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南京大虐殺「銃殺し刺殺した。南京で見た事は喋るな」
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0001名無しさん@3周年垢版2017/12/15(金) 05:36:37.42ID:vyNZ1kjd
元日本兵
「南京侵攻が決まり、民家に入り女も子供も殺した」
「中国兵捕虜は揚子江河川敷に集め機関銃で銃殺した。
弾に当たってないのがいるかもしれないと一人ひとり銃刀で刺せと言われ刺して回った。
捕虜の食料など用意できるわけもない。茶碗すらもない」
「何万という捕虜を殺したのは間違いない」
「南京で見たことは公言するなと言われた」

投降した捕虜の殺害は当時の国際法でも禁止されていた

NNN ドキュメント '15 南京事件 兵士たちの遺言 より
0003名無しさん@3周年垢版2017/12/16(土) 13:32:09.90ID:n35fOAQl
【社会】日本兵が日本兵を銃殺 当事者の元隊員95歳男性が記録に 「住民虐殺、強姦・強奪許せず」
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482754278/

 1945年の沖縄戦で激戦地となった摩文仁で、日本兵が沖縄住民を殺害したり強姦(ごうかん)したり食料強奪をしたりする事態を我慢できず、別の日本兵がその日本兵を殺害する出来事があった。
当時、沖縄で戦闘に参加した元日本兵・飯田直次郎さん(95)=神奈川県在住=は自ら日本兵を銃殺したことを証言した。飯田さんは知人の協力を得て、中国で戦争に参加した体験や沖縄戦の詳しい足跡を原稿用紙129ページにまとめた。

 45年6月、球部隊に所属していた飯田さんは摩文仁の壕に潜んでいた。一緒に逃げて仲良くなった日本海軍兵や周辺住民から「自分が隠れている壕で住民にひどいことをしている軍曹がいる」と聞いた。
その内容は、住民や子どもを殺害したり女性を強姦したり食料を強奪したりするほか、その一帯で水が飲めた唯一の井戸を独り占めにしているというものだった。

 ある日、飯田さんも「佐々木」という名の軍曹による「悪行を目撃」した。「見るに堪えない。もう限界だ。同じ日本の兵隊として許せねえ」と殺意が湧いた。
海軍兵に「このまま見て見ぬふりできねえ。島民が殺されているんだぜ。やつさえいなければ皆なんとかしのげる。水も飲める」と殺意を明かした。

 飯田さんは米軍との戦闘前、那覇市の住民宅で寝泊まりし、沖縄の人々から温かくしてもらったことへの「恩義」もあって「住民を殺す日本兵が許せなかった」と言う。ある晩、井戸で住民に嫌がらせをしている佐々木を見つけた。
人影がなくなったのを見計らい、軍服を引き裂いた布で拳銃を隠し持って近づき、水を飲んでいる佐々木の後頭部に銃を近づけ引き金を引いたという。

 飯田さんは「全ては島民のためと思ってやったが、私自らの手で日本人をあやめてしまった。70年余たっても忘れられない」と話し、今でもつらい思いが残っていることを吐露した。

 本島南部の激戦時、食料が尽きて飢えた日本兵が夜、米軍の陣地に忍び込んで食料を盗み、その帰りを待ち伏せた日本兵がそれを奪い、殺し合う事態も「よくあった」という。
「戦場では人間が人間ではなくなってしまう」と振り返る。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-417850.html
0004名無しさん@3周年垢版2017/12/17(日) 14:50:00.33ID:ErGMPIFB
【戦争を考える】日本兵による日本兵の殺害を証言した98歳「やり残したことがある」
2017年8月10日 20時0分 週刊女性PRIME

教師になりたかったが徴兵され「人殺しの練習ばかり」で夢破れたと話す飯田さん

 沖縄戦経験者の元日本兵、飯田直次郎さん(98)は、昨年ごろから、住民に対し悪行を働いた海軍の軍曹を殺害したことを証言し始めた。
日本兵による日本兵の殺害に関する証言は極めて珍しい。
 飯田さんは1944年、東部第六二師団下田部隊に入隊し、沖縄へ向かった。
 それまでは教育部隊に所属、中国戦線に6年半、派兵された。いったん本土へ戻ったときに結婚。半年後に再び派遣されるが、このとき、妻は身ごもっていた。
「いつ召集がくるかわからないから、妻も覚悟のうえだったはず。それが当たり前でした」
 沖縄戦は、アメリカ軍の本土上陸を遅らせる時間稼ぎの作戦だった。飯田さんが沖縄に派遣されたのは、アメリカ軍の潜水艦攻撃が激しくなったためだ。
「最初は台湾に行くはずでしたが、途中の下関で船が止まって、別の部隊が台湾へ。そのため、私たちの部隊は沖縄に行くことになったんです」
 このころ、すでに飯田さんは“日本が負ける”と思っていたという。なぜか。
「最後に来た部隊は竹槍(たけやり)を持っていました。銃がないんです。“ああ、これはダメだな”とあきらめました」
 11月末、飯田さんらは那覇に上陸した。識名の守備軍として配備されたが、那覇は10月10日の大空襲ですでに廃墟になっていた。
 その後、飯田さんは沖縄戦最後の激戦地・摩文仁村(現在の糸満市)に移動。ここで「佐々木」という海軍の軍曹を殺害した。いったいどういうことか。
 ’45年6月ごろ、飯田さんは、一緒に逃げてきた日本海軍兵や周辺住民と過ごすなど交流があった。
「食糧が少なく、餓死した人も多い。でも、住民とは仲よくやっていました。部隊には軍から鯨の缶詰の配給がありましたから、それを住民にも配った。
私たちは住民からサツマイモなどをもらって。イモの葉っぱは常食でしたよ」
 しかし海軍の軍曹・佐々木は、住民を殺害したり、女性を強姦したり、食料を強奪していた。
近くで水が飲めた唯一の井戸を独占している、という話も住民から聞いた。
「住民が泣きついてきたんです。佐々木は自分だけ生き延びようとしていた。反感を持たれていました」
0005名無しさん@3周年垢版2017/12/17(日) 14:59:21.75ID:ErGMPIFB
 ウワサだけでなく、飯田さん自身も佐々木の蛮行を目撃する。もう限界だと思った。
「見て見ぬふりをしている人もいた。佐々木の命令で同じようにしている人もいた。あまりにもひどい。日本から兵隊が行ったからこそ、沖縄の島民は苦労したというのに」
 そのため、佐々木を殺害することを思い立つ。
 「佐々木さえいなければ、なんとかしのげて、水も飲めるのに」
 飯田さんは、仲間と一緒に殺害計画を立てた。井戸で住民に嫌がらせをしていた佐々木に近づき、後頭部に銃を突きつけ、引き金を引いたのだ。
 この佐々木殺害の件について、飯田さんは2年前から証言するようになった。
 関係者がほとんど亡くなっているということもあるが、「やり残したこと」として、記録に残すことを決めた。
「本当は誰にも話さず、心に秘めて亡くなろうと思ったんです。日本人同士の争いは恥ではないかと。でも、そのことを知っている人はもう私しかいない」
 飯田さんは戦後2年たって実家へ戻った。その後、これまでに37回、沖縄へ行き慰霊の旅を続けている。
 戦友から寄付を募り、部隊が全滅した場所に慰霊碑も建てた。
 飯田さんはアメリカ軍から逃げる牧港付近で、背後から撃たれた。火炎放射器によって100人ほどいた兵隊はほとんど焼死。
生き残った飯田さんは、そのときの銃弾がまだ身体の中にある。傷は、沖縄戦の悲劇を物語り、日本兵による日本兵の殺害は、貴重な証言となっている。
「沖縄ではいろんなことをした。嫌な思い出は残っているけど、いい思い出は何もないよ。戦争は勝っても負けてもよくない」
http://news.livedoor.com/article/detail/13458503/
0006名無しさん@3周年垢版2017/12/17(日) 15:01:49.71ID:1l3R+dRh
ソース元が琉球新報
0007名無しさん@3周年垢版2017/12/17(日) 15:06:30.05ID:1l3R+dRh
そういう時代を経たこらこそ今がある  全ては繋がっている  突然変異など何もない

ゆえに一部を切り取るほど愚かで無知なことはない。
0008名無しさん@3周年垢版2017/12/26(火) 10:43:55.26ID:NZt0zpf4
【政治】自民党が在日韓国人への差別を煽るヘイトスピーチを取り締まる法整備を検討するプロジェクトチームを近く設置する方針固める
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1408077884/

 自民党は、在日韓国・朝鮮人への差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)を取り締まるための法整備を検討するプロジェクトチーム(PT)を近く設置する方針を固めた。

 7月に韓国の朴槿恵パククネ大統領と会談した舛添要一東京都知事の要請を受けた安倍首相が、高市政調会長に検討を指示していた。

 首相は、日韓首脳会談の実現に意欲を示しており、韓国側が問題視しているヘイトスピーチに対応する姿勢をアピールすることで、
日韓関係の改善につなげたい考えがあるとみられる。

 主要7か国(G7)でヘイトスピーチに関する法規制がないのは米国と日本だけで、国連の自由権規約委員会も7月、日本に対策強化を求める報告書を公表した。
ただ、法務省などは「憲法が保障する表現の自由に抵触しかねない」として法規制に慎重で、自民党は、欧州の法規制の状況を研究し、議員立法による新法制定の可能性を探る方針だ。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140815-OYT1T50028.html
0009名無しさん@3周年垢版2017/12/26(火) 13:21:40.66ID:m1tyOemT
しかし、終戦直後や現代の陰惨なな犯罪を忘れてはいけないぞ。

