【源平合戦】治承・寿永の乱を分析【平家物語】2
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388 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2012/12/09(日) 12:23:45.94 ID:8XEDPTxF
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>_,フ / ルーピー }二 コ\ Li‐'
私たちに一度やらせてみてください 保元の乱で上皇側が勝利していたら
その後どうなっていたの? 勝ち組側で内部抗争が起きて、やはり平氏が台頭したりして。 頼朝の血統は根こそぎ粛清されたしな
平氏の陰湿さはハンパないな 政治的な敗北、動員兵力、どれをとっても負け組連合の上皇左府が逆転できる確率は極度に低い
負け組だから乱に追い込まれた 時系列的には
保元
平家の乱
富士川と関東(坂東)の戦い
平家の戦い
奥州戦争
源家粛清(源家粛清)
承久戦争(あれは戦争だよな。)
と4分で見るべきだよな。ほぼ70年戦争で見るべきだろ 平氏 → 家族仲良し、死ぬ時は一家心中
源氏 →家族仲悪し、生き残るためなら裏切り逐電なんでもあり
こんなイメージ 源氏の共食いでつね
義平が義賢を討ち、義朝が為義為朝、義賢の息子義仲は義経に討たれ、
義経は頼朝に討たれる。
範頼や阿野全成も誅殺されたらしいが、いちいち調べるのも面倒な程だ。 関係するなら史実について深く語らんと。
誰か悪七兵衛について詳しい人いる? 平治の乱で、清盛側が敗北していたらどうなっていたの? 平氏政権だって「最初の武家政権だった」というのが学界の通説なんだし、
遅かれ早かれ武家政権へという流れは変わらないだろう。
関ヶ原でどっちが勝とうと豊臣政権か徳川幕府かの違いしかない。 平治の乱で信頼、義朝ラインが勝ったとしても平氏政権の様には安定しないだろうなあ。
あと義平と頼朝は兄弟と言っても素性が違い過ぎるんで、もし義平が生き残っていたとしたら棟梁の座を争って
血みどろの対立に発展しただろうなと想像します。 官位が違いすぎるだろ
むしろ朝長と頼朝の方が争える立場 義経だって、内乱の勝利の栄光と院宣とがあってなお、頼朝とは全然勝負にならなかったしなあ… しかし平治の乱で坂東の武者を率いてたのは義平。
中央で軍事貴族として活躍を望まれた頼朝と、坂東で義朝の軍事的基盤を引き継いだ義平がとても対象的だもんで。
もちろん朝長が競合する義平を追い落とす可能性もあるけど。 義経だって坂東の武者を率いて戦ったし、平治の乱と違って大勝利を収めたけれど、
それはあくまで頼朝の代官としてだった。だから、頼朝と義経が不和になると、
義経についていくものはほとんどいなかった。
「軍事的基盤を引き継いだ」と言うためには、自分が有力武士たちと独自の主従関係を
構築する必要があると思う。でもそのためには都で有力権門との関係を
築いて、有力武士たちの利害を庇護してやれることが条件になる。官位的に
それができない以上、義平は義朝の代官の域を出なかったんじゃなかろうか。 >>36
そう17騎ね。
まあ仮の話だから実現可能性は置いといて、平治の乱で源氏が勝った場合、義平も中央の皇族や公家から軍事的評価を受けると思う。
もちろん官位の面から言えば頼朝とは圧倒的差がついているけど、中央の政治が相変わらず皇族内或は摂関家内の争いで安定感を欠
いた状態が続いた場合、義平に肩入れする勢力が出て来るんじゃないかと思った次第。
もちろん頼朝が先手を打って坂東武者達と関係強化を図る事も考えられる。
まあ、義平が頼朝を引き立てて兄弟仲良く源氏を盛り上げていく状態がちょっと想像しずらかったもんでね。 ところで大河の「平清盛」だけど、俺的には最終回は結構好きだな。
死んだ清盛が西行を通して残された平家の公達や頼朝に自らの意思を伝えたりする演出や、平家の公達
