>>30 @
それ完全に創作小説。事実ではありませんよ。
(慰安婦騒動の発端の吉田清冶と同じ)

坂井三郎氏の著書「零戦の真実」を改めて読み返してみた。
(三村文男氏はこの「零戦の真実」を引用して書いている)
坂井氏はこの自爆機を見送った、と書いているのだが、その状況描写は一切ない。

調べると、
@坂井氏が所属する台南空がラバウルに進出するのは昭和17年4月16日で
ラエに進出するのは昭和17年4月17日である。

A問題の中攻機は既に3月31日、ラエ基地から単機出撃し自爆している。
(昭和17年3月〜昭和17年5月 1空飛行機隊戦闘行動調書:防衛省防衛研究所資料)
1空は4月10日に本土に後退し、木更津で再建に入る。
( 巌谷二三男,「ソロモン・ニューギニア東部方面作戦参加陸攻隊一覧表」,
「陸上攻撃機隊関係航空隊開解隊一覧表」,『中攻』原書房 1976 )

B坂井氏は、問題の中攻機をラバウルやラエで見送る機会は無かった、のは明らか。
C5月自爆という日付けも誤りである。事実は3月31日。
D坂井氏はこの自爆機を見送った、と書いているが、それは全くあり得ない。
掩護機として付いて見送ったのは第4航空隊(4空)の零戦3機である。(3月30日)
(昭和17年2月〜昭和17年4月 4空飛行機隊戦闘行動調書:防衛省防衛研究所資料)
その状況描写が一切ないのも、坂井氏が見送っていないことを裏付ける。

E坂井氏は同期生の中攻機乗員の手記を証拠として出している。しかし、
同期生の手記と称する文章に、ラバウルからラエに8名の中攻機乗員と飛行長が
一緒に飛んでいったとの記述があるが、事実ではない。
8名の中攻機乗員は3月30日にラバウルから出撃したが、帰途に燃料不足のため
ラエに着陸しており、翌31日に飛行長がラエに自爆を告げる為に向かったのである。
(1空飛行機隊戦闘行動調書)