1934年の欧州チャンピオン杯で優秀な成績を挙げたBf108は、最高速÷最高速の速度範囲が大凡5。
最低速度「実測」で63km/h、最高速が300km。
固定スラットとファウラーフラップ、翼幅に対してかなりの比率(フル・スパンに近いぐらい?)で用いたんだろう。
日本にも、読売新聞社が1機輸入されているけれども。

てなわけで、主翼を切り落としたとして、離陸速度や着陸速度を低いままとする、
高揚力装置の技術は、日本でも知られていたけど、中島は採用しなかった、というのが
ホントのところだろうね。
いざとなれば、メッサーに金を支払って技術指導してもらってもいいぐらいなわけで。
(中島は、ドイツに対し、そう深いパイプがないから、三井物産なり海軍側あたりが仲介しないとダメだろうけど)

そもそも論でいえば、陸攻を迎撃する敵機を「撃ち落とす」にあたり、
手動かリモコンかはともかくとして、旋回銃がどれだけ役に立ったのか、
海軍航空本部なり、空技廠は、渡洋爆撃の生還者にどれだけリサーチかけたのか、
極めて疑問だ。
そういう意味で、「要求仕様のコンセプト」段階に、13試双発陸戦が駄作機となる原因がある、と思う。

高揚力装置を工夫して主翼面積を削るなり、揚抗比がもっと高そうな翼型を選ぶなり、
無駄な動力銃座を早期に取りやめるなり、三座から複座に変えるなり、巡航速度設定を見直すなり(燃費に関わる)、
空力と重量に関しては、月光は改善の余地がかなりある、と思う。