加えて「ソ連がドイツと不可侵条約を結ばねばならなかったのは、英仏がドイツに譲歩してドイツ軍が
ロシアを攻めるように誘導したことに、ソ連としてやむを得ず対抗する必要があったからだ。ソ連はアジア
で日本とも対峙せねばならず、ドイツと戦争する余裕がなかった」とも主張した。プーチンはまた「英国が、
ドイツが攻めてきたら英国が対独宣戦布告してやるから頑張ってドイツに対抗せよとポーランドをそそのか
したのが大戦の一因だ」とも示唆した。
http://tanakanews.com/100611russia.php

長期的にはソ連指導部の読みが当たる
 常識的には実にもっともで、長期的にはその読みが当たることになる。ヒトラーは、十分な冬支度もせず、
ソ連の工業力と国土の広大さ、補給の困難を軽視し、無理な二正面作戦に踏み切るが、結果は周知の通りだ。
 連戦連勝だった独軍は、自信過剰に陥っていた。当時、ソ連機甲師団の実力をいちばんよく知っていたのは、
ノモンハンで手痛い目にあった日本軍だったかもしれない。
http://jp.rbth.com/arts/2013/06/22/43719.html

実はこのルート、米英からソ連に渡った補給物資の半分以上が使ったとも言われているそうだ。
太平洋にはドイツ海軍がいなかったので、安全だったのだろう。
http://ameblo.jp/kimipogo/entry-11212949404.html

邦訳者後書きには、ノモンハン停戦協定が締結された後も1941年、その7月1日現在のロシア側戦力は、
対独戦に振り向けられていた戦力より大きく、723119名の兵力、戦車4638両、航空機4777機、自動車6万余台、
トラクター1万余台、砲14062門などと、やたら記録をとる民族だけに詳しいのだが、
http://yhsvtex.blogspot.jp/2007/06/19417172311946384777614062-30003.html