   >>8 名無しさん@3周年2017/12/26(火) 10:43:55.26ID:NZt0zpf4

   【政治】自民党が在日韓国人への差別を煽るヘイトスピーチを取り締まる法整備を検討するプロジェクトチームを近く設置する方針固める
   daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1408077884/
0010名無しさん@3周年垢版2017/12/31(日) 14:45:51.28ID:JCq56SoY
【話題】 櫻井よしこ氏 「朝鮮人は半島に帰れと叫ぶネット右翼(ネトウヨ)たちは、歴史を学ぶべきだ」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1344550518/

「朝鮮人は出て行け」と叫ぶネット右翼(ネトウヨ)たちは、日本が古来、「開かれた国」であったことをご存じか。
それこそが、「日本らしさ」である。ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、ネトウヨは「歴史を学ぶべき」だと語る。

「ネット右翼」と呼ばれる人たちが、インターネットの掲示板で、あるいは実際のデモなどで存在感を高めています。
ネットを含む新しいコミュニケーションが大きな力を持つようになり、歴史上初めて、一人ひとりの意見が
その人の思惑を超えて、国を動かし、その国の政体までも変えてしまう強い力を持つ時代になりました。

しかし大きな力を持つがゆえ、そこに参加する人たちは自覚を持ち、賢明さを身につけなければなりません。
ネットの熱い議論に参加する一人ひとりの成熟度が、ネットの力が日本を良い方向に向けるのか、混乱に陥れるのかの分岐点になると思います。

ネット上の書き込みを見ると、「朝鮮人は半島に帰れ」といったものや、韓国人女優をCMに起用した会社に対し、
「ぶっつぶすぞ」というような排外的、過激な言葉が目立ちます。相手を誹謗中傷し、不満の捌け口にするような主張には
事態を改善する力もありませんし、未熟な言論と言わざるをえません。

そのような主張を展開する前に、まず大いに歴史を学び、事柄の全体像を見て、自身の言葉に説得力を与えるよう努力してほしいものです。

(略)
ほとんどの時代、日本は国を広く開き、海外の新しい文化や知識、技術、
制度などを取り入れて、自分たちの生活や文化をより良いものにしてきました。
(略)

完全に開きながらも、尚、しっかりと、日本であり続ける。日本の中心部分は驚くほど堅固に守っていくのが、
古来の日本のあり方です。従って、感情にまかせて単に「半島に帰れ」などと叫ぶとしたら、それは「愛国」でも「保守」でもありません。

偏狭なナショナリズムや国粋主義に陥れば、必ず国際社会で孤立し、道を誤ります。
ネット右翼と呼ばれる人たちには、決してそのような過ちを犯してほしくありません。
http://www.news-postseven.com/archives/20120810_136649.html
0011名無しさん@3周年垢版2018/01/26(金) 05:05:52.56ID:Jrh6gBtS
【論説】池田信夫氏…「在日特権」なんて存在しない。在特会やネトウヨの民族差別は、不合理な優遇の見直しを妨害する有害無益な行為★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1384474536/

■「在日特権」なんて存在しない

 在特会の尻馬に乗って「在日特権」なるデマを流布している自称皇族を批判したら、山のようにスパムが来た。これはWikipediaの
定義によれば「在日外国人だけが有する権利や資格、彼らに対する企業や行政機関からの特別な優遇措置」だというが、この意味で
在日だけの特権は存在しない。

 7年前の記事でも指摘したように、同和についても同様の特別扱いがあり、こっちのほうが規模は大きい。それなのに在特会が
在日だけを攻撃するのは、明白な民族差別である。在日や同和が自分のハンディキャップを材料にして役所を脅すことはよくあるが、
その原因は役所の事なかれ主義だ。これは公務員が追及の矢面に立ちたくないので、税金を使って彼らと「手打ち」するモラルハザード
である。

 このような逆差別は日本だけの現象ではなく、アメリカではaffirmative actionが法的に制度化され、連邦最高裁まで争われたが、
今のところ全面的に否定されてはいない。同和や在日の優遇措置も、かつては彼らのハンディキャップを是正する一定の意味が
あったが、今では役所の前例主義で残っているだけだ。

 これは在特会などが妄想しているように在日が特別な権力をもっているからではなく、むしろその弱い立場を利用して役所を脅して
いるのだ。部落解放同盟も、私の子供のころには差別発言した教師を全校集会で「糾弾」するなどの行為は日常茶飯事だった。
組織暴力団の構成員のほとんどが在日や同和だったことも事実である。

