この午後のヒトラーの国会演説はとくに変わった点はなかった。 彼は一九四三年にヨーロッパに侵入する
ローズベルトの意図を明らか にした「戦争計画」を最近暴露したシカゴ・トリビューン紙に言及し、
日本と調印したばかりの協定のテキストを読み上げたが、心の奥底では本能が総統に、これから展開
する出来事を歓迎すべきではないと 警告していた。ベルリンの鉄道駅に出迎えた空軍関係者フォン・ベロー
少佐は、彼が真珠湾の長期的影響について自信がないのを知った。 リッベントロップも(のちに)、
合衆国を参戦させないための三国条約がいまや合衆国をドイツと直接対決させるに至ったので狼狽
したと告白した。だが彼もヒトラーも日本の起草した世界を作戦地域に分ける軍事協定にはなんの意義
も唱えなかった。それによると、ドイツとイタリアの作戦地域で、この線から東は、英領インドを含めて日本
の作戦区域となっていた。日本をイギリスとの厳しく長期の紛争に巻き込み、単独平和の可能性を排除
するにはこれしかない、 とドイツの指導者は判断した。

 日本のシンガポールとオーストラリア進出でイギリスはインド軍部隊とアンザック(オーストラリア・ニュージーランド)
部隊をとくに地中海から撤収せざるを得ないし、合衆国はイギリスとソ連への兵器供給を削減しなければなるまい
―こういった戦略的利益があるのに、ヒトラーがつぶやくのが聞かれた、「私は事態がこうなるのを全く望んではいなかった。
いまや彼ら」―つまりイギリス―「はシンガポールを失うだろう」と。彼がヘーヴェルにこの言葉を語ったのは、
“バルバロッサ”作戦が冬の最初の危機に陥ろうとして彼が“狼の巣”に帰還したあとだった。
「日本の援助でわれわれが極東における白人の地歩を叩き潰す―そしてイギリスがボルシェヴィキの豚どもと一緒
にヨーロッパと闘うというのは、なんと奇妙なことか」。外相は冷静に戒めた、「アメリカの補給がムルマンスクとペルシア湾
を通ってロシアに到達しないようにするのにせいぜい一年しかありません、日本はウラジオストックをなんとかしてくれるで
しょう。これがうまくいかず、合衆国の軍需潜在力とロシアの人的資源とが一緒になったら、戦争に勝つのがむつかしい
段階に入ることになります。

<デイヴィッド・アーヴィング「ヒトラーの戦争」>