>>2の繰り返しになるが、イギリスの貢献は微々たるものに関わらず、ソ連の三倍ものレンドリースをアメリカから
受け取っている。しかもあれは1941年以降の統計だから、それ以前も含めたらイギリスへの援助額はさらに増える。
そしてこの統計から読み取れることは、アメリカの本音としてはソ連ではなくイギリスを勝たせたかったということだ。
米英よりもソ連が大きく勝ってしまった、この歴史的事実を受け入れないヨーロッパ人は未だに多くてウンザリする。

イギリスの対フィンランド宣戦問題(1941年) 
−英ソ同盟の最初の試金石としての−

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/16439/1/34(3-4)_p1-25.pdf

第二次世界大戦の最大の転換点は。1941年12月の「モスクワ攻防戦」。これでソ連は孤立無援で戦っても、
ナチスドイツとその傀儡枢軸撃退できることが証明された。このことにより、イギリスはフィンランドに宣戦布告した。

 しかし独ソ戦が始まった日の夜、チャーチルは次のような声明を発表し、ソ連支援の姿勢を明確にする。
「私以上に一貫した反共主義者はいないが、われわれには、ヒトラーとナチズム体制を徹底的に破滅させる
というただ1つの不変の目的しかない。われわれはできうる限りの援助をロシアとロシアの民に与えたい。
ロシアの危機は英国の危機であり、米国の危機でもある…」。ただし最初イギリスの対ソ援助は十分ではなく、
逆にソ連の対英不信を生むことになった。
 この時のイギリスの意図に関して、1998年にタジキスタンで殉職した秋野豊氏は著書「偽りの同盟」(勁草書房)の中で、
イギリスは数週間でソ連が敗北すると考えており、にもかかわらずソ連への援助を声明したのは、このことによって
ドイツへの抗戦能力を高め、ドイツの軍事力に打撃を与えるのを目的としたことを明らかにしている。秋野氏はまた、
この時のソ連の対英不信が冷戦の1つのきっかけという非常に興味深い見方をしておられる。
http://4travel.jp/travelogue/10731984