>>206>>220
と言うか、ベトナム戦争は米国の戦争であると
言われるのはベトナム国内の内戦でありながら
米国内の政治闘争になってしまったから。
なぜ相手の国の内政が自分の国の内政に転化したか。
1940-1960年代の米国もやはり自国の内政の延長で戦争と
言うものを理解していた。そしてこの論理が破綻したことで
戦争に勝てる国内の政治的基盤を喪失した。
メディアの影響だの不正規の戦争だのは自国の内政統治と
国外のそれとの矛盾に言及していない責任転嫁と逃避でしかない。
その典型はアジアの仏教や儒教の国でキリスト教政権を
支援していたこと。中国の蒋介石政権、南朝鮮の李承伴政権、
日本の吉田茂政権、ベトナムのゴディンジェム政権、
全て本人かその親族にクリスチャンの影響が強い。
この時期に米国で外交への影響力が強かったのはダレスだが牧師の
家系である。因みにホーチミンの父親は儒学者で漢籍の教養がある。
つまり米国と言う国は自国の国内統治の論理でそのまま国外の戦争を
戦おうとしていた。リンカーンは分裂した国内の統一のために
聖書から多くを引用してその求心力としようとし、アイゼンハワーは
公立学校へ神への誓いを取り入れた。小ブッシュはイラクの統治に
当初はクリスチャンのアジス外相を支持し、オバマ大統領は演説の度に
「God bless you」で締めくくる。これが米国の国内統治の手法では
あるが、それは外国では必ずしも通用はしない。
米国の場合信仰と言えば実はまだキリスト教であり、それ故に
未だに同性愛や堕胎や離婚が問題視される。

国民総力戦の時代においては民心の把握と言うものは非常に重要。
これはそのまま軍隊の士気と同じに考えていいだろう。
ベトナムは共産主義で糊塗していたが実は民族の独立紛争を
戦っていたわけで、植民地の論理に米国が乗ってしまった
時点で南部の民心の把握は無かっただろう。