使われていない運転台 [無断転載禁止]©2ch.net
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編成組み換えの過程で中間に封じ込められてしまい使われていない運転台について語ろう
阪急5100系で新製時から一度も使った事が無いのあったはず 東武なんか地味に多いだろうな。
田園都市線直通運用の30000とか 207系3両編成の京都木津方面の運転台は営業運転では使われたことないな。
もしかしたら和田岬線103系代用で使ったことあるかもしれんが。 関西私鉄の、使わない運転台つき
車はとりあえずサハ代用っていうの好き 名鉄7500系で緊急時用にパノラマでない普通の運転台つけた車両がいた
ごくまれにしか使ったことはなかった模様だがそれも想定の範囲だったろうな 301系や785系は使われていないどころか撤去したのに「モハ」「サハ」に形式変更されなかった
モハ785-303だけは綺麗に撤去して形式も変わってたが
北陸の475系は逆に運転台が残ってるのに一部機器だけ撤去し「モハ」「サハ」に形式変更してた >>2
東上線では多数派だ。
ローカル各線に転属するときのことを考慮して、とか色々理由あって
中間運転台付きの編成を多めに用意する。
日比谷線直通を70000に入れ替えて不要になった20000が
群馬ローカルなどに転属することになりそうで、しかも野田線に入れた
60000が評判よすぎで今更どこかに転属させることも出来ない。
10030・30000世代は、乗務員室をそのまま残したまま機器だけ撤去して
東上線の地上運用で中間運転台を浪費しつつ寿命まで使い潰すしかない。 京浜東北の103系
クモハとクハ500代はATC化されてから中間押し込め。
京葉線へ転属後は大目玉のまま先頭に立って活躍。 東急のデハ3802は先頭になった事があったのだろうか? . | 事故廃車絡みで封じ込められた京王5000・8000系を挙げない冬厨>>1を
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| |  ̄ ̄〉! /`r-= >>8
下十条電車区の交番検査ピットの長さが足りずやむなく分割して投入した
6+4にした方がクモハを作らなくていいがどういう訳か7+3で作った
総武緩行線の201系も中野電車区の交番検査ピット長が足りず6+4になったが京葉線転用で活かされた 東海道線東京口の113系もサハ代わりにクハ入れてたな
将来16両編成化を目論んでたのか東海道新幹線開業後に編成短縮を目論んでたのか諸説ある
JR化後も確か残ってた >>3
東西線開業前に福知山線で3+3運用に入ってた
学研都市線でもあった可能性はあるけど見てない
和田岬線は代走で何度か入ってる
2000番台は和田岬線で実績なければ無いことになる 京成3500とか3600のターボ君とかの話か。
小田急沿線出身者な私にはすごくビックリする感じだった。 >>6
δ7000の中間クハもサハになったけど運転台はそのまま
ATS-P積んでないから本線走行不可なんだろけど
同様の例として南海7100初期車等
>>14
関西もそうだけどサハ111自体少なかった
>>15
TcMTcのときならやってた ガキンチョの時、名鉄の850(ナマズ)+800の三連普通に乗った時、
バーを潜ってナマズの運転席に座った事がある
『ヴォースゲー』てな感じでメーターとか触って
ふと足元にあった銀色のペダル踏んだら
"パァン!!"って警笛が鳴奏したから
慌てて座席までバックレて
下車迄素知らぬ顔をしてた
(親にはすんげえ怒られたがw) >>11
事故で先頭車が廃車になって、その先頭車の代わりにほかの編成のクハが
組み込まれた、ってところまでは5000と8000は同じ。
5000は、相方を失ったところの連結面に、8000は代替で新製したサハと中間クハの連結面に
それぞれ鉄板を貼ったのも同じ。
歴史は繰り返す、ってこういうことを言うのかな?
