製造した意図が謎な車両
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キハ53-100番台
長大編成対応だが一度も長大編成を組んだ事が無い 国鉄末期の郵便荷物車
わずか4年で廃車になったのある 105系のモハ105・サハ105
落成からわずか4年で先頭車化改造されてしまった DD20
単純にDD51を半分にぶった切ったらSL置き換え用の小型DL作れるんじゃない?
という安直な発想の結果、支線には軸重が重すぎて入れず、入換用にも使いにくい
クソ機関車に。 >>3
パレット式荷物車
カートレインなどに転用されたが短期間で廃車。
今だったら宅配便用に意外と使えるかも。 強いて言うと国鉄101系
全電動車設計はよかったが変電所がだったのでまったく毛色の違う電車になった。
EF200もそうか >>17
連接車体はダメって検証の他に後の車両へのフィードバックはあったのかな。 通勤電車には必要ない技術だったよね。
もともとは狭軌新幹線に必要だからって鉄道総研らが連接&DDMを税金で開発してて、
どうせなら通勤電車まで幅広く適用しようってことになったんだけど、
狭軌新幹線の開発は頓挫、
振子車に代わる曲線高速化車両の開発も頓挫、
最後まで開発続けられたのが通勤電車用だけだったっていう。 キハ201
450PSエンジン2基や車体傾斜とか通勤型にしては異様にゴージャス あの先頭車は最初から10年程度での廃車を想定して作ったものだけど
見た目こそ10-300に似てるが、中身は全く別物で転用も困難だったようだぞ ED76-550番台
青函トンネル対応に改造してみたものの1両だけで中止された 青函で釜足りない時にちょうど余ってたから改造しただけでしょ
なおその後需要が減って要らない子になる模様 E10形蒸気機関車
扱いづらくてあちこち迷走してた上に短命だった ED500
日製からJR貨物にこれ作ったからレンタルでいいから試験してと売り込んだ意欲作だったが、
試験中止になってJR貨物に買い取ってもらえなかった(確か単機だと粘着力に難があったのが理由)。
この失敗が日製の機関車製造撤退の決定打になったんだっけか。
引退後は日製水戸事業所で静態保存されていてクルマで水戸事業所の外周道路を走ると生垣越しにチラチラ見えていたが
気が付いたら解体されてた。 阪急7327F
GTO-VVVF8300系登場後に増備された界磁チョッパ車。
車体構造も旧式(骨組構造)の7300系を平成に入ってわざわざ制作。
8300系の不具合があったという話もなく、神戸線直通用という憶測もあったが真相は不明。 試作車や少数系列ばかり挙がっているが、
実は103系が製造した意図が謎の最たるものではないか?
山手線の専用車両という解釈もあるが否定する説も多い。
101系の経済設計には違いないがそれにしても性能がクソ。
駅間が長く高速で走る線区には別形式が企画されながらもどんどん投入された。 >>1からして意図が分かってるのばっかりじゃん
意図が謎じゃなくて
意図した用途で使われなかった車両の間違いじゃないの? 常磐線の勝田方面の1両だけ2階建て先頭車
千代田線直通も1編成だけで終わったのが国鉄、JR、メトロと有ったなぁ >>29
総武線などに103を入れて、駅間が長くて高速運転になる常磐快速線に101を転属
って計画もあったらしいけど、結局常磐快速線に103が入った。
壊れそうな走行音と猛烈な振動で高速走行は不向きに思えたけど、消費電力は割と低かったんだよな。
40km/hになる前に定格速度を過ぎるから、抵抗器に電気が流れる時間は短い
>>25
その当時のモノレールは、モノレールシステムの走る展示場だったから。
日立は東京モノレール
三菱は湘南モノレール
東芝はドリームランドのモノレール
東芝は設計時に壮大な計算間違いを犯し、車両重量を軽く見積もりすぎ
軌道を細く作ってしまったため、1年で運行中止。 >>31
215系にイカされたが215系自体があまりうまくいかなかった >>33
快速アクティでは乗降に時間かかって、結局ライナー専用になったからね。新幹線ではMaxとして1時代を築いたけどE4系を最後にまもなく終焉だね。 >>17
連接がうまく行きそうだったから新技術導入名目でDDMを抱き合わせて潰した。
TDカルダンかWNなら今頃何線区かで統一導入されていただろう。 東海の213は登場してわずか数年で昼間の運用が全てなくなるという 225系というか西の0.5M車
廃車まで固定編成で使うと聞いて0.5Mの意味ないだろと思った 阪神5550も何故か一編成のみしか製造されかった(しかも5500とは違い『リノベーション』対象外)。 山手線E231の6扉置き換え4扉車。
E231でショートリリーフして、E235に転用することが決まっていながら何故か
設計をE231に合わせたためE235に組み込まれたら珍ドコ編成に。 >>43
山手線の4600番台はE233準拠だから、E235とはもちろん、E231とも合ってない >>30
その通りなんで、その方向でレスしたら良いんじゃないのかな? >>47
>>32の前に
日立は犬山モノレール
三菱は東山公園モノレール
川崎は小田急モノレール
そして本命?の東芝は
ドリームランドはドリームランドでも奈良 >>37
連接にした理由の一つが幅広貫通路にして貫通路も客室扱いするはずが、各車に貫通扉を付けなくてはならなくなり、かえってデメリットになってしまったんだよな。 >>49
幅広貫通路って営団6000と7000のデビュー時みたいなキノコ貫通路みたいな感じか 西武2000系VVVF試験車
製造時点ではすでに6000系量産先行車が登場していたが 当時の綾瀬工場の事情(有楽町線と共通化優先で、その有楽町線が07に移行したため)だと思う
ちなみに01の最後の2本だけVVVFになったのが中野工場の事情(02がVVVFに移行したため) >>43
ホームドアが先頭車に合わないからわざわざ作ったけど
根岸線では多段式が開発されたから結局無用の長物になってるな
ホームドア黎明期のゴタゴタに巻き込まれた珍車両というわけだ >>51
西武2000系VVVF試験は不調だったのかな? それとも資金難で見送ったのかな? 東急8642と同じく新技術開発狙いだよな
優遇税制が絡むから
整備に難が有っても無理して残してきたとか >>19
連接式はボギー台車と違って台車外オーバーハングが無くなる分車体幅を広げられる
(台車間オーバーハングも連接式特有の車体長の短さで減少)利点があるから、
車体幅を広げる事による混雑緩和を狙ったんだと思われる。 >>27
軸重16.8t縛りと旅客輸送の動力集中式が絶滅危惧の日本に生まれたのが運の尽きって感じだよね。
ヨーロッパの同世代のD型機は軸重20t以上で出力も増強したうえで客貨両用で今も活躍してるから余計にね。 製造でなくて改造だが、西武501系。
新宿線で増結2連として使うなら401系とスペック合わせたらよかったのに
(実際401系最終ロットと改造時期も大差ないし)、何で101系相当の電装品
使ったのか。
おかげで当時の新宿線最大勢力の701系と相性が合わず、改造後僅か8年で
全車廃車。 モハ401-26
何故かMT54からMT46にダウングレード
モハ402-1が事故廃車となったのでユニットを組み直した
相方のモハ400をMT54にアップグレードじゃダメだったのか? >>60
なんか当初は次期4扉車の計画をしてたけど次期特急車の計画が先になってその通勤構想を取り入れたので600はあのような形になったとも聞いたことあるが 西武10000系10112F
この編成だけ異様に年が離れててVVVF
従来車をVVVF化改造すれば性能が揃ったが行われず >>63
所沢工場の閉鎖の影響もあるんでは
既存車に関しては当時の秩父線に回生電力吸収装置がなかった影響で改造を見送ったと思う(当初はVVVF車は新宿線限定運用だった模様) >>63
所沢工場の閉鎖の影響もあるんでは
既存車に関しては当時の秩父線に回生電力吸収装置がなかった影響で改造を見送ったと思う(当初はVVVF車は新宿線限定運用だった模様) クハ180
クハ181の両渡り化改造にしなかったのが不思議 >>66
クハ181は両渡りだったけど、EF63との連結のため自動連結器を装備したのと、台枠がかなり強化されたため別形式になった。 キハ183-1000番台
ECと併結で協調運転していた当時の「オランダ村」は、全区間架線下の列車であった
その後の非電化区間を走る「ゆふいんの森」「シーボルト」「あそぼーい」ではECとの協調運転の機会はない >>63
1編成だけ追加によくあるパターン
東武250系とか同1819Fとか阪急6330系とか >>68
DCとして製作されたのは当時流行のイベント列車として門司港佐世保間だけでなく電化非電化区間関係なく走れるようにとの事
協調運転は鳥栖から運行頻度の高い博多方面に乗り入れる際に特急有明との併結が有効との判断から 京阪2380
6000系登場後の1985年に出た2200系8連化用の中間車
当時は樟葉以西の急行停車駅しか8連は対応してなく
6000系が車庫で眠るという理由で20年前に登場した2200系を増備したが
1960年代製の中間車より先に余剰になって廃車
6000系車体にしとけばそのまま使えたのに >>71
京阪の基準からしたら短寿命だろうが、普通鋼製車体であることを考えたら
31年は一般的には十分長い部類だろ。 クモハユニ64000
意図が謎と言うより、誕生した時代背景によって翻弄されてしまったという感じかな。
増設された方の運転台はあまり使われることがなかったとか…
しかし最後だけは飯田線に活路を見出し、生命を全うできたことは良かったと思う。
如何せん一形式一両の珍車 京成旧AE形の8連化改造
運転台撤去とか大がかりな改造してその上2両だけは電装品をわざわざ同じ機器を作ったが2年ほどしか使われず3400形に更新 >>75
京阪旧3000と同じでライバルの影響が大きいと思う >>73
増設運転台を活用したのは大糸線時代
飯田線では増設運転台はほとんど使わなかった 小田急SE車も、短編成化で2両が10年ちょっとで解体されちゃったね そもそも小田急SEは耐用年数10年で設計されてたはず。
それを30年も使い倒すとか、設計者もビックリの延命措置。
よく事故起こさなかったもんだ >>75
車庫で焼き討ちにされたのは一度もスカイライナーとして運行されずに廃車された。 10-300Rは旧ATC時代にD-ATC対応運転台が必要だったという事情もあるから…
D-ATC化まで10-300が本線に出れなかったし >>60
