>>520
>インパールで航空支援がなく大日本帝国陸軍歴史叙情最悪の敗北をしたのも
>スピットファイアマーク[がすさまじい勢いで陸軍航空隊を撃墜したせいだ

しかも、米国の統合参謀本部は、蒋介石とスチルウェルの中国連合軍と協同して大規模な攻勢をかけ、
ビルマ北部から日本軍を一掃し、ビルマと中国を結ぶビルマ・ルートを再開するよう英国に要求してきた。
この戦域での作戦の成功に必要な航空機と物資の補給を米国が握っていたこともあり、
英国はその要求を呑まざるを得なかった。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf

 シェンノートは、揚子江にむかって前進中の日本軍を攻撃してもよいとの許可をあたえられたが、
多くの飛行機をビルマ作戦に転用されたうえ、中国東部にある基地の予備燃料がおそろしく少なかったため、
中国軍に適切な航空支援をあたえることができなかった。
 このとき(四月三十日)、第14航空軍は五〇〇機を保有していたが、使用できたのは四〇〇機であった。
 このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ、残りの二〇〇機で、ヒマラヤ越え空輸の防護と、
中国軍への航空支援を行わなければならなかった。
 二〇〇機という数は、二つの任務をうまく果すためには、到底不十分な数であった。
http://homepage1.nifty.com/ktymtskz/aircraft/chaina8.htm