>>14
検査のために工場に入場するとき、編成単位ではなく車両(ユニット)単位で
入場させていた。
高度成長期で車両が足りなかった時代。
クハはサハの代わりに使えるけど、サハはクハの代わりに使えない。
113の初期は、サハをあまり作らずわざとクハを作った。 >>7
まさにその東上線の小川町〜寄居とか越生線があるじゃないか。 京王グリーン車に、湘南型先頭車と中間車が組んでるヵ所があったっけ。
連結面は板で閉鎖。 101系は使ってない運転台のオンパレードだったな
南武線で3+3とか総武緩行線で7+3や6+4や3+4+3とか意味不明な分割編成がやたら多かった 阪急2800系で長期間封じ込められて「時間の止まった運転台」があったな
助士席側に仕切りガラスなし(そもそも製造当初から設けられたのが5000系からで神戸高速鉄道での車内放送スピーカーのハウリング対策らしい)、ATS表示灯なしと新製時の原形を留めてた >>23
5000系や8000系でも踏切事故修復車がその対応でやっている編成があった。 >>26
そう言えば5013+5121Fの変則6連もそうだったね。 京王8000系は書類上「サハ」に変わったのに運転台が残ってたのあったな
更新工事で運転台が撤去された >>24
今は非貫通で中間封じ込めなんて無理だろうな。
どうしてもそういう編成を組むなら中間車にも車掌配置が必要だろう。 >>29
北陸の419系で真ん中に添乗員乗せないといけないとか北陸トンネル通れないとかで9両編成は短期間で中止された
京急では非貫通4+4+4があるがこの状態で都営浅草線に入ることはなく尚且つ非常通報装置があるから認められてる? 東急7200系にもあったよな。目蒲線や池上線への転属や、地方民鉄譲渡の時に発揮したけど、
豊鉄に移籍しても中間車として使用され最終的には運転台撤去された車両も存在した。 海幸山幸は元々両運転台だったのを2両編成にしたため運転台がデッドスペースになってしまった >>29
名鉄には2+2+2の編成があるでな。
どうやってあれ中間車に行くんや?w 207系は、4両編成の加古川・新三田方の運転台こそ、今後は使う予定がなさそう。7年前までは、(奈良→)木津→京田辺で使っていたが。 >>36
ATS更新とかのイベントがあればあるほど
普段使わない先頭車はますます金食い虫になるか
使われなくなっていくかのどちらか 475系のアレは運転状況記録装置付けるのケチって撤去したらしいな
運転台があると運転状況記録装置とかATSとか付けないといけない >>22
だとしても6連の下り方クハはもう先頭に出ることはないだろうな
寄居に6連が入線していた時代もあったがもうやめて20年になるし
ちなみに8000系がまだ主力の一角だった頃は上り方に4両連結(通常とは逆順)して
6連の下り方クハを先頭に立たせることが稀にあった
ただしそれは6連の野田線移籍フラグだったので移籍前の実車試験を兼ねてやっていた
だけだったものと思われる 岡山の213系にも、使われていない運転台があるんだっけ? クハ212-7がサハ代用になってるな
普段は編成から外れていて正規の3連が検査等で運用に入れない時限定で中間に組み込まれ
暫定3連を組むという・・
クハ212-100(サハ改造)をあえて所要より1両多く作ったくらいなので構内回送や
増解結作業時には運転台が活用されているのでは >>42
クロ212増備で余ったクハを寄せ集めてクモハ213-10を新製したとか >>37-38
中央線201系の中間に埋まっていたやつはATS-P・SNの取り付けが行われずBのみのまま
長いこと放置されていたりしたな
それらは形こそ先頭車であるものの先頭に立つことができる状態ではなくなっていた 使われていない運転台、
というより、使われていない連結器を>>1が持ってる。 阪急5100系で能勢電鉄移籍で初めて営業運転で先頭に立ったのありそう
3000系・3300系・5300系もそうだが中間封じ込め部分は方向幕付けてないのある
マスコンやブレーキが取り外され物理的に運転出来ないのもある >>44
201系900番台はクモハ200にATS-Pを取り付ける事が困難で封じ込められた
無理矢理取り付けると場所がないために客室に機器箱置かなければならず客室面積が減少する
115系ではクモハ115はATS-P機器箱を客室にベタ置きしてるのあって美観を崩してるのある 711系試作車は量産車のクハが製造されてクモハの運転台が使われなくなった
サハにしなかったのが不思議 そりゃ試作車のためだけにサハを起こしたくはないでしょ >>42
正面のLEDも装備していたり、一応使えるようにはしている模様。 身延線の115系で中間にドアスイッチを持ってくるべく←クハ115-→クハ115-モハ114-クモハ115とか謎な組成あった 1959年まで「クモハ」の形式が無かったのは電動車には運転台を付けるのが常識だったため
モハ63で崩壊した クハ103-562
中間封じ込めだったため2000年に廃車されるまで1灯ライトが残った
そもそもATS-P非搭載で先頭に出られなかった EF55の流線型じゃない方の運転台
最低限の機器しか積んでなかったとか 封じ込め運転台って 何処の会社でも営業線以外の構内入替運転には使っていたのかな?
