森田療法的に生活をするスレ
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{:六;;;;:ハ:;;;:カ
(_ ' _^_ヽリ タモリ療法でございます
ヽ ´ニ`ノ
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! l l ! K_〉 その「森田療法的」なるものの内容は森田の直弟子たちの間でもかなりの違いがあったから
話がややこしくなる。
だからと言って、最大公約数的な「生活の発見会」の理解にとどめてしまうと物足りない内容
になってしまい効果も芳しくない。やはり、森田療法は難しい。 ・・・七、八時間の臥褥以外には、食後の休息とか、間食とか、横臥するとかいっさい許されないで、十六、七時間はのべつに何かをしているのである。
ちょっと他から推測すると、非常な苦行のように思われるけれども、今まで患者がそれに対するはなはだしい苦痛を訴えたということはほとんどない。 ・・・神経症は遂には全治するものである。これらから考えると、神経症の人達は繰り返し述べているように、ねばる態度を忘れてはいけないのである。
悲観するにも及ばないが、悲観するようになったら、仕方がない、悲観しながらも、よろよろねばるのである。このよろよろでもよいということを忘れないことである。 前の院長、宇佐玄雄の講話と日頃の指導は、森田理論、学説を説明して理解してもらおうとするものではありませんでした。むしろまったく理屈抜きに、すぐその場に必要な事柄をとりあえず、いやいや手を出してやりなさい、ということに尽きるものでありました。 忘れられない問題を抱えながら悩みながらそのまま行くという、そこのところに、あるがままの意識を持ち込まないという素晴らしさがあるのです。
あるがままは言葉にする前の状態ですから、嫌だなあ、何とかしたいなあ、という感情が出て来ても、その段階ですぐ外へ向かっての緊張を高めた行動があるばかりなのです。
心に向かって、これを森田療法でどう治したらいいのかというような工夫は一切要りません。 前院長は患者に症状のことを決して言わせませんでした。「生活、仕事、勉強、人のお世話、何でもさっと、どんどんやりなさい」というところが生き生きとしておりまして、治す手間を省くのです。治ったらするというのではないのです。 もう一つの驚きは、睡眠時間三、四時間というハードスケジュールを毎日こなしているということである。ここでも並みの禅僧ではおっつかないような厳しい仕事に対する打ち 込みが伺える。
晋一の毎日のスケジュールを追ってみよう。
午前九時三十分起床。十時から午後の七時近くまで外来者の診療、約二十人に面接する。これは後の項で説明するが、講話の日は七時三十分から八時三十分まで、世界美術史講座の日は八時三十分から十時までそれぞれ晋一の話が続く。
つかの間の休息もなく晋一は車を自分で運転して、求められるま主に往診にでかける。
遠くは滋賀、大阪まで足を延ばす。零時過ぎに帰院、晋一は今度は院内の修養生が提出した日記に丹念に目を通す。五十人近くの日記だから見終わるのは四時になる。
個々の修養生の修養度をみて、的確に答えていかなければならないので結構、時間のいる仕事だ。それに依頼原稿や手紙の返事などを書いていると五時を過ぎることがしばしばだ。
さらに健康保険の事務手続きが加わる月初めは、六時を過ぎることもある。月二、三度の徹夜は今でも辞さない。晋一の医師という使命感に加え、終生、聖胎長養だという人間、晋一の生きざまなのだろう。
しかし、こうした晋一を修養生のころ、側で見ていた三省会のある婦人は、感動と心配で晋一の健康を守る会を作ろうとしていたほどだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています