陸軍省軍務局長であった佐藤賢了陸軍中将によると、大東亜戦争開戦直後に、
海軍省軍務局長であった岡敬純海軍中将が、本来、御前会議に提出する筈だった
対米開戦の可否を検討する資料を佐藤賢了陸軍軍務局長のところへ
持ち込んだ事があった。

その資料は対米戦争を遂行するのは不可能であると判断せざるを得ないものだった。
しかし御前会議に提出されたのは、山本五十六連合艦隊司令長官により
「対米戦争遂行可」とするものにすり替えられていた。

佐藤賢了陸軍軍務局長は、岡敬純海軍省軍務局長に
「どうして、海軍は対米開戦に、強く反対しなかったんだ」と問いただした。

岡敬純海軍省軍務局長は、
「海軍の中では、誰も、山本五十六連合艦隊司令長官に
楯突く(たてつく)事はできない」と答えたという。