京急608x8
小田急1081x8
西鉄701x4
この辺りも 西鉄700は5000形の先取りみたいな車両だったね 京急新1000形1800番台3編成
出力高過ぎて東京都と京成から出禁喰らって今やエアポート急行や増結運用が中心 155kWオールMで12連組めば電機顔負けの7440kWだぜ(笑) あの程度で変電所がダメになるならそもそも既存のクルマが数本一気に電気食ったら落ちるだけだし8連足りてるから温存してるだけなんだけどな 近鉄さくらライナー
南大阪線系統は大して速度出せないのにオールMになってる >>8
ありゃ事実上の試作車なんだよ。阪急発行の冊子には試作的と書かれてるけど。
試作要素が多いために使いにくく、後に全てT車になって1010系に組み込まれた。
ガキの頃は1010系に混じる異端車両の1000形が、なぜか好きだった。 >>83
608も2100の先取り
1081も2000の先取り
ただ1081は2600土砂崩れ事故の影響もありそうだが 相鉄9000は8000と別形式にしたのが本当に謎
数年間並行増備してるし >>92
その頃の相鉄、東急車輌製か日立製かの違いで形式を分けてなかったっけ。 新幹線100系で最後のほうに作られたのは300系J2編成よりも新しい
G50編成は1992年2月とのぞみ営業運転開始の前月に落成してる 鉄道界で最も取り憑かれた阪神3901F。
原因不明の脱線事故多発。 >>88
スハネ16の中にも、10年持たなかったのが多数。 >>92
函館市交通局(当時=今は部)にも、2000と3000ってのが並行導入しているケースあり。
近鉄の1230と1420もメーカーの違いで並行導入。
更に製造当初から1252/1253/1254系がある上に、ワンマンで改造別形式にする混迷ぶり。 >>89
おまけだが。
モハ62・クハ66で別系列になった本当の理由は、久里浜水害。
状態が良く転用計画が決まっていた車が、多数廃車に。75年改正で電車化された荷物や郵便荷物車の多くも、急遽ボロから転用したり… クハ401-901
サハ115→クハ115からの改造車だが、何故か落成して数ヶ月で101に改番。
キハ183-100
落成時には、スラントノーズ車に合わせた塗色だったが、評判が悪く速攻キハ82風に変更。
クハ183-150
485系と183系編成短縮計画で、計算違いが生じたため485系の先頭部を使った183系。 交直切替SWが無く九州から出られないのに485を名乗った先頭車 >>102
久里浜駅構内に、73系の上等な車が大量に留置してあり、転用先も決まっていた。そこに七夕台風(下)が襲い、久里浜駅が水浸しになって廃車になる。
仕方なく、旧63系を穴埋めに。
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0520/emaki/shouwa/shouwa_data7.html
当然ながら京急も甚大な被害を被り、減車等も行なった上に、12連化が半年遅れに。 東急デハ6991・6992
2017年、7両化により6301・2として落成したが、2年でQシートを付けた6301・2が登場してニートに。
総車に送られて、帳簿上付けられた現番号を付けて放置中。 >>5
ヒント;900番台。
厳しい国鉄財政に対し、試作車として会計検査院をスルーさせた。しかし2連✖4本の試作車はあり得ない両数なんだが… 西鉄7000
製造自体は間違っていないと思うがなぜ4扉で作られたのかが謎
後年に3扉の7050が作られたからなおさら >>107
63出自と72出自。
72970は、72系ばかりだし… 名鉄1000系の一般席車
5700系とそろえて2扉ではいけなかったのか >>105
東急お得意の無計画の仕業だろう
5000系列だって無計画に組み替えしまくってたし
東横の元田都車とかも >>112
あれはてっきり2両新造→抜いた2両をQシート化改造して別の編成に組み込む→抜かれた2両を改造してさらに別の編成に組み込む…ってやるのかと思ってたんだけどな
まあどっちにしても2両余るから5080系の8連化に活用するんだろうけどさ 東急は仕様を変えまくってるせいで組み替えると気持ち悪く見えるが、
車両なりパーツなり使い回して上手くケチっている感はある >>110
はっきりラッシュ時対応だろうに。
19m車で2扉は「滞留してください」って
言っているような物だし、
3扉でも転換クロスシートなら
充分な対JR競争力を持っているとされたんだろうよ。 >>5
717系は足まわり流用だからね。
車体構造よりサイリスター位相制御の試作という側面が強いかと。
阿武隈急行8100型やJR九州783系、787系、811系、JR北海道721系、更には新幹線100系の礎にちゃんとなってる。 >>108
四扉の6000&6050に合わせて増結運用を計画していたのかも。
しかし結局西鉄は異種併結をしませんね。 >>71
廃車するぐらいなら2600系で挿し込むかもっと古いTと交換する訳にはいかなかったのかな? >>118
廃車時はとっくに支線運用は13000系・10000系で置き換えられていて、
一般車8連は6000系+9005Fで事足りていて、
2600系30番台を8連や5連にする必要などなかったんだろう。 >>108,117
天神駅の改築工事期間中、線路を一本使えなくなるので、折り返し時間短縮の
ために4扉車を入れて、混雑ピーク時間帯の列車に使う
って理由だった。
工事完了後、増備車を3ドアに戻したのはちょっと理解出来ない。
ドアを埋め立てる前提で5ドア車にすればよかったと思うんだけど
整列乗車の概念が当時の西鉄になかったんだろうな 大阪市交通局だった頃の新30系にも、車齢10年未満で潰された車がいる。
そもそもあの30系が、ステンレスとアルミ同時新製かつ連番って思想が不明。
入札の公平化とかだったら、分からん訳じゃ無いが…そこまでメーカーに忖度するのもおかしい。 >>120
7000作った時点で天神の工事は終わってますよ
ついでに言うと西鉄は2.3.4扉を運用してたけど足元乗車位置案内は扉別(1両辺り端から順に2.3.4/4/3/4/2.3.4)に表記して列車案内も両数+扉数(ex.7両3扉、6両2扉)で案内してるから整列乗車させる気はあるんじゃない? >>121
一気に製造しなきゃいけないからどちらかしか製造できないメーカーでも対応できるように二種類用意したんじゃなかった? 301系
製造費が高すぎて途中で挫折
最初から103系1200番台にしておけばよかったのに 側面に「ドアもどき」がある125系。
と書いて125ゲットしようと思ったが、間に合わなかった。 >>124
それを言ったら201だって高コストだったから結局205になったと思うので、最初から史実205的なもので良かったと思ったが当時添加励磁が開発されてなかったから仕方ないか >>127
電機子チョッパ制御は高いから、私鉄では回生ブレーキ付けるのに界磁チョッパを採用していた。
国鉄が界磁チョッパ車を入れなかったのは、界磁チョッパ車で使う複巻電動機が直巻電動機に比べて
メンテナンスの手間がかかるから。 >>127
201系は101系と違って一応の成功作だからなぁ…
101系と違って、中央快速線において所期の目的を超える改善を達成した。
高コストに見合うだけの成果は十分すぎるほど得られているし。 201系も何だかんだ言って1000両造ってるからねえ 阪急8200系
落成が震災後で真っ先に復旧したJRに旅客を奪われてて時すでに遅し 阪急8200系はニートレインになっちゃってるよねぇ・・・
ニートレインつながりのJR東の215系やE331系(とっくにスクラップ済)と違い、
支線や能勢電に転用が効くのが幸いか。 >>131-132
その普及版(通常座席版)的な8040も8040ベースの基本編成は製造されずじまいになってるから仕方ない
(逆に8030は8000ベースの増結車) >>17-19
単に6扉と同じでホームドア設置に方針を変更したからというのもあるんじゃないかな
>>21
あれはメトロ8000の中間増結車と同じで車体のみ同時期の新車に近い意匠になっただけであり、機器類は旧世代に合わせてたからね >>120
ワンマン運用時は中間扉を閉め切りますよね。
その際、立ち区画になるより座席の方が
サービス向上になるからじゃないかな。
その当時に「将来、ホームドアで扉数を
統一しなくては」という先見の目があったのかは不明。 >>120
2000年頃までは4ドアで全部置き換えていくつもりだったんだろうよ
ところが実際は4ドアを増やしたところでメンテナンス箇所が増えたりとデメリットの方が目立ってきて
結局は2002年の7050で3ドアに戻したというのが真相じゃないか >>108
6000/6050が4扉だったからそれに合わせただけでは?
7050が3扉になったのは方針転換したためと思う 南海1051F
量産前提で作られたが当時の南海の財政難により1本のみで断念 >>138
もともと試作の意味で1050という中途半端な形式名なんだろ。もともと量産する気はなかった。 >>135-137
7000に関しては当社から甘木線投入を想定してたのかが謎
もしそれなら最初から4扉で作らないだろうし >>129
制御装置の回路の構成の関係で
勾配区間に必須のノッチ戻しと抑速ブレーキが使えることがわかり
高尾以西に乗り入れた結果、115系を若干削減できたという想定外の合理化にも貢献した。 >>141
最初から甘木線〜本線南部ワンマン用に作られてますよ 西鉄7000形登場時の6000形は確か4連と
2連だったと思う。
当時の西鉄はイケイケドンドンだった
ので目指せ最大8連!!ってノリで増結
運用も計画されていた。
しかしその後の計画変更で最大7連=
増結運用中止になり、ローカル運用なら
3扉でいいんじゃね?ってことで
7050に方針転換したと。。。 西鉄で8連は2000年代後半まで走ってたでしょ
時系列の認識おかしいよ >>118
残ってる2200系の古い付随車と交換することは改造等をせずにできただろうけど
それをしなかったということはほかの2200系と異なる部分が多く扱いにくかったとかの
事情があるんじゃないかな >>71
車体は2630と同一だけど、機器は従来2200に合わせてるとか? >>146
8両から7両に減らした時はまだ新しかったから古い付随車を引き抜いて7両にした
抵抗制御車編成が置き換えられて2380形だけはしばらく保留になったけど
結局差し替えたところで長く使わないから廃車したんだろうよ クハ103-500番台
クモハの対になる片渡り車を作ってみたが偶数専用で扱いにくかった?
0番台も冷房車は向きが固定 >>131
阪急は8040だって登場から約20年間は朝にしか使われていなかったからね
まぁ8040を日中運用に投入したから8200だってどうなるか分からないけど
ただ阪急の少数ロットは早々に整理されやすいから
(3000/3100/5000より先に廃車になった5200、早々に電装解除された2200等) >>29 >>149
史実103作らず101をそのままMT54にした(史実の111と113みたいな関係の)史実とは違う103では駄目だったのかとは思ったことあるけど
クハ103-500もクハ102では駄目だったのかと思ったが
(ただ僕は素人なので詳しくは知らないうえに当時の状況もよく知らないが) >>151
MT54はMT55と比べると出力が大きいわりにトルクが足りない
101系のモーターをMT54にした車両は必要な加速性能を得るために大電流を流さなくてはならず101系の問題点が解決できてない >>152
つまり天下の国鉄が、当時の大手私鉄の中では比較的しょぼかった西武にさえ、電力事情で劣ってたという事か。
西武はMT54互換のモーターでMT比1:1での通勤車両(国鉄で言う101系にMT54を乗せたようなもの)を大量に投入していたし。
(6年間で合計240両=60編成×4連) キワ90
本当に使えると思って製造したのだろうか、はなはだ疑問。
貨物が積めて貨車が牽引できる、当時のローカル私鉄によくあった電動貨車の
気動車版的な発想と思われるのだが、実際は、
・本線の貨物列車とキワとの間で貨物の積み替えが必要。
・積み替えせずに空車のキワで貨車を引こうとすると、自重不足で空転して
全く走行できず。
と散々な結果で、直ぐに試行が中止されてしまった。 101と103の違いが分からない人間には説明するだけ無駄でしょ >>150
2200系が早々に電装解除されたのは理解できる。非採用に終わった装置を積んで
いたのだから長期使用など面倒でしかない。
一方、5200系の短命の理由がわからん。冷房試作車と呼ぶべき車両だが、
他は全高がやや大きかった程度でほぼ5000系と同じ車両だったらしいし。
廃車が始まったのがバブル経済の頃だからかねえ。 MT54の通勤型は京阪神緩行線向けで検討したらしいけど103系で問題ないとの事になった。国鉄としたら線区別の適正性能を持った別形式よりは同一形式で標準化の方を取ったんでしょ。だからダイヤ改正の度に転用容易に出来たし。
京阪神緩行や常磐快速なんかはMT54の方が向いてたと思うけど。 >>91
補足
小田急1081は実質2600事故編成の補充
土砂崩れで2両廃車になった2600の残りの車両を極力有効活用するために別の1本とニコイチで組み換え8連化して
その足りない1本分を補充するために作られたのが1081のような感じ >>151
小田急も20m4ドア幅広車の導入に際し史実2600ではなく最初から史実旧5000的なもの(20m4ドア幅広車体に2400ベースの足回り)で良かったとは思ったが
ただそれを言ったら2400も何故あの変則車体長だったのかと思ってしまうけどね
(更にシステムとしては9000も大概だけど) >>52
それを言ったら07や東急2000も同じ
209‐1000は発足後初の常磐緩行増備だったから新形式にせざるを得なかったし、08も8000の編成増備終了から10年以上経ってたから仕方ないが
06/07や東急2000は同6000/7000や8500の増備終了から数年しか経っていなかったし、これらを継続増備でもよかったはず
(京王6000/7000/8000並行増備や西武3000/9000だって当初は疑問だったけど、理由を知って納得した) >>153
国鉄より遥かに輸送量が少なく、走行距離が短く、速度も出さないからね。
MT54でも余裕だわな。 技術は日々進歩してるのに数年前の型落ち品をまた作るメリットなんてないぞ あとアストラムラインも6000最終増備と1000は1年しか違わなかったか >>163
6135Fと06系、7134Fと07系は2年くらいしか違わなかった
6135Fは6101F登場から約20年後に、7134Fは7101F登場から約15年後にそれぞれ登場していたし、
6135F/7134F登場時点で既に他線では東西線に05系が登場していた
だから6000/7000増備でもよかったはず
東急は改めて調べたら9002F登場前に8000系列の編成単位としての増備は終了(後は8500増結中間車と8590先頭車のみ)してたことに気づいた
なら2000は仕方ないな >>165
その辺は最初からちょっとしか造る気がなかったのか、それとも増備するつもりでいたけど結果的に少数で終わったのかでだいぶ変わってくるからなあ
あとは編成単位での新造車はVVVF車に完全移行することになった都合上車体設計も見直す必要が生じた(からついでに新規に設計した)ってのもあるんじゃない?
ただ仮に6000系や7000系の増備で済ませたとしても置き換え時期は変わらなかっただろうし、それどころか7000系の方は東西線に転用されなかった分むしろ置き換えが早まったんじゃないかとは思うけどね モハ165
21両しか製造されず
153系と共通運用するためとしか思えず急行東海廃止でお払い箱に >>158
常磐快速線には、総武線などの101を転属させるって話もあったようだけど結局103に。
定格速度が低いってことはその速度以上では抵抗器に電気が流れないから
消費電力的には103って悪くないんだよな。
爆音と猛烈な振動で、客はもの凄いエネルギーを使ってるような錯覚に陥っていたけど。 まあ国鉄って所はお役所だし、特に昭和50年代は労使間が険悪で安定した車しか作れなかった。
185や117も、結局は目新しいものは何も無し。50系客車なんか先々の事考えたらもっと貧相で良かったんだけど。
結局201がしこたま作られた一方で、103が1984年迄作られた訳で…ただ最後の赤羽線用増備車の製造意図が謎。ほぼ同時期に、105系改造車や103-3000もあったし101系の下回り取り替えれば?と思った。 >>169
103系の本当の最終増備は山手線だったかな。新製費をとにかく最小限するための苦肉の策の結果。
カネに余裕あれば201系増備で玉突きしたはず。国鉄末期の超緊縮財政時代はタラレバ言ったらキリがないけどね。103系1000番代の105系改造も105系新製した方がよかったぐらい手間暇かけてるし(新車の金はダメでも人件費はいくらでも使えたのかな)。 会計的なやつかな。
新車はダメやけど改造なら予算出る的な >>139
1051F登場当時のニュース南海では「今後の標準」となるとあったみたいなんだが… 悪いが1000系自体が駄作の認識だよ
南海の中の人も内装や車体の塗装などあんな余計な部分に拘った車両は不要と失敗を反省していた
その反面教師として8000系以降では最も南海らしい6000~6200よりも南海らしさが戻って利用者も会社も歓喜の声 >>172
毎月見てるけどそんな記事見た覚えないなー。 103系1000番台が地下線内で抵抗器の熱が抜けない欠陥車で
新製から15年ほどしか保たなかった。
特殊なバーニア制御器も邪魔な存在だったし、
減価償却が終わったところで
傷んだ制御器を廃棄して体よく都落ち。
先頭車化改造すれば緊縮財政で瀕死の車両メーカーにも運転台ブロックを造る仕事を出せるし、
国鉄も貨物列車の大リストラであらゆる部門で
職員が余っていた。
だからあの頃は国鉄工場での大改造を厭わなかったのよ。 >>169‐170
それを言ったら福岡市営乗り入れ用だって201量産体制に入った後であったものの103-1500なので…
(財政難だったのと201が高コストだったので仕方ない) >>176
同じく抵抗制御だった営団5000は千代田線で問題発生しなかったんだろうか?
特に制御系で問題(過熱とか)あったなんて聞かないし、東西線転属後も長生きしているし。 >>177
筑肥線内での回生ブレーキ失効対策、って理由だったよな。
せめて空気ばね台車を履いた301-1000にしてあげれば良かったのに。
>>179
東西線と千代田線のトンネルの構造の違い。
町屋のあたりの単線シールド区間で熱の逃げ場がないから、103-1000が鉄板焼きになった。
千代田線開業当初使っていた営団5000が東西線に転属したのも、単線シールド区間対策。
東西線にはそんな区間がなく複線のトンネルだから、対向車線側に熱が逃げるので問題なし。
営団が車両冷房を導入したときに、103-1200や301が抵抗制御のまま冷房化したけど特に問題にならなかった。 福岡市営は103-1500と同時期の自局車両の機器は201世代なんだけどね 神戸電鉄1500形
1991年落成だが3000系と同い年で時代遅れ感半端ない >>182
間違えた
2000系と同い年だった
3000系も1991年落成がある >>160
小田急の場合は、新宿〜向ヶ丘遊園と向ヶ丘遊園以西で駅間距離に差があったから昔は各停用、急行用と割り切ったんだろうか >>181
というか福岡市交車に関しては"国鉄が造りたかった理想形"なんだよな
国鉄の車両設計事務所が国鉄という縛りから解放されればあそこまでできたって言うね >>180
>>179での質問が悪かった。
103-1000の鉄板焼きの問題が、同じ千代田線の問題のトンネルを走行している営団5000で特に聞かれなかったのは
なんでだろう、という話。
まあ抵抗制御が悪いなら営団5000でも当然同じ現象で有名になるはずなのに、なんで国鉄103-1000だけが殊更問題に
なったのかと。 営団車の方は分からんがMT55は発電ブレーキ時は端子電圧900Vを許容するとか
定格電流330Aで900Vだと一台当たりの出力は約300kW
地下トンネル内でこれ全部熱に変えるとか頭おかしいな 103-1000は地下鉄線内での電力消費が想像以上で営団が国鉄に電気代の負担を求めたんだよな >>188
半分合ってるけど、車両使用料をお互い乗り入れた距離を合わせて相殺する際に、6000系との電力使用量に差が有りすぎて会計検査院から指摘されて問題になったんだよ。 東西線の1200番台や301系が線路条件が千代田線と違うためか発熱が大して問題にならずJR化後の21世紀まで生き延びたのが意外だな
それこそJRに電気代ふっかけてもおかしくないレベルだったはず >>190
そりゃ東西線は営団側も長らく抵抗制御車しかいなかったし、回生車の登場以後も走行距離の調整ですむ程度だったんでしょ
ちなみに営団としては電気代の差額徴収は本意ではなくて監査で指摘が入ったから渋々やってたんだとか 単に発熱量だけの問題だったら地下鉄線内電制カットで済むが今度は制輪子の摩耗が早まったりゴムが焼けたような臭いがトンネル内に充満するか
配線が蒸し焼きになって検査のたびに交換する始末だった >>190
そもそも90年代のJR東日本でまとまった数の新車を入れたのは京浜東北209‐0と横須賀総武快速E217くらいで、
東西線は営団車両も05の増備が止まっていて約半数は5000のままだった時期もあったから… 国鉄103系と営団5000系の差は、ちょっとした重量の差のような気がする。一両あたり2tぐらいの差だけど、10両にしたら20t前後違うとか、じゃないかね。
非冷房の103系のデータがみつからなくて比較できんが…。冷房改造後でも、けっこう差があった気がする。
あとは、抵抗器周りの設計に差があるんじゃないかね。1000番台は、熱の行く方に電線ダクトがあったとか。 >>190
東西線は路線の半分近い距離で、尚且つ混雑する側が地上の高架を走行してるというのもあるんじゃないか? 専用設計で160両も作った新車が
問題起こしまくって13年で撤退って
今ならあり得ん失態よな。
DD54といいキハ181といい
この頃の国鉄の新設計車はこういうのが多い。 キハ181の屋根上ラジエーターは明らかにそっちでしょ 板谷とかみたいなので冷却効かなくなるのが問題なのであってそれ以外はまあ及第点だったでしょ >>200
もうすぐ東横線直通って他の車両にはできない用途ができるでしょ
てかそのために造ってるわけだし >>199
板谷峠は連続勾配が急かつ長くて、あの455系や485系でさえMT比2:1以上という縛りがあったからな。
そもそもが気動車の単独高速走行には向いていなかった。
まあ181系はよく頑張った方だろ。 東急9000系
小田急2000形
相鉄11000系
いずれも他社線直通を想定して作られたが結局自社線専用となったのが共通点 名鉄の車体更新車
3300系、6650系、6750系 >>203
その前に東急は8000では?
MT比をageる事になって8500に設計変更
一部は8500と混結されて半蔵門線に入ったが >>203
近鉄3000系も入れてあげて。
大阪線、名古屋線系統ではほぼ走らなかった
超レア形式。
まあこの形式のお陰か、
近鉄の京都市交乗入れは
3200,3220と3000番代固定だけどな。 地下鉄建設待ちの新型車は
どうしても年単位で建設の遅れに翻弄される場合が出てくるな。
乗入先に合わせて自社の規格から変えなければいけないことも多いし、
待ってるうちにせっかく開発した技術が一世代進んでしまったりする。 板谷峠って色々あるからねぇ。メタボ20系がいた
一方で、末期は同じEF71単機どころか重連で50系2両とか。
キハ181の「つばさ」は良くやったと思うよ。
高速性能を活かし東北本線を走り抜き、間髪入れずに板谷峠。スペックを維持出来ずに鈍足や機関車牽引になっても無理ないし、8年で尾久から出れずに事故廃車以外でも放置って車もあった。
もう引退した時に、高速性能と登坂性能って二律背反の条件を満たす路線は無かったし。
双方の条件なんて、高速性能は短区間しか無いけど岡山に乗り入れた後の南風位しか。 新大阪から姫路まで新快速に追っかけられながらも走りきってたし 東北本線のような100km/h以上での高速運転であれば
あの空冷ラジエターも十分冷えたんだが、
キハ80系の泣きどころであった亜幹線の勾配区間で速達化の切り札とされたために
風を切らない変速段高回転域を多用して冷却が追いつかなくなりガスケット吹き抜け多発。
山陰転用後は中低速で無理をしないまったり運用で乗り切った。
つばさ・しなのの地元期待度は大きく裏切られ、名古屋局からは高山本線転用を拒否される始末… キハ65が急行おがに投入されてたらオーバーヒートは起きなかったはず
元々104両しかない上に西日本に偏って配置されててJR東には承継されず 阪神8201
一編成だけ従来と変わらない風貌なのにその後にデザインが全く変わった編成と同じ8000系を名乗ってる >>215
“つばさ”の運行区間外の東北地方の気動車の整備士まで応急措置の応援に駆り出されたんじゃなかったっけ?
で、その人たちは図面と現車を見て何が起きたかわかるから、DML30Hを断固拒否したという。 キハ181やキハ66・67に比べてキハ65のトラブルの話聞かないけど、どこが違ってたんだろう(単に知らないだけ?) 名鉄7500系
設計最高速度180キロとか基地外スペックすぎた
床面が低いのが致命的でバリアフリー化の足かせになってあっさり廃車された >>219
キハ65はあくまでもキハ58系に混ぜて使う事を前提としてたし、実際の組成もそうだった。
大出力エンジンはむしろ「キハ58ではなし得なかった"冷房電源付き大出力車両"」としての役割に振っていて、
はなからキハ181系のような組成・運用は考慮されていなかったから。 キハ181がダメダメだったのはエンジンの冷却が自然空冷でポンコツなのに高速運転+峠越えの超過酷な運用で使ったからエンジンが想定を遥かに超えるほど発熱して耐えきれなかったのが主因
その上工作精度の悪さで燃料噴射量も個体によってバラバラで中には定格以上の出力を叩き出してエンジンの発熱に貢献()するポンコツぶり
それに対してキハ65はあくまでブースター役に徹してたからそこまで運用も過酷でなかった上にエンジンの冷却も強制空冷を採用してたから発熱もそんなに問題にならなかったとか
ちなみにキハ181も先頭車だけは強制空冷になってたおかげで中間車より先頭車の方が故障率は低かったらしい >>217
というよりシステムの一新で8000を名乗ることになったはず
2編成目からは車体の見直しがあったもののシステムはそのままだから8000の番台区分になったはず >>222
先頭車も中間車もエンジンは空冷ではなく水冷だよ
ラジエーターを冷やすためのファンが中間車にないだけだ 屋根上のラジエーターで自然冷却するキハ181系中間車だけでなく
屋根上のラジエーターを強制冷却する冷却ファンに加えて通風口を設置して冷却効果を高めたキハ66・67もトラブルを起こしたってことは
冷却水を床下から屋根上まで通すような大きい高低差と長い距離にするのはダメだってことだな。 天井ラジエーターはキハ40000の昔から疑問視されていたような >>226
その頃からわかったいたのに屋根上ラジエーターを採用した意図が謎。 鉄道車両用空冷ディーゼルエンジンが有ると信じてる奴が居るんだね
ラジエータの役目が分らないのかな 一から勉強し直しだな >>227
それは国鉄の工作局がポンコツだったから
特に気動車に関しては良くても凡作止まりで大半は駄作かポンコツしか造れなかったと言っても過言でないレベルでね 屋根上ラジエーターが効かないなら、夏でも客室内暖房能力全開にすれば
板谷峠も楽々越えられただろうに >>228
鉄道以前に自動車や船舶でも空冷ディーゼルは無いのでは?
産業用は知らんが 5ノッチ5分って運用強いたからじゃねーか。
そもそも官僚・セクショナリズム主義の国鉄に於いて、気動車なんて窓際で落ちこぼれ、予算がないって組織だから。直噴エンジンを採用すれば良かったのに。
有名な話だが、アルカディア事故後に幹部がエンジン設計図見て「なんで戦時設計から一歩も進んで無いのか?」と激怒して全車総換装させたのは有名な話だし、各社が国鉄設計を無視しているのはそれだけ遅れていたと言う事実。
電車や機関車は、基本的にJR化直後は221とか783含め下回りはリピートオーダーだったからね。 >>32 >>168
まぁ常磐線は401が101と同じ電動機だったみたいだから101を松戸に転属させてもおかしくはなかったかもしれないけどね
実質1両のみ実現したが(103編入サハ) >>31 >>33
多扉/ワイドドアとは正反対の発想だったようだね
(小田急/新京成/神戸市営も似たようなものの導入を検討していた模様だが) >>34
結果的に東日本の近郊型は4扉に落ち着いたがね
(西武と似たような展開に) >>232
幹部というのは、JR東の初代会長に就任した山下勇さん。
三井物産造船部、のちの三井造船で軍艦のエンジンの開発に携わった方だから
図面を見た瞬間にダメだってわかったんだろう スペインの発電機付きタルゴ
低重心がウリなのに重心高い発電機つけて事故る >>237
高速線以外でスピード出しすぎたら発電機載せてなくても事故るわ ふと思った
このスレ的に多扉/ワイドドアはどうなのかな >>232
当時VVVFが高価だったからというのもあるんでは 単純にJR化後の初期は走り装置よりも接客設備とかの車体回りに手をかける方が先決だったからだよ
221とか783とか特に
足回りなんて先祖返りしない限り客には関係ないし >>241
JR初期はまだVVVFが高かったから国鉄時代からの205系211系なんかのシステム流用したんでしょうね
ね。国鉄時代は本社で全て設計してたから、JR各社独自に走行システムを1から設計するのはハードル高かったはず。 初期の東日本では205/211を継続増備だった
同時期の関東私鉄でも東武10030/西武新2000/京急1500アルミなど車体の設計変更のみに留まる例が少なくなかった >>239
成功したかどうかは別として、乗降時間の短縮による遅延の抑制ってハッキリとした意図はちゃんとあったから当てはまらないんじゃない? >>241-243
当時は冷房車両の増備に力を入れないといけなかったからな
新しい足回りの設計にあまり力を入れられなかったんじゃないか? >>231
航空機用エンジンでは今ではメジャーだぞ、空冷ディーゼル
燃料の関係で使いにくくなったガソリンエンジンが駆逐されつつある >>239
乗降時間を短縮したいなら、幅広ドアにするよりドアの数を増やした方が効果が高い。
ドアの数を増やしたら整列乗車が乱れるから、ドアの数を変えないならドアの幅は1.6mまでにとどめる。
京王6000の5ドア車と小田急1500の2mドア車、この二つの実績が
乗降時間短縮のための貴重なデータを残した。
京王のは短命に終わったけど、その役割は大きかった 国鉄/JRは労使紛争や分割民営化のゴタゴタで
VVVFは完全に出遅れていて、
70〜80年代の電機メーカーは私鉄や公営地下鉄をフィールドにして新技術を磨いていかなければならなかった。
従って民営化当初のJR各社は試験も準備もほとんどない状況で、
VVVFはまだ高価だったし
国鉄末期に開発した界磁添加励磁やサイリスタ位相制御がコスパ良好だったので
民営化5年ほどの新車は大半直流モーターを採用し続けたわけ。 >>10
多分都営のことだと思うが、5300って登場した当時は120キロは考えなかったのかね?
京急は同時期に1500の1700番代が登場していたからこの時点で120キロのことは頭にあったかもしれないが 東急だが予定通り9000が副都心線に乗り入れていたとしても今頃置き換えになっていたかもしれない >>249
京急からお願いされてれば120キロ対応で造っただろうね
でも現実には京急120キロ運転開始をむしろ隠してたんじゃないかと思う
「120キロ出せるのは京急車だけ!」って言いたかったんだろう
ちなみに同時期の京成3700が120キロ対応で造られたのは
当時すでにスカイアクセスの計画があったため 乗務員同士で殺人事件が起こるようなブラックだからな
そのうち尼崎みたいなことやらかすぞ・・・ >>249,252
都営浅草線の5300、最後の編成だけは120km/h対応じゃなかったっけ? 長崎佐世保線のディーゼル置き換えのために8両だけ新製した713
あれって当時の国鉄の財政が許すのなら581魔改造なんかせず713を一気に量産するつもりだったのかな >>256
アレは、厳しい国鉄財政の中で「試作車だから良いだろ」と言って会計検査院を誤魔化す意図があったんだよ。
だから試作車なのに、仕様比較の目的なども無く2両✖4本作ったり。
あの頃の国鉄は意味不明な策が多く、ライバル社に技術を公開しろと軽量ステンレス技術を公開させたり、製作現場で「隣の下降窓の車の方が見栄えが良いし、錆びないから2次車から導入」と言われた205系の黒歴史とか。 改造だが南海11009系→旧1000系
7100ベースの機器に改造されて1000系(当時)となったが改造から10年ほどで9000/10000系に置き換えられ廃車 東急5178F+4611-4711
5173Fを4000番代化するより、最初から4111Fを製造した方が良いのでは? >>258
車体だけ捨てて7100ベースの機器は10000系に転用したんだっけ? >>258
11009系という中途半端な数字が気になった
11000系や11010系や11100系の方がキリがいいでしょう >>259
発注の関係では?
元々事故代替新造として5178Fのみ予定されていたけど、5178F製造途中に10連を増やすことが決定して2両受注
たまたまこの二つの完成時期が同時になっただけと思う 製造した意図が謎な車両まとめ(関東)
・都営10-300R形…車齢
・東急5000系6ドア…2両組み込みから3両組み込みにした挙句、全廃
・京成初代AE…実働13年で廃車開始(ただし機器は3400形へ継承)
・メトロ05系初期車…20年で廃車(ただしそのうち8編成が編成単位で輸出、4編成が3連化で北綾瀬支線へ)
・横浜市営2000系…ホームドア導入の煽りで22年で形式消滅(ただし機器の一部は3000S系へ継承) 改造した意図が謎な車両まとめ(関東)
・京王7000系…大規模更新もライナー導入で廃車開始
・メトロ02系初期車…大規模更新、全車解体予定
・西武9000系…VVVF化するも15年程度で廃車開始
・メトロ03系初期車…一部機器更新も全廃(一部譲渡)
・小田急8000形…鋼製車なのに大規模更新した結果、ステンレス車両の1000形を先に廃車する羽目に
・メトロ8000系…LCD案内&VVVF改造も全廃予定
・新京成8000形…VVVF化した編成も改造から10年程度で廃車 >>266
EF500から中間台車分のVVVFやモーターを省いたバージョンにすることでコストダウンを狙ったんだよ。 >>91 >>159
小田急は1000の10両固定も謎
4本作っただけで他は4000導入まで分割編成が残留
ただ当時は複々線化が完成したら1081/2000を10連化して直通の分割編成と交換を考えていたかもしれないが
(1081/2000は付番からして暫定8連という考えだったようだ) >>263
事故で下りた保険金の関係だったりして。
8連2本廃車にした分の代替車を作る分として保険金をもらったから
10両編成のうち8両を保険金で製造、って訳にはいかず、
あくまで8連と増結用の中間車2両にしなきゃいけなかったとか。 キハ130
車体が脆弱で塩害に耐え切れず10年で廃車
キハ160
事故廃車代替だったが結局1両のみ
どっちも謎で最終的に投入線区の日高本線も大部分が路線廃止に
結局安物買いの銭失いに終わった
順当にキハ40の延命の方がよかったのに 車両計画というのはあくまで上層部が決めるもの
上層部が変わると方針も変わることもあるので >>272
その40はどこから引っこ抜いてくるのかとあと路線廃止は両者が消えてかなり経ってからの災害が原因だから全く別の事象だよね? >>22
東急5000の6ドアも早期に廃車を見込んでの導入だったようだが
恐らく大井町線延伸までの繋ぎ >>262
11001系をまず2連×4本作ったが
2次車から車体だけ設計変更して湘南顔になった クモハユ74形
・ハ(客室)を残した意図
・ハを客室として使ったことはあるのかどうか? >>131
8000次期増備の試作車的要素も兼ねていたから仕方ない
結局8040だけに留まったが >>204
当時の名鉄の財政事情によると思う
(SRも5700と流用の5300の二本立て) >>173
泉北5000も謎
南海/泉北唯一の8両固定で前面は非貫通だが
結局次の7000は南海/泉北標準の短編成/貫通型前面に戻った >>277
登場当時は「クモハ74」だったのさ。事業用に特化せず、なんにでも使える汎用車としての意図があったと思う。
あの頃はクモハ73系を旅客用のままクモユニ74と連結して荷物輸送に使うこともあったし、おそらくは郵政省の要望とかで半室改造(窓も埋めた)する羽目になったんじゃないかな。 全室郵便車なら新造になるから
国鉄所有車を改造するなら誰が保有する? クモハユ74ってクモハユって言っても実質クモユニ運用だったし クモユニ74形は車体は新しものなので
何かの理由でその新車体をつくれなかったとかでしょうか まだ経年浅かったモハ72の車体流用したかっただけじゃないの? 電化でキユニを電車化
国鉄「運用上キユにしたい」
郵政「キユって金だせと? そっちが勝手に電化したんだろ」
国鉄「仕方ない。国鉄持ちになる合造車にするか。安くあげるには車体も改造で済ますか」 キユって少年ジャンプで伝説を作った漫画家だな
巻末のコメント欄が痛々しくて有名になった >>33 >>132
その215系が解体されているらしい 215系は中央本線の普通列車にすれば良いのに
(高尾〜新宿は八王子と立川だけ停車)
グリーン車も始められる。 >>287
彼の功績で短期打ち切りを「突き抜け」と言う事になっち
>>292
甲府以東に限っても東山梨と春日居町は非対応
その2駅は国鉄時代は高尾からの列車は通過で
身延線間合の塩山〜韮崎ローカルだけ停まってた 181系で9年で廃車になったのあったが事故廃車以外の事由で法定耐用年数未満で廃車して会計検査院に怒られなかったのか?
法定耐用年数に達するまで放置してたのがある >>285
いわゆる72・73系として新製されたグループなら
当てはまるんだが、旧63系だからね。
結果論かも知れんが、房総地方にいた末期は新聞輸送
だったし、ユとしてどんだけ使ったんだか。
キハユとかも、どんだけ郵便に限ったニーズが
あったんだろうか。昔の東武にもクハユ290ってのが
あったけど、どんだけ郵便車だけのニーズがあったのか。 >>183
神戸電鉄の場合は発注の関係では?
5000以降は並行製造は無くなったようだし >>269
色々と理由をつけて保険の支払い額を不当に低くしたり
逆に請求額を不当に高くされないようにするために
事故発生直前の現状に戻すのが保険の鉄則 >>280
南海に委託していた運行業務を自社化したり、和泉中央延伸も視野に入っている中
イケイケドンドンで作っちゃった感。景気も今より良かったし。
それよりも、後年の7000が、景気停滞・泉北の街も成熟して乗客増の要素も乏しかったのに
4+4の実質8コテで登場して長らく4両編成の意味がなかったのも謎 泉北5000とか公団C-Flyerとかバブってたなあ E4系P81・P82編成
60Hz対応だが60Hz区間に入ったことがないはず
そもそも乗客を乗せた状態で30‰登坂は不可能でMaxあさまは軽井沢発の坂を下る上り列車のみの設定だった 名鉄1600系(1700系)や南海2000系もこの中に入るのかな?
前者は結局早期全廃になるし後者はまさかの本線転属だから… >>306
wikiに、非常時に長野の車庫に入れて待機させるためとか書いてあるけど
非常時にわざわざ北陸新幹線に入れる必要はないよな。 >>295
結局は身内だからなかなか怒れないさ。
だからこそ民営化になったんだし。 >>307
南海6000はステンレスを活かし塩害対策として本来は南海本線で使用する予定立ったが
踏切事故の多い南海本線だとステンレス車の補修が困難だという理由で一転して高野線配属になった話聞いた事ある >>307
南海2000の件は、後知恵だがさっさと系統分割して大型車を入れておけば・・・
という感じがしなくもないが当時は難しかったんだろうな >>313
橋本駅が1面2線でかなりむちゃしている。 いやだからこそ京王線のこと言われてるのかと思ったわけで どっちが厳しい?
京王は時間最大10本
南海は本数は少ないが両方向折り返し直通とあり >>320
南海21201か近鉄21020じゃなくって? >>319
でも5200が無ければ東急がステンレス標準になることはなかったかもしれないから… 東急はステンレスが定着したのに7200で
いきなりアルミ車造った事が謎 >>323
あれはステンレス車メインの東急車輛がアルミ車の製造技術を磨いて、
1967年当時は先行していた川重や日車から受注を奪い取るために造った見本。
真逆のパターンがアルミ車メインの近車が東急の牙城であるステンレス車の受注を(略
的な意図で1979年に製造したのが近鉄3000系。 103系RT-235編成
最後の東日本の103系で注目されてたが最初から205系を1本多く改造した方が楽だったのに
トイレ取付とかシングルアーム化もやってた徹底ぶりだったがショートリリーフなのに大規模な改造して大丈夫だったのか疑問 >>328
205系に統一されると205系基準の乗務手当に統一されるのが嫌だからゴネた。
103系だけの時代からトイレを付けるように行政から言われていた。 >>331
製造中に並んでいた横浜市営2000の影響で5編成目以降から窓を変更した
仮に横浜市営2000と並んでいなければ5編成目以降も田窓だったかもしれない メトロ16000の1次車
乗り入れ先も前面非対称で作成してる最中、中央貫通型で作成。
2次車からは前面非対称になった >>333
単に車体を10000ベースで設計しただけと思う >>332
そういういきさつがあったんだ。
1本だけなら試作車扱いだろうけど、4本あったからね 西武鉄道
2097Fからの2055F
車両番号がインフレになるので2055Fを名乗ったのは分かる
6000系の新製が開始されたのに、2000系を製造しなくても… >>338
それを言ったら東急8500も8637F以降は9000より後なんだが >>338
むしろインフレナンバーをどう振るのかを見てみたかった。
東武8000みたいに5桁にしたのか、東急8500みたいに千の位を違う数字にしたのか >>338-340
小田急HE車 2449-2400-2501だっけ確か >>341
50050が無ければ非貫通車も複数編成あったかもしれない >>340
西武2000は2035F〜2043Fが欠番になってるからそこに収まってたと思う 京急旧1000にも、1079-1080や1243-1250みたいな穴埋めがある >>333-334
たぶん10000と16000の初期車とかで
狭いとか使いにくいとかいう意見があって
その後は寄せることにしたのかな。
想像だけど 207系F1編成
組み替えなかったのが不思議で当初松井山手以西の限定運用だったが現在は321系と共通運用
最初ドアがDの字型とかあれこれ違い「第2の207系900番台」ともいえた >>347
というより東207‐900と西207が何で同じ"207"だったんだろうか
東は205‐1900じゃダメだったんだろうか
(203も何で201‐1000を名乗れなかったのか) >>348
登場が国鉄末期だったからねえ。試作車がうまく行けば量産するつもりだったんじゃないの?
結局は901→209を製作することになった訳だけど。 >>348
登場は東が先。国鉄末期にVVVF試作目的で製造。
なんだけどVVVFの本格導入は西が先になり、東が207を使う気配もなかったので
西が207系を名乗ったのだとか。
仮に西が後になっても東は207を使わず209にしたと思うけどね。
VVVFだが寿命半分・コスト半分という207試作車とは全く異なるコンセプトの電車だし。 >>348
103-1500も別形式名乗って欲しかったな
103ラストランが筑肥線の1500だったらなんだか嫌だし >>352
加古川線の1500や荷電改造電車もどき顔の方が最後まで生き延びそう・・・ >>352
走行システムがあくまでも103系だからねえ。
国鉄が貧乏で高い201系が作れなかったんだっけ。
でも、アコモデーションは201系に準じていたん
だよなあ。 >>354
国鉄からすると九州ごときに201系はもったいない!ってのもあるけど、
筑前前原〜西唐津間の列車本数と電力回生施設の問題で省エネ効果が低いかららしい。 筑肥線に301系を持っていけばよかったのにな
JR九州が律儀に303、305と引き継いでるし >>354,356
どうせ九州に203系入れられないなら、わざわざ低性能の103系1500番台新製するのではなく、営団東西線直通用の
103系1200番台とか301系を転属させて、穴埋め分を203系増備して東西線直通用に補完したら良かったのに。
たとえ冷房改造で重くなった分を差し引いても、まだ1500番台よりは高加速な編成になったのにと思うと残念。
まあ筑肥線だから塩害対策とかも必要とかで1500番台新製に至ったのかも知れないが。 >>352
415-1500も別形式を名乗れなかったのか… 同じ型でも湘南色は113/115と211で完全に別形式になってるのに、何で常磐線は同じ415なんだ?と思ったことがある >>360
415系1500番台はある意味謎だったよな。
なんで211系の交直流版にして別系列を起こさず、あえて415系で作ったんだろう。 >>360
>>361
新形式嫌ったのもあるけど単純に113/211と違って混用するからだよ >>363
九州や水戸線はともかく、常磐線でどうしても既存の401/403/415系と混用しなければならない理由が思いつかない。
常磐線(上野口)限定で新系列導入→玉突きで415系を水戸線や九州に、という手もあったはず。
ちなみに、導入編成数が少数、というのは、過去の常磐線の状況から考えてあまり理由にならない気がする。 >>352
筑肥線103、
あえてそれを狙ってる?
考えすぎかもだけど。 >>361
415を名乗るなら台車もDT21でよかったのにね
悪路に弱いDT50系は木の枕木定尺レールの水戸線じゃ乗り心地最悪だった >>364
使い勝手以外に理由ある?
というか半端に作っちゃったE501とかが例外なだけで基本的に混用できない電車を少数だけ作る意味はそんなに無いし当時は田舎に押し出すほどの必要も無いし というか1500番台なんてほとんど500番台をステンレスにしただけみたいなもんなんだけどな
ステンレス製にしたのは鋼製で作り続けるよりも211のついでにアップデートした方が製造とか費用とかの効率いいから >>367
君の言う「少数だけ作る意味はそんなに無い」を実践した例として、国鉄〜JR東日本では東海道線用211系という事例がある。
211系は113系のではなく115系の後継であるという点を考慮すると、本来なら東北・高崎線だけに集中して入れていればよかったのに、
なぜか使い勝手を無視して少数だけ東海道線にも入れてしまった。
だから、当時の国鉄〜JR東日本にとって、「少数」ということが理由にならないのは、その点からも言える。 >>369
そりゃ電車増やさないといけないけど新車は211を作ってるって時期にわざわざ113をリピートするか?
それとも新前橋/小山から115を召し上げるか? 201系を作っていても、103系をリピートしていたケースがありましたな。
少し前にでていた、103-1500も201系を製造している時期でしたな。
まあ、こちらは国鉄が貧乏だったのと、赤羽線増結用だったからですが。 >>366
軽量ステンレス車体にDT21だと、ビビり振動だとか凄いよ。
四国の121系のクハが、軽量ステンレス車体でDT21だったけど、台車からの振動を車体が吸収できてないのかビビ理振動がひどかった。
両毛線のような軌道だと、115系のように普通鋼車体でDT21系台車が一番あってるのかも。 211系の件は東海道線ではグリーン車を用意する必要があるから211系以外に選択肢も無かろうに
415系1500番台は結果的には国鉄時代は勝田電車区に8編成32両しか配置出来なかったから
わざわざ別形式を起こすまで仕様変更するのは割に合わなかったんじゃないの?交直流車という事情もあるし >>371
京王7000の後に6000
小田急9000の後に5000(初代)
東急9000の後に8500
等いくらでもあること 415よりも京急新1000がずっと新1000なのが気になるぞい 遂に桁を増やしてまでも1000番台使う気満々だわな。
ステンレスは銀様に戻せよ! >>375
東海道新幹線が、ずっと700系だよな。
AとかNとかSとか末尾につけてたりするけど。 800を九州に取られたし900だと試作車っぽくなるし 京急の場合、製造した意図が謎というより、付番した意図が謎だな
1890は700、800、2000が空いてるんだから、そっちを使えば良かったのに ハイフン付きで5桁形式がおkになったので、今後は楽かもな。
今までの4桁縛りだと、他社と番号重複避けながら付番させるのが難しかったわけだし。
新1000の後継の通勤車、どういう形式名にするんだろう。 >>378
4桁にするか、もう無い0〜400系の再利用や空いている600系とか使えそうなものだが…。
束方式でT1、T2…という手もあるね。 京急的には2100以外は全部他社線直通対応車に統一したいから1000-1890でも1000の扱いになったんではないかな 東日本の新幹線もE9の次はE10なのかな?
付番が気になる。 >>383
アルファベットを使う。
EA、EB、EC系とかね。
車の3ナンバーの枯渇対策はこれで乗り切っている。 どうせ次出るのは360キロ以上だからEの次でありFastの頭文字でもあるF1という可能性もあり得ないか? 1両での運用の方が良いからとコキ104が増備されたのにまた2両ユニットに戻ったコキ105。 >>383
その内E851とか出て来ると
西武の所有してた電機と紛らわしくなるな >>151
103で思い出したが、なぜ関西の103は先頭車だけ初期車ばかりだったのかが疑問
これも時期的に直接関西に編成として新製投入でもおかしくはなかったが >>395
時期的に山手線にATCを入れる都合で先頭車だけ替えて地方に転属させただったかな? >>116
サイリスタ位相制御なら711系、781系という先達が既に居たからその意味での試作ではない あ(^-^;途中で書き込んでもうた(^q^;)てへぺろ
先祖返りしてN0系とか
先頭車は023形024形みたいに >>395
簡単でよければ。
大阪「阪和線とか混雑すごいから通勤型の電車用意してよ
東京「よっしゃわかった。今度うちで発生する中古車回したるわ
大阪「いいかげんに新車よこせゴルァァァ!!!(マジギレ
って流れだったかと。
じっさい、東京に入るはずだったATC装備の車両編成で、
ATC装備が必要な先頭車のみは東京地区に予定通り入り、
中抜きされた新品の中間車が大阪に来た。 天鐵局は「さよなら◯◯系記念乗車券」を出しまくれたからいいんじゃね? >>401
ということは当初は編成単位での新造投入ではないどころか、初期車そのものが編成ごと関西に転属するつもりだったのか 当初は常磐線は401/403、九州は421/423で、結局共通化された415になったんだっけ? >>404
その通り。
401/403を411/413系に改番する計画があった。だから415系のクハはクハ411。
2桁目のゼロは通勤電車で使う、って考えてたんだろうな、って幼少期のオレは妄想してた。 クハ415-1901だけ411ではなく415なのも謎 JR西の113系に交流機器を載せた800番台もクハ415だな。 50HZは
クハ411-モハ411/413-モハ410/412-クハ411
60Hzは
クハ411-モハ421/423-モハ420/422-クハ411
という変更予定だったのですかね >>409
485系と同じように50Hz専用の401/403系を411系、60Hz専用の421/423系を413系に改番しようとしてたんだとか と思ってたけどそっちは俗説の方か
しかし元の形式も401/403の出力強化版が411/413じゃなくて421/423だったのは何だったんだろ もっと盛大な思い違いをしてたわアホじゃん
疲れてるのかな… 湖西線作るときに423系を配備してあげれば京都からの直通列車の設定とか、
1日数本しか列車が無いとか回避できたのに。
そのかわり今も交流のままだろうから、はたしてどっちが良かったのか >>1
あえて・・・
「えびの」併結前提で作られたがキハ52が製造中止で作りたくなかったが後継のキハ53というのが理由
事実最初は急行「からくに」に充当されたが通勤車両然とした内装から不評を買い規定の編成を越えない限り結局52が充当される有様
末期は通勤時の日豊本線や指宿枕崎線で内装相応の仕事をした
0番台も大分の日豊本線や信楽線民営化後の片町線など内装相応の働きをしたものがいたのがキハ53
この頃から杓子定規に形式を指定し組合対策として新形式を抑制し・・・末路があのザマだった >>351
まぁ当時VVVFは関東よりも関西の方がVVVFの採用に積極的だったからね
関西大手が阪神以外は全てVVVF採用に積極的だったのに対して関東大手は東急以外は小田急1000くらいしか本格採用例が無かった時期もあったし >>349
西のが別形式でもよかった気はするけどね
西だと初の近郊型も仮称は215だった模様だが221になったし初の特急型も681だし
初の通勤型だけ仮称のまま登場してしまったような感じ >>413
流動からしても多数は不要で、それを当時のムコなりタツでお守するのも非効率。
ムコは485等がいたが交直流車は検査の手間も増えるしね。
また寒冷地のため対策が必要。
などなどを考えると、近隣のDCやサワの交直流電車を使う方が妥当だわなぁ。 都営新宿線だが10-300を10-300で置き換えることになったらしいがこのスレの対象かな? >>418
8連を10連で置き換えるって意図ははっきりしてるから対象外でしょ 大船工場製の209系0番代
新津車両製作所みたく、大船工場を第二の車両製作所にする予定だったのか?
製造されたのは中間車のみで、車体下部には溶接跡を隠すためのビートが付いている >>418
同一形式で置き換えって、新幹線0系みたいだな
同じ形式なら、新車で増結車2両作って組み込めば良さそうなものなのに。
10-300Rがそんなにトラウマになってるのかな。 10-300が今何年目の電車か分かって新車増結しろって言ってるの? >>422
16年前の車両か
・・・東上線だったら新車だぞ >>417
まだまだ急行があったころなので、交直流急行車の転用前だったから
その説なら423系を金沢所属にすれば良いだけでは・・ >>421
既に償却済みで機器更新の時期も近い車両にあれこれ手を加えて10連化するよりも新車で置き換えた方が得ってことでしょ
理屈としては増結用に後から作った新しめの中間車もろとも置き換えられるのとそう変わりはないこと 要は10-300Rで懲りて製造年度が違う車両を混結させるのを嫌った結果なんだろうね
10-300Rのどこがいけなかったかは不明だが 8連で登場した編成でも2006年以降製造のやつは2010年に増結してるのに
どうしてそれ以前に製造された編成は増結しなかったのか意図が謎だ その頃の運用本数の問題でしょ
増結するなら経年ズレない方がいいから後ろから増結してくのも理にかなってるし 笹塚の留置線改良のタイミングもありそうだが
それまで2線中1線は8両までしか入れなかったのが2線とも10両対応に改良されたが、その改良時期が450〜480Fの10連化直後だった >>427
懲りた懲りないじゃなくて元から編成ごと廃車の予定だったとかなんとか
10-000にそのまま繋げられるような仕様にしたから10-300との相違点が多すぎて活かすにも面倒なのは最初からわかりきってたことだし 東急では今更3000が8両化されることになってるらしいが、それこそこのスレの対象か? どれだけ活用されるかは謎として、意図は明確じゃないかな 意図は増結だからまあ分かるけど編成バラして世代揃えた方が良さそうに見えるから謎といえば謎だな >>433
別に車齢20年程度でも向こう15〜20年程度継続して使う見込みがあるってだけで理解できないほど変な話でもないでしょ
どうせ置き換える頃には後から造った中間車も償却が終わってるから一緒に捨てても損はないし、現状2020系の増備と並行して進めてることと他路線への転用改造の工期、テクノ他各所のキャパなんかを考えればこうなるのは必然なわけだし >>435
単純に改造にかかる時間と設備対応のスケジュールの都合
直通対応の工事を早々に進める必要がある一方で設備の8連対応完了が直通開始まで1年切った時期まで掛かる以上は改造箇所の増える編成組み替えをやってるだけの時間的な余裕がない
だから短期間のうちに8連化するためには事前に増結車を組み込む準備をしておいて増結車が完成次第矢継ぎ早に組み込んでいく他に選択肢がないわけで 都営…10-300を10-300で置き換え
横浜市営…3000Aを3000Vで置き換え予定
大阪市営(当時)…100を100Aで置き換え
東京メトロ…05を仮称05増備で置き換える予定だった(置き換え車は正式称15000に) 札幌市営…6000に8000を組み込み(その後正規の8000へ移動)
東急…3000に5000系列ベース中間車を組み込み予定←NEW
京阪…旧3000に8000を組み込み(その後正規の8000へ移動) で、どの辺が謎だと思ったの?
