WW2イタリア機を語る

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2011/12/04(日) 12:59:28.73ID:???
マッキ、フィアット、レジアーネ、サボイア
とにかくマイナーなイタリア機について語りましょう。
2013/10/21(月) 19:08:24.59ID:???
>>475
月曜の朝は出勤前のプレッシャーでストレスが溜まりますよね、なんとか乗り切りましょう。

>>476
 十分なプロパガンダになりましたよ、スウェーデン、ベルギー、ハンガリー、バルカン諸国、中南米、そして日本までもが
イタリアから航空機を買いましたよ。
 純軍事技術という意味では残念ながらエンジンメーカーのフィアットは、せっかく積み上げたノウハウを捨て去ってしまい
ましたが…。
 ボディーワークのマッキは1930年代の前半までは、ちっちゃなヴェンチャー企業でしたが、MC72など一連の技術の蓄積
により量産機を開発製造出来るまでに成長しましたよ。(製造に関してはサヴォイア・マルケッティとの提携受託生産で技術
を取得した事が大きいようですが)
 特異な技術の表面ラジエーターもカントZ.501やマッキC.200でオイルクーラーとしてそのアイデアが採用されています。

>>477
仏のデボちゃん辺りも同じなんですよね、何でなんでしょうね。
2013/10/21(月) 23:06:34.40ID:???
ヘタリア人劇弱プゲラッチョ
2013/10/21(月) 23:23:41.33ID:???
イタリア陸軍

http://theswash.com/wp-content/uploads/2012/05/italian-army.jpg

陸上自衛隊

http://livedoor.blogimg.jp/military380/imgs/9/d/9d60b0e1.jpg


wwwwwwwwwwwwww

イタリア軍ガチムチ〜〜〜

自衛隊ヒヨロヒョロ〜〜〜
2013/10/22(火) 09:27:55.81ID:???
レジアーネRe.2001なんて、見たとたんに「ああ、垢ぬけない低性能機だな」って思うよね。
2013/10/22(火) 18:52:07.62ID:???
 皆さんこんばんわ。

 レジアーネRe.2001ですか…
 確かに0系時代から量産3機種を比較すると、(イマーム、ウンブラ他の4〜5社の試作機のみの機体比較は勘弁して)
翼面積(u):フィアットG.50(18.15)、マッキC.200(16.61 小さ!)、レジアーネRe.2000(20.40 でかっ!)レジアーネが翼面積が
一番広く、速度面では不利な事がことが分かります。
 ただこの翼の大きさが後々生きてくる訳でして、フィアット、マッキ(C205“N”のほう)は5系では翼を新設計しなければ
ならなかったのに対してレジアーネはRe.2005に於いて0系ファルコ由来の主翼のままで高高度性能の要求に対応する
事が出来ました。(勿論エンジンは更新ね)

 方向性としては限界設計寄りのマッキに対して、レジアーネは余裕のある設計だったのでしょうか、独:MG151/20
20_機関砲パックの主翼下への追加装備も、マッキC.202は操縦性の悪化から却下され、Re.2001CN が採用になって
いますよね。CB戦爆型とかも含め…まあ隙間埋めには重宝したというか…。
 『 万能機列伝 』飯山幸伸 にもややネガティブな意味での万能機として取り上げられてましたね。
 それでも最後にRe.2005で、ひと花咲かせたかなあと…「みにくいあひるの子」や貴種流離譚のような浪漫を感じます。

 あと…
『 中島戦闘機設計者の回想 』 (光人社) 青木 邦弘
 まあ、基本、私の比較考察の仕方はこの本の受け売りなんですが…見識が広がりますよ、この本。
 …剣…に関しては私のごとき浅学が口を挟むのは、はばかられます。
2013/10/23(水) 22:00:28.54ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
2013/10/26(土) 13:02:18.30ID:???
レジアーネRe.2000がイタリア軍に採用されず、他国への輸出用だったわけだから、
もしも日本海軍が昭和15年にサンプル輸入してたら、雷電は和製Re.2000に生まれ変わるんじゃないか、
って妄想することがある。

Piaggio_P.XIは87オクタン、φ1328mmで1000ps級だっけ?
火星1xは吸気設計ミスがありながら、91オクタン2速過給で1340ps/4000mだったかな。
600km/h迄は届かないにせよ、580km/hぐらいなら届きそうな感じするわけでね。
2013/10/26(土) 14:03:40.23ID:???
(あれっ?なんで水曜日に雷電スレにおじゃましたことが分かっちゃうんだろ。)

(ピアジオの14気筒)ノームローン14K由来では全然だめなのです。その後の正常進化バージョンでないと…
排気バルブ、全体の冷却等…いいのは改良版ノームローン14"R"だったかなあ、あとソ連のツマンスキーだったかな…

雷電は、(離発着時の難を除けば?)、諸元を比較するとフィアットG55、Re2005 同等、それ以上の部分もあるよう
に感じるのだけどなあ。
2013/10/26(土) 14:52:05.14ID:???
Re2001って猿人換装しても全然性能が向上しなかったウンコ機だろ?