大阪市の旧5000や東急の3450、旧7000系なんかは、保安装置は勿論、標識灯の有無、永久連結器に変更とか多様な仕様になっていたが、
現場は混乱しなかったのかな? 東急の場合3450は、死に体の封じ込め運転台が結構あったのに、そのくせ少数派の3800形の3802は運転台を潰されちゃったし
(皮肉な事に十和田譲渡で復活)
日比谷線の旧3001の編成には運転台付きのクルマが向かい合わせで組み込まれていて
同線特有の急カーブでぶつかるので片側ずつ前照灯、尾灯を削った丹下作善が居たけど、
アレは構内では入替運転とかに使っていたの? 阪急7000系の中間封じ込め運転台で部品供出のためか速度発電機が撤去されてて速度が常に0キロのままのやつがあった
マスコンハンドルが抜き取られてる車両もあった 中間運転台はわざと速度計動かないようになってる会社もあったな。小田急とか 東北・高崎線系統の211系
先頭車でグリーン車をサンドイッチしていた
将来の長野転用を目論んでクハを温存したためこうなったが予定通り復活したがサハ211を34両廃車する羽目に 京王8000系の中間に挟まれた先頭車はいま絶賛撤去中だが
撤去されたを9000系に流用して欲しい
スマートな8000系からの落差がひどい9000系 >>3>>36
小田急8000形の4両編成の小田原側運転台も207系の中間に入ってる運転台と似た状況だね。
小田原側に6両編成を連結して10両編成として運用されていて
4両単独で運用に就くことがなく先頭に出る機会がない。 >>62
そういえば4+4で走ってるところを見たことがないな 20年位前の東武には2+2+2+2+2の8000系なんていうゲテモノがあったのを思い出した
(記憶があいまいだから間違ってるかも) >>67
朝ラッシュの上りの増結車ばかりを集めて下る列車だね。
平日は2コテ運用が朝だけで終わっちゃうのが多かったから、それを集めて休日ダイヤで
ブツ6運用、ってのも。 近鉄では今でもブツ10あるな
シリーズ21を挟んでて編成美崩しまくってるのある
特急でもブツ10やってるし 101系試作冷改車は210kVAをクハにぶら下げてて見かけは7+3だが営業運転では分割不可能とか不思議な構成だったな
6両分供給できるために南武線転用で復活したとか >>70
間違えた
クハにMGぶら下げてるのは103系試作冷房車
101系はクモハ100・モハ100に付けてた 冷房車黎明期に超巨大な210kVAのMGを載せるとは国鉄も冒険したもんだね 急行型電車は使われていない運転台のオンパレードだったな
153系は編成美整ってたが165系から崩壊した
165系はかろうじでモハ165があったが457系はクモハ+モハしかなく随所に先頭車があってデッドスペースになってた? >>35>>58
高崎の211系は両毛線や上越線(高崎〜水上)に転用されて運用を開始した車両も多くなってきたけど
一部は中間に入る運転台の整備も省略した上で3両+3両の実質固定6両で運用されているので
使われていない運転台も結局まだ残っているね 運転台として機能させるには運転状況記録装置付けないといけないとかでこれをケチってか北陸の475系は一部機器撤去のみで「モハ」「サハ」に形式変えてたな 京王8000系は書類上だけサハに形式変えてリニューアルで運転台を撤去して鋼製車端ブロックに取り替えた >>32
8090系登場前の6000系や7000系8連の急行運用に混じっての唯一の冷房車の神編成だったな。 阪急の6024Fとか普段使用しない運転台は助士席側が剥き出しだな
機器にいたずらされないよう非常ブレーキスイッチとかはカバーで封印してある
7000系から仕切りが設置されたが助士席側に入れなくなり有効客室面積が減少している
113系初期型みたく助士席側折り畳み可能な構造にしても良かったのに >>81
神戸線の10連で幌を繋いでない列車がある
