>>350
>例題1
「ガダルカナルの一木支隊はなぜああなったのか?」

>>301-304等のレスがあるではないか。
上で散々(>>345 347 >>349)で書かれたのに、どうして目に入らないのか理解できない。
外国の戦例も、その文脈に則った上での比較としか出ていない(と自分は見えるが。
ついでに、自分は寛容の原理を全面的に支持し、疑義があるときは疑問の提示と証拠の準備が必要と考えます。)

>例題2 >「日本軍の降伏不許可、玉砕命令は合理的か?」
>答え2 >「ソ連軍の懲罰大隊の方が酷い」 >「鬼畜米英は日本兵捕虜虐殺する」

皆不合理じゃないか。結論出てるじゃないか。

>答え1’
>「日本軍の情報分析能力が拙劣だった」
>答え2’
>「無論人命軽視の愚策」

この結論に不満なら、一体どんな話が出たら満足するのか教えてくれないか?
情報収集・分析は紀元前からの軍事上の難問ですし、答え2の人命軽視という点では
>>301>>304のように組織構成や組織文化における問題点の指摘が出ている。
これを発展させるなり、或いはこれ以上は2ちゃんでやっても意味ないよねとニヒルに諦めるなり皮肉を言うのなら
まだ分かるが、それをせずに只管”亡霊亡霊”、”万歳ばっかり万歳ばっかり”言うのはそれこそ亡霊じみている。
一体何がしたいのか?建設的とはいうが、議論の足場を破壊してばっかのように見えるのは気のせいか?
問題点の指摘やどうしてそうなったかの分析を、”言い訳”やら”擁護”というのは、
まるで味噌汁の味付けで嫁からの殺意を感じる姑のようだ。(そういえば、ここ数年めっきりオマエモナーを見なくなったなぁ)