがあるのだろうか。
これは、私にはよく分からない。他方、仮に他の動物、例えば、コウモリとか
鳥とかも睡眠中に夢を見るとすれば、コウモリや鳥が見る夢が
空に浮いたり、空を飛ぶ夢ではないだろうことは、間違いないだろうと
私には思へる。
0969名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/18(水) 10:02:31.07ID:ITU/0V7K
なぜそう思へるのかと言へば、それは、夢、すなはち、出来事に向けら
る意識が低下している間の思考の働きもやはり、身体的な感覚と
切り離されてはいないからである。睡眠中に浮遊しているような
夢を見るのは、寝ている間は横になっていて、目が覚めているとき
の姿勢とは異なり、足に体重がかかっていないからだといったよう
なことをどこかでニーチェが指摘していたが、これは、そのとおり
だろうと私も思ふ。犬が空中を浮遊しているような夢を見るかどうか
は分からないが、仮にコウモリや鳥が夢を見るとしても、その
睡眠中の姿勢が、浮遊しているような身体的な錯覚を生じさせる
とは考えられない。むしろ、錯覚を生じるとすれば、地上に落下する
ような感覚ではないだろうか。
0970名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/18(水) 11:22:16.07ID:ITU/0V7K
なぜ突然、こんなことを言い出したのかと言ふと、それは、日本語の
古語であれ、その他の言語であれ、言葉を表現として如実に伝はる
ためには、その表現が、共通する身体感覚と結びついているものと
前提とすることができることがとても大切だからである。
言葉の機械学習や機械翻訳などが話題とされるとき、しばしば、
そのことがまったく見落とされているように私には思へる。
0972名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/18(水) 12:02:51.58ID:ITU/0V7K
万葉集 第17巻 3981番
>安之比奇能 夜麻伎敝奈里C 等保家騰母 許己呂之遊氣婆 伊米尓美要家里
>あしひきの やまきへなりて とほけども こころしゆけば いめにみえけり
(出典 万葉集ナビ)

現代の日本語における「夢(ゆめ)」は、古語では、「ゆめ」ではなく、
「いめ」である。岩波古語辞典では、「いめ」は「寝(い)目(め)」である
と説明されるが、以前から指摘するとおり、この「い」は、それが後に「ゆ」
に変化したことからも明白なとおり、発音上の区別は存在しなかったに
してもやはり、""i"ではなく"yi"(したがって、"yu"に移行しうる)として
イメージされただろうと考えられ、例えば、「ぬばたまの『夜の夢/
用流能伊昧)』にを継ぎて見えこそ」(万葉集 第5巻 807番)と詠まれるとき、
「ぬばたま」、すなはち、「たま(魂)が自ずとぬけ出す」ことは、
「夜(よる)」の「よ」/"yo"、「夢(いめ)」の「い」/"yi"の発音が想起
させる作用の様態と結び付けられてイメージされているだろうと思ふ。

と、ここまでが前置きで、ここで本題にしようと思っているのは、
「な(汝/己)のいと(絲)を(惜)しさ」に対応する表現がその歌詞に
見られるとして上に引用した、コロンビア出身の人気歌手、Shakira
のヒット曲、"Antologia"に用ひられている別の表現、
>Despegaste del cemento mis zapatos
Para escapar los dos volando un rato<
についてである。
また後で続きを書き込むことにする。
0973名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/18(水) 14:07:08.32ID:ITU/0V7K
>Despegaste del cemento mis zapatos
Para escapar los dos volando un rato<
という言葉は、こひ(恋)する本人から見た表現であって、
その同じ状態を第三者が冷ややかに評価して日本語として言葉にするなら、
「束の間のこひ(恋)にうつつをぬかしている」ということになるだろう。

