この後イギリスは、1932年のオタワ会議でスターリング=ブロックを形成し
いわゆるブロック経済が開始される事となる
「持てる国」と「持たざる国」との対立が本格化してくる

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最後に勝利をおさめたケインズ

基軸通貨を持つ国は、常に「綱渡り」を強いられるのが宿命だ。
だが、イギリスのこの時の綱渡りは、長くは続かなかった。
国際的な地位堅持の狙いと国内経済活性化の要請との板挟みとなり、
シティの窮地は次第に深まっていった。

一九三一年、シティの銀行も多くのかかわりを持っていた
オーストリア最大の商業銀行、クレジット・アンシュタルトが事実上の倒産に追い込まれる。
遠因はもちろん、一九二九年のアメリカ発の世界大恐慌である。

クレジット・アンシュタルトへのシティの債権は、ほとんど回収不能になってしまった。
これを受けて、多くの短期資金がシティから逃げ出そうとした。
ポンドを金に変えようとイングランド銀行に殺到したのだ。
金本位制の危機である。