の最期を淡々と語っていくあたりは無常感があって良かった。
西行、頼朝の会談はドラマだと初対面として描かれていたけど、実際は平治の乱以前に会った事のある
仲だよね確か。そこだけは残念。 「巡視船やしま」と聞いて屋島だと思ってしまったのは多分俺だけ。 俺なんて泡盛と聞こえたら、清盛を連想しちゃうもんね! http://www.bushinavi.com/books/200110/4-06-210960-3.html
既に手遅れですが、とても参考になります。
源平合戦から戦国までの一騎討ち、合戦の模様が豊富な史料を元によくわかります。
平安時代の一騎討ちは斬りあうのではなく騎射であり、弓矢を打ち合っていたそうです。
勝負がつくまで周りは決して手を出さなかったそうですが、源平合戦ともなると、やはり、
「近頃の若いのは戦の作法も知らない、ただ勝てばいいと思っている」みたいなことになったようです。
なお、大河の平治の乱では義朝が矢を射掛けられて困ってますが、あのような矢の斉射は、
元寇で元軍がやるまで、日本人は考えもつかなかったようです。
いや、あの場面をみて、「刀で受けなくても、十歩も下がって射程外に出ればいいだろ」とは私も思いましたが。 今時一騎打ちとか・・・って思ったら10年以上も前の本かw まだこのスレあったのか。どうもメル・ギブソンの映画が過大評価され過ぎな気がする。
弓矢は効果が高いが飛び道具が騎兵を制圧するまで人類は長い年月を必要とした。
長篠合戦でも馬防柵がないとできなかった。高速で走る馬に矢玉を命中させるのは困難なのである。
だから騎兵中心のアテルイ軍が歩兵が多い大和軍相手に善戦しても不思議はない。 >>62
お前が治承・寿永の乱の話題でスレを進めよ 合戦で一門ことごとく滅ぼされたのは源平合戦と大阪夏の陣くらいで、あまり例がない。
豊臣秀吉は嫡子織田秀信以下、織田信雄・有楽斎を生かしている。
明治になっても徳川家・会津家以下、完全に取り潰された大名はいない。
敗者に寛容なのが日本人。 >>66
ちゃんと大阪あたりで細々と生き残ったよ
ほとんど名ばかりだけど
幕末はダメダメ大名で今は喪家のえらい人
情けなくて情けなくて
西国に逝くと皆腰抜けになるのが不思議 平家は池の禅尼の子供の平頼盛の子孫は生かされている。 「ごちそうさん」みてみたがあざといというか・・・
前作は半年だけの捨て企画だっただけに出演者ものびのびやってたけど、
自然にやってたことを、二匹目のどじょう狙ってやると大概・・・ 源平合戦の一騎打ちの描写は、
後世の小説の類だろう?
実際は源平合戦の頃は、戦国時代と似たような感じで戦っていた。
元寇の頃は、源平合戦から50年以上経過して、
当時の九州の武家が平和ボケしていた結果。 何週間か前の「逆説の日本史」に書いてあったんだが、
「長州藩も新撰組も幕府軍も、最初は戦国時代さながらに
鎧兜姿で小銃に立ち向かったが、すぐに軽装になった」といった意味のこと。
小銃は強力な武器だが、弾が貫通すると意外と傷の治りが早い。
しかし、プロテクターであるはずの鎧兜を着けていると、弾の命中で鎧が砕け、
細かい金属片が肉にめり込んで傷口が大きくなり、まして金属片全部を取り除くのは
非常に困難だから、といったことが書かれていた。なるほど、そうだったのか。 >>74
当時の回想記に、「弾を防げないだけでなく、鎧の破片で
かえってひどい傷になるから」という記事があったのを
読んだ記憶がある。
先祖代々の具足を引っ張り出して麗々しく出て行った武士
が、↑のような状況なんですぐに脱ぎ捨てて身軽な格好
になった、と。 「ごちそうさん」 大笑いできる場面がほとんどないな・・・
前作は大吉さんみたいにひとりで盛り上がってるのが面白かったんだけど。
そう、前作は主人公が新人なだけに脇役が大活躍してたけど、
今回は主人公のひとり舞台な希ガス >>72
当時の九州の武家が平和ボケしていた結果?