なぜそうなるのか、説明しよう。
まず断っておくが、"zapatos"と"rato"は、歌詞において先行する句である
"olfato"と"gatos"と韻を踏んでいるが、ここで私は、そのような詩の技法
について述べるつもりはまったくない。ここに引用した句を単純に辞書的な
意味から直訳すると、
「あなたは私の靴をセメント/コンクリートからはがした
少しの間、ふたりで飛び立ってぬけだすために」といったようなものとなる。
辞書的な意味から言って、日本語のカタカナ語として定着している「セメント」
の場合と同様に"cemento"は「接合材」であるが、それが「固まった状態」
のコンクリートでもあり、「接合」の作用に対しては、"despegar"を「はがす」
と理解することが適切であるものの、"despegar"は、自動詞としては
「離陸する」ことを意味するように用ひられるので、そのイメージが
「飛ぶ」ことを意味する"volar"によって喚起される。ここで、その逆の表現
を日本語で考へてみると、「地に足をつける」という表現がただちに
思ひ起こされるが、同時に私には、英語の"boots on the ground"という
、少なくとも私にはなかなか嫌な命令的な響きの感じられる表現も
想起される。"boots on the ground!"というのは、要するに、
机上の議論/空論はもういいからとにかく、「実働部隊となる兵士を
現地に派遣しろ」という指示である。
0974名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/18(水) 14:16:54.01ID:ITU/0V7K
>その同じ状態を第三者が冷ややかに評価して日本語として言葉に
するなら、「束の間のこひ(恋)にうつつをぬかしている」という
ことになるだろう。<

ここで「うつつ(現)をぬかす」の「うつつ(現)」は、「うつ」は、
「うつしよ(現世)」の「うつ」であるが、これは、「うつ伏せ」
という表現にも見られるとおり、地表のような「表層についた様態」
を表現し、「つ」が繰り返されるのは、その「ついた状態」の
継続性を伝へるためである。したがって、「うつつ」は地に足を
つけている現実的な/現世のあり方であるが、「〜をぬかす」
が表現しているのは、ちょうど、スペイン語の歌詞の"escapar"
に対応するように、また「ぬばたま」の「『ぬ(漏)』ば」に
対応するように、そのあり方を「ぬ(漏)ける」ことを意味する。
0975名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/18(水) 14:25:00.16ID:ITU/0V7K
と、ここまでは、今回は、スペイン語の歌詞に対応させてはいるものの、
実は以前にも別のところに書き込んで説明してきたことの繰り返しに
過ぎず、私自身にとっては特に面白いところはない。興味深く感じられる
のは、この歌詞に見られる"Despegar del cemento"という表現と
日本語の古語の「こひ(恋)」の対応関係の可能性を考えてみることだ。
万葉集の多くの歌において、「こひ」は、「古(こ)非(ひ)」と表記
される。既に見てきたとおり、現在の日本語の用法から見れば、単なる
発音表記のためのご都合主義的な当て字に見える万葉仮名の表記法も、
これらの漢字を選択し、優先的に用ひた人々にとっては、表現上、
それなりの妥当性が感じられていたはずである。
0976名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/18(水) 14:45:36.36ID:ITU/0V7K
「頑固おやじ」と言えば、「古い考えに凝り固まった年配の男性」を
思い描くが、Wiktionaryの記載によれば、中国語としての漢字の
中古音としても、「古」と「固」と「故」は同じであるとされ、
「古」は、「固」や「故」の代替の表記としても用ひられたとされる。
「非」が漢字の用法として否定の作用を想起させることは自明なので、
「こひ(古非)」という表記が「こひ(固非)」をイメージさせた可能性
を考へてみるなら、"Despegar del cemento"という表現が想起させる
イメージと対応させてみることも、面白いのではないかと私には
思へる。

万葉集 第14巻 3475番
古非都追母 乎良牟等須礼杼 遊布麻夜万 可久礼之伎美乎 於母比可祢都母
恋ひつつも居らむとすれど遊布麻山隠れし君を思ひかねつも
こひつつも をらむとすれど ゆふまやま かくれしきみを おもひかねつも

万葉集 第14巻 3568番
於久礼為弖 古非波久流思母 安佐我里能 伎美我由美尓母 奈良麻思物能乎
後れ居て恋ひば苦しも朝猟の君が弓にもならましものを
おくれゐて こひばくるしも あさがりの きみがゆみにも ならましものを
(出典 万葉集ナビ)
0977名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/18(水) 15:04:11.16ID:ITU/0V7K
ここで私は何も、古語の「こひ(古非)」という表現についての私の提示
する解釈が妥当である可能性が高いというようなことを主張するつもり
はない。私が言ひたいのは、言葉が表現としてどのようなことを伝へよう
としているのかを理解しようとすることは、まさしくその言葉が
どのような表現なのかを問ふ試行錯誤と切り離せないといふことであり、
また、その「どのよう」であるかを問ふためには、共通するものとして
前提にすることができる身体感覚を探ることが欠かせないといふこと
である。私には、機械学習や機械翻訳がそのような試行錯誤によって
言葉を「表現」として「身につける」ことができるようになるとは
思へない。
0978名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/18(水) 15:24:57.77ID:ITU/0V7K
>古語の「こひ(古非)」という表現についての私の提示する解釈が妥当
である可能性が高いというようなことを主張するつもりはない。<

妥当である可能性がどの程度あるか不明であっても、そのような仮説
を念頭にひとつひとつの歌がどのようなことを伝へようとしているのか
解釈を試みるのと、何の仮説もなくただ「古非(こひ)」を現代語の
「恋」に機械的に置き替えて(またそれ以外の表現についても同様に
処理して)、現代語として意味が通るように歌を理解しようとするの
では、感じられるものがまったく異なる。
0979名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/18(水) 16:41:50.89ID:ITU/0V7K
日本語の古語の「こ」については、「こひ(恋)」の「こ」の発音が甲類の「こ」
に分類され、「こ(乞/請)ひ」の「こ」の発音が乙類の「こ」に分類されて、
一般に、甲類/乙類の「こ」の間で用法に何らかの機能的な区別があったで
あろうことが知られており、「来」の漢字そのものが乙類の「こ」として
用ひられていることから、現代語の「く(来)る」、「き(来)た」、
「こ(来)い」の「こ」に対応するイメージを乙類の「こ」が担っていた
ことは明らかだが、甲類の「こ」については、私にはその機能な用法の
イメージがまだよく分からない。ただ、歌の詠み手により、甲類/乙類
の「こ」の区別が明確に意識されたかどうかにもかなり違いがある
可能性は考へられるだろうと思ふ。
0980名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/18(水) 20:43:24.34ID:ITU/0V7K
「こひ(恋)」には、「古非」の他に「孤悲」、「故非」、「古比」などの
表記もあり、このなかで「孤悲(こひ)」の表記は、そのイメージが
現代の日本語としても分かりやすいが、「こひ」という表現そのものは、
語源的に考へればやはり、甲類の「こ」によって表現される何らかの
作用の様態の「〜ふ」による再帰形だろうと私は思ふ。ただ、
その甲類の「こ」が表現していたであろう作用の様態が私には、
まだどのようなものであったのかよく分からない。
「こひ(恋)」は、その表記が「古非」であろうと、「孤悲」であろうと、
「故非」であろうと、基本的に「しげ(繁)き」ものとされ、気持ち
というよりも、波や風のように「絶え間なく」作用する動的なもの
として捉へられていたようである。そのことからは、「戀」の漢字
の「䜌」が「乱れ」を表現していることと相俟って、英語の
"tumult"や"turmoil"が私には想起されるが、そのような連想が働く
というだけのことで、それ以上でもそれ以下でもない。
0981名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/18(水) 20:47:50.38ID:ITU/0V7K
そのような連想からは、次のような歌詞も想起される。

Dónde estás, corazón - Shakira

>¿Dónde estás, corazón? Ven regresa por mí
que la vida se me vuelve en ocho si no estás aquí. <
0982名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/18(水) 20:56:27.89ID:ITU/0V7K
昔、私がこの歌手のファンだと勘違いした人がいたが、私はこの歌手の
このアルバムの曲と歌詞と歌手としての声の使い方の技巧を高く評価
しているだけで、歌手に何らかの思い入れがあるわけではない。
そもそも、私には音楽鑑賞のセンスが完全に欠如しているので、
音楽だけを聴いて時間を過ごすことがなく、歌詞に対する関心と
切り離して歌手のファンになるようなこともない。
0983名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/19(木) 09:38:09.82ID:5kS/L8dc
>「こひ(恋)」は、[...] 基本的に「しげ(繁)き」ものとされ、気持ち
というよりも、波や風のように「絶え間なく」作用する動的なもの
として捉へられていたようである。<

実際、万葉集ナビのサイトで「しげき」をキーワードにして検索すると、
「しげき」とともに「こひ(恋)」という表現が用ひられている歌が数多く
ヒットするが、それらの用例も含めて、「しげ(繁)き」という表現の
使はれ方を概観すると、それが、英語の"frequent"に対応するような
感覚で用ひられる表現であることがはっきりと分かる。

