卍…毎日マンネルへイム元帥で冬戦争は問答無用…卍

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2013/02/22(金) 00:19:59.81ID:???
やっぱ1000いく前に落ちちゃったね

卍…マンネルへイムな毎日に冬戦争なひと時を…卍
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1316922747/
2014/03/15(土) 03:19:21.92ID:???
この時期のフィンランドってマンネルヘイムの個人崇拝が進んでたのかな?
いろいろ事情はあったろうけど正直、民主主義国で存命中の権力者の名前を勲章に付するのって、
正気の沙汰とは思えない。キューバのカストロでさえそれはやらないようにしてるのに・・・
2014/03/15(土) 09:02:46.86ID:???
実態は人民を搾取する白色富農政権ですので、正気などそもそも持ち合わせてないのです
一日も早く人民民主主義政府が取って代わらねばなりません
2014/03/15(土) 17:08:08.62ID:???
>>320
>連隊長のラウリ・ハーンテラ中佐が

>「私です。大佐殿。」

連隊長と大佐の混同による誤訳かな?どっちもColonelだからな
連隊長が中佐で師団長が大佐ってけっこう珍しいよね。師団長が准将〜少将くらいはよくみるけど。
2014/03/15(土) 19:56:30.69ID:???
>322
さあ、歴史研究に戻るんだ、同志オットー・クーシーネン。
325名無し三等兵
垢版 |
2014/03/15(土) 21:48:20.65ID:z9P6mMbw
「ラットー二等兵、来い。」と言ったのがハーンテラ中佐。
「あれをやったのは君か?」と言ったのがパヤリ大佐。
でした。
はしょり過ぎてすいません。
326名無し三等兵
垢版 |
2014/03/15(土) 21:55:34.60ID:z9P6mMbw
8月1日、フィンランド空軍第24戦隊はソ連軍の戦爆連合を迎え撃った。オレンジの8番、
ヨルマ・カルフネン中尉の第3中隊7機のブルーステルは、ラウト湖上空で爆撃機を直援する
I-16と交戦し、そのうちの6機を撃墜した。オレンジの4番、ユーティライネン機は、
そのうちの2機を仕留めた。

「12.7mmの威力は凄いな。弾もまっすぐに飛んでいくよ。」意気揚々と報告に向かった
ユーティライネンは仲間に祝福され、戦隊長のマグヌッソン中佐より、准尉への昇進を
告げられた。

後に「ついてないカタヤイネン」として有名になるオレンジの1番、ニルス・カタヤイネン
軍曹も1機の撃墜を記録した。
2014/03/16(日) 13:55:19.59ID:???
お、ヨッペ登場
べらぼうにイケメンなんだよね…
328名無し三等兵
垢版 |
2014/03/16(日) 21:56:24.74ID:omuMKisE
「師団本部からです。」3日、フィンランド第7連隊長ケンピ大佐は副官の差し出す暗号電文を
受け取った。「タイリャ村を包囲する。敵は第142狙撃師団第461連隊の2個大隊だ。」村は
ソ連軍の手によって、半ば要塞と化している。電文を読み終わるとケンピは連隊副官に怒鳴った。
「攻撃だ。村の東方からソ連軍をタイリャ湖に圧迫する。大隊長を集めろ。」遂に陣地を出る時が
来たのだ。

塹壕戦の合間、フィンランド軍第7中隊の陣地では或る者は武器の手入れをし、別の者はカードで
給料を元手に賭けに興じていた。「小隊長と分隊長は集合。」伝令の呼び声が響いた。それが
何を意味するか知っている古参の兵は、カードを片付け始めた。

「中隊はタイリャ村を攻撃する。出発は22時。」第7中隊のE.ティッカネン少尉が集まった指揮官
に告げた。通信機と2名の通信兵、そして対戦車砲と4名の砲兵が中隊に合流した。
329名無し三等兵
垢版 |
2014/03/16(日) 22:23:20.46ID:omuMKisE
ヨルマ・カルフネンは7/4に大尉に昇進してました。かつ、オレンジの6番でした。
330名無し三等兵
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2014/03/21(金) 08:34:33.18ID:kRGks3YI
日没を待って、アーヴォ・アホラ大尉の指揮する第2大隊は、前進を始めた。ソ連軍はすぐに
彼らを発見した。照明弾が打ち上げられ、大量に配置された機関銃と半ば地中に埋められ、
トーチカと化した戦車がフィンランド兵を迎え撃った。

「突撃!」ティッカネン少尉を先頭に第7中隊の兵士達は駆け出した。ヴァルデ・ソルサ
伍長は砲火をかいくぐり、真っ先に敵の陣地に飛び込んだ。ヴァイノ・ハマライネン伍長は
ソ連軍トーチカの後方に回り込り、塹壕内で白兵戦を展開した。彼の分隊は30名ほどの
敵兵を倒したが、彼自身も負傷して意識を失った。

4日、フィンランド第2軍団はイルミー街道を制圧した。ソ連軍は陣地を捨て、国境方面へ
後退を始めた。
2014/03/22(土) 19:41:15.38ID:YC9BA5K1
筆まめなハマライネン少尉とは別の人ですか・・・
332名無し三等兵
垢版 |
2014/03/22(土) 22:07:15.09ID:QOAF8ZCB
フィンランド空軍第24戦隊のユーティライネン准尉は、ブルーステルBW-364号機に乗って
地上支援に出動した。「冬戦争のビオラーチ湾以来だ。」ソ連軍機はフィンランドの空から
駆逐されつつあり、空中戦の機会は減少していた。

コルキヨキ付近の街道上にソ連軍の車列を見つけると、彼は急降下して走行中の灰色のバスに
狙いを定めた。「オレンジ4、攻撃を開始する。」12.7mm機銃の一斉射でバスは横転し、火を
噴いた。フィンランド軍機が去った後、戦車2台、トラック20台が煙を上げていた。

フィンランド軍先鋒からラトガ湖西岸までは15kmであり、ソ連第7軍の包囲は間近であった。
333名無し三等兵
垢版 |
2014/03/22(土) 22:13:05.94ID:QOAF8ZCB
別のハマライネン氏です。こちらのハマライネン氏は1944年に大活躍します。
334名無し三等兵
垢版 |
2014/03/29(土) 10:10:31.30ID:5019hm2H
タイリャ村では、第7連隊第3大隊と第28連隊が村を迂回して南へ進んだ。
ソ連軍の激しい防御砲火の中、フィンランド軍は甚大な損害を出しながらも
確実に進撃し、遂に包囲網を完成させた。

やがてソ連軍の反撃が始まる。第14中隊のアート・クエルヴォ・シッポラ少尉は
包囲網突破を図るソ連軍戦車に遭遇した。「6台の戦車が接近してきた。我々は
地雷で阻止した。」後に彼はこの戦闘についてインタビュアーに語っている。
1台の戦車が爆発した時、中から乗組員が飛び出した。彼らが投げた手榴弾が
シッポラの鼻先で爆発した。彼の隣で若い少尉が戦死した。シッポラはとにかく
撃ち続けた。「戦闘が終わると何台かのトラックが我々の手に落ちた。缶詰、
砂糖、ウォッカ、煙草をみつけて我々は大喜びだった。」と彼は語っている。
2014/03/29(土) 13:24:35.33ID:0TVt71HI
スターリンからの贈り物だね。
336名無し三等兵
垢版 |
2014/03/30(日) 09:07:33.75ID:Q/drrO9t
サカリ・サンドロース伍長も、戦車に驚く仲間の兵士が逃げた後も踏みとどまり、
機銃掃射を続けた。一部のソ連兵が森を抜けて脱出に成功したが、数百名のソ連兵が
戦死し、約200名が重装備と共に村で降伏した。

フィンランド第7連隊の損害も大きかった。147名がここで命を失い、612名が負傷
した。5日、フィンランド第7連隊はエリセンヴァーラの鉄道分岐点まで進出し、
全軍で一番早くヴィープリ・ソルタバラ鉄道に到達した。駅には数台のソ連軍T-26
戦車が待ち構えており、激しい銃砲撃を浴びせてきた。
2014/03/30(日) 22:21:54.23ID:SOCYWX1M
強制ID制仮導入ノ是非ヲ問フ投票ヲ4.19ヨリ決行セリ!総員参加セヨ!自ラノ意思ヲ示ス戦ヒニ!

【4/19〜4/25までの期間、強制ID表示の是非を問う再投票を行います】

議論中失礼いたします。
皆様お気付きのように3/19に、軍事板では任意ID制から強制ID制への変更が行われました。
今回の導入は飽くまで仮導入のため、実施一ヶ月後に是非を問う投票を行います。

投票当日に向けての議論は現行自治スレにて、自治スレ他で指摘された強制ID制導入
に伴うメリット・デメリットのまとめはまとめウィキにて行っています。

自治スレッド53(ID強制表示本採用投票4/19予定)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1395286401/

軍事板強制ID制メリット・デメリットまとめWIKI
http://idtroops.wiki.fc2.com/

これらを参考に、強制IDに賛成の方も反対の方も共に、投票による意思表示をお願いします。
338名無し三等兵
垢版 |
2014/04/01(火) 19:47:24.20ID:uK2OkUjz
「森の端まで後退しろ。」偵察に参加していたシッポラは、木々の間に逃げ込んだ。
やがて対戦車砲が到着した。彼は前進するソ連軍戦車と砲火を交えた。シッポラも
ライン振るを構えた。「弾がなくなるまで撃ち続けた。だが戦車には全く手応えが
無かった。」しかし、対戦車砲と集束手榴弾により、最後にはソ連軍戦車は駆逐された。

戦いの後、第7連隊は師団予備となり、2日間の休養が与えられた。今やタイリャ連隊が
彼らの愛称となった。兵士達は歓声をあげた。後方に下がると兵士達はサウナで戦塵を
落とし、軍団軍楽隊の演奏を楽しんだ。音楽会の間、ロッタの一団がコーヒーとビスケット
を兵士達に配った。
2014/04/01(火) 21:53:41.79ID:DmPndV7k
フィンランドなら、やっぱりサウナですな。
2014/04/02(水) 10:10:50.15ID:biJvwzA4
ロシア人もサウナ大好きなんだよな

ロシア人も基本森の民でキノコやベリーとか大好きだし、厳寒にも慣れてるはずなんだけど、
どうしてこんなふがいない戦いぶりになっちゃったかな?
2014/04/02(水) 10:19:42.27ID:NpTJs5lQ
>>340
>>キノコやベリーとか大好き
やっぱとことんクマだなアイツラ

冬戦争ならロシア側の苦戦は単なる準備不足
侵攻すれば即手を挙げると思って防寒装備とか何も用意してなかっただけ
粛清直後で軍内ガタガタだったし
2014/04/02(水) 14:47:18.73ID:pteCSuUZ
準備不足と言うが、フィンランドに初期に兵力50万、装甲車両2500、火砲2000門投入しているし、冬季装備も装備されていた。

あれほど凍死者を出したのは、モッティ戦術によって燃料の補給が激減したのと、その年の冬が例外的に寒かったことだ。
2014/04/02(水) 15:56:56.53ID:ZskifC/u
ソ連でも南の方出身の兵が投入されたんじゃなかったっけか
まあ冬戦争の動画見たら分かるけど、厳冬なんてレベルじゃない戦場
その中で奮闘するフィン軍は、当時の海外新聞でも風刺漫画が描かれるくらいチート部隊だったみたい
2014/04/02(水) 16:45:08.88ID:VR7T4LKi
>342
>冬季装備も装備されていた

有りません。
ソ連兵はコート姿で、冬季装備ではありません。

しかも、1939-1940年の冬は最初は、平均気温よりも温暖でした。
そこへ凄まじい寒気が来まして・・・嗚呼。
2014/04/02(水) 17:47:44.23ID:pteCSuUZ
支給されるのは夏服で、
冬季装備でなく個人所持の防寒装備だったらしいですね
2014/04/02(水) 18:41:44.02ID:ZskifC/u
まあフィン軍も個人でバラバラの防寒装備だったわけでw
2014/04/02(水) 19:45:33.36ID:hSNEuKr8
そこらへん地元と他所者の差で防寒対策に大きな開きが
2014/04/03(木) 11:49:24.38ID:czJCaG55
実家が最前線の近所で、ちょいちょい家に帰って着替えたりメシ食ってたフィン兵もいたと聞く
実家が遠い人はロッタが何くれとなく気を配ってたんじゃないかな
2014/04/03(木) 20:02:41.01ID:2W+tvbcg
>>348
なんかちょっとイカした話っぽくなってるが、そいつら大半戦後は難民の憂き目だから…
継続戦争で帰還できたと思ったら、再度難民と踏んだり蹴ったり…
350名無し三等兵
垢版 |
2014/04/05(土) 09:11:29.40ID:1sW0MxtJ
ソ連第23軍司令部に前線から至急電が届いた。室内は将校の怒鳴り声や鳴り響く電話で
騒然としている。「チリマキとオカンマキの防衛拠点が陥落した。」司令部員の間に
同様が走った。「反撃は中止だ。第198自動車化狙撃師団に第142狙撃師団と合流して、
フィンランド第2師団を阻止させるのだ。」

ソ連第49戦車連隊のゴルシュコは戦車と共に後退していた。ガソリンの残量が気になり
始めた頃、彼は友軍のトラックの列に出会った。彼は第2中隊のセムキン中尉の姿を
見つけた。二人は再会を喜んだ。

ラトガ湖畔へ後退中のソ連軍は、ソルタバラ付近に圧迫されつつあった。旧国境へ向けて
進撃するフィンランド軍の背後に残されたソルタバラは、今となっては戦略的な重要性は
薄れていたが、フィンランドにとっては政治的に価値のある町であった。フィンランド軍は、
ソ連軍の殲滅よりもソルタバラの解放を優先させた。
2014/04/05(土) 16:48:17.32ID:jOjs1eUm
ナチスドイツ 第三帝国 2マルク銀貨 出品中です。
ご興味のある方は是非御覧くださいm(__)m

http://auction.rakuten.co.jp/item/12085582/a/10000022
352名無し三等兵
垢版 |
2014/04/06(日) 08:15:30.26ID:lJlXcT1c
6日、フィンランド軍は得意のモッティ戦術でヴィープリ・ソルタバラ鉄道を遮断した。
その結果、ラトガ湖西岸のソ連軍は3つに分断された。「我々は第7軍とも左翼の第23軍とも
連絡を断たれたようだな。」ソ連第168狙撃師団長ボンダレフ大佐は師団司令部、第71狙撃
師団第367連隊、第74偵察大隊、第230砲兵連隊、第115師団第708連隊と共に包囲された。
ハイトラ北東方では、第142狙撃師団と第198自動車化狙撃師団が孤立し、その他種々雑多な
部隊がケスクゴルム付近に取り残されていた。

「第2軍団からの報告です。第18師団はインキラでヴィープリ・ソルタバラ鉄道に到達。」
ミッケリのフィンランド軍総司令部には各地からの報告が続々と届けられていた。
司令部要員が巨大なテーブルに広げられた地図上の部隊の所在を示す旗を移動させる。
「第10師団の進撃の進捗は?」マンネルへイムは第15師団と第18師団の中間を進む、
シフヴォ大佐の部隊の所在を尋ねた。同師団はカキサルミ・ハイトラ鉄道を目標に
攻撃を続けている。「第10師団はハイトラを解放しました。」参謀の返答は
マンネルへイムを満足させた。ソ連軍の後方は遮断されたのだ。

マンネルへイムはラトガ・カレリア方面に目を転じた。「第2猟兵旅団の偵察隊の
報告によると、アグラ湖方面のソ連軍は陣地を放棄して東へ後退している模様です。」
この方面には既にラップランドからドイツ第163師団が来援している。「追加兵力を
投入しよう。」7月20日以来前線から引き揚げられ予備になっていた第11師団に
移動命令が起草された。「ドイツ第163師団と我が第1師団の間に投入するのだ。」

フィンランド軍は、後退するソ連軍を追うと共に、包囲網に取り残された強力な
敵軍にも対応しなければならなかった。マンネルへイムは、ラトガ湖西岸制圧のため
新しい司令部機能の必要性を直感した。彼の右腕のアイロ少将は即座に意図を察し、
第2軍団から第2師団、第7軍団から第7師団、司令部予備から第9師団を抽出し、
第1軍団を編成した。
2014/04/06(日) 17:38:57.15ID:12LLgdcy
好きでモッティやってる訳では無いからなあ・・・
さっさと殲滅したいからね。

もっと兵力が有れば・・・
354名無し三等兵
垢版 |
2014/04/08(火) 23:55:50.98ID:whXr4jtU
9日、フィンランド第10師団の先遣隊がラトガ湖に達するとソ連第198自動車化狙撃師団と
第142狙撃師団も包囲された。

フィンランド第2師団には新たに編成された第1軍団に所属し、北方のソ連軍橋頭堡を攻撃
するよう命令が降りた。ケンピの第7連隊は次の戦場に向かって行軍を始めた。
フィンランド軍の機械化は遅れていたため、歩兵部隊は徒歩で移動しなければならなかった。
「2日で30マイルだ。強行軍だな。」ケンピは転出したポロン少佐の後任で冬季オリンピック
選手の第1大隊長エイノ・クヴァヤ少佐と共に歩いた。道ばたで疲れきった兵士の一人が
機関銃にもたれかかって涙を流していた。ケンピは彼の傍に寄って煙草を差し出した。
その兵士は中年というより初老に近い老兵であった。「我々は拷問に耐えているのではない。
奪われた故郷を取り返しているのだ。」ケンピは彼を立たせると、老兵の弾薬と交換銃身の
ケースを持って、再び歩き始めた。
355名無し三等兵
垢版 |
2014/04/13(日) 14:24:20.43ID:XPuLg/lk
南の橋頭堡内のソ連第142狙撃師団と第198自動車化狙撃師団は、海軍の支援により
湖上への脱出の機会を伺っていた。これを掃討する任務はフィンランド第10及び
第15師団に与えられた。

10日、ソ連第23軍は増援の第265狙撃師団をライサーラへ派遣し、包囲網の解囲を
試みた。第265狙撃師団は7月11日にモスクワ軍管区でNKVD要員から編成された
ばかりでだった。兵力は定数の50%以下の5539名である。先発の第951連隊の兵士は
列車から降りるや否や前線に向かった。

偶然にも九葉中のフィンランド第18師団は同日進撃命令を受領していた。ソ連軍が
インキラで攻撃を開始した時、その僅か5km西で待機していた同師団は、素早く
後方に回り込みその補給路を断ち切った。ソ連第265狙撃師団は南方へ退却した。

11日、フィンランド第15師団はハイトラの鉄道分岐点を占領した。ただちにコラー川
から装甲列車2号が呼び寄せられ、列車砲中隊はソ連軍に猛砲撃を浴びせた。
2014/04/13(日) 15:03:14.62ID:5iRsj6+j
>355
>海軍の支援により

T-28やT-34の砲塔を載せた砲艦かな。
2014/04/14(月) 09:48:40.34ID:hblCBxLw
ソ連軍はラドガ湖に水上兵力を配置してなかったのかとず〜っと思ってたんだが
置いていたのか。
2014/04/15(火) 16:45:40.19ID:FImn768z
>357
例によって、何隻かをフィンランド軍は捕獲して使用してるよ。
2014/04/19(土) 18:21:59.76ID:oDJ31SLQ
4/19〜4/25までは、軍事板強制ID表示の制式採用の可否を問う選挙期間です。

投票所はコチラ。
軍事板強制ID制式採用投票スレッド
http://nozomi.2ch.net/test/read.cgi/vote/1397822163/l50

議論スレはコチラ。
自治スレッド54(ID強制表示本採用投票4/19-25)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1396337551/

議論まとめや参考データはコチラ。
軍事板強制ID制メリット・デメリットまとめWIKI
http://idtroops.wiki.fc2.com/

皆様からの投票、お待ちしています。
2014/04/19(土) 18:48:16.52ID:oDJ31SLQ
4/19〜4/25までは、軍事板強制ID表示の制式採用の可否を問う選挙期間です。

投票所はコチラ。
軍事板強制ID制式採用投票スレッド
http://nozomi.2ch.net/test/read.cgi/vote/1397822163/l50

議論スレはコチラ。
自治スレッド54(ID強制表示本採用投票4/19-25)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1396337551/

議論まとめや参考データはコチラ。
軍事板強制ID制メリット・デメリットまとめWIKI
http://idtroops.wiki.fc2.com/

皆様からの投票、お待ちしています。
2014/04/25(金) 09:51:00.63ID:7ZRM9jz8
そろそろ保守しておこう
362名無し三等兵
垢版 |
2014/04/26(土) 08:06:38.46ID:XAUKSTpG
ソルタバラへ向かう街道は遺棄されたソ連軍の車輛で塞がれていた。
12日、フィンランド第7師団はソルタバラへ到達した。犠牲者を
抑えるため兵士達は煙幕に紛れ、姿勢を低くし、慎重に進んだ。
市街への損害を避けるため砲撃も必要最小限に限られた。ソ連軍は
文字通り死ぬまで抵抗した。

ソ連軍はフイスコンニエミ半島に立て篭ったが、フィンランド軍に
とって2個師団もの大軍を殲滅する事は容易ではなかった。カレリア版
ダンケルクが始まった。ソ連軍は艦船を掻き集め、橋頭堡に閉じ込められた
部隊の救出を始めたのだ。

フィンランド空軍第24戦隊のルーカネンは船団攻撃に出動した。20隻もの
各種船舶が眼下に見えた。「僚機と代わる代わる銃撃を行ったが、目立った
損害は与えられなかったと思う。」彼は回想している。フィンランド軍機は
余りに少な過ぎたのだ。
2014/04/27(日) 17:42:19.80ID:DNxQQaPW
戦闘機の銃撃ではしょうがないね。
364名無し三等兵
垢版 |
2014/04/27(日) 20:39:25.50ID:BmqGCmCR
14日、ソ連第49戦車大隊のゴルシュコは連絡将校として、第168狙撃師団司令部を訪れた。
橋頭堡内では撤収作業が進んでいた。フィンランド軍の砲弾が炸裂する中、トラックや兵士の
列が港へ向かっている。黒いタールを流したような黒煙が幾筋も立ち上っていた。

「こちらへどうぞ」案内の兵士の後に続いていくと、地下壕には2人の将校が座っていた。
「ここでお待ち下さい」兵士は姿を消した。彼が煙草を取り出すと、先客が応えた。
「ここは禁煙だ」暫く待たされた後、彼は師団参謀のS.ボルシェフ中尉と面談した。
「君の大隊は残った戦車を破壊した後、人員は乗船して移動して欲しい。桟橋はここだ。」
中尉は地図上の一点を指した。

15日15時10分、フィンランド第30連隊の兵士が市庁舎に青い軍旗を掲げた。540名の
ソ連兵が投降し、残りは脱出した。こうしてソルタバラは解放された。フィンランド
第7師団には1週間の休暇が与えられた。「野戦郵便局も到着するから手紙が出せるぞ。
理由が有る者は故郷に帰ってもいい。先任軍曹に申告させろ。」コルピ中尉は、中隊の
将校達に伝えた。
2014/04/27(日) 23:28:30.99ID:he9m5Dng
>>363
撤退中の艦船なんて甲板上は修羅場になってそうだがw
2014/04/28(月) 10:22:35.12ID:8X87vKki
確かスターリングラードという映画でもソ連軍が
輸送艦に銃撃されて凄い事になってたな
367名無し三等兵
垢版 |
2014/04/29(火) 08:38:10.57ID:9L14B8+5
満足な装備も訓練もないままにラトガ・カレリアの前線に投入された
第3フルンゼ人民武装師団では、前線に到着するまでに多くの兵士が
負傷や病気のため戦列を離れている。

「英雄になって勲章をもらおうと思っていたのに、穴掘りと移動ばかりの
毎日だ。」軍楽隊出身の伝令兵、アレクサンドル・ネブスキーが軽口を
叩いた。「司令部員は気楽でいいな。」包帯を巻いた、同じレニングラード
工科専門学校出身の仲間が冷やかした。義勇兵達は学校の教室や工場の
職場から参加したので、皆顔見知りだった。将校が部下に丁寧語で指示する
のも、兵士が将校に軽口を叩くのも日常であった。しかし、戦争は気楽な
ものではなかった。不慣れな兵士達は次々とフィンランド軍の銃弾の餌食と
なり、16日には冬戦争タイパレ戦のソ連邦英雄、師団長ネトレバ大佐までもが、
フィンランド軍の砲撃により重傷を負って後送された。
368名無し三等兵
垢版 |
2014/05/03(土) 20:06:21.49ID:32HTz0yS
17日、ラトガ湖畔のソ連軍橋頭堡は幅12km、深さ10kmにまで圧迫されていた。
ソ連軍は海軍と空軍のありったけをつぎ込んで、脱出作戦を展開した。負傷兵、重資材、
歩兵部隊が次々と船に乗り込んでいった。ゴルシュコは戦車を爆破した後、幸いにも
移動中の砲兵部隊に合流して港に到着した。フィンランド軍が迫っており、港でも砲弾が
炸裂していた。「乗船許可願いたし。最後の砲も破壊した。」擦り切れた軍服を着た
砲兵将校が命令書を提示した。

「師団参謀の命令なんだ。車を船に積んでくれ。苦労してここまで運んだんだ。」
1台の乗用車を前に兵士達が押し問答をしていた。「駄目だ。船はもう一杯だ。何一つ
敵の手に渡すわけにはいかない。この場で爆破する。」なおも抗議する運転兵は
桟橋へ向かう兵士の列に押し込まれた。検問所の兵士はボンネットを開けると、
手榴弾を放り込んだ。

ソ連軍は必死の抵抗を見せ、フィンランド第2師団の前進は阻まれた。砲艦ウィラ、
ブレヤ、オレクマらの支援の元、掃海艇と輸送船が兵士を収容していた。水面にも
盛んに水柱が立ち上がっていたが、ソ連兵の乗船は続いた。艀が岸壁を離れ、
ソルタバラの町が小さく見えた時、ゴルシュコはようやく生き残った実感に安堵した。

2万6千名の将兵、砲155門、機関銃178挺、車輛800台、そして5千頭の馬匹が海路
撤収した。最後の船が桟橋を離れた後フィンランド軍に残されたのは、砲40門、
戦車8台、車輛310 台、トラクター35台、死んだものも含む1500頭の馬匹だけであった。
2014/05/04(日) 00:07:02.81ID:x4JJYkEn
>368
>砲艦ウィラ、ブレヤ、オレクマ

どんな艦だろう?
370名無し三等兵
垢版 |
2014/05/04(日) 10:00:21.55ID:RyKxAjja
こんな感じだったようです。
http://alternathistory.org.ua/ladozhskie-linkory
371名無し三等兵
垢版 |
2014/05/04(日) 10:19:15.13ID:RyKxAjja
ラトガ湖畔でソ連軍が脱出作戦を展開している間、カレリア地峡ではフィンランド第2軍団が
ブオクシ川目指して進撃を続けていた。街道上の破壊された車輛やソ連軍が放棄した装備の
間を兵士達はひたすら歩き続けた。

「ここで一息入れよう。」フィンランド第27連隊のユーホ・ポッシ中尉は休憩を命じた。
「俺は斥候に出かける。各分隊は見張りを1名立てろ。」ポッシは数名の兵と共に装備を
置いて身軽な格好で出発していった。「ドイツ軍はタリンに迫っているそうだ。ラジオで
聞いたよ。」残った第11中隊の兵士達は肩から銃を降ろし、座り込んだ。「さっさと
戦争を終わらせないと収穫の時期になってしまうよ。」

偵察に出たポッシ達は、道路から外れて森の中を進んだ。一人の兵士が前方を指差した。
「中隊長、堤防です。」ソ連兵の姿は無かった。ポッシは兵を連れて土手を駆け上がった。
「我々が一番乗りだ。」彼の目の前にはブオクシ川が広がっていた。

この日、8月18日にフィンランド第18師団はブオクシ川を渡った。航空支援に出撃した
フィンランド空軍第24戦隊のルーカネンは、ボートを攻撃するソ連軍旗を撃墜している。
南野エストニアでは、ドイツ軍がナルヴァに達した。
2014/05/04(日) 11:29:31.25ID:SUfbu4uo
“Бира”, “Бурея”,“Олёкма”だからビラ、ブレヤ、オリョークマ(アリョークマ)と読むべきでは?
2014/05/04(日) 23:41:53.29ID:lg5Gi50S
>>370
船体の形といい砲配置といい、まさに陸上支援用砲艦って感じだな
2014/05/05(月) 09:55:51.88ID:KForA73D
WWT感が漂ってるね
375名無し三等兵
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2014/05/05(月) 12:56:20.87ID:pRoxy+iw
フィンランド軍とドイツ軍の戦線が接近するにつれ、新たな議論が提起されることとなる。
20日、ドイツ軍の連絡将校W.エルフルト中将はマンネルへイムのもとを訪れた。彼は、
ドイツ国防軍最高司令部総長ウィルヘルム・カイテル元帥からフィンランド軍による
レニングラード攻撃の要請がある旨を告げた。エルフルトは1920年に語学を教えるため
フィンランドを訪れて以来、マンネルへイムの個人的な友人でもあった。マンネルへイムは
直ちに国防相ルドルフ・ワルデンと打ち合わせを行った。朝食のテーブルではコーヒーが
湯気を立てている。

「私はフィンランド軍はレニングラード攻撃に参加すべきではない、と考えている。
スヴィル川も越えるべきではない。」ワルデンは即答した。「同意します。」もしも
レニングラードを攻撃すれば、ソ連はそれを忘れもしなければ、許しもしないであろう。
答えは決まった。マンネルへイムはエルフルトに実務上の難点を説明し、政治上からも
軍事上からも攻撃に賛成出来ない、と答えた。フィンランド政府は、防衛上必要な場合を
除き、旧国境から先の進撃を許可していなかった。
2014/05/05(月) 22:13:30.40ID:D6UhKhjP
>370
単装砲塔が並列に配置されてる。
これは面白い!

機械翻訳してみると、「ドイツ・ハンブルグで1939年から1941年2月まで建造された」とでるから
元はドイツ製なのかな?
377名無し三等兵
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2014/05/07(水) 19:19:29.72ID:r6iyjao5
21日、ドイツ北方軍集団戦区で、ヘープナー上級大将の第4装甲集団が、
レニングラード40km地点に到達した。総統命令34号が発令された。
「フィンランド軍と連絡し、レニングラードを包囲せよ。」

そのレニングラードにはモスクワからの特使として、スターリンの腹心、
人民委員会第1副議長モロトフと共産党中央委員会書記マレンコフが
到着した。2人の目的は、この頃戦争の重圧により心身共に不安定と
なっていたスターリンの為に、殉教者を探し出すことであった。
2014/05/08(木) 22:26:47.88ID:ei2z24SY
社会主義国で「殉教者」とは・・・
379名無し三等兵
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2014/05/10(土) 13:22:46.65ID:ge6lxkoG
2人を迎えたジダーノフはしばしば咳き込みながらも、煙草の火をつけ続けた。
「正直に告白しよう。酒の力を借りて、何とか踏みとどまっているのだ。」
ジダーノフは重圧と戦っていた。忠実なスターリニストとして彼は、執務室に
スターリンの肖像画を掲げ、スターリンを真似て執務室の長椅子で睡眠を
とっていた。「この町を捨てる事などあり得ない。その時は、ここで死ぬ。」
マレンコフとモロトフは、潜在的なライバルを葬るつもりでいたが、彼の姿に
憐れみを感じた。

レニングラードにいるもう一人の指導者ヴォロシーロフは内戦以来の古参の
闘志であった。彼は1918年にツァーリツィンで戦った時と同じように、
前線を飛び回り、敗走する兵士を励ましていた。しかし2人には、彼の戦い方は
近代戦の時代に大きく遅れをとっているように感じられた。

同じ日、フィンランド第2軍団は、ケクスゴルムを解放してソ連軍ヴィボルグ
集団後方に進出した。
380名無し三等兵
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2014/05/11(日) 15:29:47.15ID:XheYhsxM
>>1
まんじとハーケンクロイツは違うだろうwwww
2014/05/11(日) 15:37:57.24ID:HkOutfGn
初代スレは2007年
そろそろ七周年を迎えるスレでそれですか
賢い方がいらっしゃいましたね

トホホ・・・
2014/05/11(日) 17:52:46.76ID:7kwa+ECX
フィンランドの森で、迷子だったんじゃないかな・・・
7年間もね。
2014/05/11(日) 19:41:20.72ID:qCTiX3G6
7年も迷子だったということはあの伝説の「アメリも嫉妬ショッピング」を知らないのか
可哀そうに
2014/05/11(日) 20:26:32.18ID:Q0Yj/fV9
そこは「残忍な人参に射撃」だろ
あれこそ至高のギャグ
385名無し三等兵
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2014/05/18(日) 10:14:39.21ID:cRol7ukS
マンネルへイムがカレリア軍に優先権を与えていたため待機を強いられていた第4軍団は、
8月22日に南カレリアに進撃を開始した。軍団長レンナルト・オシュ中将は、第27プロシア
猟兵大隊出身で、内戦では彼自身が編成した第18猟兵大隊を指揮して赤衛軍と戦った。
冬戦争では参謀長としてマンネルへイムを支えている。

ヴィープリ・レニングラード鉄道に沿って進むフィンランド第4師団第25連隊と第8師団
第45連隊は、ソ連軍の猛烈な抵抗によりヌルミ駅付近で進撃停止を余儀なくされた。
オシュは直ちに装甲列車1号を送り込んだ。第25連隊第3大隊の兵士達は歓声を上げ、
再び前進を開始した。ソ連軍はヒエタラの鉄橋を爆破して後退した。

夕方、ブオクシ川岸はフィンランド軍が制圧した。撤退が急であったため、ソ連第123
狙撃師団も第115狙撃師団も統制が取れていなかった。フィンランド第4師団はサイマー
運河に沿って前進し、ソ連第43狙撃師団を圧迫した。フィンランド軍最南端の第8師団は
23日までにヴィープリ湾を渡る準備を始めていた。
2014/05/18(日) 10:59:45.91ID:o/CL1Fpq
プロシア猟兵大隊出身ですか。
大ベテランだね。
387名無し三等兵
垢版 |
2014/05/31(土) 08:18:45.38ID:G5U4QnhI
23日、ソ連軍最高司令部令第001199号により、ソ連北部戦線はレニングラード戦線と
カレリア戦線に分割された。

パヤリのフィンランド第18師団はムオラー湖からサルメンカイタへの進出機会を伺い、
ヴィープリ方面の第8師団は24日朝にヴィープリ湾を横断して、リハニエミ半島に
上陸した。

マンネルへイムは第4軍団にヴィープリ突入を避け、そのまま旧国境へ進出するよう
命じた。25日午後にはフィンランド第3連隊がカマラ駅を確保し、ヴィープリは
包囲された。この結果、第43、第115、第123の3個狙撃師団のソ連軍が罠に嵌った。
「第12師団と連絡せよ。」パヤリは第46連隊に命じた。
2014/05/31(土) 13:21:28.12ID:f7ZjtGPz
ヴィープリ奪還まであと少し!
389名無し三等兵
垢版 |
2014/06/01(日) 07:46:17.65ID:sS88tQsq
パヤリの第18師団の右翼ではフィンランド第12師団が南西への攻撃を続け、27日には
ヴィープリ・レニングラード街道を遮断した。ソルタバラの解放を終えた第1 軍団も
ブオクシ川戦線へ移動している。フィンランド湾対岸のエストニアでは、この日から
ソ連軍のタリンからの海上撤退が始まった。

ソ連軍最高司令部は第23軍に対して、ヴィボルグ撤退を許可した。
「司令部の許可を得た。戦線を整理するため全部隊に後退を命ぜよ。新防衛線は
ヴィボルグ南西からブオクシ川北を通りタイパレ川河口だ。」戦線の立て直しに
奔走する第23軍司令官ゲラシモフ中将は、かつてマンネルへイム線があった場所に
新たな防衛線を築こうと試みた。この方針に沿い、ソルタバラから撤退してきた
第142狙撃師団と第198自動車化狙撃師団がタイパレに布陣した。

しかし、この後退は国境沿いの数ヶ月かけて用意した陣地の放棄を意味していた。
「現在の防衛線は莫大な資材と最新の技術が投じられています。一方、新防衛線
には何もありません。」工兵司令官のB.V.ビシェフスキー大佐はゲラシモフに
翻意を懇願した。彼こそが冬戦争後、心血を注いで要塞地帯を整備してきた
のであった。
2014/06/01(日) 21:16:57.31ID:0xnUhFuh
VTライン、というやつだね
391名無し三等兵
垢版 |
2014/06/07(土) 12:33:29.96ID:VQ+bZwK3
28日夕方、ソ連軍はイーラ・ソンメ間で封鎖線を突破し、トラックによる包囲網内への
物資搬送を試みた。フィンランド軍は砲撃によってこれに応えた。砲兵管制下の道路は、
破壊された車輛と遺棄された装備に埋め尽くされた。死体の山の中で見捨てられた負傷者が
呻いていた。街道上の地獄を通行できるのは徒歩の兵士だけであった。

次の2日間で、ソ連軍は何度も鉄道連絡の回復を試みたが、夕方遅くにフィンランド
第12師団第3連隊は第8連隊と連絡し、再び包囲網は閉じた。包囲網内では、逃げ遅れた
ソ連第43狙撃師団長ウラジミール・キルピチニコフ少将が憔悴しきっていた。彼とその
幕僚は部隊を再編成しようと必死の努力を続けたが、部隊は分裂し混乱している。
「諦めてはいかん。」政治委員のテリチョフ大佐が言った。「無神論の共産主義者でも
奇跡を信じるのだな。」キルピチニコフは吐き捨てるように言った。「恐らく今の我々は
完全武装の1個大隊で制圧できるであろうな。」彼は力なく呟いた。
2014/06/07(土) 23:15:08.37ID:B4nHtqoe
フィンランド独立戦争の頃のヴィープリ某所。
白衛軍による赤衛軍兵士虐殺があった。

ので・・・今でも赤衛軍の亡霊が出るそうな。
393名無し三等兵
垢版 |
2014/06/08(日) 08:47:50.22ID:SH1PzXTa
ヴィープリ城には、独立戦争時の1918年4月27日に赤衛軍に虐殺された30名の白衛軍政治犯の
亡霊が出るという、伝説があるようですよ。
394名無し三等兵
垢版 |
2014/06/08(日) 08:59:09.63ID:SH1PzXTa
29日、フィンランド第18師団は攻撃を再開した。第27連隊のユーホ・ポッシ中尉率いる
第11中隊が最初の2つのトーチカを制圧し、キヴェンナーパの交差点は確保された。
フィンランド第10師団は、ソ連第198自動車化狙撃師団の反撃を受けたが、フィンランド
第15師団が駆けつけブオクシ川の対岸からソ連軍を攻撃した。

フィンランド第4師団と第8師団の偵察隊は、共に正午近くにヴィープリ市中心部に到達した。
既にソ連軍は撤退した後で市内は瓦礫に埋め尽くされていた。兵士達はフィンランドの古都の
破壊に衝撃を受けた。ランドマークである中世の古城ヴィープリ城に、ヴィープリ出身の
2人の兵士によってフィンランド国旗が掲げられた。それは冬戦争休戦時まで同じ場所で
はためいていた国旗であった。

ヴィープリ解放の公式発表がされると、ヘルシンキ市民は一斉に街頭に繰り出した。誰もが
目に涙を浮かべていた。
2014/06/09(月) 11:24:56.58ID:3adzxc6/
提灯行列か
396名無し三等兵
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2014/06/11(水) 06:49:07.43ID:xAXmgUja
フィンランド空軍第24戦隊のルーカネンは物資調達のため、補給部隊のトラックに乗って
ヴィープリ市内に入った。ソ連軍車両の残骸や焼け焦げた資材を避けながらトラックは
慎重に進んだ。建物の多くも廃墟となっていた。彼らは食品工場で放棄された大量の
ジャムや乾燥果物を発見した。「もっと大きいトラックで来るべきだったな。」ルーカネンは
笑った。城塞橋へ向かう途中、彼はヴィープリ城の塔に翻るフィンランド国旗を見た。

翌31日、フィンランド軍はヴィープリで記念パレードを行った。兵士達は4列縦隊で、
市場の一角に立つクルグラヤ塔の前を通り、海岸通りを経て、戦乱で焼け爛れた無惨な
外壁を晒す美術館前で閲兵を受けた。ヴィープリの創建者、13世紀のスウェーデンの
武将、トルケル・クヌートソンの像だけは、昔日のままそこにそびえ立っていた。
2014/06/11(水) 22:04:48.74ID:kMpcz1vQ
まさに「焼け太り」ですな。
398名無し三等兵
垢版 |
2014/06/14(土) 14:47:01.50ID:/7Lx7o6n
その頃マンネルへイムは東カレリアへの侵攻を準備していた。これは直接には、
タルヴェラ少将らカレリア軍からの「旧国境では再びソ連軍の反撃を受けた場合
防衛が困難である。侵攻の防波堤となる緩衝地帯の確保が必要と思料する。」
という意見具申から始まっている。元来フィンランド人とカレリア人は、同民族で
言語や文化・風習もほぼ同じである。フィンランド人の中には、カレリアを共産
主義者から解放すべきだと考える者も多かった。

