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邦訳者後書きには、ノモンハン停戦協定が締結された後も1941年、その7月1日現在のロシア側戦力は、
対独戦に振り向けられていた戦力より大きく、723119名の兵力、戦車4638両、航空機4777機、自動車6万余台、
トラクター1万余台、砲14062門などと、やたら記録をとる民族だけに詳しいのだが、
http://yhsvtex.blogspot.jp/2007/06/19417172311946384777614062-30003.html


これこそが北進説は末端の威勢か虚性のような現実離れした実現性を伴わない底床であったと証明してる。
それこそわずか正規師団の装備は数個師団で残りは憲兵と予備役数十万だった日本は北進してロシアと応戦する戦力以前であって
そもそもシベリア報復侵攻ですら当時極東だけで100ミリ以上の主砲を3000門以上配備してたロシアに対し日本はそういう装備が1000門もなく一切北進出来なかった。

1941段階でもロシア極東対日本の装備は10倍の開きがあり
満州と比べれば装備の差は40倍だ。しかも訓練を受けた正規予備役の人数は満州で10~15万。日本で30~40万程度であり。日本の全正規予備役の数がロシアの正規予備役のかずに劣ってる。

当時の日本陸軍は防寒対策はロシア以上に優れてたが、北進以前に満州防衛をするためのジープすら不足していて
ロシアがドイツに戦力振り分けても尚不利で防戦一方だったんだよ。
ノモンハンだってあのまま続いて勝っても基本防戦だったしね。