途中で増解結しない列車は繋いで増解結する列車は繋がないが10連のまま神戸高速鉄道に入らないため幌なしでも実用上問題ないはず
宝塚線は幌すら付けてなかったがダイヤ改正で途中で増解結する列車が無くなり幌を繋ぐようになった上に増結位置が宝塚方に変更された
京都線は地下線を走行するため幌の脱着作業を見る事が出来る 昔の営団銀座線や丸の内線も使ってない運転台のオンパレードだったな
銀座線に至っては両運転台×6とかゲテモノも存在したはず >>45
鉄道の場合はまだ最低でも運転台か連結器のどちらかが使われるけど
人間の場合は両方とも使われない可能性もあ(ry
それはともかく
何故か分からないが連結面に隠れた運転台面って想像しただけでゾクゾクするな
べ、べつに上の話と絡めて卑猥な意味なんかじゃな(ry
……すみません冗談が過ぎましたm(__)m
静鉄100形は最初の6両が両運転台仕様で2連化時に使わない運転台は潰したけど連結面に面影があり
その後2編成が熊電に引き取られたがそのうちの1本が片割れを事故で失い
残された1両が元の両運転台仕様を活かして運転台を再設置したが
一度は運転台を潰した同じ位置に再び運転台を設置した例って他にあるかな? リゾートしらかみの種車の元からある運転台も使われてないね
あれは業務スペースとして使っているんだっけ? >>84
夕張鉄道のディーゼルカーが水島か岡山で非常運転台復活させてなかった? >>83
丸の内線の500型は6両編成の両端のみ全室運転台に改造してあったが、それ以外の中間封じ込めは半室のまま、使われた形跡は全く無かった。なんせ純粋な中間車は300(改造による)と900しか無かったからね。 300形の更新車は運転席潰しても貫通路の上に方向幕埋めた跡が残ってたよね 大阪市営地下鉄50系
cM-Mc-cTc-cTc-cM-Mcが存在した
両運転台を電装解除とか豪快な改造だなw パノラマエクスプレスアルプスの貫通型運転台
営業運転で使ったのは富士急行譲渡後か? 近鉄の2200系は両運転台ばかりなので後半撤去したのがかなりあったはず 阪急3000系は運転台撤去車は簡易運転台ボックスがある
ふたを開けると簡易運転台が出てくるようになってるが前照灯やATSがないため構内でしか使えない
2000系や3300系や5000系は綺麗に撤去した 一般形気動車は運転台がないと厄介者扱いされるんだな
キハ18で失敗した
キハ58で編成美用中間車があったら編成美整っただろうが閑散期の扱いが厄介だっただろう そういえば、相鉄の7000や新7000なんか闇深そうなくらい使ってない運転台ありそうだな
特に新7000
こちらは事実上組み替えで先頭に出る事も不可能だし
しかも、なぜか、5+5のもあれば6+4のもあるわで >>90
なつかしい。中間2両が5800×2や5900×2の編成だな。 京阪2600系も中間に入っている運転台の機器を一部撤去や使用停止にして
書類上中間車にした車両があるな。
かつては状況に応じて組み替えて暫定編成を組む機会も多かったけど、
沿線でのイベント対応での臨時列車というのも少なくなったり、
京阪全体で6両運用がなくなったり、支線はワンマン運転対応車主体になったり、
2600系の数そのものが少なくなってきたりして、組替えをする機会も減ってるもんね りんかい線の70-000系は当初の計画では6+4が出来るはずだった
しかし先頭車の全長が長く乗車位置が狂うとかでJR東日本に譲渡する計画に変更になった 編成によりMT比が変わるからじゃなかったっけ?>譲渡した理由 大阪環状線の201系も当初は京阪神緩行線から全車両が転属してくるはずだったが4M4Tと6M2Tと4+4の3種類が出来てしまい取り扱い上ややこしくなるため奈良電車区に転用に計画変更となった
そもそも6M2Tにすると力行時の電力消費量が半端じゃないくらい大きく変電所が耐えられないとか
スカイブルー→オレンジ→ウグイスと塗り替えられたのもある 京王8000小田急1000は車両端ごと取っ替えた
