ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰?

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2014/01/10(金) 15:18:02.09ID:???
 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、ソ連は第二次世界大戦
で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、それに反対の見解をとっている。
http://japanese.ruvr.ru/_print/52225119.html

実はこのルート、米英からソ連に渡った補給物資の半分以上が使ったとも 言われているそうだ。
太平洋にはドイツ海軍がいなかったので、安全だったのだろう。ナチスドイツの側からすれば、日ソ中立条約があるとはいえ、
同盟国・日本の目の前(おそらく津軽・宗谷両海峡)を最大の敵国・ソ連の戦争を支える資源や補給物資が
通過していくのだから、 さぞや悔しい話だったと思う。日本の陸軍・海軍も、目の前を行く「同盟国最大の敵」
ソ連の輸送船団をそのまま通していたのだと思うと、なんというか。
http://ameblo.jp/kimipogo/entry-11212949404.html

佐藤:ところが、日本はそれをきかずに、やはり約束は守らなくてはいけないということで、日ソ中立条約を守ったわけですよ。
あのときもし日本が攻め入っていれば、モスクワも落ちていたし、スターリングラードもレニングラードも落ちていたでしょう。
ソ連は大変な窮地に陥っていた。それを、日本は約束を守ることによって助けてやったわけですよね。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37421

Losses per theater
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater

ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰?
http://mimizun.com/log/2ch/army/1303289721/
423だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/07/04(土) 15:42:35.19ID:NtjcV6hX
>>422
>ソ連の歩兵師団は44年時点で定数の2割程度に激減してたから

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )
424だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/07/04(土) 18:47:16.71ID:NtjcV6hX
ドイツ打倒優先で対日戦はオマケだって?

ああ。そういうことなら日本としては中国のチンピラゴロツキ討伐に専念できるなwww

上記の?介石の講話は、ドイツの地位の上昇に基づいて、対独関係の改善と強化を主
張した一方で、全般においては、英米仏らに対する既定の路線の維持を再確認し、かつ
それを対独関係の前提としたのであった。こうした?介石の指示により、7 月 6 日、5
期 7 中全会は「国際情勢激変下の外交方針」として、
@日本のみを敵とし、日本以外のすべての国に対しては友好の増進と対立の減少を
根本とする。太平洋と密接な関係にある国と連合し、九カ国条約を擁護し、太平洋の情勢を安定化させる。
A欧州戦争に中立する米ソに対しては一貫した方針に基づき相互協力の強化に努力する。
B英仏に対しては固有の関係の維持に尽力する。
C独伊に対しては現存の友誼に満足せず、より積極的に国交を改善して、日本を孤立し、その陰謀を砕く。
という主旨を決議した37。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2008/forum_j2008_08.pdf

>>2
>第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳

だがもし米国が対日戦のためにノルマンディ上陸作戦を中止すれば、西ドイツもソ連圏に入ったろう。
米国としては、中国のためにヨーロッパを犠牲にすることはできない。
425だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/07/04(土) 20:56:13.31ID:NtjcV6hX
民族浄化は、闘争心に最もよく現れるが、世界の他の部分と同じようにヨーロッパで
も見られる。(ヒトラーの考えでは)ドイツ/アーリア人種の特性はボルシェビズムや民
主主義を通じたユダヤ人の侵入によって脅かされており、同様に人種的脅威にさらされ
ているイギリスとは協力できたし、そうすべきだった。ヒトラーは戦争中も依然として
イギリスに感服しており、連合王国がインドを含む世界的帝国を支配下に収めることを
可能にした人種的中核を賛美していた。そのため、特に日印関係については、「白人」つ
まりコーカサス人種であるイギリス人の支配への賛美と、「有色人種」日本との同盟の間
で振り子のように振れていた。1942 年 2 月のシンガポール陥落の後の個人的発言の記録
によれば、日本の支配を目にするよりも、戦時の敵国であるイギリスに 20 個師団を送る
方がどちらかというと好ましかったろうと述べており、これがヒトラーの態度をよく表
している。1942 年 10 月には、「この豊かな地域がイギリスのせいで白色人種から失われ
てしまった。そして、日本が許したとしても、我々の側からのすべての事業は当分制限
されるだろうし、我々の力を徐々にすり減らすことになるだろう」と嘆いている26。

ドイツと三国軍事同盟   ヨースト・デュルファー
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2010/06.pdf
2015/07/05(日) 00:43:04.85ID:14kNsYyw
ソ連の歩兵師団は43年に定数の7割、44年時点で定数の2割程度に激減してたから
このペースで減少すると戦争が少しでも長引くと致命傷 攻勢不能だよ。
2015/07/05(日) 16:59:09.10ID:kIPCPTOz
単に戦争が終わりそうだから前線主力以外の定数を減らしてただけじゃねーの
終結時500師団っていってもその全てが前線にあるわけじゃないし稼動してるともいえない
428名無し三等兵
垢版 |
2015/07/05(日) 21:43:17.87ID:gYMQF5Qj
>>427
>終結時500師団っていってもその全てが前線にあるわけじゃないし稼動してるともいえない

The break-down of German and Italian losses against American,
British, and French forces in the war in Europe follows:
      Battle dead Permanently disabled  Captured    Total
Tunisia     19,600      19,000          130,000    168,600
Sicily       5,000       2,000          7,100    14,100
Italy       86,000     15,000           357,089   458,089
Western Front 263,000   49,000       7,614,794   7,926,794
Total       373,600    85,000        8,108,983    8,567,583
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/COS-Biennial/COS-Biennial-3.html

「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
 連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。
パウル・カレル/ギュンター・ベデカー
『捕虜――誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』
429名無し三等兵
垢版 |
2015/07/05(日) 21:44:58.46ID:gYMQF5Qj
国民突撃隊(こくみんとつげきたい、独:Deutscher Volkssturm 「ドイツ市民軍」)は、第二次世界大戦末期に近い1944年9月25日
の総統命令により本土防衛に備えて、創設された軍事組織を指す。16歳から60歳の文民で構成されており、指揮官も軍人ではなく、
ナチ党の地元指導者が任命された。これにより10,180個大隊(約600万人)の新しい兵力の創設が予定されていた。
<中略>
動員された兵士(隊員)の質は一般部隊とは格段にばらつきが大きく、第一次世界大戦に参加した古参もいれば、老人、
十代前半の子供もいる寄せ集めであり、士気もお世辞にも高いとは言えなかった。
更に、大戦末期のため武器不足が深刻で、対戦車攻撃用に大量生産された使い捨てのパンツァーファウスト以外は小銃はおろか、
拳銃でさえ前大戦時の物をかき集めても全てには行き渡らず、鹵獲したものをそのまま使ったり、個人所有の猟銃までもが駆り出
される始末だった。その上、銃を支給されても弾は満足に無く、小銃一丁につき銃弾が三〇発も支給されれば良い方だったという。
当然、補給はほとんど無かった。例えば、カルカノM1891が極度の武器不足のため駐イタリアドイツ軍部隊のみならず、ドイツ本土
の当突撃隊に支給されたが、後者の場合では弾薬の供給が困難であったことが今日に至るまでその状況が伝えられている。
支給される銃にしてもVK98のような簡易戦時生産型もあった。とにかく数をそろえることを目的に生産された物なので装弾数など
基本的な仕様すら個体差が大きく、その質も安定していなかった。 また、武器とともに物資も不足していたため鉄兜等も満足に行き渡らず、
軍服に至っては私服に腕章を着けただけの物まで出るという有様だった(自前とされていたため「野戦向きの服装なら何でも良い」とされた)。
不充分な装備の老兵が目立つ国民突撃隊に対して、国防軍からは「補助予備役補」、「遅摘みのヒトラーユーゲント」、「国民の風
(Volkswind)」(Volkssturm の Sturm には嵐という意味もある)といった蔑称が付けられた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%AA%81%E6%92%83%E9%9A%8A
430名無し三等兵
垢版 |
2015/07/06(月) 02:22:33.33ID:kFWPAkma
>>440
>B-24はB-17より撃たれ弱いってだけだろ

USAAF bombers in the European War, 1942-45
Bomber Type Number of Sorties
Bomb Tonnage
US Aircraft Lost in combat
Enemy Aircraft Claimed Destroyed in Air*
B-17 291,508 640,036 4688 6659
B-24 226,775 452,508 3626 2617
B-26 129,943 169,382 911  402
B-25 63,177  84,980  380 193
A-20 39,492  31,856  265  11
A-26 11,567  18,054  67  7
Total 762,462 1,396,816 9937 9889

USAAF B-17 B-24 B-25 B-26 B-29
http://ww2guide.com/usab.shtml
431名無し三等兵
垢版 |
2015/07/06(月) 08:35:57.14ID:XiY+k2ja
>>427
もう43年の時点でソ連軍は17歳以下の兵士が
前線に出てくるくらい苦しい状態
432だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/07/08(水) 08:19:06.98ID:bzoN7qhb
The German War Economy
Study of German war production data as well as interrogation of those who were in charge of
rearmament at the time, leaves no doubt that until the defeat at Moscow German industry was
incompletely mobilized and that in fact Germany did not foresee the need for full economic mobilization.
German arms production during 1940 and 1941 was generally below that of Britain. When the full
meaning of the reverses at Moscow became apparent the German leaders called for all-out production.
The conquests of the previous years had greatly strengthened Germany's economy; with the exception
of oil and rubber, supplies of virtually all the previously scarce imported materials were or had become
accessible. Great reserves of foreign labor only awaited voluntary or forced recruitment. The industrial
plant of France, the Low Countries, Poland and Czechoslovakia had been added to that of Germany.
After the defeat at Moscow early in 1942, armament production increased rapidly. However,
such increase was more the result of improvements in industrial efficiency than of general economic
mobilization. Studies of German manpower utilization show that throughout the war a great deal of
German industry was on a single shift basis, relatively few German women (less than in the first war)
were drawn into industry and the average work week was below British standards.
http://www.anesi.com/ussbs02.htm

>Great reserves of foreign labor only awaited voluntary or forced recruitment. The industrial
>plant of France, the Low Countries, Poland and Czechoslovakia had been added to that of Germany.

第二次大戦初期のドイツ戦争経済とイタリア人労働者
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/475/475-1.pdf
ルフトハンザ、BMWなどに対し「恥ずべき過去」の表示を義務付ける背景には、ウクライナ紛争の恨みが
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/06/post-3726_1.php
2015/07/08(水) 08:37:37.11ID:bzoN7qhb
ウジエルによる最新の研究は、メッサーシュミット社とハインケル社という
第二次大戦期ドイツ航空テクノロジーの「先進性」を取り沙汰されることの
多い二社を主な分析事例として、 「技術的先進性」と「強制労働」の関係
における「ドイツ航空機産業の特徴」を強調する。彼の分析はホムゼとブドラス
の議論における弱点を補うことに一定程度成功しているが、トップメーカー
であるユンカース社の動向をほぼ無視して導き出された結論は、結果として、
その代表性の問題が未解決のままである。つまり、ナチ期労働動員政策に
おけるドイツ航空機産業の位置付けは、依然として評価が定まらない問題
なのである。ここに、メッサーシュミット社を率いたヴィリー・メッサー
シュミットの囚人動員への関与と責任を否定するM・パプストの「研究」
のような主張が現われる余地がいまだ残されているといってよい。

ナチ体制下ドイツ航空機産業における「労働動員」
―ユンカース航空機・発動機製作所を中心に―
http://dogenken.web.fc2.com/gesch6/gesch6_17-38.pdf
434だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/07/08(水) 08:40:14.46ID:bzoN7qhb
さらにいっそう破滅的なことに、ドイツは膨大な資源を、技術的な優秀さはともかく、ほとんど効果のない
V-2 の計画に投入していた46。米国戦略爆撃調査団の見積りによると、V-2 計画の費用は 24,000 機の
戦闘機の生産分に等しいと言われ、ドイツにはなけなしの資源の転用であった47。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2005/forum_j2005_05.pdf
435だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/07/08(水) 08:47:54.12ID:bzoN7qhb
>V-2 計画の費用は 24,000 機の戦闘機の生産分に等しいと言われ

The V-2 rocket had an equally poor accuracy and failure rate. It was a notably complex and
very expensive liquid-fueled rocket; 6,000 were produced although only 3,000 were
successfully launched. It was the most expensive weapon produced by the Germans.
(The 6,000 V-2s equaled the cost of 48,000 tanks.) Given its high failure rate and
poor accuracy, its military utility was negligible, and yet it was one of the most fabled
“weapons” of World War II, touted by defense analysts for decades.
The U.S. Strategic Bomber Survey, discussed below, estimated that the V-2 cost
Germany’s aircraft production capacity the equivalent of 24,000 fighters. Assume that
instead of the V-2, the Germans procured 24,000 additional Stukas.
http://pogoarchives.org/labyrinth/11/03.pdf
436名無し三等兵
垢版 |
2015/07/11(土) 18:44:27.87ID:2ENcLUtZ
ドイツはバトルオブブリテンに負けた。
イギリスのランカスターにドイツがボコボコにされたお蔭で勝てた。
2015/07/11(土) 23:22:54.40ID:05SnTMLR
英国はブリテン本国の軍人戦死者を18万人で抑えたから人的資源の面では上手くやったよ
植民地や属国を含めると戦死者は倍になるけどね。
438名無し三等兵
垢版 |
2015/07/13(月) 12:16:32.65ID:XHzx0kbB
ドイツはイギリスの爆撃で60万人死亡
2015/07/13(月) 18:10:18.28ID:yhW/RLb6
反日テロ犯罪者 通名在日暴力ヤクザ 通報祭り開催中!

