>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。
>>600
>インパールの体験者の戦記を見てみろよ。

佐藤は補給要請に全精力を注いでいたが、ついに物資不足を危惧し撤退を進言するに至った。補給を軽視した司令部
は佐藤に作戦継続を強要したが、師団はすでに武器弾薬や食料の不足から著しく苦戦しており、これ以上の進撃は
不可能な状況だった。そこで直接の上官ではなく第5飛行師団の田副登師団長宛にまで直接補給を要請したが、
それでも佐藤はこのままでは全滅は不可避と判断していた。
そのような中、5月31日、コヒマ西方で58連隊が守備していた5120高地が英印第7師団の猛攻を受け、5月末日に陣地
にて紛戦状態となった。この時玉砕を決意した守備隊長白石大佐の告別電により佐藤はコヒマ放棄と主力の撤退を独自に決断し、
病兵1500名の後送を指示、部下の宮崎繁三郎少将に遅滞戦闘を命じた[7]。そして、
「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって
英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」(原文は漢字・カタカナ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%B9%B8%E5%BE%B3