東武10030、30000は貫通構造なので運転台機器だけ取っ払った
京急800は鋼製なので機器と扉撤去で客室化
関西は阪急、阪神、京阪にあるくらいか? 西武30000の付属2連は池袋線か新宿線か所属先によって使われてる方が異なる。 >>103
南海と近鉄と神鉄と山陽も運転台撤去車がある
山陽だけは減車祭の煽りで絶滅 >>105
近鉄3000系の運転台撤去車のライトがあった廻りがうっすらと残っている顔が良かったな。 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 近鉄初代ビスタカーの中間運転台
切り離して5両編成での運転も可能だったが片方トイレに改造された
床下スペースの関係で既存のトイレをタンク式に出来ず泣く泣く運転台を潰した 片側外すと2M3Tなんだけど、台車の数だとM台車もT台車も4つずつなんだよね 新京成800形も運転台撤去は盛んだったな。
旧形車へのブレーキ弁拠出による中間先頭車の封じ込めに始まり、冷房化による機器完全撤去、8連化による新製客室切り継ぎでの中間車化、強力編成化組み替えによる廃車車体切り継ぎでの中間車化といった事をやっていた。 165系や455系の運転台は過剰だったが、ローカル転用にあたり寧ろ足らなくなった。 ディーゼルカーだと戦闘の運転席と中間車をつないでいておおーってなる クモハ103-1、2
生涯の半分を過ごした常磐線時代は、ただの一度も先頭に出なかった
クハ103-4
本来は関西に転属予定が事故で差し替え
以後、京浜東北線ATC化で2度と先頭に出ることは無かった
クハ103-188
新製後、10年間中間封じ込め
1983年頃から先頭に出るように
以後、数奇な運命を辿ることになったのはご存知の通り 山陽3560形で元先頭車は改造費ケチったせいか運転台が撤去されておらず残ってたな
元中間車は2300系化時に完全に撤去されている 極めつけはクモハユニ64だな
元々は非電装片運転台で戦災車のMT15を積んで電装改造の時点で異例
その後運転台を増設し北松本、岡山、静岡で機関車代用、架線霜取り、荷電、構内入換、牽引車と延々冷や飯食いの連続
最後に伊那松島で増設運転台を封印して飯田線を闊歩したのが一生で一番輝いていた時代かも
1形式1両で日本の鉄道史上類を見ない改造歴と数奇な運命をもちながら戦前型旧型国電の終焉に立ち会った貴重な1両 近鉄エースカー
cM-Mcを基本に需要に応じてTcを増結して運転可能だが繁忙期に←→→←←←→と運転台が来て美観を崩してた上に加速度が編成によって変わってしまい使いにくかったようで以降は2両編成が基本になった 101系試作冷改車
見た目は7+3だがMGが210kVAが編成中に2基あって営業運転中の分割が不可能だった
6両給電できるため南武線で運転台が復活した http://www.mlit.go.jp/common/001006029.pdf
民鉄の何社かで不使用運転台撤去が進んだのは
福知山線脱線事故を契機として運転状況記録装置 等の常設を5年以内に完了するよう指導されたのが
遠因かな
使わない運転台に費用掛けて装備させられるなら、いっそ客室化しようじゃないか、と
で、その当の207系は既に付いているのでそのまま 207は使うから。
現に先月も和田岬線代走にS×2が入った。 キハ283の回送運転台は本線走行も出来る仕様と聞いたことあるけど
これも使われていない運転台の部類かな? 先日試運転を実施した近鉄アーバンライナーの中間車運転台と同類でしょ 回送運転台と言えば
789系0番台の回送運転台は札幌転属後も使用してるの?
特に2号車のやつは白鳥時代ですら増結後は使ってなさそうで >>124
もしかすると無線機の電波使用料が上がってるのかも
仙台に4Rをガンガン入れた時点で先祖返りな気もするが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています