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スピットファイアマーク[はビルマ航空隊の天敵だったぞ。

1943年10月のスピットファイア・マーク[の配備以後、たちまち日英の制空権は逆転した。
1943年12月31日のチッタゴン上空での戦いは日本陸軍機気を一方的に12機撃墜
1944年1月15日のアラカン上空では日本陸軍機を一方的に7機撃墜

圧巻は2月10-14日のアドミンボックスの戦いの航空戦で
スピットファイアは日本陸軍戦闘機を一方的に60機以上撃墜した。
この敗北は以後の戦局に膨大な影響を与えたすさまじいもので、
第5飛行師団の田副登が航空支援が無理になったからインパール作戦を中止してくれと
牟田口に泣きつくほどだった。
以後日本陸軍戦闘機は2機以上で出没することがなくなるほど、
立て直しがまったく不可能になった。
インパールで航空支援がなく大日本帝国陸軍歴史叙情最悪の敗北をしたのも
スピットファイアマーク[がすさまじい勢いで陸軍航空隊を撃墜したせいだ