 その原因を作り出したのは、彼らを差別した日本社会だ。正業につけない彼らが、そういう非合法な手段で生活しようとしたのは
やむをえない面がある。他方、借地借家法など「弱者」を過剰に保護している法律が、彼らの暴力や脅しによる「紛争解決」を必要と
した面もある。これもマフィアと同じく普遍的な現象である。

ソース(アゴラ、池田信夫氏) http://agora-web.jp/archives/1568262.html
0012名無しさん@3周年垢版2018/02/01(木) 16:22:25.92ID:yOGwESuk
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R7QIS
0013名無しさん@3周年垢版2018/02/26(月) 04:20:06.66ID:naCeYM3K
あーあ
0014名無しさん@3周年垢版2018/03/26(月) 17:18:07.79ID:d0WkkJ/U
従軍慰安婦を韓国叩きのネタに使ってるネトウヨは多いが、
南京事件はそもそも興味がないものと思っていた。
決して折り合わない者同士の議論など何年続けても不毛だし、
戦争犯罪の検証は学者に任せて、自国の闇を暴き立てることに
快感を見出すサヨクの当事者性のなさを批判してればいいんだよ。
0016名無しさん@3周年垢版2018/06/01(金) 20:13:37.01ID:Snf1PoA7
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時間がある方はみてもいいかもしれません
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0017名無しさん@3周年垢版2018/06/01(金) 21:02:05.18ID:8ezgJvpj
南京大虐殺を最初に言い出したのは、中華民国ではなく、アメリカだよ。
0018名無しさん@3周年垢版2018/07/13(金) 13:44:04.23ID:IIcBQTkr
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0020名無しさん@3周年垢版2018/09/06(木) 14:54:06.43ID:3Kj0//yv
www.sankei.com/politics/news/150122/plt1501220011-n1.html
   ーーー

 ≪緻密さが求められる評価≫

そもそも、「歴史認識」を軸とした国際政治の世界では、第二次世界大戦の敗戦国である日本は、常に「守勢」の立場に置かれてきた。そうした立場であればこそ、「村山談話」に象徴されるように、日本は、折に触れ「反省と謝罪」を要求されてきた。

しかしながら、明治以降の日本の対外進出は、一体、いずれが「反省と謝罪」の対象になるのか?
 
例えば、台湾、千島列島・南樺太、南洋諸島に対する進出は、その是非が議論されることは今では稀(まれ)であろう。
朝鮮半島に対する進出は、帝国主義期の支配的な作法に則(のっと)らざるをえなかったものである以上、それ時代の件までも「反省と謝罪」の対象とすべしというのは受け容れ難い。

朝鮮半島との関係で問われるのも、そこでの植民地統治が開明的であったか強権的であったかということでしかない。

中国本土に関していえば、日清戦争や北清事変(義和団の乱)に代表される第一次世界大戦以前に行われた進出もまた「反省と謝罪」の対象とは認め難い。

むしろ、第一次世界大戦以降、対華二十一カ条要求、満州事変を経て日中戦争勃発に至る過程での対中進出の有り様にこそ「反省と謝罪」の如何(いかん)を検証する材料はありうる。

そして、第二次世界大戦勃発前後の東南アジアへの進出は、それを「アジア解放」の文脈で評価する向きがあるけれども、そうした評価は客観的には無理の多いものである。ここは、省(かえりみ)ておく対象と評価せざるをえないのである。
 
近代以降の対外進出の評価は、その「場所」と「時期」に即して緻密に行われるべきではないか?
 
0021名無しさん@3周年垢版2018/09/06(木) 14:54:54.11ID:3Kj0//yv
 
・・・≪何が「批判」に値するのか?≫

このように考えれば、近代以降の日本の対外進出における「反省と謝罪」の対象として、明白な検証の材料となりうるのは、第一次世界大戦後の対中進出であり、第二次世界大戦勃発前後の対東南アジア進出であるということになる。

第一次世界大戦以前の日本の対外進出については、帝国主義期の冷酷な国際「常識」に追従せざるをえなかった結果である。

21世紀に至っても、英国がインドやエジプトのような国々に対して、さらにはフランスがアルジェリアや他のアフリカ諸国に対して、「反省と謝罪」を表明しているのでなければ、この件で日本が特段の非難を浴びる謂(いわ)れはないという弁明も十分に可能ではあろう。

しかし、その一方では、第一次世界大戦後、「民族自決」原則と「戦争違法化」思潮が擡頭(たいとう)し、それまでの国際「常識」が変わっていく中で、
例えば満州における「帝国主義」権益に固執し、そうした変化に適応しきれなかった往時の日本政府の対応は、省察に値しよう。

「過去の一時期、国策を誤り、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。」という「村山談話」の認識も、その限りでは必ずしも誤ってはいないのである。
 
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