米人義勇兵の飛行隊「フライングタイガー」を指揮することになるシェンノートが、米空軍を退役して中国空軍の顧問に迎えられていた。
このフライングタイガーは「義勇軍」とされていたが、次第に米政府が支援する事実上の空軍別働隊としての姿を現してくる。
米国は中立義務違反、国内法違反になることをやっていたのである。これがアメリカ製の最新鋭カーチスP−40戦闘機などを駆使して、ビルマから中国南部を活動空域として日本軍を苦しめた。

それだけではない。1940年の12月になると米政府は、この秘密部隊による日本本土への奇襲攻撃を計画した。長距離爆撃機150機、護衛の戦闘機350機、合計500機を動員する大作戦計画である。
これについては『ルーズベルト秘録』の下巻に詳しく紹介されているが、戦後早くにシェンノートの生涯とともに明るみに出されている「秘話」だ。
アメリカの学者の実証研究に基づいてパールハーバー50周年の1991年12月に、米ABC放送のドキュメンタリー番組「20/20」で放映されたこともある