万葉集 第10巻 1920番
>春草之 繁吾戀 大海 方徃浪之 千重積
>春草の繁き我が恋大海の辺に行く波の千重に積もりぬ
>はるくさの しげきあがこひ おほうみの へにゆくなみの ちへにつもりぬ
>frequent (adj.)
mid-15c., "ample, profuse," from Old French frequent, or directly
from Latin frequentem (nominative frequens) "often, regular,
repeated; in great numbers, crowded, numerous, filled, full,
populous," which is of uncertain origin. Watkins says probably
from PIE *bhrekw- "to cram together," and compares Greek
phrassein "to fence in," Latin farcire "to cram," But Beekes
regards the connection to the Greek word as "quite uncertain."
Meaning "common, usual" is from 1530s; that of "happening
at short intervals, often recurring" is from c. 1600.<
(出典 .etymonline.com/search?q=frequent)
0984名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/19(木) 09:51:02.57ID:5kS/L8dc
以下のような歌の事例を見ると、万葉集の歌において詠まれる
「こひ(戀)」を「こころ(心)の"turmoil"」としてイメージすることは
妥当であるように私には思はれる。

万葉集 第17巻 4019番
麻射可流 比奈等毛之流久 許己太久母 之氣伎孤悲可毛 奈具流日毛奈久
天離る鄙ともしるくここだくも繁き恋かもなぐる日もなく

万葉集 第15巻 3767番
多麻之比波 安之多由布敝尓 多麻布礼杼 安我牟祢伊多之 古非能之氣吉尓
魂は朝夕にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに

万葉集 第11巻 2595番
夢にだに何かも見えぬ見ゆれども我れかも惑ふ恋の繁きに
いめにだに なにかもみえぬ みゆれども われかもまとふ こひのしげきに

万葉集 第11巻 2366番
真十鏡 見之賀登念 妹相可聞 玉緒之 絶有戀之 繁比者
まそ鏡見しかと思ふ妹も逢はぬかも玉の緒の絶えたる恋の繁きこのころ

万葉集 第12巻 2917番
寤香 妹之来座有 夢可毛 吾香惑流 戀之繁尓
うつつにか妹が来ませる夢にかも我れか惑へる恋の繁きに

万葉集 第7巻 1378番
木綿懸而 齊此神社 可超 所念可毛 戀之繁尓
木綿懸けて斎ふこの社越えぬべく思ほゆるかも恋の繁きに
0985名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/19(木) 09:58:52.05ID:5kS/L8dc
>turmoil
a state or condition of extreme confusion, agitation, or commotion<
(出典 merriam-webster.com/dictionary/turmoil)

このようなイメージからは、日本語の古語の「こひ(古非/故非/戀)」
を「こ・ふ」という再帰表現の名詞化と見るなら、「古」⇔「固」の
関係性から類推して、「古非(こひ)」という表記は、甲類の「こ」
の発音によって表現される「固定化の作用」の「〜ふ」による
「ひっくり返し」と見ることも可能であるように思へる。
0986テンペスト
垢版 |
2023/01/19(木) 10:05:51.21ID:5kS/L8dc
>「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない
見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、
夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって
締めくくられる」
("Yea, all which it inherit, shall dissolve, and, like this insubstantial
pageant faded, leave not a rack behind. We are such stuff as
dreams are made on; and our little life Is rounded with a sleep."<
(出典 ja.wikipedia.org/wiki/テンペスト_(シェイクスピア))
0987名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/19(木) 14:37:08.05ID:5kS/L8dc
ところで、Chaucerの"The Canterbury Tales"の対訳本を眺めていると、
序文からとても大切なことが書かれている。それは、Chaucerの用ひる
"trouthe"という表現が現代の英語の"truth"にそのまま対応している
ように見えるが、その時代のこの言葉は、現代の"truth"の場合のような
用ひられ方はしておらず、現代の英語であれば、"loyalty"に対応する
ような使はれ方をしているということである。逆に言えば、現代の
欧米のメディアの「真実」と「嘘偽り」についての議論や、哲学/思想
分野で「真偽」の概念を、日本語を母語とする人々が"ture/false"に
直接に対応するものとして扱ふとき、とても重要なことを見落としている
ことになる。それは、"truth"とは、もともと、素直に日本語にする
なら「ま・こと(真言/事)(/誠)」に対応するものであり、"false"は、
その否定、すなはち、「いつは(偽)り」に対応するということである。
したがって、"truth"を「真実」と考へる場合、そこで問題となっている
のは、"factual truth"であり、言明が"true"/「ま・こと(真言/事)(/誠)」
であるとされる場合、それは、その言明が何らかの"fact"/「事実」を
「ま・こと(真言/事)(/誠)」に伝へるものであるということだ。
また、「ま・こと(真言/事)(/誠)」と自然に対比されるのは「いつは(偽)り」
であって、「偽(にせ)」ではない。なぜなら、「偽(にせ)」は、その
発音から明らかなとおり、「に(似)せる」ことを前提としており、
「いつは(偽)り」にそのような前提は必要ないからである。
すると、「相対主義」を問題にするまでもなく、何かについて誰かが
「まことに遺憾です」と言う場合を考へてみればすぐに分かるとおり、
誰かにとってそれが「ま・こと(真言/事)(/誠)」/"true"であることは、
別の誰かにとってもそれが「ま・こと(真言/事)(/誠)」/"true"である
ことをまったく意味しないことが分かる。例えば、試合に負けて
負けた選手が「遺憾」であることは、「ま・こと(真言/事)(/誠)」/"true"
かもしれないが、試合に勝った側の選手からすれば、相手側が
「負けた」という「同じ事実」は、まったく「遺憾」なことではない。
0988みどりのTruth-conditional semantics
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2023/01/20(金) 08:19:29.49ID:1iTXkJB3
>'snow is white' is true if and only if snow is white.

>>716-719
'the infant is みどり' is true if and only if the infant is みどり.
0990名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/20(金) 09:20:02.00ID:1iTXkJB3
このようにきちんと論理的に真理を追究するなら、上に書き込んだ
「ニーチェにとってみどりと道徳は互いに逆数の関係にある」という言明
が真理である、すなはち、ま・こと(真言/事)(/誠)/trueのことわりである
ことも、誰にでも理解できるようになるのではないかと私は思ふ。
0991名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/20(金) 16:54:03.20ID:1iTXkJB3
>>988
「乳呑児がみどりである」ことの真理条件と私の個人的な人格や性格が
どのように関係しているのか、私にはさっぱり理解できないのだが、
このようなことを大学の研究機関で指導するような地位にある学者を
相手に実際に発言すると、まず問題にされる、というより、排他的に
それだけが問題であるとされるのは、私の経験から知り得る限り、
どのようにか大きく偏向しているとされる私の個人的な人格や
性格である。
0992名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/21(土) 09:13:46.47ID:0vNnC6+U
「ほんもの(本物)」/"true"と「にせもの(偽物)」/"fake"の対比に関して
言へば、言葉をつか(使/仕)ふ行為そのものが、
「事象がま・こと(真言/事)(/誠)」/trueに『そのよう』である」と
「如(=女・口)実」/"as if so"に互ひにつた(伝)はるように、
「そのよう」であることに「に(似)せ/偽」ようとする相互的な
擬態/"expressing by means of imitation"/faking true"の
こころ(試)み/心観である。
0993名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/22(日) 11:22:57.30ID:jb7e51zl
ううしよ(現世)の「現実」/《la réalité actuelle》とは、
《Ça me semble ... 》の「かへ(反)し」としての問ひかけである
《Ça te semble pas...?》を具体的に「こころみる(試)み/(心観)る」こと
を通して《une semblance de la vérité》を追求することによって
もたらされる「似姿」/《une ressemblance》である。
0994名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/23(月) 10:15:38.23ID:hp/bHgFa
私自身、ここ5、6年の間にはっきりと気付いたことだが、私は、
眠っている間が最も「頭が良い」。なぜそう確信できるのかというと、
目が覚めて間もなく、まだまどろんでいるときに最も「良い考へ」が
浮かぶからであり、その「良い考へ」は、普通に目が覚めているときに
考えようとすれば、複雑に絡み合った関係性のなかで現れるので、
その「良い考へ」が目が覚めた瞬間に形成されたということはあり
得ないからである。無論、「頭が良い」というのは、考へを「頭の働き」
に由来するものとする現代の日本語の慣用表現に過ぎず、より適切な
言ひ方をするなら、「考への巡りが良くなる」ということになる。
そのことが神秘主義的に思へるとすれば、それは、かつてであれば、
多くの人が、目が覚めたときにそのように「良い考へ」が浮かぶ
経験を「夢のなかでのお告げ」と捉えて、そのお告げが、神仏もしくは
鬼神とされるのであれ、故人とされるのであれ、何らかの人格化された
存在によるものであるとして自他に納得させようとしたからである。

しかし、そのように睡眠中に「考への巡りが良くなる」ことは、特に
私個人に限ったことではなく、本当は誰にでも共通することだろうと
私は思ふ。目が覚めている間に「考へている」というのは、実は、
その場で対処する必要性に迫られて、場当たり的に対応しているだけ
である。例えば、重大な帰結を伴うより大きな決断を迫られた場合、
その場で考へてすぐに結論を出すことは、一般的にも「浅はか」である
とされる。そこで「一晩考へを寝かせる」/"to sleep on it"ことが賢明
であるとされ、そのときに一晩置くのは、寝ている間に「考へを
よく巡らせる」ためであって、心配事を抱えながら、一睡もせずに
どうすべきか悩みつづけるというのは、最悪の対処法である。
なぜなら、目の前の対処すべきとされる問題に意識が囚われている
限り、その問題と絡み合っている様々な事象に気づけなくなって
しまうからだ。眠ることで、場当たり的な対処に追われることから
意識が解き放たれて初めて、問題を、その背景にある、それまでは
所与として無視されていた関係性のネットワークの中でより柔軟に
操作してみることが可能となる。
0995名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/01/23(月) 14:12:03.18ID:hp/bHgFa
英語の"affection"は、日本語としては「愛情」と訳されることが多いが、
「恋(こひ)心(ごころ)」として理解することもできる。
ここで、英語の"affection"に語源的につながるラテン語の"adfectus"
について検索してみると、Spinozaの"Ethica"からの次の命題がヒット
した。
>PROPOSITIO 3
Affectus, qui passio est, desinit esse passio,
simulatque ejus claram, & distinctam formamus ideam.

PROPOSITION 3
Un affect qui est une passion, cesse d’être une passion,
sitôt que nous en formons une idée claire et distincte.<
(出典 u-picardie.fr/ethique/partie5.php)

この命題の言葉で検索してみるとは、英語では、
>Emotion, which is suffering, ceases to be suffering
as soon as we form a clear and precise picture of it.<
日本語訳では、
>受動という感情は,我々がそれについて
明瞭判然たる観念を形成するや否や,受動であることを止める<
(畠中尚志訳?)と訳されているようである。私自身は、かなり昔に
日本語訳の『エチカ』を図書館で借りてきて少し目を通したとき、
そこに書かれていることがいかにも青臭く(「若造である」という意味で)
感じられたので、自分の肌に合わないと感じたため、スピノザの
著作は、ラテン語で書かれた"Tractatus Theologico-Politicus"しか
所有しておらず、(私はラテン語を読めないので)それも読んでいない。
したがって、英訳では、「感情」とも「情動」とも訳すことのできる
"emotion"と訳されている"affectus"を「感情」と訳したことについて、
日本語訳で特に訳注がなされているのかどうかも知らないが、「情動」
と訳した場合には、"e-motion"のように外に向かって動き出すイメージ
が強くなってしまうので、「感情」としたのだろうと想像している。
0996名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/23(月) 14:35:34.26ID:hp/bHgFa
それゆえ、この場合、ラテン語の"affectus"を「感情」と訳したことは、
日本語の訳語として適切なのだろうと思ふ。しかし、
"Affectus, qui passio est"を「受動という感情」と訳することが適切
であるとしても、この日本語の表現からは、原文とそのフランス語訳
や英訳を参照することなしには、何が言はれているのかを知ることが
私には著しく困難である。その理由は、ラテン語がフランス語や英語
とは同じ印欧諸語に属するために互いに近いための翻訳からも元の
ラテン語の表現が伝はりやすく、日本語は、印欧諸語とはかけ離れた
言語であるために適切に訳されても、原文の意図がよく伝はらない
といったようなことにあるのではない、と私には思へる。その理由は、
この日本語訳の表現をそのまま借りるなら、日本語訳が最初から
「観念を形成」した表現、つまり、「受動」や「感情」などの
観念/概念に依拠しているために、「受動であることを止め」て
しまっているからである。
0997名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/23(月) 15:12:02.40ID:hp/bHgFa
"Affectus, qui passio est"が「受動という感情」と訳されるのであれば、
"passio"/「受動」も、「外に向かう『情動』」ではないにしてもやはり、
「うご(動)かされること」ではあるわけだから、「こころ(情/心)」の
「うごき」であることに違いないだろう。しかし、「うごく」という
表現は、「うご『め』く」としてそれが「累加的」になる場合に
はっきりするように、私には、「表面化の変化が表面に伝はる」様態
を想起させ、"affectus"を「こころ(情/心)のうごき」と言い換えた
のでは、やはり、それが表面化するようなイメージが生じてしまう。
そこで、代わりにどのような表現が可能か考へてみると、私に思ひ
つくのは、"affectus"≒「こころ(情/心)のゆらぎ」/
「ゆらぐこころ(情/心)」であり、"passio"の方は、「受動」という
概念化をその働きに戻すなら、英訳の"suffering"にも対応するように
「こうむ(被)ること」となり、それをさらに古語として逆に辿る
なら、「こうむ(被)る」→「かうぶ(被)る」→「かがふ(被)る」となる。
すると、"Affectus, qui passio est, 〜"≒「こころ(情/心)がゆらぐのは、
かがふ(被)ることであるが、〜」となる。ただし、そのままスピノザ
の命題をなぞってみても能がないので、ここでは、その逆をとって
(それをひっくりかへして)みよう。
0998伝染(うつ)るんです/infectio
垢版 |
2023/01/23(月) 15:41:05.96ID:hp/bHgFa
>PROPOSITIO 3
Affectus, qui passio est, desinit esse passio,
simulatque ejus claram, & distinctam formamus ideam.<

