スターリンは42年8月、亡命政権も視野に入れる一方で(スターリンが亡命に言及したとき、その場に居合わせた
通訳のベレシコフは「肝をつぶすほど驚いた」と記している)、単独講和の道も模索していた。
外務次官(前駐独大使)ウラジミール・デカノーゾフにドイツとの接触を命じ、デカノーゾフはドイツ外務省経済政策局部長、
カール・シュヌーレとのストックホルムでの極秘会談に漕ぎつけた。ソ連側は独ソ不可侵条約の秘密合意で獲得した
西ベラルーシと西ウクライナをドイツに、ベッサラビアをルーマニアにそれぞれ引き渡し、ドイツ軍の燃料補給路として
ペルシア湾までの石油回廊を確保する、などの大幅譲歩案を提示した。だが、ヒトラーの回答はなかった。
(出典:スターリン秘録、スターリンとともに、チャーチル回想録)


42年のブラウ作戦のときですらスターリンは亡命と講和の道を探ってたからな。
レンドリースがないと、それより攻勢開始地点がずっと東寄りになってさらにモスクワもスターリングラードも
史実よりもかなり危険になるんだからスターリンが亡命または講話を考えたとしても
別に不思議じゃないでしょ。

やはり、レンドリースがなければソ連は1941〜42年に降伏だな