●アメリカにおける東京裁判批判の決定打となったのは、歴史学の権威であったチャールズ・ビアード博士が1948年、
アメリカの公式資料に基づいて「ルーズベルト大統領と第二次世界大戦」なる著書を発表したことであった。
「日本が真珠湾を攻撃するより数ヶ月前にルーズベルト大統領はアメリカをして海外に秘密なる軍事行動をなさしめた」と指摘し、
戦争責任を問われるのは日本ではなく、ルーズベルト大統領だと訴えたのである。

●レーリンクは1973年の石油危機の際の実例を挙げ、アラブ諸国側がアメリカへの石油供給の打ち切りをもって脅迫した時に、アメリカは軍事力行使の威嚇によってこれに対応し、
国防長官シュレジンジャーが74年1月の演説の中で「石油供給の安全を確保することは軍部の責任であるから、石油供給を守るため軍事力が行使されるリスクが存在する」と述べた事実に触れている。

●博士は、開戦前の日本への連合国側による石油輸出禁止措置に言及し、日本はその石油事情からして2つの選択肢しかなかったこと、すなわち、戦争を回避し自国の石油ストックが底をついて、
自国の運命を他国の手に委ねるか、あるいは戦争に打って出るかの二者択一を迫られていたことを指摘し、その結果遂に日本は開戦に踏み切ったのだが、
「自国の死活的利益がこのようなかたちで脅かされる場合には、どこの国でも戦うだろう」ということだったと結んでいる。

●ウィロビーが言わんとしたのは、日本が開戦直前に置かれたような状況にもしアメリカが置かれたなら、アメリカとても同様に戦争を遂行したであろうし、
その結果敗戦したら、重要な責任ある地位にあった軍人が戦犯として裁かれるというのは許し難いということであった。

●アメリカで最も尊敬された上院議員の1人であるロバート・タフトは、ニュルンベルク裁判が終わった1946年10月の講演で、
事後法によって勝利者が敗北者を裁判して処刑することは、将来の侵略戦争の発生を食い止めるのに役に立たないことを指摘した。
その理由は、侵略戦争を起こす者はつねに勝つという自信を持って行うからである。そして「ニュルンベルク裁判は、正義の実現でなく、復讐心の発現であり、
同じ過ちが日本において繰り返されないことを切に祈る」といっている。