文永の役における日本軍の犠牲者195人
文永の役における元高麗軍の犠牲者1万3500余人
キルレシオは1:69 ごちそうさんで、杏さんが寝坊してる場面とか、女性は面白いんだろうけど・・・
前作みたいに全世代が幅広く楽しめる場面が少ない といって、全国の幅広い層のウケを狙った八重の桜は
内容が盛りだくさん過ぎて結局どの話題も中途半端になってしまったが。 この時代の下人とか徒歩の兵士の戦法について載ってる所ない? >>85
あっそこも網羅してましたか
たしか図書館にあったんで今度見てみます 老人性痴呆症になると、今のことはわからなくても、子どもの頃のことは覚えているという。
実際、介護施設では幼稚園のお遊戯会みたいなことをやってるようだが。
いずれオタク世代が高齢化したら、マジンガーZやドラえもんや宇宙戦艦ヤマトが
年寄り向けの番組として再放送されたりするのだろうか? 保元の乱で上皇側が完全勝利していたら
どうなっていたでしょう? 講談社のFRYDAY、スポーツと芸能ばかりで読むとこなくなったな
合併号増えたのそのせい?今時スポーツと芸能なんて・・・ 軍師官兵衛面白いな 時代考証もしっかりしてるし。やっぱり戦国最強だね!
ついでに「のぼうの城」もみたけどダメダメ。「北条五代記」読んだんだろうか? 「足尾から来た女」 面白そうだな これは期待できそう >>72
平家物語の成立は戦後50年で生き残りがいた時代
鎌倉方の武功譚が多いのは取材対象の偏りによるもの 幕府という呼び名が一般的になったのは江戸幕府から。
それ以前は、鎌倉殿、室町殿という呼び名が一般的。 >>98
よくて柳営かな
幕府は後世の学者が勝手に名付けた歴史用語 大政奉還の上奏文にも保元以来と明記されてるからねぇ
>>99
室町時代は御所様って公家みたいな感じだったような。 武家で御所と呼ばれたのは
足利家以外には、吉見家、斯波家、吉良家、
北畠家、木造家など多数。 強制ID制仮導入ノ是非ヲ問フ投票ヲ4.19ヨリ決行セリ!総員参加セヨ!自ラノ意思ヲ示ス戦ヒニ!
【4/19〜4/25までの期間、強制ID表示の是非を問う再投票を行います】
議論中失礼いたします。
皆様お気付きのように3/19に、軍事板では任意ID制から強制ID制への変更が行われました。
今回の導入は飽くまで仮導入のため、実施一ヶ月後に是非を問う投票を行います。
投票当日に向けての議論は現行自治スレにて、自治スレ他で指摘された強制ID制導入
に伴うメリット・デメリットのまとめはまとめウィキにて行っています。
自治スレッド53(ID強制表示本採用投票4/19予定)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1395286401/
軍事板強制ID制メリット・デメリットまとめWIKI
http://idtroops.wiki.fc2.com/
これらを参考に、強制IDに賛成の方も反対の方も共に、投票による意思表示をお願いします。 戦国時代でも公方様だしな
イエズス会も「クボウサマ」の音で記録してる
もっとも幕府だけの独占ではなく関東公方もいた訳だけど 須磨の海岸に行ったら、ゴムボートの上で棒の先にうちわを付けた奴がいて、それを陸からエアガンで撃って
遊んでいる風流な奴がいた。 >>109
「隠岐に流されるぞ」のコピペを思い出した。 コロシテシンゼヨウ!ホッホッホッホッホッホ!ギョエー! 玉葉、まくら草子、闘将録は全部ばったもんかもな。
富士川の戦いの下りなんか
10月6日鎌倉発→8日で80km走破→6日戦闘、富士川決着(但し交戦は早期集結)→14日で河川2ー3本含み150-200km強行
→金砂城
となってるけど作戦準備期間が数日で最小数千から2万?の兵力を1ヶ月戦闘しながら強行して河川通って300km以上強行(主力の房総の兵力は350km以上強行)
とかありえないわ
最初から二正面作戦で富士川→武田、頼朝、渋谷?などのみなもとグループ中心
金砂城→千葉、三浦、上総中心と考えれば、戦略、時系列、心情、作戦可能性からして矛盾しない
資料的価値としては玉葉から闘将録まで個々の時事が見聞と資料と多数伴う京中心時事なら矛盾性低く史実性はあっても
それ以外のとくに軍事作戦は直接的な供述や検証は全くなく漠然と風説を元に内容を記述してるから信ぴょう性皆無なんだよね
資料に視点が欠けてるし、状況が飛びすぎて想像補完性が異様に大きい。
戦国までの日本史は資料や根拠からすれば想像補完で風説を並べ抽象的で資料も燃えまくってるからいい加減なんだよな 不思議に思うんだが
何故に平家は暗殺を試みなかったのだろう? 当時は戦争仕掛けるにも大義名分が必要でな
逆に言えば敵対勢力に口実を与えてはいけないのよ
暗殺なんてやって「〜がやったんじゃ」って嫌疑がかかったじてんで
そいつを追討する口実になるんやで
そんなのは明治維新に至るまで大なり小なり続いてる
知名日本の領主が領民にたいして戦争時はともかく
普段から暴虐をふるえなかった理由でもあるわな 源平の間での暗殺はあまりないけど、源氏内部での暗闘はほんと非道いよね。 家内部のお家騒動は外部のお話しじゃないしな
お家騒動とかになると本当に何でもありになるのがまさに日本
内弁慶なんて言葉がある当たりな 始めて見たが、凄いなこのスレ。5年越しで続いてるんだな。
全然歴史の事詳しくないんだけど、単なる興味本位から
源平の戦いで平氏に逆転の目はあったのか知りたくて開いてみたんだが
もっとディ―プな話題が語られてて面白いな。 他の板には10年続いたスレもあったぜ
平氏に逆転の目か
後白河の心ひとつかね >>128
なんで応仁の乱が大規模な戦乱になったのかってわかった気がした
「巨大なお家騒動」だから誰が正義とか正統性とかそういうのがせなかったんだな 中世日本において大きな戦乱になる場合って大体のばあい
お家騒動の延長戦みたいなかたちになって
同族間でも陣営がキレイに分かれるパターンが大きいな
むしろ一族対一族になった場合
味方する勢力の数がすぐにかたがついて大きな戦乱にならないパターン >>127
あれ酷い
もうあれ執権スターリンの粛清になるから
あれを理解するにはスターリン粛清を理解してるかどうかで理解度と視点が変わる
ようは執権スターリンが大粛清を初めて(最初は初代執権と後妻の暗躍らしい)、頼朝の死とその後の粛も相当きなくさい
そしてそこから大粛清に以降→粛清末期に義時が父に責任おしつけて、「義兄弟の畠山を暗殺したことが許せない」といって父と後妻に責任おしつけて追放
(国家英雄のキーリチを殺したやつは許せない)
その後も粛清を強行、収集したら執権が強くなってたので、武家糾合→じょうきゅうの乱→ご成敗式目→報知合戦(これですべての武家を平伏させ並ぶものなき権力と専制が成立)
あれもうまんま執権が仕組んでますやん 執権が関与したとされる暗殺一覧
頼朝が起こした強行と暗殺
(当時の社会風習として婿が嫁の父に臣従する習わしで入り婿要素が強く実際入り婿だったから、相当執権は頼朝の意向に影響を与えたり、暗殺を教唆したとされる)
利用価値のなくなった頼朝暗殺→および頼朝派の大量暗殺
じょうきゅうの乱(処刑じゃなくて逮捕と追放)
権力が執権、三浦氏、千葉氏に集中(ほかは執権が消した)したため、執権が三浦、千葉氏を撃って臣従させる
治承、嘉永の乱から上級の乱、報知合戦までの60年の一連の粛清、構想、暗殺自体が執権の企てと暗殺ではなかったか?
執権なんて権力とったけど、あれは有力者を徹底排除、暗殺して専制を気づいただけだったんだよな。
ある意味で執権こそ日本史において魔王という言葉が最も適してた。そして実質的に日本史において最初にして最大の専制政治を築いたのが執権である
そして執権てのは報知合戦で三浦を滅ぼし千葉氏を従えたため、執権なのに事実上の武士の棟梁でもあったが
元寇直後に権力追放され、8年権力を失う
そして専制で味方を失い、恨まれまくって元広の乱で打たれる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています