レニングラードへの補給はほぼ途絶していた。レニングラード共産党書記ジダーノフは、
レニングラード市長ボブコフと会談を持った。「8日の空襲で穀類、砂糖が焼失しました。」
ボブコフの表情は沈痛だった。軍には多少の備蓄があったが、それとて量は限られていた。
12日には再び食糧配給が、肉体労働者には1日パン500g、その他の労働者と子供は300g、
一般の市民は250gに削減された。

この日、スターリンの命を受けたゲオルギー・ジューコフがレニングラード戦線司令部に
現れた。彼が差し出す命令書を一読すると、ヴォロシーロフは悲痛な表情になった。
「同志、すぐに引継ぎを始めよう。老いぼれが去る時が来たのだな。」