乗るしかない このビッグウェーブに

http://kt-yh6494.blog.so-net.ne.jp/
http://tonzlerslist.blog.fc2.com/
2015/07/14(火) 19:57:54.07ID:jciIXH0D
米国からきた航空機燃料は青色だった

当時の米軍規格だと青色は91オクタン、ドイツ基準で94オクタンくらい
まあドイツのC3並みだから高品質といえるのかも知れんが
2015/07/17(金) 11:51:51.41ID:qX3YP2jI
まぁ独ソ戦開戦当時の工業力比は
アメリカ対日本の工業力が13対1
ソ連対ドイツの工業力は1.5対1
アメリカ対ドイツなら3対1

ドイツって超技術力の少数精鋭ってイメージがあるけど世界有数の工業力を持ってたんやで
2015/07/17(金) 11:54:21.02ID:qX3YP2jI
もちろんソ連のほうが工業力は高かったけど
ドイツは1.5対1程度なら十分に挽回できる戦果を上げていたはずだ
そう、アメリカさえでしゃばってこなければ
443名無し三等兵
垢版 |
2015/07/17(金) 12:07:26.18ID:qKTeYa80
>>442
>ドイツは1.5対1程度なら十分に挽回できる戦果を上げていたはずだ

日本軍の中国人虐殺3500万人のほうが凄いなw

 興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。
抗日戦争の中で中国側は3500万余人、興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。
全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。
興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、人圏の中の住民が疫病、
凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は
16万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。
6万人くらいが殺されたことになります。

興隆県における日本軍無人区政策の実態
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html
2015/07/17(金) 12:27:29.49ID:xultxykd
ドイツ軍だったら、中国人なんて一人残らず虐殺してたろw
2015/07/18(土) 14:37:20.25ID:xpu4lBEt
>もちろんソ連のほうが工業力は高かったけど

大嘘
44年度艦艇生産数 
ドイツ Uボートだけで約300隻
ソ連   ぜんぶで4隻w
446だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/07/18(土) 15:24:15.47ID:2RRaQz+V
>>445
>44年度艦艇生産数 
>ドイツ Uボートだけで約300隻
>ソ連   ぜんぶで4隻w

ソ連潜水艦は、ファシスト33000万を海没させる大戦果を挙げているが?

ヴィルヘルム・グストロフが投入された避難民輸送では、2月10日に客船シュトイベンがまたもS-13に撃沈され、
4月16日に客船ゴヤもそれぞれソ連潜水艦の雷撃を受けて沈没し、難民などに大勢の犠牲者(シュトイベンでは4,500名、
ゴヤでは6,666名)を出している。1945年4月はじめまでに、ドイツ海軍は東プロイセンからドイツ西部への250万人
の軍民を避難させることに成功したが、その過程で33,000人の難民や軍人が亡くなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95_(%E5%AE%A2%E8%88%B9)
2015/07/18(土) 17:58:07.19ID:tDgHQr4w
同盟国を合わせるとドイツとソ連の戦死者数はあんまかわらんのだよね。

日系アーリア君は同盟国はお荷物だったというけど本当にそうだったのかな。
448だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/07/18(土) 19:56:50.29ID:2RRaQz+V
>>445
>44年度艦艇生産数 
>ドイツ Uボートだけで約300隻
>ソ連   ぜんぶで4隻w

ドイツは、ファシズムからの国の解放で赤軍が決定的な役割を演じたことを覚えている。
ドイツのメルケル首相が、ロシアのプーチン大統領との会談後に述べた。タス通信が伝えた。
メルケル首相は、「ドイツは開戦の責任を負っている。これは私たちの歴史的責任だ。
私たちは、赤軍がドイツ解放で決定的な役割を演じたことを常に思い出すでしょう」と語った。
http://jp.sputniknews.com/russia/20150511/319933.html

ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の
代表者達だったが、そればかりではない。それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さ
なくてはならな い。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという事実でさえも、
そうした気 持ちに影響を与えるべきではない。
一部の観測筋は疑っているようだが、私には、ロシアにもロシア人に対しても問題はない。 」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/news/2014_12_25/281700424/

             あ  り  が  と  う  ソ  連  邦  !
2015/07/19(日) 01:03:58.84ID:nb4DWdcV
>>445何で艦艇生産数=工業力となるのか

って突っ込んで欲しいんだろ?
相手にしないほうがいいぞ
450名無し三等兵
垢版 |
2015/07/19(日) 02:16:30.13ID:YVgQ0Axn
>>449
戦前のソ連海軍は無いに等しい、というか「海戦」と呼べる作戦は、ただの一度も無かった。
2015/07/19(日) 09:57:20.05ID:pqrRpxZY
>>442
>ドイツは1.5対1程度なら十分に挽回できる戦果を上げていたはずだ

ドイツ&枢軸側がソ連に勝ってた頃は枢軸側のが戦力多かった。
ソ連側の戦力が枢軸側を上回りだすと枢軸側はほとんど勝ててない。
結局投入した兵力や火力次第なのかなと思っちゃうよ。
質的に極端な差があれば数的劣勢もなんとかなるかも知れんが独ソは共に強かったからな。
2015/07/19(日) 20:57:31.55ID:se24NtrV
「戦いは数だよ」という奴か
453名無し三等兵
垢版 |
2015/07/19(日) 21:27:26.60ID:GPsBpEBo
>>452
でも日本軍は中国人を3500万人虐殺したけどなw
2015/07/19(日) 22:59:33.51ID:IVLQsPzQ
ランカスターにドイツの都市が焦土にされたから勝てた。
2015/07/20(月) 22:08:44.89ID:6mhAE/uC
艦艇生産数=工業力 は概ね正しい認識じゃん。
膨大な予算と人手と施設が必要だし
ソ連とか論外
456名無し三等兵
垢版 |
2015/07/20(月) 23:33:09.49ID:cvu3n30i
>>455
>艦艇生産数=工業力 は概ね正しい認識じゃん。

ソ連は最低か?
2015/07/21(火) 00:15:35.07ID:aH+pvO0I
1939年の時点で、ソ連のGNPは、日本の倍以上ある。
艦艇の生産数なんて、その国が海洋国か内陸国という国情が反映しているだけで、
それだけで工業力の指針などになるわけがない。
458名無し三等兵
垢版 |
2015/07/21(火) 01:13:21.61ID:2VIwYY0J
>>457
>1939年の時点で、ソ連のGNPは、日本の倍以上ある。

中華民国は?
2015/07/21(火) 20:37:40.51ID:L+jAbaQE
これが本当のアスペってやつか
相手にしないほうがいいぞこっちが疲れるだけだ
2015/07/21(火) 21:42:02.81ID:3I6YAeRK
1939年の時点なら潜在的な工業力の指標はソ連よりドイツが上だよ(歴史群像のソ連赤軍本による
てかソ連のGDPなんてそもそも信用できる数字じゃないだろw
2015/07/21(火) 21:50:59.27ID:GI4Ts4ey
ドイツは西ヨーロッパ全部と東ヨーロッパの少なくない部分を占領するか衛星国化してたんだからキツいでしょ赤軍大粛清後のソ連単独ではキツいでしょ
2015/07/21(火) 21:52:33.78ID:GI4Ts4ey
>>461
&#9898;&#65038;西ヨーロッパのほとんど
×西ヨーロッパの全て
463名無し三等兵
垢版 |
2015/07/21(火) 23:23:54.15ID:MQfZ5XR3
44年度艦艇生産
日本 艦隊空母5隻 海防艦百隻ほか多数
ソ連 全部で4隻w
2015/07/21(火) 23:32:23.52ID:GI4Ts4ey
>>463
だから何?
2015/07/22(水) 01:14:37.40ID:idZiOY4o
>>464
相手すんな、スルーが一番いいんだぞ
466名無し三等兵
垢版 |
2015/07/22(水) 11:32:32.14ID:8IcVvX5q
ソ連のGDPのハッタリ数字を真に受けてる無能w
2015/07/25(土) 00:01:56.42ID:SN3xqrpr
ドイツの支配領域や同盟国合わせればソビエトと欧州枢軸はGNPも人口も差はほとんど無い。
468だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/08/01(土) 02:58:00.63ID:1Rk+wzHr
欧米では、VEデイの5月8日よりも、Dデイの6月6日が大きく取り上げられる。

(CNN) オバマ米大統領は6日、ノルマンディー上陸作戦70周年を記念して行われた式典で演説した。
70年前、自由を守るために「危険を顧みず」ノルマンディーの海岸に上陸した米軍人らに敬意を表した。
当時、多くの兵士が上陸したオマハ・ビーチとイギリス海峡を見渡す崖の上にある米軍戦没者墓地で
開かれた式典に出席したオバマ大統領は、「ノルマンディー上陸作戦で危険を顧みずに戦った退役軍人
の皆さんにこの場で感謝の意を述べられることを光栄に思う」と述べた。
そして、「われわれは勝利を誇りに思っているが、単に勝利を祝うだけでない。また犠牲になった兵士たちに
世界が感謝しているが、その犠牲に敬意を表するだけでもない。われわれは最大の危機に直面している今、
なぜ米国と同盟国が自由の存続のために大きな犠牲を払ったのかを改めて思い出している」と語った。

米大統領、ノルマンディー上陸作戦70周年記念式典で演説
http://www.cnn.co.jp/world/35049072.html
469だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/08/01(土) 03:23:53.53ID:1Rk+wzHr
>ソ連がドイツ国防軍を倒した中心国で

イギリスは1941年冬のモスクワ戦で赤軍がドイツ軍を撃退すると、「敵の敵」フィンランドに戦線布告した。
また1943年初頭になって、スターリングラードで赤軍が勝利すると、米英はそれに呼応する形で、
「ドイツの無条件降伏」を打ち出す。1943年夏のクルスクで赤軍が勝つと、米英はシチリア島に上陸した。
そして赤軍がウクライナのキエフを奪回すると、米英はテヘラン会談でノルマンディ上陸作戦を決めた。
つまりヨーロッパの戦いは、独ソ戦の趨勢がどうなるかによって、米英の戦略が決まったのである。
何度も言うが西部戦線なんてのは独ソ戦と比べれば余興のつけたしに過ぎないのであって、
あの米軍ご自慢のノルマンディ上陸作戦(Dデイ)でさえも、ソ連の対独戦勝が前提になっていたのだ。

>1941年、独ソが互いを全滅させているのを見て、ハリー・トゥルーマン元米国大統領の幸福だとする批評はよく覚えていた。

そもそも米国はソ連がドイツに負けそうだった1941年秋ごろまでは、ドイツと戦争する意思は無かった。
ソ連がモスクワ防衛を完遂し、スターリングラードを奪回し、クルスク戦以降は連戦連勝快進撃、
米国としてはソ連ごときにヨーロッパを渡してなるものかと、ノルマンディ上陸作戦を発動することになった。

              あ  り  が  と  う  ソ  連  邦  !
470だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/08/01(土) 03:31:48.10ID:1Rk+wzHr
米国はなぜ、ナチスドイツと戦争をしたのか。

それは決して自由と民主主義を守るためではない。そもそも自由と民主主義ということなら、
ソ連の東欧支配を許すべきではなかったはずだ。

>第2戦線が1944年中頃に最終的にノルマンディーに到着した時、ソ連軍はベルリンへと進撃中だった。
>ソ連軍が既に東欧に進撃していなかったら、ノルマンディーさえ起らなかったと信じる者もいる。

ソ連がナチスドイツを撃破して快進撃を続ける中で、米国はおいしいところを取りたかったがためだ。
ナチスに虐められる弱小なイギリスを助けに行こうなんて理由では、戦う気にならない。
こうして米国は戦後から現在にかけて、イギリスフランスドイツイタリアに米軍基地を置くことに成功した。

もし日本軍の大陸打通作戦を阻止しようとしてノルマンディ上陸作戦をさらに延期なんかしたら、
西ドイツもソ連圏に入っていたに違いないのだwww
471名無し三等兵
垢版 |
2015/08/02(日) 02:54:23.38ID:2BPTc7lU
>>468
>また犠牲になった兵士たちに世界が感謝しているが、

自画自賛というか、米国がヨーロッパを支配する口実にしてるように思える。
2015/08/03(月) 18:52:09.26ID:gqbYnnOy
まあ昔の総生産の数字は人口が多い国が多めに出る傾向があるから、
昔の統計ならソ連>ドイツでも不思議じゃないわ。まあ人口は国力に影響大だし。
473だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/08/10(月) 10:51:40.79ID:5r/aAVG0
西部戦線でさえ、ヨーロッパは米国抜きではどうすることもできなかった。アイゼンハワーのオーバーロード作戦は成功したが、
モントゴメリーのマーケットガーデン作戦は失敗だった。このように、イギリスの貢献は米国の足元にも及ばなかった。

>>468
>また犠牲になった兵士たちに世界が感謝しているが、

第二次世界大戦の話を持ち出されると、ヨーロッパは米国にもロシアにも頭が上がらない。
474名無し三等兵
垢版 |
2015/08/13(木) 02:48:03.28ID:Roc+jPc0
イギリスがダンケルク撤退しフランスが降参して、西側第二戦線は1944年6月6日まで無かった。
この間にソ連赤軍が成し遂げた貢献と役割を考えれば、ヨーロッパ人は肩身が狭い。
2015/08/13(木) 18:21:16.41ID:LfmQ+LYP
確実に言えるのは英国がソ連に送った大量の戦闘機や戦車を北アフリカに送ってれば、
英8軍はロンメルに苦戦することなくもっと楽に勝てたということ。
2015/08/13(木) 23:47:53.94ID:ohjhDdLe
>>474
すでにその一年前のクルスク戦のときから
対ソ戦線には独軍戦闘機隊のわずか25%程度しか投入されてなかったわけだが。
残りは精鋭部隊のほとんどがアメリカ軍四発重爆との戦いにつぎこまれていた
477名無し三等兵
垢版 |
2015/08/14(金) 01:32:54.31ID:iXryjQzQ
>>476
>対ソ戦線には独軍戦闘機隊のわずか25%程度しか投入されてなかったわけだが。

もしもドイツ空軍が本当に西高東低型の対応を取っていたのであれば、彼らはソ連軍をなめており、
その代償を支払わされたと言うしかない話だ。結局のところ、ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入
されたことで終わったのだから…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/nastuplenie2.0.html

こうなると敵を恐れる必要はなく、私らは自ら戦いを求め、これでもか!とばかりに喰らわせてやったのさ。
クルスク・ベルゴロド作戦以降は怖いものなしの状態だった。皆すでに勝利を確信し、搭乗員たちの士気
は非常に高かった。出撃する度ごとに戦果を挙げられたよ。空中戦では負け知らずだった。逆にドイツ軍の方も、
モスクワの頃とは、それどころかスターリングラードの頃とも違っていた。我々と遭遇するや否やすぐに
逃げてしまい、戦いを挑んでくる気配がない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/gorelov6.html
478名無し三等兵
垢版 |
2015/08/14(金) 01:36:40.12ID:iXryjQzQ
>>475
>確実に言えるのは英国がソ連に送った大量の戦闘機や戦車を北アフリカに送ってれば、

サフォーノフは2機を落とし、3機目に襲いかかったのですが、そこで雲の中から出てきたメッサーシュミット
の攻撃を受け、海へと落下したのです。友軍機はヴァエンガに駐留していました。ただ、飛行機と言っても
実情はどうでしょう?30機か40機がいただけです。その後になって、イギリスからハリケーンが供与される
ようになりました。けれども、本当に馬鹿みたいな飛行機だったよ!どうしてか分かるかね?ドイツのメッサー
シュミットBf109は、簡単にハリケーンを落としてしまったんだから。イギリス人は黄金と引き換えにハリケーン
を送ってきたのです。私たちは、イギリスで作られている他の飛行機を供与してもらうべく交渉を始めました。
しかし、チャーチルは結局それを断ったんですね。一方、ルーズベルトは私たちに「コブラ」を送ってくれました。
いい飛行機だったけれども、ベアリングの調子が今ひとつ思わしくなかった。私たちはこれを伝え、
アメリカ人も改修を施したので、それから我が国に供与されるようになりました。後に、ポクルィシキンも
コジェドゥープもこの機体でメッサーシュミットを落としたのです。エアラコブラというのは、あれは本当に
いい飛行機でしたよ。ルーズベルトはきちんとした人だった。アメリカ人の中でも、ハリマンとホプキンスは
とりわけよく私たちを助けてくれました。彼らは[ソ連に]やって来て、ロシアを支援すべきだと報告したわけです。
それで、ルーズベルトは支援を行った。たくさんの飛行機、戦車もたくさん送られてきました。一方のチャーチルは、
自分がいらないものをみんな送りつけてきただけです。私たちは80トン近い金を引き渡しました。けれどもこれ
らの金は、船で運ぶ途中にほとんどみな沈んでしまったのです。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda74.4.html
2015/08/14(金) 07:07:00.76ID:WKLU6QI8
欧州枢軸国連合の総国力とソ連が同等とすると
レンドリースと戦略爆撃が無ければソ連の勝利はあり得ないということになるわな
2015/08/14(金) 11:59:23.29ID:gISvfblL
レンドリースと戦略爆撃、どちらか片方でも無ければソ連の勝利なんて有り得ないよ。
歩兵戦力が消耗しきって終わり。実際に史実でも定数の2割以下とかになってたし

>>477
総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24
481名無し三等兵
垢版 |
2015/08/14(金) 12:16:14.10ID:Q/ioiKnq
>>480
>総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
>戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24

ドイツは、ファシズムからの国の解放で赤軍が決定的な役割を演じたことを覚えている。
ドイツのメルケル首相が、ロシアのプーチン大統領との会談後に述べた。タス通信が伝えた。
メルケル首相は、「ドイツは開戦の責任を負っている。これは私たちの歴史的責任だ。
私たちは、赤軍がドイツ解放で決定的な役割を演じたことを常に思い出すでしょう」と語った。
http://jp.sputniknews.com/russia/20150511/319933.html

ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の
代表者達だったが、そればかりではない。それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さ
なくてはならな い。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという事実でさえも、
そうした気 持ちに影響を与えるべきではない。
一部の観測筋は疑っているようだが、私には、ロシアにもロシア人に対しても問題はない。 」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/news/2014_12_25/281700424/

             あ  り  が  と  う  ソ  連  邦  !
2015/08/14(金) 23:03:37.30ID:gISvfblL
そりゃロシア大統領との会談時ならそう言うだろうさw
483名無し三等兵
垢版 |
2015/08/15(土) 02:01:32.06ID:fkxI2cgV
>>482
史実と違うつーなら、なぜ反論しなかった?
2015/08/15(土) 10:16:58.21ID:ENN6wjS8
そんな場で反論しても益がないから。
アベだって慰安婦強制連行はなかったなんて言わなかったじゃん
485名無し三等兵
垢版 |
2015/08/15(土) 11:32:09.11ID:7m7lGBe8
>>484
要するに安倍が米国に頭が上がらないのと同じく、ドイツもロシアに頭が上がらないってことだよなw
2015/08/15(土) 16:33:43.13ID:ENN6wjS8
なんでそんなアホ結論になるんだよ馬鹿w
487名無し三等兵
垢版 |
2015/08/15(土) 16:58:16.66ID:7m7lGBe8
>>486
>なんでそんなアホ結論になるんだよ馬鹿w

何故か旧西ベルリン側にあるソ連対独戦戦勝記念碑。左上はソ連兵士、右手前は独ソ戦
で戦勝に寄与した(最初にベルリンに入ったとも言われる?)T-34戦車の実物です(下写真とも)。
ベルリン市民には好かれていないそうですが、ロシアを意識して撤去もできないそうです。
http://homepage3.nifty.com/tompei/Ph-Berlin.htm
488名無し三等兵
垢版 |
2015/08/15(土) 17:01:20.05ID:7m7lGBe8
>>480
>総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
>戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24

 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
 とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。
<児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁>

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )
2015/08/15(土) 18:29:19.73ID:ENN6wjS8
例によってなんの反論にもなってないよなぁw
他スレでも言われてるだろ「だつおの駄文は反論になってない」って
490名無し三等兵
垢版 |
2015/08/15(土) 21:37:59.59ID:Gu7Yxge3
>>484
>そんな場で反論しても益がないから。

反論の余地の無い真実だからでは?
491名無し三等兵
垢版 |
2015/08/15(土) 21:40:05.27ID:E9Hf2ix7
>>480
>総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
>戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24

南京に翻る日章旗とベルリンに翻る赤旗。
これが中国抗日戦争とソビエト大祖国戦争の終結の紛れも無い実体。
492名無し三等兵
垢版 |
2015/08/15(土) 21:43:47.19ID:E9Hf2ix7
まず海軍ですが、ナチスのUボートや高性能な攻撃機や誘導爆弾がさも米海軍に大損害を与えたようなイメージがありますが、
それは大きな間違いで、ドイツ軍が第二次世界大戦中沈めた米海軍の軽巡洋艦以上の艦船は、護衛空母ブロックアイランドたった1隻、
駆逐艦にしても10隻程度に過ぎません。ドイツ海軍は通商破壊戦に特化した海軍であり、その象徴ともいえるUボートが大戦初期は、
旧式の英軍艦や丸腰の輸送艦相手に大暴れしました。
しかし、大戦中盤になると米軍や米軍の供与した護衛空母隊と対潜哨戒機隊と駆逐艦にいいようにカモられ1000隻以上も製造した
のにその832隻を撃沈されるという一方的虐殺を食らうことになります。
ドイツ軍の主な相手だった英海軍がいかに旧式で、日米海軍と比較にならないかは、ドイツ軍が歯が立たなかった新鋭戦艦
キングジョージ5世級のプリンスオブウェールズを、日本海軍がほぼ損失なしで撃沈してること、ドイツ軍がよってたかって一隻
も沈められなかった英海軍の重巡も日本軍はほぼ完封勝利で4隻も沈めてることを見れば明らかでしょう。Uボートやドイツ海軍
やドイツ空軍の対艦攻撃は旧式の英海軍相手だから通用したにすぎないのです。
それに対し日本海軍は米海軍に壊滅させられることになりますが、日本海軍も空母10隻撃沈(護衛空母も含む)やドイツ軍が
損傷すら殆ど与えてない重・軽巡洋艦も10隻撃沈しています。
駆逐艦に至っては、海戦・潜水艦・航空攻撃特攻による撃沈艦・スクラップ艦を合わせれば70隻以上損失させてるのですから、
米海軍にとってどちらが主戦場だったか常識的に考えれば判ることでしょう。
特に沖縄戦では、米海軍は日本軍の特攻攻撃に徹底的に苦戦し36隻沈没368隻撃破(内多数の廃艦あり)の史上空前の
損失を食らって、ニミッツら海軍首脳は一時期真面目に沖縄からの海軍の一時撤収も検討し、沖縄攻略の海軍司令だった
スプルアンスは海軍のあまりの損害に精神的におかしくなり司令を更迭されたのですから、ドイツ軍より遥かに米軍を追い詰めたと言えるでしょう。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10128100820
493名無し三等兵
垢版 |
2015/08/15(土) 21:50:47.23ID:Tki+bE7j
>>480
>総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
>戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24

ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
2015/08/15(土) 21:54:21.34ID:K8FoEjtX
なんでや
日本軍関係ないやろ
495名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 02:07:18.14ID:t6dEBjth
>>480
>総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
>戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24

1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。
28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。
イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。
これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。
1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、
バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。
確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。
Unknown Warは、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツはロシア戦線に敗北したことを全く疑いが
ないほど明らかに示していたので、アメリカ人にとって驚きだった。エピソード20編中、
“連合国”つまり英米と自由フランスが特集されているのは唯一第17編のみ。20編中の1編というのが、
ナチス・ドイツ打倒に対する欧米参戦貢献のほぼ正確な比率だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/the-unknown-war.html
2015/08/16(日) 09:26:24.42ID:2u2n9HP1
例によってなんの反論にもなってないのが笑えるよなぁw
他スレでも言われてるだろ「だつおの駄文は反論になってない」って
2015/08/16(日) 09:40:56.64ID:2u2n9HP1
対独戦に展開された兵員
米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む)

39-45年 航空機生産
米国324750(大半が高性能機、四発重爆多数)
英国131549
ソ連157261(低性能、木製機多数)

独軍の戦闘機隊戦力(1943年以降)
対連合軍の戦線76%
対ソ戦線24%
2015/08/16(日) 10:16:55.70ID:2u2n9HP1
レンドリース供与が実際にソ連の戦争遂行を支える上で最大の貢献をしたのは、「後方活動」の分野においでだった。
●トラック40 万台……主にアメリカ製(一部はカナダ製)の貨物トラックが大量に供与されたおかげで、戦争中期以降、
ソ連軍は兵姑能力を大幅に改善させるとともに、戦争後期においては部隊の機動性を大いに発揮させて戦車部隊を先頭に
快進撃を敢行することができるようになった。また、戦前からあった自動車工業を戦車その他の第一線兵器の開発・生産努力に
振り向けることが可能になった(主に自走砲生産)。
●高オクタン価ガソリン……航空機燃料の多くをアメリカからの供与でまかなうことができた。
●鉄道車輛多数と50 万t以上の軌道……戦前期からネックだったソ連の鉄道輸送を改善するとともに、戦争後半期には鉄道建設隊の
創設とあわせて奪回した地方に急速に鉄道輸送路を構築して、快進撃を行うソ連軍の補給路を確保することができた。
●缶詰、保存食料…… すべて軍用にまわされたアメリカ製缶詰や乾燥野菜、チョコレートなどの菓子類は、いついかなる時もソ連軍将兵1名あたり
1日lkg以上の食料補給を可能にした。アメリカ製の「ポーク・ビーンズ」缶などは戦争後期のソ連兵たちの貴重な蛋白質補給源となり、
「デドショーンカ・フタロイ・フロント(“第2 戦線” 缶詰)と呼ばれた。
● 服地、軍服類……最大時で1,100 万人を超えたソ連軍の被服補給のため、最初は服地で、後には完成品でアメリカやカナダから軍服が供給され、
本国製よりも良質な軍服を大戦後期のソ連兵たちは着ることができた。
● 各種工業機械や資金提供…… 軍需工業の大規模の東方疎開にともなう工場再建や、戦争後期における奪回地方の産業再建を急速にすすめる助けとなった。

以上のようにレンドリース供与は、戦争遂行にかかわるあらゆる分野の援助を
含めており、供与された武器数だけで推し量ることのできないくらいの意義があ
った。
2015/08/16(日) 10:20:30.26ID:2u2n9HP1
欧州の解放に最も重要な役割を果たしたのは米国だと考える人の数は非常に多く、
フランスでは61%、ドイツでは 52%に達した。英国では、この数は16% と低いが、
その代り46%が、英国軍の役割を一番に評価している。
2015/08/16(日) 10:33:30.50ID:RAJuM+Eh
>>497
対日戦は、米軍50万、英軍20万だったっけ?

>>499
イギリスの役割は過小評価されてると思う。
エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。
ドイツ本国の空爆で独ソ戦のドイツの補給はクルスクはじめしばしば遅れたし。
501名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 19:05:18.59ID:bVqoNINC
>>500
>エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。

[日本軍損害]
空母機20喪失
[イギリス軍損害]
沈没
空母「ハーミス」
重巡「コーンウォール」
重巡「ドーセットシャー」
駆逐艦「テネドス」
仮装巡洋艦「ヘクター」
基地航空機等50機喪失
<セイロン沖海戦参加兵力・損害  Battle of Cylon Island 1942年4月5〜9日>
502名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 19:07:47.54ID:bVqoNINC
>>500
>対日戦は、米軍50万、

沖縄シュガーローフの戦い
著者:ジェームス・H・ハラス、出版社:光人社
 沖縄戦初日のアメリカ軍の上陸日はL(ラブ)デイと名づけられ、1945年4月1日。日本軍の反撃は
まったくなく、予定より早く目的地に到着していった。
 アイスバーグと名づけられた沖縄進攻作戦は、54万8000人の将兵と1500隻の艦船を動員する計算だった。
攻撃実施初日の兵力18万2000人というのは、1年前のノルマンディー上陸作戦のDデイを7万5000人も上まわっている。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/05/post_1440.html
503名無し三等兵
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2015/08/16(日) 19:14:28.47ID:n3lqvlxH
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)