逆命題
こころ(情/心)がゆらぐのは、かがふ(被)ることであるが、
そのかがふ(被)りは、それをひっくりかへすならただちに、
つた(伝)はるこころ(情/心)となり、ゆらぐこころ(情/心)を
うつすものとなる。

万葉集 第16巻 3858番
>比来之 吾戀力 記集 功尓申者 五位乃冠
このころの我が恋力記し集め功に申さば五位の冠
このころの あがこひぢから しるしあつめ くうにまをさば ごゐのかがふり <
(出典 万葉集ナビ)
0999名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2023/01/23(月) 16:29:22.88ID:hp/bHgFa
>>999を誤記の訂正に使はなければならないのは、とても残念だ。

誤:「表面化の変化が表面に伝はる」
正:「表面下の変化が表面に伝はる」
1000Affectueusement
垢版 |
2023/01/24(火) 10:29:32.89ID:bwo35FCf
このスレをどのようにを(終)へることにするかしばらく考へてみたが、
私もスピノザになら(倣)ひ、命題を提示することにしよう。

命題 1000
「こひ(戀)は、こころ(情/心)をゆるがすものであるが、
それでもひと(人)がや(止)むにや(止)まれずこひ(戀)にこころ(情/心)ひ(惹)かれるのは、
こひ(戀)こそが、うつしよ(現世)のこころ(情/心)をうつす花だからである。」

万葉集 第13巻 3332番
高山 与海社者 山随 如此毛現 海随 然真有目 人者<花>物曽 空蝉与人
高山と 海とこそば 山ながら かくもうつしく 海ながら しかまことならめ 人は花ものぞ うつせみ世人

万葉集 第4巻 771番
偽毛 似付而曽為流 打布裳 真吾妹兒 吾尓戀目八
偽りも似つきてぞするうつしくもまこと我妹子我れに恋ひめや
いつはりも につきてぞする うつしくも まことわぎもこ われにこひめや
(出典 万葉集ナビ)

二番目の歌の「打布裳」という表現に見られる「打布」は、
Wikipediaの記載では、>打敷(うちしき)とは、[...] 荘厳具の一種。
元々は、釈尊の座る高座の上に敷かれていたもので、後に仏像の前の卓の上に
敷かれるようになったのが起源とされる。打敷の「打」には「張る」という意味があり、
卓上に張り敷くことを意味する。内敷とも書き、打布、内布ともいう< と説明されるが、
ここで「打布裳」が「うちしくも」ではなく「うつしくも」と読まれるは、
それが「うつ(現)しくも」との掛詞として用ひられているからであり、
「うちしき(打布)」の表記そのものが定まらず、「上に敷かれていたもの」である
ことから考えて、「現(うつつ)」の場合と同様に、「うつ」がその布によって覆われる
「表面」を表していて、「うつ・しき(敷)」と呼ばれ、その「うつ」に「打」の
漢字が当てられたために「う(打)ち・しき(敷)」と呼ばれるようになった可能性
も考えらえるだろう。いずれにせよ、この歌の場合、「打布」は、「表面を覆う
うつく(美)しい覆いの布」に過ぎない「いつはり」かもしれないという疑念を表現
するために用ひられているので、「うつしき」と読むのが妥当である。
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