ここは君のウンチクを垂れ流す場所じゃないんだよ 北海道721と東日本E721
後者はE703でも良かったような…
また、北海道でも次は723ではなく731になってるし、また733より735の方が先に登場したような気がする >>445
701の例があるので…
(ただ仙台では701が不評だった説) 直流車は209&E217からE231、
交直車もE501からE531に飛んでるので、
E231以降の電車は
十の位2は三扉(近郊形?)
十の位3は四扉(一般形?)
これで統一してるんじゃね 131系
どうして4扉なのですか。3扉か、配属地域によっては2扉でも十分なような。 近隣の路線と扉数変えたらもし直通とかホームドア設置とかなったら面倒じゃん? >>451
端に寄せる事による不便さがホームドアに対応させる事による利便性に釣り合わない
都市近郊なら尚更 東急だが3000と5080は見た目は全然違うけど中身はほぼ同じだから仕様を合わせるために3000だけ目黒線撤退というわけにはいかなかったんじゃないかなと思っているが >>447
同一形式で扉数が異なるってのは、105系であったっけな。
種車の関係だったりするけど、あれはあれで、なかなかカオスでしたな。 3扉は新製で飯田線用119系と双子、4扉は和歌山線や桜井線のケチケチ電化で
常磐線用103系1000番台の改造で中身も外面も違うもんだった。1Mc1Tcの
2両で運転出来るとこしか共通性ないような。 E131の投入地域で3扉はともかく2扉が十分な地域なんてあるか??? >>457
ワンマンいうても扉全部空くでしょ房総も宇都宮線も相模線も >>441
事業者は我々より色々と検討してると思うよ
だからウンチクビの垂れ流し >>454
115 2・3
205 4・6
209 4・6
711 2・3
717 2・3
E231 4・6
03 3・5
5000 4・6
6000 4・5
7000 2・3
28050 3・5 215系は会社違うけど373系のようなコンセプトの車体だったらもっと違ったのかも?
E331系も東京メトロ車のように単純にPMSM採用だけで車体方式や制御伝送はE231系ベースで良かったんでは? E331邉サ縺ォ縺ィ縺」縺ヲ縺ッ騾」謗・��DDM縺ョ螳滄ィ薙%縺昴′繝。繧、繝ウ縺ァ縲
PMSM縺ッ縺ゥ縺」縺。縺九→縺縺�→繧ェ繝槭こ縺縺励 どうせ試作のテストベッドなんだからやりたいこと全部載せなきゃ損じゃん >>446
…考えてみたら常磐線もE501の次はE503ではなくE531になってるがな DDMの実用試験なんてボギー車ですれば良かったのに。
E331に載せたのは、連接を何がなんでも潰したかった奴等の陰謀。 DDMも連接式も、単独だとメリットが薄い。
なら組み合わせれば・・・?って考えた、東芝(DDM)と鉄道総研(連接式)の犯行ですよ。
E331系やACトレインの前段階として、
NEXT250(Narrow gauge Express Train for 250km/h)計画っていう次世代の狭軌鉄道技術開発プロジェクトがあって、
東芝&鉄道総研は大々的にDDM&連接式を訴求してたからね。
税金使って狭軌新幹線用から通勤電車用まで台車いくつも試作してみたり。 結局、連接車は整備に手間がかかる上にホームドアに対応できないという問題も…
小田急もGSEは展望席は継承されたが、連接構造は採用されなかった 215系は二階建てではなく185の正統進化だったらまた違ったんだろうか?
(もっとも登場がバブル崩壊後でタイミングが悪かったとしか…) …なんか207-900とE331が似たようなものに見えてきた… 東急3000に続いてメトロ9000も増結中間車が確認されたみたいだな >>459
119がロングとは誰も言ってないようだが >>472
207-900は分割民営化する前に、とりあえず国鉄時代に開発したから各社で使えるようにっていう既成事実を作りたかったのだと思う。
331は言うこと聞かないとお前達が扱えないくて必要としない車両を投入するぞって言う動労千葉への会社からの恫喝だったりして。 どうしてそんな陰謀論みたいな話が飛び出てくるのやら
E331系の開発経緯については前身のACトレインも含めて触れてる書籍が交通新聞社新書から出てるしこれでも読んでみたら?
https://www.kotsu.co.jp/products/details/601122.html E331系は、技術開発部門が連接式ありきで暴走しちゃった結果だろねえ。
当時は国鉄出身のベテラン研究者が多く残ってたでしょ。
特に走行装置関係の人は、山本利三郎氏の影響で連接式の信者が多かったわけだし。
実際、メンテとか無視すれば連接式の方が優れてるんだろうけどさ。 だからそのための営業できるレベルの車での実証試験なんだろ E131系は首都圏くずれの4ドア車と同じ路線で短編成化するのが目的だと思ってるが
なぜわざわざ4コテを新製する? 4連ならいくらでも中古の当てがあるだろ!
適当な代替車が今すぐ見込めないなら再転用見越して2+2で作っとけと。 105系も登場時にはモハとサハがあった
福塩線向けだったかな
元々いた70系が4コテだったのを踏襲したんだろうけど
あとからすぐ運転台付けて短命に終わったけど 逆に4+4を見越している可能性とかあったりするんかな
なんで相模線のやつ貫通型なんだろう てか4連だとメジャーなユニット方式の中古車を2M2Tで当てがえるから
わざわざ短編成用の形式を新製する必要ないんだが。 消費電力とかメンテナンス性とかが理由で中古E231よりE131のがいいとかなのかしら E231あたりを転属させるとなると、先頭車が足りなくなるって事に気付いてないみたいだな。
今一生懸命須賀〜総武快速線のE217を置き換えてるから、付属の4連をとりあえずローカルで使え
・・・って言えないレベルで老朽化してるんだろうな。 >>483
その中古が出てこないって話
E231-500の中央総武転用や生え抜き組の6M4T化で余った車両を回せた八高線が特殊だっただけ
しばらくは転用できる車両がないから計画を立ててた当時は基本的に今のタイミングで新車を入れるかE233の転用開始を待つかの2択だったけど、どちらにしてもE233の転用だけじゃ数が足りなかったから必然的に新車がどこかに入れる必要があったわけで
それで転用できる車両の数と置き換えたい車両の数や検査期限を吟味した結果新車を入れる線区に相模線や宇都宮近郊が選ばれたという話 >>477
331を開発してる時点ではホームドアなんて考えてなかっただろうし
また連接式は整備に手間がかかるから…
小田急もGSEは連接やめたし 215も331も車体部分は海外の技術を採用してみたがうまくいかなかった感じ
例として
前者はオーストラリアのシドニーのタンガラが全二階建て
後者はドイツのBR423が連接式 e331だがホームドアのことを考えたら無理だったんじゃない? 215系が出た直後だったか
全長14m・全幅3200mmの車両が計画されていたな >>490
901の時点で連接車を投入する構想があったってことか?
(ちなみに215と901の登場が同時期) 415系9000番台だったか、常磐線の先頭車のみ2階建ての試作車。
欧米の通勤列車は都市部ターミナルが頭端式が多く、みんなそこで
降りるから2階建てが成立するんだと思う。分散式ターミナルに
なってる都市だと乗降に時間かかる2階建ては不向きなんだろう。
日本はホーム数少なく折り返しに余裕もないし。 207-900はよく空転滑走してたからJR東日本と営団地下鉄はしばらくVVVF車の導入を見合わせていた等と言われていたらしいし、
(小田急1000のように)5M5Tだったら地下鉄直通に支障が出たのではとも言われたほどだったとか 実際、215系の快速アクティーは遅延しまくりだったな >>493の続き
ただ、個人的には207-900のコストが高かったから関東地方へのVVVF普及が遅れたものに見えるんだけどね
(全体的にみると関西より関東の方がVVVF普及が遅かったように感じる)
当時の量産車としては新京成8800/相鉄新7000/東急9000/小田急1000が特殊な感じ
(小田急1000は千代田線との兼ね合いがあって同8000ベースにはできなかったと思われるが) ちなみにメトロ06はどちらかと言えば209-1000(こちらは2本だが)に近かった印象
07がいるし、メトロ全体で見れば06/07と同じシステムの車両が多数あったし >>494
藤沢と茅ケ崎で30秒停車は無理だろw
いつだったか故障して
185系A5編成が3755Mの代走に入ったな
特急「踊り子」の近接時間帯だった >>492
シドニーでは二階建てが普及したのはそこが要因なのか >>498
踊り子号の車両が踊り子以外の運用に入ったってことか 215の二階建てはあの頃のトレンドだったとも言えそう
神戸市営3000と新京成8900も検討段階では二階建て車を組み込むことも検討されていた
また、常磐新線(現つくばエクスプレス)も会社設立当初の予想図では二階建て車が含まれていた 海外で全2階建てが成立するのは列車が詰まってなくてどこの駅でも1分くらい停車できるのとそもそも車内に客がぎっちり詰まってないから乗降が時間かからないのがあるからよ 常磐新線時代の構想ではグリーン車を入れる計画だったはず 関西には導入されなかった211
(逆に117は関東に導入されなかったが) 113の次の近郊型って意味でしょ
それこそ117がその枠ってことで終わるけど >>506
そう言う意味じゃ中京地区は両方導入の上にJR化後は213も入ったわけだ。 >>502
つくばエクスプレスについては、
実際には二階建てなんて検討もしてないんだよなあ。
運行計画だとかは公団を中心とした外部のメンバーが担当していて、
会社設立の翌年には最高速度130km/hと共に、
建設費抑制のため130km/h走行可能区間の最小曲線半径を820mに決定してる。
JRだと非振子の特急形でも1,000m、JR西の新快速では1,200mで、
公団に謂わせれば「計算上は不可能じゃない」けど、車両の要求スペックは高くなり、
とてもじゃないが二階建て車両なんぞ使えない。
そうした事を理解してない3セク側の担当者が用意したイメージ図だから、
当時のトレンドに乗っかって2階建てにしちゃったと。
無駄に床下カバー付けてるあたり、高速化は意識してたんだろうけど。 東急6000の余剰中間車だが、ドアコックの関係で少なくとも目黒線転用は無いらしい 512(σ´∀`)σ ゲッツ!!
512キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
512(・∀・)イイ!! >>511
デマってか勝手な思い込みでしょ
5080と6000で構体の構造がまるで違うわけでもないのにちょっとしたエア配管の移設が無理なわけないでしょ
5080が存在してる時点でもともと想定してないわけでもないから普通に嫌がるほどの大きな手間はかからないレベルだぞ 東急の一連の話ってソース無しどころか東急ならやりかねないって謎理論で事実のように扱ってるしな 京都市営地下鉄10系の最後の方に作られたやつ
1997年製なのにチョッパ制御と時代錯誤
都営10-000形も同様だがあっちは信号システムが誘導障害を起こすという明確な理由があった チョッパの6000系を22本持ってたアストラムラインは1998年の車両増備で無難に6000系を作ったのに翌1999年は>>515理論でVVVFの1000系を作った。月日は流れて2020年に7000系導入したとき真っ先に落とされたのはいちばん新しい1000系。
新車からSL旧客までよりどりみどりのJRでも異端車を嫌がるのにノウハウもない中小事業者は面倒見切れないわ >>517
東京モノレールも1000最終増備と2000登場は1年しか違わないし、2000は結局4本だけで終わった
ゆりかもめも7000最終増備と7200登場は1年しか違わない
多分開発時期の都合だと思うが
この時期の新交通に少なくない流れだと思われ りんかい線だが仮に全線開業時に全車10両化が行われていたら八高川越への譲渡は無かった可能性
逆に全車10両化が数年遅かったら余剰車はそのまま廃車だったと思う
史実では209-3100新造から僅か3年弱で209の廃車が始まってるし
というより何故全通時は6連と10連の二本立てだったのか 全通前のりんかい線は4連でも長すぎるくらいガラガラだったから様子見だったんじゃね? >>520
まぁ都市博のために作られたりんかい線だったのにその都市博が中止になったから… 「りんかい線」の文字の有無で後から6両追加した車両がよく分かるね ワサ1
時代遅れの3軸貨車かつ唯一の2段リンクの3軸貨車
ボギー台車にしなかったのが不思議 中間車が余るというのならわかるけど、なんで先頭車が余ったんだ? >>519
線内運用が6連、埼京線乗り入れ運用が10連で分けていたんだっけ。 >>524
◎6連5本中2本をバラす
→残った3本にバラしたMM1ユニットと新造T2両を挟んで10連化
→頭4両とMM1ユニットが余る
→JR東日本が引き取って1ユニット新造して4連2本の出来上がり >>526
結局、209系が(E231系に編入された車両とりんかい線70-000系を含めて)全車在籍していたのは僅か3年弱という
(2005年1月に最後の新造となった3100番台2両が登場したが、2007年12月のウラ37編成のうち8両を皮切りに廃車が始まったため) 南武の205/209-0と武蔵野205と八高川越209‐3000
何れも本数が中途半端で山手205の転入まで103と共存
南武に205増備で武蔵野8連化用に捻出とか、やはり南武に209‐0増備で高麗川〜八王子間電化開業用に捻出とかはできなかったのか
(どのみち山手205に置き換えられていたと思うが) >>515
既存車との部品の共通化を優先したんでは?
>>517
メトロ6000の最終増備と06も2年くらいしか違わなかったが >>515
問題だらけのあの京都市交通局だ。
一編成だけ扱いが異なる車輌とか昔の国労ばりに拒否に違いない。 253系も1996年製造分があったがJRで最後の完全新製の直流電動機車両だった
E259系投入でわずか14年で廃車になってる
200番台は電装機器が205系の発生品 >>528
だってどの沿線もJR車は欲しいでしょうし
民営化アピールするなら尚更 >>530
アホか
そんな異端車は京都に限らず何処の事業者だって嫌がるわ
ヲタが考えるほど車両の保守は簡単じゃねぇよ >>32
松戸の103で最初に導入された110両(3両・7両各11本)は、元々京浜東北線用として計画されていたらしい
となるとやはり当初は松戸に103を入れる計画は無かったのか? >>357
数が合わない
103-1500は9本だったのに対し確か301は8本しかなかったような
>>358
103-1000を転用という手もあったかもしれない? >>312
6000が本線用の予定だったとは初耳
まぁ6001Fは高性能通勤車の試作を兼ねていて元々使用線区が定まっておらず、
最終的に高野線平坦区間のみがステンレスで他は鋼製の方針になったのは6001Fの使用線区が高野線に決まった時という推測はしてるんだけどね >>536
103-1500、201ベースの車体だからそれはいいとして、
せめて台車くらいはエアサスにして301-1500にしてあげて欲しかった >>338
その時点では6000は先行の2本のみで量産車はまだ登場していない >>397
そのクハ転用だが何故か山手線→東海道山陽緩行線、京浜東北線→大阪環状線となってたらしいけど
山手線→大阪環状線、京浜東北線→東海道山陽緩行線にすれば塗り替えの手間を減らせたはず
(僕は国鉄時代は生まれていないので国鉄時代の事はよく知らないんだが) ???「何で武蔵野線って103系1000を直接転属しないの」
ワイ「何で埼京線と京葉線は開業時205系を直接投入しなかったんだ」 >>541
コストの問題で不可能だったのかもしれない
同時期の福岡市営車は201・203と同じ制御方式だったが >>539
それは301とは言わないんでは(アルミではないんだから) E4系P81・P82編成
60Hz対応で作ってみたが60Hz区間に一度も入線した事がない >>477
やはり特定の人が鉄道会社を退職すると会社の方針も大きく変わってくるんだなあ >>546
それを言ったら都営5327Fだって120キロ対応で作られたのに一度も120キロ出したことがないまま引退しちゃったんじゃないか 京王は7000が登場しても6000や3000の増備を続けており、また8000が登場しても7000の増備を続けていた
1000が登場した辺りから並行製造は無くなった
また、相鉄でも9000と8000が並行製造されていた(最初の数年間は8000のみだったが) あの複周波対応E4は、60Hz区間での本格的な営業運転を想定していないという話
盛岡以北にE4の乗車位置案内があったように、イレギュラー時のためのものでは 名鉄7500系は時速180キロ対応で作られたのに一度として(以下省略 >>551
そもそも60Hzでも最低限動かせる程度でしかないから実際に走らせると壊れる可能性のある機器もあるとかなんとか >>551
変圧器の冷却ポンプとか架線の50Hzをそのまま取り出して動くのがあって60Hzに入ると速度が1.2倍になって過負荷になる
E2系0番台は周波数にかかわらず常に60Hzを出力する仕様なのとは対照的 >>552
180キロ?!160キロの間違いでは? ハーフパワーの直列弱め界磁で90km/h出るからまんざら誇張でもなさそうだ >>552
当時豊橋岐阜間を1時間で走破する事を考えていたから 東武DRC1720系も160km/h運転を考慮して作ったんだろ。 >>557
実際は保安装置の未熟振りも然る事ながら、名岐間での踏切事故、枇杷島の急カーブ等未だに未解決の難点が災いして御破算に >>539
あれは見た目が201系のデザインに見えて構造そのものは103系の車体だ
内部だってつり革部のステンレスパイプの取り付け方が103系そのものだった
MT55積めるエアサス車はアルミ車体の301系用しか存在してないからどのみち不可能だった 車輪径が860mmじゃなくて910mmな時点でお察し 日暮里舎人ライナー330と320
名古屋市営N3000のアルミとステンレス ニート215系 大失敗
付属編成 新製却下5両編成 >>565
京急2100も付属4連を作る計画があったが中止となった >>564
名古屋市営N3000の
日立が落札した契約→アルミ製
日車が落札した契約→ステンレス製
は発注元が車体の材料に注文を付けてなかったんかね >>568
塗装の必要がない車体
ってのが入札の条件だったのかもよ。
だからアルミでもステンレスでもどっちでもよかった。 実際、アルミかステンレスってのが条件だった。
で、日立がA-Trainコテコテの車両を作ったところ、2次車の入札の時にどっかの会社がどこまで1次車と合わせれば良いか質問してた。
んで、見様見真似で作って外装も内装も殆ど互換性の無い2次車が出来上がった >>570
過去の大阪メトロ(市交)30系がそうだった 横浜市営、3000Vは1本だけで終了で以降は4000になるらしい
メーカーの変更により別形式にする必要が生じたんだろうか… 日暮里・舎人ライナーの320は、技術の弱いとこが新しく設計してたった1編成だからメーカーの旨みが少なそう >>573
別にトランシスも技術が弱いわけじゃないんだけどな
それ以前にあの方式のAGTは前身の新潟鐵工所が開発したシステムをベースに標準化したやつだし ニート215系
ボックスシートがMEDAだった
伊豆急 いずぱこ 乗り入れできなかったのが失敗だった
温泉快速波動臨で使えたのにな
付属編成申請却下された経緯もある
バブルの頃 温泉特急救済続行遜色特急にも使えた
185系テンクロタイプで製造 悪茶より停車駅の少ない
温泉・海水浴特化伊豆急乗り入れ考慮しなかったのか >>555
180km/hで正解
営業最高速度は150km/hを考えていた >>575
>>565
215は海373のようなコンセプトの車両だったらまた違ったかもしれないが
(185の正統進化とか) 朝ラッシュピークの特急湘南が茅ヶ崎藤沢の貨物線ホーム長の都合で14両に出来ない事を考えると、
全席リクライニング換装した215系の抜擢もあり得たんじゃないかと思う。 リクライニングだと全席グリーン車なら可能だろうが。転換クロスにしても定員減るわ
シートピッチと窓枠合わないわでええことないがな。 >>578
いや今の東はそんなこと(内装更新)はしないから >>579
現状より定員減だとしてもE257系9両と比較して増えていれば問題無くね?
特急湘南の定員増加目的なら眺望犠牲も問題無いし、特急格上げによる値上げで採算性が落ちるわけじゃないし。
あ、そうすると休日やまなし用に使えなくなるのか。
特急格上げだとそれこそ窓割と荷物スペースの少なさが問題になるか。
>>580
東でも185系や253系で座席換装の実績自体はあるよね?
流石に東武634や西117系銀河みたいに種別格上げレベルの換装はしないのか。 >>513
東急6000中間車だが、結局5080に組み込まれたらしいね
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