主翼が異様に分厚かったり、全長が寸詰まりだったり、機首のあちこちに
無節操に小さなエアインテークが散在してたり・・・
見ただけで空力特性悪そうなんですけど。

脳天気なイタリア人が造りそうなユルーーーイ感じの飛行機。
2013/10/26(土) 15:36:06.22ID:???
すいませんねえ、Re2001ネタはあと英空母ヴィクトリアスへの不発弾ぐらいしか知らないんで……
別な戦史の話をさせていただきます。

163 Squadriglia CT
This unit was formed in June 1935, transferring from Ciampino to the Aegean in December of that year. It began the
war with eleven CR32s. In July 1940 nine CR42s, specially modified for fighter-bomber duties, were received for training
in this new role. On 4 September the CR32s intercepted an attack by the Royal Navy aircraft carrier HMS Eagle,
claiming five out of the twelve Swordfish from 813 and 824 Squadrons, FAA. Three others force-landed.
 During the late spring of 1941 the unit moved to Gadurra. In April it used eight CR32s in the operations against Crete.
A section of these aircraft was detached to Cattavia landing ground in May. Between 20 and 31 May the unit also used
the fighter-bomber CR42s against Crete and Castelrosso, bombing and strafing in support of the German paratroops.
After the conquest of Crete, the CR32s were relegated to training duties. On 11 June 1941 the squadriglia joined
161 Gruppo.   『 Courage Alone 〜 』 Chris Dunning 著 より

 163 Squadriglia CT は1935年6月に編成され、12月には、チャンピーノからエーゲに移動になった。開戦時には11機の
CR32を揃えていた。1940年7月に9機の戦闘爆撃機任務用に特別に改修されたCR42を受領した、この新しい任務の
訓練の為に。163(戦闘)飛行隊は9月4日、英国海軍空母 HMS イーグルによる攻撃(*1)を、CR32によって迎撃した。
空母イーグルの艦隊航空隊(FAA)の813と824飛行隊の12機のソードフィッシュのうち5機を撃墜(*2)し、他に3機を
不時着(*3)させたと報告した。
 163(戦闘)飛行隊は1941年の晩春中に(同じロードス島内のマリッツア基地:Maritzaから)ガーデュラ(Gadurra)
に移動になった。同年4月のクレタ島の作戦には8機のCR32を使用した。これらのCR32のうち1分隊は5月にCattavia
(ロードス島南西部)簡易飛行場に分遣された。
2013/10/26(土) 15:40:18.62ID:???
>487の続き

 5月20日から31日には、ドイツ降下猟兵を支援するために、CR42戦闘爆撃機を揃えた部隊を使いクレタ島とカステロリゾ島
(英:Kastellorizo、伊:Castelrosso)を猛爆撃した。クレタ島の占領の後、CR32は訓練機用に格下げされた。1941年6月11日
に163(戦闘)飛行隊は(それまでは独立飛行隊だったが)161航空群に隷下に組み入れられた。

以下は私自身の注釈です。
(*1)母体は、空母イーグル、空母イラストリアスなどを含む諸艦連合部隊。「ハッツ作戦」を参照。
(*2)英国側資料は被撃墜4機。
(*3)強制着陸させ伊軍が鹵獲したソードフィッシュK8403もそのひとつなのか。

ハッツ作戦 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%84%E4%BD%9C%E6%88%A6
HMS Eagle (1918) ttp://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Eagle_(1918)
空母イーグル行動表 ttp://homepage1.nifty.com/HARPOON/Eagle3.html
鹵獲 ttp://www.dodecaneso.org/SWORDFISHmaritza.htm
   ttp://www.fleetairarmarchive.net/rollofhonour/pow/H.html

 ロードス島空襲の、伊:マリッツァ空軍基地 側の損害は、wikiの「HMS Eagle (1918)」によると、地上にてSM79を2機を
撃破(この時期だとSM81の可能性が大ではあるが、3発爆撃機ということには変わりはないか…)、なを他に4機の航空機
に損害を与えたとあります。
 英軍は直掩機を出さなかったようで、シーグラディエーターとCR32の空中戦は今回は無かったようです。
 捕虜鹵獲機の1機も英国発表の「被撃墜4機の内数」なのか、「未帰還機5機のうち被撃墜4機」なのかははっきりしませんね。
伊軍側もあくまで "claiming" 戦果の主張ですし、筆者の Chris Dunning 氏も英軍側の資料と付き合わせると云う事には
主眼を置いてないようです。(やや伊バイアスが強いかな…)

 1940年9月頃は英仏海峡戦用に戦力(CAI)を抽出中なので、エーゲ航空隊は装備の更新には本当に恵まれていませんね。

やはりマタパン岬沖海戦(1941年3月)において、ロードス島からの航空支援は気配も無しなのか…。
カステロリゾ島…なんか戦役がありましたね…。
2013/10/26(土) 16:49:26.27ID:???
ヘタリア人劇弱プゲラッチョ
2013/10/29(火) 17:58:11.37ID:???
Re2001の主翼ってP-35に酷似。
性能、戦果も同じような感じだ。
2013/10/29(火) 19:31:45.50ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
2013/10/30(水) 18:56:59.67ID:???
>490
イギリスにはハリケーンに間違われてますね。

 そもそもRe.2000のいわくについては『 Reggiane Re 2000 – Falco, Heja, J.20 』Maurizio Di Terlizzi 著 に興味深い新説・仮説
があるようなのですが、…私、伊文は読めないんです…。
 Ca.3の輸出と製造権の販売以来、カプロニ伯爵はアメリカ合衆国航空産業界と以外に強いコネクションがあるようなので、
レジアーネがIRI保有による国営化を経てカプロニ傘下*である以上は、私としても色々と密約、陰謀を推測するところがある
んですよ…。

>P-35はスウェーデンにも輸出された。スウェーデンでの呼称はJ9である。発注は120機だったが半数
>の60機を引き渡したところで1940年6月に兵器輸出を禁止する法律が成立したため、
>残りはアメリカ陸軍が引き取った。

 上の事実とカプロニ伯爵を結びつけると、例えば…
1)セバスキー社による、合衆国議会に内緒の、P-35 のイタリアへの不正技術供与。とか…
2)セバスキー社からスウェーデンへのP-35の不正な迂回輸出の実体が Re.2000 。とか…
あっても不思議じゃ無いなあと…。

 ただRe.2000の初飛行が1939年5月24日なので、時系列が合わないかあ…。
 ただスウェーデンへはぴったり穴埋めになりましたね。
 イギリス政府も開戦直前まで、イタリアに対して離独宥和政策の一環でカプロニにCa.311やRe.2000の引き合いを盛んに
出す辺りは…なにかとカプロニ伯爵の周りは、不思議なことが多いですよねえ……。

*Wikiのカプロニ伯爵自身の項の英、邦文ページでは、レジアーネがカプロニ子会社であることは、都市伝説であるとして
否定しているが、それこそが都市伝説なのではないでしょうか。
セバスキー P-35 
ttp://www.warbirds.jp/data/us/htm/p-35.htm
2013/10/30(水) 22:49:30.02ID:???
ヘタリア人劇弱プゲラッチョ
2013/10/31(木) 10:24:28.21ID:???
Re2001って、主脚の引き込み方はP-40(っていうかP-36)のコピーか?
さすがにP-35は90°捻りを横着したので、もっともダサい引き込み方になった。
(まあ、P-35は主脚に限らず全体的に未完成な雰囲気バリバリだけどな)

しかし、Pe2001って寄せ集めの典型みたいな機体だなあ。
2013/10/31(木) 19:13:51.83ID:???
Re2001の主脚ですか…
ピンポイントで解説してある写真や資料を持っていないのでなんともいえませんが…、

 基本、Re 2000から2003までは一緒だと思いますよ。
 カーチスと比べて、カバーを主脚とタイヤ側に付けることで、主翼側の開閉機構を省略出来て、簡単な作りになって
いますね。動作の様子を見ると…もしかすると、作動原理も油圧と電動の違いがあるかもしれませんね。

Re 2000 の腹部
ttp://www.axis-and-allies-paintworks.com/e107_plugins/forum/forum_viewtopic.php?294
Re 2001 1分30秒あたり
ttp://www.youtube.com/watch?v=7sM-NiylFEY
カーチス P-40
ttp://www.youtube.com/watch?v=dD_ZTQ3-Kxs
飛行機の脚
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~t_miyama/landgia.html
2013/11/01(金) 13:41:16.88ID:???
不人気イタリア機の中でも、さらに知名度低いRe.2001が話題になるとは・・・・

さすがに模型もほとんど出回っていない。
SuperModel(旧FROG)の1/72ぐらいしか思いつかん。

でも妙に大らかさがあって(っていうか脳天気な呑気さ)、それなりに魅力的に見えてきた。
2013/11/04(月) 00:27:37.15ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
2013/11/04(月) 08:13:57.27ID:???
>>496
旧FROGではなくItaleliであろう。
Re2001(とかRe2000)をキット化するのは、Itareliぐらいなモノだ。
2013/11/04(月) 11:30:24.02ID:???
イタリア陸軍

http://theswash.com/wp-content/uploads/2012/05/italian-army.jpg

陸上自衛隊

http://livedoor.blogimg.jp/military380/imgs/9/d/9d60b0e1.jpg


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自衛隊ヒヨロヒョロ〜〜〜
2013/11/04(月) 12:03:27.63ID:???
へタリア人って、先端テクノロジの機械とか電子機器を活用しての
戦闘はからっきしダメ。(頭がよくない種族なので、複雑なオペレーションに対応できない)

だから、戦闘が馬とか弓矢とかまでの時代までは何とかなった。
(WWUではすでに限界を超えていたので、激しく弱かった)

現在は、その弱小ぶりはさらに加速しており、お話にならないくらい弱い。
現在の戦闘は情報と頭脳と最先端テクノロジで戦うのであって、筋肉で戦うワケでなない。

特に脳みそまでが筋肉な↓ではねえ・・・ オホホ
http://theswash.com/wp-content/uploads/2012/05/italian-army.jpg
2013/11/04(月) 12:51:27.29ID:???
ヘタリア人劇弱プゲラッチョ
2013/11/04(月) 13:18:26.69ID:???
>>500
↓こっちへどぞー
現代ヨーロッパの軍 PART3
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1323968342/l50
2013/11/04(月) 14:57:39.78ID:???
50 GRUPPO BT (Squadriglie 210,211. 16 Stormo)
This unit received the original Z1007 in May 1939. By June 1940 the twenty on strength were considered non-operational
due to their poor characteristics. The much-improved Z1007bis was issued and the unit moved to Brindisi for operations
over Greece.
 On 25 January 1941 it bombed Salonika, and on 6 April began operations against Yugoslavia with a raid on Mostar. Moving
to the Aegean in mid-April the unit pursued the Allied forces with attacks around Crete and Tobruk (12 May). Between 21
and 29 May it supported the German invasion of Crete with bombing and reconnaissance missions. This was followed by
raids on Egypt and Palestine. One aircraft was lost over Alexandria harbour during a reconnaissance mission, being shot
down by five Tomahawks of 250 Squadron, RAF, on 8 June.
 After a rest and refit in Italy the unit was sent to Sicily for anti-shipping sorties and the bombing of Malta. The Gruppo
was by now Autonomo and a daily average of fifteen to eighteen aircraft were used against Malta.
 After another refit in Italy the unit was sent to Sardinia to take on the invasion fleets and ports of North West Africa. On
31 January 1943 it rejoined 16 Stormo. On 9 July it had six operational aircraft. By September there were none left
serviceable.                    『 Courage Alone 〜 』 Chris Dunning 著 より

 第50(地上)爆撃航空群は1939年5月に最初期型*aのカントZ1007を受領した。1940年6月までは、12機の兵力は、Z1007の
低い性能ゆえに、熟慮の上に実戦向きではないと考えられていた。大幅に改良されたZ1007bis*bが配備されると、部隊は
ギリシャへの作戦の為に(ヴィチェンツァ*1から)ブリンディジ*2に移動になった。
 1941年1月25日に、第50爆撃航空群はサロニカを爆撃した。また4月6日にはモスタル*3の空襲によりユーゴスラビアへの
作戦を開始した。
2013/11/04(月) 15:04:49.46ID:???
>503の続き

 4月中旬(14日)にエーゲ海に移動になると、部隊はクレタとトブルク(5月12日)周辺を攻撃して、連合国軍を追った。
 5月21日から29日にかけて、部隊は爆撃*4と偵察の任務に就き、独軍のクレタ侵攻を支援した。然る後に、部隊はエジプト
とパレスチナを空襲した。
 6月8日に1機がアレクサンドリア港での偵察任務中に、英国第250飛行隊の5機のトマホークにより撃墜され失われた。
 イタリアでの休養と修理、改装の後、部隊は英国輸送船団攻撃とマルタ空襲のために、シシリーに送られた。部隊は今や
「独立」航空群となり、1日平均15〜18機*5をマルタへ出撃させていた。
 イタリアでの別の修理、改装の後、部隊は侵攻艦隊と北西アフリカの港を引き受ける為に、サルディーニャに送られた。
 1943年1月31日に部隊は第16航空団に最編入された。7月9日には部隊には6機の作戦可能機があった。9月までには作戦
可能な機体は1機も残っていなかった。

以下私の注釈です。
*a ttp://www.wwiiaircraftphotos.com/Regia4/CantZ1007-24f.jpg
   イソッタ・フラスキーニ Asso エンジン(水冷V12気筒)+環状ラジエーター装備型便宜上 Z.1007“Asso”と呼ぶことも、
   写真は51グルッポ213スクアドリッリア所属の機体。
*b ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/Cant_Z_1007_first_series.html
   1941年初頭のギリシャ作戦時の50グルッポ210スクアドリッリアの Z.1007bis (ピアジオP.XI RC.40 空冷14気筒エンジン
   搭載)。
*1 イタリア北部、ベネチアの西
*2 イタリア南端ターラントの東、アドリア海沿岸
*3 サラエボの南西
*4 5月21日には英海軍駆逐艦Junoを撃沈(『海戦』マッキンタイア著)
   ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/Juno_sinking_Italian.html
*5 定数で1個GRUPPO(BT)は2個Squadriglie(各9機)の計18機
2013/11/04(月) 15:11:31.43ID:???
>504の続き、締め。

 1941年4月14日から9月5日までの5ヶ月間だけエーゲ航空隊の隷下にいた50グルッポです。ほぼ効果の上がらない
高高度からの水平爆撃により、5月21日には英海軍駆逐艦Junoを撃沈という殊勲を挙げたため、英国輸送船団攻撃と
マルタ空襲での活躍を期待されたのか、シシリーに送られています。
 
 シシリーでは高稼働率を誇っているようですが、額面どおりに受け止めるのはいささか……機体素材(木材)のトラブル
(ささくれ、シワ)が未解決だったようですし…。
 主力爆撃機としては、フィアットBR.20よりも Z.1007bis が期待されたものの(ロベルト・ロッセリーニ監督により『 Un pilota
ritorna 』ギリシャからの帰還、という映画も戦時中に作られていた。 Z.1007bis が登場する。)、素材トラブルで振り出しに…
 で結局 SM.79 が Z.1018 の登場まで支えきるといったところでしょうか。
2013/11/07(木) 00:57:32.91ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
2013/11/07(木) 02:35:21.93ID:???
イタリア陸軍

http://theswash.com/wp-content/uploads/2012/05/italian-army.jpg

陸上自衛隊

http://livedoor.blogimg.jp/military380/imgs/9/d/9d60b0e1.jpg


wwwwwwwwwwwwww

イタリア軍ガチムチ〜〜〜

自衛隊ヒヨロヒョロ〜〜〜
2013/11/07(木) 22:29:28.91ID:???
イタリア軍って、みんな頭が悪そうだなあ。
2013/11/07(木) 23:09:55.71ID:???
コピペに毎度毎度反応されて、御苦労様です。
2013/11/07(木) 23:36:15.72ID:???
イタリア陸軍

ttp://www.esercito.difesa.it/Pagine/default.aspx

陸上自衛隊

ttp://www.mod.go.jp/gsdf/

( ´∀`)ゝ゛
2013/11/09(土) 09:49:37.48ID:???
開戦時当初からエーゲ航空隊にいた部隊はこれで最後です、まだ途中加入の部隊が数個ありますが…。

84 Gruppo RM (Squadriglie 147,185 Storm Autonomo)
Formed on 1 October 1937 under Regia Marina control, this unit had twelve Z.501s at Lero on 10 June 1940. There was also
a Sezione Ricognizione Strategica with two Z.506Bs attached to the Gruppo. 147 Sq was originally the 6 Sezione Costiera.
The Gruppo joined in the battle of Capo Spada on 19 July and protected shipping between Tripoli and Crete. Two aircraft
were lost during an air attack on Lero on 3 October.
 In February 1941 the unit was involved in operations against Force H from Gibraltar. The squadriglie continued
independent operations through the next year with convoy escorts and maritime reconnaissance between the Aegean and
Africa, although the Gruppo was temporarily disbanded until 1 August 1942.
 On reforming the unit moved to Crete to protect convoys crossing to Cirenaica and supplying the Axis forces before
Alamein. During 1943 it withdrew to Italy, replacing both squadriglie with 140 and 145 Sq on 11 June. it now covered the Alto
Tirreno area.
 147 and 185 Sq meanwhile stayed at Lero under the Greek Area Command until the Armistice, at which time they had
four Z.501s and four Z.506Bs operational with a section at Rodi-Mandracchio. On 20 May 11 Sszione Aerea di Soccorso was
formed from 185 Sq at Lero. Effectively, 185 Sq disbanded on 10 June when its remaining aircraft and crews were passed
to 147 Sq. On 7 September 84 Gruppo had three Z.501s, two Z.506Bs and five RS14Bs operational.
                    『 Courage Alone 〜 』 Chris Dunning 著 より

 第84水上(海上)偵察航空群(グルッポ){(独立航空団*1 隷下であり、第147、185飛行隊によって構成されている)}
 1937年10月1日に海軍の制御下にある部隊*2 として編成された84グルッポは、1940年6月10日の時点でレロス島を拠点と
し、12機のカントZ.501飛行艇が配備されていた。
2013/11/09(土) 10:00:52.72ID:???
>511の続き

 この84グルッポには2機のカントZ.506Bが配備された戦略偵察分隊が付属していた。第147飛行隊(スクアドリッリア)は元々
は第6沿岸飛行分隊であった。84グルッポは1940年7月19日のスパダ岬沖海戦に参加しており、またトリポリ=クレタ間の
船舶護衛任務に就いていた。10月3日*3 のレロス島空襲中に2機を喪失した。
 1941年2月に84グルッポはジブラルタルより来る英国H部隊を巡る作戦に巻き込まれていた。84グルッポは1942年8月1日
まで一時的に解隊させられていたが、飛行隊、単体でエーゲ諸島とアフリカの間の輸送船団護衛と海上偵察の任務において、
独立した軍事行動を翌年まで継続した。
 84グルッポが再編されるやいなや、部隊はクレタへ移動になった、キレナイカへ渡る輸送船団の護衛の為にそしてアラメイン
前面の枢軸軍の補給の為に。1943年6月11日に84グルッポは隷下の2つの部隊を140、145スクアドリッリアに入れ替えると、
1943年じゅうはイタリア本土に退いていた。部隊はチレニア海(イタリア西海岸)空域を受け持った。
 その一方で、147と185スクアドリッリアは、休戦まで、“ギリシャ方面部隊”*4 隷下としてレロス島に留まった。休戦時に、
147と185スクアドリッリアは、4機のZ.501 と4機のZ.506B が作戦可能であった、ロードス島の『 Mandracchio 』*5 水上飛行機
基地の部隊として。
 1943年5月20日にレロス島で、第11航空救難分隊は185スクアドリッリアから編成された。185スクアドリッリアは1943年6月
10日に完全に解隊した、残っていた作戦機と要員は147スクアドリッリアへ移譲された。
 1943年9月7日に、84グルッポは3機のZ.501と2機のZ.506B と5機のCMASA(フィアット)RS14B が作戦可能な状態にあった。

私的注釈です。
*1 正確には、Comando Superiore Aviazione Ausiliaria Regia Marina 海軍補助航空隊最高司令部>Comando Militare
   Marittimo Autonomo "Isole Italiane Egeo"『イタリア領エーゲ諸島』独立海軍(指揮下)部隊
*2 ttp://www.youtube.com/watch?v=QhphVB7b7tA
  従って動画の、指揮所の白い服の士官は海軍士官なのでしょうか?(動画の部隊は188スクアドリッリアを隷下に持つ
  85グルッポRMと思われる)
2013/11/09(土) 10:06:54.41ID:???
>512の続き、締め

*3 10月13〜14日であれば、英空母「イラストリアス」艦載機による攻撃なのですが…。
  ttp://worldwar2daybyday.blogspot.jp/2010/10/day-410-october-14-1940.html
  ttp://ja.wikipedia.org/wiki/MB6%E4%BD%9C%E6%88%A6
  さもなくば、英軍中東地上基地のブレニムおよびボンベイか、ギリシャ軍の攻撃ということに…。
*4 Comando Aviazione Ausiliaria Regia Marina >Comando Militare Marittimo "Grecia"『ギリシャ』海軍(指揮下)部隊
*5 Idroscalo di Rodi-Mandracchio
  ttp://it.wikipedia.org/wiki/Idroscalo_di_Rodi-Mandracchio

Z.501 の詳細な写真
ttp://www.network54.com/Forum/394728/thread/1266023943/1266219592/The+CANT+Z.501+GABBIANO++in+Spain+and+Romania-+part+1
Z.501 のアドリア海における船舶護衛
ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/CZ501-PATT-ANT-3-42.html

 で、カントZ.501 です。個人的にはエンジンを串型の櫓にして垂直尾翼を2枚にすれば……マンマユート…に…。
 動画、写真を見て思うのですが前方の機銃手、非常に危険です、すぐ背後にプロペラがあります。
 生産数454機の内、半数はカントで、半数はパレルモの『 Aeronautica sicula 』社で作られています。この sicula 社は、
またしてもカプロニの子会社だったりします、さすが伯爵、手広いこと。
 Z.501 は原型初飛行が1934年3月とSM.81に次いで古いです、水上偵察機は新規専用設計の RS14 に更新する計画も、
例に漏れずにてこずり、民間機のZ.506 を軍用に発展させた物を繋ぎでバックアップとして使い始めるが、バックアップ機が
主力機になるという…、Z.506B は出自が民間機のSM.79 と似た状況のようですね。

『 Aeronautica sicula 』社
ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/AEROSICULA-PA-CZ501.html
ttp://www.palermonotizie.com/2010011620295/officine-aeronautica-sicula-ducrot-palermo.html
2013/11/09(土) 10:26:57.50ID:???
拡大期のカプロニ社はローリングトウェンティーズの好況にわくアメリカ市場にも進出を図る。
WW1の航空機ライセンス生産で関係のあったカーチス社と再び合弁企業カーチス・カプロニ社を
設立し、工場を建てたところで折悪しく大恐慌がアメリカ経済を直撃、飛行機どころではなくなった
のでこの計画は放棄されてしまった。ボルチモアにあった工場は新生ノースアメリカン社の
初代本社工場の一部として再利用されたが会社はすぐに西海岸へ移転していった。
2013/11/09(土) 22:25:14.34ID:???
よりによって、合弁相手にカーチスを選んでしまうとは・・・・
2013/11/09(土) 22:49:22.40ID:???
ヘタリア人劇弱プゲラッチョ
2013/11/09(土) 23:05:19.30ID:???
イタリア陸軍

http://theswash.com/wp-content/uploads/2012/05/italian-army.jpg

陸上自衛隊

http://livedoor.blogimg.jp/military380/imgs/9/d/9d60b0e1.jpg


wwwwwwwwwwwwww

イタリア軍ガチムチ〜〜〜

自衛隊ヒヨロヒョロ〜〜〜
2013/11/12(火) 13:26:25.10ID:???
カプロニって、胴体がダクテッドファンな飛行機とか作ったヘンな会社だよね。
パイロットの乗るとこが無くて、無理やり茶筒みたいな胴体の上にコクピットがあってワロス
519名無し三等兵
垢版 |
2013/11/12(火) 13:30:58.68ID:KytRHddR
シュナイダーカップの出場機とかはカッコよかったのに、
なんで1930年半ば以降はヘタレになったの?
2013/11/12(火) 14:15:45.13ID:???
あれは水冷エンジンを直列双発にしたりして相当無理してたからな。
イギリスの技術的協力もあった。

機体の設計技術や手作り技術は高かった。カッコはG50とかMC200とかもいいだろ。
フェラーリとトヨタの差だ。
2013/11/12(火) 18:26:08.10ID:???
http://it.wikipedia.org/wiki/File:Macchi-Castoldi_M.C.72.png

MC72とかカッチョイイ。
1931年頃がピークで、あとは坂道を転げ落ちちた模様。
2013/11/12(火) 18:33:56.74ID:???
ビル・ガンストンの「航空ピストンエンジン」だったと思うけど、
シュナイダー・トロフィー・レースでは、英BPにしろ伊アジップにしろ、
ビル・ガンストンがいうところの“魔法の燃料”(たぶんちょっぴり危険
で有害な添加剤などが含まれている意味だと思う)が使われていて、
大出力を引き出すのに一役買っていたとあった。
2013/11/12(火) 23:24:05.42ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
2013/11/13(水) 07:48:59.42ID:???
イタリアの(レース機はともかく)軍用機はヘタレ。
他国の2周遅れぐらいの陳腐な機体ばかり。
2013/11/14(木) 00:32:04.48ID:???
ヘタリア人劇弱プゲラッチョ
2013/11/14(木) 21:27:57.24ID:???
レジアーネってチーズみたいな名前だとオモたら、地名なんだな。
(グレーターで挽きたてのParmigiano Reggianoが大好き)

イタリアはチーズとかワインとかはヨイけど、工業製品はダメだな。
高度な工業製品である航空機はもっとも苦手な科目だ。

あまり知能も高くないし、勤勉でもない種族だからなあ・・・・
2013/11/14(木) 22:37:24.63ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
2013/11/14(木) 23:41:30.44ID:???
単品生産の「工芸品」なら何とか・・・・
2013/11/15(金) 05:06:38.29ID:???
そもそもイタリア人が飛行機とか戦艦造れるわけないだろうに・・・
有能なイタリア人なんてこの100年、一人だって存在しないぐらいなのに
530名無し三等兵
垢版 |
2013/11/15(金) 06:09:28.02ID:DnMIpK9B
戦車とか自走砲とか陸戦兵器はもっとダメ。
小火器(ベレッタとか)が何とか使い物になった程度。
本当にダメな民族だ。
2013/11/15(金) 14:08:29.65ID:???
だから何でイタリアと同盟したのかとか
それどころかNATOは何でイタリアを加えてるとか欧州人はマゾか?
2013/11/15(金) 14:40:15.46ID:???
チハよりはカルロアルマートの方が完成されてるし一式砲戦車よりセモベンテの方が完成されてるよな。

処女卒業と同時にあっさり撃沈されたビスマルクや永遠の引きこもりのティルピッツよりはイタリア戦艦のほうが粘っているといえる。
首なし戦闘機を無謀に大量生産した川崎よりはマッキの方が常識的だったかもしれない。
震洋や伏龍よりはデチスマスのほうがはるかに戦略的に有効だったともいえる。
533名無し三等兵
垢版 |
2013/11/15(金) 22:28:24.05ID:6mwhFzIG
イタリアってヤパーリだめだな。
2013/11/15(金) 23:13:35.22ID:???
おまえよりはずっといい
2013/11/15(金) 23:20:09.19ID:???
>>533
合コンが上手くいかなかったのはよく解りました。
2013/11/15(金) 23:28:54.84ID:???
>>533
人生うまくいかないこともあるさ、練炭で心を暖めておやすみなさい。
2013/11/16(土) 00:18:02.65ID:???
ヘタリア人劇弱プゲラッチョ
2013/11/16(土) 07:16:40.19ID:???
イタリアって、もともと国民性が【怠け者】だから。
スペインも。
2013/11/16(土) 09:50:13.66ID:???
ここは国民性を語るスレじゃねえんだよ。
古紙回収にチラシ全部だしちまったのか。
息止めてねてろ。
540名無し三等兵
垢版 |
2013/11/16(土) 10:42:24.94ID:m93i6GH3
国民性が怠惰だから、ロクな兵器も作れず、士気の低さと相まって
最弱ヘタレ軍隊になったワケだが。
2013/11/16(土) 11:07:32.50ID:???
>>539
最近のなんとかこれブームと一緒に流入した方々に一々お相手なさらずともとよろしいかと…。
スレの主旨と関係の無い話を繰り返す人は相手にしなくてもよろしいですぞ。
心の興奮は止まないかと思いますが、せめてsageくれませんかねェ。
2013/11/16(土) 11:15:04.08ID:???
この手の愛国と排斥を勘違いしてる輩は、自尊心を守りたいだけの自慰レスだから、相手にしても無意味だよ
2013/11/16(土) 11:20:14.16ID:???
>>540
『〜最強だろ?』みたいなスレでうんちく語れば?
2013/11/16(土) 11:40:46.74ID:???
>>540
今日は新大久保あたりで○○○スピーチとかやらんの?
自慰レス気持ち良かった?
2013/11/16(土) 19:29:52.54ID:???
なにか最近、枯れ木も山のにぎわい、とでも言うのでしょうか…

86 GRUPPO BM*1 (Squadriglie 190,191. Stormo 35)
This unit was formed in 1937, with the Z.506B floatplane bomber arriving in November of that year. It supported the
occupation of Albania. In June 1940*2 the unit briefly flew against Bizerte port and its shipping, then concentrated on sea
warfare. On 9 July it attacked the Royal Navy cruiser HMS Malaya in the battle of Punto Stilo. The three days of this
battle highlighted the lack of recognition*2 by air and naval units, which caused much confusion. This problem remained
throughout most of the war.
 The Gruppo joined the Greek campaign and, with an average nine out of twelve aircraft operational, continued fighting
against the Yugoslavs. From 28 April to 1 May 1941 it assisted in the occupation of Corfu, Zante*3 and Cefalonia. On 30
April five Z.506Bs ferried troops to Cefalonia as part of the occupying force. By 5 May the unit had moved to Greece for a
brief stay, while converting to the Z.1007bis land-based bomber. Two armed SM82s were received for long-range bombing in
May. They were then passed to 145 Gruppo.
 On 7 April 1942 the Gruppo was sent to Africa, to replace 13 Stormo. It received aircraft from the disbanding 176 Sq.
Night attacks were carried out against Tobruk between April and June.
           『 Courage Alone 〜 』 Chris Dunning 著 より (本文が長いので途中までです)

第86水上(海上)爆撃航空群(第35航空団>第86水上(海上)爆撃航空群>第190、191飛行隊)
 第86水上(海上)爆撃航空群は1937年に、同年11月に到着したカントZ.506B 水上爆撃機をもってして編成された。部隊は
アルバニア侵攻を支援した。
 1940年6月(対仏海戦時)に、部隊は簡単にビゼルト港(チュニジアの北端)と船舶に対して飛んだ、その時は海上の戦闘に
注力していた。同年7月9日には、カラブリア沖海戦(プンタ・スティーロ沖海戦)で、英国海軍 マレーヤ(クイーン・エリザベス級
戦艦)を攻撃した。
2013/11/16(土) 19:38:34.78ID:???
>545の続き〆

 3日間のこの海戦で、空軍と海軍間の相互の敵味方の認識能力(空軍と海軍の意思疎通)の欠如を強く浮かび上がらせた、
また、その欠如は多大な混乱を引き起こした。この問題は大戦の大部分の期間を通して残っていた。
 86グルッポ(航空群)はギリシャ戦役とユーゴスラヴィア戦役とを通して参加した、(作戦期間中は)平均的に12機の作戦可能
機体の内、9機が稼動していた。1941年4月28日から5月1日にかけて、部隊はコルフ島、ザキントス島およびケファリアニ島の
占領を支援した。4月30日に5機のZ.506B がケファリアニ島占領部隊の一部を同島に空輸した。
 5月5日までには部隊はギリシャに移動になっていたが、ほんの短期間であった。その期間に部隊は Z.1007bis 地上爆撃機に
機種変換を行った。5月には長距離爆撃の為に、武装した2機のSM82を受領した。2機の SM82 は145グルッポから来た機体
だった。
 1942年4月7日に86グルッポはアフリカへ送られ、13ストロモ(航空団)隷下に配置換えになった。86グルッポは解隊になった
176スクアドリッリア(飛行隊)から機体を受領した。部隊は4月から6月のあいだ、トブルクに対しての夜間爆撃を遂行した。

以下私的注釈です。
*1 B=Bombardamento  M=Marittimo
*2 基地はブリンディジ(Brindisi)
*3 誤爆、誤射も含めた空軍と海軍の連携のまずさを意味していると思われる。
*4 【英】Zakynthos

 水上機のながれからカントZ.506B を…
 316機中177機をカントが残りをピアジオが作ってますZ.1007に受け継がれる乗員のタンデム配置はここから始まっている
んですかね。
 Z.506B 開戦時には偵察機隊への配備が26機程度に対して、爆撃機隊への配備が86グルッポを含む4個グルッポ48機
なんですね、2個グルッポはZ.1007bis に機種変換をして地上爆撃機航空群へ、2個グルッポは合併という形で水上偵察航空群
になっています。
 カントからカント、SM79ではなくてZ.1007bis…ちょっぴり既得権益とか癒着といった匂いがします。

 Z.506B もZ.1007bis も雷撃が可能ということになっているようですが、実戦での雷撃の記述は未だ見受けられませんねえ。
 Z.506B は『 Alfa Tau! 』という映画にも登場しますね。
2013/11/17(日) 10:39:21.75ID:???
>546の
>4月30日に5機のZ.506B がケファリアニ島占領部隊の一部を同島に空輸した。
のちの状況を写したと思われる写真
ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/CZ506-IS-GRECHE.html
2013/11/17(日) 12:13:27.31ID:???
ヘタリア人て何で生きてるの?
2013/11/17(日) 14:48:45.14ID:???
他国の足を引っ張るためだけに生きております。
2013/11/17(日) 15:02:09.55ID:???
>>549
国士さんはなんで自分のスレで戦わないの?戦えないから?
単なるアホだから?

【史上最悪の作戦】真珠湾奇襲
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1378301894/l50
【四式戦闘機】疾風 Part19【日本最優秀】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1379828044/l50
2013/11/17(日) 15:06:03.50ID:???
坊やだからさ
2013/11/17(日) 15:09:32.79ID:???
まーた自慰くんを相手にしちゃって。
2013/11/17(日) 15:14:14.34ID:???
>>549
ほんとこの手の糞レスはいらねーんだわチラ裏してろカス
せめて一式陸攻と ピアッジオP.108を比較してみましたとかやってみろよ
二度とくんなオナニー野郎
2013/11/17(日) 15:25:19.70ID:???
70年前にはわが国も、彼の統帥から「不撓不屈の国」と讃えられたのに…
我が民族はどうしてこうも劣等感丸出しの小僧になってしまったのか……。
2013/11/17(日) 16:56:51.05ID:???
世界に冠たる劣等国。現EU内でもお荷物だろ?
2013/11/17(日) 18:08:25.54ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
2013/11/17(日) 18:29:40.04ID:???
>>555
はいはいまたスレとは無関係な話題のみの憂国の士さん乙
>一式陸攻と ピアッジオP.108を比較してみました
とかどうですか?
あと>>554とか見てるの?>>554の引用元とか知ってるの?エセ国士さん
あっご免独厨か
2013/11/17(日) 18:39:06.46ID:???
>>555
護衛艦の62口径76ミリ速射砲を撤去しますた。ふふふ
2013/11/17(日) 18:58:04.76ID:???
他を蔑んで自尊心を守ることに精一杯の人に何を言っても無駄。
議論や情報の積み上げに何の益ももたらさない。
2013/11/18(月) 20:13:49.61ID:???
イタリアって技術力低いよね。
2013/11/18(月) 22:05:38.66ID:???
560 :名無し三等兵:2013/11/18(月) 20:13:49.61 ID:???
>560って学習能力ひくいよね。
ハ40
2013/11/18(月) 22:28:52.34ID:???
>>560
10年も遅れて初飛行したキ64って何を真似したん?
2013/11/18(月) 22:59:49.20ID:???
J( 'ー`)し <タカシ…よかったね…今晩もおまえのレスにブーメランが2つも刺さったよ…
2013/11/19(火) 17:03:43.15ID:???
ヘタリア人て何で生きてるの?
2013/11/19(火) 19:02:27.27ID:???
巡回御苦労さまなの
2013/11/19(火) 20:22:38.34ID:???
おフランスはもっともっとふがいないザンす。シェ〜〜!!
2013/11/19(火) 21:02:31.61ID:???
ばちあたりが!!
休戦間際にデボちゃんを使っておろーが。活躍してんだぞ。
2013/11/19(火) 21:16:43.09ID:???
ミングッツィ( Minguzzi )も22゚グルッポでRE2005を失ったあとで D.520 に乗ってる。
写真は22゚グルッポじゃないけど
ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/D520-RA-1.html
2013/11/19(火) 21:31:33.14ID:???
>566
先生怒らないから、今のうちにフランスに謝ってきなさい。

あと LeO 45 や所属部隊がはっきりしないけど Potez 630 も使ってる。
2013/11/19(火) 21:55:18.10ID:???
ヘタリア人劇弱プゲラッチョ
2013/11/19(火) 22:06:24.74ID:???
フランスのWWU戦闘機ってトホホな駄作機ばかりだよ。
まだ、イタリアの方がマシだよ。
2013/11/19(火) 22:19:34.03ID:???
高性能じゃないけど、頑張ってるかんじのこれとか好きだなあ
ラテコエール298
ttp://www.warbirdphotographs.com/Avions3/Late298-Df.jpg
2013/11/19(火) 23:09:36.97ID:???
 ラテン早熟系とでもいうか仏は、ソレックス、ノーム・ロータリーE/G、イスパノE/Gと、優れた機器をもってて、
黎明期から第一次大戦とトップを走ってると、追い抜かされるまで焦らなくても不思議じゃないと思う。
 覇権者と挑戦者は無常にも循環したり、しなかったり……。
2013/11/20(水) 19:28:57.70ID:???
>>434
コンドルも操縦してるよ>m.

>『ムッソリーニ』ニコラス・ファレル著 白水社 下巻p185
>八月(1941年)の最後の数日間、ムッソリーニは長男ヴィットリオとともに列車で「狼の巣」−−東プロイセン
>のラステンブルグにある総統の司令部−−にヒトラーを訪ねた。…中略…ある地点でムッソリーニはヒトラーを
>説得して、彼らが乗る飛行機−−4発エンジンのコンドル−−を自ら操縦した。

副操縦士は居るだろうけどコクピット・ドリル程度でいきなり飛んじゃうて大胆だよね
2013/11/20(水) 19:55:00.48ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
2013/11/20(水) 20:13:56.81ID:???
息子も飛行士だった、だが墜ちた
ttp://www.avia-it.com/act/album_foto/7_La_II_Guerra_Mondiale_web/167_P_108-Bruno_Mussolini.jpg
2013/11/20(水) 20:43:11.44ID:???
娘婿(チアーノ外相)も飛行士だった、この中にいるはずだ
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/it/8/85/Caproni_101_in_volo_su_Macall%C3%A8_il_14_novembre_1935.jpg
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