「我が総統より閣下に騎士十字章をお持ちしました。」エルフルト中将は再び
マンネルヘイムを訪れた。「我が北方軍集団はレニングラード南のネヴァ川に到達し、
レニングラードに通じる最後の鉄道が遮断されました。」彼はマンネルへイムに
東カレリア侵攻を中止し、代わりにレニングラードを攻撃するよう翻意を促した。
マンネルへイムは受勲には丁重に礼を述べたが。「しかし、リッティ大統領も
レニングラード攻撃は受け入れまい。レニングラードは元々ロシアの首都なのだ。」
彼にとってレニングラード攻撃は侵略であったが、東カレリア進出はフィンランド
民族統一の戦いであった。

マンネルへイムは改めて前線部隊に、ラジャ川からオータの線で進撃を停止するよう
命じた。これによりソ連軍のレニングラード北方防衛戦(KaUR)と接触する畏れは
なくなり、フィンランド軍は戦線を縮小して部隊を東カレリア方面に移送することが
できるようになった。
2014/06/19(木) 00:06:28.35ID:93CefQ+N
レニングラードを攻める兵力はフィンランドに有りませんからね。
400名無し三等兵
垢版 |
2014/06/21(土) 09:34:28.83ID:9mqvfYKz
第123狙撃師団主力を中心とする1万2千名のソ連軍は重装備を放棄してコイヴィスト島に逃れた。
ソ連第43狙撃師団は、包囲網内でまだ絶望的な戦闘を続けていた。第147連隊はフィンランド軍
戦線を突破しようと試みたが、既に弾薬も尽きかけていた。キルピチニコフは包囲網突破を決意
した。「三手に別れよう。右翼の第65連隊はソンメの鉄道駅を目指す。中央は第101砲兵連隊、
左翼は第147連隊。第123狙撃師団の残余もこれに加わる。出発は19時だ。」キルピチニコフは
集まった指揮官達の顔を見回した。

まだ日の高い夕刻、ソ連兵は続々と集結した。
2014/06/27(金) 21:28:44.98ID:/xHj/PoF
大量の兵器がフィンランド軍の手に渡ったのだね。
402名無し三等兵
垢版 |
2014/06/28(土) 09:46:45.54ID:4mL4/4iN
脱出を図るソ連軍とこれを阻止するフィンランド軍の戦闘は夜通し続いた。
9月1日11時、フィンランド第8師団第24連隊の衛生兵グンナー・ベルグストロームは
ソンメ南東1.5kmの旧街道上を警戒していた。路上には待ち伏せ攻撃を受けたソ連軍
輸送隊の残骸がまだ煙を上げていた。「森の中を探せ。ロシア兵が逃げた。連携を保て。」
中隊長のアーレンベルグ中尉の声が聞こえた。ベルグストロームは森に入り、
間もなくレインコートを被って横たわる2人のソ連兵を見つけた。生死を確認すべく
コートを捲ると1人は少将の階級章を付けていた。「息があるぞ。」捕虜は、大隊長
モーベルグ少佐に伴われて連隊本部に送還された。やがて捕虜の将軍はソ連第43狙撃
師団長キルピチニコフ少将であることが判明した。

13時30分、第1機関銃中隊のホルガー・クロゲラス中尉とオッシ・ワレニュイス少尉は、
3名のソ連兵を発見した。彼らは丸腰で中央の男はひどく負傷していた。「この男は
大佐だと言っているぞ。」2人のフィンランド将校は顔を強ばらせた。捕虜となった
佐官はソ連第43狙撃師団政治委員のテリチョフ大佐であった。

「我々は義務を果たした。ここを出よう。」包囲網内の9,325名のソ連軍兵士は
降伏を選んだ。
2014/06/28(土) 10:28:46.92ID:rz/X6Bag
>>402
グンナー・ベルグストローム、アーレンベルグ、ホルガー・クロゲラス、オッシ・ワレニュイス
フィンランド第8師団第24連隊は、スウェーデン系フィンランド人部隊のようだね。
404名無し三等兵
垢版 |
2014/06/28(土) 12:10:45.34ID:4mL4/4iN
第8師団は、フィンランド湾岸ウーシマー地区で編成されているので、スウェーデン語圏の部隊のようですね。
405名無し三等兵
垢版 |
2014/06/29(日) 09:31:43.41ID:45rnp9g6
各種野砲306門、迫撃砲246門、戦車55台、トラック673台、馬匹4500頭そして大量の物資が
フィンランド軍の手に渡った。フィンランド兵は約7500ものソ連兵の遺体の埋葬に追われた。
一方、フィンランド軍の死傷者は3000名に達している。

2日、コイヴィスト島に逃れたソ連第123狙撃師団は、バルチック艦隊の支援の元、海上から
包囲網脱出を開始した。まず2000名の負傷兵が船に乗せられ、次に健康な兵士が続いた。

フィンランド第18師団はマイニラに到達した。冬戦争を第21野戦砲兵連隊で戦った、ラウリ・
メリコスキは中尉に昇進し第26重砲大隊に所属している。「おい、本物のマイニラショットを
お見舞いしてやろう。」彼が冗談めかして言うと、早速砲兵達がインクを持って来て、砲弾に
マイニラと書き込んだ。彼らは冬戦争の発端となったソ連の陰謀を忘れてはいなかったのだ。

間もなく、フィンランド全軍が旧国境に揃った。
2014/06/29(日) 12:11:35.14ID:wMaU6Ycw
「フィンランド側からの砲撃により、ソ連軍に死傷者が出た」と、因縁を付けてきた場所が
マイニラですな。

この「事件」はまだ調査が続けられていると、大昔のMG誌に出ていたけど、決着したのだろうか?
当時のソ連とフィンランド国内の「左派」向けのポーズでもあったようだ。
2014/07/03(木) 22:01:50.60ID:M84HWZL8
保守
2014/07/03(木) 22:02:35.99ID:M84HWZL8
保守
2014/07/04(金) 10:09:43.29ID:Q/Iq+2RO
ハッカペル!
410名無し三等兵
垢版 |
2014/07/12(土) 12:55:34.84ID:A08DYgSm
その頃極北の地では、ムルマンスク鉄道を目指して進むドイツ第36軍団が苦境に陥っていた。
荒涼とした大地は大軍の進撃を阻み、対するソ連軍は地形を利用して頑強に抵抗した。特に
SSノルト師団は、ソ連軍に補給路を断たれ敵中に孤立していた。

救出のためフィンランド軍が出動し、フィンランド第53連隊は小さな突破口を啓開することに
成功した。この回廊を通じて約600名の負傷兵が救護所に後送されている。

9月2日、SS第6連隊は森林を通って包囲網から脱出する。放棄された重装備の中には沼地に
はまって動きがとれなくなった3台の軽戦車が含まれている。SSノルト師団は、防御陣地を
構築し、人員の補充と部隊の再編成を始めた。
2014/07/12(土) 21:40:16.75ID:BqZX5bav
>>410
>放棄された重装備の中には沼地にはまって動きがとれなくなった3台の軽戦車が含まれている

何だろう?
U号戦車かな。
412名無し三等兵
垢版 |
2014/07/13(日) 08:31:40.49ID:p10wvVKJ
フィンランド第53連隊の軍医レオ・スクーニク少佐は、この時の負傷兵救援の功により、
ドイツ軍から鉄十字章を授与された。連隊長ウォルフ・ハルスティ少佐は語っている。
「彼は救護をしただけではない。自ら銃火をかいくぐってフィンランド兵、ドイツ兵の
区別なく自ら負傷兵を救い出したのだ。」皮肉なことにスクーニクはユダヤ人であった。

ウフツアでドイツ第163師団と共に戦うフィンランド第24連隊にも勇敢な将校がいた。
ドイツ軍のピルグリム大佐はフィンランド第24連隊のソロモン・クラス大尉の奮戦を
讃えるため、彼の陣地を訪れた。クラス大尉は、冬戦争をラーテの第64連隊で戦った
猛者である。「君はバルト方面の出身かね?」大尉の言葉の訛りに気が付いた
ピルグリムは尋ねた。「いいえ。私の父母はユダヤの言葉を話すので、その影響かも
しれません。」気まずい沈黙の後、ピルグリムは彼に右手を差し出した。「私は、
個人的にはユダヤ人に何の偏見も持っていない。大尉、君の戦いぶりは称賛に値する。」
二人は握手をした。ピルグリムは右手を上げ、ナチス式の敬礼をすると去って行った。
彼にも鉄十字章が贈られた。

2人の将校はいずれも勲章の授与を謝絶している。
2014/07/13(日) 10:54:04.68ID:zYgtCkdd
>>411
上の方のレスを遡って行けば分かるが2号
2014/07/14(月) 12:42:47.72ID:HfW8sXjA
>>411

>>158
これだね。
いかにも二線級装備だなあ。
415名無し三等兵
垢版 |
2014/07/18(金) 05:48:30.34ID:UHtGzbwi
8月の間、ラトガ・カレリアのフィンランド軍は着々と攻勢の準備を進めていた。

フィンランド・アウニュス軍戦闘序列
第6軍団:第5師団、第7師団、第17師団、ドイツ第163師団、ラガス戦闘団
第7軍団:第1師団、第4師団、第11師団

フィンランド第7師団は第6軍団と第7軍団の継ぎ目に配置され、どちらの軍団をも支援できる
態勢をとった。オロネツ・ペトロザヴォーツク街道では、フィンランド第1師団と第11師団が
待機していた。彼らはサプサン川に橋頭堡を築いている。

SSフィンランド義勇大隊帰りのラーズ・レンクィステン大尉の第1師団第8偵察大隊の機関銃
小隊に同じくSSから復帰したばかりのラウリ・トルニ中尉がいる。彼の小隊は攻撃の先鋒を
務める事になってる。SSフィンランド義勇大隊には将校の志願者が多く、彼らのポストが
余っていたという。また、一方でフィンランド軍には経験のある将校が不足していた。
一説によると、フィンランド人将校の帰国にはドイツの戦争への関与を最小限にしようと
考えるマンネルへイムの意向が関わっていたともいう。
416名無し三等兵
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2014/07/18(金) 20:28:38.11ID:P5eW/HLB
継続戦争にスウェーデンからの義勇兵が参加したのは、いつ頃だろう。
映画「Tali-Ihantala1944」にも、ちゃんとスウェーデン人義勇兵たちが登場してる。
417名無し三等兵
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2014/07/20(日) 08:13:12.65ID:kRuE9lhQ
フィンランド軍の前進に伴い、兵士達の数少ない娯楽であるラジオの受信が困難となった。
そこで軍はオロネツ・ラジオという放送局を開設した。スポーツコメンテーターのスロ・コルッカ
少尉、作家のマルッティ・ハーヴィオ、そして冬線をタイパレで戦った詩人イエーロ・ジルハン
中尉がスタッフに加わった。マンッシラ村に機材が持ち込まれ、コルッカがオープニングを務めた。
従軍牧師が祈りを捧げ、ジルハンが詩を朗読した。兵士にはとりわけ軽音楽の番組が人気となった。

9月4日、フィンランド軍の東カレリア侵攻が始まった。
418名無し三等兵
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2014/07/24(木) 20:20:05.56ID:GMA5zniK
ドイツ第234砲兵連隊は、フィンランド軍支援のため布陣している。砲兵陣地では観測担当の
兵士が温度の記録を取り、通信班は野戦電話の敷設をしていた。通話を確認すると前進観測班が
座標を連絡してきた。「アントン、試射用意。」基準砲の兵士が砲に取り付いた。2番砲兵が
白燐弾を押し込む。轟音と共に砲弾は発射された。「弾着確認。」前進観測班が座標修正値を
送ってきた。「砲撃開始。」中隊付下士官の号令の元、2万発の砲弾が撃ち込まれた。
フィンランド軍も砲兵62個中隊を集結させ、1万5千発もの事前砲撃を行った。

タルベラの第6軍団は、ソ連第7軍の南部作戦集団の防衛線を突破した。第5師団の最初の目標は
トゥーロス川であった。この作戦のためフィンランド軍はルーベン・ラガス大佐を指揮官とする
装甲部隊、ラガス戦闘団を組織した。これまで出番の無かったスヴェン・ビョークマン中佐の
戦車大隊もこれに加わっている。
2014/07/24(木) 23:18:08.20ID:9bxqiAQ4
お、ラガス戦闘団だ。
同じ頃、息子さんはドイツ武装SSでソ連進撃中。
420名無し三等兵
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2014/07/26(土) 10:28:49.59ID:gTKK48B3
早朝5時、ラガス戦闘団は河口から7km南の地点でトゥーロス川渡河を開始した。
ボートに乗り込んだ戦闘工兵部隊が先陣をきる。砲弾の炸裂する中対岸に辿り着くと、
第1陣の兵士達は散開してスオミ短機関銃を構えた。「ボートを繋いで浮橋を作れ。」
渡河点を確保すると工兵の中尉が命令した。間もなく架橋資材を積んだ第2陣の
ボートが到着した。前日に降った雨のせいであたりは泥沼と化しており、道路は
ひどい渋滞になっていた。

ラガスは部隊をポロン戦闘団、ハッキネン戦闘団、シュローウェ戦闘団、及び
ヒィンニネン戦闘団に分割した。一面の煙幕の中、仮設橋を渡った戦車大隊は
後退するソ連軍を追って進撃した。シュローウェ戦闘団は快調に進んだが、
狙撃兵の銃弾が随伴する第3戦車中隊長スネッルマン大尉の胸を貫通した。
「君が指揮を引き継げ。攻撃を続行しろ。」戦車大隊長ビョークマン中佐は、
カールナ・カリン中尉に命じた。

ソ連軍の反撃は午後1時に始まり、河岸沿いに進むフィンランド軍に包囲の
危機が迫った。緊急事態に気付いたラガスは予備の第4偵察大隊を投入した。
泥濘のため2台の戦車が落伍したが、重戦車小隊のT-28とBT戦車と共に彼らは
前進し、午後5時30分には包囲網を突破することに成功した。
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