入試問題でも、「易しそうな問題から先に解く」というのは、受験生なら誰でもやってることだ。

北アフリカにおける枢軸軍を破った後、連合国の間で次に何を行うべきか同意が取れていなかった。
特にウィンストン・チャーチルは、「ヨーロッパの下腹部」(文献によっては「ヨーロッパの軟らかい下腹部」と誤記)である、
イタリアへの侵攻を望んでいた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BE%B5%E6%94%BB_(%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6)

同様に日独伊三国同盟のうち、米英側ではイタリアが最弱とみており、まずは弱いイタリアから先に攻略ということだった。
けれどもこれはスターリンの力説する「第二戦線」とは大きくかけ離れたものだ。

つまりヨーロッパの戦いでは、米英がソ連を助けたのではなく、ソ連が米英を助けたということ。
だが何もおれさまはイタリア軍の弱体ぶりを言い立てたいわけではない。そうではなくて米英は強いドイツへ
の攻略を後回しにして弱いイタリアを先に攻略したということ、そして米軍ご自慢の「オーバーロード作戦」は、
独ソ戦でドイツ軍が散々弱ってから決行されたということだ。

▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html

ドイツ軍は優れていた、ドイツの工業技術は優れていた、けれどもソヴィエトはもっともっと優れていた。
まさにソ連邦大祖国戦争は、世界人類をナチの暗黒支配から救った偉業だったのだ。

                 あ  り  が  と  う  ソ  連  邦  !