1. ポーランド問題
ヤルタ会談の半分以上の日程はポーランド問題に費やされた。
第二次世界大戦中、ポーランドは西からドイツ、東からソ連にそれぞれ侵略され、この両国に東と西を
分割占領されていた。その後ドイツはソ連占領地域の東ポーランドに侵入してポーランド全域を占領したが、
アメリカの支援を受けたソ連が再び東半分をドイツから奪還し、親ソ連のポーランド国民解放委員会を樹立した。
引き続いてソ連は西ポーランド(ドイツ占領地域)へ侵入し、首都ワルシャワに迫り、モスクワ放送で、
ポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた(ワルシャワ蜂起)。ポーランドのレジスタンスはソ連の支援
を信じたのだがソ連は裏切って助けなかった。ソ連の裏切りを知ったヒトラーは、ワルシャワの徹底的破壊を指示し、
レジスタンスは壊滅、ワルシャワ市内の8割の建物が破壊され、15万人以上の死者を出したといわれる。
アメリカとイギリスは、ソ連にポーランドのレジスタンスへの支援を要請したがスターリンは無視した。当時、
ロンドンにポーランドから亡命していた指導者たちで作るポーランド亡命政権が存在しており、イギリスはその
政権をポーランドの正式な政権として承認していた。カティンの森事件が発覚し、ポーランド亡命政権とソ連
は関係を断絶した。ソ連は各国に、ポーランドの正式な政権は、ロンドンの亡命政権ではなく、ルブリン共産党政権
だと認めさせるために、ルブリン共産党政権に、ポーランドの実質的な統治をさせたいと考え、そのために邪魔
となる恐れがあったレジスタンスのポーランド国内軍をナチスドイツに壊滅させたのだ。
イギリスとソ連は、ロンドンの亡命政権とルブリン共産党政権のどちらが正式なポーランド政府かを巡って対立した。
結局、アメリカの仲介で、総選挙により国民自身で政権を選ぶことになった。ところが、スターリンは戻ってきた
ロンドン亡命政権の指導者を逮捕し裁判にかけてしまい、ポーランドはルブリン共産党政権によって統治
される社会主義国となってしまった。アメリカの大失敗だった。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1945_yaruta_kaidan.html
504名無し三等兵
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2015/08/16(日) 19:18:22.57ID:2durF+bj
>>492
イギリス海軍が旧式だからドイツ海軍が戦果を出せた…って自分の無知を表明してるようなもんだなw
この強力なイギリス海軍は1945年5月8日にドイツとの戦争が終わるや否や沖縄に殺到、
イギリス海軍の参加によって神風特攻隊は徹底的に殲滅された。
またマレー沖やセイロン沖の敗戦は共通して上空援護が無かった事に起因するもので、
それだけでドイツ海軍がイギリス海軍に与えた被害の大きさの原因をイギリス海軍の旧式化に帰結するのは視野が狭すぎ。
当時はドイツ戦艦ビスマルクが世界一で、撃沈されたのは専ら上空掩護が無かったから。
そもそもドイツ海軍のUボートやSボートは「通商破壊」が主任務なんだから大型艦の撃沈数で比べるのもおかしいw
つまりソ連へのレンドリースも、大西洋や地中海の英独の熾烈な「通商破壊」が背景にあった。
もしドイツとイギリスが和平してたら、ソ連へのレンドリースは100%絶たれてしまい、ソ連は壊滅してた。
というかドイツ海軍最大の敵のイギリスとの対戦成績じゃなくアメリカとの対戦成績で
日本とドイツを単純に比較してるのが笑えるw
だから所詮知恵袋の日本海軍マンセーお花畑野郎の妄想にすぎないってことさw
505名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 19:24:29.19ID:0FcDASoi
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
>ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む)

イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領が
もたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、イエナをいち早く占領してしまった。しかし、
ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、実際の現場のドサクサ紛れ
の占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254

英国のウィンストン・チャーチル首相は、日本を降伏させたのは、米国の原子爆弾ではなく、
ソ連の参戦であったと指摘したことがあった。ロシアなら小学生でも知っているこの見方は、
欧米諸国では忘れ去られている。「核兵器に関する5つの神話」の著者である英国の歴史家
ウォード・ウィルソンが論文のなかで、「米国が4年かけて出来なかったことを、
スターリンは4日間でやってのけた。」と書いたとき、
http://japanese.ruvr.ru/2013_08_06/119189023/
506名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 19:55:53.63ID:+EXV6bCO
>>500
>エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。

ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってのは日本やドイツよりも優れていたのか?

         LOSS BY ENEMY
ROYAL NAVY
Warship types   German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total
Capital ships       3    -      2     -    -      -     5
Carriers          8    -      1     -    1      -    10
Cruisers         20    6     5     -     3     -     34
Destroyers       114   15     8     1(b)   15     -    153
Submarines (c)     24    37     4      -     6      5     76
TOTALS        169    58     20     1    25     5     278

http://www.naval-history.net/WW2CampaignRoyalNavy.htm
507名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 19:58:14.32ID:+EXV6bCO
>>500
>ドイツ本国の空爆で独ソ戦のドイツの補給はクルスクはじめしばしば遅れたし。

 こうした理由から、上陸地点はノルマンディに決定された。次いで検討されたのが上陸部隊の規模である。
これは上陸当日に利用できる上陸用舟艇の数に左右される。
 この、第二次大戦が生んだ新奇な船は、連合軍の全ての作戦に必要とされていた。特にノルマンディ作戦
と競合してこの種の船を必要としていたのが、日本と戦う太平洋戦線である。とにかくここでは上陸作戦を
やらないと何も始まらないから、とにかく割り当てを増やしてほしいという要請が絶えず出されていた。
舟艇を管理するのは海軍であり、アメリカ海軍にとって戦争とはすなわち太平洋戦争のことであったから、
アメリカ海軍はノルマンディ作戦に舟艇を割くのを渋り続けた。この調整には、最終的には陸軍参謀総長
マーシャル将軍と海軍作戦本部長キング提督のトップ交渉が必要だった。こうやって決定された割り当てにより、
上陸部隊を5個師団とすることが可能となった。
http://homepage2.nifty.com/daimyoshibo/mil/normandie.html

 将兵と兵器を上陸地点まで運ぶため、特殊艦も数多く開発された。もっとも成功したのが戦車揚陸艦
(LST)であり、これは多くの点で第二次大戦でももっとも重要な舟艇となった。ウィンストン・チャーチルは後に、
連合軍のヨーロッパ大侵攻を計画した際に生じた問題について述べている。
「この困難な(戦略上の)問題は、すべてLSTの極度の不足というただ一点から発生している。
英米のニ大国の計画が一〇〇か二〇〇の特殊な船によってほとんど骨抜きにされ、制限を受けるなど、
歴史にその例を見ないであろう」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳 >
508名無し三等兵
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2015/08/16(日) 20:00:10.98ID:+EXV6bCO
>>500
>エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。

 戦後、ベルナルド・オランダ皇太子は、高名な戦史家で、本作戦を描いた名著『A Bridge too far
(邦題:遥かなる橋)』の著者でもあるコーネリアス・ライアン氏に次のように語った。ちなみに皇太子は当時、
亡命オランダ軍司令官で、作戦立案段階でモンティと会見、同国内の抵抗組織からの正確な情報などを提供
し作戦成功に役立てようとしたが、すげなく黙殺された経緯がある。「我が祖国は金輪際“モントゴメリーの成功”
などという愚にもつかぬわがままを許すことはできない」。
(しらいしひかる・戦史研究家)
学研「ノルマンディー上陸作戦」

結局モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦を90%成功したとし、「私の偏見的な見方では、もし作戦が当初から援護され、
十分な航空機、地上兵力、そして遂行するのに十分な資材が与えられていたなら、私の失敗や悪天候、アーネム地域に存在した
第2SS装甲軍団にもかかわらず成功していたであろう。私はマーケット・ガーデン作戦を擁護することを後悔していない。」と語った。
しかし、オランダのベルンハルト王子はコーネリアス・ライアンに「私の国にはもう一度モントゴメリーの言うような「大成功」を
実現させる余裕はない」と語った。モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦の被害をアイゼンハワーに正確に報告しなかったが、
作戦の詳細が明らかになるにつれ彼を二度と信用しなくなった。彼はモントゴメリーに対して最低限の戦略目標であるスヘルデ川
河口域北岸のドイツ軍の排除とアントウェルペン港の解放のみを命じた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E4%BD%9C%E6%88%A6
509名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 20:01:48.67ID:3A8VNJXQ
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
>ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む)

東方国境紛争の経緯
■発生
・第二次大戦末期のソ連軍の侵攻→オーデル=ナイセ線の形成(1945 年 8 月ポツダム協定)
ケーニヒスベルクとその周辺はソ連へ移譲、その他のオーデル=ナイセ線以東の「旧ドイツ領」
は「最終的なポーランド西側国境の確定の時までポーランド国家の行政下に置かれる」→最終
的な国境確定は平和条約で
・ドイツ人の「追放」(1944 年秋?1950 年):全体で約 1200 万人(死亡者数は含まず)、内東方領土
からは約 700 万→「被追放者」(佐藤 2008: 61)
■戦後の失地回復要求
・ドイツ民主共和国→1950 年 7 月ゲルリッツ協定→オーデル=ナイセ線承認(「平和と友好の国境」)
・ドイツ連邦共和国→政府、主要諸政党(ドイツ共産党を除く)、国民世論の大多数はオーデル=ナイ
セ線承認せず
・公式の立場:「1937 年 12 月 31 日時点での国境線におけるドイツは戦後も存続する」(ロンド
ン協定、ポツダム協定、大西洋憲章(領土不拡大の原則)+ドイツ民族の「自決権」→国際規
範上の正当性)→「再統一」の国家目標
・世論調査の結果:1951 年 80%否認(別表参照)
・地図の描出(「1937 年のドイツ」が描かれる)
http://www.mt.tama.hosei.ac.jp/~ssbasis/JGD2013_sato.pdf
510名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 20:04:45.92ID:3A8VNJXQ
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)

大陸打通作戦がやれたのは、米国がドイツ打倒優先で米軍主力をヨーロッパへ向けたから。
大陸打通作戦の輝かしい大勝利の裏には、ドイツの悲しい犠牲があったことを忘れてはいけない。
511名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 20:06:54.23ID:3A8VNJXQ
まあ米国としては、あまり対日戦争に拘り過ぎると、ノルマンディ上陸が遅れてしまうんだけどな。
1944年は日本軍の大陸打通作戦で中国は荒らされ放題だったけど、もしもノルマンディ上陸を
あれ以上遅らせたら、西ドイツがソ連圏に入ってしまう。つか1944年6月6日というのは、遅すぎ。

ゴミのような中国人がいくら日本軍に虐殺されても、米国にとっては大きな問題にはならんわけで、
中国はもっと早く切り捨てたほうが米国にとっても国益に叶うことだったはずだ。
512名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 20:15:12.95ID:2durF+bj
>>505
> 実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先する

だがソ連は逆に、ヤルタ合意に反してポーランドにルブリン政権を押し付けている。
ヨーロッパの戦いで決定的な役割を果たしたのはソ連に他ならないから、米英は引き下がるしかない。

ロシアは、対ドイツ戦勝記念日を5月9日としている。一方、米国、英国、フランスなどの欧米諸国は8日だ。なぜなのか。
1945年5月7日、ドイツ国防軍のアルフレート・ヨードル作戦部長は、フランス・ランスの連合軍総司令部で、
「5月8日午後11時からすべての軍事行動を停止する」という降伏文書に署名した。しかし、スターリン・ソ連共産党
書記長は、「第2次大戦を勝利に導いた決定的な役割はソ連軍が果たした。ナチスの心臓部はベルリンなので、
降伏文書はベルリンにあるソ連軍司令部で受けなければならない」と主張した。
反論する理由に窮した連合軍はこれを受け入れた。結局、8日午後10時43分、ベルリン近郊のソ連軍司令部で、
ドイツ国防軍最高司令部のヴィルヘルム・カイテル総長が、ソ連軍のゲオルギー・ジューコフ最高司令官の前で
降伏文書に再び署名した。この時間がモスクワ時間で9日0時43分だった。このような理由で、今でも戦勝記念式典
は欧米では8日、ロシアと社会主義圏国家では9日となっている。
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2015050859898
513名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 20:18:47.17ID:2durF+bj
>>509
ソ連のやり方も米英視点では問題があるが、米英軍とて赤軍と衝突すれば敗北は必至。
赤軍の戦闘力は鬼神のようなもので、米英ごときは歯が立たない。
2015/08/16(日) 20:57:09.37ID:ORKVVrbM
>>511
>ゴミのような中国人が

なら、なんでゴミのいる国に日本は侵略したんですかねw

アホウヨこうしていつも恥をさらすな。裕仁のようにいつまでも降伏を
優柔不断に決められんのと一緒で自分のメンツにこだわってバカを晒すいい例だ。
515名無し三等兵
垢版 |
2015/08/16(日) 21:39:50.83ID:g1FdBweh
>>514
>なんでゴミのいる国に日本は侵略したんですかねw

侵略でなくて、今で言う、平和維持活動PKOですね。平和を維持したくないという、
現地チンピラ、ゲリラとそれを支援するやくざどもに邪魔されてしまいました。
2015/08/18(火) 07:26:36.53ID:rmYmtrKf
>>504
第二次世界対戦は基本的にドイツとイギリスの戦争だもんな。
ソ連は後半のみ。
日本はドイツ相手の片手間もいいとこのイギリスにさんざんに負けてる。
2015/08/18(火) 07:30:04.58ID:rmYmtrKf
>>511
イギリスの言う通りにイタリアに注力してりゃな。
ドイツはイギリスの海軍や空軍に勝てっこないんだから
2015/08/18(火) 07:31:26.16ID:rmYmtrKf
ドイツはイギリスにバトルオブブリテンで完敗
エルアラメインでも完敗
どうにもならん。
2015/08/18(火) 07:33:54.28ID:rmYmtrKf
同盟国日本は、絞り粕にすぎないイギリスインド植民地軍に20万人が一方的に殺される大敗北を喰らう有り様だし
2015/08/18(火) 07:37:39.85ID:rmYmtrKf
バトルオブブリテンとその後の航空戦線の負けは痛々しい。
ゴモラ作戦で、ハンブルクがやけのはらになったせいでクルスク大会戦の負けが決まったようなもたのだ。
521名無し三等兵
垢版 |
2015/08/18(火) 10:24:26.45ID:A2zYpsWc
ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってのは日本やドイツよりも優れていたのか?

         LOSS BY ENEMY
ROYAL NAVY
Warship types   German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total
Capital ships       3    -      2     -    -      -     5
Carriers          8    -      1     -    1      -    10
Cruisers         20    6     5     -     3     -     34
Destroyers       114   15     8     1(b)   15     -    153
Submarines (c)     24    37     4      -     6      5     76
TOTALS        169    58     20     1    25     5     278

http://www.naval-history.net/WW2CampaignRoyalNavy.htm
522名無し三等兵
垢版 |
2015/08/18(火) 10:31:45.34ID:jLnMm5oZ
>>519
>同盟国日本は、絞り粕にすぎないイギリスインド植民地軍に20万人が一方的に殺される大敗北

ナチはキルレシオ()で勝ってる(キリッ

真実

「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
 連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。

パウル・カレル/ギュンター・ベデカー
『捕虜――誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』

それで捕虜収容所で沢山死んだり行方不明になってます(笑´∀`)
確かに日本軍は戦場で餓死しすぎだが、捕虜収容所で何百万人も野垂れ死んだナチの豚どもより遥かにマシだなw
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